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第15章 想世のルーグ・ルー

第363話:黒曜石の森を行く車窓から

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 四神同盟会議も無事に終わり――3日が過ぎた。

 穂村組ほむらぐみ日之出ひので工務店こうむてん水聖国家オクトアードの三大組織を新たに同盟へ加わり、LV999スリーナインの戦力も増えたことで少なからず安心感が増してきた。

 しかし、油断できる状況ではない。

 真なる世界ファンタジアを取り巻く脅威は、波濤はとうのように押し寄せている。

 目下のところ最大の障害は“最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズ”だが、こちらは宣戦布告を受けた経緯もあって少し猶予ゆうよすることができた。

 幾度かの交戦で得られた情報もある。

 最悪にして絶死をもたらす終焉は108人で構成されているそうだが、そのほとんどがロンドの異質な過大能力によって永続的な強化バフを受けたことでLV999の力を得た者ばかりらしい。

 ツバサたちから見れば紛い物まがいものだ。

 本物のLV999となるには艱難辛苦を避けられない。

 目を背けたくなる自らの弱さと向き合い、身も心も潰れて自我が追い詰められるまで鍛え、それでも自らを失わず己の求める強さを勝ち取らんとする。

 その果てに、ようやくLV999のいただきへ手が届くのだ。

 こうした努力を味わうことなく、外付けSSDみたいな感覚でロンドから能力を増設してもらい、その恩恵でLV999となれた者など高が知れている。

 実際、一対一タイマンならば圧勝を収めていた。

 ネネコは本物のLV999に近い男を相手に完封し、ヒデヨシがきっちりトドメを刺している。バンダユウなんて1人で9人も仕留めていた。

 そう、一対一タイマンならば問題ない。

 問題は、最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズの主戦力が108人もおり、それが徒党を組んで襲ってくるということだ。

 その中には本物のLV999も混ざっている。

 こうなってくると一対一どころではない。そもそも、正々堂々の喧嘩や定められた規則内ルールで行われる試合ではないのだ。

 我々がやっているのは、ルール無用の殺し合いデスマッチ。相手が数を頼みに取り囲んでこちらを滅多刺しにしようとも、殺されてしまえば死人に口なしである。

 正義を唱えられるのは勝者のみ。

 事実、バンダユウも14人のバッドデッドエンズと真っ向勝負をするも、9人まではねじ伏せたが、残り5人の実力が本物で押し切られていた。

 戦争において数の多さは脅威となる。これまでの戦いで何人か減らせているが、減らした分以上に補充されている可能性も否めなかった。

 ――ロンド・エンド。

 最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズを率いる総帥だ。

 ツバサはロンドと戦ったが、久し振りに戦慄せんりつさせられてしまった。

 滅びの化身――そう恐れるべき怪人物である。

 特筆すべきは、その異質な過大能力オーバードゥーイング

 ツバサが防御のために超高位魔法で創り出した広大な亜空間。そこを一瞬で埋め尽くす、巨大な怪物の大軍勢を繰り出してきた。

 一体一体が国を滅ぼす力を有する、空前絶後のモンスターばかり。

 そんなモンスターの群れを、真なる世界ファンタジアに匹敵する広さを持つ亜空間をパンクさせる勢いで生み出し、こちらに差し向けてきたのだから堪らない。

 咄嗟とっさに亜空間ごと消滅させていなければ今頃は……。

 思い返しただけで悪寒が走る。

 震えた拍子にMカップとなった爆乳までバウンドしてしまう。

 たとえるなら……核融合が臨界に達した怪獣王ゴ○ラを一秒もかからずに大繁殖させたようなものだ。ゴ○ラ軍団の総重量もさることながら、その身に蓄えた破滅的なエネルギーに耐えきれず地球が爆散すること請け合いである。

「そのゴ○ラってさ、どの映画版ゴ○ラの強さ?」

 ふと――ミロがいてきた。

「そうだな……ゴ○ラVSデストロイアのメルトダウン寸前な上に怒り狂ったことで超絶パワーアップしたバーニングゴ○ラか、内閣総辞職ビームを撃ったシン・ゴ○ラか、キング・オブ・モンスターズでモ○ラのエネルギーを貰って本領発揮した怪獣王ゴ○ラか……ってこら」

 他人ひと独白どくはくに茶々を入れるな、とツバサはミロの頭を抑える。

 とにかく、究極体のゴ○ラを一瞬で何兆匹も生み出して、世界を埋め尽くすような真似をできるのがロンドの過大能力なのだ。

 ――異質な過大能力オーバードゥーイングである。

 世界の破壊へ先鋭せんえいしながら創造する能力でもあるのだ。

 破壊と創造、相反するものを内包している。

 もしかすると、ロンドも内在異性具現化者アニマ・アニムスなのかも知れない。

 ならば、過大能力が強力なのも納得できる。

 まだ仮説の域を出ていないが、この怪物を創り出す過大能力に何らかの工夫を施すことで、部下の力をLV999に底上げしているらしい。

『あいつら、下駄を履かせられてるぞ』

 いつぞやバンダユウはバッドデッドエンズに属する連中をこう評していたが、彼の洞察力に間違いはない。ほぼ正鵠せいこくを射ている。

 自分の意志で履いたつもりでいるだろうが――それは違う。

 ロンドによって強制的に履かされたのだ。

 LV999の力を無償で配るほど、あの男はお人好しじゃない。

 明確な打算に基づいた配給であり、裏を返せば力を求めた者にはそれ相応の……いや、与えたもの以上の見返りを目論んでのことだろう。

 ……あとは、あのオッサンの遊び心か。

 遊び心への配分もあって、真面目な仮説が立てにくい。

 配下にした兵隊が何人いるのか知らないが、ロンドが本気を出せば108人どころか千でも万でもLV999の軍団を創れる可能性があった。

 そうでなくとも、最強モードの怪獣王に匹敵するモンスターの大群を1秒で用意する過大能力があれば、兵力に困ることはないはずだ。

 真なる世界ファンタジア蹂躙じゅうりんすることも夢ではない。

 そこまで推測すると、どうしても戦力不足を痛感させられる。

 12人のLV999スリーナインが加入したのを戦力増強と手放しで喜べず、むしろ「焼け石に水じゃないか?」と徒労感を覚えそうになってしまう。

 ロンド一人で世界を滅ぼしかねない。

 もうあいつ一人でいいんじゃないかな? 案件である。

 ロンド率いる最悪にして絶死をもたらす終焉との戦争を前にして、これだけ頭を悩ませているというのに、もっと強大な敵勢力も控えている。

 他でもない――蕃神ばんしんだ。

 蕃神に関しては、会議後の宴会でも話題に上がっていた。

   ~~~~~~~~~~~~

「前々回までのあらすじ――実は蕃神って頭いい?」

「……いきなりどうしたミロ?」

 あらぬ方向を見上げたミロが妙なことを呟いたので、ツバサは半眼でツッコむしかなかった。ギャグキャラになれる技能スキル“コメディリリーフ”持ちは、時折カメラ目線と称して、明後日あさっての方向へ話し掛けることがよくある。

 曰く、そちらに“第四の壁がある”とのこと。

 ツバサは未だに理解できない感覚だが、コメディリリーフを習得すると第四の壁とかいう次元や空間とは異なるものを知覚できるとか……。

 強くなれるなら習得しておくべきか? と思案する時はある。

 しかし、本能にしては理知的な部分が「止めとけ」と忠告するのだ。

 それにコメディリリーフ系の技能スキルはツバサの性に合わない。ツッコミ役の方が性分と相性がいいので、あんまり触手の伸びない技能だった。

 ――四神同盟の代表者による宴席。

 水聖国家オクトアードの王であるヌンから「これまで君たちが戦ってきた蕃神との戦歴を教えてほしい」とツバサは請われた。

 ヌンは異相にいた頃から大きな戦いは遠隔視えんかくしで観戦してきたそうだが、見落としがあるかも知れないので、情報の摺り合わせをしておきたいという。断る理由もないので、酒の肴にこれまでの戦いを振り返ってみた。

 第一戦――けがれにまみれた触手・アブホス。

 第二戦――心をむさぼる妖蜘蛛・アトラクア。

 第三戦――不浄より来たる竜犬・ティンドラス戦。

 ここまで話し終えて、ちょうど折り返しだ。

 第四戦――幽閉された交雑種こうざつしゅ・シャゴス。

 第五戦――天を塞ぐ絶望・超巨大蕃神。

 第六戦――侵略の甲殻菌類・ミ=ゴ

 残り三戦を語ろうとすると、ヌンが制してくる。

「シャゴスとミ=ゴについては大雑把おおざっぱで構わんぞ。ツバサ君たちが彼らをやり込めたところはしっかり見届けさせてもらった。何より、そいつらに関しちゃワシらの方が君たちに教えることが多そうじゃからのぅ」

 ヌンの言葉にノラシンハも「うんうん」と同意する。

「……奴らについてご存じなのですか?」

 問い返すツバサに、腕を組んだヌンはうんざり顔で言った。

「うむ、話す順番はミ=ゴからシャゴスへと繋がるんじゃが……ここは時系列的に君たちが倒した順に話した方がわかりやすかろうな」

 第四戦――幽閉された交雑種・シャゴス。
(※第5章参照)

 邪神ナイアルラトテップに従うシャンタク鳥という怪物と、ユゴスよりのもの(ミ=ゴのこと)の名前をミックスさせた仮名である。

 現在アハウ陣営が居を構えるククルカンの森。

 そのジャングルの中心にポッカリと開いていた「魔神の大穴」という深い縦穴の底に封じられていた、蕃神にゆかりのある生命体だ。

 しかし、蕃神ではない。

 真なる世界ファンタジアの生物の因子に、蕃神の要素を掛け合わせた改造生物。

 二つの世界の交雑種ハイブリッド――それがシャゴスの正体だ。

 カミツキガメのように獰猛どうもうな亀をスリムにして、蝙蝠こうもりめいた皮膜の翼を生やした外見をしており、翼を広げた翼長は30mにも達する。これも蝙蝠系の素質なのか、超音波を操ることで様々な能力を発揮する。

 その“王”と呼ばれる個体は全長100mにも及び、一声鳴くだけで密林を更地にするほどの超常的な破壊音波を迸らせる。

 しかし、生命体としての恐ろしさは別にあった。

 シャゴスには性別がないため繁殖能力がない。いわゆる無性生物だ。

 ただし“王”のみが雌で、おびただしい卵を産む。

 この卵は無精卵なのでいくら温めてもかえらないのだが、他の生物が卵に取り込まれると厄介なことになる。卵はその遺伝子と結合して受精卵に早変わりし、瞬く間にシャゴスが孵化ふかして成体にまで急成長を遂げるのだ。

 そこまで説明すると、ヌンが身を乗り出してきた。

「……奴らを倒した後、魔神の大穴であれこれ拾っておったな?」

 警告の色が窺える質問だった。

 どうやら遠隔視えんかくしで注目していたポイントらしい。

 ツバサは手持ちの果実酒を飲み干す。ちょっと物足りなかったのでククリが飲みかけた果実酒を一口飲んで、その時の顛末てんまつを打ち明ける。

「ええ、シャゴスの“王”が封印のふたになる形で、その下に大量の石版が隠されてました。何かしらの情報が得られるかもと期待して回収し、俺と次女フミカ起源龍ジョカの3人で解読してみましたけど……」

 あれらの石版は大した情報は得られなかった。

 石版は膨大なリストに過ぎなかったのだ。

「あの石版は一種のレシピです。“蕃神ばんしん髄液ずいえき”という液体をこの生物に掛け合わせると、こんな交雑種ができる……というシミュレーションに基づいた、交雑種の能力や生態を記したものに過ぎませんでした」

 それでも石版を預かったフミカは「邪悪なポケ○ン図鑑みたいッス」なんて言いながら、読み物として面白がっていた。

 ヌンはカエルの顔でもまなじりをつり上げ、険しい表情を作る。

「間違っても石版を元に交雑種の実験など……」

「するわけがありません。シャゴスであの危険度ですよ? そこはウチの次女フミカも弁えてます。何より、俺が絶対に許しません。試すことさえ禁止です」

 力強く明言するツバサにヌンは怯んだ。

「う、うむ。そうか。君の良識を疑うつもりはなかったが……」

 すまなんだ、とヌンは謝罪した。

 ヌンにしつこく念を押させた危機感も理解できる。

 シャゴスは真なる世界の原生生物を上回る生命力や攻撃力を持ち、神族や魔族の意に従わず、ひたすら他の生物を襲おうとする闘争本能、そしてこの世界を活力エナジーを食い荒らす食欲しか持ち合わせない。

 蕃神の血統が色濃く表れている。

 シャゴス最大の脅威は、看過かんかできない異常な繁殖力にあった。

 大型個体“王”は雌で、いくらでも卵を産む。

 その卵がどんな小さな生物でもいいから、遺伝子を取り込めばそこからシャゴスが生まれてくるのだ。ねずみ算式どころの倍々ゲームではない。

 それは石版の情報をまとめたフミカも認識している。

『あーこれはこれは……シャゴスに限った話じゃないッス。リスト化された改造シミュレーションの時点で全部アウトデラックスじゃないッスか』

 試験なんてとんでもない、とフミカも首を横に振った。

『本来ならデータの石版だけ残して、シャゴス誕生に関わったものはひとつ残らず処分するべきなのに……勿体もったいなかったんスかねぇ』

 古代の研究者は、すべてを魔神の大穴に封印していた。

『将来的には使いこなせるかもと見越したのか、未来の新技術に一縷いちるの望みを託したのか、はたまた……この世界の現状を考えるとやるせないッス』

 フミカは肩をすくめて嘆息たんそくしたものだ。

 なのでフミカは、石版リストをあくまでも「邪悪な○ケモン図鑑」という読み物として楽しんでいた。あるいは蕃神の血統を受け継いだ交雑種から、蕃神の弱点を割り出すための参考資料にしているらしい。

『もっとも――試験するための材料もないんスけどね』

 シャゴスが封印されていた魔神の大穴。

 そこを根城にしてアハウ陣営に甚大な被害を与えたナアクという狂的マッド・科学者サイエンティストがいたのだが、そいつが“蕃神の髄液”という謎の液体を持っていた。

 どうやらシャゴスや石版とともに魔神の大穴へ封じられていたもので、シャゴスを生み出す原因となった物質のようだ。

 名前の通りなら、蕃神から抽出ちゅうしゅつした体液らしい。

 ナアクはこれをアハウの仲間や現地種族に投与し、異形の存在に変えては「未来のための実験です」と言い張り、アハウの激怒を買っていた。

 この“蕃神の髄液”がなければ、シャゴスの再生実験どころか石版に記された他の交雑種ハイブリッドを創る実験もできない。無論、する気も更々さらさらないが。

 …………ああ、そういうことか。

 ヌンは「シャゴスとミ=ゴの話は端折はしょっていい」と前置きした理由は、アハウのためをおもんぱかった面もあるようだ。

 家族と言ってはばからない仲間を失った悲しみ。

 異形に変えられて、生きても死んでもいない状態で苦しむ仲間の「殺して……」と懇願こんがんする声に屈し、アハウは泣きながら彼らを手にかけた。

 慟哭どうこくするアハウを、ヌンも垣間見たに違いない。

 そのアハウだが――爆発寸前だった。

 今日のアハウは紋付き袴を着込んだ巨漢の獣人といった風貌ふうぼうなのだが、たてがみのような頭髪がザワザワと音を立てて逆立ち、着物の内側でも筋肉量が増大しているのかミチミチと筋繊維が弾ける音まで聞こえてくる。

 歯噛みする口元は野太い牙が覗き、鋭さを増す双眸そうぼうは野獣のそれだ。

 グルルル……と獣王が喉を鳴らしている。

 これはヤバい。思い出し怒り・・・・・・だ。

 思い出し笑いの怒りバージョンである。

 アハウの事情よく知る宴会参加者は、怒り叫びそうなアハウを横目に声をかけることもできなかった。下手な慰めも逆効果となりかねない。

 ナアクに関する話題は御法度タブーなのだ。

 なにせナアクの名前を出しただけで未だに慟哭どうこくするアハウだから、奴が関与したシャゴスの話題でも当たり前のようにキレる。

 まだ交流の浅い人々の手前、アハウも自制心を効かせていた。

 自制を効かせてこれなのだから、当のナアク本人に敵討ちを果たした今でも恨み骨髄こつずいに徹しているのだ。心の傷を癒やすには時間がかかるだろう。

 その時、おもむろにミロが立ち上がった。

「――えい♪」

 トコトコ歩き出したかと思えばアハウに近寄ると、暴発寸前だろうがお構いなしで飛びかかるように抱きついた。

 大きなクマのぬいぐるみに抱きつくような無邪気さでだ。

 そのままアハウの大きな身体をよじ登っていく。

 ミロが自ら肩車の体勢まで昇ってくると、さすがのアハウも怒るのを忘れてキョトンとしていた。恐る恐る頭の上のミロを見上げている。

「あの……急にどうしたんだい、ミロちゃん?」

「んー? マヤちゃん・・・・・の代理。ちょっとは落ち着いたでしょ?」

 ミロはアハウを覗き込んでウィンクした。

 いつもならアハウが怒りに囚われた時は、副官であり奥さんでもあるマヤムが彼の手を握って、昂ぶる気持ちを鎮めてやっていた。

 しかし、今日は代表者のみの宴なので彼女は生憎と不在である。

 だからミロなりに気を利かせたのだろう。
 
 度を超して馴れ馴れしいが……。

 親戚のおじさんにじゃれつく姪っ子のようなスムーズな動作で近寄っていったものだから、ツバサも制止するのが間に合わなかった。酔い潰れたククリをあやしていたこともあって出遅れたのだ。

 保護者らしく「うちの子がすいません!」とククリを抱いたまま何度も頭を下げるしかない。アハウは「まあまあ」と苦笑いで返してくれた。

 だが――怒りは鎮まったらしい。

「ありがとう、ミロちゃん……」

 アハウは囁くように礼を述べた。

 ミロの馴れ馴れしさが功を奏したようだ。

 理性的な獣王に戻ったアハウはすぐにヌンの気遣いを察し、ミロを頭に乗せたまま実直に頭を下げた。アホの子も真似している。

「……申し訳ありません、ヌンさん」

 ヌンは何も言わずに片手で振るだけだった。

 ここで言葉を重ねれば、アハウの精神的外傷トラウマをほじくることになりかねない。敢えて無言のまま所作しょさで伝えたのだろう。

 ツバサの説明も概略がいりゃくにしておいて良かった。

 落ち着いたところでヌンが話を続ける。

「それでな、その“蕃神の髄液”なんじゃが……そいつをこの世界へもたらしたのは他でもない、君たちとスプリガンが撃退したミ=ゴなんじゃよ」

 ええっ!? と驚愕のどよめきがいくつも起こる。

 中でもレオナルドの反応が際立った。

 レオナルドは裏切り者の後輩ナイ・アールとの一件もあって、ミ=ゴとの因縁は悪い意味で思い入れがある。席から立ち上がりかねない驚きようだ。

「あの菌類どもが持ち込んだのですか?」

 左様さよう、とヌンは顎の長い白髭を撫でながら肯定した。

 第六戦――侵略する甲殻菌類・ミ=ゴ。
(※第10章参照)

 名前の由来はそのまま、クトゥルフ神話に描かれる独立種族。星を渡って地球にやってくるから宇宙人といってもいい。

 エビやカニを初めとした甲殻類に似た見た目なのだが、その頭は毒々しく咲き誇るキノコにしか見えず、肉体を構成するのは菌類である。動物のように動く菌類なので粘菌ねんきんの進化形なのかも知れない。

 背中に昆虫めいた羽があるので飛行能力を持っているようだが、他に特筆すべき能力は見当たらない。ミ=ゴの脅威度は科学力に全振りされている。

 ――人類を超越するオーバーテクノロジー。

 ひょっとすると、神族や魔族の技術力をも凌駕しているだろう。

 次元の狭間という海を航海でき、本来なら乗り越えることができない空間の壁を突き破る能力を備えた戦艦を建造できる科学力は尋常ではない。

 その戦艦を何十隻も率い、艦隊で真なる世界ファンタジアに殴り込んできた。

 ミ=ゴの目的――それは世界樹。

 かつて真なる世界ファンタジアの各地にそびえた霊樹である。

 世界樹は活力エナジーが豊富な土地に根を張り、その霊脈から万物の素となる“気”を吸い上げて成長し、やがて莫大な“気”マナを溜め込みながら増幅させて世界に還元する能力を持つ、神族や魔族からも崇められた偉大な霊樹だった。

 また、天梯てんていという別名でも呼ばれていた。

 こずえが天まで届くほど成長した世界樹は、溜め込んだ“気”の作用なのか、その枝葉の先を次元や空間を超えて別世界まで届かせるのだ。

 神族や魔族はこれを利用して、地球と往来していたと聞いている。

「ワシらに便利ならば敵も利用するってことじゃな」

 ヌンが感想をこぼすと、ノラシンハも寂しそうに付け加えた。

「世界樹は蕃神……特にミ=ゴみたいな蕃神の手先となって動く連中に悪用されやすいっちゅうんで、百薬種樹サエーナじゅとかもみんなられてもうたからなぁ」

 百薬種樹は世界樹の中でも薬草に特化したものだ。

 ノラシンハはその枝や油を持っていたので、思い入れがあるらしい。 

 ――ミ=ゴもまた蕃神ではない。

 蕃神に味方して真なる世界へ攻め込んでくる侵略者ではあるが、蕃神ほどの能力を有した神格ではないという。

 だからヌンはミ=ゴは「端折はしょっていい」と言ったようだ。

 その辺りの事情をヌンは話してくれる。

「蕃神は自身とよく似た姿の眷族を大量に生み出して使役しとるが、ミ=ゴを初めとした蕃神側に属するも独立した種族も結構いるんじゃよ」

地球テラ生まれの兄ちゃんたちにはこういった方がわかりやすいんやない?」

 ――異星人エイリアン

 ノラシンハの選んだ言葉は的確といえるだろう。

 実際、クトルゥフ神話のミ=ゴも異星人だ。

 ミ=ゴには「ユゴスより来るもの」「ユゴスよりの菌類きんるい」あるいやヒマラヤ山脈で目撃されたため「イエティ」など異名が多い。ちなみにユゴスとはクトゥルフ神話における架空の天体で、海王星の先にあるとされている。

 だが、彼らは本来「外側のもの」アウトサイド・シングと呼ぶべきものらしい。

 この世界の外側からやってきた、という意味だろう。

 それを聞いたクロウは骸骨の頭をカタカタ鳴らしてまとめる。

「比較するのはあまりよろしくないと思いますが……神族や魔族にとっての多種族が、蕃神にとっての独立種族に相当する考えてもいいでしょうか?」

「ほぼ似たようなもんやろうな」

 ノラシンハは遠隔視えんかくしで調べたものを教えてくれる。

「独立種族のほとんどは……まあ最たるんはあのミ=ゴなんやけど、蕃神どもを神として信仰しとる感じやな。せやから蕃神の真なる世界ファンタジア侵攻をお手伝いしてるつもりなんやろ。まあ、ちゃっかり役得・・を狙ってるようやけど」

 独立種族にして――奉仕種族。

 蕃神という偉大なる支配者に仕える種族、その一種がミ=ゴだという。

 話を聞いていたレオナルドがこれに補足を加える。

「ミ=ゴの場合、世界樹だけではなく資材も目当てのようですね」

 ダインからの報告を思い出す。

 ミ=ゴの次元を突き破る戦艦は、真なる世界から産出されたミスリルやオリハルコンで建造されているという解析結果が出ていたはずだ。

 苛立たしげなヌンは音を立てて杯を置いた。

「ミ=ゴのような独立種族は、蕃神がこの世界が貪るどさくさに紛れて、おこぼれを頂戴しているつもりなんじゃろうな……ったく、忌々しい」

「そうそう、独立種族はミ=ゴだけやないで」

 ノラシンハは杯に注ぎ足した酒を舐めながら注意を促す。

「他にもけったいな格好をした独立種族が、蕃神の手先として真なる世界ファンタジアに忍び込んでるさかい気ぃつけたってな? あいつら、こっちが欲しがりそうなえさをちらつかせて、裏切り者の協力者を募ることに虎視眈々こしたんたんやさかいに」

 真なる世界を裏切り――蕃神にくみした協力者。

「……ナイ・アールのような前例があったのですか!?」

 憎んでも憎み足りない後輩を思い出したレオナルドはいきり立った。

 ノラシンハは煽るような口振りで答える。

「おう、なんぼでもあるで。オレやヌンちゃんも小耳に聞く度に胃がムカムカして胃液が逆流したわ。正直、もう噂でさえ聞きとうないくらいにな……」

 ノラシンハは辛そうに言葉尻を濁した。

 代わってヌンが細かい事情を明かしてくれる。

「君たちも身を以て味わったことじゃろうが……蕃神の力は強大じゃ」

 どのような性質の力であれ、強い力は弱き者を魅了するものだ。

 そして、魅力とは心ある者を狂わせる。

 人も魔も神も――例外はない。

「蕃神が有する別次元に由来したパワー、知識、技術、魔法、物質、生物……こういった者に魅了された者が後を絶たんでな。国家や組織の中枢を担う者が、実は蕃神と通じていたことも珍しくなかったんじゃ……」

 裏切り者は蕃神が動きやすいように裏工作を行う。

 ある国では家臣団に不和が起きて内乱が勃発ぼっぱつ、ある国では王族たちが継承者争いで憎しみ合った末に暗殺の応酬おうしゅう、ある国では怪しげな病気が蔓延まんえん……。

 これらすべて――蕃神に加担した裏切り者の仕業だった。

 回顧かいこするヌンは、苦い表情を水掻きのある手で覆う。

「最悪なのは混乱の極みに達したのを見計らったかのように、蕃神が次元の向こう側から襲い掛かってきたことが多かったんじゃ……」

「狙ってたんですよ、最悪のタイミングをね」

 蕃神どもに誘導されたんだ、とミサキは冷徹に事実を述べた。

 ツバサたちの話を黙って聞きながら、クリスタルフィッシュの刺身を食べ尽くす勢いでつついていたのだが、我慢できずに会話に入り込んできた。

 最期の一枚を箸で摘まんだミサキは言い切る。

「そんな遣り口――知能のない怪物にできるものじゃない」

 奴らは肉体能力の強さに頼ることを主軸にするようだが、獲物がしぶとく反抗すれば策を弄して仕留める狡猾さを持っているのは疑いようがない。

 結果――滅んだ国は数知れず。

 かなりの国が犠牲になったことで、裏切り者の暗躍が疑われるようになり、対策が敷かれることで下火にすることができたという。

 それでも裏切り者はひっきりなしに現れたそうだが……

「シャゴスという怪物を生み出した“蕃神の髄液”は、ミ=ゴがこちらの世界へ忍び込んだ際、愚か者を籠絡ろうらくするために贈った禁断の薬液……」

 そのひとつじゃ、とヌンは悔しそうに吐き捨てた。

 注ぎ足した酒をグイッと煽ってノラシンハが話を引き継ぐ。

「蕃神はな――その身の強大さに任せて攻め込んでくることが多い」

 だが、その裏ではミ=ゴのような独立種族を使役し、真なる世界に忍び込ませては悪逆非道な策略を仕掛けていたというのだ。

「なるほど、ここで『蕃神は頭いい』に繋がるんだね」

 まだアハウに肩車されているミロも、得心したように手を打った。

 せや、とノラシンハは空の杯を持ったまま両腕を広げる。

「そこらへんの蕃神が企てた計略の数々を頭から尻尾まで語ったったってもええんやけど、夜明かしどころか一週間ぶっ通しで語り続けても時間が足りへんからな。そこんとこは割愛かつあいさせてもらうが、一言でまとめんなら……」

 まあ――えげつない・・・・・で?

 ノラシンハの嘲笑にはドス黒い陰が潜んでいた。

 蕃神が行ってきた数々の邪悪を目の当たりにしてきたのだろう。人間なら正気を失いかねないおぞましい現場にも立ち会ってきた貫禄がある。

 神族の精神力でも堪えたはずだ。

 酔いの勢いに任せてか、ノラシンハは本題へと話を進める。

「こういった有象無象にいる蕃神軍団を取りまとめてるんやないか? と目されとる蕃神側の大立て者が……あの超巨大蕃神なんよ」

 第五戦――天を塞ぐ絶望・超巨大蕃神。
(※第8章参照)

 あれは、圧倒的な絶望を具現化したものに他ならない。

 真なる世界ファンタジアを防衛するための重要施設“還らずの都”を巡り、キョウコウという男が率いる陣営と大戦争を繰り広げていた時のことだ。

 それ・・は前触れを寄越してから現れた。

 世界を震撼させるように鳴り響いた――晩鐘ばんしょうにも似た大音響。

 しばらくして、空に異変が起こる。

 還らずの都上空に夜と間違えるほどの闇が広がった。

 それは途轍もない大きさを誇る次元の裂け目で、その向こう側から現れたのは都どころか大陸をも握り潰しかねない超々巨大な6本指の手だった。

 段違いのスケールにツバサたちも途方に暮れかけた。

 あちらにしてみれば、真なる世界の活力エナジーを奪うために何気なく手を差し入れてきたに過ぎないだろうが、それだけでこの世界を壊滅寸前に追い込まれた。

 キョウコウはあれを「天を塞ぐ絶望」と名付けていた。

 その命名に嘘偽うそいつわりはない。

 ツバサやミロにクロウといった、その場にいたLV999スリーナインメンバーの心を一度は完膚なきまでにへし折るほどの威圧感を叩きつけてきたのだから。

 しかし、ククリの声でみんな再起することができた。

 そこにミサキとアハウも駆けつけてくれた。

 還らずの都の機能が正常に発動、ツバサとミロがククリの両親のおかげでパワーアップし、5人のLV999が死力を尽くして立ち向かった。

 これらの複合効果により、どうにか退しりぞけられたのだ。

 六本の禍々しい指はミロが切り落とし、手首までツバサが消し飛ばしたので、文字通りの手傷を負った超巨大蕃神は別次元の彼方へ去っていった。

 あの時のことを――ツバサは今でも夢に見る。

 空を覆い尽くす次元の裂け目。

 無明の闇から六本指の大きな手を伸ばしてくる超巨大蕃神。

 闇に隠れて神族の視力でも見通すことができなかったはずなのに、その面影を夢の中で何度も思い描いてしまう。

 頭足類とうそくるいを思わせる頭、左右三対の燦々さんさんと燃え盛る魔眼……。

 蠢く無数の触手をひげの如くなびかせ、猛悪な竜の翼を背負い……。



 あれは……クトゥルフじゃなかったか?



 夢で思い返しただけなので断言はできない。

 そして、確たる証拠もなしに不安を臭わせるような不確定情報は、余計な混乱を招くと考えて公言することを控えていた。

 不安の種が恐慌きょうこうという大輪の華を咲かせる恐れもある。

 超巨大蕃神に関する情報が更新されるまで、夢か現かも怪しい曖昧あいまいな証言は封じておくに限ると判断した。

「その超巨大蕃神じゃけどな、ワシらの間では呼び名があるんじゃ」

「あいつの名前を知ってるんですか!?」

 ツバサが驚くと、ヌンは訂正を交えながら答えてくれた。

「あれに真名しんめいというべき正体を示す名称があるのか? そこまではワシも見当がつくものではない。だが、さっきノラちゃんがちらっと話しておったじゃろ? 蕃神の力が欲しくて、この世界を裏切った馬鹿者どものことを……」

 背信者たちは超巨大蕃神を崇め奉っていたらしい。

 異邦いほうの神として信奉し、一部で新興宗教化しつつあったという。

「当然、ワシらにしてみれば邪教でしかない。そういう手合いを取り締まって締め上げると、決まってあの超巨大蕃神の肩書きを呼び叫ぶんじゃ」

 一応、正しい名前はあるらしい。

 だが、真なる世界ファンタジア如何いかなる言語を用いても発音することはできないため、あの超巨大蕃神が担っている役職名で呼ばれていたそうだ。

 ヌンは禁断の呪文を唱えるように声を潜める。

祭司長さいしちょう――確か、裏切り者どもはそう呼んでおったな」

「……祭司長、ですか」

 復唱したツバサはゴクリと固唾を飲んでいた。

 クトゥルフも旧支配者という集団において大祭司と呼ばれる存在ではなかっただろうか? 祭司長という肩書きはそれに通じるものがないか?

アイツ・・・も最悪のタイミングを狙ってたよね」

 物思いにふけりかけたツバサは、ミロの言葉で我に返った。

 さっきまでアハウの迷惑も顧みずに肩車を楽しんでいたと思ったら、いつの間にか定位置であるツバサの隣に戻ってきている。

 酒のさかなに用意された、骨付きジャンボフランクフルト。

 警棒ぐらいはあるそれを手に取ったミロは、ブチリと小気味いい噛み千切る音させながら、細めた眼を左右に動かした。

「どっかの戦闘狂せんとうきょうたちもしてやられた・・・・・・でしょー?」

 左右に動くミロの視線は、ツバサとミサキを交互に見比べていた。

 戦闘狂と揶揄やゆされた2人は「あっ!」と声を上げる。

 ミロの言いたいことを察したからだ。

 ハトホル陣営とイシュタル陣営が再会した日のことだ。
(※第6章参照)

 ミサキの成長ぶりを確かめたくなったツバサは、つい大人げなく「勝負しよう!腕試しの練習試合だ!」と持ち掛けた。

 これにミサキも「やりましょう!」とノリノリで張り切った。

 戦闘系の修練を積み重ねてきたLV999スリーナインの格闘家同士が、お試しとはいえ試合をすれば山のひとつやふたつは消し飛んでしまう。

 そこで工作者たちクラフターズが海上に闘技場を用意してくれたのだが……。

「2人がぶつかっただけで消し飛んじゃったもんねー?」

 ミロはイヤミ満点のニヤニヤ笑いをぶつけてくる。

 しかし、この件ばかりはツバサも言い返すことができなかった。同罪のミサキも気まずそうに愛想笑いで誤魔化している。

 練習試合なのに――ツバサもミサキも本気になった。

 天は裂け、地は砕け、海は干上がり、大天災を巻き起こしてしまったのだ。

 すっかり骨だけになったジャンボフランクフルト。

 その骨を葉巻みたいにくわえたミロは、マフィアのボス顔負けのあくどい顔で、過去の過ちを反省する爆乳美女と巨乳美少女を脅してくる。

「そういやあん時は結局うやむやの水入りになっちゃったから、2人のペナルティとか流れちゃってたよね……そんじゃあ今から罪と罰執行!」

 ミロはペナルティ内容を発表する。

「そのMカップとJカップのおっぱいでアタシをサンドすること!」

「誰がやるかこのアホ」
「あ、それくらいの罰ならオレ全然平気だけど……」

 ツバサは無感動に呆れるも、ミサキは余裕で承諾してしまった。

 すると――酔っ払いコンビが便乗してくる。

「なぁにぃ~? ツバサくんとミサキちゃんのおっぱいサンドだとぉ……そんなもん極上に決まってんじゃねえか! よし、おれも挟んでくれ!」

「あ、オレもオレも! でも女房ネネコにゃ内緒な!」

 かなり酩酊してきたバンダユウとヒデヨシが騒ぎ始めた。

 ツバサとヌンが蕃神に関する難しい話を続けていたので、邪魔してはいけないと静かに酒を傾けながら話にも耳を傾けていたのに、ミロが調子に乗ったせいで御覧の有り様である。

 この人たち、職業柄なのか悪ノリするタイミングを心得ている。

「黙らっしゃい、この呑兵衛のんべえズ!」

 ツバサが母親オカンの威厳で一喝いっかつすると、酔っ払いは敬礼で改まった。

「「イエッサーマム!」」
「やかましい! 誰がマムだ!」

 そんなことより! とツバサは話の流れを急転換で戻していく。

「あいつって超巨大蕃神……いや、祭司長と呼び方を改めるか。その祭司長がだ、何を狙っていたというんだ? そもそも、その話題でどうしてツバサおれとミサキ君がやった練習試合が絡んでくるんだ」

「ツバサくんとミサキくん……なんかサッカー漫画が懐かしくなるな」
「バンダユウさん、シャラップ!」

 完全に酔っ払ってるバンダユウを叱りつける。

 ミロはくわえていた骨を指揮棒タクトみたいに振って語り出す。

「ツバサさんとミサキちゃんが試合ってた時、2人の必殺技が強すぎて空間が揺らぎかけたでしょう? そっから蕃神が出てきたこと忘れたの?」

 ……思い出した。そんなことあったな。

 ツバサとミサキの超必殺技が激突した瞬間、空間をねじ曲げるほどのエネルギーが発生し、そこから溶けた巨人のような蕃神が出現したのだ。

 試合に没頭するツバサとミサキが一蹴したそうだが……記憶にない。

 この溶融ようゆうした巨人、実はもう一度再登場している。

 超巨大蕃神――祭司長の手が降臨した時だ。

 祭司長の肉体は巨大でこそあるものの、防御力はそれほどでもなく硬度のある皮や鱗で守られていない。攻撃すればそれなりに負傷していた。

 その傷口から滴り落ちた、名状しがたい体液。

 これが独りでに増殖すると、あの溶融した巨人になっていった。

 即ち、溶融した巨人は祭司長の眷族だったのだろう。

祭司長アイツはね――ずっと見張ってたんだよ」

 真なる世界ファンタジアをね、とミロはその監視する理由に迫った。

「アタシたち神族や魔族が争ったり競ったり喧嘩したり……つまらないいざこざに熱中するあまり、横合いから殴りつけられた瞬間に守ることも迎え撃つこともできないようなタイミングを待ってたんだ」

 きっと、とミロはちょっと曖昧あいまいに締め括った。

 だが――合点がてんの行く見解だ。

 ツバサとミサキの練習試合を、高位の女神たちが争っていると思い込み、偵察役として眷属を派遣したと考えるべきだろう。

 その後、ツバサやミサキの動向を欠かさずチェックする。

 やがてツバサがハトホル陣営を率いてキョウコウ陣営と本格的に事を構えれば、祭司長はそれを「絶好の機会だ」と見計らう様子が目に浮かぶ。

 最悪のタイミングで横から現れて――すべてをさらう。

 そのために祭司長はあの大戦争で姿を現した。

 そして祭司長の動きを察知したため、還らずの都も起動したのだ。

 まだ子細を詰める箇所もあるが、大凡の辻褄は合う。

「これで大体わかったやろ?」

 話をまとめるべくノラシンハは重みのある声を発した。

「蕃神はさかしい――油断ならんってな」

 頷くしかない。ツバサは返す言葉が見つからなかった。

 最悪にして絶死をもたらす終焉も脅威だが、やはり蕃神はそれを上回る脅威として待ち構えている。どれだけ戦力を増やしても心許こころもとないくらいだ。

 ヌンやノラシンハの話を聞けば、裏切り者の懸念けねんにも悩まされてしまう。

 それでも――こころざしを同じくする仲間を求めてやまない。

 高潔こうけつな魂を持ち、背中を預けられるLV999スリーナインの戦士を……。

   ~~~~~~~~~~~~

 還らずの都より北東――。

 イシュタルランドから北北西――。

 穂村組の万魔殿があった溶岩地帯からは西南西――。

 真なる世界ファンタジア中央大陸を四分割すれば、その北東にあたる地域の一角には不思議な光景が広がる荒野があった。

 林立するのは――黒曜石こくようせきで形作られた樹。

 ある種の溶岩が冷却されることで生成される黒曜石が植物なわけはないので、あくまでも樹木のように見えるだけだ。正しくは樹木のように空へと伸びた黒曜石の柱が、数え切れないほど立ち並んでいた。

 それはもう、荒野を埋め尽くすほどの物量でだ。

 黒曜石でできた森――そう言い表せばわかりやすいかも知れない。

 立ち並ぶ黒曜石の柱も千差万別、人為的じんいてきな様子はない。

 あくまでも自然に、どういう自然現象が起きた結果としてこうなったのかはわからないが、ナチュラルな造形美を力強く主張していた。

 柱の形は一本として同じものがない。

 樹齢百年を超える大樹のように背の高い柱もあれば、ようやく人の背丈を超えたばかりの若木のような柱もある。葉を茂らせたり花を咲かせることことないが、幾重にも枝分かれした形状の柱ばかりである。

 だからこそ、殊更ことさらに森と表現できるのだろう。
 
 黒曜石の木々は乾ききった大地に根を張り、その木陰にはわずかばかりだが苔や草が繁茂はんもして緑を増やそうとしていた。

 そんな黒曜石の森を貫く一筋の大きな道。

 現実世界でいえば10車線はありそうな幅広の道だ。交通路の大動脈を司りそうな広さを誇る道が、黒曜石の森を2つへ分けるように通されていた。

 その道を土煙を上げて進む旅団があった。

 常に旅団の中心に陣取り、先頭を走るのは巨大な列車である。

 まず全体の構成として一両の大きさが半端ではない。

 地球で標準的に採用されていた列車一両の容量を上回っている。全高も横幅もそれぞれ倍、単純に計算すれば4倍の大きさはあった。

 列車2両を横並びに接続させて、その上に同じものを載せる。

 一両のサイズが大体そんな具合なのだ。

 機関車両でもある先頭車両は、現代人なら「蒸気機関車あるいはSL」と一目でわかるアンティークなデザイン。頭にある煙突からは白い噴煙をモクモクと上げており、思い出したように汽笛も鳴らす。

 二両目は古き良き蒸気機関車ならば炭水車テンダー(燃料に使う石炭や水を積んだ車両)が連結されているが、この列車の二両目も炭水車らしい。

 しかし、石炭や水を積んでいる様子はない。

 どことなく硬質感の漂う強固な城壁風の佇まいをした車両だ。

 三両目からは牽引する客車という場合が多いのだが、この列車は三両目も特殊な形をしていた。こちらも装甲が厚いが二両目より生活感がある。

 似たものをあげると……キャンピングカーだろうか?

 三両目からは明らかに客車のデザインだ。

 前述の通り、この列車は縦横ともに通常の倍あるので、客車はどれも二階建て風の外観をしていた。車窓が上下にズラッと並んでいる。

 客車は12両あり――合計15両の巨大列車。

 線路もない荒れ地の悪路を物ともせず、風を切って驀進していく。

 それを取り巻くのは、何十台もの四輪よんりん駆動車くどうしゃ

 セダンやクーペと呼ばれる一般的な自動車タイプのものや、ステーションワゴンやミニバンと呼ばれる大人数が乗れるもの、SUVやクロスカントリーあるいはクロスオーバーと呼ばれるオフロード仕様のもの、ピックアップやトラックと呼ばれる運搬車、見たまんまスピードの出そうなスポーツカー……。

 車種は様々、車のボディタイプも多様である。

 共通しているのは、どの車も地球で乗られていたものより大型。軍用車両のように走破性そうはせいが高く、外装も防御力重視で分厚いということ。

 ここまで厚いと外装ではなく鎧装がいそうだ。

 それぞれの車には助手席や後部座席に人影はなく1台に1人、運転手しか搭乗していない。運転手の顔はフロントガラスに阻まれてはっきりしなかった。

 内側からは見えるが外側から内部は覗けない。

 そういった特殊コーティングをガラスに施しているようだ。

 巨大列車を中心に、車の旅団が形成されていた。

 車の運転手たちは窓を開け、大声で叫ぶように話し合う。

「凄ぇよなジェイク様! さっすが“銃神”ガンゴッド!」

 二つ名は本物だぜ! と青いピックアップの運転手が褒め称えた。

「ああ、まったくだ……この踏破不可能と思われていた、地平線の果てまで続く黒曜石の森……そこへ瞬く間にこれほどの道を切り開くのだからな」

 まさしく銃の神……と黒いスポーツカーの運転手も賛同する。

「もう拳銃ガンの威力じゃないよね。巨砲キャノンでも収まりきらないんじゃないかな?」

 砲神キャノンゴッドでもよくない? 黄色いミニバンの運転手が無邪気に言った。

 しかし、この意見は受け入れられなかった。

「おめぇ、野暮やぼだなぁ……情緒ってもんがわかってねぇ」
「ジェイク様は“銃神”だからいいのです」

「ええっ!? ボクの意見って異端なの!?」

 黄色いミニバンの運転手は少なからずショックを受けていた。

 これをきっかけに、運転手たちが大声で騒ぎ出す。

「ガンゴッド! ってお呼びした方がなんか重厚感あっていいだろ!」
「男の子ってガギグゲゴとかダヂヅデドとか大好きよね」
「おまえも野郎おとこだろ。俺たちスプリガンには女がいないからな」
「今はいねえだけよ! “方舟”はこぶねに帰れりゃいっぱいいるはずだぜ!」
「女なら女神様が4人もいらっしゃるだろうが!」

「私は断然アンズ様だな!」
「おれ絶対レンちゃん! じゃなかったレン様!」
「ソージ様派もここにいるぞ!」
「なんだよなんだよ! 最年長のマルミ様推しは俺だけなのか!?」

 最初が“銃神”ジェイクを讃えていたはずが、いつの間にか「彼とともに旅をする4人の女神の誰を推すか?」に話題がすり替わっていた。

 その時――轟音のような汽笛が鳴り響いた。

 途端に運転手たちは押し黙り、運転に集中することを余儀なくされる。

「……やべぇ、ラザフォード団長がお怒りだ」

 誰かがおっかなびっくり呟いた。

 今の汽笛は「無駄話もいいかげんにしろ」というお叱りの合図だ。

 車を操る運転手たちは、黙ってラザフォード団長が舵取りを任されている巨大列車に付き従い、その客車を護衛するように併走へいそうする。

 先頭車両から数えて四両目――客車の第一両目。

 その二階は中央に廊下を挟んで、左右に縦長の区画で仕切られている。それぞれの区画も中央に廊下を挟み、左右に座席が並んだ造りになっていた。

 車窓は片側のみだが、よくある客車の構造である。

 座席は長椅子を向かい合わせたボックス風。

 この一両目の客車は乗客を迎え入れるような形をしているというのに、そこに座るはずの人影がほとんどない。

 乗客は――たった2人である。

「ふああぁああぁ~……やれやれ、すっかり眠気が覚めちゃったよ」

 いい夢見てたのになぁ、とジェイクは残念がった。

 眠気が覚めたという割には寝たりないらしい。

 長椅子を独り占めするように寝転がっている。車窓の風景を眺めるため頭を廊下側の肘掛けに乗せ、長い足は窮屈そうに絡ませながら壁に押しつけていた。

「さっきのドローンがどうとか言ってたやつ?」

 向かいの長椅子に腰掛けたマルミは訊いてみた。

 驚くほどの美声だが、彼女の外見と釣り合っていない。

 いつもクラシカルでなメイド服を愛用する彼女は、お世辞にも絶世の美人とはいえない女性だ。決して不美人ではなく、明るく快活な彼女を誰もが美人と褒めるだろう。

 だが見た目は少々人を選ぶ――全体的に丸いのだ。

 でも愛嬌がカンストしているので、万人に愛される好人物である。

 しかしながら、その声は絶世の美女と讃えるに相応しいものなので、容姿と些かミスマッチしていた。これを当人なまったく気にしていない。

 朗らかな彼女の懐は、とんでもなく広くて深いのだ。

 ジェイクもそうだが、ソージやアンズにレンといった年下組もよく「お母さん」と間違えて呼んでしまうほどオカンパワーがある。

 実のところも、ジェイクも彼女にかなり精神的依存していた。

 そんなオカンの質問にはちゃんと答える。

 眠い目をこすりながら、あくびを噛み殺してだが……。

「ふあぁ……んんっ、よくわからないけど、オレの知覚できる領域にブンブン飛んでいるドローンみたいなのがいっぱいいたからさ」

 ぜんぶ撃ち落としといた、とジェイクはぞんざいに手を振る。

「急に飛び起きたと思ったらそういうこと……でも」

 良かったの? とマルミは案じる。

「私たちにソーちゃんがいるように、他のパーティーにも機械に強い子がいるかも知れないのよ? そういう子たちが他に生き残っているプレイヤーを探すために飛ばした可能性だってあったのに……」

「考えなしに撃墜して良かったのか――ってこと?」

 ジェイクはごろんと寝返りを打つ。

 世にも珍しい黒曜石の森を駆け抜ける風景が眺められる車窓から目を逸らして、こちらを見守るマルミからも背を向けてボソリと告白する。

 ――やっちまった。

「……寝起きでイライラしてたから、つい……パンパーンって」

「……あなた、本当にそういうところはダメな子ねぇ」

 マルミが呆れると、ジェイクは起き上がって弁明する。

「だって……昼寝とはいえ久し振りにグッスリ眠れてだよ? そのうえ良い夢を見てたところに、モスキートーンみたいな音がブーンブーンって聞こえてくれば……イライラするでしょ!? 元凶をブッ飛ばしたくなるでしょ!?」

「気持ちはわかるけど短絡的なのはいけないわ」

 次からは気をつけなさいね、とマルミは優しい母親のように諭してきた。

 それで――とマルミは話を切り替える。

「良い夢ってどんな夢?」



 エルドラントエルちゃん――彼女と過ごした日々を思い出したとか?



 最愛の彼女の名前に、ジェイクは表情を失った。

 束の間、感情というものを忘れた顔になったジェイクだが、閉じた目を伏せて右手で目元を覆い隠すと、卑屈な笑みで唇を歪める。

「……そんなのは良い夢じゃない。過去を再演するだけの悪夢だよ」

 オレにとってはね、とジェイクは自嘲じちょうした。

 彼女のことを回想するだけで、芋ずる式に地獄に堕とされた日まで思い出してしまい、最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズという怨敵に思い至る。

 そんなもの、悪夢以外の何物でもない。

 ジェイクは長椅子に座り直すと、背を預けて天井を仰いだ。

「もっと古い夢さ……真なる世界ファンタジアへ来る前、まだ現実リアルにいた頃の……」

 アシュラ・ストリート――知ってるだろ?

 マルミは丸い顎を前に倒して首肯しゅこうする。

「ええ、知ってるわ。大人気だったVR格闘ゲームでしょう? ジェイクあなた、八部衆とか呼ばれて有名だったそうじゃない……その時のことを夢に?」

 ああ、とジェイクは短く答えた。

「あの頃が一番楽しかったなぁ……って夢の中で振り返ってたのさ」

 ウィングと、獅子翁ししおうと、オヤカタと、天魔ノ王てんまのおうと――。

 D・T・Gと、ほむらえんと、姫若子ひめわこミサキと――。

 彼らとともに切磋琢磨せっさたくました日々を、夢想するようにさかのぼっていたのだ。

「でも、ああ……もうダメだ……オレは、あの頃に戻れない」

 ジェイクは目元から離した掌をジッと見つめる。
 穴が開くほど凝視する。

 引き金を引くために引き絞った指、射撃するために使い込んだ手。

 その掌が――ドス黒い血にまみれている。

 いつの頃からかジェイクは、そんな幻視にさいなまれるようになった。

「オレの手はもう……かたきを殺すためにしか動かない」



 二度と戦いバトルを楽しめない――ジェイクは苦悩する手を握り締めた。


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