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第17章 ローカ・パドマの咲く頃に
第422話:最高で最後で最初の一撃
しおりを挟む――アダマスは刑務所へと収監された。
無論、捜査や取り調べといった諸々の過程を経てだ。
当時アダマスは18歳だったが、もはや少年法は過去のものである。
幾度も改正されてきた少年法だが、この頃になると18歳からは完全に成人と見なされ、特定少年を保護対象とする理由はなかった。
(※令和四年現在、少年法改正により19歳~18歳の場合は特定少年と位置付けられ、一応は保護対象とされるものの大人として扱われる。警察や検察による捜査を受けた後は家庭裁判所に送られるが、ここから「逆送」という手続きが取られ、もう一度検察に取り調べられ、罪状次第では大人と同様に裁かれる)
三人も死傷させれば厳罰もやむを得まい。
罪状は親族三人を殺したものだろう。裁判所で判決時にあーだこーだ言われたと思うのだが、アダマスはほとんど聞き流して頭に入ってこなかった。
罪状認否に関しては何ひとつ否定することはない。
すべて俺がやりました――そこだけは漢らしく堂々と認めた。
言い訳する理由もなかった。
クソみたいな父親を殺した罪も、怒りに我を忘れたとはいえ、大事に想ってきた姉や母を手に掛けた罪も、アダマスは背負っていく覚悟があった。
大好きな姉や母を失ったショックは癒えない。
父親に代わって生涯守っていくと誓った二人。
彼女たちを殺めた罪を罰されたい、厳しく断罪されたかった。
祖父から名前とともに受け継いだ漢の存在証明。その教えに基づいた矜持が、みっともない逃げ口上を喚くことも許さない。
半ば放心状態だったが、アダマスは罪を全面的に認めた。
刑務所に行くまでは従順で大人しく、模範生のよう落ち着いていた。
刑務所での生活が始まってからは一転して荒れに荒れた。
アダマスが騒動を起こす気がなくても、身長2m越えの大きな若造が入所してきたとなれば、古参の服役囚たちが黙っていない。
あれやこれやと挑発してきたり、露骨に喧嘩を売ってくるのだ。
無論、喧嘩番長の血が騒ぐ。
心を失ってなお、闘争本能の火が絶えることはなかった。
先輩だろうが後輩だろうがお構いなし。喧嘩を売ってきた者が強者なら、すぐさまワンパンKOで叩きのめしてやった。粋がるだけで挑発しかできない小物は、圧倒的暴力を見せつけてやれば黙らせることができた。
ただし、刑務官からの心証は最悪である。
喧嘩の度に怪我人を続出させたことから、「大金剛にガラの悪い連中を近付けると乱闘になる」と懸念され、特別な措置を執られることになった。
結果、アダマスを独房に押し込められた。
死刑囚や重罪人、あるいは特別待遇の囚人のための部屋だ。
刑務官の話によると、本来ならばアダマスくらいの罪では使われるはずがないそうなのだが、雑居房に入れておくと他の囚人を病院送りにするような乱闘騒ぎを引き起こすため、特例として許可が下りたらしい。
もっとも、他の服役者からも「あんな狂暴なのと一緒の牢はお断りだ!」なんて苦情もあったため、隔離措置も兼ねていたようだ。
アダマスにはどうでも良かった。
自暴自棄とは行かないまでも、放心に近い状態は続いていた。
一人で静かに過ごせる時間は他人に気を遣わなくて済むのでありがたいが、自らに向き合う時間も長いので必要以上に自責の念へも苛まれた。
脳内を締めるのは猛省と後悔。
どれだけ自分を責めても許すことはできない。
死んでお詫びを……なんてしみったれた終わり方も許されるわけがない。自殺とは最悪の逃避行動だとアダマスは考えている。漢ならば自分の行いにすべて自分で決着をつけねばならない。テメエの尻はテメエの拭かねばならないのだ。
だから、アダマスは刑務所にいる。
大好きだった姉や母を殺めた罪を償うため此処にいるのだ。
クソ親父に関してはどうでもいい。
どの道、いつかはこうなる未来だと覚悟していた。親殺しが罪だというならば甘んじて裁かれるまでだ。贖罪の気持ちすら湧き起こらない。
ただ、胸の奥に蹲っていたものを失った気がする。
それは憎しみとか怒りとか恨みとか、力と強さを欲する昏い情熱。
闇の色で灯る黒い炎みたいなものだ。
強い奴は怖い――俺の大切な家族をボロボロにする。
これがアダマスの原点であり、純朴だった少年が力を求めるように駆り立てたものだ。憎悪という種火に激怒という薪をくべて燃やしてきた熱意だ。
そうした負の感情が燃え尽きた気分だった。
憎しみの元凶だった父親をこの手で始末したことで、憎しみや怒りがその向けるべき矛先を失ったらしい。それが喪失感の正体だと感じていた。
胸に穴が開いたような空虚感である。
――復讐は虚しい。
そんなお為ごかしの綺麗事、偽善者の世迷い言だと思っていた。
だが、あながち嘘でもないらしい。
達成感は覚えるものの満足感には程遠い。
虚しいか? と訊かれたら首を縦に振るしかない。
少なくともアダマスは、生まれた時から抱いてきた暴力へ突き動かす憎悪や激怒といった原動力を失った。それは疑いようのない事実として受け止める。
胸に生まれた空虚感には、姐や母を殺めた罪悪感が収まった。
なればこそ自責の念は日を追う毎に膨張していき、亡き姉や母への詫び言は朝から晩までアダマスの頭の中で唱えられていた。
姉ちゃん母さん――ごめんなさい、すまない、申し訳ない。
アダマスの語彙力ではこれが限界だった。
間違っても「許してくれ」と縋り付くことはできない。アダマスは許されざる罪を犯したのだから、恩赦を求めるなど烏滸がましい行為である。
独房に移されたのは幸いだったかも知れない。
アダマスは狭い畳部屋で日がな一日、座禅の真似事をしたり、正座のまま動かなかったりして、瞑想めいた物思いに耽ることができた。
その大半が亡き姉と母への謝罪。
そして、胸にわだかまる罪悪感を見つめ直す時間に充てられた。
そう考えると、真似事ではない座禅や瞑想をしていたも同然だ。バカはバカなりに考えて、思索に耽溺したといえるかも知れない。
バカの考え休むに似たり、ともいうそうだが気にしない。
強い奴は怖い――俺の大切なものをボロボロにする。
この原点は変わらず、また譲れないアダマスの原理でもあった。
怖がってばかりでは漢としていけないと、強い奴に立ち向かう強さを求めた。強い奴から大切なものを守るために誰にも負けない力が欲しかった。
そのための努力なら惜しまなかった。
やがて成果は見事に実り、アダマスは強い奴を上回る力を手に入れた。
だが、気付けば自分自身が怖い奴になっていたのだ。
中途半端に手を振り回しただけでも、当人にそんなつもりがなくても、遊び半分だったとしても、か弱い者を傷つけるのに十分すぎる力。
当たり前なことへの思慮が足らなかった自分が愚かしい。
彼女たちの悲鳴に耳を貸すことさえ忘れた自分が情けない。
わずかに脳裏へ蘇るのは、父親を殺して姉や母まで手に掛けた日の出来事。
最初の一撃で父親は戦意喪失していた。
にも関わらず、アダマスの豪拳は留まることを知らない。これまでの辛い日々に急き立てられるように、無抵抗な父親を殴り続けた。殺しても構わない、いいや、確固たる殺意を乗せて父親を殴ったのだ。
見るに見かねて――姉や母がアダマスに縋り付いてきた。
『それ以上はダメ!!』『剛もうやめて!』『お父さんが死んじゃう!』『そんな人のために剛ちゃんが罪を負っちゃいけない!』『お願いだからやめて!』
姉や母の悲痛な叫びが記憶を通じて再生される。
その度に怒り狂ったアダマスを抑えようと、必死で取り縋ってくる二人の顔を思い出してしまう。姉や母にあんな眼で見つめられたのは初めてだ。
暴君たる父親を恐れる――脅えた小動物の瞳。
それがアダマスへと向けられていた事実に、今更ながら恐れ戦いた。
『俺は……糞みたいな父親と同じになっちまった……』
暴力の魔物に脅える弱者の視線、恐ろしい者を遠巻きにする矮小な目線。
姉や母からそんな眼で見られたのが何よりショックだった。
猛省と後悔――謝罪と自責。
謝るべき相手を失った今、ひたすら煩悶するしかない。
独房で孤独に過ごす日々は、アダマスに自らの所業を見つめ直すだけではなく、新たな原理へと突き進ませる熟慮の時間も与えてくれた。
強い奴は怖い――この原点に変わりはない。
大切に想う人々にあんな顔をさせたくはなかった。嫌悪の眼差しを向けられたことを思い出すだけで、悲しみのあまり胸筋を掻き毟りたくなる。
強い奴は怖い――それは自分自身も含めてだ。
自分も人並み外れた強さゆえに恐ろしい者へカテゴライズしていく。
強い奴は怖い――まともな人間じゃない。
恐怖される対象、有り体にいえば怪物でありバケモノだ。
暴力を好み、戦闘に励み、流血を望む異常性。
そんな奴らはこの世にいるべきじゃない。みんな消えるべきだと思う。アダマスという個人も例外ではなく、すべて一掃するべきだという結論に達する。
孤独での自問自答は、アダマスの思考を煮凝らせた。
後悔を養分とした自責の念が、怪しい大樹の根のようにアダマスの心に絡みついていき、その行動原理を極端なものへ変形させていく。
知らず知らずのうちに、歪曲した狂気を育てていったのだ。
強い奴は怖い――怖い奴はいらない。
強い奴は消え去るべきだ。アダマスも含めて、この世にいらない。
『――この世すべての強者を消し去ればいい』
手段を講じたわけではない。明確な方法が思いついたわけでもない。
ただ漠然と、力を持て余し暴力を振るう者を根絶してやりたいという志がアダマスの心中に芽生えていた。一人一人訪ね歩いて殺してもいい、どこかにまとめて誘き出して一網打尽にしてもいい。
『もっと強くなって――この世の強くて怖い奴を皆殺しにする』
戦いの果てに自分も死んで消えればいい。
それを弱き者への……亡き姉や母への弔いを兼ねた贖罪としよう。
姉と母という制御を失ったアダマスは暴走を始めていた。
その暴走に拍車を掛ける人物が現れる。
拍車どころではない。ニトロを注入して故意に大暴走させたのだ。
『強い奴が嫌いだぁ? そいつは都合がいい』
強い奴みんな消してくれ、とその人物は片手間で頼むように言った。
破壊神――ロンド・エンド。
現実世界では円田永介と名乗っていたはずだ。
世界的協定機関ジェネシスの幹部でありながら、下部組織の一会社に役員として出向していた。表向きはVRMMORPG開発のために有能な人材をピックアップするという名目で動いていたが、裏ではあれやこれや暗躍していた。
当時のロンドはよく刑務所を訪問していた。
目的はVRMMORPG開発、その協力者を募集するためだ。
仮想空間あるいはメタバース空間での長時間活動における精神の変化や、倫理観の推移などを調査研究のためにうんたらかんたら……。
詳しく覚えてないが、そんな理由だった気がする。
研究のためにもなるべく多くのデータを集めたいので、善男善女ばかりではなく悪事を犯した人間の精神状態でも研究を重ねたいとかなんとか……。
なので手頃な犯罪者を探していたらしい。
そんな折、狂暴な若者がいるとの噂がロンドの気を引いたそうだ。
この時、アダマスはロンドに見出された。
誰であれ服役囚との面会では刑務官が付き添うものだが、この刑務所に務める刑務官のほとんどがロンドに懐柔されており、忠実な下僕だったという。
後ほど、頭脳役からそのように聞かされた。
おかげでアダマスはロンドと差しで会うことができた。
よくドラマや映画で見る透明なアクリル壁で遮られた面会室ではない。
会議室にも似た個室での面通しを許されたのだ。
これは普通の服役囚だとしても異例の事態である。況してやアダマスは気に食わなければ看守であろうとパンチ一発で黙らせる札付きの乱暴者。
いくら面会者が望んだとしても、刑務所側が許可をしないのが普通だろう。
しかしロンドは強引にこの対面をセッションさせた。
『……俺の噂を聞いてないのか? タイマンで会うのが怖くないのか?』
アダマス自身、訝しさを覚えながらロンドとの面会に応じた。
出会った瞬間――思い知らされる。
生物としての格の違い、異なる質の圧倒的な暴力性。
寝食を忘れるほど強さに打ち込み、喧嘩に明け暮れて力を求めたアダマスの野性的な勘がうんざりするほど警鐘を鳴り響かせてくる。
この漢には絶対に勝てない――と。
話が通じるならば、今すぐ土下座して許しを請うべき対象だ。
相手なんて言葉で片付けられない。
破壊や破滅に滅亡という現象が一点に凝縮され、それが何故か人型をしているとしか思えない存在だった。一人の人間として捉えるのが難しい。
なのに――当の本人は誰よりもフレンドリィだった。
『よお喧嘩番長。噂が一人歩きしてる感じだな』
そんなビビるなよ、とロンドは対面へ座るよう促してくる。
『出会い頭にガン飛ばしてくる利かん坊か、腕試しとかいって殴りかかってくる暴れん坊かと思いきや……お行儀いいじゃねえの』
いいね悪くない、とロンドはありきたりな言葉で褒めてきた。
『粋は良さそうだし喧嘩番長の名に恥じぬガタイとパワーだが、人並み以上に礼儀正しいって高ポイントだぜ? やっぱ目上年上の人間に無礼な若造ってのはよろしくねえよ。上っ面だけでも取り繕ってくれねえとなぁ』
アダマスが大人しく対面したのが予想外で、何気に高得点のようだ。
随分と馴れ馴れしい親父だな――アダマスは内心そう思った。
気さくな素振りは人のいいオジさんにしか見えない。
しかし、油断ならない迫力に気圧される。
心の奥底まで透かす眼光に肝まで縮み上がりそうだった。
『この世の強い奴が怖くて仕方ねえか? 自分が一等強くなってそいつらを駆逐してやろうと思ったんだろ? だったらオレなんかに腰が退けてちゃいけねえぜ? オレもぶち殺してやる! ってぐらいの気骨を見せてくんねぇとな』
そして、言葉の端々でアダマスの琴線に触れてきた。
強い奴が怖い――喧嘩番長の原点へ明け透けなく言及してくる。
得体の知れない気迫は、反論する気力までも奪っていく。
『俺は、そこまで無謀になれません……』
ナチュラルに敬語が口から出た。態度も殊勝にならざるを得ない。
『自分より強い奴は一目見てわかるつもりです。それでも……勝ち目があるなら挑みます。だが……絶対に敵わないと思ったのは……あんたが初めてです』
母や姉を敬う気持ちとは異なり、父親への恐れとも違う。
ただ、その二つの気持ちをミキサーで撹拌したようなドロドロした気持ち、敬意と恐怖がグチャグチャになった感情をロンドに抱いた。
『ホラ、あれだあれ……怖いけど尊敬するって意味の……』
『それを人は畏怖っていうんだぜ』
アダマスの心中を読み取り、ロンドは二字熟語を教えてくれた。
『いいぞ喧嘩番長、とってもステキじゃねえか』
ロンドは椅子にふんぞり返ると、テーブルに両脚を組ませながら乗せて行儀悪いまま上機嫌で笑った。こうなるとチョイ悪親父のチンピラである。
だが、破壊神としての威圧は増すばかりだ。
適当な拍手を何回かした後、無遠慮にアダマスを指差してくる。
『おまえみたいな奴は大概、どんぐりの背比べから頭ひとつ抜けてるから粋がっているってのが通例だ。なのに、おまえは真面目生真面目クソ真面目、身体も本能もお利口さんに仕上がってる。強さへ真摯に向き合ってきた証だ』
初対面なのに破壊神への畏怖に気付けたのが、何よりの証拠だという。
だから丁重に敬意を払うことができた。
喧嘩腰に出なかった点が正しく評価されたらしい。
『自分より強い奴へ噛みつく根性も見上げたもんだ。だが、勇気と蛮勇をごっちゃにしてねえ。無理無茶無謀は愚か者のすることだと弁えてやがる』
見込み大だぜ――喧嘩番長。
『わざわざ刑務所長に粉薬たらふく嗅がせてでも、スカウトしに来た価値があるってもんだぜ。心技体、3つ揃ったままブッ壊れてる奴は少ねえからな』
『……スカウト?』
新しいVRMMORPG開発を手伝うみたいな話を聞かされていたアダマスにしてみれば、スカウトという表現は少々引っ掛かった。
ロンドはお構いなしに話を続ける。
『ここだけの話――オレの趣味は武器集めでな』
脈絡のないカミングアウトをしたロンドは、掌を返すように上へと向けた。
右手の上には無数の武器や兵器、その幻影が浮かぶ。
『世界を二度と再生できないくらいぶっ壊せる武器をあるだけ欲しいのよ』
武器っすか、とアダマスは舎弟口調で繰り返す。
『俺もゲームは結構やる方ですけど……とある死にゲーだったら。伝説の武器からそこらの雑魚がドロップする木っ端武器、なかなか落とさないレアドロまで、ひとつ残らずコンプリートするまでやり込む方っす』
『おっ、話がわかるじゃねえか。それとちょい似たような感じよ』
もっとも――オレは厳選するけどな。
ロンドは伸ばしたままの人差し指を眉間の前に立てた。
『最低でも都市破壊! これができなきゃオレが蒐集する価値はねえ』
そして、破壊神は己がうちに秘めた野望を明かした。
――最悪にして絶死をもたらす終焉。
真なる世界を滅ぼすため、破滅主義者を秘密裏に募っていたのだ。
本音を言えば、地球も木っ端微塵にしたいらしい。
しかし地球は遠からず巨大隕石の衝突によって滅ぶので、わざわざ滅びの手を下す必要はなかった。時が経てば勝手に滅ぶのだから、手を煩わすこともない。
まあ、ちょっと残念そうではあった。
『だが、人類には避難先として真なる世界が用意されている』
実際には真なる世界を脅かす“外来者たち”や“蕃神”と呼ばれる、別次元からの侵略者に対抗するための戦力として移住させられるそうだ。
『ロンドはそういうの興味なくてな。ただただ世界を滅ぼしたいのよ』
そこに地球も太陽系も真なる世界もない。
あるべき世界を塵も残さず消し去るのが、彼にとっての命題なのだ。
破壊はロンドの本能に根ざした欲求らしい。
食欲よりも性欲よりも睡眠欲よりも強い、呼吸をしなければ死んでしまうかのように、ロンドにとって当たり前の生理的欲求とのことだ。
目的や目標などの目指す先ではなく、使命や宿命ほど高尚なものでもない。
存在意義や存在理由ほど哲学的な理由でもない。
すべてを壊すため唯そこに在る――それが破壊神だ。
『俺一人でやってもいいんだが、なにせ真なる世界はバカが付くほどデカくてな。オレの手伝いで一緒にバカやってくれそうな奴に声かけてんのよ』
どうだい? とロンドはぞんざいに勧誘してくる。
この時、アダマスは即答できる決断力を持っていなかった。
世界を滅ぼす――その戦力として求められている。
そこまでは理解が及んだが、喧嘩しか能がない自分にそれを手伝えるとは思えなかった。まだ現実世界に基づいた考えに縛られてもいた。
だからなのかロンドも詳細を明かさない。
階段を一段一段上るように、着実にこちらの心へ忍び寄ってきた。
この段階で真なる世界への転移という絵空事みたいな未来については明かされていたが、アダマスは半信半疑だった。破壊神の人知を超越したプレッシャーを浴びて、不可思議な能力をいくつか目の当たりにしたとしてもだ。
そこでロンドはアダマスの原点を擽ってきた。
『強い奴が怖い、怖いから根絶やしにしたい……そうだろ?』
違うか? とロンドはアダマスの心を見透かす。
『でも強い奴と戦うのは楽しい。強い奴に勝つのは嬉しい……だよな?』
違うか? とロンドは反復して訊いてくる。
アダマスは否定できない。どちらも本心だから尚更だ。
強い奴が怖いというのは、揺るぎないアダマスの原理だった。それは原因とも言うべき父親を殴り殺した後でも変わりはしない。
反面、強い奴と喧嘩することに楽しさを覚えたのも事実だった。
強さの高みを目指して競う戦闘に鼓動は高鳴り、己の強さで相手を捻じ伏せて高みへ昇る瞬間に興奮を覚える。それらは戦士の本能が求めるものだろう。
喧嘩で帯びた熱を忘れない拳を握り締める。
すべてを失ったアダマスに残されたもの、これだけは決して裏切らない。
漢の存在証明たる拳を見つめて答えた。
『強い奴と戦い……殺してやりたい、すべてを……とは思います』
それでもいくつかの疑問はあった。
常識の範疇に照らし合わせて、まずはその点から問い掛ける。
『でも、俺はただの喧嘩屋……人をぶん殴ることしかできません。あなたの言っている、その……世界を滅ぼす手伝いをできるとは思えないんですが……』
『そいつぁ言い訳だな』
ロンドはアダマスの迷いをぶった切って断言した。
迷い惑わす心の靄を払うように、チョイ悪親父は手を振り払う。
『おまえさんの本心はたったひとつ』
強者との血湧き肉躍る戦いを望み――これに打ち勝つことで殺す。
ロンドは喧嘩番長の求める道を一言にまとめた。
その通りだ。肯定するしかない。
『そうして戦って殺して戦って殺しての修羅道を追求していき、いつか最も強き者となった自分も野垂れ死ぬ……それがアダマスの望む果てのはずだ』
なのに――後悔のせいで踏ん切れない。
ギクリ、と図星を突かれた。
ロンドの指摘は的のど真ん中を射貫いてきたからだ。
『手に掛けちまった姉ちゃんと母ちゃんに申し訳が立たねえか?』
『…………ッ!』
アダマスの裁判記録は目を通している。過失とはいえ肉親を殺めた小僧の胸中を読み取るなぞ、この破壊神なら朝飯前に違いない。
ロンドは机から足を下ろし、思いっきり身を乗り出してきた。
鼻先が接するまで顔を近付け、暗示でも掛けるように言い聞かせてくる。
『逆にこう考えろよ――もう枷はねぇんだとな』
『か、枷……?』
戸惑うアダマスの目玉へ人差し指を突きつけてくる。
『そうだよ……枷だ。おまえを善人ぶらせる良心という名の枷、常識の範疇に留めようとする鎖、肉親への共感性で衝動を食い止めんとする軛だ』
大切な姉も母も――この手で殺してしまった。
憎悪と激怒の源だった父親も――完膚なきまで殴り殺した。
アダマスが規範とするべき人々はもういない。
裏を返せば束縛する人間関係をほとんど失っていた。裁判関係で世話を焼いてくれた叔父はいるが、その接触は必要最小限で済まされている。
彼は祖父への恩義を果たしたいだけ、それ以上を成そうとはしてない。
『俺は……もう、誰にも縛られていない』
良きにつけ悪しきにつけ、自由の身と言い張れるわけだ。
この考えにアダマスが至ると、ロンドは誘うように尋ねてくる。
『さあ、おまえに失う者はもうない! おまえに残されたものはなんだ?』
『……俺に残されたのは……拳だけです』
漢として積み上げてきた、最後の存在証明を掲げた。
自らを縛る縁が経たれたことで、柵から解き放たれた闘争本能が暴れ出す。
強い奴は怖い――怖い奴らを皆殺しにしたい。
強い奴と戦うのは楽しい――怖い奴に勝つのは嬉しい。
拙くも力強い衝動は、アダマスを突き動かすシンプルな行動原理だ。
『この拳で……強い奴らをすべて打ちのめしたいです。世界が終わるまで、一人でも多くの強者を叩きのめしたいです……破壊神も例外じゃありません』
嘘はつきたくない。だから本音を明かした。
ロンドに挑めばアダマスはきっと死ぬ。望み通りの野垂れ死にだ。
よし! とロンドは好感触だったのか親指を立ててきた。
グッドサインを突きつけてアダマスに約束する。
『なら、その鍛えた拳を好きなだけ奮ってやれ! 喧嘩番長此処にあり! と誇示すりゃいい! 強い奴らをみーんなブッ殺してやれ! 心行くまで暴れられる力と、望むまま強くなれる場所を破壊神がセッティングしてやる!』
アダマスは――戦りたいことを闘ればいい。
『破壊神も殺したきゃ殺してみな。いつでも挑戦はウェルカムだぜ』
ロンドは男臭い笑みを湛え、握ったままの拳を差し伸べてきた。
『強い奴と戦って殺す……飽いても殺らせてやるよ』
固唾を飲み干したアダマスは、決心の頷きを前へと倒した。
そして握り締めた拳を恭しく差し出しす。
『もし、本当にその望みを叶えてくれるというなら、約束を果たしてくれるというのなら……俺のこれからを破壊神に預けましょう』
喧嘩しかできない拳で良ければ――好きに使ってください。
アダマスは自らの拳をロンドの拳に打ち付けた。
これで契約は成立し、アダマスはロンドの部下として名を連ねた。
――最悪にして絶死をもたらす終焉。
その中でも最強の一角と恐れられる立ち位置に就く。
単純に世界を滅ぼす力ならば同僚であるリード、あるいは幹部のマッコウに譲るものの、戦闘能力ならば紛れもなく筆頭だろう。
比肩しうるのは、魔母ジンカイか鏖殺師クロウくらいのもの。
それだけの力をアダマスは独力で手に入れた。
まず刑務所内の独房から、与えられた特別室へ移送される。
世界的協定機関の特別協力員として用意されたのは、発売前のVRMMORPGを試験的にプレイできる環境だった。発売リリース後も継続して遊べるように調整されていき、アダマスは夢中になってのめり込んだ。
このゲームを通して異世界転移する、その経緯と時期については事前に知らされており、どう対応するかも指示されていた。
それまでは――ひたすら力を蓄える充電期間である。
かつてのようにアダマスは喧嘩へ明け暮れた。
もっとも喧嘩の相手は人間からモンスターへと移り変わったが、生物として格上なので申し分ない。対戦相手に事欠かないので時間を忘れて没頭した。
来る日も来る日もVRMMORPGにログインする毎日。
強者と戦う満足感、強者を殺す達成感、更なる戦いに思いを馳せる期待感。
アダマスは激戦の日々に酔い痴れていた。
異世界転移を迎えたその日、アダマスはLV999の神族に転生していた。
神族・暴嵐神――颶風と稲妻を従える猛々しい神。
この時、アダマスはバッドデッドエンズで最も頭角を現していた。
なにせ真なる世界へ転移直後にLV999まで成長していたのは、アダマス以外に誰一人としていなかったからだ。
努力家なリードやサバエでもLV995、ジンカイでもLV998、クロウは殺しへの欲求というムラッ気があったためかLV997、剣術においては精進を忘れないサジロウでもLV996だったはずだ。
全員、追いつくようにLV999になった。
一部の者はロンドの過大能力という援助を受けていたが、自力でそこまでのし上がれていれば十分だろう。ほんのちょっと背中を押されたに過ぎない。
だが、後にも先にも最初からLV999なのはアダマス唯一人。
一目置かれるのは当然だった。
LV999になった他のバッドデッドエンズでも、大なり小なりロンドから破壊神の力を分け与えられたことで過大能力などを魔改造したり強化させていたが、アダマスだけはその恩恵をまったく受けていない。
ロンドは「力ほしくない?」とお小遣いを寄越すみたいに提案した。
しかし、アダマスは辞退させてもらった。
喧嘩をするなら自前の力で、相手を殴り殺すなら自身の力で――。
漢の存在証明で打ち勝つことを望んだからだ。
『強い奴には父親のような力を笠に着たクズも多いけど、中には気持ちいい奴もたくさんいました。だからといって手加減するつもりも見逃すつもりもないが……そういう奴らにはズルをしたくないんすよ』
自前の力のみでタイマンを張る――それが漢だろ。
この心意気は大いに買われ、アダマスはロンドの覚えがめでたかった。
だからこそ一番隊に配属されたのだ。
もしも破壊神が志半ばで倒れた時、その代理を務められる保険的存在。
一番隊隊長 リード・K・バロール。
彼を補佐する副隊長として――その身辺警護をする護衛役として。
その際、ロンドから改名するよう言い渡された。
『破壊神の力をいらんというおまえの心意気は買おう。だが、悪の組織の一員として、それらしい名前を名乗ってくれねえか?』
アダマス・ビッグダイヤは不釣り合いだと苦言を呈された。
『おまえが神化するのに選んだ神族は暴嵐神だったな。じゃあテュポーンってのはどうだ? 確かあいつぁ嵐や破壊を司る神族の敵対者だったはずだ』
ギリシャ神話の最高神にして最強神――ゼウス。
そのゼウスを真っ向勝負で打ち負かした怪物こそテュポーンだ。
ゼウスが雷霆を武器としたのに対して、テュポーンは灼熱の業火を吐いて対抗したというが、その名前はTYPHOONの語源ともされている。
まさに暴嵐を司るに相応しい名前だった。
この改名案に快諾し、アダマス・テュポーンと名乗りを改める。
こうしてアダマスは世界を破壊する道へと踏み出した。
~~~~~~~~~~~~
「姉ちゃん……本当に姉ちゃんなのか……ッ!?」
まだ20年ほどの短い半生を、走馬灯の如く一気に回想した。
困惑するアダマスの表情は、そんな遠い過去を幻視していたらしい。記憶に刻まれた姉を面影を思い出そうとしているようだ。
だからこそ、目の前に現れたトワコには当惑を隠せていない。
思わず頭を掻き毟ろうとするアダマス。
それをやると自慢のプラズマリーゼントが乱れるため、すんでのところで思い留まっていた。整髪用のダイヤモンド製な櫛は折ったばかりだ。
そして、喧嘩のために握った拳を開くこともなかった。
臨戦態勢を解かない喧嘩番長だが、死んだはずの姉の出現には度肝を抜かれたのだろう。明らかに狼狽して闘志にやや陰りが窺えた。
「そうよ、剛ちゃん……お姉ちゃんよ」
その機を逃さないように、トワコはアダマスへ近付いていく。
愛したヴァイオリンの進化系ともいうべき、見たことも聞いたこともない弦楽器を胸に抱いたまま、数年ぶりに再会できた最愛の弟の元へ向かう。
アダマスは――後退っていた。
幽霊でも恐れるかのように腰が退けていた。
アダマスの言を信じれば、彼は姉が死んだと思い込んでいた。
父親や母親とともに「自分が殺した」と疑わず、今日まで生きてきた。その過ちがアダマスをバッドデッドエンズに踏み出させたといってもいい。
トワコから聞いた通りなら、アダマスは気の良い漢だ。
間違っても世界滅亡を目指す性分ではない。
――アダマスが道を踏み外した理由。
大好きな姉や母を自らの手で殺してしまった後悔、憎い父親によって植え付けられた強者への恐怖、それらが取り払われたことによる誤った開放感、残されたのはより強き者と戦いたい挑戦心と、自らを脅かす強者を消したい生存欲求。
いくつもの要素が、最悪の連鎖反応を起こした結果である。
恐らく、破壊神の働きかけもあったはずだ。
元を正せば姉であるトワコやお母さんを手に掛けた、そう思い込んだ罪の意識がアダマスをここまで歪ませてしまったのだろう。
多分、引け目も負い目もあるはずだ。
今のアダマスは姉のトワコさんから見れば、喧嘩しまくりの番長や暴走族のリーダーをやっていたヤンチャ時代どころの非行っぷりではない。
なにせ世界を滅ぼす破壊神の部下である。
品行方正なトワコさんからすれば、許しがたい暴挙に違いない。
そんな姉に育てられたに等しいアダマスもわかっているだずだ。もしもお姉さんが生きていたら、今の自分はとても褒められたものではないと……。
愚弟と叱られても反論できまい。
ゆえにアダマスは愕然とするも脅えていた。
悪戯がバレた悪童のように、保護者からのお叱りに身構えている。
「剛ちゃん……もうやめて、お願いだから……」
悪いことはもうやめて……トワコは涙を張らした顔で歩み寄っていく。
戸惑うアダマスは蹌踉めきながらたじろいだ。
既に五歩は後ろへ退いている。
アダマスには下手な説教より、泣き落としの方が効果大だった。
ミサキの気迫に押し負けることもなければ、ツバサさんやロンドの覇気さえもどこ吹く風で受け流す漢が、苦々しい顔で逃げ腰になっていた。
愛想笑いみたいな辛そうな顔で苦しんでいる。
鬼気迫るも半笑いで歯を食い縛り、バケツで水を浴びたかのように脂汗を垂れ流していた。メチャクチャに混乱する気持ちが表情にすべて表れている。
「違う、違うんだ、姉ちゃん……」
太い首を小刻みに震わせ、プルプルと否定に首を振った。
「いや、ち、違うよな……だって、姉ちゃんは死んでるんだ……そうじゃなくても、こっちの世界に、真なる世界にいるわけがねえ……母さんと一緒で機械音痴だった姉ちゃんが、VRMMORPGをプレイできるわけがねえ!」
混乱するアダマスは釈明めいた譫言を呟いた。
目の前の姉という現実を、様々な観点から受け入れられないらしい。
おい兄弟! とアダマスは唐突にミサキへ呼びかけてくる。
「ちょっと俺のほっぺたブン殴ってみてグラボイズぅ!?」
「OK、じゃあ遠慮なく」
アダマスが依頼を言い切る前に、ミサキは掛け値なしで全力の腰が乗ったパンチを右頬におみまいしてやった。龍脈を使わなかったのは武士の情けだ。
首から上は明後日の方向へ向いたが、首から下はピクリとも動かない。
相変わらず、呆れるほどの体感の強さだ。
頬にできた鉄拳の跡をさするアダマスは涙目で一言。
「……痛ぇ。夢じゃねえ! 現実だこれ!?」
なかなか古風な夢か現かを確認する方法を選んだものだ。
ついでにミサキからアドバイスをさせてもらう。
「あのさ……たとえばオレがアダマスを謀るために、幻術とか代役で用意した偽物とは疑わないの? そっちの線を真っ先に疑うべきだと思うんだが……」
「兄弟がそんな卑怯な真似するわけねえだろ」
コンマ秒も置かずに即答された。
敵と味方なのに信頼が厚すぎる。こちらの好感度が上がりそうだ。
ミサキとアダマスが喧嘩友達みたいなやり取りをしていると、トワコはハンカチで涙を拭い、嗚咽が混じる涙声で切々と訴えてくる。
「やっぱり……その嘘を信じていたのね……」
「嘘? 嘘って一体……?」
「姉やお母さん、それにお父さんが死んだって……嘘よ」
叔父さんがついた嘘……トワコさんは悔しげに付け足した。
「……う、そ? ぜ、全部、みんな嘘だってのか!?」
アダマスは目玉がこぼれ落ちそうなほど剥き出し、顎が外れて地面に触れそうなくらい大口を開けている。開いた口が塞がらないほど驚いていた。
トワコはまた目尻に涙を浮かべて話し始める。
「私もお母さんも、剛ちゃんを抑えようとして振りほどかれただけ……その拍子に気絶しちゃったけど、入院するほどでもない怪我だった……」
父親の返り血を浴びて、気絶していただけらしい。
それをアダマスは「自分が殺した」と早とちりで勘違いをした。
「お父さんはその……全治1年の重傷だったけど……」
「あ、うん、それは……俺的には割とどうでもいいんだ……うん」
アダマスは気まずそうに半合掌に立てた掌を振った。
その態度はあからさまに「殺し損ねたか……」という残念さを滲ませていた。もし本当に死なせていたとしても、殺人の罪を認める覚悟もあるようだ。
父親との確執が相当根深いらしい。
ここでミサキは高校生レベルの知識力ゆえに首を傾げた。
「あれ? じゃあなんでアダマスは刑務所へ?」
ただの親子喧嘩で済む話ではないか? とミサキは考えた。
この短絡的な考え方にトワコから異が唱えられる。
「それは……お父さんへの傷害罪が適応されて……私たちへの乱暴は過失だけど、お父さんは本当に死ぬ寸前まで追い込まれたから……あまりにも凄惨な現場状況も鑑みられて、殺人未遂まで視野に入れられたくらいで……」
親子喧嘩で片付けられるラインを越えていたようだ。
(※他人に乱暴するも傷を負わせなければ暴行罪、乱暴をした上で故意に傷を負わせたら傷害罪となります。暴行罪なら2年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金、傷害罪なら15年以下の懲役もしくは50万円以下の罰金となります)
(※相手を殺そうとするも失敗や止めた場合は殺人未遂罪となり、基本的に殺人罪と同列に扱われます。刑罰は無期、あるいは5年以上20年以下の懲役です)
アダマスの父親は半殺しどころではなかったらしい。
傷害罪は避けられないとして、ついでに殺人未遂も罪状に数えられておかしくなったという。しかし、優秀な弁護士のおかげで免れていた。
姉や母の証言(父親のDV暴行)も、刑を軽くするのに役立ったそうだ。
刑期も10年を越えず数年、独房を割り当てられるほどの重罪人ではない。
「だから剛ちゃん……あなたは誰も殺してないの!」
あなたは人殺しなんかじゃない――ましてや親殺しでもない。
トワコは涙ながらに訴えた。
アダマスは姉であるトワコの存在自体にまだ半信半疑の様子だが、彼女の声を聞き分けるくらいの理性は取り戻せてきたらしい。
怒ればいいのか泣いていいのか笑うべきなのか喜ぶべきなのか。
どう表現すべきかわからず、沸々と沸き立つ混沌とした感情は半分にやけたようで残り半分を引き攣らせた。なんとも言えない表情を醸し出している。
ただ、にやけた部分には安堵が覗けた。
『姉ちゃんと母さんが生きてて良かった。本当に良かった……ッ!』
そんなアダマスの安心感を垣間見ることができた。
反面、怒りや悲しみも込み上げるらしい。
「だ、だったら……なんで叔父さんは『みんな死んだ』なんて嘘をついたんだ!? 姉ちゃんたちだって……どうして面会に来てくれなかった!?」
アダマスは2つの不満点を苛立たしげに叫んだ。
鬱憤をぶつけるように声を上げたのだが、過去の事件を反省したのかお姉さんに乱暴したくないらしく、荒らげた声は普段より大人しい。
それでもトワコはビクッ! と首を竦めた。
姉を脅えさせたことにアダマスは、露骨に気まずさを感じていた。
慌てて「ご、ごめん……」と謝っている。トワコはブラコンだと告白していたが、アダマスもお姉さん想いのいいシスコン弟のようだ。
トワコは小さく首を振ってから答える。
「それも叔父さんよ……良かれと思ってやったこと、みたいだけど……」
たどたどしくもアダマスの不満点を説明していく。
「叔父さんはあなたに反省を促すため、敢えて『みんな死んだ』と嘘を教えて……あなたの反応を見たそうなの……それを聞いたあなたは恥も外聞もなく号泣したから、叔父さんは『更生の余地がある』と判断したって……」
最高の弁護士を用意し、刑が軽くなるよう尽力してくれたそうだ。
それに……とトワコは不思議そうに問い返す。
「……どうせ裁判の時に私たちが生きてるとわかるから、すぐバレる嘘だと叔父さんは言ってたんだけど……どうして真に受けちゃったの?」
トワコの言うことが正論である。
裁判で判決を言い渡される際、罪状を読み上げられる。家族を三人も殺せば殺人罪は確定、法廷でしっかり裁判官からも説明されるはずだ。
すると、アダマスは面目なさそうな顔で明後日の方を見つめていた。
「裁判の時……何があったか覚えてない……全然」
「……嘘を真に受けて聞き流しちゃったのね」
さすが賢姉、当時の愚弟の心理状態を見事に推理した。
姉や母を殺したと勘違いしたショックのあまり、拘置所で過ごしたことや裁判で法廷に引き出された時は、心神喪失に近い精神状態にあったようだ。
すべて唯々諾々と流して、話半分も聞いてなかったらしい。
なんとも喧嘩番長らしい大ポカだった。
もうひとつの疑問についてもトワコは弁解する。
「裁判が終わった後……すぐ剛ちゃんの面会に行こうとしたんだけど……叔父さんや親戚のみんなに止められたの……まだ早い、って……」
「アダマスを刺激しないように――ですか?」
助け船のつもりでミサキが口を挟むと、トワコは静かに頷いた。
「剛ちゃんが怒ったのはお父さんのせいだって……私たちも叔父さんも親戚のみんなもわかっていたけど……私やお母さんも手を上げられたのは間違いないから、念のため、もう少し時間を置きなさいって……あとね」
ちょっと変だったんだけど、とトワコも不可解な点があるらしい。
「面会申請しても、叔父さんは通るんだけど……私やお母さんは『当人を刺激する恐れがあるため』って刑務官さんから断られちゃったんだけど……?」
「え? な、なんだそれ……ッ!?」
面会拒絶ならぬ面会遮断、これについてはアダマスも初耳のようだ。
しかし、ミサキにはピンと来た。
「破壊神が裏で手を回したんじゃない?」
ロンドはアバウト極まりないチャランポラン親父だと聞くが、彼が手を下さずとも頭脳役や右腕といった有能な幹部が控えている。
彼らが手を回した可能性が高いと思えた。
軍師気取りな師匠を真似して、ミサキなりに考えを口にしてみる。
「せっかく仲間に引き込んだ最強の喧嘩番長。世界滅亡への意志も酌んでくれたというのに、吹っ切れるきっかけとなった死んだはずのお姉さんやお母さんが生きているとわかれば、改心してしまうかも知れない……」
アダマスの離反を未然に防ぐため、細やかな手を打ったのだろう。
心当たりがある――アダマスの顔に嫌な汗が浮かぶ。
あまりに汗を掻きすぎて、眉毛や睫毛が機能しなくなるほどだ。
シパシパと頻繁に繰り返す瞬きに、動揺が感じられる。
「確かに……俺のいた刑務所でロンドさんは我が物顔だった……マッコウさんやアリガミさんだって、いくらでも融通が利かせられていたけど……」
「決まりだね、疑う余地はないと思うよ」
ミサキは掌を上にして、しょうもなさそうに肩をすくめた。
ロンドは鷹揚のように見えて小細工を忘れないそうだし、大雑把なところは幹部が埋め合わせをしているという。コンビネーションはばっちりだ。
まだ推測の域は出ない。確証となるものもない。
だが、アダマスは示唆された可能性にショックを受けていた。
「俺は……はめられていたのか……」
「手放したくない人材だった、とも言い換えられるけどね」
せめてもの慰めをミサキは補足した。
小細工を弄するほど、失うには惜しい人材だったと推測できる。
「……と、とにかく剛ちゃん!」
しょんぼりする愚弟を励ますべく、賢姉が細い声を張り上げた。
「私もお母さんも死んでなんかないの! あの時は吹き飛ばされて、ちょっと気を失っちゃったけど……こうしてちゃんと生きてるから!」
お父さんも生きてるし! とトワコは頑張って主張した。
アダマスは鬱陶しそうに片手を振る。
「いや、本当、そこはどうでもいい……ノーコメントで」
「あなた本当にお父さん嫌いね!? いや、まあ、私もだけど……」
あんな人でも一応は父親だし……とトワコは苦しげに取り繕う。
しばし、気まずい空気が流れた。
「行き違いこそあったけど……みんな生きているの」
その事実を伝えたトワコは、自分が異世界にいる理由も明かしていく。
「剛ちゃんの面会に行ってた叔父さんから聞いたの……『新しいVRゲームの開発に剛が協力している』って……だから……」
叔父の力を借りて、そのゲームについて調べたそうだ。
それがVRMMORPGとわかったトワコは、機械音痴ながらも頑張ってゲームの操作方法を覚えて、アルマゲドンの世界を彷徨っていたという。
可愛い弟に会いたい一心で各地を訪ね歩く日々。
いつしか本当の異世界に飛ばされていたけども、自分よりずっとタフで逆境に強いアダマスならば、きっと生きていると信じて疑わなかったそうだ。
だが、悪い噂を耳にする。
世界廃滅を目指す集団――最悪にして絶死をもたらす終焉。
その一員に弟が加わっているという風聞を聞きつけ、気が気がじゃないが懸命に情報を集めながら追いかけてきたらしい。
怪僧ソワカとは、その道程で知り合ったようだ。
「私たちが死んだと知れば、あなたの理性の箍は外れると思っていた……案の定、あなたは怒りに身を任せて暴れる道を選んでいた……」
だけど――それも今日でお終い。
幼い弟を躾けるように、お姉さんは厳しい口調で言い付ける。
「お父さんも反省したのか大人しくなったし……お母さんもあなたが怒ってくれたことに感謝してる……お姉ちゃんだって剛ちゃんにどれだけ御礼を言っても足りないの……だからお願い、世界を滅ぼすなんてもうやめてッ!」
「姉ちゃん……ッ!」
アダマスから見る見るうちに険しさが取れていく。
久し振りに再会できた、死に別れたと思っていた姉と再会できた喜びに頬を緩めると、嬉しそうに表情を綻ばせて嬉し涙を溜めていた。
「あ、ありがとう……生きてて、よ、良かった……ッッッ!!」
涙と鼻水を垂らした顔でアダマスは心中を吐露する。
みっともないかも知れないが、すごい人間臭くて好きな顔だ。
「俺……嬉しいよ。勘違いだったとしても……姉ちゃんが、母さんが生きててくれて……本気で嬉しいよ! 良かったよッ! 俺、クソみてえな父親みたいに、二人に酷いことしちゃったと思ってたから……ッ!」
生きててくれてありがとう――あの時は本当にごめん。
「数年掛かりだ……ようやくだ……姉ちゃんに、謝ることができた……」
顔をグシャグシャにしたアダマスは、涙にまみれたままの顔を持ち上げて晴れやかな笑顔を浮かべた。胸に蟠るものが落ちたように晴れ晴れしている。
だが――彼の拳は握り締められたままだ。
「剛ちゃん……え? あ、あれ?」
アダマスの謝罪を受け入れたトワコは、感極まって泣き叫びながら弟に抱きつこうとするも、急に勢いを増した突風に阻まれていた。
感動の再会に水を差されて、予想外なのかトワコはパニック気味だ。
暴嵐神に付き従う無数の小型台風。
アダマスはそれらを使い魔よろしく操り、トワコを捕まえさせた。
決して乱暴はしない。
優しく柔らかく拘束すると、「ここは危険ですから直ちに避難してください」といった感じでトワコを遠ざけていく。当然のように彼女は抵抗した。
「ちょ、え、待っ……剛ちゃん!?」
「ちょっと危ないからな……下がっててくれ、姉ちゃん」
どうして!? とトワコは悲痛な叫びを上げた。
「お姉ちゃんもお母さんもお父さんも生きてるのよ!? もう剛ちゃんが自暴自棄になる理由はないの! こんな……世界を滅ぼすだなんて巫山戯たことに、あなたが手を貸す必要なんてないの! なのに、どうして……ッ!?」
「違うんだよ、姉ちゃん……違うんだ」
尚も言い募る賢姉に背を向けて、愚弟は肩越しに淡々と打ち明ける。
「ロンドさんにゃあ騙されたかも知れんが、世話になった恩がある……バッドデッドエンズにもちったあ情が移った仲間もいる……それらの仁義はさておいて、四神同盟との戦争もまだ終わってねえんだけど……」
そんなもん――どうでもいい。
指の隙間から蒸気が噴き出すほど力強く握っている。
「俺は今、ほら、アレだ……目の前のアイツと喧嘩の真っ最中でよ」
欧米人みたいにしっかりした顎をしゃくるアダマス。
その示す先に立っているのはミサキだった。
ミサキはアダマスの言いたいことを、言葉で伝えられずとも先ほどから散々拳で語り合ってきているので、何も言わずに頷くだけに留めておいた。
返事を受け取ったアダマスは軽い目礼を返してきた。
そして、トワコを説得するように言葉を連ねる。
「世界を滅ぼすとか守るとか、バッドデッドエンズとか四神同盟とか、そういうのはもう頭にねぇ……ただの意地の張り合い、漢のプライドを懸けた喧嘩さ」
口を挟まないでくれ、とアダマスは苦しい声で頼み込んだ。
「喧嘩って……今更どうして!?」
トワコは胸に抱いていた弦楽器を、演奏するために持ち直す。音楽で自然現象を操る過大能力で、自分を捕まえる小型台風をどうにかするつもりだ。
なんなら実力行使に出るかも知れない。
かつての現実世界ならば腕力の差があったため言うことを聞かせるのは不可能だったろうが、今ならば過大能力でその差を埋め合わせられる。
思いがけず拗れそうな展開になってきた。
アダマスも振り向きはしないが、眉根を寄せて困っている。
トワコが生きていたのは嬉しい。だが、ミサキとの勝負を邪魔されるのは面白くないし、大好きなお姉さんに手荒な真似もしたくないのだ。
心中察して余りある。
「……トワコさん、申し訳ありません」
見るに見かねたミサキは、反感を買う覚悟で声を掛けた。
「喧嘩の邪魔なんで――すっこんでいてください」
なるべく爽やかな笑顔で、かなり酷いことをサラッと言った。
「……へ? え? えええっ!?」
味方だと思っていたミサキ、その口を突いて出た言葉にトワコは絶句した。アダマスの説得に協力してくれると踏んでいたから余計だろう。
構うことなくミサキは自己流の意見を述べていく。
「オレと弟さんは今、漢と漢のタイマン――真剣勝負をしているんです」
金色の戦女神の姿では説得力がない。
尊敬する先生には道を譲るものの、乳尻太股のすべてが爆乳巨尻な女神の肉体では、漢同士のタイマンと言い張っても違和感ありまくりだった。
それでも――敢えて漢を懸けた勝負と宣言させてもらう。
ミサキは龍脈の宿る拳を握り締めた。
その手をアダマスへ伸ばし、好敵手として指し示す。
「名誉も権威も財産も、いつかは剥がれ落ちる張り子の虎です」
持論を並べるミサキにアダマスが反応した。
まさか!? と言いたげに両眼を見開いてこちらを見つめている。
構わずミサキは言いたいことを続けた。
「すべてを失っても……漢には拳を握ることが許されています」
アダマスの視線を浴びたまま熱弁を振るう。
ミサキは握った拳を掲げた。
「拳が……漢の存在証明なんです。今日まで頑張ってきた日々が、この握り拳に刻まれている……漢はそれを証明するために戦うんです」
無謀と笑われようとも――その魂に火を着ける。
「お願いです……オレたちの勝負に口を挟まないでください」
「うぃぃぃっははははははははははははははははははははははははーーーッ!」
突然、大気を割らんばかりの大爆笑が轟いた。
絶対音感を持つトワコは急いで両耳を塞ぎ、間近にいたミサキも人差し指を耳栓代わりにして耳の穴に突っ込んでしまう。
高笑いを鳴り響かせたのは他でもない、喧嘩番長アダマスだった。
招き寄せた曇天に向けて顔を上げている。
両眼からは滂沱の涙をこぼし、大きく開いた口からは飛沫のような唾をまき散らして笑っていた。何かに感激したかのような笑い方だ。
「祖父ちゃん! 此処にいたぜ! アンタに勝るとも劣らない漢が……ッ!」
感動に打ち震える声でアダマスは呻いた。
ズパァン! と濁音の混じる破裂音が響き渡る。
アダマスは片手だけ拳をほどくと、自らの顔面へ叩き割るような平手打ちを放ったのだ。そのままゴシゴシと無造作に掌で拭っていく。
拭われた顔に涙で濡れた跡はない。
雄々しく眉を怒らせる喧嘩番長が歯茎を剥いて大笑していた。
アダマスは握った拳を気高く空に突き上げる。
「そうだ兄弟ッ! それでこその漢! 拳こそ漢たちの存在証明だッ!」
「応ッ! だったら決着つけようぜ!」
ミサキが身構えると、アダマスもファイティングポーズを取った。
戦女神の身を流れる龍脈からあふれる余波が、大気をギシギシと軋ませるように張り詰めさせる。暴嵐神の威圧感は突風を巻き起こし、それは意識せずとも嵐となって爆弾低気圧をこの場に留まらせる。
お互い余力がないのは百も承知。
次に繰り出す最後の必殺技ですべてを使い果たす。
激突した果てに最後まで立っていた方が勝ち、実にシンプルだ。
「剛ちゃん! 待って……ッ!?」
食い下がろうとするトワコだが、二人のプレッシャーに気圧されて声が出せずにいる間に、小型台風の誘導でどんどん遠くへと運ばれていた。
「――姉ちゃん!」
優しい眼をしたアダマスは、肩越しにトワコへ振り返る。
「頼む姉ちゃん、後生だ……この喧嘩だけは最後まで戦らせてくれ」
アダマスは真剣な眼差しで懇願する。
「この喧嘩、勝っても負けても……その後は姉ちゃんの望み通りにする。姉ちゃんが安心できるかわからんけど……姉ちゃんの言うことを聞くから」
信じてくれ――愚弟は賢姉に約束した。
トワコは躊躇したものの、諦めた様子で唇を噛み締める。
瞳が溺れるほど涙を湛えているが、彼女は決してそれを零さなかった。
「……約束、だからね?」
「ああ、ありがとう……心配掛けてゴメン!」
トワコは悲しみこそ振り払えないけれども、儚げな微笑みを浮かべるとアダマスの操る小型台風に導かれるまま安全圏まで避難してくれた。
戦場にはミサキとアダマスが差し向かいとなる。
ズシン、と場の空気が重くなった。大気にのし掛かられた感じだ。
アダマスから重圧感のある覇気が押し寄せる。
「ロンドさんにゃあ騙されて担がれて謀られたかも知れねえが……感謝しても感謝しきれねぇな。何より礼を言いたいのは……」
おまえと出会う縁を結んでくれたことだ――ミサキ。
こちらの名を呼んだアダマスは、これまで以上の強風をその巨体から激しく吹き上げている。吹くのではなく噴く強さで彼を取り巻いていく。
「俺ぁずっと……怖い奴に取り憑かれていた」
強風はやがて物理的な存在感を持つほど高密度になる。
濁流のように激しくうねる突風は、幾重にも複雑に絡み合い、アダマスを拡張するように大きく膨れ上がっていく。
宙に浮かんでいくアダマスを核にして嵐が起こる。
巻き込まれただけで塵にされる、破滅を具現化した嵐だ。
「その大元にいたのは、あのクソみてぇな父親だ……俺ぁこれまで、戦う奴の向こう側に怖い奴を……あのクソ親父の幻を見ていたのかも知れねえな……」
それはアダマスにとって、原点であり弱点でもあった。
「だが、その幻もいつの間にか消えていた」
おまえのおかげだミサキ! とアダマスは激励するように礼を述べた。
もはや喧嘩番長の姿は見えない。
高密度の風を何重にもその身にまとったアダマスは、嵐の巨人ともいうべき怪物になっていた。吹き荒ぶ嵐を筋肉に見立て、荒れ狂う竜巻を血流とし、その体内は颶風と稲妻が絶え間なく狂乱の限りを尽くしている。
世界を滅ぼす嵐を擬人化させたものだ。
自然現象としての脅威でありながら、生物としての相も混ざっている。
下半身――両脚はない。
嵐が腰から上の胴体を形作り、長大な竜巻が両腕を象っていた。
頭部はアダマスの顔立ちをちゃんと反映しており、ご丁寧にプラズマのトルネードが喧嘩番長の象徴たるリーゼントになっている。
嵐の巨人は歓喜の声を雷鳴に乗せて叫ぶ。
「おまえみたいに気持ちいい漢に出会えたから! あのクソッタレでしみったれた怖い奴の幻なんぞに惑わされなくなった! 本当に強い漢に出会えたから! もっと先の強さ、強さの極みを見たくて見たくて堪らなくなったッ!」
この世界――まだ終わらせるには惜しい。
「さあ勝負しようぜ兄弟ッ! これが俺の最高の一撃で……ッ!」
嵐の巨人が竜巻の腕を振り上げた。
無数の竜巻を練り合わせた豪拳が握り締められている。
直撃すれば周囲一帯を跡形もなく消し飛ばす。
草も木も大地も根刮ぎ颶風で吹き飛ばし、それを高出力プラズマと化した稲妻で焼き尽くし、本当の意味で何もない荒野を作り上げる。
その規模は直径数百㎞にも及ぶだろう。
恐らくはバッドデッドエンズでも一二を争う破壊力のはずだ。
最高の一撃という宣言に偽りはない。
相変わらず挙動が見え見えのテレフォンパンチなのに、避けるのが難しい速さで迫ってくる。雑な動きなのに恐ろしいほど勁も乗っていた。
「最後の一撃でもあり……ッッ!」
この一撃はアダマスにとって決別でもある。
原点に居座る強者への恐怖、その幻影を打ち破る一撃。
「最初の一撃だあああああああああああああああぁぁぁーーーッッッ!!」
そして、新たな強者へ挑む初めての一撃だ。
初撃の相手として選ばれたこと――ミサキは光栄だった。
ゆえに手を抜くことは許されない。
全身全霊で迎え撃ち、全力を賭してを撃破するのが礼儀というものだ。
「へっ……来やがれ喧嘩番長!」
ミサキはその場に立ち尽くしたまま、不動の構えを取った。
いや、構えとも呼べない。
一度は握った右の拳をほどいて五本の指をピンと伸ばすと、さもその右掌で竜巻で練り上げられた巨大な豪拳を受け止める姿勢を取った。
ミサキが無策でこんな構えをするわけがない。
アダマスはそう信じて、侮らずまっすぐに豪拳をぶつけてくる。
「アルティメイトォォォ……テュポオオオオオオオオオォォォォォォーン!!」
暴嵐神がすべての力と思いの丈を込めた乾坤一擲の一撃。
ミサキはそれを片方の掌で受け止めた。
竜巻の豪拳。その先端がミサキの掌に触れた瞬間、アダマスもその手にどのような力が働いているかを感じ取ることができたはずだ。
「……す、吸い取られるだとぉッ!? な、なんだそりゃあッ!?」
掌の中央――そこに小さな黒い点が生じていた。
針の先で肌を突いた時にできる血の滴。それくらいの小さな点である。
その黒点が、豪拳に宿る嵐の力を悉く吸い込んでいた。
「まだ試験中で名前はないんだ」
ひとまず――“闇気”とでも名付けておこう。
これはミサキが独自に開発した技だ。
(※第208話参照)
気功系技能は“気”を高めることで身体能力を強化したり、爆発や衝撃波を起こすエネルギーに変換することができる。
これが本来の使い方、謂わば“正”のあるべき気功だ。
ミサキはこの常識を逆転させてみた。
エネルギーである“気”を高めて爆発させるのではなく爆縮する。激烈な吸収力を持たせつつ極限まで圧縮していく手段を講じてみた。
あるべき“正”の気功の真逆、“負”の気功ともいうべき代物だ。
着想を得たのはツバサさんの扱うブラックホールである。
先生のように森羅万象を掌で弄べる領域。
まだその領域には到達できていないミサキだが、無尽蔵に扱える龍脈の“気”を工夫して、この闇気という技を編み出した。
黒点に見えるほど圧縮されたマイナスの性質を帯びる“気”。
それは力という力を飲み込んで凝縮する。
ブラックホールと似て非なる性質を持っており、飲み込むエネルギーが大きければ大きいほど、相対的にマイナスの“気”も強大になっていく。
嵐の巨人が振り上げてきた竜巻の豪拳。
その片手をもぎ取るように、ミサキの掌に収まる黒点が飲み干した。
「まッ……まだだぁッ! まだまだぁッ!!」
すかさずアダマスはもう片方の腕を我武者羅に振り上げる。
先ほどよりも豪腕を織り成す竜巻を増やして、豪拳も倍以上の大きさへと膨張させていく。黒点で吸い取れない威力に仕立てるつもりだろう。
新たな拳が完成する前にミサキは跳躍した。
両腕を振り回る嵐の巨人の胸元へ金色の女神が飛び込む構図だ。
拳ができあがるよりも早く、そこに宿る力を闇気で巻き取る。
ミサキが掌を突き出せば、瞬く間に嵐の巨人から力が奪われていく。
ついには嵐の巨人も消え去ってしまう。
強風の余韻がまだ残っている空中に、巨人の核であるアダマスの姿が露わになると、飛翔するミサキは一気呵成に間合いを詰めた。
掌の黒点をアダマスの懐へ差し入れるように突きつける。
「貰った分――熨斗つけてお返しするぜ!」
闇気で飲み干した、限界まで凝縮した力をいっぺんに解放する。
想像を絶するエネルギーになるまでを爆縮された闇気を、発勁に乗せてアダマスの体内へ送り込み、身体の芯で爆発するように叩き込む。
「ぐぅごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!?」
断末魔の絶叫を噛み殺したような雄叫びを上げるアダマス。
身体の内側から大爆発を起こしたはずだが、一瞬だけ全身を倍くらいに膨張させただけだった。口や耳から煤けた煙を立ち上らせていた。
白目を剥いて気絶するも、根性で10カウント掛からずに目覚める。
「……お、惜しかったな兄弟!」
まだ俺はピンピンしてるぜ! とアダマスは胸板を叩いた。
それが強がりなのは分析を使わずともわかる。
最高で最後で最初の一撃は、負の気功により余す所なく叩き返した。この返礼は彼の不死身の肉体にも甚大なダメージを与えていた。
すべての打撃を無効化する強靱な体幹――。
ダメージカット率90%を誇る分厚い筋肉――。
疲労も打撲も怪我も癒す超高速自己回復――。
一時的かも知れないが、このタフネス三本柱を打ち消していた。
「そうか、ピンピンしてるのか……じゃあ」
これ喰らっても平気だよな? とミサキは左腕を引き絞る。
そこにはかつてないほど巨大化させたミサキの必殺技“螺旋勁”が、今か今かと突き込まれるのを待ち侘びて、ドリルを高速回転させていた。
ミサキには特別な二体の龍脈がいる。
獅子の頭を持つ獅子龍と7つの頭を持つ七支龍。
戦女神イナンナが振るったという武器、それに因んだ名前を持つ一際強い力を持った龍脈だ。他の龍脈と違って個性のようなものを備えている。
その二体を織り交ぜた超特大の“螺旋勁”。
闇気は新しい必殺技だが――あくまでも囮に過ぎない。
アダマスから不死身のタフネスを奪い、無防備にするための布石だった。
喧嘩番長は逃げも隠れもしない。
疲れた顔で鼻から呼吸を逃がすと、防御体勢も取らずに両腕を広げたまま目を閉じて、眠る前のように穏やかな表情でこう言った。
「参ったよ兄弟……ミサキの勝ちだ」
その言葉を合図にして、ミサキはトドメの一撃を叩き込む。
「――龍王脈二重螺旋勁ッッッ!」
二重螺旋を描く発勁がアダマスの巨体を穿つ。
のみならず空中から墜落させ、瓦礫の荒野へ埋めるように叩き落とした。
二匹の龍王が宿った発勁は天地を繋ぐ光の柱となり、アダマスを地中へめり込ませると同時に、暗雲を吹き飛ばすリング状の波動を発した。
嵐を吹き飛ばした光り輝く二匹の龍、二重の螺旋を描きながら昇っていく。
深い盆地のように陥没したクレーターの中央。
喧嘩番長はその中心で大の字を描き、遊び疲れたように眠っていた。
守護神と破壊神の盤上――№07のコインに亀裂が生じる。
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