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第17章 ローカ・パドマの咲く頃に
第420話:金色の戦女神 イナンナ
しおりを挟む『人間に自由意志はない――というね』
ジンは金槌で金属の薄板を叩いて折り曲げる。
力加減を見極めて繊細に叩いているので、気に障る音量でもない。トンテンカンと拍子を取った音色はリズミカルなのでBGMのようでもあった。
『でも、人間には自由に考える意志があるともいうんだよね』
ハンドドリルに持ち帰ると、金属板に小さな穴をいくつか開けていく。板の縁に等間隔で開けているところを見るに、ネジ穴にするのだろう。
会話しながらもジンの手が休まることはない。
生粋の工作者であるジンは、寛いでいる時でも何かを作っていた。
本人曰く「手慰み」だとのこと。
お腹は空いていないけど口が寂しいから何かをチョイチョイ摘まむように、ジンの手も絶えず何かを製作していないと落ち着かないらしい。
イシュタル女王国 本拠地――寛ぎの間。
パルテノン神殿みたいな本拠地だが、ミサキたちの我が家である。
寛ぎの間は居間みたいなもの。
一日の仕事を終えたミサキたちが集まり、のんびりできる大広間だ。キングサイズのベッドみたいに巨大なソファがいくつも並び、ゲームや動画を視られるシアター型の大きなモニターまで設置されている。
とある日の夕食後、ここにいたのはミサキとジンの二人だけ。
気心の知れた親友は小学校時代からの付き合いだ。
ダラダラと高校時代みたいに取り留めのない雑談に興じていた。
ジン・グランドラック――本名・大吉仁義。
ギリシャ人の父親譲りな高身長でスタイルのいい八頭身。非の打ち所のないイケメンなのだが、その美貌はあまりにも妖艶だった。
直視すると魅了される。正気を失うレベルの魔性なのだ。
ジンを前にすると老若男女問わず、まともに意識を保てなくなる。
誰でも笑顔にしたい芸人気質のジンはそれが耐えられず、現実世界にいる頃からアメコミヒーロー風のマスクを被り、素顔を隠し通してきた。
真なる世界に来てもそれは変わらない。
部屋着代わりにダボついた作業着を着ているが、赤と黒を基調としたマスクを外すことはない。白く透かした目の部分は感情に合わせて変形する。
表情に合わせて変化するマスクだ。
これを自作したジンは、ますます素顔を晒そうとしなくなった。もはやマスクの方が素顔だと言わんばかりである。
床に作業用マットを敷いて、趣味の工作を楽しんでいた。
それを見守るようにミサキは傍らにいた。
服飾師である恋人が作ってくれたファショナブルなジャージを着込んだミサキは、ソファにゴロゴロと寝転がっていた。
普通、ジャージなどの衣類は体の線が出にくい。
なのに、ハルカ謹製のブランドスポーツウェアみたいなこのジャージは、女体化したミサキのフェミニンなラインを最大限に強調していた。
どうやら身体にフィットする縫製らしい。
丸みの強いヒップラインは元より、胸なんて乳袋みたいになっている。
まあ、ミサキはツバサさんほど女体化に抵抗はない。
見せびらかしてやる! くらいの気概で着こなすことができた。
もっとも、今のミサキは女の子っぽいファッションをさせられていることに気をやる余裕はない。可及的速やかに解き明かしたい謎があった。
ソファで何度も寝返りを打ち、悶々と頭を悩ませる。
師匠と先生から与えられた課題についてだ。
『……考えるより速く動け、か』
コンマ数秒の世界を縮める、神の認識をも越えた超速の体術。
ツバサさんは“自由意志の速度”と呼んでいた。
古流武術に伝わる体幹を使った素早く効率的に動くための歩法や、脚力のみならず腕力も駆使して速度を上げるような移動術。
こういうものとは根本的に違うらしい。
その手の武術的な技法なら、師匠や先生が手取り足取り教えてくれる。
ミサキは勝手に二人と育ての父母と敬愛していた。
レオさんは喜びそうだが、ツバサさんは「誰がお母さんだ!」とブチキレること確定なので、間違っても口に出すことはできない。
『うーん、ミサキちゃんにはそんなことしないと思うけどなー?』
『ん? なんか言ったかジン?』
べーつーにー? とジンはとぼけて工作に勤しむ。
レオさんは師匠としてツバサさんは先生として、ミサキが望むなら武術の真髄をこれでもかと叩き込んでくれる。
だが“自由意志の速度”に関してはノータッチだった。
仕組みを理解すれば単純、しかし教えてものになる技術ではない。
体術や武術などの技能的に習得する類のものではなく、どちらかといえば基礎的な身体能力に付随する、体感的なコツを掴む必要があるらしい。
たとえば――指の骨をポキポキと鳴らす。
喧嘩に慣れた奴がよく戦う前に拳を鳴らして威嚇みたいな真似をしているが、あれも教えられてすぐにできる者は少ない。わんぱくな男の子が真似したがるも、なかなかできないことが多い。
関節を包む膜内の滑液に圧力を加えて泡を作って鳴らす理屈。
指の関節内に一定の力を掛けて小気味よく鳴らす方法。
こうしたものを口頭で教えたところで、できない者はいつまで経ってもできないし、なんとなくやっていたらすぐできる者もいる。
こうした身体の使い方への得手不得手が関係しているそうだ。
自覚することでしか体得できないという。
だから自分なりの方法で見つけてほしい、というのが師匠の願いだった。
この“自由意志の速度”を会得しているのは現在14人。
師匠、先生、アホの子、横綱、剣豪――。
銃神、獣王神、冥府神――。
筋肉メイド、変態メイド、豊満メイド、料理夫人、拳銃使い――。
そして、トモエちゃんも数えられていた。
んな! が口癖の腹筋系最速アイドル。まだLV999になったばかりで、戦士としては未熟ながらも、気付いたら使えるようになっていたそうだ。
ただし、本人に自覚はない。
いつの間にか使っていたのをツバサさんが気付き、トモエちゃんに説明を求めたところ、自分なりの工夫で編み出したことが発覚したという。
『んな、トモエもっと速くなりたくて頑張った。その頑張りの成果な!』
彼女の過大能力は加速に関するもの。
それも一役買ったのか、独力で習得できたらしい。
ツバサさんがべた褒めし、その日の夕食にはお赤飯が出たという。なんだかんだであの人はお母さんなのだ。オカン系男子である。
年下の女の子に先越されたー!? なんて焦りもなくはない。
ミサキもあれこれ研鑽を重ねてきたつもりだが、どうも努力や根性論では解決できない難問らしい。新しい閃きが必要なようだ。
トモエちゃんのように閃かずとも達成する時もあるらしい。
虚仮の一念岩をも通す――と言ったら失礼だろう。
だが、彼女の場合は自ら「おバカ」と評するほどで、そのバカみたいな正直さで最速を突き詰めた結果、“自由意志の速度”に開眼したのだ。
その直向きさはミサキも見習うべきである。
自由意志という単語を調べれば、解決の糸口が掴めるかも知れない。
しかし、師匠や横綱に剣豪は「自分で考えなさい」と厳しい。唯一教えてくれそうな先生も「甘やかすなオカン」とみんなから釘を刺されていた。
誰がオカンだ! とツバサさんがキレたのはいつものこと。
情報といえばアキさんやフミカちゃんだ。でもアキさんは師匠の部下で箝口令が布かれているようだし、フミカちゃんにも通達が回っていると予想する。
ヒントは教えてくれそうだが、解答までは望めないはずだ。
やはり――自分で何とかするしかない。
自慢じゃないが、ミサキはそこまで知識はなかった。
頭の回転は早いからそこそこお利口さんではあるのだが、博識とは程遠い。知識量の勝負ならばジンにも負ける自信がある。
そのジンを頼ったわけではないが、つい口を漏らしてしまった。
『自由意志の速度――考えるよりも速く動け』
これまでの経緯を半ば泣きつくみたいに話してみた。
ふんふん、と頷いたジンは感想を一言。
『のび太くんが「助けてドラ○も~ん!」と助けを求める感じだね』
一瞬、ジンのマスクが未来から来た青ダヌキに見えた。
『ジンはド○えもんほど万能じゃないだろ……いや、結構イケるのか?』
今やジンは神族にして変態もとい天才工作者。
作れないアイテムはほとんどない! と自負するほど神懸かった魔法道具を作ってくれるのだ。実際、大抵の要求は叶ってしまう。
もしかして……四次元ポケットのひみつ道具と渡り合える?
この検証は後日にしておこう。
とにかく、ミサキはジンに相談してみた。
ほとんど愚痴に近かったが、藁にも縋る思いだった。
食後の満腹感で気が緩んでいたのか、ミサキは「わけわからなくて困っている」と打ち明けてみたのだ。即効性のある解決策を求めたわけではない。
死にゲーの攻略法について話題にしたくらいの感覚である。
この回答としてジンが挙げたのが先述した二言だ。
――人間に自由意志はない。
――人間に自由意志はある。
どっち付かずで、否定と肯定を綯い交ぜにした答えである。
ミサキは無言のまま不満げに眉を蹙めた。
ジンは「まあまあ」と工作を続けながら弁解チックに話を続ける。
『人間に自由意志はない、って昔から言われてるのよ』
その理由は――人間なんて有機物の集合体に過ぎないからだ。
『人間はね、突き詰めれたば神経と筋肉と脂肪で組み立てた有機性のロボットみたいなもんなんですよ。ぶっちゃけてしまえば肉の塊さね』
『……身も蓋もないこというなよ』
精神がすり切れた殺人鬼が好みそうな台詞である。
脳も神経も筋肉も脂肪も軟骨も、とどのつまりはすべて肉。
ちょっと骨が硬いくらいのものだ。
それらが人間という存在を形作っていると考え、どんな理屈でものを考えて動いているかと問われたら、確かにこれほど不可思議なものはない。
少なくともミサキの頭では説明できなかった。
自分は此処に生きている、と自己主張するのが関の山だ。
『その自己主張する自我も、誰かにプログラミングされたものだとしたら?』
『怖いこと言うな。完全否定できねえじゃん』
自分が自分であるという絶対証明ほど難しいものはない。
今、胸に抱える自らの意志さえ何者かに作られたものだとしたら? それを否定する材料はどこにもないのだ。同様に肯定するための資料もないのが救いだろう。
ジンは金属板をカチャカチャ鳴らしてリズムを取る。
『外界からの刺激をスイッチに♪ 脳細胞にプログラミングされたソフトウェアが最適な働きをして♪ 神経というケーブルを介して信号を身体の各部位に送り♪ 肉体や四肢というハードウェアが動き出す……♪』
ほらロボット、とジンは作りかけの玩具をこちらに見せた。
先ほどから作っているのは精巧なガンプラみたいなものだ。金属製のフルスクラッチなロボットである。内蔵モーターで動くらしい。
既に作業用シートには何体もの完成したロボットが並んでいた。
主人公機、ライバル機、味方機、敵機、量産型……。
選り取り見取りである。
ジンは工作者ではあるが、その得意分野は装備や建築あるいは料理だ。機械分野はイマイチ苦手で、ツバサさんの長男であるダイン君に一歩譲る。
その短所を補うべく、こうして練習中なのだ。
完成させたロボットを手に取り、お人形ごっこで遊んでいる。
『これが人間に自由意志がないとする所以だったはずだよ。俺ちゃんも、ダイン君から教わった、ロボット工学やら人工知能の勉強用テキストをアキさんに都合してもらった時、物のついでに読んだ本からの知識なんだけどね』
『いや、覚えてるだけスゲぇよ……』
この時ばかりは親友に感心してしまった。
いつでもどこでも、それこそ風呂や就寝でさえもアメコミマスクを脱ごうとしない変態は、得意気に「フフン♪」と鼻を鳴らした。
『工作者も変態も、物を知ってないと務まらないからねぇ』
『工作者はわかるけど変態に知識いるのか?』
いりますよー? とジンはミサキのツッコミに返してきた。
『SMプレイなんかは特にね。知ってる? よく蝋燭プレイとかいってマゾに火の点いた蝋燭から溶けた蝋をかけてるけど、あれって火傷しないように低温蝋燭っていう特別なものが使われてるんだよ?』
SMプレイ用の低温蝋燭――そういうものもあるのか。
いらん知識をミサキは覚えてしまった。
『おまえなんかは普通のアチアチな蝋燭でも喜びそうだけどな』
『よく御存知で、さすが俺ちゃんのマブダチ♡』
そこは否定してくれ、とミサキは渋い顔をしてしまった。
『夢も浪漫もない話をするとだね――』
ジンは努めてポップな口調を崩さぬように語り出す。
『すべての生命の始まりは、ドロドロに混ざった無数の有機物のスープに何らかの突然変異が起きた、単なる化学反応に過ぎないんだ。そこからたった数十億年を経て進化した人間なんて、この計り知れない宇宙の歴史からすれば、一瞬だけ現れて消えるような、他愛ない塵芥なわけですよ』
『い、いきなり話のスケールがデカくて重くなったな?』
宇宙規模の重力波に巻き込まれた気分だ。
『有機物で作られたロボットの人間は、世界や宇宙から送られてくる様々な情報を受信して、自分でもわけがわからないまま動くだけ……自分自身と思い込んでいるものは、脳細胞がバチバチさせてる電気信号が神経で爆ぜてるだけ……』
魂魄、自我、意識、精神、意志――そんなものどこにある?
これらの実在を現実で証明した例はない。
真なる世界に転移してきて、魂が実体化したというアストラル体になったとしても、未だ実態を詳しく解明できているわけではなかった。
こうした認識さえも何者かに与えられているとしたら……?
現実とは――大いなる何者かによるシミュレーション。
そんな荒唐無稽な仮説も笑えなくなる。
『本当の自分はどこにいる? 自由なる意志はどこにある? みんな借り物で授かり物、人間というロボットは情報に反応して自動的に動いてるだけだよ』
ジンは小型のラジコンへお試しで起動する。
その調整をすると、玩具のロボットたちが一斉に踊り出す。
何も知らない人間を揶揄するような動きだった。
『……マジで夢も浪漫もない話だなオイ』
生きてるのが虚しくなるわ、とミサキは苦い顔で抗議した。
どれほど世を儚んで鬱に沈んで臍を曲げて拗ねまくったら、ここまでの虚無虚無しい考えに至れるのだろうか? 哲学者も神経を病むわけである。
『我思う故に我あり、なんて仰った哲学者もいるそうだけど、その我という大前提からして、得体の知れない有機物と肉塊なんだから……』
慰めにもならないよね、とジンはウィンクして肩をすくめた。
『――だけどね』
ジンは語気を強めて金槌を打つ。
カァン! 覚醒を促す力のある音を響かせてから一言。
『胸の奥にいる自分は叫ぶ――“俺は此処にいるぞ!”ってね』
難しく考えないのが吉だよ、とジンは微笑んだ。
『本当の自分なんていないかも知れない。自分のものだけの自由になる意志なんてないのかも知れない。でも、俺ちゃんはやりたいと思ったことをやりたいし、それを否定することなんてできない……』
生きる意志ってのは――辞められないし止まらないんだ。
『それこそかっ○えびせんみたいにね~♪』
これで締めとばかりに、ジンは底抜けに明るい声で結んだ。
苦笑したミサキはちょっと気が楽になった。
いつまでも“自由意志の速度”を習得するための謎が解けず、気持ちの袋小路に落ち込んでいたようだ。
小難しい小話ではぐらかされた気がしないでもない。
だが、オチがついたところで笑ってしまった。その時点でミサキの負けである。
お笑い芸人に一本取られたのだ。
難しく考えないのが吉――アドバイスとして受け取ろう。
『そんなこと言われると食いたくなってきたわ、かっぱ○びせん』
『はいはい、自家製で良ければ作りまひょ♪』
おやつのリクエストを承ったジンの無駄話はまだ続いた。
『自由意志にちょっと関係するけど、運動準備電位って難しい単語……』
知ってる? とジンは首を180度傾げて訊いてきた。
いいや、とミサキは軽く首を左右に振る。
『人間はね、いいや人間に限らず動物というのはね、「こうしよう!」って頭で考えてから身体が動くまでに、コンマ数秒のタイムラグがあるんだって』
『ああ、それなら聞いたことがあるようなないような?』
バトル漫画で読んだ覚えがある。
脳味噌が「何かをする」と考え、行動するための指令を電気信号にし、神経細胞を通じて伝え、結果として脳細胞の指示通りに肉体が動く。
この一連のプロセスが完了するまでコンマ数秒かかる。
『それが運動準備電位か』
正式な名称があったんだ、とミサキは感心した。
そーゆーこと! ジンは再び金槌を振るって金属板を叩き出す。
『ここでトンテンカンと金槌を叩いている俺ちゃんは、コンマ数秒前に俺ちゃんの脳から送られてきた信号で動いている俺ちゃんなわけなのですよ』
そこに自分の意志はない――脳の命じるがままだ。
このため自由意志はないとされている。
『俺ちゃんも詳しく勉強したわけじゃないけどね。この時間差があるんで、人間は脳という神経細胞の奴隷みたいな考え方もできるわけですよ』
『ここでさっきの前置きが効いてくるな』
人間など有機物の寄せ集め、外界に反応して自動的に動いている。
脳の言いなりならば尚更ということだ。
『だから自由意志なんてものは存在しない! ってことになってきてたんだけど、とある実験によって「自由意志はあるよ!」って覆されたんだよね』
ただし――コンマ0.2秒。
詳細な説明は長くなるので省かれたが、アメリカの生理学者ベンジャミン・リベットの発案した実験により、自由意志が立証されたという。
赤と緑のシグナルによる、ボタンを押す押さないの簡単なゲーム。
これを3つの段階に振り分けたのだが、最終的に人間は神経細胞が下す意志決定を拒むことができ、神経細胞を流れてくる電気信号よりも速く動け、自らの意志で脳からの命令を選択できることが判明した。
しかし、自由意志の受付時間はたったコンマ数秒。
大体コンマ0.2秒である。
それよりも短いコンマ0.0000秒を縮めるために苦労しているミサキからすれば遅すぎるタイムだが、それでも興味の惹かれる内容だった。
『ですので……自由意志は存在しまぁぁぁす!』
『ただし0.2秒だけな』
ジンの戯けた掛け声にミサキは合いの手を入れてやった。
正直わかったようなわからないような案配だが、脳細胞からの電気信号で身体が動くのに数秒かかるのは聞いたことがある。
それこそゲームにおける入力の遅延みたいなものだと捉えていた。
『でも、それは人間の身体での話だろ?』
今のミサキたちは神族、肉体もアストラル体という霊的なものだ。
基本的に地球にいた頃と大差はない。
(※ダインくんのように肉体の大半を機械化していたり、アハウさんのように獣人ともいうべき肉体だったり、現実世界ではありえない身体構造になった人もいるが、肉体の機能や構成要素などは現実を基準にしている)
睡眠や飲食こそ絶対不可欠の要素ではなくなったけれども、過度の運動をすれば息も乱れるし、怪我をすれば血も流れる。
肉体は骨格、脂肪、筋肉、神経、臓器……などセットで揃っている。
仕組み的なものも大して変わらないと思う。
ミサキは顎に手を当てて考える。
ここにヒントがあるような気がして、直感的なものが疼いたのだ。
『人間から神族になったんだから、肉体能力の向上は当然として……その神経細胞が送る運動準備電位? 電気信号の速度も上がってるんじゃないか?』
『そんなネット回線みたいに行くかなー?』
ミサキの意見にジンは首を360度回転させて懐疑的だ。
ミサキたちの時代は光回線が当たり前だったが、それ以前には電話回線でやり取りしたり、ISDNやADSLと呼ばれる回線もあったらしい。
光回線とは比べものにならない遅さだったとか……。
『いや、逆にいえば神経細胞を伝わるのは電気信号だけだろ?』
いくら肉体が神様になろうとも、その神経を伝わる肉体への指示に電気信号が使われている限り、それ以上のスピードは出ないのではないか?
つまり、電気信号より速くなることはない。
『これが枷になってるんじゃないか?』
ミサキは“自由意志の速度”への糸口を掴んだ気がした。
『んー……枷とかじゃないんじゃない?』
ジンは人差し指を顎先に押し当てると、どこともない虚空を上目遣いに見上げながら、ミサキの考えにやんわり異を唱えてきた。
余計な考えに惑わされるな、そう言いたげに自分の意見を述べる。
『そもそもさ、電気信号って必要?』
神族や魔族の肉体――魂の具現化であるアストラル体にだ。
『そりゃ人間と似たり寄ったりの身体をしているし、俺ちゃんたちも現実の地球で暮らした七癖を引き摺っているけど……』
こだわらなくていいんじゃない? とジンは両腕を広げた。
『いや、囚われなくていいんじゃない?』
言い直して、もっとオープンになれと勧めてくる。
『俺ちゃんたち神様で悪魔になってるわけでしょ? もう人間の肉体とはオサラバしてるんだし、物理法則からも解き放たれてるんだからさ。もっと自由に、もっとエキサイティングに! やっちゃっていいんじゃない?』
それこそ――自由意志だよ。
アメコミマスクの白い目の部分がウィンクした。
右手に金槌を握り締め、左手にハンドドリルを握ったまま、ジンは両手をこちらに突き出すと、左右の人差し指でミサキを指し示す。
『自由なる意志の赴くままに……YOUやっちゃいなヨォ♪』
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「そうか……オレはずっと、囚われていたんだな」
地球の環境で育った既成概念――人間の肉体を備えていた過去。
もはや遠い昔に置いてきた現実だ。
土壇場に追い込まれたミサキは、ジンに相談した記憶をおぼろげに回想したが、それが幕を閉じると同時に電流が走ったような衝撃を受けた。
天啓が舞い降りてきたのだ。
「ハッ、ハハハ……ほら、アレだアレ……久々すぎて忘れてたぜ」
本気で痛ぇ! とアダマスは破顔した。
いつもならどれだけ致命傷に成り得る攻撃をしても、10カウントを待たずして爽快な笑顔とともに「はぁい!」の掛け声で全快する無窮のタフネス。
そんな超タフガイが膝を突いていた。
これまでの無敵な彼を知っていれば、驚嘆に値する異常事態だ。
掛け声を唱える様子もなく、利き手を胴体に添えて呻いている。頭のプラズマリーゼントはセットがほどけかけており、うっすら脂汗が滲んでいた。
手で押さえているのは――胸板と脇腹の境目。
先ほどミサキが“螺旋突”を突き込んだ箇所である。
硬質化させた螺旋状の“気”を高速回転させて捻じ込むミサキの必殺技だが、そこに狂暴な龍脈を絡ませ、浸透勁にして叩き込んでやったのだ。
(※浸透勁=身体の内側へ染み渡るように打つ発勁の一種)
これまでならばアダマスには通じない。
非常識な頑丈さと尋常ならざる回復力に阻まれてきた。
だから彼が慌てるほど体勢を崩すように、ド派手に投げ飛ばすことで筋肉の硬直を緩めてやり、その隙間から身体の内側へ炸裂するような攻撃をお見舞いしてやろうと企んでいた。
いくら超タフガイでも、内臓は物理的な弱点に変わりないはず。
しかし、これも上手く行かずにいた。
アダマスの大嵐を起こす膂力と、迅雷に勝る敏捷性。
これらに邪魔されて、こちらの技が仕掛ける前に破られるからだ。
もう少し――あとコンマ0.0000数秒。
そんな短時間でいい。アダマスより速く動ければ、相手が動き出す兆を完全に先取りして、万分の一秒からなる後の先を取れるのだが……。
そのためにミサキは四苦八苦していたのだが――不意にできた。
「今のが……“自由意志の速度”?」
成し得た実感が薄い。無我夢中だったから当然だ。
条件反射に脊髄反射、そういった反射神経が脳の意志決定とは無関係にミサキの肉体を動かした。普通ならそう考えるのが妥当だろう。
しかし、ミサキは未知の感覚に震えていた。
ワナワナと震える両手を見下ろして、身の内に巡るものを感じる。
「龍脈が……俺の意志を全身に伝えた……?」
脳細胞で起きた電気信号というスパークが命令となり、神経細胞に行き渡ることで肉体を動かす。その人間にあるべき行程が無視されていた。
代わりに龍脈がミサキを動かしたのだ。
より正確に言えば、龍脈となってミサキの体内を駆け巡る“気”の奔流。これが神経ネットワークの代理を務めた感覚がした。
代理なんて安いものではない――遙かな上位互換だ。
意思の伝達速度が段違いである。コンマ数秒もかかってない。
はっきり言って0秒、意志がそのまま動きとなった。
おかげでアダマスの虚を衝いて先手を取ることができ、突き崩せない鉄壁に機動力を備えさせた無敵の肉体を出し抜いて、本気の一発を叩き込むことができた。
効いて当然だ。むしろ倒し切れないアダマスが異常と言えるだろう。
「久し振りにいいのを一発もらっちまったが……」
ミサキが思案に耽っていると、アダマスがのっそり立ち上がる。
さすが不死身のタフネス。10カウントでの復活記録こそ破れたものの、30秒足らずで動けるくらいには回復できるようだ。
「喧嘩は身体が痛くなってからが本番だぞほらぁぁぁッ!」
懲りずに拳を高々と振り上げたアダマスは、大きなハンマーでも振り下ろすかのように拳を叩き下ろしてきた。
オプションの小型台風をまとい、爆弾低気圧のパンチになっている。
我に返ったミサキは狼狽えることなく迎え撃つ。
一度の成功体験で満足してはいけない。
ミサキは自身に宿した龍脈の流れを内観的に把握し、毛先から爪先まで行き渡らせた。これまで以上に龍脈との一体感を得ようと集中する。
精神集中にもう神経は使わない。全身全霊の意志を統一させていく。
この身体はもう人間のものではない。
魂魄が具現化した神霊のアストラル体なのだ。
アストラル体とは、物質化するほど高濃度の“気”を圧縮することで形作られた霊的な肉体である。神族や魔族は桁違いの“気”を内包している。
そして、龍脈とは莫大な“気”の奔流だ。
過大能力より生じた龍脈は、ミサキの体内に激しく息衝いている。
渾然一体となるのは当然、馴染まないわけがない。
脳で発生した電気信号という指令が、神経細胞を通じて伝えられる。
そんなまどろっこしい真似――もう卒業だ!
ミサキの自由意志は龍脈に伝わり、アストラル体と一体化した龍脈は、まったくのタイムラグなしで五体を躍動させた。
神経細胞を通う電気信号よりも速く、ミサキの意志が肉体を動かす。
いいや、“気”は物理法則に左右されない。
光を超える速さで龍脈が走り、思いのままに手足を急き立てる。
――ミサキの自由意志のままにだ。
「これが……自由意志の速度……考えるより速く動ける……ッ!」
脳細胞や神経細胞が働くよりも全然速い。
振り下ろされるアダマスの豪拳。
久々の激痛にテンションを刺激されたのか、拳速が段違いに上がっている。まだまだ身体能力のギアを上げられるらしい。
拳の圧力も凄まじく、プラズマと貸した突風を巻き上げている。
余波だけで家みたいな瓦礫が宙に舞い、粉微塵に砕け散るほどだ。
だが――アダマスの動きを捕捉できた。
今のミサキの視界にはスローモーションに映っている。
攻撃の兆を寸分の狂いなく捉えたミサキは、墜ちてくる隕石みたいな拳を紙一重で躱し、鉄柱みたいな豪腕に手を添えて引き寄せる。
パンチの推進力に、アダマスの意図にない加速を加えたのだ。
こうなると拳を突き出そうとする腕を制御できなくなり、アダマスは拳を振り下ろして前屈みになっていたのに、身を乗り出してミサキではなくその後ろの地面へ拳を打ち下ろすような構えになってしまう。
姿勢も大きく歪み、バランスが取れていた姿勢も傾く。
ミサキは滑らかな歩法で、アダマスの懐へするりと潜り込む。その際、足下をスープ状になるまで湧かすほどの踏み込みも欠かさない。
踏み込みや震脚を行うからこそ、打撃の威力を倍加できるのだ。
こちらに迫ってくる喧嘩番長の分厚い胸板。
絶壁のように雄々しい筋肉だが、姿勢が乱れて筋肉に緩みが生じた。
その隙間をミサキは見逃さない。
突き上げるのは拳ではなく尖らせた肘打ちだ。
勿論、振り上げる肘の先端には龍脈の“気”を練り上げて、高質化させたドリルをまとわせてある。竜巻を起こす超スピンで唸りを上げていた。
暴乱神の台風と戦女神の竜巻。
双方の激突により天も地も崩壊寸前だった。
ズドン! と鈍い音をさせて肘鉄がアダマスの胸を穿つ。
「おごッ! がっ……はああッ!?」
殴られたり蹴られたりどつかれる度に叫んでいた「エキサイトぉ!」の口癖が出てこない。アダマスは本気の苦悶で呻いている。
貫いた、そう錯覚するほどミサキの肘が胸筋に食い込んでいた。
しかも、それで終わりではない。
この肘鉄には、高速回転する龍脈のドリルを幾重にもまとわせてある。
そのすべてをアダマスの内側に叩き込んでいく。
「――龍王脈螺旋突!」
「おっおおおおっ……ほらああああああああああッ!?」
内臓を無数の龍に食い破られる激痛に、アダマスは雄々しく吠えた。
全長4mの巨体が宙に浮き、きりもみ回転で空に舞い上がる。
暴れ狂う龍脈の“気”に身体の内側を掻き乱されながら、爆発的な上昇気流へと転じた龍脈の竜巻によって打ち上げられていく。
170㎝の小兵が、4mの巨躯を空の彼方まで吹き飛ばす。
ミサキは美少女の顔に会心の笑みを浮かべる。
「よし! これが自由速度の意志……完全に物にできたぞ!」
師匠と先生からの宿題が終わった気分だ。
弟子にして生徒であるミサキにしてみれば、二人から出題された最難関のテストを100点満点を乗り切った達成感である。
横綱は教えてくれた――「考えるな感じるんじゃ」と。
確かに頭で考えていたら駄目だ。これは感じる必要がある。
剣豪は教えてくれた――「考えるよりも速く動け」と。
思考が神経を伝わるより速く動く、その心得を仄めかしていた。
神族の身体構造は人間と似ているが基本的に別物だ。
脳や神経もあるが、人間ほど頼る必要はない。アストラル体という魂魄が、物質化した肉体が“気”であることを理解する。
そして、全身の“気”に意志を伝えればいい。
そうすれば――考えるより速く動ける。
脳の命令が電気信号となり、神経細胞に伝達され、身体の各部位を動かす。
このプロセスを運動準備電位と言えばいいのだろう。
手間の数を考えたら三拍子、時間にすればコンマ数秒の時間を要する。
しかし、アストラル体にこの常識はいらない。
身体を動かそうとする意志は“気”に伝わり、高密度の“気”でできているアストラル体はタイムラグなしで即座に反応する。
これなら一拍子、思ったと同時に時間差もなく肉体は即応する。自らの意志とともに全身が躍動し、考えるよりも速く感じるままに動けるのだ。
これが――自由意志の速度。
指導や教育、教えられて習得できるものではない。
口で言うのは簡単だ。仕組みを理解することも難しくはない。だが、実践できるようになるには、自らで気付くしかないものだった。
いくら言葉で説明されても、感覚的にこれを体感できる資質がなければ、入り口にすらたどり着けない。それに気付くセンスがあるかないかの問題で、あるならば教えられずとも自発的に閃くはずだ。
ミサキたちには、人間として生きてきた経験がある。
そのため自然と「頭で考えて身体を動かす」というシステムが、生理学的に刷り込まれていた。この潜在意識に染みついた、それこそ肉体ではなく魂にまで刻まれてしまった暗黙のルールから脱却しなければならないのだ。
もしも自由意志の速度について教えられた場合。
恐らくだが、習得するまでにかなりの時間を要しただろう。
小賢しい頭では理解できても、心身に染みついた人間としての経験則が邪魔をしてくる。たとえ“気”を操れても上手くは行くまい。
積み重ねてきた先入観が立ち塞がるのだ。
下手な常識に縛られるよりバカになった方が早いかも知れない。
横綱の「考えるな感じるんじゃ」発言が、如実にそれを表していた。
……あ、だから腹筋娘もできたのか?
トモエちゃんは自身の過大能力から着想を得たそうだが、師匠たちも“自由意志の速度”に覚醒する手順は個人差があったらしい。
ただ基礎となるのは、アストラル体とそれを形作る“気”。
神族ならば程度もあるが、“気”を自由自在に扱える。脳の電気信号どころか、光の速さを超える神経伝達物質にすることも夢ではない。
先生たちは――これに気付いた。
全身に漲る“気”を限界を超えて加速させることで、脳や神経に頼らずとも自由意志の赴くままの速さで動ける体術を手に入れていたのだ。
ようやくミサキも仲間入りを果たせた。
「……待たせたな、友人」
ミサキは上空へ飛ばされていくアダマスに声を掛けた。
身体の隅々にまで駆け巡らせた龍脈を意識する。それらはミサキの意志を伝える新たな神経回路であるとともに、筋肉を動かすための血流にも置き換えられるものだということを再認識した。
圧倒的な勢いで流動する――龍脈の力。
その絶大なる奔流に乗って、戦女神は爆ぜるように跳躍する。
既に上空1000mまで吹き飛ばされていたアダマス。
あっという間に追いついたミサキは、まだ肘打ちの痛みに胸を押さえて悶絶しているアダマスへ、情け無用の追い打ちを仕掛けていく。
「げぇほ、ごほっ……ほらあっ!」
だが敵も然る者、現実で素手喧嘩に明け暮れた喧嘩番長。
両手で穿たれた胸を押さえていたアダマスは、赤が混じる唾液を吐きながら咳き込んでいたが、ミサキの接近にすかさずファイティングポーズを構えた。
だが――あまりにも遅い。
飛翔したミサキは、アダマスを追い越すように飛び上がる。
すれ違いざま、その見事に割れた腹筋へと膝蹴りをめり込ませた。
この膝蹴りも腹筋の緩んだ隙間を狙い撃っており、膝小僧には更に加速させた龍脈のドリルを仕込んである。内臓を徹底的に荒らすようにだ。
ミサキの膝頭が腹筋へ潜り込むように沈む。
体内からの衝撃に、一瞬だがアダマスの巨体は膨張した。
身体の各部から龍脈があふれ出し、上空に新たな乱気流を巻き起こす。
「ぐぼぉあッ!? お、おいおい……くっ、ほら、アレだぁ……」
アダマスはろくに対応できないまま、背筋を“く”の字にして今度こそ唾液ではなく少量の血反吐を吹いた。明らかにダメージが通った証拠だ。
なのに暴嵐神の威勢はちっとも衰えない。
痛みを与えれば与えるほど、活を入れたかのように弥増すばかりだ。
「急に効くように……なったじゃねえか!」
それでこそ俺の最高の親友! と血塗れの口で褒めてくる。
口を動かすだけではなく、ちゃんと手も動かしてきた。すれ違いざまに膝蹴りを入れたミサキは、飛び上がる速度を殺さずにもっと上空を目指す。
アダマスの頭上を取るつもりだった。
頭の上は最大の死角、喧嘩慣れしたアダマスが許すわけがない。
先の台詞を血反吐とともに口にしたと同時に、野太い腕を振り回して妨害してきたのだ。正確さのないラリアットのような動作ながらも、暴嵐神のアダマスが腕を打ち振るえば、余波だけで災害級の台風が巻き起こる。
これまでならば、この余波でミサキの技は潰されていただろう。
しかし“自由意志の速度”を覚えた今なら話は別だ。
アダマスの腕を軽々と躱して、巻き起こる豪風を掻い潜る。
頭上を取ると思わせたのはフェイク、狙う死角はアダマスの後頭部だ。
ラリアットで振り回した腕はでたらめな動き。
初動の兆を捉えるまでもなく、膝蹴りの余韻が残っている左足をすれ違いざまに引っ掛けることで、体幹を曲げるように仕向けてやった。
足場のない空中、踏ん張ることはできない。
まだ吹き飛ばされているため、飛行系技能も使ってないから効果も高い。
アダマスの正中線が曲がり、首筋の筋肉もそれに釣られる。
筋肉の隙間ができるよう誘導したミサキは、彼の後頭部に忍び寄ると踵から龍脈をジェット噴射にして独楽よろしく高速回転した。
十分な遠心力を稼いで――延髄斬りなキックをかます。
「エキザ……ィィィい痛ぇぇぇーッ!?」
口癖の「エキサイト」を喚くよりも、痛いのが先立ってアダマスは変な悲鳴を上げていた。そんなことよりミサキは呆れ果ててしまう。
「痛いで済むのかよ!? こちとら首を刈るつもりでやってるのに!」
やっぱりアダマスの頑丈さはバケモノ級だ。
筋肉の鎧で覆うのもままならない、最も肉厚が薄くて中枢神経に近い延髄を狙ったというのに、大型車のタイヤを蹴ったような感触で跳ね返される。
神経まで筋肉でできてるんじゃないか? と疑う弾力性だ。
まさしく脳筋に恥じない頑丈さである。
もしも叶うのならば、このキックで首を落としてやるつもりだった。
どうせ無理だろ? と高を括ったら案の定である。
それでも自由意志の速度に覚醒する前と比べたら、ダメージはちゃんと通るようになっていた。心なしか、アダマスの弱所も見分けやすくなっている。
ここで畳みかけない手はない。
「攻撃する甲斐が出てきたのなら……ありったけを叩き込むまでだ!」
アダマスが倒れるまで! とミサキは猛攻で挑む。
魔界の大公爵の黒に染まるミサキが、アダマスの周囲を取り巻くように高速移動で駆け回る。かつてと比較にならない素早さでだ。
何匹もの黒い龍が躍りかかるように見えるだろう。
多人数からやたらめったら攻撃されている、と錯覚するほどの絶え間ない連続攻撃をミサキは繰り出した。片時も休むことなく、延々とコンボを決めているため、既に数千万Hitは稼いでいるはずだ。
それでも――アダマスは嬉々として笑う。
怯まず、動じず、脅えず、揺るがず、狼狽えない。
この痛みを待っていたとばかりに、戦士の笑顔で大笑するのだ。
「おうッ! やってみせろやほらぁ!」
アダマスはミサキに翻弄されることなく、敢然と立ち向かってきた。
粗雑な体捌きだが、反射速度は超一流を凌駕する。
自由意志の速度を獲得したミサキでさえ、気を抜けば行動の兆を逃すほどの速さになっていた。テンションとともにパワーアップしてないか?
息もつかせぬ死闘が繰り広げられる。
前後上下左右、ミサキは隙あらば合気や柔術の妙技で体勢を崩すような技を仕掛けていき、アダマスの筋肉という鎧に隙間をこじ開けていく。
そこへ――龍脈を込めた発勁を打ち込む。
筋肉が硬直する前に身体の芯まで届く、一撃必殺の破壊力を宿している。
だのにアダマスと来たら……。
「うははははははははッ! ほら、アレだ! 本気で痛いぞこれ!」
「痛いの喜ぶなよ! マゾかアンタは!?」
マゾの変態ならば、幼馴染みの万年マスクの変態で間に合っている。
致命傷レベルのダメージでもピンピンしていた。
体力はしっかり削れているはずなのだが、そもそも自己回復能力がバグっている奴なので、怪我や痛みに頓着しないらしい。
大型の野生動物が負傷を無視して暴れるようなものだ。
それはそれで問題なのだが……。
とにかく、アダマスにダメージを与えられるようになった。
大きな進歩だが、これはスタートに過ぎない。
ようやくアダマスの体力ゲージを減らせるようになっただけだ。
ゲームっぽく例えてみよう。
アダマスは常時スーパーアーマー状態であり、ミサイル爆撃くらいではビクともしない。常軌を逸した筋肉量はダメージカット率が90%越えの肉体強度を誇り、おまけに超高速自動回復というトンデモ特性を持っている。
この三本柱が、不死身のタフネスを支えていた。
その一角――ダメージカット率を無効化できたのである。
やっと対等の勝負が挑めるところまで持って来られたわけだ。
それでも常時スーパーアーマーの超高速自動回復持ちなんて、ゲームならクソボス以外の何者でもないのだが、目の前にいるのだから仕方ない。
それと戦闘中に気付いた点がひとつ。
これは多分、アダマス自身は気付いていない。
無意識の成せる技のようだが、不死身のタフネスを助長させるものだ。
だからこそ末恐ろしい。
「その剛体術……自覚してやってないだろ?」
アダマスの大陸をも踏み抜く脚から放たれるキックを受け流したミサキは、脇腹を痛打するキックを蹴り入れながら問い掛ける。
「ぐむっ! ご、剛体術だぁ? なんだそりゃあッ!?」
また血反吐を吐きそうになるも、頬を膨らませて飲み下すアダマス。
懐にいるミサキを追い払うため膝と肘を尖らせたアダマスは、その二つを突き合わせて叩き潰そうとしてきた。ペシャンコ前提のサンドイッチを回避したミサキだが、アダマスの反応速度を見誤ってしまう。
膝の一撃を軽く受け、右の太ももにジンジンとした痛みが走った。
甘く見てはダメだ――舐めてかかれば即死する。
自由意志の速度を開眼したことで、気持ちが少し浮ついているのかも知れない。増上慢に取り憑かれないよう気を引き締めていかねばいけない。
それを踏まえてアダマスに教えてやる。
アダマスが無自覚に行っている防御術についてだ。
この事実を伝えることでアダマスがそれを解釈し、更なる能力向上に目覚めないとも限らないが、明かしておかないのはフェアじゃないと思った。
この喧嘩番長とは――対等な関係でいたい。
ミサキは躊躇せず話していく。
「ずっと喧嘩に明け暮れてきたと聞いてるから、その実戦経験に基づいて自然と身につけたんだと思うが……アダマスは攻撃を受ける瞬間、無意識に筋肉を最適かつ最高の状態で緊張させている。それが立派に技となってるんだ」
体幹を万全に保ち、動くための姿勢を維持し、攻撃を受けても微動だにしない。
おまけにダメージカット率を何%か底上げしている。おかげで総合的なダメージカット率が99%近い。ほぼノーダメの強靱度も納得するしかなかった。
恐るべき無敵の剛体術だ。
空手ならば、三戦という守りの構えがある。
気功ならば肉体を剛体化させることで有名な硬気功、あるいは排打功と呼ばれるものに近い。他にもいくつかの武術に確認することができる
自己流ながらも、それらと同じ効果を発揮していた。
しかも超一流と来てるからタチが悪い。
体幹が崩れない強靱性、ダメージカット90%筋肉、超高速自動回復。
この三本柱をアダマスの剛体術はこの上なく補強する。
これが――不死身のタフネスの正体だ。
三本柱はアダマス天性のものだが、剛体術は彼が自ら編みだしたものだろう。既に述べた通り、まったくの無自覚で無意識だが……。
「誰だって殴られそうな瞬間は身構える」
身体は反射的に身を守ろうとして、全身の筋肉を硬直させる。
それが肉体を萎縮させてしまい、戦闘中の反応速度などを鈍らせるのだが、アダマスのそれは武術の奥義レベルに高められていた。
剛体術を維持したまま、平然と手足を振り回していたのだ。
天性の肉体――武術の奥義。
合体させたら不死身の喧嘩番長の完成である。
道理でいくら殴ろうが蹴ろうがどつこうが、戦術核兵器レベルの爆発力を直撃させても、嵐を巻き起こして立ち直ってくるわけだ。
「まともに戦り合えば疲れる一方だ」
下手な殴り方をすればこちらの拳が破壊されかねない。
攻撃は最大の防御というが、最強の防御が最高の攻撃力を秘めているのだから堪らない。ミサキのような打撃系の格闘家には鬼門である。
油断しただけで手足がイカレそうだ。
「へー、そうなのかよ。全然知らなかったぜ」
隙あらばミサキに投げられて姿勢を傾けられ、その隙を突いて龍脈を乗せたパンチやキックをしこたま浴びせられているはずなのに、アダマスは激痛を意に介することなく、のんきなに感心していた。
こうしている間にも無意識の剛体術は使われている。
「アダマスは自前の剛体術を意識していない……が、自分が無闇矢鱈に頑丈であることと、その頑丈さをサポートする術を身につけていることを活用している」
有り体にいえば「俺はタフだぜ!」と心得ているのだ。
そこに少なからず慢心が潜んでいる。
この自覚の薄い慢心に――ミサキの付け入る隙があった。
「ん? 俺の最高の親友、おまえの言ってることはよくわからんのだが?」
「……アンタの理解力が低くて助かったよ」
これから仕掛ける大技を気取られる心配がなさそうだ。
ガツン! とミサキはアダマスのこめかみに気が遠くなるような膝蹴りをすると、忘れずに龍脈の衝撃波も混ぜ込んでおいた。
これで軽い脳震盪、少なくとも目眩を起こすはずだ。
「ほらぁ!? あ、アレだぁ……クラクラするぜぇ……ッ!」
狙い通り、アダマスは眼を回してくれた。
目の前に無数のキラキラ星を散りばめて意識を曖昧にしたアダマスの虚を突いて、ミサキは彼の背後へと回り込んだ。
そして、アダマスの腰へ両腕を回すと抱きつく。
4mに巨人化したアダマスに、170㎝のミサキでは体格差がある。
女神になって獲得した巨乳が潰れるほどの密着サービスをするつもりで抱きついたとしても、ミサキの両腕ではアダマスの腹まで届かない。
なので、構うことなく脇腹の筋肉を鷲掴みする。
アダマスの筋肉ならば千切れることもないだろう。
「おおおっ!? お、お、お、おお……ぱッ!?」
アダマスがかつてないほど硬直する。全身の筋肉を身動ぎできぬほど硬くさせていた。筋肉を鷲掴みにされたのが、そんなに痛かったのだろうか?
「おっぱい当たってんぞ俺の最高の親友ッッッ!?」
「――純情かッ!?」
咄嗟に「当ててんのよ」なんて気の利いた切り返し、同じくらい純情なミサキにはできなかった。板についたツッコミでボケを引き立てるのが関の山だ。
これから大技を使うのに調子が狂う。
「最初に謝っとくぜ……これは勝負と別の話だから謝るんだけど……」
自慢のリーゼント――滅茶苦茶にするからな?
そう断りを入れたミサキは、全身から龍脈のジェットを噴出させた。
ミサイルはミサイルでも大陸間弾道ミサイル。あるいはそれにも勝る、それこそスペースシャトルを大気圏外へ打ち上げる規模となる。
魔界の大公爵が身にまとう黒いローブ。
それら帯状の龍脈が、すべて高出力のジェット噴射となる。
既に地表から1㎞も離れた上空だが、大気を突き破る空気摩擦によって赤熱化するミサキは、アダマスを掴んだまま遙かなる空の高みを目指す。
高度19200m――アームストロングライン。
地上世界と宇宙空間との境界とされる場所までやってきた。
気温マイナス60℃、地上とは異なり宇宙に近いこの場所では水分があっという間に蒸発し、生物の血液は灼熱で焙られたように沸騰するという。
ミサキもアダマスも神族だから耐えられている。
「おいおいおい、まさか……俺の最高の親友、おまえもしかして……」
とんでもないことを考えてないか?
アダマスはそう訊きたかったのだろうだが、その言葉が発せられる前にミサキは大きく腰を逸らせた。彼の巨体を掴んだまま持ち上げていき、頭から真後ろの地面へ叩きつけるように投げ飛ばしてホールドする。
ジャーマンスープレックスホールド――通称・原爆固めだ。
ただし、落下距離は桁違いである。
「即興で名付けるなら、スカイハイスープレックス……」
メテオバスターだ! ミサキはそのまま全速力で急降下を開始した。
重力に任せてアダマスを脳天から落としていき、飛行系技能は使わせないように何重にも封じて、龍脈のジェット噴射で加速に次ぐ加速を加えていく。
再び大気を突き破り、空気摩擦で燃え上がる。
全身に浴びる熱は上昇の時とは比較にならない熱さだった。
「ほら、アレだアレ、おまえプロレス技もイケる口か!?」
アダマスはワクワクした口調で訊いてくる。まるで危機感がない。
「とある横綱さんからの入れ知恵でね!」
あの人は本職が相撲のはずなのに、他のスポーツや武道にまで手を出していて、こういった技もちょくちょく教えてくれるのだ。
「無駄口叩くな閉じてろ! 舌噛み切って痛い目見るぞ!」
「OK! お口にチャック!」
その怒鳴りつけを最後に、ミサキはアダマスを叩き落とすことに集中する。
大気を突き破る二人は流星となって燃え上がった。
落下地手は両者が戦い始めた、直系150㎞にも及ぶ超巨大闘技場。
その跡地中央に――アダマスという隕石が堕ちた。
激震とともに闘技場跡地が陥没してクレーターとなり、その中心に底無しの穴が穿たれる。そこから大爆発が起き、真っ赤に染まる噴煙が舞い上がった。
これが大型隕石ならば冬の時代を呼び寄せたかも知れない。
隕石衝突によって大量の粉塵が大気圏まで舞い上がり、分厚い雲を形成して日光を遮る現象だ。生態系に多大な悪影響を及ぼすとされている。
アダマス程度の巨体では、そこまでの被害は及ばない。
それでも闘技場跡地は見る影もなく、押し潰されて盆地になっていた。
いはやは、盆地どころの騒ぎではない。地の底まで陥没してかけており、もう少しでこの辺り一帯の地層を支える岩盤まで割り砕くところだ。
いずれ、この大穴に水が貯まれば深いカルデラ湖にでもなるだろう。
穴の中央から黒い流星が飛び出してくる。
魔界の大公爵アスタロトモードのミサキだった。
「脳天だけは、どんな努力をしようと鍛えられないだろ……」
タフネスさを意識せずに過信する、アダマスの隙を突かせてもらった
墜落時のダメージはすべてアダマスに押し付けたので実質無傷だが、大技をやり遂げた昂揚感からか荒い息をついていた。
墜落地点から大きく飛び退き、噴煙が収まらない爆心地に注目する。
「……謝ることはないぜ、兄弟」
ズン! ズン! ズン! と重低音の足音が近付いてくる。
原子力を抱えた怪獣王のテーマか、未来からやってくるマッチョな暗殺アンドロイドか、そういった絶望感の漂うBGMの幻聴が聞こえてきた。
噴煙のヴェールを打ち払って喧嘩番長が現れる。
首から掛けた金剛石の大数珠玉なネックレスが揺れていた。
あれはこれまで倒してきた強敵を、その怪力が過ぎる握力で押し固めて作られているらしい。倒した強敵への敬意を示す位牌だという。
愛用の櫛を手に頭部のリーゼントを整えている。
しかし、そこまで型崩れした様子はない。
プラズマと化した巨砲の如きリーゼントは、雄々しく聳えていた。
「どんな野郎と喧嘩しても、このリーゼントを崩したことはなねえ……それがよ、俺の誇りだ。何があっても起こっても、このリーゼントは壊せねえ……」
崩せない、壊せない、そして――譲れない。
「それこそが誇り……漢の勲章、俺だけのエンブレムだ」
そうだろ兄弟? とアダマスは新しい呼び方でミサキにウィンクした。
とうとう兄弟になってしまったか……やむを得まい。
だがしかし、戦女神に転生しながらも少年の心を失っていないミサキには、アダマスの言葉に多大な共感を寄せることができた。
「漢の勲章か……へっ、いいね」
リーゼントと誇りの下りには、漢気な厨二病がグッときてしまった。
割とヤンキー漫画も読んでいたので余計かも知れない。
確かに自慢のリーゼントは崩れていない。
それでも高度19200mから落下したダメージはある。リーゼントの下からだくだくと血がこぼれており、頭のあちこちから血の噴水が上がっていた。
体力も減っている。明らかにHPゲージを削っているのだ。
それでもアダマスは涼しい顔をしている。
この強がりにも漢気あふれる浪漫を感じられた。
「ほら、アレだアレ。今ので一本、俺が取られたってことで……」
お色直しと行こうぜ、とアダマスは口の端を釣り上げた。
悪意のない笑顔にミサキは苦笑で返す。
「もしかしなくても……仕切り直しって言いたい?」
「おお、それだそれ。いつも訂正してもらってスマンな」
このやり取りも何回目になるのか、アダマスはボキャブラリーこそあるようなのだが、どれもこれも半端にうろ覚えなのだ。
ミサキは諦めのため息をつくも、喧嘩番長を改めて評価した。
「お見それしたよ……アンタは本物の漢だ」
だからこそ――1人の漢としてアダマスに勝ちたい。
最悪にして絶死をもたらす終焉VS四神同盟との戦争はこの際、頭の片隅に追いやってしまいたい。ツバサさんには悪いが、二の次にさせてもらう。
今はただ、アダマスという漢との真剣勝負に興じたかった。
「じゃあ……第二ラウンドと行こうか!」
言うが早いかミサキは地を蹴り、挑戦するようにアダマスへ仕掛けた。
「来いよ兄弟! 決着つくまで存分に楽しもうぜ!」
アダマスはゴリラのドラミングよろしく拳で自らの胸を何度も叩くと、自らの威勢を誇示してから迎え撃ってきた。
巨体が動くだけで衝撃波が起き、分厚い圧迫感に見舞われる。
アダマス――圧が強くなってない?
それだけではない。繰り出される豪拳や極太に脚によるキック。
どれもが威力と速度を増しており、“自由意志の速度”で捉えられたはずの兆が、またしても掴みにくくなっていた。
やっぱり、テンションと一緒に身体能力が高まっているのだ。
身体の動きもより洗練されている。
「体力ゲージを半分まで削ると本気出して第二形態……よく聞く話だね」
どこかの死にゲーによくあるボスエネミーみたいだ。
エンオウさんがこの会社のゲームが大好きでドハマりしているそうだが、コントローラーが何台あっても足らないという。
あまりに理不尽すぎて、怒りに駆られて操作中に壊してしまうそうだ。
ミサキも似たような状況に追い込まれている。
だが、この理不尽さに挑みたくなるのもゲーマーの性だった。
発狂しそうな強敵と化したアダマスに正面から立ち向かう。
「ほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらぁぁぁーーーッ!」
我武者羅に打ち出される豪拳の連打。
一流の武術家にしてみれば、駄々っ子パンチの進化系でしかない。技とも言いたくない幼稚な拳だが、アダマスがやれば次元が変わってしまう。
純粋に世界を滅ぼす脅威となるのだ。
パンチ一発が、都市を壊滅させる爆弾低気圧を宿している。
しかも台風は1つ2つじゃない――複数だ。
それが秒間何千発も繰り出され、余波がプラズマ化した乱気流となって辺り一帯の大気を荒れ狂わせており、時空間さえねじ曲げようとしていた。
触れただけでアダマント鋼すら塵と化す。
そんな豪拳でできた絶壁が、ミサキを叩き潰すために迫ってくる。
セオリー通りなら、まともに相手はしない。
破壊力は抜群。大国であろうと更地にする攻撃に張り合うなんて、馬鹿げた真似はしないに限る。避けるなり躱すなりして、やり過ごした方がいい。
それくらい喧嘩百般のアダマスも熟知しているはずだ。
なのに彼はこの戦法を選び、嬉々としてミサキに勝負を挑んできた。
ここでミサキの内なる漢が騒ぎ出す。
『真っ向勝負を誘われてる……打ち勝ってこその漢じゃないか!』
無謀な炎が魂に火を着けてしまった。
ミサキは鬼気迫る表情で笑い、豪拳の絶壁に飛び込んでいく。
筋力の差は歴然。まともにぶつかれば、ミサキが完敗するのは火を見るより明らかだ。龍脈でブーストをかけてもギリギリで競り負けるだろう。
それでも――引き下がれなかった。
ただのブーストで競り負けるのなら、もっとたくさんの龍脈を注ぎ込んでブーストを何倍掛けにもすればいい。出力の底上げをすればいい。
今のミサキなら適うはずだ。
自由意志の速度に覚醒したことで、体内を駆け巡る龍脈を今まで以上に我が物として実感することができた。
どうもミサキは勘違いしていた節がある。
ミサキ第一の過大能力――【無限の龍脈の魂源】。
龍脈を湧かす根源となれる神の力。
龍脈という“気”の流れを際限なく生み出せる、エネルギーの無限増殖炉になれる能力だ。龍脈をエネルギー波として攻撃に転用もできる。
この龍脈――生み出したら別物だと思い込んでいた。
ミサキの能力より生まれたものだが、別個の存在と認めていたのだ。
だが、それは違う。
龍脈はミサキという根源から生じた一部であり、その根はミサキの内にある魂源と繋がっていた。根から枝葉が伸びるようなものだった。
自身の一部を暴走させる必要はない。
無限のエネルギーを発するなら、その力を加算してやればいい。
いくらでもどこまでも――それこそ無限大まで。
「ほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらぁぁぁーーーッ!」
「ドラドラドラッ……ドラララアアアアアアアアアアアアアァーーーッッッ!」
アダマスの豪拳連打に、ミサキも龍脈を乗せた拳の連打を繰り出す。
連打の突き比べ――豪拳と龍拳のぶつかり合い。
拳と拳が激突する度、真なる世界を震撼させる震動が巻き起こる。天変地異というのも生温い激甚災害が、森羅万象を塵になるまで震わせていた。
ミサキの拳はアダマスの拳と競り合う。
一歩も譲ることなく対等に、力と力の衝突にしっかり応じていた。
「おい兄弟……おまえ力まで強くなってねえか!?」
度肝を抜かれるアダマスだが、その驚きの声には賞賛が含まれている。
事実、龍拳が豪拳に押し勝ちつつあった。
――自由意志の速度。
その覚醒によりミサキは、新たなものを得ていたのだ。
自らの生み出す龍脈を自分の一部だと再認識することで、それを自らのアストラル体に馴染ませて神経や血流とし、思うがままに加速や強化を施す。
自身の一部を龍脈を意のままに従えればいい。
ミサキの想うがまま自由自在。どこまでも強くすることができる。
もはや暴走させる必要はない。
2つの過大能力を上限無しでフル回転させ、更なる力を引き出すも安定化させることに成功していたのだ。
おかげでアダマスの膂力を上回るパワーを引き出せている。
新たな段階へ踏み出せた成果は、ミサキの変身にも現れつつあった。
漆黒が――黄金へと塗り変わる。
暴走させた龍脈の余剰分が体外に出て、黒い帯状のローブにしてまとっていたが、これらをミサキの体内へ引き戻していく。
力の加算を求めれば、外に漏らしておくなど勿体ない。
もっと力のギアを上げるため体内を駆け巡る龍脈を増やしていき、これでもかという速度でぶん回していく。
音速も高速も越えるスピードへと突き詰める。
やがて――ミサキの身体が金色の光を発するようになった。
体格もやや大きくなっており、170㎝あった身長は180㎝手前くらいまで引き上げられている。手足も長さくなって筋肉量も見苦しくない程度に増えており、より戦闘に適したプロポーションへと変わってきていた。
バストやヒップのサイズも大きくなっている。
ウェストは据え置きなので、グラマラスさに拍車が掛かった。
母のように敬愛する先生の体型に似たのかも知れない。
超爆乳の先生と比べたら見劣りするサイズだが、巨乳を越える爆乳と今まで以上に重くて大きい巨尻になったのは否めない。
その分、太ももの厚みも増したのでキック力はありそうだ。
足下まで届く長い髪も変化する。
元の紫がかったバサッとした長髪は、魔界の大公爵モードだとストレートな黒髪になったが、それが髪の長さはそのままで金色に逆立っていた。
金色の獅子がたくわえる鬣、そんなイメージの金髪だ。
父のように尊敬する師匠の髪型、彼の二つ名である獅子翁を彷彿とさせる。
父母の意匠を引き継いだかの如き容姿――。
着込む戦闘用ボディースーツも変形しており、大きくなった乳房やお尻の際どさを強調するのを欠かさず、こちらも金色に塗り変わっている。
ミサキは金色の戦女神へと進化していた。
「ドラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーッ!」
ついにミサキの龍拳の乱舞が、アダマスの豪拳の連打に打ち勝った。
トドメの一撃、彼の鳩尾に渾身の一発を叩き込む。
「エッ……キサイトォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォーッ!?」
口癖の雄叫びを上げてアダマスは吹き飛ぶ。
大きな瓦礫に喧嘩番長の巨体を叩き込むまで見送り、彼がすぐに立ち上がってこないところを見届けたミサキは、新たな変身を確認する。
極戦態――アスタロト・グランデューク。
それを超越するも安定したパワーを引き出せる形態になれたらしい。
実は新しい変身形態の名前は既に考えてある。
これまでの変身はツバサさんを模倣した、謂わばお試しの試験体。
自分なりの変身手段を会得した時、大悪魔アスタロトや戦女神イシュタルの大元となった祖神ともいうべき大地母神の名を冠すると決めていたのだ。
その名は――。
「金色の戦女神――イナンナ」
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