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第19章 神魔未踏のメガラニカ
第455話:穂村組 源流復古
しおりを挟む「――サバエさん」
穏やかな声を投げ掛けたのはアハウだった。
ククルカン森王国 国王 アハウ・ククルカン。
内在異性具現化者であり、反転した性は人性から獣性。獣人種から神族へ成り上がったため獣王神となった元文化人類学学者の青年だ。
専攻はラテンアメリカの文化史と人類学研究。
日本を始めとしたアジア圏の民俗学も学んだという。その時の教授が『地上最強の民俗学者』なんて異名を取る、とんでもない人物だったとか何とか……。
彼の肉体は感情によって変形し、より獣王らしい姿を取る。
平時は人間に近い体格になれるよう精神的にコントロールする術を学んでいたが、それでも2mを越える長身巨躯は獣毛に覆われ、口元には角と見紛うほどの牙を覗かせ、蹄のように分厚い鉤爪を生やす獣らしさが残っている。
獣人と表現するしかない見目となるのだ。
理性を宿す瞳には、透き通るような叡智を湛えていた。
神鳥の羽で飾られた背なまで覆う羽根飾りや、落ち着いた光玉で飾られたネックレス。神獣の毛皮で編まれたローブや羽織るロングコートは、幾何学模様に大自然の意匠を絡めたような紋様で飾られていた。
これらは「獣王神らしいコーディネート」としてアハウの奥さんとなったマヤムが用意したものだ。ネイティブアメリカンの酋長を彷彿とさせる。
実際、モデルの原型はそこにあるのだろう。
羽根飾りを揺らしてネックレスを鳴らし、アハウは踏み出した。
裁判官を務める軍師レオナルドの後ろ、居並んでいた五人の王の列から抜け出すように前へ出ると、鉄格子越しだが呼び掛けたサバエに近付いた。
「はじめまして――私はアハウ・ククルカンという」
君の身元引受人となる者だ、とアハウは自己紹介も兼ねた。
先刻の騒ぎでサバエは牢獄の片隅から這い出てくると、剃髪したアダマスの脇に寄り添うも、顔を涙に濡らしたまま腰を抜かしていた。
そんな彼女に目線を合わせるべく、アハウも片膝を突いた。
「…………ど、どうも」
唐突に名前を呼ばれて身元引受人と名乗るアハウに気圧されるも、挨拶を返さないのはよろしくないと感じたのか、サバエはしどろもどろに応答した。
うん、とアハウは確認するように頷いてから告げる。
「君には酷かも知れないが――やはり第三の誓約は交わしてほしい」
まさかの発言に牢獄内はざわついた。
アダマスが漢の誇りという最高のアイデンティティを捧げてまで拝み倒し、ツバサも「これ以上は野暮だぞ」と裁判官を窘め、レオナルドも「致し方ない」とこの訴えを認め、誰もが納得しかけた空気になりつつあった。
アハウはそれらを帳消しにしようというのだ。
驚愕と非難の視線が集まるも、獣王神の表情は変わらない。
ただ淡々と自分の思うところを口から発した。
「ただし、今すぐ贖罪のために働けなどと無粋なことは言わない。そこの彼……アダマス君の願い出た通り、君の心が落ち着くまでの猶予をあげよう」
特に期限は設けず、サバエの心が癒えるまで待つ。
「そうだな……ほら、アレだよアレ」
ある時払いの催促なし――というやつだ。
奇しくもアダマスの口癖を真似るようにアハウは例える。
第三の誓約を交わしこそするものの、実質的に有名無実とするものだ。サバエが贖罪へのやる気を出さなければ、いつまでも誓約は執行されない。
形ばかりの誓約だが、誓約を交わしたことは間違いない。
「恐らく……これが最良だと思うんだよ」
眉尻を下げたアハウは苦笑いを浮かべ、静かな口調で諭していく。
サバエだけではない。牢獄にいる者すべてをだ。
「形だけとはいえ第三の誓約を交わしてくれれば、四神同盟の面子は守られる。君が立ち直るまでの猶予を誓約に加えれば、漢の誇りを捧げてくれたアダマス君の顔も立つだろう……そして、君にも考える時間をあげられる」
無論、各々が飲むべき損はいくらかあった。
それでも三者が納得できる提案だった。
「いわゆる三方一両損――これで手打ちにしてはもらえないだろうか?」
(※三方一両損=落語のひとつ。大岡越前の逸話とされる。ある男が三両の金を落とし、別の男がそれを拾う。落とした男は「諦めてたんだから今更いらねえ」と受け取り拒否。拾った男は「他人様のもんを奪えねえ」と返そうとする。これが原因で喧嘩していたので名奉行・大岡越前が仲裁。大岡は自分が一両足して四両にして二人に分けさせる。落とした男は二両しか帰ってこなかったので一両損、拾った男は三両もらえるところ二両しかもらえないので一両損、大岡は仲裁に一両使ったので一両損。これにて三方一両損と納得させた)
よろしく頼む、とアハウは跪いたままサバエに目礼した。
その後すぐにアダマスにも目配せする。
「釈放後の彼女の面倒はアダマス君、君に一任したい……尻持ちするとまで公言してくれたのだ。彼女の心の傷が癒えるまで見守ってほしいのだが……」
「応よ! 当たり前だッ!」
アダマスは鉄塊みたいな胸を拳で叩いて引き受けてくれた。
こうしてサバエのみ第三の誓約を改められた。
・第三の誓約(贖罪のための奉仕活動)は正式に交わす。
・ただし精神的不調を理由に活動開始までは猶予を与える。
・猶予期間は無期限とし、開始時はサバエ当人の意思に委ねる。
・猶予中はアダマスの保護下に置き、彼女に関する全責任は彼が負う。
・身元引受人との定時連絡などは欠かしてはならない。
「……こんなところかな? どうだろう、サバエさん?」
「は、はい……それで構いません!」
まだ涙の止まらないサバエだが、泣き腫らした顔を懸命に拭って表情だけでも取り繕うと、精いっぱい声を正してはっきり答えてくれた。
これでサバエも第三の誓約を交わした。
多少の回り道こそしたものの、双方納得ずくと見ていいだろう。
「……ありがとう……ございます」
囁かれたサバエの感謝は、アハウの気遣いに敬意を表していた。
アハウは五人の王の列へ戻る途中、背中越しにその言葉を受けたが横顔を振り向かせて申し訳なさそうに微笑むばかりだった。
「礼などいらないよ。私はただ……円滑に事を進めたかっただけさ」
上手いこと話をまとめてくれたのは事実だ。
細かいことが気になるのが悪い癖な軍師レオナルドや、問題児たちを調停してきた教師クロウも、口を挟まなかったのだから間違いない。
こうして――軍事裁判は終了した。
終焉者たちは枷を解かれ、牢獄からも解き放たれる。
三つの誓約を交わしたので悪さのしようがないと証明されたからだ。
四神同盟の領域から退去するのは明日。
それまでは縁者の元に預けられるか、身元引受人となった監督役がいる国へと引き取られ、同盟国内での最後の一夜を過ごすことになる。
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ハトホル太母国――穂村組の屋敷。
ツバサたちの暮らす拠点でもある巨城の如き御殿。
その門前を守るように構えられた和風建築の屋敷こそが、穂村組の組員が寝起きする基地となっていた。道場などの訓練施設もあって本格的だ。
ヤクザの屋敷ではなく武術道場の佇まいである。
実際の話、穂村組はもはやヤクザとしての態を成していない。
四神同盟に属するも国家を名乗らず、一組織として加入することを希望した穂村組は、最前線で戦う切り込み部隊としての地位を確立しつつあった。
国と民を守る警護兵であり、要人を守る護衛役。
四神同盟のために前線で戦う戦闘部隊。
そういった評判が各地にじっくり浸透してきているのだ。
特にハトホル太母国では女王の身辺警護として侍る姿が見掛けられるため、国民からは親衛隊や近衛兵などのエリート部隊と認識されていた。
その穂村組の屋敷には大広間がある。
これは組員全員で総会を開いたり、任務で戦功を上げたり失敗をした組員と組長が差し向かいとなり、相応の処分を言い渡す場として使われていた。
勿論、宴会場や客人を迎える客間としても用いられる。
軍事裁判が行われたのは日も高いうちだった。
すっかり夜も更けた頃、穂村組の組員は大広間へと召集された。
上座を前にして並ぶのは二人。
元穂村組組長 末弟 ホムラ・ヒノホムラ。
黒髪ロングの姫カットな男の娘なのは変化なしだが、一連の騒動を引き起こした責任を感じており、かつての威勢はこれっぽっちも感じられない。
無地の着物に地味な袴という質素な格好。
ちょこんと正座する姿はいつにも増して小さく、また幼く見えてしまう。
組を裏切り、悪友を亡き者とし、最愛の人を強奪せんとする。
破壊神ロンドに唆されたとはいえ、我欲で動いた事実は覆せない。
終焉者として断罪されて三つの誓約を交わすのみならず、組長の座から降ろされ、組からは破門され、一族からは勘当という処罰に相成った。
ホムラの隣に座るのは同罪として裁かれた男。
元穂村組若頭 長兄 ゲンジロウ・ドゥランテ。
昭和の任侠映画で主役を張れる古式ゆかしい男前は、髪をザンバラにして無精髭もそのままだが、疲れた様子も草臥れた面影も垣間見せなかった。
死に装束のような真っ白い着流しを着込むのみ。
背筋を伸ばして正座する姿は堂に入っており、罪人という実情を知らなければ死を覚悟して切腹を控えた高潔な武士の如き風情があった。
愚かな選択を選び続けた若き組長。
実の弟でもあるホムラの暴走を諫めることも制することもなく、彼の望むままに唯々諾々と盲従し、最悪の結果を招いたために断罪された。
彼の場合、こうなることも覚悟の上だから潔いのだろう。
『先が読めてたのなら愚弟を止めんかいッ!』
バンダユウのみならず、レイジやマリにまで叱られたのも昨日のこと。
牢獄内でホムラとゲンジロウの見張り役を買って出た穂村組一同はバンダユウを筆頭に、とにかく説教に説教を重ねたのだ。あらん限りの大声で怒鳴り続けたバンダユウなんて、神族なのに喉が嗄れて風邪気味なったほどである。
そのバンダユウは――大広間の上座に座っていた。
穂村組 顧問 バンダユウ・モモチ。
ホムラは元より、ゲンジロウとレイジとマリの三兄妹を始め、組員のほとんどを指導してきた穂村組の生き字引。叔父貴の愛称で親しまれている。
今日の穂村組を育てたといっても過言ではない。
穂村組の師父と敬われるべき叔父貴が、たった一人で上座にいた。
いつもなら組長ホムラを中心に置き、その左右に叔父貴、若頭、番頭、若頭補佐、おまけで金庫番が並ぶのだが、今夜はバンダユウの他に誰もいない。
――壮年と老年の端境にいる好々爺。
ロマンスグレーに染まった総髪を適当に束ねただけだが、酸いも甘いも噛み分けながら愛嬌を失わない色男の面貌は、今でも女の子のたくさんいる店に行けば八割方は落とせると豪語するほど色事に長けた玄人。
見る度に変化する絢爛豪華な褞袍がトレードマークだ。
褞袍に反して着物はシックな墨染めの着流し。足袋の白が浮いている。
手慰みとして右手に摘まむのは極太煙管。
しかし、大広間の上座に着いてからは一服もしていない。
煙草を嗜む気分にはなれないのだろう。
名工が鑿で一刀のもとに刻んだかのように真一文字で結ばれた唇。目尻はギリギリと音を立てて釣り上がり、眉間は奈落と見紛うほど深い。
深く刻まれた眉間から額に書けて、太い血管の脈が浮かんでいた。
それこそ額を覆う網目状に広がっている。
由々しき憤怒の形相――目を合わせるのも恐ろしい。
普段から誰であろうと愛想のいい剽軽なオジさんの風貌はそこになく、猛々しさと厳しさのすべてを具現化させた父親像として君臨していた。
不用意な発言ひとつで心臓をぶち抜かれる。
死を覚悟させるほど緊迫感が大広間を支配していた。
上座にバンダユウ、その前に正座させられたバカ兄弟二人。そこから距離を置いて大広間の下座に勢揃いした組員たちも控えていた。
最前列に並ぶのは番頭レイジ、若頭補佐マリ、金庫番ゼニヤ。
氷の微笑が似合うインテリヤクザなレイジは、今日もフォーマルなスーツに身を固めて氷像のように微動だにしない。
よく冷笑を浮かべる表情も、今日ばかりは極寒に凍てついていた。
その横に十年来の親友であるゼニヤが並ぶ。
いつぞやの大怪我から回復して以来、血肉を削がれた影響なので大変よろしくないのだが、多少なりともダイエットに成功していた。肥満体が小太りぐらいにまで改善しているが、アラビア商人みたいな風体は相変わらずだった。
ゼニヤのすぐ横にはマリが座っている。
この二人、正式に婚約したので内縁の夫婦なのだ。
マリも相変わらずフリル満載のホステス風なマーメイドドレスを愛用しているが、以前と比べて落ち着いたファッションである。
しかし、美貌とプロポーションには磨きが掛かっていた。
Kカップになったという自慢の谷間をこれでもかと露出している。
本来ならば組長とともに上座か、少なくとも上座の側へ着席することを許される幹部でさえも、今夜は叔父貴の意向で下座に回されていた。
その後ろに列を成すのは、穂村組の精鋭たち。
万人に愛される童顔の持ち主ながら屈強な空手家 セイコ・マルゴゥ。
素で二枚目と評される爽やか系イケメン剣豪 コジロウ・ガンリュウ。
巨漢双子の兄弟を引き連れる若き骨法使い ダテマル・サガミ。
ダテマルの後方には実の弟でありながら、ダテマルよりずっと大柄で年上にしか見えない僧形の双子。ドンとソンが脇侍のように付き添う。
そこより後ろに並ぶのは――ヒラ組員の皆さん。
心持ち前に出ることを許されたのは、三悪トリオのみだった。
成人してるのに貧乳中学生にしか見えない魔眼のマーナ、半分イケメンだが半分スケルトンの工作者ホネツギー、顔の半分が泥のように溶けている以外は気が優しくて力持ちを地で行く怪力男ドロマン。
タイム○カンの悪役じゃねーか! とよくツッコまれる三人組だ。最近、本人たちも憧れてキャラデザに取り入れていたと判明した。
今回の戦争では珍しく活躍したため、その戦果ゆえの評価である。
もっとも――この状況では意味が薄い。
セイコやガンリュウ、それにダテマル三兄弟も各陣営を守り切るという功績を上げていたが、浮かれるどころか持て囃される雰囲気ではない。
叔父貴の威圧感で屋敷がねじ曲がりそうなのだ。
原因は言うまでもなく――ホムラとゲンジロウが犯した大失態である。
裏切りに裏切りを重ねた上での反逆。
恩人であるツバサやミロに大迷惑を掛けたのも莫大なマイナスポイントだ。仮にもヤクザな生業をしてきた穂村組として、仁義に悖る行為である。
挙げ句、バッドデッドエンズに加入したのだから目も当てられない。
敗北を喫した終焉者として投降した後、牢獄に放り込まれ、一昼夜掛けてバンダユウから鼓膜の破れそうな大音声で説教され、四神同盟のお歴々立ち会いの下で行われた軍事裁判で裁かれたのは今日の昼のことだ。
世界を壊さない、生命を殺さない、反省の意を込めて奉仕活動をする。
違反すれば死あるのみ。
この誓約を交わしたことで、ようやく解放された。
他の三人の終焉者も身元引受人や縁者の下へ引き取られており、今夜一晩だけ四神同盟の領域に留まることを許されていた。
明日――終焉者は放逐される。
四神同盟の支配領域から追放されるといっても良い。
つまり、今夜が親類縁者と気兼ねなく過ごせる最後の夜となるのだ。
だがしかし――穂村組ではそんな雰囲気が微塵もない。
今にも死刑執行されそうな重苦しい空気がどんより漂っていた。
刹那、バンダユウの手元が微かに動く。
神速もあざ笑う迅速な動きは、見物人を欺くことに長ける手妻師ならではの早業だ。LV999に達した動体視力ですら置いてけぼりにされかねなかった。
瞬きした後、大広間に何が起きたかを確認する。
間違い探しをした結果、ホムラとゲンジロウの前に違いが現れていた。
絶縁状――そう記された封書が置かれている。
「言いたいことは、おまえらが檻ん中にいた時に吐き尽くした」
いつの間にかバンダユウの手元には煙草盆が置かれており、そこの灰皿で吸い終わった灰を捨てるように煙管をひとつ打ち鳴らす。
「勘当の絶縁状だ。持っていけ」
これより穂村の一族として認めず、穂村組の一員とも見做さない。
勘当宣言のみならず、証書も作る徹底ぶりに組員の誰もが叔父貴の本気を思い知らされ、当事者のホムラとゲンジロウも異を唱えることはなかった。
ホムラは泣きそうな顔で、それでも粛々と頭を垂れる。
ゲンジロウもホムラを見届けてから、後を追うように頭を下げた。
絶縁状の前で手を突いて土下座をする兄弟。
その頭を見下ろすバンダユウは、念を押すように二人へ言い渡す。
「ホムラは蕃神をすべて滅ぼすまで帰ってくること能わず、その覚悟で日が昇る前には出てけ。ゲンジロウは縁も所縁もねえ下っ端からやり直し、ハトホル太母国の際に掘っ立て小屋でも建てて、そこを塒にビシバシ働け」
蕃神やモンスターなどを駆除しつつ――荒廃した土地をせっせと耕す。
「さっき言ってた屯田兵でもやるんだな」
「……御意」
バンダユウからの命令にゲンジロウは了承の意で答えた。
しばらく大広間に沈黙が居座る。
ホムラとゲンジロウに最後の通告をしたバンダユウは、わざとらしく遅い仕種で煙管に煙草を詰めると、魔法も幻術も使わずにわざわざマッチで火を灯して、ゆっくり灰へ吸い込んでからのんびり紫煙を吐き出した。
たっぷり五分は費やしただろう。
憤怒の形相は幾分和らいでいるものの、今度は寂しさが去来したかのように虚ろな横顔を覗かせていた。間を溜めているようにも見受けられる。
もう一度だけ煙管を吸い、紫煙を頭上へと吹いた。
カンッ! と小気味よく煙草盆を打ち鳴らす音をさせた直後のこと。
「ついでだ、組の再編成もやっちまうぞ!」
意を決したかのように声を荒らげたバンダユウは、怒りも寂しさも吹き飛ばした表情で組員たちに向き直り、有無を言わさぬ迫力で申し渡してくる。
「まず組長、これはおれが務める」
文句のある奴はいるか? という叔父貴の問い掛けに物申すことができるものなどおらず、皆一様に平伏することしかできなかった。
ただ、事情を知る者は驚きを隠せない。
そもそも――バンダユウが組長になる機会は何度もあった。
先々代の組長が毒で暗殺された時や、ホムラの父である先代組長がツバサの師匠に完敗した傷によって早逝した時。組長不在では組織として立ち行かなくなるので、当時若頭だったバンダユウにお鉢が回るのは当然の流れだった。
しかし、バンダユウはどちらでも固辞した。
若頭から顧問となり、先代組長やホムラの後見人に収まる。
そうすることで彼らを当代の組長として盛り立て、決して自身が穂村組の頂点に立つことはなかったのだ。
別段、他の幹部や組員から指摘されたわけではない。
むしろ「バンダユウさんなら組長の座に収まっても誰も文句を言わねえから!」と背中を押されたくらいなのだが、ある理由から頑なに断ってきた。
『穂村組を継ぐのは――あくまでも穂村の一族』
これを鉄の掟としたバンダユウを知る者は驚愕せざるを得ない。
同時に代々の穂村一族を見守ることに徹してきた叔父貴が、代わりを務まる者がいないゆえ自らが組長へ就任する苦悩を慮ってしまう。
先代が若くホムラが幼くとも、師として彼らを推挙してきた叔父貴。
穂村の名に仕えてきた忠臣の心中如何ばかりかと思慮が働く組員ほど、この宣言を発するのにバンダユウがどれほど苦しんだかを察することができた。
あの長ったらしい一服は、心の準備を整えていたのだ。
思わず涙ぐんでしまう者が続出してしまう。
「次、若頭はレイジ。これからはおまえが組を引っ張っていけ」
「はい、謹んで拝命させていただきます」
既に予想できていたのか、レイジは戸惑うことなくバンダユウからの任命を引き受ける答えを返した。組員からの反対意見が湧くはずもない。
元より“番頭”という役職がおかしいのだ。
暴力団においてトップである組長に継いで№2の役職“若頭”は確かにあるが、その下に“番頭”という地位はない。本来、番頭とは商家に置ける使用人たちのまとめ役、商家の主にとって腹心的存在である。
ゲンジロウに次ぐ実力者、庶子とはいえ先代組長の血を引く次男。
若頭補佐とするには勿体ない腕前の持ち主で、文武両道を地で行く頭の良さから、経済や実務などで穂村組を支える柱となった。
そうして才能を買われたレイジは、いつしか“番頭”と呼ばれていた。
最初はあだ名的な意味合いが強かったわけである。
しかし先代が急逝して幼いホムラを組長に祭り上げる際、顧問であるバンダユウは「幹部はゲンジロウたち三兄妹で固めた方が良い」と判断したため、マリを若頭補佐に据え、レイジにそのまま番頭という役職を与えたのだ。
ゲンジロウが退いた今、若頭を任せられるのはレイジをおいて他にない。
「そんでもって精鋭三羽烏どもよ」
「――押忍!」
「――ハッ!」
「――ズラ!」
叔父貴に呼ばれた三羽烏は異口同音で返事をした。
この三羽烏とは、穂村組の精鋭部隊の中でも突出した腕前を持つ三人。爆肉のセイコ、爽剣のコジロウ、駆掌のダテマルをまとめた通称だ。
三羽烏は畳に両手をつき、叔父貴の命を聞き漏らすまいと身を乗り出す。
「おまえらは今日から若頭補佐だ」
気張れよ、とバンダユウは昇進した若者たちに発破を掛ける。
まさか抜擢に三羽烏たちは顔を上げた。
三人の眼を覗き込んだバンダユウは、これからを言い含めていく。
「これからは日替わりでも週替わりでもいいからレイジにくっついて、若頭の仕事を手伝いながら色々と覚えていけ。力仕事ばかりが能じゃねえ、最低限の事務方くらいはできるようになってもらうぞ」
頭も使って賢くなれ――叔父貴の眼は口ほどに物を言っていた。
これにはどんぶり勘定なセイコの秘書を務めるカナミ女史も「助かります」と言わんばかりにウンウン頷いていた。激しく同意しているのだろう。
苦手分野も任されそうなセイコやダテマルは苦笑いだ。
コジロウはこう見えて頭も切れるので、余裕の微笑みを浮かべている。
「「「はい! 拝命いたします!」」」
精鋭三羽烏は声を揃えると、一糸乱れず叔父貴に頭を下げた。
いや――新たなる組長に忠義を示したのだ。
「あのぉ……おじさま? つかぬことをお伺いしますけど……」
恐る恐る挙手したのはマリだった。
顔色が浮かないのは当然だろう。これまで若頭補佐はマリが務めていたのに、それが精鋭三羽烏に移ったのだから不安で堪らないはずだ。
レイジは番頭から若頭、三羽烏は若頭補佐、それぞれ昇進している。
では若頭補佐だったマリはどうなるのか?
「あたしはどういう立ち位置になるのかしら……?」
「マリは若頭補佐から外す。それと、ゼニヤ君も金庫番から外す」
「ええっ! ワ、ワイもでっか!?」
隣でマリが青い顔をしていると思えば、火の粉が飛び移るように自身のお役目まで解任されたゼニヤは目玉が飛び出るほど驚いていた。
「ちょ、ちょっとおじさま!? あたしら夫婦そろってお役御免なわけ!?」
「ワイらなんか仕出かしてまったんでっしゃろかいな!?」
混乱するマリは不安のあまりゼニヤを抱き寄せて胸の谷間に埋めようとしているし、ゼニヤはその谷間から顔を無理くり出して抗議めいた疑問をぶつけるのだが、気が動転しているのか関西弁がおかしなことになっていた。
ほんの少し、バンダユウの眉間の皺が緩んだ。
「……慌てて勘違いすんじゃねえよ」
威圧感はそのままだが、僅かにほぐれた表情で叔父貴は言い付ける。
「おまえらは役職から降ろすんじゃない。外すと言ったんだ。そうだな、会社的に見りゃあ配置換え、そんでもって栄転昇進と思っときゃいい」
まず金庫番ゼニヤ・ドルマルクエンに辞令を言い渡す。
「おまえさんは穂村組の金庫番から、ハトホル太母国執務室付の金融部門へ異動。今後は四神同盟内で流通させる貨幣などの管理を任せる」
謂わば金融部門担当――財務大臣のような立場だ。
「これは四神同盟に所属する各国の王や組織の長にも承認されて内定済みだ。この世界の金の歴史はゼニヤ君、おまえさんから始まるんだよ」
やったじゃねえか、とバンダユウは手放しで褒める。
「金銭の流れを牛耳りたかったんだろ? 望み通り、夢を叶えやがったな」
「は……ハハハーッ! 喜んで拝命させていただきます!」
ありがとうございます! とマリの胸から飛び出したゼニヤは額ずき、厚く御礼申し上げた。溢れんばかりの涙で畳を濡らす喜びようだ。
「……良かったわね、あなた」
感激に噎び泣くゼニヤの背中を、マリは優しげな手付きで撫でている。
「そしてマリ、おまえにはゼニヤ君の秘書を任せる」
あたし? とマリは思い掛けない異動に自らの顔を指差していた。
「そうだよ、おまえだ。なんなら副大臣でも何でもいい。要は穂村組の一員として、四神同盟の金融部門で長になったゼニヤ君の補佐を務めろ。穂村組が喧嘩一辺倒の戦バカじゃねえってことを知らしめるんだ」
レイジは頭こそ切れるが愛想がなくて印象が冷たい。副官としては非常に優秀なのだが、広告塔とするには些か難がある。
それに比べてマリは愛想が良ければ愛嬌もあり、見目麗しく華もある。
レイジほどではないが内政や事務も任せられた。
彼女が穂村組の看板を背負い、ハトホル太母国や四神同盟で働いてそれが目立つようになれば、穂村組への心証が良い方へ傾くことも期待できる。
ゼニヤが財務担当として選ばれたのが幸いだ。
この潮の変わり目を好機と見たバンダユウなりの人選である。
「……できるな、マリ?」
バンダユウの問い掛けにマリは三つ指をついて頭を下げた。
「はい、おじさま……いえ、組長。マリ・ベアトリーチェ、夫ゼニヤ・ドルマルクエンの補佐としてハトホル太母国執務室付の勤務」
謹んで拝命いたします、とマリも襟を正して新しい役職を引き受けた。
よし! とバンダユウは吠えるように一声を上げた。
「いいかおまえら、よく聞け……ここからが穂村組にとって正念場」
バンダユウは手にした極太煙管を畳に突きつけた。煙管の切っ先が示すのは穂村組そのもの、自身を含めて組も組員もすべてを指し示していた。
「ヤクザごっこはもう終いだ――穂村組の本分に立ち返るぞ」
新組長である叔父貴の宣言に誰もが息を呑んだ。
弟子にして子分である組員たちは固唾を呑み、こちらの一挙手一投足に全神経を集中させていると感じたところでバンダユウは話を続ける。
「穂村組ってのは本来、ヤクザでもマフィアでも暴力団でもねえ。その出自が人知を超越し、人とは違う異形異能ゆえ追い立てられた者の集まりだ」
伝説的な陰陽師――安倍晴明。
彼が手足の如く使役したという式神・十二神将。
その容貌が恐ろしいため晴明の妻はこれを怖がり、晴明は十二神将を近くの一条戻橋に待機させ、用があれば喚び出したとされている。
神将と呼ばれ式神として人に仕えども、その正体は荒ぶる鬼神。
用がなければ橋の下から勝手に飛び出し、方々で悪さをすることもあった。
時に人間の女と交わり、子供を成したと伝えられている。
穂村組の先祖は式神と人間の間に産まれた忌み子とされており、恐ろしい鬼神の外見と能力を受け継いだため、京の都から追い遣られたそうだ。
人の世から追放されたのは穂村組の先祖だけではない。
どんな世界でも定住を許されず、流浪を強いられた民はいる。
日本史においても例外ではなく、人形廻しなどの芸事で日銭を稼ぎながら諸国を巡る傀儡師を始め、放浪民として扱われた者は枚挙に暇がない。
穂村組の開祖――穂村迦具土。
「彼は京を追放された同族をまとめ上げ、日本全国を渡り歩き、同じように彷徨える人々を仲間に加えると、何者にも負けまいとする精神を培うべく、徹底的な武を極めんとする集団へとまとめ上げた……」
それこそが穂村組の始まりだ。
「時に雇われの傭兵部隊として、時に恩着せがましい陣借り部隊として、各地を転戦しながらも、迦具土には未来を見据えた明確なヴィジョンがあった」
ひとつは望郷の念を叶えること。
「穂村組が子々孫々に至るまで、根を下ろせる安住の地を見つけることだ」
いつか黄金に実った穂で囲まれた村で暮らせるようになる。
そんな未来を夢見て“穂村”の姓を名乗ったのだ。
もうひとつは、果てしなく武を極めること。
「当初は鬼だ魔物だと迫害されてきた暴力に対抗するため、自衛の手段として元より秀でた身体能力を鍛え、護衛術として研ぎ澄ませたのが始まりなんだが、やがてより高みを目指して武芸の鍛錬を励むようになった……」
わかるか? とバンダユウは煙管の先をコンコンと二回慣らした。
「――穂村組はヤクザじゃねえんだよ」
定住できる居場所を求めてきた武門の一流派に過ぎない。
流派といったが、お座敷剣法よろしく決まった型などありはしない。
どのような状況下であろうとも常在戦場の心構えで戦いに臨み、如何なる技術を用いようとも勝利することに腐心してきた。畢竟するに、暴力を暴力でねじ伏せるべく戦闘技術を先鋭化させてきた戦闘狂の集まりだ。
「殺し合いじみた喧嘩しかできねえ、暴れん坊の徒党だったのよ」
バンダユウは煙管をプロペラのように回転させる。
つまらなそうに歴史を振り返っていく。
「そんな連中はたとえ面相が良くなろうとも、真っ当な世間から弾かれるのが世の常だ。時には為政者に飼い殺しにされそうな時もあったそうだが……犬は飼えても狼は飼い慣らせねえからな。結局はあぶれ者のままよ」
そうやって現代まで脈々と穂村組は生き延びてしまった。
決して体制に靡かない暴力集団として――。
「そりゃあヤクザって枠組みに収まるしかねぇわな。新撰組だって幕府がなくなったら浪人の集まりになったのと同じよ。手を替え品を替え名前を替えたって、武力に訴えるしかねえならず者集団に成り下がっちまうさ」
他でもない穂村組が歩んできた道だ。
多くのヤクザや暴力団とその成り立ちが違えども、武術の一門派に過ぎないと言い張るには、血生臭い裏街道を歩いてきた。
圧倒的な武力の他に生計とできるものがなかったのも事実。
腕を頼みにした用心棒や殺人も辞さない武力を売り物にするしかなく、時には暗殺めいた荒事まで請け負ってきた。
そして、ヤクザよりも暴力に訴える集団と化してしまったのだ。
開祖たる穂村迦具土がその姓に託した想いは忘れ去られ、身内を守りたい一心で身に付けた力は「組員が負けたら勝つまでやる」なんて子供じみた報復主義に塗り替えられ、関わると厄介な暴力団と認識されることとなる。
「……そんなヤクザ稼業ともおさらばだ」
手放すことの少ない愛用の煙管が煙草盆へ放り込まれる。
ゆったりした動きで立ち上がったバンダユウは、上座から子供にも等しい組員たちを睥睨すると、憤るような胴間声を張り上げた。
「これより穂村組は原点へと立ち返る!」
その真意を脳味噌まで筋肉で構成されていそうな組員にもわかりやすく、むしろ魂へ刻む込むような迫真の声で説き聞かせていく。
「ハトホル太母国という安住の地を得た今! 此処が! 此処こそが開祖たる穂村迦具土が求めた望郷! 我らの子々孫々に至るまで血族が根を下ろす場所! この地こそが我らの故郷となる黄金の穂で満たされた村となるのだ!」
屋敷が揺らぐほどバンダユウは畳を踏み締めた。
半歩前に出ると、更なる声を振り絞って組員たちに言い聞かせる。
「この地に根を下ろして、この地に生きて、この地を護る! 我らが幾星霜もかけて磨き上げてきた武力を存分に使える戦場にも事欠かん!」
蕃神という殺し尽くせない脅威が目の前に迫っていた。
「とことん武を極めて戦いながら死にたいと思ってるおれたちにしてみれば願ったり叶ったりだ! 強敵はいくらでも湧いてくる! 後顧の憂いなくぶちのめせ! 戦えば戦うほど、おまえたちは英雄として賞賛される! 故郷となるこの地を守り、そこに生きる人々を護る守護神となるんだ!」
穂村組がな! とバンダユウは組員全員を指差した。
先祖より受け継いできた望郷の念は――ついにこの地で満たされた。
自衛より生じた闘争本能への渇望さえ――飽くことなく叶えられる。
「穂村組は四神同盟と轡を並べる軍隊となる!」
破落戸の時間はもう終わりだ! と新しい組長は号令を下した。
「いつまでもチンピラ気分でいるんじゃねえぞ! まずは身なりを整えろ! そして礼儀作法を身に付けて、穂村組……いや、穂村流という武門の一員だという意識を持て! ちゃんと学も身に付けろ! 自分より弱いからって国に住む人々を蔑むなんざ以ての外だ!」
最前線に立つ兵として誇りを――護国の戦士として志を高く持つこと。
「この国を守る軍人……いやさ、軍神となれ!」
みんな魔族だけどな! とVRMMORPGの名残を思い出したかのように付け加えたバンダユウは、やけっぱちに笑っていた。
大分マシになったが、その顔から怒気が晴れることはない。
自嘲した叔父貴は、落胆するように肩を落として溜息をつく。
「そう、穂村組はこれからだ……本来歩むべき源流を復古させて、唯の暴力団から脱却して、武芸を極める武門として世のため人のためへの戦いに身を投じ、この地を念願の故郷にできるっていうのに……ッ!」
バンダユウは血を吐くような声で、ホムラとゲンジロウに怒鳴りつける。
「肝心の穂村の血を引くおまえたちが――この為体か!?」
恥を知れ! と罵声を浴びせかけられたホムラは涙で潤んだ瞼を閉じたまま痙攣するようにすくみ上がり、ゲンジロウは黙礼して眼を伏せるばかり。
バンダユウは褞袍を翻すように背を向けた。
大きな背中を見せつけたまま兄弟二人に申し渡す。
「今宵一晩は泊めてやる……明日の朝、日が昇る前に出て行いくがいい」
それ以上、叔父貴は黙して語ろうとしなかった。
ホムラとゲンジロウはもう一度深々と、畳に穴が開くほど額を擦りつけて土下座をして、絶縁状を恭しく手に取って立ち上がる。
そして、音も立てず何も言わずに大広間を後にした。
誰も掛ける言葉が見つからない。
ホムラやゲンジロウに追い縋ることも躊躇われるし、慰めを通わせた一言を寄せるのも憚られるし、追い打ちで悪口をぶつけるのもお門違いだ。
余計な一言を口にすれば――叔父貴にどやされる。
そんな予感がヒシヒシと伝わり、組員一同は押し黙るよりなかった。
この屋敷にはホムラやゲンジロウの私室もある。
バッドデッドエンズの襲撃から命からがら逃げ果せた際、辛うじて持ち出すことができた数少ない彼らの私物もそこに収められていた。
――いつか無事に帰ってくる。
そんな願いを込めて工作者に建築を頼んだが、まさか罪人として帰還するとは夢にも思わず、叔父貴のみならず皆が暗澹とした気持ちに沈んでいた。
二人はそれぞれの私室へと向かう。
明朝、旅立つための身支度をこれから始めるなけれならなない。
庭に面した廊下を歩く二人の足音が遠離っていく。
「…………ふぅ」
ドカリ! と音がするほどバンダユウはその場に腰を落とした。
二人の足音が聞こえなくなり、各々の気配が部屋へ落ち着いたのを見計らったかのように、まるで腰でも抜かしたかのようにへたり込んだのだ。
「少し……疲れたな」
組員に背を向けたままバンダユウは怠そうに呟いた。
その両肩が微かに揺れたのを見間違いかと思えば、第三者によって揺さぶられたかのように震え出し、啜り泣く嗚咽まで聞こえてくる。
バンダユウは右手で目元を覆い、組員たちの前で号泣を始めた。
「煉太郎……灯寿郎……すまねぇ……すまねぇなぁ」
バンダユウは掠れた声で詫びていた。
穂村煉太郎――強すぎるあまり毒薬によって暗殺された先々代組長。
ホムラたち四兄妹の祖父に当たる人物だ。
バンダユウにとって気心の知れた兄貴分であり、兄弟の杯を交わした無二の親友であり、掛け替えのない家族だった。
穂村灯寿郎――ツバサの師との抗争が遠因で早逝した先代組長。
ホムラやゲンジロウたちの父親であり、バンダユウの一番弟子にして最も才気あふれた武道家であり、息子同然に育ててきた愛弟子だった。
男泣きで滝のような涙をこぼすバンダユウ。
唇をへの字に曲げ、口の端から噛み締める白い歯を覗かせていた。
「我が子よりも手塩に掛けて育ててきた……血の繋がった息子よりも可愛がってきた弟子たちを追い出すなんざしたくなかったよ! 況してや……“外様”のおれが組長になるなんて……先代や先々代に会わせる顔がねぇ!」
すまねぇなぁ……バンダユウは鬼籍に落ちた家族に謝り倒した。
バンダユウの血筋である百地一族も穂村組の眷族。
ただし、傍流に当たるそうだ。
穂村組の初代である穂村迦具土の血を引くのは、言うまでもなく先代組長の穂村灯寿郎の血を引くホムラたちだが、同じように式神の血を引くとされた同族の子孫も穂村組にはまだ何人も在籍していた。
精鋭三羽烏がそれだ。彼らの先祖は穂村迦具土と同じである。
式神の血を引く、最古参ともいうべき古株だ。
バンダユウの百地一族はこれに含まれず、もっと近世になってから穂村組に合流しており、純粋な穂村組の血統からすればかなり疎遠になる。
ゆえにバンダユウは自ら“外様”と称するのだ。
(※外様=ある権力者を中心とした主従関係を見た時、その権力者の親族だったり古くから仕えてきた者たちと比べて、新参者であったりほぼ縁がないにも関わらず、その権力者の臣下となった者のこと)
果心居士または七宝行者、加当段蔵または飛び加藤、石川五右衛門。
忍者とも幻術使いとも恐れられた、こういった幻術を極めた流浪の一族がかつており、人知れず穂村組の一員として加入を果たしていた。
バンダユウの家系はこの幻術師の流れを汲む。
大体、戦国時代に穂村組へ入ったので新参者の“外様”である。
それを引け目と感じたことはないし、新参といっても数百年前のこと。その間に穂村の一族とも血縁関係を結んだことはあるため、もはや赤の他人ではないのだが、それでもバンダユウは自重してきた。
過去にも穂村の血が途絶えかけた時はあった。
その度に組でも発言力を増し、五指に入る実力者だった百地一族を組長に推薦する動きはあったが、一度として成立したことはない。
穂村組の頭領は穂村一族――百地一族は頑として譲らなかった。
どうもバンダユウの祖先は、穂村一族に恩があったらしい。
それゆえ幻術師という胡散臭さの代表みたいな職能でありながらも、穂村組を乗っ取るような真似はせず、代々の穂村一族を支えてきたそうだ。
『幻術師が幻を見せるのは、威張りくさっている権力者か、こちらに牙を剥く敵対者だけでいい。身内を惑わすなんぞ論外よ』
これが百地一族の口伝である。
そうでなくとも、バンダユウは穂村に尽くす理由があった。
先々代組長――穂村煉太郎。
竹馬の友であり杯を交わした義兄弟の彼が毒殺された時、バンダユウは未然に防ぐことはおろか、毒に苦しむ彼を助けることができなかった。
これがバンダユウの大きな負い目となる。
せめてもの償いにと、息子の灯寿郎の世話役を買って出た。
単なる子守の爺役に留まらず、彼の師として教え導き、立派な穂村組の後継者となるべく育て上げたのだ。
……女遊びの悪癖まで師匠譲りなのは困ったものだが。
先代組長――穂村灯寿郎。
その灯寿郎も早逝させてしまった。
ツバサの師匠で“インチキ仙人”こと斗来坊撲伝との死闘を楽しむあまり、致命傷を負ったままでも戦い続けた灯寿郎は、その場は辛くも命を繋いだものの、その時の傷が元で間もなくぽっくり逝ってしまったのだ。
あの時、ちゃんと止めておけば……悔やんでも悔やみきれない。
これもまたバンダユウの消せない罪として刻まれる。
またしても贖罪を背負うこととなったバンダユウは穂村組顧問の座に収まると、ホムラ、ゲンジロウ、レイジ、マリの四兄妹を育ててきた。
彼らだけではない。年若い組員たちもだ。
いつしか穂村組の育ての親と敬われるようになり、弟子でもある組員やホムラたちから叔父貴と慕われて、今のバンダユウはここにあるのだ。
「いいか……何度でも言うぞ? 穂村組は……ヤクザなんかじゃねえ」
古い武門の一派だ、とバンダユウは涙声で言った。
「実践にして実戦……何よりも強さを尊び、力を崇めてきた……実力主義を謳いながらも、組長の座には代々の穂村一族が就いてきたのは……開祖以来、それだけの力を穂村一族が持っていたからだ……無論、ホムラもそうだった……」
だが――ホムラは道を誤った。
成長すればバンダユウはおろか、長兄ゲンジロウや次兄レイジに勝る武道家となるだけの才能の片鱗を窺わせながら、その精神は未だ幼稚なまま。
それもこれも、バンダユウたちが甘やかしたせいだ。
先代と先々代、どちらも事件に巻き込まれて早死にさせたため、次代の組長を守ろうとするあまり臆病になっていたらしい。
後悔先に立たずだが、バンダユウは悔しげに吐露する。
「おれは……育て方を間違えた!」
ホムラを甘やかした事実と向き合い、過ちを認めたからこそ、「まだ遅くない」と希望を抱いている。なにせホムラは心身ともにまだ幼い。
そう、今からでも十分やり直せるはずだ。
ひたすら愛情を注ぐ時間は終わり、これからは厳格に躾けていく。
「だからこそ、あいつを……ホムラを勘当する! 心を鬼にして突き放して……世間の荒波に揉まれさせることで、一人前になるのを期待して……穂村組から旅立たせる! いいや、羽ばたかせてやるんだッ!」
いつまでも古巣に囲えば、鳳雛といえど空を飛ぶ術を学べない。
息子のためを想うならば愛でるばかりが能ではなく、千尋の谷に突き落とすつもりで試練を与えてやらねばならない。
ようやくバンダユウは決心を固めることができた。
叔父貴の肩の震えが鎮まり、声音からも涙が落ちていく。
「もし、もしもだ……この先、あいつが蕃神どもを綺麗さっぱり平らげてきて……あの泣き虫だったホムラが、立派になって戻ってきた暁には……」
バンダユウはクルリとこちらに向き直る。
直後に取った叔父貴の行動に、組員たちは騒然となった。
あぐらを掻いたまま両手の拳を畳に押し当てると、下座にいるレイジを始めとした組員一同へ真摯に頭を垂れたのだ。
「あいつを……ホムラを組長として認めてやってくれ!」
頼む! と懇願するバンダユウ。
叔父貴が目下の自分たちに頭を下げる姿が想像も付かなかった組員たちは絶句するものの、すぐさま鬨の声のような大歓声で返してくる。
――勿論だ!
多くの歓声が渾然一体となるも、組員は口々に同じ言葉を発していた。
「……言葉もねぇよ」
双眸を持ち上げたバンダユウは男泣きのまま破顔していた。
そして、改めて新組長としての気概を見せる。
「いつかホムラが帰るまでは、不肖このバンダユウこと百地万治が穂村組組長を務めさせてもらう。今後ともよろしく頼むぞ、おまえら!」
オオオーッ! と組員たちは意気軒昂な雄叫びで応じてくれた。
斯くして――穂村組の再編成はここに完了する。
いずれ帰ってくるであろう、真の組長の帰還を待ちながら……。
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穂村組は大丈夫そうだな、とツバサは重たい胸を撫で下ろした。
閉じた瞼の裏側には穂村組の大広間で行われた一連の出来事が映し出されていたが、あまり盗み見もよろしくないと打ち切ることにする。
「師匠……大丈夫ですか? お疲れならお休みになった方が……」
心配そうな少年の声にツバサは目を開けた。
隣に座っているヴァトが、不安げにこちらの顔を見上げていた。
ハトホル一家 次男 ヴァト・アヌビス。
まだ10歳の少年ながらも、VRMMORPGの動画配信を見て、見取り稽古だけでツバサの格闘技術を習得してきた才能を持っている。
音楽家イヒコや道具作成師プトラ。
彼女たちとともにハトホル一家に加わった一人でもある。
イヒコやプトラは遠慮なくツバサを「お母さん」呼ばわりするのだが、ヴァトは恥ずかしいのか照れ臭いのか、畏まって「師匠」と呼ぶのだ。
弟子として鍛えているから間違いはない。
だが、ツバサの中の母性本能が擽られるのもまた事実だった。
素直で聞き分けが良くて従順で、武道家としても将来有望な成長株で育て甲斐もある。先の戦争でも幼年組ながら最前線で戦ってもくれた。
母性本能にしてみれば、可愛くて堪らない優秀な息子だ。
ツバサはヴァトの小さな肩に手を回して抱き寄せる。
「え? 師匠……うわっぷ!?」
右隣に座っていたので、右側の超爆乳に顔を埋めてやった。
頑張った男の子へのちょっとしたご褒美だ。
「……大丈夫、ちょっと眼をつぶっていただけさ」
「へっ、あ、あの……はい、ならいいんですけど……お、おっぱ……ッ!」
パプン! と変な鼻息とともに鼻血を吹いていた。
相変わらず女体に耐性がないらしい。武術方面では大人顔負けの腕前に成長しつつあるのに、こちら方面では先行きが心配になる弟子だ。
ここはハトホル太母国――ツバサたちの拠点内にある応接間。
ソファに腰を下ろしてうたた寝するように瞼を閉じていたツバサだが、その実は千里眼の技能で終焉者の様子を窺っていたのだ。
ホムラとゲンジロウを引き取ったのは穂村組。
しばらく様子を見ていたが、丸く収まったようなので一安心だ。
アダマスとサバエを引き取ったのはイシュタル女王国。
ミサキがアダマスと「兄弟!」と呼び合うほど仲良くなってしまったので、それが縁で引き取ることになったらしい。まだ情緒不安定なサバエもアダマスが「責任を持つ」発言から、一緒に連れて行かれた。
アダマスの姉トワコや、彼女の付添人である怪僧ソワカ。
この二人も「ついで」とイシュタル女王国に身を寄せることになった。
明日には旅立つアダマスを見送りたいのだろう。
そして、ハトホル太母国でも終焉者を一人預かっていた。
「この度は本当に……なんと御礼申し上げたらいいか……いや、謝るべきでしょうか? もう散々謝り倒してますけど、もっと……」
「いや、もうええと言うたじゃろうが。いいかげん頭を上げんかい」
何度でも土下座する弟弟子にドンカイは辟易していた。
終焉者――ジンカイ・ティアマトゥ。
無限に魔物を生む過大能力から“魔母”と呼ばれた彼女だが、現実では大相撲にて横綱・呑海と肩を並べるまで出世した大関・神海その人だ。
とある事件によって暗黒面に墜ちたと聞かされている。
世界と人類のすべてに絶望した彼は破壊神ロンドに導かれ、世界廃滅集団バッドデッドエンズに加担。先の大戦争を引き起こすものの、兄弟子であるドンカイから渾身の説得(物理を伴う)をされて改心できたそうだ。
ロンドとの契約は破棄されたが、後遺症のような問題が残った。
破壊神として授けられた新たな過大能力。
それは大地母神に紐付くものだったらしく、契約を解除しても破壊神との縁が切れても、女神としての特性はジンカイに残ってしまった。
早い話――男なのに女神となってしまったのだ。
経緯こそ異なるが意図せず女神化したツバサやミサキに似ており、種族変更の事故ならばマヤムやソージの境遇に近い。
(※マヤム=獣王神の奥さんで元GM。女性アバターにしてたら女体化した)
(※ソージ=銃神の元にいる若手の工作者。以下同文)
今までは憎しみに囚われていたため、まったく気にしなかったらしい。
それに大地母神になったといっても怪物じみた姿。
下半身は多種多様な動物の足が生えた蛇体、背には何種類もの翼を背負い、頭には林のように角を生やす異形だった。
この放埒な変化に比べれば、女体化など些細なことだろう。
しかし改心して我を取り戻すと、豊満に発育してしまった自身の女体を意識してしまい、ちょっとした所作にも恥じらいを醸し出していた。
身動ぎするだけで最大サイズの西瓜みたいな乳房が弾む。
ほんの少し姿勢を正すだけで、肉塊のように巨大な臀部が揺れる。
その度に精神的にまだ男性のジンカイは頬を真っ赤に染めていた。
「ですが、まだ兄弟子にご面倒を掛けてしまいましたし、誓約を交わして釈放されたとはいえ、こうして家に招いていただいて……誠に申し訳ありません!」
ジンカイは何度目かわからない土下座をした。
身の丈190㎝に達し、長身なツバサも軽々と越える巨女だ。
元相撲取りゆえか筋肉量もスゴいが皮下脂肪も多く、その脂肪がすべて胸とお尻に回ったかのようにスタイルがいい。とてつもない巨大さのバストとヒップ、なのにウェストはしっかり括れているのでナイスバディだ。
……ただ、日本人受けは悪いかも知れない。
海外で好まれやすい、確かな筋肉の土台に女性的な質感の脂肪が乗っているタイプなので、規格外のグラマラスボディなのだ。
巨女が好きなセイメイが「惜しい!」と唸るのだから相当である。
大関・神海は角界一のイケメンとして名を馳せた。
その美貌が女性化したのだから美人に決まっている。小顔で背が高いのも相俟って八頭身どころか九頭身くらいありそうだ。
ややウェーブの掛かった緑色の長い髪を背中に流している。
ジンカイは板の間で延々と土下座を繰り返す。
それをハトホル一家が見守っていた。
珍しい来客とあって全員リビングに集まっており、ツバサのみたいにソファへ腰掛けたり遠巻きに様子を窺い、事の成り行きを見届けていた。
ドンカイは弟弟子に付き合い、彼の前にあぐらで座り込んでいた。
……もう彼女と呼ぶべきだろうか? 少し迷う。
過去の事件で兄弟子の選手生命を奪ったことへの謝罪、その難題に正面から向き合わず逃げたことへの後悔、気の迷いからすべてを憎んで破壊神に協力した罪、改心したとはいえ兄弟子の伝手で助命してもらえたこと……。
とにかく――兄弟子ドンカイに迷惑をかけた。
ジンカイはひたすら感謝しており、謝罪の土下座を止めようとしない。
見るに見かねたドンカイは目を閉じて大きな溜め息をついた。
「もう良い……すべて済んだことじゃ」
言いたいことは先の戦争ですべて口頭で伝えたし、説教ならばそこで一緒に終わらせている。これ以上ドンカイから言うべきことはないと暗に含める。
それでも肩の荷が下りたような一笑を浮かべた。
「弟弟子が戻ってきてくれて良かった……ワシにはそれで十分じゃ」
「あ、兄弟子ぃ……ッ!」
ドンカイからの温かい言葉に喜んだジンカイだったが感極まって涙ぐむと、噴水のように涙を流しながらまた土下座で突っ伏してしまった。
本当に今日は土下座のバーゲンセールだ。
よしよし、とドンカイはジンカイの背中に手を置いて慰めてやる。
「泣いてばかりはいられんぞ。これからおまえは果てしない贖罪の旅に出ねばならんのだからな……明日には此処を発つんじゃぞ」
今日はゆっくりしていけ――それがせめてもの情けだった。
「はい、ありがとうございます兄弟子……」
ようやく涙も枯れてきたのか、ジンカイはグスグスと涙声を漏らすも土下座をやめて顔を上げるようになった。謝罪の時間は終わったらしい。
不意に――ドンカイの背中から子供が生えた。
トモエにマリナにイヒコにジャジャ。
娘たちはドンカイの山みたいな背中に隠れており、滅多にない珍客に興味津々のようだった。難しい大人の話が終わったと見て、一気に顔を出したようだが、いきなりなのでジンカイが面食らっていた。
「んなぁ……この人がオヤカタの弟弟子なのな?」
「でも、今は女の人だから弟弟子じゃなくて妹弟子ですよね」
「真なる世界じゃ日常茶飯事だぜ! みたいな?」
「……自分、同類なので心中お察しするゴザル」
少女たちは好き勝手に言うが、紆余曲折あって15歳の少年から7歳の幼女に転生したジャジャのみがトホホ顔で共感していた。
まるでジャングルジムよろしく、その巨体を子供たちの遊び場にされるドンカイだが、嫌な顔ひとつせず嬉々として付き合ってくれていた。
――彼女たちの無邪気な発言にもだ。
「そうさな、確かに弟弟子が妹弟子になったわけじゃが……君らからすれば親戚のお……姉さんといったところかのぅ。うん、お姉さんじゃな」
大事なことなので二回言いました。
言い淀んだところから察するに“おばさん”と口を滑らせかようだが、ドンカイより年若いジンカイがおばさん呼ばわりは不憫と感じたのか、すんでの所で言い直したファインプレーだった。
「そんなわけじゃからして、親戚のお姉さんに遊んでもらいなさい」
ドンカイは子供たちを摘まんでヒョイヒョイ放り投げる。
子供たちも心得たものでキャッキャッと笑いながら、器用に宙返りしてジンカイの近くに着地すると、気安く抱きついたりまとわりついたりする。
「スゴいです! センセイに負けず劣らずのおっぱいです!」
「ボリュームだけならツバサさん以上かも!?」
「んなぁぁぁ……筋肉もスゴいのな! トモエよりシックスパックな!」
あんまり馴れ馴れしいのでジンカイも戸惑っていた。
「あの、ごめん、おれ……まだそういうの慣れてないからお手柔らかにね!?」
女体化した肉体に慣れてないと素直に打ち明ける。
子供たちの性的ではない興味本位なハンドタッチと、女の子たちの素直な感想なので気を悪くすることはないが、羞恥心はうなぎ登りのようだ。
ジンカイは困ったように半笑いを浮かべていた。
「ハハハ……親戚のお姉さんはいいんだけど、俺、もう此処には来られないから、遊んであげられるとしても今日くらいかなぁって……」
「何を言っとるんじゃ」
申し訳なさそうなジンカイの弁を兄弟子は遮った。
「おまえさえ良ければ――全部終わったら此処へ帰ってこい」
「…………え?」
ドンカイの発言を汲み取れず、ジンカイは呆然とした。
贈られた言葉を反芻して、ようやく理解できたのだろう。せっかく泣き止んだ瞳がまた大粒の涙でこぼれそうになると、ジンカイは辺りを見回した。
既にドンカイの気持ちは打ち明けられている。
しかし、此処へ戻ってくる以上は了解を得なければならない。
ハトホル一家全員の意見を聞かねば納得できなかった。
まずはソファの片隅に座る一団。
蛮カラサイボーグの長男ダインは、終焉者に渡すスマートフォン型通信機の最終調整をしており、次女で妻のフミカはその傍らに寄り添って手伝いをし、三女プトラも天災道具作成師としてアドバイスをしていた。
ジンカイの視線に気付き、手を休めてこちらに振り向く。
「ドンカイ親方の兄妹ってんなら、わしらの姉御みたいなもんぜよ」
「そうッスね、やっぱり親戚のお姉さんがしっくり来るッスね」
「ちゃんとお勤めやってきた後なら全然OKだし。友達にそういう子いたし」
すぐ側に控えていたメイド長・クロコ。
佇むクラシカルスタイルメイドは、鉄面皮を崩すことなく澄まし顔だ。
「主人がお許しになるのであれば、私はその意志に従います」
目線を合わせると軽く目礼するに留まった。
ソファというより寝椅子みたいなものに寝っ転がって、晩酌の残りをチビチビ呑んでいる剣豪セイメイ。その妻にして起源龍の化身ジョカ。
ジョカの太ももを枕にしてセイメイは寝そべっていた。
「おれにとやかく言える義理はねぇな」
セイメイは献杯するようにジンカイへお猪口を差し向けた。
空いたお猪口にお酒を注ぎながらジョカも振り返る。
「僕の旦那さんも人斬りで何人も殺しているからね……真なる世界で生きる以上、そういうことは避けられないから仕方ないよ。悪いことをした自覚を持ち、その罪を購おうとする覚悟があるならいいと想うよ」
がんばってね、とジョカは励ますような言葉を贈った。
「そういうことやな相撲取りの兄ちゃん」
いつの間にリビングに忍び込んだのか、ちゃっかりノラシンハの爺さんまで話に参加してきた。座布団の上でのんびり寛いでいる。
息子である破壊神の最期を看取ったのは昨日のこと。
さすがに直後は意気消沈していたが、ああなることを見越していたので覚悟もあったのだろう。一日も経てば普通に振る舞えるまで回復していた。
さすが亀の甲より年の功と褒めるべきだろうか?
心の奥に傷心を隠したままだが……。
「この世にまったく悪させんで生きる者なんておらんのよ。大なり小なり、誰かさんに迷惑かけとる……反省できただけでもお利口さんやないの」
クロコに煎れさせたお茶を啜りながら助言を贈る。
「贖罪いうたかて長いだけや、永遠やない……あんじょう気張りや」
「そう! 悪いことしたならその倍の良いことをすればいい!」
ノラシンハの話に便乗したのはミロだった。
実はヴァトの反対側、ツバサの左隣に座っていたのだ。さっきからずっとツバサの左乳房に顔を埋めて深呼吸してたから静かだっただけ。
ジンカイの訴えかける眼に勘付いたらしい。
「ちゃんとがんばってきたら、アタシはいつでも大歓迎です! おっぱい大きなお姉さんは何人いても素敵に無敵だからね!」
ツバサに抱きついたまま振り向いたミロはハッキリ宣言した。
やかましい、とアホの子を小突いたツバサも意見を添える。
誓約に関する厳然たる事実を明かす。
「ジンカイさん、あなたが誓約を満了した暁には、その報せがちゃんと届くようになっています。贖罪を終えて無罪放免になりました……とね」
すべてを終えて――もしも行く当てがなければ。
ツバサは意を込めて約束する。
「此処へ戻ってきてくれても構いません。親方の弟弟子なんですから、喜んで歓迎しましょう……家族の一人としてね」
「あっ……ううっ……か、かたじけない、です……ッ!」
ジンカイは子供たちにまとわりつかれた状態でも構わず、涙に濡れた顔を隠すように伏せると、床に手を突いて頭を下げた。マリナとイヒコが巻き込まれておっぱいに潰されたように見えたが、まあきっと喜んでいるだろう。
チラリ、とドンカイに目配せする。
兄弟子も目尻に涙を溜めて、「うんうん」と満足げに頷いていた。
その時、クロコがドンカイにある報告をしてきた。
「ドンカイ様、間もなくホクト様がこちらへいらっしゃるそうです」
「おお、さっき呼んでもう来てくれるのか」
仕事が早くて助かるわい、とドンカイは感謝するように呟いた。
ツバサは小首を傾げる。
「……親方がホクトさんを呼んだんですか?」
タイザン府君国 メイド長 ホクト・ゴックイーン。
20XX年に核の炎で包まれた世紀末でも救世主や覇王になって生き延びていそうな外見だが、歴とした女性である。陰では“漢女”と呼ばれていた。
――かつては冥府神クロウの教え子。
学生時代の恩を返すため、メイドとなって彼に奉仕しているのだ。
現実では新進気鋭のファッションデザイナーとして名声を轟かせており、異世界へ転移してきても、プロの服飾師として豪腕を振るっている。ツバサたちの身に着ける衣装は、ほとんど彼女と弟子によって作られたものだ。
そんな彼女を呼び寄せる理由はひとつしかない。
ドンカイは照れ臭そうに、人差し指でこめかみを掻いた。
「うむ、ほれ、なんだ……旅立つ弟弟子に手向けをやりたくなってな」
現在、ジンカイが着ているのは無地の着物。
ジンカイは体格が大きいため、ツバサの衣装を貸してやってもツンツルテンになってしまうので、この着物は技能で即興に作ったものだ。
今までは蛇の女神みたいな怪物の姿。衣服の世話になることもない。
度を超して大きかった乳房を覆うブラジャーくらいはしていたが、あの時の体格は巨人サイズだったので、人並みに戻った今の身体には合わない。
大柄とはいえ、普通の女性体型になったのはつい先日のこと。
彼女は今の身体に合う服をひとつも持っていなかった。
「だからホクトさんに衣装を作ってもらうと……」
その心遣いは兄弟子として気配りができていると褒めるべきなのだが、ホクトに服を作ってもらうと聞くと、ツバサは精神的外傷が蘇ってしまう。
(※その理由については第357話~第358話参照)
「新衣装――誠に宜しいかと存じます」
ツバサが気後れしたのを察知し、変態メイドの瞳がギラついた。
スポットライトが当たったように輝くクロコ。
淫らなダンスを踊るみたいにオーバーアクションで語り出す。
「どんなハードな激戦も潜り抜けられる全身タイツめいた乳尻太もものラインがくっきり浮かび上がるエロス満点の戦闘服から、夜の閨を飾るに相応しいドスケベなネグリジェに、普段使いできるシームレスブラジャーに綿のショーツまで……ホクト様ならばどのような衣装でも縫製してくださるでしょう」
豊満な女体を彩るに相応しい――女性らしい衣装の数々を!
寒気を覚えたジンカイはたじろぎ、足を崩すと腰が退けていた。
「女物の服……し、下着まで……ッ!?」
イヤだ! と男性として正しい悲鳴を上げて後退る。
これが女性化願望のない普通の男の子の反応だ。かつてツバサも辿った道なので、ジンカイの置かれた境地がよくわかる。逃げたくなる気持ちもだ。
しかし残念かな――逃げ出すには遅すぎた。
「はーい、逃げちゃダメですよー♡」
ジンカイにまとわりついたマリナが鉛のように重くなる。
「ジンカイお姉さんのちょっと良いとこ見てみたいなー♪」
「んなッ! ちゃんとした下着付けないとおっぱい揺れて戦えないな!」
「え、あ、あれ!? 子泣きジジイが三匹!?」
おぎゃあおぎゃあおぎゃあ! と泣き声が聞こえてきそうだ。
技能で重圧でも掛けているのか、マリナだけではなくイヒコやトモエまでズシリと重くなり、逃げ腰になっているジンカイを抑えつけていた。
トドメとばかりにクロコが立ち塞がる。
獲物を捕らえた女郎蜘蛛も顔負けの凄惨な笑みで躙り寄っていく。
「さあ、ジンカイ様……覚悟していただきましょうか」
ようこそ女の世界へ! とクロコは細腕を左右に開いて歓迎する。
「ひぃ! や、やだ……男物でいいですって!」
いやだあああああぁぁぁぁぁーッ! と弟弟子は泣き叫んでいた。
ジンカイは本当に乙女チックな悲鳴を上げてもお構いなし、いずれホクトがやってくれば、更なる男の絶叫が鳴り響くのは想像に難くない。
「南無……」
ツバサは祈ることしかできなかった。
ジンカイがこれからを味わう屈辱は、かつてツバサも通った道。同情くらいしかできず、せめて念仏を唱えるのが関の山だった。
「おお、そういえばジンカイ、ひとつ頼みがあるんじゃが……」
ドンカイは空気を読まずに何やら切り出した。
「これは誓約でも何でもない。あくまでもワシからのお願いに過ぎん」
そう前置きしたドンカイは内容を説明する。
「え、なんですかそれ? 聞いてませんし相談もされてませんけど?」
「ええっと……俺なんかが任されてもいいんでしょうか?」
これはツバサも初耳であり、ジンカイにとっても予想外の依頼だった。
しかし、悪くない案だとは思う。
それを承知するからこそ、ドンカイは押して頼んできた。
「お互い利があると思うのじゃが……どうじゃ、引き受けてくれんか?」
「務まるかわかりませんが……俺で良ければ喜んで」
大恩ある兄弟子の頼み――弟弟子は二つ返事で請け負った。
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