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第14章 LV999 STAMPEDE
第346話:アシュラ“九”部衆?
しおりを挟む「――陛下! ヌン陛下!」
名前を呼ばれたヌンは我に返った。
二進も三進もいかぬ現状がもどかしいあまり、湖上の回廊を歩いている途中で立ち止まって作り物の空を見上げると、もう会えないかも知れない悪友の顔を思い描きながら考え事に耽っていたようだ。
近付いてくるヒールの高い足音に振り返る。
ヌンを追ってきたのは可愛い孫娘の1人だった。
秘書官――ライヤ・キンセーン。
20人いるヌンの孫でも取り分け有能な娘である。15番目という孫の中でも若い部類ながらも、ヌンの秘書官を務めているのがその証拠だ。
彼女は灰色の御子である。
ヌンの息子が亜神族のハイエルフとの間にもうけた娘だ。
父であるヌンの血筋としての力を受け継ぎ、母であるハイエルフは最高位の王族という血統が幸いしたのか、「エルフの神族」と評されるほどの素質を持って生まれてきてくれた。次世代を担うに相応しい御子の1人だ。
「また会議を勝手に抜け出されて……困ります!」
会議の書類をまとめた封書を胸に抱いたライヤが追いかけてくる。
150㎝くらいしかない小柄なヌンと比べたら、170㎝手前のライヤは見上げなければならない。エルフの血のおかげがスラリとした体型だ。とびきりのグラマラスではないものの、程良い発育ぶりは誰もが認めるところだろう。
顔立ちもエルフ譲りの美貌である。
カエル面に似なくて良かった、とヌンは安堵していた。
先祖である創世の神獣から受け継いだカエルの顔にヌン自身はコンプレックスを持たないが、若い世代を気遣うセンスはあるつもりだ。
年頃的には少女を抜け出して大人になったばかり。まだあどけなさが残っており、老境に達したヌンから見れば若々しく初々しい。
金髪は風変わりな癖っ毛で、いくつもの束のように分かれがち。
それでも構うことなく腰に届くほど伸ばしているので、遠くから見ると頭からライオンの鬣みたいなファーでもかぶっているように見える。前髪もフサフサで目線さえ隠れそうになっていた。
ゆったりした魔術師風の装束に軍服の要素を足した服を着ている。
これはオクトアード王宮で使用されている制服(※男女デザイン差あり)。
武官や文官も関係なく、官僚はこの制服に身につけていた。
ライヤはヌンを追いかけながら声を張り上げる。
「厭戦派も開戦派も勢力はほぼ均衡してるんです。双方の言い分を聞き分け、今後どうするかの采配を陛下に執ってもらわなければ……」
「……おいおい、ライヤ」
いつも言っておろうが、とヌンは立ち止まった。
あからさまに期待外れな顔で振り返る。
「ふたりっきりの時は遠慮なく“お祖父ちゃん”と呼んでいいんじゃぞ」
「秘書官がそんな公私混同は許されません」
ぴしゃりと言うヌンに、ライヤはぴしゃりと返してきた。
ヌンは剽軽に小首を傾げながら再挑戦する。
「……“お祖父さま”でもいいんじゃよ?」
「プライベートでならいくらでも呼んで差し上げてるじゃないですか」
優秀な孫娘はにべもない、仕事優先のキャリアウーマンだ。有能すぎるのも考えもんじゃな、とヌンは遊び心の足りない孫娘にガッカリした。
そんなことより! とライヤは声音を強める。
「どうしてまた会議を抜け出すんですか!? もう1年になるんですよ、厭戦派と開戦派の論争は……いつまで経っても結論が出ないじゃありませんか!」
「当たり前じゃそんなもん――結論を出す気がないんじゃから」
ライヤの抗議に間髪入れずヌンは即答した。
その返答が意外すぎたのか、脳が理解を拒んだライヤは固まってしまった。その間にヌンは蛙の口を大きく開けてあくびをする余裕があった。
「…………はあっ!? 結論を出す気がないって……えええーっ!?」
予想外すぎてライヤは信じられないらしい。
優秀なのは確かだが――この孫娘は生真面目が過ぎる。
物事を額面通りに受け取り、相手の腹の内までは読めないらしい。若さゆえの真っ直ぐさなのだろう。駆け引きの手練手管を学ぶのはこれからだ。
ヌンはその老獪さでレクチャーしてやる。
「ま、ワシが魔法で拵えた影武者に気付いたのは褒めてやろう」
影武者にすり替わったことを見付けたのはライヤくらいのもの。
他にも気付いた優秀な家臣はいたがスルーしたようだ。
「会議に夢中なフリをする家臣どもは気付く素振りさえ見せんかったからな。そんな余裕もないくらい演技に打ち込んどる……ったく、その努力を真なる世界へ帰るために使えっちゅうんじゃよ……なあ?」
「夢中なフリ……会議も演技……どういうことですか?」
ヌンの台詞の中から気になる箇所をライヤはピックアップした。
それこそがヌンの説きたい要点でもあった。
カツン、と杖を鳴らしてヌンは重点を教えてやる。
「奴等は結論を先延ばしにしたいんじゃ、すべてが終わるまでな」
蕃神が真なる世界を侵略し尽くすか――。
地球から訪れた新しい神族が蕃神を駆逐するか――。
あるいは双方が都合良く相撃つか――。
「そうした終わりをな……その時こそ、オクトアードも一巻の終わりじゃ」
阿呆どもはわかっておらん、とヌンは無念そうに嘆息した。
たとえば――厭戦派が主流となった場合。
オクトアードはこの結界に護られたまま異相に閉じ籠もり、真なる世界のいざこざは徹底的に無視することを決めるだろう。仏ほっとけ神構うな、と言わんばかりにこの結界内でのほほんとした生活を送る気満々だ。
蕃神と新しい神族が共倒れになる――漁夫の利を望む輩も少なくない。
「そ、そんな卑劣なことを考えてる方がいるんですか?」
ライヤは声が震えるほど感情的になりかけていた。
身内にそこまでの卑怯者がいることを信じたくないようだ。
「言葉こそ『両者が全面戦争になればどちらも消耗しますよね?』とか微妙なオブラートで包んどるがな……それを狙ってると言っとるようなもんじゃ」
あるいは新しい神族の勝利を願う者もいる。
これはこれで複雑な気持ちになるらしい。
彼らは強大な力に目覚めた新しい神族だが、ヌンの家臣団の半分以上が「所詮は人間という下等種族からの成り上がり」と見下していた。
現在、新しい神族が真なる世界で一大勢力となっている。
これはヌンの入手した情報によって、オクトアードでも周知の事実だ。
しかし、一部の家臣は彼らに良い感情を抱いていない。
前述通り――人間風情と蔑んでいるからだ。
「……そういうのに限って厭戦派じゃからタチが悪い」
ヌンは蛙の長い舌で大きな舌打ちをした。
ヌン自身、新しい神族を色眼鏡で見ることはない。
むしろ愛しい孫たちと同じくらい愛着を覚えていた。なにせ彼らも神族や魔族の因子を受け継いだ末裔、未来の真なる世界を築いてくれると信じている。
だが見栄っ張りな連中はそれができない。
余裕のない狭量な精神性から、差別意識を持ってしまっているのだ。
内心ではいくら見下そうとも実力の差は歴然である。
地球産の神族は強い――真なる世界産よりも遙かにだ。
恐らく、魔族も同様であろう。
このオクトアードで新しい神族と対等に渡り合えるのはヌンくらいのもの、家臣たちは彼らに付き従う亜神族にすら遅れを取るはずだ。
家臣のほとんどは神族だが、もはや往年の力を発揮できまい。
500年に及ぶ亡命生活ですっかり鈍っていた。
なのに気位を錆びつかせていないのが問題なのだ。
最前線に立つ屈強な新参者に、脆弱な先住民族を如何にして敬わせるか?
そんな愚策を巡らすことに腐心する始末である。
「人間から神族となった者にどうやってマウントを取るか? そんな取らぬ狸の皮算用をしとる阿呆ばっかりじゃ……厭戦派はな」
困ったもんじゃい、とヌンは頬袋を膨らましてケロケロと鳴いた。
一方――再戦派の意見が通った場合。
これはもう簡単、水聖国家オクトアードは結界ごと異相から脱出。真なる世界で蕃神と激しい抗争を繰り広げている新しい神族の国家と合流。彼らと連合を組んで戦力を増強させ、蕃神を撃退しながら復興事業に取り組めばいい。
「それこそ……ヌンの望む未来像よ」
みしり、と軋むほどヌンは手にした杖を握り締めた。
再び蕃神と相見える――息子や娘の仇を討つ。
想像しただけで怒気を孕んでしまい、それが覇気となって滾ってしまった。熱い蒸気のようなオーラが激しい熱風を巻き起こす。
間近で浴びたライヤはたじろぎ、流した冷や汗が乾くほどだった。
孫の怖じ気を察したヌンは荒ぶる気迫を抑える。
熱気を鎮め、冷静さをアピールするように解説を続けた。
「……とまあ一見するとだ、家臣どもは厭戦派と開戦派に分かれて議論をぶつけあっとる。この1年、その論争はヒートアップする一方じゃ」
これ全部――演技なんじゃけどな。
ヌンは猿芝居を見せられた観客のように鼻を鳴らす。
そこが信じられないライヤは問い詰めようとしたが、ヌンが先に口を開いたので言葉を呑み込んだ。ヌンは諭すように真相を明かしてやる。
「原因は2つ――いや、厳密に言えば1つじゃ」
ヌンにはノラシンハという悪友がいる。
彼は『三世を視る眼』という遠隔視をより洗練した能力を会得しており、ヌンにも手解きしてくれた。ヌンはこれを使い、異相を漂う結界の中からでも真なる世界の状況を知ることができた。
この1年、真なる世界は激動に見舞われていた。
灰色の御子の決死隊とも言うべき一団が地球に渡って500年。ついに待ち望んでいた人間という新戦力を連れてきたのだ。
どのような手段を用いたのか、人間たちは新たな神族や魔族となっていた。
真なる世界へ降り立ち、手探りでこの世界に適応していく。
その前向きな姿勢は目を見張るものがあった。
彼らの成長を遠隔視で眺めるのは、ヌンにとって無聊の慰めだった。
特に活躍めざましいのが――ハトホルと名乗る地母神だ。
「ハトホルか……懐かしいのぅ」
同じ名を持つ女神が知己にいたヌンは懐古の念を覚える。
新しいハトホルはヌンの知るハトホルによく似ていた。
「――特にあのドムンドムンな胸がな」
ボインボインなんてありきたりな擬音では片付けることができない、超重量級の乳房を思い出してヌンは口の端を緩めた。
「孫娘の前でも平気でセクハラ発言かますのおやめください」
エロジジイ、とライヤの目付きが厳しい。
でも堅苦しく陛下と呼ばれるよりヌンは好きだった。
「胸はさておき――わしゃハトホルの大ファンなんじゃよ」
昔のハトホルも今のハトホルも、である。
娘なのか愛人なのか美少年なのか美少女なのかわからないが、主神の王権を受け継いだカエサルトゥスという英雄神を相棒に、頼もしい神族を仲間に引き入れ、蕃神の眷族どころか王さえも蹴散らしてくれた。
あの還らずの都建造を決定付けた伝説の蕃神『祭司長』と名付けられた超絶的な災厄をも撃退してくれたのだ。
破竹の快進撃を続けるハトホルに、ヌンは胸が空く思いだった。
年甲斐もなく、子供の頃に聞いた英雄譚に思いを馳せた少年の心を取り戻しそうになったくらいである。
彼女たちと協力すれば蕃神を駆逐するのも夢ではない!
真なる世界もより良く復興できる! と希望を抱かせてくれた。
現にハトホルは路頭に迷う多くの種族に手を差し伸べて、その保護下において失った文化を取り戻すように働きかけてもいた。
迷える種族を導いて国家を築くに留まらない。
同等の力を持ち、仲間と種族を率いて国を作る新たな神族たち。
イシュタル、ククルカン、タイザンフクン……。
国こそ持たないが戦闘技術に優れた傭兵団を率いると思われるモモチに、ヌンも王城修理を頼みたい建築家集団を束ねるライジングサン……。
彼らとの対等な協力関係を結び、もやは同盟といっても過言ではない強大な連合国へと成長しつつあるのだ。ヌンは惜しみない拍手喝采を送った。
「是非とも我がオクトアードも加えてもらいたいもんじゃ」
ヌンが希望的観測を口にすると、ライヤの表情もわずかに華やいだ。
賛同するように弾んだ声で続いてくれる。
「それ、会議の度に仰ってますものね。私も期待してます」
ライヤも記憶に新しいのだろう。
ヌンは遠隔視で見たハトホルたちの活動を映像化して編集。ダイナミックな物語調に加工して、会議の時には参考資料として視聴会を開いてきた。
獅子奮迅な彼女の働きぶりから勇気を受け取ってほしい。
異相に創られた結界から出て、真なる世界に戻る時が来たのだ。
そう奮起を促したつもりだったのだが……。
「……それが裏目に出るとはなぁ。予想外すぎて言葉もないわ」
「え、裏目ってたんですか!?」
私やる気が出ましたよ! とライヤは率直な感想を言ってくれた。
孫娘の健気さにヌンは胸がキュンとなった。
「私だけじゃありません! お姉ちゃんお兄ちゃんたちも……もちろん、弟や妹たちだってそうです! それに将軍さんや防衛大臣さんも……」
「うん、そうじゃな……ライヤが名前を挙げてくれた面々のやる気は伝わってきとるよ。そいつらは開戦派じゃからな。でもな、逆に言うとじゃ……」
――開戦派はそれしか残っておらん。
ヌンは杖を小脇に抱えると、水掻きのある両手で顔を覆って呻いた。
えええーッ!? とライヤが声に出さない悲鳴を上げる。
「じゃ、じゃあ開戦派はお祖父ちゃんの孫である私たちと、将軍と防衛大臣さんの派閥だけ……全体の1割じゃありませんか!?」
パニックになりかけるライヤは、秘書官として取り繕うのも忘れてヌンを陛下と呼ばずお祖父ちゃん呼びするほど取り乱していた。
その揚げ足を取ることもできず、ヌンは詳らかにしていく。
「……そういうことじゃ」
元々――ヌンは家臣団に宣言していた。
『灰色の御子が人間を連れてきたら戦線復帰するぞ』
これに賛同してくれたので、ヌンも異相への亡命を決めたのだ。
異相に逃れて100年後――変化が現れる。
いつ蕃神に襲われるかわからない日々から解放され、結界内の平和な生活に慣れてきた数人の家臣が「このままでいいのでは?」と提言してきた。
これが厭戦派の始まりである。
490年も経つと厭戦派が増えに増え、家臣団の半分に及んでいた。
それでも1年前までは厭戦派と開戦派は五分五分だった。
しかし、ヌンが「良かれと思って」見せた映像が災いしたらしい。
「元人間であるにも関わらず、自分たちより遙かに強いハトホルたちを見せられて『もうあいつらだけでいいんじゃないかな?』と心が弱ったところに、還らずの都を襲った超巨大蕃神『祭司長』を見ちまったのが祟ったんじゃ……」
弱り目に祟り目とはまさにこのこと。
これで開戦派も心が折れてしまったらしい。
特に『祭司長』に関しては伝聞情報のみだったのが災いした。
大半の家臣は「臆病者の過大評価」と高を括っていたようなのだ。目の当たりにした本物の迫力は想像を絶しており、誰もが言葉を失っていた。
片手で大陸を握り潰しかねない、文字通り「次元の違う」のスケール。
あまりに圧倒的な力を目の当たりにした多くの家臣は敗北を認めてしまった。戦う前から臆病風に吹かれて逃げ出したも同然だった。
心が折れなかったライヤは国民栄誉賞ものである。
ヌンの気質を強く受け継いでくれた孫たちと、片腕とも呼ぶべき将軍や防衛大臣には王として賛辞を送りたい。自慢の孫たちと頼れる腹心たちだ。
「確かに、あの大きな手は衝撃的でしたけど……」
「この結界で平穏というぬるま湯に浸かった連中には効いたんじゃろう。あいつらは蕃神との戦争で辛酸を舐めさせられたから尚更じゃ」
せっかく癒えた心の古傷に塩を擦り込まれたくないのだ。
これで開戦派の4割が厭戦派に寝返った。
もはや開戦派は1割強、残り9割弱は厭戦派に回っている。
ここでライヤが最初の疑問に戻った。
「でも……会議は未だに開戦派と厭戦派が真っ二つに割れてますよ?」
「だから、それこそが連中の演技なんじゃよ」
開戦派から厭戦派に回った連中はわかっているのだ。
「バカ正直に『厭戦派が9割になりました! 多数決なのでこのまま異相に留まっていましょう!』なんて宣言してみろ。わしがどうすると思う?」
「……大激怒ですよね、お祖父ちゃんの性格からして」
当たり前じゃ、とヌンは語気を強めた。
暴君の水で満たされた水性の異相空間。
その海に浮かぶ水聖国家オクトアード――それを包む防護結界。
この防護結界を張る主こそヌン・ヘケトである。
ヌンは愛嬌のあるカエルの王様にしか見えないが、その実とんでもない武闘派として知られている。ハトホルたちとタメを張れるほどの神威の持ち主でもあり、家臣団も弁舌でこそ抗えるが実力では決して逆らえない。
何より、国家を護る結界の維持者。
結界を張るも破るもヌンの気分次第である。
異相を出て真なる世界へ帰る――この決定権もヌンにあった。
家臣団がいくら「厭戦派です! 異相に留まりましょう!」なんて多数決という民主主義を盾にしても、ヌンが「いいや開戦だ!」と言い張れば実力行使できてしまうということだ。
この国の命運は王が握っている。
いざとなれば王権という強権で独断専行する暴君にもなれるわけだ。
「でも、そんなことしたら厭戦派の人たちは国民を人質にとって内戦を起こす……って匂わせてますよ? どうするおつもりですか?」
「はん、あの腰抜けどもにそんな覚悟などありゃせんわい」
ライヤの危惧をヌンは笑い飛ばした。
ただし、その笑いはかなり自棄っぱちである。
確かに厭戦派にはそんな覚悟も度胸もない。
しかし、ヌンが「開戦だ!」と強硬姿勢に出れば、なり振り構わず足を引っ張るような真似をするに違いない。その懸念はどうしても拭えなかった。
結果、国民に被害が被れば最悪の事態となる。
罪もない国民が巻き添えにされるのを、ヌンは何より恐れていた。
だから思い切った行動に踏み出せないのだ。
「どちらにせよ――この国はもう詰んどるんじゃよ」
ヌンは残念な想いを露わにして打ち明けた。
「厭戦派が主張を通そうとすれば、わしが怒って真なる世界へ戻ろうとする。そうすれば誰も望まぬ内戦が勃発し、この少ない国土と民草が傷つくのは明白……結果として国はゆるやかに衰退するじゃろう」
家臣や国民を失えばヌンの心もまた折れる。
そうなればハトホルと合流したところで、役立たずのクソジジイだ。
「かといって厭戦派のいうことを鵜呑みにして異相に留まれば、それもまたこの国を滅亡へと導くであろうな」
蕃神が真なる世界を完全に制圧した場合――。
「何も彼も終わりよ。ぜーんぶ吸い上げられてお終いじゃ」
エネルギーの搾取しか頭にない連中は、真なる世界が無に帰すまで搾り取ることだろう。その結果、真なる世界に付随している異相もいつかは搾取されることとなり、一緒に消え果てる運命にある。
異相に潜む亡命国家など言わずもがなだ。
新たな神族が蕃神から真なる世界を護った場合――。
「真なる世界は平穏を取り戻すだろう。我らが羨むような新世界がそこに広がっているはずだ。さて……どの面下げて会いに行けばいいと思う?」
真なる世界が平和になれば、戻りたくなるのが心情だ。
新しい神族が蕃神を相手に四苦八苦している中、のほほんと傍観を決め込んだくせして、安全が確保されたら我が物顔で戻ってくる亡命者たちを……。
「ハトホルたちは喜んで迎えてくれるかのぅ?」
「……良くて迫害か追放、悪ければ一族郎党皆殺しですかね」
そういうことじゃ、とヌンはため息をついた。
守りに逃げれば確実に詰みとなる。
ここは無理を押してでも真なる世界に戻り、ハトホルが率いる同盟国家に参加せねば、水聖国家オクトアードに展望ある未来はやってこないのだ。
「だが……家臣どもはダメだ。ありゃあ参っちまっとる」
もう一度――蕃神という脅威に立ち向かうのが恐ろしくて堪らない。
たかが人間――そう侮った新たな神族と肩を並べることができない。
「魂に刻まれた恐怖と安っぽい自尊心、最悪の合わせ技によって決断を下すことができず、この国の未来を決める一手を打てない有り様じゃ」
厭戦派が9割を占めた現状、異相への残留が決まるだろう。
これはあくまでも会議での決定だ。
しかし、その道を選べば国王であるヌンが「おまえらふざけんなよ!?」とキレることは火を見るより明らか。内戦の種火となること請け合いである。
厭戦派の連中とて内戦はお断りなのだ。
だからこそヌンのご機嫌を伺うように、厭戦派に回った開戦派も鞍替えしてない風を装って、いつまでも結論が出ないように会議を二分させている。
ヌンの怒りを買いたくない――起爆ボタンに触れたくないのだ。
「それが……家臣団の演技ということですね」
ようやくライヤも納得してくれたようだ。
ヌンは蛙の大口をカパッと開いて、もう一度ため息をついた。
「まったく、最悪の牛歩戦術をやってくれたもんじゃ」
おかげでヌンも事を荒立てられない。
家臣とて愛すべき国民の1人には違いない。どんな腰抜けになろうとも、内戦なんて下らない茶番で失うのは御免だった。
こうしたヌンの優しさもまた甘さであり、英断を下せずにいた。
伝えたいことを話し終えたヌンは杖を持ち直すと、カツン、カツンと鳴り響かせて歩き出した。ライヤは後ろについてくる。
「それでお祖父……では陛下、あの意味のないフリだけの会議を抜け出して、どちらへお出でになるつもりなのですか?」
惜しい、陛下と言い直した孫娘にヌンは苦笑する。
ついでに行き先も教えてやることにした。
「あの阿呆どもには愛想が尽きたからな。わしゃ別の希望を見出した」
先日この国を訪れた2人の神族――知っておるな?
確認するとライヤはおずおず頷いた。
「はい、兄様や姉様に続いて私も面会させていただきました。真なる世界から異相を超えてやってこられた、新しい神族の方々ですよね?」
本人たちは“ぷれいやぁ”と言っていた。
なんでも灰色の御子が作ったと思しき遊戯装置で遊んでいたら、強制的にこちらの世界へと飛ばされたらしい。なかなか無茶をしたものである。
いや、灰色の御子もそれだけ苦労したとわかる。
力任せの手段を講じても――人間という戦力を求めたのだ。
「ああ、蕃神どもに襲われたので戦っていたら、近くにあった次元の裂け目が妙な反応を起こして引きずり込まれ、気付いたらこの異相にいたそうだ。そんで、安全地帯としてオクトアードを見付けたと言っておった」
結界への侵入者、真っ先に気付いたのは結界を張っているヌンだ。
ヌンは新しい神族を歓迎し――密かに匿った。
ほとんど厭戦派に回った家臣団からすれば、新しい神族など見るのも聞くのもお断りな忌むべき存在。あいつらを下手に刺激するのも避けたい。
「彼らと話してて思い付いたことがあってな」
「もしかして兄様や姉様が仰っていたあの……んっ!」
その先を喋ろうとしたライヤの口先に、ヌンは杖の先を押し当てた。
黙っていなさい、と態度で示させてもらった。
「家臣のアホどももわしに用心するようなってきたからな。いらぬことは口から漏らさぬことじゃ……秘密にしたいことは特にな」
ついてきなさい、とヌンは先導するように歩き出す。
いい機会だからヌンの思いつきをライヤに任せようと思った次第である。
そのため、2人の新しい神族に了解を得に行くつもりだ。
孫娘は秘書官でもあるためヌンに付いてきた。
途中、声を潜めてライヤは尋ねてくる。
「あの……秘密というならさっきまでのお話も全部秘すべき内容では?」
「ああ、あれは聞かれたって構わんわい」
少なくともヌンの感知能力を出し抜いて、こちらを様子を探る盗聴や盗撮の魔法を使える家臣はいない。いたら逆に褒めてやりたいくらいだ。
小癪な手段とはいえヌンを上回ったのだから――。
「悪口陰口は身に染みるじゃろ。盗み聞きして身悶えたらええがな」
――ええがな、ええがな。
悪友の口癖を真似したヌンは意地悪に眼を細めた。
~~~~~~~~~~~~
王城のある湖から見て北にある山の麓。
そこにはヌンが直轄する“養育院”という施設があった。
オクトアードには様々な種族が暮らしているが、今の子供世代はこの結界内で生まれ育った者ばかり。真なる世界を知らない世代とも言える。
子供たちは同種の親から生まれた者もいれば、違う種族の間に生まれたハーフもいるし、ライヤのように神族や魔族を片親に持つ灰色の世代もいる。実に多種多様であり、そこにヌンは新しい萌芽を見出した。
そうした新世代を育成する施設が――“養育院”である。
上は成人する手前の年齢から、下は立って歩けるようになった幼子まで。才能のある子供を集めて長所を伸ばして短所を補うように学ばせ、このオクトアードを担う人材へと育てていく育成機関だ。
いわゆる学校とは少々趣が異なっていた。
基礎的や学問、魔術の勉強、運動訓練などは学校で行われる。
(※王都や各村々にちゃんとあります)
そうした学校生活で教師陣が「この子は魔術の才がある」「この子は工作の腕がいい」「この子は運動神経に長ける」などの採点をした後、子供たちはこの“養育院”に送られる。ここでより専門的な学習をさせるのだ。
養育院は寄宿舎でもあるため、子供は泊まり込みとなる。
そこで最強の講師陣から徹底した指導を受ける。
期間は最短で3日――最長でも1ヶ月。
終われば親元へ帰されていつも生活へと戻り、また時期を見て養育院で指導を受ける。こうしてオクトアードの子供たちは成長していくのだ。
いわば短気集中型のお泊まり塾である。
しかし、講師陣が人気なので大人にも子供にもウケが良い。
なにせ――王様が直々に指導するからだ。
ヌンだけではない。ヌンの孫……つまり王族の手解きも受けられる。
20人いるヌンの孫は各方面に秀でているため、講師陣として完成され尽くしている。教え方も上手で丁寧だから大好評だ。
(※ちなみにライヤはこう見えて魔法格闘術のエキスパート)
厭戦派が騒ぎ始めた頃から、ヌンは家臣団に見切りをつけて諦めた。
それよりも後進育成へ力を注ぐために養育院を設立したのだ。
養育院は先に述べた通り、ヌン直属の管理機関。
20人いるヌンの孫のみで運営しているため、家臣団は口を出すことも許されていなかった。内部の様子を窺うことすら出来はすまい。
ゆえに――来訪した珍客を匿うにはもってこいである。
~~~~~~~~~~~~
養育院の中庭は、適度な芝生で覆われた広場になっていた。
様々なスポーツや競技をするにはうってつけの広さがあり、お昼休みなどは子供たちが駆けずり回る絶好の遊び場だった。
その広場で子供たちと鬼ごっこに興じる――1人の青年。
体格的には成人しており、立ち居振る舞いも穏やかで大人の佇まいを感じさせるが、顔立ちを見れば子供らしさが脱けきらない若さがある。
身の丈は190㎝を超える長身。
骨格は長く太く、肩幅も広い。鍛え上げられた体躯は躍動感あふれる獣のように洗練されており、筋骨隆々なのに重々しさを感じさせなかった。手も足も長いから尚更そう見えるのだろう。
精悍な面構えだが、まだ少年の気配を帯びている。
長身巨躯にも関わらず――甘いマスク。
童顔というよりも、凜々しくも雄々しい骨太な男性の顔面に、柔らかく丸みを帯びた柔和な女性の面相を混ぜたような顔立ちだった。そのため良い案配でマイルドになった結果、美男子寄りの顔になったのだろう。
父母の遺伝子に感謝すべきかも知れない。
しかし、この女受けが良さそうな顔を鼻にかけていない。
質実剛健を愚直に突き進むの頑固そうな性格が、細いながらしっかりとした眉の造りに現れていた。曲がったことを好まない実直さが窺える。
装いはラフなティーシャツにカーゴパンツ。
首や袖にファーをあしらったスカジャンめいたものを羽織っているが、そのデザインは着物のように見受けられた。よくよくみればシャツやダボッとしたカーゴパンツも、洋風というより和風テイストだ。
足下を固めるのは、頑丈な靴底を張った鎧のような編み上げブーツ。
仙道師──エンオウ・ヤマミネ。
それが青年の肩書きであり、彼の本名でもあった。
漢字に直せば『山峰円央』となり、僧侶みたいな名前だという。
アルマゲドン経由で真なる世界に飛ばされた者は、その多くがハンドルネームを名乗っているが、彼は本名を名乗ることを貫いていた。
エンオウは子供たちを向こうに回して、鬼ごっこを繰り広げる。
鬼ごっこと言ったが、ルールは変則的だ。
この遊びに参加しているのは最年少では5歳くらい、最年長でも中学生くらいの少年少女だが、彼らはみんな鬼役である。
鬼役の子供たちから逃げているのはエンオウ1人。
エンオウを捕まえたら子供たちの勝ち、逃げ切れたらエンオウの勝ち。
そんな改造ルールの鬼ごっこをかれこれ10分はやっている。
「鬼さんこちら、手の鳴る方へ♪ 鬼さんこちら、手の鳴る方へ♪」
エンオウは現実世界の日本で口ずさまれた歌を、軽やかな口調で繰り返す。音階に嫌味なものはなく、子供たちの向上心を煽っていた。
「エンオウ先生はやすぎー! おいつけないよー!」
「追いつくのは諦めろ! 数に任せて回り込むんだ!」
「んんぎゃー! 誰がオレの足踏んだのー!?」
「みんなで囲んじゃえば……先生ジャンプは反則だってばー!?」
子供の群れは年長者が知恵を出して、あの手この手でエンオウを追い詰めようとするのだが、エンオウの体術はそれを上回っていく。
エンオウを追う少年少女は人間ではない。
エルフ、ドワーフ、オーク、コボルト、ゴブリン、サハギン、オーガ、マーメイド、バードマン……多彩な種族が分け隔てなく入り交じっていた。
類い希な敏捷性に恵まれた者も多い。
養育院での訓練を勧められるほど身体能力にも秀でている。
そんな子供が何十人掛かりでエンオウを追いかけているのだ。いくら体術に自信のある神族であろうと、人海戦術に屈してもおかしくはない。
だが、エンオウは掴まらなかった。
子供たちの手や足どころか、すれ違いざまに衣擦れさえ起こらない。
人員の多さを利用していくつもの部隊に分かれた子供たちは、四方八方から取り囲んでエンオウを捕まえようと策を練った。
「グループ行動か、打ち合わせなしでやれるのはいいな」
目配せで連携をやってのけた少年少女にエンオウは賛辞を送る。
全方位から押し寄せる子供の群れに対して、エンオウは宙に逃れるべく跳躍した。飛行系技能は使っていない。純粋な脚力のみでのジャンプだ。
子供の背丈を遙かに超える大跳躍。
優に10mは垂直に跳び上がっているだろう。
宙返りをするエンオウは眼下で驚く子供たちにご褒美を告げる。
「俺を捕まえられたら――マンツーマンでの武術訓練だ」
これに格闘技術に憧れる少年たちが沸いた。
かつてエンオウは国王ヌン陛下と腕試しの仕合をした。
オクトアード最強の神王ヌン・ヘケト。
真なる世界からやってきたというエンオウはヌン陛下と対等に渡り合い、1時間の熱戦を繰り広げた後、引き分けに持ち込んだ猛者なのだ。
誰もが尊敬するヌンに匹敵する武術の達人。
そのマンツーマン指導が受けられると聞いて、俄然やる気を出してくる。
正攻法で追いかけても敵わないのは子供たちも承知の上だ。
なにせエンオウの体捌きには、本気を出したヌンでも追いつくのがやっとなのを目撃しているので、絶対に追いつけないと思い知らされている。
それでも──エンオウはチャンスをくれた。
もうちょっと手を伸ばせばズボンやジャケットに手が届く、そんな距離まで子供たちが近付くのを許してくれる。「これはいけるかも?」と狙った子供が息が切れるまで全力で走り、捕まえようとして必死に手を伸ばす。
もう少しで指先が届く寸前、エンオウはひらりと躱してしまう。
子供たちは口惜しがるが、この「届きそうで届かない」のが面白いのか、失敗してもケタケタと笑いながら懲りずに追いかける。
もうちょっと、あとちょっと、それでエンオウに手が届く。オクトアード最強のヌン陛下と対等に戦える人を捕まえられる。
そんな鬼ごっこへ夢中になり、大いにハマっているのだ。
最近のお昼休みはこれが日課である。
この鬼ごっこが──最高の鍛錬となっていた。
団体での動き方、群衆の中で的確な姿勢を保つ感覚、全力全開で走ることによる脚力の強化、限界まで呼吸することで心肺機能の底上げ……。
遊びながら知らず知らずに、子供たちの基礎体力は向上していた。
ヌンの孫たちである講師陣も奨励するほどである。
一方、追いかけっこが性に合わない、駆け回るほど体力がない、種族的にあまりタフではない、体力面で恵まれない子供たちもいる。
こういった子供は魔術系、学術系、技術職系を学びに来ていた。
その手の少年少女は広場の片隅に集まっている。
エンオウとの鬼ごっこを見守りながら、こちらもエンオウとは別の先生の周りに集まって、お昼休みのお遊戯に取り組んでいる。
こちらを担当するのは、年端もいかない1人の少女だった。
子供の集団に入っても違和感がない。
人間の年齢ならば16歳と聞いたが、もっと幼く見える。
その割に発育がよろしく、低身長で小さな体格に似つかわしくない乳・尻・太股をしていた。これからの成長振りが楽しみである。
ジト眼というか半眼というか、いつも寝ぼけ眼みたいな双眸。
それさえ見て見ぬ振りをすれば大層な美少女である。
こちらも将来が楽しみで仕方ない。
表情にも乏しいようだが感情は乏しくなく、共にやってきたエンオウと比べればペラペラといらないことまでよく喋る。性格も朗らかで闊達、どことなく朴念仁なエンオウをサポートする社交性もあった。
黒に明るい茶を混ぜた色の髪をたっぷり伸ばしており、邪魔にならないよう前側に垂らした左右の髪は先端をリボンで結んでいた。
前髪はジト眼に合わせて切り揃え、大きな丸眼鏡をかけている。
身に付けるものはエンオウよりも和風で、着物を大胆にアレンジした衣装になっていた。両肩や胸元は露出していて脇さえ覗ける。ただし、下半身はガードが堅く、ボトムスのような袴をはいていた。
履き物は女性向けの高下駄だ。走ることを考慮していない。
エンオウも和風の武道家といった装いだが、モミジも花魁などをモティーフにした衣装で着飾っていた。ただし、一点だけ異なところがある。
彼女はいかにも「魔女です!」という帽子を被っていた。
魔女──モミジ・タキヤシャ。
魔術師ではなく魔女という肩書にこだわりがあるらしい。
本名は「山峰紅葉」というそうで、エンオウと兄妹かと思えば「血はまったく繋がっていない」とのこと。彼らの関係も大まかには聞いていた。
広場の端っこ、芝生の上にぺたんと座るモミジ。
周りには鬼ごっこに参加しない子供たちが集まっていた。
ほとんどが女の子、あるいは魔術系の勉強に来ている子供だ。
子供とはいえ自分を十重二十重に取り囲んで注目する人の群れともなれば、少しは動じそうなものだが、モミジが臆する様子はない。
彼女はリズミカルな鼻唄とともに折り紙へ取り組んでいた。
1枚の紙を器用に折り畳んで、動物などを形作る遊びはオクトアードになかったものだ。だからなのか、好奇心旺盛な子供たちは興味津々である。
モミジは折り紙の名人でもあった。
「……~♪ はいできた、カエルの完成です」
作られたのは1匹のカエルだった。手足もきちんと表現されており、今にも飛び跳ねそうな雰囲気が伝わってくる。子供たちからも歓声が上がった。
――蛙はオクトアードにおける聖獣。
国王のヌンがカエルの王様というのもあるが、元を正せばヌンの始祖である創世神の聖獣が、渾沌の泥をかき回した巨大な蛙とされている。
おかげでマスコットとしても人気だった。
出来上がった折り紙のカエル、その頭をモミジは人差し指で撫でる。
すると紙でできたはずのカエルがケロケロと鳴き声を上げ、頬をプクーッと膨らませると、モミジの掌からぴょこんと飛び出した。
芝生に降りた頃には、本物のカエルへ変貌を遂げている。
これには子供たちも感動の声を上げ、喜びの拍手を送っていた。
「そんなわけで今日は、折り紙で作ったカエルさんに魔力を込めて本物のカエルさんに化けさせてみるです。はい、練習用の紙はここにあるですよ」
モミジが紙を差し出すと、子供たちは我先に殺到する。
そして、モミジが数分前までやっていた折り方を思い出しながら、それぞれに工夫を凝らしてカエルを完成させようと奮闘する。中には紙を折る途中に魔力を込めることで、より高い完成度を求めようとする子までいた。
「そういうやり方もありです。独自のテクニックを編み出すです」
これをモミジは褒めたので、どの子も自分だけのオリジナルを見つけようとあれやこれや努力を始めた。素晴らしい傾向だとヌンは思う。
魔術の素養がある子供たちに──発展性のある芽を出すように仕向ける。
遊びながら子供たちの応用力を引き出していた。
エンオウ同様、モミジも養育院に貢献をしてくれているのだ。
仙道師──エンオウ・ヤマミネ。
魔女──モミジ・タキヤシャ。
この2人が真なる世界より流れ着いた漂流者である。
元人間で地球からやってきた“ぷれいやぁ”とも確認が取れており、混乱を避けるためヌンが養育院で匿っていた。ライヤを初めとした講師陣である孫たちには言い含めてあるので、彼らの存在はまだ家臣団に知られていない。
客人として手厚く持て成していたのだが──。
『世話になるばかりでタダ飯食らいは気が引けます』
『お手伝いくらいしかできませんけど、何かさせてほしいです』
──などと殊勝なことを言ってくれたのだ。
そこでヌンは「幼い子供たちの遊び相手にでもやってくれ」と軽い気持ちで頼んだら御覧の通り、遊びながら学ばせるという講義を始めてくれた。
子供たちも彼らのことを新しい先生だと思い込んでいるらしく、「エンオウ先生」や「モミジ先生」と慕っていた。
やはり──新しい神族とは手を取り合うべきだ。
エンオウやモミジとの出会いが、ヌンの確信を強めてくれた。
新しい神族も10万人近くいるようなので最高から底辺ではあろうが、ハトホルやエンオウは紛れもなく最高に達しているはずだ。
この出会いを実りあるものにしたい、ヌンはそう願っている。
――エンオウとモミジのお昼休み教室。
2人の名教師ぶりを、ヌンはライヤと校舎から見守らせてもらう。
昼休みが終わる少し前を見計らって、ヌンはライヤを連れて広場に姿を現した。国王陛下の登場に子供たちは大興奮の歓声で迎えてくれる。
「「「「「──ヌン様だーーーーーーッ!!」」」」」
子供たちはヌンに駆け寄ってくる。
ちゃんとエンオウやモミジに礼をしてからだ。
ライヤも講師を務めているので彼女の元に集まる生徒もいるが、その人数はヌンには及ばない。こう見えてヌンは支持率90%を超える人望を誇る賢王として慕われていた。子供人気だってダントツ№1なのだ。
ヌンは集まってきた子供の頭を次から次へと撫でてやる。
握手を求められれば手を握り、首を伸ばしてくれば頬を撫でる。まだ幼い子には抱っこや高い高いをしたりと、ありったけの愛情で報いてあげた。
子供こそ国の宝だ──ヌンは崩れる相好を止められない。
「おお、よしよし。ちゃんと勉強しておるな?」
この問い掛けに、子供たちは満点の笑顔で「はい!」と返事をする。
ヌンは満足げに何度も大きく頷いた。
ライヤは注意を引くべく、パンパンと手を打って声を上げた。
「はい、そろそろお昼休みは終わりですよ。みんな教室に戻りましょう。午後の六時限目には陛下の特別授業があります。参加したい子は遅れないように」
はーい! と元気よく返事をして子供たちは戻っていく。
礼儀も躾けているのでヌンへの別れの挨拶だけではなく、ライヤやエンオウにモミジへの挨拶も忘れることもなかった。
後ろ手に手を振る子供たちに、ヌンも笑顔で手を振って見送る。
そうして子供たちが1人残らず去った後、エンオウは立ち上がったモミジを連れてくると、ヌンの前までやってきて深々と頭を下げてきた。
「お疲れさまです、ヌン陛下……会議の首尾はいかがでしたか?」
エンオウの言葉遣いは折り目正しかった。
「いかがもへったくれもないわい。あのバカ家臣どもめ。いつまでも現状維持を決め込もうとして、厭戦にも開戦にも切り出そうとせんわい」
だがヌンはそれに応じられず、積み重ねられた不満のせいで言葉ががさつになってしまう。ライヤに尻をつねられても我慢できなかった。
「今日も今日とて見え透いた牛歩戦術よ……ったく、飽き飽きするじゃて」
やっぱりー、と諦めた様子でモミジもぼやく。
彼女も敬意を弁えている方だが、態度はアバウトだった。
その分、エンオウが礼儀正しく振る舞っている。
「どっちに転んでもヌン様が『真なる世界へ帰る!』って言い出しちゃうから、踏み出せるわけないですよ。家臣の人たち、私らと仲良くするのもお断りみたいだし、蕃神って異次元の怪物とのリターンマッチも御免なんですよね?」
「わかりやすい言い方ありがとうな、モミジちゃん……」
そうなんじゃよ、とヌンは頭痛の種が芽吹きそうな頭を抱えた。
悩んでばかりもいられない。
やる気を無くした連中に再起を求めるのもここまでだ。
わしは未来を見据える──新しい神族と共に!
「そこで君たちを真なる世界へ帰す計画についてじゃがな」
気持ちを切り替えたヌンは頭を振り、エンオウへと本題を切り出した。
「はい、是非ともお願いしたいのですが……」
ヌンの提示した本題にエンオウは即応する。
エンオウもまた――真なる世界の現状に憂う者だった。
1年前に地球から強制転移させられた後、あちこちを彷徨って様々な現地種族と出会い、彼らの苦しい現状を聞かされてきたそうだ。時に生活に苦しむ彼らを助け、時には彼らを守って戦い、過酷な旅を続けてきたという。
蕃神を追い払い、この世界に平穏を取り戻したい。
地球に帰れる当てもないエンオウは、「真なる世界が終の棲家になるならこの地を暮らしやすくするしかない」と志を立てたそうだ。
困窮する現地種族を助けたい、そんな仏心もあるのだろう。
エンオウは優しく度量のある青年なのだ。
ヌンにしてみれば拝みたくなるほど有り難いことである。
解決策を見出すべく、エンオウとモミジは新たな旅路を探していた。
そんな折──オクトアードに流れ着いた。
蕃神との戦いの最中、小さな次元の裂け目に攻撃魔法を当てたら予期せぬ反応が起こったため、異相へ引きずり込まれてしまったらしい。
暴君の水が支配する異相空間を漂うこと3日。
(※並の神族なら1時間で死ぬ)
オクトアードを包む結界を発見し、避難するように飛び込んできた。
それがヌンとエンオウたちの出会いである。
エンオウとモミジは先に説明した事情から「一刻も早く真なる世界に戻りたい」と相談してきたので、その英雄的精神にヌンは感激したものだ。
すぐにでも申し出に応えたやりたかったが、これをヌンは引き留めた。
エンオウに依頼したいこと──その着想を得たからだ。
「ところで、例の資料は確認してもらえたかのぅ」
「はい、渡されたファイルはすべて目を通させていただきました」
モミジ、とエンオウは相棒の名を呼んだ。
「はいです若旦那、リストアップした人の分だけでいいですね」
一風変わった呼び方でエンオウに答えたモミジは、魔術でいくつかのスクリーンを投影させる。そこには新しい神族の顔写真が浮かんでいた。
ヌンが渡した例の資料──。
その中身は遠隔視で確認できた、ハトホル率いる神族のリストだった。
(※モモチのまとめる集団は魔族オンリーらしいが)
宙に浮かぶ顔写真は全部で5枚。
1枚目は大銀杏という独特な髪型をした牙の目立つ大男。
2枚目は全身黒ずくめで酒ばかり呑んでいるにやけ顔の剣士。
3枚目はテンガロンハットという帽子を被ったニヒルな銃使い。
エンオウはこの3人を順に指差していく。
「横綱ドンカイ・ソウカイさん、剣豪セイメイ・テンマさん、拳銃使いバリー・ポイントさん……この3人には見覚えがあります。アシュラストリートでも知り合いでしたし、アルマゲドンでも再会して仲良くしてもらいました」
「既知の方がおったか! そりゃ朗報じゃ!」
エンオウの報告を聞いたヌンは飛び上がって喜んだ。
この地を訪れたエンオウたちを真なる世界へ送り返す。
ただ送り出すだけでは芸がない。あちらへ戻ったエンオウにはハトホルと渡りを付けてもらい、ヌンとの縁を結んでもらう。
エンオウには秘密の使い――密使を頼みたいと思い付いたのだ。
そして、ハトホルと秘密裏に連絡を取る。
彼女は話のわかる人物だとお見受けするので、もしも相談して引き受けてもらえるのなら、オクトアードを異相から引き摺り出してもらいたい。
ハトホルの伴侶、カエサルトゥスの能力ならできるはずだ。
エンオウたちも手引きすれば確実となる。
自ら決断に踏み切れずに内へ籠もる家臣団も、外からの強烈な圧力には屈するしかあるまい。力尽くでも異相から出てしまえばこちらのものだ。
これが――ヌンの閃いた着想だった。
密使の件、エンオウとモミジは了解してくれた。
同じ地球からやってきた“ぷれいやぁ”同士なら融通も利かせてくれるだろうと読んでのこと。ハトホルも仲間を求めているようだから無下にはすまい。
知り合いならば――尚のこと良い。
ハトホルの陣営にエンオウの知人がいれば円滑になる。そんな期待を託して資料を渡したのだが、これは予想以上の成果をもたらしてくれた。
「あと、こちらの2人なのですが……」
エンオウは自信なさげに2枚のスクリーンを見つめている。
4枚目に映し出されたのは、ハリネズミのような髪をした賢そうな男。ワイズマンと名乗り、戦女神の参謀を務めていた。
もう1枚は他でもない──爆乳の地母神ハトホルである。
特大の雷撃を放つ瞬間を煽るようなポーズで撮影されており、ヌンもお気に入りの1枚だった。ライヤにも内緒で印刷して持ち歩いているほどだ。
ハトホルとも知り合いならば儲けものだが……。
「申し訳ない、この2人はアルマゲドンでは一度も出会ったことがないのですが、戦い方や体捌きに見覚えがあります。もしかすると、アシュラストリートで出会っているかも知れませんが……誰かまでは特定できませんでした」
申し訳ありません、とエンオウは重ねて謝罪した。
ここまで恐縮されると心苦しい。ヌンは両手を振って宥めてやる。
「いや、知り合いなら御の字ってところじゃ」
ドンカイとセイメイ、この2人と顔見知りというだけでもヌンとしては大助かりである。なにせこの両名、ハトホルの補佐的な立場にある。
推測だが、ヌンにとっての将軍や大臣の地位にいるらしい。
協力を求めたいハトホル陣営の重役クラス。
ハトホルへの密使を頼みたいエンオウが、彼らとの繋がりがあるとわかっただけで一歩……いや百歩前進と見ていいかも知れない。
「ヨコヅナさんと天魔ノ王さんには……世話になったものです」
エンオウは懐かしむように呟いた。
ヌンは与り知らぬことだが、ヨコヅナはドンカイ氏を指し、天魔ノ王とはセイメイ氏を指すらしい。どちらも本名ではないとか。
新しい神族はアルマゲドンという、灰色の御子が500年を費やして作り出した遊戯装置によって真なる世界に強制転移させられたと聞いた。その際、神族や魔族に進化されるべく強化訓練も行われたらしい。
それとは別に――アシュラ・ストリートという遊戯装置もあったそうな。
こちらは格闘を楽しむことが主眼だったという。
ドンカイやセイメイとは、その頃から縁があったらしい。
ヌンの知りたがりな視線に気付いたエンオウは、ぎこちない愛想笑いを浮かべると人差し指で頬をかいて、言い訳するように話し出した。
「以前ちょっとお話ししましたよね。アシュラ・ストリートというゲームがありまして……彼らはそこで最強の八部衆と讃えられていたんです」
「アシュラの八部衆というたかの。ふむ、耳に懐かしい響きじゃな」
「確か……アシュラという魔族が昔おりましたよね」
ヌンが話してやった昔話を覚えていたのか、ライヤはアシュラという名前に反応して口を挟んできた。ヌンは肩越しに孫娘へと振り向く。
「うむ、武闘派で知られた魔族集団のトップじゃ」
帝釈天と名乗るこれまた武闘派の神族と果てしない抗争を繰り返した後、どちらもとある神族集団の傘下に入ったはずだが……。
「多分、そのアシュラさんが元ネタです」
モミジも機会を待っていたのか、話に割り込んできた。
丸眼鏡の位置を直しながら話を続けた。
「地球に言い伝えられている神話や伝承と、真なる世界の神族さんや魔族さんは密接な関係がある……と私は見ているです」
詳しい人とお話ししたいです、とモミジは学習意欲が旺盛だった。
ふむ、とヌンは興味深げに頷いて顎髭を梳いた。
「アシュラストリートにおいて最強の八人だから、アシュラの八部衆か……こちらに伝わっとるアシュラも八人の優秀な幹部がおったというから、そこも肖っとるんじゃろうな。アシュラの八部衆か……ふむ」
奇異なものを感じるヌンに、何故かモミジが意地悪そうに笑った。
「若旦那もそのアシュラの八部衆と無関係じゃないですよ」
「おいモミジ、その話はしなくていいだろ」
余計なことを言うな、とエンオウはモミジを制する。
「ほう、もしやエンオウ君も八部衆に数えられておったのか?」
ヌンと互角に戦える腕前だ。おかしくはあるまい。
それにしては誇らしげに明かさない理由がわからないし、モミジも若旦那と慕うエンオウをからかうような態度が気になった。
ヌンの質問に、モミジがエンオウを押し切って答える。
「残念、八部衆じゃないです。若旦那は――」
――アシュラ“九”部衆と呼ばれたです。
八部衆が1人増えた? ヌンとライヤは首を傾げる。
恥ずかしながら……とエンオウは片手で顔の半分を隠しながら俯くと、その異名について申し訳なさそうに打ち明けてくれた。
「アシュラ・ストリートの八部衆は不動のベスト8でした。俺もそこを目指したのですが……9位より上に数えられたことがないんです」
ククルカン陣営にいる拳銃使いバリー・ポイント。
それに以前、ハトホルが幽冥街という地球から転移してきた街で撃破したジャガナート、ハスラー・キュー、百足の万次郎。
(※この3名については『第3章 彼方に消えしは幽冥街』後半参照)
エンオウは彼らと同じ、アシュラのベスト16である。
誰よりもランキング9位にいることが多く、アシュラ八部衆の何人かと対等に戦うこともできたため、ベスト16でも別格扱いされていた。
しかし、アシュラ八部衆に加われたことは一度もない。
おまけに9位というランキングも、何かの拍子で落とすことがある。
八部衆になれそうだけど――今一歩でなれない。
それゆえアシュラ関係者は、エンオウに努力賞みたいなあだ名を付けた。
八部衆になれない“九”部衆と……。
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