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第15章 想世のルーグ・ルー
第356話:滅びの化身は気まぐれで気分屋
しおりを挟む「――ぷっ! あっはっはっは! だっせえ、負けてやんの!」
噴き出したロンドは爆笑した。
あまりに高笑いだったので大広間に木霊し、そこから蟻の巣のように広がる回廊に響き渡り、移動要塞をも震わせるほどだ。
最悪にして絶死をもたらす終焉・本拠地――混沌を拡販せし玉卵。
ロンドの支配下にある移動要塞である。
玉卵と名付けられた理由は、卵にしか見えないからだ。
半分に割れた卵の殻――その下半分。
もし本当にこれが卵の殻だとしたら、そこそこの面積を持つ島にも引けを取らない大きさだ。失った上半分を含めればとてつもない巨大さとなる。
――この卵からどんな生物が孵ったのか?
それはこの移動要塞をどこからともなく用意したロンドも「知らん」の一点張りである。本当に知らないのか、あるいは教えたくないのか……。
ロンドの腹は探りようもない。
ミレンを初めとする三幹部も迂闊に手を出せない。
下手に探りを入れて癇に障れば、命の保証がないからだ。
割れた卵の縁は不揃いの牙みたいにギザギザにそそり立ち、器のようになった殻の内側には土が敷き詰められている。地上ともいうべき部分は埋め立てられており、庭園に偽装した攻撃設備が建ち並んでいる。
庭園の地下には編み目のように回廊が張り巡らされ、幹部や各部隊の隊員を初めとした構成員の居住区や、大広間などの各種施設が設けられていた。
地下の最奥にして中心――そこが大広間だ。
中央に据えられたのは、ソファで取り囲まれた巨大な円卓。
此処こそがロンドの玉座でもある。
誰もが対等の立場で着席するための円卓だが、ロンドの前ではまったく意味を成さない。バッドデッドエンズに名を連ねる者は思い知らされている。
ロンドは比類なき暴君なのだ。
馴れ馴れしくて、気前が良くて、悪戯好きで、お調子者で、後先考えずに動き、大雑把で、無礼講で、上下関係を気にすることなくなあなあで済ます。
こう書くと適当ぶっこいてるダメ親父でしかない。
だが、彼こそは『滅びの化身』だった。
最悪にして絶死をもたらす終焉の一員となった者は、ロンドの脅威を目の当たりにさせられている。だから、疑いようもなく盲進せざるを得ない。
ロンドこそ滅びの化身――滅亡の権化なのだと。
ツバサという爆乳の青年はロンドを「滅びが人間という服を着ている」みたいに評したが、的確な表現だとミレンは感心してしまった。
呼吸をするように滅ぼす、では生温い。
滅びを凝縮させて人間にしたのが、ロンド・エンドという男なのだ。
不機嫌になるだけで、防御不可能な滅びの波動をもたらす。
それは森羅万象を見境なく滅ぼす震動波だ。
弱い生物ならば一瞬で塵さえ残すことなく消え去る。大広間にあるものはコーティングで保護されているが、それも1週間置きに張り直さなければならない。
ロンドは大変な気分屋でもあった。
さっきまで怒っていたと思えばすぐ笑い、腹を抱えていたかと思えばボロボロと大粒の涙をこぼして悲しむ。感情の起伏が乱高下するのだ。
今がまさに好例だった。
ジェットコースターでもここまで上がったり下がったりしないだろう。
ミレンから「3つの部隊が全滅しました」と報告された途端、ムスッとして滅びの震動波を振り撒いていた。それもかなり強めにである。
円卓に揃っていた凶軍はそれを浴びていた。
この程度で塵と消える半端者こそいないが、居心地は最悪だ。
おまけに室温は上がったり下がったり、どちらも生き物が焼死するか凍死するかの寒暖差でアップダウンする。圧倒的な重圧感が本物の重力となって襲い掛かり、こちらも10Gから100Gをアップダウンする。
ロンドの苛立ちは――周辺環境を終末へと加速させる。
移動要塞がある現在地の自然は、ここから漏れた滅びの波動を浴びて不毛の大地と化していた。命の気配がない有り様は砂漠よりも酷いだろう。
再生の芽が絶たれた世界。
彼の不興を買っただけで、世界は終わりに瀕するのだ。
かと思いきや一転――機嫌を持ち直した。
ミレンが報告内容を復唱したら、まさかの大爆笑である。
気分屋なので掴み所がない。
ミレンを含むマッコウやアリガミは三幹部としてロンドと長く付き合ってきたつもりだが、未だにご機嫌を窺うことはやめられなかった。
ロンドはまだ笑っている。
そろそろ笑いすぎで腹筋が痛くなりそうだ。
「一気に三チームも脱落? しかも、生存者ゼロで全滅かよ! いやはや、一気に寂しくなりすぎじゃね? 全部で9チームしかいねぇんだぜ? そんなあっさり、こんな短期間でポンポンやられるっておまえ……」
雑魚すぎんだろ! とロンドは嗄れそうな喉で笑い飛ばした。
全滅した3つの部隊への思い入れは一切ない。
殺られた連中が間抜けだといわんばかりに、お腹を抱えての抱腹絶倒だ。ソファの上でゴロゴロと大人げなく転げている。
だが、大広間を満たしていた滅びの気配は消え去った。
緊迫した空気が一気に緩む。
零下に達しかけた室温も温かみを取り戻す。寝そべっていたグレンも緊張感からなのか噛み殺していたあくびをすると、ちょっと食べることを躊躇っていたオセロットもバクバクと食欲を取り戻す。
円卓に並べられた軽食は無傷である。
オセロットがその食欲から、無意識にバリアを張って守ったからだ。
魔女医ランダもフェイスベールの中で安堵の吐息を漏らす。
ロンドの機嫌は治ったが油断できない。
また急転直下で不機嫌に切り替わり、大激怒を爆発させないとも限らないからだ。普段なら気のいい親父なのだが、こういう時は安定しないのだ。
敗走、全滅、逃亡……。
部下に対しては「来る者拒まず去る者追わず、どうでもいい」と公言するロンドだが、本音のところでは色々と気に掛かっているらしい。
そんな彼が上機嫌になった理由はわかる。
「この2週間ばかりで3チームが示し合わせたように、しかもオレの監視の目を掻い潜って全滅させるなんて偶然じゃ片付けられん」
最悪にして絶死をもたらす終焉を狙う――何者かがいる。
間違いねぇな、とロンドは嬉々として断定した。
それもバッドデッドエンズの匂いを嗅ぎ分け猟犬よろしく追い詰め、殺戮の限りを尽くしている。こちらを目の敵にしている狩人がいるのだ。
「例のツバサって坊やかしらね?」
マッコウは参謀として、真っ先に思い当たる推察を述べた。
3m越えの巨体オネエは山のような脂肪の塊を屈めると、ロンドの顔を覗き込んで正体不明の敵についての考察を求める。
笑い転げていたロンドだが落ち着いてきたらしい。
ソファに座り直すと、濃い笑みが張り付いたまま私見を返す。
「いや、ツバサの兄ちゃんの仕業っぽくねえな」
水聖国家で対面した際、ロンドは探りを入れていた。
「オレが始末したと思った穂村組を助けてたり、タロウ先生の六番隊をぶっ潰した日之出工務店とやらに一枚噛んでたのまでは掴んでいるが、その3チームを滅ぼした件に関しちゃノータッチだった」
もしも3チームを倒したのが四神同盟だった場合――。
「ツバサの兄ちゃんがやったことなら、示威行動としてオレに脅しをかけてきたはずだぜ。『おまえら大したことないな』って具合にな」
「それがない……即ち、今回の件は四神同盟と別口ってことね?」
そういうこった、とロンドは相槌を打つ。
「バンダユウってジジイや工務店社長のヒデヨシってのも同類だが、オレたちがノーマークだった本物がまだまだかくれんぼしてるってことよ」
そうこなくては――丹精を込めて滅ぼす意味がない。
ロンドが機嫌を良くした理由がこれだ。
彼は敵対する強者が現れると喜ぶ傾向があった。
現にリード率いる一番隊は穂村組壊滅のために出向いたが、最多人数を誇る14人のチームを9人まで減らして帰ってきたのにお咎めなしである。
――強敵を発見したからだ。
これが功績と認められ、ご機嫌で迎えられたという。
ツバサと初対面であんなにハイテンションだった理由も、彼を比類なき好敵手と認めたからこそ好感触だったのである。
敵対する者が自らを脅かす強さであればあるほど――喜ぶ。
そうでなくともロンドは力ある者を認め、強き者を尊び、滅びに抗うための戦いに挑む愚か者を愛でる悪癖があった。大魔王みたいな男なのだ。
やってることも大魔王に他ならない。
ロンドの目指す終着地は世界征服ならぬ世界壊滅だが――。
「しっかし、大した執念だな」
ロンドは未確認の強敵を拍手で褒め称えた。
「このだだっ広い真なる世界を駆けずり回ってだ、四方八方どこに散らばってるかもわからないバッドデッドエンズのチームを3つも探し出して、1人も逃すことなく皆殺しなんて、なかなかできることじゃないぜ?」
ハッハッハッ、とロンドは天井を見上げてまた笑う。
マッコウはそれを横目にすると、ただでさえお月様みたいにまん丸な顔を更に膨らませてブスゥー! と突風みたいな鼻息を吹いた。
「笑い事じゃないわよ……実質3分の1やられてるんだから」
マッコウの心配はもっともだ。
ロンドの過大能力によってLV999に強化された私兵を、約30人も失ったのだから戦力低下は歴然である。参謀としては由々しき事態だろう。
ほぼ球体のような体型のマッコウ。
そんな極度の肥満体に女物の着物を着付けているので、遠目で見るとカラフルな鞠に見える。苛立ちを隠せないマッコウは着物の合わせ目から大振りの扇子を取り出すと、苛立たしげにパタパタと扇いでいた。
盛り上げた孔雀色の髪が揺れる。
参謀の不満を見て取り、さしものロンドも笑うのを控えた。
幹部の中でもマッコウだけがロンドへの毒舌めいた進言を許されており、ロンドも彼女にはさん付けで敬意を払っているのだ。
「笑い事だよ、マッコウさん」
しかしロンドは「どうでもいい」と一蹴した。
「殺られちまったものは仕方ない。負けは負けだ。しかも死んでりゃ世話ねぇぜ。せめてアリガミみたいに頭ひとつでも生き残り、自力で帰って来りゃその根性を買ってやるよ。再トライのチャンスもくれてやりたくなるってもんだ」
「面目次第もありません……」
引き合いに出されたアリガミは肩身が狭そうだ。
オールバックに濃いグラサン、サスペンダーの似合う不良サラリーマンの風体で恐縮している。いつもの明るい脳天気さが形を潜めていた。
ジャケットを羽織る肩も萎れており、惨めなくらい縮こまっている。
彼なりに猛省しているだろう。やや哀れみを覚えた。
アリガミの過大能力――【多重次元を噛み破る鋭牙】。
いわゆる空間や次元を切り裂く能力だ。
空間を切って抜け道を作り、A地点からB地点へのワープ通路を作ることができ、防御を無視して空間ごと斬ることもできるし、生物を空間ごと切り分けて生かしたままバラバラに分割することもできる。
次元を切り裂くとなれば、別次元への抜け道を作ることも可能。幾重にも無限に重なる異相を一枚一枚剥ぐように調べることもできる。
その多才さゆえロンドも重用していた。
ツバサに取引を持ち掛けてまで助けた理由はそこにある。
彼の過大能力は“次元牙”という武器化することで仲間に渡すこともでき、それぞれに「どの程度まで自身の過大能力を使わせるか?」という制限付きで貸し与えることもできるのだ。
各部隊の隊長は、この次元牙を持たされている。
これを空間を切り越える鍵にすることで、常に空間転移を繰り返すこの本拠地へと帰還できるのだ。
先の水聖国家でしたように、蕃神という別次元の怪物を呼び込むなんて使い方もできる。奴らを利用できれば滅びへの一助となる。
この優秀さゆえ――アリガミは“右腕”と称されていた。
だが、アリガミは恐縮しっぱなしだ。
その小さくなった背中をロンドは景気よくバンバン叩いた。
「おいおいアリガミちゃんよぉ、そう畏まるんじゃねえって。今回ばかりは相手が悪かったと諦めとけ、な? まさか現状のところ唯一、オレとタイマンを張れると目されてるツバサの兄ちゃんじゃ勝ち目も望めねぇって」
ただな――ロンドはドスを利かせた声で続ける。
「次は勝てなくとも善戦しろよ? せめてオレが顔を出すまではな」
「お、押忍! 二度と無様はさらさないと約束します!」
それでいい! ロンドはズバンズバンとアリガミを張り倒す勢いで、彼の小さくなった背中を叩いた。もう少しで円卓に叩きつけられるところだ。
これで水聖国家での落ち度は許されたらしい。
「さて、3チームおっ死んだ件だが……予定通りじゃね?」
アリガミに絡んだことで感情の浮き沈みが平均値に戻ったのか、平常運転の調子に戻ったロンドは、話をそこまで戻してからマッコウに振った。
「先日話した、玉石混淆を間引くって計画かしら?」
「そそ、隠れてるLV999の強い奴らを釣れりゃあいい。そいつらを誘き出して叩き潰せりゃ実力は本物、生きて帰ってこられりゃ御の字、負けて死んだら殺られた奴が弱くて悪いって論理だ」
「9人の終焉者についても再編成ですか?」
アリガミの幹部も1人として、それらしい意見を具申した。
9人の終焉者――各部隊の隊長でもある。
一番隊隊長のリードや六番隊隊長のタロウのように、世界を跡形もなく滅ぼすのに適した過大能力を持つ、終焉の幕を下ろすのに相応しい者たちだ。
「再編成もクソもねえよ。もう3人おっ欠いてんだから」
ロンドは話を吟味することなく言い捨てた。
「使えそうな9人だったから終焉者なんて特別枠をくれてやったが、こうもあっさりくたばるなら話にならねぇ。最初っからチーム編成を練り直すぞ」
これから――全部隊を呼び戻す。
その途中でも脱落者は出るだろう。バッドデッドエンズを目の敵にしている狩人に襲われて命を落とす者も出てくるかも知れない。
本拠地でもささやかなテストをして、強さを篩にかけるつもりだ。
生き残った私兵を再編成し、最強の部隊を作り上げる。
「そいつらこそ“最悪にして絶死をもたらす終焉”を名乗るに相応しい」
「オレたちも数えられてるんすか?」
寝そべってあくびばかりしているのも飽きたのか、グレンは円卓に並んだ軽食から大きなせんべいを手に取ると、バリボリ食べながら質問してきた。
オセロットが「ぼくの……」と抗議してもお構いなしでもう一枚。
三枚目に手を伸ばしたら怒ったオセロットの伸びる口で噛みつかれたが、グレンは意に介さず四枚目まで貪る。おやつを取り合う兄弟みたいだ。
そのやり取りを横目に、ロンドは即答で返してやる。
「おうよグレン、幹部を含む凶軍はオレが認めた奴らだからな。最初からエントリー済みだぞ。あと、バンダユウから生きて帰った一番隊の残りもな」
「凶軍が6人、一番隊はリード君を初め5人……」
11枠埋まりましたね、と魔女医ランダは指折り数えた。
エキゾチックなフェイスベールを付けた女医は、グレンやオセロットのように軽食には手を付けず、ミレン特製のアイスティーで喉を潤していた。
フェイスベールを外さぬようストローは欠かせない。
「そういうこったランダ。最初は定員15人と言ったが、思い直して20人にすることにした。5×4といえば頭のいいおまえさんにゃピンと来るだろう?」
「四神同盟の各陣営に5人ずつ攻め込む、ですね」
そうそう♪ とロンドはランダの回答を大筋で認めた。
「他にもツバサの兄ちゃんたちがあっと驚くような仕掛けも考案中だ。全面戦争は超ド派手なお祭りになるだろうぜ。おいオセロット、おまえだってどいつもこいつも食べ放題だ。楽しみにしてろよ?」
「うん、サバエ姉も一緒だし……僕、楽しみ……」
大きな円卓を埋め尽くすほど用意されていた大量の軽食。その半分を1人で平らげたオセロットは「にへら」と緩んだ笑みで答えた。
こういう時、オセロットは全身から伸びる触手めいた口は使わない。
ちゃんと人間の口を使い、味わって食べるのだ。
「しっかしなぁ……そのどこの馬の骨か知る由もねぇ強い奴に滅ぼされた3チームは揃いも揃ってなにやってるかねえ」
ロンドはソファにふんぞり返り、全滅した者へ言及する。
弔いの言葉でも口にするかと思えば――。
「この世の終わりを標榜するオレの傘下へ入ったくせしして、てめえらが滅ぼされてどうするって話だよ。情けねぇったらありゃしねえ」
ほぼ愚痴だった。温情など微塵もかけない。
負けて死んだと割り切り、悪し様に言わないだけマシかも知れない。
「そりゃ犬死にしたバカどもは自己責任だけどさ……」
頭脳役のマッコウはジト眼で不満げだ。
バッドデッドエンズという一軍を采配する参謀として、苦言を口にしたい素振りを見え隠れさせるのだが、わざと口を濁していた。
彼女の意を汲み取ったミレンが代弁する。
「1番隊も半数以上戦死しておりますし、6番隊も隊長であるタロウ先生を除いてこれも全滅。こうも戦力を削られては……」
「なんだ、おい……おまえらも負けるような口振りだな?」
あ――地雷を踏んだ。
ミレンは小さな後悔をするも、その胸に大きな期待を抱いた。
恋にも似た淡いときめきを感じてしまう。
せっかく機嫌を直したのに、気のいいチョイ悪親父がツバサ曰く“極悪親父”へと変貌した。滅びの波動が再始動する。
「負けた奴には先がない。死んだらそれまで……尚更だ」
同じ人間とは思えないほど声質が変わっている。
ドス黒く重苦しい口調でそう告げたロンドは静かにソファから立ち上がり、自分の後ろに控えていたミレンにゆっくり歩み寄る。
フレンチメイドは思わず身動ぎした。
噴飯を滾らせて迫るロンドは、滅びの化身となっている。
たった一度の叱責を浴びるだけで、女性として黄金律を誇る肢体が塵と消えるかも知れない。幾多の男たちから賞賛されてきた美貌が崩れて見るも無惨な骸骨となり、その骨さえも残さず朽ち果てさせられるかも知れない。
そうなったら――最高に素敵なのに!
ロンドは荒々しい手付きでミレンの顎を乱暴に掴むと、力尽くで自分を見上げるように仕向ける。温かみのない視線がミレンの瞳に注ぎ込まれる。
DNAから塵になるような寒気を感じる。
体温は死体となるべく下がるのに反して、心臓の脈拍は昂ぶる一方だ。
このまま身も心も滅べたら――ミレンは切に願う。
いいかよく聞け、とロンドは念を押す。
「別にオレは徒党を組むつもりなど毛頭なかった」
ロンドはたった一人で世界を滅ぼす覚悟を決めている。
それを実現する“力”がロンドにはあった。
「だがな、それでは面白くないと思うオレも確かにいた。そんな折、おまえたちのように滅亡を願う輩がオレの前に現れた。追随する連中が増えてきた」
だから作った――最悪にして絶死をもたらす終焉を。
すべてを滅ぼす絶滅機関を作った理由など些事に過ぎない。
ロンドにすれば終末へ至るまでの暇潰しだ。
「どいつもこいつも、最終的にはオレが滅ぼす。これは確定事項だ。オレにしてみれば、滅亡への列に並ぶ愚図が潰し合ったに過ぎん」
だから、どうでもいい――誰が死のうと滅びへの予定調和だ。
「そこを履き違えるなよ?」
「は、はい……かしこまりました、ロンドさまぁ……」
ロンドに責められたミレンは法悦の表情で頷く。
その顔は普段の無表情が信じられないくらい蕩けており、大きく見開いた瞳は潤みすぎて感涙があふれ、欲情するあまり熱い桃色吐息が止められない口元からはだらしなく唾がこぼれ、顎を摘まむロンドの指を汚すほどだった。
丈の短いフレンチスカートの下、擦り合わせる太腿。
その奥からは粘つく水音が滴り、陶磁器のようになめらかでありながらムチムチの肌をとろみのついた液がダラダラと流れ落ちていた。
滅びの波動を一身に浴びて、久し振りに三回は絶頂へと達した。
実はミレン――その本性はMだ。
それも重篤者であり、ロンドから浴びる滅びの波動によって自分が滅びる瞬間を思い描けなければイケないほどこじらせていた。いいや、ロンドの手で滅ぼされたいと希う破滅願望の持ち主でもあった。
意識的に失神することで得られる危険な酩酊状態にハマったミレンは、長じて死の瀬戸際を味わうことに至高の快感を覚えてしまった。
辿り着く先は――完全なる滅却。
ロンドの手で滅ぼされたい、それがミレンの望む果てだった。
ゆえにロンドを主人と仰いで臣従するのだ。
ロンドに心ない暴言を吐いたり暴力を振るうのは、このような叱責を受けて滅びの快感を得るための謂わば「前振り」である。
しかし、ロンドはミレンの責めを享受してしまう。
こうして真正面から滅びの波動を受けられるチャンスは滅多にない。
この機会を逃すまいと、心ゆくまで峻烈な滅びを堪能した。
ビクンビクン! と痙攣したミレン膝から崩れ落ち、腰砕けてしまった、その場で女の子座りになり、深呼吸を繰り返して余韻に浸っている。
ちなみに――オセロットの視界はランダが両手で塞いでいた。
「あまり情操教育に悪いと、サバエさんに叱られますからね」
「サバエ姉……怒ると呪いの言葉を叫ぶから……」
ミレンの涎で濡れた指を舐め取り、ロンドは投げキッスを送る。次の瞬間、最後の痙攣を起こしたミレンは顔から床に突っ伏した。
ミレンに説教(?)をしたロンドは、身軽にソファを飛び越える。
座り直したロンドにマッコウは新たな苦言を呈した。
「でも、ツバサって坊や率いる四神同盟と全面戦争するって契約を交わしてきたんでしょ? どうするのよ、手駒が足らないと見栄えが悪いわ」
「見栄えってなによ?」
「全面戦争をするからには、あっちもこっちも総力戦でしょ? 兵隊の数が足らないと悪の勢力としてカッコつかないって言ってるの」
マッコウの提言を鼻で笑い、ロンドは取り合おうとしない。
「へっ、弱虫毛虫のヘタレを揃える方がよっぽどだぜ」
とにかくだ――もっと選りすぐろうぜ。
「量より質だ。量産型を1000機より精鋭機が10機ありゃいい」
量産型なら1000万機は欲しいな、と付け足す。
ロンドは悪の総帥として展望を語る
「3チームが全滅したことで見えたもんもある。私兵の中からより使える奴を見繕いたいから、散らばってる全チームを呼び戻せ。全面戦争まで悪さをさせねぇってツバサの兄ちゃんとの約束もあるしな」
――私兵を更に強化させる策も模索中だ。
この頼もしい一言にマッコウは二重顎を満足げに揺らす。
わかりにくいが頷いたのだろう。
「なかなか準備に時間が掛かりそうね……猶予はどれくらいかしら?」
ロンドは3本の指を立てた。
「三月はかからないはずだ。そしたら全軍でもって攻めるとしよう。どっちも総力戦だ。しかもこの世界で生き残った最強と最凶……」
その勝者こそが真なる世界の趨勢を決める。
四神同盟とそこに庇護下にある者たちによる繁栄の未来か――
それとも最悪にして絶死をもたらす終焉による滅亡の終末か――。
「世界を終わらせるお祭りだ――楽しくやろうぜ」
祭の日が待ち遠しいと言いたげに、ロンドは微笑みを浮かべた。
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水聖国家を大陸へ接合させる作業は滞りなく完了した。
島国となっていた半島を陸地に繋いだだけではなく、地盤からしっかり結合させて、地脈や龍脈といった“気”の流れも通している。
自然を操れるツバサやミサキの視点から見ても完璧、工作者のダインとジンがあらゆる測量で調べても問題は見つからない。工作者たちはついでに、イシュタルランドからオクトアードへの街道も敷いてくれた。
出来たての街道を辿ってイシュタルランドへ向かう。
ヌンが「正式な四神同盟会議に参加するのは勿論だが、その前に軽めの話もしておきたいんじゃが」と申し出たからだ。
せっかくだからとイシュタルランドを案内して、そこでミサキを中心にツバサやレオナルドも交えて会議前の打ち合わせをすることになった。お手隙ならば陣営を代表して、アハウやクロウにも足を運んでもらう予定だ。
では行こうか、と足を踏み出した時である。
「――ヌゥゥゥゥゥンンンンんちゃあああああぁぁぁぁぁ~~~ん!」
そのイシュタルランドから、こちらへ土煙を上げて爆走してくるひとつの影があった。敷いたばかりの街道をさっそく活用している。
聞こえる奇声に反応したのはヌンだった。
間延びしているが間違いない。その嗄れた声はヌンを呼んでいる。
「このちゃらんぽらんな声は……よもやノラちゃん!?」
ヌンはカエルの瞳を大きく見張った。
年齢に見合わない走力でこちらへ駆けてくるのは、ハトホル国へ押しかけ居候を決め込んだ聖賢師ノラシンハだった。
ハトホル国から家族の許可を得て、空間転移装置を使うことでイシュタルランドまでやってくると、そこから走ってきたらしい。
インドの遊行僧みたいな格好だが、裾を端折って全速力だった。
両腕も直角に曲げて振り、膝もしっかり持ち上げる。
ちょっとしたスプリンターの走法だ。
駆け寄ってくるノラシンハの姿を認めたヌンは杖を取り落とし、親友と同じように両手両足を振って全速力で走り出す。
向かう先は勿論、駆け寄ってくるノラシンハだ。
両者とも感激の表情で両目から涙をあふれさせていた。老いても神族だから走ればそれなりに速いので、こぼれた涙で宙にラインを描くほどである。
「ヌゥンちゃあああ~~~ん!」
「ノォラちゃあああ~~~ん!」
恐らく、500年振りの再会になるのだろう。
ノラシンハはヌンを「四神同盟と共に戦う気概を持つ友人」と評価し、ヌンもノラシンハを「無二の親友」と呼んで憚らない。
親友同士、感激の涙を流して再会を祝すと――。
「「ぶっ飛べやオラアアアァァァッ!」」
――渾身の気合いを込めて殴り合った。
一見するとヌンの右ストレートなパンチに対して、ノラシンハが左ストレートに見せかけたフックを放ち、クロスカウンターが成立したかのように見えたのだが、ヌンの右腕が身長に不似合いなくらいグンと伸びたのだ。
このためクロスカウンターは成立しない。
どちらの頬にも相手のパンチがめり込み、相打ち状態である。
気合いだけではなく握力や腕力も渾身だったのか、ヌンもノラシンハも軽く意識が飛んで白目を剥き、膝から折れそうになった。
だが、お互いすぐに意識を取り戻して両の拳を構え直す。
いわゆるファイティングスタイルを取った。
この瞬間――ゴングの音が鳴り響いた気がする。
いや、気のせいじゃない。ジンが小道具で鳴らしたのだ。
老人たちの眼に闘志の炎が灯る。
足を踏み直して腰を入れると、いかなる動きにも即応できるように上半身を揺らめかせる。そして、示し合わせたように同時に動き出した。
双方、拳が渋滞しかねない猛ラッシュ。
拳と拳がぶつかり、堅い破裂音が幾度となく連発される。
形式的にはボクシングに近いが、ルール無用の殴り合いだった。しかし足技は使わずフットワークに終始し、拳のみの戦いに専念していた。
ノラシンハはやや大振りに思えるが、細身の全身を鞭のようにしならせスナップを利かせたフック主体の攻撃を多用している。
しなりの効いた鈎打ちは――獲物を飲み込まんとする蛇の顎。
対するヌンは小柄なので不利かと思いきや、瞬間的に踏み込む歩法と見た目より長い腕を駆使して、伸縮するかのように錯覚するストレートが多い。
どこまでも真っ直ぐな突きは――獲物を捕らえんとする蛙の舌。
流儀こそ違うが、どちらも一流の打撃を心得ていた。
唐突に始まったボクシング対決。
ツバサたちも唖然とさせられてしまうが、幼い頃から大の親友と聞かされていた孫娘のライヤは開いた口が塞がらない。
「な……何やってるんですかお祖父様!? ノラシンハ老師も!」
孫娘がチャームポイントのモサモサな金髪を振るわせて怒鳴っても、頭に血の上った老人たちは耳を貸そうとしなかった。
絨毯爆撃みたいな連打の応酬は果てしなく続けられる。
それを見たツバサは――。
「ノラシンハのジイさん、やっぱり格闘もイケる口か……一見すると空手のように見えるけど、あのダイナミックな動きはカラリパヤットですかね?」
ツバサは後ろにいるドンカイに意見を求めた。
ドンカイは老人たちの試合から目を逸らすことなく、その優れた観察眼でたっぷり吟味してから丁寧に解説してくれる。
「うむ、カラリパヤットは全身を使った躍動感あふれる動きが特徴的な武術じゃからのう。それにしてはノラシンハ翁の動きはコンパクトにまとめられておる。ヌンさんの打ち方はどちらかといえば中国拳法系統に近い。あの伸縮自在に伸び縮みするような腕の動きは要チェックじゃな」
さすが大相撲で解説役を務めた経験もある横綱である。
ツバサとドンカイは2人の動きを批評した。
「格闘家目線で感心してないでお二人を止めてくださいませんか!?」
ライヤに泣きつかれてしまった。
「よし! アタシはノラシンハのジイちゃんに今日のおやつ賭ける!」
「んじゃワシはカエルの王様に晩のおかず一品ぜよ!」
「んな! トモエは明日の朝ご飯のパン一枚をノラじいちゃんに賭けるな!」
ミロはダインやトモエを巻き込んで賭け事を始めていた。
賭けている品はカワイイものだが。
「観客視点でギャンブル始めないでください!?」
こちらは不謹慎だとライヤに叱られる。
外野を気にすることなく、殴り合うヌンとノラシンハ。
神族といえども寄る年波には勝てないのか、疲れてくると互いの首を掴むようにして休戦に持ち込む。ボクシングならばクリンチだ。
これをやり過ぎると「みっともない」ため審判から注意を受ける。
そこへレェフリーの扮装をしたジンが割って入り、二人に「ブレイクブレイク……OK? OK?」と確認を取っていた。
確認が取れたところで「fight!」と試合続行を促す。
「そこのマスクの人!? 煽らないでください!」
慌てふためくライヤがそろそろ半狂乱になりそうだったので、ツバサは彼女の肩を押さえて「まあまあ」と諭してやる。
「大丈夫ですよライヤさん、あれはじゃれてるだけだから」
「じゃれてる……本気で殴り合ってますよねあれ!?」
「殴ってるのは掛け値なしの本気じゃな」
ドンカイも前に出ると、ライヤの説得を手伝ってくれた。
「しかし、あのお二方が本気で殺し合うとしたら拳では済まんはずじゃ。ノラシンハ翁もあのフットワークから察するに、足技のが得意のようじゃしのう。ヌンさんも相手を仕留めるならば、もっと大技を使うのではないか?」
え? とライヤは声を漏らすも気付いたらしい。
二人は本気で戦うも、拳での殴り合いに徹底しているのだ。
足技も投げ技も関節技も使わない。ヌンならば【混沌より滴るもの】という切り札を使えばすぐに決着がつくかも知れない。
――ノラシンハも奥の手を隠している。
あの二人がもしも憎しみ合う仇敵同士で、全力全開の本気で殺し合っていたらとしたならば、今頃この一帯は大地が吹き飛んでいたことだろう。それでも戦闘は止まらず、ツバサが立ち入り禁止の結界を張っていたはずだ。
しかし素手喧嘩に留まっている。
そこをしてツバサやドンカイは「親睦を深める男友達の殴り合い」と判断し、気の済むまで戦らせようと傍観を決め込んだのだ。
ドッシィィーン! と重低音を極めた打撃がシンクロした。
今度はノラシンハの左ストレートに対して、ヌンが右フックによるクロスカウンターを決めようと仕掛けたのだが、またしても相打ちによる不発を引き起こしており、仲良く相手の顔面にパンチを叩き込んでいた。
「結界で引き籠もってた割にゃ……腕は衰えとらんな」
水掻きのある拳をめり込ませたまま、ノラシンハは痛みを堪えて笑う。
「御主こそ……痩せたのに重みが増しとるのう」
皺の目立つ拳を押し返すように、ヌンも強がりな笑みを浮かべる。
互いに拳を引き戻すと静かに歩み寄る。
そして、相手を賞賛する笑顔を浮かべて固い握手を交わした。
「来るのが遅いぞヌンちゃん、異相で何しとったんや?」
「悪かったなノラちゃん、出来の悪い部下に足止め食らってのぅ」
親友同士、納得の行く再会ができたらしい。
いきなり殴り合いから始まったので戦々恐々だったライヤも、この握手を視界に収めることでようやっと安心できたようだ。
崩れ落ちそうになるところをドンカイが紳士的に支えてやる。
「ところでノラちゃんよ、なんで省エネモードなんじゃ?」
ヌンは握手を解すと親友にそんな指摘をした。
ツッコまれたノラシンハはドキリとした気まずい表情となる。
慌てて、人差し指を立てて口に押し当てた。
「シィーッ! そのことは秘密の内密でお願いしたいんやけど……」
もう遅い。ツバサの地獄耳がしっかり捉えていた。
足音もさせず気配も悟らせず、ノラシンハの背後に回ったツバサはジトーッと固まる寸前のセメントみたいな粘り強い視線で居候ジジイを見下ろした。
「……ジイさん、やっぱりあんた隠してたな」
本当の実力を――ツバサは厳しく追及する。
ノラシンハは分析をかけるとLV900前後なのだが、どうにも隠蔽されている雰囲気があるというか、ゲーム的な表現をさせてもらえば隠しステータスみたいなものが裏にあると匂わせていた。
何度か「本当は強いんだろ?」と粉をかけてみたが、「いやいや俺は弱いで。前線では戦えへん」と白を切られていた。
だが、このボクシング対決で露呈させることができた。
LV900前後のノラシンハが、LV999相当のヌンと殴り合えるわけがない。一方的にボコられて試合終了にならなければおかしいのだ。
ヌンが手加減した様子はなく、ノラシンハもちゃんと本腰だった。
ツバサはノラシンハの帯みたいな髭をムンズと掴む。
それを遠慮なく引っ張り、眉を釣り上げた顔を近づけて凄んだ。
「LV999で戦えるならちゃんと言っとけよ!」
「痛タタッ! お年寄りには敬老の気持ちで接してぇなぁ! だって俺も戦えると知ったら兄ちゃん、容赦なく頭数にするやろ?」
「当たり前だ、こちとら戦力不足で始終頭を悩ませてんだぞ!」
――知らないなんて言わせない。
アドバイザー気取りで四神同盟会議に参加しているのだ。
戦力不足の実情を「知らないで」は通じない。
「立ってる者は親でも使う! 切羽詰まったこの状況だ、ジイさんもLV999の力を出せるなら、居候として飯食わせてる分くらい働け!」
ツバサはお仕置き代わりにプロレス技でノラシンハを締め上げた。
「うんぎゃ~ッ! コブラツイストーッ!?」
ちょっと違う、これはその進化形とも言える卍固めだ。
ギブギブギブッ! とノラシンハは喚くも合間に「すまんかったって!」と連呼して謝りながら、その本心を打ち明けてくる。
「もう俺そういうのしんどいんよぉ。いざとなったら民草を逃がすくらいの小回りは機転を利かすけど、敵とガチンコするんは勘弁よ……ジジイはジジイらしく、縁側で茶ぁしばけるくらいに隠居させてぇなぁ」
「駄目だな。あの立ち回りを見せられたら見過ごせない」
先ほどの拳闘は本領発揮に程遠いが、見事と褒めるしかない卓越した動きだった。類い希な戦闘センスは元より、積み重ねた修練も生半可ではない。
ツバサ自身、手合わせを所望したいくらいだ。
まさかの予備戦力――存分に有効活用させてもらう。
どこに配置しようかな? とざっくり脳内で戦力バランスを考えたツバサは当座の最適解を導き出し、ノラシンハをプロレス技から解放した。
そして、こんな提案を勧めてみる。
「そうだジイさん。あんたもオクトアードに移ったらどうだ?」
ノラシンハは人差し指で自らを指さした。
「は? 俺がヌンちゃんの国に移籍?」
「そうだよ。あんたたち仲が良いんだろ? オクトアードが真なる世界へ戻ってきたのも良い機会だ。人員配置から見ても……」
「嫌やー! 俺もう兄ちゃん家の子やん! 追い出さんといてーな!」
まさかの拒否権発動である。
駄々っ子みたいにツバサの太ももへ縋りついてきた。セクハラな動作こそ感じられないが、いい年こいたジジイがこの醜態は鬱陶しい。
「いつからウチの子になった!? いいとこ居候ジジイだろうが!」
離れなさない、とツバサは引っぺがそうとするが、ノラシンハは梃子でも動こうとしない。やっぱりLV999の実力はある。意外と力持ちだ。
「何かを気に入ると離れようとしない……か」
相変わらずじゃなノラちゃん、とヌンは親友の性分を懐かしむ。
「ちゃんと戦力として働くさかい、行く当てのないこの哀れな老いぼれを追い出さんといて! 居心地最強の住めば都なハトホル国に置かせてぇな!」
「追い出すなんて言ってないだろ、人聞きの悪い」
友達のヌンが治める水聖国家へ移れ、と勧めただけでこの様だ。
ハトホル国を気に入ったのか? それともツバサが気に入られたのか? おかげでツバサは“兄ちゃん”なんて愛称で呼ばれる始末である。
はて――別の誰かにも“兄ちゃん”と呼ばれたような気がするぞ?
まあ男っぽく扱われるので嫌いではない。
「ツバサ君、悪いがそのワガママ老人はそっちで預かってくれんか」
ウチに置きたくないわい、とヌンはにやけ顔で辛辣なことを言う。
しかし、ノラシンハはグッドサインで歓迎した。
「ナイスフォローやで親友! ほら兄ちゃん、ヌンちゃんもああ言っとることやし、このままハトホル国に在籍ちゅうとことで。お役に立つよってからに」
「逆に言えば、役に立たなきゃ追い出していいんだな?」
「あああ! そない殺生なこと言わんと! 絶対後悔させへんから!」
ちなみに――ノラシンハはまだ太ももにしがみついてる。
「おのれジジイ……ツバサさんから離れろぉ……」
「んなぁ……ツバサお母さんから離れるのなぁ……」
大好きなお母さんにセクハラこそしないものの、みんな大好き膝枕をしてくれるムチムチ太ももにしがみついたノラシンハを見るに見かねたのか、ミロとトモエが全力で引っ剥がそうと頑張っていた。
子供らしからぬ恨みの形相で取り組んでいる。
どうにか引き剥がすことに成功した子供たちは、お母さんを独り占めしていたジジイをポカスカと子供っぽくタコ殴りにする。
「おうジジイ、アタシのツバサさんに太ももスリスリとかどういう了見よ?」
「んな、場合によってはハトホル一家の流儀でコンクリ詰めでドボンな!」
「ひぃぃぃ!? 家庭内暴力反対やー!」
祖父と孫が戯れてるようなものだ――放っておこう。
真面目な話に切り替えるべく、ツバサは歩き出すことにした。
釣られるようにみんなも歩き出す。
ゆっくり歩いても小一時間ぐらいの道のりだ。
それほどイシュタルランドとオクトアードはご近所さんである。
ヌンが「久し振りの真なる世界を堪能したい」というので、付き合って徒歩で向かうことになった。大勢で散歩するような感じだ。
当初の予定通り、ヌンとライヤをイシュタルランドに案内して、市街を通り過ぎながら見学してもらい、その後で軽めの打ち合わせをする。
道すがら、今後についての話も持ち上がる。
当面の間――オクトアードは四神同盟が世話をする。
何分、異相の中で結界に閉じこもるという閉鎖空間だったため、オクトアードの資源はいつもギリギリだった。おまけにバッドデッドエンズの襲撃によって大打撃も受けているので、あらゆる物資が不足していた。
それら救援物資は、四神同盟から提供する手筈が整っている。
主にイシュタルランドから供給するが、ハトホル国、ククルカンの森、タイザン平原からも少なくない量が届くように手配されていた。
特に建材――村が2つも滅ぼされ、王城もあちこち破壊されていた。
まずは工作者ジンが修理の手伝いがてら運び込む。
「すまんな……必ず色をつけて返させてもらうからのぅ」
ヌンはミサキやジンに厚く礼を述べた。
「ええ、オクトアードの発展に期待させてもらいます」
「俺ちゃんは100%趣味と善意ですから気にしなくていいですよん♪」
ミサキは快い笑顔で応じ、その後ろではヘンテコなポーズで踊りながらジンがアピールする。こんな時でもウケ狙いはやめられない。
食料も提供するのだが、ヌン曰く「そこまで切羽詰まってない」という。
実はオクトアード――食糧自給の面では優れていた。
異相を漂う結界内という閉鎖された環境だったため、リサイクルや栄養素の循環は最重要課題であり、ヌンも決して手を抜かなかったそうだ。
十分な食料なくば国民はすぐに疲弊する。
「ちょくちょく異相にいる暴君の水を引き込んで、そこから栄養源になりそうなものを抽出したりもしてたんじゃよ」
ヌンの説明を聞いたフミカは同意した。
「外から物質交換をまったくしない閉鎖生態系を作るのはまず不可能ッスからね。やるにしたって非常に限定的なものになっちゃいますし」
ちなみに――地球は開放された生態系だという。
重力などの枷があるためほとんど閉鎖的な生態系なのだが、太陽から降り注ぐ光や希に地表へ落ちてくる隕石など、何かと宇宙空間から飛来してくるのでエネルギー的に見れば開放されているとのことだ。
「養殖や栽培はどうやったか? 真っ先に取り組んだやろ?」
妻であるフミカに続いて旦那のダインも質問する。
工場内での食料生産計画にも着手した長男は、それを狭い国土で実践したであろうヌンから参考になるものを聞きたいようだ。
「応ともさ、国民を腹ぺこにするわけにはいかんからのう」
ヌンは家臣団に命じ、食糧増産に率先して取り組ませたという。
厭戦を主張した者ばかりだが、穂を多く実らせる穀物、栄養価の高い根菜、ビタミンを豊富に含んだ大きく育つ青菜などを開発したそうだ。
研究者としては有能な者が多かったらしい。
その大半がバッドデッドエンズに殺されたのは大変な損失である。
「そういったものをたくさん開発したことで国民の餓えは凌がれ、健康増進に一役買ったのは喜ばしいことじゃったんだが……」
「結果、食糧自給が間に合ったことで『このまま異相で暮らせるのでは?』と厭戦派を助長させる一因になってしまったんですよね……」
ヌンとライヤ、祖父と孫は血縁を思わせる表情で嘆息した。
「いつの世も政治と経済はままなりませんね……」
こういう話を王様の経験者であるヌンから聞かされると、ツバサもこれからハトホル国の王としてやっていけるのか不安になってくる。
「栽培も目覚ましい成果を上げてくれたが、養殖も目玉になるものが多くてな。国が落ち着いたら是非とも御礼として差し上げたいんじゃ」
ライヤも手を合わせて誇らしげだ。
「そうそう、我が国では“智慧の鮭”の養殖に成功したんですよ」
智慧の鮭!? とツバサが食いついてしまった。
その白身肉(意外だと思われるが鮭は白身魚)を食べれば、この世ならざる叡智を手に入れるとも、どんな危機も乗り切る閃きを得られるという。
ダインも機械の腕を組んで頷いた。
「魚を食うと頭良くなる言うしのう。ドコサヘキサエン酸じゃったか?」
「DHAッスね。それとはまた次元の違う話ッスけど」
ケルト神話の英雄――フィン・マックール。
彼はこの智慧の鮭を焼いてる時にはねた油が親指にかかったことがある。その鮭をフィン自身が食べた後、親指を舐めると様々な知恵が得られたという。
これがフィンの英雄としての才能となる。
アルマゲドンで手に入る食材だったが希少アイテムであり、真なる世界にも生息するが滅多にお目にかかれない超希少生物だった。
「是非譲ってください! ウチの子たちに食べさせたいです!」
特にミロとトモエに食わせてやりたい。
「効果あんのかねー。手に入る度に食べさせてもらってるけど」
「んなー。あんま頭良くなった気がしないな」
アホとバカの子は、揃って間抜け面で鼻をほじっていた。腹立つ!
そうなのだ――もう10匹くらい食わせている。
ドンカイが現地種族を連れて遠洋漁業に出ると、運が良ければ捕まえて来てくれるのだ。それを食べさせているが、一向に賢くなる気配がない。
瞬間的な判断力は上がっているようだが……その程度の効果しかない?
いや、量を食べさせれば変わってくるかも知れない。
懲りずに何度でも再挑戦するまでだ!
イシュタルランドに着くまで――あれやこれやと話し込んでしまう。
ミサキたちの本拠地で話し合うべき内容の下地、その打ち合わせをしてしまったようなものだ。フミカが抜かりなく【魔導書】にまとめていた。
これを含めた四神会議は数日中に行うと約束する。
「ではツバサ様――明日か明後日にお時間ありませんか?」
不意にホクトがスケジュールを訪ねてきた。
漢女と呼ぶしかない剛直な巨漢メイド(女性だが)は、分厚い胸板としか思えない胸元から見下ろすようにツバサへ視線を向けていた。
なんだろう……全身を舐めるように観察されている気がしてならない。
ぞくり、と得体の知れない悪寒に見舞われた。
攻撃力のあるビームみたいな眼光が、ツバサの隠し事を暴いてくる。
「そのお召し物――身体にフィットしておりませんよね?」
ギクッ!? とツバサは動揺を顔に出してしまった。
ヤバい、MカップになったのにLカップのブラを無理やり付けていることを一目で看破された。さすがは超一流の服飾師といったところか。
タイザン陣営で仲間の世話を焼くメイド長。
それが今現在のホクトの在り方だが、現実世界では新進気鋭のファッションデザイナーとして有名だったらしい。
ミサキの彼女、ハルカが志願して弟子入りするほどだ。
実際の話、ブラジャーのカップに留まらない。
先日の魔法の女神モード覚醒の影響により、女神としてまた格を上げたツバサのスリーサイズは、ウェストこそ据え置きのままだがバストやヒップの数値が上がっていた。腕や脚といった四肢も少なからず肉付きが変わっている。
なので――下着どころか衣装もかなりキツい。
ここ数日は戦闘など激しい運動をしていないが、普通に動くだけで衣服や下着が「ミチィ……」とか「ギチィ……」なんて軋むような悲鳴を上げるのだ。
それをホクトの磨かれた観察眼によって見抜かれてしまった。
「ああーッ! やっぱりそうだったんだ!」
ツバサの巨尻が揺れるのを眺めるため、ちょこちょこ背中にくっついてきたミロが喜び勇んで前に回ってきた。トモエも仲良く一緒だった。
「魔法の女神になった時のMカップ、戻ってなかったんだね!?」
「んなMカップ!? ツバサお母さんの特大ブラ、Lカップのはずだったから、A、B、C……んな! ワンカップランクアップな!」
面と向かって口頭で言われると、改めて恥ずかしくなる。
ツバサは反論する材料も少ないため、怒りに任せて怒鳴り散らすことで誤魔化そうと顔を真っ赤にしたが、恥ずかしさが募って上手く声が出せない。
その隙を突いて、ミロとトモエが懐に飛び込んできた。
どちらも小さく身を屈めて、ツバサの爆乳の下へ潜り込んでくる。
ミロは右乳、トモエは左乳――。
両手で乳房を持ち上げ、タプンタプンと弾ませるように揺らしてきた。
「道理でキツそうに引き締まってたわけだ~♪ ボリュームアップした気がするのに違和感があったのは、サイズの合わないブラのせいだったんだね!」
「んな、これは……確実に大きくなってるな! トモエの掌センサーは正確無比なんな! ツバサお母さんのおっぱい、重くなってるな!」
「あっ! こら! そんなことしたら……んくっ!?」
バツン! と絶望的な音がする。
1ランク上の爆乳を無理やり抑え込んでいたLカップのブラジャー。派手に乳肉が揺らされたことで、そのホックが臨終を迎えた音だ。
拘束を外された乳房は解放感を覚えるが、同時に重量感に見舞われる。
ドムン! と爆発するように胸が盛り上がり、こちらもLカップのサイズに調整されていたブラウスやロングジャケットのボタンが悲鳴を上げる。
バチチチッ! とボタンが複数同時に弾け飛んだ。
必要以上に露出してしまった胸元。
深すぎて底が見えない乳房の谷間を白日の下にさらし、ホックが壊れるも辛うじて乳房を覆っているブラの布地も大胆に披露する。
ミロやトモエも「やりすぎた……」と絶句する有り様だ。
ツバサたちは子供たちを叱るのも忘れて茫然自失としており、心も体も髪の毛も真っ白になりそうな勢いで呆けていた。
そんなツバサに、ホクトは最後通告をする。
「すべてのお召し物の仕立て直し……すぐに取り掛からせていただきます」
――お身体にそぐわぬ衣服を着せるわけにはまいりません
それが服飾師としてのホクトの矜持だった。
気付けばツバサは半泣きになると、情けなく口元を戦慄かせており、胸元が開けたただらしない格好のまま、逃げるように駆け出していた。
ブラジャーという拘束具が外れた爆乳が跳ね回る。
はだけた胸元からこぼれそうになるのも構わず、ただ全速力で走り出す。
それこそ――先刻のノラシンハみたいな走り方でだ。
逃走するツバサの軌跡に――キラキラと涙の粒が弾ける。
「も、もうこれ以上……ブラが大きくなるのはヤダァァァァァーッ!!」
男心を捨てきれないツバサ、その魂からの叫びだった。
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