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第18章 終わる世界と始まる想世
第440話:万能メイドの胸の内
しおりを挟む元来――性愛とは神聖なものだった。
多くの神話では原初の女神と男神が交合することで、世界を取り巻く森羅万象のすべてが創造されたことを後世に伝えている。
天地も、自然も、神々も、女神と男神が交わる果てに産まれたのだ。
それも性愛の力があってこそ。
ゆえに性的なものには計り知れない力があると神聖視され、文字通りのセックスシンボルを奉る信仰も数多く存在する。
――これを性器崇拝という。
男性器の象徴とも言える逞しい男根を象った偶像を崇拝する例は日本に限らず、世界各地のどこにでも見られる。その逆で女性器を簡略的にシンボライズした偶像を信仰の対象にした例もある。
代表的なものだと――インドのリンガ。
これは破壊神シヴァの男性器を模したもので、その妃であるパールヴァティの女性器を表現するヨニと組み合わせた立像がよく知られている。
(※本来は土着の大地母神信仰であり、男根を得ることで豊穣をもたらす寓意的な像だったようだが、いつしかシヴァ信仰に取り入られた)
また、イギリス諸島には“シーラ・ナ・ギグ”という像がある。
これは全裸の女性が大きく股を広げ、自らの女陰を大きく開いたところをアバウトにデザインしたもので、魔除けの効果があるとされていた。
あるいは、大きく開いた女陰は緩やかな産道を示すので安産祈願。もしくは胎内回帰に基づく輪廻転生への願望を表すなどとも言われている。
いずれにせよ、子供を産む女性器を神聖視したものだ。
キリスト教の布教により猥褻とされ、ほとんど撤去されてしまったが……。
こうした事例は日本にもある。
かつて日本では人々の行き交う往来のあちこちに、石に彫られた道祖神が置かれたものだが、その道祖神には男女の神が抱き合う姿を描いたものがある。
無論、睦み合う男女を表したものだ。
(※男性器や女性器をそのまま模した道祖神まであったという)
こちらも文明開化などの波に流されて「卑猥である」などの理由から、そのほとんどが片付けられてしまったらしい。
男女が愛し合えば、その結果として子供が生まれる。
草木の実りも、海川の恵みも、大地の豊穣も、根本を辿れば多くの雄と雌が交わることで生まれるもの。その根底にあるのは性愛の力に他ならない。
性愛が神格化されるのも当然であろう。
しかし性欲や愛欲を司る神は、実のところそれほど多くない。
たくさんいたのかも知れないが――消えてしまった。
意図的に消された、といっても過言ではない。
人間が文化を発展させて、人間として進歩するため動物として退化した頃、文明社会を運用していくためにいくつもの規範が編み出された。
三大宗教の教えが広まれば、その思想を基準とする国も増えてきた。
そういった過程で性愛は忌むべきものとされたのだ。
高潔と信じて疑わない――人性の肯定。
それは動物としての本能に基づいた人間にもある獣性を、粗野で卑下すべきものだと否定するところから始められた。
交尾するだけならば畜生はおろか虫螻でもできる。
性愛に酔い痴れるのは、人間として恥ずべき罪業にされてしまったのだ。
無論、性愛がなければ次世代となる子供が生まれないため、やることはやるのだが、大っぴらに公言することは憚られるようになった。性愛に耽るのは罪深い行為であり、執着すれば獣のように下等だと蔑まれた。
三大宗教が台頭すれば、性愛排斥への圧力はより顕著となった。
だが、宗教の中にも性愛を尊ぶ考えはあった。
邪教の誹りで滅ぼされた亜流の仏教――真言立川流。
男女の性愛を秘儀とし、ひたすら男女で愛し合う密議を交わすことで修行と為すこの宗派では、性愛の結晶として生まれる赤子を本尊に見立てたという。
ヒンドゥー教においても正しき性愛を論ずるため、カーマ・スートラを始めとした性愛を指南する教えがいくつも伝えられている。
これらの例に限らず、性愛を神秘的に捉えた宗派はある。
だが、多くの宗教が「性愛は人間を堕落させる」という思考をメインストリームとしたため、性愛を前面に押し出す信仰は徹底的に弾圧されてきた。
キリスト教では淫蕩は七つの大罪のひとつに数えられた。
(※後のカトリックでは色欲とされている)
仏教では妄りに性交渉をしてはならないと戒められている。
(※五戒、八戒、八斎戒、十戒、と様々な戒めがある)
イスラム教もまた常識の範囲内での性愛こそ推奨するものの、不倫や婚前交渉といった不貞な性愛はするべきではないと否定している。
純潔にして清廉であること――勤勉で実直であること。
性愛は秘事であり、表立てば公序良俗に反する。
それが世の道徳として浸透し、いつしか性愛は秘すべきこととなった。
日を追うごとに数を増やしていく人類を制御するためには、こうした決まり事が必要不可欠だったのかも知れない。万年発情期の人間は性欲に歯止めを利かせなければ、文明以前に文化というものが成り立たなかったはずだ。
こうして性愛は暗がりへと追いやられていく。
必然的に夜や闇へ隠され、悪魔や邪神の扱う領分となった。
悪魔のほとんどは元を正せば三大宗教に認められず、零落を余儀なくされた神々だが、そこには性愛にまつわる神も少なくない。
神の名の下に性愛を奨励して、男女の交合を神聖な儀式とした信仰は枚挙に暇がないのだが、ほとんどが邪教として廃絶されてしまったのだ。
この『性愛への信仰=邪教』の方程式に巻き込まれた例も多い。
十字軍で活躍した騎士修道会――テンプル騎士団。
彼らが邪教の疑いを掛けられた事件がある。
その容疑のひとつに、異教の神バフォメットを崇拝していたというものがある。この両性具有である信仰対象は、淫らな性愛のシンボルとされた。
(※この容疑は濡れ衣である。当時のフランス王フィリップ四世は財政難で、資金繰りに苦労していた。国中のユダヤ人から財産を巻き上げるという横暴に出た後、最大の債権者にして潤沢な資金を持つテンプル騎士団に目を付けた。最初こそ懐柔しようとしたが拒否されたため、異端審問にかけて問答無用で組織を解体、財産を没収した上でめぼしい者は口封じのために処刑した)
魔女と悪魔が乱痴気騒ぎで姦淫を楽しむ夜宴。
このサバトを主催するのが、バフォメットだと信じられるようになる。
そのため余計に悪魔らしい箔を押し付けられたわけだが……。
(※実際にはイスラム教の預言者「マホメット」に由来するとか、ギリシャ語で「洗礼する知恵の女神」と訳せるバフォ・メティスが元ネタだとか、諸説がありすぎるところに解釈も増えすぎて、真相は歴史に埋もれてしまった)
あらゆるものが時代の移り変わりとともに変容する。
性愛に対する信仰も例外ではない。
たとえ後世まで伝えられたとしても、真言立川流のように「淫らな邪教」という悪名が伝わるのみ。当事者たちが抱えていた信念は言い伝えられない。
性愛を司る神の素顔も歴史の彼方に埋もれたままだ。
ミレンはそんな性愛の神の継ぐ者。
性愛の女神と愛欲の魔族――その間に生まれた灰色の御子。
彼女はその末裔だった。
現代における神々への信仰において性愛にまつわる神々が廃されているように、彼女の先祖もまた灰色の御子たちから冷遇されていた。
頭脳役マッコウや右腕アリガミ。
彼らもまた忘れられた神族の血を受け継ぐ灰色の御子だ。
マッコウは奈落神の子孫――。
地の底まで続く洞穴や深い深い谷底への畏怖などから誕生したとされる奈落神は、やがてその神能を冥府の神や地獄の神に取って代わられ、いつしか忘れ去られてしまった神々の一柱だ。
アリガミは境界神の末裔――。
神域、聖域、禁域……かつてはこういった地域と俗世を分け隔てる番人として、境界を守護する神が祀られたものだが、人間たちが身勝手に土地の切り割りを行うようになるとともに存在感を薄められた神々の一柱だ。
(※アリガミ場合、その境界を打ち破る破壊神としての側面が強い。素戔嗚尊が地上世界の平定を任されたにも関わらず、天界の高天原や地下の根之堅洲國へ気分次第で赴いたように……)
そして――ミレンは性愛と愛欲の神魔の後裔。
前述の説明からわかるとおり、人々が性愛を大らかに肯定するのではなく、背徳的に否定したため信仰されなくなった神と魔の残り香だ。
彼らは疎まれ、忘れられ、虐げられし神々。
神としての存在意義を見出せなくなり、魔としての存在理由も軽んじられたため、神族魔族どちらからも相手にされず、灰色の御子として選ばれるも派閥やグループに加わることができず、爪弾きにされた厄介者たちだった。
疎外感を共有するため迫害された者は集結する。
いいや、あるいは被害者意識か……。
虐げられし神々の末裔を束ねた者こそが、破壊神ロンド・エンドである。
ミレンたちを集めたロンドは、演説めいた台詞回しで焚き付けてきた。
『自分を認めない世界に、守る理由も助ける義務もありはしない』
『世界がオレたちを認めてくれないなら、オレたちも世界を見限るまでだ』
『いっそ綺麗さっぱり消しちまおうぜ』
『忘却という虐待を受け、神としての役割を軽んじられ蔑まれ、いてもいなくても構わないと世界がオレたちを除け者にしたんだ。だったら、オレたちが人も神も魔も世も、忘れ去られるまで消し去ろうとだ……」
文句を言われる筋合いはない――ロンドは真顔で言い切った。
元より正論を吐く連中にはうんざりしている。
綺麗事を並べるのは、どれもこれも自己保身に終始するためだ。
争いは何も生まないとか……きっとわかり合えるはずだとか……。
そんなお為ごかしは聞き飽きた。
厄介者など最初からいなかったかのように忘れ去り、遠くへ追い遣ることで自分たちの安全圏を確保したいだけなのだ。
『そんなみみっちい卑怯者どもに手控えることはない』
地球も真なる世界も多重次元も――全部ブッ壊してやろうぜ
ミレンたちはロンドの勧誘に乗った。
奈落の神も、境界の神も、性愛と愛欲の神も……。
虐げられし神々は破壊神を首魁に押し頂き、世界に反旗を翻したのだ。
実のところ――賛同した虐げられし神々は他にもいる。
正しくはその血を引く灰色の御子。地球に渡り世代交代を繰り返した子孫たちであり、ミレンたちと同じように破壊神の麾下に加わったものだ。
その中で頭角を現したのが三大幹部である。
バッドデッドエンズには、そういった末裔たちが何人か含まれていた。
自覚無自覚に関わらずだが……。
奈落そのものと化してすべてを深淵へと引きずり込んで貪り尽くすマッコウ、防御不可能な次元を斬り断つ刃を自由自在に精製するアリガミ。
尋常ならざる過大能力の中でも、2人は突出した破壊力を備えていた。
ミレンも彼らとともに三大幹部に選ばれた1人。
世界を廃滅へと導くに相応しい過大能力に覚醒していた。
過大能力――【止め処なく登り詰めよ化楽天の絶頂】。
端的にいえば、無制限に快感を与えられる能力だ。
快感の上昇率も度外視できる。
快感は時を追うごとに倍加していき、臓器はおろか神経や脳細胞も快楽物質のオーバードーズで焼き切れ、苦痛にも勝る快楽地獄で逝き果てるだろう。
何よりミレンの能力が与える快感には見境がない。
人間や動植物は言わずもがな、路傍の石さえ身悶えさせる。
果ては大地も、空も、海も、川も、空気も……自然現象すら天井知らずの快感に打ち振るわせることで、持てる“気”が枯渇するまで逝かせられる。
腹上死、腎虚、昇天、テクノブレイク……。
行き過ぎた性愛による死亡事故を表す言葉は数知れず。
天も地も人も――生命や世界ものべつ幕なしだ。
遍く森羅万象を、無辺際の快楽まで導くことができる能力である。
快感の果てにあるのは避けようのない死滅。
すべての精魂を吐き出し、血肉が枯れ果てるどころか骨が砕けて粉となり、髄液の一滴までもが干涸らびるまでミレンの快感は止まらない。
細胞の一片までもが快感に打ち震えたまま死に絶えていく。
破壊神の幹部を務めるに相応しい能力だろう。
……実のところ、ミレンの過大能力には幅広い用途が見込める。
快楽の波動を操作すれば様々な使い方ができるのだ。
負傷者に適度な快楽を与えることで痛覚を麻痺させる麻酔としたり、快感を感覚の一種とすることで他者の五感を操作して催眠状態にすることもでき、籠絡させるも魅了するも自白させるも思いのままとなる。
無機物や自然現象さえも翻弄できる、対象を選ばない快感の波動。
ともすれば天候操作や地形変化さえも自由自在だ。
想像力のコントロールこそが――過大能力を研ぎ澄ます秘訣。
どこぞの軍師気取りの言葉に間違いがなければ、ミレンは無差別に快感をばら撒く過大能力を極めることで、多彩な能力を我が物とできただろう。
しかし、彼女はそんな道を選ばなかった。
『何も彼も快楽の渦に飲まれて、悦楽の極地で死に絶えればいい』
それだけを念頭に置き、際限のない快楽をどこまでもいつまでも果てしなく登らせていき、白熱忘我のまま滅ぼすことに腐心してきた。
小手先を弄する技など必要ない。
極限を超えた先にある、死の苦しみに匹敵する快楽を追求したのだ。
――死の開放感にのみ快感を覚える女。
そんな彼女にすれば、快楽の果てにある死は相通ずるものがあった。
もしも破壊神の手で滅ぼしてもらえなければ、自らに過大能力を使うことで快感の絶頂に至りながら自殺しよう……とか漠然と考えるほどだった。
その快感を統べる能力で、目の敵にしてきた女を始末する。
死に至る激痛で殺すのではなく、快楽の極点を思い知らせて殺す。
性愛を司る神の後継に相応しい勝ち方ではなかろうか?
自らの勝利を確信するミレンは禍々しい笑みを濃くする一方だった。
その醜悪な笑顔は邪神と呼ばれても仕方ないほどに……。
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「化楽天の極み……底無しの快楽にのたうち回りなさいな!」
文字通り――快感の波濤が押し寄せてきた。
直撃こそ避けたものの、クロコはお試しのように余波を浴びてしまう。
瞬間、甘美な気持ち良さが全身の神経に染み渡った。
足下が覚束なくなり、膝から力が抜けそうになる。
性感帯として開発された箇所は、疼くのを通り越して直接愛撫されるような刺激を覚え、思わず両手で押さえたくなるも唇を噛んで堪えた。
何もしていないのに秘所が潤うのを知って戦慄する。
まともに受け続ければ、テクノブレイクで悶絶死すること請け合いだ。
「これはこれは……立派な攻撃手段として通用しますね」
だが――クロコも変態を自認する女。
この程度の快楽で落ちるほど安い女ではない自負があった。
「痛みや苦しみから人は遠ざかる……それは死を予感させるからです」
快感を支配するミレンは持論を語り出す。
「だが、生の悦びである快感からは逃げられない。得られるならいくらでも欲してしまうもの……その身に宿る精気を一滴残らず吐き出そうともね!」
「一部賛同しかねますが、割と正論ですわね」
クロコは苦痛も喜びとするマゾなので部分的には反論させてもらう。
ミレンを中心に拡大する――快感の波動。
クロコはその効果範囲から飛び退こうとするも、離れすぎれば小型バルカン砲の射程範囲から外れてしまう。せめて彼女の肉体にこちらの弾丸がめり込むくらいの威力は保たれる距離は保っておきたかった。
それは取りも直さず、彼女が制する快感の支配圏だ。
短期決戦を狙って、連続絶頂も辞さない覚悟で懐に飛び込むか?
特攻めいた策を考えるも即座に中止する。
渦潮のように回転しながら、効果範囲を徐々に広げる快感の波動。
その中心にいるミレンが快楽の枝葉を伸ばしてきたからだ。
濃厚にして濃密、身の毛もよだつ快感。
この波動も目には映らないものの、その輪郭は透明ながらぼんやり捉えることができた。まるで触手のように蠢きながらクロコへ迫ってくる。
快楽の触手――這わせる快感の度合いが桁違いだ。
ただ放射状に広がる波動とはレベルが違う。
通り過ぎただけで大気が甘く熟すように爛れ落ち、草木は燃えるような青臭さと花粉を噴き上げて枯れ果て、大地は爆ぜたと思えば砂と散る。
触手がそこにあれば、無上の快楽によって精も根も尽き果てる。
触れずとも近寄るだけでアウトなのが一目瞭然だ。
まともに触れれば絶頂で自我を失いかねないだろう。下手をすれば、気を失ったまま極楽へ逝ってしまう可能性もあった。
比喩ではなく本当の意味での極楽浄土――即ち大往生だ。
快楽の触手はスルスルとこちらへ伸びてくる。
「しかも結構な俊敏性ですこと……」
快感の波動から距離を置こうとするクロコを、足の速い猟犬よろしく追いかけてきた。本気で逃げなければ足元を掬われかねない俊足ぶりだ。
快楽の触手から逃げ惑うクロコをミレンは嘲笑する。
「フフッ、逃げても無駄です……誰も気持ちいいことには抗えませんもの」
ミレンに煽られてもクロコは顔色ひとつ変えない。
「寸止めで我慢したりさせたりするのも淑女の嗜みですけれどね」
「あなたマゾなんですかそれともサドなの!?」
両方いいとこ取りです、とクロコは答えて反撃を試みる。
手始めに小型バルカン砲で快楽の触手を迎え撃つ。
実体を持たない波動には苦し紛れかも知れないと思ったものの、意外にも散らせることが判明した。毎分1万発の弾雨が触手を蹴散らしていく。
ハアッ!? とまさかの逆襲にミレンも仰天する。
「私の快楽を吹き散らすなんて……なんですか、その弾丸は!?」
「さて、私もビックリドッキリメカです」
正直、こんな素晴らしい効果を望めるとはクロコが一番驚いていた。
まったく表情に現れないのが自分でも残念だ。
恐らく――幽体などの非実体にも効果がある強化付与。
装填された弾丸すべてに施されているようだ。
そういえば、このM134の改造を長男様に頼んだ際、「せっかくやき特別製ん弾を仕込んどくきに」とサービスしてもらったのを思い出す。
物理が効くならM134の火力は大抵通る。
だが、「もしかすっと非実体の敵と交戦すっかもしれん」と危惧して、弾丸に何種類かの強化付与を行ってくれたらしい。そういうお仕事は五女様や六女様の得意とするところなので、お手伝いしてくれたと容易に想像できる。
……クロコ、お子様たちに心配されてる!?
それは取りも直さず、愛されているに等しいことだ。
クロコにとっての主人はツバサ様とミロ様だが、その家族であるハトホル一家の皆様は誰もが敬意を持ってお仕えするべき方々である。
長男様たちからの真心を感じたクロコに、御先神としての強化が働く。
仕事振りが褒められれば嬉しくて――強化が付与される。
ミスを叱責されれば反省して――強化が付与される。
主人とその家族から寵愛を受ければ――強化が付与される。
御先神が「敬います」と心に決めた人々からの向けられる感情は、どんな類のものであれ、クロコの基礎能力を向上させるように働いた。
主人に制約されるのがデメリットの御先神。
転じて、最大のメリットにするのが御先神なのだ。
服従気質のクロコだからこそ最大限に活用できるとも言えた。
受けた強化でシンプルに身体能力を向上させる。
加速装置が働いたかの如く、クロコは爆速で駆けられるようになった。
迫ってきた快楽の触手も軽々と振り切る。
「え、ちょ……どうして無駄にスピードアップするの!?」
とにかく快感の触手の数を増やすことで、人海戦術よろしくクロコを包囲しようと企んでいたミレンは、スピードアップしたクロコに驚きを隠せない。
――残像に放置プレイを強いる超神速。
たくさんの残像をばら撒き、ミレンの操る快楽の触手を翻弄する。
「こぉぉぉ……れぇぇぇもぉぉぉ……愛の力ぁぁぁ……ですわねぇぇぇ……」
「ドップラー効果を誇張しながら物言うの止めなさいよ!?」
耳障りなのか、ミレンのツッコミはキレ気味だった。
――重武装したメイドたちの闘争。
それは時を追うごとにヒートアップする一方だった。
ミレンが無限の快楽を無差別に与える過大能力を使い出すも、クロコは御先神の特性を活かして超高速移動できる機動力を確保する。
空中戦から地上戦に移るも、立体的な機動を行う戦闘は継続中だ。
なにせ足場がないに等しい。
ミレンが快感の波動を広げれば、大気は腐れて大地は枯れる。
後に残るのは風も吹かない砂漠なので、迂闊に地面を走れば砂に足を取られかねなかった。また、快感の波動も地面近くの方が濃い。
クロコは砂上を走るホバークラフトのように疾駆するしかない。
走るのではなくほぼ飛行系技能による高速移動だ。
しかし、ミレンはほぼ不動である。
その身から過大能力による破滅的な快感の波動を発して、世界を滅ぼすとともにクロコの脚を少しでも鈍らせようとしていた。その快感の波動を煮詰めた快楽の触手を何十本も伸ばして、クロコを捕らえようと目論んでいる。
まるで巨大なイソギンチャクの怪物みたいだ。
快感の波動は短い触手、快楽の触手は獲物を捕らえる触腕。
時を追うごとに快感の波動は領域を拡げ、快楽の触手は本数を増やす。
おかげでおいそれと近付けない。
クロコの小型バルカン砲も対人戦ではオーバーキルな武装である。遠距離戦も挑める仕様なのだが、ミレンの攻撃範囲はこちらの射程距離を凌駕していた。
ならば、超々遠距離戦で対処するべきか?
対抗策としてはスナイパーライフルによる射撃か、彼女の過大能力が届く範囲がこれ以上広がる前に、ミサイルやランチャー系での爆撃だろう。
だが、どちらもミレンには通じない。
ライフル弾もミサイルもバズーカも、彼女へ届く前に快感で摩耗する。
自然現象すら悶絶するのだから、金属でも快楽で滅してしまうのだろう。
彼女へ到達する頃には役立たずとなっているはずだ。
長男様とお子様たちが気配りから用意してくれた、快感の波動をも撃ち抜く特別製の弾丸が、これでもかと装填された軽量型バルカン砲。
幸か不幸か、これがミレンには最も効果的だった。
やはり適正距離を保ったまま、このM134×2で追い詰めるしかない。
多少の快感に集中力を乱されるのは諦めるまでだ。
クロコは一瞬たりとも足を止めない。
わざと緩急を付けて残像を増やすことでミレンを攪乱し、迫り来る快楽の触手を掃射して、世界を滅ぼさんとする快感の波動も撃ち散らしていく。
「でも……撃っているのが本体ですよね!?」
小型バルカン砲から砲火を噴くのが、残像ではないクロコ自身。
そう当たりを付けたミレンは十重二十重に快楽の触手を広げ、投網漁でもするかのようにクロコを捕獲しようと攻め立ててきた。
だが、触手が届くころにはクロコの姿が掻き消えていく。
「残念――弾丸も残像です」
ミレンの読みを裏切るべく、クロコは淡々と事実を告げた。
自身のみならず――得物にも残像を引き起こす。
敬愛するレオナルド様や、剣豪であらせられるセイメイ様。
彼らの杭を投擲する技術や刀剣を操る剣術を実戦で垣間見て、クロコなりに見様見真似で培ってきたテクニックだ。
ツバサ様ならば「見取り稽古だな」と仰ってくれるだろう。
銃を撃つ時――ほんの少し手業を加える。
相手に「撃ったぞ」と気迫や所作で思い込ませ、実際には数発しか射撃していないのに何千発も撃ったかのように錯覚させているのだ。
まんまと引っ掛かってくれたので、残弾数が大いに助かっていた。
まだ余裕はあるが弾薬には限りがある。
なるべくならば温存し、余裕のある内にミレンを無力化したい。
「くぅぅぅッ……小賢しい真似を!」
ミレンも負けじと過大能力の出力を上げてくる。
毒ガスのように広がる快感の波動は避けようがないので、対抗系技能で耐えるしかないが、多頭蛇よろしく数を増やす快楽の触手からは逃げるしかない。
あれに捕まれば――敗北確定だろう。
避けて躱して回避しつつも、クロコは反撃を忘れない。
残像に紛れ込ませて、着実にミレンへと銃弾を浴びせていた。
あちらは圧倒的な攻勢ができるゆえ不動だが、こちらは快楽の触手から逃げ回るため一秒たりとも止まっていられない。
動きながら的を狙うなんて銃使いには酷な話である。
それでも銃口は常にミレンへ照準を合わせており、「このタイミングならば確実に数十発はお見舞いできる」という機会を狙って引き金を絞っていた。
だが、数十発の弾丸など神族にはかすり傷だ。
「豆鉄砲みたいな弾丸をチクチク浴びせてきてと……ッ!」
そんな攻撃で私を倒せるとお思い!? とミレンも憤慨していた。
実際、大したダメージは期待できない。
急な通り雨に降られたような不快感しか与えられていないはずだ。
何発かは命中して貫通するか体内にめり込んでいるだろうが、そんなものは快感を操る過大能力で痛みも感じないだろうし、抜かりなく自己回復系の技能を走らせることで、即座にダメージ分を埋め合わせているはずだ。
傷口も銃創さえ残すことなく癒えている。
M134の火力を一点に集中させれば、身体の部位を吹き飛ばせる。ミレンの細い腰を狙えば、上半身と下半身を分断することもできるだろう。
しかし、そんな猶予をミレンがくれるはずもない。
そして、クロコの狙いもそこにはなかった。
対神族魔族用とはいえ小型バルカン砲など恐れるに足らない。
是非とも――そのまま勘違いしていてほしい。
こちらが勝利条件を満たすまで、その勘違いを続けてもらいたかった。
「本ッ当にあなたって人は……目障りな女ね!」
いつまでもクロコを絶頂死させられないもどかしさ。
痺れを切らしたミレンが激昂すると、快感の波動も快楽の触手も煽りを受けたように勢いづいた。今まで以上に回避行動に専念しなければならない。
攻め手を加熱させながらミレンは吠える。
「いつもいつも……私の前にいて! その万能振りを見せつけてくる!」
それは先ほどの恨み節よりも、真に迫る嫉妬の叫びだった。
「性愛の神の末裔だとか云々以前に……私は一人の人間として完璧でありたかった! 誰からも認められる十全な人間になりたかったッ!」
なのに――いつも目の前にはクロコがいた。
一事が万事、涼しい顔で何でもこなす才女がいる。
ライバル視したくても相手にされない。
何でもできる彼女の眼に、自分の姿は映っていなかった。
なのに周囲はよく似たクロコとミレンを比較して優劣を付け、クロコの万能振りを際立たせ、ミレンの至らなさを浮き彫りにしようとした。
それがミレンの妬みに火をつけたのだ。
「あなたみたいな変態と比べられる身にもなってみなさいよ!」
完璧で万能なのに――変態で人間臭い。
そのギャップがいいのか、不思議と目上の人間を惹きつける魅力となり、ゲームマスタートップの№00に目を掛けられたり、№03のお姉さまにも可愛がられ、延いてはレオナルド様からも寵愛を受けることとなった。
(※尚、レオ様は恥ずかしがり屋なので絶対にお認めにならない模様)
よく似た同類なればこそ、比較対象として挙げられやすい。
そこがミレンには我慢ならないのだろう。
「……………………はぁ」
クロコはこれ見よがしにため息をついた。
快感の波動を浴びながら逃げ回っているため、性感帯を刺激されっぱなしなので桃色吐息に聞こえるかも知れないが、ちゃんとため息である。
「事あるごとに突っ掛かってくる理由はそういうわけでしたか……」
ようやく本心を吐露してくれたので理解できた。
今までは建前を重視していたのか「好敵手と認める」みたいな、迂遠な言い回しをされてきたので、いまいちピンとこなかったのだ。
なので顔を会わせる度、適当に角を突き合わせてあしらうに留めていた。
変態め痴女め――そんな罵り合いもプロレスに過ぎない。
クロコ自身、ミレンの存在などほとんど眼中になかったのだから。
回避行動に注意しながらの反撃。
それに注力するクロコだが、はっきり聞こえるように答えてやる。
「私が変態……という点に関しましては認めましょう」
「そこは真っ先に否定するところじゃないの!?」
ミレンのツッコミを無視して、クロコも本音を明らかにしていく。
「ですが、この一点は訂正させていただきます」
それが本当の気持ちを明かしてくれたミレンへの礼儀である。
「この世で私ほど――万能という言葉から程遠い人間はおりません」
クロコが自身に下した評価がこれだった。
万能、の単語を完璧や完全に入れ替えてもいいと思っている。
クロコの自己評価は限りなく低いのだ。
「なっ……ッ!?」
目の敵にはすれども、その敵わない実力を認めていたミレンは絶句。眉を釣り上げて反論しようとするが、機先を制してクロコは続ける。
「私は、単に器用というだけに過ぎません」
高速機動の戦いを繰り広げつつもメイドは心情を語り出した。
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確かに、クロコはどんな仕事にもそつなく対応できる。
やろうと思えば、大概のことは過不足なくできた。基本的なことさえ抑えてしまえば、応用性と適応力を駆使すればお茶の子さいさいだった。
どんな道でも一流になれるが――超一流には程遠い。
大抵の道で生きては行けるが、プロフェッショナルにはなれないのだ。
いわゆる器用貧乏というやつである。
おまけに自分自身のやりたいことが見つからず、何がしたいのか? 何をするべきなのか? どうすればいいのか? と思い悩む毎日だった。
何でもできるけれど――何ひとつ成し遂げられない。
これがクロコの自己分析だった。
学生時代はとにかく右往左往したものだ。
SM倶楽部でバイトをしたのも、そんな足掻きの一環のである。
エロス全般を愛して已まないのは主食も同然。水商売や風俗といった性を商売とする道も考えたことはあるが、あまり気乗りはしなかった。
変態は趣味――趣味を生業にしたくはない。
矜持でも自尊心でもなく、信念みたいなものがそう騒いでいた。
思い悩んでいるうちに年月を重ね、いつしか大学も卒業して社会人となる年齢になったクロコは、遠縁だという女性から縁故就職を勧められた。
GM №03 マリア・ナムゥテール。
彼女に導かれるまま、世界的協定機関ジェネシスに就職した。
そこで運命的な出会いを果たすことになる。
GM №07 レオナルド・ワイズマン。
彼と初めて出会った日、何故かクロコは失敗の連続だった。
その度にレオナルド様に粗相を働いてしまい、俗にいうラッキースケベを連発させてしまった。エロスに関する恥じらいはクロコには無縁なものの、初対面の男性に盛大な失礼をしたことを認め、謝罪を繰り返すばかりだった。
レオナルド様も「自らの落ち度」と言ってくれたが、そんなことはない。
しくじりの原因、その一切はクロコにあった。
だからクロコはラッキースケベを伴うトラブルでレオナルド様に迷惑を掛ける度、その失敗を取り繕うべく手を尽くした。
端から見れば奉仕と間違われかねない献身ぶりだった。
その過程で――クロコはやり甲斐を感じた。
敬うべき方への奉仕する、従事することに喜びを覚えてしまったのだ。
覚醒への道を拓いていただいた心地である。
――クロコのやりたいこと。
それはクロコが敬意を払うべきと認めた方々のため、影となり日向となってお力添えすること。特に超一流のプロフェッショナルな御方をお支えしたい。
メイドや執事に如く――主人のために奉仕する。
誰かに奉仕したい気質、そんな自分の資質に気付けたのだ。
レオナルド様はうってつけの御方だった。
賢者を名乗るに相応しい、いずれ超一流の軍師になられる御方。
以来、彼を「運命の男性」と勝手ながら決めつけさせてもらい、ストーカーよろしくつけ回した挙げ句、爆乳特戦隊の一員となったのだ。
当初はレオナルド様への奉仕に一生を捧げるつもりでいた。
やがて――その考えを改める日が来る。
ある日、異世界転移の説明をレオナルド様から受けた時のことだ。
『真なる世界を導く者がいるなら──それは内在異性具現者の誰かだ』
『GM? 話にならん、俺たちには無理だよ』
『GMは有能なだけ……俺を含めて、王になれそうな器量を持つ者など1人としていない。それを見越した人材しか集められてないからな』
『GMの役割? いいとこ軍師くらいだろう』
『おまえも内在異性具現化者の監視を仰せつかったのか……』
『ならば、その人物をよく見極めておけ』
『ひょっとするとその人が――真なる世界を導くかも知れん』
この言葉がクロコの胸に奇妙なほど突き刺さった。
後日――これが運命だと思い知る。
やがてVRMMORPGの運営が開始された。
クロコもレオナルド様やマリアとともにGMの職務に就く。
その際、アバターの衣装をクラシカルなメイド服に設定した。これは自らの奉仕欲求を自覚したためであり、主人を求める無意識の表れでもあった。
そんなクロコに最高の出会いが訪れる。
クロコが監視すべき内在異性具現化者――ツバサ・ハトホル。
その恋人にして妹分にして娘同然の――ミロ・カエサルトゥス。
邂逅した瞬間、クロコに電流が走った。
初対面からデレデレなのも印象が悪いため、デフォルトの澄まし顔で有能なゲームマスターを装うも、心の中はトキメキが大暴走していた。
この御方たちこそ――クロコが忠誠を尽くすべき主人。
女の直感が猛烈に訴えてきたのだ。
それでもクロコはできる女、勘だけを盲信する下手は打たない。
クロコの役目のひとつは内在異性具現化者の監視。
ツバサ様たちには迷惑を掛けないよう任務を遂行した。おはようからおやすみまで、彼女たちがログイン中はひたすら追随させていただいた。
レオナルド様へのストーカー経験が役立ったものだ。
その過程で――直感は確信へと変わる。
度量、才覚、心構え、器量、人格、胆力、包容力、カリスマ性……。
ツバサ様もミロ様も申し分ないものを備えられていた。
彼女たちこそが真なる世界を切り拓く新たな指導者であり、クロコが終生の忠義を捧げるに値するご主人様だと確信できたのだ。
『ひょっとするとその人が――真なる世界を導くかも知れん』
レオナルド様の言葉を実感させられた。
こうしてクロコは、ようやく天職と巡り会えたわけだ。
いずれレオナルド様には結婚的な意味で、旦那様としてお仕えする。
こちらは完全に私事だ。
ツバサ様が率いるハトホル一家へは永久就職する。こちらは公務といってもいいかも知れない。最近、ハトホル太母国となったので尚更だった。
こうすれば公私ともに主人へご奉仕できる。
誰かに仕えたいクロコの将来設計図はここに完成した。
何でも1人でできるなら――誰もいらない。
褒められることもなければ、叱られることもない。嬉しいから励もうという気持ちも湧かないし、悲しいから努めようという再起の念も生じない。
クロコが欲しいのは心を焚きつけるもの。
信頼できる人々との絆、と言い換えても差し支えないだろう。
褒められるのが嬉しいのは勿論だが、叱られることもクロコは喜びとすることができた。無論、マゾ気質というのも手伝っているが、叱られることで至らない自分をもっと高められる、努力の糧にできるからだ。
自分のためと誰かのために尽力する。
いつか自らも超一流の高みへ手を伸ばすために……。
それはそれとして――ツバサ様は至高の主人と尊敬していた。
クロコのサド気質を十二分に満たしてくれるほどのセクハラをしても、スキンシップ扱いで大目に見てくださる。度が過ぎれば拷問級のお仕置きで、クロコのマゾ気質を喜ばせるほどイジメていただける。
SとM、どちらも存分に満足できる機会を与えてくださるのだ。
おかげで無限ループが螺旋を描いて上昇が止まらない。
そして、時折ちゃんと褒めてくださる。
ミロ様とは様々な趣味嗜好で共鳴ができ、ツバサ様へのセクハラでは恐ろしいまでのは相乗効果を覚えるので他人とは思えないくらいだった。
当然、ツバサ様と同格に尊び敬っている。
レオナルド様とは添い遂げるとして、ツバサ様とミロ様の最強夫婦には生涯お供する所存だ。万が一にはこの身を挺する覚悟もできている。
普段どんなに巫山戯ても――捧げた忠誠心は本物なのだ。
~~~~~~~~~~~~
「……ゆえに私は御先神という道を選んだのです」
クロコは大きい爆乳を誇示するように堂々と胸を張った。
主人を選ばなければならない神――御先神。
奉仕気質のクロコには、まさにお誂え向きの神族だった。
互いに小型バルカン砲を所構わずぶっ放したり、過大能力による快楽の波動をやたらめったら広げたりと、傍迷惑な戦いを続けるメイド2人。
戦いの手を止めることなく、クロコは自分語りを終えた。
話を聞き終えたミレンの額には、ビッシリと怒りの青筋が浮き彫りになる。
「それってつまり……惚気話ですよね?」
最高の彼氏とご主人様と天職に巡り会えて幸せです――みたいな?
ミレンの意見にクロコはきょとんとした顔で一言。
「ええ、概ねその通りですわね」
「死ぃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええぇぇぇええええーーーーッッッッ!!」
裂けるほど口を開き、過去最大の怒声をミレンは轟かせた。
アカン――掛け値なしのガチギレや。
思わずクロコの独白も関西弁になってしまった。
元より挑発する目的でクロコの本心を語らせてもらったのだが、ここまで煽ってしまうとは思わなかった。本当、敵愾心を滾らせていたらしい。
快感の波動が苛烈さを増したのは言うまでもない。
快楽の触手も増えすぎてわけがわからなくなってきている。
触手と粘液で背徳的なエロシナリオとマッチングされやすい、あのクトゥルフ神話においても、ここまで触手ウネウネの邪神はいないのではなかろうか?
後でこっそり次女様と三女様に伺ってみよう。
(※フミカとプトラは読書家、海外ホラー小説大好き)
それくらいの猛追撃を仕掛けてくる。
のみならず、ミレンは思い出したように武装を取り直した。
「あんたは……本気で気に入らないのよクロコぉぉぉぉぉぉぉーーーーッ!」
ミレンは物静かなキャラという設定を忘れて怒号を上げる。
重火器が仕込まれた――超巨大モーニングスター。
快感を統べる過大能力を発動させてからは、傍らに転がしておいたものを再び手に取り、クロコへ叩きつけるべく振り回してきた。
高速で宙を薙ぐ棘付き鉄球と、縦横無尽に発射される銃弾。
悦楽を引き起こす波動や触手も勢力を増すばかりだ。
「何やら弾幕ゲームの様相を呈してきましたね……」
飛んでくる弾丸をギリギリで躱すことを“グレイズ”と呼ぶのだったか? そのテクニックを見習うように、紙一重の回避を心掛けていく。
そうでもしないと避けきれなかった。
こんな息もつかせぬ全方位攻撃、そう長く続くものではない。
ミレンのスタミナが先に尽きるのではないかと期待したのだが、快感を操ることで疲労などの苦しみも感じないように遮断しているらしい。
彼女自身、精根尽きるまで止まるつもりはない。
クロコの息の根を止めるまで――。
だとすれば、こちらもミレンを完全無力化まで持っていくしかない。
「……そろそろこちらも手を打ちますか」
仕込みは上々、勝利のための下拵えは準備万端に整えていた。
決着をつけますか――決断したその時だった。
足下の砂場から鬼気迫るものを感じたクロコは、咄嗟にその場から大きく飛び退いた。この時、逡巡していたら間に合わなかっただろう。
砂塵を巻き上げて現れたのは、ミレンが手繰る快楽の触手だった。
迂闊――クロコも誤誘導させられていた。
快感の波動も快楽の触手も、地上にあるものがすべてと思い込んでいた。どちらも実体を持たない幽体に近い存在にもかかわらずだ。
実体がなければ地中に潜らせるのも容易かろう。
密かにミレンは地下へも快感の根を張り巡らせていたらしい。
砂場と化した地下から現れた触手は蜷局を描く。
それを閉じることでクロコを捕らえようとしたらしいが、すんでの所で避けられたので問題はない。ただし、飛び退いた先が安全とは限らなかった。
狙ったように棘付き鉄球が飛んでくる。
反射的に小型バルカン砲を交差させて、頑丈な砲身を盾代わりにする。
吹き飛ばされた先は――袋小路だった。
砂をも快楽で湧かせて塵に変える触手の群れ。
それは壁となって逃げ場を塞ぎ、クロコの包囲を完成させた。悦楽のトドメを刺すべく、クロコを絡め取ろうと快楽の触手が群がってくる。
「――殺ったッ!」
勝利の歓声を上げるミレンに対し、クロコは無念も露わに呟く。
「……しくじりました」
死を覚悟したクロコは目を閉ざした。禍々しくも蛍光色が強いピンクに染まった快楽の触手に集られる場面を見たくなかったからだ。
肌に触れただけで精神が沸騰しそうになる。
胎内の奥までかき混ぜられるような、未経験の快感に身悶えながら――。
「…………オエェェェェェェェェェェッ」
「どうして未曾有の快楽を味わってるのに嘔吐いてるんですか!?」
ミレンにもツッコまれたが、クロコは吐いていた。
嘔吐するヒロイン――略してゲロインになってしまったのだ。
映像化されたらモザイク不可避のレベルだ。真っ青な顔で滝のように吐瀉物を吐き出した。ほんのりハトホルミルクの香りが立ち上る。
心身に強化を掛けるため、戦闘前にこっそり飲んでいたのだ。
……なんと勿体ないことを!!
予想外のリアクションにミレンも反応に困っているようだ。
発狂しそうな快感と、内蔵ごと洗浄したい吐き気。
この2つに苦しめられるクロコだが、この瞬間を見逃すのはあまりに惜しいので、両手に力を込めると左右の小型バルカン砲をミレンに向ける。
ありったけの砲煙弾雨をご馳走してやった。
究極の快感で悶死するはずのクロコが嘔吐で苦しむも、まさかの反転攻勢に打って出たことに動揺したミレンはしこたま弾丸を浴びていた。
弾丸の雨を浴びたまま、ミレンは忌々しげに睨んでいる。
「……ど、どういうことですか!?」
私の快感が届いていない!? と懐疑的だった。
その間もクロコからの掃射を食らっているのだが、途中でダメージ率がバカにならないと気付いて防御を始める。
棘付き鉄球を盾にして、クロコの火線上から逸れたのだ。
だが最後の一押しになるほど大量の弾丸を浴びせられたのは、思い掛けない成果である。おまけにミレンとの相性も知ることができた。
性格だけではない――能力面でも双方の相性は最悪だった。
「ふぅ……出すもの出したらスッキリしました」
「卑猥なオッサンみたいなセリフ言うんじゃないの!?」
ハンカチを取り出して汚れた口元を拭いながら思ったままを口にしたら、ミレンからツバサ様みたいなお説教されてしまった。
気持ち悪さと快感が相殺され、絶頂死も免れたらしい。
戦争に参加するということで、今日は珍しく勝負下着を身につけていたクロコだが(普段はあまり下着をつけませんので)、ショーツの方がやばいことになっているので、性的な喜びを感じることは感じているようだ。
しかし、我を見失うほどではない。
ミレンが狙っている、快感による絶頂死には程遠い。
快感を打ち消すほどの嫌悪感がある時点で思惑とは異なるはずだ。
「一方的に与えられる快楽のなんと気持ち悪いことか……」
「どうして……私の過大能力をまともに受けて平然としていられるの!?」
あり得ない! ミレンは断言する。
そう、本来ならば過大能力には抗えない。過大能力に対抗できるとすれば、同じ過大能力のみなのだが、クロコとミレンの間では特例が働いたらしい。
種族と職能――これらが絶妙に噛み合っていた。
ミレンからすれば最悪の食い合わせだろう。
どちらも距離を置いたまま、小休止を挟むように手を休める。
「私の神族としての種族は御先神です」
枯れ果てた砂の大地は凪いだように風がなく、クロコがミレンの過大能力を浴びた感想を述べる声がよく響いた。
「御先神は自らが選んだ主人に従属しなければ、存在すら維持できなくなるというデメリットを背負う神族。反面、主人に恵まれてそのために働くことへ喜びを覚えれば、底無しの強化を授かることができる神族です」
クロコの忠誠心は絶対である。
ツバサ様、ミロ様、レオナルド様……四神同盟の方々。
彼らに捧げた奉仕の精神に嘘偽りはなく、その見返りの如くクロコは主人たちから多大な喜びを頂くことができた。
具体的に言えば――お仕置きさえもご褒美です。
SMどちらもイケる口のクロコの性癖はリバーシブルだ。
ツバサ様の男心を散々に嬲るようにセクハラして、サド気質を満足させることもできれば、そのことでツバサ様よりお叱りを受けてフルボッコになるまで折檻されても、マゾ気質により至福の一時として味わえてしまう。
ツバサ様たちから与えられる――数多の刺激。
それがクロコにとって極上の快感を引き起こす引き金となっていた。
「ですので、それ以外の快感はお断り申し上げております」
もはやツバサ様から拷問さえも生易しいと思える折檻か、レオナルド様に抱いていただくとこでしか満足できないこの肉体……。
その他は体質的に受け付けないレベルにまで調教されていた。
「……そ、そんな理由で効かなかったというの!?」
「まったく効かないわけではありません。多少なりとも効果はありました」
ほら、とクロコはメイド服のスカートを少し捲る。
ガーターベルトで吊ったタイツで飾られる嫋やかな脚線美。そこにとろみのある液体がまとわりつき、秘書から漏れた愛液の滴で濡らしていた。
「性的な気持ちよさはあります……ですが、絶頂死するほどではございません」
むしろ攻撃の一種と判定されるらしい。
もうひとつ、職能における相性もあるようだ。
「ミレンもメイド、クロコもメイド――つまり同業のお仲間です」
既に述べた通り、クロコは御先神だ。
主人からの対応ならば、褒められることも叱られることも喜びにできる。主人に連なる家族や親族とのやり取りでもそれは変わらない。
だが、同系統の職能を持つ人物はこれに当てはまらなかった。
メイド、執事、従者、従僕などの職能である。
無論、こうした従属系の職能でも序列はあるので、上司に当たる方がいれば話は別なのだが、クロコもメイド長ならばミレンもバッドデッドエンズ内でメイド長に近い立場にあったらしい。
同等の立場ならば――御先神の恩恵は働かない。
お褒めの言葉も昂揚するまで心には響かず、お説教されても快感を覚えることはなく、本気で折檻されたら痛いし苦しいし泣いてしまうだろう。
これらは既に実証済みである。
タイザン府君国 メイド長 ホクト・ゴックィーン。
彼女もまたメイド長という職にある。
だから御先神の恩恵が適用されなかったのだ。
ツバサ様の新しいお召し物を仕立てる際、セクハラ問題で彼女からお仕置きを受けた時は、冗談抜きで死を覚悟したくらいである。
(※第357話参照)
同業種であるミレンからの攻撃は、それがどれほどの快感をもたらすものでも、御先神であるクロコには受け入れがたい害悪と判断されるらしい。
「能力と職能と種族――これらの妙が最高だったわけです」
「私にしてみれば相性最悪ってことじゃないの!?」
ミレンは息巻くものの、クロコからすれば想定外の幸運だった。
集中力が掻き乱される快感と、それを帳消しにする激烈な吐き気に見舞われこそるが、快感で死ぬなどといいう恥を晒さないで済む。
どうせならば腹上死、それもツバサ様かレオ様にお願いしたい。
即死を防げるだけでも大助かりである。
だが、ミレンは一向に諦める様子がなかった。
苛立ちを煮詰めた表情で爪を噛むも、閃いたような顔で問い掛けてくる。
「そう……一発KOはできない、そういう認識でよろしいかしら?」
「間違ってないと思われます」
わかったわ……ミレンは意味深長にほくそ笑む。
「ならば! あなたが死ぬまで徹底的にやってあげるわ!」
巨大モーニングスターを振り回すのは止めないし、一度は矛を収めた快感の過大能力を再始動させて、波動や触手をこちらへ送り込んでくる。
「それなりに絶頂は迎えているようだし、神族の肉体が嘔吐するほどの不調を味わっているわけでしょう!? だったら、あなたが弱りに弱って、ろくに反撃ができなくなるまで追い詰めてあげるわ! そうしたら……ッ!?」
舌鋒を奮うミレンの言葉が途切れた。
クロコが武装していた小型バルカン砲を放り捨てたからだ。
戦闘を放棄するような行為に目を丸くする。
手から離れた2挺の機関銃は、そのままクロコの道具箱へ格納されていく。手ぶらになったクロコは、メイド服にまとわりついた戦塵をはたき落とした。
軽く身繕いをしたクロコは宣言する。
「ミレン・カーマーラ、この勝負……あなたの負けです」
降参なさい――命令するように勧告した。
「……冗談としたら笑えないわね」
ツッコミもなしよ、とミレンは冷笑を浮かべた。
だが、自信ありげなクロコの素振りに一抹の不安を隠しきれないのか、冷笑を形作る口元は引きつり、一筋の冷や汗が頬を伝っている。
クロコは説得材料を並べていく。
「私の過大能力は【舞台裏を切り盛りする女主人】といいます」
実演するべくクロコは能力を発動させた。
窓、扉、門……亜空間へ通ずる大小の出入り口が出現する。
「道具箱を【舞台裏】とすることで収納面積を拡張するとともに、本来ならば当人は入れない道具箱の亜空間へ出入りできるようになるものです」
この過大能力――最大の利点は出入り口にある。
能力者を起点にして、直径数㎞内のどこにでも開くことができるのだ。
「小さな窓として開くこともできれば、人が通り抜けられる扉、車両くらいなら行き来できる門までと、出入り口のサイズも自由自在です」
「数㎞内なら神出鬼没に行動できる……とでも言いたいのかしら?」
「それもまたこの過大能力の優位性です」
だが、どんな過大能力であっても万能とは言い難い。
「私の過大能力でも、出入り口を設けられない場所がいくつがございます」
たとえば――防御結界を張り巡らされた空間。
これは程度によるものの、大抵の場合は空間を乗り越えられないよう念入りに防衛線が引かれているため、それを越えることは難しかった。
「そして――他者の体内です」
体内? と聞いてミレンは眉を震わせる。
悪い予感でもするのか、無意識に腰が引けているようだ。
構うことなくクロコは淡々と自らの過大能力の欠点を論っていく。
「免疫機構でも働くのか、自己防衛本能に阻害されるのか……どんなに小さな窓であろうと、他人の身体の内側に出入り口を設けることは適いませんでした」
もしも可能ならば、体内からの相手を破壊することができる。
防御も回避も難しい凶悪な攻撃方法となるだろう。
「ですが――何事にも抜け道はございます」
ひとつだけ、と強調するようにクロコは人差し指を立てた。
「他人の体内へ、私の過大能力を通わせる術がございます」
「まさか、それって……」
ミレンは思わず、片手で二の腕や腹部を擦っていた。
そこにはもう傷跡さえ見当たらないが、ほんの少し前にクロコが浴びせかけた小型バルカン砲による銃創があったはずだ。
神族の肉体回復力と、様々な技能によって傷は完全に癒えている。
だが、体内にはかなりの弾丸が残っていた。
どうせクロコとの戦いが終われば、遅かれ早かれ破壊神に世界ごと滅ぼしてもらえる。だから取り出さなくてもいいと放置していたのだろう
その安易な考えが命取りとなるのだ。
「相手の体内に私の意志が介在した物体があればいいのです」
たとえば――撃ち込んだM134の弾丸。
「そして、お気付きではないのかも知れませんが……小型バルカン砲の砲火を浴びせる度、あなたの周囲に小さな窓を開いて別の物も撃ち込んでおきました」
あれらの斉射は煙幕も兼ねていたのだ。
パチン、とクロコは指を鳴らす。
その途端、ミレンも右腕が内部から爆発した。
「……ッぎゃあッ!?」
濁音交じりの悲鳴を上げて、ミレンは得物を取り落とした。
二の腕をほとんど吹き飛ばす衝撃は肉を抉り、骨を剥き出しになるほどの重傷を負わせる。もう巨大モーニングスターの鎖を操ることもできまい。
「か、火薬……いえ、爆弾ッ!?」
「超小型化に成功した超高性能爆薬でございます」
M134の実弾に偽装したものである。
製造された長男様と次女様のご夫婦コンビは、やれヘキサニトロヘキサアザイソウルチタンとかオクタニトロキュバンなどとやたら長い名前を仰っていたが、使用する者からすれば「破壊力抜群ならOKです」だった。
小型バルカン砲の弾幕を目眩ましに、いくつも忍ばせておいたものだ。
クロコは指を鳴らす構えのまま冷徹に繰り返す。
「もう一度だけ勧告します――降参なさい」
さもなければ全身の要所に仕込んだ超高性能爆薬を爆破し、弾丸を媒介にして窓を開くことで体内からのゼロ距離射撃を敢行する。
口にせずともミレンには伝わるだろう。
クロコとて人の子――それもツバサ様たちに忠義を尽くすメイドだ。
愛や平和を尊ぶ心は人一倍持っている。
バッドデッドエンズとはわかり合えない、と戦争前から注意されてきたが、それでも無闇な殺人に手を染めたくはない。情報網から「投降者が何人かいる」との報告を受ければ感化されてしまう。
犬猿の間柄とはいえ知った仲、できれば手に掛けたくはない。
これがクロコなりの最大の譲歩だった。
相打ち覚悟で反撃に出るか? それとも……。
ミレンが選んだのは――全速力によるこの場からの逃走だった。
巨大モーニングスターを嫌がらせのようにクロコへ投げつけながら、なりふり構わずの大脱走だ。快感を統べる過大能力も引っ込めている。
逃げる脚力に全身全霊を注ぎ、他へ回す余力も惜しんでいた。
「ロンド様ロンド様ロンド様ロンド様ロンド様ロンド様……ッ!」
主人の名を連呼して、脇目も振らず逃げていく。
血走った瞳は「こんなところで死にたくはない! どうせ死ぬならば破壊神様の手で滅ぼされたい!」と口より雄弁に物語っていた。
彼女は性愛系の神族であるとともに、誰かに従属する気質を負っていた。
その従属すべき相手が他でもないロンドなのだろう。
死による解放を喜びとするミレンにすれば、この世界を滅ぼす力を有する破壊神の手で幕を下ろされることが最高の喜びに違いない。
その我武者羅な様に、クロコは少なからず同情の念を寄せた。
ツバサ様、ミロ様、レオナルド様……。
彼女たちへお慕い申し上げる自分の姿を重ねてしまう。
ミレンは逃げながら必死で身体中を掻き毟っている。
撃ち込まれた弾丸や、密かに埋め込まれた超高性能爆弾を取り出そうと躍起になっているのだ。残念ながら、それを見過ごすことはできない。
「あなたも十分な脅威となることが判明しました」
さすが最悪にして絶死をもたらす終焉、その三大幹部の一人。
単身にて世界を滅ぼす力は十分に持っている。
「我が主ツバサ様のためにも、世界への脅威は排除させていただきます」
パチリ――無慈悲にクロコの指が鳴る。
次の瞬間、ミレンを中心に大爆発が巻き起こった。
彼女の過大能力で砂漠とした一帯を爆熱が暴れ狂い、砂を溶かしてガラス質に変える輻射熱が辺りを総ナメにする。
クロコのメイド服も容赦ない熱風にはためく。
爆発の火柱は天高く立ち上り、流れ行く雲の群れを吹き飛ばした。
後に残るのは漆黒に染まるクレーター。
爆発の熱量はいかほどだったのか、土も砂も溶けて陶器のように硬質化するまで焼かれていた。まるで巨人のための大皿を焼いたかのような有様だ。
そのクレーターの中心、爆心地に蠢くものがあった。
「ロッ、ロンド様……ロン……ド様……ッ様!」
ミレンは辛うじて息を繋いでいた。しかし、もう虫の息である。
半欠けの頭部と左肩から左腕――。
それだけしか残っておらず、それらの部位も爆発に巻き込まれて骨と黒焦げの筋繊維を残すばかり。フレンチメイドの面影はどこにもない。
唯一、無傷だった右の瞳から涙を流していた。
「ろ……ん……ど、様……ろぉ……」
主人の名前をひたすら呟く声は、どことなく恍惚の音色を帯びる。
恐らく、彼女の及ぼす快感は自他を問わないはずだ。
もはや死に体であろうとも、いいや死に直面した痛みさえも快感に変換することができるのかも知れない。でなければ、あんなゾンビ顔負けの状態になろうとも、嬌声にしか聞こえない喘ぎを上げられるわけがなかった。
「嗚呼……こ、れが……待ち望んだ……死の……快楽ぅ……」
炭化した筋肉が零れ落ちていく。
骨だけになった腕が硬くなった地面を掴もうとする。
「でき、るなら……ロンド様の手で……味わい、た、かった、の、に……」
こんな終わり方なんて……と剥き出しの歯茎で無念を綴る。
少しでも主人の近くへ行こうとして、残骸に鞭打って前へ進む。
「…………ロンド、様ぁ……ッ!」
今際の際に主人の名を呼ぶ声は夢見心地に聞こえた。
やがて骨すらも砕け散り、戻ってきた風に吹き散らされて消えていく。
ミレンの最期をクロコは見届けた。
「愛するご主人様の下へ行きたいですか……わかりますよ、その気持ち」
クロコは寂しげに眼を伏せる。
彼女と同じ境遇に陥れば、クロコも同じ行動を選ぶはずだ。
そういう意味では似た者同士なのかも知れない。
彼女がクロコを毛嫌いした理由も、同族嫌悪のようなものだ。
眼を伏せたまま背を向けると、クロコは改めて2挺の小型バルカン砲を左右の腕に装着する。こんなところで感傷に浸っている暇はない。
戦争はまだ終わる気配すら見せないのだ。
四神同盟に仕えるメイドとして、成すべき仕事はたんとある。
まずは一匹でも多くの巨獣を駆除することだろう。
塵も残っていないミレンに背を向け、クロコは手向けの言葉を贈る。
「能力に溺れましたね……この場合、快感でしょうか?」
能力も快感も――溺れるものではありません。
「どちらも我が物とするのが肝要、と私は考えております」
もっとも――それが難しいのですけれどね。
私見を言い残して、クロコは振り切るようにその場から飛び立った。
もはや守護神と破壊神の盤上はどこにもない。
何処かにある№03のコインは燃え尽きるように消えていく。
そして、№20のコインの行方は杳として知れない。
ここに最悪にして絶死をもたらす終焉は壊滅した。
世界の終わりを夢見た破滅主義者たちは、その瞬間に誰一人として立ち会うことは叶わず、悪戦苦闘の果てに自らの終わりを迎えたのだ。
残すところは――破壊神ただ一柱のみである。
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