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第14章 LV999 STAMPEDE
第343話:異相を征く凶軍の影
しおりを挟む――生存戦略に禁忌はない。
人倫に悖る手段であろうとも、倫理に背く方法であっても、そうすることで自らの種が存続できるのならば、すべての生命体がその選択をするだろう。
事実、多くの生物が恐るべき生存戦略を取っている。
郭公は自ら子育てをせず、頬白や百舌といった鳥の巣に自らの卵を産んで、その鳥に育てさせる“托卵”という習性を持つ。卵を預ける際、その巣にあった卵を数合わせために持ち去るという計算高いことまで行う。
そうして他人の巣で生まれた郭公の雛は、自分のいる巣から他の卵や雛を蹴落として、仮の親鳥に自分だけを育てさせる行動を取る。
人間に照らし合わせれば、親も子も鬼畜生と蔑まれる行いだ。
だが、これが郭公の選んだ生存戦略だった。
郭公に限らず、多くの生物が自分の子孫を生き残らせるために他の生物を利用している。弱肉強食は言うに及ばず、糧として食らわずとも種を残すための踏み台として利用する生物は枚挙に暇がない。
卑怯、悪辣、姑息、外道、残虐……。
綺麗事ばかり並べる衆愚の糾弾など耳に届くまい。
未来へと種を伝えれば勝ちなのだから――。
この考えに照らし合わせれば、彼らの選んだ道も理解できなくはない。
彼ら――真なる世界から逃げた者たちだ。
位相の異なる空間へ逃げ込み、そこに強力な結界を張り巡らせた別世界を創ることで平穏無事に暮らしているという。
この異なる空間――ツバサたちは“異相”と呼んでいる。
真なる世界を球体に例えれば、異相とはそれを包む膜のようなもの。
その膜のように薄っぺらいものの奥に、二次元の空間がどこまでも広がっていると考えればいい。漫画やアニメの世界へ入り込むような感覚だ。
まさしく亜空間と呼ぶべき場所である。
異相は空間として広大であるにも関わらず、その総数は計り知れない。百や千では足らず、どれほどの数があるのか見当も付かなかった。
実際、無限大にあるのかも知れないが……。
ツバサ個人の感想としては、子供の頃にインチキ仙人からもらった『舐める度に色が変わるキャンディ』を思い出す。
あれは色の違う飴が何層にも重なっており、舐める度に変わるという仕組みなのだが、実際のところそれに近い。真なる世界にオブラート状の異相が何千何万何億何兆……と気が遠くなるくらい重なっているのだ。
異相には様々な種類がある。
ツバサは時間の流れが速く、重力や気温差が激しい異相を手に入れていた。そこを仲間たちの育成……修行の場として使っている。
逃げた者たちは、住みやすい異相を選んだと推測できた。
異相は真なる世界と密接でありながら、そこへの出入りは難しい。
次元の壁を破るのとは違う。卵の殻の内側を覆っている薄い膜を破らずに剥いていくような作業を、その1000倍の緻密さで求められる。
このため管理下に置いた異相への行き来ならともかく、それ以外の異相を調べたり追跡するのは困難どころの話ではない。ツバサも修行場の異相に辿り着くまでの道程は、恐ろしくハードだった。
こうした事情から、異相は安易に触れられない。
逃げ込まれたら最後、追いかけるのも探すのもほぼ不可能である。
次元の壁を開いて真なる世界に侵入してくる蕃神でも、異相を見つけることはできないらしい。荒らされた異相を見た例しがない。
(※仮説だが、異相は真なる世界を包むオブラートのような世界のため、次元の壁を切り裂けば一緒に切られているようだ。薄っぺらい膜のような異相には蕃神も気付けず、見落とすようにスルーしてしまうらしい)
ミロやミサキならできるが――超しんどい。
どれくらいしんどいかといえば、超巨大なタマネギを用意されて「このタマネギって数え切れないくらい層が重なってるんだけど、その層のどこかにお宝が隠れてるんだよね。見つけてくれるかな?」という難易度である。
しかもこのタマネギ、剥くには万能能力を使わされる。
能力を使う度に過労状態になるのだから、無理強いできるわけがない。
ツバサも異相を覗く特殊技能を開発したが……。
先に述べた通り、管理下に置いた異相ならともかく、まだ調べていない異相を調べるには恐ろしく消耗するため、スナック感覚では行えない。
修行場の異相でさえ、比較的安定した空間なのだ。
異相はその多くが筆舌に尽くしがたい状態がデフォルトなので、ちょっと覗くだけでも疲弊する。下手をすれば発狂沙汰となろう。
なので――余力がある時でなければできない。
このためおいそれと探るわけにもいかず、逃げた者たちが何らかの理由で接触してこない限り、基本的に放っておくという決断が下されていた。
――これは四神同盟の総意である。
なるべくなら会いたくないと思っている。ツバサもその1人だ。そうでなくとも、彼らに浴びせたい罵倒は溜まりに溜まっている。
かつて蕃神の大戦争を経験した先住の神族や魔族。
その脅威が去るのを待つように、誰かが倒してくれるのを期待するように、異相に別世界を設けて、そこに引き籠もることを選んだ者たちがいる。
苦難に立ち向かわず、我が身可愛さから逃げたのだ。
どうしても──癇に障った。
アルマゲドン経由でやってきた神族や魔族は、現実世界から強制連行されるかのように真なる世界へと連れてこられた。
そして、成り行きから蕃神との激しい戦いに身を投じている。
然もなければ――真なる世界諸共に滅ぼされてしまう。
だから必死で戦ってきた。
自らが死にたくない一心と、大切な人を死なせたくない信念でだ。
滅びの運命へ懸命に抗う神族や魔族がいる一方、それを把握するも結界の内側から傍観するに留まり、協力など一切せず、安全なところで温々としている連中がいると聞けば、聖人君子でも穏やかでいられまい。
はっきり言って――業腹ものである。
無い手は頼るな、を信条とするツバサだが、ノラシンハからこの事実を聞いた時はカチンと来た。彼の宣った生存戦略こそ理解できたが、心情的には「何様のつもりだこいつら?」と苛立ちが抑えられなかった。
灰色の御子はその生涯を賭して、多くの人間をこの世界に送り込んだ。
それに協力した神族、魔族、多種族も大勢いただろう。
真なる世界を守るため身を挺した者も少なくない。
取り残された現地種族は、微かな希望を頼りに今日まで生きてきた。
そういった人々の努力を垣間見てきたツバサたちは、彼らの想いに報いてやりたいという気持ちがある。その努力を実らせてやりたいと共感する。
だが――臆病者どもは別だ。
快適な結界を創れる一部の神族や魔族は、蕃神との戦争に疲れた果てに逃避行動へと走った。自分たちの信者とも言える多種族を率い、異相に避難することで蕃神をやり過ごす計画にシフトしたのだ。
ノラシンハから説明された時、四神同盟は渋い顔をした。
『ホント相済まんな……面目次第もないわ』
あいつらに代わって謝る、とノラシンハは代理で平謝りした。
協力を売り込んできた彼は賞賛されるべきだろう。
『兄ちゃんたちの奮闘振りは伝わっとるはずや。結界内から真なる世界へ探りを入れとるに決まっとるからな。そんでも、手ぇ貸すどころかアドバイスのひとつもせんとは……永らく引き籠もって根性まで腐ってもうたんかなぁ?』
ノラシンハ自身、期待外れだと嘆息した。
そして、ツバサたちもいい顔できるわけがなかった。
そんな臆病者どもが――殲滅されている。
最悪にして絶死をもたらす終焉を率いるロンドは、異相に落ち延びた者も把握しており、彼らを滅ぼすべく派兵していたのだ。
正直、いい気味だと思う気持ちはいくらかある。
女神になってまだ1年ちょっと、ツバサだって元人間だ。彼らの行動を知った上で「許しますよ」と寛大でいられるわけもない。
精神的にも武術的にも女神的にも、ツバサだってまだ成長途上にある。
愚か者を許せない、心の弱さを拭い去ることは難しい。
ただ「いい気味だ」と思う反面、やるせなさも疼いてしまう。
臆病者でも見捨てておけない──哀れみに近い気持ちだ。
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「――ここなら落ち着いて話せるな」
廊下での立ち話で済ませていい話題ではないので、ツバサとノラシンハは場所を移した。我が家にいくつかある“使い道のわからない部屋”だ。
客間や談話室など、用途分けはされている。
その内、ソファやテーブルのある談話室を選んだ。
遮音や隠匿、隠密や隠蔽といった結界を張り直すのも忘れない。
ミロ、ダイン、フミカには一報を入れておいた。
ヒデヨシさんたちの接待はひとまず子供たちに任せておこう。長男夫婦ならそつなくこなしてくれるはずだ。こちらの話が済んだら戻るつもりだ。
ダイン謹製のソファにツバサは腰を下ろす。近頃おっぱいに負けず劣らず肉感を増してきた巨尻が、やたら沈むようで気が滅入る。
向かい側のソファにはノラシンハが座った。
こちらも先ほどの報告から意気消沈が止まらない。むしろ目に見えて老けたように落ち込んでいる。萎びたようにも見えてきた。
タスキみたいな髭もヨレヨレで弱々しい。
「アカン、本気で老け込みそうや……モノホンの隠居ジジイになってまう」
「もう立派な老人なのに、もっと老いるのか?」
更に老けたらどうなるの? と心配をしてしまう。
「もう息するのもしんどい……気の強くてだらしないことするとキツい言葉責めてくれる別嬪な姉ちゃんに介護とかされたい気分やもの……」
えらく具体的な御要望である。
しかし、老人介護となれば思い当たる人材は1人しかいない。
「介護か……ウチだと駄メイドにやらせるが?」
最高やん! とノラシンハは一瞬で生気を取り戻した。
目を輝かせて突き出した両手はサムズアップ、元気になりすぎだ。
そういえばノラシンハはマゾヒストの気質があり、クロコはサドとマゾどちらもイケるので相性はいいのか……化学反応しそうで嫌だな。
ツバサは肉厚な腿で足を組み、ノラシンハへ微笑みかける。
「色気に煽られて少しは元気が戻ったみたいだな」
「男って悲しい生き物やねん……兄ちゃんも男ならわかるやろ?」
「そりゃあまあ……なぁ」
男――と同意を求められたツバサは嬉しかった。
だが胸中は複雑であり、せっかくの笑顔も苦み走ってしまう。
ここまでオカン系女神な大地母神となっても、ツバサの精神的な部分にはまだちゃんと男心が残っている。それが女性の艶めいた姿に惹起されて、活力になることはままあるのだ。
こればっかりは否定できないししたくもない。
ツバサの場合――主にミロのあられもない姿に興奮する。
心の中の男らしい部分が騒ぎ出すのだ。
肉体的には失って久しいが、これもまた勃起なのだろう。
本音を漏らせば、女性陣との入浴も遠慮したい。無防備な彼女たちの裸体に男心が暴走しやしないかとヒヤヒヤする。
ツバサに幼女趣味はないので、子供たちは可愛いだけで済む。
しかし、フミカやクロコにジョカやプトラといったうら若き娘たちと風呂などに入る度、彼女たちの裸体に性的興奮を感じることがあった。
あの脳天気娘たちは気にも止めないが……。
素直にツバサが打ち明けてもケラケラ笑い、むしろこっちの母性的女体をからかうネタにする。二十歳の青少年の気苦労もわかってほしいものだ。
それと、女体にときめく男心で一番厄介なものがあった。
ツバサは眉間が陥没しそうなほど皺を寄せる。
「最悪なのは……自分の乳尻太腿にドキリとするだよなぁ……」
「うむ、性転換キャラあるあるやな」
誰が性転換キャラだ、とツバサは呻くように返した。
ツバサもレオナルドに負けず劣らずのおっぱい星人。あいつも大概だが、ツバサも人のことは言えない。並々ならぬ巨乳にしか反応しないのだ。
ミロを愛していても、この性癖は別腹である。
だからこそ少年時代に夢想した超爆乳が我がものとなり、冗談みたいなデカさの巨尻を揺らして歩く自分には困惑するしかない。
「風呂上がりに素っ裸で鏡の前を横切ったりすればドキッとするし、朝起きて真っ先に視界の入るのが添い寝してる子供たちの顔じゃなく、自分の乳の谷間だったちすると、もうできやしない朝勃ちを思い出したり……ああっくそッ!」
ツバサは愚痴るように吐露した。
ここまで心情を打ち明けるのも我ながら珍しい。
オリベもそうだが、ノラシンハも相談しやすい雰囲気を醸し出している。
ツバサは老齢の男性に弱いのかも知れない。
イケメンジジイだった師匠に育てられた影響……なのだろうか?
「女神になりきれとらんなぁ……そりゃ辛いやろ」
ノラシンハは「うんうん」と同情するように首を縦へと振った。
今、こうしてソファに腰掛けているだけでも、ツバサの男心は女神化した我が身の女体を意識して、穏やかに性的興奮を焚きつけられていた。
爆乳の下で腕を組み、乳房を持ち上げると柔らかい2つの塊が得も言われぬ感触を伝えてくる。組んだ足は女性的な皮下脂肪をたっぷり蓄えた太腿を揺らし、それがソファに埋もれた大きな臀部を意識させ……。
思わずジャーキングにも似た痙攣で震えてしまった。
ここまで女神化しても、この女体で1年過ごしてきても、あれほどミロに女性の快感を教え込まれても、ツバサは男であることを忘れられないらしい。
――もはや妄執である。
ツバサは長く深い吐息を漏らすと、小さく頭を振った。
「さて……恥ずかしい心境を相談するみたいに与太話をさせてもらったが、少しは気が紛れたか? そろそろ話を戻してもいいかい?」
いきなり本題に入るのは躊躇われた。
事態はある意味、深刻とも言える。それが重荷となって精神的にまいっていたノラシンハを慮り、わざと他愛ない話をして和ませたつもりだ。
女体化の件で自爆したことぐらい些細なことである。
いくらか効果があればいいのだが……。
「ああ、おおきにな兄ちゃん、ホンマあれこれ気ぃ使わせて済まんな……おかげでちっと元気出たわ。年頃の息子に相談された親父の心境になれたで」
ノラシンハは力強くため息をついた。
先ほどまでの弱々しさはなく、諦めの決意を示している。
見切りをつけた──そう言い換えてもいい。
「さっきん映像が見えたんはほんの数時間前や。さすがの俺もショックで寝込みかけたが……もう諦念するしかあらへんな」
だって──あいつらが悪いんやもん。
ノラシンハは鼻息を荒くして呆れた。眼もずっしり据わっている。
口調もそうだが関西弁にも張りが戻ってきた。
元気や調子が戻ってきたが、そこには怒りも紛れている。
そして、説教じみた悪口を紡いでいく。
「兄ちゃんたちがこない頑張っとんのに、異相に逃げれずこん世界で身体を張っとる多くの種族がおるんに……そいつらを助けようとする素振りさえ見せず、異相に作った別天地でヌクヌクしとったアイツらの不始末やからな」
自業自得やねん、とノラシンハは一言で切り捨てた。
あの映像を見た瞬間は同情して嘆いたものの、よく考えれば自己責任だと結論付けたらしい。諦めて、見切りをつけて、諦念を決め込んだらしい。
ただし、心の底から見限ったわけではなさそうだ。
ノラシンハが息巻いたところで、ツバサからも意見を挟んでいく。
「助けに行くのもほぼ不可能だ」
手の施しようがない──とも言える。
前述の通り、異相を探る術は皆無に等しい。ミロやミサキの万能な過大能力に頼るか、ツバサのように異相を覗ける技能を使うしかない。
しかし、どちらも労力が半端ではない。
彼女たちの過大能力はただ使うだけでも負担が凄まじく、ツバサの『異相を覗く特殊技能』も力の消費が大きい。修行場として管理している異相ならいざ知らず、他の異相へ首を突っ込むとなれば重労働となるだろう。
余裕がある時でなければ無理だ。
「異相は住むには適さない空間だ。しかし、マリナやジョカのように片手間感覚でも強力な結界を張れる者がいれば、そこに快適な新世界を創り出せる」
「そもそも異相ってホイホイ出向くとこやあらへんからな」
これは異相を知る者の共通見解だ。
ノラシンハも異相に入る術を知っているそうだが、「メッチャ疲れるし長居もできんからゴメンやな」と証言している。そういうところなのだ。
「俺ん口からも『助けてくれ』なんて、口が裂けてもお願いできん……」
烏滸がましすぎるわ、と髭がなびくほど鼻息を吹いた。
四神同盟会議でこの話題になった時、ツバサを含む四神同盟の盟主たちが、それにレオナルドたち副官も、誰1人としていい顔はしなかった。
不平不満が煮詰まりかけたほどである。
それを目の当たりにしたノラシンハは重々承知しているはずだ。
だけど無視を決め込むのはバツが悪いし、発見した以上は教えないのも不義理に当たる。最悪にして絶死をもたらす終焉関係なら尚更だ。
これも奴等の動向なのだから――。
ノラシンハは億劫そうにタスキみたいな髭を扱いた。
「まるっきりアリとキリギリスの昔話やな。兄ちゃんたちが死ぬ気で努力しとるのを尻目に、自分らは誰も手の届かない場所でのほほんとして……せやから、こない目に遭うんや。助けが欲しゅうても誰も手を差し伸べてくれんようになる」
「ミロやミサキ君ならやりかねんがな」
あの2人は正義感が強い。そして、まだ幼くて未熟だ。
打算や利害など考慮することなく、弱者を助けようとするだろう。
それが戦わずに逃げ出した臆病者であっても……戦うことができない弱者だからこそ救いの手を伸ばすかも知れない。
しかし、今回はツバサたち大人が制するだろう。
この事実はまだツバサしか聞いてないが、秘密にできる情報ではない。
今後の方針にも密接に関わっているので殊更である。
断言できるのは、来たるべき“最悪にして絶死をもたらす終焉”との全面対決を前にして、主戦力となる2人に無茶はさせられないということだ。
そして、ツバサも異相の調査へ回せる余裕はない。
――真なる世界から落ち延びた逃亡者たち。
心情的にも実情的にも状況的にも、救援に向かうことはできなかった。
「……ひとつだけ、臆病者に期待したことがあった」
あった――もはや過去形である。
ツバサはソファを鳴らして背もたれに身体を預ける。爆乳が上下するほど深呼吸をしてから、その期待を解き明かすように口にしてみる。
「彼らには種であり卵であることを望んでいた」
遠い未来へ、この世界の因子を伝える役目を担うよう期待していたのだ。
「種で卵……いつか芽吹いて孵るっちゅうことか?」
そうだ、と察しのいいノラシンハに頷いた。
「植物がたくさんの種を実らせるように、魚や虫が多くの卵を産むように、種や卵が多ければ多いほど子孫が生き残る確率は高くなる……」
これもまた――生存戦略だ。
「そんな未来は仮定するのも御免蒙るがもしも……万が一、俺たちがバッドデッドエンズに負けたり、蕃神どもに滅ぼされたとする」
それでも、異相へ落ち延びた彼らは生き残るはずだ。
真なる世界が滅ぼされても、結界内の世界にいる彼らに影響は少ない。しかし、その小さな世界では生きていくのもジリ貧だろう。
「だが、いくつもある世界から俺たちを超える者が生まれるかも知れない。新たに大きな世界を産み出す創造神が生まれるかも知れない。真なる世界や異相が消えても、遠い遠い別の異世界へ流れ着く者がいるかも知れない……」
かも知れない――という希望的観測の繰り返しだ。
「そいつが一から始めるんを期待する……か」
そういうことだ、とツバサは相槌を打つ。
「臆病者であろうと生き残った者の勝ち。そして俺たちと同じく真なる世界の因子を受け継いでいる……未来への希望としては十分だろう」
戦う気のない者を駆り出しても役には立たない。
文句を言いたい幼稚な心を諫め、彼らの心境でものを考え、地母神らしい心構えで役目を割り振り、ツバサは自分を納得させたのだ。
「今となっては手遅れの期待だけどな……」
ノラシンハが萎れかけた気持ちがよくわかる。
せっかく気持ちの整理整頓がついて、臆病者たちに願いを託すことでやり過ごそうとしたのに、それを根底から台無しにされてしまった。
臆病者への憤りも、こうなっては後の祭りだ。
「俺もな、ホンマんところは……教えようかどうか迷ってん」
ノラシンハは組み合わせた手を器のようにすると、そこに視線を落としてポツリポツリと語り出す。物憂げながらも憐憫の情を湛えていた。
「こん世界を滅ぼそうっちゅう集団との激突を控え、余念なく準備して、あんヒデヨシっちゅう心強い仲間も迎えて……順調だったやん?」
そこに水を差すようでなぁ、とノラシンハは頭を振った。
堪忍なぁ――そう言いたげである。
「兄ちゃんたちが臆病どもに物申したいんはようわかる……」
俺かて同じ気持ちや、とノラシンハは強調した。
「それでも……一方的に攻め滅ぼされて、罪もない女子供まで殺し尽くされ、遺体はおろか髪の毛一本残すのも許されないほど滅ぼされるなんて……」
あんまりやんか――訴える声は涙に震えていた。
器のようにした指にポタリと滴が落ちる。
この老人、ツバサたちを上回る“いい人”なのだ。
だからこそ仲良くなれたし、共感できるし――同情してしまう。
思わず貰い泣きしてしまいそうだった。
俺だって同じ気持ちだ、とツバサも答えてやりたい。
しかし悲しいかな、この世界で生まれ育ったノラシンハの如く、彼らのために流すまでの涙は流れてこなかった。薄情と罵られても否定できない。
最悪にして絶死をもたらす終焉の悪逆非道な行いに怒りを覚える。
抵抗虚しく鏖殺された人々の無念にも共感できる。
しかし、感受性はそこまで刺激されなかった。
逃亡者に抱くネガティブなイメージ――。
被害者の実態がまったくわからない現状――。
伝聞情報のみで目の当たりにしていない惨劇――。
これらの要因が、涙腺を刺激する感受性を阻害しているのだ。
「さりとて――捨て置けるものではないな」
降って湧いた声は、ツバサやノラシンハのものではない。
それは理知的な獅子王の声だった。
~~~~~~~~~~~~
複数の結界を展開させた部屋に、軍人風の男が入室してくる。
結界を破ったわけではない。予めツバサがどの部屋にいるかを知らせ、結界内へ入れる許可を渡していただけだ。
「ウチの拠点もだが……ツバサ君の我が家も迷路顔負けの複雑さだね」
おかげで迷ったよ、と銀縁眼鏡の位置を直して苦笑する。
「ダインもジンも隙あらば増築しやがるからな」
今度2人がかりで説教するか、とツバサも呆れ顔で答えた。
悪友同士なので取り繕う必要はない。ツバサは江戸っ子らしい口調に崩すと悪童めいた笑みで顔を出してくれた親友を迎えた。
出撃の旅は一時停止――しばらく日之出工務店の対応に追われる。
数日かけてヒデヨシたちに四神同盟を見学してもらい、我々の空気に触れてもらってから、同盟加入や仲間入りを検討してもらう。
再出撃までパーティーも解散、それぞれの陣営に戻ってもらった。
彼もイシュタルランドへ帰るところだったが引き留めたのだ。
涙に濡れた眼差しをノラシンハは持ち上げる。
「……獅子の兄ちゃん」
ノラシンハ流の愛称で呼ばれたレオナルドは会釈する。それから老人は首を振り返らせると、ツバサに目線を飛ばして訴えてきた。
もう誰かに話したんか!? とノラシンハの眼が口ほどに物をいう。
ツバサははぐらかすことなく首肯した。
この案件は――ツバサ1人の手に余る。
かといって、すぐに四神同盟で議題にするのもいただけない。
ミロやミサキ、ひょっとしたらクロウも「助けに行きましょう!」と救出作戦を提案しかねないからだ。一方、現実的かつ堅実的に考えるツバサ、レオナルド、アハウといった面々は「ちょっと待った」と反対するだろう。
いや、どんな意見が出てくるか読めない。
少なくとも「異相に引き籠もってる連中がいる」と聞いた時、誰しもが嫌な顔をしたのは間違いない。あれは影響が大きいと思う。
それでも、この案件は必ずや会議を紛糾させるだろう。
最悪の場合――四神同盟が分裂する。
これから先を考えれば、そんな事態は絶対に避けるべきだ。
なので相談するにしても人数は絞るべきだと考え、この事態へ理論的に取り組んでくれそうな知恵者を選んだ結果、レオナルドに白羽の矢が立った。
「俺が呼んだ。軍師殿の知恵を借りたかったからな」
「やっと軍師気取りから昇格か……いや、まだ殿に嘲りが含まれているな」
レオナルドは拗ねたように鼻で笑うと肩をすくめた。
失礼、と行儀良く述べてからソファのひとつに腰を下ろす。
そして、おもむろに口を開いた。
「まずはノラシンハ翁、貴重な情報提供ありがとうございます。事情は大体ツバサ君から聞きましたが、まだ子細が不明な点も多々あります。そこで、私からいくつか質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
立て板に水を流すとはまさにこのこと。
レオナルドが慇懃無礼に尋問する様は、私服刑事みたいな威圧感がある。有無を言わせぬ論調に、さしものノラシンハも押し切られていた。
「お、おう……俺でわかることならなんでも聞いてんか」
「ありがとうございます」
詳細はツバサもまだ知らない部分がある。
レオナルドは聞き取り上手なので、そこら辺を丸投げしようという企みもなくはなかった。2人の質疑応答に耳を傾けてみる。
「まずは──異相に落ち延びて隠れ里のような結界を創った人々がいたということですが、その創られた隠れ里の総数はわかりますか?」
「細かくはわからへんな。でも、300は下らんかったはずやで」
「では仮に300としておきましょう。その300ある隠れ里の内、ノラシンハ翁の仰る『四神同盟に合流する気骨のある』隠れ里は如何ほどでしょう?」
「これが悲しいかな少なくてなぁ……多分こんなもんや」
ノラシンハは両手の指をパッと広げた。
戦う覚悟があるのは、300ある中で10足らずということだ。
「なるほど、30分の1ですか……では次に、壊滅させられた隠れ里が真なる世界に戻ってきて、それを遠隔視で発見できたのが数時間前とのこと。壊滅した隠れ里はいくつ確認できましたか? ひとつ、あるいは複数?」
ほじくり返すような詰問に、ノラシンハは眉をひそめた。
レオナルドも気遣って声音を和らげたが、効果は薄かったようだ。
「あんま思い出したくないんやが……そん『気骨ある隠れ里』が壊滅したんが最初のヒットだったんよ。これに慌てて心当たりのある隠れ里を片っ端から検索したら出るわ出るわ……途中から数えるん嫌になったわ」
それを推して、真実を見極めるために遠隔視を続けたらしい。
ツバサたちに伝えるために──。
「さっき言った『気骨ある隠れ里』は最初のだけやけど、他の隠れ里も調べた数の半分くらいはやられてて……ざっと30は滅ぼされとったなぁ」
「30……大体10分の1ということですね」
ふむふむ、と頷きながらレオナルドは顎を摘まんでいる。
この仕種は考え事をするときの癖のようだ。レオナルドが思考回路を巡らせる時、ふと目を遣れば親指と折り曲げた人差し指で顎を挟んでいる。
人に七癖──軍師殿にお似合いの癖だ。
「大体の総数を把握しているノラシンハ翁も心当たりがない隠れ里まで滅ぼされている可能性も考慮して……倍の60は潰されていると概算するべきかな。悲観的に見積もっても被害数は100前後だろう」
レオナルドは続けて質問する。
微に入り細に入り、聞き出すつもりだ。
「細かいところが気になる、それが俺の悪い癖だ」
「ウソつけ、それ右京さんの癖だろうが。杉下警部な右京さんの」
悪友のくだらないボケに、親友はツッコミを入れる。
「そうした300ある隠れ里は、その内部で小さな世界……この場合、社会を形成していると考えてもよろしいですか? 聞く限りでは、結界を維持できる者が1人で立て籠もっている様子ではないので……」
「せやね、隠れ里は一種の閉鎖社会になってると思ってええやろ」
小さな国みたいなもの、とノラシンハは付け加えた。
「異相へトンズラしよう! ってブームんなった時、真っ先に頼られたんが強力な結界を鼻唄歌いながら何千年でも張っていられる連中や」
まず有能な結界能力者が祭り上げられた。
その家族や親族が取り巻きとなり、そこから親しい者たちの同行が認められ、彼らにとって役に立つと許された者が選ばれ……。
「……ってな具合に組織化していったからな」
「そこだけ聞くと新興宗教の勢力拡大過程みたいだな」
大差ないで、とノラシンハはにべもない。
「では、結界能力者が王様的なポジションに据えられ、親族は王族に、取り巻きは貴族に、その他大勢は部下や家来に民衆と……配役されたのですね」
「そこは人間様の世界だって似たようなもんやったろ?」
否定できません、とレオナルドは苦笑した。
現実世界の国家形成の変遷も似たり寄ったりである。
「そうなると……彼らが異相から我々の事情を知ったとしても、結界内に閉じこもって出てこない理由にも想像がつきますね」
ツバサもその理由については幾度となくシミュレート済みだ。
それでも敢えて、軍師殿にお伺いを立ててみる。
「……内輪揉めってところか?」
「曲がりなりにも国家や組織となっていれば避けて通れない道だからね」
レオナルドは両手を返して「お手上げ」のポーズを取った。
「現に我々も内部分裂を恐れて密談する有り様だ」
「確かに……しかし、ミロやミサキ君は直感系の技能持ちだからな。こうしててもバレるかも知れないって戦々恐々してしょうがないよ」
半眼のツバサは不安を隠せなかった。
特にミロ――あいつは直観という技能まで備えており、直感と直観の相乗効果で未来予知に勝る勘を働かせるのだ。
ノラシンハが相談を持ち掛けてきたのも知っている。
この密談について根掘り葉掘り聞いてくる未来が見えていた。それも彼女なりの優しさから、ノラシンハを心配してのことなので拒むこともできない。
悩むツバサを横目に、レオナルドは考察に入る。
「ノラシンハ翁も認める『気骨のある方』が隠れ里の代表を務め、その方が『真なる世界に戻ろう。四神同盟と共に戦おう』と鶴の一声を張り上げたとしても、周りを固める家臣団の半分でも及び腰ならば……」
彼らは異相から出ないでしょう──レオナルドは断言した。
「一個人の権限がどれほど強かろうと、組織を構成するからには多数決に左右されるものだ。況してや、その決定が組織の行く末を決めるとなれば……」
「実行するまでに時間がかかる、か……」
この行動力の遅さは致命的だ。戦力が欲しいツバサたちには不利で、破壊活動を推し進めるロンドたちの有利に働くばかりだ。
異相の隠れ里が協力体制を敷く前に各個撃破できる。
これは滅ぼす側から考えれば、労力が少なくて済むから楽だろう。
まあ、探す労力がどの程度かにも寄るのだが。
「織田信長くらいワンマン強権を振るえれば別だが……」
桶狭間の戦いでは大多数の家臣が「籠城ですよ!」と主張したのに、それを無視して直属の部隊だけで出撃したのは有名なエピソードだ。
国が滅ぶか否かの瀬戸際で、あの決断をできる王は滅多にいない。
結果は大勝利なのだから家臣は口を挟めなかっただろう。
ノラシンハは残念そうに左手をはためかせた。
「あー、それは望めんなぁ。俺が認めたそん『気骨ある』10人は兄ちゃんたちそっくりや。実力は折り紙付きやけど、心根は穏やかな奴ばっかやねん」
「……仲間の意見に耳を貸し、決断に踏み切れないか」
今頃そうした結界内の隠れ里では「戦うべきだ!」「様子見だ!」と喧々囂々になるまで議論を交わしているところなのだろう。
「ま、神族魔族も十人十色やねん」
言い争っとるのはマシやと思うで? とノラシンハは投げやりだ。
でしょうね、とレオナルドも同意する。
「恐らく、漁夫の利を狙う不逞の輩もいることでしょう」
次元を超えて侵略してきた蕃神の軍勢と、愚にもつかない人間という種族から成り上がった連中が争っているなら、共倒れするまで待てばいい。
相討ちしてくれれば──労せず真なる世界を取り戻せる。
異相への亡命者には、そんな青写真を引いている者もいるはずだ。
「……そういう真性のロクデナシこそ滅んでくれんかな」
頬杖をついたツバサは鬼女の形相で歯噛みした。
娘たちには見せられない凶悪な表情で怒りに露わにする。
「いや、だから滅ぼされとるんやがな!?」
本題へ戻すべく、ノラシンハが悲痛に訴える。
天罰ではなく──最悪にして絶死をもたらす終焉によって。
声を荒らげる老体をレオナルドは片手で制した。
「そのことなんですが……石碑に記された『輪廻の時はもう来ない』の一筆から、一連の隠れ里襲撃事件にロンドが絡んでいるのは間違いありません」
しかし、ロンドにしては仕事が丁寧だ。
レオナルドは違和感を覚えずにはいられないと主張した。
「お話しましたがが、ロンドなる男は仕事こそできるが詰めが甘いというか大雑把というか……勢い任せでアバウトなところがあります。しかし、その類い希な行動力で押し切るようなところがあるのです」
真なる世界各地で暴れる最悪にして絶死をもたらす終焉。
複数の部隊に分かれているようだが、その具体的な活動は各部隊の判断に委ねられているらしい。六番隊の行動からも読み取れる。
彼らは芸術家サロンを自称し、残酷な芸術に打ち込んでいた。
穂村組を襲った一団は“終わりで始まりの卵”こそ探していたものの、その行動原理はやっぱり自由奔放だったという(バンダユウ談)。
なにせリードという隊長の命令をあんまり聞かなかったそうだ。
『破壊と殺戮を楽しめ──あとは自由!』
そんな放埒極まりない命令をしたロンドが想像できる。
「……他にも大なり小なりのルールは取り決めているのでしょうが、各部隊の動きを見るに、その程度の指示しかしていない。実にロンドらしい」
だが異相襲撃は一味違う、とレオナルドは言った。
「異相に亡命した者の情報を得、往来が難しい空間を行き来し、既に60もの隠れ里を壊滅させている……アバウトな彼らしくない手際の良さだ」
ロンドはこの世界を滅ぼすと公言している。
異相に逃れた者とて例外ではなく、片っ端から殺し尽くすつもりだ。それにしては「仕事が丁寧すぎる」とレオナルドは言いたいらしい。
「まさか……ロンドじゃない誰かの主導か?」
その意図にツバサが辿り着くと、レオナルドは確信を持って頷いた。
「ジェネシスに在籍した頃から、ロンドには頭脳役、右腕、秘書と称される3人の部下がついていた。彼らはロンドのカリスマとも成り得る行動力に心酔し、彼の欠点とも言える大雑把さを埋め合わせる才能を持っていた」
レオナルドは革手袋をはめた手でも、良い音で指を鳴らす。
「アキの調査でこの3人に絞り込めたよ」
テーブルの上に3つのウィンドウスクリーンが現れ、3人のGMに関する経歴が表示される。この3人がロンドの幹部と目されているようだ。
GM№18──頭脳役 マッコウ・モート。
GM№25──右腕 アリガミ・スサノオ。
GM№29──秘書 ミレン・カーマーラ。
「マッコウさんは強力なモンスターを軍勢単位で生み出す。ミレン君は攻撃と防御、どちらにも使える汎用性の高い能力持ち。そしてアリガミ君は……」
──次元や空間を操る特権技能を持っていた。
「おまけに3人とも、アルマゲドン時代でも高LVに属するGMだ」
LV999になっていても不思議ではない。
この3人がトリオを組んで異相を進軍していると仮定した場合、真なる世界をうろついている部隊とは格が違うと考えた方がいい。
「これまで報告されてきた各部隊の構成員は、言ってしまえば玉石混淆だ」
バンダユウが1人で9人も仕留めており──。
ヒデヨシも六番隊をほぼ1人で倒したし──。
「野にいる強者とぶつけることで、使える人材を見極めている……ロンドの野放図な命令には、そんな策略もある気がする。なにせ、『何にも考えてないようにしか見えないのに、策を弄したようにしか思えない』企画を提示する男だからね」
「切れ者の昼行灯みたいな男だな……」
「遊び人だけど有能、そしてお調子者って風体だよ──彼はね」
ますます掴み所のない御仁である。
「だが──異相を進軍する部隊は別格だと思われる」
異相は覗くだけでも体力を消耗する、恐ろしい空間である。
そのどこかに潜んでいる結界内の隠れ里を訪ねるだけでも、生半可な作業では済まされない。LV900以下なら数日で気が狂うこと請け合いだ。
バンダユウやヒデヨシに倒された──偽物のLV999。
そんな半端者たちに務まるわけがない。
異相に隠れているのは、世界的な危機に立ち向かわず逃げた者ばかりだ。そういう連中は逃げ癖がついているため、また逃げ出すに決まっている。
それこそ異空間の果てまで逃げてもおかしくはない。
逃亡を許すことなく──瞬時に殲滅する。
これができる腕前がなければ、この部隊には配属されまい。
「……以上の点から鑑みて、異相襲撃犯の部隊にはロンドの三大幹部がおり、全員が本物のLV999で構成されているという推測が成り立ちます」
レオナルドの仮説にノラシンハが物申す。
「おいおい、それもう別働隊やのうて本隊やんけ」
その通りです──レオナルドは肯定した。
「寄せ集めた烏合の衆は適当に暴れさせ、その中から使い勝手のいい玉のみを拾い上げて精鋭部隊を作る傍ら、ロンドは秘匿した最強の本隊を裏方に回して、亡命者たちの滅殺を急がせていたんですよ」
そうとしか考えられない、とレオナルドは渋い顔でまとめた。
こうなってくると聞き捨てならない大問題だ。
ツバサは瞼を閉じると、人差し指を額に突き立てて「上手い例えがないものか」と思案しながら、ロンドのやっていることを表現してみた。
「えーっと……つまりアレか? 将棋なら使える駒を並べているように見せかけて、本当は飛車や角行よりも超強力な駒を何枚も隠し持ってて、それらの駒を将棋盤の外で動かしていると?」
今回の一件は完全に埒外である。
それこそ将棋盤の外で起こっていた出来事だ。
ツバサたちの情報警戒網にまったく引っ掛からず、ノラシンハが遠隔視を使っていなければ見過ごされていただろう。
見過ごしていたらと思うだけで…………ゾッとする。
「もしわざとやっているなら大した策士だよ」
天然だとしたら――恐るべき凶運だ。
一杯食わされるところだ、とレオナルドの頬に冷や汗が落ちる。
ツバサとて同感だ。危うく騙されるところだった。
真なる世界で活動している108人の“最悪にして絶死をもたらす終焉”を倒せば終わるかと思いきや、それを超越する本隊が隠されていたのだ。
総人数こそわからないが──脅威に他ならない。
異相を往来できる空間移動能力者がいるという事実も厄介だ。
どこで不意打ちされるかわかったものじゃない。
この手の能力者には、どんな防御結界も意味を成さない。空間を乗り越えてくるだろうから対策も取りにくかった。最悪の攻撃手段としては、相手の体内から空間を切り裂いて防御不能の一撃を加えてくることだろう。
「ノラシンハ翁が発見してくれたのは僥倖です」
レオナルドは質問と考察を終え、結論のまとめに入った。
「俺としては、早急に異相襲撃犯を討つべきだと具申させていただく」
連中の存在と活動内容、どちらも由々しき事態だ。
オープンされている手札に注意していたら、とんでもない伏せ札が仕込まれていたようなものだ。いくらか動揺を誘われている。
危険な伏せ札は――破棄するべきだ。
ミロやミサキといったメンバーからはの「異相に逃れたとはいえこの世界の住人が殺されている状況は看過できない」という意見も予想できる。
「これらを鑑みるに、なるべく早く見つけ出して始末すべきだね」
さすれば八方丸く収まる、とレオナルドはほくそ笑んだ。
敵勢力の隠された主力を潰せて、異相の亡命者も救うことができ、ミロやミサキから反感も買わずに済むので四神同盟は分裂しない。
いいことずくめ目白押しである。
しかし、そのためには最初の難関が待ち受けていた。
「簡単にいうがなレオ……異相には迂闊に手を出せないと知ってるだろ?」
異相に携わる特殊技能はツバサが発明したものだ。
レオナルドからの要望で、彼にも手解きしている最中である。
ツバサからの非難を受けたレオナルドは、「まあまあ」と両手で宥めてくる。その手付きがツバサの爆乳を揉んでるように空目してムカついた。
「俺も初歩ながら異相を覗けるようになったからね。あそこは興味本位で手を出す場所じゃない。どんなに性急を求められても、二の足を踏まざるを得ない。わかっているよ、それを踏まえた上でだ……」
ひとつ――俺に策がある。
レオナルドは自信ありげに、人差し指を立てて言い切った。
ツバサは鼻白んだ顔でツッコませてもらう。
「……そこは『私にいい考えがある!』って宣言しなきゃダメだろ」
「原作では成功フラグなのに、世間では失敗フラグだからね」
遠慮させてもらったよ、とレオナルドは微笑む。
「策といってもちょっとした思い付きでね。核となるノラシンハ翁の遠隔視と……他に何人かの神族に手伝ってもらう必要はあるが」
異相に潜む殺戮部隊を――釣り上げられるかも知れない。
「俺の三世を視る眼か? それでええならナンボでも協力するが……」
「何人かに協力を頼む? 誰に何をさせる気だ?」
ツバサとノラシンハの問いに、レオナルドは即答を避けた。
ただ両手を組み合わせて企む笑顔を浮かべるばかりだ。
「3人寄れば文殊の知恵と昔の人はいったものだが……3人の神族が集まって話し合えば、こういう閃きを得られるものなんだね」
6人の神族が力を合わせれば――この難題も解決できるはずだ。
「細工は流流仕上げを御覧じろ、ってところかな」
~~~~~~~~~~~~
「タロウせんせ~い。お目覚めの時間、朝ですよ~?」
起きてくださーい、と仰向けに寝転がっているタロウの顔を覗き込みながら声をかけた。多分、この呼びかけで10回目くらいだろう。
気絶中のタロウも、いいかげん目覚めなければいけない喧しさだ。
「モーニングコールのベルボーイじゃありませんが、オレのハスキーボイスでそろそろ起きてくださーい。こんなところで熟睡するもんじゃありませんよー?」
わざとらしい演技がかった喋り方も煩わしい。
「う、うん……その声……アリガミくんかな?」
「オウイエース♪ みんなの右腕、アリガミ・スサノオでありまーす♪」
アリガミは大仰に敬礼し、変な角度で首を傾げた。
GMナンバー25――アリガミ・スサノオ。
ロンド・エンドが「右腕」と認める三大幹部の1人だ。
カジュアルな不良サラリーマン――そんな風貌の青年である。
身長は180㎝くらいと平均身長からすれば少々高め、中肉中背のように見えるがLV999の神族なので、見掛けによらない筋肉量を有している。
神族・破壊神のため基礎攻撃力の桁も違う。
バッドデッドエンズを率いるロンドも遊び人みたいな男だが、時折「社長」と呼ばれるためか社会人みたいなスーツ姿で見掛けることが多い。
アリガミもそうだ。しかし、立派に着崩している。
背広というかスーツみたいなものこそ着ているが、上着はマントよろしく肩にかけており、ワイシャツは真っ青だった。動きやすそうな大振りのズボンは鎖のサスペンダーで吊っている。
ネクタイは青いシャツに対して真っ赤なものをつけている。ワイシャツは腕まくりして、肘くらいまで肌をさらけ出していた。
剥き出しの手に装備するは――ごつい籠手。
場違いなくらい、凶悪なデザインの重武装だった。
顔立ちは外枠こそしっかりしているが細めで、人によってはイケメンに映るだろうが全体的な雰囲気から「チャラい」という印象が否めない。
色の濃いサングラスを愛用しており、双眸を見定めることはできない。
やや長めの銀髪をオールバックにしているが整髪料は使う主義じゃないのか、飾り気のないヘアバンドで留めていた。
いつも白い歯を剥いて笑っている。笑顔の絶えない好青年だ。
その口元にくわえる煙草も絶やしたことがない。
「まったくもー、気をつけてくださいよー? おれが引っ張り込んでなきゃ今頃、とんでもない大爆発と一緒にドカーンってところだったんですからね」
「うん、わかってるよ……危ないところだったんだね」
ありがとう、とタロウは礼を述べた。
ふくよかなお嬢さんとの戦いに一敗した後、その亭主を名乗る巨大ロボットを操る猿みたいな小男にしてやられた……までは記憶に残っている。
何をどうされたのか? そこはちょっと曖昧だった。
煙草の煙をくゆらせてアリガミは説明する。
「9人の終焉者にはもしもの時のために、おれ独自の緊急アラーム設定しといたんですけど、あんなけたたましいとは思わなかったですよ。でもタロウ先生の身に危険が迫ってたのは一発でわかりましたね」
「うん、それで……空間を斬り越えて助けてくれたのか」
オフコース♪ とアリガミは陽気に答える。
「そいつがおれの取り柄ですからね。おかげでロンドさんに重宝されてますよ。やってることは体のいいパシリですけどねー。ナッハッハッ!」
アリガミは煙草を一気に吸い、フィルターを吐き捨てた。
現実世界なら褒められたものではないが、ここでは咎める者もいない。
「先生たち9人の終焉者は、この世界を綺麗さっぱり消し去れる過大能力をお持ちなんですから、もっとご自愛してくださいよー?」
うん、わかってる――差し障りのない返事をしておいた。
タロウは重い上半身を起こすと辺りを見回す。
――筆舌に尽くしがたい光景がそこに広がっていた。
見渡す限り赤い濃霧で覆われたような空間だ。頻繁に黒い雷鳴のようなものが駆け抜けていくが、それは鼓膜を劈く絶叫にしか聞こえない。
陸も海も空もない、血のような赤霧と絶叫の黒雷で埋め尽くされている。
「初めて見るが……うん、これが異相というやつかな?」
すごいところだね、とタロウは見たままの感想を述べさせてもらう。
「まだマシな部類ですよ。結界を張らなくてもダメージを受けないし、おれたちくらいになれば精神も病られないし」
酷いところはホント酷い、とアリガミはうんざり声で呟いた。
そういう異相に出会したことがあるのだろう。
アリガミは新たな紙巻き煙草を引っ張り出すと、口にくわえてから人差し指で火をつける。その煙を美味そうに味わっていた。
「うん、気付けに一本もらえるかな?」
「いいですよ、おれのお手製ブレンドだけど構いませんか?」
うん、とタロウは頷いて指を伸ばした。
アリガミは箱から数本の煙草を飛び出させたので、その一本を指で摘まむ。先端がひとりでに燃えたのでそのまま口へと運んだ。
肺いっぱいに吸い込み、半開きの口から紫煙を吐き出す。
「うん、通の味だね」
「ナハハハハ、お気に召していただけたのなら結構です」
煙草の渋味で目が覚めてきたタロウは、自分が今どこに座っているかという疑問を抱かされた。この世界には大地がないから、座るどころではない。
足下にあるのは――途轍もなく巨大な球体。
今は亡き地球を偲ばせる、蒼い球体が異相に浮かんでいた。
その上にタロウとアリガミはいるのだ。
「異相に浮かぶ結界の球体……うん、これが例の隠れ里だね?」
「オフコース♪ 真なる世界をおっぽり出して亡命した人たちの結界式隠れ里、そのひとつでございまーす。先生は見るの初めてだったね」
「うん、ということは……他の人たちは仕事中かな?」
アリガミは返事をせず、人差し指で結界の内部を指差した。
覗いてみて、というジェスチャーである。
示されるがまま球体に両手を添えて覗き込んでみると、緑豊かな大地や山々、水源となる湖、人々が暮らす都市らしきものが確認できた。
規模からして小国程度はあるだろう。
この結界の中で、亡命者たちは慎ましく暮らしていたらしい。
もう――灰燼に帰しているが。
都市に覆い被さるのは血と炎の赤。その上からグラデーションのように炎から巻き上がる黒煙のブラックがかかっている。終末を彩る相応しい色合いだ。
悲鳴が聞こえないのが少々残念だが――。
破壊者の前に芸術家であるタロウはうっとり眺めた。
「うん、いい仕事してるね……中で働いているのは誰と誰かな?」
「今回はマッコウさん、ネムレスさん、オセロットくん……あとグレンくんです。ミレンちゃんは中間報告でロンドさんとこに戻しましたからね。おれは結界の外に逃げてきた奴を仕留めるように仰せつかってます」
マッコウの仕切りだろう。彼女は三大幹部でも最年長だ。
GM№18――マッコウ・モート。
自他共に、そしてロンド本人が“最悪にして絶死をもたらす終焉”の頭脳役だと認める参謀にして副官。人によっては「おっ母さん」と慕う者もいる。
それほどの存在感を彼女は有していた。
「お、噂をすれば何とやら……誰か出てくるみたいですよ?」
近付く気配にアリガミは臨戦態勢を取った。
タロウも念のため立ち上がって身構えるのだが――。
「ぶっ……ぎゃああああああああああああああああああああああーーーッ!?」
異相に響き渡る絶叫の黒雷。
それを上回るほどの断末魔が木魂し、野太い血柱が噴き上がった。
血柱の中から、血塗れの男が飛び出してくる。
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