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第14章 LV999 STAMPEDE

第342話:滅びの足音は響かない

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 これは──後にネネコが打ち明けてくれた話。

 彼女の過大能力オーバードゥーイングは、神族・地母神に相応しいものだった。

 ツバサの場合、大自然の根源となって無尽蔵のエネルギーを沸かせる。ネネコの場合、大自然と一心同体となって同調するもの。森羅万象のエネルギーを絶え間なく供給されることで、様々な奇跡を起こせるのだ。

 過大能力──【聖脂は万ホーリー・能なる熱量カロリー・となりて神威を示す】ダイナフォーセス

 ネネコは常時、森羅万象から“気”マナを補給されている。

 そもそも神族は世界から“気”を得ることで不老不死の肉体を保つ。だがネネコのエネルギー吸収率は一般的な神族とは桁違いだった。

 これも大自然と一体化できる地母神としての特性である。

 この世界に生きる動物や植物にモンスター、大地の底で脈動する地脈や霊脈、海や川を流れる海流や水の流れ、大気や空に渦巻く気流や風の流れ……“気”を持ったありとあらゆる存在からエネルギーを吸い上げていた。

 それはもう万遍まんべんなく、真なる世界ファンタジア中から集めている。
(※一般的な神族は自分の周囲がいいところ)

 吸い上げるといっても微々たるもの。動物ならば生存活動に支障が出ない、極わずかな0.000……1%程度に過ぎない。

 表現が悪いので“受け取っている”と言い換えよう。

 大自然から受け取った“気”はひとつひとつがささやかでも、集まれば莫大な量となる。ネネコはそれを圧縮させて体内に溜められるのだ。

 その“気”マナを脂肪によく似た物質に変えて──。

 ネネコは現実世界リアルにいた頃からあの特大な体型だったそうだが、真なる世界ファンタジアではこの過大能力ゆえにあの巨体を維持できるらしい。

 この物質、脂肪に似ているが性質が異なる。

 ネネコの意志で迅速に“気”へ戻すことができ、ネネコはそれを使って多種多様な効果を発揮させることができた。

 タロウとの戦闘では爆発的に燃焼させ、彼の過大能力を上回る火力を引き出すことに成功している。最終的には彼が放ってきた爆発する気を返しつつ、八卦掌はっけしょうで練ったけいにありったけの“気”を上乗せしてやったという。

 結果、あの盛大な打ち上げ花火である。

 ただし、この使い方はネネコにしてみれば「不本意」らしい。

 蓄えた“気”マナは現地種族に使いたい──これが彼女の本心だった。

 荒廃した真なる世界ファンタジア。無闇に外をうろつけば、あっという間に蕃神の眷族やモンスターに襲われて御陀仏おだぶつだ。食糧調達すらままならない。

 ほとんどの現地種族は食糧難に陥り、飢餓きがに悩まされている。

 食うや食わずの生活を強いられるため栄養失調が常態化しており、死亡原因の多くが餓死、そして栄養不足に端を発する病気である。

 彼らを助けるためにネネコは過大能力オーバードゥーイングを使ってきた。

 彼女の“気”を弱った者に注げば、即効性のありすぎる点滴として栄養補給することができる。衰弱した肉体を甦らせ、万全な状態まで引き上げ、身体を蝕む病巣を消滅させる……その神懸かった効果から万能薬と評すべきだろう。

 副作用などの心配もない。純粋に生命力を賦活ふかつしてくれる。

 ハトホルミルクに勝るとも劣らない効能があった。

 実はネネコの能力――瞬発力ではツバサを凌駕しているのだ。

 ツバサの場合、体内で湧かせた“気”を活力付与エナジーギフトや攻撃に使うためには、それに見合ったエネルギーに変換する必要がある。ハトホルミルクは別として、どうしてもワンクッションの手間が求められる。

 ネネコの場合、脂肪から“気”に戻す手間はほとんどなく、おまけに戻した時点で使い道が決まっているため即時使用が可能だった。

 その効果も攻撃や回復に限ったものではなく、凝り性のネネコは防御やサポートといった方面への使い道も編み出していた。

 難点は──ネネコの体内に溜めねばならないこと。

 タロウとの激戦のように一度で大量の“気”を使うと、「別人!?」と驚かれるくらい体型が様変わりしてしまうこと。その後、脂肪を再び貯蓄するにはそれなりに時間を要すること。

 これら三点がややネックになっているそうだ。

 爆発的な瞬間ダイエットはネックと思えないのだが……はて?

   ~~~~~~~~~~~~

 雲が吹き飛ばされるほどの上空で大爆発が起きる。

 それは花火のように色鮮やかだが咲き誇るまでにとても時間がかかり、舞い散る火花のひとつひとつが目まぐるしく光のスペクトルを変え、一瞬たりとも視界を飽きさせない。どぎついくらい極彩色の花弁が舞っていた。

 相手を散華さんげさせる――無終むしゅうの美。

 生命いのちを素材とした芸術をもって滅び行く世界を飾ろうとするアンゴワスエイクァートの首魁しゅかいは、この花火の如き芸術で破壊活動を行っていたらしい。

 自身がぜていれば世話ないが――。

 優に3分は経過しても、末期の花火は消えない。

 いいかげん眼が痛くなってきたので、ツバサたちは消えない花火から視線を逸らすと、それを見事に打ち上げたネネコに目をやった。

 見違える――とは彼女のためにある言葉だ。

 美しいという価値観に絶対はない。

 時代、民族、種族、文化、習俗、個人の趣味、多様な嗜好しこう……様々なものが交錯して日々目まぐるしく変化する。万人受けする美もあれば、玄人好みの美もあるし、マイノリティと敬遠される美もある。

 少なくとも、ツバサは太ったネネコも「美人だ」と明言できた。

 ツバサにとって“美”とは、外見などの視覚的効果より、その対象から感じられる総合的な調和に重きを置くものだと信じている。

 武道家に例えれば「心・技・体」のバランスが取れていること。

 なので、ツバサから見れば調和の取れているネネコは太っていようが痩せていようが美人として目に映るのだ。彼女に限った話ではなく、全体的なバランスが整っていれば、その人をツバサは「美しい」と評価するだろう。

 ネネコは――痩せても美しかった。

 痩せた影響なのか190㎝ほどあった身長は185㎝まで縮んでいるが、それでも180㎝あるツバサより高い。女性としてはかなり長身であるが、ネネコは脚が長いのでスーパーモデルのようだ。

 この脚の長さも彼女の美しさを引き立てる要素のひとつ。

 ムームードレスのためか、極端に変化した体型のラインはわかりにくい。しかし、太っていた時はを張るように大きく膨らんでいたドレスがスマートになっており、布が駄々余だだあまりしていた。

 痩せても変わらない超爆乳が胸元を盛り上げている。

 誇張されたバストラインに、レオナルドは釘付けになっていた。

 ……やっぱりおっぱい星人だコイツ。

「ツバサさんよりおっぱい大きい人……これで2人目かも」

 ミロも開いた口が塞がらないくらい驚いているが、着目するのはレオナルド同様にネネコの巨大な乳房だった。明らかにツバサより一回り大きい。

 ちなみに――1人目はククリの母親マムリ・オウセンだ。

 負けた……などと間違ってもツバサは思わない。

 頭の中では神々の乳母ハトホルが少なからずショックを受けているが、羽鳥はとりつばさという男心はレオやミロのように、彼女の山盛りな乳房に見惚みほれていた。

 ツバサもおっぱい星人だから仕方ない。

 大振りのドレスに隠れているが、ネネコの長い美脚と八卦掌で鍛えられた強靱きょうじんな脚力から推察するに、ふくよかな太股に支えられたヒップラインも素晴らしいことだろう。見るまでもなくわかってしまう。

 先ほどの戦闘で髪留めがはずれたのか、赤茶の濃い天然のウェーブがかかった髪を振り乱している。その髪から覗ける相貌そうぼうもまた美しい。

 布袋様と見間違えそうなほど福々しかった脂肪はすっかり落ち、細面ほそおもてと呼べるくらいスッキリしている。長い首も現れて小顔になっていた。

 睫毛の際立つ円らながらも鋭い瞳に、ほんの少し尖った高い鼻。

 元より大きくて分厚くてムッチリして……海外で人気のありそうな唇は、痩せた影響なのかやや細くなっていた。それでも十分なくらい彼女のチャームポイントとして主張している。

 膨らませた風船から空気を抜けば――ゴムの皮膜がダルダルになる。

 人間の皮膚も似たようなものだ。太りに太ってパンパンになった後、ダイエットなどで劇的げきてきに痩せると余った皮膚が垂れる。

 これは大変に見苦しい。

 しかし、ネネコの皮膚にそういった劣化は現れていない。

 神族ならではの肉体復元能力のおかげだろう。

「やっぱり……似ているな」

 チラリ、とランマルの横顔を盗み見る。

 姉がよくわからないけど恐怖の小っさいオッサンをやっつけたので、弟は道具箱インベントリから取り出したのかサイリウムや「姉ちゃんラヴ♪」と書かれた派手な団扇うちわを振り回して大はしゃぎの真っ最中だ。

 痩せたネネコは――ランマル(♀)とよく似ていた。

 厚い唇さえ除けば、ランマル(♀)を大人びさせればネネコの顔になる。対してネネコを幼くすればランマル(♀)の面立ちになる。さすが姉弟きょうだい

 ネネコは打ち上げたタロウの花火を見上げている。

 眉間に皺を寄せて忌々しそうだ。

 タロウは爆発四散したのだから勝利をうたってもいいのだが――。

「いや――まだか」

 ツバサが呟くよりも早く、直感系の技能スキルを有するミロとランマルのアホの子2人が空を見上げた。まだ空の上で大輪を咲かせるタロウの花火をだ。

『うん……ボク、まだ死んでないからね』

 爆発音を無理やり音声に切り替えた声が聞こえてきた。

 緩やかな爆発を繰り返す花火、それが規則性を持って形を変える。

 どういう原理なのか──爆発が終わらない巨大な花火。

 そこから湧き上がるように別の爆発がタロウの大きな顔を形作ると、千手観音のように何十本もの腕を生やしてきたのだ。完璧にバケモノである。

「「うわっ――しぶと気持ち悪ッ!?」」

 ミロとランマルが異口同音で悲鳴を上げた。

 最初は「しぶとい!」と毒突くつもりだったが、花火から大きな顔といくつもの腕が生えた形状になったので「気持ち悪い!」と足したらしい。

 混ざったら、よくわからない日本語になった。

 花火と同化した異形の芸術家は不気味にほくそ笑む。

『うん、言ったよね――ボクの過大能力オーバードゥーイングは使い勝手がいい』

 過大能力――【玄妙なる幻彩にて無エクスプロージョン・終の美を飾る爆烈師】イリュージョニスト

『こうして爆発になりきることも……うん、できちゃうんだよね』

 さあ第2回戦だ! とタロウは急降下してくる。

 人間としての形態をかなぐり捨て、爆発の化身となったタロウ。確かな実体を持たないそれは宇宙からやってきた巨大な怪物のようだった。

 あるいは異次元の怪物――蕃神ばんしんを思い出させる。

「案の定か、しつこいと思ったわよ」

 ネネコは鬱陶うっとうしそうに半笑いでため息をついた。
 
 これを案じて勝ち名乗りをしなかったのだ。ネネコは抜かりなく八卦掌の構えを取り直した。真正面ではなく、頭上の敵を相手取る構えだ。

「他人の命を呆気なく散らすような外道は、往生際が悪いって相場が決まってるものね……来なさいよ、爆発サイコ野郎!」

 一片いっぺん残さず散らしてあげるわ! ネネコは怒鳴った。

 その形相はまさに鬼気迫るものがあった。

 太っていた時の迫力も凄まじいものがあったが、痩せた表情で叫ぶネネコも凄絶せいぜつ極まりない。ランマルは自分が怒られたわけでもないのに、全身をガクブルさせてセイコの背中に隠れてしまうほどだ。

 ――料理人ネネコVS芸術家タロウ。

 ネネコは元より、どうやらタロウも実力でつちかったLV999スリーナイン。真に極めた者同士の戦いは、先ほど激闘さえも小手調べに過ぎない。

 決着をつける死闘はここからだ。

「――ロケットパァァァーーーーーーーーーーーーーーーンチッ!!」

 だがしかし、この雄叫びがすべてを吹き飛ばした。

   ~~~~~~~~~~~~

 最初――ダインの仕業かと思った。

 なにせ巨大ロボットの豪拳ごうけんが、ひじの辺りから分離するとロケット噴射を噴きながら音速の壁を破る勢いで飛んできたのだ。ダインがダイダラスシリーズを出撃させたと勘違いしても仕方ない。

 巨大ロボの豪拳は、花火と化したタロウを殴りつける。

 爆発の化身であろうともタロウが形を維持する以上、ある程度は実体を持ってしまうことが避けられないらしい。遠くへ弾き飛ばされていく。

『うん!? 爆発であるボクを……殴れるの!?』

 殴られた本人が愕然としていた。

 宙を飛ぶ様は、さながら浜辺のビーチボールである。

 どうやら殴られたタロウの動揺振りからして、ロケットパンチの拳部分にも何らかの細工があるようだ。特殊な力場を発しているらしい。

 普通、爆発という化学反応に過ぎない現象を殴れるはずがない。

 いくらタロウ自身が転じた“生命力を備えた爆発”であろうともだ。だからこそ、ロケットパンチで殴り飛ばされたことにタロウが一番驚かされたのだろう。

 実体を持たない敵に効果がある攻撃手段、是非とも後学の参考にしたい。

 一仕事終えた豪拳はUターン。

 大型コンテナでも一握りで潰せそうな豪拳が戻る先、そこにはいつの間にか巨大ロボットが立っていた。アラクネの隠れ里を見下ろせる位置、やや低めの山を足場にして地形が変わるほど踏み締めている。

 それだけの重量があるのだろう。

 あれほどの質量を誇る物体が近付けばば気付かないわけないのだが、ツバサたちの誰もが感知できなかった。

 つまり──あれは極々ごくごく短時間で現れたのだ。

 ロケットパンチとして撃ち出された豪拳は戻ってくると、本体の腕部へ再ドッキングする。それは巨大ロボでもダイダラスシリーズとは似ても似つかない、初めて目にする新しい機体だった。

 全長は300mを超えるだろう。

 グレートダイダラスが全長50m、そのパワーアップフォームであるグランドダイダラスが全長60m。移動要塞フォートレスダイダラスに至っては、この二機を一気に越えて全長1000mと約1㎞に達する。

 この巨大ロボはどこにも当てはまらない。

 外観からしてダイダラスシリーズと一線をかくしている。

 ダイダラスシリーズは長男が敬愛するトランス○ォーマーシリーズや、ロボットアニメで一世を風靡した『勇○シリーズ』や『エル○ランシリーズ』のフォルムが取り入れられている。ダインが嬉しそうにそう語ってくれたのだ。

 しかし突如現れたこの巨大ロボは――和風だった。

 第一印象は「手足のある姫路城ひめじじょう」と思ったくらいだ。それほど随所ずいしょに日本風のお城をモティーフにした装甲があしらわれている。

 その装甲だがお城ばかりではなく、戦国時代の武将が身にまとった豪壮な鎧からもデザインを取り入れている。また、日本の城を意識しているせいか腕先や足下が石垣いしがきのように根太ねぶとく、全体的にドッシリしている。

 なんとなく『戦隊ヒーローシリーズの巨大ロボ』という言葉ワードが浮かぶ。

 和風ロボの頭上――絢爛けんらんな前立てで飾られたかぶと

「押っ取り刀で戻ってみりゃ……なんだぁ、この花火のバケモノはよ?」

 その前立て付近から声がする。

 よくよく眼を凝らせば、そこに小さな人影があった。

「──オレの女房に何してやがるッッッ!」

 若々しいのにドスの利いた、重みのある迫力にあふれた声だ。

 この声を聞いた瞬間――3人が各々の反応を示す。

 レオナルドは声の主を探すため、眼鏡の奥の眼を凝らした。ランマルは弾けるような笑顔で大きく口を開け、甲板かんぱんへりまで駆け寄る。

 そして、ネネコは和風ロボの頭上へ顔を向けると、嬉しさのあまり瞳を潤ませていた。厚い唇が喜びのためにほころんでいく。

「――日之出ひのでさん!?」
「――義兄あんちゃん!」
「――おまえさん!」

 彼が――ヒデヨシ・ライジングサン。

 三者三様の声に呼ばれても、そちらには振り向かない。

 ちょうど和風ロボの目線に浮かんでいる花火の怪物、即ちタロウを強敵認定しているのか、決して注意を逸らさないようにしていた。

 声から想像できたが、とても若々しい。

 奥さんネネコが28歳で旦那ヒデヨシが27歳と聞いたが、10代でも通じる外見だ。

 身長も160㎝あるかないかと男性にしては小柄なのも手伝って、少年といっても通じるほど若作り。やや丸顔で猿に似た面立ちなのだが眼力がとても強く、ほほの肉がシュッと細めなのと鼻筋が通っているため男前である。

 意気軒昂いきけんこうにつり上がる勝ち気な太い眉。その下には燃え上がる情熱で爛々らんらんと輝く双眸そうぼうがギラついている。猿に似ていると思わせる一番の要因である大きい口は、白い歯を覗かせて豪放磊落ごうほうらいらくな笑みを絶やそうとしない。

 工作道具を差し込めるように改良したニッカポッカを穿き、足には足袋たびを模したブーツで決めている。

 肉体労働で鍛えた筋肉で覆われた上半身には下着の類をつけず、ニッカポッカのように道具を仕舞えるポケットだらけのベストを着込む。

 ギンギラギンに輝く金髪はクセ毛なのか荒々しく、頭頂部でまとめてまげのように結っている。もみあげもバリバリ、そんなところも猿っぽい。

 髪の色に合わせたのか、錦糸きんしがド派手に煌めく丈の長い半纏はんてんを肩にかけているのだが、その背中には達筆で“大棟梁だいとうりょう”と染め抜かれている。大統領とかけているのだろうが……まあ、工務店の社長だから棟梁とうりょうで間違っていない。

 ヒデヨシは腕を組んだままタロウを睨む。

 口元から笑みが消え、眼光が溶接ようせつバーナーの如く燃えていた。

「ふくよかさが自慢のオレの女房をあんなにやつれさせただけでも万死に値するってのに……アラクネの嬢ちゃんたちにちょっかいかけたのもテメェか?」

 ヒデヨシは1本の指南針しなんしんまんでいた。

 そこからけたたましいアラームが鳴り響いている。

 恐らく、現地種族ために作ったシェルターに危機が迫ると、それを知らせる警報器のようなシステムが指南針に搭載されていたのだ。

 この緊急警報を聞いて駆けつけたらしい。

「オレが守護まもると誓ったもんに手ぇ出したのはテメェか?」

 あぁん? とヒデヨシは滾る怒りのままに凄む。

 タロウは爆炎でかたどった顔をそちらに向けた。

 いつもの読めない表情で「うん」と頷く。

『うん、そうだよ。君はアレかな、あのお嬢さんたちの……』

「認めたな――じゃあ、もういい」

 ヒデヨシが指を弾くと、彼の足下にある城型ロボが動き出す。

 兜の下にある双眸がロボットらしい眼光を煌めかせた。

「テメェはオレの敵だ──失せろッ!」

 瞬く間もなく全身の各部が開き、大小無数の砲門が飛び出してきた。胸部からは超特大の巨砲が迫り出してくる。どれも発射準備は整っていた。




 過大能力オーバードゥーイング――【夜明けと共にキャッスル聳え立て・オブ・絶対無敵大戦城】ゴールデンドーン




「テメェみたいな人外は消しとくに限る!」

 一斉掃射! の号令を合図に砲火の嵐が吹き荒れた。

 爆発その物であるタロウが──爆発に見舞われる。

『うん、これは……普通の砲弾じゃないね!?』

 タロウはおもいっきり狼狽ろうばいした。

 ヒデヨシの操る城型の巨大ロボット。そこから発射される砲弾は貫通せず、花火となったタロウに触れると爆発した。

 この爆発が花火を散らす。ただの金属製の弾頭ではない。

 どうやら思い通りの場所で爆裂させられる特殊砲弾らしく、花火と化したタロウの内外で大爆発を引き起こしていた。爆発の化身となっているタロウは誘爆を誘われ、全体を形成する花火の量が減ってくる。

 これにはタロウのポーカーフェイスも崩れた。

 不味まずい! と顔に書いてある。

 タロウの形勢不利を見抜いたヒデヨシは歯を剥いて笑う。

「慌ててやがるな? でも正体があるかも怪しい、爆発っていう掴み所のねえバケモノだ。ちっとでも残ってりゃそこから再生できんだろ?」

 させねぇよ、とヒデヨシは指をスナップさせる。

 全身から突出させた無数の砲門で攻撃する城型ロボ。

 その中で唯一、砲撃をしていなかった胸の巨砲が重低音を響かせた。砲身の奥から感じられるのは、この世に存在してはいけない力の波動だった。

 この力は──性質タチが悪いものだ。

 ツバサは寒気を覚え、全身が粟立あわだってしまった。

「待った! それをぶっ放すつもりか? 今此処でッ!?」
「お、おい……ちょっと待て日之出さん!?」

 分析系を働かせていたレオナルドも慌てて制止の声を上げる。

 ツバサも止めようとしたが間に合わない。

反物質アンチマター烈砲キャノン──発射!」

「「何してくれてやがんだアンタァァァああああーーーーーーッ!?」」

 反物質──名前の通り、物質に反する存在。

 物質と比べると質量や運動量はまったく同じにもかかわらず、内包する素粒子そりゅうしなどが完全に逆の性質を持っている。これを反物質と呼ぶ。

 反物質は物質とぶつかると対消滅という現象を起こす。

 細かく説明するといくら時間があっても足りないので省かざるを得ないが、この対消滅は絶大なエネルギーを発生させ、とてつもない破壊力となるのだ。

 そのため、SFなどでは兵器のアイデアとしてよく用いられる。

 ツバサ、レオナルド、ダインも攻撃手段として備えてはいた。

 ただし──対蕃神の最終兵器として。

 滅多なことでは使わない、と全員肝に銘じている。

 他の神族や魔族、あるいは多種族が近くにいる場所で使うなど言語道断。ひとつ間違えれば真なる世界ファンタジアの何分の一かを消失させかねない。

 それほど破壊力の規模が違う。

 反物質とは素粒子を長い時間ぶつけて作るものだが、加減を間違えてちょっとでも多くの反物質を生成すれば、大陸をも消滅させる恐れがある。

 だから禁じ手にしたのだが──。

「それを何あっさり使ってくれてるんだアンタはーーーッ!?」
「奥さんやアラクネの里が近くにあんの忘れてんのかコラーーーッ!?」

 キャラ崩壊の絶叫を上げるツバサとレオナルド。

 結界越しなので届かないかと思えば、ヒデヨシはこちらに気付いたように振り返ると余裕の笑顔で軽く手を振った。

「心配ありがとよ! なぁに、仕上げをごろうじろってな!」

 城型ロボの巨砲から発射されるのは──闇を凝らした砲弾。

 あれは反物質の塊だ。

 ツバサが使うブラックホールにも似ているが、異質のくらさを称えている。それにツバサはブラックホールを使う際、完全に制御下へ置いていた。だが、ヒデヨシの放った反物質は打ちっぱなしである。

 コントロールもへったくれもない。暴発したら一巻の終わりだ。

 反物質の砲弾が花火と化したタロウに接触する。

『うん? これは……引っ張られッ!?』

 最期まで言い切る暇もなく──タロウは消失した。

 まさに忽然と消えたのだ。もはや花火の一遍さえ残っていない。禍々まがまがしい破壊力を秘めた反物質も一緒に消えている。これだけでもホッとした。

 ツバサにはこの消失現象に心当たりがある。

「あの砲弾……空間転移が仕込まれていたのか?」

 反物質が作用する直前、触れたものを遠方へと転移させる空間転移の魔法の気配があった。だからタロウ共々どこかへ飛ばしたらしい。

 次の瞬間──空で大爆発が起きた。

 遙か上空、成層圏せいそうけんを超えて宇宙の彼方での大爆発。

 その爆発の規模は2つ目の太陽と錯覚するほどで、目映まばゆすぎる閃光に目がくらみそうになる。だが、この爆発が意味するところはひとつしかない。

 タロウとともに空間転移した反物質。

 それが宇宙の果てまで飛ばされ、そこで対消滅を起こしたのだ。

「へっ、玉屋たまや鍵屋かぎや現実世界あっちに置き去りだが……」

 まあまあな花火だな、とヒデヨシは人差し指で鼻下をこすった。

 さすがLV999の工作者――面目めんもく躍如やくじょだろう。

 切り札の反物質を地上で使えば、大惨事が起きるのは火を見るよりも明らか。そこで空間転移の魔法を仕込み、対消滅させたい相手を誰もいない宇宙空間まで飛ばして、そこで心置きなく起爆させる……という仕組みだったらしい。

「彼も一流の工作者クラフター、安全対策は抜かりないか……」

 それでも冷や汗が出たのか、レオナルドは手の甲で顎下あごしたを拭っていた。

「使っても周囲に被害を及ぼすことがない。その自信がなければ、大切な奥さんや守ると言った現地種族がいるのに使うはずもないか……」

 でも、あんまり使ってほしくないな──反物質。

(※前述の通り威力が恐ろしすぎるので、次元や空間さえも歪ませてしまい、そこから蕃神が入ってきたら二次被害どころではないという理由から)

 対消滅の反応が収まり、タロウの気配も消え失せた。

「……よし! 悪は滅びた! 完・全・勝・利!」

 この場から危機が去ったのを確認したヒデヨシは、妻に代わって声高らかに勝利宣言をすると、城型ロボの頭頂部からおもむろに飛び降りた。

 神族なので心配無用、飛行系技能を使っている。

 ただし、地上へ降りていくスピードはほとんど自由落下フリーフォールだ。

 彼が飛び降りると同時に――城型ロボが消えた。

 半透明になったかと思えば、そのありあまる存在感を最初からなかったみたいにかき消してしまった。道具箱インベントリに仕舞ったとかではない。

 あの城型ロボが、ヒデヨシの過大能力オーバードゥーイングその物なのだろう。

 分類的には次男ヴァト過大能力オーバードゥーイングに近い。

 ヴァトが繰り出す巨神と似た能力だが、あちらは霊体的な要素が強いのに対して、ヒデヨシの城型ロボは重厚な立体感があった。

 舞い降りるヒデヨシは一直線に突き進む。

 目指す着地点には他でもない――愛妻ネネコが待ち侘びていた。

 ネネコも飛び降りてくるヒデヨシに息を合わせるが如く、大きく両腕を広げ亭主を受け止める準備を整えていた。

「ネネコォォォオオオオオオッッッーーーッ!」
「おまえさぁぁぁああああああーーーんッッ!」

 ツバサを上回る特盛りのおっぱいをクッションにして、まっしぐらに落ちてきたヒデヨシを受け止めるネネコ。本当に自由落下してきたのか衝撃はなかなか大きかったらしく、ネネコは八卦掌みたいな歩法で数回転する。

 それはヒデヨシの落下の勢いを殺すためであると共に、夫婦で仲良くダンスを踊っているようにも見えた。実際、回る姿はとても優雅だった。

 のみの夫婦――なんて言葉がある。

 蚤は雄より雌の方が大きいため、夫よりも妻が大柄だったり背が高かったりするとそう呼ぶのだが、ネネコとヒデヨシの夫婦にはぴったりだ。

「んじゃ、アタシたちも蚤の夫婦?」
「ん、そうなるな……いやいや違う違う違う!」

 ツバサの独白を読んだミロに訊かれて、よく考えずに相槌を打とうとしたツバサだが慌てて否定した。

 確かにツバサとミロは身長差がある。ネネコとヒデヨシくらいある。

 しかし、蚤の夫婦と認めたらツバサが妻にされてしまうのだ。

 チッ惜しい、とミロは言質げんちが取れず舌打ちした。

 160あるかないかのヒデヨシはネネコの超爆乳の谷間に小さな頭をスッポリ収めると、両手両足を駆使してしがみついていた。ネネコもネネコで、ヒデヨシを自らの肉体へ埋めるようにひっしと抱きしめている。

 互いの安否あんぴを気遣い、嬉し涙を流しての再会だった。

「無事だったか! 怪我けがはねぇかネネコ!?」
「おまえさんこそ! まさかこんなにすぐ会えるなんて!」

 2人は顔を近づけると、躊躇ためらいなく密着させる。

 愛し合う夫婦が顔と顔を合わせる先にやることはひとつだ。

 思わず子供たちの目をふさいでしまった。

 ツバサがミロの目元を両手で隠し、セイコはランマルが担当する。
 
 レオナルドも気遣きづかったのか目を逸らす。

 ネネコとヒデヨシは体が溶け合って境界線がなくなりそうな熱い抱擁ほうようの後、火傷やけどしそうな灼熱しゃくねつ接吻キスを交わしていた。

 しかし、ネネコの唇は既に何度となく述べている通り、海外のセクシー女優並みに分厚くて大きいので、ヒデヨシは顔全体を吸い取られそうな勢いだ。特大のキスマークがヒデヨシの顔を埋め尽くしてゆく。

 感情のせきが切れたネネコは止まず、ヒデヨシも大喜びで受け入れる。

 もう末永く幸せに爆発炎上してほしい。

 見ているこちらが燃えそうなイチャイチャ振りである。

 ようやくキスの嵐に満足したネネコが落ち着いてくると、ヒデヨシは満面の笑顔から一転、悲しげに泣きながらネネコの頬を愛おしげに撫でた。

 ヒデヨシはすまなそうに詫びる。

「ああ、こんなに痩せちまって……オレの愛したとびきりのダイナマイトバディが見る影もねえ……すまねぇネネコ、たった3日離れ離れになっただけだってのに、こんなやつれるくらい苦労かけちまって……ネネコぉ……」

 謝りながらガン泣きするほどヒデヨシは落ち込む。

 そんな夫の優しさに触れたネネコは、慈しむようにヒデヨシを抱き直すと、子供へ頬ずりするように顔を寄せて彼を慰めた。

「大丈夫よ、あたしは平気……あのオッサンがヤバそうだったからね、ありったけの“気”マナを攻撃に使っちゃっただけ……ごめんね、心配かけて」

 あんまり痩せる・・・・・・・と嫌われちゃうもんね、とネネコも涙ぐんで苦笑する。

 これにヒデヨシは「バカ野郎!」と即否定した。

「痩せようが太ろうがネネコはネネコじゃねえか! オレが愛した女房は後にも先にもおまえしかいねぇんだ! こんなことで嫌うわけねぇだろうが!」

 まっすぐで力強い言霊ことだまがネネコの胸を貫いた。

 涙ぐんでいたネネコは顔をクシャクシャにして、もう一度ヒデヨシを胸の谷間へ詰め込むように抱き締めた。嬉しさが堪えきれないようだ。

「おまえさん……おまえさん……ヒデヨシさぁん!」
「ネネコ……本当に無事で良かった……おまえに何かあったオレぁ……」

 ──夫婦の愛を確かめ合う2人。

 抱き合ったまましばらく硬直していたが、ふと同じタイミングで顔を上げたネネコとヒデヨシは、お互いが連れていた家族について問い質す。

 先に訪ねたのネネコだった。

「そういやおまえさん、工務店の子たちはどうしたの?」
「安心しろぃ、そっちも抜かりねぇ」

 ちゃんと追いかけてきてるはずだ、とヒデヨシは振り返る。

 そこへ「親方ーッ!」「棟梁ーッ!」「社長ーッ!」と統一感こそないものの男性のまとめ役を呼ぶ声がコダマしてくる。合間合間に「おかみさーん!」と女性の上役を呼ぶ声も聞こえてきた。

 野を越え山を越え現れたのは──大型クルーザー。

 外見的にはコンテナを引いたトレーラータイプだが、装甲車級の防御力に銃火器を装備しているので軍用トレーラーと評したい。

 軍用トレーラーから10人の神族の気配がする。

 彼らこそが──日之出ひので十勇士じゅうゆうし

 日之出工務店の社員にして、ヒデヨシの仲間なのだろう。

 大柄な者に小柄な者、痩せた者に太った者、イケメンに三枚目、愛嬌のある美女にひねた感じの小娘……十人十色の仲間たちが笑顔でやってくる。口々にネネコとヒデヨシを敬称で呼び、嬉しそうに手を振っていた。

 ネネコの大型バイクもヒデヨシ作というから、あの軍用トレーラーも移動拠点として製作したようだ。

 アラクネの里の異変を察知して全員で戻ってきたが、ヒデヨシが待ちきれず1人で先行したらしい。短気で喧嘩っ早そうだから仕方あるまい。

 また、アラクネの里にも変化があった。

 結界に覆われたシェルター内からおっかなびっくり様子を窺っていたアラクネの娘たちが、ヒデヨシの勝利を知ったのか恐る恐る顔を出してきた。そこで抱き合うヒデヨシとネネコを目にして「安全だ!」と判断したらしい。

 蜘蛛の娘たちは歓声を上げ、ヒデヨシ夫妻を出迎えた。

 そこへ日之出工務店の軍用トレーラーも駆けつけ、日之出十勇士が降りてくるとネネコを「おかみさん!」と呼び、彼女の無事を喜んでいた。

 ほとんどネネコに抱き上げられるというかしがみついていたヒデヨシも地面に降りると、姿の見えない義弟おとうとを探しながら訊いてみる。

「おいネネコ、ランはどうしたんだ?」

 ネネコは拍手するように両手を合わせた。

「そうそうランちゃん! 勿論あの子も元気にしてるけど、実は朗報があるのよ! おまえさんがずっと探してたものが……」

 ネネコはツバサたちに出会えたことを報告する。

 喜々として話すネネコにヒデヨシも上機嫌で耳を傾けていた。

 ……そろそろ顔を出しても大丈夫かな?

 登場する頃合いを見計らっていたツバサは、ダインに連絡してハトホルフリートの隠密結界を解除しつつ着陸する機会を待っていた。

 すると──ズボンがクイクイと引っ張られた。

 視線を下ろせば足下にあぐらで座っていたランマルが、ツバサのズボンを摘まんでいたのだ。ニコッと女の子らしい表情ではにかんでいる。

「行こうよツバサのお母ちゃん、義兄あんちゃんたちに紹介するからさ」

 この子──ただのアホの子ではない。

 一応、ツバサたちに配慮してくれたらしい。

 ヒデヨシが現れた時、彼を「義兄ちゃん!」と絶賛するランマルは、その性格から飛び出して、ネネコと2人掛かりで抱きついてもおかしくはない。

 しかし、敢えてランマルは我慢したのだ。

 ツバサたちがヒデヨシの前に現れればどんなに敵意がなかろうとも、初対面から来る不信感は少なからずつきまとう。でも親しげなランマルが一緒にいれば、それだけで双方の緊張感はほぐれることだろう。

 現在、ネネコがツバサたちの話をヒデヨシに説明中でもある。

 あの夫婦仲の良さを見れば、ヒデヨシはネネコに全幅の信頼を寄せているのは疑いようもない。ツバサたちの話も真剣に聞いてくれているはずだ。

 ネネコとランマルの姉弟が──橋渡し役となっている。

 事前に打ち合わせたわけではない。ランマルは「姉ちゃんはこうするだろうからオイラはこうしとくかー」程度の考えなのだろう。

 その気配りが大いなる助けとなりそうだ。

「誰がお母ちゃんだ」

 しかし、それとこれとは話が別。

 母親呼ばわりに対する決め台詞は言わせてもらった。

   ~~~~~~~~~~~~

細君つま義弟おとうとが世話になったこと──感謝いたします!」

 開口一番、ヒデヨシは謝辞しゃじから始めた。

 職人として、また社長として公共の場での交際も多々あったのだろう。こういう時はべらんめぇ口調にならず、折り目正しい言葉遣いである。

 ──場所はアラクネの里の前。

 開けた場所には双方の陣営が向かい合っている。

 こちらはハトホルフリートは上空に待機させ、ツバサを筆頭にミロたちも降りてきていた。ツバサとミロが代表して前に出る。

 ハトホル国ではなく、四神同盟の代表として先頭に立った。

 日之出工務店も軍用トレーラーを邪魔にならない場所に停めると社員たちが降りてきて、ヒデヨシの後ろに5人ずつ2列で整列する。

 ヒデヨシが大股おおまたを開いた正座をすると、社員たちも習うように座り込む。

 ネネコとランマルは、少し離れたところに佇んでいた。

 そして──アラクネ族。

 下半身が大きな蜘蛛の彼女たちもシェルターから出てくると、こちらを遠巻きにしており、恩人であるヒデヨシとツバサの交渉を見守っている。

 ツバサたちが降りてくるまでの間、ヒデヨシはネネコから事の経緯いきさつを詳しく聞いたらしい。最初に頭を深々と下げて御礼を述べてきた。

 礼儀を重んじる人格だと評価できた。

 ヒデヨシは顔を上げると、真剣に眉を釣り上げて訴える。

「そして、性急かも知れんが……オレたちを仲間に入れてほしい!」

 いきなり──急展開を求めてきた。

 四神同盟としても3人のLV999スリーナインと、10人の高LV工作クラフト系プレイヤーを抱えた集団は仲間に迎えたい。これは本音である。

 しかし、ヒデヨシはその手順をぶっちぎろうとしていた。

 まずは挨拶を交わし、話し合うことで相互理解を深め、それから四神同盟の現状を見学してもらい、納得の上で同盟に加わってもらうつもりだった。

 なのに結果から求めてきた。何やら焦りが見え隠れしている。

 ツバサが答えるよりも早く、ヒデヨシは切り出す。

「アンタたちの人柄ならネネコがわかってる! ネネコが掛け値なしで褒めちぎるほどの御人おひとならオレだって信頼できる! ネネコはオレの女房、女房が信じるならオレは自分以上に信じられる!」

 ちんたらやってる暇はねぇんだ! とヒデヨシは声を荒らげた。

 口調を素に戻したヒデヨシは言い募る。

「アンタたちの人の良さと強さはネネコとランが保証してくれる! なら四神同盟っていう安全地帯もこの目で拝ませてもらいてぇ! だがそれより何より! この世界に安全な場所があるんなら、路頭に迷ってる連中をそこへ連れてってやらなきゃならねえ! そいつが最優先だ! 他は後回しでも構わねぇ!」

 ヒデヨシは再び頭を下げてきた。

 今度は土下座である。しかも全身全霊の土下座だ。

「もし、オレらがまだ信用できねぇってんなら、仲間入りの件は先送りにしてもらってもいい! 信じてもらえるだけの働きを見せてからで全然OKだ! だけどな、だけど……ここにいるアラクネの嬢ちゃんたち、それにオレたちが出会ってきた連中は受け入れてやってくれねぇか!?」

 助けてやってくれねぇか? 絞るような声で懇願する。

「頼む、後生だ……あの子らに……安心できる生活を……ッ!」

 仲間入りを急いだ理由──得心できた。

 自分たちは二の次三の次で、まずは助けた現地種族をもっと安全な場所へ住まわせたいがために、「仲間にしてくれ!」と頼んできたのだ。そのために信頼が必要というなら、相応の代償を払うとまで言い出した。

 ネネコやランマル、日之出工務店からは文句ひとつ出ない。

 みんな──彼の意向に従うつもりだ。

 ヒデヨシの思い遣りにあふれた性格に納得ずくの上で、彼とともに生きる道を選んでいるのだろう。一蓮いちれん托生たくしょうの家族でなければ必ずや愚痴ぐちが湧く。

 ヒデヨシ・ライジングサン──話以上の御仁である。

 ネネコからの伝聞情報では、気っ風きっぷが良くて気前もいい、義を見て為さざるは勇なきなりを地で行くと聞いていたが、そのまんまの人物だった。

 誰かを救うためなら――恥も自尊心プライドも投げ捨てて土下座できる心意気。

 ツバサたちに負けず劣らずの“お人好し”だ。

 気の抜けたため息を漏らしたツバサは、初対面の人物なので引き締めていた表情筋を緩めてしまう。それから土下座するヒデヨシに歩み寄った。

「頭を上げてください、ヒデヨシさん」

 彼の傍らにしゃがみ込み、その肩に手を乗せて促した。

 ヒデヨシが顔を上げるのを待って、視線を合わせてから告げる。

「まずはあなた方が助けた人たちを迎えに行きましょう。それから四神同盟へ……ひとまずハトホル国へいらしてください」

 話はそれからで構いません、とツバサはりをほぐすように言った。

 現地の人々を助けたいという気持ちは同じだ。

 言葉の端々はしばしにその想いを込めて、ヒデヨシに伝えてみる。

「ありがてぇ……恩に着るぜ、ツバサくん!」

 ヒデヨシは涙ぐむ笑顔で、こちらの申し出を受け入れてくれた。

   ~~~~~~~~~~~~

 出撃の旅だというのに、たった1日で舞い戻ってしまった。

 あれから日之出工務店の皆さんをハトホルフリートに乗せ(軍用トレーラーも格納済み)、ヒデヨシの持つ指南針を頼りに航路を取った。

 日之出工務店が各地に設けた──現地種族のためのシェルター。

 彼らが建てた隠れ里をハトホルフリートで訪ねたのだ。

 現地に到着するまでは最高速度を出して、一刻でも早く彼らを保護することに努めた結果、日暮れ前には全種族を回収することができた。

 ヒデヨシたちが一緒なので、どの種族も脅えることなくハトホルフリートに乗ってくれた。おかげで保護する手間もスムーズである。

 全種族を艦に乗せたところで、ツバサは転移魔法を使った。

 ハトホルフリートまでなら転移させられる。搭乗人数が多かったので少々魔力の消費が増えたが、これにより一瞬でハトホル国へ帰還できた。

 帰ってきた頃には日も暮れたので──今日は店仕舞いとする。

 保護した現地種族は、こんな時のためにダインが用意した宿泊施設に泊まってもらうことにした。今夜はたっぷりの食事を摂って休んでもらう。

 身の振り方などを考えるのは、落ち着いてからでいい。

 それはヒデヨシたちも例外ではない。

 客人ということで“我が家”マイホームに招待させてもらった。

 今夜はささやかな歓迎会を開き、一晩しっかり休息を取ってもらう。

 そして明日、四神同盟の各国を見学してもらうつもりだ。その案内の途中、お互いの情報交換を行いたいし、もっとわかり合えることができるかも知れない。

 親睦しんぼくを深めたい、そんな期待もあった。

 仲間入りや同盟参加の判断するのは、それからでも遅くはない。

 ……まあ、この分なら問題はないと思う。

 現地種族をハトホルフリートで拾っている最中、ヒデヨシと話し込んだがネネコと同じくらい意気投合することができたのだ。

「なんだツバサくんも東京葛飾の生まれ、つまり江戸っ子かい」
「じゃあ、ヒデヨシさんも?」

 ヒデヨシのべらんめぇ口調はツバサの地の喋り方(子供たちの教育に悪いので封印している)に相通ずるので、よもやという予感はあった。

「ああ、世田谷の方だけどな。賢持けんもちさんもその近くだぜ?」

 なあ? とヒデヨシはレオナルドに同意を求めた。

 賢持けんもち獅子雄ししお――現実世界リアルの本名で呼ばれたレオナルドはやや当惑したものの、困ったような微笑みで「ああ」と返している。

「日之出さん、もう現実世界はないとはいえ……顧客の個人情報はあんまり喋らない方がよろしいですよ?」

「あ、こりゃいけねぇ……悪ぃ悪ぃ、ダッハッハッハッ!」

 まったく悪びれもせずヒデヨシは豪快に笑った。 

 しかし、レオナルドも強くたしなめられない。

 GM権限で彼をテストプレイヤーに推薦し、家族まるごと異世界転移させた原因は、ほとんどレオナルドのせいといっても間違いではない。

 レオナルドはもう一度、誠意を持って謝罪した。

 ヒデヨシは「いいってことよ」と破顔はがん一笑いっしょう、ネネコと一言一句変わらないような返事でレオナルドを許したのだ。

 もうこの時点で仲間にしてもいいのでは? と思ったくらいだ。

 あれかな……漫画やアニメの主人公みたいに、面白い奴を見つけたら「おい仲間になれよ!」とか「友達になろう!」という強引さがツバサには求められているのだろうか? 自分に慎重であることを課すのはともかく、相手にも慎重であることを求めるのは行き過ぎなのだろうか?

 ……いいや、やっぱり慎重であるべきだ。

 今後も石橋を鉄橋に作り直す慎重さで挑んでいこう。

 そんなこんなで――ヒデヨシたちを“我が家”へご招待する。

 家の造りに日之出工務店のみんなは頻りに感心し、長男ダインとあれやこれやと建築談義で盛り上がっていた。工作者クラフター同士、仲良くなるのが早い。

「ダインくんか――惜しいな、おめぇさんにゃ現実リアルで会いたかったぜ」

 そう言ってヒデヨシはダインの背中を叩いた。

 肩を叩きたかったのだろうが、その……届かなかったのだ。

「もうおめぇさんは地力じりきができちまってる。オレにゃ助言できることはあっても、指導する余地はねぇ……おめぇさんを一から育ててみたかったな」

 これはヒデヨシからの最大の賛辞さんじだった。

 ダインは照れて頭をボリボリ掻きながら謙遜する。

「そ、そんなこたぁねえぜよ……わしなんか工作者としても建築家としてもまだまだひよっこじゃ……良ければ、ご指導ご鞭撻べんたつよろしゅう願うぜよ」

「応よ! いつでも何でも聞いてくんな!」

 もうすっかり打ち解けている。

 仲間入りの件はこのままうやむやになり、気付いた頃には日之出工務店ごとハトホル国に根付いていそうだ。そして、各陣営の国には支店が建ち並んで……そんな未来が垣間見えた。

 とにもかくにも――招待したのだから歓迎しよう。

 歓迎会の準備ができるまでの間、ツバサとミロはヒデヨシたちに“我が家”の中を案内した。人数が多いので二手に分けれることにする。

 社員の皆さんの案内は、ダインとフミカに頼んだ。

 本当はハトホル国内を案内したいのだが、既に日が落ちている。

 どうせなら昼間に案内したいのと、まだ照明などが乏しい国内では国民が早めに眠りについてしまうので、明日へ延ばすことになった。

「ツバサくん、この家で一番高いところへ連れてってくれねぇかな?」

 夜景でもいい──この国を一望したい。

 最初に“我が家”を外側から見て、意外と背の高い建物だと知ったヒデヨシは、こんな要望をしてきた。やっぱり国の様子を知りたいのだろう。

 人々が安らかに暮らせているか──安全な土地かどうか。

 その願いに応えるべく、“我が家”マイホームの最上階へ案内することにした。

 先日、ミロとバンダユウたちが談笑していた天守閣だ。
(※第330~331話参照)

 ツバサが先導して最上階までヒデヨシ、ネネコ、ランマルを連れて行こうとしたのだが、ある理由から足を止めざるを得なかった。

「ミロ、悪いがヒデヨシさんたちを天守閣まで案内してあげてくれ」

 すぐ追いつくから、とミロに任せることにした。

 いつもならアホの子は「えーなんでー?」とふて腐れたように納得いかない返事をするものだが、この時ばかりは空気を読んでくれたらしい。

 ――彼女もわかっている・・・・・・のだ。

「うん、わかった。みんなと先に行ってるね」

 こっちだよ、とミロはヒデヨシたちを手招いて階段を登っていく。

 ミロたちを見送り、足音が聞こえなくなるのを待つ。

 広い廊下にツバサは一人、立ち尽くす。

 それから遮音しゃおんや認識を阻害する結界を自分の周囲に張り巡らせ、これから話すであろう会話を外へ漏らさぬようにした。

 もういいだろう──ツバサは声をかける。

「……何の用だジイさん」
「すまんなぁ兄ちゃん、気ぃ遣わせてもうて」

 ズルリ、と廊下の壁をすり抜けて現れたのはノラシンハだった。

 浅黒い肌をした痩身の老人。長旅で擦り切れた遊行僧サードゥーの衣装を身にまとっていたが、デザインはそのままに新品を着ている。

 ツバサがプレゼントしたものだ(ハルクイン製)。

 人に七癖、タスキみたいに長い白髭を手でしごいている。

 初めて会った時から剽軽ひょうきんさを忘れないご老体だったが、今日の顔色はどう見ても浮かなかった。いや、深刻に思い詰めているといっても過言ではない。

 ツバサたちが帰るなり、ずっとつきまとっているのだ。

 表立って姿を現すことこそなかったものの、魔法か何かでこうして壁や床に天井へ沈み込んでは、話し掛けるチャンスを待っていた。

 これにヒデヨシたちも気付いていた。

 恐らく、「念のために自分たちを見張っている忍者系のプレイヤーかな?」と勘違いしてスルーしてくれたらしい。夫婦と姉弟そろって「大丈夫、わかってるから気を遣わないで」と眼で合図してきたくらいだ。

 ノラシンハはズケズケと物を言うタイプだと思っていた。

 ──ぶっちゃけ厚かましい。

 そんな老人がまるで初恋の人を追い回すストーカーみたいな行為に打って出たので、「これは何かある」とツバサも胸の内がざわついてきた。

 だからヒデヨシ一行の案内をミロ(彼女もわかっていた)に任せ、自分は面と向かって話を聞いてやるつもりになったのだ。

 ツバサは振り返ると、爆乳の下で腕を組んでから静かに問い掛ける。

「新しいプレイヤーが珍しい……ってわけじゃないよな?」
「あの一家にゃ来て早々、挨拶かましたやないの」

 そうだ──ノラシンハは彼らとの顔合わせを済ませていた。

 珍しいもの見たさで追い回していたわけではない。

 何より、ノラシンハが醸し出す「これどないしよ……」という意志がわかるほどの陰鬱いんうつな気持ちが伝わってくる。大失敗をやらかして母親に相談したいけど打ち明けられずにいる子供のような調子なのだ。

「誰が母親だッ!?」
「いや、すまん……今日は上手いこと切り替えせんわ」

 堪忍な、とノラシンハは弱々しく首を振った。

 アカン──これは重症だ。

 いつもなら関西人みたいな闊達かったつさでノリツッコミをしてくれるのだが、それさえもできないほど重い悩みを抱えているに違いない。

 ツバサは問い詰めるのではなく、導くような声で催促する。

「何があったジイさん? 俺で良ければ聞かせてくれ」

 最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズ絡みか? と重ねてみた。

 ノラシンハは即答さえできず、「うん、あのな……実は……」と囁くような小声で曖昧な言葉を繰り返した後、ようよう本題を話してくれた。

「いつぞや……みんなで集まって会議したやんか?」
「四神同盟会議のことだな」

 うん、とノラシンハは弱々しく頷いた。

「そん時、俺いったと思うんやけど……ほら、俺みたいに隠れとる神族や魔族はいっぱいいるって……兄ちゃんみたいに世界や空間や次元の狭間にある……異相いそうに小さな世界を創って避難しとる奴らもいるって……」

「ああ、聞いたな。でも彼らに頼るのは望み薄なんだろ?」
(※第324話参照)

 真なる世界ファンタジアと同じ世界が広がる──異相いそう

 これは略称で、正しくは『位相が異なる空間』だ。略して異相。

 この異相はノラシンハの言った通り、世界、空間、次元といったものの狭間にあるような場所だ。異次元とか別次元といったものではない。

 ツバサのイメージとしては、世界が球体だとしたら、その球体にまとわりつくオブラートのようなもの。そこに別の空間が広がっているのだ。

 異相に結界を張り巡らせ──別世界を創る。

 度重なる蕃神ばんしんの襲撃に耐えかねた先代神族や魔族の一部が、異相のあちこちにそういった別世界を設けて、そこへ逃げ込んだという。

 謂わば避難地である。

 そこに閉じ籠もる彼らを以前、引き籠もりに例えていたが……。

「あれは言葉の綾……ちゅうか言い過ぎたんや」

 さっそくノラシンハは訂正してきた。

「地球からやってきた兄ちゃんたちが強く正しく美しくあるように、こっちの世界の住人かてみんながみんなクズやない……兄ちゃんたちの活躍に感化されて、協力を申し出るような気概きがいのある奴はぎょーさんいたはずなんや」

「だが……俺たちは出会っていないぞ」

 嫌味のつもりはないが、言葉にするとそう捉えられても仕方ない。

 事実、悪態あくたいのひとつをついても罰は当たらないだろう。

 真なる世界ファンタジアの──先住神族や先住魔族。

 ツバサたちに協力してくれたのは、指折り数えるくらいだ。

 共にこの世界で生きていくなら、今日まで頑張ってきたツバサたちに一声かけるくらいの愛想があってもいいと思うのだが?

 ない手は頼るな――というが、そこに居るのにだんまりなのは頂けない。

 傍観ぼうかんを決め込む姿勢も心証しんしょうは悪くなるばかりだ。

「ああ、返す言葉もないな……でも、言い訳させてほしいんや」

 これにノラシンハは我が事のように恥じる。

 と同時に、打ち拉がれるほど肩身を縮めてしまった

「兄ちゃんたちみたいに気概のある連中はな、引き籠もったままでてこないわけやない……事の成り行きを見守ってるわけでもない……」



 みんな──殺されてもうたんや。



 絶望の呟きを漏らしたノラシンハは右手を掲げた。

 フミカほどしっかりしたものではないが、ぼんやりとした映像を映すスクリーンを投影させると、どこかの風景をそこに映し出す。

 広がるのは――見渡す限りの焦土しょうど

 かつては繁栄したと思しき都市、街、居城、要塞、田畑……ありとあらゆる風土が破壊されていた。原型を留めたものはひとつ足りとてない。

 ブスブスとくすぶる黒煙があちこちから上っている。

 国が燃える臭いのみならず、人の焼ける臭いまで鼻をく。そんな錯覚を覚えるところだが、つぶさに映像を眺めていると間違いだと気付かされた。

 死体がない──ひとつもだ。

 これだけの人為的な破壊行為が見られ、廃墟と化した都市や町だとわかるのに、虐げられた人々の姿がまったく見当たらなかった。

 そこに生活していた形跡があるのに、どこにも痕跡が残されていない。

 神族か魔族か多種族か……誰かがいたはずなのに。

 驚愕のあまり、覗き込んだまま固まっていたツバサは我を取り戻すとノラシンハに問い詰める。今現在、自分が見せられているものについてだ。

「ジイさん! こいつは一体……ッ!?」

「引き籠もりになったけど、時が来れば絶対に戦う……そういう知り合いを思い出しては、俺の眼でひたすら探してたんや……そしたら」

 不意にこれが見えた、とノラシンハは辛そうに告白する。

「これ……異相に結界で創られた別天地や」

 そして、苦しそうに視えた理由・・・・・に仮説を立てていく。

「このぶっ壊れ方から思うに……多分、とんでもない奴等に襲われたんや。そいつらは結界内にいた住民をことごく、死体も残らんような方法で殺し尽くし、形あるものをひとつ残らず破壊して……最後に結界もぶち破られたんやと思う」

「だから、こっちの世界に戻ってきた……」

 ゆえにノラシンハの遠隔視に引っ掛かったのだろう。

 これもまた――最悪にして絶死をもたらす終焉の仕業なのか?

 したくはないがせざるを得ない質問をツバサが口から解き放つ前に、ノラシンハはスクリーン内の映像を動かすと、決定的なものを見せてくる。

 ツバサは久し振りに戦慄した。

 何らかの記念碑、そこに血文字でこう記されている。



『――輪廻の時はロンド・もう来ないエンド



 ノラシンハはスクリーンを握り潰すように消すと、自らの爪が皺にまみれた手に食い込んで血を流すほど握り締める。そして、苦汁を吐くように言った。

「あいつらの本気……舐めとった……ッ!」

 異相に隠れられたら、ノラシンハの遠隔視を以てしても覗けない。

 また、蕃神ばんしんも異相は発見することは難しいようだ。

 ツバサは管理下に置いた異相をできるだけ調べてみたが、蕃神に荒らされた形跡はどこにも見当たらなかったのだ。最悪の場合、この異相をみんなの避難場所にできないかと計画したほどである。

 だから、異相に逃げ込んだ先住民たちを笑うことはできなかった。

 つまり──異相にいればある程度の安全は確保できる。

 万が一、真なる世界ファンタジアが蕃神に蹂躙じゅうりんされたとしても、そうして神族や魔族が逃げ込んだ別世界が生き残り、そこに新世界が生まれるかも知れない。

 そんな淡い期待もどこかにあった。しかし――。

「可能性の芽さえ、潰されていたか……」

 ツバサは呻くままに苦い言葉を吐き出した



 滅びの足音は響かず、誰にも知られることなく進軍していたのだ。


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