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第16章 廻世と壊世の特異点
第396話:ジン・グランドラックの素顔 ☆
しおりを挟む召喚魔法――というものがある。
契約を交わした神霊、魔獣、精霊、神獣、妖精、魔神……種族は様々だが、自分にはない能力を持った誰かを喚び出して力を借りる魔法である。
一口に召喚魔法といっても様々だ。
そのひとつに――眷族召喚というバリエーションがある。
これは召喚主が対象を眷族だと認めて、眷族だと認定された側も召喚主を主人だと認めれば成立する召喚魔法だ。これはある種の契約であり、成立されれば召喚主はいつでもどこでも眷族を召喚できるようになる。
一種の空間転移と見て取れなくもない。
この主従関係は、絶対的な上下関係でなくともいい。
認識に多少のズレがあっても許されるもので、喚び出される眷族は召喚主のことを「チームのリーダー」くらいに認めていればいい。
召喚主も「自分の仲間」という認識でOKだ。
ツバサはこの契約を四神同盟に属する全員と交わしていた。
契約に際しては仲間のプライベートを尊重するため、まず「喚んでもいい?」とツバサから打診。相手側から「いいよ!」と返事をもらってから召喚魔法が発動するようにセッティングさしていた。
無理です! と断られたら発動しない親切設計だ。
緊急事態により戦力が求められる時、召喚魔法が活躍する。
必要に応じた能力を持つ仲間に応援を求め、すぐさま現場に馳せ参じてもらうことができるのだ。だからこそ、みんな契約を交わしてくれた。
契約は陣営ごとではなく個々人でないと成立しないので、この許可を取り付けるためツバサは同盟各地を行脚した。
四神同盟の方々へ出向いた時には、ミロも同行していた。
その道中で眷族召喚についてミロが一言――。
『やっぱり魔法陣を描いてエロイムエッサイムって唱えるの?』
『おまっ……よくそんな古いアニメ知ってるな!?』
ミロやツバサが産まれるよりも遙か昔、以前の年号である令和さえも飛び越えて、平成に放送されたアニメで使われた設定だ。
(※後にフミカから「令和にもアニメでリバイバルされたッス」と知る)
ツバサが知っているのは師匠(インチキ仙人)の影響である。
あのジジイはツバサの家で居候を決め込む時、あちこちのストリーミングサービスに加入し、時代劇に限らず昔の映画やアニメをひたすら視聴していた。付き合わされたツバサまで古いネタに詳しくなってしまったくらいだ。
エロイムエッサイム――有名な呪文だと思う。
元ネタは何度も映像化された怪奇漫画だ。
一万年に一人の天才児で「悪魔くん」というあだ名の主人公が、悪魔の力を借りて全人類が幸せに暮らせる楽園を作ろうとする物語である。
原作となる漫画は何種類かあるそうだが、ツバサが師匠(インチキ仙人)に視せられたアニメの設定だと、仲間になった十二人の悪魔を描いた魔法陣を介して召喚するための呪文として唱えられていた。
『ツバサさんが召喚魔法で喚べば、四神同盟のみんながすぐに飛んできてくれるんでしょ? なんか悪魔くんと似てるな~って思ったの』
『言われてみればそっくりだけども……』
指摘されるまでツバサもど忘れしていた。
集まれ我らが仲間よ、とEDの歌詞にもあったけども。ツバサも仲間に集まってほしいと呼びかけるからこそ召喚するんだけども。
召喚時には魔法陣も現れるのは事実だし、ほぼ同じかも知れない。
この戦争では、眷族召喚にあるアレンジを加えていた。
名付けて――眷族転移召喚。
簡単にいえば、仲間の位置を変更できる。
A地点にいる仲間とB地点にいる仲間を入れ替えたり、C地点にいる仲間を誰もいないD地点に送ったりと、主戦力を自由に配置換えできるのだ。
(※D地点に送る場合、そこはツバサが訪れたことのある場所に限定される)
この転移召喚は開発したばかりなので、ツバサ単独では追いつかない。
そこでアキとククリの情報ネットワークに協力を仰いでいた。彼女たちは構築された独自の情報網で、四神同盟の動向を管理している。
もし隠密系技能を使う事態になっても、当人が位置情報をネットワークに上げることで報告。これにより正確に現在位置を特定できていた。
(※この現在位置に関する情報をアキから提供されているからこそ、ツバサはロンドとの棋譜で中央大陸の地図上に駒を配置できた。ロンドの場合、コイン同士が呼応するのを利用しているだけなので仲間の居場所はアバウト)
まず、アキを通じて転移させたい要員に訊いてみる。
先ほどの例で上げれば、筋肉メイド長ホクトと工作の変態ジン、そして美少年執事ヨイチと美少女服飾師ハルカ、この4名の位置を入れ替えた。
返信で「OK!」ともらえれば即実行。
ホクト、ジン、ハルカ、ヨイチ、それぞれ了解を得たツバサは眷族召喚の魔法を発動。ネットワークを介して彼らを交代させた。
こうして、ジンとハルカが還らずの都へ現れたわけである。
交代したホクトとヨイチはイシュタル陣営へ――。
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イシュタルランド改め――イシュタル女王国。
統治するのは、元は少年で今は戦女神のミサキ・イシュタル
中央大陸の最東端にあるこの国は、ミサキたちの暮らす本拠地を中心にエルフ、ドワーフ、オーク、マーメイド、といったファンタジーを代表する種族が多く暮らす多種族国家として発展を遂げつつある。
つい先日、新たな近隣諸国も増えることになった。
水聖国家――オクトアード。
蕃神との大戦争から逃れるため、異相に亡命した数多の真なる世界の現地国家。その中で唯一、四神同盟に合流にしてくれた国である。
国王は蛙の王様、ヌン・ヘケト陛下。
亡命したのはあくまでも国民の安全のため。ヌン自身は愛嬌のある蛙の外見に似合わず大層な武闘派で、蕃神との再戦を心待ちにしていたらしい。
そして、神々の乳母の大ファンである。
一日も早くツバサの許に馳せ参じて協力態勢を仰ぎたかったそうだが、国内の諸事情によって已むなく足止めされていたという。
現在、水聖国家は晴れて四神同盟への加入を果たしていた。
国王であるヌンは現地の神族ながらLV999の実力を持つため、この大戦争でも主戦力の一人として数えられていた。
復活した水聖国家はイシュタル女王国に近い場所にある。
イシュタル女王国から東へと歩いた海岸沿い、かつては切り立った崖だった場所に異相から戻ってきた水聖国家の国土は接合されていた。
徒歩でも半日あれば日帰りで往復できる距離感だ。
なので、ふたつの国はこの戦争で防衛ラインを共有していた。
イシュタル女王国と水聖国家を中心とした、半径100㎞前後の円陣を防衛の最前線と定めていた。これが第一次防衛ラインである。
主戦力はそのライン上を周回。各地では巨将の部隊が奮戦中だが、彼らが取りこぼした巨獣を第一次防衛ラインで撃退することで食い止めていた。
――周回しているのは四人。
イシュタル女王国 代表 戦女神ミサキ・イシュタル。
水聖国家 国王 創蛙王ヌン・ヘケト。
水聖国家 客将 仙道師エンオウ・ヤマミネ
水聖国家 客将 魔女モミジ・タキヤシャ。
エンオウとモミジは、ツバサやミサキを始めとしたVRネット界隈で恐れられた格闘家集団“アシュラ八部衆”との縁があった。彼らもVRMMORPGを経て、この真なる世界へ転移してきたプレイヤーである。
エンオウはツバサの後輩、あるいは弟分だという。ツバサに認められた彼の強さは本物で、“アシュラ九部衆”とも囁かれていたらしい。
数奇な運命から、水聖国家の食客としてヌンの許に身を寄せていた。
彼と彼女もLV999――頼もしい戦力である。
イシュタル女王国にはその“アシュラ八部衆”にして、ミサキの師匠である軍師レオナルドもいるのだが、彼は遊撃手なので防衛にはついていない。
そして、先に述べたこの四人。
直に彼らも防衛網から離れると懸念されていた。
水聖国家が異相から復活する際、それとルーグ・ルー陣営が四神同盟に加入した際、どちらもバッドデッドエンズと一悶着あった。
それらの戦いでミサキたちは、敵方の幹部と縁ができてしまった。
『恐らく、自分のところにはアイツがやってくる』
ミサキも、ヌンも、エンオウも、モミジも、自らに課せられた対戦カードが回ってくることを予感していた。あれはもう確信の域だろう。
特にミサキはアダマスという筋肉リーゼントと、エンオウはグレンという人殺しが大好きな外道と、再戦の約束まで交わしているのだ。戦争が始まれば遠からず、この二人はミサキやエンオウの前に現れるに違いない。
敵の主力と対峙するとなれば、防衛に手が回るはずもない。
そのため、この第一次防衛ラインの周回はバッドデッドエンズが現れるまでの期限付きだ。それ以降は第二次防衛ラインの出番となるだろう。
ここを守るLV999は主に3人。
ジンとハルカはここの主力に含まれていた。
どちらも工作者や服飾師なので職能的には生産系。非戦闘員なのだがLV999になる素質と十分な戦闘能力があったため、戦力として数えられた。
もう1人は――穂村組の用心棒だ。
「よもやよもや、セイコやダテマルが大活躍とは……」
コジロウは得物を片手に佇んでいた。
穂村組 用心棒――爽剣コジロウ・ガンリュウ。
還らずの都で巨大獣を相手に激闘中のセイコや、ククルカン森王国で国と民を守るために尽力中のダテマル。彼らと同じ穂村組の精鋭である。
精鋭三強、と呼ばれる組員でも腕利きトリオだ。
その外見は伝説の剣豪“佐々木小次郎”を思い出させる装いだった。
コジロウ自身もちゃんと意識している。
佐々木小次郎に憧憬を抱くからこそ、見目もリスペクトしたのだ。
鍛えているが長身痩躯。手足がスラリと長くて、顔立ちもしっかり男らしさを感じさせながらも麗しい目鼻立ちの美形。青みがかった長髪は後頭部でまとめるように長い髷として背なに流していた。
ほっそりした着物に袴、派手ではないが洒落た陣羽織。
野原を歩く脚に履くのは草鞋と、武芸者のファッションで統一していた。
背負うのは――長い長い刀の鞘。
そこから抜き放たれた得物は、コジロウの身の丈をも越える長刀。野太刀とか大太刀と呼ばれる規格外の長さを誇る日本刀であり、かの佐々木小次郎が振るったものは“物干し竿”の愛称で知られている。
コジロウの愛刀も先人への憧れから、物干し竿という銘だった。
右手の物干し竿は無造作に握っているだけだが、その切っ先は決して地面に触れさせてはいない。その刀身はピクリとも揺れていなかった。
何の変哲もない草原にコジロウは立ち尽くす。
彼の背後には、守るべきイシュタル女王国があった。距離にして約50㎞は離れている。街の人々は大分前に地下シェルターへと避難済みだ。
国の中心からほぼ50㎞の半径。
これが第二次防衛ライン――コジロウの受け持ちだった。
あの街には誰もいない。万が一、巨獣に襲われても人的被害は0だ。
だが、あの街は守るべき価値がある。
現地の人々が無一文から造り上げた努力の結晶だからだ。
ミサキを始めとした四神同盟の力を借りてこそいるが、そこから懸命に学び取ることで、何もない荒野にあれほど立派なものを築き上げてきた。
あれを守り切れば――用心棒として鼻が高い。
「セイコとダテマルが名を上げているのだ。拙者も一旗揚げねば穂村組の精鋭三強、三羽烏の一羽が欠けてしまうでござるな」
お誂え向きに腕の見せどころが向こうからやってきた。
ミサキたちが第一次防衛ラインを周回している。
しかし、LV999の猛者であってもたった4人、半径100㎞もある第一次防衛ラインを隙間なくカバーするのは至難の業だ。1匹の巨獣も取りこぼすことなく殲滅させるのは難しい。
神族や魔族になろうとも全知全能ではない。
だからこそ、防衛ラインが数段階に分けられている。
第一次防衛ライン(時限)、コジロウのいる第二次防衛ライン、そしてミサキ殿とその妹分であるカミュラ殿、それとヌン陛下が常設展開させている、イシュタル女王国と水聖国家オクトアードを守る広範囲の防御結界
この防御結界こそ第三次防衛ライン――護りの要である。
第二次防衛ラインでは、取りこぼした巨獣の始末を請け負うのだ。
――地の果てから獣の群れがやってくる。
相当の犠牲を出したものの、ミサキたちの第一次防衛ラインを抜けてきた巨獣の群れだ。ラインを突破した時は数匹だっただろうが、途中で集合して数十匹に群れて進撃してくる。地響きだけでもマグニチュード級だ。
一体が100mを越える体躯を有する巨獣。
そんな連中が群れとなり、左右に幅を取って突き進んでくる。
視界が狭くすると、地平線が怪物の軍団によって埋め尽くされているような威圧感があった。巨獣の咆哮が身体の芯を震わせて拍車をかける。
コジロウは意に介さず、地を軽く蹴った。
蝶のように舞うという言葉通り、着物を羽ばたかせる。
ともすれば巨獣の進軍に巻き込まれそうな浮遊感のまま、コジロウはゆったりとした動きでそちらに向かう。だが、実際の移動速度は超高速だった。
宙に舞ったコジロウは巨獣の群れへ飛び込む。
あまりにも突然現れたかのように見えたため、巨獣たちも眼を疑ったらしい。大きな眼でシパシパ瞬きながら呆気に取られていた。
その瞬きをする僅かな時間、コジロウは大太刀を振るう。
風切り音を立てることなく、皮を破り肉を斬り骨を断つ。なのに武骨な切断音を響かせず、肌を撫でるそよ風が吹いたとしか感じさせない。
――爽やかな太刀筋だった。
幽玄の境地に至る舞踊、剣舞ともいうべき太刀の舞。
それでも閃いた白刃の残像は、白波の如く空間を覆い尽くす。優雅な所作に見えても、太刀捌きの速さは神速を軽々と凌駕している証拠だ。
突進していた巨獣は何をされたかも感じまい。
次の一歩を踏み出すと、それが巨獣にとって最後の一歩となった。
巨獣の大軍は――総崩れとなった。
1匹残らず、肉体がバラバラに切り刻まれたからだ。
最後の一歩を踏み出した途端、どいつもこいつの肉片と成り果てた。
あるものは何枚にも切り分けるように縦の輪切りにされ、あるものはスライスのように何層にも両断され、あるものはいくつもの肉塊になるようぶつ切りにされている。そして、重要な臓器や神経は必ず切断されていた。
その切り口は滑らかで綺麗なものだった。
ここまですれば――再生能力があろうと復活できまい。
血飛沫を上げることもなく、崩れてしばらく時間が経過してからドロリと血があふれ出す。だが、コジロウの大太刀には血糊の一滴も見当たらない。
それでも礼儀として血を払うように大太刀を数度振る。
それから丁寧に背負った鞘へと愛刀を収めた。
これが――“爽剣”の所以である。
セイコがその強靱な筋肉であらゆる敵を爆砕するところから“爆肉”という二つ名で呼ばれ、ダテマルが駆け抜ける掌底を得意とするので“駆掌”という異名を誇るように、コジロウの“爽剣”にも意味があった。
爽やかにして軽やかに、斬られたことを自覚させない太刀筋。
ゆえに“爽剣”と呼ばれるのだ。
巨獣を一掃したコジロウは元の場所へと舞い戻る。
イシュタル女王国より約50㎞――第二次防衛ラインの地点にだ。
ここを死守するのが、用心棒である自身の役目と心得ていた。
「――お美事にございます、コジロウ様」
元の地点へ戻ると賛辞で迎えられた。本当は拍手も送りたいところなのかも知れないが、あいにく彼も彼女も両手が塞がっていてそれどころではない。
タイザン府君国 女中長 ホクト・ゴックイーン。
タイザン府君国 若執事 ヨイチ・クリケット。
還らずの都からツバサ殿の転移魔法でやってきたばかりだ。
イシュタル女王国の第二次防衛ラインを任されていたのはジン殿とハルカ殿だっだのだが、こちらの2人と入れ替わりで還らずの都に飛ばされていた。
ホクト殿たちが苦戦を強いられたバッドデッドエンズ。
その能力に「ジンとハルカにコンビを組ませれば対抗できる」という判断から、当人たちの承諾を得て選手交代と相成ったそうだ。
その連絡はコジロウにも回ってきていた。
ヨイチは狙撃手なのでダメージは少ないが、肉弾盾として最前線でバッドデッドエンズと戦っていたホクトの疲弊は目を覆うばかりだ。
メイド服は見るも無惨に破かれ、自慢の筋肉も傷だらけだった。
「お見苦しいところをお目にかけてしまいました……」
申し訳なさそうに謝るホクトは、早着替えの技能で新しいメイド服に身を包むと、ミロ殿から支給されたミルク状の万能霊薬を一瓶、栄養ドリンクみたいにグイッと飲み干して傷を癒やしていた。
ハトホルミルクという意味深長な名前が気になるが……はて?
何やらツバサ殿由来の万能霊薬らしい。
しかし、その名前の響きから破廉恥な妄想をしてしまいそうになる。
いかんいかん、とコジロウは頭を振った。
その後、ホクトは気功術で心身の回復に努める。
バッドデッドエンズとの死闘で自身に重ね掛けしていた強化も効果が薄れてしまったらしく、それも大急ぎで掛け直していた。
その横ではヨイチが何百挺もの銃の整備に追われていた。
「すいませんコジロウさん、もうちょっと待ってて……ホクトさんもそうだけど、僕も再準備に時間が掛かっちゃって……」
この戦争のため、ありったけの銃と弾薬を用意したと見える。
だが、ホクトの後方支援でほとんどの銃を使い潰し、弾薬も打ち尽くしてしまったようだ。ヨイチは銃の手入れと弾薬の装填に大わらわだった。
銃も刀も消耗品という面がある。
刀は肉を斬り骨を断てば、刃毀れで刀身がボロボロになる。銃も弾丸を撃ち続ければ火薬の煤が溜まり、各部のパーツも熱や衝撃で歪んでしまう。
小まめな手入れは欠かせず、忘れれば自身を損なうのだ。
その点、この若き執事はよく心得ていた。
「すぐ体勢を立て直しますので、もうしばらく猶予を……」
「僕も装填が終わったらすぐ手伝いますから!」
律儀に詫びるメイドと執事に、剣客は爽やかな笑みを送る。
「なんのなんの、御二方とも死線を潜り抜けられたのだ。暫し休息され、息を整えられよ。当面、拙者だけでも凌げそうでござるからな」
わざとらしい侍口調、安心を促すように柔らかく告げる。
現実にいた頃から営業スマイルの代わりに口癖としているのだが、意外とウケは悪くなかった。ホクトとヨイチも釣られるように苦笑する。
2人とも、ほんの少し肩の力を抜いてくれた。
どうやら和んでくれたようだ。コジロウもホッと安堵する。
コジロウとホクトたちは顔馴染みだった。
顧問バンダユウの一声で穂村組も四神同盟に参入した。それからは腕利きの組員は各陣営の用心棒として派遣されている。
コジロウは還らずの都の警護を当たることが多かった。
なのでクロウ陣営のホクトやヨイチとはよく顔を合わせており、親しく話し合えるくらいの交友関係を築いていた。
それも功を奏して、コジロウの言葉に和んでくれたのかも知れない。
ただ、気を引き締めるように現状を伝える。
「だが、油断されては困りますぞ。本番はこれから……2つの国を守る第一次防衛ラインは、今のところミサキ殿たちが死守しておられますが、いずれ彼らがバッドデッドエンズの本命とかち合うのは必定ですからな」
「この第二次防衛ラインが戦場となるのはそれから……ですわね」
左様、とコジロウは固い声で首肯した。
それでもホクトたちが立て直すくらいの時間はあるはずだ。
巨獣の群れ――おかわりはまだやってこない。
ミサキ、ヌン、エンオウ、モミジ、彼らが頑張ってくれている。
しかし、その働きも時間の問題だろう。
20人いるという終焉者、バッドデッドエンズの刺客が開戦とともに各地へ飛び立ったことが確認されている。警戒するよう連絡も受けていた。
最前線で戦う4人は、遠からずバッドデッドエンズと相見える運命だ。
「そうなると、第一次防衛ラインは崩れるも同然ですからな」
「僕たちが忙しくなるのはそこからですね……」
忍び寄る激戦の気配に、ヨイチは固唾を飲んでいた。
それまでは第一次防衛ラインを抜けてきた巨獣を掃討する、後始末みたいな仕事で済む。この程度ならばコジロウだけで十分だった。
ホクトとヨイチを休ませる余裕はある。
「拙者とてツバサ殿の荒行を乗り越えた身……頼みにしてくだされ」
コジロウもLV999の領域に達していた。
かつてコジロウは、バッドデッドエンズの刺客に剣で敗北した。それも同じような大太刀を振るう剣客によって惨敗の地に塗れた過去があった。
(※第310話参照)
あの屈辱――決して忘れまい。
この苦い経験を糧として、コジロウは再修行に取り組んだ。
時間の流れが異なる過酷な異空間“異相”にて、ツバサ殿や多くのLV999から壮絶な手解きを受け、地獄のような修練に励んできたのだ。
おかげでLV999の高みを開眼できた。
恐らく今なら――あの剣客といい勝負ができる。
サジロウ・アポピスと名乗った、世にも奇妙な剣術を使う男だ。
およそ真っ当な剣術家ならば「どうやってんだよそれ!?」と度肝を抜かされる、奇抜な剣の操り方をする男だった。一人の剣士として幾多の剣客と刃を交えてきたコジロウですら、初めてお目に掛かる太刀筋だった。
その奇抜さに頼らぬ、恐ろしい剣の冴えに翻弄されてしまった。
あの時点のコジロウでは逆立ちしても到底及ばない格上の剣豪だったが、異相での荒行を乗り越えた今ならば対等に渡り合えるはずだ。
その根拠は、コジロウを鍛えてくれたLV999の一人にあった。
黒衣の剣豪――セイメイ・テンマ。
ツバサ殿の盟友にして天下無双の剣神である。
サジロウも舌を巻くほどの剣の使い手だったが、セイメイは格が違う。コジロウはセイメイと初めて対面した際、刀を抜くまでも敗北を宣言した。
出会った瞬間「参りました」と膝をついたのである。
次元が異なるのだ――剣士としての。
ツバサ殿や仲間たちからは「呑兵衛のニート侍」などと笑われているが、剣豪や剣聖という尊称すら生温い。まさに剣神である。
同じ剣術家の誼、彼はコジロウの修行に付き合ってくれた。
コジロウどころかサジロウをも上回る、超絶的な剣豪に鍛えられた経験は万年の修行に勝る得がたいものだった。剣術家の実力に階梯のようなものがあれば、それを飛び級で一気に駆け上れた気分である。
一人の兵法者として感謝してもしきれない。
『そりゃコジロウさん、元々アンタが持ってたポテンシャルだ』
セイメイ殿のおかげで高みに登れた。そのことに厚く礼を述べたのだが、黒衣の剣豪は威張るでもなく飄々とした口調で返してきた。
『しかつめらしく潜在能力とでもいえばいいか? おれとの試合や稽古……死ぬ気と殺す気と本気で斬り結んだ成果と思えばいい』
自分の能力を引き出せるのは、あくまでも自身の成果だ。
『人も獣も神も魔も同じさ。必要に迫られりゃあ強くなるしかねえ。強くなりたくない奴をいくらシゴいたところで潰れるだけ……』
強くなりたい奴は――勝手に強くなる。
『おれは練習の相手をしただけ。礼なんざ無用だよ』
食えぬ男よ、と回想するコジロウは微笑んだ。
恩着せがましくないところに、尚のこと恩義を抱くのだろう。
セイメイ殿のおかげでサジロウに復讐戦を挑めるだけの地力を養い、一度は折れかけた自信を取り戻すことができた。
今のコジロウならばサジロウと相対しても引けを取らない。
いいや、必ずや勝利できるはずだ。
だがしかし、恐らくサジロウへの再戦は叶わないだろう。
「……雪辱戦をお望みですか?」
ふと、ホクトがコジロウの横顔を覗きながら尋ねてきた。
ほとんどの負傷が塞がり、蟲からの総攻撃で受けたダメージによる疲労も得意の気功術で癒えたようだ。ホクトはいつでも戦える準備を整えていた。
コジロウの美的感覚でも美しい女だと思う。
ただ、セイコに追いつきかねない高身長とメイド服を引き千切りそうな逞しい筋肉は、女性ながらも“美丈夫”という言葉が似合いそうだった。
(※美丈夫は男性へ使う言葉、美しく立派な男性を差す)。
コジロウも身長180㎝越えの美丈夫である。
だが、彼女と視線を合わせるためには見上げなければならない。
「これはお恥ずかしい……顔に書いてありましたかな?」
コジロウは戯けて顔を撫でてみた。
サジロウとの再戦し、勝利を収めることで汚名返上を果たしたい。
ホクトとは立ち話でそんな希望を打ち明けたこともあった。なので、この戦争が絶好の機会だということもあり、顔色を読まれたらしい。
ホクトは無礼を詫びるように頭を下げる。
「出過ぎたことを申しました。ですが、もしもお望みならば……」
ここはホクトとヨイチに任せて、サジロウと一戦交えるために出撃されてもいいのでは? と勧めてくるつもりだったのだろう。
コジロウは片手で制し、ホクトの口から出る次の句を遮った。
「用心棒が持ち場を離れるわけには参りませぬ。それは拙者の沽券に関わり、延いては穂村組の信用問題にも繋がること」
用心棒の役目は果たします――拙者の責務はこの地を守護ること。
それに……とコジロウは寂しげに微笑んだ。
「あのサジロウなる剣客、拙者など眼中にありませんでしたからな……」
奴の奇妙な剣術で膾に刻まれた直後――。
倒れて意識が混濁する中、サジロウはこう問い掛けてきた。
『なあ、アンタ――龍を斬る剣と書いて斬龍剣』
知らねえかっシャ? と訊かれたのだ。
それはコジロウが恩義を抱いた剣豪の二つ名であった
~~~~~~~~~~~~
一方その頃――還らずの都上空。
ホクトとヨイチと入れ替わりでこの地へ転移してきたジンとハルカは、蟲使い姫のメヅルを相手に、非戦闘員ながらも善戦を繰り広げていた。
還らずの都とふたつの国を覆う防御結界。
それを攻め落とすべく群がる蟲の軍勢が、明らかに目減りしていた。
次々と撃ち落とされているのだ。
大きいのは戦闘機サイズ――小さいのは指先サイズの羽虫。
大小様々にして多種多様、昆虫図鑑には一匹たりとも掲載されてないような怪蟲や奇蟲が群れを成して飛び交い、雲霞の如く空に舞い踊っている。
メヅルは雲霞を隠れ蓑にして逃げ惑っていた。
№14 蟲襲のフラグ――メヅル・アバドン
何種類もの蟲をデザインに取り入れたゴシックドレス。ハルカ目線からすれば、悪趣味と評するしかない衣装をまとう悪役令嬢。
そんな趣がある少女だ。
空を飛ぶ能力を持つ大百足に騎乗し、自らの過大能力で生み出した蟲を殿にして遠ざかるように飛んでいる。
「ちぃぃぃッ! たかが人形の分際で……人形が群れてるだけで!?」
「――あら、ご挨拶ね」
メヅルは追いかけるハルカを憎々しげに睨んでいた。
ハルカは若草色の髪を春色のロングカーディガンをなびかせて、逃げるメヅルの焦りを引き出すように追い詰めていく。おもいっきり接近するのではなく、かといって見逃すわけでもない。そんな距離感を保っていた。
「そっちこそ、たかが蟲の分際で……蟲が群れてるだけじゃないの」
ハルカの背後、道具箱から続々と人形が飛び立つ。
それはハルカの容姿を模して、可愛くデフォルメチックにした人形だった。小さめのぬいぐるみ、あるいは掌サイズのフィギュアにも見える。
人形たちは一人前に武装していた。
古代ローマ―風に長い槍と分厚い盾を構えている一団がいれば、日本の戦国時代を思わせる鎧をまとって日本刀を帯びた一団もおり、その他にも様々な兵隊らしい装備を身に付けていた。
最新鋭の機械化部隊よろしく重装備の部隊までいる。
人形たちの背中には飛行能力を持たせるため、鳥や昆虫、あるいは蝙蝠や翼竜の翼が生えていた。航空力学的に揚力が足りているのか不安だ。
器用なことに飛行機を操縦する人形もいた。
ラジコンサイズの戦闘機や爆撃機に乗り込み、ハルカの道具箱から離陸して空に舞い踊ると、機関銃やミサイルで蟲を撃墜していく。
それら艦載機を乗せる空を飛ぶ空母まで出撃する。
こういう人形たちの小型化された乗り物は、ジンが工作系技能で作ってくれたものだった。決して脅していない、率先して協力してくれたのだ。
(※正確にはジンが試作機と設計図と加工済みの材料を用意してくれて、それを人形たちに渡すと勝手に組み立ててくれる。また、ジンが手慰みで造ることもあるので、兵器や武装の補充はいつも万全だった)
ハルカの過大能力――【破滅の奈落より来たれ軍勢】。
能力としては、愛らしい人形を無制限に召喚できる。
人形は“人形たち”という総称、もしくは複数形で呼んでいた
このように書けば大層メルヘンチックに思われるかも知れないが、その割に名前がおどろおどろしくて濁点が多くて禍々しいのが特徴だ。
実際、ハルカの過大能力は恐れられている。
蟻は小さい昆虫の代名詞として弱々しいイメージだが、数が集まれば象さえも殺すという逸話がある。実際、軍隊蟻は動物をも狩るらしい。
ハルカの人形たちは、この軍隊蟻とよく似ている。
人形を無限に召喚して――その膨大な数で敵を押し潰す。
すべての人形はハルカの分身であり、意識を共有している。痛みや痺れなどマイナスの感覚も伝わるのだが、LV999になった成果か意図的に人形からの痛覚をシャットアウトすることもできるようになった。
これにより、いくら人形を潰されてもハルカにダメージはない。
また、人形たちに小さな自意識を持たせることにも成功しており、ハルカが大まかな指示を思い浮かべれば自律的に働いてくれた。
人形たちのささやかな精神ともハルカの意識は同調できる。
おかげで、人形たちによる脳神経ネットワークに酷似した思考回路を構築できるようになったハルカは、世界への認識が大きく拡大されていた。
端的に言えば――視野が広くなった。
人形たちの偵察を遠くまで派遣できるようになり、それらの情報を無意識下で取り込み、重要なものをピックアップする常時発動型技能として会得した。
信頼できる“虫の知らせ”というか、周辺情報に基づいた簡易的な未来予知みたいなこともできるようになったのだ。
根本的なパワーアップとして、人形たちも大幅に強化されていた。
以前は無制限といったものの一度に繰り出せるのは精々が数億体。今では数十京体まで倍増しており、人形単体の強度や戦闘能力も向上している。
これもツバサさんのトレーニングによる賜物だ。
……本当、死ぬかと思ったけれど。
一日が一年になる異相で、地獄の方が百倍マシと思える極悪な環境下で、泣き叫びながらも生き延びて、どうにかこうにか培われた新しい力だ。
こんな時にこそ実感することができた。
自分が強くなれたことを――!
ハルカは人形たちの軍隊を率い、徐々にメヅルへ肉薄していく。
迫れば迫るほど、メヅルの表情に焦りが浮かんだ。
背後に浮かべる卵嚢から矢継ぎ早に新たな蟲を生み出すメヅルは、少しでもハルカを牽制しようと、これでもかと大軍を嗾けてきた。
苛立ちを飲み込めないのか、メヅルは悔しげに捲し立てる。
「私は破壊神様から、この世を滅ぼす蟲の軍勢を指揮する役目を……“破壊の場”の名を頂いたのに……どこの馬の骨とも知れないアンタなんかに……どうして圧されなきゃいけないのよ!?」
「奇遇ね、私も“奈落の底”の名前を貰ってるわ」
どちらの意味でも“アバドン”で通じる。
「アバドンにはね、他にも意味があるの知ってる?」
博識な友人フミカに教えてもらった。
「ヘブライ語でね、“滅ぼす者”って意味もあるらしいの」
「くっ……ハルカがメヅルを“滅ぼす者”だとでも言いたいわけ!?」
メヅルの引き連れる二つの卵嚢からは、かつてない規模で蟲の大群が吐き出されるが、ハルカの出撃させる人形たちの軍勢はそれを上回った。
「別にそんなつもりはないけど……そうなりかねない、ってだけよ」
数ならば圧倒的多数、ハルカに軍配が上がる。
メヅルの蟲には大小の差があり、大型の蟲は最新鋭戦闘機みたいな巨体を誇るものの、その大きさゆえに小回りが利かない。手のひらに乗るくらいの人形たちはピッタリ張りつき、数を頼みに総攻撃を仕掛ける。
この戦法で、大型の蟲を見る見るうちに撃墜していた。
人形たちよりも小型の蟲は、普通に叩き落としている。サイズ比的には人間の鳥ぐらいのものなので、手にした武器で軽々と倒すことができた。
使い魔を軍単位で操る過大能力。
この手の能力にとって最大のセールスポイントは、相手の処理能力を上回る軍勢で追い込み、対応に追われる暇も与えず戦闘不能に陥れることだ。
これまでメヅルは、そういう殺戮を繰り返してきただろう。
まさか自分が他人にしてきた仕打ちでここまで苦しめられるとは、夢にも思わなかったはずだ。悔しげな瞳がそう訴えていた。
メヅルは泣きそうな鼻声で苛立ちをぶつけてくる。
「ハルカ、だっけ? アンタさ、なんか……私に風当たりが強くない? 怒っているというか、八つ当たりというか……嫌悪感マシマシなんだけど?」
意外に鋭い、だがハルカは素知らぬ振りをした。
昔なら指摘された途端に眉を動かして、心の内を見抜かれた動揺から慌てたかも知れないが、ポーカーフェイスで惚けられた。
これもツバサさんに仕込まれた芸当のひとつである。
「さあね……自分の胸に聞いてみたら?」
ハルカは純粋な怒りを人形たちの軍勢に託す。
小さな軍隊の稼働率が当社比で3割も跳ね上がる。
「も、もっと圧されるッ……なに、なんでそんな怒ってんの!?」
怒りの理由――それはホクトを虐めた件だ。
今でこそ骸骨紳士クロウのメイドを務めているが、現実世界でのホクトは新進気鋭のファッションデザイナーとして名を馳せていた。
エレガンス北斗――本名、北斗常子。
ファッション業界に憧れるならば知らぬ者はいない、といっても過言ではないほどの、業界に一大センセーショナルを巻き起こした人物である。
『生きとし生けるものは──着飾る権利がある』
この訓示に感銘を受けたハルカは、「いつか自分も北斗さんのような服飾師になるんだ!」と将来の夢を抱くようになった。
まあ、異世界転移に巻き込まれて頓挫しかけたのだが……。
ところが瓢箪から駒みたいな出来事が起きた。
いいや、ハルカは運命だと信じている。
ホクトも同じように真なる世界へと転移してきており、憧れの本人と出会えるというまたとない機会に恵まれたのだ。このチャンスを逃すまいと弟子入りを志願、ホクトはハルカの熱意を認めて師弟関係を結んでくれた。
感無量とはまさにこのことである。
異世界への転移なんてアニメみたいな驚天動地の目に遭ったが、好きだったミサキ君とは恋仲になれたし、憧れのホクトさんに弟子入りできたりと、ハルカはなんだかんだで異世界ライフを最もエンジョイしているかも知れない。
ハルカにとって、ホクトはミサキの次に特別な存在。
服飾師として尊敬する恩師である。
その恩師を嬲られ甚振られて、気分を害さないわけがない。
師匠の仇! と怒り狂うのは道理だろう。
ハルカは目付きも鋭く言い渡す。
「戦争も喧嘩も戦いも……そもそも誰かを傷つけるって性に合わないんだけどね。やられっぱなしで黙ってるほどお淑やかじゃないのよ、私ってば」
師匠がやられた分は倍返しでやり返す。
その意気込みは人形たちに伝わり、小さな軍隊を鼓舞した。
ハルカの過大能力によって時間を追うごとに人形たちの勢力を増していき、蟲の群れはその数を減らしていく。順調に駆逐しているのだ。
「まだよ! まだまだ……私の愛し子はこんなもんじゃないわ!」
しかし、敵も然る者だ。
メヅルは圧倒されている自覚があり、不利な状況に追い詰められているのを理解しているのに、メヅルは決して諦めようとしなかった。
蟲の勢力は明らかに減少傾向にある。
メヅルの蟲を生み出す生産効率よりも、ハルカの人形たちによる蟲の撃破率が上回っているからだ。しかし、蟲を全滅させるまでには至っていない。
メヅルが奮起しているからだ。
追い込めば追い込むほど、メヅルから蟲が湧き上がる。
彼女の背負う卵嚢も膨張すると、吐き出す蟲の量を増やしていた。
このまま人形と蟲による小規模な抗争を続けていれば、いずれハルカが勝ちを収めるだろう。だが、どれほどの時間を要するか見当もつかない。
いつまでもメヅルが粘る可能性もあり得る。
もしくは、粘り勝ちによる逆転の目だってあるかも知れない。
メヅルが隠し球を持っていないとも限らない。
こういう用心深さもツバサさんに叩き込まれた考え方だ。
ここは当初の予定通り、一緒に転移してきた工作の変態ことジンくんと協力して、二人掛かりでこのメヅルという少女を倒した方がいいだろう。
ジンの開発した殺虫剤、あれは蟲に効果覿面だった。
あれだけ効いたのだから、もっと散布すれば蟲の群れを弱らせられる。
そういえば――ジンくんにしては静かじゃない?
「ちょっとジンくん、もっと殺虫剤をばら撒いて……何してんだテメェ!?」
「へぐっぽ!? 美少女パンチ、ありがとうございます!」
思わずはしたない声を荒げてしまった。
ジンの気配はずっと背後に感じられたので、ハルカの背中を守りながら蟲を撃ち落とすなり殺虫剤を撒いてるのかと思えば、空中に座布団を敷いて正座をすると、のんきにお茶を啜ってやがったのだ。
振り向きざま、腰の乗ったパンチをお見舞いしてやる。
非戦闘員ながら、最低限の体術くらいはツバサさんとミサキくんから学ばされていた。護身術のつもりだったが、予想外の形で役に立った。
マスクの左頬を陥没させたジンは、真性マゾだから御礼を叫んだ。
湯気の立つ拳を握り締めてハルカは詰め寄る。
「アンタねぇ……私一人に戦わせてお茶休憩ってどんな了見よ!?」
「だってぇ……俺ちゃん非戦闘員だし」
「私だって本職は服飾師で非戦闘員なんですけど!? それでもミサキくんやツバサさんの手前、こうしてむりくり頑張ってるんですけど!?」
ハルカはジンの襟首を掴んで怒鳴りつけた。
ジンは降参するみたいに両手を持ち上げてハルカを宥めようとしながら、首を激しく左右にプルプル振り、泣き言めいた弁解をする。
「いや、でもさ、ハルカちゃんもあっちのゴシック娘ちゃんも、ジャンジャンバリバリ使い魔を出して、どんちゃん騒ぎで俺ちゃんの入る余地全然ないから、ちょーっとくらいサボってもバレないかなーと思って……あ痛ッ!?」
「サボったって白状してんじゃないの!」
身長差を利用した、お仕置きのアッパーカットを食らわせた。
それでもジンは半泣きで言い訳する。
「だってーッ! 女の子同士のキャットファイトに挟まろうとする男は死ねとか殺すとか言われるじゃん! だから俺ちゃん自重して……ぎゅりっ!?」
「それを言うなら『百合に挟まる男は死ね』でしょうが!」
ハルカは左フックでジンの右頬も陥没させた。
いけないいけない、あんまりやり過ぎると「暴力ヒロイン」なんて不名誉なレッテルを貼られかねない。ハルカは自粛した。
「うぅん、美少女のグーパンいい……も、もっとワンモア……」
しかし、当のジンくんがお求めだった。真性マゾはこれだから厄介だ。
「まったく、ドツキ漫才なんかやってる場合じゃないのに……いいからジンくんも戦って! 戦争なんて長引かせても良いことひとつないんだから!」
ハルカは現状を訴えるようにメヅルを指した。
少なくとも、彼女を倒さねば状況を打破できないのだ。
マスクの位置を整えるジンは、殴られて変形したままの顔を直すように頭を撫で回す。それを終えると、ちょっとだけ真面目な声音で言った。
「蹴出し正論……いや、殴り出し正論かな」
ではでは――手早く終わらせるといたしましょうか。
ジンはやる気を出すと、自らの道具箱に両手を差し入れた。
ズルリ、と長さのある武器を引きずり出す。
両手に一挺ずつ握られたそれは、恐らく機関銃なのだろう。しかし、銃身は長くて弾倉は大きく、本体も一抱えはありそうな代物だ。
どう見ても携行タイプではない。据え置きで使う大型の機関銃である。
ジンはギャグキャラなので目立たないが、実は190㎝を越える恵まれた体格の持ち主。二挺の機関銃を左右の小脇に抱えるように構えた。
――戦争を主題にした創作物語。
そこに登場する、重火器を扱う火力担当のキャラクターみたいだ。アメコミ風の外見も相俟って意外と様になっている。
だが、銃を持ち出したジンをメヅルは鼻で笑った。
「今さらマシンガンですって? どんなチューンナップしたのか知らないけど、そんなオモチャで愛し子を倒せると思ってるの?」
刃物や弾丸への耐性など、初歩の初歩なので今さら過ぎる。
メヅルの蟲たちにもしっかり施されていた。
ハルカの人形たちの攻撃が蟲に通じるのは、至近距離に近付いて硬い甲殻の隙間を突いているからだ。そこ以外の攻撃はほぼ弾かれている。どれほど大口径で火薬を詰めた弾丸だとしても、あれらの蟲の甲殻は貫くのは難しい。
ジンは煽られてもどこ吹く風だった。
「いやー、これは皮だけの見た目だけ。大切なのは中身の方ですから」
本命は実弾です、とジンはマスク越しに口元を釣り上げた。
ジンの人差し指で左右の機関銃の引き金を絞ると、銃口が熱い火を噴いて秒間何千発もの弾丸を撃ち出す。弾丸はそこら中にいる蟲に直撃する。
「無駄よ! 鉛玉なんかで私の愛し子が……なッ!?」
メヅルは絶句してしまった。
弾丸は蟲の甲殻に当たると弾け飛び、白い煙を巻き上げる。
撃たれたダメージなど露とも感じない蟲だが、その煙を浴びると蟲らしい鳴き声を上げて身悶えた。やがて力を失った蟲は痙攣して動かなくなる。
夏の蚊取り線香――その近くで見られる光景だ。
ジンは機関銃の射撃を続けながら、その場でグルグルと回転する。
ギャグキャラらしく一回転するごとに変なポーズになるのを忘れない。
当たると煙になる弾丸は、蟲の大軍を散らしていく。その有り様はまさに蜘蛛の子を散らす、おまけに次から次へと蟲を落としていった。
メヅルは弾丸の正体を思い知らされる。
「さっきの殺虫剤……それを弾丸に詰めたの!?」
その問い掛けにジンは嬉々として答える。
「そのとおーり! 俺ちゃん特製、殺虫剤弾! すべて天然素材でできてるから、自然の多い土地に巻いても、そんなに生態系をいじめない優れ物です!」
「ほざかないでよ! 命を奪う毒には違いないでしょ!?」
「……メヅルが言えた義理? 同僚のベリルとかいうのも大概じゃない」
あの三つ叉の毒蛇龍の方がよっぽど毒を撒いていた。
それでもメヅルは納得ができないらしい。
「天然素材で自然を傷めない? そんな材料から作った毒で……どうして私のカワイイカワイイ愛し子たちが殺されるのよ!?」
毒耐性は万全なはず! とメヅルは腑に落ちないようだ。
率直に言えば――あの煙は毒じゃない。
ジンくんに殺虫剤の材料を聞いたのだが、本当に天然素材で害の少ないものしか使われていなかった。ならば、どうしてメヅルの蟲には効果があるのか?
昆虫は他の生物と呼吸器官が異なる。
その多くが腹部に“気門”という空気を取り込む器官を持っており、ここで呼吸することで酸素を体内に取り込んでいるのだ。
つまり、昆虫の気門は脊椎動物の気道に当たる。
ここを塞がれることは、人間ならば喉や鼻を塞がれるに等しい。
昆虫は頭を水没させてもなかなか窒息しないが、腹部を水につけられるといずれ呼吸困難に陥って窒息してしまう。
ジンの殺虫剤は――昆虫の気門を塞ぐ特殊なもの。
過大能力より生み出された怪物であろうとも、昆虫としての態を為しており、一個の生命体として生命活動を営んでいるならば通用するはずだ。
恐らく、時間にして3分も経過していまい。
ジンが機関銃を撃ち終えた頃には、ほとんどの蟲が地に落ちていた。
ドツキ漫才をしていても、ハルカの人形たちによる総攻撃は続いていたので、殺虫剤から逃れようとしていた蟲たちも追い落とされている。
「……………………」
メヅルは憎悪満点に顔を顰め、ハルカとジンを睨みつけていた。
負けを認める様子は見受けられないが、少なくとも新たな蟲を繰り出すことは止めていた。この二人掛かりでやり込められたら、いくら蟲を湧かせても焼け石に水だと悟ったらしい。
ジンは二丁の機関銃を構え直した。どちらの銃口もメヅルから逸らして空に向け、「もう君を狙っていないよ」という意思表示をした。
「さてと……まだ戦る? 言っちゃあなんだけど不毛だと思うよ?」
ハルカとジンのツープラトンは効いたはずだ。
もしも奥の手があったとしても、彼女の過大能力は蟲にまつわるものに違いない。ハルカやジンの能力とは相性は最悪だろう。
この相性を見越して――ツバサは選手交代を打診してきたのだ。
「……………………」
ジンが話し掛けても、メヅルは口を開こうとしない。
ただ、憎々しげにこちらを見据えるばかりだ。
するとジンがたっぷり逡巡した後、おっかなびっくりに切り出した。
「……ねえ、降参する気はないかな?」
「はぁっ!? ちょ、ジンくん……アンタ正気なの!?」
驚かされたのはハルカだった。メヅルは憎しみを凝らした表情を崩すことなくノーコメント。代わりにハルカが息せき切って叱りつける。
「ツバサさんに散々言われたでしょ! バッドデッドエンズは骨の髄まで破壊衝動や破滅願望に取り憑かれているから、説得は無理無駄無謀だって!」
彼らとて元は人間、相通じるところはあるかも知れない。
だがしかし、最悪にして絶死をもたらす終焉へ加わった理由を匂わせる者たちは、地球で半生において人類と世界に裏切られた者ばかりだという。
世界の有り様に絶望し――人類に愛想を尽かした。
そんな連中を説得するのは不可能、むしろ逆効果だろう。
こちらが愛や正義を謳えば、それが怒りと憎しみを焚きつけかねない。
『ああ、おまえたちは幸せそうだな……恨めしい!』
それこそ説得どころではない。会話すら成り立たず破綻する。
四神同盟に属する者は、多かれ少なかれ他者との調和を重んじる。それゆえに殺人や命を奪うことに抵抗を覚える者がいる。
ツバサは残念そうに、心優しい者たちを説き伏せていた。
『彼らの懐柔は無理だ――今回ばかりは諦めろ』
『バッドデッドエンズに与した者は、世界の終わりしか望んでいない』
『降伏を勧めることさえ隙に繋がるだろう』
『助けたい、救いたい……そんな心情さえも連中は逆手に取る』
『共感するのも危うい。そのまま油断となりかねない』
『奴らは俺たちを滅ぼしたくて堪らないんだ……仏心さえ引き締めろ』
ツバサは数度バッドデッドエンズと矛を交えた。
そこから得られた経験則を、熱心に説いて回っていた。
中でもジンは特に注意された一人である。
『おまえほど優しい男も珍しいからな……用心しろよ』
ハルカの知る限り、この男ほど情け深くて懐の広い男はそういない。ミサキは時として冷酷さを垣間見せるが、ジンは徹底して友愛と慈悲を尊ぶ。
敵も味方も笑顔にしたくてしょうがない男なのだ。
だからこそ恐ろしい側面もあるのだが……。
そのジンの優しさが、ツバサの危惧した事態を招こうとしている。
あろうことか、バッドデッドエンズに降伏を勧めたのだ。
「……無理に殺す必要はない」
ツバサお姉さまもそう言ってたじゃん、とジンは付け加えた。
寂しげな、それでいて雀の涙みたいな希望に縋る声だった。殺し合う敵であっても、できるならば手にかけたくないという優しさからの行動だ。
こうなると、ハルカが言い聞かせても耳を貸さない。
どんなに口を酸っぱくしようとも、我が道を貫こうとするはずだ。
これを受けてメヅルは――嘲笑を隠せなかった。
「……プッ、アハハ、クフフフ……アッハハハハハハハハハハハッ!」
最初に小さく吹き出したメヅルは、細かく刺繍された手袋をつけた手で口元を覆い隠すと含み笑いを漏らし、そこから腹を抱えて大笑いをした。
まだ生き残っている大百足。
その節くれ立った背に腰を下ろして大爆笑だ。スカートが崩れるのもお構いなし、細い両脚を子供みたいにバタつかせている。笑いすぎて涙まで流しており、お腹を押さえたまま上半身を前後に揺らして笑い続けている。
ある意味、大ウケだった。
現実世界でのジンの将来の夢は、お笑い芸人になること。
それくらい人を笑わせるのが好きなジンにしてみれば、ここまで笑えてもらえて本望かと思いきや、その表情はマスク越しでもわかるほど浮かなかった。
嘲りと侮蔑、憤慨と敵愾心……それと絶望。
メヅルの笑い声には、それらの感情がふんだんに含まれていた。
笑い飽きたメヅルは目元の涙を人差し指で拭う。
「はぁー……笑わせんじゃないわよ、このマスク野郎がッ!」
それから眉根を寄せてジンを見つめたメヅルは、肉食昆虫みたいに外れそうなくらい顎を開くと、腹の底から絞り出した罵声を浴びせてきた。
彼女の声に、その後ろに控える卵嚢が呼応する。
まるで卵の殻を破るように、大きなハサミムシの尾みたいに湾曲した鋏を備えた尾が飛び出してくると、どこまでも伸びてジンに襲い掛かった。
咄嗟に身を翻したジンは鋏の尾を躱す。
不意を突かれたためか、一瞬だけジンの反応は遅れた。そのため頭部を鋏の尾が掠めていき、何かを引き裂くような音が響く。
ジンは仰け反りながら右手で頭を抑え、吹き飛ばされかけていた。
「――ジンくんッ!?」
「大丈夫! ちょっと擦っただけ! ノーダメージ!」
ハルカの悲鳴に、ジンは焦った声で返事をする。
血の臭いが流れてこないので、本当に擦っただけらしい。ただ、いつも着けているマスクが破られていた。
頭を押さえるジンの指の隙間から、輝く金髪が覗ける。
マズい――ハルカの心臓が強く脈打つ。
恋のトキめきではなく、ある危機感から不整脈を起こしそうだった。
ハルカが忍び寄る恐怖のため身動ぎできずにいると、メヅルはここぞとばかりの反撃に打って出た。ただし、標的はジンに絞られている。
どこまでも伸びるハサミムシの尾。
大百足の胴体と見間違えそうなそれは、ジンの頭部を掠めた直後にUターンすると、瞬時にジンの身体を雁字搦めに縛り上げた。
防ごうと身構えたジンだが、両腕ごと封じられてしまう。
「降参ですって? 面白いこと言うじゃない……ねえ、マスクマン?」
メヅルは勿体ぶった口調でジンに話し掛ける。
そうしている間にも、彼女は反撃の準備を整えていった。
「私ねぇ、アンタみたいに甘い言葉で誘ってくる奴……大っ嫌いなの。そういう人を見下した優しさに、どれほど裏切られてきたか……ねえ、わかる?」
「ぐぅう……がぁあっ!」
饒舌なジンが何も言い返せず、苦悶の声を上げた。
ジンを拘束するハサミムシの尾が、ギリギリと締め上げているのだ。
「私はね……メヅルとベリルはね、もう誰も信じられないの」
わかるぅ? とメヅルは甘い声を出す。
ジンを縛り上げたハサミムシの尾は、彼女の背後にある卵嚢のひとつを破って伸びてきたのだが、その卵嚢が内側からどんどん突き崩されている。
もうひとつの卵嚢も同様にだ。
そこから現れたのは――凶暴性を露わにした蟲の群れ。
今まで還らずの都を襲っていた蟲たちが、ゆるキャラに見えるレベルの凶悪な外骨格を持った蟲たちだ。異形すぎてモデルになった昆虫がわからない。
恐らく、この凶猛な蟲こそメヅルの切り札。
メヅルは最強最悪の蟲を率い、ジンへ躙り寄っていく。
「貶されて、欺かれて、騙されて、虐げられて……最初っから最後まで裏切られてきたの……逃げ場なんてどこにもなかった、助けてくれる人なんて誰一人としていなかった……村社会っていう狭いコミュニティに潰されかけたのよ」
わかるぅ? とメヅルは甘い声を繰り返す。
蟲たちは拘束したジンを襲わず、何故かメヅルに群がった。
捕食するつもりではない。
まるで母親に甘える子供のように、メヅルの小さな身体に縋りつく。蟲たちの外骨格は次第に融合し、ひとつの新たな巨体を造り上げつつあった。
もはや蟲であることしかわからない巨大なバケモノ。
敢えて名付ければ――女王蟲。
蜘蛛のような、蟷螂のような、蠍のような、蝗のような、百足のような、甲虫のような、芋虫のような、蚯蚓のような、螻蛄のような……。
すべての蟲の要素を兼ね備えるのに、そのどれでもない異形の巨蟲。
メヅルはその頭部に取り込まれていた。
残っているのは上半身のみ、下半身は女王蟲と一体化している。
ジンを捉えていたハサミムシの尾は、いつしか人間の腕を模倣しながらも昆虫にしか見えない手に変化していた。
昆虫特有の棘だらけの指がジンを握り締めている。
その前に――メヅルはジンを引き寄せた。
強制的に面と向かわせ、さっきの独白の続きを聞かせてくる。
「優しさを餌にして、私やベリルを油断させ、裏切ることで失望させるなんて遊びもしょっちゅうされたわ……ねえ、わかるぅ? そんな環境で多感な少年少女時代を過ごした私たちが……あなたの言葉なんか信じるわけないでしょ?」
メヅルとベリルはもう――絶対に人間を信じない。
「邪悪で陰湿で情けも容赦なくて……そのくせ自分に累が及ぶと泣いて喚いて助けを請う……そんな人間が大嫌いなのよ」
降参するくらいなら舌を噛んで死ぬわ、とメヅルは断言した。
ギリギリ、と蟲の手がジンの五体に食い込む。
「ぐっ、ぎぃ……ぅぅぅぅぅぅぅぅッ!」
軽口も減らず口も叩かず、どれだけ殴られても喜ぶはずの真性マゾなジンが苦痛に呻いている。これは危険な兆候だった。
ハルカはすぐさま人形たちの部隊を差し向けようとする。
メヅルは巨大な蟲の腕を伸ばすと、ハルカの動きを制してきた。
「動くな――動けば即座にこの男を殺すわよ」
メヅルの冷たい一言は、人形たちを停止させるのに十分だった。
即座に殺すつもりはなくとも、いずれ殺すつもりのくせに……とハルカは口の中で悪態をついたが、迂闊なことをできるはずもない。
悔しがるハルカを見下ろし、女王蟲となったメヅルはご満悦だ。
「フフフ……形勢逆転ね。どうする? 今度はこちらから降参を促してあげましょうか? もっとも、そんなこと私も破壊神様も許してあげないけどね」
メヅルは愉快そうに喉を反らしてケラケラ笑った。
ひとしきり笑ったメヅルは視線を落とし、女王蟲の掌中にあるジンに興味を示した。正確には、彼のマスクに違和感を覚えたらしい。
先のハサミムシよって、マスクの右上が破かれている。
そこから艶やかな金髪が流れ出していた。
マスクの破れ目を覗きながら、メヅルは首を傾げている。
「……そういえばアナタ、どうしてマスクなんかしているの? アメコミヒーローのインスパイア……いいえ、何かを隠している匂いがするのよね」
ハルカの背筋を悪寒が駆け上った。
そこに好奇心を抱くのはわかるが、それは究極の禁忌だった。
ジンの幼馴染みであるミサキですら、ジンの素顔を拝んだのは数えるほどだと聞いている。そんなミサキからはこう忠告をされたことがある。
『――ジンの顔を見ると正気を失うぞ』
果たして、それは事実だった。
かつてハルカは一度だけ、ジンの素顔を見たことがある。
その時、冗談抜きで正気を失いかけた。
俗にいうSAN値直葬とはこのことだと痛感させられ、事件が集束すると有無を言わさずジンに新しいマスクを被せたのほどだ。
それだけはやめなさい! とハルカは声を大にして叫びたい。
だが「動くな」と制された手前、下手に声を上げてジンにトドメを刺されたら堪らない。喉まで出かかった言葉をグッと押し止める。
ジンは――雰囲気が一変していた。
いつも身に帯びるギャグキャラの空気が消えている。
代わりに重々しい空気をまとっていた。
メヅルがマスクに隠された自分の素顔に興味を持ち、殺す前の嫌がらせに剥ぎ取るつもりなのを察したのだろう。
諦観を突き詰めた吐息を漏らしたジンは告げる。
「……わかった、もう降参は勧めない。だが、これだけは警告しておく」
――俺のマスクを剥ぐな。
いつもの「俺ちゃん」というふざけた自称は形を潜め、口調も重苦しく温かみのない重厚な金属のようだった。普段のジンを知る人間ほど、その異質な変貌振りに戦慄させられるだろう。
ジンの変貌に立ち会うのは二度目だが、ハルカはまだ慣れない。
これが――ジンの恐るべき側面なのだ。
背筋を走る悪寒が全身へ蔓延りそうな心地だった。
ジンの警告は淡々と続けられる。
「俺は素顔を見られることが何よりも嫌いだ。素顔を見られた俺は何をしでかすか知れたものじゃない。ただ、その結末は往々にして俺の望まないものだ。だから念入りに警告しておく。いいか、俺のマスクを剥ごうとするな」
何があっても――俺の素顔を見るな。
豹変したジンの警告に、メヅルはきょとんと呆けていた。
それもたった数秒のこと。メヅルの人相はジワジワと意地の悪い笑みで歪んでき、前のめりになりながらジンを眼前へと引き寄せた。
メヅルは悪戯っぽく問い掛ける。
「ねえ、マスクの変態さん……こんな標語を知ってるかしら?」
――人の嫌がることを進んでしましょう。
標語として考えれば、「他人が嫌がる仕事を自ら率先してやりましょう」と児童に自発的な精神を養わせようとする啓蒙だろう。
だが、ひねくれたマセガキなら「お、人の嫌がること? つまり嫌がらせをいっぱいするんだな!」と傍迷惑な解釈をするはずだ。
日本語って難しい。
この場合、言葉が足りないことが問題なのか? それとも嫌がらせと受け取る心の貧しさが悪いのか? あるいは読解力や着眼点の違いによるものか?
一概に答えの出るものではないだろう。
メヅルは破れたマスクからこぼれた金髪を指先で弄る。
「いつだったか学校の掲示板に貼ってあったんだけど……私、さっきみたいに声を出して笑っちゃったわ。ああ、だから村のみんなは私やベリルの嫌がることをいっぱいするんだなって……人間ってそういうものなんだなって」
その時に悟ったわ、とメヅルはほくそ笑む。
メヅルは金髪を弄るのを止め、ジンの頭を荒っぽく鷲掴みにする。
掴んでいるのは破れかけたジンのマスクだ。
「人の嫌がることをしましょう……人と人は決して分かり合えない。そして、人に嫌がらせをするのは……とっても楽しいってね!」
ジンのマスクを掴んだメヅルは引き剥がそうとする。
抵抗するのも諦めたのか、ジンはされるがままの無抵抗だ。それを知ったメヅルはひと思いに剥がさず、ゆっくり時間をかけていく。
「アハハッ! さあ、マスクの下はどうなの? 朝から晩まで被ってるらしいけど、ただのアメコミファン? それとも不細工を隠して…………ッ!?」
ついにマスクが剥ぎ取られる。
メヅルは次の句を発することができなかった。
ハルカも同様だ。一度だけ目の当たりにしたことはあるけれども、それでもジンの素顔は吸い寄せられるみたいに目を離せなくなってしまう。
見つめざるを得ない、それだけの求心力があった。
魔性も蠱惑も相手にならず――神秘かつ絶世さえも霞む。
超絶的かつ超然的な――筆舌に尽くしがたい美貌。
臨界点を突破した美しさは形容する言葉を持たない。
目映い光を放つ金色のウェイビーヘアーで表情が隠れていなければ、ジンの全貌を直視した瞬間、脳の神経という神経が常軌を逸した美を理解できず、精神崩壊を食い止めるためにすべてをシャットダウンしていたことだろう。
人知の及ばぬ――されど万人を魅了して止まない美しさ。
その美貌は美しすぎるがゆえに、常人の美意識の及ばぬ領域に達していた、美を数値化できるとしたら、彼の美しさはオーバーフロー状態にあった。
そのため、あらゆる本能が「理解不能」と拒絶する。
自我を見失うほど魅了されつつ、生物的に理解できないと拒むのだ。
それゆえジンの美貌は――気持ちが悪い。
美の黄金律を極め、美の極致をも飛び越えたところにあるような隔絶した美であるため、普通の美意識では受け止めきれず胸焼けを覚えるのだ。
『――ジンの顔を見ると正気を失うぞ』
幼馴染みの証言は、正鵠を射るものだったわけだ。
ジンは人々に気持ち良く笑ってもらいたい、根っからの芸人気質。
そんなジンにしてみれば、この異常ともいえる美貌はコンプレックスにしかならなかった。いつでもマスクを被り、素顔を隠すのも道理である。
名状しがたい美貌に凄絶な笑みが彫り込まれていく。
「見たな――俺の顔を」
ジンが呟いた直後、彼を握り締めていた女王蟲の手が消えた。
音もなく、手首辺りまで消失した。後には塵ひとつ残らず、腕の断面も綺麗なものだ。いや、その断面もゆっくり消えかけている。
まるで侵食されるかのように……。
「あれほど警告したのに……俺のマスクを剥いで……俺の顔を……」
見たな? とジンは静かに恫喝する。
素顔を見られたジンは、深く静かに憤怒を煮えたぎらせる。
そして例外なく――我を見失う。
優しさをかなぐり捨て、残虐非道の徒になってしまうのだ。
こうなるとハルカどころかミサキでも止められない。暴走したジンの強さは尋常ではなく、過大能力も生産系から破壊系へと反転する。
「俺の顔を見た奴は――生かしておかん」
メヅルに言い渡されたその一言は、さながら死刑宣告だった。
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