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第15章 想世のルーグ・ルー
第370話:若気の至りと黒歴史は紙一重
しおりを挟む拳骨の真相は500年前まで遡る。
500年前の真なる世界は、めまぐるしい転換期の真っ只中にあった。
別次元からの侵略者――蕃神。
かつて“外来者たち”と呼ばれた侵略者の攻勢が強まり、第何次になるかわからないほど重ねた大戦を、撃退という形でようやく乗り切った頃だ。
撃退、つまり追い払っただけである。
それまでの戦いもそうだが、蕃神たちが二度と侵略してこないように対策を取れたわけでも、彼らを全滅させることで禍根を絶てたわけでもない。
時を置けば――奴らは舞い戻る。
しかも蕃神は再戦する度に勢力を強める傾向があった。
捲土重来と恐れるべき巻き返しだった。真なる世界を守るため高位の神族や魔族が結託しても、その威勢に押し切られる予兆が現れていた。
それでも撃退すれば時間は稼げる。
短くても50年前後――長ければ数百年。
散発的な小競り合いこそ止まないものの、少なくとも世界を滅ぼしかねない大戦は仕掛けてこない。それだけでも御の字だった。
追い払われた蕃神は別次元で傷を癒やすため静養するなり、滋養を摂るなりして力を蓄えているのか、しばらく真なる世界へはやってこない。この休戦期間を真なる世界の民はなるべく有効活用してきた。
500年前のそれは――転換期と呼ぶより他なかった。
主戦力だった神族や魔族の多くが戦死。あるいは怪我や老齢により第一線を退いてしまい、極端な戦力低下を避けられなかったのだ。
兵力となる多種族も人口が減り、絶滅した種族も少なくない。
これでは戦うこともままならない。
そこで起死回生の一手を打つべく様々な対策が練られた。
一手では足らないとばかりに百手、千手、と考えられる限りの手段を講じ、蕃神を迎え撃つ準備を整えていったのだ。
実行できたものもあれば、頓挫したものも数え切れない。
それほど逼迫していた諸事情もある。度重なる大戦争によって人員も物資も減る一方、補填することも難しかったはずだ。
最大の計画は――地球から人間を呼び寄せること。
神族と魔族の間に生まれた“灰色の御子”たちを地球に派遣して、真なる世界の因子を受け継いだ人類に覚醒を促すことで強力な戦士とする。
彼らの力を借りて、蕃神を撃退するという計画だ。
この計画の産物こそが――VRMMORPG。
人類に覚醒を促す強化プログラムと、異世界へ転移させるための装置。その他にも複数の機能を搭載された、人知の及ばぬ特殊プログラムである。
これでツバサたちは真なる世界へ飛ばされてきた。
人間から神族となった者は襲い来る蕃神と戦って返り討ちにし、安全地帯を設けて現地の人々を保護し、真なる世界のために尽力している。
四神同盟はその最たる成果だ。
灰色の御子の計画は概ね成功した、と讃えられるべきだろう。
他にいくつもの計画が進められていた。
蕃神の迎撃装置として『還らずの都』が建造されたのもこの頃であり、ヌンの治める水聖国家のように異相へ亡命する国々が現れたのも同時期である。
軍備と平行して、避難策も取られたわけだ。
亡命に関しては「戦わずに逃げた卑怯者」と卑下された面もあれば、「もしも次元の彼方まで逃げることができたなら、真なる世界の種子を後世に伝えられるかも知れない」という淡い展望もあったらしい。
神も人も考えることは似通うようだ。
図らずも、ツバサと同じ諦観めいた希望を亡命者へ抱く者がいたのである。
これらの計画のひとつに――『天梯の方舟』があった。
世界樹と呼ばれる樹がある。
真なる世界に満ちる原始的なエネルギー“気”を司るご神木であると同時に、別の世界や次元にまで枝や根を伸ばす偉大なる神樹だ。
その昔、地球との行き来にも世界樹が使われていた。
これを蕃神に悪用されることを恐れた神族と魔族は、真なる世界中に何本もあった世界樹を泣く泣く伐採することとなった。
一本の若木のみを残して――。
いつか蕃神を完全に討ち果たし、真なる世界に平穏を取り戻せた時、その若木が新たな世界樹となることを願い、未来への希望を託したのだ。
この若木、どこかに植えるわけにはいかない。
一部の蕃神は世界樹に対して異常な執着を持っていた。どんなに巧妙に隠そうとも、執拗なまでに隠し場所を突き止めてくる。
発見次第、世界樹を奪うために集中攻撃をかけてくるのだ。
蕃神の眷族による圧倒的な物量攻撃を前に、タワーディフェンスで防ぎきるには戦力が足りない。そこで防御力に優れた飛行戦艦を建造し、これに世界樹の若木を乗せることが計画された。
計画の骨子は概ね以下のようなものだ。
――常に移動することで一カ所に留まらない。
これで蕃神からの執拗な追跡を少なからず躱すことができる。
――襲撃を受けたら撤退を最優先とする。
世界樹を守ることが勝利条件。「逃げるが勝ち」という戦法だ。
――旗艦に世界樹を積み、随行艦も揃えて艦隊とする。
いざとなれば随行の駆逐艦、巡洋艦が盾となって旗艦を逃がす。
こうして『天梯の方舟』は建造された。
ツバサたちが出会った時は旗艦である方舟クロムレック一隻だったが、実は9隻の随行艦もいたという(内訳は駆逐艦6隻、巡洋艦3隻)。
この方舟艦隊を任されたのが守護妖精族である。
彼らは亜神族とも分類される種族。
簡単にいえば、神族に次ぐポテンシャルを備えている。
超ロボット生命体ともいうべき機械生命体であり、他種族が冒されるような疫病や過酷な自然環境にも耐える生命力を持つ。戦闘能力が高いのは言うに及ばず、寿命も神族や魔族に引けを取らない。
いざとなれば“巨鎧甲殻”を身にまとい戦闘力を上昇させる。
種としてトップダウン式の軍属気質にあるが、それ以上に守護者として何かを守ることを使命とする傾向があった。
まさに方舟を護衛するに適任といえた。
~~~~~~~~~~~~
500年前――方舟は世界樹の若木を乗せて旅立った。
いつ終わるかも知れない旅路だ。
出航した当初は、世界樹に関わっていた神族や魔族が何人も搭乗していた。世界樹の若木を世話するため、そして守るためにである。
その一人が他でもない――ダグの母親となった地母神だ。
みんな世界樹を守るために犠牲となったが……。
当時の総司令官は、スプリガン族の長であるブリジット姉弟の父親。
その下に幹部が数人、砲撃部隊隊長、遊撃部隊隊長、工作部隊隊長……といった各部隊をまとめる隊長を務めるベテランが続いた。
ガンザブロンはこの頃から防衛部隊隊長を務めていた。
そして、方舟護衛の任についたスプリガン族は、これを機に新たな部隊をひとつ創設して駆逐艦の一隻を預けることにした。
部隊の名は――突撃部隊。
当人たちは先陣を切る「斬り込み隊」とかっこつけていたが、仲間内では「チンピラ愚連隊」などと小馬鹿にされていた。
守護者で軍属気質なのがスプリガン族の特性だ。
戦うことに秀でていても、平和を愛する温厚な種族である。
しかし、どんな種族にも穏やかな者もいれば気性の荒い者もいる。穏健派の中にも過激派は潜んでいるものだ。その逆もまた然りだが。
スプリガン族も例に漏れない。
突撃部隊の構成員は総じて好戦的だった。
他の部隊に比べて年齢層が若い、というのもあったのだろう。
人間に換算すれば大学生くらい。歴戦の古参兵からしてみれば、まだまだ半人前の若造ばかりである。だが、威勢だけは一人前だった。
そう、威勢だけならば――。
敵を血みどろにするまで戦うこと好む血の気の多さから、「赤いスプリガン」なんて不名誉な悪名まで頂くほどだった。
突撃部隊を率いたのが――ラザフォード・スピリット。
赤いスプリガンらしく、赤髪を逆立てた生意気盛りの青年だった。
彼の赤い髪は突撃部隊のシンボルでもあった。
ガンザブロンの部下として防衛部隊に配属されていたが、その戦闘能力の高さと若い仲間からの求心力を買われて、新部隊の隊長に抜擢されたのだ。
この時期の彼は有頂天にあった。
眉間の皺を深くした現在のラザフォード曰く――。
『お恥ずかしい話、あの頃の自分が目の前に現れたら……もしくはあの頃に時間を越えて行けるのなら……過去の自分がスクラップになるまで、砲撃をやめるつもりはありません。跡形もなく確実に消し飛ばします』
とことんブラックな黒歴史らしい。
隊長に任命された頃のラザフォードは、典型的な『オレサマ最強№1!』と痛いくらいに勘違いして、自分のことを絶対無敵だと思い込んでいたらしい。
若気の至りとも言うべき、増上慢に囚われていたのだ。
なまじ有能だったのも災いした。
機転が利いて判断力が早く、後輩から同年配までの仲間に慕われるカリスマ性があり、生まれついて強力な“巨鎧甲殻”を持っている。
こうした要素がラザフォードを増長させた。
若くして隊長に昇格、駆逐艦とはいえ艦長も任される。
自分はデキる奴だ、と思い込むのに十分だった。
怖いもの知らずだった彼は、元上司のガンザブロンにも威張った。
『ガンさんガンさん! これからはオレも隊長だから同格に扱ってくださいよ! もう小僧呼ばわりは御免っすからね……あ痛ぇ!?』
『こん馬鹿者が、調子に乗っちょっと痛か目見っど』
『現在進行形で痛ぇ……なんだよ! もうガンさんの部下じゃなくて、同じ隊長なんだからな! いつもみたいにポンポン殴……られたッ!?』
『おまえなんぞいつまで経っても悪童よ』
こんクソ餓鬼が、とガンザブロンは拳骨を硬く握る。
だが元上司の口元は緩んでいた。元気な若者は嫌いじゃない。スプリガンの次代を担う戦士として、経験を積んで立派になることを願っていた。
隊長へ推薦したのもガンザブロンなのだ。
これもラザフォードを成長株と見込んでのこと。拳骨で厳しく叱りつけるのは、早く一人前になってほしいという期待の裏返しでもあった。
しかし――最悪の事件は起きてしまった。
およそ500年前のこと。
天梯の方舟艦隊が出航してから数十年が経ち、幾度となく蕃神の激しい襲撃にさらされたことでスプリガン戦士はおろか、共に方舟へ乗船していた神族や魔族も命を落とすほど過酷な戦況を強いられていた。
だが、微かな希望もあった。
豊穣神の再来――灰色の御子ダグが生まれたのだ。
ダグの母である地母神はこう予言した。
『これより我が孕む子は大地の力を司る新たな御子となるでしょう。彼は灰色の名を冠する者たちの一員となり、いずれやってくる新しき神族と手を携え、この地に平穏をもたらしてくれるはずです』
スプリガン族は次期総司令官となるダグの誕生に歓喜した。
ラザフォードも我が事のように喜んだ。
生まれたばかりのダグや幼かったブリジット姉妹は、不思議とラザフォードに懐いており、「ラザ兄ぃ」の愛称で親しまれていた。
ラザフォードもまた、ブリジット姉弟を可愛がった。
『この子たちが大人になった時、総司令官や副官になった時……この子たちを前線に立たせなくてもいいくらい強い戦士にならなきゃな』
若いラザフォードは使命感に燃えたという。
自信過剰ではあるものの、守護者の気質は受け継いでいたらしい。
ある日――初めて見る蕃神の襲撃された。
今までは不定型なもの、触手だらけのもの、粘液まみれのもの……といった名状しがたいオンパレードだったが、この蕃神は一線を画していた。
銀色の円筒形にしか見えない、破城槌のような戦艦。
その船首を叩きつけることで力任せに次元の壁を打ち破り、異形の甲殻類を模した無数の艦載機を従えて、方舟を追うように現れたのだ。
これが蕃神ミ=ゴとの初遭遇だった。
以降、方舟はこの破城槌の如き戦艦に付け狙われることになる。
襲い来る怪物モドキな艦載機の群れ。
先代総司令官はそれらを迎撃しつつ、撤退戦の指示を出した。
敵の戦力は未知数、次元の向こう側にどんな伏兵が潜んでいるかもわからない。対して、こちらは世界樹を守るという使命がある。
敵の出方を探りつつ防衛に徹し、機を見計らって全速力で離脱。
先代総司令官はこれを最適解と考えた。
そもそも派手な迎撃戦は望めない。
当たり前の話だが、戦えば戦った分だけ消耗する。
航路の途中でどこかに寄港して物資を補給しつつ船を補強できればいいが、真なる世界全土が壊滅的な現状では望み薄だ。
このため、防衛に専念して逃走に徹するしかなかった。
方舟艦隊はこの支持に従い、防戦に振り回される振りをしつつ、いつでも全速力を出してこの空域から逃げるための準備を整えていた。
この局面で――ラザフォードは人生最大のやらかしをした。
正しくは、突撃部隊が総出でやらかした。
この数十年の航路で彼らは鬱憤が溜まっていた。
『来る日も来る日も“外来者たち”から逃げてばかり……オレたちなら連中を返り討ちにできる! 一匹残らず血祭りに上げてしまえばいいじゃないか!』
これが赤いスプリガンの総意だった。
守護者ながら目の前の敵を真っ赤なトマトジュースみたいになるまでギタギタに叩きのめしたい衝動に駆られる突撃部隊の面々は、防戦と撤退ばかりを命じられる毎日に「戦いたい!」というストレスが限界を迎えつつあった。
このままでは暴動を起こしかねない。
というか――ラザフォードも我慢の限界だった。
もっと戦わせろ! という隊員の無謀な意見を宥め賺すのが隊長のあるべき姿なのだが、ラザフォードは隊員と一緒になって奮起してしまった。
『よし、オレにいい考えがある』
会心の笑みを浮かべたラザフォードは密かに命じた。
『次に蕃神が襲ってきた時、全力で戦わせてやる! 総司令官やガンさんに何か言われても気にするな。オレが全責任を負うから好きに暴れてやれ!』
これに突撃部隊は沸き立った。
そして、蕃神ミ=ゴはまさにお誂え向きな敵だった。
突撃部隊はチャンス到来とばかりに受け持ちの駆逐艦を回頭させると、たった一隻でミ=ゴの戦艦へ突撃を敢行してしまったのだ。
――完全な命令違反である。
上司のガンザブロンは元より各部隊の隊長、果ては先代総司令官にまで通信越しに「この馬鹿ども!」と罵倒された始末である。
基本的に温厚で紳士、部下を叱責したことはほとんどない。
そんな先代総司令官を本気で怒らせたのは、後にも先にもこの一件だけだ。
ラザフォードはこのように弁明した。
『オレたちが殿を務めます! みんなは先に逃げてください!』
必ず追いつきます! と豪語して通信を切った。
見え透いた嘘、子供じみた言い訳である。
本当は艦載機を突破して敵戦艦に突っ込み、強襲を仕掛けてそのまま相手の艦へ乗り込むと、内部で大暴れして撃沈させようと目論んでいたのだ。
これなら存分に暴れられる。
敵艦を落としたら駆逐艦に戻り、方舟に追いついて悠々と凱旋。
突撃部隊ならそれができる! とラザフォードは過信していた。
オレたちは無敵だ! と根拠もなく盲進したのだ。
60人に及ぶ隊員も同様、自分たちの強さを信じて疑わなかった。
だが、若者は厳しい現実に直面させられる。
まず雲霞の如く湧いてくる異形の艦載機すら突破できず、昆虫のような手足を持つ彼らにたかられた駆逐艦は、あっという間に装甲を食い破られる。こちらが企てていた、艦内への潜入もミ=ゴたちに先取りされてしまう。
駆逐艦の内外で激しい戦闘が始まった。
しかし多勢に無勢、ラザフォードたちは追い込まれてしまう。
何より――駆逐艦が保たなかった。
動力源をやられて大爆発を起こし、突撃部隊の全員が巻き込まれる。
こうして方舟艦隊は駆逐艦の一隻を失った。
60人もの戦士、それも“巨鎧甲殻”をまとえるスプリガンの戦士が行方不明となれば兵力がガタ落ちになるのは必定。防戦どころか撤退戦にも手が回らなくなり、方舟艦隊は徐々に追い詰められていくことになる。
この日から、スプリガン族の斜陽が始まったといっても過言ではない。
~~~~~~~~~~~~
駆逐艦は跡形もなく木っ端微塵となった。
その爆発で吹き飛ばされたラザフォードたちは、身にまとっていた“巨鎧甲殻”も大破。機械の肉体も自己修復できないほど重傷を負ってしまう。
みんな受け身もろくに取れず地面へ落下した。
落ちた先が、せめてもの悪運に恵まれたのかも知れない。
そこは隠棲した創世神の一柱が作り出した、不可侵の安全地帯だった。その圏内に落ちたラザフォードと32人の隊員は辛うじて一命を取り留めた。
しかし、再起不能には違いない。
安全地帯は命脈こそ保ってくれたが、壊れた身体までは直してくれなかった。
機械の肉体は機能停止――意識は休眠状態に入る。
壊れた肉体を再起動するには相応の生命力を付与してもらわねばならず、破損した肉体も修理しなければ動くこともままならない。
32人の隊員たちは、ここから500年の長い眠りについた。
唯一人――ラザフォードを除いて。
他の隊員たちも500年の休眠の間でノンレム睡眠のような半覚醒になることはあったが、ラザフォードは決して眠ることができなかった。
自責の念が強すぎたためである。
『どうしよう……オレが……粋がったせいだッ!』
艦隊の主戦力となる駆逐艦を轟沈させてしまった。
そこに乗り込んでいた60人の隊員も無駄死にさせてしまった。
機能停止した肉体では挽回すらできない。
『艦一隻と部隊ひとつを台無しにしてしまった……この穴を埋める方法が今の方舟にはない! 外来者どもの追撃が苛烈になれば、戦力がジリ貧になるのは火を見るより明らか……方舟に魔手が届くのも時間の問題だ!』
全部――ラザフォードのせいだ。
自分のせいで大切な仲間が死んでしまう。総司令官も、ガンさんも、先輩の隊長たちも……こんな自分を慕ってくれた幼いブリジット姉弟までも……。
『うぁあああああああああああああああーーーッ!! やだぁ……オレは、みんなを守りたくて……そのために戦いたかっただけなのに!』
守るべき者を守れず、戦うべき時に戦えない。
ラザフォードは怒濤の如く押し寄せる後悔に発狂しそうだった。
泣き叫びたいが身体は動かない。五感センサーも死んでいる。
重すぎる罪悪感に押し潰される意識は、暗闇に閉じ込められたまま号泣を兼ねた絶叫を上げることしかできなかった。
『オレがバカだった……何もわかってない餓鬼だったんだ!』
――おまえなんぞ悪童だ。
ガンさんの言葉が骨身に染みる。あの拳骨が懐かしくて堪らない。
『オレのせいで……みんな、オレのせいで……ッ!』
謝罪しても届かない、後悔しても役には立たない。
ただただ、自分が悪いという悔恨の念を積み重ねていくしかない。
安全地帯の底、落下の衝撃で埋没してしまった暗い地中でラザフォードは自分を責め続けた。心が壊れるまで責めても満足することはなかった。
罪の意識が休眠状態になることを拒む。
『オレは許されない大罪を犯した! 誰も許してくれなくていい! そもそもオレが自分を許せない! 休眠状態に落ちるなんて……ッ!』
――できるはずがない!
自らを地獄へ堕とすように、ラザフォードは自身を責めた。
安寧の眠りなど許されようはずがない。
ラザフォードは機能停止から休眠状態へ移行しようとする頭脳回路を焼き付かせると、自責の念という業火で己を焼き続けた。
贖罪さえ許されない、不甲斐ない自分への罰として……。
自責の念で苛む日々の中、ラザフォードはほんの少し夢を見る。
眠りに落ちたわけではない。もしも再起動できたなら……と仮定して、その後に自分が取るべき指針を模索するようになったのだ。
『方舟は無事……だと信じたい。もう一度、立ち上がることができたら、まず方舟を探そう。スプリガンは丈夫なのが取り柄、きっとみんな世界樹を守って戦っているはずだ……もう、無謀なことはしない。若気の至りはこれっきりだ』
もう二度と――しくじらない。
そのためにも、自分を見詰め直す必要があった。
子供じみた過信を若気の至りと自省し、自分が最強だと信じて疑わない恥ずかしくも情けない妄信を黒歴史として封印する。
反省では足りない猛省だ。幼稚な自己を分解して沈着冷静な大人へと組み替えていく。肉体の修理ができない今、愚かだった悪童の意識を解体して、戦士として揺るぎない人格に造り直すことに取り組んだ。
罪悪感に溺れながら――そんな作業に没頭した。
あらゆる戦況で正しい判断を下せる隊長になるために……。
自責の念に苦しむ地獄は続く。
その苦しみに耐えながらもラザフォードは、頭脳回路のCPUを徹底的に酷使させることで、何度も何度もシミュレーションを繰り返した。
――この戦局ではどう戦うべきか?
――この戦場ではどう隊を動かすべきか?
――この外来者にはどう対処すべきか?
記憶フォルダにある限りの戦闘記録を掘り返し、丹念に読み返すことでスプリガンの一部隊として執るべき最善の答えを導き出していく。また、適当に聞き流していた総司令官や他の隊長の教えも一言一句、フォルダの隅から掬い上げた。
無間地獄の最中、知らぬまま精神修練に励んでいたのだ。
100年、200年、300年、400年……500年が経過した。
とある安全地帯にルーグ陣営がやってきた。
一時的にだがこの地に腰を落ち着けたジェイクたちは、偶然にも地中に埋もれていた休眠状態のスプリガン族を発見する。
『この異世界のオーパーツ!? もしくは発掘兵器ってやつかなこれ!』
そういってソージが大喜びで掘り出したらしい。
ジェイクの生命にまつわる過大能力で息を吹き返したスプリガンたちは、500年もの時を経てようやく再起動することができた。
ソージの機械を操作することに長けた過大能力で、機械の肉体も直してもらい、外骨格に当たる“巨鎧甲殻”も増強するように修理してもらえた。
この直後――突撃部隊の隊員たちは絶句した。
隊員たちは誰もが500年前の若々しい姿で再起動できたのだが、ラザフォードは様相が一変していたのだ。
なんとか面影はあるものの、まるで別人だった。
いつも自信に満ち溢れた顔はすっかり意気消沈しており、覇気を漲らせた双眸は凪いだ海のような色をしている。目の下にはどぎつい隈がこびりついており、眉間の皺は千尋の谷よりも深く感じられた。
何より変わったのが頭髪の色だった。
ラザフォードは元々、灼熱に燃える赤髪を逆立てていた。
赤いスプリガンの象徴だった真紅の髪。
それが渋味を加えた鋼色に染まっている。人間でいえば黒髪が総白髪に変わったようなものだろう。それをオールバックで撫でつけていた。
老け込んだ――というより老成した印象だった。
再起動を果たしたラザフォードは、命の恩人であるジェイクやソージに厚く御礼を申し上げた後、生き残った32人の隊員に深く詫びた。
『自分の不始末におまえたちを巻き込んでしまった……すまない!』
一人称が「オレ」もしくは「オレサマ」だったはずのラザフォードが、自らのことを「自分」と呼んだのも驚きだが、部下である隊員たちにここまで真摯に謝る姿を見せつけられるのは初めてだったからだ。
隊員たちも、この500年の休眠で反省していた。
先述した通り、彼らもノンレム睡眠による半覚醒を促されていた時期が多かれ少なかれあり、そこで自責の念に嘖まされていたのだ。
だが――ラザフォードはレベルが違う。
隊長を任せられたことで育ってきた責任感、その重みが容貌が変わるほどラザフォードを追い込んだのだと察した。
惨敗したのはラザフォード一人の責任ではない。
隊長に「戦いたい!」と煽った隊員たちも自業自得だ、とこの500年で弁えていたので、32名の隊員も陳謝した。
ありがとう……ラザフォードは殊勝に頷くだけだった。
再起動後――隊長として最初に取り組んだこと。
『行方知れずの28人もこの近くに落ちていると思う……できれば自分たちのように助けてやりたい。それが無理なら……弔ってやりたい』
反対意見が出るわけもなかった。
ジェイク、マルミ、ソージ、レン、アンズ。ルーグ陣営のみんなも手を貸してくれたおかげで、無事28人を発掘することもできた。
安全地帯の外に落ちた彼らは再起動こそ叶わなかったが……。
それでも丁重に弔うことはできた。
その後、隊員の多くはこのように提案してきた。
『一刻も早く方舟に追いつき、護衛任務に戻りましょう!』
しかし、ラザフォードは首を横に振った。
気持ちこそ隊員たちと同じだったが、その選択は無謀だと却下せざるを得なかったのだ。落ち着いた論調でラザフォードは諭していく。
『この手勢のみで方舟を追いかけるのは危険すぎる。この500年で真なる世界がどう様変わりしたのか? その情報すらないんだ。道中、外来者たちに出会ししたらどうする? 今度こそ一巻の終わりだぞ』
もう二度と――しくじらない。
自らへ噛んで含めるように言い聞かせたラザフォードは、仲間の命を最優先に考える慎重論に徹した。そして、方舟は健在だと力説した。
『大丈夫、総司令官やガンさんはそんなに軟弱じゃない』
必ず誰かが生き残っている、とラザフォードは説いた。
隊員たちの逸る気持ちを抑え、隊長として最善策を提示していく。
『まずは現状確認だ。ジェイク様への恩義を返すためにも、この地に暮らす種族を守りつつ、少しずつ足掛かりを広げていく……方舟の足跡を探してみよう』
異を唱えるスプリガンはいなかった。
後先考えずに突っ走ったせいで、突撃部隊はこんな無様をさらしているのだ。また勢いに任せて動けば、悲惨な未来しか思い浮かばない。
それに比べて――隊長のなんと思慮深くなられたことか。
かつてのラザフォードならば、このような消極策は絶対に選ばない。「後のことは後で考える」と言いきる積極策を持ち出してきたはずだ。
その積極策で突撃部隊は痛い目を見ている。
好戦的なおバカ集団だが、学習能力は十人並みにあるのだ。
元より戦うことは得意でも、策を練るのが苦手な面子が揃っている。
『ラザフォード隊長の判断が正しい』
隊員たちは考えることを放棄したわけではないが、自分たちの脳筋すぎる思考回路では良策が思い浮かばず、隊長の考えを支持することにした。
こうして――ラザフォード率いる突撃部隊はルーグ陣営に加わった。
スプリガン軍団と名乗り、ラザフォードを「隊長」から「団長」と呼称を変えて、ルーグ陣営と彼らが保護する多種族の護衛を買って出たのだ。
その後――とある事件によって安全地帯は没してしまった。
ルーグ陣営はこの事件を契機に、旅に出ることを余儀なくされた。
ちょうど三ヶ月ほど前の出来事である
これにスプリガン軍団も同行することとなった。
目的は2つ、命の恩人であるルーグ陣営の護衛を務めることと、旅の途中で生き別れた方舟の痕跡を探して追いつくこと。
もしも方舟と再会できたら――ルーグ陣営の元を去る。
それはジェイクからも「全然OK♪」と了承をいただいていた。
ラザフォードはソージが改造してくれた“巨鎧甲殻”を超巨大列車として操縦し、ルーグ陣営と多種族を乗せた客車を牽引する。
隊員のスプリガンたちも、ソージの手で大型ビークルに変形するよう改造してもらった“巨鎧甲殻”を駆ることで随伴する。
こうしてルーグ陣営は――真なる世界を巡る旅に出た。
~~~~~~~~~~~~
そして、舞台は現在へと戻る。
ラザフォードの懺悔とも受け取れる過去を聞かされたツバサは、すぐさまダグに連絡を取ってあらましを伝えてみた。
ラザフォードたちは本当にスプリガン族の一員なのか?
その裏を取るためのでもあった。
物心つく前のことだが、ダグはラザフォードを覚えていた。
2人の姉であるブリカとディアにも確認を取り、ガンザブロンやリンのガンファスト親娘にも話を聞き、ラザフォードたちの身元は確認できた。
500年前に行方不明となった突撃部隊。
ガンザブロンはおろか先代総司令官の命令にも逆らった、真っ赤なチンピラ愚連隊として語り継がれているという。語り継いでいたのはスプリガン族最年長にしてみんなのお父さん、防衛総隊長のガンザブロンである。
幼い娘たちに教訓として言い伝えてきたらしい。
……憤懣やるかたない想いも垣間見える。
仕方あるまい。隊長に推薦するほど買った部下が、自身や上官の命に従わなかったばかりか、一族を脅かすほどの戦犯をやらかしたのだから……。
それでも――数少ない同胞の生き残りだ。
是非とも会いたいです! とダグは再会を熱望した。
そうと決まれば話が早い。
イシュタルランドへ赴く前に再会させてあげようと、ツバサは召喚魔法で方舟クロムレックを喚び出した。乗り込んだのは現総司令官であるダグを筆頭に、ブリカとディアのブリジット姉妹。随伴を望んだ戦士の娘が数名。
そして、防衛総隊長ガンザブロンも乗り込んでいた。
かつて黒曜石の木々が林立していた森。
ルーグ陣営とソワカが腕試しとはいえ本気で戦ったことで、森と例えられるほどあふれていた黒曜石は粉々となり、黒味を帯びた荒れ地になっていた。
黒い大地でスプリガン族は再会を果たす。
ツバサが虚空に描いた――巨大な召喚魔法陣。
魔法陣から迫り上がるように現れるのは方舟クロムレック。長男ダインの手によって完全修復済みである。
外観こそ変化はないが、内部は大幅にチューンナップされていた。
方舟の出現にラザフォードたちは色めき立つ。
ダグたちは無事だ、と聞いて安堵しただろうが、かつて慣れ親しんだ方舟が現れれば感慨深さも違うはずだ。何人かは涙ぐんでいる。
ラザフォードたちは整列していた。
超巨大列車ラザフォード号の前に整然と横並び、一列に並んでいる。最前に立つのは隊長改め団長を務めるラザフォードだ。
その表情には喜びの下に覚悟が隠されていた。
召喚がきちんと終わり、空中に浮遊する方舟クロムレック。
そこから乗組員が次々と降りてきて、方舟の前に立ち並んでいく。
まずは現総司令官であるダグと、その両脇を固める副司令官のブリカと司令官補佐のディア。現スプリガン族の最高幹部である。
司令官らしい制服を着込んだダグが中央に立ち、女将軍といった風情のあるブリカが右隣に並び、最近はドレスよりも作戦参謀といった雰囲気のある装いをするようになったディアが左隣へ控える。
「ラザ兄ぃ、みんな……本当に……!」
ラザフォードたちの姿を目の当たりにして、ダグは顔を綻ばせた。
「ああ……変わっているが間違いない、ラザ兄ぃだな」
ブリカは弟に同意すると、驚いて丸くした瞳を潤ませていた。
「ラザ兄さん……御髪がすっかり錆びてしまって……」
ブリカは両手で口元を覆って涙ぐんでいる。
一方、ブリジット姉弟の姿を認めた突撃部隊の隊員たちはざわめいた。
「総司令官が……若くなってる!? いや、あれがダグ様なのか?」
「おお、お若い頃の総司令官にそっくりだな……ッ!」
「大きくなられたなぁ……最後にお見かけした時は赤ん坊だったのに……」
「アタシたち、本当に500年オネンネしてたのねぇ……」
「あれ、もしかしてブリカ姫にディア姫か!?」
「うぉおおおおッ! 総司令官の秘書だったブリーイッド様に瓜二つだ!」
「美しく成長なされた……拙者感激でござる!」
感動と感激が入り交じるあまり、列が乱れるほどであった。
同時に――彼らは思い知らされる。
ここには総司令官(先代)も、副司令も作戦参謀も、各部隊の隊長や格上にして歴戦の先輩たちも……誰も姿を見せてくれない。
つまり――彼らは既にいないという事実を突きつけてくる。
突撃部隊が犯した最大の過ちと、500年もの休眠状態に陥っていた情けなさが身に沁みるのだろう。次第にざわめきは消沈していった。
そこへ重量感のある着地音がトドメを刺す。
ダグたちから少し離れたところに、ガンザブロンが降りてきたのだ。
防衛部隊の隊長を務める傍ら、若手の指導という教官めいたことも行ってきたガンザブロンの登場に、かつての教え子たちは戦々恐々だった。
ラザフォードも固唾を飲んでいる。
2m越えのゴツい鋼の巨体に、警備隊長らしい制服を着込んでいるガンザブロンは、以前にも増して強い威厳を感じさせた。太い腕を組んで仁王立ちのまま落ちてきたものだから迫力満点である。
ダグやガンザブロンの後ろに、数人に女性戦士も居並ぶ。
彼女たちは「ダグの若様やガンザブロン以外のスプリガンの男に興味ありまくりです!」という恋多きスプリガンの乙女たちである。
意外とミーハーが多いらしい。
ダグたちが全員揃うと、突撃部隊は一斉に動き出した。
総員、総司令官ダグに対して忠誠を誓うように跪いたのだ。勿論、一番最初に膝をついたのは隊長であるラザフォードである。
いや、ラザフォードは土下座だった。
両手を曲げて大地に押し付けると、額が割れても構わないとばかりに黒曜石混じりの地面へ頭を振り下ろす。ちょっとした地響きが起きる威力だ。
ラザフォードは涙声で大音量を絞り出す。
「……お久し振りでございますッ! 若様ッッ! 姫様方ッッッ!」
面目次第もございません! とラザフォードは謝罪から入る。
面目ないとは言うまでもなく、命令無視して敵陣に突っ込み、駆逐艦を大破させた挙げ句に半数以上の隊員を無駄死にさせたことを指す。
方舟艦隊の戦力を激減させた。
そのせいで一族を窮地に追い込んだ責任を感じているのだ。
ダグの父親である先代総司令官を始め、各部隊の隊長や先輩に当たる戦士たちも殉職しており、憧れた女戦士たちも既に鬼籍へ入っている。
全部、自分が犯した若さゆえの過ちだ。
ラザフォードは悔やんでも悔やみきれない苦悩を抱えていた。
「上官の意に背き、預かった艦を落とし、28人もの仲間の命を散らし……大罪を犯しながら戦死することも叶わず、情けなくもおめおめと生き残り、生き恥をさらしながらも……御前に罷り越してしまいました! 自分の軽率な行いが、一族に甚大に被害をもたらしたのは明々白々……」
裁きを受ける覚悟は――できております。
「どうぞ、この愚かな敗残兵に処分を下していただきたく……」
ラザフォードは断罪を欲していた。
もはや自分自身で責めるだけでは満たされない。自分のせいでこの500年を苦しんだダグたちに裁かれねば気が済まないのだろう。
ダグは――戸惑っていた。
総司令官の地位に就いたものの、彼はまだ人間でいえば高校生くらいの青少年に過ぎないのだ。これまで幾多の経験は積んできたものの、こういった身内の重い人事にまつわる采配を振るうのは初めてのはずだ。
狼狽するのも無理はない。
ましてや相手は兄のように慕った人物なのだ。
「あの、ラザ…………ッ!?」
意を決して声を掛けようとしたのだが、ガンザブロンに差し止められた。
防衛総隊長が太い腕をほどいて制してきたのだ
目配せで「ここはおいに任せたもんせ」とガンザブロンに訴えられれば、ダグは頷くしかない。彼の方がラザフォードとは付き合いが長い。
会釈で礼を述べたガンザブロンは歩き出す。
向かう先は勿論、ラザフォードと整列する突撃部隊の元だ。
ズシン……ズシン……と重々しい足音を響かせて近付くガンザブロンに、隊員たちは恐れ戦き、無意識のうちに腰が引けてしまっていた。
唯一人――ラザフォードを除いては。
彼は近寄る元上官の足音に、むしろ身体が前へ出ようとしていた。
「ラザフォード、立ちなさい」
土下座をやめて立つように促されたラザフォードは、命じられるがまま立ち上がると、身長差のあるガンザブロンの顔を見上げた。決意を据えた眼はまっすぐに元上官の視線とかち合い、決して逸らすことはない。
ガンザブロンの眼力に圧されても退くことはなかった。
「こんっ……大馬鹿者がああああああああああああああッーーー!!」
怒号を上げたガンザブロンは右の拳を振り上げた。
全力を込められた鉄拳は威力こそ保証付きだが、あまりにも大振りなので軌道が丸わかりで読みやすい。俗にいうテレフォンパンチである。
だが、ラザフォードは避けなかった。
迫り来る鉄拳をしっかり目で追うと、甘んじて左頬に受けた。
ガンザブロンの鉄拳は凄まじく、ラザフォードは顔から吹き飛ばされると数十mは宙を舞い、そのまま受け身も取れず地面に転がった。
ようやく勢いが止まると、ラザフォードは再び土下座の体勢を取る。
「あ……あ、ああ……あり、がとう、ございます……ッ!」
そして、泣きながら礼を述べた。
「ずっと……叱られたかった…………こ、怖かったんですッ!」
罪を犯したのに誰も裁いてくれない。
自責の念や罪悪感にも限界が来ていた。それでも自身を許せないラザフォードは、罰してくれる誰かを求めて已まなかったのだろう。
――ツバサも覚えがある。
両親を亡くした直後、やはりツバサも自分を責めたものだ。
(※第40話『ツバサとミロ』参照)
両親と妹を亡くした事故は偶発的に起きたものだったが、事故現場へ導いたのはツバサが「良かれと思って」した善意の行動だった。
ツバサは悪くない、と誰もが慰めてくれた。
それでも――ツバサは自分を許すことができなかった。
亡き家族の墓前に座り続け、「どうか自分を罰してほしい」と願う日々を続けた記憶がある。飲まず、食わず、寝ず、ひたすらにだ。
ミロの助けがなければ、緩やかな自死を選んでいたに違いない。
原因や過程に差違はあれど、ラザフォードも似た心境なのだろう。いや、過失という点ではラザフォードの罪悪感はツバサの比ではあるまい。
何があろうと自分を許せないはずだ。
ラザフォードは慟哭のような嗚咽を迸らせる。
「ずっと! ずっとずっとずっとずっと……叱られたかった! 殴ってほしかった! 怒られたかった! 馬鹿者と怒鳴られたかったッ!」
自分は――ただの悪童でした。
ガンさん、と涙に濡れる声は喜色に塗れていた。
「こんな大馬鹿者を……スクラップにしても許せないような、どうしようもない悪童を……昔のように叱ってくださり……ありがとうございますッ!」
反省も後悔も猛省も悔恨もやり尽くした。
未来永劫、自分の犯した罪を許すことはできないだろう。
「だからこそガンさん……ダグの若様、ブリカ姫様、ディア姫様、そして、そこにいる若き戦士たちも……どうか、自分を許さないでほしい」
大罪人は――永久に罪を償わなければならない。
「スプリガン族として裁きは受けます……ですが、それだけじゃ足りません。自分は自分自身に、もっと重き贖罪を科すと決めたのです」
土下座するラザフォードにガンザブロンが近付いていく。
そして、咎人を審判するように問い掛ける。
「重き贖罪か……どげんものか言うてみい」
「自分はこの先――何があっても絶対に死にません!」
在り来たりの「死んで罪を償う」なんて台詞が出てこないだけでも、ラザフォードの覚悟は伝わってきた。贖罪のための死ほど軽いものはない。
顔を上げたラザフォードは、決死の表情で打ち明ける。
「生きて、生きて、生き抜いて……未来永劫、生き続けます! そして、この手の届くところにいる守るべき人々のために戦い抜くと誓います! 亡くなった仲間たちが守れなかった未来の命を……自分がどこまでも守っていきます!」
それが自分の贖罪です! とラザフォードは宣誓した。
ガンザブロンは表情を変えずに重ねて尋ねる。
「スプリガン族ならば肉体ん修繕でそいが叶うかも知れんが……そんた生き地獄んごたっもんだぞ? おめに安らぎん時は来んのだぞ?」
「――わかっています!」
「理不尽な戦いに駆り出さるっこともあろう、意にそぐわん者んために戦うこともあろう……そいでもおめは守り抜っと誓うとな?」
「――覚悟の上です!」
ラザフォードはもう一度、額を地面へと押し当てた。
額ずく頭の上までやってきたガンザブロンは、再び「立ちなさい」と命ずると、ラザフォードは素早く立ち上がる。
起立すると同時に、二度目の拳骨がお見舞いされた。
振り上げられた拳骨はラザフォードの頭頂部へドゴン! と砲撃みたいな音を響かせて振り下ろされる。しかし、今度は吹き飛ばされず耐えた。
高速で俯くみたいに頭を下げただけで済んだ。
脳震盪を起こして目眩がする頭を、ムンズと鷲掴みにされる。
頭を掴まれたラザフォードは無理やり顔を上げさせられると、強制的にガンザブロンと向き合うようにさせられた。
「うむ……良か。良か覚悟たい」
ガンザブロンは――武骨に微笑んでいた。
「戦でしっじりを犯したんなら、そいに勝っ武功ば上げぇ。失態を帳消しにすっことはできん。だが、埋め合わすっだけん仕事ば成せ……おいんゆたことをちゃんと覚えちょったようじゃな」
説教すっ手間が省けたわい、とガンザブロンは手を離した。
大きな手がラザフォードの背中を叩く。
「おめは取り返しんつかん罪を犯した。だが、そんこっに苦しんできたんな一目瞭然……そして、償うちゅう誓いも立てた。おいから言うことはもうなにもありもはん。あとは若様……総司令官ん言に従えばよか」
背中を叩かれたラザフォードは数歩、蹌踉けるように踏み出す。
そこに――ダグが待っていた。
ダグは総司令官としての引き締まった顔と、ラザフォードを兄と慕ってくれた弟分の顔、その2つが渾然一体となった表情を露わにしている。
「突撃部隊隊長、ラザフォード・スピリット」
だが、発する声には総司令官としての厳格さがあった。
「――ハッ!」
名前を呼ばれたラザフォードは無条件で跪いた。
土下座ではない。部下として総司令官に膝をつき頭を垂れたのだ。
「君と部隊への裁きなら、もう決まっている……」
生き残った隊員とともに――真なる世界を守るため戦うこと。
「……以上だ。方舟の警護、いいや世界樹の警護に戻りたいというなら、ハトホル様を通じてルーグ・ルー様に掛け合ってもらうし、このままルーグ陣営の護衛を続けたいというなら、それでも構わない……」
新しき神族と協力して、別次元の侵略者から世界を守る。
そのために戦う意志があるのなら、どこの陣営に所属していても構わないというお達しである。今後、ルーグ陣営が同盟に加わるなら同じことだ。
「これはきっと、君の贖罪にも繋がるだろう」
そういってダグは跪いたラザフォードに手を差し伸べた。
顔を上げたラザフォードが目にしたのは、かつて自分が「守りたい」と心に誓いを立てた幼子の笑みそのままだった。
「お帰りラザ兄ぃ……生きててくれただけでも嬉しいよ」
微笑むダグの目元から涙がこぼれ落ちる。
涙の滴がラザフォードの頬に落ちる。ガンザブロンにしたたかに殴られて腫れ上がった頬に、その涙が染み込んでいくような気がした。
「……うっ、あっ、がっあ……あああああああああああッッッ!!」
ラザフォードは――泣き叫んだ。
500年にも渡る積年の思いをぶちまけるように泣き喚いた。
「「「うぉおおおああああああああああああああああああーーーッ!!」」」
隊長が張り上げる情動の叫びに呼応したのか、隊員たちも辛抱できないとばかりに雄叫びのような泣き声を上げている。
彼らも500年間に溜め込んだ想いを吐き出していた。
ブリカやディア、同行した若い女戦士たちも貰い泣きに噎せている。
ここに33人のスプリガンが復帰を果たした。
女ばかり生き残った種族だったので子孫繁栄について少々危ぶまれていたが、再会できた33人はラザフォードを初めとして全員男性だ。
スプリガン族の未来に――確かな光明が差した瞬間である。
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