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第15章 想世のルーグ・ルー
第354話:オクトアード帰還す
しおりを挟む──イシュタルランド。
真なる世界の中央大陸、その東方に位置するイシュタル陣営が本拠地を置く領地だ。位置的にはツバサたちが拠点とするハトホル国の正反対、ツバサたちが西の果てだとすれば、ミサキたちは東の果てになる。
中央大陸は途方もなく大きい。
面積だけなら地球の全大陸を足した数倍はある。
このため、ハトホル国からイシュタルランドへ赴くとなれば大事だ。
宇宙戦艦みたいな航行速度で飛べるハトホルフリートの全速力でも半日かかったから、飛行能力に自信のある神族が全速力で飛んでも同じくらい時間がかかることだろう。人間の足で踏破するなら十数年がかりになりかねない。
それはもう人生を賭した大移動となる。
これだけでも中央大陸が途方もなく大きいことを表現できるだろう。
おかげでミサキたちと再会するのにも時間がかかった。
今では各陣営に設置した、空間転移装置のおかげで行き来に苦労はない。
(※『第146話:似たようなものはいっぱいある』参照)
イシュタルランドも都市と呼べるほど発展を遂げていた。
ミサキたちが暮らす御殿を中心に、エルフ、ドワーフ、オーク、ゴブリン、マーメイド……といったファンタジー世界における模範的な種族が暮らす市街地が扇状に広がっている。その規模も段々と大きくなりつつあった。
ここが中央都市だとすれば、周辺にはいくつかの村落も作られている。
田畑の管理をするために農民たちが寝泊まりする農村や、海岸で海産物を採ったり釣ったりする漁村。目的に合わせて様々だ。
そのイシュタルランドから離れた場所にある小高い崖。
海岸に面して幅広く切り立ったそこに、ツバサたちが佇んでいた。
長い黒髪を潮風になびかせ、心なしかキツくなったロングジャケットの裾もはためかせ……いいや、キツくなったのは気のせいじゃない。
特に――ブラジャーがキツい。
魔法の女神を覚醒させた影響か、ウェストは変化ないのにバストやヒップのふくよかさが増して、より女神らしい女性的な豊満さを高めていた。
ブラのカップ数なんて、とうとうMカップだ。
しかし、誰にも打ち明けていない。
バレたが最期、ミロを筆頭にツバサを女子力マシマシで着飾らせたい服飾師たちが、大喜びで際どい新衣装やエロス満点の下着を作り始めるので黙っておいた。平然とした素振りで、今までのサイズの下着や衣服を着込んでいる。
だが……キツい! 特にブラが肺を締め付けるようだ。
それでも素知らぬ顔で我慢する。
これ以上、女らしさを強調したファッションなど御免だった。
素知らぬ顔でツバサは沖合の作業を眺めている。
その隣でポツリと呟く者があった
「……なるべく異相内から近付けたつもりじゃったんだけどな」
横にいるヌンはどこか申し訳なさそうだ。
杖をついたカエルの王様は、黒味を帯びた肌の色とは正反対の純白の滝のような髭を手で梳いている。沖を見つめる視線は反省の色があった。
「仕方ありませんよ。異相から覗きつつ動かしても大なり小なり誤差は出ますし、スレスレを狙って大陸に重なりでもしたら事故が起きかねません」
ツバサは穏やかな声で慰める。
「ちょっと離れたところに落とすくらいがベストですよ」
「10㎞ってちょっとかのぉ……せめて1㎞圏内に落としたかったわい」
すまんのぉ、とヌンはため息をついて詫びた。
ヌンからの礼はこの数日でダース単位になるほど貰っている。
これ以上は心苦しくなるので控えてほしいところだ。
イシュタルランドの沖合に──水聖国家が浮かんでいた。
バッド・デッド・エンズ撤退後、ツバサはヌンに歓迎された。
ヌンこそがノラシンハの証言にあった「四神同盟と合流して戦う気概のある神族」の1人だった。ヌンは真なる世界の状況をよく調べており、ツバサと肩を並べて戦うことを熱望する意欲的な御仁である。
しかし、保守的な官僚のせいで動けなかったらしい。
真なる世界に戻って蕃神との再戦を望まれるなら、無力な国民を巻き込んで内乱を起こす……と脅されたら身動きが取れまい。
民を救うためならば、他国の使者に躊躇なく土下座できる。
そんな優しい王様なら尚のことであろう。
バッド・デッド・エンズの侵略によって水聖国家は荒らされてしまったが、これをヌンは好機と受け取ったらしい。
災い転じて福となす、と思考回路を切り替えたのだ。
負傷者の治療、避難者の救護、被災者の救済、死者への弔い……。
これらを数日中に一段落させると、何をさておいてもオクトアードを異相から外に出して、真なる世界へ戻る作業に着手した。
数多ある異相空間は、どれも生活に適さない環境である。
そこに亡命することを決めたオクトアードのような国々は、強力な結界能力者が国を丸ごと結界のバリケードで覆っていた。
結界に包まれた水聖国家を異相から脱出させる。
そして「真なる世界に戻るぞ!」と鶴の一声で決定を下した。
元よりヌンは「異相から出て蕃神と戦う!」と息巻いていたのだが、その勢いを厭戦派の官僚に止めされていた。異相に留まる理由もない今、この事件を契機にして真なる世界へ復帰するつもりなのだ。
厭戦を主張する家臣のほとんどが亡くなったことも大きいらしい。
ヌンの胸中は複雑に違いない。
足を引っ張ったとはいえ、彼らもまた愛する民なのだから……。
しかし、結界に包まれた水聖国家は、荒れ狂う暴君の水で満たされた異相を流されていたようで、大陸との距離は300㎞も離れていた。
かつてのオクトアードは、中央大陸の西端にある半島だった。
異相に亡命する際、ヌンは領地である半島を結界で包みながら大陸より抉り取り、そのまま異相へ落ち延びたのである。なので当初は異相にありながらも、位置的には大陸のすぐ側にあったそうだ。
それが500年の間に流され、随分と離れていた。
ヌンは結界を転がすように操って異相内を移動すると、できるだけ大陸に近いところで真なる世界へ戻ろうと試みたのだが……。
「まだ10㎞も離れとる……老眼かのぉ、目測を誤ったようじゃ」
「そんなピッタリとは行きませんよ」
10㎞なら誤差です、とツバサは励ますようにフォローする。
「こちらに島が戻ってきた後も、大陸と繋げたりする作業がありますからね。そのための人員も集めておきましたから、恙なくやってくれますよ」
現在――その作業の真っ最中である。
「はぁ~~~い♪ 物作りとあれば俺ちゃんにお任せあれ!」
オクトアード島は約10㎞の沖合に浮かんでいる。
神族の視力なら十分に届く距離だ。こちらに面している海岸ならば、そこを歩いている人の睫毛の本数くらいまで確認できる。
海が望める小高い丘で、1人の変態が元気いっぱい踊っていた。
工作の変態──ジン・グランドラック。
イシュタル陣営に属する工作者であり、ミサキの親友にして悪友だ。
素顔を見られることを嫌い、いつもアメコミヒーロー風のマスクとぴっちりした全身スーツを着込み、その上から工作者らしい格好をしているのだが、その時その時に見合ったコスプレ変装をして仲間から一笑を誘う。
お笑い芸人の精神を大切にする男である。
今日も今日とて、マスクマンらしからぬ風体をしていた。
正月に似合いそうな紋付き袴の着物姿だが、動きやすいようにたすき掛けをしており、頭には捻り鉢巻きを締めている。日の丸扇子を3つ開いており、ひとつは鉢巻きに差し込んで、2つは両手に持って仰いでいた。
首からは紐付きのホイッスルを下げている。
「それじゃあ皆さんよろしくて? 俺ちゃんのリズムに合わせて押したり引いたりしてくださいねー。ではではオクトアード島の大移動!」
開始しまーす! とジンの大声が合図となった。
ホイッスルをマスク越しにくわえたジンは、ピッピッピッ! とテンポを刻みながら吹き鳴らして、両手の扇子を扇いで小気味よい拍子を取る。
そして──神々が動き出す。
飛行母艦ハトホルフリートと、万能工作艦アメノイワフネ。
いざという時には移動拠点にもなるツバサたちの航空母艦と、そのハトホルフリートを初めとした様々な大型メカを修理できる工作艦だ。
飛行艦はそれぞれ牽引ビームを照射する。
ビームの先端は錨の形を取っており、オクトアードの地盤でも堅そうなところを選んで深々と刺されば、大樹のように根を張って食い込んだ。
牽引ビームが縄のようにビン! と張る。
二隻の飛行艦はオクトアードを壊さないように注意を払い、出力を抑えめにして航行用ジェットを噴射させると、大陸に向けてゆっくり進んでいく。
牽引ビームによって少しずつ島が引きずられていた。
しかし、いくら宇宙戦艦級といっても飛行艦二隻には荷が重い。
そこも抜かりはない。ちゃんと力自慢を集めてある。
まずは超巨大ロボの登場だ。
想世巨神王──フォートレス・ダイダラス。
長男ダインと次女フミカが2人掛かりで操縦する、全長1㎞を越える移動要塞にも変形可能な超巨大ロボだ。何分、巨大すぎるので滅多に出番がない。
(※第184話『想世巨神王フォートレスダイダラス』参照)
『こがな時こそコイツの出番! たまにゃ全力で使ってやらんとのぅ!』
『ダメっすよダイちゃん、力加減を間違えると島が壊れちゃうッス』
ダインとフミカのやり取りが大音量で聞こえてきた。
操縦室のスピーカーがONになっているのだ。
やる気満々のダインと、賢妻として窘めるフミカ。
二人の声にツバサは柔らかく苦笑する。
「久し振りに出撃させたから……はしゃいでるな、ダイン」
巨大工場を手足の如く操る過大能力を持つダインにすれば、超巨大ロボすら玩具みたいなもの。ましてやフォートレス・ダイダラスはその巨大さから使いどころが限られる。それが久々に使えたからテンションMAXなのだろう。
ちなみに――二隻の飛行艦も彼らの遠隔操作の賜物だ。
フォートレスは島の反対側にスタンバイ。
高層ビルより高い下半身を海に沈め、押しやすそうな崖状になっている壁面に当たりをつけると、そこに両手をついて島を押していた。
島を引っ張る二隻の飛行艦に対して、島に両手を添えて大陸側へ近付けるように押している。フミカの言う通り、加減を間違えたら崩しかねない。
台詞こそ血の気の多いダインだが、そこは一流工作者。
島を損なわぬよう丁寧な所作で取り組んでいる。
端から見れば、鋼鉄の巨神が島を一生懸命動かそうとする構図だ。
宇宙戦艦級の飛行艦二隻と、規格外の超巨大ロボ一機。
これだけあれば十分と思われるかも知れないが、オクトアードは淡路島と同じくらいの規模を誇る島国だ。先に挙げた二隻と一機がいかに超常的な高出力を発揮できようとも、力不足という感が否めない。
まだまだ力が足りないのだ。
抜かりはない。島を動かせる力自慢を取り揃えておいた。
「いいですか、一点に力を込めてはいけません。練った気功で大きな壁を作るイメージでそれを柔らかく押すように、自らの手を広げて大きくする感覚で……島を包むように押し込んでいくのです」
タイザン陣営のメイド長──ホクト・ゴックイーン。
漢女と呼ぶに相応しい筋肉と巨躯を持った彼女は、飛行技能で空を舞うと島の側面に手を当て、全力で島を押していく。
ホクトは鍛え上げた気功術を駆使して、莫大な気を練り上げる。
全身を金色に輝かせるほど爆発的に膨張した気を、純粋なエネルギーに変換しながら噴き出すことで島を動かしていた。
分厚い筋肉まで何倍にも膨れ上がり、メイド服が弾けそうだった。
「オレっちも力自慢の1人に数えられるなんて……光栄っす!」
アハウ陣営の鉄砲玉──カズトラ・グンシーン。
よく「痩せた狼」と例えられる少年だが、ツバサの特訓を受けて以前より体格がガッシリしてきた。それでもまだ痩せているが……。
彼のトレードマークとなった、宝石と鋼鉄を縒り合わせた右の義手。
肩までサポートするそれは、亡くなった彼の仲間が遺したものだ。カズトラ自身の成長に影響されているのか、彼の意志に合わせて変幻自在かつ高性能な変形をできるようになり、パワーアップを遂げていた。
変形を繰り返す義手は、アンバランスなくらい巨大化する。
ロケットのようにジェット機構を備えると灼熱の炎を奮撃させて強力な推進力を生み出し、島を前へと動かしていた。
「んなーッ! 力仕事ならトモエの出番なーッ!」
ハトホル陣営の腹筋系アイドル――トモエ・バンガク。
ツバサの四女でもある彼女は蛮神という力のステータスが爆上がりする神族なので、まだ中学生の少女と思えない怪力の持ち主だ。
いつもは体操着とブルマが普段着のトモエだが、今日は久々にお出掛けしてのお仕事なので、戦闘コスチュームでもある白のビキニアーマーに着替えている。おかげでチャームポイントでもある腹筋がお披露目されていた。
小兵ながらも、ホクトやカズトラに引けを取らない馬力を出す。
力任せのタックルで島を押す作業を手伝ってくれた。
「どれ、ワシは腕力と過大能力を買われたわけじゃから……」
一働きせねばのぉ! と横綱はやる気を出す。
ハトホル陣営の副官にして大横綱――ドンカイ・ソウカイ。
関取らしく大銀杏を結い、2m50㎝の巨体には大海を意匠した浴衣をまとい、その上にマント代わりに大漁旗のようなデザインの単衣を羽織っている。オーガから神族になったので、鋭い下顎の牙が目立つ。
ドンカイは海中から島を押していた。
力士の膂力にも頼りたいが、ドンカイに期待するのはもうひとつ。
過大能力――【大洋と大海を攪拌せし轟腕】。
彼の両腕はこの世界の海や川と空間を超えて同調しており、砂漠を一瞬で水没させることもできれば、深海の深層海流も逆流させることができるのだ。
その過大能力で、周辺の海流を操作してもらう。
ドンカイ自身の腕力も大いに助けとなるが、この海流を操る力によってまだ海底に固定されていない島を動かす動力にもなるわけだ。
飛行艦二隻、超巨大ロボ一機――そして力自慢の神族四人。
他にも頼れそうな仲間はいっぱいいるのだが、調子に乗ってこの場に全員集めたりすると、各陣営で何かあったときに対処できなくなる。この人数が許容範囲ギリギリと察していただきたい。
ホクトとカズトラは出撃組からのエントリーである。
ドンカイとトモエは空間転移装置で駆けつけてもらい、入れ替わりでセイメイをハトホル国へ返しておいた。ウチの用心棒は使い勝手がいい。
ピッピッピッ、とホイッスルの音が近づいてくる。
オクトアードの島が目に見える速度で動いている証拠でもあった。
ジンは扇子を振り回して拍子を取る。
この拍子も欠かせないもので、押す者と引く者が息を合わせて同時に力を込める必要があるからだ。そのために音頭を取る役割を果たしていた。
島を動かす個々の力は凄まじい。
もしも力の配分を間違えれば一点に圧力がかかりすぎて、そこから島を押し崩してしまう可能性もある。そこで動かす時は一斉に力をかけてバランスを取るように心掛けているのだ。
それぞれの人員配置も、フミカの計算が導き出した最善の位置である。
紋付き袴姿で扇子を振って踊るジン。
多分、古き良き時代の応援団などを意識しているのだろう。
一見すれば遊んでいるように見えがちだが、島を動かす音頭を取る役目だけではなく、ある側面において最も重要な仕事を買って出てくれていた。
ジンの過大能力――【神の手を持つ工作者】。
必要な材料さえ揃っていれば、工程や時間といった手間暇を省略して作りたい物を完成させられるという、工作者の極みのような過大能力だ。
この能力をオクトアード全体に仕掛けている。
島を動かしている途中に地面に亀裂が走れば即埋め立て、山が崩れたら即盛り直し、家屋が壊れそうなら即建て直し、森の木々が倒れそうなら……。
――島を動かすことで発生する大小様々な弊害。
これを瞬時に修復してくれた。
おかげで島を動かす者は気兼ねなく……とまではいかないが、意図せず不用意に引き起こしてしまう破壊行為を心配せずに済む。
反面――ジンへの負担は半端ではない。
現実世界でなら淡路島に匹敵する大きさの島を過大能力で保護する。この移動作業が終わるまでそれを維持しなければならないのだ。
3分で疲労困憊となり、5分を越えれば精根尽き果てるだろう。
これ、ジン自らが買って出た仕事である。
決して無理はするなよ? と言い付けてあるし、いざとなれば活力付与もするつもりだが、ジンは「お任せあれー♪」とウィンクで返してきた。
崖と島の距離は3㎞まで縮まってきた。
それに伴いジンも近づいてくるが、明らかに疲労の蓄積値が尋常ではない。べらぼうな早さで疲れている。マスクが汗でびしょ濡れになるほどだ。
それでも――ジンは過大能力を止めようとしない。
時間はとっくに7分を越えている。
過労のあまり卒倒してもおかしくないのに、ジンは過大能力を維持し続けた。
オクトアードの国土と、そこに暮らす人々を守るために……。
「……ジンは本当にいい子だな」
「ええ、自慢できる悪友ですよ」
感心するツバサの呟きを拾ったのはミサキだった。
「変態でさえなければ、非の打ち所がない親友なのに……」
「おまけにマゾで打たれ強いと来てる」
残念そうなミサキにツバサは頬を釣り上げる。
「ま、それがジンの人間的な魅力になっていると思えばいいさ」
正直、クロコより全然マシだと思う。
困っている人がいれば全身全霊で身体を張ってでも助けようとする性分は、その顔に付けたマスクらしく、ヒーロー気質といっても過言ではない。
「マゾの変態が魅力……ですか?」
「ヒーローなんてマゾでもなけりゃやってられないさ」
まず殴られても蹴られても耐えられる我慢強さがなければヒーローの資格はないし、様々なものを諦める断捨離の精神がなければ務まらない。何より自己犠牲の精神がなければ、英雄と呼ばれるに値しないだろう。
ジンはそうしたものをすべて持っている。
「四神同盟の中で一番ヒーローやってるのはジンかもな」
納得いかないのか、ミサキは苦虫を噛み潰した顔で小首を傾げた。
やっぱり承服しかねるらしい。
ツバサの反対側、ヌンを挟むようにミサキは立っている。
ミサキ・イシュタル――イシュタル陣営の代表だ。
彼も内在異性具現化者であり、ツバサ同様に男性から女性へと変わってしまったのだが、ツバサほど苦にはしてないそうだ。
地母神として大人の女の発育をしたツバサには見劣りするが、美少女として十分なくらい発育を遂げた巨乳と美尻のナイスバディ。至高のボディラインを惜しげもなく晒すことを厭わない、タイトな戦闘用スーツを着こなしている。
この辺り一帯はイシュタルランドの圏内だ。
責任者というわけではないが、見届ける義務を感じたらしい。
これから水聖国家とは「お隣さん」にもなるわけで、先ほどヌンと挨拶も済ませていた。ミサキは人付き合いも卒がないので心配無用である。
作業を見守るツバサとミサキ――その間に佇むヌン。
このまま両側からツバサとミサキがヌンの手を握れば、「捕獲された宇宙人」みたいな構図になるのかな……とか無礼なことを考えてしまった。
そのヌンが閃いたようにポン、と手を打った。
「これも両手に花……と言ったら二人は気を悪くするかのう?」
ツバサもミサキも外見こそは爆乳美女と巨乳美少女だが、その中身は二十歳の男と十七歳の少年だということは暴露済みである。
というか――ヌンには出会い頭に看破されてしまった。
特にツバサは女性化&女神化したことが不服だと話してあるので、ご機嫌を窺うように尋ねてきたらしい。上目遣いがマスコットキャラみたいだ。
正直、コミカルな愛嬌があって憎めない。
ミサキは遊びに付き合うみたいに気前よく微笑む。
「オレは全然気にしませんよ。ただ、ツバサさんは……」
そして、女扱いされるとすぐ怒るツバサのことを気遣ってくれた。
ツバサは仕方なさそうに鼻で笑ってやる。
「ミサキ君、俺もそこまで狭量じゃないぞ。ヌンさん、中身が二十歳の小憎らしい若造と気のいい紅顔の美少年でもよろしいならどうぞ」
「いやいや、男勝りな女神と思えば十二分なくらいじゃわい」
ヌンは楽しそうにケロケロと笑った。
当事者のツバサとミサキの胸中は別とすれば、他者からの視点では美女と美少女に挟まれていることは間違いない。セクハラというほどでもないし、ヌンが少しくらい鼻の下を伸ばすのも大目に見てやるべきだろう。
無礼なことを考えてたツバサが言えた義理でもないのだが……。
大陸側の崖から見守る3人の神族。
ツバサたちも傍観を決め込んでいるわけではない。
ツバサとミサキはともに自然を司る過大能力を連携させており、ドンカイの操る海流を助けたり、自然界の“気”を操作することで島を引き寄せたり、障害物となりそうな海底の隆起を退かしたり、サポート面を充実させていた。
ヌンも【混沌より滴るもの】という過大能力に匹敵する能力を使い、粘性の高い液体を操ると、海中から島を動かすように働きかけている。
オクトアードはもう100m先まで迫っていた。
「はーい! 皆さんストップストップ―!」
ジンは両手の扇子を水平に構えて制止するよう大声で訴えると、ホイッスルを口にくわえて鳴らし続けた。機械も神族も一斉に動きを止める。
それでも、押され続けた島は余韻で動いていた。
距離にして残り数十m。それをジンは制動距離と見て取ったのだ。
10m、9m、8m……徐々に近づいてくる。
とうとう大陸と島が接すると、ズシン……と静かに地響きが起きた。オクトアード島が中央大陸にしっかり密着したのだ。
ここで再び、3人が一斉に過大能力で働きかける。
ツバサの過大能力――【偉大なる大自然の太母】。
ミサキの過大能力――【無限の龍脈の魂源】。
そしてジンの過大能力――【神の手を持つ工作者】。
これらの過大能力で、オクトアードと大陸を繋ぎ合わせる。
揺るがぬように地盤と結合させ、大陸からエネルギーが流れ込むように龍脈を走らせつつ、ついでに海底から土を盛り上げて国土を広げてやる。マッコウの餓鬼に貪られた分も、海水の栄養分を使ってそれ以上の豊かさを補う。
荒らされた大地を復活させていく。
やがて、オクトアードは半島として大陸と繋がった。
何百年も前からそこにあったように、自然な状態で地続きとなっている。継ぎ目など探しても見つからない。完全復元を成し遂げたのだ。
国の土地面積を広げて、自然の豊かさも以前の比ではない。
そういう意味ではバージョンアップも果たしていた。
ここに――オクトアードは真なる世界への帰還を果たした。
実に500年振りのことである。
「おおっ……帰ってきた、オクトアードが……真なる世界へと……」
ヌンは震える喉から感嘆を漏らした。
杖を持つ手は感動に震えており、カエルの口では難しそうだが懸命に歯を食い縛るものの、両の眼から滝のように流れ落ちる涙が止まることはない。
ボタボタと音を立てて大地に落ち、染み込んでいく。
ヌンは懐からハンカチを取り出して涙を拭い、最後にチーン! と盛大に鼻をかんで顔をキレイにする。それから、ツバサとミサキに深々と頭を下げた。
左右へ交互に、何度も何度も礼を述べてくる。
「ありがとう、ツバサ君、ミサキ君……君たちのおかげで500年の時を超えて、この地に帰ることができたわい。国を元に戻す作業まで手伝ってもらってしまい、本当になんとお礼を申し上げたらよいか……」
世話になりっぱなしじゃ、とヌンは自嘲気味に言った。
言葉の裏に「これだけの恩をどうやって返せばいい?」という言外の意思があったので、ツバサは「気にすることはない」と暗に含めて返事をする。
「いいえ、困った時はお互い様ですよ」
見返りが欲しいわけでも、恩返しを求めたわけでもない。
「一緒に戦ってくれる、その心意気だけで俺たちは嬉しいんですから」
――オクトアードも四神同盟に参加したい。
ヌンからそのように相談を受けていた。一緒に戦ってくれるだけで、手助けするには十分な理由となる。ヌンが加わわれば戦力増強となるからだ。
蕃神との戦いにしろ、バッドデッドエンズとの戦いにしろ、LV999の戦士は何人いても手が足りない。協力体制を敷ける組織が増えるのはいいことだし、ヌンの人柄を知れば知るほど、手を取り合えたことに感謝するばかりだ。
異相に逃れた亡命国家には希望を抱けずにいた。
バッドデッドエンズの凶軍への対処。これが本命で、亡命国家を助けることには副次的な効果ぐらいしか期待していなかったのだ。
だから、ノラシンハの話していた「共に戦ってくれる気概のある神族」の1人であるヌンと出会えたのは、まさに僥倖としか言いようがない。
ツバサは自然と右手を差し出していた。
「……これからよろしくお願いします、ヌンさん」
「それはこっち台詞じゃな……こちらこそよろしくな、ツバサ君」
ヌンは水掻きのある手を開き、固い握手を交わした。
~~~~~~~~~~~~
バッドデッドエンズ凶軍が撤退――ロンドが去った直後のこと。
ロンドの置き土産ともいうべき玉虫色のアメーバ型蕃神は、駆けつけたレオナルドとセイメイが倒してくれたが、次元の裂け目は残されてしまった。
こんな時のために、ミロがいると言ってもいい。
「――この世界に覇を唱える大君が申し渡す!」
次元を創り直す過大能力を有するミロが、次元の裂け目を塞いでくれたおかげで事なきを得た。しかし、次元を修復するのはミロにとっても大仕事なので、しばらくはグロッキー状態になってしまう。
当然、愛する長女なのでオカンがおんぶしてやった。
ミロは疲労感の抜けきらない笑顔で、ツバサの背中に頬ずりしてくる
「……えへへ、お母さんの背中ひろーい」
「誰がお母さんだ。背中が広いのはお父さんだろ普通」
自己回復に専念しなさい、と言い付けながらも、ツバサは髪を操ってミロが落ちないように固定すると、その髪を通じて活力付与を行った。
……我ながら過保護なオカンのようだ。
「しっかり掴まってろよ……ってどこ掴んでやがる!?」
背負われて早々、ミロは両手を前に回してツバサの爆乳を揉もうとしてきた。
しかし、背中からだと大きすぎる爆乳を掴みきれないらしい。
「ぬぅ……手に収まんない! ツバサさん、またおっぱい大きくなった?」
「そ、そんなわけあるか! 据え置きサイズに決まってるだろ!」
Mカップになった実感はあるが口にはできない。
ミロに知られたら最期、何をされるか知れたものではない。
しかし、勘の鋭いアホは訝しむ。
「魔法の女神モードに変身したら、確かにMカップだったはずだけど……変身解除したら戻ったよね? 残念だけどちょっと縮んだ感があったもん」
「も、もちろんだ! ちゃんとLカップに戻ったぞ!」
嘘だ――戻ってない。
髪を操作してブラを無理やり直して、キツいながらも締め直しただけだ。軽めにサラシを巻いたようなものである。だから、縮んだように見えたのだ。
Mカップのままだとミロにイジられると思ったから、つい工作をしてしまった。
「ふ~ん……ま、帰ったらもう一度測定し直しだね」
それは全力で有耶無耶にすることで回避しよう。とにかく逃げ回ろう。
その後――ツバサたちはオクトアードの王城へ出向いた。
レオナルドの取り成しである。
短時間ながらもヌンと会話したレオナルドは、オクトアードの政治的状況を具に聞き出しており、ヌンが神々の乳母の熱烈なファンで、異相を飛び出して四神同盟に加わりたいという要望まで引き出してくれたのだ。
弁の立つ軍師殿の面目躍如である。
「しかし、その、なんだ……神々の乳母のファンってどういうこと?」
「どうも遠隔視で君の活躍を目にして惚れ込んだらしいね」
おかげで話がスムーズだったよ、とレオナルドに感謝されてしまった。
なんだろう……実況動画に出演ていた頃の気持ちを思い出す。
王城へ向かう途中、その辺りを話をレオナルドは掻い摘まんで説明してくれた。ヌンに関する予備知識を得られたのは有り難い。
湖面に浮かぶように造られた――オクトアード王城。
バッドデッドエンズ凶軍に襲撃されたばかりなので、大勢の城兵が大わらわで動き回っている。厳戒態勢のため余所からやってきたツバサたちも警戒されるかと思いきや、レオナルドがいるだけで顔パスだった。
ヌンが報連相を徹底してくれたらしい。できる王様のようだ。
案内されたのは議会の間。
そこは――死屍累々の惨状に塗られていた。
殺戮の限りが尽くされたのか、オクトアードの政を支えてきた神族や魔族の家臣団が胸、腹、あるいは頭を内側から食い破られたように殺されていた。
議会の間の最奥――玉座の前にヌンがいた。
玉座に腰を下ろすことなく床に跪いたカエルの王様は、両手を握り合わせると神へ希うように、死者の群れを悼むように、天へ祈りを捧げていた。
ヌンの小さな体躯から、湯気のようなものが立ち上る。
それは議会の間の天井に広がっていくと、やがて濛々と雲のように湧き上がり、霧雨よりも細い水の滴をパラパラと降り注がせてきた。
「混沌より滴るもの――№08 復雨」
この霧雨を浴びた者は、徐々に傷が修復されていった。
こびりついた血が消えるように洗い流され、折れて砕けた骨が戻っていき、破れた肉が盛り上がり、壊された臓器も新品同様に治っていく。
だが、再び息を吹き返す者はいない。
肉体を復元させるに留まり、死者を蘇生するまでには至らなかった。
真なる世界においても“死”は厳粛なルールである。
例外中の例外のような、それこそ奇跡と偶然が同時に起こるほどの道理を覆す力が働かない限り、死者が蘇ることは有り得なかった。
(※第84~87話参照)
「……生きている者は答えよ」
ヌンは呻くような声で死者たちに命じた。
「僅かでも命脈を保った者は答えよ! 我が呼び声に応じよ! 咳き込むだけでも構わん! 身動ぎするだけでも良い! だから…………ッ!」
頼む――返事をしてくれ。
それはヌンの切なる願いだった。
彼自身、わかっているはずだ。この場に横たわる者のほとんどに、完全なる死が訪れていることを肌で感じ取っていることだろう。
それでも――諦めきれない。
だが、ほんの少しながらも救いはもたらされていた。
辛うじて息のある者は議会の間の隅に集められており、重傷のため下手に動かせないからこの場で応急処置を受けていた。
オクトアードの王城詰めの救護兵を総動員しているようだ。
救護兵の中に――見慣れた顔が3つほど混じっていた。
「ツバサの総大将! 良かった、手伝ってくれ!」
おれたちじゃ手が回んねえ! とセイコが悲鳴を上げて手招きする。
蓬髪童顔の優しい巨漢は、生き残った者に手を翳すと気功系の回復術でどうにかこうにか命を繋ぐように働きかけていた。
彼はレオナルドの指示で、ヌンに付き添って王城を訪れていたらしい。
セイコは気功系で攻守どちらも巧みだ。
他者に回復を促す気功も上手なので、一役買ってくれたのだろう。
近くにはホクトとカズトラもいる。
カズトラは道具箱からありったけの回復薬を取り出すと、負傷者に手当たり次第飲ませたりふりかけたり、とにかく手当てしようと奮闘していた。
それにしてもカズトラ、回復アイテムを溜め込みすぎじゃないか?
「ったく、ミコの心配性が役に立つとはな!」
どうやら妹分のミコから大量に持たされたらしい。
ならば、あの量も納得というものだ。
そしてホクトは――働き過ぎていた。
いつぞやの炊き出しでも三面六臂の阿修羅みたいな働きぶりだったが、今回はそれを上回って残像が分身のように作業を手分けしていた。
包帯を巻き、回復薬を塗布し、回復系の気功を使い……。
「ツバサ様、良いところに来てくださいました!」
お手を拝借! とホクトにも助けを求められる。
ミロを背負ったまま近付いていくと、この状況について尋ねた。
凶軍によるオクトアード襲撃中のこと――。
ホクトとカズトラは「弱い記憶を弄ることで肉体を破壊する」女医者と、「あらゆるものに食らう口を持った」子供を追っていたという。
王城にいることは気配でわかった。
しかしホクトたちが議会の間に到着した頃、その女医者と子供は入れ違いで離島へ向かってしまった。当然、すぐ追いかけるつもりだったそうだ。
この惨劇を目の当たりにするまでは――。
「大半の方々はほぼ即死でしたが、数人の方からは生命の息吹を感じ取ることができました。そこで応急処置というには少々乱暴でしたが……」
ホクトは目を伏せると、詫びるようにミルク缶を取り出した。
ミルク缶を目にしたツバサはギョッとする。
反射的に乳房が張る感覚がして、つい両手で胸を庇ってしまった。
それは――ツバサが持たせたものだ。
今回はどのような不慮の事故が起きるかわからないので、出撃の旅に参加した者には保険代わりに、万能薬としてハトホルミルクを渡していた。
事情を知らない男性陣には小瓶に分けて×99ずつ。
ハトホルミルクの正体を知っているホクトには、回復役にも廻ってもらう可能性も考慮して、大型のミルク缶にありったけ持たせておいたのだ。
まさかそれが功を奏すとは……。
「件の2人を追いかける前、ここにいる人たちに浴びせておいたのです」
「すんませんツバサの兄貴! オレっちの分もばら撒きました!」
治療の手を休めず、カズトラも詫びてくる。
ホクトとカズトラは手分けして、死に瀕していた家臣団にハトホルミルクを素早くかけ回ったという。それから女医者と子供を追いかけたとのこと。
これは――英断だったと褒めるべきである。
おかげで瀕死の者は九死に一生を得、一命を取り留めたのだ。
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「ツバサさん、ここはアタシの過大能力で……」
ツバサにおぶさられていたミロが、怪我人たちの苦しむ声を我慢できないといわんばかりに動こうとした。万能の過大能力で治癒を施すつもりなのだ。
次元の裂け目を閉じて消耗したばかりのミロ。
力を使わせるわけにはいかないと、ツバサはミロを背負い直した。
「おまえは大役を果たした。大人しくていなさい」
優しく抑え込むと、彼女が何かする前にツバサが行動する。
特大の活力付与を負傷者たちに振り撒いたのだ。
元よりホクトたちがありったけの回復を施していたのもあり、活力付与がいい感じで追い風となった。怪我人から苦悶の声が和らいでいく。
これで大丈夫、次第に癒やされていくはずだ。
「感謝する、偉大なる地母神よ……ハトホル殿、でいいんじゃよな?」
尋ねる老爺の声に振り向くと、ヌンが近付いてきていた。
黒味の強い肌をした――カエルの王様だ。
擬人化されたように二足歩行しており、体格も長い白髭には小柄な老人といった人間らしい風情がある。しかし、水掻きのある指先はカエルのそれだ。
軽い戦装束をしており、老人らしく杖を突いている。
ツバサの前に立ったヌンは、体中の水分を絞り尽くす勢いで泣いていた。
どれだけ涙を拭っても拭いきれないのだろう。この場で命を散らした家臣たちを悼んで、本気の号泣を続けたいはずだ。
それでも、突如現れたツバサを無視できるわけもない。
泣き腫らして泣き止まない顔では無礼と思いながらも、こうしてわざわざ足を運んでくれたのだ。こちらも礼を失することはできない。
「お初にお目に掛かる……ワシはこの水聖国家オクトアード国を治める、ヌン・ヘケトというものじゃ……御覧の有り様ですまんのぅ」
「いえ、この状況ならば仕方ないことです」
心中はお察ししますし――お悔やみを申し上げさせていただきます。
ヌンは涙を零しながら三度だけ頷いた。
「こういう時、どういう顔をすればいいかわからん……」
生き残った部下がいることに安堵すればいいのか、亡くなった部下を偲んで嘆けばいいのか、憧れの人に会えたことを心から喜んでいいいものか……。
ヌンは悲しみと喜びが激しく入れ替わる涙をこぼした。
「紹介は不要のようですね、ヌン陛下」
最初に四神同盟の使者としてヌンと接見したのはレオナルドだ。
彼の仲介という態で、ツバサはヌンと面会する。
「まずは……この国を救ってくれたことに感謝したい。得体の知れない侵略者から民を守り、重傷の家臣を助け、その侵略者を追い払ってくれた……」
ありがとう、そういってヌンは膝を突こうとする。
両手を前に伸ばして床に這いつくばろうとする姿勢は変えるなら違和感ないが、人間ならば土下座だ。それも一国の王がやれば重みが違う。
咄嗟にツバサはそれを制した。
「レオナルドにしたことは非公式です。ですが、この場ではいけません」
目配せすると、レオナルドも「了解」と視線で返してくれた。
一国の王が他国の王に土下座する。
国のトップ同士でそれはいけない。どんなに非があろうとも、どれほど感謝の意を伝えたくとも、おいそれとすべきものではない。
王様どころか社長にもなったことがなく、帝王学にも縁のないツバサだが、こういう場において土下座は悪手となることぐらい理解できた。
それは水聖国家に形のない莫大な負債を背負わせることになる。
そんなこと、ツバサたちは望んでいない。
恐らく――ヌンは罪悪感を溜め込んでいたのだ。
ヌンは遠隔視を用いて、真なる世界を観察していたと聞いている。
だからツバサたちの活動内容も詳しく知っていたそうだが、知れば知るほどに罪の意識に嘖まれたに違いない。
蕃神と戦う過酷な運命をツバサたちに押し付けた逃避の罪――。
共に戦うべき自分は異相からの見守ることしかできない傍観の罪――。
家臣団によって動きを封じられ何もできない無力の罪――。
それなりの老獪さを匂わせながらも、その芯はどこまでも真っ直ぐで他者のことを思い遣れるヌンが、それを心苦しく思わぬわけがない。
良心の呵責にも悩まされていたはずだ。
感謝もあるが、謝罪の意味も込めた土下座をするつもりだったのだろう。
土下座を止められたヌンは、不思議そうに顔を持ち上げる。
ツバサはヌンと視線を合わせた後、首を左右に振って否定を示した。
そして、おもむろに右手を差し出す。
「俺たちも思惑があってこの地を訪れました。お互いの利害を話し合ってから礼を受けましょう。まずは国民の安否を、そのために協力させてください」
「言葉もないわい……感謝する、ハトホル殿」
ヌンは大量の涙を流すと、目礼のみで感謝の意を伝えてきた。
王城へ来る途中、概略の説明は受けている。
国民を巻き込んだ内乱を起こすと家臣団に仄めかされたら、民を第一に想うヌンのような優しい王は身動きが取れまい。察して余りある事情だ。
苦悩するヌンに、ツバサは自身の未来を重ねてしまう。
いつの日か――仲間と食い違う意見によって自縄自縛されるのか?
いつの日か――生き残った家族と死んだ仲間を想って涙を流すのか?
彼の境遇は察して余りある。
ツバサはヌンに王という立場から共感を覚えた。
「ありがとう、本当にありがとう……よう来てくれた、ハトホル殿」
幾度となく感謝の言葉を述べるヌン。
ヌンは震える両手で、ツバサの手をしっかと握り締めた。
「……しかし、千里眼で何度もお目に掛かっておったから、その若さで見目麗しくも太母の風格を備えた女神と思いきや……」
――中身は男子だったとはな。
何気なく呟かれたヌンの一言に、ツバサは度肝を抜かれてしまった。
「ッ! お、俺が男だってわかるんですか!?」
男と認められたことに羽鳥翼という男心が喜んでしまう。
わかるとも、とヌンは頷いた。
そして、優秀な若者を褒める先達のように説いてくる。
「いくつもの女神の資質を受け継いでおるようだが、魂の中心にそれらの女神を受け入れる強靱な男子がいることが伝わってくるぞ」
まるでハーレムじゃな、とヌンは羨ましそうに評した。
似たようなこと、ほぼ同じことを誰かに指摘された覚えがある。
ツバサの内には何人もの女神がいると――。
「そなたの男の魂は陽の根幹、それを取り巻く女神たちの資質は陰の歯車、それらが噛み合ってグルグル巡ることで、無尽蔵の力を生み出しておるのじゃろう……そりゃ強いはずじゃわい。納得の強さじゃて」
ヌンはツバサの強さ、その秘密を解き明かしてくれた。
――自然界に満ち溢れる活力。
森羅万象の根幹を司る大地母神となり、無限増殖炉の如く無限大のエネルギーを湧き上がらせる仕組みはここにあるようだ。
ツバサの内に渦巻くとされる、正体不明の女神たちの力。
何人かは心当たりがある。殺戮の女神とか……。
その中心にいる女神こそ――神々の乳母に相違あるまい。
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