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第18章 終わる世界と始まる想世
第426話:そちらは伏兵こちらは援軍
しおりを挟む「愛と憎しみは相反する感情でありながら、同じベクトルを持つ」
わかるかな? とレオナルドは問いを投げ掛ける。
教鞭を執る講師よろしく蘊蓄たれの軍師は、これまでの経験に裏打ちされた愛憎のなんたるかを、返事を待つことなく説いてみた。
「どちらも特定の対象を捉えるものだからだ」
それは人であれ物であれ変わらない。何らかの存在を人は心血を注ぐかのように愛することもあれば、時にその全てを否定するかの如く憎悪する。
その感情のベクトルがブレることはない。
簡単に揺れ動くならば、所詮はお遊びだったということだ。
だが、何かを契機に裏返ることは往々にしてあった。
「可愛さ余って憎さ百倍……先人もよくわかっていたようだね。愛したものへ注ぎ込んだ愛情を持て余すも、裏切られたり情れなくされれば何百倍にも膨れ上がって逆転することを知っていたんだ。きっと実例を重ねてきたことだろう」
レオナルドも身を以て体験している。
「……俺もね、フラれた時には同じ気持ちに駆られたさ」
マリアから別れを告げられたあの日――。
失恋の苦さを奥歯で噛み締め、愛が憎しみに反転すると知った。
いいや、憎しみばかりではない。
まだ愛情が残っているからこそ、自分勝手に納得して1人で旅立ったマリアに腹が立った。ろくに相談してくれなかったことに怒りを覚えたのだ。
「爆乳特戦隊のことはあれだけ相談してきたくせにな……」
フフッ、と失笑が漏れてしまう。
レオナルドが想いを寄せるばかりではなく、マリアもまたレオナルドを愛してくれていた。それは確信がある。
だが、マリアはレオナルドと男女の関係になるのを恐れていた。
ある種の脅えから遠ざけている節がある。
そのひとつに親子ほども離れている年の差があり、だからこそ代わりのいい女として爆乳特戦隊をレオナルドに紹介してきたのだ。
子供の頃にはカンナを、少年時代にはナヤカを、青年期にはクロコを、そして社会人になってからアキを……知己から自分に似た素養を持った美人を選りすぐってくれたのだろう(※ただし性格や性癖などは目を瞑ったと思われる)
これもレオナルドへの思い遣りだ。
そんな彼女たちがレオナルドに猛烈なアタックを掛ける。イチャイチャする場面に出会したマリアは、果たしてどんな感情を抱いたのだろうか?
もしかすると嫉妬してくれたのかも……。
そう考えるとちょっと滑稽に思えてしまったのだ。
相談できない理由――開かせない事情。
真なる世界に関わる密命らしいので、口を閉ざしたのは想像に難くない。
だとしても少しは打ち明けてほしかった。
平凡な家庭に生まれた男が、愛しい女の背中を追いかけて、灰色の御子でもないのに最高幹部にまで登り詰めたのだ。
その努力を認めて、手掛かりくらいは教えられなかったのか?
見返りを求めたわけではない。去り際の彼女がレオナルドを頼ろうとしてくれなかったことに対する、こちらの独りよがりな憤慨である。
「先刻マリアを殺そうとしたのは演技だが……」
ああならなかった保証はない。レオナルドも確約しかねる。
「バグベア君……だったか? 君がお望みの最悪なシナリオと呼ぶに相応しい展開が待っていた可能性も無きにしも非ずだよ。それは認めよう」
マリアと別れて――異世界転移までの一週間。
その期間中に彼女と再会できていたら、どうなっていたかわからない。
あの時のレオナルドは頭に血が上っていた。
マリアへの想いは愛憎を行き来してカオス状態だったので、彼女の出方次第ではどんな暴走をしていたか想像もつかない。
「愛も憎しみも……ひたすらに彼女へ捧げていたからね」
寄せる想いは相反するも向かう先は同じなのだ。
裏表な愛憎――彼女への向けた感情はこれだけではない。
憧れ、哀しみ、保護欲、苛立ち、善意、懐疑、羨望、執念、情熱……。
いいや、すべて理由付けに過ぎない。
「すべての感情を言い訳にしてでも、もう一度彼女に会いたかった」
最も強い感情は愛と憎しみという二大巨頭だ。
その想いは燃え尽きることなく、まだレオナルドの魂に燻っている。
「だから俺は――まだ彼女を諦めてないんだよ」
宣誓するかの如くレオナルドは言った。
この世界の何処から見守っているであろうマリアに向けて……。
宣誓というより宣戦布告の気分だ。
世界に覇を唱えんとした某国の上級将校を思わせる、鎧顔負けの硬さを誇る軍服を着込み、ロングコートをマントにして強風に翻していた。
獅子の二つ名に見合う、荒々しく逆立つ頭髪を後ろへ撫でつけている。
銀縁眼鏡は伊達――こう見えて視力は悪くない。
情報官から情報処理の支援を受けるための機能を組み込んだ、常に視界のあらゆるものへ高度の分析をかけられる特別製の伊達眼鏡だ。
軍師のインテリジェンスを漂わせるマストアイテムでもある。
なんだかんだで爆乳特選隊の恋心を射止めた男前のマスクには、先ほどから不敵な笑みが絶えることはない。既に勝利を収めているからだ。
軍師レオナルド・ワイズマンVS劇作家バグベア・ジャバウォック。
この勝負、レオナルドの圧勝で幕を閉じていた。
しかし、何事においても油断は禁物。
革手袋をした右手には牽制も兼ねた杭を弄んでいた。
もっとも――バグベアは身動ぎひとつできない。
大正モダンを感じさせる風体の三文文士。
その五体が十字を描くように仕向けつつ、両手両脚を特殊な杭で空間に縫いつけてある。一本や二本ではない、4つの手足に数え切れないほどだ。
磔獄門といった風情がある。
杭が刺さるのは手足だけではない。
胴体にもこれでもかと突き立てられ、まるで針の山の如しだ。
レオナルドは深く静かに激怒していた。
あの爆乳特戦隊ですら触れない――レオナルドの繊細な部分。
マリアにまつわる全記憶がそれに当たる。
愛弟子のために軍師となった男のもっともデリケートな部分だ。
ミサキに対する愛情は我が子への父性愛に近い。
マリアへ捧げた男の純情、恋心とはあくまでも別腹である。
冗談でもミサキを奪うような真似をされると理性が蒸発しそうになるが、マリアの話題をほじくり返されるとその比ではない狂暴性を露わにする。
爆乳特戦隊は身をもって経験済みなのだ。
さすがにこれは学習したのか、絶対に触れようとしない。
そんなマリアに関する記憶を覗いただけでも万死に値するのに、あろうことかそれを弱点と見做して、レオナルドを誘惑するべくマリアの偽物まで嗾けてくると、くだらない封印結界に閉じ込めようとしたことだ。
隠れたバグベアを見つけるために偽物を破壊する必要があった。
紛い物とはいえ最愛の女性の形をしたものを、レオナルドの手で壊させたのだ。精巧にできてるがゆえに彼女の苦悶まで見せつけられた。
骨髄に徹する激怒は計り知れない。
万死では物足りない。絶死でも購いきれない。
どれほどのた打ち回って死ねずに苦しむ激痛と鈍痛。
そんな苦痛を百万遍を越えて与えなければ気が済まなかった。
――逆探土竜杭。
激しさを増す蕃神との戦いに備え、特にナイ・アールとかいう無貌の神の手先になったバカ野郎を仕留めるために編み出した秘策のひとつ。
ここぞという時まで秘匿してきた必殺技だ。
バグベアは複数の技能を掛け合わせた高等技能と思っているが、これは過大能力にアレンジを加えたカウンター気味に使う攻撃術である。
レオナルドの過大能力──【世界を改変する者】。
視野が届く範囲内の空間ならば、意のままに改造できる
当初は視界に収まる空間を入れ替えたり、空間内の環境を操作するなどの使い方をしていたが、レオナルドはその程度では満足しなかった。
過大能力を使い熟すのに必要なのは無限大の想像力。
まずは自らの能力を正しく理解する。
能力の限界を把握できたならば、そこから拡大解釈していけばいい。
常識や物理法則に阻まれて、「こんなの無理だ!」などと自信を萎縮させるような心構えではいけない。逆に「俺の能力なのだから好きにやらせろ!」と説き伏せる感覚で、能力の幅を縦横無尽に広げていけばいいのだ。
可能性は無限大――この言葉のみ念頭に置く。
後は想像力を駆使すれば、過大能力は新しい力を開花してくれる。
逆探土竜杭は開花した力のひとつだ。
敵対者がこちらを害するために行使する攻撃や魔法、技能や過大能力。
こうしたものを空間として認識する。
認識された空間をレオナルドは操れるようになる。無論、敵対者の攻撃なので支配権は依然あちらにあるのだが、威力を軽減するくらいは介入できる。
この効果を洗練させた技もいくつか考案済みだ。
そして、バグベアのように本体は身を隠したまま陰湿な攻撃を仕掛けてくる敵対者に対して編み出したのが、この逆探土竜杭である。
当人の居場所はわからない。だが攻撃は襲いかかってくる。
その攻撃を“空間”として認識、反撃でも防御でも構わないので接触。それこそ先ほどのように術中に掛かった演技をして、敵対者の油断を誘うのが適当かも知れない。バグベアなど見事に嵌まってくれた。
後は攻撃という“空間”を遡り、逆探知した本体を貫く杭を撃てばいい。
モグラをデザインした逆探土竜杭は最初の一本のみだ。
それ以降の杭――。
バグベアを空中へ串刺し磔の刑に処した無数の杭は、彼を隠れていた二次元空間から引きずり出した後、レオナルドが乱れ撃ちしたものだ。
血の混じる咳を繰り返すバグベアは、懸命に喋ろうとする。
「ごっ……ゴホッ! 拷問、がお好きとは……ッ」
設定資料に書いてありませんでしたよ、と皮肉をぶつけてきた。
神族であろうと死ぬギリギリ瀬戸際のラインを狙って、全身の痛覚を最大限に味わえるよう責めている。拷問と評されても仕方なかろう。
「人聞きが悪いな――これは尋問というものだよ」
宥められない怒りを滾らせて、レオナルドは新たな杭を撃った。
「よく言うじゃないか、拷問には尋問が付き物だと」
人間ならば即死だが、仮初めながらもLV999に達した神族。死ぬほど痛くて苦しいが、死ぬまで時間が掛かる部位を慈悲なく容赦なく呵責していく。
肝臓を何本もの杭で引き千切られる痛みは想像を絶するだろう。
「ぐむぅぅああああッ!? じゅ、順序が逆になって……ぜがはあッ!?」
喧しい口を黙らせるために追加の杭を一本。
それはバグベアの額に突き刺さり、頭部も動かぬよう空中に縫い止める。
黙らせたレオナルドは講釈を垂れていく。
「君は曲がりなりにもロストナンバー扱いの幹部だろう? 他の主力陣が知らないような情報も破壊神から聞かされているのではないのかな? あるいは俺の秘密を暴き立てた能力で、俺の仲間や同胞の運命も掴んでいるのではないのかな? それと……君は一体いつから裏で糸を引いていたんだい?」
最後の質問にバグベアの眼球が震えた。
そこに微かな動揺を見て取り、レオナルドは「図星か」と呟く。
これまでの不自然な出来事――。
穂村組の精鋭部隊各個撃破、からの穂村組拠点襲撃、ジェイク率いるルーグ陣営への強襲、黄金龍エルドラントの殺害、八天峰角襲撃事件……。
どれもこれもタイミングが出来過ぎていた。
何者かの関与、コソコソと裏工作が行える能力を疑っていたのだ。
十中八九、この男が陰でシナリオを書いていたと見ていい。
「兎にも角にも、君から聞きたいことは山ほどある。素直に話してくれないなら、こうして痛い目に遭わせるしかない……原始時代からそういうものだ」
これも副官の務めさ――レオナルドは卑屈に微笑んだ。
「土方歳三を知っているかな?」
「新撰組……鬼の、副長……が、どうされたのですか?」
あの傑物を自身に重ねているのですか? と丸眼鏡越しのバグベアの眼が口ほどにあざ笑っていた。恐れ多いが肯定するしかあるまい。
幕末にその名を轟かせた戦闘集団――新撰組。
壬生狼とも呼ばれた精強な部隊を率いたのは新撰組組長・近藤勇。彼を支えたのが鬼の副長として恐れられた土方歳三である。
その武勇は誰もが知るところだろう。
だが、土方歳三は新撰組における暗部の象徴でもあった。
意に反する隊士の粛正、間者への容赦ない尋問、過激派志士への折檻。
強情な彼らの心根を折るために、土方は徹底的な拷問を強いたとされる。表看板である近藤勇を立てて新撰組を守るため、それは苛烈を極めただろう。
レオナルドも土方歳三と同じ業を背負う覚悟だった。
愛弟子という王を立てるため手段を選ばない。
「組織を率いる長にはいくらでも敵が湧いてくる。すべて話し合いで決着がつけばいいが、道理も話も通じない相手など掃いて捨てるほどいるだろう? そんな時、綺麗事では片付けられない案件を処理するのが副官というものだ」
早い話、汚れ役も兼任できる要職である。
守るべきもののためならば敵の骸で屍山血河を築くことも厭わない胆力、地獄のがマシと言わしめる拷問を平然と執り行なえる鋼の精神。
蛇蝎より恨まれ憎まれ嫌われ謗られ蔑まれようとも意に介さない。
「王と国を守るためならば手を血みどろにするのも惜しまない」
こんな風にね、とレオナルドは杭を撃ち込む。
「ぐひっ……ぎゃあああああああッ!?」
バグベアが苦悶の絶叫を上げようても手は緩めない。自他共に認める小心者だと思っていた自分が、ここまで残虐になれたものだと驚いている。
やはりレオナルドにとってマリアは琴線らしい。
以前、マッコウに茶化された時も怒りに我を失いかけた。
(※第351話参照)
彼女を不当に扱われれば堪忍袋に火が着く。
普段は冷静沈着に努めようとする分、フラストレーションが詰め込まれている堪忍袋は、彼女の名前を出されるだけで爆発するらしい。
「つまり……これは彼女を虚仮にされた恨みも手伝っているわけだ」
「ぎぃぃぃぃぃッ! えぐっ、えぐっでぇぇぇッ!?」
既に突き立っている杭の上に杭を撃ち込み、刺さっている杭を割り裂くことでバグベアの内臓を開くように抉る。致命に届く拷問だ。
まだ腹の虫は収まらない。しばらくバグベアには付き合ってもらおう。
「もっとも、君が洗いざらい吐けば別だがね」
有用な情報をもたらしてくれたなら、ほんの少し手心を加えてもいい。
より刺々しさを増した杭を用意してレオナルドは凄む。
「吸い出させてもらうよ――ありったけ」
血に汚れた口の端を噛み締めて、バグベアは睨み返してきた。
「吐゛くづも゛りなど……毛頭、ありま……せん゛ッ!」
口腔に溜まった血を吐き出した書生は、わずかに流暢さを取り戻した。
「痩せても枯れてもバッドデッドエンズの一員……この筆のみで取り立てられた貧弱な我が身であろうとも……矜持がありますッ!」
バグベアに開示された秘密はいくつかあると見た。
最悪にして絶死をもたらす終焉の組織としての裏面に隠された秘密、破壊神ロンドにまつわる幾多の謎、終わりで始まりの卵の仕組みや由来。
そして、まだ健在の終焉者8人。
彼らの運命を綴じた本も過大能力に隠匿されているはずだ。
「話すくらいならッ……いっそ殺ぐぅぎあいあいああああああぎああッ!?」
「よろしい、君の覚悟はわかった」
話の途中だが、レオナルドは打ち切るように杭を追加した。
それこそ即死レベルでだ。
もはやバグベアの五体に突き刺さる隙間はない。針のように細い杭から柱のように太い杭までまさに針小棒大、様々な杭を突き立っていた。
「吐いてくれないなら仕方ない――より惨い手を打つまでだ」
レオナルドは肩をすくめて嘆息する。
それから革手袋をしたままの指をパチリと鳴らした。
発動するのは特殊な空間操作術。
忽然と現れたのは、等身大サイズの石版が2枚。
空中に磔にされたままのバグベアの左右へ陣取るように出現し、じっくり目を凝らさないとわからない遅さで、互いの距離をゆっくり狭めていく。
「こ、これは……封印術式ッ!?」
2枚の石版は対象を封じ込める閉鎖空間だと勘付いたらしい。
バグベアも運命を閉じて一冊の本へ綴じる封印術式の使い手。同系統の技には気付くのも早いが、事此処に至っては手も足も出まい。
「監獄式――辺獄封棺石版」
レオナルドは技名のみを厳かに告げた。
空間を制御する過大能力を基幹とし、そこに複数の高等技能を掛け合わせることで完成した封印術式だ。その効果も多岐に渡る。
2枚の石版は対象を挟んで封印、その後コンパクトに縮小。
最終的にはトレーディングカード程度、コレクションするのに最適なサイズにまで縮んでいく。ここまで縮小化した時点で相手は結界を破るだけの力がないことを示しており、半永久的に閉鎖空間へ封じ込めたことが確定する。
この閉鎖空間内――封印結界の中は地獄だ。
本当の意味で地獄の責め苦を受け、猛省するよう促される。
その過程で尋問することで脳内の情報を徹底的に吸い上げることもでき、石版の裏には封じられた当人の過大能力について詳細に記されており、この石版を使うことでその能力を一時的に使うことも可能だ。
(※ただし連続の再使用にはクールタイムが必要)。
「君の過大能力には利用価値がある」
レオナルドは覗き込むようにバグベアへ顔を近付けた。
「既に述べた通り、二者択一でどちらも選ばない第三の選択があるならば、両方を総取りする欲張りな第四の選択もある……俺はその第四の選択を選ぶためにも、様々な手段を確保しておきたいんだよ」
どのような事態にも即応できる臨機応変な対処能力。
想像力を働かせることで過大能力の拡張も推し進めているが、それだけではまったく足らない。この真なる世界では想定外なことがいくらでも起きる。
マリアを救う際に何が起きるか? まだ想像も及ばない。
使える手はいくらでも欲しいところだ。
「君たちの能力も然りだ。存分に役立たせてもらおう」
微笑みを消したレオナルドは、真に迫る眼光を瞬かせて詰め寄った。
「フッ、ブフッ……恐ろしい人だ……ッ」
そして哀れな人だ、とバグベアの眼に嘲りが浮かぶ。
強がりの笑みを浮かべたつもりだろうが、さすがに全身を杭まみれにされては難しかったらしい。苦しそうに表情をねじ曲げて悪態をついた。
「貴方の論理は……破綻している。二者択一を無視してまで……愛した彼女の意志に背いてまで……自我の業欲を押し通そうとしている……」
果たして――彼女がそれを望みますか?
揚げ足でも取ったつもりなのか、バグベアは得意げに問い掛けてきた。
安い挑発だ。レオナルドは顔色ひとつ変えず鼻であしらう。
「――彼女の気持ちなど知ったことじゃないさ」
……え? とまさかの返答にバグベアも呆気に取られている。
一度は鎮まりかけていた怒気が、この質問で再燃してきた。微笑みの消えた表情は煉獄にも勝る怒りの熱気によって鬼気迫る形相へと塗り替えられていく。
レオナルドは胸板を右手で掻き毟る。
「言っただろう? 愛も憎しみも同じベクトルを持つ感情だと……マリアへの愛情はまだこの胸に燃えている。だが、それと同じくらい俺の気持ちを酌んでくれなかった彼女への怒りの炎が……どうしょうもなく燻っているんだ」
マリアに拒まれようと知ったことか。
余計なお世話と喚かれても、力尽くで密命から解放してやる。
悪ガキの気分で好きにやらせてもらう。
「これは俺の我が侭……そんなこと百も承知だ」
昔からいうじゃないか、とレオナルドは激怒の相のまま笑った。地獄の鬼も荷物をまとめて退散する凶悪な笑顔で胸の内を吐露する。
「――恋は盲目とね」
獲物に齧り付く直前の魔獣にも勝る獰猛な笑み。
肝の小さいバグベアは喉の奥で「ひぃ……ッ」と小さな悲鳴を漏らすも、溜まっていた血溜まりで咳き込むことしかできなかった。
だが悪党の自尊心が騒いだのか、往生際も悪く非難の声を上げる。
「い、いや……貴方は理知的で理性的な……小心者と後ろ指を指されるような慎重な人間のはずです! 彼女が望んでないことを心得ておりながら……そんな古臭い格言を免罪符にして、積年の想いを遂げようとしているだけ……ッッ!?」
「ああ、だったらそれでいいさ」
パキリ、と革手袋をした指で器用に音を鳴らす。
左右からじっくりゆっくり近寄っていた2枚の石版。それがレオナルドの合図を受けてノータイムでバグベアを挟み込むと、瞬く間に縮小していく。
トレカ大まで縮んだ石版は、レオナルドの掌中に収まる。
つまらないなと言いたげに道具箱へ放り込んだ。
勝利の余韻も味わうことなく、レオナルドは虚しそうに空を見上げた。
「お節介と怒られようが、いい迷惑と叱られようが、言うことを聞かないと説教されようが……なんと罵られても構わない。むしろそうしてほしい」
俺はただ――貴女の傍に居たいんだよ。
我を貫かんとする男は懺悔を零すように虚空へと訴えた。
守護神と破壊神の盤上――Øのコインが跡形もなく消え失せる。
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「バグベアの野郎、マジでいいとこなしで終わりやがった」
ロンドは何の感慨もない結論を述べた。
しかもソファに寝そべって肘枕をついて、立てた右手の小指で鼻をほじりながらという休日の縁側でのんべんだらりとしている親父みたいなポーズでだ。
これにはバグベアへの同情を禁じ得ない。
破壊神に上司と部下の絆を求める方が間違いかも知れない。
ロンド当人からして「バッドデッドエンズはただの寄り合い、四神同盟に負けておっ死んだ奴が間抜けなのさ」と割り切った物言いをしている。
だとしてもだ――。
「こう何というか、発言にも手心というか……」
ツバサが苦言を呈すると、ロンドは心外そうに唇を尖らせた。
「おいおい、そこは『非道いなぁ、人の心ないんか?』と関西弁でツッコんでくれなきゃダメだろー? そしたらオレが『あぁ、破壊神だからな』って返すわけですよ。そこまで読み切ってから会話のキャッチボールをしてくれねぇと」
「そんな器用な真似に付き合えるかアホ」
いくら先読みを鍛えたと言っても、あくまで武術や武道での話だ。話術などでも勘は働くものの、あくまでも応用の範囲内である。
そんな漫才みたいな打ち合わせ、即興にできるものではない。
ツバサはソファに背中を預けた。
Mカップになった爆乳を支えるように腕を組む。そのまま背筋を伸ばすようにソファへもたれかかると、首も仰け反らせて何もない空を仰いだ。
こうすると超安産型の重い巨尻がより沈む。
ますます地母神らしい女体になっているのではないかと気も滅入る。
いい加減――座りっぱなしも飽きたのだ。
このオッサン、御覧の通り落ち着きとは無縁である。
ソファに座っていてもコロコロと姿勢を変えて、いつの間にかゴロゴロと寝転がっていることも屡々だった。とてもお行儀がいいとは言えない。
ツバサも緊張するのがバカらしくなり、好き勝手に姿勢を崩していた。
本戦前に身体を強ばらせては元も子もない。
適当に関節を遊ばせるためにも、適度に座り方を変えていた。
首を前に向かせたツバサは追求するように言う。
「大体、あの物書きはやることなすこと裏方向きだろうが」
間違っても表舞台に立たせる人員ではない。
舞台裏でシナリオを書いてこそ劇作家だ。舞台上の俳優たちの行動を整え、最高に映えるよう演技させるための物語、その筋書きを認めていく。
恐らく、バグベアの仕事も変わらない。
勝利を収めたレオナルドからの報告で裏も取れていた。
「あの三文文士が裏で糸を引いてくれたおかげで、あっちこっちに被害が出てんのは調べがついてんだぞ。穂村組のあれやこれやも、銃神が復讐鬼になったのも、ソワカって坊さんがブチ切れてんのも……」
全部あの劇作家の仕事じゃねえか、とツバサは詰った。
そう、すべてはバグベアの書いた最悪のシナリオによる被害だった。
バグベアの「他人の運命を改変する過大能力」はLV999に効かないものの、当人の与り知らぬうちに誘導する力を持つ。
敵味方問わず、運命のシナリオの未来に加筆修正をする。
それはもう微に入り細に入り理屈付けするのだ。
やがて「こうするのは自分の意志だ」なんて錯覚を引き起こさせる。すると多少の無謀な行為も気に留めなくなってしまう。
これにより穂村組の精鋭たちは帰りが遅れて各個撃破され、ジェイクたちは知らず知らず安全地帯を離れて黄金龍エルドラントを窮地に追い込んでしまい、ソワカは8人の愛弟子である八天峰角を守れなかった。
知らないうちにバグベアに指図されていたわけだ。
これが洗脳や精神支配のような技能なら、あからさま過ぎて気付くなり抵抗するなりできたはずだが、バグベアが行ったのはあくまでも誘導である
疑念を挟む余地すらなかったに違いない。
ジェイクやソワカが復讐に駆られたのも計算の内だという。
そうして復讐鬼となった彼らが、仇敵であるリードやフェンリルと骨肉相食むような死闘となり、壮絶に相打ちする光景を拝みたかったらしい。
誰も得をしない胸クソENDがお好みだそうだ。
人知れず活動していた裏方だが、被害は甚大といっていい。
Øの称号は伊達ではないということか――。
「そういう意味だと、バグベアの仕事は戦争が始まる前に終わってたな」
8割方――ロンドは完璧ではないと示唆する。
「残り2割は四神同盟も最悪にして絶死をもたらす終焉も、みんな死に絶えるように共倒れするってシナリオを書き上げることさ。それで締め括りだったはずなんだが、レオの野郎にこうも邪魔されるとはなぁ……」
「アイツはこういう抑えをやらせたら超一流だからな」
戦闘能力も高いが、軍師として策略も巡らせる。過大能力の相性もあったが、バグベアが暗躍する前に阻止できたのはGJと褒めるしかない。
矢面には立てないが裏工作をやらせれば秀逸な劇作家。
四神同盟に合流した何人ものLV999が、彼によって運命を弄ばれていたことを考えると、決して軽視できない最強最悪な能力者の1人である。
推測だが――余罪も相当なものになるだろう。
彼の筆先によって人生を狂わされた者が大勢いるはずだ。
現在レオナルドが封印結界に閉じ込めて情報を吸い出している最中なので、助けられる者がいればフォローの必要もある。
「そう考えると、一番タチの悪い輩は片付いたわけか」
あれこれ考えた挙げ句、ツバサはその事実にため息をついた。
胸を撫で下ろした安堵の吐息でもある。
「こっちとしちゃあ使える裏方を潰されちまって散々ってところよ」
一方のロンドはつまらなさそうに荒い鼻息を吹いた。
還らずの都を臨む上空――浮かぶ円卓。
円卓には各地の戦況を反映する“駒”を配置した地図が広げられ、ゲームの盤上に見立てて守護神と破壊神の棋譜にしていた。
そんなラウンドテーブルを取り囲む円形のロングソファ。
そこに腰を下ろすツバサとロンド。
真なる世界の趨勢を決める大戦――2人の睨み合いは継続中だ。
互いを両軍の大将と認めて世界規模での攻撃手段を有するため、前哨戦とも言える各陣営の主力が戦い終わるまで余計な真似をしないよう見張っていた。
ある種の膠着状態、ついでに牽制を兼ねている。
これもまた戦いのひとつだが、不動なのがツバサにはもどかしい。
「……残り8戦が終わるまで傍観するつもりか?」
ツバサは急かすように尋ねた。
最悪にして絶死をもたらす終焉の終焉者は12人(+α)も倒されており、残るコインは8枚。つまり終焉者も残り8人。
この8人も激闘を繰り広げており、すべて佳境に突入している。
それぞれの戦局はどこも一進一退だった。
ミロのように優勢な者もいれば、ダイン&フミカはピンチに陥りかけていた。これまでも13戦もそうだが、ツバサはその母性本能から今すぐに馳せ参じて助けてやりたい焦燥感に突き動かされる。
だが、目の前の極悪親父は見過ごせない。
ツバサが仲間たちを助けるために動けば、ロンドはどんな嫌がらせをしてくるか知れたものではなかった。
またぞろ巨獣と巨大獣を天文学的数字で追加されたら敵わない。
ツバサの質問にロンドはすぐ返事をせず、「どーしよっかなー」という態度でゴロゴロとソファの上で何度も寝返りを打っていた。
やがて上半身を起こして、戯けた調子で長い舌を出す。
「そいつぁオジさんの気分次第だな」
「チッ……無責任で破壊神で極悪の親父なんざ迷惑千万でしかねぇな」
相手に聞こえる舌打ちをしたツバサは毒突いた。
さっき殺戮の女神に変身して火を噴いたりした後遺症なのか、無駄に闘争本能を刺激したため余計にイラついてしまうようだ。
神々の乳母に戻りこそしたものの、騒ぎ出した血は鎮まらない。
ツバサは戦いたくて戦いたくて堪らなかった。
新たな巨獣や巨大獣の卵の一件でも神経を逆撫でされている。
開戦と同時に世界中へばら撒かれた巨獣の卵。
手の込んだ細工が施されており、兵隊としての能力が向上していた。
そのため大量生産は難しいだろうと推測し「最初にばら撒いたので全部」と思い込んでいたら、戦争が折り返し地点を過ぎたところで「いくらでも増産できる」というネタばらしを嬉々として披露したのだ。
駄目押しとばかりに、巨大獣まで創れることを明かしてきた。
巨獣ですら全長100mを下回ることがない怪物なのに、巨大獣に至っては体長が優に1㎞を越える途方もない化け物である。
伏兵として投入された――無数の巨獣&巨大獣の卵。
孵化する前にツバサが怪獣王の熱線を吐いて天を覆うような轟雷を撒き散らし、クロコも何百挺もの重火器で援護爆撃をしてくれた。
大部分は撃ち落とせたはずだが、それでも卵から数万匹は孵るだろう。
――追加された巨獣と巨大獣にどう対処する?
連戦に次ぐ連戦で四神同盟の主力陣はほとんど疲れ切っていた。
まだバッドデッドエンズと戦闘中の者もいる。
彼らに休む暇を与えず新たな戦いを強いるのはあまりに酷だ。
破壊神にしてみれば、それが狙いだろう。
こちらが力尽きるまで、巨獣の群れを繰り出してくるに違いない。
単身で世界を滅ぼすと豪語したのも虚言ではなかった。
巨獣に対抗するため用意した、自律型巨大ゴーレムである巨将。
彼らの部隊はまだ各地で奮戦しているが、巨獣の大群に押し切られたのか大破の報告がチラホラと上がってきている。
拮抗していた戦力差が、ロンドの伏兵投入により覆されつつあった。
どうする? どうする? どうすればいい?
いつまでもロンドを殴れないストレスが爆発寸前なのにも邪魔されて、この難局をどう乗り切ればいいのか名案が浮かばないツバサだった。
「ツバサ様――少々よろしいですか?」
不意に、後ろに控えていたクロコが声を掛けてきた。
何事かとソファ越しに振り返ってみると、また妙なことを始めていた。
クラシカルなメイド服姿は相変わらずだが、右手に持った双眼鏡を目元に当てて遠くの景色を見渡しつつ、左手には数取器を握り締めていた。
メイドでなければバードウォッチングのようだ。
クロコは手にした数取器を目にも止まらぬ速さで連打している。
「気になって確認していたのですが……先ほど撒かれた黒い卵から巨獣や巨大獣が次々と孵化しているものの、孵ったその場から撃破されております」
なんだと? とツバサは疑念を帯びた返事をしてしまった。
内容だけを切り取れば朗報である。
今まさに巨獣たちの駆除について頭を悩ませていたところ、相談するまでもなく迅速にその排除へ動き出した何者かがいるというのだ。
だが、正体不明という点が解せない。
これが状況次第で柔軟に動くよう頼んでいる、四神同盟の遊撃要員の仕事ならば情報網を通じて連絡があるはずだ。しかし、巨獣追加の情報に警戒する旨の返答はあったが、迎撃態勢に入った連絡は受けていない。
レオナルドはトラウマを蒸し返される一戦を終えた直後――。
激戦を勝ち抜けたカンナも壊れた装備品を調えている最中――。
他の遊撃要員もバッドデッドエンズとの戦闘にいっぱいいっぱいか、敵の気配を追いかけて真なる世界を西へ東へと駆け回っているところだ。
勿論、行きずりに巨獣を倒すことも少なくない。
しかしクロコが爆速でカウンターを弾いているのを見るに、とても物のついでに倒している風ではない。明らかに巨獣退治に専念した速さである。
何者の仕業だ? これもロンドの策略なのか?
この極悪親父、一見すると何も考えてない無責任にしか見えないが、百手先まで読んだかのような老獪な策を打ってくるので油断ならない。
そっとロンドの様子を盗み見るのだが……。
「あっれぇ~? おっかしいな~? なんでこんな死んでんの? オレ自爆ボタンでも追加した? まさか……ネムネムちゃんの調整イジってミスった?」
「基本パラメーターは変えるなとネムレス様から釘を刺されたのに……」
どうやらロンドにとっても想定外らしい。
スマホのアプリみたいなもので管理できるのか、手にした液晶端末を必死に指でタプタプと操作していた。後ろに控えていたロンドの秘書ミレンも、心配そうに覗き込みながらあれやこれやと指摘している。
出先でトラブった社長とその秘書みたいなことをやっていた。
ロンドの仕業でないのなら、他のバッドデッドエンズが引き起こした反逆や手違いでもないようだ。かといって四神同盟所属の誰かの仕事でもない。
では――巨獣を倒しているのは何者だ?
「歓談中とお見受けしますが――失礼いたします」
慇懃無礼な男の声が降って湧いた。
つい先ほどまでそこには気配すらなかったはずなのに、誰もが声に驚いて振り向けば、無視できない大きな存在感が何食わぬ顔で居座っていた。
一目見たら忘れられない外見をしている。
それが吉と出ても凶と出ても、この男は些末事と流すだろう。
風体で職業を判断するとしたら一目で「執事」とわかる服装なのだが、執事というにはあまりにも節制できてない体型。いわゆる肥満体である。
それも極度の――はっきり言ってデブだ。
背もそれほど高くないので、太り具合が際立っている。
馬子にも衣装なんて言葉はあるが、体型と衣装が不釣り合いすぎて道化師めいた雰囲気さえあった。シャツもスーツもはち切れんばかりだ。
下ぶくれな顔には、いつも自信満々な不敵な笑みを絶やさない。
これも不似合いなワンレンのロングヘアを靡かせている。
どう見ても人好きはせず敬遠されそうな見た目をしているのだが、独特の味があって興味を引く。そして、不可思議な愛嬌があった。
癖は強いがつい手が伸びる珍味みたいなものだ。
少なくとも、ツバサは嫌いになれないタイプの人種である。
悪友にどことなく似ているためかも知れない。
彼の姿を認めた途端、ロンドとミレンはザワついていた。
この男が現れた意図を読めないようだ。
ロンドは訝しげだが、ミレンは警戒心を上限一杯まで引き上げていた。
「おまえは……えーっと、キョウコウの腰巾着だっけか?」
「どうして貴方がここに……ッ!?」
そして、クロコはまったく動揺していない。
忍び寄る気配すら感じさせず、唐突に現れたこの男にはツバサはおろかロンドでさえも少々面食らっているのに、完全なノーリアクションだった。
おやまあ、と小さな呟きを漏らしただけ。
思い掛けない場所で親友に再会したくらいの反応である。
「お久し振りです――ダオン様」
しゃなりと男へ振り向き、無感動に礼儀正しい挨拶を返した。
「久しいですなクロコ嬢。相変わらずお美しい……いえ、こちらの世界に来られて美貌に磨きが掛かったようですな。お元気そうで何よりです」
ダオンと呼ばれた男は紳士的に振る舞う。
社交的なスマイルを浮かべてクロコに一礼したダオンは、キザな男が囀りそうな美辞麗句を並べ立てる。妙なミスマッチさもこの男らしさだ。
ツバサはダオンとの初対面を思い出した。
まだ真なる世界への異世界転移など夢にも見なかった頃――。
仲間もミロとマリナしかおらず、レベルアップに必要な魂の経験値を稼ぐため、各地のレイドボスや悪役ギルドを手当たり次第に潰し回っていた時のことだ。
とある吸血鬼ばかりのギルドを壊滅させたことがあった。
(※第24話参照)
そのギルド長を務めていたのがダオンだ。
『次回の定例アップデート日──最後までログインしていること』
ツバサに倒される直前、彼はこんな台詞を言い残した。
この意味深長な一言を真に受けたせいなのかおかげなのか、ツバサたちは異世界転移に巻き込まれ、こうして真なる世界にいるわけだ。
そして後日、ダオンの正体を知った。
VRMMORPGのGM №21 ダオン・タオシー。
レオナルドも一目置くほど有能な男だという。
一般プレイヤーに紛れ、何らかの極秘調査を行っていたそうだ。
かつてGMを務めたロンド、ミレン、クロコは同じ会社に籍を置いた同僚なので顔を知っていて当然であろう。そして、ツバサも例外ではない。
この憎めない男とは面識があったのだから――。
ダオンが現れたのはツバサの背後。
円卓のソファに腰掛けるツバサの左手後ろ、そこにはクロコが控えている。反対側の右手後ろ、ダオンが前触れもなく現れた場所はそちらだった。
図らずもメイドと執事を従えた構図である。
ツバサは不本意ながら女主人ポジションになるのだろう。
――しかしだ。
眉間に皺を寄せたツバサは、それを解きほぐすべく人差し指を押し当てて懸命に考え込む。本日のお題は「メイドと執事の理想像」についてである。
脳内の独白が自然と口からこぼれてくる。
「いや、なんかこう……メイドと執事って現代社会の日本では滅多にお目にかかれない職業だから、コスプレとかしたりフィクションの題材として取り扱われるわけだけども、そこにはこう、みんなの理想が託されるわけであって……」
――ウチのメイドと執事がおかしいんだが!?
思わずツバサは叫んでしまった。
「メイドさんってこう……優しくて美人で家事全般ができて戦闘能力が高くて万能で、ちょっとエッチなところが魅力だと思うんだけど……」
「私、すべてを兼ね揃えておりますのでメイドとして完璧ですわね」
黙れド変態! とツバサは叱責した。
癪に障るが大体当てはまるのは認めよう。しかし、度し難い変態という一点がすべての長所や美徳を台無しにしていた。
「執事もこうさ……あくまでも執事ですから、と爽やかで謎めいたミステリアスな優男だったり、脅し文句も一流で年取っても壮健でワイヤーなんかで並み居る敵をぶっちぎるイケメンおじいちゃんだったり……」
「そのような有名な先人たちと同列に並べられると恐縮いたしますな」
並べとらんわ太っちょ! とツバサは怒鳴り飛ばした。
ミステリアスなところはなくもないし、戦闘をやらせれば相応の戦績を上げることは確実だが、如何せん見た目がよろしくないのが最大の欠点だ。
厭味も皮肉も馬耳東風――。
メイドは鉄面皮で弾き返すし、執事は厚顔で聞き入れなかった。
そもそもダオンはハトホル一家の執事ではない。
素知らぬ顔でクロコの横に並んだため、ツバサの執事みたいな立ち位置のフリをしているが、この男の主人は別にいる。まだ生きているに違いない。
あの男――キョウコウ・エンテイは。
~~~~~~~~~~~~
かつて“還らずの都”を巡る戦いがあった。
既に故人である鬼籍に入った英雄たちを、この世の危機に際してたった一度だけ英霊として召喚し、世界を護るために立ち上がってもらう。
還らずの都とは大規模な英霊召喚装置である。
これの軍事利用を企んだのが、猛将キョウコウ・エンテイだ。
神と魔の間に生まれた灰色の御子であり、500年前に真なる世界から地球へと渡り、世界的協定機関に属して人間界に様々な関与をしてきたらしい。
VRMMORPGのGMとして真なる世界へ帰還。
転移後、有能なGMや強豪プレイヤーを傘下に収めて一大組織を築き上げ、還らずの都を手に入れて最大の軍事力とするべく行動を開始。
その過程でツバサたち四神同盟と激突する。
やがて還らずの都を巡り、両陣営の戦争が引き起こされた。
(※第7章から第8章にかけての出来事)
キョウコウが還らずの都を軍事利用する的は、真なる世界を付け狙う別次元からの侵略者“蕃神”に立ち向かうための戦力だと判明するも、その蕃神の中でも一際巨大な蕃神の乱入によって戦争は大混乱のまま終幕を迎えた。
戦争自体は四神同盟の勝利である。
死闘の末にツバサがキョウコウを打ち倒し、その部下も四神同盟の主力陣によって倒され、乱入してきた超巨大蕃神もツバサとミロが撃退した。
これは紛うことなき勝利であろう。
しかし戦争後にキョウコウの「真なる世界を護るためには、蕃神に立ち向かえる圧倒的な力が必要不可欠」という信念を知り、共感を寄せることとなった。
超巨大蕃神の登場が説得力を持たせたためだ。
キョウコウは強引に推し進め、性急に事を成そうとしたに過ぎない。
わかり合えたかも知れない――これが悔やまれる。
キョウコウ自身はツバサに敗北を認めた後、蕃神によって破られた次元の亀裂を埋めるため莫大な“気”となって消滅したことになっていた。
もっとも、ツバサはあれでキョウコウが死んだと信じていない。
あのゴツい鎧親父は往生際が悪いのだ。
本人も「諦めが悪い」と認めていたので大概である。
おまけに過大能力のおかげで恐ろしいほどしぶとい。死ににくい不死身という点ではあの殺戮師グレンと肩を並べるだろう。
絶対どこかで生きている――確信にも勝る予感があった。
そして、彼の臣下ともいうべき8人の幹部。
彼らもツバサの仲間たちに敗北こそ喫したものの、戦争後のドサクサに紛れていつの間にか逃げ果せており、その行方は杳として知れなかった。
……が、その1人であるダオンがひょっこり現れた。
他の7人もまず生きている。
彼らは結束力がなかなか高かったので、残党を集めて再起を図っているのではないかという予測もあったが、あながちハズレでもなさそうだ。
ダオンはキョウコウ一派の実務担当。
執事の仕事もするが、受け持つ業務は幅広いらしい。
キョウコウが帝王として頂点に座り、エメスと名乗る僧侶の身なりをした工作者が作戦参謀を担う。ダオンは執事としてキョウコウとその愛妾ネルネの身の回りの世話を焼きつつ、帝王の意のまま柔軟に成すべきことを熟していく。
別勢力への使者など朝飯前だろう。
ダオンはクロコからツバサへと向き直る。
「ツバサさんもお久し振りでございます。いえ、もはや四神同盟の盟主にしてハトホル太母国の女王……これからはツバサ様と呼ばせていただきます」
こちらの情勢も抜かりなく把握していた。
組織を再構築しつつ、四神同盟の動向もしっかり調査済みのようだ。
「アンタも慇懃無礼さに磨きが掛かったみたいだな」
これは手厳しい、とダオンは掌で額をぴしゃりと叩いた。
幇間持ちも普通にできる。ただし、どことなく挑発的で癇を煽る。
ダオンは同僚でもある元GMたちに挨拶を済ませた後、こちらへ深々と頭を下げてきたのだが、ツバサは肩越しに振り返るだけに留めておいた。
執事の立場がお望みなら、そう扱うまでだ。
「破壊神のオッサン側ではなく守護神の後ろ、それも女中である従者と対になる位置に自ら立ったということは……そういう風に捉えていいのか?」
「はい、あくまでもご提案の段階ですが……」
話が早くて助かります、とダオンは胸に手を添えて頭を下げる。
「既に実働部隊が動いていますので事後報告となり、お仕着せがましくもありますが、ツバサ様と四神同盟の各国代表から承認を頂ければ幸いです」
キョウコウ様を王に頂く“エンテイ帝国”――援軍に馳せ参じました。
「是非とも四神同盟に陣借りさせていただければと参上した次第です」
ヒュウ♪ とツバサは口笛で賞賛した。
あの鎧親父――案の定しぶとく生き残っていたらしい。
そして四神同盟に加盟した5つの陣営が建国したように、あるいは対抗心でも燃やしたのか、彼を帝王とする国家を樹立したようだ。
しかもダオンは「陣借り」と言った。
陣借りとは、綺麗な言葉を使うなら義勇軍が近いだろう。
兵隊も食糧も武装もすべて自前で用意し、味方したい陣営の元へ向かい、その一部隊として戦う。謂わば押し掛けの傭兵団であった。
陣借りの部隊は正規軍ではないため、本隊からのサポートは一切ない。
このため戦力の押し売りなどと揶揄されることもある。
そうした行動に出る理由も様々だ。
義勇軍として義によって参戦する場合もあれば、無理やり恩を売って報償をせしめる魂胆もあれば、借りを返すために手助けする理由もある。
キョウコウの場合――「借りを返す」という線がありそうだ。
真なる世界を守るという共通の観点から、本来ならばツバサたちと協調路線を取れたはずなのに、功を焦って強引な手法を選んだため無駄に戦争を引き起こし、その隙を蕃神に突かれたという前科がある。
それを反省して償うため、謝罪としての援助と考えればしっくり来る。
だから「借りを返す」が近い。
ダオンの態度からしてそのような雰囲気を醸していた。
そこを追求するのは後回しにして、ツバサはまず訊いてみる。
「やっぱり生きてたのか、アンタんのとこの親玉」
「はい、我らも再会した時は驚きました」
ダオンはニタニタと珍妙な思い出し笑いを浮かべる。
「まさか我々も、あのような方法でキョウコウ様が血脈を保っていたとは……思いも寄りませんでしたからね。いやあ、魂消るとはまさにあのような展開のことを申すのでしょう。ああ、ですが申し訳ありません」
今回の援軍――キョウコウ様は参戦しておりません。
主人の不参加をダオンは詫びてきた。
意外だな、とツバサは率直な意見を述べる。
「こういう荒事には真っ先に首を突っ込んできそうなのに……どうした?」
ツバサが首を傾げると、ダオンも申し訳なさそうだ。
「確かにキョウコウ様も『儂も戦う』と血気盛んに仰っておられましたが……今回は家臣一同で自重していただくよう説得させていただきました」
ダオン曰く、体調面に問題があるとのこと。
どうやら先の戦争でツバサに負わされた重傷が後を引いているのと、次元の壁を塞ぐのに大量の“気”を費やしたので、まだ万全の体力ではないらしい。
そのため長い療養期間を必要とするようだ。
「なら、仕方ないかな……うん」
半分くらい自分のせいでもあるため、ツバサもとやかく言えない。
「後はそうですね……無闇にツバサ様たちと戦争を引き起こした責任を感じているのか、少しばかり自粛と謹慎の意味合いもあるようでございます」
ダオンたちの説得だけではなく、自省の念もあるらしい。
先の戦争から1年未満なので禊の時間にしても短すぎるのだろう。
そんな理由から今回キョウコウは欠席だった。
「具体的には十月十日ほど――冥い胎内で過ごしていただいております」
「なんだ、その妊娠期間みたいな日数は?」
ダオンの奇妙な言い回しに、ツバサは反対側へと首を傾げた。
「おいおいおいおいおい……おいぃ!?」
納得いかなそうな声を荒らげたのはロンドだった。
「おいダオン! あの鎧ゴリラ、くたばったんじゃねえのか!?」
鎧ゴリラ――ツバサは密かに吹いてしまった。
確かにキョウコウは、鎧を着込んだゴリラのような巨漢。
あんまりにも言い得て妙なあだ名だった。
ソファから腰を浮かせたロンドは円卓を砕く勢いで両手を叩き付け、こちらに身を乗り出すと、矢継ぎ早にダオンへ問い詰めていく。
「そこのツバサの兄ちゃんにボロ負けしちまった後、超巨大蕃神“祭司長”がブチ破った次元の穴を埋めるために身体を張ったはずだぜ? なんだよ、ありゃフェイクかおい? オレや兄ちゃんに一杯食わそうって腹か?」
「……やっぱり盗撮してやがったな」
ジト目になったツバサはロンドを忌々しげに見つめる。
還らずの都を巡る戦争を、ロンドはちゃっかり観戦していたのだ。
これまでの会話の端々でも臭わせていたが、邪魔者同士が潰し合うところを傍観していたらしい。大方、ナイター気分で視ていたのだろう。
珍しくダオンも不敵な笑みを濁していた。
「我らが王に酷いあだ名をつけてくれますな……否定しにくいですが」
「ツバサもよく鎧親父って呼んでるけどな」
それはノーカンです、とダオンは片手で制して弁護してくれた。
ついでにノーカウントの理由も明かしてくれる。
「古き時代において最強の一角であった御自身を打ち倒し、あまつさえ積年悩まされてきた超巨大蕃神“祭司長”を追い払ったツバサ様という新世代を、キョウコウ様はとても買っていらっしゃいます」
それはもう後援会を設立する勢いで――ダオンはおかしそうに苦笑した。
「なので、その悪口も喜んでいただけるでしょう」
極悪親父のみならず、鎧親父にも好かれてしまったらしい。
マダムキラーならぬオヤジキラーか?
インチキ仙人である師匠や乙将オリベ、彼らへの祖父コンプレックスには自覚はあるツバサだが、オヤジに好かれるのは勘弁してほしい。
だが、このタイミングでの応援は願ったり叶ったりである。
念を押すようにダオンへ問い質す。
「俺を買ってくれるから、キョウコウは援軍を差し向けてくれたのか?」
YES! とダオンは人差し指を立てた。
「我らとて真なる世界の未来を、そこに住まう生命の行く末を案じる者でありますれば……だからこそキョウコウ様は還らずの都を手中に収め、その圧倒的軍事力によってこの世界を統治し、別次元からの脅威より守らんとしたのです」
――破壊神如きに挫かれてなるものですか。
最後の一言を聞いた瞬間、ロンドのこめかみに太い青筋が刻まれた。
「言うじゃねえか……負け犬の寄り合い風情がよ」
「敗北を知るからこそ、二度と負けぬため入念な準備をすることができました」
ダオンはやや前へと首を傾げ、ロンドを睨め上げる。
それから高圧的な態度で宣言していく。
「既に私を含む7人のLV999が出撃しております。また、先ほど各方面へ散開した巨獣に対抗しうる巨大な兵隊を我々も用意いたしました」
その数――およそ100万。
詳細はまだだが、巨将に匹敵する戦闘力を持つ巨大歩兵とのことだ。
LV999の猛者が7人、巨獣と戦える100万の兵士。
援軍としては申し分ない戦力だ。この局面では喉から手が出るほど欲しい。
「これで先の戦争に対する迷惑料……いくらか精算するつもりか?」
ツバサが問えばダオンは太い首を左右に振った。
「いえいえ、そのようなつもりは毛頭ございません。先ほども申しましたとおり、我々は四神同盟への助勢を買って出た陣借り部隊。報奨も恩賞もいただけるような身分ではありません。ただ……」
ツバサ様が恩を感じてくださるなら――幸甚の至りに存じます。
そうなるのを見越したかのようにダオンはほくそ笑んだ。
目は口ほどにものを言う、とはまさにこのこと。
ツバサがこの援軍に恩を感じれば、新たな接点をが生まれる。
先の戦争をすべて水に流すのは難しいが、キョウコウの国と四神同盟で協力体制を結べるきっかけでも作れれば、それだけで儲け物なのだろう。
そのためにダオンは特使として現れたのだ。
陣借りは戦力の押し売り、そして恩義の押し売りでもあった。
勝手に駆けつけた義勇軍であろうとも、それなりに戦果を上げれば無下にできないのが人情だ。幾許かの褒美を取らすのが王の度量というもの。
ダオンはこの機会を待っていたに違いない。
「破壊神が伏兵なら守護神には援軍を……釣り合いは取れますでしょう?」
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