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第15章 想世のルーグ・ルー
第361話:蕃神戦線
しおりを挟む蕃神とは――力が強いだけの怪物ではない。
常軌を逸した能力を持つ別次元の怪物であるとともに、真なる世界に住む我々では及びもつかない恐ろしい叡智を備えた高度な知性体である。
これがツバサとヌンの共通見解だった。
思わず目と目で通じ合い、頷き合ってしまったほどだ。
見つめると――やっぱり蛙である。
誰よりも人間臭い表情なのに、ヌンは紛うことなき両生類の顔だった。種別的には蝦蟇ではなく蛙系統の顔立ちだろう。
それでも蝦蟇使いのバンダユウは親近感を覚えるらしい。
ヌンの爺さまと馴れ馴れしい理由はそれだ。
ところでヌンのフルネームは――ヌン・ヘケト。
フミカに聞いたところ、ヘケトという名前の蛙の女神がエジプト神話にいたというので、神々の乳母とも近縁になるのかも知れない。
「わかるわー、蕃神ども狡猾やもん」
ノラシンハも両目を閉じて細い腕を組み、同感の頷きを何度も繰り返した。帯みたいな髭がフサフサ揺れている。
ただし、共感できない面子もいた。
ミサキとアハウも蕃神とは何度か相対し、撃破もしている。
超常的な存在であり、倒すのにも一苦労なのは認めるところだろう。
だが「高度な知性体」という部分には懐疑的らしい。即座に「それは違うよ」と異論こそ言い立てないが、訝しげに首を傾げていた。
一方、レオナルドやクロウは興味深そうだ。
しかし口を挟むことはせず、補足説明を待っていた。
彼らもまた蕃神と矛を交えてきた経験があるため、あの怪物どもに知性があるか否かに関しては思うところがあるらしい。特にレオナルドは蕃神からの回し者にして、こちらの世界の背信者ともいうべき男と交戦している。
GM №64――ナイ・アール。
現実でも正体不明な経歴のためにレオナルドの不審を買っていた男は、蕃神からの誘いに乗った人界の裏切り者だと判明した。
ナイアルラトテップという蕃神の力を分け与えられているらしい。
当人がはっきり明言したわけではないが、状況証拠だけならば指折り数えても足りないほど置いていったそうだ。それさえも誤誘導という可能性が捨てきれないので安易に信じられないという。
しかし、名前からしてナイ・アール=ナイアルラトテップである。
以前、これを聞いたツバサは感想を一言。
『なんだそれ、名前でネタバレしてるようなもんじゃん』
『俺も言ってやったよ。アナグラムとしては程度が低すぎるとな』
この一件で強まった疑惑がひとつある。
クトゥルフ神話の邪神が関連しているという可能性だ。
ナイアルラトテップはクトゥルフ神話の中でも、知名度では代表格である旧支配者クトゥルフと肩を並べ、人気においては上回るかも知れない。
千の貌を持つ無貌の神――その本質はトリックスター。
あっちで世界を滅ぼすために暗躍していたかと思えば、こっちでは眠れる邪神を目覚めさせて世界を混沌の渦に叩き込もうと工作し、白痴の王と呼ばれる万物の創造主アザトースに仕えながら、その主人を声高らかに嘲笑い……。
――変幻自在にして神出鬼没。
様々な姿に化身しては、あちらこちらで騒動の火種を起こし、それをこっそり高みの見物しては悦に入る……そんな傍迷惑なタイプの邪神である。
要するに、すべてを大混乱に陥れようとしているのだ。
……こう表現すると何も考えてない愉快犯にしか思えないが、彼もまたアザトースより生まれた人知を超えた邪神の一柱。
その行動には深遠な理由があるともされているのだが……。
『あいつ、何も考えてない愉快犯だぞ』
レオナルドは忌々しげに言い切った。
『そりゃレオナルドの後輩だった変態野郎への悪印象だろうが』
とにかく――ナイアルラトテップは掴み所がない。
千の貌を持つという異名が指し示す通り、多彩な化身をすることができる。そのほとんどは怪物だが、中には人間の化身もあるという。
ナイ・アールはレオナルドと対戦した際、これ見よがしにナイアルラトテップの数ある化身のひとつ、“月に吠えるもの”に変身して見せたそうだ。
もっとも、とレオナルドは注意を忘れない。
『ナイ・アールが「ボクらはクトゥルフ神話由来の邪神ですよー」と誤誘導を仕掛けてきた懸念もあるがな。実はまったく無関係の別次元の怪物なんだが、勘違いさせておけば油断も誘えるだろうと考えて……』
『疑心暗鬼になるのはわかるが、いくつかの蕃神はクトゥルフ神話のそれと合致している。油断大敵だが関係性は考慮してもいいはずだ』
そのまま一昼夜、レオナルドと徹夜で話し合った。
悪友と茶化しておいてなんだが、やっぱりレオアルドは気の合う友達だ。でなければ打ち合わせで夜明かしなんてできない。
どちらにせよ――蕃神の全貌は明らかになっていない。
『中国の故事にもこうある』
レオナルドは噛んで含めるように言い渡してきた。
戦戦兢兢――如臨深淵、如履薄氷。
畏れ慎みて――深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し
『蕃神の全容については、未だに把握できていないんだ。クトゥルフ神話に由来するものもいると仮定しておき、まだ未知の脅威も控えていると用心するに越したことはない……俺よりも慎重派なツバサ君ならわかるだろう?』
レオナルドはこんな具合に締め括った。
この一件も手伝ってか、レオナルドは「蕃神は高度な知性体」という意見に肯定的な雰囲気を醸し出している。
ナイ・アールはレオナルドの策に引っ掛かるほど軽率な男だったが、あれは考えなしの馬鹿野郎というより、ナイアルラトテップの特性のようだ。
トリックスターの血が騒いだらしい。
そこは後述するとして――。
「蕃神どもが頭いい、ってのはいまいちピンと来ねぇけどさ」
黙って話を聞いていたバンダユウが、メイド人形にバーボンをロックで注文すると、それをチビチビ呑りながら意見する。
「幸か不幸かおれやヒデヨシくんところは、使いっ走りの眷族にしか出会してねぇんだけども、あいつらも『お、一人前に考えてやがるなこの野郎』って思うことは度々あったな……まあ小狡い野生動物ってぐらいだが」
「あったあった。意外と賢いな、と感心させられたくらいですよ」
バンダユウの話にヒデヨシも相乗りする。
強い酒精は飽きたのか、スルスル飲める喉越しの良さそうな生ビールを注文すると、メイド人形から渡された大ジョッキを傾けていた。
元より“イケメンな猿”といった趣のある顔立ちのヒデヨシだが、酒が入って赤くなると、より猿っぽさが増してきた。
西遊記の孫悟空がいたら、こんな風貌だったのかも知れない。
ヒデヨシが肴にするのは――宝石虫の素揚げ。
見た目こそ宝石にしか見えないが、その正体は鉱物に擬態した昆虫だ。サッと揚げて塩胡椒をまぶすと酒のつまみに最適だった。
しかし、バンダユウは敬遠気味の目を向けている。
「……ヒデ坊、昆虫食イケる口か?」
「全然イケますよ。おれぁ蜂の子とか蝗の佃煮もイケるんで」
昆虫の素揚げをバリボリ囓るヒデヨシは所見を述べる。
「熊とか狼とかも人間を欺く知恵を持ってる、ってその手の動画で見たことありますけど、蕃神は負けず劣らずどころか一枚上手ってとこがある」
油断ならねぇ相手だ、とヒデヨシはジョッキを空にした。
「野生動物は人間顔負けの知能を持っています」
いかん――蘊蓄たれの眼鏡が光った。
こちらもワインのお代わりをメイド人形に頼んだレオナルドは、今度は赤ワインを片手にベラベラと蘊蓄を話し始める。
「たとえば、雪国に棲む動物は“止め足”という行動を取ります」
彼らは何者かに追跡されていると気付くと、雪に残された自分の足跡を慎重に踏み戻りながら後ずさる。そして、適当なところで足跡のわかりづらい藪へと飛び込み、追跡者を撒こうとするのだ。
熊がすることで有名だが、狐や狼もするという説がある。
「動物の知力についてはシートン動物記が詳しいですね」
かつてニューメキシコ州で多くの家畜を食い荒らしたため、現地の人々から魔物と恐れられた年経た狼がいた。
近年では“狼王ロボ”の異名で有名だろう。
このロボを仕留めるべく、博物学者シートンは美味しそうな餌を作り、そこに毒を混ぜてロボの殺害を試みたことがある。
しかし――失敗に終わった。
あろうことかロボは毒入りの餌を見破るだけに飽き足らず、それを一カ所に集めると自身の糞や尿をこれでもかと浴びせかけ、罠を仕掛けたシートンを馬鹿にするかのように挑発したのだ。
この他にもロボの知力を知らしめる逸話は多い。
銃を持った人間の前には決して姿を見せることなく行動するとか、どんな罠だろうと見破るとか、それを仕掛けた者を馬鹿にする痕跡を残すとか、猟犬さえも騙くらかすとか……枚挙に暇がない。
(※シートン動物記は博物学者シートンの実体験に基づいて書かれているとはいえ、あくまでも創作物なので脚色はあるかも知れない)
「真なる世界のモンスターにも知恵の回る奴はよーさんおるけどな」
会話の隙を突くようにノラシンハが口を挟む。
「ドラゴンなんかは言語を解するくらい頭ええし、年食ってエルダーなんて冠する頃にゃあ長く生きた分だけ下手な種族より話が通じるモンもおるからなぁ」
蘊蓄たれなことに自覚はあっても、勝手に動く舌が止められないレオナルドは、横に座るミサキから注意されるように肘で突かれる。
そして、喋りすぎたと反省するように口を塞いだ。
良い師弟関係じゃないか――羨ましい。
話を継ぐようにノラシンハが言葉を続ける。
「しかし、蕃神どもの知恵の使い方はこうなんちゅーか……おれら寿命を定められた生き物とはスケールが違うんや。いや、ちょいこの間まで人間だった兄ちゃんたちにしてみれば、神族の寿命かて途方もないかも知れへんけどな」
「そういえば……ノラシンハ翁やヌン殿はおいくつなのですか?」
失礼ながら、とアハウが2人の年齢を尋ねた。
どちらも首を90度曲げ、自身の歩んできた年月を振り返る。
「1000歳までは律儀に数えとったけど……おれ、君らんとこの地球に文明の前段階ができてた頃に生まれたから一万歳くらいか?」
「ワシゃノラちゃんよりちょい歳上じゃから、約一万二千歳ってところじゃな。もう途中数えるのも面倒になってきてのぅ」
せやせや、とノラシンハとヌンは肩を揺らしてケラケラ笑った。
さすがの神族も一万年も経てば老人になるのか……。
神族や魔族は不老不死だが、老衰がないだけで不滅ではない。数千年も生きればゆっくり老いてくる。そして、一万年を数えればこうなるようだ。
これに元人間だった者たちは感歎の声を上げる。
「ノラさんもヌンの爺さまも一万歳かよ! いや凄ぇな、もうちょいで年金貰えるロートルだと思ってた自分が餓鬼に思えてくるぜ」
なあクロウ先生! とバンダユウは同年齢に同意を求めた。
クロウは骸骨の剥き出しの歯茎を微笑ませる。
「ええ、まったくです。人生50年と歌われた時代から人間の平均寿命も伸びて、70、80歳まで働けなんて酷い政策もありましたが……一万年も生きられたら、そういった人間の固定観念なんて他愛ないものですね」
クロウは教職に就いていたので、生徒相手に社会良識や道徳を説いた身とあっては、一万年もの神生にあれこれ考えさせられるのだろう。
「まあ、私は死んで骨だけなんですけどね!」
「出たッ! スカルジョーク!」
お酒で出来上がった老人コンビはゲラゲラ笑っていた。
クロウさんも骨しかないのに、頬骨がちゃんと赤く染まって酔ってるし……神族の耐性に頼りすぎて、がっつり酔ってないか?
そして、いい大人たちもしっかり酔いが回っていた。
「ダッハッハッ! バンダユウの親分やクロウ先生が餓鬼ってんなら、オレたちなんざ毛も生えてねぇ赤ん坊だぜ! なあアハウの大将!」
「まあ俺は御覧の通り、赤ん坊だろうとモサモサだけどな!」
ヒデヨシとアハウのアラサーコンビも膝を叩いてバンバン笑う。
みんな酔うことを楽しんでいた。
神族や魔族は毒への耐性が素であるため、どんなにアルコールを摂取しても超強力な肝臓が瞬く間に解毒してしまい、気持ち良く酔えないのだ。
しかし、自力でそれを弱めることもできる。
そうすることにより自分のペースで適度に酔えるのだが……。
「……ちょっと羽目が外れてきたかなぁ?」
ツバサは大学時代の地獄のような飲み会を思い出す。
まだくだらないダジャレでバカ笑いしている程度なので平和だ。目くじらを立てるほどでもないので、実害が出るまで生暖かい眼で見守っておこう。
ただし――子供にはキツそうだ。
大人ぶりたいミロやミサキは、酒こそ許されないが肴としてテーブルに並んでる料理を競うように頬張り、陽気に笑っているので問題あるまい。
しかし、ククリはまだ幼すぎる。
彼女も灰色の御子なので実年齢は500歳を超えているのだが、そのほとんどを冬眠状態で過ごしたためか精神年齢はほぼ見た目通りなのだ。
母親に甘えたがる年齢だと推して知るべし。
親父ギャグの応酬に呆れているのか、ツバサのムチムチ太ももに座ったまま静かにしている。両手で持ったコップのジュースも半分くらいしか飲んでおらず、食べられそうな料理にも手を伸ばしていない。
最初こそオカン度がグレードアップしたツバサの膝の上でご満悦だったが、そろそろ退屈になってきたのではないだろうか?
「ククリちゃん、眠いのか?」
別室で少し休む? それとも子供たちのところへ遊びに行く?
選択肢を尋ねながらククリの顔を覗き込むと――。
「ねむくなんはありまへんよぉ……ヒック!」
つぶらな瞳をトロンとさせたククリは、小さな蕾みたいな唇を半笑いに開いており、その顔は桃色を通り越して茹でたように火照っていた。
「え……ククリちゃん、まさか酔ってる!?」
「酔っていまへん……あらしを酔わせたら大したものへすよ……」
「完全に酔ってるだろ! どこかで聞いたようなセリフ言ってるし!?」
慌ててグラスを取り上げると一口飲んでみた。
「これ、ジュースじゃない……俺と同じ果実酒じゃないか!」
「かあたまのとおんなじのって……ひっく! ちゅーもんしました……」
ヒック! とククリは可愛いしゃっくりが止まらない。
恐らく、初めて飲んだお酒に耐性がなかったのだろう。幼いとはいえ彼女も灰色の御子だから、アルコールもすぐ中和するはずだが……。
「ククリちゃん、ちょっと別のところで休んでこよう。あっちも宴会中のはずだけどホクトさんかクロコ……は駄目だから、誰か付き添いを頼んで」
「いやれす! かあたまといっしょにいます!」
かあたまのおひざがいいれす……と、ククリはツバサのMカップにしがみついて離れようとしない。半分眠っているような呂律の回らなさだ。
こういう幼い仕草には、神々の乳母という母性本能を刺激される。
ついつい甘やかしたくなってしまうのだが……。
「ヒック……うぅん、のどがひりひりします……」
「じゃあ、水か何か口直しに……ッておい!」
ククリは喉の渇きを訴えたかと思えば、おもむろにツバサのワイシャツのボタンを外して、はだけさせよた乳房に吸いつこうとしていた。
「くちなおしに……かあたまのおっぱいを……」
「やっぱり酔ってる! 完全に酔ってるだろククリちゃん!?」
酔ったままワイシャツの第三ボタンを外そうとするククリと、ブラジャーの谷間が覗けてきたツバサはわけのわからない攻防を繰り広げていた。
それを困った眼で見つめるノラシンハ翁。
「あのー……楽しい茶番の途中やけど、話のターンをおれに戻してええ?」
「はいどうぞ! すんませんした!」
テンパったツバサは舎弟口調で謝ってしまった。
取り敢えず、ククリは半分お眠になっていたので「よしよし」と宥めながら抱きしめてやることで、半ば無理やり寝かしつけた。
ゴホン、と咳払いで正してからノラシンハは話を続ける。
「それでも――オレたちは定命のもんや」
遅かれ早かれ死ぬ、と厳然とした事実を述べた。
「だが、奴らは死なん。どれだけグチャグチャのグチュグチュのズタズタのボロボロのギタギタにやっつけても……時間さえ経てば復活してくる」
「まるっきりバケモノやん」
関西弁なミロのツッコミに「せやで」とノラシンハは相槌を打つ。
「蕃神っちゅうんは正真正銘のバケモノや。不老不死に加えて不滅、せやからどんだけ叩きのめしても、肉体が直ったらまた攻め込んでくる。そんなチート過ぎる生命力と、おっ死ぬまでに幾星霜かかるかわかったもんやない無限の寿命を持っとるような奴らに悪知恵を使わせてみぃな」
ろくなことにならへん、とノラシンハは毒突いた。
数十年、数百年、数千年、数万年……ひょっとしたら数億年。
こちらが忘れた頃どころか、次の世代に交代した頃にようやく発動するような、えげつないトラップを仕掛けてくる可能性もある。蕃神にすれば、他愛ない一時を待っていたら獲物が引っ掛かったようなものだろう。
罠を仕掛けるにしても数世代を跨ぐかも知れない。
いくら子孫に伝えても、内容がぼやけているか間違っていそうだ。
「伝承という名の伝言ゲームも追いつかない未来で襲ってくる罠か……」
そんなもの対処しようがない。ツバサは眉根を寄せる。
ミロは露骨に嫌そうな顔をした。
「ええぇ……じゃあさ、ノラじいちゃんたちが子供だった頃に仕掛けられた爆弾が、アタシらの引退する頃に爆発するようなこともあんの?」
「そんなもんざらやで? しかも十個や二十個じゃきかへんし」
「不発弾よりタチが悪くて困っとるんじゃ」
ノラシンハやヌンは、そういった罠に心当たりがあるらしい。
「ま、厳密に言えば蕃神どもが攻めてきたんは四千年前……いや、五千やったか六千やったか? そんくらい前からやけどな」
蕃神の襲来は意外と最近(?)だったらしい。
長寿なものが多い真なる世界の住民たちでも、何世代かは交代している年月だ。後世になるほど追い詰められたそうだからジリ貧にもなるだろう。
ヌンは手にしていた杯をテーブルに置いた。
「ちょっと――情報の摺り合わせをしておきたいのぅ」
ツバサ君、とヌンは説明を請うてくる。
「君たちがこの世界に飛ばされてきて、およそ1年とちょっと……これまで君たちが倒してきた蕃神について詳しい話を聞かせてくれんか?」
「ええ、構いませんよ。ですが……」
ツバサは指を鳴らすと、メイド人形がお辞儀をしてこちらの意を汲んでくれた。彼女はヌンの杯に大吟醸のお代わりを注ぐ。
ツバサは爽やかな果実酒で満たしたグラスを差し出した。
「せっかくの酒の席です。蕃神をつまみに話の華でも咲かせましょう」
「ん……そうじゃの、あんまり深刻に話すのも野暮か」
ヌンは一度置いた杯を再び手に取った。
宴会から作戦会議になりかけていたことを察したヌンは、口の端を釣り上げると不敵な笑みを浮かべ、酒を満たした杯でツバサと乾杯してくれた。
チン♪ グラスと杯をかち合わせて鳴らす。
「奴らの鼻を明かすためにも、バカ話っぽく笑い飛ばしてやるとしよう」
すると、手酌で自分の杯に酒を注ぐノラシンハが訊いた。
「兄ちゃんから話を聞きたいって……なんやヌンちゃん、おれが教えたった千里眼の術でこっちを覗いとったんとちゃうんか?」
「あれ難しすぎじゃろ。ノラちゃんほど融通は利かんわい」
大きな戦は見逃さないように心掛けたがの、とヌンは事情を明かす。
その一言はツバサの気を引いた。
「もしかして……大きな戦いは異相でも感知できたんですか?」
「ほれ、蕃神どもは次元を超えてくるじゃろう?」
ヌン曰く、それほどの大きな力が動くとなれば異相も他人事では済まされないという。特に水聖国家のあった異相は、暴君の水という液状生命体に満たされていたので、次元が破られるとあの水がざわついたらしい。
「特に“王”と呼ばれる大型の蕃神が次元を破ろうとすると酷くてな。あの異相じゃ地盤なんぞないのに、地震と勘違いするほど暴れおるんじゃ」
「ああ、それは嫌でも気付かされますね」
暴君の水から伝わる揺れは蕃神の接近予報になったそうだ。
「では……ちょっと振り返りますか」
酒の肴にするべく、ツバサは蕃神との戦いを回想してみた。
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第一ラウンド――穢れに塗れた触手・アブホス戦。
(※第2章参照)
名前の由来は地下世界ンカイに棲む外なる神アブホースから。
真なる世界でツバサたちが最初に遭遇した蕃神だ。
無数の触手が絡み合った不定形の肉体を有しており、状況次第で大きな一つ目を形成すると、その眼球で対象を観察してくる。
触手がまとまった状態では、人間より少し大きい程度。
しかし、これは“王”から分裂により生まれた眷族に過ぎない。
眷族1体だけでも侮れない攻撃力を持っており、現にジャジャ・マルはこの眷族によって殺されたため、一度目の人生を終わらせていた。
その後、ツバサとミロの娘として転生できたのは不幸中の幸いである。
この眷族はそれこそ何十万体と湧いてきて、真なる世界のエネルギーを片っ端から搾取し、“王”の元へ持ち帰っていた。
両者の関係は女王蟻と働き蟻に似ている、と思った。
アブホスの“王”と呼ばれる大型個体は優に数百mはある巨体を有し、その中心に巨大な独眼を構えていた。イカを思わせる大型の触腕を武器として何十本も振るっていたが、そのうち数本は特殊な形状を備えていた。
特別な切り札を伏せる知恵はあったわけだ。
ツバサ、ミロ、ダインの三人がかりで撃破できた、最初の蕃神である。
「……思い返してみれば、あいつは待ち構えていたんじゃないかな」
「待ち構えてたって……アタシたちを?」
赤ワインのつもりで飲んでいたグレープジュースにも飽きたのか、烏龍茶に切り替えたミロはそれを飲み終えてから聞き返してきた。
「俺たちとは限らないさ。力のある者なら誰でも良かったんだ」
あるいは――栄養価の高いものだ。
アブホスの王は次元の裂け目から動かなかった。
そこから眷族を真なる世界へ送り込み、エネルギーを収穫して持ち帰るように命じていたが、それは撒き餌だったのではと今更ながらに考える。
「真なる世界の活力を奪われてなるものか! と俺たちみたいな神族や魔族がいきり立ち、眷族を蹴散らして出所を辿っていけば、そこで待っているのはあの王様だ……そうやって獲物が釣れるのを待っていたんじゃないか?」
「獲物が食いついたら……あっちがパックンチョ?」
そういうことだ、とツバサは肯定した。
ツバサなりに考えた仮説だが、ノラシンハも同調してくれる。
「さもありなんやな。蕃神はそうゆう気の長いことを平気でやってくるで」
釣り人気分で釣り針を垂らしていたつもりか?
「そもそもの話、あのアブホスの王は自力で次元の裂け目を乗り越えることができたんだ。それくらいの体力はしっかりあったんだよ」
初めて目撃した際、次元の向こう側から巨大な一つ目でこちらの世界を覗き込んでいたので、「はは~ん、コイツ裂け目を乗り越えるパワーがないんだな。だから子分どもに栄養を運ばせてるのか」と思い込んでしまった。
いざ戦いを挑んでみれば、テンションの上がってきたアブホスの王は次元の裂け目を破ろうとし、ツバサたちを捕食するために躍起となった。
ここまでの話を聞いたレオナルドが簡単にまとめる。
「つまり、活きのいい獲物を釣るための罠だった……ってところかな?」
「一連の流れを思い返すと、そういう捉え方もできるな」
短命の種族には思いつかない、不老不死不滅の上位者ならではの罠である。数百年単位で釣りを楽しんでいるようなものだ。
「ただ単に次元の裂け目を大きくするのが面倒だったんじゃね?」
ミロの一言はここまでの推理を台無しにした。
ツバサはそれを頭ごなしに否定しない。お酒が入ったため膝の上で微睡んでいるククリの頭を撫でてやりながら、やんわり付け加えた。
「まあ……そういうこともあるかもな。次元を破るのがかったるいから、眷族を放って栄養を吸い上げていただけかも知れない。そして、俺たちみたいに近付いた奴を片手間につまみ食いしようと……」
「どちらにせよ、こちらの世界を貪るつもりだよねそれ?」
レオナルドの指摘がもっともだった。
待っているにせよ面倒臭がり屋にせよ、何千年かけてでもこちらの世界を搾取するつもりは変わりない。その過程で神族や魔族がやってこようが釣れようが、物のついでくらいにしか思っていない節もあり。
「我々など歯牙にかけるも値しない……そう考えているのかもな」
蕃神の思惑を想像して、アハウは投げやりに嘆息した。
苛立ちまぎれに手を伸ばした肉料理を囓るのも忘れない。その食いっぷりは蕃神に勝るとも劣らない獣王さながら荒々しさだった。
第二ラウンド――心を貪る妖蜘蛛・アトラクア戦。
(※第3章参照)
名前の由来はンカイの地底湖にて巣を張る蜘蛛の神性アトラク=ナクア。
現実世界から実験によって町ごと転移させられた、東京都第24区“由明区”の下にある次元の裂け目に棲み着いた異形なる蜘蛛の女王。
ドンカイやクロコと再会し、トモエと出会えた一件の張本人でもある。
アトラクアの“女王”は、全長100mを越える巨体を有した蜘蛛の怪物だったのだが、由明区が転移してきた際に一人の女性と融合したためか、部分的に人間の女性めいたフォルムとなっていた。
よく女性型モンスターとしてゲームに登場する“アルケニー”のように、蜘蛛と女性の合成生物のような外観をしていた。
蜘蛛の頭部から女性の上半身が生えている形状だ。
その融合した女性というのが転移実験を担当した研究者であり、その弟がアルマゲドンのゲームマスターになって騒動を起こすのだが……そこは割愛する。
アトラクアを“女王”とした場合、その眷族はやはり蜘蛛だった。
小さくても大型犬、大きいものならアフリカ象くらいはある大型の蜘蛛。ヘッドライトみたいに瞬く七色の複眼を持ち、9対18本にもなる細長い脚が生えており、それぞれの脚には10個もの関節を持っていた。
それが地津波よろしく押し寄せるのだから虫嫌いには堪らない。
「アブホスが手当たり次第にエネルギーを搾取していたのに対して、アトラクアは心を持つ者の精神的エネルギーを好んで収集していましたね」
「――精神喰らい系の蕃神やな」
連中はえげつないで、とノラシンハは脅すように語る。
「人間や神族に魔族、それに多くの種族は心を持っとる。その心ひとつで山をおっ立てることも大陸を2つに割った大河を掘ることもできる。そんだけのパワーを秘めとる心を性根が尽きて枯れ果てるまで搾り上げるんや」
「意思や感情……やる気を奪うようなものですか?」
クロウが骸骨の眼窩で尋ねると、ノラシンハは詳しく説明する。
「なんもかんも全部や。心から発せられるパワーを吸い上げて、蜜みたいなもんにして溜め込むと聞いたで。そう考えると蜘蛛ちゅうより蜂や蟻やな」
「おいおい、雀蜂よりおっかねえな」
「いや、実際のところ雀蜂や白蟻の駆除ってのは厄介なんすよ。日之出工務店も何回かやったけど、手間の割にお金にならなくて……」
蜂や蟻に例えると、バンダユウやヒデヨシが現実を思い出すようなことを口にしていた。ああいった害虫に悩まされていた世界が懐かしい。
ふと、ツバサは考え込む。
「蕃神って害虫と同レベルに扱っていいのか……?」
「アタシらにしてみりゃ百害あって一利なしだからいいんじゃね」
蜂の子すら期待できねーし、とミロは小指で鼻をほじりながら言った。
ドレスを着た美少女が人前で鼻をほじるなよ。
ゴホン、と咳払いしてからツバサは話の筋を戻した。
「アトラクアの“女王”は、こちらで人材を集めていた様子もあります」
幽冥街での出来事を振り返ると、“女王”が画策していた計画に思い当たる節があった。それがアトラクアとしての考えなのか、融合した女性研究者に由来するものなのかまで定かではないが……。
「彼女は地球から転移してきた人間の女性と融合していたのですが、その弟を支配下に置くと、高LVの神族や魔族を眷族に変えようとしました」
GM№13――ゼガイ・インコグニート。
ジェネシスの研究者だった実姉がアトラクアの“女王”と融合してしまったため、彼女を「姉さん」と慕い、彼女の意のまま働いていた。
アトラクアの女王から滴る毒液――。
それを身に受けたものは元の能力を保持したまま、アトラクアの眷族と成り果てて蜘蛛人間のような怪物へと変身していく。
そして、女王の忠実なる下僕となるのだ。
「ゼガイ本人も毒液を浴びたり飲んだりしてアトラクア化していましたが、他にも神族化したプレイヤーが3人……そして、ウチのドンカイさんもゼガイに捕まって毒液の餌食になりかけたところです」
普段のドンカイならば、そんな下手は打たない。
あの時は幽冥街という閉鎖空間の中で、仲間を庇いながら撤退戦を休む暇もなく繰り返して疲労困憊だった。その隙をゼガイに突かれたのだ。
「その3人というのが……あの3人か」
悔やまれるな、とレオナルドは物憂げに呟いた。
アトラクアにされかけた3人のプレイヤーとは、アシュラ・ストリートでも有名な面子で、ベスト16の常連でツバサたちの知り合いだったのだ。
それぞれジャガナート、ハスラー・キュー、百足の卍郎というハンドルネームで通しており、ツバサは勿論のこと、レオナルドとも交流があった。
「彼らが加勢してくれれば大きな戦力となっただろうに……」
「間違いなくLV999になれた器だからな」
対峙したツバサとて悔やんでも悔やみきれない。
況してや、かつての戦友をこの手にかけたのだから……。
しかし、悔やんでばかりもいられない。血に染まる幻覚を覚えた我が手を見つめると、決意を改めるようにグッと握り締めた。
「説明した通り、アトラクアは心というエネルギーを集めるだけではなく、高LVの存在に毒液を飲ませ、自身の眷族にすることで戦力増強を図っていました」
ふぅむ、とヌンは得心するように顎髭を梳く。
「だとすると……その幽冥街というのは彼奴らの巣じゃな」
「さっきのアブホスやないけど、その廃墟に興味を持った奴らを誘い込んで、餌にするなり手駒にするなりしとったんやろ」
ノラシンハも帯みたいな口髭をゴシゴシと扱く。友人同士、髭の生え方こそ違うが暇さえあれば整えるようにいじるのは癖のようだ。
「連中にしてみりゃこっちは異世界や。いくら手先を増やせようと、こっちの事情に慣れ親しんだ手駒があるに超したこたぁない。幽冥街っちゅう巣を構えて、獲物が寄ってくるのをいつまでも待っとったんやろうなぁ」
ノラシンハの感想に、ミサキは信じられないと声を上げる。
「ええーっ……気が長すぎませんか、それ?」
「せやから言うたやん、巨乳の坊主。あいつらにとっちゃ時間なんて腐らせるほど余ってるんやから、途方もなく時間をかけた作戦でも平気でやるって」
「ああ、言ったましたね。それにしたって……」
時間かけすぎでしょ、とミサキは呆れるように独りごちた。
第三ラウンド――不浄より来たる竜犬・ティンドラス戦。
(※第4章参照)
名前の由来は時間の角より追い立てるティンダロスの猟犬から。
イヌ科の動物によく似た四肢を持つが、全体的なフォルムから竜のようにも見えるので、ティンダロスとドラゴンを掛け合わせた名前を仮に付けた。
頭はヘルメット状になっており、平時は青い光を瞬かせているが、怒りなどによって興奮状態に陥ると真っ赤な光を放つ。開いた顎には牙が並ぶものの、こちらはもっぱら攻撃用であまり捕食に使われないようだ。
捕食に関しては長い舌を用いる。
先端が貫通力に秀でた硬いドリル状になっており、それを獲物に突き刺して対象のエネルギーを吸い上げる。内部はストロー状になっているらしい。
「ただ、あいつらは肉や血を吸うわけではなく……」
「やれやれ、精神喰らいの次は魂啜りか」
ろくなのがおらんな、とノラシンハは鼻息を鳴らした。
「そいつらは心を喰らう連中とは別の意味で厄介やぞ。なんせ魂を喰らって消化しておんどれの血肉にするような輩や。自身の核ともいえる魂を消化なんぞされたら、おれら唯一の希望である転生もできんくなってまう」
「来世真っ暗ですね、わかります」
ミサキはアハウの噛んでいた金剛クラーケンのゲソが気になったのか、「美味いんすか?」「美味いぞ」と分けてもらい、ハミハミ噛んでいる。
「心の力が空になるまでアトラクアに吸われ続けられるか、ティンドラスに魂を吸われて永遠にこの世から自己が消え失せるか……」
どっちも嫌だなぁ、と当たり前なことにミサキは呻いた。
「究極の選択でもお断りだよね」
うんざり顔のミロもお手上げのポーズを取る。
「しかし……ティンドラスはティンダロスの猟犬そのものです」
ツバサが断言するのには理由があった。
「奴らは120度以下の鋭い角を通って、こちら側へと出現します。これはクトゥルフ神話に語られるティンダロスの猟犬の特徴に他ならない」
ティンダロスの猟犬は太く曲がりくねり、鋭く伸びた注射針のような舌を持つとされているが、これもティンドラスの舌と同じものだ。
この辺りから蕃神=クトゥルフ邪神群という説が濃厚になってきた。
ここでレオナルドが異を唱える。
「そう考えると、アトラクアはアトラク=ナクアによく似ているが……アブホスはあんまりアブホースと似てないな」
「当初はあくまでも『引用するッス!』ってフミカが面白半分に名付けていただけだからな。確かに、あの触手モドキはあんまりアブホースっぽくないな」
アブホスは――シュマゴラスという邪神に似ている。
あれの元ネタはクトゥルフ神話ではなく、アメコミが出自の悪魔というか魔物というか、異世界の混沌に巣食う邪神……やっぱり蕃神じゃないか!
「アブホスの回想は終わった、今の話題はティンドラスだ」
ツバサは話の流れを戻した。
「ティンドラスも数に任せて侵略してきましたが、奴らの“王”が問題でした。なにせ受け身だった他の蕃神と比べて、アクティブで能動的でしたから」
アブホスの“王”は次元の裂け目から動かなかった。
アトラクアの“女王”は幽冥街から出てこなかった。
当初はパワー不足で次元を破れないから裂け目に留まっていると考えていたのだが、どうやら罠を張って獲物が訪れるのを待っていた可能性が高い。
しかし――ティンドラスの“王”は違う。
奴は真なる世界の壊滅のため、自ら乗り出してきたのだ。
かつて真なる世界の創世に携わった龍族がいる。
彼らは起源龍という尊称で敬われ、神族や魔族からも崇められるような存在なのだが、その一体がティンドラスの“王”と融合してしまった。
「それが……ムイスラーショカ殿か」
ヌンは悲しげに目を伏せた。
四神同盟会議が閉会して宴会が始まるまでの短い間、ヌンはハトホル陣営の何人かに挨拶をしていた。その1人に起源龍のジョカフギスがいる。
――ムイスラーショカの実弟だ。
今では紆余曲折あってツバサの末娘になっている。
末の娘といっても身長は2m越え、スタイルもツバサに負けず劣らずのグラマラスボディ。おまけにセイメイという飲んだくれ用心棒の嫁になっている。
属性てんこ盛りの美少女だった。
ヌンもまた創世に携わった神族の末裔。具体的にいえばヌンの祖母に当たる方が蛙の姿をした創世神だったという。
祖父の同僚ともいうべき起源龍に会いたかったらしい。
彼女との会話ではムイスラーショカについても言及されていた。
ティンドラスの“王”と融合した起源龍。
その姿は眷族である竜犬ともいうべきティンドラスとは一線を画し、起源龍をベースとした東洋の龍を思わせる蛇体を持っていた。
全長400mを超える巨体、顔には大きな独眼があるのみ。
生物としての耳や口は失っており、長いたてがみが触手となって自身と同等の力を備えた分身を無限に作り出す。その分身が放つ黒い波動は、まともに浴びれば大地をも一瞬でガラス化させるほどの熱量が込められていた。
ムイスラーショカ自身は、次元の裂け目となった。
自らの尾を噛む蛇のような体勢を取ると、その円環に次元の裂け目を作り、そこから眷族であるティンドラスの大群をこちらに招き込む。
自分は空に浮く島に触手を張り巡らせて一体化し、分身という砲塔を備えた移動要塞となって真なる世界への進撃を開始した。
やがて――ツバサたちと激突する。
ジョカフギスの兄であるムイスラーショカは真なる世界を愛するあまり、「完膚なきまでに壊して最初から創り直せばいい」という思想に至ったため、この世界を喰らおうとする蕃神と融合してしまったのだ。
ツバサやミロといった新たな神族との戦いで負けると、素直に敗北を認めて「おまえたちが新しい世界を創ってくれ」と託してきた。
そして、ツバサたちに介錯を求めたのだ。
『俺が侵略者に与して真なる世界を無に帰すまで破壊した後、やがて無から混沌が生じ、かつてのような世界ができる……それも良し』
『灰色の御子が新しき神々を連れてきて……道を誤った俺を倒すだけの力を示し、侵略者どもを追い返せるなら……それもまた良し』
どちらに転ぼうとムイスラーショカに損はない、と笑っていた。
『汝ら──想世を成すべし!』
滅びを受け入れた彼は、快哉を叫ぶようにその言葉を遺した。
ヌンは伏せた目線を杯に落としている。
酒の水面に映る自分を見つめるも、その目は遠くへ思いを馳せていた。
「愛する世界が一方的に侵略されるばかりの状況に、二進も三進もいかない気持ちが窮まってしまったんじゃろうな……心中お察しするわい」
潤んできた目を閉じると、ヌンは杯の大吟醸を一息に煽った。
その前に何もない虚空へと献杯するのを忘れない。ムイスラーショカの情状を酌んだ献杯である。宴会の賑やかさもほんの一時だが静まる。
「この世界の破壊を願ったのは、ムイスラーショカさんの意志です」
場を乱さない声量でツバサは話を続けた。
「だが、その痛切な想いが蕃神に利用されてしまった……」
ティンドラスの“王”は次元を超えてそれに勘付き、懊悩するムイスラーショカに忍び寄り、世界を滅ぼすために手を貸そうと唆したのだ。
創世を成し遂げた起源龍は、この真なる世界において最強の一角。
自らが融合することでその絶大な力を取り込み、真なる世界を縦横無尽に駆け巡る肉体を手に入れ、数多の魂を啜ろうとしたに違いない。
「どうやら――蕃神側はまとまりのない連合軍のようですね」
ここまでの話をレオナルドは簡潔にまとめた。
「アブホスやアトラクアは籠城戦を決め込むといいますか……拠点を構えたらそこから動かず、眷族を派兵して略奪こそするものの食べ甲斐のある獲物がやってくるのをひたすら待っていた」
「しかしムイスラーショカ……いや、ティンドラスは能動的だった」
ツバサの言葉に、レオナルドは首を縦に振る。
「そこにムイスラーショカ氏の意思が介在するゆえに、この世界を壊すという意志を尊重したのかも知れないが、ティンドラスは積極的だった」
受動的なアブホスやアトラクアとは正反対だ。
これが連合軍ならば方面ごとに戦線が違うので対応も違うだろうが、真なる世界への侵略を第一義とするならば、やり方にばらつきがある。
「統率が取れていない……部隊ごとに好き勝手やってる感じだな」
アハウの指摘に、「そこです」とレオナルドは掘り下げる。
「彼らは種族ごとに動いている。真なる世界からエネルギーを奪うという方向性は同じでも、蕃神という組織としての連携や統率はまるで取れていないように思われます。現にこれまで……」
異なる蕃神同士が――協力体制を敷いていない。
「我々がまだお目に掛かっていないだけで、次元のあちら側では手を取り合っている可能性も否めませんが、だったら既にやっているはずでしょう」
できるものならね、とレオナルドは確信的に言った。
これに古参の老人たちは関心を寄せる。
「せやな、連中がいっぺんに押し寄せてきたらひとたまりもあらへんわ」
「複数の蕃神に襲われたという話は何度か聞いたことがある。しかし……言われてみれば『奴らが協力していた』という話はあんまりなかったのぅ」
「種族ごとに方針が違うのかも知れませんね」
こんな話がある、とアハウは大学講師らしく語り始める。
「新大陸発見に湧いた大航海時代やアメリカ開拓時代のことだが……文明の利器を持って攻めてくる侵略者に対して、その土地で暮らしてきた部族は連合軍を組んで立ち向かったが、上手に戦えなかったことがあったという」
部族によって戦い方が異なれば、集落によって考え方も違う。
「あるいは部族間での抗争もあったので、いざ共通の敵が現れたところですぐに手を取り合って仲良くできるはずもなく……」
ツバサは先を読んで合いの手を入れる。
「結果、各部族ごとの判断で動いてしまった……と」
これまでの蕃神の行動と似てないか? とアハウは仮説を立てた。
そういえば、この軍師も似たような推察をしていた。
「恐らく――蕃神も一枚岩ではないのでしょう」
群であって軍ではないのです、とレオナルドは仮定した。
多くの眷族を率いる“王”を初めとした種族としてのまとまりは強固でも、蕃神という集団としては連合軍の体裁さえ取れていない。
「彼らは“王”を中心とした群れで動くようです。その群れが同時に複数やってくることはあっても、異なる群れが協力関係を結ぶことはないはずです」
人間ほど緻密な組織的行動を取らない、と推察できる。
「人間を超える知能をあろうとも、それを役立たせる必要がない圧倒的な生命力を持っているためか、その行動原理が動物的に偏りがちなのだと思われます」
レオナルドの唱えた説を子供たちなりに解釈する。
「レオさんの言う通りなら……作戦なんか立てなくても、本能に任せた生命力無限大の人海戦術で押し切ればいい、って考えてるってわけですか?」
脳筋すぎるでしょ、とミサキは眉をしかめる。
「やはり暴力……暴力はすべてを解決する」
ミロは納得できたのか、賢そうな振りをして頷いた。
レオナルドはミロの発した単語を拾う。
「そうだね。彼らにしてみれば、我々との戦いに頭を使う必要はないのだろう。敵うことのない暴力でねじ伏せればいい、とでも侮っているのではないかな」
侮られている内が花だよ、とレオナルドは皮肉を言った。
格下に見られれば、相手の隙を突く機会がいくらでもあるからだ。
「今後は変わってくるかもな……」
慎重派のツバサは憂鬱な声で付け加えた。
少なくとも5回、ツバサたちは蕃神を退けている。その内の一回は蕃神の中でも最大級と思われる超巨大蕃神を撃退することに成功していた。
奴らも気付いたはずだ――力押しで真なる世界は食えないと。
「そろそろ、奴らなりに知恵を使ってくる気がする」
「だとしてもだ、蕃神同士が手を組むのは当面ない気がするね」
その根拠をレオナルドは明かす。
「先ほども述べた通り、彼らは強すぎる生命力に重きを置いているためか動物的なところがあります。それも縄張りや獲物に固執する大型の野生動物にね」
そういった野生動物は、他の種族と馴れ合わない。
むしろ縄張りや獲物を巡って争うほど仲が悪いことが多い。
「彼らがクトゥルフの邪神群と共通点があるという説がありますが、もしもこの説が正しいことが証明されれば、こちらにとって更なる利となります」
クトゥルフとハスターは犬猿の仲だとされている。
ナイアルラトテップにはクトゥグアという天敵がいる。
この他にも抗争関係にある旧支配者もいると聞く。
レオナルドは――とびきり悪い顔で微笑む。
「まとまりのない組織に不和を起こさせ、仲違いさせるなど容易いこと」
そこに付け入る隙が生じます、軍師はほくそ笑んだ。
テーブルに両肘を突いて組んだ手に軽く顎を乗せて、悪人面でほくそ笑むレオナルドの姿は、誰がどう見ても悪いことしか考えてない司令官そのものだ。
ノラシンハとヌンが真顔になる。
ススススス……と音もなく動いたかと思えば、健康優良児らしく骨付き肉を食べているミサキの両サイドにつき、ソッと耳元で囁いた。
「おい巨乳の坊主、お宅の軍師ヤバいんと違うか? あれ極悪人やろ。おまえが絶頂期の頃に後ろから刺して『俺が王様だ!』とかやらへんか?」
「キャラクター紹介のイラストとか発表されたら、それ読んだ読者の8割が『あ、コイツ裏切るな』って予想するタイプじゃぞ。ここぞという時の最悪のタイミングで、君を裏切ったりしないじゃろうな? おじいちゃん心配じゃ」
「……そういう評価は本人がいないところでお願いします」
レオナルドは苦虫を噛み潰した顔で抗議した。
やっぱり悪人面を気にしているのか……。
当人の目の前で臆面もなく言ってるのだから、陰口より全然マシだと思う。酒の席だからふざけているところもあった。
ノラシンハもヌンも――レオナルドの誠実さは評価している。
ノラシンハは異相の亡命国家が襲撃されている件で相談役として認めているし、ヌンも国が襲われた時に現れたレオナルドの応対には一目置いていた。
だからこそ、親しみを込めて茶化すのだ。
「大丈夫ですよ――ウチのレオさんにそんな度胸はありませんから」
愛弟子も相乗りするように戯ける。
「人を罠にかけたりすると、その人がよっぽど悪鬼外道でもない限り、延々と後悔して背負っちゃうような小心者なんですから。大一番でオレたちを裏切ったりしたら、心労とストレスで次の日から何もできなくなるような人ですよ」
「ミサキ君……それ褒めてるんだよね? ね? ね!?」
レオナルドは半泣きで愛弟子に回答を求めた。
悪人面の軍師を気取っているが、この男は極めつけの小心者だ。
重度の詮索癖さえ目を瞑れば、実直と誠実をこね合わせて作ったような生真面目な働き者でしかない。仲間を裏切るくらいなら腹を切りかねない。
ミサキはからかうように笑顔で続けた。
「味方に爆薬を背負わせて敵陣に人間ミサイルとして飛ばしておいて、『ふむ、必要な犠牲でした』とか涼しい顔で言いそうですけど、レオさんの場合『そんなこと仲間にさせるくらいなら俺が行く!』って自爆しかねませんから」
「ミサキ君、本当にやめてくれ……顔から火が出そうだ」
ちゃんと褒められたら褒められたで半泣きだ。
首まで燃えるように真っ赤にすると、誰にも顔向けできないとばかりに両手で顔を覆ってしまった。自慢の銀縁眼鏡のひしゃげそうになっている。
ツバサも一口乗らせてもらおう。
果実酒で舌を湿らせてから、褒めるようにからかってみる。
「まあ、レオナルドの最期は……迫り来る蕃神とその眷族を千切っては投げ、千切っては投げ、まさに軍師無双といったありさまで、近づく敵に片っ端から杭を叩き込むと、最終的には全身に高性能爆弾をくくりつけて、次元を超えた先にある蕃神の本拠地に殴り込んで吹き飛ばす……と決まっているからな」
「なんだその壮絶な最期!? 俺は自爆する運命なのか!?」
「後世、真なる世界の守護神として祀られるんですね。わかります」
「やめてミサキ君!? 師匠を自爆させないで!」
レオナルドの最期は世界を守るための自爆――そう決まった。
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