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第15章 想世のルーグ・ルー
第374話:LV999は通過点にして起点
しおりを挟む戦女神が治める国――イシュタルランド。
東の果てに広がる海を望む平地に広がる国土は、近くに海へ繋がる河川も流れているので農耕に牧畜、そして漁業にも恵まれた立地となっていた。
ミサキは3つの過大能力に覚醒している。
内在異性具現化者は複数の過大能力を持つが、3つも持っているのは後にも先にもミサキのみ。彼に秘められたポテンシャルの高さを物語っている。
そのひとつ――【無限の龍脈の魂源】。
簡単にいうと、龍脈の源になれる能力である。
地脈、霊脈、龍脈……呼び方は様々あれど、その本質には自然界を駆け巡る莫大な“気”の流れ。大地の奥底にて脈動する大いなる“気”の本流だ。
人間に置き換えれば太い血管、動脈などに値する。
ミサキはこの龍脈の根源となることで、龍脈を介して自然に働きかけてその地を豊かにすることもできれば、地力を枯らして滅ぼすこともできる。
森羅万象を操るのではなく――その根源となって司る。
神としての最上級の能力だ。
ツバサもこれの上位版の過大能力を持っている。
双方とも女神であるとともに地母神の側面を持つため、このような豊穣の力に目覚めたらしい。中身は“漢”なのでちょっと複雑なのだが……。
しかし、破格の能力であることは事実。
ヌンが“想世の神々”と褒める、世界を根幹から創るものだ。
ミサキはこの過大能力を広範囲に及ぼすことで、周辺の大地を豊かにして国民の第一次産業が潤うように働きかけていた。
穀物や作物は大いに実り、狩りに出向けば肥えた獣に出会い、家畜もたくさん卵を生んで乳をよく出し、海には脂の乗った魚が寄り集まる。
そうなるよう龍脈から働きかけているのだ。
おかげで田畑は広がって農村があちこちに拓かれ、海辺や川辺にマーメイド族を始めとした海棲種族の漁村も点在するようになった。
その国土はミサキの龍脈を操作するレベルが上がるにつれ、具体的に言えばミサキが強くなるに従って、拡大の一途を辿っていた。
これはイシュタルランドに限った話ではなく、すべての陣営に当て嵌まることである。ハトホル国も、ククルカンの森も、タイザン平原も、各代表の力が増すにつれて安全地帯ともいえる国土が広がりを見せている。
――世界を“想世”する力。
各代表の力が大地に浸透している証でもあった。
ミサキたちが暮らす拠点のある街は、もはや都市の風格を持っていた。
この都市がイシュタルランドの中央ともいえる。
都市は扇形に近いものだ。
半円形といえばいいのだろうか? 扇の留め具に当たる位置にミサキたちの拠点があり、そこから半円形の扇状に国民の市街地が広がっている。
石造りの重厚な家と木造建築が入り乱れているのは、石の堅さを好むドワーフ族と木の温もりを愛するエルフ族が住み分けているからだ。
ちなみにオーク族は「どっちでもいい」らしい。
拠点から都市の入り口までは、目抜き通りになっている。
都市の玄関口ともいえる場所は大きな広場として整備されており、ハトホルフリートが寄港する際にはこの場所に着陸していた。
やはり空飛ぶ艦は珍しいのだろう。
ハトホルフリートが都市の前に着陸すると、イシュタルランドの国民たちが物見高そうに見物のため集まってくる。
特にドワーフたちが熱心のようだ。
鍛冶や石工の仕事を「一休み」といって駆けつけ、飛行母艦を眺めては「どうやったら造れるんだべか?」と彼らなりに探究していた。
種族的に工作者気質なのがよくわかる。
特に――今日は野次馬なギャラリーが多いようだ。
それもそのはず。飛行母艦ハトホルフリートのみならず、スプリガン族の旗艦である方舟クロムレック、そしてルーグ陣営の移動拠点ともいうべき超巨大列車ラザフォード号までやってきたのである。
巨大な3隻の乗り物に、国民たちは興味津々なご様子。
ハトホルフリートはよく立ち寄るし、スプリガン族の高速艦ヒンメルも何度か訪れているが、方舟と超巨大列車は今日が初めてだ。
ドワーフ族に限らず、見物人が集まるのも仕方あるまい。
その中でもドワーフ族の興奮は凄まじい。
「おおぉ……あんな重たそうな舟でも空飛ぶんかいな!」
「岩から削り出したみてぇだべ……どうやったら浮かせられるんだか?」
「ハトホル様のお艦みたいに流線型にこだわる必要もないんだべか?」
「いいや、そんよりあの長い車も見事べさよ!」
「んだ。あれなら地を駆ける車だから、オラたちでもこさえられるんでは?」
「周りに停まってる“びーくる”ちゅうんも真似できそうだなや」
「んだな、荷運び用の荷車から改良できそうだべさ」
どうもドワーフ族は訛りが強いようだ。
細く固めた木炭をペンにして、薄板のメモ帳にそれぞれ船体や車体のスケッチをすると、気になる箇所やパーツを独自に考察していく。
未知の高性能を目の当たりにしても憶さず、むしろ向上心を駆り立てる。
こうして文化が発展していくのは良い傾向だ。
その一方、広場では別の一団が輪を作って観客となっていた。
スプリガン軍団――突撃部隊。
それぞれのビークル型“巨鎧甲殻”を綺麗に並べて駐車した彼らは、団長であるラザフォードを先頭に立つと遠巻きに人だかりとなっている。
そこには方舟に付いてきた少女の戦士たちも混ざっていた。
ラザフォードの隣に立つのはガンザブロン。
その隣にはブリカとディアの姉妹が並び、最愛の弟を見つめている。
「……こんなに注目されるとやりづらいな」
ダグは照れ臭そうに、ポリポリと緑色の髪を掻いた。
まだ高校生くらいのダグだが、出撃中は厳めしいデザインの真っ赤なジャケットと真っ青なパンツの「総司令官」らしいカラーリングの制服で身を固めている。
先代総司令官が愛用したデザインだという。
「何を気負う必要がある。しょっちうやっていることではないか」
腕を組んだブリカはダグに発破を掛ける。
副司令官にして姉として、アドバイスしているようだ。
「そうよダグくん。戦闘でもないんだから、急がず慌てずじっくりとね」
手を合わせたディアは穏やかに背中を押す。
司令官補佐ではなく、お姉ちゃんとして弟を見守っていた。
「そうなんだけどさ。見せるためにやるのは初めてだから……」
なんか緊張するよ、とダグは苦笑で言い訳する。
だが、姉たちの言うことが正論だ。緊迫する戦闘中であっても幾度となく繰り返してきたこと、公開するためなら焦らず急がず丁寧にやればいい。
ダグは深呼吸すると、姉たちから視線を横へずらす。
彼女たちと並んでダグを見守ってくれているガンザブロンやラザフォードと視線があった。ダグにしてみれば父親代わりに自分を育ててくれた叔父と、幼い頃には兄のように慕った男である。
二人は武骨に微笑み、微かに頷くだけだった。
漢ならではの不器用な優しさを感じられる。
ガンザブロンには何度も見せているが、ラザフォードと突撃部隊の仲間には今日が初披露となる。兄貴分たちにいいところを見せてやりたい。
二度目の深呼吸をして息を整えると、ダグは気合いを込めて叫んだ。
「――ダグザトレーラー!」
ダグの右脇、何もない虚空が大きな波紋を描くとともに稲光を発すると、神族と同じ亜空間の格納庫が開き、そこから大型トレーラーが現れた。
全長30mを越える戦闘用装甲が施された大型車両だ。
牽引車両とトレーラーが分離するタイプで、トレーラー部分は分厚い装甲と砲塔や機関銃などの武装を満載させた攻撃的なものである。
装甲トレーラーを切り離して、牽引車両が独りでに走り出す。
トラクターを追うように駆け出したダグは、すぐにこれを追い越すと空中に向けて跳び上がった。トラクターの前方に飛び込むようにだ。
「フォームチェンジ──ダグザ!」
ダグの掛け声に応じて、トラクターは変形を開始する。
走りながら前輪を浮かせて車体を持ち上げ、トレーラーと接続して牽引する基底部分を脚部、車両本体から両腕を伸ばして人型ロボットへ形を変える。
この時、ダグは鎧を着込むように取り込まれていく。
現れたのは雄々しい鎧武者を思わせる大型ロボ──ダグザ。
これこそダグの“巨鎧甲殻”だ。
スプリガン族の外骨格でもある“巨鎧甲殻”は、発育不全だと育たない。成長期に満足な栄養を取れなかったダグの“巨鎧甲殻”は不完全だったが、ダインやフミカの協力を得て、こうして正しく成長できたのだ。
豊穣神の名を冠する機体は、深緑の光沢を帯びている。
この時点でスプリガンの娘たちからは黄色い声援が飛び交っており、突撃部隊の面々は潤滑オイルの涙で眼を潤ませていた。
「キャーッ! 若大将のダグザ、やっぱカッコイイーッ!」
「大きいのにスマートで、重装甲なのにシャープなのがグッドよね♪」
「いいわぁ……あたし、ガンザブロン派より断然ダグ様派だわ!」
突撃部隊は男泣きに泣いている。
「あ、あの小さな若様がこれほどご立派な“巨鎧甲殻”を……ッ!」
「若大将の勇姿に、先代様の面影を感じて涙が……年取ったなおれぇ!」
「アタシたちの若様がこんな逞しく育って……感無量よぉ!」
だがしかし、ダグの“巨鎧甲殻”はまだ本領を発揮していない。
――本番はこれからだ。
ダグザは飛行バーニアを駆使して、宙へと舞い上がる。
これを追うようにトレーラーも車体の各部からジェットを噴射、ダグザに従うかのように浮上する。その途中、全体に幾何学的な光が走る。
光のラインに合わせてコンテナは分離。
複数のパーツに分解したコンテナは形を変えてダグザを取り巻く。
両腕、両脚 腰部、胸部──そして頭部。
ダグザの全身を増強する装甲パーツとして装着されていき、全長20mを越える大型ロボへとバージョンアップさせる。
『豊穣巨神王――ダグザディオン!』
この合体変形を目の当たりにした突撃部隊の面々は開いた口が塞がらないほど驚いており、よく知っているスプリガンの娘たちは「どうよ!?」と我が事のように誇らしげに胸を張っていた。
合体変形する“巨鎧甲殻”など前代未聞である。
ラザフォードも2両の列車が変形合体するが、あれはソージが(趣味も兼ねて魔)改造してくれたおかげであり、生まれ持った能力ではない。
ダグもダインの改良を受けているので似たようなものだが、これからご覧に入れる合体変形はダグ自身の力の顕現である。
――ダグもまた灰色の御子。
豊穣を司る主神の力を受け継いでいた。
『大自然を護る獣王たちよ──大巨神の元に集え!』
ダグの呼び掛けに応じて、獣王たちが大巨神の許へ駆けつける。
空の彼方で五つの星が瞬いたかと思えば、それがグングン近付いてくると、それぞれが巨大な獣の王を象った機体だということがわかる。
『超神化合体──開始!』
初めて目にする突撃部隊は度肝を抜かれていた。
特にラザフォードの驚きと喜びは一入だった。積年の罪悪感が晴れたとはいえ、まだ抜けきらない陰鬱を吹き飛ばすほど狂喜の表情になっている。
「あの五機は……ダグ様の“巨鎧甲殻”!?」
改造で追加されたものではない。あの五体の獣王はダグ生来の“巨鎧甲殻”だと同族ゆえにシンパシーで理解できたようだ。
しかも、あれらもダグザディオンに合体すると――。
『──荘厳なる巨猪! 偉大なる雄牛!』
猪と雄牛をモデルにした2体の“巨鎧甲殻”は、重戦車の如きフォルムが似通っており、変形するとダグザディオンの新たな脚部となって合体。
『──対なる猟犬!』
次に現れたのは猟犬型『巨鎧甲殻』が2体。これは寸分違わぬ同型機で、変形するとダグザディオンの両腕となる。開かれた顎から両手が出る仕組みだ。
そして、五体目の獣王が舞い降りる。
『──角冠を掲げし王鹿!』
大樹の如き豪壮な角を掲げる巨大な牡鹿は大巨神の背に回ると変形、本体は胴や肩を守る装甲となり、その角は背中に羽ばたく翼となった。
角は翼を支える骨格となり、そこに高密度の気密体で構成された羽が形作られていく。そして鹿の頭部は兜となって装着される。
勇壮なる鍬形を煌めかせ、大巨神は完全変形を遂げた。
『大地を統べし巨神王の神威を宿す我が身に、工作の男神と文化の女神より新たな祝福を授かりし今……すべてを超える豊穣の大神とならん!』
深緑の“気”を噴き、大いなる巨神は真の名を唱える。
『超豊穣巨神王ゴッド・ダグザディオン──ここに現臨ッ!!』
変形を完了したゴッド・ダグザディオンは皆の前に降り立つ。
……つもりだったが、その直前に通信が入った。
『あー、もしもーし。ダグ君ダグ君、聞こえるッスかー?』
通信してきたのはフミカだった。
ツバサたちが四神同盟で会議を執り行う間、スプリガン族は旧交を温めつつ警戒を忘れていない。そしてダインやフミカたちもまた万が一に備えて、ハトホルフリートの艦橋で待機していた。
『はいフミカ様、聞こえております。何かありましたか?』
違う違う、とフミカは緊急性がないことを伝える。
『せっかく立派に成長した姿をお披露目するなら、完全版も見せてあげなきゃ勿体ないッスよ。封印解錠しとくんで取り出してOKッス』
間違っても振り下ろしちゃダメッスよー? とフミカに冷やかされた。
『……お心遣い感謝致します、フミカ様』
ダグは大巨神のままお辞儀をすると、フミカの気遣いに報いるべくゴッド・ダグザディオンを完全体へと仕上げていくことにした。
『フミカ様の承認受領! 封印制御術式“モイツラ”──解錠!』
ダグザディオンの額に魔法陣が現れ、電子音を鳴り響かせてから消える。
この瞬間、封印されていたものが解き放たれる。
ダグザディオンの内側から莫大なエネルギーが湧き上がり、今までとは比較にならない勢いで深緑の“気”が噴き上がっていく。
解放された力を制御するためにダグザディオンは吼える。
『“無限を湛える父祖の大釜”──全開ッッッ!!』
軛が外れ、ダグの内に秘められた力が顕れる。
大地を司る主神から受け継いだ、無限のエネルギーを湧かせる神秘の大釜。あの聖杯の元型ともいわれる神代の遺物だ。
それはダグザディオンの動力炉でもある。
増大する力はゴッド・ダグザディオンをエメラルドグリーンに輝かせ、翠玉の宝石にも似たコーティングで覆っていく。
これは超高密度に凝結された気密体。
気密体とは本来、自然界の“気”を凝縮されたスプリガン族固有の食物なのだが、ゴッド・ダグザディオンの全身を覆うそれは、極限を越えて圧縮されたものだ。
真なる世界最硬のアダマント鋼に匹敵する硬度――。
優れた靱性と形状記憶性能を持つオリハルコン鋼――。
流体金属にもなり触媒次第で様々な属性を帯びるミスリル鋼――。
凝結した気密体は――これらの特性を併せ持つ。
万物を構成する要素である“気”を、擬似的にそれらの鉱物資源に近付けるまで加工しているのかも知れない。合体解除もすべて消えず、欠片となって残るほどだ。
ただし、あくまでも一時的な強化である。
短時間しか保たないが、強靱な装甲として成り立つのだ。
ゴッド・ダグザディオンの追加装甲として機能し、全身に新たな鎧を覆い被せていくかのようだ。兜には獅子の鬣を彷彿とさせる紅蓮の飾り毛が生え、背中の翼も神仏が背負う後光や光背のように眩しい。
そして──ゴッド・ダグザディオンはLV999に達する。
通常時でもLV950のゴッド・ダグザディオンだが、封印を解錠されると一時的にだが高位神族に匹敵する強さとなる。
この状態でこそ、ダグザディオンは主武装を扱えるのだ。
亜空間にある大巨神の格納庫。
そこに手を差し入れたダグザディオンは、父祖の戦槌を取り出した。
『ダグザディオン……メイス!』
長い柄の先には先端と見間違えそうな大きさの石突。その反対には大陸をも叩き割りかねない巨大でメカニカルな鉄塊があった。
メイスとも言えるが、馬鹿デカいハンマーにも見えなくはない。
これは父祖より受け継ぎし最強の神器。
この戦鎚に叩き潰されたものは滅びを免れない。外見的な威容も然る事ながら、その性能もまた高位神族を凌ぐかも知れない一品である。
完全変形と完全武装。
この両方を終えたゴッド・ダグザディオンは静かに着地する。
周囲に被害が出ぬようゆっくりと降り立ったつもりだが、それでも御しきれない絶大なパワーが地震を引き起こしてしまった。
イシュタルランドの見物人がざわめくほどである。
だが、スプリガン族は身動ぎすることなく大巨神を仰いでいた。
既に何度か見たことのあるスプリガンの娘たちは、憧れの男性アイドルを見つめるような恋多き熱視線を向けている。そして、500年前を知る突撃部隊の生き残りたちは、止め処なく感涙を流しながらむせび泣いていた。
ゴッド・ダグザディオンはダグの“巨鎧甲殻”。
血は争えないのか、先代総司令官の面影を強く感じてしまうようだ。そして、先代を上回るパワーの躍動に感動を禁じ得ないらしい。
「参ったな、こりゃ……」
ラザフォードは嬉し涙を拭わず、降参するように呟いた。
「ダグ様に戦わせずとも、突撃部隊ですべての敵を薙ぎ払えるようにならなきゃと思っていたのに……これじゃあ自分たちの出番がないじゃないですか」
嬉しくもあるが寂しくもある。
そんな表情でラザフォードが独りごちていると、「こん馬鹿者」と隣に立っていたガンザブロンに拳骨で殴られた。これは小突かれた程度だ。
「若様にあん力を使わせなかとが、おいやおめん仕事じゃろうが」
「……ハハ、そうですよね。ごもっともです」
ラザフォードは喜びが尽きないのか、涙を流すまま微笑んだ。
こんた真面目な話、とガンザブロンはラザフォードに相談を持ちかける。
「ガンザブロンや娘ん何人かも、ダイン様ん協力を得て“巨鎧甲殻”を増強してもろうちょっと。突撃部隊がソージ様ん改修を受けちょっごつな」
「神族の皆様の力をお借りすれば、更なるパワーアップが期待できますね」
勿論――認可を頂いてからの話だ。
「リンちゃん……いえ、女の子でも大型“巨鎧甲殻”をまとえるんですか?」
ラザフォードはガンザブロンの長女、かつて自分を慕ってくれた可愛い妹分を思い出す。彼女との再会は怒られそうでちょっと怖いのだが……。
「ああ、立派なもんたい。今ではリンを含めて五人、ハトホル国ん防衛を担うちょっ。他ん娘たちからはスプリガン四天王と褒めそやされちょっぞ」
「……四天王なのに五人?」
計算が合わない……ラザフォードは悩んでしまう。
「そういえばガンさんも“巨鎧甲殻”を強化していただいたんですよね」
「強化ちゅうか追加武装んごたっもんじゃな。特別に授かったんじゃが、デカすぎて気軽に見せっことはできん。おいんお披露目はまた今度よ」
ちょっと残念そうにガンザブロンは微笑んだ。
ラザフォードも釣られて頬を緩めると、やっと止まってきたオイルの涙を拭ってからダグの晴れ姿、ダグザディオンを感慨深く見上げる。
晴れ晴れとした気持ちで、その勇姿を瞼に焼き付けようとしていた。
『みんな逃げて!』
不意に――頭の中から少女の声が響いてきた。
最初ラザフォードは「幻聴か?」と考えたが、通信に似た感覚なので神族の誰かから発せられた精神伝波に近いもののようだ。
しかも、受け取っているのはラザフォードだけではない。
ガンザブロンにブリカやディア、スプリガン族のみならずイシュタルランドの見物客や、待機中のフミカたちにも伝わっているらしい。
少女の声はもう一度木霊する。今度はダグを名指ししていた。
『――ダグくん、打ち返してーッ!』
言葉の意味を推察する時間はない。
次の瞬間、超弩級のエネルギー波が接近していたからだ。
~~~~~~~~~~~~
その艦は前兆もなく出現した。
イシュタルランドより北北西――約10㎞離れた地点。
ミサキ、レオナルド、ジン、カミュラ、アキ。
イシュタル陣営の神族が各々に張り巡らせた防御結界や警戒網を掻い潜るため、隠密系技能をフル活用して、ここまで忍び寄っていたのだ。
現れたのは――宮殿の如き艦艇。
全長は50m前後と、飛行艦としては大きくない。
白亜の帆船といった風情を醸し出すべく、美しいフォルムを保つことを前提に建造された艦である。帆船をモデルにしているが帆柱はなく、代わりに艦の左右から大きなウィングが張り出していた。
舵の部分には複数の推進機関があり、浮遊力も確保されている。
艦の後方には、宮殿を模した艦橋が立っていた。
内装もまた宮殿そのものだが、従来の戦艦における艦橋とは異なる。フィクションに登場する宇宙戦艦の艦橋をモデルにしているようだ。
艦長席は女帝のために用意されたかの如き玉座仕様。
操舵、艦内管理、火器管制、機関出力、レーダー担当……それぞれのコンソールには九人の騎士が着席し、航行作業に従事している。
艦長席という玉座に坐するは――ネリエル・デミウルゴス。
ロンドの挑発に辱められた後、蕃神の使者ナイ・アールに唆されて、本当に四神同盟へと戦いを挑みに来てしまった完璧令嬢の一団である。
この宮殿艦は彼女たちの乗艦。
工作に秀でた騎士が建造した艦で“グノーシス”と命名されていた。
その船首が左右に開くことで迫り出す砲身。
これこそグノーシスの主砲――完全劫滅砲である。
「直撃すれば大陸であろうと、深さ1㎞に達する大穴に変える破壊力……不意打ちであれば防ぎようもありませんわよね?」
艦橋のモニターに映る惨劇に、ネリエルはご満悦だった。
かつてイシュタルランドと呼ばれた国は、傲然と噴き上がる赤黒い噴煙に飲み込まれており、それは破滅を象徴する禍々しい大樹のように聳えていた。
この大爆発を受けて無事なものなどありはしない。
劫滅の名に従い、不完全なものは悉く滅したと確信していた。
突如、噴煙が打ち払われるまでは――。
「……なんですって?」
忌々しげに唇をねじ曲げるネリエルを始め、艦橋にいた騎士たちも顔を上げてモニターに注目すると、完全劫滅砲を受け止める者があった。
大陸を滅するほどの膨大なエネルギー波。
それが一点に収縮され、何者かによって防ぎ止められている。
『ダグザディオンを……舐めるなああああああああーーーッ!』
正体はゴッド・ダグザディオンだった。
大巨神の振るう巨大な戦鎚が、アイオーンカノンから打ち出されたすべてを破滅へと導くエネルギー弾を受け止めている。
『しかし、なんて幸運……ッ!』
ダグはフミカの心遣いに感服するより他なかった。
仲間たちに披露するためダグザディオンメイスを取り出していたおかげで、こうして即対応することができた。フミカも未来を読んだわけではなく偶然の結果なのだろうが、彼女の気配りが突然の窮地を退ける一手となった。
『これを活かさねば……守護者の名折れッ!』
大巨神は深緑の“気”を噴き、限界を越えて出力を引き上げていく。
ダグザディオンメイスも万物を滅ぼす究極兵器。
破壊と破滅の力を相殺させることで、完全劫滅砲を受け止めているが、その破壊力を防ぎきることは難しい。
――波及効果や輻射熱が凄まじいのだ。
相殺により発生する灼熱の暴風までは抑えきれない。
それはイシュタルランド全土を震撼させ、地震と台風が噴火が一度にやってきたような震災で脅かした。それでも直撃と比べたら微々たる被害である。
だが、ダグはその微々たる被害も見逃せなかった。
ゴッド・ダグザディオンが本気を出せば被害が悪化しかねない。
その時――通信が入った。
『ダグ君! イシュタルランドの心配なら問題ナッシングッス!』
『ワシらが守るきに思う存分ぶちかましたれやぁッ!』
飛行母艦ハトホルフリートからの通信だ。
横目を見遣れば、既に浮上しているハトホルフリートは船首をこちらへ向けると、広大な防御フィールドを展開してイシュタルランドを守っていた。
艦橋で待機していたダインとフミカの配慮だ。
『感謝します、ダイン様、フミカ様……ッ!』
これでゴッド・ダグザディオンは遠慮なく全力を発揮できる。
『お返し……だあああああああーーーッ!!』
ゴッド・ダグザディオンはエネルギー弾を受け止めた戦鎚をフルスイングすると、ネリエルたちの乗艦グノーシスに打ち返した。
だが打ち返すので精一杯――狙いの精度は今ひとつである。
グノーシスに当てるつもりが、わずかに逸れて何もない方角へ飛んでいく。そこにあった枯れかけた山々が消し飛んでしまった。
『あれがイシュタルランドに当たっていたら……』
回避できた最悪の未来を思い描いたダグは、その恐ろしさにゴッド・ダグザディオンの装甲を戦慄かせてしまった。
ダグザディオンの脇を固めるべく副司令官のブリカが飛び上がった。既に砲撃主体の“巨鎧甲殻”は装着済みだ。彼女は仲間に号令を掛ける。
「あれほどの砲撃だ! 再装填に時間を要するのは明白! それまでに方舟を出航させろ! 全出力を防壁シールドに回して盾とするのだ! ガンさんとラザ兄は“巨鎧甲殻”をすぐにでも装着! その巨体を活かして防壁となってくれ!」
絶対にイシュタルランドを死守しろ! とブリカは厳命する。
スプリガンの任務はハトホル国の防衛だけではない。
四神同盟にまつわる全てを守護することを責務としているのだ。
ブリカに続いて、司令官補佐のディアも浮上する。姉とは対照的なミサイル発射主体の“巨鎧甲殻”で武装し、その采配を振るっていく。
「この隙に防衛準備を行います。まずはイシュタル国の皆さんを避難を最優先、イシュタルランドの都市はハトホルフリートの防御フィールドに頼らせていただくとして……防御力の高い者は少しでも防衛に協力し、遠距離射撃に長けた者は敵勢力の力を削ぐための迎撃をお願いします」
ダグ! とブリカは最愛の弟に呼び掛ける。
「先程の砲撃、もう一度受け止められるか?」
『ああ……何度だって叩き返してやる。任せてくれ!』
よく言った! とブリカはダグザディオンの装甲を引っ叩く。
「さすが私の弟だ! 防衛と迎撃の準備は我らに任せてもらおう。もしも間に合わなかった時はダグザディオンが頼りとなる……我らの命、預けたぞ!」
応! と意気込んでダグザディオンは戦鎚を構え直す。
一方、グノーシスの艦橋でも騎士たちが忙しなくしていた。
「お嬢様、バッドデッドエンズのデータベースに情報がありました」
「彼らはスプリガンと呼ばれる機械生命体であり、その長である総司令官と呼ばれる者は灰色の御子のためか、LV999に等しい力を持つそうです」
「その力が完全劫滅砲を弾き返したものと推測されます」
「現在、スプリガンはこちらの再攻撃に対して迎撃準備を進めております」
「完全劫滅砲の再装填時間を予想して対策を取る作戦のようです」
――如何なさいますか、お嬢様?
九人の騎士からの報告を受けたネリエルは鼻で笑った。
無駄ですわね、とほくそ笑むネリエルは口元を覆っていた羽扇を折り畳む。それをドレスから垣間見える胸の谷間に差し込んだ。
「はぁ……無駄な努力ほど見苦しいものはありませんわね」
アンニュイな吐息をついた令嬢は、嫋やかな右手を空へ差し伸べる。
緻密なレースで編み込まれたドレスグローブをまとう右手。その先から黄金色に輝く細い糸が現れた。黄金色の糸は瞬く間に何百本と増えていった。
黄金の糸は駆け巡るように艦内へと広がっていく。
過大能力――【完全世界を育む全能なる繭糸】。
ネリエルが操る金色に輝く繭糸。
これに包まれたものは、完全な者として生まれ変わる。
破損したものは完璧に修復され、疲弊したものは万全に回復し、不完全なものは望むべき完全な姿と能力を得られる……万物を完全へと押し上げる能力。
この能力を駆使すれば、完全な世界の創造も夢ではない。
あのロンドも「滅んだ後の何もない虚無空間で、本当に世界を創れるかも知れねぇな」と一目置く過大能力である。
ネリエルの繭糸が乗艦グノーシスを包み込む。
それは完全劫滅砲の熱暴走しかけた砲身を瞬く間に冷まし、再装填すべきエネルギー充填率も瞬時にフルチャージまで蓄えられる。
不完全なものを――完全と為る。
1秒も経たずに、完全劫滅砲の発射準備を完了させてしまった。
以前ネリエルはこの過大能力を無闇に使えなかった。
理由は簡単――あまりにも消耗が激しいからだ。
新世界を創造するとなれば精根尽き果てようとも全力を尽くすが、平時の戦闘では連発して不利になる状況も否めない。
そこでネリエルは極力前線には立たず、九人の騎士に任せていた。
「でも……それも昨日までの話ですわ」
ネリエルは金色の繭糸を操る右手とは反対側、左手に乗せた歪な小箱をほんの少しだけ開けた。ほんのちょっと、隙間程度で十分すぎるほどだ。
そこから――莫大な“気”が溢れてくる。
目映くも神秘的な黄金の“気”はネリエルに相応しく、浴びるだけで無限の活力を分け与えてくれた。これさえあれば怖いものなしである。
どれだけ過大能力を連発しようと、ネリエルはもう疲れない。
すべてを滅する完全劫滅砲も連射で撃ち放題だ。
「間髪入れずの第二射、第三射、第四射……さあ、ガラクタの戦士たち」
――何発耐えられるかしら?
ネリエルは嗜虐的な笑みで二度目の砲撃を指示する。
~~~~~~~~~~~~
白亜の艦が掲げる主砲に、新たな光が灯ったことにダグは戦慄した。
『再装填が……もう終わってる!?』
ダグに限った話ではなく、誰もが意表を突かれていた。
あれだけの砲撃、恐らく主砲に違いない。
主砲ともなれば連発が効かず、再装填を終えてからの第二射までに相当の時間を要する。砲撃により莫大な熱を帯びた砲身の冷却期間、弾頭式ならば砲身が冷めた後の次弾装填、放射式ならば発射に必要なエネルギーの充填……。
場合によっては砲身の清掃や装備などの手間暇も掛かるだろう。
連発するにしても間があって然るべき代物だ。
再装填が済むまでは、副砲や機銃で攻撃してくるのがセオリーである。
そのための防衛策を準備していたのに……。
『即効で再発射ってアリかよ!?』
来る! とダグザディオンが戦鎚で打ち返す体勢を構えるよりも早く、グノーシスから完全劫滅砲の第二撃が発射されていた。
間に合うか!? とダグは焦燥感を募らせながら戦鎚を振るう。
そこへ――壁が立ち塞がった。
絶壁のような高さと、堤防のような横幅を持つ壁だ。
大型のビルを隠せる厚みも半端ではない。
スプリガン族は元より、避難中のイシュタルランドの住民はおろか、方舟、飛行母艦、超巨大列車も守備範囲に収める大きな壁だ。
壁の表面は磨かれた鏡のように光を乱反射させている。
その壁は破滅的エネルギーを受け止め、あろうことか吸収していた。
『ふぅ……とんだ初お目見えたい』
すべてを守護した大いなる壁は、ガンザブロンの声を発した。
全長30mのゴッド・ダグザディオンをも越える……どころではない、身の丈は優に300mに届くほどの超大巨神だ。
移動要塞型“巨鎧甲殻”──ダイアケロン。
ガンザブロンの追加武装であり、有事の際には避難民をシェルターに乗せて撤退戦をすることを想定して設計された機体である。
ダイアケロン形態だと、島と見紛う巨大な海亀に似たフォルムだ。
その甲羅は山脈よろしく盛り上がり、分厚い甲殻に覆われている。また、追跡者を追い払うための武装がこれでもかと搭載されていた。
これが人型に変形すると、超大巨神ともいうべき巨大ロボとなる。
移動要塞ダイアケロン改め――守護大甲神ダイレイキオウ。
その変形シークエンスは独特だった。
まず海亀と甲羅が分離する。
甲羅内には避難民のシェルターが内蔵されているので、これを亜空間の格納庫へ収納して被害を及ばないようにする。その後、海亀型のロボが直立するように変形、重装甲の戦士を思わせる巨大ロボとなるのだ。
全体のデザインはガンザブロン自身の“巨鎧甲殻”を踏襲しつつ、海亀の四肢に当たる二対の鰭は堅牢な鎧、腕や足を守る強固な具足となる。
そして――シェルター保護に使われていた甲羅。
これが大胆にアレンジされていた。
大小様々な形の甲羅は一枚一枚が自由自在に宙を飛び回り、ダイレイキオウの周囲を縦横無尽に飛び交うことになる。
甲羅はダイレイキオウの操縦者の意のままに動く。
フレキシブルに変幻自在なのだ。
マントのように身にまとうこともできれば、前面に配して壁にすることで攻撃を防ぐ防壁にすることも可能。鏡面加工された甲羅は、あらゆる攻撃エネルギーを吸収しつつ蓄積、増幅することで様々に利用することができる。
ダグザディオンが完全劫滅砲を受け止めた直後――。
防御力という面では応用の利くダイレイキオウを呼び出して、ダグザディオンには反撃に出てもらおうとガンザブロンが策を巡らせていたのだ。
一撃目をダグが防いでくれたおかげで、準備する余裕もあった。
ダイレイキオウは甲羅を組み替えていく。
六角形の甲羅が、渡り鳥の群れのように整然と飛ぶ。
受け止めたエネルギーを蓄えた甲羅は筒状のものを組み立てていき、やがてそれはダイレイキオウが構える大砲となった。
『やられた分、お返しすっど……受け取れぇい!』
ネリエルの放った完全劫滅砲を何倍にも膨れ上がらせ、波動砲のようなエネルギーの激流にして打ち返す。
「チィィィッ! 下等な現地種族が……小賢しいですわ!」
ネリエルはすぐさま過大能力でグノーシスを万全にすると、三度目の砲撃でこれを迎え撃つ。出力は手加減なしの最大出力だ。
2発目までは様子見、出力をやや抑えていたのである。
――激突する2つのエネルギー波。
それは世界どころか次元に裂け目を作りかねない暴乱の嵐となって荒れ狂い、グノーシスを蹌踉めかせる。ゴッド・ダグザディオンも戦鎚を杖代わりにして自身を支え、ダイレイキオウは甲羅の防壁でイシュタルランドを守る。
ガンザブロンに続いて“巨鎧甲殻”をまとっていたラザフォードも、その剛鉄全装と名乗る巨体でまだ避難中の国民を守るべく全身を盾に使っていた。
嵐で船体が安定しないグノーシス。
ネリエルは黄金の繭糸で艦を包み込むと、嵐の中でも「完全になるよう」仕立てることで安定させ、ついでに完全劫滅砲も再装填する。
「第四撃用意! 続けて第五撃……ッ!?」
令嬢の命令を遮る衝撃がグノーシスを襲った。
艦橋の照明が激しく明滅し、コンソールのいくつかが爆ぜて煙を上げる。外部からの攻撃を受けたのは間違いないが、相手がわからない。
スプリガンでないことは確かだ。
「……ッ! 状況報告なさい! 何が起きましたの!?」
ネリエルの金切り声に、騎士たちは脅えを交えた声で返答する。
「船体右舷に被弾! 制御翼大破!」
「極大プラズマ球、複数接近の報あり! 何者かの攻撃です!」
「船体への接触時間は……接近の報から0,0000001秒後ですと!?」
「そんなもん回避しようがないであります!?」
「接近を検知したと同時に舵を切っても間に合いません!」
「防御フィールドは機能してないんですのッ!?」
もっともなネリエルの疑問に、担当の騎士が悲鳴を上げる。
「お嬢様、極大プラズマ球はひとつではありません! 複数接近とレーダーが検知しております! その複数で防御フィールドを破られ……」
「本艦へ直撃したのですね? わかりました……」
軽い呼吸を繰り返して気を静めたネリエルは、取り乱した分を挽回するよう冷静に振る舞い、過大能力の繭糸で自らの乗艦を覆っていく。
見る間に完全な状態へと復元していくグノーシス。
艦を修復しつつ、ネリエルは艦橋モニターから目を離さない。
「現れたようですわね……本命が」
ネリエルは極大プラズマ球を放ったであろう人物を見据えた。
守護甲神ダイレイキオウは砲撃を終えた甲羅を組み替えると、マントのような形状に変えて羽織る。如何なる状況にも即応する体勢は崩さない。
「ガンさん――ちょっと失礼するよ」
『おおっ! こんたこんた……遠慮せずどんぞ』
ガンザブロンに詫びたその人物は、ダイレイキオウの頭上へと降り立った。掌では極大化させる前のプラズマ球を弄んでいる。
長い黒髪を振り乱した――豊麗な美しさを誇る女神だ。
真紅のジャケットと黒のパンツ。どんなに厚着をして服装で誤魔化そうとも、隠しきれない爆乳と巨尻。それが特徴となる地母神らしい体型。
美々しさの中に男勝りでは片付けられない、雄々しい逞しさがあった。
この時、ネリエルには自覚がなかった。
彼を目の前にした途端、一筋の冷や汗が頬を伝っていることに……。
「ついに出てきましたわね……ツバサ・ハトホル」
ロンドのデータベースにあった通りの外見だ。
現れたのはツバサだけではない。ダイレイキオウの肩やマントの上に、いつの間にか五つの影が気配もさせずに佇んでいた。
少年の凜々しさと少女の可憐さを併せ持つ戦女神――。
魔獣の野性と賢者の理性を共存させる獣王神――。
漆黒の軍服に身を包む悪辣な顔をした軍神――。
青海波をあしらった浴衣に身を包む横綱――。
金糸銀糸のド派手は褞袍を羽織った組長代理――。
6人のLV999が、モニター越しにネリエルを睨みつけている。
~~~~~~~~~~~~
「やっぱりはねっ返りがいやがったか……」
ツバサはこれ見よがしに長いため息をついた。
予測可能回避不可能とはいえ、もうちょっと暴走するバカの制御をしてくれるものかと期待したが、ロンドに期待したツバサが馬鹿だったらしい。
「善処はしたかも知れないな。希望的観測だが」
ダイレイキオウの甲羅のひとつに脚を揃えて立っているレオナルドは、厳めしいコートも相俟って、姿勢のいい軍人のような立ち姿だ。
しかし、その顔は諦観を極めている。
「あの人のいい加減さは今に始まったことじゃない。『善処する』という返事をしてくれたとしても、ほとんど糠に釘みたいなものだ」
「じゃあ善処するっていうなよ、無責任な……」
ツバサは頭痛を覚えそうな頭を押さえた。
神族なので頭痛なんて身体的不調を覚えるわけはないのだが、人間の頃の感覚が抜けきらないのだろう。懐かしい記憶とも言える。
「俺もそういうところはあるが……ロンドも『右へ行こうが左へ行こうが結末は同じだ』というタイプだからな。どっちでもいい、と思ったんだろ」
多分、とレオナルドは曖昧に締めた。
レオナルドの場合、結末が同じなら自分の選んだ過程を楽しむタイプだ。ロンドの場合、結末が同じなら過程なんぞどうでもいいタイプと見た。
「遅かれ早かれ大戦争を始めるから……ってか?」
極悪親父は行動が読めないから疲れる、とツバサは嘆息した。
ツバサから見て右手、ダイレイキオウの肩を足場代わりに降り立ったのはミサキとアハウの二人だ。ミサキは額に手を当てて白亜の艦を見つめている。
「先に宣戦布告の約束を破ったのはあちらですよね?」
応戦しますか? とミサキは誰というわけでもなく質問する。
つい「対○忍」とか呼びたくなるエロティシズム全開のボディースーツに身を包んだミサキは、18歳という年齢の割に素晴らしく発育した女神のボディラインを惜しげもなく晒していた。
まあ、元少年なのでどう思っているかは定かではないが……。
「今なら戦っても特にペナルティは発生しませんよね」
「破ったのはあくまでも先方だからな」
ミサキの問いに答えたのは隣にいたアハウだった。
既に戦闘モードのため衣服を脱ぎ捨て、全長3mは越えようかという獣王にあるべき巨体へと転じていた。ドラゴンを思わせる翼や太く長い尾、頭には攻撃的な角が生えているため悪魔のような様相だった。
「迎え撃つ分には問題ないだろう」
「うむ、前置きどころか名乗りの口上もせず奇襲を掛けてくるような連中じゃ。話し合う余地などあるまいよ」
同意したのはドンカイである。
ツバサの補佐を自認しているため、№2らしく後ろに控えてくれているが、身長2m50㎝もあるためボディーガードみたいだ。
大銀杏を結った横綱の護衛なんて希少すぎるけど。
「しかし、あちらも艦持ちか……ワシらに顔バレしている奴かのぅ」
「いいや――顔合わせは初みてぇだぞ、オヤカタ」
バンダユウの発言には説得力があった。
豪華絢爛な褞袍を羽織った初老の紳士が、忽然と現れる。
さっきまでツバサの後ろで相談役を気取るように、ドンカイと並んで立っていたのだが、不意に姿を消していたのだ。
どうやら偵察をしてきてくれたらしい。
四神同盟で最悪にして絶死をもたらす終焉と最初に接触して交戦したのは、穂村組を代表するバンダユウに他ならない。
ツバサたちも何人かと遭遇し、できるなら倒していた。
そうでなくとも面識のあるバッドデッドエンズは似顔絵を作成してリストアップしており、同盟内で顔を覚えておくように言い付けてある。
本物のLV999が在籍した部隊と戦い、辛酸を舐めさせられたバンダユウは奴らの顔を忘れていない。再戦を望む闘鬼の顔で舌舐めずりした。
「ちょいと覗き見してみたんだけどな。どっかの姫様みたいなのを頭にした騎士団めいた連中だ。ありゃあお目に掛かったことがねえ」
「姫様と騎士団……騎士サーの姫ですか?」
その呼び方しっくり来るぜ、とバンダユウは煙管をくわえた。
「なんかあいつらにしちゃ異色って感じだな」
騎士団をまとめるのは――ネリエル・デミウルゴスという御令嬢。
バンダユウはこの短時間でそこまで調べてきてくれた。
――バッドデッドエンズに騎士団?
どうにも違和感を覚える。
常識から外れた美を追究する芸術家集団や、ただひたすらデカいだけの集団(これはジェイクに聞いた)など、一風変わった部隊構成をしているバッドデッドエンズだが、彼女たちのグループからどことなく異質なものを感じた。
バッドデッドエンズに馴染んでいない。
バンダユウの報告から、そんなニュアンスを感じ取れる。
「まさか……バッドデッドエンズじゃないのか?」
だが攻撃を受けた瞬間、ロンドと交わした宣戦布告の約束が破られた感触があった。つまり彼女たちもバッドデッドエンズという証拠だ。
「バッドデッドエンズも一丸というわけではないんじゃないか」
思案するツバサに助言をくれたのはレオナルドだった。
その詳細についても語ってくれる。
「ロンドの約束を無視して戦いたがるはねっ返りは想定内だが、もっと忠誠心の低い、彼を裏切ってでも戦端を開こうとする輩がいてもおかしくはない」
「……確信犯ってわけか」
あの極悪親父が集めた人材だ――然もありなん。
「なんにせよ、売られた喧嘩だ」
買ってやるか、とツバサは爆乳を支えるように胸の下で腕を組む。相手の出方を待たずく、最初から打って出るつもりだった。
スプリガン族が初撃を凌いでくれなければ今頃、大惨事である。
イシュタルランドの結界をやり過ごし、ここまで接近してきて不意打ちを仕掛けてくるような連中に話し合いを持ち掛ける余地などあるまい。
第一、バッドデッドエンズなら討伐対象だ。
激しい戦争になるのも確定である。
ミロ、クロウ、ヒデヨシ、ヌンといったメンバーには、戦いの余波がイシュタルランドに及ばないよう防衛を任せてある。当初はミサキとミロの役割が逆だったのだが、ミロが珍しく「アタシが守備に回ったげる」と言い出した。
『ミサキちゃんが前に出て戦った方がいいよ』
ミロはアホの子だが、直感的な勘の良さがツバサも舌を巻くほどだ。
もしも――国が未曾有の危難に見舞われたとしよう。
その時、何もすることなく姿さえ見せない王を民はどう思うか?
少なくとも好印象を抱くことはないはずだ。
そういうことを一切説明せず「ミサキちゃんに任せた!」としか言わないミロだが、ミサキも恐ろしく勘がいいので察してくれたらしい。
つうと言えばかあ、みたいなやり取りである。
「……! あちらも出てきましたよ」
そんなミサキが様子を窺っていると、白亜の艦に動きがあった。
――甲板に人影が現れる。
人工知能に任せた自動航行に切り替えたらしい。ネリエルというお嬢様とともに彼女を警護するかのように九人の騎士が姿を見せたのだ。
ドリルみたいな金髪縦ロール盛り沢山の、ゴージャスなドレスで着飾ったお嬢様が最奥に立っている。彼女がネリエルだろう。
ネリエルを取り巻く九人の騎士団。
鎧のデザインはすべて共通するものだが、それぞれ得意とする武器が異なり、鎧の細かいデザインを拘ることで個性を表しているらしい。
腰に長剣を携えた騎士がリーダー格のようだ。
大剣、大槌、細剣、銃剣、大鎌、二刀流、大槍、戦斧……で合計九名。
ネリエルを初めとして、全員LV999に達している。
「ほお……全員ロンドの加護を受けてないぞ」
分析系走査を走らせたレオナルドは、ネリエルと騎士団がロンドから力を分け与えられたのではなく、自力でのし上がった実力者だと看破した。
「同盟の結界を抜けてくる奴らだからな」
他人から力を貰った半端者にはできない芸当である。
こちらは6人、あちらは10人。
同等のLV999でこの人数差は不利に働くが、不思議とツバサたちが気後れすることもなく、援軍を呼ぶつもりにもならなかった。
なので――このまま行く。
足場にしていたダイレイキオウからツバサが飛び出すと、ミサキたちもその後に続いてくる。目指す先はネリエルたちの待つ白亜の艦の甲板だ。
「戦力差を知りながら向かってくるなんて……」
愚かですわね、とネリエルは不敵に微笑む。
令嬢は胸元から羽扇を取り出すと、軍配のように振るった。
「おまえたち、愚者どもに思い知らせてやりなさい!」
――Yes、お嬢様。
ツバサたち六人が甲板へ飛び込むと同時に、九人の騎士はそれぞれの得物を構えると、目に付いた相手から撃退するべく迎え撃ってきた。
ドンカイに牙を剥いたのは、大剣と大槌を振るう二人の騎士だ。
振り下ろされる大剣の腹にフック気味の張り手を喰らわせたドンカイは、太刀筋が曲がったことで体勢を崩した騎士の懐に飛び込む。
その土手っ腹に風穴が開くほどの肘鉄をお見舞いした。
「ぬう? これは……」
あまりの手応えのなさに、ドンカイは眉を左右非対称に歪める。
仲間の仇討ちとばかりに大柄な騎士が大きなハンマーを振り下ろしてくるが、拳を握り締めたドンカイはアッパー気味に打ち返す。
その威力で大槌は砕け、振るっていた騎士も空高く打ち上げられた。
あっという間に二人の騎士が脱落する。
銃剣と細剣を持った騎士は、アハウにその切っ先を突き込んだ。
当人たちは悪魔退治をしているとでも思っているのか、英雄気取りで気合いを入れて叫びながら武器を突き刺しているが……。
「骨や肉に皮どころか――体毛すら断ててないぞ」
突き込んだ瞬間の手応えは、アハウが体毛を操って武器の先端を受け止めたに過ぎない。実質的なダメージはまったくのゼロだ。
銃剣と細剣の騎士は武器を引き抜こうとするが、時既に遅し。
アハウの野太い腕が無造作に振り払われるとペキャ! という安っぽい音がして二人の騎士の肉体は人体力学上では曲がらない方へと折れた。
これで脱落者は四人。
大鎌と二刀流の騎士は、バンダユウへと斬りかかる。
大鎌が袈裟懸けにバンダユウの体を2つに分断すると、二刀流が二分割された身体を何十分割にも切り分けていく。この間、1秒も要さない。
二人の騎士は「勝った!」と兜の中で頬を緩める。
「……真贋もわからねぇか、そうかそうか」
騎士二人の背後で、バンダユウはプカリと煙草の煙を吐いていた。
斬られたはずのバンダユウも煙となって消える。
目眩ましか!? と騎士たちが振り向いた時には、全身に無数の法具(仏教で使われる宗教的武具、代表的なものは独鈷杵)が突き刺さっていた。
「んだよ……まだヨチヨチ歩きの餓鬼じゃねえか」
バンダユウは呆れたようにもう一服する。
これで早くも六人が落ちた。
大槍と戦斧を構えた騎士コンビは、ミサキを付け狙う。
グノーシスに攻め込んできた6人のLV999の中では最年少で一番小柄、倒しやすい相手と見てあなどっていたところもあるのだろう。
槍は隙なく真っ直ぐな突き、戦斧は幅広な刃を活かした大振り。
どちらの一撃も山を貫き地を割るような威力だが、ミサキは悠々と避けながら間合いを詰めていき、両方の騎士の鎧に軽くタッチした。
接触した箇所が――大爆発を起こす。
その破壊力足るや凄まじく、騎士たちは昏倒して甲板へ倒れ込む。
浸透勁という技を強力にアレンジしたものだ。
倒した騎士たちを見下ろして、ミサキは唖然としている。
「あれ……なんでこんなに弱いの?」
悪気はまったくない。若者ならではの屈託ない意見だった。
これで九名の騎士は八名まで脱落した。
自分まで出番が回ってこないと高を括っていたリーダー格の騎士は愕然とするも慌てふためくことはなく、腰の長剣を抜いて臨戦態勢を取る。
……つもりのようだが微動だにできない。
「失礼――のんびり構えていたので先手を打たせてもらったよ」
レオナルドは手の中で細い“気の杭”を踊らせていた。
よくよく眼を凝らさねば、LV999でも見落としかねないほど細い杭。もはや中国医学で用いられる治療用の鍼のようだ。
リーダー格の騎士は各部にその杭を刺され、動きを封じられていた。
これで騎士団は完封したも同然。
九人を倒すまで10秒もかからず、一人一人はほぼ瞬殺である。
過大能力を使うことなく、複数の高等技能を掛け合わせた特殊技能を使うまでもなく、力むことさえなく圧倒してしまった。
残っているのは、彼らが守るべきネリエルお嬢様ただ一人。
ツバサはネリエルの前まで歩いていく。
「なんで……わたしの完璧な騎士団が……こんな、為す術もなく……?」
驚天動地とも言うべき異常事態を目の当たりにしたかのように、ネリエルは呆然としていた。このまま抑え込めるかと思えば、そこまで甘くはない。
彼女もLV999、すぐに我を取り戻した。
「おのれ……この下郎がッッッ!」
羅刹の形相で吠えたかと思えば、鈴なりに実った金髪縦ロールを触手のように伸ばすと、アダマント鋼にも勝る硬度のドリルにして反撃してきた。
標的はツバサを含む六名だ。
ドリルの群れが解き放たれる寸前、ツバサは得意とする歩法でネリエルの懐に潜り込むと、横隔膜の辺りを狙って軽い掌底を打ち込んでいた。
瞬間、すべての金髪ドリルが萎えた。
「あっ……きゃあああああああああああああああああーーーッ!?」
ネリエルは大きな口を開け、あまりの激痛から声にならない悲鳴を上げる。
ミサキと同じ浸透勁なのだが効果は別物だ。
「ひっぐ……あああああぅぅおおぉああああああああっ……か、あッ!?」
ネリエルは胸の少し下を抑えて、うつ伏せに倒れ込んだ。
断続的な呻きと悲鳴を交互に繰り返す。浅い呼吸に喘いだと思えば深呼吸をせずにはいられなくなり、歯の根が合わぬほどガタガタと震えていた。
全身の神経という神経が意のままにならないかのようだ。
「なっ、なにを……しまし……たのぉ……ッ!?」
苦悶に喘ぎながら問い掛けてきたので、ツバサは見下ろしたまま答える。
「全身の“気”の流れを狂わせた」
どんなに回復能力に優れた神族であろうと、最低3日はのたうち回るように調整してある。今後、拘束技として有効活用できるだろう。
そして、手合わせして判明したことがある。
「おまえら――LV999になって満足したタイプだな」
「ま、んぞく……? 何を言って……?」
LV999は到達点――そこから先などありはしない。
懸命に回復系技能を使うことで体内の“気”を整えようとするネリエルは、瞳でそう訴えてきた。LV999より先はないのだから満足するはずだ、と。
違うな、とツバサは冷徹に一蹴する。
「LV999はあくまでも通過点――そして起点に過ぎない」
ここから先に未知の領域が待っているのだ。
人間では叶わないかも知れないが、一万年以上の寿命を持ち、不老不死にして不死身に近い肉体を備える神族や魔族なら可能性を見出せる。
「大方、ステータス画面を鵜呑みにしたんだろ?」
VRMMORPGの名残なのか、地球から転移してきたプレイヤーは瞼の裏や心の中に自身のステータスを思い浮かべ、それで自分のLVや魂の経験値の総量、各種パラメーターや技能を確認することができる。
LV999になると、LV自体はカンストを迎えてしまう。
それでも魂の経験値は積むことができるし、新たな技能を習得することもできる。そして体力などのパラメーターも上げることができるのだが……。
「ひとつ、上げるだけで……天文学的な数字を要求される、から……」
バグかと思った、とネリエルは言いたいようだ。
「バグじゃないさ。本当にそれだけの魂の経験値を求められているんだよ」
ツバサたちはもうステータス画面に頼っていない。
人間の頃よりも鋭敏な神族の五感によって、LV、技能、パラメーター、魂の経験値などを感覚的に把握できるようになっていた。
真なる世界という現実を生きる住人になった、と断言してもいい。
だからこそ、ツバサたちはLV999になっても弛まぬ努力を続けてきた。
家族を守るため、国民を助けるため、蕃神と戦うため……。
どんな困難が押し寄せてきても太刀打ちできる力を培ってきたのだ。
それは今なお現在進行形である。
「神族なら無理ができる、魔族なら無茶ができる」
そうすることで天文学的な魂の経験値を積むことで、少しずつでもパラメーターを上昇させていけば、更なる高みへ登ることができるのだ。
LV999ともなれば、パラメーターの数字がひとつ違うだけで大きく能力を左右する。この努力の差ともいうべきパラメーターの差が勝敗を分けた。
「それに気付かず精進をやめてしまった……」
――怠慢がネリエルたちの敗因だ。
「どこかでゲームの延長線上だと侮ってなかったか? ここの世界はこれほどまでに血生臭くて生々しいというのに。LV999より上がないと誰が決めた? 限界を決めるのは自分自身だ。俺たちはゲームのユニットじゃないぞ? 数値を定められたプログラムだと自分を割り切るな」
おまえの現実は――目の前に広がっている。
説教臭いかも知れないが、煽るような文句が口を突く。
LV999になるほどの向上心を持ちながら、到達点と思い込んで現状に満足してしまい、傲慢に振る舞うことを良しとする。
そんなネリエルたちが腹立たしくて堪らなかったからだ。
「フッウ、ウフフフ……お説、高説……ごもっとも、ですわ……」
苦しそうに呻きながらも、ネリエルは震える両腕で上半身を起こそうと藻掻いている。想像したよりも回復スピードが早いようだ。
右腕で身体を支え、左手はゴソゴソと胸元をまさぐっている。
「でも、ね……わたくしたちは、挫折したわけではない……この世界が終わった後の世界を創るという……更なる高みを目指しているのです……」
だからこそ運命は――ネリエルに味方してくれた。
「このような……素晴らしき贈り物で……この敗北という汚名を濯ぎ、あなたたちを皆殺しにする機会をお与えくださったのですわ!」
「それは…………ッ!?」
ネリエルが取り出したものに、ツバサはギョッと目を剥いた。
邪悪を凝らしたとしか思えない――歪な小箱。
その蓋がほんのわずかな隙間を開けただけで、濃密な“気”が乱気流のように吹き荒れた。思わずツバサたちも手で顔を覆うほどである。
異常な“気”を浴びたネリエルは、急激に活力を取り戻していく。
「ウフフ、ハハハハハハッ! ご覧なさい、この黄金色に輝く神々しい“気”を! わかりますか? 豊潤で高貴なる“気”の香りが!?」
高笑いするネリエルは小箱を片手に立ち上がる。
ツバサの浸透勁によるダメージは、小箱から発せられる“気”を吸収することで回復したらしいが、彼女は自身に起きつつある変化に気付いていない。
「高貴で神々しい……だと?」
どうやらネリエルの視界は曇っているらしい。
怪しげな小箱からは濃密かつ強力な“気”が無尽蔵に噴き出しているが、ツバサたちの眼にはドス黒い瘴気としか映らない。
名状しがたい怖気を覚える異次元の“瘴気”。
ツバサの勘が正しければ――あれは蕃神由来のものだ。
強い力には違いないが、この世界を容赦なく侵食する作用を秘めている。
それを間近で浴び続けているネリエルは、黙っていればお高くとまった美人のお嬢様という外見を崩壊させようとしていた。
全身から触手が、粘液が、甲殻の脚が……次々と生えてくる。
肉体も徐々に異形へと肥大化していく。
まるでネリエルを触媒に、異次元の邪神を召喚しているかのようだ。
――放置できるわけがない!
ツバサたちは彼女の変身が終わる前に滅ぼすことを決意して、無言で示し合わせるとこの乗艦ごと鎮める勢いで、全力で一斉攻撃することにした。
実行に移そうとした矢先――。
「うん、ほら、アレだ……チェリオオオオオオオオオオオオオーーーッ!」
だっけか? と気合いの終わりに間抜けな声が聞こえた。
音速を突破するスピードで、超々高度から真っ逆さまに落ちてきた巨大な物体は、変身中のネリエルを叩き潰すように狙い澄まして着地する。
あまりの衝撃に白亜の艦が折れ曲がりかけた。
甲板では大爆発が起こり、戦塵混じりの煙が濛々と舞い上がる。
その噴煙の中にいくつかの影が蠢いていた。
「やっぱアレだな。こういう仕事はエキサイトが足りねぇよ、うん」
声の主は金剛石の櫛で自慢の髪型を整えていた。
煙を突き破るのは、漢の誇りである極太のリーゼントヘア。
「おまえ……ひょっとして『チェストーッ!』って叫びたかったのか?」
ハスキーな女性の声が呆れ気味に呟いた。
煙を打ち払うのは、異形な大地母神が羽ばたかせる複数の翼。
「どうして何でもうろ覚えかな、この人は……」
ユニセックスな声は、呆れるのを通り越して諦めを帯びていた。
煙の向こう――凶兆を感じさせる“赫”の眼光が瞬いた。
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少年テッドには、両親がいない。
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両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。
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両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが…
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今日も依頼をこなして、家に帰るんだ!
この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。
お楽しみくださいね!
HOTランキング20位になりました。
皆さん、有り難う御座います。

日本列島、時震により転移す!
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2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
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ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
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