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第18章 終わる世界と始まる想世
第430話:我は来たりて業を伝えん
しおりを挟む誰しも無軌道な日々を送る時期はあると思う。
自分探しに勤しむか、路地裏でケンカに明け暮れるか、部屋に引き籠もって煩悶を繰り返すか、あれやこれやと片っ端から挑戦するように手を出すか。
その時期を何に費やすかは十人十色だろう。
無軌道な日々にも個人差が出るはずだ。
それが三日で済む場合もあれば、死ぬまで引き摺ることもある。そこは人それぞれに個性なのか天命なのか、それこそ人生といえるのかも知れない。
この無軌道な日々がセイメイには二度あった。
一度目は小学生の頃――。
腕力、脚力、体力、運動神経、反射神経……あらゆる面で同世代どころか大人をも凌駕する超常的な身体能力。
その力でお山の大将を気取り、あっという間に孤立してしまった。
幼いセイメイは孤独の寂しさに苦しんだものだ。
その寂しさを解消しようと空回りした、無軌道な日々である。
後に世之介叔父さんから聞いたことだが、この常人離れした力は久世一族の運命であり、龍を斬ってきた来歴ゆえの宿命であるという。
――龍の血には不思議な力がある。
どこかでそんな話を小耳に挟んだことはないだろうか?
博覧強記娘が詳しいのだが、もっとも代表的な例はゲルマン神話に登場する龍殺しの英雄ジークフリートが上がるらしい。彼はドラゴンを殺してその血を浴びることで、不死身の肉体を得たとされている。
(※正しくは「角のように傷つくことのない頑丈な皮膚」だとのこと。また、龍の血を背中だけ浴びてないため、そこが弱点になってしまった)
歴代の久世家当主は龍を斬り殺してきた。
これは比喩でも何でもなく、異世界アガルティアにて天災のように猛威を振るう龍を退治してきたのだ。この際、どうしても返り血を浴びる。
人知を超えた存在である龍の血をたっぷりと……。
龍の血は倒した者に恩恵をもたらす。
不老長寿や無病息災なんて序の口、不死身に近い肉体となる。
まさにジークフリートの再来だ。
ところが龍を殺してその血を浴びるなんて真似を何世代にも渡って続けてきたものだから、久世家の末裔はその影響をもろに受けていた。
常人離れした筋力――尋常ならざる肉体機能。
生まれながら英雄の資質を備える強者の血筋になってしまったのだ。
戦闘民族という言葉に偽りはない。
それも龍を斬ることに特化した狩猟民族である。
だからなのかセイメイの曾祖父である久世豪左衛門など、今年で齢100歳近いというのにピンピンしており、まだ筋骨隆々で老いを感じさせない。
母の美空もアラフォーなのに美魔女である。
世之介叔父さんとマイア叔母さんなんて50代近いのに、外見だけならセイメイより若々しいのだ。叔父さん叔母さんと呼ぶのが心苦しくなる。
(※マイア叔母さんも戦闘に巻き込まれて龍の血を浴びたそうな)
セイメイの強さも久世家の血に由来するわけだ。
先祖が浴びてきた龍の血のおかげといえばそれまでだが、この話を世之介叔父さんから聞いた時は、「生まれる前からチートされてた」なんて気がしないでもなかったので、ちょっと複雑な気分になったのを覚えている。
『生まれつき恵まれた奴なんてごまんといるぞ』
当時は少年らしく「ズルやチートは良くない」的な愚痴を漏らしたセイメイを、世之介叔父さんはそんな風に諭してくれた。
『そんな生来の恩恵をだ、満足に使えないまま死んでいく奴だって掃いて捨てるほどいるんだ。最初から良いもんを持っていると自覚できたなら上等じゃないか、それを使い潰すくらい自分のものにしてみろ』
いずれご先祖様にも感謝するさ、と世之介叔父さんに背中を叩かれた。
大人になると叔父さんの言葉を理解できる。
子供の頃は他人との違いに疎外感を味わったものの、成長するにつれて自分がどれほど恵まれているかを実感できた。
果てない強さの高みを目指せる、無窮の鍛錬にも耐える肉体。
怪我や疲労はすぐに回復する再生能力、鍛えれば鍛えた分だけ応えるように強靱となる筋組織、研ぎ澄ますほど鋭敏になる反射速度……。
こういった有り難さを、セイメイはゆっくり噛み締めていった。
幼少期に苦しんでいた孤立感も、恋女房ジョカと姉弟みたいにそっくりな無二の親友“美影纏衣”のおかげで解消されたので事なきを得た。
(※第97話「第97話:決戦準備~大剣豪の交わした約束」参照)
本当、この2人は血縁みたいによく似ている。
一度そのことをジョカに打ち明けたのだが、どういうわけはジョカは照れ臭そうに頬を赤らめ、気まずそうにそっぽを向いてしまった。
『あっ、うん、その人は……僕の遠~い親戚というか、血は繋がってないけど心は繋がってるというか……姉弟と変わらないかもね』
なんだそりゃ? とセイメイは首を傾げるも追求はしなかった。
何かしら秘密があるのかも知れないが、時が来ればジョカから話してくれるだろうと詮索は控えておいた。いっそ姉弟と決めつけてしまおう。
これがセイメイにとって一度目の無軌道な日々。
二度目の無軌道な日々は、久世一心流を受け継いだ後の話だ。
世之介叔父さんの手引きもあり、異世界アガルティアへ召喚という形でお招きに預かると、マイア叔母さんが女王として治める王国クインザリアへ襲いかかってきた暴れん坊な龍を一刀のもとに斬り伏せた。
どうもクインザリアという国は、定期的に龍の襲撃に遭うらしい。
歴代の久世家頭首はこれを斬ってきた。
元々は久世家の祖先である剣豪・天魔凄鳴が初代クインザリア女王にとても恩義があるそうで、その恩に報いるため「龍がやってきたら必ず助太刀に参る」とかなんとか約束を交わしたという。
久世家はそれを子々孫々と律儀に受け継いできた。
歴代の頭首もまた強くなれれば地獄での荒行も厭わない戦闘狂ばかりだったので、龍と戦える日を心待ちにしていたそうだ。
……そう考えると一族総出で龍殺しなのかも知れない。
かくして、セイメイ・テンマこと久世慎之介も龍を斬り終えた。
これにて久世一心流も免許皆伝。
引退したいとぼやいていた母に代わり、久世家頭首の座を受け継いだのはいいのだが、セイメイは何をどうすればいいのかわからない。
曾祖父も、両親も、世之介叔父さんも、特に何も指示してこない。
おまえの好きにしろ、と言わんばかりの放任主義である。
ここから無軌道な日々の第二弾が始まった。
『強さを求めることに理由はいらない。だが、剣を執るには理由が必要だ』
世之介叔父さんが教えたい信念は伝わってくる。
だが、未熟だったセイメイは正しく理解できずにいた。
久世家の跡取りとして受け取りはしたものの、噛み砕いて咀嚼できないまま口に入ってるみたいな感じだ。栄養として自身に吸収できていない。
まず具体的な将来に戸惑ってしまった。
久世一心流の後継者は龍を斬る剣を学び、異世界アガルティアに召喚されて王国クインザリアを襲う龍を斬る。これにて免許皆伝を許される。
それから――どうすればいい?
龍を斬るのは到達点ではない、あくまでも通過儀礼なのだ。
世之介叔父さんは自らの『剣を執る意味』を、愛妻であるマイア叔母さんが治める王国クインザリアを終生守ることに見出していた。
愛や忠誠に剣を捧げる――それもまた武士道であり騎士道である。
弱きを守ることに剣士の誉れを見つけることもあるだろう。
免許皆伝後、しばらくクインザリアに滞在して世之介叔父さんを手伝いながらドラゴン退治などをしてみたが、どうにもしっくり来なかった。
――これは自分の役目じゃない。
セイメイの剣を執る理由はこの異世界にはない。
漠然と悟ったセイメイは、現実世界の日本へ帰ってきた。そこで新たに自らが剣を執るに足る理由を探し、青春時代を迷走していくのだった。
大学進学も忘れて、実家に寄生するニート生活。
せめてバイトくらいしろ! と母にせっつかれた際、曾祖父から昔の伝手で剣の腕を活かせる仕事をいくつか勧めてもらった。
ただし、真っ当な働き口ではない。
超VIPの護衛、暴力団の抗争の助太刀、揉め事を力業で解決……。
そして――危険人物の誅殺。
まだ二十歳にもならない小僧だったセイメイだが、日銭を稼ぐため(あと口うるさい母に穀潰し呼ばわりされないため)働くことにした。
裏社会という真っ当ではない場所でだ。
殺伐とした日々を送りながらも、セイメイは剣を執る理由を探した。
しかし、そもそも何者も相手にならない。
龍を斬れるのならば――人を斬るなど容易いこと。
屠龍の技を極めた久世一族は一振りの刀があれば、単身でヤクザの出入りを鎮圧できる武力を備えていた。暗黒街で名を馳せた殺し屋と出会しても、臆することもなければ動じることさえない。ただ無感動に斬り倒す。
斬り殺したこともあるが、基本は再起不能に留めておいた。
いくら表社会の目が届かない裏社会の仕事だとはいえ、官憲の目を騙くらかすのは手間が掛かるのだ。雇用主にも迷惑が掛かるので自重していた。
刃の露にしたのは――札付きの悪。
暗黒街でも手に負えず、災いしかもたらさない厄ネタな輩どもだ。
圧倒的な暴力を持て余す強者にして狂人である。
こうした連中は裏社会でも癌のように忌み嫌われており、暗黒街のネットワークでも始末に困っている。だから賞金首になっていることが多かった。
そいつらを始末して稼いだ時期もあった。
セイメイは現代の龍を狩るつもりで奴らに挑んでみた。危険人物誅殺ということで、こういう人斬り稼業でも賞金が支払われるのは幸いだった。
勿論、すべて非合法である。
素手でコンクリを割って鉄筋を引き抜く筋トレマニア――。
猿顔負けの運動能力で夜の町を飛び回る快楽殺人鬼――。
長い刀で円を描くように人間をひたすら斬りまくる通り魔――。
そんな連中をセイメイは斬り捨ててきた。
だがしかし、誰もセイメイに苦戦させたことはない。屠龍の技を修めた久世一族と対等に渡り合える猛者はどこにもいなかった。
強くなりたいという願望は、まだこの胸を昂ぶらせている。
なのに――まったく張り合いがない。
剣を執る理由以前、強くなる意味さえ見失いかけた。
やがてセイメイの名は裏社会でも恐怖で忌避されるようになる。
敵として出会せば斬殺を免れない凄腕の剣客。
――斬龍剣の久世慎之介。
久世家が龍を斬る剣を修めることは知られていた。
しかし、現実には存在しない龍を斬ることを“屠龍の技”と嘲笑する者も少なからずいたため、そこから名付けられた二つ名だった。
厨二病っぽいので、セイメイはこのあだ名が大嫌いだった。
VRMMORPGでは、御先祖の名前である天魔凄鳴を選んだ理由。
それは斬龍剣とセットで使われる久世慎之介という本名にまで嫌気が差してきたというのは内緒の話。本当、何故かみんな斬龍剣と付けるのだ。
今ではセイメイと呼ばれる方がしっくり来る。
だが、裏社会では広まってしまった。
この異名は「手を出したら死ぬまで報復される」と恐れられた限定指定暴力団、穂村組と並び称される不可侵領域として暗黙の了解となった。
ちなみに、セイメイと穂村組は一度も事を構えていない。
どこかで激突しそうなものだが、奇跡的に接触を免れていた。
――理由はいくつかある。
穂村組はツバサの師匠に壊滅寸前まで追い込まれ、そこから立ち直ってまだ数年しか経っていないこと。組を再建中のため裏社会でも慎重に立ち回っていたこと、穂村組が動かない分を補填するようにセイメイが暴れていたこと。
こうした要素が絡み合うことで避けられたらしい。
迷走して数年――セイメイは飽きた。
自らの剣を屠龍の技で終わらせないため、剣を執る意味を探す。
ある種の自分探しにも通じる探求に疲れてしまったのだ。誰と戦っても瞬殺してしまうため緊張感はなく、手応えもなければ歯応えもない。
高校生が幼稚園児に勝って威張れるか?
それぐらいの実力差があるため、本気を出すのも憚られる。
無論、本気で剣を交えたい強者はいた。
憧れの存在であり目標でもある世之介叔父さんを筆頭に、その誰もが家族や友人なので、本気を出しにくい相手ばかりなのが問題だった。
本気とは、裏を返せば真剣に殺し合う死合だ。
親しい友人にそんな真似をできるほど、セイメイは非情になれない。
既に面識のある羽鳥翼もここに含まれる。
その師匠である斗来坊撲伝も挑戦したい先達の一人だ。
彼らと本気で事を構える妄想もしたが、心情がそれを許してくれない。またある種の物足りなさを感じていた。セイメイは更に多くの強者と生死を懸けた勝負をしたいと密かに思い描いていたからだ。
猛る気持ちに駆られ、誰かに挑もうとしたことは一度や二度ではない。
しかし、そうした夢想をする度に心の奥から声がする。
――それが本当に剣を執る理由なのか?
黙考するセイメイは、いつも「違う」と否定に行き着いた。
誰彼構わず見境なく喧嘩を売りまくるなど、それこそセイメイが裏社会で斬り捨ててきた危険人物と変わらないではないか。
そんな思慮の欠けた理由では、剣を執る意味に足らない。
道を見失いかけたセイメイは休むことにした。
しばらく剣から距離を置き、心身ともに休養すると決めたのだ。
下手の考え休むに似たり――。
元より身体こそ頑丈に育ったけれけど、おつむは今ひとつなセイメイはそれほど頭がよろしくない。世之介叔父さんから渡された言葉の意味も、深く考えれば考えるほど、ドツボにはまって袋小路に嵌まりそうだった。
――だから一度忘れる。
少し剣から離れて隠居みたいな生活を送ろう。
日々の鍛錬こそ忘れないが剣術から離れて他のことに目を向け、心に余裕ができたらまた剣を執る理由を探せばいい。
こうしてセイメイは実家でニート暮らしを始めた。
金銭に関しては母にも文句を言わせない。
裏社会で引き受ける仕事は金払いがいいのだ。何かしらの職種における生涯年収分くらいは稼いだので、すべて家に納めて生活費にしてもらった。
二度目の迷走における末期、自堕落なニート生活の始まりだった。
ニート生活は大概、暇潰しに始まって暇潰しに終わる。
金なら唸るほど稼いだが、こちらも使い道がない。
賭け事は趣味じゃないし、女漁りに走る趣味もない。そもそもセイメイは女の好みがマニアックなので、なかなかマッチングしなかった。
(※身長190㎝以上、黒髪のロングヘアで、爆乳で巨尻でスタイル抜群)
精々、美味い酒に費やすくらいで終わってしまう。
いくら酒好きとはいえ、日がな一日飲んで潰せるわけもない。
やはり、他の暇潰しを探すしかなかった。
そこで「久し振りにVRゲームでも遊ぶか」とセイメイは手を伸ばした。
なんとなく遊び始めたのが――アシュラ・ストリートだった。
剣から離れると決めた矢先、暇潰しにと食指の伸びた先が最先端のVR格闘ゲームなのだ。戦闘狂もここまで来ると病気、付ける薬もない。
とことん戦いたい――闘争本能を鎮めることができなかった。
しかし、これが人生の転機となる。
アシュラ・ストリートはセイメイの闘争本能を満たしてくれたのだ。
現実とほぼ遜色のない再現度は極めた仮想空間。
そこで行われる多彩な戦闘は、剣の玄人であるセイメイをも唸らせた。
そして、好敵手たちとの出会い。
ゲーム内で再会したツバサを初め、レオナルドやドンカイといった未知の達人と巡り会うことができた。ジェイクやミサキにホムラといった年の変わらない猛者や、まだ若いが将来が楽しみな成長株にも出会うことができた。
また、D・T・Gというヤバい親父もここで知った。
これがアシュラ八部衆との出会いである。
拳銃使いバリーを含むベスト16も負けず劣らずの腕前。
彼らもセイメイと比肩する優れた武道家たちだ。
自分と切磋琢磨できる強者たちと巡り会い彼らと交流を深めることで、共に腕を競う楽しさを覚えたセイメイはある事実に行き着いた。
『そうか……おれは一人じゃダメなんだ』
認められる仲間がいて、セイメイの心は初めて奮い立つのだ。
迷走した時代を思い返せば、いつもセイメイは一人だった。家族や親戚は優しくしてくれたが、友人や知人と呼べる者は少なかった。
もしも無二の親友である美影纏衣が生きていてくれたら、恋女房であるジョカと会えていれば、なんてたらればは考えた。たった一人でもいいからセイメイと肩を並べて歩いてくれる友がいれば、少しは違ったのかも知れない。
思った以上にセイメイは寂しがり屋だったらしい。
ツバサたちとの交流により、強さへの意欲を取り戻すことができた。
剣を執る理由を見つめ直す気持ちにもなれたのだ。
そんな折――曾祖父から説教された。
どちらかといえば教え諭された感じである。
セイメイの瞳に剣士としての輝きが戻ってきたのを見計らって、久世一心流のなんたるかを一族の最長老らしく話してくれたのだ。
『久世一心流は龍を斬る――その理由を考えたことはあるか?』
わからん、と答えるセイメイに曾祖父は語り出した。
『久世一心流の開祖たる我らが祖・天魔凄鳴はただひたすらに、ただひたむきに、純粋なる剣の強さを求めた。それは本人の願望であり、どうしても果たさなければならない宿願を背負っていたからだ』
天魔凄鳴には、討たねばならない仇敵がいたという。
彼もまた強さを求めたが、その果てに人外と成り果ててしまった。
『仇敵は誰もが及ばない力を追い求め、人間であること捨ててしまった。そうして彼は“厄災の龍”と呼ばれる怪物に変わってしまったそうだ』
天魔凄鳴はその仇敵を討つため精進と研鑽を重ねた。
その果てに編み出したのが屠龍の技、久世一心流の原型である。
『龍と化した仇敵と相見えた天魔凄鳴は、壮絶な戦いを繰り広げた。一昼夜とも三日三晩とも一週間とも……長きに渡る死闘だったそうだ』
その最中――天魔凄鳴は恐怖した。
究極の強さを求めるあまり、龍という怪物に変じてしまった仇敵。
その変わりように肝から震える恐れを覚えたらしい。
『人間が人間を辞めていく様に恐れを成したという……強くなりたい。だが、ああはなりたくはない。俺は俺のまま強くなりたい、化物になるなど真っ平御免……などと痛切に思ったそうだ』
そんな恐れを抱いたまま、天魔凄鳴はついに仇敵を斬り伏せた。
その時、久世一心流の進むべく道を開眼する。
人間には過ぎた超絶の剣技、だが龍を斬るにはお誂え向きだ。
『いつかまた仇敵のように人の道を踏み外して、龍となる者がいるかも知れない。その者が強さに覚えてて人心を見失った時、それに立ち向かう者がいる』
それこそが――久世一心流なのだ。
『技と体を強くするだけでは意味がない。真に鍛えるべきは人間としての心。龍をも斬り殺す技と体を使うには、強い心こそが求められるのだ』
ただ龍を斬るだけでは意味がない。
『自らが龍にならぬため、人間として大切なものを知るため、久世一心流は龍を斬ることを免許皆伝を認める通過儀礼としてきたのだ』
肉体は鍛えればいい、技は磨けばいい。
それらを扱うべき心が未熟だったと痛感させられる。
どうしてそんな話をする? とセイメイは曾祖父に訊いてみた。
『異世界から帰ってきたおまえは道を見失っていた。久世の剣士は龍を斬る日まで心のなんたるかを学ぶものだが……おまえは迷妄に囚われていた』
曾祖父は辛辣な言葉を並べた後、白髭の口元を釣り上げた。
『……だが、最近は眼に心ある光が宿っておる』
ワシの言葉もちゃんと届くだろう? と曾祖父の声音は安心していた。
『どんな形であれ、肩を並べるライバルや友人がおらねば、おまえの心は育まれなかったようだな……最近の電子遊戯機器も捨てたものではない』
『ファミコンっていつの話よ?』
思わずツッコんだが、この筋肉ジジイは昭和時代の生き証人だった。
どうやらアシュラ・ストリートを評価しているらしい。
あれでツバサたちと競り合うようになってから、セイメイの心の有り様に良い意味で変化が現れていた。すべてにおいてプラスに働いたのだ。
友人との交流はバカにできない。
ツバサたちの視点からすれば、セイメイはちゃらんぽらんにしか付き合っていないように見えるだろう。しかし、その実はちゃんと彼らに敬意を払い、見習うべき箇所をリスペクトしていた。飲んだくれてばかりではないのだ。
彼らの強い心を酌み取り、己が心の糧とする。
言葉にするのは照れ臭いが、いつも感謝は忘れていない。
セイメイの心境に訪れた変化を曾祖父は見抜いていたようだった。
『おまえはそれで良い――精進を怠るでないぞ』
以後、曾祖父は何も言うことはなかった。
『強さを求めることに理由はいらない。だが、剣を執るには理由が必要だ』
戦いに赴く時、いつも世之介叔父さんの言葉が心の底から浮き上がってくる。
そして、久世一心流の名に“心”がある理由を思い出す。
強くなりたい理由も抱いている。
誰よりも強くなければ、我を通すこともままならないからだ。
自らの正義を押し通したいと願う時、強さと力がなければ一方的に踏み躙られてしまう。龍に襲われる国でその瞬間を垣間見た。
自らを貫き通したいならば、何者にも屈しない力が必要なのだ。
その強さが、いずれ力を貸してくれると信じている。
――自分が剣を執るに相応しい理由。
その理由に相見えた時、積み上げた強さが必ず応えてくれるだろう。
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「……剣を執る理由か」
独り言をしみじみ呟いたセイメイは、手の内にある刀の重みを感じていた。先祖伝来の御神刀“来業伝”を模して造られた豪刀である。
もしかすると――本物に勝る名刀かも知れない。
なにせ神族・鍛冶神となった工作の変態ことジンが魂を込めて鍛えてくれた逸品だ。用いられた素材から製造工程まで、本物の来業伝に勝るとも劣らない。
掛け値なしの名刀、いやさ神の打ち鍛えた御神刀である。
そんな刀を神族・剣神となって握り締めるセイメイは、とっくの昔に自らが剣を執る理由を見出していた。複雑に考える必要などなかったのだ。
自慢じゃないがセイメイは馬鹿だ――剣術バカだ。
下手の考え休むに似たりなら、バカの考えもお休みと同じだろう。
あの頃たっぷり休んどいて正解だった。
難しく考えることなんてない。そんなことに脳内カロリーを費やしたところで、余計に酒が飲みたくなる。考えるより動いた方が早い。
バカは馬鹿なりに、あっさり簡単シンプルに答えを導けばいい。
「おれはな――おれの大切なものを守りてぇんだ」
守りたいのは自分たちの暮らすこの世界と、そこに生きるたくさんの人々。今ならば真なる世界と四神同盟に属する者たちだと明言できる。
ツバサちゃんとハトホル一家、最愛の女房である起源龍ジョカフギス。
四神同盟に属するたくさんの仲間たち、弟子にした現地種族の若者たち。
いつの間にかセイメイの両腕は守りたいもので溢れていた。
「守りたいものを守る。それを害するものは容赦なくブッタ斬ればいい」
それだけだ――わかりやすくて助かる。
なんのことはない、異世界アガルティアとマイア叔母さんの故郷である王国クインザリアを守ろうとする世之介叔父さんの踏襲に過ぎなかった。
だが、それでいい。それがいいのだ。
これが久世一心流の在り方なのだとセイメイは得心していた。
しかも、愛しい恋女房はこの世界を創造した起源龍。
彼女を蕃神という脅威から守り抜き、彼女たち創世の神々が創り上げたこの世界を守るのだから、久世一心流として剣を執るに十分な理由だろう。
それが剣神セイメイ・テンマの使命と見出したのだ。
「だからサジロウなんざ、害成す者の一人に過ぎねぇのさ」
いや――いくらか因縁は絡んでるのか。
「おれが迷走してた頃の残滓……ってとこか?」
撫で斬りにして路地裏に放置しておいたはずなのだが、命冥加に生き残ってしまっただけだ。サジロウは残滓呼ばわりに憤慨する。
「残滓とは失礼シャ! 何様のつもりシャ、斬龍剣の久世慎之介ッ!?」
売り言葉に買い言葉、セイメイは眉尻を釣り上げる。
「おい、いちいち二つ名とフルネームをセットで長ったらしくで呼ぶんじゃねえ厨二病フルスロットルで大嫌いなんだよ、その呼ばれ方は……」
セイメイは怒気を露わにして吐き捨てた。
「シャシャシャ、いい殺気だなぁ!」
これを戦る気と取り違えたのか、サジロウは闘志を漲らせていた。
「シャーシャシャシャッ! 見るがいいシャ斬龍剣の久世慎之介! これがおまえに剣士として利き腕を斬られた俺が手に入れた新しい個性ッ!」
――蛇腕という新様式!
サジロウは大蛇と化した右腕を振り上げている。
本体であるサジロウ当人よりも体長はあり、ろくろ首のように伸縮もする性能があるらしい。全長はいくらでも伸び縮みするようだ。
よく着物の袖に収まってたな、と感心してしまう。
恐らく調整ができ、普通の人間の腕にも擬態できるのだろう。
「なぁにが個性で新様式だバーカ」
どうせ破壊神のテコ入れだろうが、とセイメイは指摘する。
毒牙のように身体に悪そうな闘気をまとう長刀。それをくわえた大蛇の頭に鎌首をもたげさせたサジロウは、力を溜めるように蛇身をたわませていく。
「それくらいのハンデは大目に見ろシャ」
こちとら片腕だったシャ! とサジロウは長刀の切っ先を走らせる。
相手の目線と剣先の動きを読み取ったセイメイは、次に仕掛けてくる手口を予想すると愛刀の来業伝を構えて迎え撃つ体勢を取った。
「我流“うずまき”――ちゃくらむッ!」
大蛇の腕が空を薙ぎ、長刀の先端がブレながら毒々しい弧を描く。
ただのブレではなく高速振動だ。
これにより剣筋もブレまくるのだが、それを利用して斬撃を細かく振り分けるように放ってくる。漫画でよく見る“飛ぶ斬撃”というやつだ。
実のところ今までの斬撃も、衝撃波よろしく風を切って飛んでいた。
しかし、これはあからさまに遠距離型の飛ぶ斬撃である
無数の斬撃は輪のような円盤を形作っていた。
インドに伝わる投擲武器・戦輪そっくりだが数は桁違いだ。
蝗の群れみたいな勢いで押し寄せてくる。
セイメイは手にした来業伝を振り抜き、対抗するべく飛ぶ斬撃を放った。それは巨大な三日月の真空波となって戦輪の大群を薙ぎ払う。
「久世一心流――切風」
現実にいた頃から使える、久世家直伝の“飛ぶ斬撃”だ。
ほとんどの戦輪を打ち消した巨大な斬撃は、サジロウにも襲いかかるが大蛇の腕が振り下ろされると、セイメイの切風は斬り払われてしまった。
こちらもサジロウの戦輪を模した斬撃は浴びていない。
対等の打ち合いが先ほどから続いていた。
この時――セイメイは目の端に不快なものを見咎めてしまう。
こちらに降り注がなかったものの、あちこちへ飛び散っていく戦輪。それらが島の高台を斬り裂いたり、海面に盛り上がる波を割っていた。
ただ斬っただけではない。
斬られた高台は塵も残さず、割られた波も蒸発するように消えていく。
すべてが跡形もなく消失していた。
これにはセイメイも微睡むような半眼を見開かざるを得ない。
サジロウに斬られたものが痕跡も残さず消えたのだ。塵のような微粒子になったのならいいのだが、微かな“気”も感じることなく抹消されている。
即ち――完全な消滅だった。
これまでサジロウが放ってきた斬撃に、このような性質は含まれていない。
突然、開放してきたのだ。
「てめえ……出し惜しみしてやがったな?」
それがサジロウの過大能力か、とセイメイは睨めつけた。
シャシャシャ、とサジロウは独特な笑い声で喉を鳴らす。
毒色に染まる長刀を掲げて剣客は口上を述べる。
「殺陣を堪能して身体も温まってきたシャ? そろそろ最高潮、本日のハイライトと洒落込むからには、とっておきの切り札を使いたくなるもんシャ!」
大蛇の腕がゴム人間よろしく伸び上がる。
そこから獲物に襲いかかる大蛇よろしく飛びかかってきた。蛇の顎に噛む長刀を毒牙にして突き立ててくる。
その毒牙は遍くすべてを滅ぼす波動が宿っていた。
過大能力――【遍く光明を飲み干す漆黒の牙】。
「俺の剣はありとあらゆる熱量を奪うッシャアッ!」
セイメイの来業伝とサジロウの長刀が斬り結び、火花とともに鼓膜を突き抜くような金属音を鳴り響かせる。
伸びる大蛇の腕はリーチがエグい。
セイメイの間合いの外から易々と斬り掛かってくる。
そんな伸びる腕では腰の乗った太刀筋など望めなさそうだが、蛇身に備わる筋力と遠心力が上乗せされた一刀は侮れないものだった。
やたら遠距離な鍔迫り合いにもなる。
本来、刀剣同士は打ち合わせるものではない。
いつの間にか弟子入りしていた女剣士のウネメの持論も、「キンキンガンガン、刀や剣を打ち合わせたら刃がすぐ駄目になる!」というものだった。
セイメイも大いに賛同できる意見だ。
なので、こういう漫画でありがちな剣戟は基本お断りしている。
「だが……躱せねぇなら仕方ねえよな」
サジロウの剣に隙はなく、回避に専念していると足下を掬われそうないやらしさが隠されていた。確実に防がなければ安心できない。
そこで不本意だが、剣を打ち鳴らすように受け止めたわけだ。
だが、これはこれでサジロウの思う壺らしい。
「熱量を奪う……?」
間近で目にするサジロウの長刀は、毒に染まる力場を帯びていた。
触れるものすべてを蝕むような感触。
来業伝で防いでみたものの、こちらの気力を吸い上げるような気配を感じさせるものだった。愛刀が汚される気もするので力任せに弾き飛ばす。
「シャーシャシャシャ! まだまだッシャアッ!」
長刀を弾かれても大蛇の腕が踊ると、すぐさま斬りかかってくる。
そこから幾度となく打ち合いを仕掛けてきた。
昔の中国では強者同士が激しく得物を打ち合う様を、一回ぶつかる度に「合」と数えていたらしい。なので戦記物などを読むと「もう何十合も戦っているのに決着がつかない」などと、激戦の表現に使われたそうだ。
しかし、それらは偃月刀や蛇矛といった槍に近い長柄武器の場合が多い。
そういう武具ならば打ち合いもアリだと思う。
「だけどホント、勘弁してくれよ……刀やら剣なんかでキンキンガンガン打ち合うなんざ漫画やアニメの中だけにしてくれってば……さぁ!」
セイメイは愚痴るも、サジロウの長刀をへし折る威力で打ち返した。
本当に折るつもりで来業伝を叩きつけたのだが、その攻撃力すらも長刀が帯びる謎の力場は消してしまうようだ。あらゆる力を奪い取るらしい。
それでもめげずに斬り結ぶセイメイは怒鳴りつける。
「カワイイ弟子に笑われちまうだろうが!」
無駄に刃を打ち合わせる行為に不毛なものを感じてしまう。
だが、防がざるを得なかった。
サジロウの長刀が帯びる正体不明の過大能力。
それを放置しておけば、斬られたものがこの世から完全に消えてしまうのだ。決して無視できるものではない。おまけにセイメイを狙う鋭い一撃も迅速で、避けきることは難しく掠りたくもない。
現状、受け止めて防ぐのが最善策なのだ。
なるべく刀同士で打ち合わせ、消滅の力が余所へ行かないよう努めていた。
それにサジロウ――上達している。
かつては久世慎之介が歯牙にもかけない二流の剣士だったはずだが、今ではセイメイと互角に張り合う腕前になっていた。
破壊神から与えられた力だけでは説明が付かない。
剣客としての技量が段違いに上がっていた。
「おまえ、随分と腕を上げたみたいじゃねえか……あれからどうしたよ?」
「シャシャシャ! あ・れ・か・ら? あれからかぁ……」
陰湿な笑みを浮かべたサジロウは、蛇腕を限界まで伸ばした状態での鍔迫り合いでセイメイを押し込んでくると、自身も数歩こちらへと寄ってくる。
威圧するように迫ってきたのだ。
「――久世慎之介に利き腕を斬られた日からシャア?」
根に持つ野郎だな、と内心セイメイは思うも好きに喋らせた。こういう勿体振った話の振り方をする奴は思いの丈を吐き出すからだ。
「おまえに腕を落とされたあの日! 俺は生死の境を彷徨ったシャッ!」
激しさを増す猛攻とともに、サジロウは捲し立てる。
「剣士として命より大事な利き腕を斬られて! 袈裟懸けに斬られて! 手足にも無数の刀傷を負わされ! 血みどろのまま路地裏に放置されて……ッ!」
本当に死ぬとこだったシャ! とサジロウは吠えた。
死の淵へ落ちかけた記憶が蘇るのか、眉間に深い皺を刻んで辛そうな表情をするものの、大きく開いた口の端は釣り上がり笑っていた。
艱難辛苦と狂喜乱舞が混在した表情だ。
「そりゃそうだ、出血多量で死ぬように放っといたんだから」
あの時を振り返ったセイメイは一言添える。
裏社会や暗黒街から仕事を引き受けていた時分の話だ。
とにかく人を斬りたがる阿呆がいる。
この御時世に武芸者を気取るのか、佐々木小次郎みたいな長い刀を振り回し、誰彼構うことなく斬りかかる通り魔野郎がいると聞いた。
危険人物として、セイメイはそいつを抹殺を請け負ったのだ。
「そうッシャ! おまえは俺が勝手に死ぬと思い込んで、斬るだけ斬ったらどっか行っちまったっシャ! その詰めの甘さが命取りシャア!」
そして、サジロウを命拾いさせたらしい。
暗がりから漂う血生臭さが、破壊神を呼び寄せていたのだ。
~~~~~~~~~~~~
『探したぜ――希代の人斬り』
血溜まりに蠢く隻腕のサジロウ。その眼前に破壊神は現れた。
言わずと知れたロンド・エンドである。
頭をポリポリ描きながら、バツが悪そうに話を振ってきた。
『まー、派手にズンバラリンと殺られたもんだな。取引持ちかける前に虫の息じゃねえか? こういうタイミングに顔出すのってなんか気が引けるんだけどなー。この状況で契約とか切り出したら、オレってばまんまアレじゃね?』
悪魔だよ悪魔――こちとら破壊神だぜ?
『悪魔の契約なんてお呼びじゃねえよ? 終身雇用希望だぜこっちは』
なあ? とロンドは瀕死のサジロウに同意を求めてきた。
『世界の終わりまで付き合ってくれる奇特な破滅主義者を募集中でな』
最悪にして絶死をもたらす終焉を募っていた時期らしい。
『ほんじゃま希望でも窺っておこうか……』
おまえさん――斬りたいんだろ?
ロンドはサジロウの本質へと切り込んできた。
『もっともっと斬りたいよな? おまえからは破壊神側の匂いがする。生きてるものをただただ斬り刻みたいって衝動で凝り固まってやがる』
『ただ斬り、たいん……じゃね、えっシャ……』
錆の味がする舌を動かすサジロウは、朦朧としたまま訂正した。
『俺は、上手く斬りたい……人も獣も……スパッと綺麗に斬りたいだけッ……シャア……適うなら……神も悪魔も……斬って、みたいッシャ……』
失血死寸前に垣間見る幻覚、サジロウはそう捉えていた。
人も通わぬ路地裏の最果てに、こんな六本木辺りをうろつくのがお似合いの上級国民じみた羽振りのいいオッサンがいるわけないと思ったからだ。
この会話も死に際に見る幻だと信じていた。
だからこそ、自らの本性を掛け値なしで吐露できたのだ。
『俺は……生きとし生けるものすべてを斬りたい……できるなら……』
世界という生物すら――斬り捨てたい。
いつかどこかで聞いた話。地球という世界はひとつの大きな生き物ではないかという説だ。ガイア理論だかガイア仮説だかという学説である。
それを知ったサジロウが掲げた馬鹿馬鹿しい目標。
世界を、地球を、惑星を、これすべて叩っ斬るという誇大妄想。
斬断のみを突き詰める、それがサジロウの剣の道だった。
この告白を聞いたロンドは満足そうに大笑した。
『ダッハッハッ! いいね! オレのセンスにピーンと来た奴はみんなこうだ! いいぜ、おまえも逸材だよ。バッドデッドエンズになる資格がある!』
オレぁブッ壊れてる奴が好きだ、とロンドは絶賛した。
『大切な利き腕を奪られちまったか? そんなら新しいのを見繕ってやる。おまえの性根にピッタリな最高の義手をくれてやる』
屈み込んだ破壊神はサジロウに手を差し伸べてきた。
『力も欲しいか? おまえさんの望む世界を斬り滅ぼす力もあるぞ?』
本能で理解する、これは覆せない契約を迫られているのだ。
ロンドの手を取れば取引は成立する。言葉通りサジロウは新しい腕と素晴らしい力を授けられるが、それは彼への絶対服従を誓う代価となるものだ。
『それとも……このまま路地裏でくたばるか?』
選択の余地などなく、破壊神の誘惑はとても魅惑的だった。
断る理由など見当たらないほどに――。
~~~~~~~~~~~~
「そして手に入れたのが蛇腕という新しい個性ッ!」
大蛇の腕がグングンと伸び、新体操のリボンよろしく渦巻く。そこからドリルの側面をぶつけるような連撃を叩きつけてきた。
防ぐため来業伝をかち合わせる度、光線のように火花が飛び散る。
削岩機で鋼鉄を削る音が耳を劈くかのようだ。
「我流“うずまき”という新様式ッ!」
完全な真円を描く斬撃の軌道。
縦横斜めと360度、縦横無尽に円を成す曲線を繰り返す。
人間の腕では成し得ない剣捌きは、大蛇の腕という新しい個性でこそ成し遂げられたのだろう。以前手合わせした時もサジロウは円を描く剣を振るっていたが、剣の腕を上げると同時により洗練されていた。
参考にしたくなるほど、流麗な剣の冴えを見せてくれる。
しかしまあ――腕を蛇にするなんて御免だが。
「そして! すべてを斬り滅ぼして無明の闇に墜とす蛇神の牙ッ!」
幾度目の激突になるのか――。
鞭の先端に括りつけられた刃物よろしく、しなる大蛇の腕から繰り出される長刀の斬り掛かりを、セイメイは来業伝で悉く受け止めていた。
目の前で食い止めるサジロウの長刀。
毒色の力場に濡れる刀身には決して触れてはならない。
「……ああ、危なっかしいのは感じてるぜ」
この長刀に這わせた力場は、斬りつけたものからエネルギーを奪う。サジロウは熱量という単語を用いていたが、実際には“気”を奪い取るようだ。
奪われた“気”は消え去るのみ。
サジロウが自身の力として還元するような真似もしない。
まさしく――斬り捨て御免。
斬り裂いたものを世界へ還すことなく完全に抹殺する、滅びの剣だ。
過大能力――【遍く光明を飲み干す漆黒の牙】。
サジロウはサジロウ・アポピスと名乗っていた。
アポピスとは、エジプト神話における蛇神にして最凶の邪神。
原初の水より生まれた最初の澱みであるという。
混沌、暗黒、破壊、と魔王のためにあるような3つの象徴を兼ね備える存在であり、この世を始まりの混沌に戻すため太陽神ラーを飲み干さんとする。
アポピスが太陽を飲む時、日蝕が起こるとされたらしい。
――以上、博覧強記娘からの情報だ。
そのアポピスの牙ならば、斬ったものを闇へ葬るのも訳ないだろう。
「だというのに……何故ッシャアッ!?」
その能力を宿した長刀を、セイメイは平然と遇っていた。
滅びの過大能力を浴びてセイメイが塵になることもなければ、サジロウの長刀と打ち合う豪刀・来業伝には刃毀れひとつない。
これにサジロウは合点が行かず、個性的な顔を不満げに歪めていた。
「どうして俺の過大能力が通じないッシャ!?」
「滅びの剣がおまえの専売特許ってだけじゃねえって話さ」
嘲りを漂わせるセイメイは鼻で笑った。
剣士ならば絶えず両眼に分析系の心眼でも働かせとけバカタレ、と内心で思ったことをそのまま口にする。サジロウは悔しげに唸っていた。
「ぬぅ、よもや……俺とよく似た過大能力シャか!?」
「おまえと一緒にすんじゃねえよ、通り魔野郎」
セイメイは見境なく滅ぼしなどしない。
「俺は斬りたくねぇもんは斬らねえし……斬りたい奴は即座に斬る」
サジロウは自慢の過大能力が通じず狼狽えている。
こちらの言葉に煽られて分析系の技能を使おうと意識をスイッチした瞬間、そこを狙い澄ましたセイメイは、動きを読ませぬ歩法で一気に詰める。
久世一心流――越間。
大広間をも瞬時に踏み越える神速の歩法。他流派では「縮地」と呼ばれる高速移動法に更なる飛躍を施したものだ。
蛇腕による攻撃は恐ろしいリーチを誇る。そこは認めよう。
反面、こうして間合いの内側に踏み込まれれば戻すのに時間が掛かる。
「どうした、左腕も蛇にしねぇのか?」
減らず口を叩いた頃にはサジロウの脇を通り過ぎており、すれ違い様に来業伝を振り上げる。豪刀にて無防備な左腕を切り飛ばすつもりだった。
「シャアアアアーーーッ!?」
だが、惜しいことにすんでの所で避けられる。
着物の袖を裂いたに留まり、腕にかすり傷すら負わせられなかった。
「な、なんシャア……この刀傷は!?」
着物の袖を斬られたサジロウは、その切り口からボロボロと布地が崩れていくのを目の当たりにして驚愕する。間合いに潜り込んできたセイメイから距離を取るべく大急ぎで飛び退きつつも、崩れゆく左袖を歯で噛み千切った。
袖は火で炙られた油紙のように燃え尽きる。
ノースリーブよろしく両腕をさらしたサジロウは震えていた。
「やっぱり……俺と同じ過大能力シャ……ッ!」
「違うっつてんだろ。俺はなんでもかんでも滅ぼしゃしねぇよ」
過大能力――【遍く万物を斬り絶つ一太刀】。
断ち切ったものを塵へと還す、セイメイの過大能力だ。
斬りつけた傷口は絶対に塞がらず治癒しない。そこから対象を蝕む侵食能力もあるため、かすり傷でも負わせれば勝利確定の必殺能力である。
これもまた破滅の斬撃と言えなくもない。
ただし、サジロウの過大能力のように完全な消滅をもたらすのではなく、微粒子にまで分解することで無害な“気”に変えている。
そこに決定的な違いがあった。
セイメイは来業伝にこの過大能力を通わせていた。
これでアポピスの毒牙ともいうべきサジロウの過大能力、万物を闇に消し去る力を相殺するかの如く防いでいたわけだ。
再び間合いを置いたが、サジロウは用心深くなっていた。
僅かな隙を突かれて懐に入られたことが堪えたのだろう。
恐らく、今のような隙は二度と訪れまい。
絶えず大蛇の腕を風切り音がするまで振り回し、迂闊に踏み込ませないよう長刀による防衛戦を張っていた。そして、左腕に変化はない。
どうやら大蛇になるのは右腕だけのようだ。
もしも左腕も魔改造がされているのであれば、先ほどセイメイが踏み込んだ時に相応のアクションを起こしたはずである。
サジロウは新たな利き腕――蛇腕という個性を錬磨していた。
我流“うずまき”という流儀を極限まで突き詰め、余計なものは極力削ぎ落とし、大蛇となる右腕で円を描く剣筋をどこまでも磨き上げる。
血の滲むような鍛錬の成果が見て取れる。
「しっかし、蛇腕に我流“うずまき”か……意外と悪くねぇじゃねえか」
茶化したのではない。本心から褒め言葉だ。
およそ正道から離れた邪流の剣だが、極めた剣の冴えは紛れもない本物の輝きを放っていた。そこから目を逸らすことは剣客としてできない。
久世一心流も邪道といえば邪道の剣だ。
それでも、ひたむきに強さを貫いた剣は斯くも美しい。
惚れ惚れするとしか言いようがなかった。
「よく仕上がってる。路地裏で戦った頃とは見違えるようだぜ」
一瞬、サジロウは虚を突かれて真顔となる。
すぐに不敵な笑みを取り戻すも、そこに仄かな達成感があった。
「斬龍剣の久世慎之介……世辞でも悪態でもなく、おまえに本音からそう言わせられたのなら、俺は剣客として本望だッシャ……」
あの久世家の人間に認めさせたのだから――。
サジロウも剣士の端くれ、久世一族の伝承は聞き及んでいるらしい。
蛇腕に振り上げてサジロウは独白する。
「ロンドの御大将から新しい腕と力を与えられて……一足先に真なる世界へ転移する優遇も受けて……俺はこの新天地でひたすら稽古に励んだッシャ」
恐らくはモンスターとの実戦オンリー。
本当の意味で死と隣り合わせの稽古だったはずだ。
久世一族に対抗して、幾度となく龍殺しにも挑んだに違いない。
「ゲームにしか登場しない化け物を斬り、伝説に謳われた怪物を斬り、神話に登場するようなドラゴンや巨人を斬り……斬って斬って斬りまくって、俺はいつか……世界という巨大な生き物を斬り捨てることを夢見て来たッシャ」
セイメイなど思いも寄らない、世界を斬るという無謀な野望。
「そりゃまたでっかい夢をぶち上げたもんだな」
飲んだくれていれば幸せな剣豪は、そう返すのが精一杯だった。
そんな折――サジロウは風の噂で耳にしたという。
久世慎之介もVRMMORPGを始め、いずれ真なる世界に来るだろう。
ロンドは異世界転移に際して人事を担当していた経歴もあり、破格の実力を持つツバサやセイメイといった人材の動向も把握していたようだ。
これを聞いたサジロウが歓喜したのは想像に難くない。
「汚名返上……雪辱の機会が来た! と期待するしかないッシャ!」
「なんだよ、結局リベンジマッチってわけか?」
問い返すセイメイは、気取られぬよう腰を落としていた。
サジロウの動きはつい存在感のある蛇腕に向きがちだが、全身の動作にも注意を払えば、膝をたわめて次の一撃への準備を整えていた。
何が起きても対応できるよう身構えておく。
「リベンジマッチ? 当たり前ッシャアッ! 漢がやられっぱなしで黙ってられるわけないシャッ! やられたらやり返すの理念に則るまでッシャッ!」
「大人しく負けとけよ、負け犬」
挑発的な言葉で煽った直後、サジロウの右脚は砂浜を踏み締めた。
「黙れシャ! 強い剣客に勝ちたいと思って何が悪い!」
シャアアアーッ! と蛇らしく叫んだサジロウは砂塵を巻き上げて飛び上がり、空中に無数の残像が現れるまで大蛇の腕を振り回す。
大気を掻き乱す太刀筋は低気圧を呼び、激烈な斬撃を迸らせる。
「我流“うずまき”――ねんりんッ!」
円の斬撃が中心に向かって幾重にも並ぶ、技名にある通り巨木の“年輪”にしか見えない一撃だった。その破壊規模は都市の面積にも匹敵するだろう。
こんな平島など一発で海の藻屑にできるはずだ。
「足場なくすような真似すんなよ。着物が海水で濡れるだろうが」
軽口を叩くセイメイだが、既に四肢は動いていた。
その構えは剣術にしては異質である。
野球における一本足打法のようなフォームを取り、そこからバットの代わりに豪刀・来業伝をフルスイングするかの如く振り抜いたかと思えば、その遠心力を果てしなく加速させるため延々と振り回していた。
自身は軸足である左足一本で立ち、グルグル全身を回転させていく。
まるで人間独楽。ただし、回転速度は常識を越えている。
砂浜を吹き飛ばしてクレーターが生じ、亜音速で回るセイメイを中心に大竜巻が巻き起こった。それはサジロウの呼んだ低気圧を吹き飛ばす。
ズドン! と爆発音が轟いた。
一本足打法による回転、浮いていたセイメイの右足が大地を踏みつけた衝撃によるものだ。全身にまとわせた回転力を剣へと送り込む。
振り上げる豪刀とともに竜巻を打ち上げる。
この昇竜めいた竜巻は、来業伝から繰り出した巨大な斬撃の塊だった。
「久世一心流――堕鳳!」
鳳とは見渡す限りの空を覆い尽くす伝説の巨鳥のことだ。
それを撃ち落とす竜巻の斬撃である。
久世一心流の奥義と呼ばれるひとつであり、サジロウの放ってきた“ねんりん”なる技に対抗できるのは、これぐらいしか思い当たらなかった。
どちらも消滅の過大能力を帯びた太刀筋。
互いの力を相殺し合い、その際に発生する余剰な力は波及となって周辺海域を荒れ狂わせた。黒い津波が踊り狂い、雷鳴が蜘蛛の巣状に駆け抜ける。
自然の猛威もなんのその――。
2人の剣豪はそれぞれ天と地に立ち、極上の剣舞を演じていた。
口にこそ出さないものの、セイメイもサジロウも互いを強敵と認めて賞賛し、この懸絶した真剣勝負にいつまでも興奮冷めやらぬ状態だった。
セイメイがドライなのは受け答えだけ。
内心では嬉しくて楽しくて、血湧き肉躍る超ハイテンションである。
そんな昂ぶりに水を差す感触がした。
ミシッ……とみっしり詰まったものが軋む音がする。
セイメイの手の内からだ。その手にあるのは愛刀の来業伝。握る柄から伝わる軋む音は、時間をおいてまたセイメイの手に音を鳴らす。
ミシィッ……と。
悪い予感は止まらないが、この戦いを中断することも不可能だ。
サジロウは嬉々として次の大技をぶつけてくる。
「我流“うずまき”――みだれはなびッ!」
花火という発言通り、斬撃の花が空に咲いた。花火と見紛うほどのそれはいくつも咲き誇る。そこが“みだれ”と名付けた所以であろう。
それが破壊力を及ぼす面積は、さっきの“ねんりん”と同程度だ。
もう一度、奥義級の技で迎え撃つしかない。
セイメイが千手観音になったと錯覚するほど、来業伝を構えた腕が何十本と目に映る。実体と見間違える残像が生じる速さで腕を動かしている証だ。
千住観音すべての腕が来業伝を猛烈に奮う。
そこから繰り出される斬撃の村雨が、斬撃の花火を打ち消していく。
「久世一心流――断城!」
天守閣を掲げた城をも断ち切る超高速の連続斬撃。
これも奥義に属する技だ。
本来、城内を駆け抜けながらすべての柱を両断していく秘技である。
サジロウの大技に対抗せんとするセイメイだが、手当たり次第に斬りまくる攻撃を繰り出している最中も、手の内から軋む音は鳴り止まなかった。
ミシッ、ミシミシィ……メキメキッ、ミキッ!
音は金属がひび割れる感触となり、やがて決定的な瞬間がやってくる。
サジロウの放った最後の斬撃を打ち払った時だ。
物々しい破砕音を響かせ、豪刀・来業伝が折れてしまった。
刀身の中程から亀裂が走り、半分の長さのところで切っ先と根元で分かれるように折れている。細かい金属の破片も飛び散っていた。
砕ける来業伝にセイメイは瞠目、サジロウも目を見張っていた。
だが、すぐに勝利を確信した笑みに切り替わる。
「シャアアーシャシャシャシャッ! 悪いな斬龍剣の久世慎之介ぇ! ご自慢の刀を折っちまってよ! それともあれか? おまえの過大能力より俺の過大能力の方が強いって証拠かッシャこれは?」
鬼の首を取ったかのようにサジロウは喜んでいた。
「そうはしゃぐな、おまえのせいじゃねえよ」
刀を折ったのはサジロウの過大能力の効果でもなければ、彼の剣の腕によるものでもない。また、あの長刀が勝っているわけでもなかった。
自分のせいだ――セイメイはそう断じた。
折れた来業伝を目の前に翳して、ほんの少し黙祷を捧げる。
「すまんな来業伝……巧く使ってやれなかった」
これも久世家の性なのだ。
前述の通り、龍の血を浴びてきた久世一族は常人離れした身体能力に恵まれるのだが、負の側面として「力が強すぎる」ことが挙げられた。
一回の素振りで竹刀をバラバラにする。
木刀も本気で振り下ろせば、持ち手のところでへし折れる。
真剣や模造刀でもそれは変わらず、安物の刀剣など数回試し切りしただけで刃がダメになるか、刀身がひしゃげて曲がる。あるいは折れてしまう。
異常な腕力に武具が耐えられないのだ。
久世の一族は武器や得物をすぐ壊す、と刀剣業界に嫌われていた。
最たる例は世之介叔父さんだろう。
あの人――本家の来業伝を何度もへし折っていた。
セイメイの場合、もっと深刻な理由もある。
斬りつけたものを滅ぼす過大能力のため、その特性として能力を剣に這わせているのだが、それが来業伝に強烈な負荷を掛けてしまうのだ。
「もしも、これが本物の来業伝だったら……」
もしもやたらればを口にするのは武道家として許されない。
だが、ふと回想してしまうこともある。
~~~~~~~~~~~~
工作の変態――ジン・グランドラック。
いつでもアメコミヒーローマスクを欠かさないお笑い芸人気質な青年だが、武器や防具を造らせたら超一流の天才工作者。
セイメイの要望を元に、来業伝の模造品を打ち鍛えた職人である。
ジンは来業伝のメンテナンス担当でもあるのだ。
セイメイの膂力で振り回せば刀身は傷むし、滅びの過大能力を帯びることで負荷が生じ、経年劣化どころではない速さで金属疲労も起こす。
そこで定期的に、研ぎ直しや焼き直しなどの整備をしてくれるのだ。
『いつも悪いなジン坊』
『なんのなんの、これも職人のアフターサービスでしてよ♡』
オネエみたいな口調で戯けてはいるが、来業伝の焼き直し作業に取り掛かるジンの手付きは専門家の緻密さ、生真面目そのものだった。
アメコミヒーローマスクはいつも通り。
ただし、衣装は鍛冶師らしく白を基調とした着物を着込んでおり、烏帽子まで被る本格的なスタイルだ。金鋏で来業伝の刀身を摘まんでいる。
燃える炉から取り出された――真っ赤な刀身。
それを金床に乗せたジンは、一心不乱に手にした槌で叩き始めた。
鍛冶屋の工房を思わせる風景である。
カーン、カーン、カーン……と甲高い音が打ち鳴らされる。
不思議と気持ちが落ち着く音色だ。
相棒ともいうべき豪刀・来業伝の手入れを、セイメイは傍らで見守らせてもらうことにした。刀剣の整備を頼む時はいつもこうしている。
この時ばかりは酒を呑まないと決めていた。
槌で整えられていく愛刀を見守るセイメイは暇潰しにと語り出す。
『本家の来業伝は妖刀って触れ込みでな……』
初代・天魔凄鳴が龍となった仇敵を討つために拵えた御神刀。
なのに、どういうわけか妖刀扱いされていた。
『悪い龍になった仇を斬るために、どうしても強い刀が欲しかった……そこでウチのご先祖様は異世界に棲まう三界の王から素材を頂いたそうだ』
大地を駆る獣の王――。
大海を泳ぐ竜の王――。
大空を舞う鳥の王――。
三界の王と戦って認められ、譲り受けた彼らの牙や爪といった素材を折り重ねて打ち鍛え、そこから研ぎ出されたのが来業伝だとされている。
『自分の意志があって口も利く、喋る妖刀でうるさかったけどな』
まるで若君の世話を焼く爺やだった。
世之介叔父さんから借りた際、まだ少年だったセイメイにあれやこれやと指南してきたので、煩わしかったことを思い出すと苦笑してしまう。
『現実にもあったんですねー、知性ある剣』
眉唾な話だが、ジンは疑うことなく素直に感心していた。
『ああ、心や意志があって話すことができる剣を、ファンタジーゲームとかではそういうんだってな。来業伝もそのお仲間ってわけか……』
『妖刀というからには、喋る以外にも能があったんでしょ?』
珍しい武器には工作者として興味が湧くのか、ジンは槌を振るう手を止めることなく、こちらに振り返らず器用に問い掛けてくる。
『やっぱアレですか? 風の傷とか爆流破とか出せちゃったり?』
『ウチのは鉄砕牙と違うからなぁ……』
セイメイでも知ってる、とある漫画で有名な妖刀のネタだこれ。
ジンはわざとらしく残念そうに声を上げる。
『えー? じゃあ斬った妖怪の能力を吸収してパワーアップとかは?』
『龍の血は浴び続けてきたって自慢してたけどな』
そういや来業伝、ドラゴンやモンスターの血液が大好物だっけ。
ある意味――生き血を求める妖刀なのだ。
『来業伝は妖刀と言い伝えられるだけあって、喋ったりなんだりと不思議な力はあったな。でも、光線技みたいな外連味の利いたことはできなかった』
『エクスカリバー! はできなかったわけですな』
それ聖剣じゃん、とセイメイは普通にツッコんでおく。
来業伝は至ってシンプルな妖刀である。
折れず、曲がらず、刃毀れせず――名前を呼べば飛んでくる。
『あと、十分なくらいモンスターの血を食べさせてやっとけば、それを滋養にして刃が折れてもまた生えてくるんだ。牙が生え替わるみたいにさ』
『ホワッ!? それなんて鍛冶屋いらず!?』
『いやいや、ちゃんとお手入れはしてやらないとな』
そこは動揺するジンに、セイメイは職人の必要性を訴える。
『あくまでも刃が直るだけだよ。ただ、折れた骨が丈夫に繋がるように、以前よりも強度が増すらしい。世之介……おれの叔父さんも何度も折ってるらしくて、その都度に復活パワーアップしているらしい』
『……そんな妖刀を何度も折ってる叔父さん何者です?』
槌を打つ燃える刀身を見つめたまま、ジンは小首を傾げていた。
『セイメイが越えたい目標だよ――最強の剣豪さ』
まだ追い抜いたという確信はない。世之介叔父さんは未だにセイメイがその背中を追いかけている、剣士としての憧れもあるのだ。
本物の来業伝は世之介叔父さんが継いでおり、久世家にはない。
何度か使わせてもらったが――あれこそ名刀だ。
『欲しかったなぁ来業伝……』
何気なくぼやいたセイメイの台詞をジンは拾ってくれた。
『ではでは、この天才工作者の呼び声高い俺ちゃんが腕によりをかけて、ホンモノを越える来業伝を打って差し上げましょうじゃあーりませんか!』
そう豪語したジンはこの日、いつもより整備に手間を費やしてくれた。
『期待してるぜ、天才武器職人』
職人の心遣いに感謝したのは言うまでもない。
そんな整備作業の途中、ふとジンはこんな質問を投げ掛けてきた。
『ところでセイメイの旦那、来業伝って銘は意味あるの?』
なるほど、刀鍛冶ならばこだわるポイントだ。
日本刀に付けられた名前には刀匠や彼らが地盤とした地域の名に由来するものが多い。備前長船などが有名だろう。
大概、刀剣に刻まれる銘は刀匠とその一派にまつわるものだ。
正宗、村正、一文字、粟田口、長曽根虎徹……。
『鎌倉の頃から栄えた刀鍛冶の一派に来派っていう一門がいるから、その系統なのかな? と思っちゃったりしちゃったり……あそこは来の後に刀匠の名前が付いてるから、来国光や来国次に来国俊とかあるわけで……』
『残念ながら、その来派っていう刀工とは縁もゆかりもないな』
来業伝は来派とは無関係である。
刀剣の名前には、その刀に関する曰くに基づいたものも少なくない。
妖怪を斬った祢々切丸、名将・立花道雪が雷を断ち切った雷切丸、織田信長が今川義元から奪った義元左文字、蛍が刀身を直したという蛍丸……。
来業伝はこれらの名刀の名前に近い。
『座右の銘みたいな来業伝の口癖をそのまま名前にしたんだよ』
その座右の銘とは――。
~~~~~~~~~~~~
『…………我は来たりて業を伝えん!』
懐かしい声に耳朶を打たれ、セイメイは我を取り戻した。
古いスピーカーから聞こえるような声だ。
大事にしていた愛刀を折られて、その鍛造や整備に手を焼いてくれた職人に申し訳ないという思いから、少なからずショックを受けていたらしい。
時間にして刹那――セイメイは呆けていたようだ。
「シャアアアアアーッハハハッ! これで終いッシャアアアーッ!」
――斬龍剣の久世慎之介ぇッ!
見上げれば、サジロウはまだ空の上に留まっていた。
哄笑を上げながら蛇腕の長刀を振り上げている。
こちらが呆けている間に言いたいことを吐いたのか、その三枚目な面構えは毒を出し切って清々しい。気が早いことに勝者の笑みが貼り付いていた。
セイメイは折れた来業伝を見下ろす。
折れた刀身は青白い燐光を放ち、生命的な拍動する手応えを感じる。
『――我は来たりて業を伝えん!』
懐かしい、本家の来業伝と同じ声で刀身を震わせていた。
『其れは斬る業! 断つ業! 裂く業! 割る業! そして万物を絶つ業也! 汝、我が業を伝える者よ! 其方が業は何処に在りしや?』
世之介叔父さんから借りた時と寸分違わぬ声だった。
セイメイは擦れた笑みで歯を見せる。
「訊かれるまでもねぇよ……彼処にいんだろ」
折れたままの来業伝を構うことなく、両手に構えて頭上に振り上げる。
上段の構え――示現流・蜻蛉の構えに近い。
「おれの業は……おれが気に入らない敵を片っ端から斬ることだ!」
『然らば我は応えよう! それが我が業也!』
我は来たりて業を伝えん――ゆえに来業伝と号する。
掲げた来業伝から目を潰すほどの烈光が発せられていた。
完全勝利に突き進まんとするサジロウは、その異変に目もくれることなく大蛇の腕を激しく渦巻かせると、渾身の必殺技をお見舞いしてくる。
「我流“うずまき”――ぎがどりるぅッッッ!」
隙間がない高密度の螺旋を描く斬撃が、巨大なドリルと化していた。
ドリルの尖端が間合いへ突き込まれる。
この機を逃さず見極めたセイメイは、来業伝を振り下ろした。
直前――烈光が目映く爆ぜる。
現れたのは刀身が復元された来業伝。全体の厚みが増しており、刀身の長さも伸びており、刃はより鋭利となる。進化にも似た変貌を遂げていた。
この変化をセイメイは感じ取っていたのだ。
復活した来業伝を唐竹割りの要領でまっしぐらに振り下ろす。
天を、空を、地を――三界を斬り裂く一太刀。
黒衣の剣豪が満を持して放った一撃は、天を割って裂き、大気から気体を追い出す真空の断層を作り、海を割って海底に深い海溝を刻んでいた。
天と地を斬る一刀は、切れ味のある破壊の奔流となって世界を断つ。
サジロウの必殺技“ぎがどりる”も真っ二つだ。
のみならず、三界を斬った斬撃はサジロウの左腕まで切り落とした。
「ぎぃ……ギシャアアッ!? ま、また俺の腕ぉぉぉッ!?」
左肩から血飛沫を噴いてサジロウは絶叫した。
そちらに一瞥くれたセイメイは、新しい来業伝を軽く振って手に馴染むかを確認すると、披露した奥義を改めて唱えてみる。
久世家の生き様を体現したとも言うべき究極の奥義。
「久世一心流――斬龍」
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