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第14章 LV999 STAMPEDE
第348話:アシュラを終わらせた男
しおりを挟む眼下に広がるのは――小さな世界。
島としては大きい部類だが、国としては小さい方だ。現実世界でもこれくらいの小国はいくらでもあった。真なる世界でも珍しくあるまい。
球状の結界内、申し訳程度の海に浮かぶ淡路島くらいの国土。
その形は崩して太らせた二等辺三角形という感じだが、良い案配で島の中央からやや離れた場所に大きな山がそびえ立ち、その手前に広めの平野が広がっていて、水源となるべき湖が清らかな水を蓄えていた。
湖の上には立派な城が浮かび、岸辺には都市が広がっている。
国の代表者が御座す王都と目していいだろう。
王都を中心に道が網目状に伸び、その先に大小の村も確認できる。取り残しがあってはならないので、アリガミは目視で確認した。
「ひー、ふー、みー、よー……指十本使うまではないね」
本当に小さな国だ――先日滅ぼした国と比べたら5分の1もない。
だが、先の国とは比べものにならない覇気が漲っていた。
領土面積は比べるべくもないが、そこに住まう者の強さが段違いだ。LV900を超える者が20人弱、LV999は3人もいる。
「その割には……お出迎えがないね」
無反応ってのは拍子抜けだ、とアリガミは煙草入れを取り出した。
器用に一本だけ伸ばすと唇にくわえて、先端を睨めば火が灯る。
神族様々で技能様々、ライター要らずで助かっていた。
紫煙をくゆらして様子見だ。
アリガミは結界破り担当だが、攻め込んだ結界内の偵察役も兼ねている。もしも出待ちされていた場合、次元の狭間に滑り込んで逃げられるからだ。
次元と空間を切り裂く――アリガミの過大能力。
蕃神という異次元の侵略者がやってくる異空間まで繋げることもできれば、無限のミルフィーユみたいに重なっている異相を一枚ずつ捲ることもできた。
その際、異相に潜む結界も発見する。
つまり――アリガミの仕事は感知器でもあった。
この凶悪な七支刀は見た目の割に繊細な作業もでき、異相を一枚一枚切り分けることもできれば、その切っ先で異相内に潜む違和感も拾うことができるのだ。
適材適所よ、とマッコウさんに言い含められている。
ポケーッと手持ち無沙汰なわけでもない。
のほほんとしている間にも、アリガミは感知系技能を働かせていた。この国の人々が発する言葉をひとつも漏らすことなく聞き集め、その雑然としたノイズみたいな情報から、重要性の高い単語を拾い上げていく。
「ここは水聖国家オクトアード。治めるのはカエルの王様、ヌン陛下」
結界の展開者もヌン――そこまでは判明した。
恐らく、ヌンには結界を破ったことが勘付かれているはずだ。
嫌がらせみたいにあちこち切り裂いて、なんでも溶かす危ない水も引き込んであるし、遅かれ早かれリアクションがありそうなものだが……。
「……あれ? なーんもないね。意外や意外」
やるじゃん――アリガミはヌンを評価した。
結界を破ったのは何者か? どのような意図で潜り込んできたのか?
大抵の結界を張る者は異変を恐れるあまり、自らがいの一番に出向いてくるか、見張りの先兵を送りつけてくると相場が決まっている。
――これが普通の反応だ。
しかし相手が未知であるなら、まずは出方を探るべきだろう。
今回のアリガミのように、相手が手札を小出しに切ってくるなら尚更だ。
不用意に仕掛ければ、どんなしっぺ返しを食らうかわかったものではない。強者であればあるほど、相手が打ってくる手を見極めてから、それを覆すだけの力強い後手を打ってくるものである。
「存外有能だな、カエルの王様。こりゃ侮れないかもねー」
この分だと報連相も行き届いていそうだ。
警備の兵隊にはアリガミたちの侵入が伝えられている可能性が高い。
軽口を叩くアリガミの背後に、大きな気配が立った。
「どんなに弱そうな小物でも侮っちゃダメよ。平和ボケした国だって舐めてかかったら火傷する。獅子は兎を狩るにも全力を尽くすものなんだから」
滅ぼすからには――真心を込めて滅ぼしなさい。
野太いくせに不思議と上品な声に、アリガミは振り向いた。
縦なら2.5m、横は1.5m。
アリガミが過大能力で切り開いた結界の裂け目が、綺麗な布地で埋まっている。布はパンパンになるほど肉を包んでおり、ギュムギュムと大量の肉を無理やりトンネルへ詰め込もうとする音が聞こえてくる。
巨大な何かが――裂け目を通れずに難渋していた。
「ちょっとぉ! もっと大きな入り口を作りなさいよぉ!」
「あのー、成人したオーガでも通れるサイズで開いたんですけど?」
アリガミの言葉に声の主は怒声を上げる。
「度を超したデブのオネエも通れるようにしときなさいよぉ!」
「はいはいただいま……うんこらしょっと!」
叱られたアリガミはそそくさと駆け寄り、結界に手をかけるとシャッターをこじ開けるみたいに裂け目を引っ張って広げてやる。
もはや裂け目ではなく円形の出入り口だ。
直径5mはありそうな結界の穴をのっそり越えてきたのは、全長が3mは超えている超巨大な肉の塊……つまり、おデブちゃんだった。
宙に浮いているのに彼女が足を下ろせば、地響きがしたと錯覚する。
女物の着物を着込んだ極度の肥満体――。
あまりに太りすぎて、球体に顔と手足が生えているかのようだ。
身長も3m越えだが、胴回りも優に3mを数えるのではないかという極端な太り方をしている。特注としか思えない高級友禅の着物を折り目正しく着付けおり、帯を初めとした装飾品も通好みで揃えられている。
首はすっかり肉に埋まり、その上に巨大な鳥の卵みたいなツルンとした顔が鎮座している。目鼻立ちはすっきりしているが、他は贅肉で覆われていた。
化粧も派手すぎず、口紅のみ誇張する濃さで仕上げている。
長めの髪はカールをかけながらド派手に盛り上げており、孔雀色のヘアーメイクがより一層の絢爛豪華さを際立たせていた。
あまりこういう表現は好ましくないが、繁華街の片隅でちょっとキワモノなスナックのママをやっていそうな人物像である。
GM№18――マッコウ・モート。
最悪にして絶死をもたらす終焉を率いるロンド・エンドの相談役にして参謀を務め、傘下に属する者へ采配を振るう頭脳役。
こんな風体ながら最高幹部である。
一見すると太ったオバさんだが、立派な男性だ。
魂の経験値で外見を変えてもいない。
自らをオネエやオカマと声高らかに公言し、デブであることも人に言われるまでもなく自認している。そのことをネタでイジられても皮肉っぽく返すくらいのもので、自分の生き方を邁進する誇り高き漢なのだ。
……ただし、本気の悪口には嘘みたいに敏感なので要注意。
「なぁに、今度の隠れ里は強そうなのが揃ってるの?」
真なる世界から逃げたくせに、とマッコウは毒舌から入った。
「はい、少なくともLV999が3人はいますね」
どないしましょ? とアリガミもお手上げで肩をすくめた。
マッコウは軽く「うーん」と唸る。
実際には興味なさげに「ふーん」と鼻を鳴らしているだけだった。
「今まで滅ぼしてきた隠れ里は、揃いも揃って危機管理能力が欠如してたからあっさり殲滅できたのにねぇ。侵入したら結界を張ってる当人がやってくることもあったから、飛んで火に入る夏の虫と始末して終了……ってこともあったし」
「攻める側としては楽ちんで良かったですよねー」
ここはちょーっと手子摺るかなー? とアリガミは首を傾げた。
「でも――やることは変わりませんよね」
結界の入り口を潜り抜け、同行してくれた仲間も顔を並べてくれた。
女医のネムレス、少年のオセロット、不良のグレン。
ナースっぽいコスプレをしたスタイル抜群の美人医師と、やや病弱そうなところがお姉さま受けしそうなショタ美少年と、チンピラ以上ヤクザ未満の青年だが中途半端に二枚目半な野郎。
まったく関係性の見えてこないトリオだ。
しかし――全員LV999。
しかもロンドさんにテコ入れされる前から、地力でLV995からLV999に到達した筋金入りの猛者揃いである。
真のLV999は、最悪にして絶死をもたらす終焉にも中々いない。
アリガミの知る限りでは、そこまで気合いが入っていたのアダマスやジンカイにリード……といった1番隊の面々と、9人の終焉者くらいのはずだった。
彼らには希少価値があるといっても過言ではない。
だからこそ――この過酷な行軍に選ばれた。
常識が通じず、何が潜むかわからず、神族や魔族といえども生命の維持さえ困難な環境なことがある異相での活動がメインとなるからだ。
その異相へ逃げ込み、隠れ里を設けた亡命者たち。
もし首尾良く真なる世界と人類を廃滅に追い込んだとしても、逃げ癖のついた彼らが別の世界へ逃げ出さないとも限らない。
確実に滅ぼしとけ――ロンドさんからの命令である。
そこでマッコウが人員を選抜した。
異相での活動を苦とせず、鏖殺を実行できる殲滅能力を持つ。
アダマスみたいに侠気から敵を見逃さず、サジロウのように剣客の自尊心で相手に情けをかけることもない。泣き喚く赤子であろうが顔色ひとつ変えず殺して、一木一草から小さな種の一粒に至るまで焼き滅ぼせる非情さ。
それを持ち合わせるのが、この3人である。
勿論、アリガミとマッコウもそれができるし、今日は留守だがロンドさんとの連絡役を務めている幹部のミレンちゃんもメンバーの1人だ。
マッコウはこの6名を“凶軍”と名付けた。
やることは変わらない、そう言ったのはネムレス・ランダだった。
「私も嗜虐をエッセンスに加えた虐殺を楽しみたいので、獲物となる者たちが油断していると気楽で助かりますが、世の中そう都合良く運ぶものではございません。相手が強いというなら、折り込み済みで動くまでです」
皆殺しには変わりません──ネムレスは結論のみを淡泊に述べた。
「オセロット君もそう思いますよね」
彼女は傍らでしゃがんでいる少年、オセロットに同意を求める。
「ぼくは……食べられるなら何でもいいよ」
強い奴のが美味しいけど、と彼らしい感想を述べた。
「そうだな、オセロ坊の言う通りだぜ」
グレンはオセロットの言葉に共感を覚えるのか、荒っぽい性格にそぐわないのっぺりした髪をバリボリと掻いて自分の感想を足してくる。
「殺すにしろ喰らうにしろ、手応えも歯応えもねぇのはゴメンだぜ。オレぁ生菓子みたいにフニャフニャしたのは大っ嫌いなんだよ。殺す気もしねぇ」
かったりぃ、とグレンは口癖を繰り返す。
「かったるいかどうかは、自分の鼻で調べてみてからにしてみれば?」
アリガミは席でも譲るような仕種で手を振るうと、グレンに前へどうぞと道を譲った。グレンは「ウス」と不良の後輩みたいな会釈で前に出てくる。
「おれの調査だとここ、LV999が3人はいるよ」
「マジでぇ!? ガセだったら恨むぜ、アリガミさんよぉ!?」
かったるいと連呼していたグレンは俄然やる気をだした。
野良犬のように鼻をクンクン鳴らして、強者の気配を嗅ぎ分けている。
アリガミも情報収集のために感知系技能を鍛えているが、ことLV999の察知する嗅覚に関してはグレンに敵わない。他の感知系はからっきしなのに、戦闘能力の高さを検出することだけはピカイチだった。
強い奴と戦いたい、それも己を超越する強さじゃないと面白くない。
そいつと戦って──ブチ殺したい。
グレンの願望はそこに集約されており、他はすべて「かったるい」だ。
誰もが敬遠する最強の敵を率先して引き受け、たとえ自分が殺されようとも相手を仕留める責任感にも似た達成感を求める異常な気質。
こういったグレンの特性をマッコウは買い、凶軍の1人に加えた。
(※次点で選ばれたのはアダマス・テュポーンだった)
飽きることなく鼻をひくつかせるグレン。
繰り返す度に口角が釣り上がり、両眼は愉悦から弓なりに曲がっていき、牙のようなギザっ歯を剥いて呵々と大笑する。
ご馳走にありついた野獣の笑みで涎を垂らした
「いるいる! ここは当たりだぜ! LV999が本当に3人もいるじゃねえか! LV900越えも1人や3人じゃねえ! 大当たりだぁ!」
ヒャッホー! とグレンは奇声を上げて喜ぶ。
普段は「ダルい」「めどい」「かったるい」の怠け者三重苦な台詞しか呟かない男が、異常なハイテンションで小躍りしていた。
普段のグレンしか知らないネムレスやオセロットは面食らっている。
『弱い奴をシメるのはダルい』
『雑魚を始末するのはめどい』
『格下を殺すのはかったるい』
以上、グレンの口癖は訳するとこうなるらしい。
最低でも自分が歯牙へかけるに値する者。
LVに換算するとLV910ぐらいが最低ラインらしく、それ以下は見向きもしない。超えていれば遊び相手くらいにはなるという。
猫が捕らえた鼠を嬲るようなものだが──。
そして、自分と同等かそれ以上の実力者を見つけると、喜々として喧嘩を売りに行くのだから生粋の戦闘狂と褒めてやるしかない。
「あたしたちの仕事からすれば目の上のタンコブなんだけどね」
LVの高い連中なんて、とマッコウは難色を示した。
ネムレスも静かに首を前へ傾げて首肯する。
「同感です……殺戮を楽しむ時間はいただきたいですが、あまりに手を焼かされる強さの方がいますと、どうしても手間取ってしまいますから」
「そうかぁ? オレぁ大歓迎なんだがな」
「ちょっとぉ! 脳味噌サ○ヤ人は黙ってなさいよぉ!?」
「グレンさんの場合、遺伝子まで○イヤ人の可能性も捨てきれませんね」
「グレンお兄ちゃんは……サイ○人だった……?」
マッコウのツッコミを皮切りに、ネムレスが追随すると、オセロットも珍しく口の端を緩めた。そのテンポ良い流れにアリガミが笑う。
効率を優先するマッコウにすれば、LV999は邪魔物でしかない。
その邪魔物を駆除する専門業者がグレンである。
「マッコウの姐さん、強いのは全部オレが平らげていいよな?」
残飯処理でもするみたいに請け負ってくれるのだ。
内心「ホント助かるわぁ……」とマッコウも感謝しているのだが、毒舌家な彼女は素直じゃないので弁舌に毒を含ませていた。
「他に誰がやるのよ。1人残らず仕留めちゃいなさい」
「よっしゃあ! 今日は入れ食いだぜ! 前回と前々回は雑魚ばっかで物足りなさの極みだったからな~。いや、ようやく運が向いてきたぜ!」
ボキボキと指を折り曲げるだけで関節を鳴らすグレンは絶好調だった。こうなると口癖である「かったりい」は嘘のように形を潜める。
憂鬱だった表情が晴れ晴れとしていた。
強い奴をブチ殺したい──ドス黒い情熱から生じる笑顔だ。
オセロットは指をくわえ、羨ましそうにグレンを見上げている。
「いいなぁグレン兄ちゃん……ボクも強い人食べたい」
「ダメダメ、オセロ坊にゃまだ早ぇよ。おまえは別のモンで腹いっぱいにしとくんだ。そのうち、いくらでも食えるようにならぁ」
グレンはぞんざいな手付きでオセロットのおつむをポンポンと叩き、「早く大きくなれよ」と励ますように言ってやる。
「おめぇに何かあったら……オレぁサバエの姐さんに呪い殺されらぁ」
グレンが苦笑すると、オセロットも子供らしくはにかんだ。
これから殺戮に出掛けるとは思えない和やかさに、アリガミは胸中で何とも言えない感覚になるが、肺に詰め込んだ煙草の煙で紛らわせた。
滑稽――この単語が似合う。
パンパン、とマッコウが肉饅頭みたいな手を叩く。
「さてと、それじゃあ役割分担をするわよ」
頭脳役のマッコウが作戦参謀を担う。凶軍の5人にそれぞれこの結界内の隠れ里を「如何にして滅ぼすか?」の役割を振り分ける。
「……と言っても、いつも通りなんだけどね」
それぞれの能力が専門的なので、大体やることは決まっているのだ。
マッコウは5人の凶軍に役割を割り振った。
簡単に言えばマッコウは軍を率いて蹂躙、ランダとオセロットは主力陣の殲滅、アリガミは後衛で待機、グレンは遊撃しつつ首魁抹殺である。
「さあ――滅びを始めるわよ」
マッコウは広い背中を向けると、先駆けを務めるように先陣を切って地上へ降りていった。上司がやる気を見せれば部下も動かざるを得まい。
それがマッコウのモットーであり、不言実行したまでのことだ。
~~~~~~~~~~~~
今度こそ──地響きがした。
オクトアードの先端、崖のように切り立った岬。
そこへ自由落下してきたマッコウは過重量な巨体で降り立ったため、着地のインパクトで崖が崩れ落ちてしまった。
足下には崩れた土塊と岩の瓦礫が敷き詰められている。
マッコウはその上に立ち尽くし、右を見てから左側へと首を巡らす。
この異変を嗅ぎつけて誰かが馳せ参じるものかと様子を伺っていれば、耳に群衆の喚き声が聞こえてきた。そちらへ振り向く。
「いたぞ! 不審人物を発見! 明らかにこの国の者ではない!」
「ヌン陛下からの連絡にあった通りだ!」
「結界の外からの侵入者か!? すぐさま取り押さえろ!」
この国の警備兵が隊列を組んで駆けつけたのだ。
「あらやだ、手際がいいのね」
私たちの前にも誰か来たみたい、とマッコウはほんの少しだけヌンというこの国の王に感心した。結界を破っても即応せず、まずは腰を据えてこちらの出方を窺うあたり、自身の能力を弁えて行動もできるようだ。
「ま、あたしの過大能力の前では無意味なことなんだけどね」
マッコウはガスタンクみたいな腹部を手で叩いた。
過大能力――【渇き飢え餓え貪りし冥低世界】
マッコウの腹に異形の門が現れる。
観音開き風の四角い門構えだ。ほぼ正方形で一辺は1mほど。
何万年も邪悪な魔物を封じていたかのように、扉を始めとした建材の隅々にまで禍々しさが染み込んでいる。本当に魔物を封印しているのかも知れない。
門の内側から聞こえるのだ。
門扉を破ろうとする音、折れた爪で引っ掻く音、恨めしそうな悲鳴……。
「はいはい、今開けたげるわよ」
門の内側で騒ぐ者たちへ言い聞かせるようにマッコウが声を上げると、門が仰々しい軋みの音を立てて外側へと開いていく。
死臭に近い臭気が昏い色を帯びた黒煙のように流れ出してくる。
門が全開するのも待てないのか、無数の異形がわらわらと這い出てきた。
それを一言で言い表すなら――餓鬼。
骨に薄皮を張っただけ、それほどまでに痩せこけている。いわゆる地獄絵図などに描かれる餓鬼のようにポコッと腹は膨れておらず、ここも内臓を失ったかのようにスカスカ。比喩ではなくお腹と背中の皮がくっついていた。
言い伝えの餓鬼とは趣が異なるが、やはり餓鬼と呼ぶより他にない。
それほどまでに餓えの気配を発しているのだ。
マッコウの門から現れた――痩せすぎた餓鬼の群れ。
彼らは立ち上がる気力もないのか、ケダモノのように四つん這いなって地面を這い回ると、手に持ったものが何であれ口へ放り込んだ。
土でも草でも虫でも石でも、無機物や有機物も問いはしない。
手当たり次第に何でも貪り食らう様は、まさしく餓鬼そのものだった。
やがて変化が現れる。
餓鬼は食えば食うほど血色が良くなり、肌に張りが出て血管が浮き上がってくる。瞬く間に筋肉も盛り上がり、あっという間に人の形をした筋骨隆々の生き物に変貌を遂げていった。
見違えるほどビルドアップした巨漢。
その巨体が更に盛り上がったかと思えば、彼を苗床にして新たな餓鬼が生まれてきた。成長しきった個体から、新たに十体ほどが産声を上げる。
万物を貪ることで身につけた筋肉。
それは新たに生まれた餓鬼に奪われていき、せっかく成長した巨体は痩せ衰えた元の餓鬼へと戻ってしまう。だが、餓鬼はめげずにまた貪る。
新たに生まれた餓鬼も先輩に習う。
餓鬼があらゆるものを食って巨大化するも、そこから新たな餓鬼がたくさん生まれて痩せ細る。だからまた食らう。それを追うように、新しく生まれた餓鬼も見境なく貪り食って巨大化し、そこから新たな餓鬼が無数に生まれて……。
ねずみ算式どころではない。
餓鬼たちは食べるスピードも速ければ、成長速度も著しい。
マッコウの周囲はすぐさま不毛の地と化した。
あろうことか海水までガブガブと飲み干しており、浜辺の砂まで粉砂糖のように舐め取っていく。後には何も残らない。
このペースで貪れば――この国なら半日で食い尽くせる。
「はいはーい、食いしん坊諸君! このまま国の反対側まで貪りなさい!」
マッコウの指示に餓鬼の群れはなんとなく従う。
彼女の指差す方角へ、いつしか大軍となった餓鬼の群れは前進する。
行く手にある全てを食い散らしながら――。
野火が広がるように、オクトアードの国土が餌食となっていった。
迫り来る脅威に警備兵の隊列は戦慄し、思わず立ち止まる。
「な、んだ……あの異形の者どもは?」
「動く死体? いや、あんな急成長して増殖するものではないはずだ!?」
「土はおろか石さえも食らうだと……そんな生き物いるはずがない!」
警備兵を率いる隊長が腰の剣を抜いた。
「怯むなぁ! ここで食い止めねば国民まで餌食とされるぞ!」
怖じ気づこうとしていた隊に檄を飛ばした隊長は、自らが意気を示すべく先駆けを務めた。餓鬼の群れに怯むことなく単身でも突撃してくる。
この勇気が兵を鼓舞し、彼らも隊列を崩すことなく突進した。
「へぇ……士気が高いのね」
まずは上司が行動で示す――マッコウのモットーだ。
あの隊長と握手したい気分にも駆られたが、これに鼓舞されて後に続く兵隊さんたちの気質にも感心させられた。よく教育されている証拠である。
餓えた餓鬼の群れが襲いかかり、警備兵の部隊が迎え撃つ。
餓鬼の方が圧倒的に数が多いので、人海戦術で一方的に押し潰すかとマッコウは思っていたが、警備兵の皆さんは予想以上に抵抗してきた。
「ただの兵士かと思いきや……魔術も習得してるのね」
剣や槍を振るうだけではない。ほとんどの兵士が魔術を使っていた。
炎や氷の魔法で、餓鬼たちを食い止めている。
餓鬼に囓られる兵士もいるが、それを助けて応戦するだけの力量を持った兵士も少なくない。もしや彼らは精鋭部隊なのではないか?
士気や練度の高さが質実ともに良い――良すぎるくらいだ。
あろうことが餓鬼を倒す者まで現れた。
「やはり……こやつらは動く死体と似たようなものだ! 首を撥ねて火を放ち、燃やしてやれば再生しなくなる! 二度と物を食えない身体にしてやれ!」
隊長の教えに、兵士たちは鬨の声を上げて応じた。
ろくに打ち合わせもせず兵士たちは数人の部隊に分かれると、餓鬼を抑える役、その首を落とす役、残骸を炎の魔術で燃やす役、と役割分担して餓鬼に立ち向かうようになったのだ。その手際の良さは餓鬼の増殖を抑えかけていた。
これにはさしものマッコウもちょっと舌を巻く。
「あらやだわぁ、この国ったら……亡命してるのに気合い入ってるわね」
前回滅ぼした腑抜けの亡命国家とは段違いだ。
一介の兵士――漫画で言えばモブキャラの集まりみたいな連中が、マッコウの創った餓鬼軍団に対抗するなんて予想外も甚だしい。
慌てず騒がずマッコウは考察する。
二重顎を通り越して三重顎に手を添えながら考え込む。
「もしかしてぇ……真なる世界への復帰に備えて、戦力拡充していたのかしら? だとすれば、早めに潰しにやって来て正解かも知れなかったわね」
もしも四神同盟と手を結ばれたら――厄介だわ。
精鋭部隊(仮)は、餓鬼を増殖する前に潰すことに気付いた。
ただの警備兵でも手練れとなれば油断ならない。
「だったら倍の倍の倍の、何乗掛けで餓鬼を増やしたらどうなるかしら?」
本当の人海戦術――見せてあげるわ。
マッコウは腹部に開いた門から、増員の餓鬼を追加で呼び出そうとしたのだが、それにストップをかけるようにポーンと首が宙に舞った。
餓鬼の倒し方を編み出した――精鋭部隊(仮)の隊長さんの首だ。
「オレオレ! オレに殺らせろよマッコウの姐さん!」
グレンが飛び込んできたと思えば、餓鬼にトドメを刺そうと剣を振り上げていた隊長の首をもぎ取るように蹴り飛ばしてしまった。
首から血飛沫を噴いて倒れる隊長。
その亡骸に餓鬼の歯が食い込むよりも早く、その肩を足場に蹴ってグレンは宙を舞い、次の強そうな兵士の頭を蹴り飛ばしていく。
スポポポポーン! と間抜けな音が響いた。
瞬時に血飛沫の柱が何十と立ち上り、数十の首が舞う光景と合致しない。
新たな餓鬼を出さずに済んだわね……。
マッコウは鼻から安堵と不満をブレンドさせた息を吹き出すと、開きかけた腹部の門を閉じた。表に出している餓鬼で間に合うと踏んだからだ。
突如しゃしゃり出てきたグレン。
彼は目星をつけた兵士を片っ端から殺してしまった。
残ったのは文字通りの雑兵ばかり、遠からず餓鬼の餌となるだけだ。
動く兵士の姿が見えなくなり、餓鬼の群れが進軍を再開できたところで、マッコウは腹の底から大声を張り上げた。
「……ったく、こんなとこで寄り道してんじゃないの!」
怒鳴られたグレンはビクン! と震え上がる。
「さっさと一番強いヌンって王様を倒してきな! そのためにアンタは自由にさせてやってんだからね! あたしを助けたとか自惚れんじゃないよ!」
「うへぇ、おっかねえ……ビッグマダムも仰せのままに!」
グレンは長い舌を出して戯けると、そのまま宙を駆けていった。
飛行系技能を使うことなく、まだ残っている兵士を行きがけの駄賃みたいに踏み潰しながら、その反動で跳び上がっているのだ。
どうせ――行く先々でつまみ食いをするに違いない。
暴れん坊の利かん坊に、マッコウは「やれやれ……」とため息をついた。
~~~~~~~~~~~~
オクトアード王城――議会の間。
最奥にオクトアード建国の父祖にして創世神の末裔たるヌン・ヘケト陛下の鎮座する玉座があり、そこから半円形の階段状に議席が並んでいたた
閣僚はヌンの左右に並んだ席を許される。
その他大勢に当たる家臣団は、階段状の議席を埋め尽くしていた。
家臣として古株だったり歴史があったり実績を示した者ほど陛下の間近に座ることを許され、若かったり新参だったり経歴のない者ほど席は遠ざかる。
ただいま――議会は論戦の真っ最中。
厭戦派と開戦派、2つに割れて激論を交わしていた。
「……現状、新しき神族が隆盛を極めんとしているのは事実! しかぁし! 奴等が蕃神と名付けた“外来者”の侵略は未だ衰えることを知りません! 情勢を見極めるには時期尚早! やはりまだ異相に留まり続けるべきなのです!」
厭戦派の若手神族が声高らかに宣言する。
これに異を唱えるのは開戦派の古参神族だった。
「若い者がそんな弱気でどうする!? 我らが王はその可愛い見た目と裏腹に武闘派で名高きヌン陛下! かの《一撃必殺》と謳われた拳聖ノラシンハ師の盟友であらせられるぞ! 新しき神族との共闘! そして打倒蕃神! これらはこの異相への亡命を決める前に下された、真なる世界へ戻る前提条件なのだ! 新しき神族が躍進を始めた今、彼らとの合流と協力はヌン陛下の悲願に他ならない!」
どちらも主張を張り上げ、論争は終わらない。
「これ全部――茶番なんだけどな」
頬杖をついたイムト将軍は忌々しげに舌打ちした。
「いっそ厭戦派を何人か締め上げて、この茶番を終いにしてやろうか……」
ギリッ、と奥歯が痛むまでイムトは歯噛みする。
人間ならば五十絡み、短く刈った髪がすっかりごま塩になっているが、眼光の鋭さと顔の肌艶がいいのでまだ三十代で通じるだろう。
逆三角形になるまで鍛え上げた体躯に、動きやすさを重視した鎧を着込んでおり、他の閣僚が権威付けのために羽織っている豪奢なマントは「動きにくいからいらん」という理由からまとっていない。
戦闘力ならヌンに次ぐ実力の持ち主だ。
我こそはヌン陛下に最大の忠誠心を捧げる忠臣と自負しているため、ガチガチの筋金入りな開戦派である。
ここにいる――厭戦派に回ったボンクラどもとは出来が違う。
「止さぬかイムト。耳聡い奴等に聞かれるぞ」
タフク防衛大臣はそっと窘めた。
年齢はイムトと同い年だが、こちらはタップリとした黒髪を髷のように結い上げており、大きな鼻と柔和な眼差しが大らかな牛を連想させる穏やかな男だ。やはり無造作な若作りのためか、三十代の青年に見える。
イムト以上に恵まれた体格だが、腕も脚も太ければ図体も固太りという恰幅の良さだ。タフクは鎧をまとわず、ライヤも着ていた文官武官問わず着用する制服に袖を通していた。
サイズはXLでも収まらないだろうが……。
イムトは腰に長剣を佩くが、タフクは武装の類を身に帯びていない。
大振りな腰のベルトが、鋼で編んだ特別製というだけだ。
タフクもまたヌン陛下に忠義を尽くす忠臣の1人。
当然、イムトに負けず劣らずの開戦派である。
イムトとは同期の腐れ縁で、生意気盛りの頃にヌン陛下の強さに憧れて弟子入りすると、文武ともに才があったため幕閣に取り立てられた。
イムトとタフクは、兄弟よりも長く共に時を過ごしていた同胞。
ヌン陛下を父のように慕う兄弟弟子でもあった。
「ああ、このバカどもを一喝してギャフンと言わせてぇ……」
憤懣遣る方ないイムトは頭を抱えた。
気持ちはわかるが抑えよ、とタフクは親友を柔らかく気遣った。
「やり場はあるのにぶちまけられない、遺憾を溜め込んでいるのは当方とて同じ気持ちだ。しかし、ヌン陛下も堪えてなさるのだ……」
我らが我慢せずしてどうする、とタフクは眉を険しくする。
陛下の名前を出されては、イムトも項垂れるしかない。
もはや議会の九割に達した厭戦派――。
彼らを不用意に刺激して、悪い方向へ暴走でもさせれば、この狭い結界内で内乱が始まってしまう。身内の同士の争いによる自滅ほど醜いものはない。
内乱となれば狭い国土は燃え果て、国民は傷つき疲弊する一方。
「ヌン陛下はさぞかし悲嘆に暮れるであろうな……」
「ぬぅ……言うなタフク」
わかっておるわ、とイムトは頭を鷲掴みにして苦悩する。
親友の苦しみをタフクは我が事のように察した。
「何より陛下は――この愚か者たちですら愛していらっしゃる」
厭戦派という臆病風に吹かれても、彼らはまだヌンの臣下でありオクトアードに暮らす民。陛下にしてみれば我が子にも等しい、愛すべき存在なのだ。
「我らが王はお優しい……だから当方はお支えしたいのだ」
タフクは嘆息するも微笑みがこぼれてしまう。
「まったくだ。おかげで俺たちが要らぬ労苦を背負わされる」
悪態をつくイムトだが、唇の端は緩んでいた。
お仕えしましょうヌン陛下――我らの身魂が果てるその時まで。
イムトとタフクはその覚悟を決めていた。
それだけの忠誠を捧げられたヌン陛下は、この議会で繰り広げられる茶番劇に呆れ果て、脱走するように抜け出したことも将軍と防衛大臣は知っている。
現在、玉座であくびをしているカエルの王様は偽物だ。
魔法で作られた幻影の影武者に気付いて、秘書官であるライヤ殿も議会を抜け出したので、きっとヌン陛下を追いかけたのだろう。
ならば――問題はあるまい。
イムトとタフクも若い頃のノリでついていきたい衝動に駆られたが、この場で何か起きた時に抑止力となれる地位にある者がいないとまずい。
その権限があるのは自分たちくらいのもの。
厭戦派の茶番に付き合うのは真っ平御免だが、この場を離れるわけにもいかず、かといって鬱憤も吐き出せず、2人は鬱々悶々とするばかりだった。
「皆さん重病ですね――付ける薬がありません」
突然、水を打ったように静まりかえる。
喧々囂々と議論が飛び交う議会。誰が声を発しても騒々しさの津波に呑まれて消えるはずなのに、その女の澄んだ美声ははっきり聞こえた。
玉座で渋い顔のまま座り込むヌン。
その頭上、空間が切り裂かれると声の主が現れた。
異様なくらい眼力の強い美女だ。
背丈は高くもなく低くもなく、メリハリの利いた身体に蒼で染まった分厚い生地で縫製された独特な装束をまとっている。
わかる者は見れば――ナース服と叫んだかも知れない。
だとしても、原型がないほど改造されていた。
上半身は乳房の盛り上がりがはっきりわかるほどピタッと張り付いているが、腰から下は大きく空間を孕んだスカート状になっており、いわゆるワンピースタイプに近い。彼女がゆっくり舞い降りれば、重たげにはためいた。
背なに流れる黒髪は癖のないストレート。
先端が綺麗に切り揃えられている。
頭にはこの世界の住人は知る由もないが、ナースキャップという帽子に酷似しており、十字架を逆にしたエンブレムが刻まれていた。
眼力が凄まじく、瞬きする度にバサバサと音がしそうな睫毛。
それをチャームポイントと認められれば、眉の太さもちょうど良く、鼻も器量よしな高め……素顔はさぞかし美人だと予感させる。
しかし残念ながら、彼女は顔の下半分を隠していた。
ショールのようなフェイスベールで覆っているのだ。顔の輪郭や口の動きこそ透けるものの、全貌はよくわからない。
「皆さん重症です。もはや手の施しようがありませんね」
謎の美女は医者みたいな口振りを続ける。
この議会に集った者を「処置なし」と断じているようだ。
彼女は空間の裂け目から優雅に舞い降りると、足下にいたヌン陛下を押し潰すように玉座へと降り立った。あまりの不敬さに場は騒然となる。
次の瞬間――ヌン陛下が跡形もなく消え去った。
これに家臣団の多くが動揺を誘われる。
揃いも揃って、ヌンが影武者だったことに気付いてなかったのだ。
そこまで茶番劇に熱中していたのか!? とイムトは怒号を上げそうになるものの、そこは気心の知れたタフクが間一髪で押し止めた。
一転――家臣団は殺気を膨らませた。
突如出現した謎の美女への敵意を渦巻かせている。
理由はひとつ、ヌン陛下を足蹴にしたからだ。
厭戦派に回ろうとも、家臣の誰もがヌン陛下には敬服している。
家臣団は彼の偉大さに惹かれた忠臣ばかり。意見が食い違おうとも、この結界で国民を守り続ける陛下の胆力には感服することを忘れていない。
厭戦もまた陛下の結界あればこそなのだ。
虚像とはいえヌン陛下を――この女は踏み潰した。
家臣団の怒りを覚えるのも無理からぬことだ。
「申し遅れました。私はランダ――ネムレス・ランダと申します」
凶病の魔女医――ネムレス・ランダ。
ランダと名乗った美女は、議席に居並ぶ家臣団を見渡した。
「やはり……手遅れですね。もはや快癒も望めないでしょう。ご愁傷様、と診断を下すより他ありません。どんな治療も費やすだけ無駄に終わります」
家臣団を病気と診断するランダは、その病名を告げる。
「あなた方の罹った業病……それは臆病風邪です」
合併症も散々たるものです、とランダは嘆息しながら首を左右に振り、まるでお悔やみでも申し上げるかのように単語を並べていく。
「狡猾、卑屈、後回し、先送り、逃避行動、二枚舌、法螺吹き、茶番劇症候群……よくぞ今日まで恥ずかしげもなく生きてこられたものですね」
私でしたら自死を選んでいます、とランダは言い放った。
嘘つきの卑怯者――。
直接のようだけど婉曲的な罵倒だったが、家臣団には効果があったらしい。火の玉ストレートな正論に反論できず唸っていた。
家臣の誰もがランダから目を逸らす。
彼女の強すぎる眼力で正論を唱えられたため、ついさっきまで茶番劇を演じていた我が身を顧みたせいか、罪悪感で居たたまれないのだろう。
ここに生まれた心の隙が――彼女の狙い目だった。
「矮小な己を思い知りながらも、我が身可愛さに方便を繰り返して、少しでも苦難から遠ざかろうとする……あなたたちはもはや生きる価値もない。心が奥へ引き籠もった時点で死者も同然……死者が生者を演ずるなど烏滸がましい」
ランダの眼力が増幅し、微弱な波動を発するようになった。
「その心の傷、暴いて差し上げましょう」
過大能力――【髄まで掻き毟れ忘却せし心傷】
ランダから360度、全方位に放射される青白い波動。
それは心音のように一定間隔で反復され、家臣団は攻撃的な脅威も感じ取れなかったので防ぐことなく浴びてしまう。
イムトとタフクは咄嗟に防御魔法を発動させていた。
未知の攻撃に抵抗できるか不安はあったが、無防備よりマシなはずだ。
やがて波動を至近距離で浴びた者から変化が現れる。
「陛下……申し訳ありません……王様、ごめんなさい、私は、ボクは……」
大臣の1人が妙な角度で首を曲げたかと思えば、虚ろな瞳となってヌン陛下への謝罪を経でも唱えるかのように繰り返した。
その瞳が濁っていくと、ついには血の涙をあふれさせた。
「おうさま、ごめんなさ……いいいいぃーいっ!?」
血の涙を止め処なく流した大臣は、劈くような奇声を上げるや否や制服を破る握力で胸元を掻き毟り、そこから大量の血を噴き出した。
自らの爪や指で破ったのではない。
これは自傷行為による出血ではなかった。
胸部に違和感を覚えて掻き毟ろうとしたら、古傷が内側からの破られたかのように、凄まじい内圧によって血肉や臓器とともに破裂したのだ。
これが――皮切りだった。
議会内は絶叫鳴り止まぬ血の地獄と化した。
家臣団は次々と同じ症状を呈し、血塗れとなって倒れ伏す。
ほとんどの者が重要な臓器まで爆ぜ、再起不能で絶命していた。
辛うじて難を逃れた者もいないことはないが、全身傷だらけの満身創痍。立っている者を数えたほどが早いくらいの脱落振りである。
「おや……自らの脆弱さを認められる方もいらしたんですね」
ランダは生存者がいることに驚いていた。
イムトとタフクは我が身の不甲斐なさが甦るような記憶を回想こそするが、別段身体が破れるようなことはない。だが、いくつか切り傷が生じていた。
防御魔法のおかげか? それとも素の強さのおかげか?
身体にできた切り傷は古傷のようだが、どれも心当たりはない。
「これは……彼女の能力か?」
タフクは防衛大臣として培った経験から、謎の美女の能力を推察する。
恐らくは――精神の傷を肉体に具現化する能力。
過去のネガティブな記憶を本人が忘れているほど大昔に至るまで掘り起こして、当時の強烈なマイナス感情を呼び起こす。それを肉体を痛烈に損なうほどの物理的な破壊力に変換させているのだ。
実際、タフクも浴びたのでここまで解析できた。
「タフク……やるか!?」
ランダを排除するため攻撃を仕掛けようとするイムトだが、タフクは目線を合わせると小さく首を横へと振った。
「止めておけ……彼女はまだ全力を費やしていない」
家臣団を壊滅に追い込んだ波動――はっきり言ってジャブだ。
それも軽く手を払った程度に過ぎない。
渾身のストレートはまだ影も形も見えてこない。考えなしに踏み込んでカウンターで本命の一発を貰おうものなら、頑強なイムトでも保つまい。
「そうかよ……逃げる算段でもするか?」
イムトは冗談めかしたが、掛け値なしの本気だった。
ネムレス・ランダ――彼女はヌン陛下と同等の強さを誇っている。
ようやくヌン陛下の足下に辿り着いたばかりのイムトとタフクの実力では、二人掛かりで攻め立てても勝ち目はない。
なにせ――未だにヌン陛下に勝てないのだから。
そしてもう1人、彼女の仲間らしき気配が付近に潜んでいた。
こちらの強さもヌン陛下に匹敵する。
陛下1人にコテンパンにされるというのに、あちらが二人掛かりになったらイムトとタフクに勝利の目算など立てられるはずがない。三十六計逃げるに如かずとは、まさにこの不利極まりない状況のことだった。
しかし、生き残った家臣は戦意を昂ぶらせていた。
生半可に強かったため、ネムレスの波動を浴びても動けるのが災いした。
不意打ちを食らったことで頭に血が上り、ヌン陛下を足蹴にされた怒りを倍加させているようだ。各々の得意技で一斉に飛びかからんとする。
「やめろ其方ら! あたら命を無駄に散らすな!」
タフクの懸命な制止を振り切り、ネムレスへの反撃を行う生き残りたち。
過大能力――【万物を暴食する果無の胃袋】。
反撃を試みた家臣団は食べられてしまった。
ネムレスが立ち尽くす玉座、その前に広がる床が迫り上がった。
それは津波のように高々と盛り上がったかと思えば、巨獣の如き大きな口へと変わり、襲いかかった家臣を1人残らず舌で絡め取ってしまった。
小さな菓子でも食べるように一口でペロリと頬張る。
咀嚼される最中、家臣たちの断末魔がくぐもって聞こえてきた。
あまりの悲痛さにタフクは膝から崩れ落ちそうになるが、折れそうな心を懸命に叱咤する。ここで屈するわけにはいかないのだ。
「……野郎ッ! そこにかあーッ!?」
犠牲を払いはしたが、口の本体をイムトが発見したらしい。
イムトは腰の長剣を抜き払い、その幅広い剣身を口の根元へ突き立てた。途端に口はブルブルと震え、子供のような悲鳴を上げた。
「いっ……痛ぁぁぁあああ~いッ!?」
大きな口が引っ込んだ床は泥のように柔らかくなり、沼のように波紋で揺れながら波打ち、そこから小さな影が飛び出してきた。
現れたのは――年端もいかない子供だった。
まだ十代前半、小柄で細い少年だ。
ともすれば少女と見間違えそうな顔立ちである。
ただし瞳はどんよりと澱み、目の下には幾重にも隈が重なっていた。そこから彼が尋常ならざる幼年期を送ってきたことを読み取れた。
ダブッとしたパーカーを目深に被り、短パンにハイソックスにスニーカーという、見る人が見れば路上でスケートボードでもやってそうなスタイルだ。
異質なパーカーのデザインが目を引く。
少年の羽織るパーカーは至るところにジッパーがついており、それがひとりでに開いたかと思えば、見る間に人間の口へと変化した。
パーカーの口はガチガチと歯を打ち合わせ、こちらを威嚇する。
「彼の紹介もまだでしたね。彼の名はオセロット・ベヘモス。ここ最近は大好きなお姉さんの元を独り立ちして、私の助手をしてくれております」
「嫌々だけどね……ロンドさまの命令だから」
オセロットと呼ばれた少年は億劫そうに言い足した。
暴食童子――オセロット・ベヘモス。
少年はダブダブのパーカーから指先を出さず、イムトたちを指差した。
「ランダお姉ちゃん、この人たち……食べていい?」
比喩ではない。あの少年は本当に自分たちを食べるつもりだ。
先刻の光景が瞼に浮かび、イムトとタフクは身震いした。オセロットが本腰を入れて食いついてきたら、身も守る術がひとつも思い浮かばない。
万事休すか……将軍と大臣は必死の脂汗に塗れる。
「待ちなさい、オセロット君」
だが、意外にもランダはオセロットを制した。
「この方たちはLV950程度ですが、油断なりません。どんな戦闘にも即応できる万能タイプです。非戦闘系の私たちには荷が重いかも知れません」
負ける気はしませんが――ランダは優位性に瞳を細める。
「食べてもいいですが、最善の用心を払いなさい」
掲げたランダの両手には、いつの間にか何本もの小刀が指の間を埋めるように挟み込まれていた。あれを投げつけてくるつもりだろうか?
それが現実世界で“メス”と呼ばれる医療器具。
「グレンお兄ちゃんも言ってた……歯応えがある方がいいって……」
オセロットも体中の口をガチガチ噛み鳴らす。その行為が引き金となっているのが、それぞれの口が巨大化しながら触手のように伸びていく。
今すぐにでもイムトとタフクに噛みつかんとしていた。
素直に逃がしてくれるとは思えない。
イムトとタフクは思考を切り替え、捨て身の臨戦態勢を取った。
この美女と少年の強さは異常だ。
立ち向かったところで勝ち目はなく、一矢報いる程度の手傷を負わせられれば御の字だろう。逃げられないのならば、せめてそこを目指すしかない。
ヌン陛下の忠臣として意地を張りたかった。
決死の覚悟を決めたイムトとタフクは、床を蹴って躍りかかった。
そこへ――黒い異物が飛び込んでくる。
王城の壁をぶち破り、飛び込んできたのは漆黒の旋風だった。
黒い風はイムトとタフクの前に立ちはだかると、ランダやオセロットへの行く手を阻むように猛攻を吹きつけてきた。
黒い風の正体が、彼女たちの仲間だと気付かされる。
イムトは振りかぶった長剣を構え直し、漆黒の旋風へと突き立てた。これを横目で確認したタフクも標的を眼前の敵へ変更する。
鋼を織ったベルトを抜き払い、鋼鉄の鞭にして振り回す。
黒い風を縛り上げるようにタフクは鞭を操り、拘束したところをイムトが硬質化させた“気”でコーティングした長剣で刺し貫く。
タフクの鞭もまた、ただの鋼でできた鞭ではない。
この鞭で打たれた者の骨肉を削ぎ落とす魔法が仕込まれていた。
その加減は柄を握るタフクの腹ひとつで決められるが、今回ばかりは対象を絶命させることも厭わない、一切の手加減なしで最大出力である。
コンビネーションは完璧だった――はずなのに。
「悪いな、ランダちゃん&オセロ坊ッ!」
黒い風は粗暴な男の声を上げると、長い腕を伸ばして長剣と鋼の鞭をおもむろに掴んだ。これにはイムトもタフクも目を見張る。
本来ならば、握った手が木っ端微塵に吹き飛ぶはずだ。
剣にも鞭にも、それだけの破壊力を帯びた魔法が込められている。
何より――ヌン陛下より授かった神器なのだ。
本領を発揮すれば山の三つや四つは消し飛ばす威力を誇るというのに、素手で掴んで無傷でいられるはずがない。
しかし、徐々にではあるが破壊されているのは、イムトの長剣とタフクの鋼の鞭だった。黒い風の握力によってボロボロと砕かれていく。
いや、黒い風の手も傷ついている。
傷ついた傍から、白煙を上げる勢いで血肉が再生しているのだ。
超高速自己再生能力? いや、再生するごとに強力な強化も働いているのか? それも尋常ならざる魔力と評すべきだろう。
バキン! と乾いた音と立てて剣と鞭は折れた。
黒い風は牙だらけの歯並びで、残酷極まりない笑みを浮かべる。
「ちょっとつまみ食いさせてもらうぜぇ!」
イムトとタフクは同時に、まったく同じ言葉が脳裏を過った。
敬愛するヌン陛下……申し訳ありません。
~~~~~~~~~~~~
結界に侵入者を感知してから――わずか5分。
事態は最悪な状況に転びつつあった。
家臣団は厭戦派も開戦派も関係なく壊滅した。最後まで生き残っていたイムトとタフクの気配もたった今潰えた。ヌンは悔しげに黙祷する。
一方、国土の端から生命が急速に失われている。
警戒するよう連絡した精鋭部隊の応答もない。
もうすぐ村のひとつに滅びの気配が忍び寄り、そこに暮らす国民を慈悲なく容赦なく食い散らかすだろう。今すぐに飛んでいって助けたい心境だ。
ヌンは深刻な表情のままライヤに下知を飛ばす。
「ライヤよ、孫たちとともに養育院の子らを例の離島へ避難させよ」
「あの……非常時に備えると仰っていた離島ですか?」
ヌンはエンオウたちをオクトアードから脱出させる際、小型の結界に包んで弾丸のように撃ち出すことで、真なる世界へ送り届けようと計画していた。
――この脱出計画には元ネタがあった。
今回のような緊急事態が起きた場合、国土と一緒に結界へ取り込んだ小さな離島へ国民を避難させて、その離島を結界で包んでからオクトアードより撃ち出し、真なる世界へ返すという避難計画である。
脱出艇ならぬ脱出島というわけだ。
「まさか本当に使う日が来てしまうとは……」
準備は万事整えておくものじゃな、とヌンは虚しく呟いた。
「近隣の住民にも声をかけて誘導してやれ。わしはこれから王都へ向かう。国民をなるべくそちらへ逃がすから、できるだけ受け入れてやってくれ。離島を結界から撃ち出す時は合図を送るから……迷わず行くんじゃぞ」
「お祖父さまは……」
答えはわかりきっているが、ライヤは問い質せずにいられまい。
ヌンは孫娘に背を向けると王城の方角を見遣る。
そちらから凶悪な気配が複数、近付きつつあった。
まだ彼らの姿が見えていないのに、ヌンはそこに立ち向かうべき障害を見据えるように眼を眇めると、王の責務を淡々とした口調で告げた。
「最後まで戦う。それが王というものじゃ」
沈む船から真っ先に逃げる男に船長が務まるものか。
「国とて同じじゃ……ここで我が身可愛さに真っ先に逃げるような王なら、わしを信じてついてきてくれた民草に立つ瀬がなわい」
でもな……とヌンはカエルの口を限界まで開いて長い長いため息をついて、肺が破裂しそうな勢いで空気を吸い込んでから叫んだ。
溜め込んだ鬱積を吐き出すように――。
「だからさっさと真なる世界へ戻ってりゃ良かったんじゃ!!」
ヌンは腹立ちを吐き捨てるように吠えた。
その咆哮は養育院を震撼させ、子供たちの悲鳴が聞こえるほどだった。
「ハトホルと手を組んでりゃな! また蕃神と戦うちゅう怖さはあったろうが! それ以上の幸をもたらしてくれたはずなんじゃ!」
こん馬鹿者どもがぁ――ヌンは激昂とともに涙をまき散らした。
今のは厭戦派への手向けである。
肩で息をするほど大声を出したヌンは深呼吸で冷静さを取り戻すと、詫びるような視線でエンオウに振り返った。
「どうやら敵は蕃神ではない。新しい神族の気配がする……ハトホルたちとは似ても似つかない気配じゃがな。わしらのような引き籠もりのことを知って、快く思わぬ輩はいくらでもおる……そういうのが仕置きに来たのかも知れん」
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「すまんなエンオウ君、また追加で頼み事じゃ」
聞いてくれるか? とヌンは請う。
エンオウは何も言わず、空の彼方を見つめて立ち尽くしていた。
耳を傾けてくれている信じて、ヌンは願い事を紡いた。
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瓦礫を弾いて、戦塵を振り払い、黒い颶風が舞い込んでくる
「よぉ、誰かと思えば円央じゃねえか」
現れたのは――ガラが悪そうな1人の青年だった。
久し振りに再会したみたいにエンオウへ片手を上げて挨拶してくるが、彼を見るなりエンオウの膨張した“気”は臨界点に達した。
爆発すれば養育院一帯は消し飛んでいただろう。
エンオウはすんでの所で堪えると、怒気を孕んだ声で闖入者の名を呼んだ。
「虞錬……おまえか」
どうやら知り合いらしい。それにしてはエンオウと家族のように暮らしてきたと自慢するモミジの態度が不自然だ。
兄貴分であるエンオウの背中に隠れ、グレンと呼ばれた青年を訝しむ。
「若旦那……このヤンキーみたいな人とお友達なんですか?」
モミジは恐る恐る尋ねた。
エンオウは見たことないほど眉間を寄せ、不快感を露わにする。
「こんな奴、友と呼ぶのもおぞましい……ッ!」
「あーりゃりゃ、やっぱ嫌われてんのなオレ。九部集だったおまえがその様子なら、八部衆のお偉方には不倶戴天の怨敵とでも思われてんのかね」
しかし、グレンに応えた様子はなく暢気なものだった。
ところでお嬢ちゃん――グレンはヤンキー呼ばわりしたモミジに声をかける。
モミジはエンオウのズボンを掴み、更に背中へと隠れた。
「こんなヤンキーはおらんだろー? オレ的には野武士とストリートファイターを自己流でアレンジしたつもりなんだけどな。どう、カッコいい?」
グレンは自慢げに自らの特異なファッションをひけらかす。
長身で筋肉質――恵まれた格闘家向きの体格。
エンオウも190㎝を超えるが、グレンもそれに匹敵する。筋肉量ではエンオウが上回るものの、しなやかさではグレンに軍配が上がりそうだ。
女性受けしそうな優男の面構えだが、滲み出る野性というか凶器のように物騒な雰囲気を隠せていない。のっぺりした癖のない髪を乱雑に伸ばしており、身だしなみにはあまり気を遣うタイプではないらしい。
上半身は何も身につけず、見事なシックスパックの腹筋にきつくサラシを巻いている。ダブッとしたズボンをはき、何も履かない素足である。
これだけなら半裸の若者だが、もう一つだけ衣装を羽織っていた。
ボロボロの着物らしきものを肩にかけているのだ。
これがまた悪趣味なデザインで決めている。
背中に大きく“獣”という字が三つ、三角形に並んでいた。
それ以外にも着物には大小の漢字が染め抜かれており、野獣、猛獣、狂獣、牙獣、剛獣、毒獣……と獣にちなんだ二文字がランダムに配置されている。
獣――この青年を表すに相応しい一字だ。
エンオウは誰を見つめる時も優しさを忘れない。
だが、グレンだけは特別扱いなのか、凶暴な野良犬を警戒するような双眸で睨みつけていた。今にも殴りかかりそうな剣幕である。
「まさか……おまえが真なる世界にいるとはな」
「驚かねぇのか? 刑務所在住のオレがここにいることに」
「まあ、そういうこともあるだろうさ」
予感があったんだ――エンオウは語り始める。
「俺もおまえも肉体派と揶揄される、いわゆる脳筋と馬鹿にされるような筋肉バカの体育会系人間……それなのに、おまえはアシュラ・ストリートにあんなものを持ち込んだ……裏で手引きした人間がいなければ辻褄が合わない」
ウィング先輩や獅子翁さんは――そう結論づけた。
「俺も同意見だ……あれはおまえ1人がやらかした事件じゃない」
エンオウの説明にグレンは何も言わない。
噴き出しそうになる笑いを我慢するかのような表情を浮かべていた。
構うことなくエンオウは言葉を続ける。
「おまえに聞き出そうにも、刑務所に送られてからは会いに行く気も起きなかったからな……だが、おまえの後ろに誰かいる、という疑惑は深まるばかりだ」
そいつがグレンに――アルマゲドンをやらせたのか?
「おーやだやだ、再会してすぐに秘密を7割方バラされちまったよ」
名探偵かおまえは? とグレンは陽気に茶化す。
エンオウの推理を認めたようなものだが、知られたところで「だからどーした?」という態度を崩さない。あるいは気にしていない。
それがエンオウの燃え盛る怒気を、逆撫でするように煽っていた。
知り合いみたいに話すのを2人を外野は見守るしかない。
見るに見かねたヌンが質問してみた。
「エンオウくん、君は……この男と知り合いなのか」
「残念ながら顔見知りです……友人どころか知人とも思いたくない」
アシュラ・ベスト16の1人――虞錬。
殺し屋グレン、殺戮師グレン、ぶっ殺しのグレン……とにかく、“殺す”にまつわる異名がつけられたことで悪名が売れたプレイヤー。
アシュラ・ストリートは格闘を楽しむVRゲーム。
対戦相手を死に至らしめる手段もなくはないが、そこまでオーバーキルな行為をするとペナルティーが課せられ、強制ランクダウンを受けたり、数日間のログイン不可を申し渡される。
グレンは――嬉々として殺害行為を繰り返した。
課せられたペナルティは加算されてえらいことにっていたはずだが、それなのにアシュラベスト16に数えられたことが奇跡だったという。
「またの名を……“アシュラを終わらせた男”です」
悔しそうなエンオウの言葉に、モミジはピンと来るものがあったらしい。
「アシュラを終わらせたって……若旦那、まさかこの人は!?」
エンオウは手の皮が破れそうなほど拳を握り締める。
噛んだ唇からは血が流れ落ちていた。
「そうだ、こいつは……事もあろうか電子ドラッグ“英霊への道”なんてものをばら撒いて、多くのアシュラプレイヤーを廃人に追い込み、挙げ句その罪をアシュラになすりつけた大馬鹿野郎だ!」
指を差して糾弾するエンオウだが、グレンはどこ吹く風だ。
小指で耳の穴をほじっている。
「事実だから否定はしねえよ。誤解はあっけどな」
アシュラを終わらせるつもりはなかった――そうグレンはぼやいた。
「おまえの言葉など信じられるか!」
「つれねぇなぁ。あんなに殺し合って切磋琢磨した仲じゃねえの」
悲しいぜ親友、とグレンは心の底から残念そうに顔を歪めた。
すぐに脳天気な表情へ立ち返るのだが――。
「あ、そうそう、グレンって名前の読みは変わんねーけど、フルネームはアルマゲドン風に変えといたんだった。知った仲でも礼儀ありだ」
名乗らせてくれ、とグレンは意気揚々と新しい名前を告げる。
「鏖殺師――グレン・ビストサインだ」
改めてヨロシクな、とグレンは親指で己を指し示した。
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