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第19章 神魔未踏のメガラニカ
第454話:彼女に捧げるアイデンティティ
しおりを挟む「君たちは罪人だ――しかし恭順者でもある」
牢の前に立つ軍師は迎え入れるように両腕を広げた。
「あの戦争の最中、ある者は嵌められた事実を知って破壊神と決別、ある者は縁者の説得に耳を傾けて、またある者は敗北して……四神同盟に投降して大人しく従うことを決めてくれた……恭順者といって過言ではあるまい」
レオナルドは終焉者たちが投降した事実を念入りに強調する。
――ナチス親衛隊を思い起こさせる軍服。
硬質的な軍用ロングコートをはためかせる黒獅子のような男は、悪辣なインテリジェンスをひけらかすように銀縁眼鏡を煌めかせた。
理知的な悪役を演じるに相応しい面構えが誇張的にほくそ笑む。
演説めいた論調でレオナルドは話を続ける。
「恭順とは本来、王朝や朝廷といったものの命令に対して慎み深く従うことを意味する言葉だ。だが日本の歴史において朝廷は、力ある武家と敵対関係になったことが幾度となくあり、最終的に朝廷へ服従して『恭順を示す』などと文献に遺されたものだから『恭順=降伏』というイメージが若干あるね」
誤用されやすいので注意だ、とレオナルドは教師みたいなことを言う。
「敵が降伏して従う場合、正しくは帰順だね。恭順と少しばかり語感が似ているので混同されやすいのかも知れないが……もっとも、君たちは四神同盟に対して従う意を示してくれたのだから、あながち間違いでもないかな」
無駄話みたいな導入はどうやら長いようだ。
ハトホル太母国・拠点の宮城――その片隅に設けられた牢獄。
ここで四神同盟を代表する面々は、鉄格子の境界線を挟んで投降してきた終焉者五人と相対することとなった。
喧嘩屋アダマス、哭き女サバエ、魔母ジンカイ。
元穂村組組長ホムラ、元穂村組若頭ゲンジロウ。
以上、檻の中の懲りて猛省中の面々はこの五名である。
軍師も言及した通り、それぞれに反省や改心をしており、場合によっては戦意を完全に喪失しているので、ここから反逆する可能性は低い。
それでも――終焉者と呼ばれた世界廃滅の使徒。
何らかの琴線を弾いてしまい、再び破壊神の眷族としての破壊衝動をぶり返しでもされたなら、少なくない被害に見舞われるだろう。
たった一人と侮るなかれ。
単身で世界を滅ぼせる――ゆえに終焉者の称号だ。
かつて罪を犯した孫悟空は刑罰から逃れると、仕返しとばかりに単騎にて天上界を暴れ回り、天帝の宮殿を半壊にまで追い詰めたという。
(※お釈迦様に負けて岩山へ封印される有名エピソードはこの後。どうしてお釈迦様が登場するかといえば、天帝が「このサルもうやだ! 私の手に負えない!」と諦めたため、救援を求められたお釈迦様が駆けつけたから)
終焉者もそうならないとは限らない。
暴走した彼らは我が身を顧みずに戦おうとするはずだ。
それだけで手に負えない脅威となるし、もしも五人で示し合わせて同時に反逆でも起こされようものなら、ハトホル太母国は地図から消えかねない。
だからこそ――彼らへの抑えは万全を期した。
突貫工事で建築された牢獄、これは封印結界そのものだ。
ただ堅牢というだけではなく、投獄された者は外側からも内側からも破れないように何重もの拘束結界を張り巡らせてある。牢や門が開いていたとしても、罪人は脱出できないよう特殊な術式も働かせていた。
無理に脱獄しようとすれば、大爆発により牢獄ごと消し飛ばす。その爆発は垂直に巻き起こるので他に爆撃の効果は及ばない。
牢獄には何者であれ強烈に弱体化させる魔法を付与。
鉄格子や壁に施されており、中にいる罪人から最大出力を削いでいく。
トドメは鎖で結ばれた手枷と足枷だ。
これを嵌められた者は全能力がLV100は低下させられる。
枷ひとつに付き-100、手枷と足枷合わせてLVの-効果は200。相乗効果も発生するため、トータルはもっと下がるだろう。
ツバサたちもトレーニング器具として使っているので、その効力は体験済みの上で実証されている。自力で外すことは不可能だ。
そして、牢獄の番を務める獄卒も大盤振る舞いである。
――ホムラとゲンジロウ。
二人を監視するのは、バンダユウと穂村組の精鋭部隊。
番頭レイジ、若頭補佐マリ、精鋭三羽烏セイコ&ガンリュウ&ダテマル。
――ジンカイ。
彼女を見張るのは、ハトホル一家の横綱ドンカイと剣豪セイメイ。
――アダマスとサバエ。
この二人を見守るのは、怪僧ソワカと音楽家トワコ。
それぞれの終焉者に所縁のあるLV999の猛者を選抜したのは、本人が買って出たのもあるが、終焉者を精神的に束縛する効果も期待してのことだ。
バンダユウは――ホムラやゲンジロウの育ての親。
ドンカイは――ジンカイの相撲道における兄弟子。
トワコは――アダマスが頭の上がらない実の姉。
投降した終焉者は大なり小なり、各々の縁者に「ご迷惑をお掛けしました」という罪悪感を抱いている。彼らが目の前にいれば否が応でも自省を促されるだろうし、牢の中でも自重せざるを得まい。
物理的のみならず心理的にも終焉者を封じ込める策だ。
「……う~ん」
ツバサは誰にも気取られぬように小さく呻いた。
正直な話――ここまでやんなくても良かったんじゃないかなぁ?
用心に用心を重ねたとはいえ、やり過ぎ感が否めない。
アダマスはミサキと友達になり実姉トワコや母の生存を知って世界廃滅をする気がなくなったし、ジンカイも兄弟子ドンカイとの蟠りを解消して悔い改めたし、ホムラとゲンジロウも友人や兄弟との因縁を解きほぐした。
肉親を失ったサバエのみ、不安要素を拭いきれないが……。
それでも皆それぞれ改心に至っており、犯した罪を認めて抗うことなく縛についているのだ。油断は禁物だが、度が過ぎた気がしないでもない。
こういうのはやらかした後で気付くから気まずい。
家族と仲間も守るためなら、臆病者の誹りを受けても構わない。心証が悪くなるほどドン引きされても、慎重に用心して油断せず立ち回る。
石橋を叩いて渡る、そんなもんでは安心できない。
護岸工事をしっかりやって、土手を倍以上に積み重ね、石橋を取り壊して鉄橋にグレードアップさせるように掛け替えてからじゃないと渡らない。
それがツバサの信条だ。
しかし、改心した者をまったく信用しないこの対応は、客人に無礼を働いているような気分となり、やや自己嫌悪を感じていた。
やっちまったものは仕方ない! と自分に言い聞かせて諦める。
――終焉者たちへの軍事裁判。
本来ならば裁判所なりに場所を移して、法廷で仰々しくも形式的に行われるべきものなのだが、今回は牢獄内にてこのまま略式として進行させる。
前述の理由から、終焉者を獄内に留めておきたい。
下手に動かすのはよろしくない、という慎重を期した選択だった。
……いや、当初は裁判所を建設しようとしたのだ。
工作者のダインやジンが牢獄のついでに「軍事裁判を開廷すると聞いて!」と、ノリノリで建設を始めようとして、演出にこだわるレオナルドが珍しく彼らを制止せず「いいね!」とGOサインを出したのだ。
裁判官はレオナルド――陪審員は五つの国家を代表する五人の王。
これに五人の王であるツバサたちが反対した。
『そんな偉そうな真似したくないから!』
ツバサたちの意見を要約すると、大体こんな感じである。
軍事裁判などと物々しく呼んでいるが、実際には帰順を示した終焉者たちに特殊かつ厳重な誓約を科すだけだ。ツバサたちも誓約には一枚噛むため、立ち会う役目こそ外せないものの、地獄の閻魔様よろしく判決を言い渡す気概はない。
ふとクロウさんがこんなことをぼやいていた。
『あ、でも私。よく考えればあの世の裁判官の一人でしたね』
そのぼやきを博識なアハウさんが拾う。
『そうか、クロウさんの名前は泰山府君。冥界の第一裁判官である泰山王と同一視されてますからね。説によっては冥界の最高神でもありますし』
『……え? オレたち裁判官をやるべきなんですか?』
人間を裁いたことなどないであろう、年若いミサキ君は困惑気味だった。況してやアダマスと拳を交えた友情を育んだそうだから尚更だ。
『オレ、マルミちゃんに突っ立ってるだけでいいって言われたんだけど?』
ジェイクなんて裁判に立ち会う意味を理解してなかった。
世話役のマルミも「銃を撃つ以外はてんでダメな子」と太鼓判を押すわけだ。
内在異性具現化者だ四神同盟の各国を代表する王だと言っても、ほんの一年前までは現実世界で平凡に暮らしていた人々。素はこんなものである。
とにかく――裁判所も法廷もお断りします。
ツバサたち五人の王はこの時ばかりは強権を発動させてもらった。
結果、この牢獄での簡易裁判だ。
鉄格子を挟んでの立ち話みたいだが、裁判官の役所がレオナルドという点は変わらない。この軍師は憎まれた役に立候補していた。
厳しい誓約を科せば、降伏したとはいえ反旗を翻すかも知れない。
彼らが怒りに震えて暴力に訴えてきた場合、矛先を向ける人間は少ない方がいいというレオナルドの配慮だ。無論、ツバサたちも暴走した終焉者を制止するが、標的が絞られれば他への被害は軽くなるだろう。
それを見越した軍師の防衛策である。
愛して已まない弟子のミサキに累が及ぶのを避けたい。
これが本音だとしても仲間全般を守るための自己犠牲の覚悟や、誰かの憎しみを買うのも厭わない精神性は、小心者のくせに図太いとも言えた。
仲間が傷付くくらいなら――自らが盾になる。
そういうタイプの小心者だ。ツバサも同類だから共感が持てた。
憎まれ役として裁判官を務めるレオナルド。
その後ろには陪審員を務める四神同盟の代表を務めるツバサたち五人が居並び、牢番を任されたLV999の強者たちも立会人となる。
「――というわけで、君たちの待遇は割と特別扱いなのだよ」
ようやく軍師の長ったらしい前口上が終わりそうだ。
こういう時、蘊蓄たれは弁が立つものの話が長いので困る。小中高とかで校長が延々と喋っている朝礼を思い出してしまう。
「敗北を認めて素直に降伏、過ちに気付いての投降、こちらに従うことで帰順の意を示し、逆らうことなく投獄されたので恭順とも受け取れる態度……何より、我々の仲間には君たちと浅からぬ縁のある者も少なくない」
本来、世界廃滅を計画した終焉者は戦争犯罪人。
「いわゆる“A級戦犯”と呼ばれる大罪人として扱われるべきだ」
レオナルドは彼らの罪を説いていく。
「これは平和や人道に対する罪を犯した戦争犯罪者を差す。侵略の計画や戦争の準備ができ、それらを主導的に実行できる立場で取り組んだ者たち……」
他でもない君たち――終焉者のことだ。
軍師はタイトな革手袋の指先で、終焉者を順々になぞっていく。
「本来ならば処刑は免れないところだが、そこを大目に見るのは既に述べた通りの理由があるからだ。そして……君たちに力があるのも一因となっている」
――蕃神とも対等に渡り合える戦力。
「無下に失うのも勿体ない……君たちだってそう考えるんじゃないかな?」
「……だから、俺たちに首輪を付けて飼い慣らしたいのか?」
おもむろに口を開いたのはアダマスだった。
言葉遣いこそ粗暴で反抗的に受け取られるかも知れないが、その声音は穏やかなもので反感の意はない。あくまでも疑問を発しただけらしい。
「っもう……こら! 剛ちゃん!」
偉い人に突っ掛からないの! とお姉さんのトワコは気が気じゃない。喧嘩上等な弟が暴れ出すのじゃないかと不安で仕方ないようだ。
レオナルドは気を悪くせず受け答える。
「首輪ほどの拘束力はないよ。あくまでも誓約……契約でしかない」
破棄すればペナルティが発生する。ただ、それだけ。
愛弟子とアダマスの戦闘記録に目を通しているレオナルドは、銀縁眼鏡の位置を直すと喧嘩番長の過去を見透かすような目線を送る。
「契約を破ればどうなるか……君はその身で味わったのではないかな?」
「……あー、アレと同じでいいんだ」
OK大体わかった、とアダマスは勝手に納得する。
そう――彼は体験済みのはずだ。
ミサキとの喧嘩で父親のDVにより植え付けられた精神的外傷を克服し、世界を滅ぼしたいと願うきっかけになった姉や母を殺した過去は偽りだったと知ったアダマスは、破壊神との契約を自らの手で破棄したのだ。
そのペナルティとして、彼は死に勝る苦痛を味わっていた。
レオナルドはアダマスに注意を促す。
「あの時は持ち堪えられたかも知れないが、四神同盟と交わす誓約は一味違うと覚えておいてほしい。違反すれば即座に君を絶命させる」
その時は――傍に友達も家族もいないぞ。
破壊神との契約を破棄した時は、アダマス本人のタフネスもあったが、近くにいたミサキとトワコによる治療が功を奏したのだ。
もしも近くに誰もいなければ、アダマスは死んでいたに違いない。
「今度は殺す、必ず殺す。四神同盟との誓約を破るとならば、逃れられない絶対の死を覚悟してもらいたい……いいね?」
剃刀の鋭さと鉈の重さを兼ねる視線がアダマスを見据えた。
「……ああ、肝に銘じておくぜ」
レオナルドの発言が脅しでないと察したのだろう。アダマスは無理をして歯を剥いた笑顔を見せるも、その頬には一筋の冷や汗が伝っていた。
軽く頷いたレオナルドは本題を切り出していく。
「さて、それでは先に述べた三つの誓約について詳細を説明するので理解を深めてもらいつつ、順序よくそれらの誓約を結んでもらおうかな」
軍師はまず人差し指と中指を立てた。
ピースサインにしか見えないそれを終焉者に突きつける。
ひとつ、真なる世界を根幹から滅ぼすような破壊行為の禁止。
ふたつ、この世界に生きる多種族や生命への殺戮行為の禁止。
「この2つの誓約はセットだ。まとめて呑んでもらおう」
今後、如何なる理由があろうとも世界廃滅の意志を持たず、無闇矢鱈に世界を壊そうとしたり、徒に生命を殺してはならない。
早い話、最悪にして絶死をもたらす終焉の終焉者として活動しない。
これさえ約束すれば、意外と自由の許される誓約だ。
「例えば自分の命を脅かそうとする敵対者への反撃や殺害は許されるし、栄養補給のための殺生も認められる。破壊神の如き明確な悪意を持って世界とそこに生きる者を害そうとしない限り、君たちの自由は保障しよう」
おっと、とレオナルドは制するように手を上げた。
つまらなそうは表情で言い添える。
「見当はつくと思うが、一応セオリーとして言っておくと……」
「『四神同盟に所属する者への敵対行為は、如何なる理由があろうと反逆と見做す。その際に誓約は破棄されたものと判断される』……」
言葉を挟んだのはアダマスではない――ジンカイだ。
挙手をして自己主張も忘れない。
その時、着物越しに揺れる爆乳にレオナルドは目移りしていた。ムッツリスケベのおっぱい星人には見逃せない瞬間だろう。
「……そんなところかな、軍師殿?」
アダマスも同じような質問を食い気味にしようとしたのだが、それを読んだジンカイが先んじて小首を傾げながら問い返した。
先のアダマスの発言、四神同盟側に印象が良くない。
連続でイメージダウンさせぬため、年長者として庇った案配だ。
ドンカイが「あいつはワシに似て面倒見のいい奴なんじゃ」と擁護していたが、なかなかどうして本当にそうらしい。
レオナルドは惚けた顔で「ふむ」と小さく得心する。
「端的に『私たちに反逆したら死あるのみ』と説明するつもりでしたが……陳腐な台詞を言わずに済みましたよ」
ありがとう、と軍師は月並みなお礼で返した。
「そんなわけで、約束さえ守ってくれれば不必要な拘束はしない」
ただし――違反すれば即座に殺す。
レオナルドはこの点を執拗なくらい強調した。
「神族や魔族として真なる世界へ誓いを立てるとともに、ここに揃った四神同盟の王たちにも誓ってもらう……これにより誓約の強制力が上がるのだよ」
五人の王にして五人の内在異性具現化者。
この場にツバサたちが勢揃いしたのは、裁判に立ち会う陪審員的な役回りである以上に、誓約に逃れられない呪いを重ね掛けするためのものだ。
強大な過大能力に覚醒する内在異性具現化者。
そのひとつは森羅万象を根底から支配するものとなる。
これにより真なる世界の根源と同調し、終焉者に交わさせた誓約を否応なく強力なものとする。約束を破れば軍師の言う通り即死させるレベルにだ。
決して猶予は与えない。
誓約への違反する行為が認められれば、即断即決で処刑する。
自由を認めて束縛しないと公言したものの、実際には断頭台のギロチンがいつも首に触れているようなものだ。妙な気さえ起こさなければ決して発動しないものだが、人によっては牢獄より窮屈に感じるかも知れない。
銀縁眼鏡の奥、瞼を砥石に眼光を研ぎ澄ます。
酷薄な薄笑みで唇を歪めたレオナルドは罪人たちに告げる。
「これは誓約であり――呪縛でもある」
浅慮な真似はしないでくれよ、と厭味を粉のようにまぶす。
あくまでも憎まれ役としての役目を果たし、嫌われ役として終焉者たちから寄せられる悪感情の防波堤になるつもりだ。
ゲーム風に言えば――敵勢力の攻撃目標を管理する肉弾盾。
レオナルドは必要不可欠だという。
喧嘩番長アダマスはミサキと熱い友情で結ばれた。それはもう彼の幼馴染みであるジンが「やったね友達が増えるよ!」と大歓迎でお赤飯を炊くくらいだ。
好敵手と書いて親友と読むぐらいの仲らしい。
魔母ジンカイは兄弟子ドンカイに説教されて悔い改めた。女神化してしまったので相撲には戻れないが、過去の昏い自分とは決別できたそうだ。
新しい強さの道を模索したいと思案中とのこと。
元穂村組組長ホムラは不倶戴天なミロとの険悪な関係を改め、和解して仲直りすることができた。ホムラが可愛いあまり盲目に臣従する元若頭ゲンジロウも、実の弟妹であるレイジやマリに叱られて反省したという。
このように――終焉者はそれぞれ友好関係を築きつつある。
だが、それとこれとは話が別だそうだ。
彼らが四神同盟の誰かと個人的に仲良くなることと、四神同盟の総意として罰を兼ねた誓約を交わすこと。その意味合いは大きく異なる。
組織の体制として窓口になるものが必要だ。
憎まれて嫌われても構わない――強靱で冷徹な交渉役。
『クレーム対応を引き受けるようなものだよ』
レオナルドはそんな風に嘯いていた。
「まずはこの2つの誓約を交わしてもらうのが大前提だ」
それができないのであれば……意味深長な口調で続けるレオナルドは、再び数枚の小さな石版を取り出すと、見せびらかすように弄んだ。
かつてバッドデッドエンズに数えられたLV999の仲間たち。
彼らの姿が浮き彫りになったトレーディングカードサイズの石版を目にした終焉者たちは、銘々に眉を蹙めたり顔を引き攣らせていた。
監獄式――辺獄封棺石版。
レオナルドが開発した封印系の高等技能である。
対象を掌サイズの石版へ封印、その内部は地獄さえも生温く感じる壮絶な環境となっており、終わりのない拷問で責められる特殊な結界空間だ。
「石版の中に幽閉させてもらう――未来永劫にね」
これだけでも戦力的価値は充分にある。
石版には封印された者に関する情報が表示されるため、機密であろうが秘密であろうが強制的に自白させることができるし、封印された者が過大能力に覚醒していれば、石版を使うことで一時的に発動させることもできる。
強力な攻撃魔法を放つマジックアイテムとして使用可能なのだ。
(※一度の使用ごとにインターバルが必要だが)
この効果を知った子供たちからは「邪悪なモンスタ○ボールだ!」なんて不名誉なあだ名を付けられ、レオナルドは少なからずショックを受けていた。
ちょっと似ているから仕方ない。
「ふーん、結構えげつないことすんのな」
アダマスは小指で鼻をほじりながら感想を述べた。
どうでもいいけど――態度も声もあからさまにそう言っていた。
今度はジンカイもフォローが間に合わず、こういう時はアダマスを諫める役のサバエも鬱状態でままならない。姉のトワコが狼狽えるばかりだ。
「剛ちゃん! 本当にこの子はもう……ッ!」
すいませんすいません! とトワコは小声で謝り始めると、レオナルドやツバサたち四神同盟の面々にペコペコ頭を下げまくる。
彼女には謝罪する癖があると思っていたが……原因は愚弟か。
弟が何かをやらかす度、各方面へ謝り倒したのが姉の苦労が窺える。
アダマスはばつが悪そうに両手で口を塞いだ。
お姉さんに迷惑かけまいと心掛けるも、素で減らず口を叩いたり無意識に喧嘩腰になるのはやめられないようだ。難儀な性格をしているのだろう。
咎めることなくレオナルドは受け答える。
「世界を滅ぼすために非道を重ねてきた君たちに言われたらお終いだな。残虐非道な悪事を働いてきたんだから、相応の罰くらい引き受けてもらわないとな」
「……ああ、反論できねえな」
「……うむ、一理ある」
アダマスはトワコを余計に謝らせてしまったことを反省し、隣に正座していたゲンジロウも同意するように頷いた。
そんなゲンジロウの顔面に極太煙管が命中する。
「一理どころか百理も千理もあるわ! このドたわけが!」
煙管を投げつけたのはバンダユウだった。
したり顔で頷くバカ弟子に腹を据えかねたのだろう。お仕置きのつもりで投擲したらクリーンヒットして、ゲンジロウを瞬間的に昏倒させていた。
「ゲン兄ぃーッ!? しっかりせえ、傷は浅いぞ!」
「むぅ、わ、若ご安心を……この程度、なんでもありませぬ……」
慌てたホムラは幼いなりに介抱する。
可愛い弟に心配されて、愚兄もちょっと嬉しそうだ。
「ゴホン! だが、まあしかしだ……君たちは敗北を認めて投降した」
咳払いで自己主張したレオナルドは演説を続ける。
「だからこそ、こうしてキツい誓約こそ交わしてもらうものの、それさえクリアすればある程度の自由を認めようと提案しているんじゃないか。しかし、最低限の枷をつけてもらわなければ、君たちの強さを肌で感じる我々は安心を得られず、バッドデッドエンズに襲われた民衆は安寧を得られないのだよ」
終焉者は大罪人だ――身の程を知ってほしい。
「納得いかないなら理由を付けようか? 3番目の誓約とセットでこれは司法取引と思えばいい。刑罰を引き締めるか緩くするか、それだけの差だ」
これでも譲歩しているのだがね、と軍師は疲れたように肩をすくめた。
譲歩の理由は既に何度か触れている。
四神同盟に投降した終焉者の縁者が多いためだ。
わざとらしく恩着せがましい物言いで、軍師は言い聞かせていく。
「家族、友人、姉弟、同門の士……彼らから助命するよう嘆願されている。誓約を押し付けこそすれ、大目に見た部分もあるんだ」
大目と言えば、とレオナルドは思い出したように補足する。
「言い忘れていた。一部の人には朗報かも知れないな」
如何なる理由があろうと四神同盟に敵対行為を取れば反逆者と見做す。
この誓約にはある例外が認められていた。
「武を競うため、修練を重ねた技を確かめるため……こうした腕試しを理由とした仕合を挑むことは許可しよう。殺し合いは御法度だがね」
互いの実力を推し量るための実戦は禁じない――ということだ。
これは紛れもなく朗報であろう。
途端にアダマスやジンカイの表情は明るくなった。
片や好敵手にして兄弟と呼んで憚らないミサキと、片や伝説の最年少横綱であり自慢の兄弟子であるドンカイと、また勝負ができるというのだ。
敵対行為全般と聞いて戦々恐々だったに違いない。
いくら自由が認められると言っても、自身が認めた強者との再戦がままならないのであれば、武を極めんとする人種には耐えられまい。
それを見越したツバサたちが、草稿の段階で盛り込んでおいた。
「さて、2つの誓約に関してはこんなところかな」
ポンと軽く手を打って締めたレオナルドは、立てた人差し指で自分のこめかみを指した。頭の中と指し示したいようだ。
「もしも意図せずこれらの誓約に抵触するような事態に陥れば、君たちの脳内にそれとなく警告が届くはずだ。そこらへんは臨機応変に対応してほしい」
では――問おう。
レオナルドは神妙に表情を引き締め、誓約の一言を投げ掛ける。
「ひとつ、真なる世界を根幹から滅ぼすような破壊行為の禁止。ふたつ、この世界に生きる多種族や生命への殺戮行為の禁止」
――これら2つの誓約を遵守すると誓えるか?
レオナルドの問いに、5人の終焉者は順々に答えを返してくる。
「……わかった、誓うのじゃ」
「……委細承知」
「終焉者として活動しないことをここに誓います」
「押忍、言われた通りに約束するぜ」
ホムラ、ゲンジロウ、ジンカイ、アダマスは淀みない声で誓った。
「……………………誓うわ」
少し間を開けて、サバエが蚊の鳴くような声で呟いた。
瞬間――薄く通るような金属音が鳴り響く。
キィィィン……と仏具のお鈴を小さく鳴らしたような音がして、終焉者の身体のどこかに仄かな光が宿った。地肌をさらしていれば一目で変化がわかる。
そこに烙印が押されていた。
大地母神を中心に置き、5人の神を4つの角に配した紋章だ。
掌に収まる程度のそれは、5人の王である内在異性具現化者たちをシンボリックにデザインしており、誓約に彼らの力が働いていることを現している。
即ち――従来の契約とは段違いに重い。
約束を破れば被るペナルティも尋常ではない、その証でもある。
烙印が押されたことを確認してレオナルドは頷いた。
「……よし、これで2つの誓約は成立だ」
軍師は休む間もなく次の誓約へと話を進めていく。
「さて、これは大前提であり誓約の最低ラインだ。先の戦争で我々はおろか世界にまで迷惑をかけた罪深き咎人であることを再確認できたかな? 君たちは牢に囚われない虜囚として服役し、贖罪の労役を負ってもらう」
人差し指と中指を立てたレオナルドは、次いで親指も立てた。
この誓約の重要性を示すようにだ。
「みっつ、世界廃滅を企てた大罪への贖罪……命懸けの奉仕活動」
――真なる世界を守護する戦力として働くこと。
その具体的な内容はついて、改めてレオナルドの口から説明される。
「有事の際には戦力として馳せ参じてもらうのは当たり前だが、それ以外でも各地を遊歴するように蕃神やその眷族の駆除または排除に勤しんでもらいたい。また、基本的に四神同盟の支配領域への接近は禁じさせてもらう」
どうして立ち入り禁止なのか? とレオナルドは誰ともなく問い掛ける。
おずおずと答えたのはホムラだった。
ゲンジロウの背に隠れながらも顔を覗かせて答えを述べる。
「ワシらが……四神同盟に迷惑を掛けたからか?」
レオナルドは隠し味くらいに眼光を険しくした。
「その通りだ。直接的被害など以ての外だが、間接的被害も半端ではない。君たちが不用意に我々の領域に足を踏み入れれば、必ずやいざこざが起きる」
アダマス、サバエ、ジンカイ、この3人は特に顕著だろう。
ハトホル太母国には絶対に近寄らせられない。
何故なら――穂村組の組員を何十人も手に掛けているからだ。
戦争だったから仕方ない、勝負に負けたのだからしょうがない、済んだこと終わったこと……遺された家族がそんな理由で納得できるわけもなかった。
中には血を分けた親族を殺された組員もいる。
終焉者と再会すれば、それは憎悪の炎を再燃させるに違いない。
今も牢獄内の空気は張り詰めていた。
穂村組の精鋭であるセイコたちは、バッドデッドエンズに襲撃を受けて多くの仲間を失っている。この場で終焉者に襲いかかっても不思議ではない。
火を飲む勢いで我慢してくれているのだ。
「対蕃神の戦力として君たちを登用する以上、四神同盟の領内で事を荒立ててもらうのは困るのでね。これは欠かせない措置なのだよ。申し訳ないが君たちには当て所なく放浪し、蕃神退治の旅をしてもらうことになりそうだね」
放逐の彷徨であり――贖罪の旅路でもある。
かつての罪状でたとえるならば、首都に近付かぬよう所払いを言い渡され、遠方の僻地で兵役に就くようなものだろう。
(※所払い=江戸時代の追放系の一種、罪を犯した者が住んでいる場所から追い払われる刑罰。当時の首都である江戸への接近禁止令である江戸払いが有名で、場合によっては土地や財産なども没収される)
「それとだ……戦うばかりが贖罪や労役ではないからね」
奉仕活動も忘れずに、とレオナルドは更なる仕事を言い付けていく。
「各地を旅して彷徨える多種族や路頭に迷うプレイヤー……こうした人々と出会したら保護すること。近くの四神同盟の領域まで導いてくれるだけでOKだ」
このため常時連絡が取れる身元引受人も設定する。
どちらかといえば、犯罪者が社会的に更生するまで指導する保護観察官が近いかも知れないが、要するに終焉者の動向を把握できる監督役だ。
それぞれの担当はほぼ決まっていた。
身元引受人は最後に回して、レオナルドは解説に専念する。
「荒れた土地や涸れた大地に通りかかったら、過大能力や技能で少しでも生物の根付きやすい土壌に改善する開墾や開拓、これらも労役のひとつだ。そうした土地に巣食おうとする蕃神という侵略的外来種の駆除もお願いするよ」
「まるで屯田兵だな」
ジンカイは第3の誓約で担う内容をその一言でまとめた。
この例えはレオナルドに好評だった。
「いいですね屯田兵。ひとつところに定住してもらうわけではないから趣は違うが、やってることはほぼ一緒だ。僻地を守って未開の地を開墾しつつ、いざ戦争となれば兵となって最前線に立つ……うん、間違いありませんね」
遠い地に派遣した兵隊に、普段は荒れ地の開墾など農作業をさせつつ、その傍らで軍事訓練も行わせ、戦争が始まれば軍隊として出撃させる。
この制度は屯田兵と呼ばれている。
日本では明治時代、北海道開拓のため派遣されたことで有名だ。
しかし屯田兵という制度自体は遙か昔、古代中国の頃から行われており、似たような警備と開拓を担う派兵は世界各地で行われてきた。
戦闘、掃討、駆除、警備、警邏、開拓、開墾、保護、誘導……。
真なる世界各地を巡り、これらの仕事に従事する。
第3の誓約に関して説明を終えたレオナルドは、ほんのしばらく言葉を紡ぐのを止めると、5人の終焉者たちの顔色を窺うように反応を見ていた。
誰も異を唱える様子はない。
3つめの誓約を受け入れ、贖罪に励む意志を垣間見せている。
これなら問題なく第三の誓約も結べるだろう。その眼に微かながら安堵の色が浮かばせたレオナルドは、さっそく話をまとめようとした。
「――ちょっと待った」
邪魔するぜ軍師殿、とバンダユウが話に割り込んできた。
「その3番目の誓約……ちくっと書き換えてくれ」
豪華絢爛な褞袍を羽織った極道オヤジは、いつの間にか手元に戻した極太煙管を指揮棒のように振り回すと、第3の誓約に物言いを付けてくる。
正しくは誓約内容への加筆修正だった。
「まずはゲンジロウ、おまえは穂村組の監視下に置く」
組長代理バンダユウあるいは番頭レイジに若頭補佐マリ、もしくは穂村組構成員が感知できる場所に留まること。断りなく遠出しないこと。
行方を眩ませば誓約違反扱いとすること
「こいつを約束させる。間違ってもホムラの後を追わせたりしねぇし、ホムラもゲンジロウへ近付くのは厳禁だ……もっとも、ゲンジロウは穂村組の目の届くところに置いとく以上、四神同盟の領地ギリギリに留め置くがな」
この沙汰の意味――わかるだろ?
わからなきゃ煙管ぶつけんぞ、とバンダユウは投げつける構えでバカ息子二人に答えを求めた。投げ方が棒手裏剣のそれなので叔父貴は本気だ。
あの投げ方は刺さる。刃物でなくとも肉を貫くだろう。
ホムラはゲンジロウの背中から前に出る。
兄の隣にちょこんと正座で腰を下ろし、小さな肩でしょげていた。
「もう二度と……ゲン兄に頼るなという戒めじゃな」
ゲンジロウも詫びるように黙礼する。
「これまでの弟に対する我が愚行を顧みれば……当然の沙汰と思われます」
簡単に言えば、ゲンジロウはホムラを甘やかしすぎた。
いくら敬愛するホムラの母との約束があったとはいえ、盲目的にホムラへ奉仕することに執心し、ホムラが精神的に大人としての成長を阻害した要因のひとつは、紛れもなくゲンジロウの献身すぎる過保護があった。
ツバサに横恋慕して――ミロを不倶戴天と目の敵にする。
これらの感情を破壊神ロンドに唆されたホムラは、四神同盟やおろか古巣の穂村組さえ裏切り、バッドデッドエンズへの加入を選んでしまった。
ゲンジロウが忠臣ならば、断固阻止すべき選択肢である。
だと言うのに彼は弟可愛さのあまり、ホムラの言いなりとなって共にバッドデッドエンズ入りしたのだ。唯一弟の味方であろうとした兄弟愛の意気込みは買わないでもないが、常識的に考えれば兄としても部下としても落第である。
またホムラも反省を余儀なくされていた。
一時の感情に流されて、取り返しの付かない罪を犯したのだ。
幸か不幸か四神同盟に明確な損害こそないものの、内外にもたらす穂村組へのイメージは最悪なものとなった。心証など地の底に墜ちかねない。
――組長と若頭。
ヤクザのツートップが揃って寝返れば、悪印象は免れない。
風評被害ではなく事実だから払拭もできないのだ。
悪友であるミロに打ち負かされたホムラも、実の弟妹であるレイジやマリに折檻されたゲンジロウも、さすがに頭を冷やして反省したらしい。
この2人が揃えば――ろくなことにならない。
どちらのためにもならないため、誓約を以て強制的に分離させるのだ。
叔父貴の命令に逆らえず、二人は平身低頭で頭を下げる。
無条件で受け入れますと言わんばかりに頭を垂れ、牢獄の床に額を擦りつけるように土下座して、育ての親に等しい叔父貴の声に服従する。
「「……叔父貴の仰せの通りに致します」」
長兄と末弟は声を揃えてバンダユウにひれ伏した。
極太煙管から一口だけ煙を吸い込んだ老爺はプカリと紫煙を吹いた。
「まだだ、おれからの仕置きはここからだ」
前言通り――とっておきの罰をおまえたちにくれてやる。
紫煙を漂わせた口から特大のため息をついたバンダユウは、眉根に深い谷間を寄せて顔を顰めると、意を決したようにはっきり言い放つ。
「ホムラ、おまえには今日付で組長の座から降りてもらう」
「…………ッッッ!?」
言い渡されたホムラはハッと顔を上げた。
予感はあったはずだが、受け止めるには彼の精神性があまりにも拙い。見開いた瞳はあっという間に涙で潤み、口元は女々しく戦慄いていた。
文句を言える立場でないのは重々承知。
公の場で泣き喚くわけにもいかず、再びホムラは土下座で突っ伏した。
「てめえもだゲンジロウ、本日付で若頭から解任する。おれらの目の届くところに置くから組の一員として扱うが……一番の下っ端に降格だ」
ゲンジロウは微動だにしない。
こちらは仮にも長兄、最初から覚悟はあったようだ。短く「ハッ……ッ!」とバンダユウの言葉に応える声を発するに留まっていた。
土下座のまま頭を上げない二人に、叔父貴は最後通牒を投げ渡す。
「そして……どちらも勘当だ」
穂村組という家族の輪から追放する宣告だ。
苦渋の決断をした漢の顔には、積み重ねた年月に勝る苦悩が刻まれていた。
家長として辛すぎる選択だが、こうしなければ他の家族に示しが付かない。況してや罪を犯した当事者たちを甘やかすわけにもいかない。
他でもない――ホムラとゲンジロウのためである。
ここでなあなあに許してしまえば、彼らは同じ過ちを繰り返さないとも限らない。誘惑や甘言に屈する脆弱さを心に根付かせかねない。
それは強さを尊ぶ穂村組にあるまじき醜態だ。
厳格に処すのは、我が子同然の彼らを想うバンダユウの親心だ。
優しさや情けばかりが愛ではない。時として完膚無きまでに叩きのめす厳しさも求められる。子供らの未来を思えばこそ厳しく当たらなければならない。
バンダユウはそれを怠ってきた自覚があるのだろう。
今日こそ鬼の心で息子たちを裁いていく。
「これは……かつて穂村組に籍を置いたおまえらだけに上掛けする誓約だ。嫌っていうんなら仕方ねえ。あの小さな石版へ収まってもらうぜ?」
どうするよ? とバンダユウは返答を求めた。
ホムラもゲンジロウも土下座のまま、消え入りそうな声で応えた。
「は、はい……叔父貴の言う通りにします!」
「異論ございません……それだけの罪を犯したのですから……」
バンダユウは煙管をくわえて一服する間を置いた。
そして、バカ息子2人に厳命する。
「おれの目が黒いうちは帰ってくるな。世界をグルリと巡ってこい」
――猛省しやがれ。
そっぽを向いたバンダユウは口惜しそうに吐き捨てた。
「悪かったな軍師殿、こっちの都合で遮っちまって」
バカ息子たちへ鬼の形相を向けていたバンダユウは一転、模範的な営業スマイルの笑顔を取り繕うと、司会進行のレオナルドへ詫びた。
手妻師ならではの切り替えか? ツバサにはできない芸当だ。
「つうわけで、迷惑掛けたウチのバカ兄弟には、今みたいな感じで誓約を倍掛けしといてくれ。間違っても二人を引き合わせることのないようにな」
「誓約というより制約の追加ですね、承知しました」
レオナルドは動じることなく、バンダユウからの頼みを承る。
それからほんの少しの哀れみを帯びた口調で呟いた。
「……まあ、四神同盟の敷居を跨ぐことは許さないが、こちらから会いに行くことは制限していない。ホムラ君やゲンジロウ氏のような特例は別として、面会自体はそこまで厳重に制限するつもりはないから」
そのつもりでいてほしい、とレオナルドは洒落たウィンクを送る。
軍師なりに優しさを覗かせたらしい。
ホムラとゲンジロウの強制別行動は、ゲンジロウがホムラに過保護が過ぎるために起きたこれまでの弊害を鑑みての措置である。
それ以外の終焉者には、縁者に会う機会を設けたわけだ。
ホムラとゲンジロウにしても、両者が会うのを禁じるのみでバンダユウやレイジにマリといった穂村組と会うことには制限がない。
意外と融通は利いている。この辺りも譲歩といえば譲歩だろう。
鞭ばかりではない。飴もあってこその誓約。
悪人面だが気のいい軍師殿はそんな風に考えているのかも知れない。
「定められた自由と権利を保障しよう――然らば義務と責任を担うこと」
不意にクロウが口を開いた。
裁判官という名の司会進行役、軍師レオナルドの背後に陪審員として居並ぶ5人の王の1人。年齢的にも役柄的にも最長老に値する存在だ。
英国紳士の格好をした骸骨といった風貌。
髑髏の顎をカタカタと打ち鳴らし、虚ろな眼窩に青白い炎を灯す。
冥府の王に相応しい迫力を発して一歩前に出る。
「これは民主主義政権の叩き台になったとも言える封建主義国家の在り方です。皆さんも日本人だったのですから馴染み深いでしょう」
カツン! とクロウはステッキを突く音で注目を集める。
さすが元教師、学生という聴衆の気を引く術を心得ているようだ。
「天皇が統べる朝廷と、各地の荘園を任された貴族に豪族に権門。将軍率いる幕府と、石高を定められた土地を支配する大名。最高機関である日本政府と、地方の政治を任された県知事……この構図はまったく同じものです」
中央政権と地方領主、この関係を表したものが先の一言である。
義務と責任を担保に――自由と権利を認可しよう。
「四神同盟と終焉者の間で交わされる誓約は、これに似たところがあります」
戦争を起こした罪への責任と、贖罪として労役を負う義務。
「終焉者がこれを負うならば、四神同盟は権利と自由を保証しましょう」
助命して生き延びる権利と、拘束せず束縛もしない自由。
まさしく封建主義の契約関係に等しい。
「あなた方は許されざる大罪を犯した罪人です……しかし、我々も一目置くほどの力を持ち、自らの過ちを認めて我々の前に出頭した経緯がある」
ゆえに誓約とはいえ――契約を結ぶのです。
カツン! と警策で喝を叩き込むようにステッキが鳴った。
「こちらに関係者が多いため、あちらこちらに譲歩した部分があるからといって、この契約を違えることは罷り通りません。交わした誓約の内容をもう一度よく噛み締め、分相応というものを弁えていただきたい」
わかりましたね? と眼窩の炎を滾らせるクロウは脅しつけた。
地獄の業火を帯びた覇気が牢獄内に吹き荒れる。
クロウの迫力は凄まじく、終焉者たちは一様に頷いた。
――引き締めてくれたのだ。
レオナルドは裁判官として厭味な憎まれ役を演じるも、実力者である終焉者たちを懐柔するために、誓約のそこかしこを甘めに設定していた。
それは厳しい誓約という鞭の中に隠された飴だ。
先ほどの「会いたい人がいればいつでも会いに行けばいい。ただし四神同盟の外でやるように」というレオナルドの案も飴のひとつである。
飴が過ぎる、とクロウは判断したのだろう。
レオナルドの懐柔策に理解しつつも、飴が多くて「何してもいいじゃん」と罪人が勘違いすれば本末転倒だ。教師生活25年のクロウは、そうして思い違いをしたクソガキな生徒の横行を目にしてきたに違いない。
だから一喝して注意を促し、場の気を引き締めようとしたのだ。
レオナルドもクロウの気遣いを察したからこそ押し黙り、「助かります」と態度で感謝を示して、弁舌の場を譲ったのである。
充分に年長者の貫禄を見せつけてくれた。
最後に会釈をしたクロウは一歩引き、ツバサたちの列へと戻ってくる。
これにはレオナルドも丁寧な会釈で返していた。
無言で礼を述べたようなものである。
「さて、クロウ先生にお説教していただいた通り、一定の自由や権利は許すけれど、そもそも君たちは罪人だということを再認識してほしい。誓約を交わせば保釈するようなものだが、ちゃんと保護観察官……身元引受人も決めさせてもらう」
――終焉者には通信機を持たせる予定だ。
これで連絡が取れる相手は、身元引受人のみとする。
終焉者は担当である身元引受人に定時連絡(週一程度)を欠かさないことや、定期的に報告書を提出することを義務とする。
また魔法形式と機械形式の発信機を植え付けるので、どこで何をしているかなどの行動も監視できるように設定させてもらう。
通信機にしろ発信機にしろ、カバーできる範囲は中央大陸に限られる。
このため実質的に中央大陸から脱出することを認めていないも同然だが、何らかの理由で許可するなり出撃させる場合は、これも応相談となるだろう。
(※蕃神との戦闘により大陸の外へ出る場合も考慮されるため)
他にも――誓約に盛り込む約束は山ほどあった。
etc.エトセトラ、えとせとら……。
これらの微に入り細に入る約束事まで、アダマスの8bitくらいしかなさそうな理解力でもわかるよう、レオナルドはわかりやすく丹念に解説した。
蘊蓄たれでなければ挫折していたはずだ。
「……というわけで、君たちの身元引受人になってくれるのはこの方々だ」
ホムラ・ヒノホムラ――身元引受人はクロウ・タイザンフクン。
ここはバンダユウたっての推薦である。
その理由は至って単純、父親らしい発案だった。
「穂村組でもとびきり幼稚で甘えん坊のバカ息子だからな。真っ当な名教師の下で一からしごいてくれと……おれから頭を下げたのよ」
「なのでお引き受けいたしました。これらかよろしくお願いしますね」
ホムラ君――クロウは朗らかな笑顔で挨拶をした。
「ひっ! あの……こちらこそ、よろしくお願いしますなのじゃッ!」
一方、ホムラは先の脅しがまだ利いているのと、叔父貴の視線が怖いので緊張しまくりながらも、粗相がないように必死で頭を下げていた。
ゲンジロウ・ドゥランテ――身元引受人はバンダユウ・モモチ。
with穂村組の皆さんである。
こちらは穂村組の総意であり、代表して番頭レイジが説明する。
「愚兄ゲンジロウは若様……末弟ホムラが絡まなければ、そこまで判断力を誤るような人間ではありませんのでね。ホムラから引き離して、時を置いてそれに慣れることができれば更生してくれるはず……と期待してのことです」
「もしも再会した時、大爆発しそうでおっかないけどねー」
凍てつくインテリヤクザといった風貌のレイジの後ろで、高級ホステス嬢みたいな若頭補佐のマリがぼやくが、そこは取らぬ狸の皮算用だろう。
最後にバンダユウが締める。
「ま、代表して俺が監督役ってことで……異存ねえな、ゲンジロウ?」
「はい……お世話を掛けます、顧問……」
ゲンジロウは悪びれたように再び土下座で額ずいた。
ジンカイ・ティアマトゥ――身元引受人はドンカイ・ソウカイ。
これはドンカイ自らが立候補した。
ドンカイが弟弟子であるジンカイを改心させたのは事実であり、その功績もあって任せることに異論を唱える者はいなかった。
これまでドンカイが四神同盟で培ってきた信用の賜物である。
「ほれ見ぃ、わしの言った通りではないか」
豪腕を組んだ横綱は威張るようにふんぞり返っていた。
「ええ、本当ですね……ありがとうございます」
大柄で豊満なことに目を瞑れば、すっかり貞淑な女性となってしまったジンカイは控え目に、それでもおかしそうに微笑んでいた。
ジンカイも三つ指をついて頭を下げる。
「では兄弟子……これからまたよろしくお願いいたします」
「うむ、身元引受人の件しかと承ろう」
アダマス・テュポーン――身元引受人はミサキ・イシュタル。
兄弟と呼び合うほど打ち解けたケンカ友達。
おまけにどちらも年若いので一抹の不安は過るのだが、そこはミサキの師であるレオナルドがサポートする約束で落ち着いた。
なんだかんだで愛弟子に甘いのだ、この軍師様は……。
これにはアダマスも檻の中で大喜びだ。
「おおっ、兄弟が引き受けてくれんのか? いつでも電話で話し放題だな!」
「いや、さっきのクロウ先生の話聞いてた?」
そういうのが駄目なんだってば! とミサキは悪友を窘めていた。
最後の1人――サバエ・サバエナス。
当初はほとんど接点のない獣王神アハウが引き受けることで、私情を挟まずに諭していく想定だったのだが、ここで思わぬ一悶着が起きた。
「…………いっそ、殺して」
牢獄の隅で体育座りのままだったサバエ。
「オセロットの……悟郎のいない世界なんて……私には意味がない」
なら殺して……とサバエは囁くように訴えた。
「誰かのために、何かのために……感情に突き動かされて戦うなんて……もう、私にはできそうにないもの……ここにいる自分にも違和感しかない……」
死にたい――殺して――弟のところへ逝かせて。
陰鬱極まりない声を唇から垂れ流すようにサバエは呻いていた。
「――そんなこと言うんじゃねえよ!」
燃えるような陽の“気”が籠もった怒声が、彼女の陰な“気”を払う。
その声を発したのはアダマスだった。
「悟郎に言われたんだろ? 姉ちゃんには生きててほしいって!」
牢獄の隅に蹲るサバエへ振り返ると、ジャランジャランと手枷足枷の鎖を鳴らして歩み寄り、彼女に合わせて身を屈めて説得する。
「そりゃあおまえは弟のためにロンドさんの言いなりになったようなもんだし、アイツの傍にいたいって気持ちは酌んでやりてえか……弟の気持ちも考えてやれよ。どうして最後の最期で姉ちゃんのおまえを庇ったのか……」
身振り手振りを加えてのオーバアクション。
アダマスの懸命さが、こちらにはしっかり伝わってくる。
「いい、もういいの……私にはもう……何もないから……いいの」
しかし、肝心のサバエには届かない。
彼女は泣き腫らした目元を閉じて、力なく首を左右へ振った。
「もう私は……何をすればいいのかわからない……世界を傷付けるつもりもないし、弟を倒した者へ復讐する気もない……私たちは罰せられるだけのことをしてきたんだもの……自業自得よ……だから、さっきの誓約は飲んだの……」
鬱々とした言の葉は、悲しみに浸った闇のように溢れ出す。
「私はね……もう、空っぽなの」
成すべきことがわからない、どうすべきか思いつかない。
「やりたいこと……生きてる意味がわからなないの……頭に思い描けるのは、亡くなった悟郎のことばかり……」
抱えた膝に頭を埋めたサバエは不安を打ち明ける。
「あの子を想うあまり……自棄を起こしそうな自分も怖いの……」
それならいっそ――殺してほしい。
サバエの発言は四神同盟として聞き流せない内容だ。
裁判官を務める軍師は真っ先に反応した。
「聞き捨てならないことを言うね……またぞろバッドデッドエンズとして活動するつもりかな? 確かに不穏だ、こちらとしても看過できなくなる」
情緒不安定なサバエをレオナルドは危険視した。
冷酷な視線からサバエを守るべく巨漢が立ちはだかる。
「待ってくれ軍師の人! 堪忍してくれ!」
野太い両腕を広げたアダマスは必死にサバエを擁護した。
「大事な弟があんなことになっちまったんだ! 混乱したり傷心するのは仕方ないことだろ!? 許してやってくれ、しばらく時間をやってくれ!」
頼む! とアダマスが懇願した瞬間、大地が揺れた。
両腕を広げてサバエを庇ったポーズから、上半身を前へ倒して四つん這いになるような力強い土下座をしたせいである。両手を床につけばズドン! と激震が走り、頭突きみたいにドゴン! と額づけば地割れが爆音を轟かせた。
自慢のリーゼントが潰れて台無しになろうと構わない。
それほどの威勢を叩き込んだ土下座だった。
アダマスが両手を床に付いた時、確かに牢獄が縦へと沈んでいた。
――徹底的に弱体化させてもこの馬鹿力か!?
四神同盟の実力者たちでさえ、アダマスの膂力には内心舌を巻いていた。
だが、レオナルドの顔色が変わることはない。
「悪いが許可できない――不要なリスクを抱えるつもりはないんだ」
レオナルドは冷淡にアダマスの願いを取り下げた。
その理由を開示するのも忘れない。
「次元の裂け目の大半が塞がったとの報告を受けているが、すべてというわけではない以上、蕃神の再侵攻がいつ始まるかわからない……そんな折、いつ暴発するかもわからない不穏分子を抱えておくわけにはいかないんだよ」
「ああ、そりゃあもっともだな……じゃあ!」
ひしゃげたリーゼントヘアを震わせてアダマスは言い募る。
漢の双眼には揺るぎない覚悟が宿っていた。
「俺が……俺がサバエの尻持ちをする! サバエが何かやったら全責任は俺になすりつけてくれ! 誓約が足らねえってんなら、俺の分を2倍でも3倍でも増やしてくれて構わねえ! だから……どうか見逃してやってくれ!」
頼む! とアダマスは何度でも額を地面に叩き付けた。
その度に大震災クラスの地震が発生する。
「……どうして、アダマス?」
アダマスの頭突きみたいな土下座がハトホル太母国まで揺るがした頃、サバエは膝頭に埋めていた顔をほんの少しだけ持ち上げた。
自分のために恥も外聞もなく土下座する漢。
諦めずに幾度となく願い出るアダマス。その大きな背中を見つめるサバエの瞳には疑問符が浮かんでおり、その答えを求めて問い質した。
「どうして、あなたが……私のために……そこまで……してくれるの?」
「俺も――“弟”だからだッッッ!!」
魔獣の咆哮に勝る声量は、牢獄を内側から破裂させんばかりだった。
アダマスの声に身体の芯から震え上がったのは2人。
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アダマスは懺悔にも似た告白を始める。
「自分のせいで姉ちゃんに迷惑を掛けた……もう二度としねえって思うのに、気付けばまた迷惑をかけちまう、世話を焼かせちまう、面倒をかけちまう……それでも、こんな自分を弟として可愛がってくれる姉ちゃんには……ッ!」
――幸せになってほしいんだ!
掛け値なしの本音を吐いたアダマスは続ける。
「俺もそうだし、オセロットもそうだった……同じ弟同士、腹を割って話したこともあったからな……俺たちは似た者同士のシスコンだってわかったんだ」
静かに噎び泣く女性の声が聞こえる。
感極まったトワコの泣き声だ。
弟の邪魔をしてはいけないと涙声を抑えるも、自分の意志ではどうにもならないので戸惑っている。技能で音を打ち消すことさえ忘れているようだ。
彼女の傍らには怪僧ソワカが佇んでいる。
見るに見かねたソワカは、その分厚い胸板を彼女に貸していた。
満更でもなさそうなので見て見ぬ振りをしておく。
「オセロットは姉ちゃんに生きていてもらいたくて……身体を張った」
アダマスは土下座したまま動こうとしないが、その声はサバエへと向けられており、彼女も見開いた瞳から涙を流して聞き入っている。
「それはオセロットと一緒にいたいっていうサバエの気持ちを裏切ってるのかも知れねえ……今すぐ弟に会いてぇって姉ちゃんの気持ちとは裏腹かも知れねえ……だけどな、俺は! 同じ弟として! オセロットの気持ちがわかるんだ!」
だから頼む! とアダマスは全身全霊で嘆願する。
「弟のためにも生きてくれ! そして、サバエにもう少し時間をくれ!」
サバエとレオナルド――両方に頼み込んでいた。
まさかここまで食い下がってくるとは、さしものレオナルドも予想できなかったのだろう。アダマスの尋常ではない剣幕にたじろいでいた。
「うぅむ、しかしだね……ハッ!」
レオナルドはマイナス零度の視線を感じてすくみ上がる。
イシュタル女王国 国王 ミサキ・イシュタル。
内在異性具現化者で、ツバサと同じ男性から女性に性転換したタイプだ。現実では紅顔の美少年だったが、今では凜々しい美少女になっていた。
愛用するのは戦闘用ボディースーツ。メリハリの利いた艶めかしいボディラインをを惜しげもなく晒している。
その美少女になったミサキが、ジト眼でレオナルドを睨んでいた。
――軍師レオナルドと女王ミサキ。
この2人は師弟であり、師のレオナルドは弟子のミサキを日頃から「目に入れても痛くない」と公言するほど猫可愛がりしていた。
その愛弟子が反抗的な眼で睨んでいる。
親友になったアダマスが決死の覚悟で頼み込んでいるのに、ぞんざいな対応ばかりに終始するレオナルドを、猛烈に非難している視線だった。
愛弟子に嫌われることを何よりも恐れるレオナルド。
目を泳がせて逡巡するが、急展開はこういう隙を狙ってくるものだ。
「誓約が足りねえってんなら……ッ!」
アダマスは無造作に手枷の鎖を引き千切った。
力むどころか踏ん張ることもなく、無造作に一息で鎖を砕いていた
それはもうあっさりとである。
もしもこの場にあの手枷を作った工作者たちがいれば「バカな!?」と悲鳴を上げたはずだ。弱体化されたLV999では壊せない設計なのだから。
すわ反逆行為か!? と誰もが色めき立つ。
臨戦態勢を取ろうとするツバサたちに対して、アダマスを庇う者が現れた。
「待ってください!」
ミサキが一歩前に出ると、両腕を伸ばしてみんなを制したのだ。
親友のアダマスが何をするつもりなのか? それに勘付いたらしい。
「最後まで……見届けてやってください」
ミサキの援護を受けたアダマスは、思いのままに動き出す。
――鎖を切って自由になった両腕。
しかし暴れ出す様子はなく、むしろ落ち着き払っていた。
アダマスは自身の道具箱へ手を差し入れると、風呂敷のような大きめの布と、生活感のある小振りなナイフを取り出した。
きちんとした正座で座り直し、目の前に風呂敷を広げる。
そして手にしたナイフを額の際へと押し当てた。
事ここに至り、アダマスがやろうとしていることが誰の目にも判明した。
「剛ちゃ……ッッッ!?」
「ア、アダマス……何を……ッ!? 待っ……やめ、ダメ……ッ!」
姉のトワコが絶句し、サバエが弱々しく制止をかける。
だが一度決心した漢の指は揺るがなかった。
ジョリ……と肌の上を滑る刃が髪を削いだ。
最初の一撃でリーゼントの一番目立つ部分が落ちた。間髪入れずにナイフはアダマスの髪を刈り込んでいき、切られた髪は風呂敷の上へ落ちていく。
ジョリ、ジョリ、ジョリ、と髪を剃る音だけが響いた。
誰も一言も発せない――そんな空気が牢獄全体に犇めいている。
漢の誇りだと自慢げに掲げていたリーゼント。
大艦巨砲主義よろしく、砲塔のようにそそり立っていたアダマスの象徴は、見る間に削ぎ落とされ、程なくして断髪式は終わりを迎えた。
自らのアイデンティティを――彼女のために捧げたのだ。
僧侶の如く見事に剃髪された頭部。
スキンヘッドとなったアダマスは、清められた頭を下げて懇願する。
「この通りだ……サバエに時間をくれ! 頼むッ!」
地響きをさせることもない、折り目正しい丁重な土下座だった。
覚悟を決めた漢の願い出る姿は、雄々しくも神々しい潔さに圧倒される。
誰もが知らず知らずのうちに息を呑まされたほどだ。
「ア、ア、ア、アダ、マス……アダぁ……うぅ、ああああああッ!! ごめ、んなさい……わた、し……私……ぃああああああああああーーーッ!」
サバエの喉から絶叫が迸る。
弟であるオセロットを失って以来、彼女は極度の鬱に陥った。
喜怒哀楽をすべて失ったかのように、サバエは何事にも無反応になっていた。だからこそ、第一と第二の誓約もすんなり受け入れたところもある。
そんな彼女が――感情も露わに泣いていた。
床がしとどに濡れるほど涙を零して、赤ん坊のように泣き喚いている。
弟を失った悲しみは癒やせないだろう。
それでも、閉ざしていた心を解き放ってくれる仲間に恵まれたのは、不幸の連鎖で狂わされた彼女がようやく巡り会えた幸運なのかも知れない。
突然の事態にレオナルドも半ば呆然としている。
そんな彼の肩をツバサはポンと叩いた。
ビクリと震えるレオナルドの背中に、サービスとして超爆乳を押し当てたツバサは、耳元へ息を吹きかけるように囁いた。
「……漢が誇りをかなぐり捨ててまで女を守ろうとしたんだ」
――これ以上は野暮だぞ?
喉の奥で唸っていた軍師だが、すぐにため息として吐いた。
「わかってるさ……ここまでさせといて意固地に断ったら、愛弟子の憎まれ役になりかねない。それこそ御免蒙るよ」
ツバサに諭されたレオナルドはお手上げのポーズで根負けした。
こうして――サバエのみ第3の誓約は保留となった。
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