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第15章 想世のルーグ・ルー
第372話:お嬢様はパーフェクトがお好き
しおりを挟むロンドの過大能力──【遍く世界の敵を導かんとする滅亡の権化】。
端的に見れば、この能力は怪物を生み出すものだ。
それも一度でダース単位どころか軍勢レベルで作り出せる。
直接手合わせしたツバサや、襲われた穂村組はロンドの過大能力を目の当たりにしている。その際、ロンドは一匹でも世界を滅ぼしかねない怪物を何万匹という群れで嗾けたので、怪物を創造する能力だと見当を付けているはずだ。
無論、それだけと思い込むわけもなかろうが――。
鍛え抜いたLV999の神族や魔族であろうと、その身を脅かされると恐れ戦く怪物を創る能力。それも瞬時に世界を覆い尽くす勢いで創ることが可能。
創られた怪物はロンドに絶対服従する。
これだけでも世界を滅ぼす破壊神と畏れられるかも知れない。
だが、この評価は端的というより一端でしかない。
その真髄は――対象aを具現化するものだ。
無意識から這い上がる欲動という力を、意識は理性や知識といったもので抑え込もうとする。その鍔迫り合いより生じるのは、形を保たない異形だ。
不確かで儚げだが間違いなくそこに存在し、抗いがたいほど魅力的なのに妖しくも蠱惑的な恐れを覚えさせ、曖昧で弱々しいのに絶大な力を内包する。
それが――対象a。
対象aとは抑圧できなかった欲動の化身であり、人知の及ばない異形。悪印象を持てば手に負えない怪物となり、好印象ならば自ら助ける英雄となる。
偶像にして群像、その全貌は決して見通せない。
その対象aに色を付けるのが、ロンドの過大能力だった。
人間に限らず神族、魔族、多種族であろうと、知能を備えて意識と無意識を抱える生物であれば、対象aを無視することは不可能。それは意識が抑え込めなかった不定形の怪物なので、自覚がなくとも嫌悪感を抱いてしまう。
それは次第に忌避感へと昇華される。
やがて対峙した相手に強烈な弱体化を強いることになるのだ。
ロンドの創る怪物は生まれた瞬間にこの特性を持つため、相対した者は無意識のうちに苦手意識を刺激され、知らず知らず弱体化を受けてしまう。
だからこそ、対象aの群れに囲まれた穂村組は「逃げられない!」という弱体化を自らの心の内に巣くわせてしまい、逃げ切ることができなかった。いくら手負いとはいえ翻弄され、絶体絶命にまで追い込まれたのだ。
対象aの怪物を倒す方法はただひとつ。
強靱な意志で無意識をねじ伏せ、全力で叩き潰すしかない。
万全な状態のLV999なら苦にならないが、数で押されればいずれ対処が追いつかず怯みもする。そこに対象aの付け入る隙ができる。
心が弱まれば――無意識の欲動が牙を剥く。
わけがわからない、という未知への恐怖を対象aは糧にして強大化し、あっという間に意識ある者の弱点を突くように襲いかかってくるだろう。
ある意味、天敵を創り出す能力とも言える。
「……こうして箇条書きのように並べてみると、強力な軍隊を創出する能力として見れば無敵ですよね。我々には抗う術がありません」
ネムレスは正直な感想を述べた。
投影型スクリーンのコンソールで作業を続けながら、脇目を振ることなくキーボードを叩く魔女医は隠すことなく打ち明ける。
「実は先ほどから『ロンド様の命令だけでなくネムレスの命令にも従うように、あわよくば私の命令を最優先するように』と遺伝子にプログラミングしようと目論んでいたのですが……どうしても受け付けてくれません」
現在、ネムレスは対象aの改良に勤しんでいる。
正確には、ロンドが創り出した対象aの怪物へと成長する卵を品種改良している真っ最中だった。生体兵器を改造している感覚に近い。
魔法で投影されたスクリーン型コンソールからは、彼女の過大能力の一部である触手が何万本も伸びており、その先端が対象aの卵へと挿入されていた。
手元のスクリーンモニターで、卵のバイタルチェック。
細かい調整はキーボード入力で修正している。
生真面目に仕事へ取り組むネムレスを、ロンドは監視というよりも、綺麗なお姉ちゃんの後ろ姿を眺めて悦に入るエロ親父の視線で眺めていた。
豪華な社長椅子にあぐらをかいて頬杖をつく。
背信行為を告白するネムレスに、ロンドは生あくびで返事をする。
「ふああぁ……神や悪魔って人間を超越した生き物になっても、魔法や過大能力なんて便利なもんを覚えても……染みついた人間の癖って抜けねぇのな」
スクリーン型のキーボード。
忙しなくそれを叩くネムレスを指しているらしい。
これに魔女医は呆気に取られるというか、思わず「え……それだけ?」と訝しげな小声で呟きながら振り向いてしまった。
「……私、結構な反逆行為を打ち明けたつもりなのですが?」
本心としては冗談半分である。
残りの半分は本気ではなく興味本位からだ。もし成功したら「セキュリティが甘いですよ」とご注意申し上げるつもりでいた。
それくらい、ネムレスはロンドに忠誠を捧げている。
なればこそロンドもよく理解しており、堂々と「プログラミング改竄してみましたけど」というネムレスの報告をスルーしたのだ。
「本物の反逆者は打ち明けたりしねぇよ」
ニヒヒ、とロンドはだらしなく笑った。
「そういう類の外的操作は受け付けないように創ってあるからな。いくらネムネムちゃんが品種改良しやすいようにしてあっても、オレに盾突くような真似はできねえようにプロテクトしてあるから安心してくれ」
「……出過ぎた真似をしてしまいましたね」
失礼いたしました、とネムレスは頭を下げて作業に戻る。
そんな魔女医の後ろ姿を見つめながら、ロンドは話を戻していく。
「んでだ、さっきの話に戻るわけだが……その改良してもらってる対象aの怪物の弱点よ。もうネムレスちゃんはわかってると思うが……」
「ええ――生命体として非常に短命な点ですね」
保って30分がいいところだ。
彼らは過去に類を見ないほど(地球はおろか真なる世界も含む)、強大な力を有する生物なのは間違いない。だが、生命体としてはあまりに歪である。
抱え込んだ力が強すぎて自滅する者がほとんどだ。
このため短時間しか生存できない。
「生命体として理に適っていない身体構造をしているのも原因でしょうね。極端な例では消化器官どころか口さえないものや、心肺機能がないもの、肉体維持をコントロールする脳や脊髄どころか神経さえないもの……」
生物としての欠落点が多すぎます、とネムレスは総評した。
「耳が痛いねぇ。一言一句、その通りだわ」
ロンドは過大能力で創られた怪物の欠点を全面的に認めると、それゆえに短命となる理由を例の一言でまとめようとする。
「そうした早死にの理由も、偏に歴史の重みがないってことなのさ」
「――失礼いたします」
歴史の重みについて解説しようとした矢先、背後から柔らかい声が差し込まれたのでロンドは振り返る。
対象aの卵で埋め尽くされたホールの出入り口。
そこに露出度の高いメイドが立っていた。
ふんわりした金髪のショートヘアがよく似合う、程良いグラマラススタイル。フレンチメイドともいうべき肌色部分の多いコスプレみたいなメイド服で着飾っているものの、他のファッションはSMを想起させる刺々しさ。
GM№29──ミレン・カーマーラ。
ロンドを補佐する三幹部の一人にして、彼の身の周りを世話する秘書のような役割をこなす女性である。ただし、態度はあまり褒められない。
隙あらば暴力を振るってくるのだ。
最近、これはロンドに怒られたいがゆえの故意だと判明した。
……“恋”と書き間違えても許されそうだ。
「おう、ミレンちゃん。どしたよ?」
ロンドが用件を尋ねるとミレンは右手で扉を指す。
「狩りに出られていた一番隊の皆様がお戻りになられました」
ドバーン! と両開きの扉がぶち破られそうな勢いで開いたかと思えば、大きな2つの影と小さな1つの影が入ってくる。
ノッシノッシと、ズシリズシリと、コツリコツリと――。
先頭を歩くのはリード・K・バロール。
若くして精鋭部隊である一番隊をまとめる青年だ。
全身黒ずくめで決めた細身の美形。一応、男性のはずだが身のこなしからファッションセンスまで、ユニセックスな雰囲気を貫いている。
右目を隠すように伸ばした前髪が特徴的だ。
その目を引くヘアスタイルをどこかで「おい鬼太郎!」と言われたのがご不満らしいのだが、仲間内でネタにされても改めるつもりはないようだ。
リードの隣を歩くのはアダマス・テュポーン。
身の丈3mを越える巨漢、リードの兄貴分でもある。
大砲の如く雄々しいリーゼントを誇らしく掲げ、ヘラクレスのような神話の英雄をイメージしたという衣装を仲間の一人から着せられていた。金剛石のあだ名が示す通り、ダイヤモンドの小物を身に帯びている。
あのダイヤモンドはすべて、アダマスに敗れた戦士の成れ果てだ。
アダマスは自分が認めた強者を打ち負かすと、空前絶後の握力で握り潰しながら圧縮し、炭素の結晶体……つまりダイヤモンドに変えてしまう。
喧嘩を愛する漢の数少ない趣味である。
リードとアダマスに続くのは、邪悪な地母神ともいうべき巨女。
3人目はジンカイ・ティアマトゥだった。
全長だけなら10数mに達する巨大な蛇女の如き姿をしており、身に付ける者は規格外な大きさの乳房を覆うカップ仕込みのビキニくらいなもの。
くねらせる下半身の蛇体からは無数の生物の足や触手が生え、長く伸ばした緑色の髪からは様々な植物が伸びており、背中からは鳥や昆虫に蝙蝠といった生物の翼が何対も生え揃う。両腕も人間のものではなく怪物じみている。
邪悪な地母神という形容が相応しい女性だ。
かなり人間離れした外観をしているが、バッドデッドエンズにはもっとハチャメチャな見た目のメンバーがいるので、誰も動じたりはしない。
穂村組と激闘を繰り広げ、半数以上が殉職した一番隊。
その中でもトップ3の実力者たちである。他にも剣客サジロウと哭女サバエというメンバーがいるが、こちらは別行動を取っていた。
「おう戻ったか、お疲れちゃん」
まあ寛げや、とロンドに迎えられたリードたちは会釈する。
すかさずミレンが道具箱からテーブルやソファ(ちゃんとアダマスやジンカイも座れるキングサイズ)を取り出して、急拵えの休憩スペースを設営する。
格好こそエロメイドだが仕事ぶりは超一級なのだ。
「お飲み物などはいかがですか?」
既に伝票(必要なの?)を構えるミレンに隙はない。
リードは仮にも上司であるミレンに給仕させることへの後ろめたさがあるようだが、アダマスとジンカイは慣れたもので遠慮なく注文する。
「強炭酸コーラ、大ジョッキに氷少なめで!」
「カフェオレ、徹底的に甘くしてください」
「……アイスコーヒー、ミルクもガムシロもいらないです」
項垂れたリードも仕方なくリクエストする。
「あ、私にも天然炭酸水をください。ミネラル豊富なものを」
ついでとばかりにネムレスも頼んでいた。
仕事に熱中するあまり、喉が渇いてきたのだろう。
かしこまりました、と注文をメモったミレンは足音を立てずにホールから出て行く。給仕室に行って飲み物を用意してくるようだ。
ついでに大量のおつまみや軽食も運んでくるに違いない。
無表情で冷たいように見える彼女だが、実は世話焼きでもあるのだ。
「あ、オレはいつものカフェカプチーノね」
もうミレンはホールの外だったので、ロンドは慌てて大声で注文した。地獄耳な彼女のことだ、ちゃんと持ってきれくれるだろう。
ロンドは社長椅子のキャスターを転がして、テーブルに近付いてくる。
「そんじゃ飲み物が来る前に見せてもらおうか?」
釣果はどうよ? とロンドは頼んでいたものを要求する。
「なかなか良質なものが獲れたと思います……アダマスさん」
あいよ、とアダマスはリードの声に応えて立ち上がり、ネムレスの傍まで近寄っていく。そこで道具箱から釣果と呼ぶべき物を取り出した。
それは――いくつもの首だった。
エンシェントドラゴン、リヴァイアサン、ベヒモット、バハムート……世が世なら神獣と讃えられるべき超級モンスターの首ばかりである。
ホールの開いたスペースへ、それを無造作に並べていく。
「ここらに積んじゃってもいいかい、ネムレス先生?」
「ええ、そちらへ……助かります、アダマス君」
アダマスは粗野だが、上役に当たる人への敬意を忘れない。なので魔女医ネムレスのことも先生と呼んで尊敬していた。
強力な神獣の首が、ピラミッドよろしく積み上げられる。
「どいつもこいつもヘビー級の図体してるから、肉の方はオセロットの晩飯分くらいしか持って帰れなかったけど……頭さえありゃいいんすよね?」
最後の首を積み上げたアダマスは、ロンドにそこを尋ねた。
「ああ、頭が大切なんだ」
大らかに頷いたロンドは、頭の重要性を説く。
「戦国時代の日本なんか最たる例だが、その昔は首狩り族と呼ばれる蛮習を当たり前のように行っていた地域があった。それは原始宗教な考えだが、人間の生命力や霊力はすべて首……頭部に宿るという信仰があったからだ」
ロンドがクイッ、と手招きする。
すると積み上げた首の中から、人間大の頭が浮かび上がってその掌中へと収まるように吸い寄せられた。それは3つの目を持つ人間の頭部に見える。
何らかの亜神族の首であろう。
「知恵、経験、意志、霊力、魔力……個に育まれた種々の力」
――それらは首に宿る。
すべては頭部に集約されると信じられており、勇者と讃えられるような勇敢な戦士や、誰からも慕われる優秀な人物の首などは特に尊ばれた。
かつての日本では、そうした人々の頭蓋骨を加工して呪物とした歴史もある。
外法頭と呼ばれ、偉大な人物で頭が大きいほど珍重されたという。
戦国時代には高名な武将の首ほど奪い合いになったの言うまでもあるまい。
「だから首狩りの風習があった地域では、倒した敵の首を欲しがった」
首に宿った相手の力、そのすべてを自分のものとするためだ。
戦国期の武士が敵将の首級を欲しがったのは、その首が自身の手柄となって立身出世が思いのままに叶うという現世利益ゆえである。
「ですが、我々の場合は霊力という意味で重要視するわけですね?」
「んー、ちょい違う。似て非なるかもだけど」
リードの言葉に訂正を入れたロンドは、ネムレスに「やっちゃって」と手を振って指示を送る。ついでに持っていた首も放り投げた。
魔女医は別のコンソールを展開させる。
そちらのキーボードを弾くと、新しい触手が伸びてきた。
それは神獣たちの首に突き刺さり、ドクンドクンと脈動を響かせながら“何か”を吸い上げる。血液ではない、色も形もないが重たいものだ。
吸い上げられた透明の“何か”はネムレスの操るコンソールで調整を受けた後、漆黒のホールを埋め尽くす卵へと注入されていく。
ヨシッ! とロンドは指さし確認をして鋭く叫んだ。
「歴史の重みなんて格好つけたが、わかりやすく言えば遺伝子かもな」
「いでんしぃ? RHマイナスとかだっけか?」
「それは血液型の一種ですよ、アダマス君」
ツッコミ役でもあるサバエの代理でネムレスが指摘する。
おおそれだそれ、とアダマスは間違いを正されて申し訳なさそうだが気持ち良く笑う。感覚的にはわかっているが名前が出てこないらしい。
「遺伝子はDNAだっけか? 生き物の設計図みたいなもんだろ?」
幼稚園の頃から喧嘩番長でろくに授業も受けてこなかったアダマスだが、それくらいは知っているらしい。リードが話を継いだ。
「簡単に言えばそうですね。それが必要なのですか?」
リードが補正しながらロンドに訊いてみる。
「遺伝子もそうだが、そこに霊的な要素をブレンドした情報ってとこだな……オレは“歴史の重み”なんて名付けたが、正式名称は知らねぇよ」
あるかどうかもわかんねぇしな、とロンドは適当ぶっこいていた。
――歴史の重み。
単語として名付けられており、遺伝子のようなものと明言されいるが、霊的なものという指摘もなされていて、その正体は判然としない。
誰かが問い質すよりも早く、ロンドは人差し指を立てて微笑んだ。
とても親父臭くていやらしい笑顔だった。
「ここでひとつ、ナゾナゾだ」
――世界で最も強い生き物はなーんだ?
唐突な謎かけにホールにいた一同は全員クエスチョンマークを頭上へ浮かべてしまうが、脊髄反射で答えを口にすることはなかった。
これ、絶対にひっかけ問題である。
ナゾナゾというからにはダジャレ要素があるか、エスプリの効いた頓知が潜んでいるはずだ。誰もが即答せず、用心するように即答を差し控えた。
まずネムレスが挙手して前提条件を尋ねる。
「世界とはこの真なる世界を指しますか? それとも地球を?」
「どっちでも答えは同じだぞ」
次に聞こえたのは――ミレンの声だった。
音もなく舞い戻ったミレンはリードたちに飲み物を提供すると、テーブルに山のような軽食を配膳してからロンドに問い掛ける。
「生態系のピラミッドから逸脱し、そのピラミッドの全階層へ寄生するように食物を貪る人間のような生き物も含まれますか?」
「人間だって野獣っていうだろ? モチのロン、含まれるさ」
現実なら象、河馬、犀、虎、獅子、鮫、鰐、鯨、鯱……といった食物連鎖の頂点にいる生物や、それらの生物にも負けない巨大な草食獣が連想される。
真なる世界ならドラゴンを初めとした神獣が相当するだろう。
だが、そんな安直な答えではあるまい。
ネムレスやリードといった知性派が本気で頭を悩ましかけた頃、アダマスは小指で鼻をほじりながらバカ丸出しの顔でこう言った。
「この世の生き物全部――じゃねえかな?」
「ピンポンピンポンピンポーン! はい大正解!」
ええええええーッ!? と予想外の答えに驚きの声を上げる一同。
「なんですかその答え!?」
謀られた! と不満げにリードが声を上げた。
そんな反応にロンドはニヤニヤと答えの要点をまとめた。
「別に一種だけを上げろと言ってないからな。答えはこの世界にしろ地球にしろ、今日この日現在まで生きている生物すべてが該当すんだわ」
正解を言い当てたアダマスは、まだ鼻をほじっていた。
別段、感動とかはないらしい
横のソファで寝そべっていたジンカイは蛇の体をくねらせながら、豊満な女体で悩ましげに寝返りを打つと、呆れた表情でアダマスに流し目を送る
「おまえ……よくわかったな?」
「いや、わかんなかったけど、似た話を聞いた覚えがあるんすよ」
アダマスはジンカイのことも「姐さん!」と一目置いているので、ちゃんと舎弟口調で接する。なので鼻をほじるのもすぐやめた。
よく冷えた強炭酸コーラで唇を湿らせてから続ける。
「ガキの頃、三日だけ喧嘩の仕方を教えてくれたクソ坊主が言ったことを思い出したんすよ。そういや似たようなこと言ってたなー……って」
アダマスは謎の僧侶に喧嘩を教わったらしい。
その僧侶はアダマスが持て余していた天性の格闘センスを見出し、武術の手解きでもしたのだろうが、当人は「喧嘩のやり方」程度にしか思っていない。
だから、精進も練習もしてこなかった。
気に入らない奴をぶん殴ったり蹴っ飛ばしたりぶっ倒すコツだけを覚えて、後は恵まれた運動神経とタフな身体能力に任せっぱなし。
結果、無手勝流な喧嘩番長の出来上がりだ。
「ちなみに――坊主は坊主でも尼さんだったんですけどね」
「なんだその武闘派シスター……?」
訝しげなジンカイに、「違う違う」とアダマスは否定的に手を振った。
「教会の尼さんじゃなくて、お寺とかにいる尼さんでしたよ」
「ますます謎だな……何者だ、その尼さん」
知らねえっす、とアダマスは詮索するつもりがない。
「小4か小5の頃だから、えらく大人の姉ちゃんに見えたっすけどね。メチャクチャ強くて嘘みたいな別嬪だったんすよ。なんか気に入られて……」
「おまえ、それオネショタじゃねえかよ。羨ましい」
嫉妬心で口の端をねじ曲げたロンドは茶々を入れてくる。
「でも、どうして尼さんとかシスターってあんなエロいんだろうな?」
「そんな性的嗜好で見てるのはオヤジだけです」
セクハラ発言は控えなさい、とミレンにチョップを食らう。
ちゃんと威力があるのでロンドは鼻血を噴き出していた。それを横目にしたアダマスは苦笑しつつ、その尼僧から教えられた言葉を復唱する。
「まあ、その尼さんがこんなこと言ってたんスよ」
『虎に海の鰯を捕まえられない、鮫は空の雀に食いつけない』
『そのフィールドで最強を誇っても、他のところへ連れて行かれれば本領発揮できない生き物が大半よ。だから、最強の生物なんて夢幻でしかないのさ』
『強いて言うなら……最後まで生き残ってたやつの勝ちよ』
『生きてるだけで丸儲け、っていうでしょ?』
『どんな状況であろうと生き延びた奴が強いってわけさね』
「……んで、今のナゾナゾでふっと思い出したんすよ。最強の生き物ってんなら、今日まで生き残った生き物全部じゃないか? ってね」
「説明する手間が省けたな」
ほぼほぼ言い当ててる、とロンドは鼻血をハンカチでちゃんと拭う。
そして、アダマスが尼僧から教えられた内容を肯定した。
「生命が誕生してから幾星霜……どれだけの生き物が生まれて死んでいったか計り知れねぇが、現代まで生き残った種は過酷な生存競争を勝ち抜いてきた。ミミズだろうがオケラだろうがアメンボだろうが、生産性のねぇ引き籠もりニートだろうが、今日まで生き残った最強生物の末裔ってことよ」
そいつらの内側には――歴史の重みが詰まっている。
ロンドは顎に手を当てると、虚空を見上げてちょっと思案した。
「……そうだな、経験値や時間と言い換えるのもアリだな」
「その生物が連綿と受け継いできた、生命史という名の経験値。あるいは一代ごとに体験してきた時間の記憶……それが、歴史の重みですか?」
そんなもんだ、とロンドはリードの解読を認めた。
「生命は初めから人間みてぇな多細胞生物だっただわけじゃねぇ。アミノ酸に毛の生えたちっぽけなもんが、何億年もかけて様々な生物へと進化してきた」
その積み重ねた経験値こそが、細胞内の遺伝子ともいえる。
だが、目には見えない記憶の蓄積もそこにあった。
「それは生物の根底に横たわる集合的無意識みたいなものだったり、人間だったら成長とともに肥大化していく自意識を形作る素になるんだろうな」
――蜘蛛は教わらずとも規則的な巣を張る。
――蛙は聞かずとも親と似た歌声で鳴く。
――海亀は習わずとも親と同じ浜辺に卵を産む。
遺伝子に組み込まれた情報だけでは説明できない現象だ。
親から教えられずとも受け継がれる習性。学習する知能があるかどうかも怪しい昆虫でさえ、顔も見たことがない親と同じことを繰り返す。
「遺伝子だけじゃない。生命ってのは形のない何かを重ねてきてんだよ」
数億年かけて生命の中に蓄積されてきた不可視の情報体。
「――それが歴史の重みだ」
ふーん、とアダマスが曖昧に鼻を鳴らす。
わかったようなわからないような、そんな反応のニュアンスだった。
浪波とコーラで満たされたジョッキを手に立ち上がったアダマスは、自分の巨体をも上回るエンシェントドラゴンの首へと近付いていく。
その頬に手を置いてペチペチ叩いた。
「ロンドさんはそいつを集めてんだろ? 神獣どもの首を集めさせてんのは、その重みとやらを吸い出すための素材ってことだよな」
叩く度、ドラゴンの首は音が変わる。
最初は中身の詰まった硬い音をさせていたが、段々と硬さが抜けて軽くなっていき、とうとう中に空洞があるようなポンポンという音になった。
別に集めちゃいねえよ、とロンドは首を振った。
「カードダスとかビックリマンじゃねえんだ。集めてんじゃなく補給してるって感じかな。こいつらを立派に育てるための栄養剤みたいなもんさ」
――暗闇に沈むホール。
そのホールを埋め尽くすばかりではなく、処によっては天井に届くほど堆く積み上げられる卵、卵、卵、卵、卵、卵、卵、卵……。
胎動する大小無数の卵をロンドは見渡す。
「さっきネムネムちゃんにも説明したが、ロンドの過大能力は対象aという、人間だろうが神だろうが悪魔だろうが、意識ある者にとってコントロール不可能な無意識下から這い上がってくる欲動ってものを具現化する能力だ」
制御できない欲動が怪物となって襲い来る。
その多くは不安や恐怖といった生存本能を刺激するもので、意識では抑えがたい負の感情を怪物化するようなものだ。
「知っての通り、こいつらは強い。特撮ヒーロー番組なら前座を盛り上げるためのモブキャラみたいな戦闘員ポジションだが、一体につきLV999。単純な戦闘力だけならバッドデッドエンズにだって引けを取らねえぞ」
「戦闘力であって、戦闘能力ではない……のでしたね」
よく覚えてるなリードちゃん、とロンドはふざけた声で褒める。
「そう、あくまでも力は同等ってだけ。能力という意味ではおまえさんらに百歩どころか万歩は譲るか。まあ、滅びの先兵としちゃ申し分ないがな」
「ネックなのは――生命体として不完全という点ですね」
ネムレスは話を最初へと戻した。
話している間にも歴史の重みという不可視の情報体を抜き取る作業は進んでおりそれを抽出された神獣の首は石灰のように脆くなっていく。
まだアダマスが暇潰しにペチペチと叩いている。
だが、最後のペチペチを食らうと白い粉となって崩れ落ちた。
崩れゆく首を見つめるネムレスは独自の解釈を述べる。
「対象aより具現化させた怪物は、あくまでも一時的に生命を宿した仮初めの生物。ゆえにこの世界の物理法則には馴染めず、生命体としても未完成……」
「オレが注意してりゃあ延命できるけど……」
面倒臭ぇーしなぁー、とロンドは無責任極まりない放言をした。
「飼い主なら最後まで責任もって面倒見なさい」
「飼い主ってより創造主だけどな」
ミレンに叱られてもロンドは何処吹く風だ。
怒濤の勢いでチョップ連打を食らうロンド。顔面がブレるほど震動しているが、それでも意に介することなくカプチーノを啜っている。
「まああれだ。飼い主としては最後まで面倒を見てやりたいのは山々だが、それができるという保証もねえのが今度の事情だ」
対象aの怪物はロンドの命令に絶対服従する。
ロンドが管理下に置いている限り、どんな不自然な生命体であろうと活動を続けられるが、ロンドが他のことへ専念せざるを得なくなった場合、エネルギーのパイプラインが途切れてしまい、数分後に生命体としての活動を終える。
早い話、ロンドが放置したらすぐ死んでしまうのだ。
たとえばツバサのような強敵との戦闘に突入した場合、間違いなく怪物たちに回す集中力が途切れてしまう。ツバサにぶつける分はいくらでも増産できるが、他のことに従事させている怪物は数十分で息絶えてしまうだろう。
これがネックになっていた。
「四神同盟と戦争を控えている身としてはだ、対象aの怪物どもを制御している暇はない。おまえらバッドデッドエンズの隊員も四神同盟の強敵とぶつけ合わせるつもりなので、同時進行でやる予定の世界を滅ぼす手が足りないわけだ」
――四神同盟との全面戦争。
ロンドはこの全面戦争を機に世界廃滅も推進するとして、数日前のバッドデッドエンズを集めた会議で概要を説明していた。
数こそ減ったが、各部隊の生き残りは生え抜きだ。
彼らは四神同盟へ総攻撃を仕掛ける。
それと平行して「世界を滅ぼすための戦力を拡充する」と発言しており、そのための仕事が各隊員に割り振られていた。
「その足りない手を……卵で埋め合わせるのですか?」
リードはチラッと卵の群れを片目を遣った。
前髪に隠された目は過大能力が仕込まれているので開けないが――。
その視線によくわからないものへの不安、あるいは不信感に似たものを見出したロンドは、ヘラヘラ笑いながら注意する。
「あんま胡乱な目で見ないでくれよ。オレも初めての試みなんだから」
対象aを凝らして念入りに創造した怪物の卵。
これを熟成させるだけでも息の長い怪物を生み出せるはずだが、それだけでは足りない。そこでネムレスに一仕事してもらう。
「私の過大能力でロンド様の仰る歴史の重み……生物に蓄積されてきた不可視の情報体を抽出。これらの卵に見合ったものへ調整(凶悪な意味で)しつつ注入、定着させることで生命体として確固たる存在へと仕立て上げるわけです」
生物としては不自然極まりない、対象aの怪物。
そいつらに既存の生物から抽出した歴史の重みを注入して、この世界に馴染ませることで長期間延命できるように操作しているわけだ。
こうすれば対象aの怪物は数週間は生き延びる。
後はロンドが「世界を滅ぼしとけ」とファジーな命令を出しておけば、世界が無くなるまで勝手に暴れ回ってくれるだろう。
「ぶっちゃけ、長持ちする戦闘員を増産してるわけだな」
「おれたちはそのお手伝いってわけっすね」
エンシェントドラゴンの首が崩れたので、アダマスはジョッキのコーラをゴクゴク飲みながら休憩スペースへ戻った。ソファに重い図体を沈み込ませると、片手で軽食をいっぺんに何個も掴んで大口で頬張っていく。
「じゃあ一休みしたら、また神獣を狩りに出た方がいいっすかね」
「あ、また行ってくれる? んじゃお願いするわ」
片手間にお遣いを頼むノリでロンドは片手を上げた。
「こういう戦闘員って質より量だからな。取り敢えず卵は億単位で作ってみたけど、歴史の重みとなる神クラスのモンスターの首が全然足らんからなぁ……」
「雑魚モンスターでは品質低下を招きますからね」
どんな生物でも歴史の重みはある。
極小のアミノ酸からその生物へと至るまで蓄積してきた記憶。それが歴史の重みだとしたら、強力な生命体であればあるほど強靱な記憶を有している。
対象aの怪物は――世界を滅ぼす脅威となる存在。
十把一絡げのモンスターから抜き取れる歴史の重みでは高が知れている。
誰からも恐れられるモンスターでなければ見合わないのだ。
「マッコウさんやオリガミさんも出張ってるんですか」
リードが尋ねるとロンドは指折り数える。
「異相の亡命国家潰しもやめちゃったからな、凶軍も駆り出してるぞ。立ってる者は親でも使えってな。生きて帰ってきた各部隊の連中もだ」
「……あの坊ちゃんもですか?」
ジンカイも甘いカフェオレを飲みながら訊いた。
意味深長な問い掛けに、ロンドは悪逆な笑みで白い歯を見せる。
「ああ、あのボンボンもな。聞いた話じゃ爺やや姉やに甘やかされっぱなしのハナタレかと思いきや、いい案配で憎しみを熟成させてやがったからな」
大した悪役になるぜ、とロンドは太鼓判を押した。
「あのボンボンやお付きの無愛想も含めて、意外と使える奴が有象無象の中にいたのがわかったからな。そいつらをピックアップしつつ、もうちょい戦闘員代わりの怪物を増やしたら……」
「――随分と悠長なことをやってらっしゃいますのね」
高慢ながら軽やかな美声が遮った。
~~~~~~~~~~~~
ロンドは――最悪にして絶死をもたらす終焉の首魁である。
世界廃滅を標榜する、悪の秘密結社の総帥だ。
最悪にして絶死をもたらす終焉で、彼より地位が上にある者はいない。
いかにちゃらんぽらんな無責任オヤジであろうと、バカでアホで考えなしで行き当たりばったりで気分屋のダメ親父であろうと偉いのだ。
癖は強いが独特のカリスマも備えている。
絶対に勝てない、という畏怖を抱かせる魔王の如き威厳。
魂まで壊される、という絶望を感じさせる破壊神の威圧感。
だというのに人間的でダメなところばかりが目立って、「この人は私が何とかしてやらないと……」と思わせる奇妙な求心力。
この3つが絶妙なバランスを保ち、ロンドのカリスマを形成していた。
そう――ロンドは偉いのだ。
ミレンがメイドにもかかわらず暴力行為に走ったり、アダマスがフレンドリィに話し掛けたり、他のメンバーがふざけた態度を取ったとしても、ロンドはそれを笑って許すだけの度量があった。
しかし、本気で軽視する言動を取る者はあまりいない。
いるとすれば――九番隊くらいのものだ。
ホールの扉は両開きなのだが、それが全開で開け放たれた。そこから安っぽいネオンのような神々しい光を背負って美声の主が現れる。
彼女を一言で表現するなら、過剰にして華美なるお嬢様だ。
年の頃なら大学生くらい、まだ美少女で通る。
170㎝を越えない、女性としては高くも低くもないモデル体型。
細身ながら女性のふくよかさを称えた体型は、過剰なほど着飾ったドレスという装甲に覆い隠されている。鎧よりもキツそうなコルセットは腰を締め切りそうなほど細く、開いた胸元から覗くはバストをこれ見よがしに寄せて上げている。
曇鸞のようなスカート内部には骨組みを仕込んでおり、逆さにした大振りの華のように膨らんでいる。裾は床を覆い隠さんばかりに広がっていた。
中世ヨーロッパの貴族令嬢が愛用するようなデザインだ。
髪型もその頃の貴族令嬢に負けていない。
そのまま高速回転して地面を抉りそうな黄金のドリル。もとい長い金髪には、先の尖った縦ロールはこれでもかと施されていた。
その量は鈴なりに実った葡萄の如し……やり過ぎである。
いかにも「お嬢様!」然とした彼女は、その美貌に驕り高ぶる者特有の傲慢さを帯びており、令嬢は令嬢でも悪役令嬢といった言葉が相応しい。
最悪にして絶死をもたらす終焉 九番隊ヤルダバオート。
そのヤルダバオート隊を率いる隊長にして女帝。
完璧令嬢――ネリエル・デミウルゴス。
社長椅子をグルリと回転させたロンドは、カップの残ったカプチーノを飲み干してプハッ! と息継ぎすると気安い挨拶で出迎えた。
「よう、どうしたいドリル姫、なんか用か?」
「その俗称やめていただけます!?」
甚だ不本意でしてよッ! とネリエルは不快感に眉根を寄せると、いらつく口元を極彩色の羽毛があしらわれた扇で隠した。
コツコツ、とハイヒールの足音を響かせてホールへ立ち入ってくる。
彼女の後ろには2人の騎士が続いてきた。
どちらもネリエルより頭2つ分は大きい巨漢だ。一部の露出も許さないフルプレートアーマーを装着しており、細部こそ個性を表すように若干のデザイン変更が行われているが、基本コンセプトは同じものだ。
右側の騎士は大剣を背負い、左側の騎士は大槍を手に携えていた。
腰のベルトには長剣や短銃のサブウェポンを下げている。
彼らは九番隊の一員、そしてネリエルに付き従う騎士団の一員だ。
兜の隙間から蛍火にも似た眼光を灯して、ホール内のロンドを初めとした隊員たちを見据えている。影では「モビルアーマー」などと囁かれていた。
なにせ鎧兜で個性を隠して、素顔を見せたことがないからだ。
そういう機動兵器なのではないか? と勘繰られても仕方ないことだろう。
入室早々、ネリエルは文句を叩きつけてくる。
「四神同盟だか五神同盟だか知りませんが……何をそんなに及び腰でやってらっしゃいますの? 破壊神ロンドさまともあろう御方が、どこの馬の骨ともわからない三流プレイヤーの寄せ集めにコソコソと用意周到な準備をして……」
無様ですわね――ネリエルは嘲笑を浮かべる。
ピクリ、とリードやアダマスの眉の筋肉が痙攣した。
一番隊の面々は大なり小なり程度の差はあれど、ロンドの思想を信奉している。尊ぶ総帥をあざ笑われれば、冷静でいられるはずもない。
当の本人はのほほんとしたものだが――。
顔色ひとつ変えないロンドをネリエルは嘲り続ける。
「あなたほどの実力者ならば、小細工など弄せずとも力押しでひねり潰してしまえばいいものを……そんなに怖いのですか? 四神同盟とやらが」
コツコツ、とヒールを鳴らしてロンドに近付いていくネリエル。
悪役令嬢は手にした扇で彼の顔を煽ってくる。
「わたくしども九番隊にお任せいただければパーフェクト! に四神同盟を壊滅させて御覧に入れますわ。宣戦布告するまで休戦協定などという逃げ腰な契約などさっさと破棄して、すべてを終わりにしてしまえばよろしいのです」
そうでしょう? とネリエルは誰にともなく返事を求める。
「「――Yes、お嬢様」」
同意したのはお付きの騎士たちだった。
前述の通り、彼らは九番隊を構成する一員。それぞれが自力でLV999を越えた屈強な戦士であり、ネリエルに忠誠を誓っている
九番隊はネリエルを含めて10人。この九人は全員騎士の風体をしており、彼女への忠義心あふれる騎士団を形成していた。
おかげでネリエルは「騎士サークルの姫」とも呼ばれている。
無論、これも彼女にとって不本意なあだ名だ。
ネリエルの暴言にリードたちは不快感を剥き出しにするが、ロンドがリアクションしないので動けずにいた。彼女たちと事を荒立てたくない面もある。
彼女たちは特別扱いされているからだ。
最悪にして絶死をもたらす終焉は――10の隊に分けられている。
ミレン、マッコウ、アリガミの三幹部が属する「凶軍」も特別といえば特別に分類されるだろう。番号を振るならば零番隊というべきか。
リードの一番隊もまた特別視されていた。
リードを始めとして巨豪アダマス、魔母ジンカイ、剣客サジロウ、哭女サバエと、独力でLV999に到達した精鋭を取り揃えているからだ。
而して、ネリエル率いる九番隊は特異にして特殊。
ロンドと対等と謳われる懸絶した過大能力を有するネリエルを筆頭に、所属する騎士たちも全員LV999の領域に達していた。
そこに――ロンドの加護は働いていない。
彼らは実力のみでLV999まで成り上がったのだ。
だからこそ「協力してやっている」という態度を貫き、世界廃滅という方針こそ同じであっても、そこから先は別路線を進むと公言して憚らない。
『ロンドさまが世界を滅ぼした後――わたくしが新たな世界を創ります』
『その世界こそが完全なる世界。わたくしたちのようなパーフェクト! な人間や生物のみが生きることを許された、強く気高く美しき世界……』
この思想ゆえに九番隊は特異にして特殊なのだ。
だからこそ、平然とロンドを詰ってくる。
様付けで呼んでいるのは、あくまでも上品ぶっているだけだ。影では呼び捨てにしているだろうし、心中では蔑んでいるに決まっている。
ロンドを敬うリードたちはこれが面白くない。
特にミレン、彼女はロンドを自らを含めて万物を滅ぼしてくれる至高の御方と敬愛しているため怒りで爆発寸前だった。
一歩前に出たミレンは、口よりも先に手が出そうになる。
「――やめておけ」
しかし、寸前でジンカイが触手を伸ばして制した。
つまらなそうにネリエルの挑発を聞き流していたロンドだが、やがて喉の奥で含み笑いを漏らした後、裂けんばかりに口角を上げて破顔する。
「ああ、怖いねぇ……特にツバサの兄ちゃんが一等怖い」
ネリエルの暴言を全肯定したのだ。
顔をそよそよと仰いでいた令嬢の扇を片手でぞんざいにはねのけると、彼女の眉間を狙って人差し指を突きつける。
「――この真なる世界を九回埋め尽くす怪獣王の大群」
ロンドは脈絡のない台詞をネリエルにぶつけた。
「なっ……何を言ってるんですの?」
突拍子もない言葉にどう返事していいかわからず、ネリエルはたじろぐ。
その弱腰を見抜いたかのようにロンドは笑みを濃くした。
「それを一瞬よりも短い時間で溢れかえらせられたらおまえどうするよ、ドリル姫? 捌けるか? 防げるか? 殺しきれるか? やり過ごせるか?」
詰め寄るロンドにネリエルは気圧された。
即答できない時点で「できません」と認めたようなものだ。
「それを涼しい顔でやってのけたのが、ツバサの兄ちゃんなんだよ」
その時の戦闘記録をミレンが無言で再生する。
ホール中空、暗闇に浮かぶロンドとツバサが交わした刹那の激闘。
ロンドが解き放つは対象aの怪物の群れ。
出し惜しみせず繰り出されたそれは、一体一体が究極の怪獣王に匹敵する強さを誇り、一瞬で真なる世界を埋め尽くすという超軍勢だった。
それをツバサは――悉く封じた。
莫大な魔力を費やして、平面上に展開した亜空間を何百枚も創り出し、その内側へ対象aの怪物を一匹残らず封印してしまったのだ。
怪物の群れを封じた空間は、発生させたブラックホールで消滅させる。鮮やかなツバサの手管に、アダマスやリードそしてジンカイも感心する。
ネリエルは固唾を飲んでいた。
頬に伝わる冷や汗は一筋二筋……いいや、顔が濡れそぼるようだ。
「わかるかいドリル姫?」
ツバサはやべぇんだよ、とロンドは嬉しそうに評価する。
ロンドは破壊神にして魔王の如き偉大なる存在。
そんなラスボスに狂喜じみた笑みで「ヤバい」と言わせる。ツバサ・ハトホルなる人物がどれほど危険なのか教えてくれているようなものだ。
「殺し甲斐がある。そんで殺される甲斐がある……そういう強敵なんだ」
悦びを隠しきれない笑顔で凄むロンドに圧倒されるネリエルだが、震える口元を扇で隠すと高圧的な態度を取り戻して睨み返す。
「殺し甲斐はわからなくもありませんが……殺される甲斐がある? 自分を打ち負かすかも知れない敵に脅えているとしか思えませんわね」
「ビビってるって言っただろうがよ」
すげなく認めたロンドは信条を歌うように言った。
「――独りでイキがって何が面白い?」
社長椅子から立ち上がったロンドはネリエルへ迫っていく。
「自分を滅ぼしかねない敵が現れたんなら、あの手この手その手を駆使してでも殺したくなる。越えられない壁が目の前に立ち塞がったんなら、万事万端を整えてでも乗り越えるなり、一気にぶち抜く方法を模索する……」
ロンドは身長差を利用して、上から見下ろすようにネリエルを覗き込む。その迫力を浴びて令嬢は思わず身を縮めていた。
「上手くいかねぇ、思い通りにならねぇ、期待も希望も裏切られる……それでも! そいつをぶちのめしたい一心であれやこれやと手を尽くす! 心が千々と乱れようと構いやしねぇ! むしろ、そのかき乱されることこそが望みってところまであるぜマジで? そうやって試行錯誤して悩むのが……」
人生の醍醐味じゃねえか――ロンドは陶然と言い切った。
「あ、あなた……何を言ってるんですの?」
理解できない、ドン引きするネリエルの顔にはそう書いてあった。
「ロンド様という人物をご理解いただけてないようですね」
助け船を出すようにミレンが口を挟んでくる。
「ロンド様は万象を滅ぼす破壊の権化。その本能に悉くを破壊するという遺伝子が刻まれている御方にしてみれば、破壊など当然の行い。そこに日々の楽しみを見出すようなことはありません」
「じゃあロンドさまの楽しみってなんなんすか?」
アダマスからの素朴な疑問に、ロンドはドヤ顔で言い切る。
「美味い酒と綺麗な姉ーちゃ……んぼっぷッ!?」
「黙りなさい、せっかく久々に褒めたというのに……」
ミレンの全力ハイキックが炸裂した。
顔面にミレンのヒール跡が深々と刻まれたロンドは、白目でフガフガと歯の根が合わないボロボロの口元でなんとか言い直す。
「か、家族サービスほぉ……仲間たちとのホームパーティーれす……」
「違うでしょう、ロンド様?」
ミレンはゲシゲシと脇腹に容赦なく膝蹴りを打ち込んでくる。
嘆息を交えて、答え合わせをするように言った。
「あらゆる存在をいとも容易く破壊できる貴方様にとって、唯一の娯楽はその破壊に抗う者……自分に刃向う強者こそが愉悦と仰ったでしょう?」
「おお、そうだったそうだった」
テヘペロ、とオッサンがやっても気持ち悪いだけの仕種で立ち直ったロンドは、数少ない趣味を自慢するかのように力説する。
両腕を広げて大仰にだ。
「オレはな、オレに歯向かってくるバカが大好きなんだよ」
破壊神ともいうべきロンドの力を目の当たりにして尚、心折れず畏服も敬服もすることなく、中指を立てて殴りかかってくる怖いもの知らず。
その代表者こそ――ツバサ・ハトホル。
「そういうバカをコテンパンにするのが楽しみなんだ。抵抗してくれりゃ更に良し。まかり間違ってオレを殺しちまう大穴万馬券みたいな奇跡的に強い奴なら大歓迎だ! それこそ、ツバサの兄ちゃんみたいなバカは大好物よ!」
最強の勇者を待ち望む魔王の心境。
ロンドの心持ちはそれに等しく、また待ち望む展開でもある。
ツバサという好敵手の出現に、ロンドの親父心は初デートを前日に控えた中学生みたいにウッキウキだった。今までなら絶対に取り組むことのなかった、対象aの怪物を調整するなどの準備に余念がない理由もそれだ。
全面戦争が待ちきれず――準備期間が楽しくて堪らない。
「オレを焚きつけて、早々にツバサの兄ちゃんと潰し合うように仕向けたかったか? 扇子の煽りはそよ風みたいで心地よかったが……」
そっちの煽りはイマイチだな、とロンドはほくそ笑む。
仕返しとばかりにロンドは煽り返していく。
「だったら四の五の言わずにおまえさんが行ってこいよドリル姫。ツバサの兄ちゃんが待ってる四神同盟に喧嘩でも売ってこいや」
まさかの提案に「え……?」とネリエルはか弱い声を漏らしてしまう。
「で、ですが宣戦布告による休戦協定が……」
「構うこたぁねえよ」
ネリエルの言い訳を切り捨て、ロンドは吐き捨てた。そこから一度も息継ぎすることなく、挑発的な文言を捲し立てていく。
「バッドデッドエンズも四神同盟も出し抜いて、この世界を終わらせた後に自分の望む完璧な世界とやらを創るって宣言してるお強いお嬢様だ。オレがビビって戦争前に準備万端しとかないとブルっちまうような好敵手、ツバサの兄ちゃんもかる~く捻れるんだろ? だったら行ってこいよ、ほら、早く」
早く早く早く早く、と子供のように煽り立てる。
また人差し指を伸ばすと、その指先をネリエルの細い顎に押し当てて、悪戯するように下から突き上げていく。彼女は逆らえずに顔を上に向けるしかない。
視線の先ではロンドが笑っている。
破顔したそれは――口先だけの脆弱な者を嘲っていた。
「それができたら苦労はねぇよなぁ? だからおまえは仲間を集めて、徒党を組みたがる。最悪にして絶死をもたらす終焉にいるのもそうだろ?」
出しゃばるなよ――温室育ち。
そういってロンドは両手でネリエルの頬を挟み込み、子供をからかうようにペチペチと柔らかく叩いた後、その金髪ロールな頭を撫でてやった。
ネリエルにしてみれば最高の侮辱である。
ロンドの手から解放されたネリエルは、燃えるように顔を真っ赤にした。
実際、怒りのあまり発火寸前だ。縦ロールだらけの金髪も逆風を受けたように逆立っており、先端が本物のドリルよろしく回転まで始める。
「っ……くっ、あ…………ッッッ! い、行きますわよッ!」
「「――Yes、お嬢様」」
顔を扇で隠したネリエルは足早に退室していった。
お付きの騎士たちもそれに続くが、ホールの扉は音も立てずに開けて、退室時にはちゃんとお辞儀をしていく。部下の方が行儀がいいらしい。
へっ、と興味なさげにロンドは鼻で笑った。
ネリエルの鼻を開かせたので、リードたちも微笑みながら休憩のお茶を嗜んでいる。ただし、ミレンだけは懸念の眼差しで注進してくる。
「……よろしかったのですか?」
言葉数こそ少ないが、ミレンの心配はロンドに伝わっていた。
恥を掻かされたネリエルが怒りに任せて出撃し、四神同盟に攻め込んで悶着を起こしたらどうするんですか? と言いたいのだ。
いいんだよほっとけ、とロンドはとりつく島もない。
「約束ってのはな、破るためにあるんだから」
「名言っぽく言ってますけど、社会人としては最低ですからね」
ミレンにはバッサリ切り捨てられたが、ロンドは宣戦布告の約束をネリエルが破ることになっても大したことではないと割り切っていた。
そもそも、全面戦争前に問題が起こるのは織り込み済みなのだ。
ツバサからして約束を交わしたロンドを、「胡散臭くて信用ならん」という背筋がゾクゾクする冷徹な瞳で見ていたのだから安心してはいまい。
ロンドが約束を守っても――部下が守るとは限らない。
ツバサもロンドも、「きっとはねっ返りのバカが横紙破りするんだろうな」という予測を踏まえていた。双方この一点では思考を共有できたのだ。
はねっ返りはネリエルに限った話ではない。
あの悪役令嬢の他にも、問題児の在庫は豊富に揃っているのだ。
「皆殺し大好きのグレンなんか、その最たる例だろ?」
同意を求めるロンドに、ジンカイが軽食を貪りながら頷いた。
「ええ……あとウチのアダマスも要注意ですね」
「そりゃねえよ姐さん!?」
引き合いに出されたアダマスは、自慢のリーゼントを揺らして泣きそうな声で抗議した。思いのほか言葉責めに弱いのか?
「おれぁちゃんと言うこと聞いてるいい子だろ!?」
え? とリードが片目を丸くして驚愕する。
心中では「それはもしかしてギャグで言ってるんですか!?」とツッコミたそうにしているが、喉の奥でグッと堪えているらしい。
「自分より強い目上の人の言うことはちゃんと聞いてるだろ、おれぇ!?」
「……だから僕の指示は時たま無視するんですね」
ぼそり、とリードは恨み節を吐いた。
穂村組襲撃の際、思い通りに動いてくれなかったことを根に持っているのだ。アダマスは悪びれもせず「うん、そう」と素っ気なく認めた。
これにリードは柄にもなく声を荒らげる。
「言うこと聞いてくださいよ! 僕、一応リーダーですよ!?」
「あー、うん、あれだ。時と場合に寄るな」
部下たちの雑談を聞き流して、ロンドは社長椅子に戻る。
頬杖をついて気の抜けそうな吐息をついた。
「……ま、どっちでもいいさ。あれで部屋に戻って不貞寝するならそれまでだし、いきり立って四神同盟へ殴り込みする根性があるならそれも良し」
トラブルの種を撒けば――世界は蠢動する。
「そうやってごちゃ混ぜになっていく混沌がオレぁ好きだぜ」
~~~~~~~~~~~~
「えぇぇ~~~い! 忌々しいったらありませんわッッッ!!」
自室に戻ったネリエルは荒れ狂っていた。
他の隊よりも自由に使える区画を広く与えられた九番隊は、そこにゴージャスを極めた宮殿のような内装を誂えた。勿論、隊長であるネリエルの部屋は豪勢を尽くしており、最も大きな面積を専有している。
令嬢に相応しい……いや、女王が腰を下ろすに見合った部屋だった。
その部屋に――いくつものドリルが乱舞していた。
ロンドによって公衆の面前で羞恥に晒された。
やり場のない怒りを抱え込んだネリエルは、自身でも制御できなくなっており、少しでも苛立ちを発散させるべく、金髪縦ロールが暴れ出したのだ。
長い金髪が触手のように伸び、独りでに振り乱れる。
先端の縦ロールが硬質化し、高速回転して金属のドリルを凌駕する穿孔力を発揮しながら、部屋の中を縦横無尽に駆け回っているのだ。
お嬢様は気分が乱高下しやすい癇癪持ち。
そんなネリエルが発作的に起こす――大癇癪である。
「お嬢様! 落ち着いてくださいませ!」
「これ以上の乱暴狼藉は、他の者たちに気付かれてしまいますれば!」
「ただでさえロンドに翻意ありと怪しまれている我々です!」
「これ以上は……お嬢様ぁぁぁ!?」
「ち、忠臣である我々までドリルの餌食に……ほげぇぇぇ!?」
九人の騎士は右往左往して、ネリエルに落ち着くよう嘆願する。
何人かはドリルをまともに食らっているが、そこはそれLV999なので致命傷は免れていた。LV998なら今頃は風穴が空いていたはずだ。
それほど――ネリエルの力は凄まじい。
ロンドに匹敵する過大能力というのも、他ならぬ本人が認めたこと。
この不完全な世界を滅ぼし――無から新世界を創り出す。
それがネリエル率いる九番隊ヤルダバオートの悲願。
ネリエルの過大能力で創造されたそこは、完全にして完璧な世界。
新世界に生きとし生けるものはネリエルを最高神として崇拝し、騎士団が従属神となって管理することで、未来永劫変わることのない絶対的な楽園となる。
「フーッ、フーッ、フーッ……だというのに!」
邪魔物ばかりで困ったものですわ! とネリエルは憤慨した。
金髪ドリルを暴れるだけ暴れさせたので、癇癪も気が紛れたらしい。令嬢にあるまじき、怒らせた肩を揺らして深呼吸を繰り返している。
それでも、ようやく落ち着いたようだ。
最後の深呼吸をすると、女帝の玉座へと腰を下ろす。
ネリエルの部屋には彼女のプレイベートルームの他に、下々の者と顔を合わせるための謁見の間も用意された。当然のように玉座も据え置かれていた。
彼女が座ると同時に、騎士たちがお茶と菓子を運んでくる。
九人の騎士たちはネリエルに忠誠を誓っており、付き合いも長い。
彼女の癇癪は今に始まったことではないので、ご機嫌を取ることにも慣れていた。お気に入りの紅茶とスコーンを予め用意しておき、工作系が得意な騎士はせっせと壊された室内の改装作業に取り掛かっている。
紅茶の香りを楽しんで、一口飲んだネリエルはため息をついた。
「ロンド、ツバサ……厄介なのはこの二大勢力」
ヤルダバオートが目指すのは――完全なる新世界。
パーフェクトな神々のパーフェクトな種族によるパーフェクトな人民のための完全世界を生み出すことにあるのだ。
そのためにも、不完全なこの世界を守ろうとする四神同盟は障害でしかない。
この世界を滅ぼすという意味では協力できるが、その後に何も残さないというロンドともいずれ対決する運命にある。
隊に数えられているが、あの男に服したつもりはネリエルにない。
あくまでビジネスパートナー程度にしか捉えてなかった。
「わたくしはもっと先の未来――次元の彼方を見据えておりますわ」
ネリエルは花弁のような唇を少しだけすぼめる。
それから高らかな美声で、唱えるかのようにある人物を呼びつけた。
――ナイ・アールッ!!
「ナイ・アールはおりますの? 商談のお時間ですわよ!」
「……はーい。お嬢様ー」
どこからともなく異様に間延びした声がする。
「お呼びいただいて光栄でございますー、ネリエルお嬢様ー」
ネリエルの足下にできた影が床を這うように蠢いたかと思えば、まっすぐに伸びていき彼女の前へと蟠る。影は煮立ったように沸いていた。
ボコボコと泡立つ影が、ゆっくり膨張していく。
やがて影は“黒い男”を形作る。
日本人のはずだが、それにしては肌が浅黒い。身にまとう衣服も喪服のようなダークスーツだ。やたらと黒いベルトで飾られている。
身体を打ち振るわせれば、無数のベルトが触手のように蠢いた。
胸に右手を当て、恭しく頭を垂れる黒い男。
持ち上げた顔は愛想笑いを浮かべたつもりだろうが、糸のように細い眼と糸のように細い口が曲がっただけにしか見えず、不安しか誘わない。
ゲームマスター№64――ナイ・アール。
ロンドの裏を掻いて秘密裏に接触、商談を持ち掛けてきた男だ。
正直、ロンドより下位の(それもGMとしては最下位の)ゲームマスターなんて眼中になかったのだが、明かされた彼の正体を知って気が変わった。
真なる世界を貪る別次元の侵略者――蕃神。
ナイ・アールはその使者を務めているという。
(※第248~252話参照)
平たく言えば、この世界の裏切り者だ。
当初、ネリエルはナイ・アールの素性をまったく信じていなかった。
するとナイ・アールは蕃神の使者であるという証拠をいくつか提示してきたので、そこで初めて彼の正体を信用して交流を持ったのだ。
ネリエルは前置きせず要件を切り出す。
「以前あなたが持ち込んできた取引……皆で話し合ってみたところ、なかなか魅力的という結論に至りました。お話を進めていただいてもよろしいかしら?」
「はいはいー、待ち兼ねておりましたよー」
ナイ・アールは商人のように手揉みする両手をパッと開いた。
「この真なる世界を蕃神に売り飛ばすご算段はついたわけですねー?」
あら人聞きの悪い、とネリエルは訂正を求める。
「売り飛ばすなんてお行儀の悪い……不必要かつ不完全でいらないガラクタのような世界を、腹ぺこだという蕃神に引き取っていただくだけですわ」
この物言いにはナイ・アールも首を傾げる。
「それって……どっちも同じ意味じゃありませんかねー?」
「いいえ、断じて違いますわよ」
ネリエルは澄ました顔で否定した。
両者の交わした取引――主な内容はこうだ。
ネリエルは真なる世界を蕃神が貪れるように手引きをする代わりに、蕃神たちはネリエルが創造した完全なる新世界に手を出さない。
簡単にいえば、新しい世界を創る権利を買うような取引である。
契約完了は――蕃神が真なる世界を喰い滅ぼした瞬間。
それまでネリエルは蕃神のサポートを受けつつ、この真なる世界を蕃神が食べやすいようにフォローするのも契約内容のひとつだった。
「そうですわね、手始めにまず……」
ネリエルは手にしていた紅茶を傍らのテーブルに置いた。
それから自信満々に約束する。
「ロンドの一味としてツバサ・ハトホルとやらに戦争を仕掛け、早々に大戦争を引き起こすところを御覧に入れて差し上げますわ」
既にネリエルは策を練っていた。
ネリエルたちがバッドデッドエンズの一員として四神同盟を襲撃すれば、宣戦布告で交わされた契約に不履行が発生する。
そこからなし崩しに戦争が始まるよう仕向ければいい。
真なる世界を終わらせる大戦争だ。
これによりロンドがダメージを負えば殺しやすくなるし、どちらにせよ大戦争の混乱に乗じて寝首を掻く機会も生まれる。
あわよくば――ロンドとツバサには差し違えてもらいたい。
それが叶わずとも、バケモノ同士が激突すれば互いに無傷で済むわけもないから、生き残った手負いをネリエルが仕留めればいいだけの話。
どう転ぼうとも――ネリエルに損はない。
更にもう一手、勝算を高めるエッセンスを加える。
令嬢がたった今閃いた態を装うため、顔の脇で両手を優しく合わせるという愛らしい仕種でナイ・アールに持ち掛ける。
「そうですわ。この機に乗じて、蕃神の皆さんもこの世界を喰らいに侵入すればよろしいではありませんこと? 色々と捗るのではなくて?」
こうすれば大混戦になること請け合いだ。
ネリエルたち九番隊ヤルダバオートは、契約があるので蕃神に襲われない。だがバッドデッドエンズも四神同盟も彼らにしてみれば極上の餌だ。
ネリエルの一人勝ち、その勝率が益々上昇する。
いいですねー、とナイ・アールは深く考えずに安請け合いした。
「我が主も混沌混乱混戦、カオスは大好きですのでー。ではでは、我が主を通じて参加したい蕃神の方々がいればどうぞー、と打診しておきますので」
「ええ、良きに計らってくださいまし」
ネリエルは扇を取り出し、口元を隠した。
その両眼は勝利を確信して三日月のように細めているが、口元まで同じように歪んでいるのだ。令嬢として、あまりお披露目したい笑顔ではない。
これで忌々しいロンドを葬り去れるのは確実!
ツバサとかいう乳がデカいだけの男女も抹殺できる!
やがて来る自身が創造主となるパーフェクトな新世界を夢想すると、どうしてもいやらしい笑みで緩むのを止められなかった。
「あ、そうそうー、これはそんな我が主からの手付金ですー」
ナイ・アールは懐から小箱を取り出した。
箱にしては等間隔がおかしく、均整の取れてない形状だ。
黒檀のような上質な木材でできているのか、黒光りするも小箱の随所には宝石や金銀の華麗な装飾がこれでもかと施されている。ただし、それらの装飾は不気味な怪物を象ってばかりいた。
小箱を左手に乗せたナイ・アールは、右手でほんの少しだけ開いた。
そう、ほんの少しだ。
なのに――嵐が巻き起こった。
先ほどのネリエルの癇癪で暴れた、縦ロール金髪ドリルの比ではない。冗談抜きでネリエル自慢の宮殿内装を極めた部屋がパンクするところだ。
箱の隙間から迸る黄金の“気”。
それは解き放たれた歓喜を歌うように狂乱の限りを尽くしていた。
ネリエルと九人の騎士も身の危険を感じたほどである。
すぐにナイ・アールは箱を閉じた。
後に残されたのは、竜巻が通り過ぎたような部屋の惨状のみ。
「そ、それは……それは一体なんなんですの!?」
非難も兼ねてネリエルは罵声のように問い掛ける。
――トラペゾヘドロン・ボックス。
ナイ・アールは、小箱の名前しか明かしてくれたなかった。用途に関しては説明するまでもないと思っているようだ。
「必ずやお嬢様の助けになってくれることでしょー」
ナイ・アールは黒い小箱を両手に乗せ、こちらに贈呈してくる。
わずかな隙間から凄まじい“気”が噴き出す箱。
恐らくは蕃神のテクノロジーによる産物なのだろうが、小箱に収められた何が無尽蔵ともいえる“気”を止め処なく溢れさせているのがわかった。
禍々しいとも評せる、激烈な“気”をネリエルは浴びた。
「この小箱……これがあれば……」
令嬢は悪役がするべき凄惨な微笑みを浮かべる。
そして、差し出された献上品を王侯貴族よろしく受け取った。
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