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第17章 ローカ・パドマの咲く頃に
第407話:戦女神の国の電撃戦~神々のステゴロ上等!
しおりを挟む空間に幾度となく爆発が巻き起こる。
爆発音はどれだけ大きく轟いても一回に聞こえるが、その爆発は実のところ一瞬に何百連続もの爆音を鳴り響かせていた。
秒間に何連発もの速さで爆ぜることで大爆発に聞こえるのだ。
そんな世界を打ち鳴らすほどの大爆発が断続的に繰り返されていた。
ミロとホムラが激しく競り合う影響である。
双方ともに神速を越える速度で飛翔し、音速の壁をぶち破りソニックブームを引き連れて飛び回っている。この速さから繰り出される超神速の攻撃はもはや避けることも難しく、すれ違う度に剣戟を交えていた。
例えるなら――異次元の速度で飛行する超高速戦闘機。
そんな最新鋭の機体が二機、飛行機雲を棚引かせながら何度も交錯しているようなものだ。常人の目で追えるのは残像である。
覇唱剣オーバーワールドVS拒絶と否定をまとう竜鱗野太刀。
互いに相手を断ち切るつもりで得物をぶつけ合わせると、空間を爆裂させる破滅的な振動が発生した。それが球状の衝撃波となって世界を揺るがす。
絶え間なく――空振が起きている。
火山の噴火や炸裂する核爆弾。
こうした天災級の爆発が起こると、大気が凄まじい勢いで振動することにより、世界規模で災害を引き起こす圧力波を生じさせる。
これを空気振動、略して空振という。
しかし、ミロとホムラの激突は空振以上の現象を起こしていた。
超絶的な理力と魔力の持ち主が、互いの持てる力を武器に集約させて叩き合わせることで発生するのは、空気だけではなく空間をも振るわせる力。
空間をも波打たせる超常的な振動だった。
空振は空振でもこの場合、空間振動というべきだろう。
この空振をやり過ぎると、空間を壊して元の裂け目を生じさせてしまい、そこから蕃神が侵入してくる恐れがある。このためミロはなるべくなら避けていた。
しかし、ここまで来ると手加減はできない。
ホムラの全力に応えるべく、ミロも全開で打ち合うしかなかった。
互いの剣を打ち合わせること既に数百回。
その度に球状の衝撃波、空振が世界を発狂させていた。
世界という鐘を打ち鳴らし、絶叫の音色を響かせているかの如くだ。
かつて栄華を誇った――巨人族の都市。
度重なる空振をまともに浴び、欠片ひとつ残すことなく消えている。
いくつものクレーターが彫り込まれた大地には、渓谷と見紛うほどの深い亀裂が編み目のように走っていた。その裂け目からはそこかしこから溶岩の噴出が始まっており、地殻を砕いてマントル層にまで届いているのだ。
見渡す限りの空は、稲光を帯びた暗雲で覆われている。雲の流れは一時たりとも留まらず、瞬きする間に視界の端から端へと移動してしまう。
この一帯に凄まじい乱気流が居座っていた。
飛行機がフライトするどころではない。LV999でも外出を控える天変地異に匹敵する悪天候だ。台風が団体でやってきたような惨状である。
これらすべて――ミロとホムラの激突によるもの。
どちらも掛け値なしの本気を出した状態で戦った結果、その波及が世界はおろか空間をも破りかねない被害を及ぼしていた。
天も地も騒乱する中、ふたつの流星が駆け抜けていく。
そこから数度の接触し、ようやく動きを止めた。
競り合いを繰り返しすぎた結果、どちらもマンネリ化してきたと感じたのだ。そのため暗黙の了解として、ワンクッション置くことにした。
示し合わせることなく、互いに小休止とする。
「……思ったよりタフだね」
覇唱剣を左手に提げたミロは意外そうに呟いた。
まだ息は上がっていない。
本気を出して本腰を入れているが、最高潮とは言い難い。
それでも多少テンションは上がってきていた。
漆黒のロングコートと黒で統一された軽装の鎧を身に帯びたミロは、“オルタ・モード”という全力を出せる戦闘形態になっている。
この状態でしばらく経つが、まだホムラを墜とせずにいた。
「破壊神に貰った力だけじゃない……それなりに地力があるってことか」
そのことに僅かながらも感心する。
そういえば穂村組のみんなは「ホムラの若様はまだ幼いが、類い希な才能がある。だからこそ組長になれたんだ」と褒めていたのを思い出す。
たとえば――あらゆる武器を巧みに扱う。
弘法筆を選ばず、と讃えられる達者振りだという。
アシュラストリート時代は「歩く武器庫」などと呼ばれたほど、どんな武器でも達人級に使い熟せたらしい。その中から性に合っている武器として、長巻や大太刀などの大型武器を愛用するようになったそうだ。
遠心力の使い方、これをホムラは心得ているという。
大型で柄の長い武器は振るうと強い遠心力が起きる。これに引っ張られることなく巧みな手捌きで導き、思い通りに操ることができるらしい。
腕力に頼って得物を振り回すのではない。
遠心力を操作して、迅速な運動エネルギーを我が物とする。
これがホムラの得意技のようだ。
それと気付いたのは――挙動が読みづらい。
長巻なんて大振りしかできない武器を使っているのに、どういうわけか攻撃の先読みが難しい。おかげで紙一重で避ける場面が何回かあった。
他にも磨けば光りそうな才がちらほら。
長兄や次兄を差し置いて、組長に推挙された理由がこれなのだろう。
ホムラがもう少し心身ともに成長していれば、自身の才能を正しく認識して伸ばすことができたら……たらればを言い出したら尽きない。
だが、この才能がホムラを助けているようだ。
惑星をも両断できる“気”を宿した覇唱剣は、振るう度に千里を駆ける光の刃を迸らせる。その太刀筋は何者であろうと一刀両断に斬り伏せた。
必殺の一太刀を――何度浴びせたことか。
それでもホムラはまだ五体満足で生き存えていた。
覇唱剣を防いで避けて耐えて、辛くも鎬を削っているのだ。
「本気のアタシがこんなに手こずってまで斬れない奴は初めて……あ、いや、いっぱいいるわ。お母さんとか剣豪とか横綱のオッチャンとか……」
ミサキくんや獅子のお兄ちゃんにも勝てない。他にも何人かいる。
とはいえ、ツバサさんたちは例外だ。
ホムラは格こそ同じLV999ではあるものの、技術面や精神面ではミロが何枚も上手を行っている。なのに、いつまでも倒せない。
勿論、破壊神からの“力”もあるだろう。
それ以上にホムラ自身の才能が、彼の命脈を繋いでいるようだ。
「……こういうのなんて言うんだっけ? 一の茗荷?」
命冥加と言いたいがド忘れしていた。
遠く間合いを置いた空中から、ホムラの激しい深呼吸が聞こえてくる。
「ぜは、ぜはっ、ぜっ、ぐむ……ぎぃ、ぎみはらぁぁぁ……ッ!」
止まりそうな呼吸を無理やり押し通す。
心臓や肺が言うことを聞かないのか、細い胸板を懸命に拳で叩いて動かそうとしている。その手は誰が見ても竜の手だと思うだろう。
――変貌が加速していた。
これまでのミロとの競り合いで防ぎきれないダメージは、すべてホムラの身体を苛んでいた。着物や袴、羽織る単衣も端切れのようにズタズタだ。
着物の裂け目から覗く肌に竜鱗が増えている。
傷を負えば高速再生するのだが、傷口は竜の鱗で塞がれていくのだ。
破壊神から与えられた力は、破滅をもたらす竜神あるいは世界を滅ぼす業を背負った蛇神なのかも知れない。
その力に頼れば頼るほど、肉体を侵されていくらしい。
「なんだろう……なんか変だな」
ミロはどうにも腑に落ちない気持ちに囚われていた。
ホムラが破壊神の力を使う度、あるいはその力を引き出そうとする度、ドラゴンみたいに変化していくのが気持ち悪くて仕方ない。
正しく言えば、違和感がありまくりで落ち着かないのだ。
――そんなペナルティあったっけ?
他のバッドデッドエンズで、あんな変身した人を見た覚えがない。
ロンドから力を与えられても発狂することなどなく、自分を見失うまで身も心も侵食されるようなことはなかったはずだ。
多少なりとも影響はあったのかも知れないが……。
だが、固有技能の直感&直観は「なんか違くね?」と囁いてくる。
またミロはこの時点では知る由もないが、拳銃師ジェイクと死闘を繰り広げているリードがバージョン違いの状態変化を起こしつつあった。
だとしても変だ――どこかがおかしく感じる。
しかし、アホの子であるミロはいまいち「おかしい」理由を具体的に理解することができなかった。なんとなくはわかっているのだが……。
一応、ミロなりに心配しているのだ。
もっともこの心配はあまりホムラ自身を案じたものではなく、ホムラの帰りを待つ家族、穂村組の人々の気持ちを慮るものが大きかった。
比率的には3:7くらい。
そんな心配も何処吹く風、ホムラは打倒ミロへの闘志を燃やしている。
「ぎ、ぎ、貴様を倒せるなら……殺せる、なら……」
邪神の力であろうと――我が身を惜しまず使ってやるわ!
宣言とともにホムラの力が倍に膨れ上がる。
与えられた力をバイパスして破壊神から新たなエネルギーを供給されているのか、ホムラの増強は留まることを知らなかった。
際限なくいくらでも追加されるかのようだ。
その分、変化も酷くなるのだが……。
鱗の浮いた頬にホムラは大量の汗を流していた。その眼差しは爬虫類の眼球となっており、竜鱗の大太刀はますます拒絶の力を滴らせる。
冥い波動が目に見えて強まり、刀身から靄のように垂れ流しだった
あの大太刀は――謂わば毒の刀だ。
刃に宿る拒絶の力を目に見えない毒と考えればいい。
(※嫌な感じがする、と感覚的にはわかる)
躱すことで空振りさせても毒を噴霧し、武器で受け止めたりすれば毒の飛沫を降りかける。ホムラが敵意を向けた者、即ちあの竜鱗の刃で斬りかかれた者は、その見えない毒をずっと浴びせ続けられる。
道理でどうやっても効果が途切れないわけだ。
原理を見破ってしまえば、対抗する術はいくらでもあった。
「君原ぁぁ……貴様を、倒すまで……雪辱を果たすまでは……ッ!」
負けるものかッ! とホムラは踏み出してきた。
竜鱗の刃を背中へ隠すように担ぐと、真っ向から突っ込んでくる。大太刀はリーチの長い上にホムラの斬撃は伸び、衝撃波になって飛ぶ。
間合いが浅く遠距離でも十分な脅威だ。
ホムラの拍子を崩すため、ミロも呼応するように飛び出した。
そうして再び激突する大剣と大太刀。
剣を交わした瞬間のことだ。ミロは覇唱剣に宿る“気”に指向性を持たせ、ホムラへと爆風を吹きかけるように放った。
これにより拒絶の力を跳ね返すことに成功する。
もっとも“オルタ・モード”に変身した時から、常に膨大な闘気を発することで拒絶や否定を弾き返していた。わざと思い知らせてやったのだ。
自慢の能力を封じられてホムラはお冠である。
「うぐぐぐぐぅ……おのれぇ君原ぁ! 小癪な真似をしおったな!?」
「最初から小細工してたのはそっちだろ」
本物の技をお見舞いしてやる、とミロは覇唱剣に握り締めた。
ブォン……と強烈な振動が覇唱剣に走る。それは鍔迫り合いで刃を交える竜鱗の大太刀へと伝わり、そのままホムラの手も震わせていた。
次の瞬間――ホムラは膾斬りになった。
身体のあちこちに刀傷が生じ、赤い血とともに鱗が舞い散る。
「ぎぃ……ぎゃあああああああっ!? な、何事じゃあこれはッ!?」
不可解な現象に絶叫するホムラ。
覇唱剣を打ち払い、鍔迫り合いを解いて大きく飛び退いた。全身のあちこちに走った裂傷からダクダクと血を流しながらも分析する。
「身体の内側から……斬られたじゃと!?」
そんなバカな!? とホムラは驚愕の視線をこちらに向けた。
覇唱剣を構え直したミロは冷たい視線で迎える。
「でも、身体の中からズタズタに斬り裂かれたでしょ? それが事実」
そのまんま受け止めな、とミロは無感情に言った。
内に置く打撃――という技術がある。
突きやパンチ、要するに打撃というものは「殴り飛ばす」なんて表現がある通り、相手を吹き飛ばす威力を出すことがある。これは一見するとド派手で、スゴい威力のパンチだと思われやすいが、実は大きなロスが発生している。
打撃のパワーが相手を吹き飛ばす移動エネルギーに変わってしまうため、その分だけ破壊力がロスしてしまっているのだ。
相手の攻撃を逆手に取り、自ら飛んで打撃力を削ぐ技法もある。
この移動エネルギーとなるロスを発生させないためには、打撃の力を100%余すところなく相手の体内に置けばいい。
パンチ力から発生する衝撃波もセットにできれば更にお得だ。
こうすれば破壊力はすべて敵の内側で爆発する。
これが打撃を重んじる格闘技の真髄――内に置く打撃だ。
中国拳法の発勁、空手の当破、骨法の透し。
こういった技も相手の体内にダメージを浸透させることを目的としているので、内に置く打撃と関連している。ただ相手を殴り倒すのではない、敵を一撃で戦闘不能へ追い込むために考案された絶技である。
ホムラを体内から斬ったのは、この内に置く打撃の変化系。
内から飛ぶ斬撃――とでも呼ぶべきも秘技だった。
『暇潰しに編み出してみたんだが、ミロちゃんなら使えんじゃね?』
そういって剣豪が教えてくれたのだ。
鍔迫り合いになった時に試してみたが効果覿面である。
「こんな傷……なんぼのもんじゃあッ!」
ホムラは大声を張り上げると、また破壊神の力を呼び起こす。
全身の傷が粘土みたいに易々と癒着していくのはいいのだが、その分だけ竜の鱗に覆われる面積も増えていき、新たな変化まで起き始めた。
ホムラの身体から――蛇が生えてくる。
竜ではない。角のない頭は間違いなく蛇のものだ。
ミロの内に置く斬撃で深々と斬られた箇所を埋め合わせるように肉が盛り上がると、竜鱗に覆われた傷口が盛り上がって蛇となった。
蛇たちはホムラの痩身に絡みつき、威嚇の鳴き声を上げる。
やっぱり――ホムラに宿るのは大蛇の力だ。
「ミドガルズオルム……とか名乗ってたけど、蛇系なのかな?」
アニメかゲームで聞き覚えのあるような名前だった。
ミロは精神念波を通じてフミカに教えを請う。
『ミドガルズオルム……別名ヨルムンガンドの方がよく知られてるかも知れないッスね。北欧神話の舞台でもあるミッドガルドの大地をグルリと取り囲めるほど大きな超巨大大蛇のことッスよ』
悪神ロキが生んだ、世界を滅びに導く三体の魔物のひとつ。
オーディンを始めとした神々を食い殺す魔狼フェンリルが長兄、世界を取り囲む巨大蛇ヨルムンガンドが次兄、不名誉な死を司る女神ヘルが長女に当たる。
(※不名誉な死=老衰、疾病、悪人のまま死ぬ、などを指す。北欧神話の価値観では、勇猛果敢に戦って死ぬことが最も尊い死に方)
神々の黄昏では、父であるロキとともに大暴れするとされている。
ミドガルズオルムは種別的には蛇神らしい。
だが世界を取り囲むほど強大であることや、角や腕を持っているような描写もされていることから、竜神という側面もないことはないそうな。
神々の黄昏で世界を滅ぼすために暴れ出し、因縁のある雷の戦神トールと決着をつけるため最終決戦に挑む。そして、壮絶な相討ちとなる運命だという。
フミカに礼を述べてミロは通信を切った。
「世界を滅ぼす蛇か……道理で鱗まみれになるわけだ」
破壊神の力に染まる度、竜や蛇の鱗が現れるのはミドガルズオルムという属性に塗り変わっていっている変遷の現れなのだろう。
やがて――総身に力が行き渡る。
その時こそ、ホムラは破壊神の竜蛇に成り果てるのだ。
「ぎみばらぁ……ころす……殺して、ツバサさんを……わしのものに……」
おまけに――知能指数の低下がヤバい。
最初は新しい力に「酔っている」程度だったのだが、次第に心や精神が「壊れている」状態に陥り、そろそろ支離滅裂になっていた。
ミロを打倒して、ツバサさんを寝取る。
この目標を見失わないのは、見上げた根性だと褒めてあげよう。
やられも斬られても負けてもコテンパンに打ちのめされても、その度にロンドから貰った破壊神の力を引き出し、損失を埋め合わせていく。
いくらでも補填されるなら――焼け石に水だ。
倒しても倒しても倒しても切りがない。
どうすれば不毛なこの戦いに終止符を打てるのだろうか?
ミロは軽い頭痛を覚える。
「ううっ……普段、こういう小難しい考察めいた独白はツバサさんに任せてるのに、アタシにやらせてるから……知恵熱で脳細胞全滅しそう」
アホの子に難しいこと考えさせないでほしい。
一方、ホムラはアホの子をぶっちぎって錯乱しつつあった。
「ぎ……み゛ぃ……ばぁぁ……ら゛ぁぁぁッ!」
身体中から生えてきた蛇は12匹。それぞれホムラの手足に絡みつくと、邪悪なオーラを発してある種の強化効果を及ぼす。
狂乱の蛇神と化したホムラは、更なる自己増強を施していた。
恐らく、今ならミロの“オルタ・モード”とも渡り合えるはずだ。
その代償としてホムラの原型はほとんどなくなりつつあり、破壊神ロンドの分身ともいうべき醜悪な蛇の邪神に成り下がりつつあった。
「おい、アタシの嫌がる名前ばっか連呼すんな! もうちょっと悪口にもバリエーションってもんを……囲碁力! 違う、おまえの語彙力見せてみろ!」
「ぎぁみ゛ばぁら゛……らぁぁぁぁあああぁーッッッ!」
「アカン! 犬猫より話が通じない!?」
さすがのミロもびっくりである。
近所の野良猫より意思疎通が難しくなってきていた。
ミロの全力へ追いつくためにホムラは、心を代償にして力に身を食わせた結果、意識や理性といったものを手放してしまったみたいだ。
「う~ん……本当にそうなのかな?」
違和感が鳴り止まないミロは、時間がないなりに調べてみる。
フミカちゃんほどではないにしろ、ツバサさんに叩き込まれた分析と走査の技能を走らせつつ、もう一度ホムラに話し掛けてみた。
「ミロを殺したい? そんで……ツバサさんが欲しい?」
ほぼ竜や蛇の顔をなったホムラは、牙の目立つ口を開いた。
「ころすぅぅ……ころしてぇ……ほしいぃぃ! ウィングさぁんぅうぉ……」
破壊神の力に蝕まれても目的を見失わない。
てっきり根性でなけなしの自分を保っているものだと思っていたが、もしかすると前提から間違っているのかも知れない。
もしかしてもしかすると――破壊神の支配に抗っている?
物は試しとミロは違う質問もしてみた。
「ロンドの言いなりになって、世界を壊すパシリになるの?」
「だ、だれが……誰がパシリじゃああッ!」
思いっきり否定した。微かだが両眼に自我の光を取り戻す。
また竜鱗の大太刀を振り回して癇癪を起こした子供みたいに暴れるが、破壊神に呑まれかけた意識を取り戻して、必死に反論してくる。
自意識の通った声で訴えてきた。
「奴とは……ロンドとは……貴様を、君原を……始末するまでの協力関係! 貴様さえ倒せば用済み……あとは、ツバサさんを……」
ツバサさんを手に入れるんじゃ! と熱望するものを叫ぶ。
この返事に――ミロは一縷の望みを見出した。
「そうか、ホムラ……心の底から破壊神に屈してなかったっけ」
本人も「利用しているだけ」と言ってた気がする。
「そもそもの違和感として、他のバッドデッドエンズと全然違うのよね。あいつらだって極悪親父から力をもらってるのにさ」
ここまで我を見失ったバッドデッドエンズはお目に掛かったことがない。
そもそも「世界廃滅を掲げる時点で正気じゃない」とツッコまれたら負けなのだが、少なくとも誰もが理性的な受け答えはできていたのだ。
ホムラだけ――どうしてこうなった?
それが違和感の正体であり、ミロを懐疑的にさせた理由だ。
状況への理解力を上げるため、ミロは自分自身に言い聞かせてみる。
「ホムラはロンドの力を借りたけれど、心の底から服従はしていない。だけど必要以上に頼れば、心まで破壊神の色に染められていく影響からは逃げられない。それはホムラにしてみれば不本意だから……って感じみたいだね」
心と力にアンバランスな齟齬が生じる。
破壊神の力を引き出せば引き出すほど、ロンドの抱く世界廃滅への思想も一方的に押しつけられる。力と意志は切り離せないセットのはずだ。
押しつけられる思想や意志は、洗脳と何ら変わらない。
これが生粋の最悪にして絶死もたらす終焉だったら目立たないだろう。
彼ら彼女らはロンドに心酔している。
あの極悪親父を新興宗教のカリスマ教祖みたいに崇め奉っているのだ。力を与えられてそれを使うとともに、世界廃滅の考え方を洗脳するように押しつけられても、すんなり受け入れるに違いない。
ホムラは――その洗脳に抗っていると見た。
破壊神の力だけを上手いこと利用しているつもりのようだが、破壊神の思想に心を汚染されているのは火を見るより明らかだ。
最期の根性を振り絞って踏み止まっているらしい。
ホムラの意志と破壊神の洗脳が鬩ぎ合っているため、正常な判断ができないくらい精神的に支離滅裂になっているようだ。
異形のドラゴン化も錯乱気味な心の裏返しだろう。
破壊神の洗脳に反発した分が、肉体的な変化になっているのだ。
「ん、待てよ……なんか閃いた」
こういう時、ミロの直感&直観は冴え渡った。
現在ホムラが置かれた状態は、例えるなら以下の通りになる。
ホムラ・ヒノホムラという“器”に、破壊神ロンドの力という“蛇”が入っているようなもの。この蛇が無駄に大きくて力も強い厄介者で、入っている器からはみ出しかけており、あまつさえ壊そうとしているのだ。
器の容積に蛇の体積が釣り合っていない。
だから器に収まらず、暴れる蛇が這い出てこようとしている。
「上手くやれば、蛇だけ引っ張り出せるかも……」
ただし、一か八かの賭けになる。
蛇を完全に引きずり出すには、もっと鎌首をもたげるくらい顔を出してもらうしかない。その前にホムラという器が壊れるかも知れないのだ。
だが、ホムラを元に戻せる可能性はある。
ミロは目元を伏せると、覇唱剣をギュッと握り締めた。
「……膿は出し切った方がいいよね」
ミロは賭けに出る。ホムラの器が持ち堪えると信じて、破壊神の力である蛇を引きずり出す方法を撰ぶことにした。
一度は殺す覚悟まで決めたが、やはり踏み切ることはできない。
ミロは情の深い女なのだ。
どうしても――穂村組の面々が脳裏を過ってしまう。
バンダユウが、マリが、セイコが、レイジが、コジロウが、ダテマルが、三悪トリオが……穏やかに微笑んでいる顔が瞼に浮かぶ。
あの笑顔を汚したくはない。
彼らを悲しませないためにも、ホムラを助ける道を選択する。
そのためには、もう少し時間がかかりそうだ。
「ゴメンね、ツバサさん……もうちょっとだけ、時間をちょうだい」
バカな悪友だけど――助けてやりたいの。
「あんな奴でも、死んだら悲しむ人いると思うと……どうしてもね」
ミロはツバサさんに謝りながら、意を決して顔を上げる。こちらの決意に呼応した覇唱剣を掲げると、天を突くような光の刃を迸らせた。
これまでミロはなるべく無表情を貫いていた。
だが、ようやく細やかな怒りの感情を顔色に浮かべることができた。
おいで、とミロは怒ったまま唇だけは微笑を形作る。
「その見苦しい蛇皮、鱗の一枚まで剥いでやる」
ホムラは牙が並んだ口で歯噛みした
「や、や、やぁ……れるもんならやってみるがいいわああああーッ!」
君原ぁ! とホムラは雄叫びで返してくる。
その声色はほんの少しだが、元の自分を取り戻したようだった。
ミロとホムラの決着は――最終局面に突入していく。
~~~~~~~~~~~~
ジェイクが滅亡のフラグを司るリードの心臓を射貫き――。
ミロが絶界のフラグを司るホムラと交戦し――。
還らずの都やククルカンの森で幹部決戦が終わった頃――。
ハトホル太母国やイシュタル女王国を舞台とした幹部クラスの神族や魔族による戦いも、それぞれ佳境を迎えつつあった。
戦況に進展が見えたのは、イシュタル女王国の方が早かった。
正確には女王国へと攻め入るバッドデッドエンズの軍団と、それを阻止するために防衛ラインを死守する四神同盟の軍勢が繰り広げる迎撃戦である。
還らずの都から東の果て――中央大陸の最東端。
イシュタル女王国はそこにあった。
東に広がる大海に面した海岸近くに首都がある。
国の中心にミサキたち暮らす拠点があり、その周囲を現地種族の国民が暮らす街が織り成すしてひとつの大きな都となっている。住民は既に地下シェルターへ避難しており、街並みのどこを覗いても人の気配はなかった。
幸いにも、まだ都市への被害は見当たらない。
女王国から西へ数百㎞ほど進んだ先――。
そこに国土を守るための第二次防衛ラインが敷かれていた。
ここを任されているのは穂村組の用心棒“爽剣”コジロウ・ガンリュウ。それと筋肉メイド長ホクト・ゴックィーン、美少年執事ヨイチ・クリケット。
ホクトとヨイチは本来――還らずの都防衛担当。
しかし、攻め込んできたバッドデッドエンズが相性の悪い能力を持っていたため、この場を担当していたジンやハルカと位置替えしたのだ。
(※第395話~第396話参照)
この三人は全員LV999に達している。
ロンドが世界を滅ぼすために放った巨獣の群れが押し寄せようとも、一匹残らず退治する腕前を誇っていた。このため、第二次防衛ラインはまだ崩れることがなく、イシュタル女王国本土には敵襲による被害が出ていない。
だが、第一次防衛ラインは些か旗色が悪かった。
第二次防衛ラインより更に数百㎞先、そこに敷かれていたミサキたち主力陣による防御網が崩されかけていたからだ。
最悪にして絶死をもたらす終焉――選ばれし20人の終焉者。
そのうち4人が攻め込んできており、第一次防衛ラインを受け持つミサキたちに局所的な攻勢を仕掛けてきたのだ。
力業が得意な終焉者が、第一次防衛ラインのある場所を集中攻撃。そこを力尽くで突破すると、他の終焉者が作り出した大部隊に後を任せて、先陣を切った当人はそのまま力任せにイシュタルランド本陣へ突っ込む。
このままでは防衛ラインが分断され、心理的な動揺を誘われてしまう。
電撃戦と呼ばれる戦術に近いものだ。
しかし、黙ってやられるほどミサキたちも軟弱ではない。
第一次防衛ラインはバッドデッドエンズから電撃戦を挑まれて、やや後ろに押し下げられたものの、戦況は一進一退に持ち込んでいた。
――イシュタル女王国へ続く平原。
そこを埋め尽くして進撃するのは、餓鬼で構成された大軍勢だった。
地獄絵図などに描かれるような、餓えて餓えて何にでも齧り付くような亡者にしか見えないのだが、そのバリエーションは豊富である。
巨人や鬼人に竜人に獣人……様々な種族を模した風体も見受けられる。
中には「餓鬼なの?」と首を傾げる魔物もいた。
全長5m超――アダマント鋼を同じ色の細かい鱗で覆われた餓鬼。
全長7m超――不定形の闇を煮凝らせたような幽鬼の如き餓鬼。
この二種は明らかに別格であり、もはや餓鬼というのも失礼なほど圧倒的な強者の気配を醸し出していた。
他にも餓鬼には見えない造形をした者がちらほら見受けられる。
だが、彼らの生態はまさに餓鬼そのもの。
東に向けて進軍する餓鬼の軍勢は、その道中にあるすべてのものを貪りながら突き進む。動物や植物といった有機物は無論のこと、石や金属といった無機物であろうとお構いなし。足下の土ですらほじくり返して食んでいく。
食欲を満たした餓鬼は、その場でビルドアップする。
食べた分だけ筋骨に変えられるのか、一瞬で筋肉隆々になったかと思えば、細胞分裂するかのように肉体を分割して、新たな餓鬼を生み出していた。
おかげで軍が進むごとに倍々ゲームで増えていく。
何千何万何億……数え切れない餓鬼の群れが大地を埋め尽くした。
餓鬼どもが通り過ぎた後には何も残らない。
雑草一本、小石のひとつ、砂の一粒さえ許されないのだ。
後は齧りにくく食べづらい、硬い岩盤層ばかりが残されるのみ。
そうして真なる世界の万物を貪り尽くしながら、より食べ出のあるものを目指して一路、イシュタル女王国への侵攻を続けるのだった。
餓鬼の群れの中央――目立つものがある。
それは大型の輿だった。
(※輿=人間が担いで運ぶ乗り物のこと)
あまりにも大きく金銀宝石や五色の布で綺麗に飾り立てられているため、神社の神輿のような豪華絢爛な有り様だった。しかし、これは神事のために使われる神輿ではなく、とある貴人をお運びするための輿である。
その証拠に、輿の上には超キングサイズの玉座が誂えられていた。
玉座に腰掛ける人物は丸い――ほとんど玉だ。
身の丈は3mを越えるだろう。
太りすぎのあまりボールに手足が生えているようなデザインだった。そんな極度の肥満体を、高級友禅で仕立てた女性用着物で着飾っている。
まん丸の胴体に埋もれかけた、これまた丸い顔。
目鼻立ちは小さく繊細なのでここだけ切り取れば美形に見えそうだが、如何せん脂肪の量が尋常ではない。そんな極度の下ぶくれな御面相に濃い化粧で厚塗りしており、バッチリ決めたヘアーメイクは孔雀色に輝いていた。
繁華街の奥でキワモノな店を構えるバーのママ。
そんな見た目だが、彼は歴とした男性――つまるところオネエである。
最悪にして絶死をもたらす終焉、20人の終焉者。
破壊神ロンドが擁する三人の幹部、その参謀にして頭脳役。
№01 冥蝕のフラグ――マッコウ・モート。
彼は自らの過大能力から生み出すことができる「森羅万象を食らうことで無限に増殖する餓鬼」の軍勢を率いて、イシュタル女王国に攻め入っていた。
既に第一次防衛ラインには穴を開けてある。
他のバッドデッドエンズのメンバーに命じて、一番強敵と目される人物の相手を務めさせると、その人物を巻き込んで防衛ラインの内側へ進ませた。
ここが――穴となるのだ。
この穴からイシュタル女王国の防衛ラインを分断するように、餓鬼の軍勢を嗾けて本国まで突入するのがマッコウの立てた計画である。
だが、物事は思惑通りにならないのが常だ。
「フン、また邪魔するわけね……鬱陶しいことこの上ないわ」
蛙の王様! とマッコウは輿の上で毒突いた。
マッコウの乗った輿は玉座に見立てた作りをしており、肉の大玉みたいな体型を支えられるだけの拵えだ。それを何十人もの餓鬼が担いでいた。
古代の王様の移動方法そのものである。
輿の上で苛立つマッコウは丸い拳を握り、玉座の肘置きを叩いた。
地震みたいな震動が巻き起こる。
そんなことをされると輿が激しく揺れ、どれだけ餓鬼たちが頑張っても支えられなくなるのでグラグラと左右に揺れ動いてしまう。
そんな些細なことが、更にマッコウの気持ちを逆撫でするのだ。
「ちょっとぉ! しっかりなさいよ!」
不安定に揺れる輿にマッコウは餓鬼たちを叱りつけた。
「カッカッカッ、部下を責めるばかりは余裕がない証、それを部下に当たるは愚将のすることよ。あちらさんの参謀役と聞いたが……」
落ち着きがないのぅ、とヌンは窘めるように嘲った。
水聖国家オクトアード国王――ヌン・ヘケト。
約500年前、蕃神の被害から国民を守るため、国家ごと亜空間である“異相”に落ち延びた王国の国家元首である。
オクトアードは四神同盟とバッドデッドエンズの争いに巻き込まれる形になったものの、それが功を奏して真なる世界に復帰できた。
国王であるヌンはこれを歓迎した。
千里眼でツバサたちの活躍を覗いていたこともあって、真なる世界を護っていこうという四神同盟の理念に賛同。紆余曲折を経て仲間入りを果たした。
ヌンは――神々の乳母の大ファンなのだ。
ツバサの獅子奮迅な戦い振りに惚れ込んだのもあるが、その容姿がかつて存在した神々の乳母という女神にそっくりなのもある。
若き頃のヌンは彼女を母のように敬い、姉の如く慕っていた。
ヌンは神々の乳母のファン――二重の意味でだ。
オクトアードは四神同盟に一組織として加入し、ご近所さんでもあるイシュタル女王国と協力体制で動いていた。女王国を落とされたら、すぐ近くにあるオクトアードも連動するように落とされるのは言うまでもない。
なので、この大戦争ではイシュタル陣営として動いていた。
「用兵の扱いもなっとらん。頭脳役が聞いて呆れるわい」
大玉転がしで使えそうなサイズの玉。
それぐらいの量がある水が空中に浮かび、表面に波紋を波打たせながら玉を形作っている。ヌンはその上にあぐらで座り込んでいた。
この水でできた玉は、ヌンが作った乗り物みたいなものである。
マッコウが言った通り――ヌンは蛙の王様だ。
真なる世界の創世記、混沌とした泥をかき混ぜた創世の獣たち。その一体である始まりの泥に生まれた神聖なる蛙。ヌンはその子孫である。
この容姿はその遺伝によるものだ。
やや黒色が強い肌をした蛙を擬人化させたような姿をしている。
二足歩行できる人間っぽい蛙に見えるだろう。
衣装は王様らしさを意識した華美なものだが、常在戦場をモットーとするヌンは各所に細やかながら装甲を帯びていた。肩の鎧だけはやや見栄えが良く、マントを留める金具の代わりになっていた。
申し訳程度の小さな王冠を頭に乗せて、顎には長い白髭を蓄えている。
蛙の王様のみならず、蛙の仙人みたいな風貌でもあった。
愛用の杖を膝に乗せたヌンは滝のような白髭を梳いている。
宙に浮かぶ水の玉にヌンは乗っているが、同じような水球は辺りにいくつも浮いており、それぞれ渦巻いたり煮立ったり波打ったりと忙しない。
まるで出撃命令を待ち侘びる親衛隊のようだ。
「おまえたち! その蛙の王様は無視していいから、とっとと先に進みなさい! 目指すはイシュタル女王国という人がいっぱいいるところよ!」
食べ尽くしてやりなさい! とマッコウは率直に命じた。
餓鬼の大軍勢は餓えた鬨の声を上げて、主人の号令に応えている。
「――させんよ。おデブちゃん」
それを妨げるためにわしがおる、とヌンは語気を強めた。
無辜の臣民を、こんなふざけた戦争の犠牲にしてなるものか。
水聖国家の国民を我が子のように想うヌンにしてみれば、ミサキ君が治めるイシュタル女王国の民草はもはや親戚である。少しずつではあるがお互いの国民も交流を始めており、いつかは血が混ざることを期待していた。
異相という閉鎖空間では、人の和の広がりなど望めなかった。
こうやって――人の世は紡がれていくべきなのだ。
「それを護るが王の努め、防衛ラインを譲らぬのがわしの務めよ」
ミサキ君たちは散り散りになってしまった。
しかし、それぞれバッドデッドエンズの幹部を抑え込んでいるので、ある意味では目算通りと言えるだろう。皆が各々の仕事を果たしている。
「差し詰め、わしの役目はマッコウを討つことじゃな」
軍勢の先駆けが手前まで辿り着くと、ヌンは頃合いを見計らったかのように水掻きのある指をパチリと鳴らす。
「混沌より滴るもの №09 断陸」
部下の名前を挙げるが如くヌンが口ずさむと、傍らにあった水球の一つが爆ぜて大量の水を撒き散らした。それは膨大な水流となって荒れ狂う。
いきなり瀑布が降ってきたも同然だ。
瀑布は地に落ちると、大河と見紛うほどの川となる。
川幅は湾のように広く、水深はとてつもなく深い。水流が大地を一気に掘り進んだためだ。水の流れは留まることなく、やがて平原を分断する。
陸を断つ――その名の通り大地が分けられた。
先陣を切ってきた餓鬼の軍勢は、為す術なく押し流されていく。
泳いで脱しようと藻掻くものの、この川を流れる水は水鳥の羽毛すら浮くことを許されない重水。水面に落ちたら最後、沈んで息絶えるのみだ。
渡ることはおろか泳ぐこともできない大河。
餓鬼の軍勢は足止めを食らうも、マッコウの命に従って進軍することしかできないため、次から次へと重水の川へ身を投げていくことになる。
まるで長年の間、集団自殺すると誤解されてきたタビネズミのようだ。
(※実際にはそんなことしないそうな)
これぞヌンの能力である。
神代の昔――混沌の泥をかき混ぜた始まりの神獣。
そのような創造神の直系であるヌンは、創世の時代に存在した不可思議な効力を秘める水を操ることができた。大陸を横断するほどの大河を瞬時に作り出す水は、創世紀に奇跡を起こしたもののひとつである。
行く手を阻まれたマッコウは、即座に餓鬼たちへ指示を飛ばす。
「なによ、そんな川で足止めしたつもり? おまえたち、飛行能力のある者は許可するから飛び越えなさい! その他の者は川に飛び込んで一塊になるのよ! 土嚢になる要領で川を堰き止めながら橋になるの!」
一喝するマッコウに、ヌンは拳で顎を支えて呆れた。
「いやはや、非人道的な命令じゃのう」
マッコウの過大能力は、無尽蔵に餓鬼を湧かすことができる。
いくらでも増やせるし、代わりも好きなだけ効く。
だからこそできる芸当だ。
普通の一般兵には決して命じられない。難所を踏破するため、自殺を前提とした無謀極まりない指示だ。しかし、餓鬼の兵隊は文句一つ言わず従う。
重水の大河に身を沈め、川底にしがみつく。
その上から組み付き、しがみつき、絡みついて……これを繰り返すことで川面に餓鬼の肉体で土手を積み上げようとしていた。
あろうことか、多くの餓鬼は重水をガブガブ飲んでいる。
あらゆるものを喰らい尽くす餓鬼たちは、重水をも飲み干すことで更に数を増やしていき、ついでに大河の勢いを少しでも弱めるつもりなのだ。
「……という腹積もりなんじゃろうが」
させんて、とヌンは次の手を打つべく指を鳴らす。
「混沌より滴るもの №14 焼雨」
新たな水球が爆ぜると、それは空へと浮かび上がる雲になる。
ただし、どんよりした灰色の曇り空でもなければ、これから雷雨が降ると予感させる真っ黒な黒雲でもない。それは見たこともない雲の色だった。
空は燃えるような深紅の雲に覆われていく。
そこから降る雨もまた赤に染まり、血の雨としか思えなかった。
真っ赤な雨をまともに浴びた餓鬼たちは、全身から焦臭い白煙を噴いて絶叫を上げながらのたうち回る。何体かは瞬く間に溶け落ちてしまった。
飛行能力のある餓鬼も蚊とんぼみたいに墜ちていく。
その死に様にマッコウは肉厚な瞼をこじ開けて眼を剥いた。
「今度は強酸!? ったく、次から次へと芸達者なカエルねぇ!」
「年季が入ってる、とか言ってもらいたいもんじゃな」
伊達に一万年近く国王に就いていない。
蕃神との最終決戦という来たるべき日に備えて、ヌンは弛まぬ努力と研鑽を続けてきた。蛙にはないが牙を研ぎ澄ませてきたのである。
この赤く染まる強酸の雨は、ヌンが敵と認めた者のみを焼く。
味方や自然には被害を及ぼさない、エコロジーにも心掛けた殲滅能力のある水なのだ。使い勝手がいいので重宝している。
重水の大河に押し流され、強酸の豪雨に焼き溶かされていく。
それでも餓鬼の大軍勢は怯まない。
ねずみ算式よりタチの悪い倍々ゲームの増え方をするので、倒しても殺しても一向に兵力が減ることはなく、増兵を食い止めるに留まっていた。
そして、進軍も着実に抑え込んでいる。
マッコウの率いる餓鬼の軍団――ヌンが操る創世の水各種。
双方の戦力は程良い具合に拮抗し、戦況は膠着フェーズに突入した。
マッコウは太い親指の厚い爪を噛んだ。
「えぇい、忌々しいったらありゃしないわ! せっかくアダマスがやる気を出して、ミサキっていう強い坊やの相手をしてくれてるのに……」
その好機を突けないなんて! と巨漢オネエは悔しがる。
丸い拳で膝置きをダンダン叩きながら喚き出す。
「このチャンスを逃したら、いつまで経っても進展を望めないのよ! 世界廃滅の時が先送りになっちゃうじゃないの! いい餓鬼ども! なりふり構わず突っ込みなさい! 一匹でも多く、イシュタルの国へ乗り込むのよ!」
無限の兵力――思い知らせてやりなさい。
マッコウの檄が飛び、餓鬼の群れはこれに応える。
こうなりゃ自棄だと言わんばかりに、見向きもしなかった岩盤を噛み砕き、大河の重水を啜り上げ、強酸の雨すらも飲み干す。
あらゆるものを糧にして、餓鬼は制限なく数を増やしていく。
「人海戦術、此処に極まれりじゃな」
無限の兵力を繰り出してくるマッコウに、ヌンは賞賛とも慮外とも言い切れない言葉を投げ掛けた。呆れ果てているのは確かである。
しかし、油断は禁物だ。
餓鬼たちはとうとう重水の大河のあちこちに橋を架けた。
土嚢代わりに残骸を積み上げた肉の橋である。
仲間の屍を踏み越えて、餓鬼の兵士たちは進軍する。強酸の雨に打たれようとお構いなしだ。どこからともなく「吶喊!」なんて叫びが聞こえそうだ。
重水の大河を突破されても、ヌンが動揺することはない。
「数を誇るなんぞ幼稚な証拠よ」
誇るならば質と実じゃ、とヌンは指を二回鳴らした。
「混沌より滴るもの №06 流姫」
新たな水球が弾けると分裂して無数の塊となり、それぞれ人間の形を取る。水で形作られたそれは、大きな槍と盾で武装した戦乙女となった。
「混沌より滴るもの №07 蒼将」
もう一つの水球が弾けると、流姫と同じ工程を辿る。こちらの水は大剣を構えた武将の姿となる。前者の攻撃力をより先鋭化させたものだった。
――創世の水から生まれた男女の兵団。
それは数こそ劣るものの、餓鬼の大軍勢を大いに蹴散らした。
「くっ……隊列を組み直して進撃に専念なさい!」
マッコウは太い両腕を素早く手旗信号でも振るかのように動かすと、餓鬼たちに命令を飛ばして、指示通りに動くように仕向けた。
「なんのなんの、陣を組んで押し返すまでよ」
ヌンは愛用の杖を手繰り寄せると、それを軽く握って指揮棒でも操るかのように空に軌跡を描く。それが采配となって水の兵団を動かした。
兵隊同士の乱戦へ突入する。
無論、重水の大河はまだ荒れ狂うように餓鬼どもを押し流しているし、強酸の雨も止むことはない。それらは餓鬼の軍勢を責め立てる。
それでも尚、マッコウの送り出す兵力は途方もない数だった。
だが――ヌンは完全に抑え込んだ。
マッコウの動かす餓鬼の大部隊の動きは粗雑だった。
ヌンの指揮する水の兵団は数こそ劣るものの、あちらの最も強い餓鬼ともタメを張れる戦闘能力を有する。そんな彼らが隊列を乱さずに一丸となって突き進めば、構成の甘い大部隊を撃ち破ることなぞ造作もなかった。
重水の大河を防壁に見立て、水の兵団を操り、餓鬼の進軍を押し止める。
どうやら兵隊の扱いに関しては、ヌンに一日の長があるらしい。
「負えんのぅ。兵の扱いがなっとらん」
ヌンは溜め息交じりにアドバイスっぽく言う。
「地球にもあったんじゃろ? 将棋だったかチェスだったか……そういったボードゲーム感覚で兵を動かしとりゃせんか? そいつはいかんぞ、兵とは生き物の群れなんじゃからな。ゲームの駒とわけが違う」
盤上と戦場をごっちゃするな、とヌンは窘める。
遠回しに「将として兵への指揮が下手くそ」と貶したので、マッコウは脂肪に覆われた額でも浮き上がるほど血管を膨れ上がらせた。
「フンッ! 兵なんてどこにもいないじゃない!」
マッコウは悪態で返すと、両腕を広げて戦場を指し示す。
「アンタもあたしも動かしてんのは駒じゃないの!」
「ま、生きとる兵はおらんわな」
敢えてヌンは反論せず、受け流すように肯定した。
その上で噛んで含めるように言い聞かせる。
「わしの水から生まれた流姫や蒼将も、おまえさんの過大能力から生まれた餓鬼も、厳密に言えば命あるものではない。能力で作った駒に過ぎん」
だが、その動きは生ある者と変わるものではない。
「……ならば、一人ずつを一兵卒として扱わねば戦略が成り立たん」
言うたじゃろうが、とヌンは杖を「チッチッチッ」と揺する。
「ここは戦場――盤上のテーブルゲームではない」
などと無駄話をしている間に形勢は逆転しつつあった。
水から生まれた兵団が、餓鬼の大軍勢を押し返そうとしているのだ。
「偉そうなこと宣うじゃないの……ッ!」
蛙の分際でぇ! とマッコウは獣のような怒号を上げた。
彼の座る玉座の輿。それが山のように盛り上がったと思えば、かつてない増殖速度で餓鬼の兵士が増えていた。勢力がますます膨れ上がる。
押し返された分だけ、押し戻そうとする勢いがあった。
のみならず――マッコウ自身まで動く。
「あちょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーッ!」
間抜けな掛け声を上げたかと思えば、マッコウのガスタンクみたいな巨体が宙に舞い上がった。肥満体に見合わぬ俊敏性、なかなかの跳躍力だ。
巨大な肉団子が空を舞い、急転直下で落ちてくる。
マッコウは全身の筋肉を強化魔法で硬化させつつ、満身の脂肪に重力魔法をかけることで超重量の鉄球となる。おまけに高速回転も加えていた。
必殺の体当たりがヌン目掛けて降ってくる。
蛙らしい跳ね方で乗っていた水の玉からヌンが飛び退くと、水球を弾け飛ばしながらマッコウは大地にめり込んだ。
隕石落下のインパクトと破壊力は大差ない。
天まで届くほどの噴煙が巻き起こり、周囲一帯を薙ぎ払う円状のソニックブームが走ると、爆心地には大きなクレーターができていた。
その中心から――また肉の大玉が飛び上がる。
「あたしが餓鬼を兵隊にするしか能がないと侮らないことね!」
「ゲロゲロ、こいつはお見逸れしたわい」
その図体でカエルより跳ねるか、とヌンは苦笑する。
どちらかと言えば丸くて太い体型で跳ね回っているから、ボールか鞠を連想してしまう。それだけに直撃をうけたら大層痛そうだ。
「だが、それはこっちの台詞じゃな」
大地に降り立ったヌンは杖の握り方を整えた。
見る者が見れば一流の杖術だとわかる身構え方だろう。
「わしが水を使うだけの蛙ジジイと思うたら……そいつは大間違いじゃぞ」
平原で激突する水の兵団と餓鬼の軍勢。
そして、各々の総大将も一騎打ちを始めようとしていた。
~~~~~~~~~~~~
その頃ミサキは――盛大に吹き飛ばされていた。
「うわっ……とっと、危ない危ない」
大爆発により生じた煙幕から弾き出されるように姿を現したのは、上品な紫色をイメージカラーとした戦女神の少女だった。
イシュタル女王国代表――ミサキ・イシュタル。
四神同盟の所属する内在異性具現化者の中では最年少、ようやく18歳になったばかりの少年だ。真なる世界へ異世界転移してからはツバサさん同様、男性から女性へと反転したため、美少女の女神になってしまった。
少年の凜々しさを失わない――しなやかな逞しさを備えた戦女神。
地母神には見劣りするものの、それでもグラマラスと主張できる悩ましい肢体には、ジン謹製の戦闘用ボディースーツを着込んでいる。
激しく動けば過剰に揺れる巨乳やお尻。
女性的になった部位をミサキはあまり意識しない。
特に女性化願望はなかったが、昔からなんとなく見目麗しい女性キャラでゲームを楽しんでいたせいか、女性化した身体に抵抗がないからだ。
過大能力で一時的、あるいは部分的に男性に戻れるのも手伝っているのかも知れない。だが、この話題はあまり出さないようにしていた。
『……何それ羨ましい』
ツバサさんが血涙を流す勢いで嫉妬するからだ。
こんな非常事態だが、戦っている最中にもそんなことを思い出す余裕があるのはいいのか悪いのか? 吹き飛ばされながら思案してしまう。
飛行系技能で体勢を立て直す。
紫色の長髪を振り乱して数回転、どうにか空中に留まった。
「う~ん、ちょっとしくじったな……」
寄せた眉で八の字を描くも、声色はそこまで困っていない。
まだ慌てるような時間じゃないし、狼狽えるほど深刻な事態でもない。巻き返しはいくらでもできるが、かなり面倒臭そうなのが問題だった。
予測はできた――でも回避はできない。
約束してしまった手前、無視することも難しかった。
ミサキは自身の国であるイシュタル女王国を守るため、ヌンたちとともにに第一次防衛ラインに控えていた。バッドデッドエンズの幹部がどれだけ攻め込んでこようとも、そこで食い止めるつもりだった。
しかし意に反して、ミサキだけ後退を余儀なくされてしまった。
それもこれも――好敵手の仕業である。
「ふははははははーッ! エキサイトォォォォォォォォォォーーーッ!」
歓喜の雄叫びだけで爆煙が吹き払われる。
その中心から現れた大きな影は大気の壁を破って音速を突破すると、脇目も振らずにミサキ目掛けて突進してきた。神レベルの猪突猛進だ。
音速を越える――雄々しきリーゼント。
見た目は特盛り筋肉の大男。身の丈3m50㎝は優にあろうかという巨漢が、戦闘服っぽくアレンジしたギリシャ神話の神々みたいな格好をしているだけなのだが、頭部に聳え立つリーゼントが強烈なアクセントになっていた。
日本人らしからぬ彫りの深い顔立ち。
アクセサリーは首からかけた大玉ダイヤのネックレス。
あれは墓標――今まで彼が倒してきた強者を、一握の炭素になるまで握り潰してダイヤになるまで押し固めたものだという。
最悪にして絶死をもたらす終焉、20人の終焉者。
№07 天災のフラグ アダマス・テュポーン。
ミサキを“漢”と認めてくれた、自称“好敵手”である。
アダマスは開戦とともにミサキの前へ現れると、最初から最高潮のフルパワーを搾り出して、問答無用の猛攻をこれでもかと仕掛けてきた。
初手からの力押しで力任せで力尽く、力業のオンパレードである。
反撃の糸口すら掴ませない連続攻撃に、さすがのミサキも防ぐのが精一杯。知らず知らずに後ろへ後ろへと押し込まれていた。
第一次防衛ラインから追い立てられるように――。
これが狙いか!? と気付いた時には遠くへ来てしまっていた。
位置的には、第一次防衛ラインと第二次防衛ラインの中間くらい。
国をも打ち崩すアダマスのパンチをいなしていたら、いつの間にか数㎞づつ後退りをさせられていたらしい。
それほどまでにアダマスの膂力は凄まじいのだ。
これでまだ全力じゃないのだから、先が思い遣られる。
「ほら、アレだアレ、ほら……ほぉらほらほらほらほらほらほらほらッ!」
珍妙な掛け声から繰り出される怒濤の連打。
巨大な拳の津波が押し寄せるような圧迫感である。
ようやくアダマスの迫力がありすぎる勢いに慣れてきたミサキは、世界を滅ぼすほどの暴力に真正面から立ち向かった。
殴る、蹴る、どつく、まだシンプルな殴り合いに徹している。
これだけなら学生の喧嘩と大差ない。
しかし最上級に達した戦女神と暴嵐神の争いは、遊び半分の一撃でさえも天地に悲鳴を上げさせる破壊力を巻き起こす。
我ながら傍迷惑になったものだ、とミサキは半笑いになる。
対するアダマスは嬉々として大笑していた。
歯茎が剥き出しになるまで口角を釣り上げているので、猛獣がこちらへ噛みついてくるような野性的な猛々しさに満ちている。
「アアッハッハッハッハッハーッ! エッキサイトォォォォーッッッ!」
――挙動が見え見えのテレフォンパンチ。
それほど大振りで腕白なガキ大将みたいなパンチだというのに、どういうわけかアダマスの殴り方にはちゃんと勁が込められていた。
型も構えもありゃしない。素人に毛が生えた程度の無手勝流。
武術をまともに学んだ形跡がどこにも見当たらない、不良のケンカ殺法もいいところだ。なのに、どういうわけか素晴らしく勁が乗っている。
拳も蹴りも目を見張るほどだ。
勁とは――武術における力のコントロール。
踏み締めた足の力がふくらはぎから膝、膝から太ももへと脚力に乗せて加速しつつ倍加させる。腰から背を捻る螺旋の回転力に胴体の筋力が上乗せされ、肩から肘、肘から手首へ突き出す力にも回転力が加わり……。
全身を走る力、それを一分も漏らすことなく叩き込む。
勁を発するから発勁というのだ。
「ほら、アレだ! アレアレ! 楽しんでるか、好敵手!?」
よく練られた勁が乗った正拳突きが飛んでくる。
ミサキはそれを掌底で受け止め、自らの勁でできる限り打ち消した。こうでもしなければ衝突の余波だけで次元を破りかねないからだ。
漢の熱い拳を止めた手は、激しい熱と痺れの余韻に震えている。
ミサキは思わずニヤリと微笑んでしまった。
「ああ、おかげさまで飽きないよ」
アダマスの常軌を逸した強さ、その考察が捗って仕方ない。
もう疑いようがない――アダマスは覚えたのだ。
穂村組のバンダユウさんやミサキとの戦いを通じて、こちらの打ち込んでいた勁を身を以て味わい、我流ながら体得したに違いない。
勁のフォームも出鱈目なはずだ。徹底した自己流なのだから。
なんという学習能力――末恐ろしい男である。
正しい武道を修めれば、どれほどの傑物になるか計り知れない。
アダマスは動きがハチャメチャなのにも関わらず、この勁を練る動作がしっかりできており、ジャブみたいな牽制技でも一撃虐殺の威力を出す。
必殺ではない――虐殺だ。
軽く拳を突き出しただけでも数百人は屠れるだろう。
アダマスならば現実でもコンクリ壁くらい打ち抜けるパンチ力を持っていたに違いない。そんな漢が戦闘力の高い暴嵐神になったのだ。
手加減一発――大陸をも沈める。
まだ本腰を入れてないのが幸いだ。さもなければ、ミサキも全力で応じなければならなかった。その時は周囲に甚大な被害を及ぼすだろう。
現時点で見渡す限りの大嵐である。
一撃虐殺の威力が大いに発露されていた。地形をも吹き飛ばすパンチやキックが連続で放たれれば、波及だけでも世界が根元からグラつくのだ。
まともに食らえば大陸が沈むのも道理であろう。
ミサキはなるべくアダマスの攻撃を受けるようにし、その威力を可能な限り削ぎ落とすことで破壊力を緩和させることに努めた。
まともに受け続けていると、こちらの手足がイカレそうだ。
かといって、ツバサさん直伝の合気では受け流せない。アダマスのパンチ力をスルーした日には、天が裂け、地が砕け、海が干上がってしまう。
相殺してから逸らすしかなかった。
しかしまあ――ちょうど良かったのかも知れない。
第一次防衛ラインに待機していたものの、戦争が始まればアダマスがミサキのところへ遊びに来るのはわかっていたことだ。そういう因縁が結ばれていたし、決着をつけるという約束も交わしていた。
(※第377話~第378話参照)
ミサキの対戦相手はアダマスと確定していた。だからこそ抜かりなく対策はしておいたし、然るべき手はちゃんと打っておいた。
アダマスの攻勢は衰えず、時間を追うごとにいや増すばかりだ。
最初こそ押され気味に第一次防衛ラインからズリ落とされるように後ろへ下げられてしまったが、今では後退する割合も少なくなってきている。
それでも――ミサキは後退りをしていた。
「どうしたどうしたぁ好敵手ッ! さっきから下がってばっかだぞ面白くねぇ! もっとギア上げろよコラァ! 殴り返して蹴り返してこいやぁ!」
アダマスのボルテージは上昇する一方だ。
無理にテンションを焚きつけているヤケクソ感さえあった。
「今日が終わりだ! 今日で全部が全部終わっちまうんだよ! 俺たちバッドデッドエンズはこの世界のすべてをひとつ残らずぶっ壊す! それが嫌だってんなら全身全霊でやり返してこいッ! 今日は最後に最期で最高の喧嘩ッッッ!」
ぶつけてこいよ――ありったけのミサキをッッッ!!
アダマスの心地いい挑発を受け、ミサキは後ろへ下がるのを止めた。
「ああ、終わらせるつもりさ……バッドデッドエンズをな」
やっと、いい案配の場所へ来ることができた。
最初に防衛ラインから押し出されたのは、ミサキのしくじり過ぎない。アダマスの不意打ちが唐突すぎて面食らったのだ。
単純に対応が遅れただけ、つまらないミスである。
そこから防衛ラインまで戻ることも、やろうと思えばできた。
敢えて戻ることを選ばず、アダマスの勢いに飲まれるまま後退していたのは演技である。押し込まれて下がるフリをして、イシュタル女王国まで追い詰められるような素振りを見せつつ、アダマスを誘導していたのだ。
ここはイシュタル女王国から西南に離れた――誰も居ない地帯である。
「……この辺りならいいかな」
チラリ、とミサキは視線を下の世界へ向けた。
眼下には人の手が入った様子のない原生林が広がっていた。所々に丘や小高い山がある穏やかな丘陵地帯だ。隠れた現地種族の気配も感じられない。
ミサキはおもむろに胸の谷間へ手を差し入れる。
取り出したのは親友の顔(マスクを被ったそれ)がデザインチックに描かれた一枚の円盤。ミサキの手にも収まる、コースターくらいのサイズだ。
それを原生林へ落とすように投げた。
アダマスは茶々こそ入れないが、不思議そうに太い首を傾げる。
「ほら、アレだ。えーと……なんの呪いだ、それ?」
ミサキが返事をして詳細を明かすよりも早く、落とした円盤がすぐさま効果を発動させた。大地に静かな地響きが走り、やがて異変が生じる。
原生林が――真っ二つに割れた。
それは次第に円形に形を整えていくと、原生林のある土地を損なわずに空間を圧縮していき、丸く大きな広場を形成するに至る。
広場は重厚な石畳が敷かれており、まるで闘技場のようだった。
おおっ! と見下ろしたアダマスも好感触である。
「ウチの工作者特製――即席武闘会場」
空間を湾曲させつつ、そこに異相の一部を持ってきて、真なる世界に悪影響が及ばぬように結界で包み込み、戦闘用フィールドを形成する。
『LV999が一億回殴っても壊れない優れ物です!』
とジンは性能自慢を誇らしげに語っていた。
『……ということは、一億と一回殴ったら木っ端微塵になるわけだな』
『ミサキちゃん、そういうツッコミいくない!』
つい子供じみた揚げ足取りで不興を買い、親友をふて腐らせてしまった。
なんにせよ、これを作ってくれたジンには感謝している。
ミサキは顎をしゃくると、出来たばかりの闘技場を指し示した。アダマスは楽しそうに頬を緩ませると無言で頷き、二人は一緒に降りていく。
音もなく舞い降りるミサキに対して、アダマスが着地すると激震が起きる。
隙間なく敷かれた石畳がズレそうになるほどだった。
――闘技場の直径は約150㎞。
これだけの空間があれば、余程の無茶でもしない限り外界に致命的な破滅をもたらすことはあるまい。補助として結界が何重にも張られている。
防御結界ではなく封印結界である。
闘技場内で発生したパワーを外へ漏らさぬためだ。
「ここで戦れば余所に迷惑はかけない」
「他から邪魔が入る心配もいらねぇし、誰かにケチを付けられることもねぇ。おまえとの喧嘩を思う存分楽しめるってわけか……」
面白ぇ! とアダマスは拳を打ち合わせて呵々と大笑する。
「楊枝を交えずってやつだな! いいぜ、気が合うじゃねえか友達!」
「……もしかして余人を交えずって言いたい?」
それだそれ、とアダマスはケラケラ笑って訂正に感謝する。
いつの間にか好敵手が友達にランクアップされているのは、ツッコミを入れると面倒なことになりそうなので絶賛放置させてもらう。
こんな手間のかかる友人、どこぞの変態工作者で間に合っている。
アダマスは両の拳を嬉しそうに打ち合わせると、最期に手を開いて柏手でも打つように「パァン!」と景気いい音を虚空に鳴り響かせた。
両腕を開くように構え、好敵手を笑顔で招く。
「さあ俺の友達、終末のガチンコだ! おもいっきり闘ろうぜッ!」
「終末にはまだ早いよ。オレにしてみれば精々……」
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