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第14章 LV999 STAMPEDE
第341話:誰にもできない!芸術的な爆発式ダイエット!
しおりを挟む――ゴォームが燃える。
要塞魔人とも呼ぶべき彼の体内から食い破るように、根や枝を伸ばして現れたのは大木と見紛うほどの樹木人間に変身したランマルだった。ゴォームの全身に蔦を絡ませるが如く枝葉を這わせると、前触れもなく燃え上がる。
自らの巨木と化した身体を燃やしたのではない。
樹木から炎そのものに変化したのだ。
その炎も溶岩のようなとろみを持っており、全身のあちこちを破損させたゴォームの内外を問わず芯まで染みるように焼き焦がしていく。
不燃の材質でできたゴーレムであっても我慢できるものではない。
「ゴォォォォーーーームゥゥゥゥッッ!?」
「トドメだ岩おこし野郎ッ!」
炎の魔人となったランマルは噴炎よろしく、ゴォームの頭上へ飛び上がる。彼にまとわりついていた炎を引き連れてだ。
空中に飛び上がった炎のランマルは高速の宙返りを繰り返す。
火炎が渦巻いて膨れ上がると思いきや収縮していった。やがて赤々と燃える炎は青々とした水流に変わり、流れる水の玉が回転する。
水球の中心――水の妖精に変じたランマルが浮いていた。
「ガキの頃、古ぼけたフライパンを焼きすぎたところに、間違えて水をぶっかけて姉ちゃんに死ぬほど怒られたからな……さすがに覚えたぜ」
こうなるのをな! ランマルは水球を破る。
まき散らすのは氷になる寸前に温度調整した冷水だ。
冷水のシャワーは真っ赤に焼けたゴォームに降り注ぎ、その硬い身体を急激に冷やす。発生した極端な温度差によって彼の要塞のように硬質化した肉体は脆くなり、何もせずとも崩壊寸前にまで追い込まれた。
最後の一撃をぶち込むまでもない。
「ゴォ…………ム……ゥ……」
ガラガラとレンガの壁を崩すように、ゴォームは前のめりに倒れた。
地に伏したゴォームの頭、その先にランマルは降り立つ。
スライム、ダイヤモンド、樹木、火炎、そして水の精霊と変身を繰り返したが、着地した時には美少女へと戻っていた。
まだ油断せず、三体式を構えるのも忘れない。
仰向けに倒れたドロスは肺が破れるほど胸部を刮がれており、呼吸をする度に血反吐を吹いている。ペトラはうつ伏せに倒れてまだ顔面を押さえているが、背骨をやられたためにろくに手足を動かせない。
ゴォームに至っては落城したような有り様だ。
3人とも再起不能クラスの致命傷を負わされているが、神族なので辛うじて一命を取り留めている。今すぐ回復魔法を使えば助かるだろう。
逆に言えば、放っておくと復活する。
しかし、ランマルは「トドメ!」と前言しておきながら、彼らの息の根を止めるために動こうとはしない。
何故なら――レオナルドが助言したからだ。
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『殺生が嫌なら無理をすることはない』
後始末は引き受けよう、とレオナルドが約束していた。
「半死半生か、ちょうどいい具合だな」
ハトホルフリートの甲板から戦況を眺めていたレオナルドは、3人のアンゴワスエイクァートが戦闘不能に陥ると指を鳴らした。
過大能力――【世界を改変させる者】。
認識できる範囲の世界を意のままに組み替えることができる能力を発動させたレオナルドは、敗北者3人へ個別の小型結界を被せる。
3つの結界は金属を折り畳む音をさせて次第に縮んでいく。
空間ごと圧縮しているらしく、結界の内側に閉じ込められた3人の姿も比例して縮んでいく。ケーキを収める箱くらいまで小さくなると、そこから一気に縮小を早めていき、やがて音もなく消えてしまう。
そして、レオナルドの手には3枚のカードが収まっていた。
カードにしては分厚い。タイルほどの厚みがある。
タイルよりも石材に似た質感、デザインはキャラクターのトレーディングカードそのものだ。それぞれドロス、ペトラ、ゴォームが描かれていた。
ツバサは横目にレオナルドの手の内を覗く。
「お、新しい技か? 封印系だな」
「ツバサ君もそうだがミサキ君もできるしね。俺もいくつか考案しておくべきかなと思って……クロウさんの協力を得て完成させたものだよ」
ツバサは悪徳プレイヤーの何人かに半永久封印かましている。
具体的には万年を経ても溶けない“万年氷牙”という氷に閉じ込め、ハトホル国の地下深くに埋めたのだ。「魂の底から悔い改めたら釈放してやる」と魔法をかけてあるが、誰も出所してこないので反省には程遠いらしい。
聞けばミサキも“ヴァルなんとか”と名乗った自称騎士王の悪人を、石か何かに封じ込めて、同じように反省するまで封印しているそうだ。
「極悪人であろうと人的かつ物的な資材だ」
使い道はいくらでもある、とレオナルドはタイル状のカードを弄ぶ。
その横顔は愚者を翻弄して愉悦に浸る悪漢のようだ。
「脳内に蓄えられた情報を吸い上げれば使えるものもあるだろうし、迷惑極まりない能力を役立たせる機会もあるだろう……まあ、封印されている間に改心してくれれば、それに越したことはないのだがね」
監獄式――辺獄封棺石版。
自らの過大能力に、複数の高等技能を掛け合わせたものらしい。
ツバサの滅日の紅炎などと同じ理屈だ。
「クロウさんの過大能力には劣るが、技能で模倣させていただいたのでね。この石に閉じ込められている間、地獄の責め苦で反省を強制される」
石版内で尋問することであらいざらいの情報を吐かせることもできるし、石版の裏に当人の過大能力が詳細に記されており、この石版を使うことでその能力を発動させることもできるという(※再使用にはクールタイムを要する)。
即ち――他者の過大能力をマジックアイテム化したもの。
真のLV999ならば秒で破られてしまうだろうが、それ以下のLVや偽物ならばどう足掻いても脱獄は不可能。重傷など負っていれば尚更だ。
「……本当に人的かつ物的に利用するつもりか」
「言ったろう? どんな極悪人であろうとも使い方次第さ」
ツバサが「えげつない奴」と嫌そうな顔で舌を出すも、レオナルドは堪えた様子もなく鼻で笑って石版を懐に仕舞う。
ここら辺のやり取りは友人同士ゆえに気安さだ。本気で啀み合っているわけではない。たまにミサキ君が絡むと戦争になりかねないが……。
この男なら悪用することもあるまい。
また、使い所を間違えることもないだろう。
誰よりも悪党な面構えをしているが、この男より情け深くて人情家な男はツバサは知らない。だからこそ、バッドデッドエンズであろうと情状酌量して、こんな封印技で反省を勧め、恭順の機会を与えているのだ。
外面如菩薩内心如夜叉――の逆を地で行く男だ。
(※外面如菩薩内心夜叉=顔立ちは菩薩のように優しそうだが、その心の内は夜叉のように悪逆非道なこと。美人だけどとんでもない悪女を差すが、元は仏教において女性は修行の妨げになるという理由から生まれた言葉)
しかし、優しすぎるのも玉に瑕だ。
「……その優しさのせいで優柔不断の権化になってるんだがな」
「だから爆乳特戦隊が宙ぶらりんなんだね」
ツバサとミロは「可哀想に」とわざとらしくため息をついた。
レオナルドは顰めっ面で反論する。
「爆乳特戦隊の問題は別だろ!? あいつらは俺にとっての部下であって恋愛感情云々はあいつらが勝手に騒いでるだけなんだからして!」
慌ててるのか、語尾が変になるレオナルドだった。
どうもこの軍師、どこぞに意中の女性がいるらしく、その女性にゾッコンで他には見向きもしないらしい。爆乳特戦隊もそれは承知の上だが、積もり積もった恋心は留まることを知らないようだ。
最近はカンナも折れて『その女性を含めてハーレムエンドもOK』と説得しているのだが、レオナルドが彼女たちに手を出すことはない。
だったら情れない態度で諦めさせればいいものを、根が優しいため彼女のたちの気持ちを蔑ろにもできず、上司として労ったり男として優しくしたりする度に好感度ポイントは上昇してカンストしてしまう。
おかげで悪循環の螺旋だ。
一度でも彼女たちに手を出せば理性という歯止めが壊れて、ハーレムエンドまっしぐらだと思うのだが、レオナルドは決して手を出さない。
据え膳食わぬは男の恥――ならば据え膳食わぬ男の意地もある。
どんなに非難されても、そう言って譲らないのだ。
その強情なレオナルドがいじけた。
ツバサたちに背を向けてしゃがみ、人差し指で甲板に「の」の字を書いている。軍服姿の男がやっていると惨めすぎて目を覆いたくなった。
「せっかく見栄えが良くて利便性のある新技を使ったというのに……どうして女性関係で責められなければならないんだ? 俺はあれか、女性関係で不祥事を起こした芸人か? ほとぼり冷めるまで隠れていればいいのか?」
「最近はネットの声がうるさいからカムバックできないけどね」
「……動画配信者として再出発するしかないな」
ミロのツッコミにレオナルドはよくある流れで乗っかった。
それもまた修羅の道なのだが……。
違う違う――話が変な方向へ逸れている。
「大体、ツバサもレオナルドも新技なら腐るほど蓄えてるだろ」
満を持して披露したところで今更である。
修行マニアな2人は暇さえあれば過大能力と技能を掛け合わせ、敵性プレイヤーや蕃神に対抗するための新技の開発に余念がない。
「手札や切り札っていうなら、二階の屋根を超えるくらいのトランプターを積み上げられるほどあるんだ。いちいちリアクションを取るものでもない」
しゃがんだレオナルドは上目遣いに振り返る。
「そうは言うが……やっぱり感嘆の声くらい欲しいじゃないか」
「なんだ、そのつまんねぇ承認欲求?」
ケッ、と悪ガキみたいに舌打ちしてやった。
気持ちはわからんでもないが、そこまでいじけることでもない。
いや、いじけたのは爆乳特戦隊でイジられたからか……。
ねえねえ、とミロはツバサの袖を引っ張った。
「ツバサさんも新技とかないの? おっぱいミサイルとかおっぱいビームとかおっぱいハリケーンとかおっぱいグラビティフォールとか……」
「どうしておっぱい限定なんだよ?」
今度はツバサがイジられる番か。
どうやらレオナルドが本気でネガティブになりかけたため、哀れに思ったミロが舵を切ったらしい。ついでにツバサのおっぱいに甘えるつもりだ。
ツバサに背中を預けてくる。
反射的かつ無意識に抱き留めてやると、ミロは細い両腕をスルリと持ち上げて、ツバサの巨大すぎる爆乳を下から持ち上げるようにポヨポヨと揺らした。
見掛けは子供がふざけているだけ。
だがミロは胸を持ち上げる度、小さく発勁を打ち込んでいる。
それも攻撃目的ではなく、乳房の中の乳腺を気持ちよく刺激するという、まさかの性感帯のみを刺激する発勁だ。もうわけがわからない。
――こんなのツバサでもできないんだが!?
しかし、こちらも女神としてレベルアップしているので、この程度では嬌声を漏らすどころか表情さえ変えることはない。ただ、気持ちいいだけだ。
素知らぬ顔で話を進めるが、おっぱいの話題からは逃げられない。
「だって、こんなに自己主張の激しいセックスアピールポイントなんだからさ、せっかくなら使わなきゃ勿体ないじゃない? なんかないのおっぱい技?」
「あるわけないだろそんなもん」
いや、思いついた新技はいくつかあるのだが……完成させてみると冷静になり、「阿呆すぎる」と封印してしまったのだ。
「俺的には――おっぱいキャノンという技はどうだろう?」
やおらレオナルドが立ち直った。
そういえばこの男──希代のおっぱい星人だ。
背筋をシャキーンと正してまっすぐ立てた掌で眼鏡の位置を直すと、軍師らしく淀みない整然とした弁舌で捲し立てる。
「ツバサ君のその男性から女性へ、乳房の大きい女神へ、豊満な地母神へと神化したことで獲得した超級と褒め称えるべき爆乳をだ、神族の肉体だからこそできる超震動で揺らすことによって、特殊な周波数を発生させる。それを当てることでエコロケーションの要領で対象を破壊する固有振動を割り出し、改めてその固有振動周波数を浴びせることで対象を木っ端微塵に…………」
「黙れおっぱい星人! 説明長いわ鬱陶しい!」
しかもこの長台詞――仕返しである。
ツバサが爆乳特戦隊でイジメたのをいいことに、レオナルドは女体化したことを蒸し返されるのが堪らなく嫌なツバサに突きつけてきたわけだ。
やられたらやり返す、悪友らしい遣り口と言えよう。
「大体なぁ……そんな面倒なことするくらいなら、何もかも破壊する振動波を発射した方が早いわ! それがブレストキャノンってもんだろ!」
封印した新技こそ――ブレストキャノンである。
使う度に服の胸元を破るか、おっぱいを丸出しにして揺らす必要があったため、見た目的に「阿呆すぎる」というのが封印理由だ。
許されるのは、ギャグ漫画かエロ漫画くらいのものだろう。
もしかすると既にどこかでネタにされているかも……。
過度のR18ではなければ漫画も男性向け女性向け問わず、大抵のものは読破しているというフミカなら知っていそうな気もするが訊きたくはなかった。
ツバサとミロと(珍しく)レオナルドの3人が茶番に興じている横で、ネネコとセイコはランマルが奮闘する戦場から目を離さずにいた。
――セイコはネネコへ興味深げに尋ねている。
まだ「おっぱいおっぱい」言ってるアホの子とバカ軍師を無視して、ツバサはそちらの話題へ乗り換えることにした。
「なぁネネコの姐さんよ、あの坊主……弟さんの変身は仕込がいるのかい?」
「あら、わかっちゃったかしら?」
そうよ、とネネコは言葉では肯定しない。ただ、ニュアンス的にほぼ認めたようなものだ。ランマルの変身についてはツバサも訊きたい。
さりげなく推測を交えて話に混ざる。
「スライムのフィメルスライム族、金属生命体のメタリアン族、樹木人間のエレントフォルン族、炎の魔人サラマンドル族、水の精霊ヴォジャノーイ族とルサールカ族……それぞれの肉体能力を使ってますからね」
しかも、神族化したランマルに合わせた威力を発揮していた。
セイコは怪獣のようなポーズで更に尋ねる。
「おれと戦ってた時もこんな怪獣みたいな手になってたが、ありゃモンスター族とかの特徴だろ? そういうのもいる種族だっていうし」
「お察しの通り――ランマルの変身は出会った種族に依るの」
答え合わせは済んでる、とばかりにネネコは明かした。
信頼を寄せてくれたツバサたちへ秘密にするつもりは元よりないだろうが、ああもランマルがあからさまに変身してしまえば隠す意味もない。
多種族と出会い、彼らの身体的特徴を模倣する能力。
しかもオリジナルを超えた模倣である。
様々な種族の肉体的能力をコピーしつつ、その出力を神族クラスにまで引き上げることができる。謂わば肉体強化系の変種だ。多くの種族と出会うことで変身の種類を増やせれば、それらを複合させて応用の幅も広がるだろう。
出会いを繰り返す度──ランマルは強くなる。
「ただ、最初は何もできなくてね」
その時のことを思い出したのか、ネネコはクスッと笑った。
「あたしや亭主たちはちゃんとした過大能力だったから、『オイラだけハズレだー!』って騒いでたけど……フィメルスライム族の村で覚醒してね」
「彼女たちの能力を使えるようになったんですね?」
ええ……とネネコは何故か言葉を濁す。
眉根を寄せて愚弟の今後を思い詰める苦い表情になった。
「ええ、そう、そうなのよ……彼女たちのおかげで過大能力が覚醒して、どういうものかわかったんだけど……あの子の能力は、ちょっと厄介でね」
多種族の能力を物にする過程――そこに一手間かかる。
その手間がネネコを悩ませているようだ。
「おかげで、あの子がとんでもない性癖を抱えてるのもわかっちゃったし……姉としては、あの脳味噌アッパラパーな愚弟の未来が心配で心配で……」
ミロの将来を案じるツバサと同じ顔で、ネネコは頭を抱えていた。
しかし……。
「「――とんでもない性癖?」」
ツバサとセイコは腕を組み、揃って首を右へ傾げた。
底抜けに明るいアホの子なランマルに、そんな変態性が潜んでいるのか?
だが、ネネコなりに安心材料は見つけているようだ。
「節操はないけど節度はある子だから……大丈夫だと思うんだけど」
「「――節操はないけど節度はある?」」
今度は首を左へと傾げるツバサとセイコ。
なんだろう、なぞなぞを問い掛けられている気分になってきた。
~~~~~~~~~~~~
――甲板でバカ話に興じる。
そんな余裕があるくらい、ランマルの強さには信頼が持てた。現にアンゴワスエイクァートの残党を1人で3人も瞬殺している。仮にもバッド・デッド・エンズ、全員LV999という常軌を逸した集団だ。
どうやらロンドというGMの過大能力で強化されたチートのLV999のようだが、その脅威は本物であり世界を滅ぼすことも不可能ではない。
それを完封できるランマルの腕前は確かなものだ。
もう油断はしないと、ヘラヘラするのをやめて生真面目に口を結んだランマルは三体式を解いた。そして、ゆっくり最後の1人へ近付いていく。
タロウ大先生――ドロスたちはそう呼んでいた。
恐らく、彼がアンゴワスエイクァートを率いる隊長格。
「うん、強いね君。お嬢ちゃん」
いや坊ちゃんかな、とタロウは頬杖を突いた。
「アンタもやるみたいじゃんオッチャン。手合わせ、お願いできる?」
ランマルは女の子らしい声で挑発する。
しかし近付いても無反応、岩から腰を上げようともしない。まったく戦おうという姿勢を見せなかった。まるで「自分の出番はまだ」という風情だ。
タロウまで十数歩という距離まで来た時――。
「――そこまでザンス!」
大気を音速で切り裂く牛追い鞭のような風鳴りが響き、ランマルとタロウの間に長いもの割って入った。地面を叩く衝撃波にランマルは飛び退くが、タロウは微動だにせず巻き上がる粉塵混じりの風を浴びていた。
これでも瞬きひとつしない、能面のような顔が土煙の向こうに隠れる。
その土煙を破って現れたのは長い腕だった。
触手のようにどこまでも伸びる触腕は、先端にこそ人間の手をつけているものの関節というものと無縁でグネグネ蠢いている。
この触腕を鞭にして叩きつけてきたのは――。
「ミーがピンピンしているのを忘れてもらっちゃ困るザンスー!」
「……あー、そういや忘れてたわ」
──ベルゼムが全速力で戻ってきていた。
まだ距離があるけれど、土煙を巻き上げてこちらに駆けてくる。ランマルが乱入した時、地の果てまで吹っ飛ばしたので時間がかかったらしい。
両手両足を振ってシャカシャカと規則正しく走る。
土煙の奥──ベルゼムの背中から触腕が伸び上がってきた。
「我らがタロウ大先生に手合わせ願おうとは不届き千万笑止千万! まずは弟子であるミーたちアンゴワスエイクァート全員を倒してから! 特に一番弟子たるこの、ベルゼム・キャイブロンを打ち破ってからにするザンスッ!」
過大能力――【数多の生命は我が技法にて芸術へと変華せん】。
掴んだものを生きた芸術に変える神の触腕。
その群れが一斉に迫ってくると、さしものランマルも顔が引き攣る。
「参ったな……アンタの能力はおっかねえんだよな」
オイラの変身でも対応できない、とランマルは口をへの字に曲げた。
ベルゼムの触腕に掴まったら最後、変身するどころではない。ランマルまで生きた芸術に作り変えられてしまう。
ドロスの時は相手の過大能力が効く前に変身することで、「決まった!」と相手に勘違いさせて騙くらかすことができた。
あのささくれ立ったレイピアには掠りもしていない。喰らったようなフリをして、血肉をスライム状へと変化させたに過ぎない。
ペトラやゴォームの時は、相手の過大能力をかけられても変身できるものだったので、変身し直すことでやり過ごせた。
しかし、ベルゼムの過大能力はどちらもできない。
義兄ちゃんと戦ってたベルゼムの能力を見たが、アイツの過大能力で芸術品にされたものは変身とか変形という以前に、ガッチリ拘束されているイメージだ。ランマルでも変身できないくらいガッチガチに固められてしまう。
それほどベルゼムの過大能力は拘束力が強い。
多分、まともに受けたら一生そのままで固定される。
伊達にあの芸術家集団のリーダーを任せられてないということだ。
変身能力で倒せないのならばどうするべきか?
「…………普通にブン殴るしかねぇな!」
ランマルは覚悟を決めると、迫り来る触腕の群れへ突っ込むようにベルゼム目掛けて走り出した。相手の間合いへ果敢に踏み込んでいく。
しかし、伸びる触腕のおかげでベルゼムの間合いは広い。
「逃げ場なんてやらないザンスよ! 男か女かわからないオマエーッ!」
「サービスで女の子になってやったんだよ!」
おまえらへのサービスじゃないけどな! とランマルは吠えた。
ランマルは群がる触腕を掻い潜って突き進む。上から覆い被さってくる触腕を躱すべく、どんどん前傾姿勢になるも前へ進むことは止めない。
地に伏すように、地を這うように――。
てっきり変身しているのかと思えば、人間の体型を崩さぬままこれだけの芸当をやっている。あの姿勢のまま走るのは相応の鍛錬を積んできた証だ。
そして、ランマルの動きにベルゼムは対応できていない。
「ぐっ、この……ミ、ミーの触腕が間に合わない!?」
触腕は間合いに入ってきたランマルを、上から叩き潰すように狙う。だが、顔面が地にぶつかる位置まで前傾になっても速度を落とさず、むしろ飛燕を超える速さで突進してくるランマルに追いつけない。
そして、伸ばしすぎて増やしすぎた触腕が互いの邪魔をする。
無数の触腕で包囲網を作るつもりだったのだろうが、今では無意味なアーチ状となっており、ベルゼムまでの道のりはガラ空きになっていた。
「隙だらけだぜ! 能力以外はボンクラだな、顔色悪いオッサン!」
「何が隙だらけザンスか! 自惚れてんじゃないザンスよ!」
ベルゼムもそこまで愚かではない。このような窮地に陥ったこともあるのだろう。踏み込んでくるランマルに新たな触腕を伸ばしてきた。
身体の前面からも触腕が生えてくる。
「うぇえっ!? 背中からだけじゃねえのかよ!」
「オマエみたいなバカを勘違いさせるためザンス!」
ランマルを真正面に捕らえた触腕はまっすぐ打ち出される。
だがランマルは怯まない。
身体を横にすると限界まで身を縮め、両手両足を左右一直線になるようにピンと伸ばす。そして地を蹴ってロケットのように飛び出すと、高速で地面を滑るようにベルゼムとの間合いを詰めていく。
「へぇ、長椅子の下を潜るか──やるなぁ」
ツバサとレオナルド、それにセイコは一斉に口笛を吹いた。
称賛の口笛である。
中国武術の達人が、その錬磨した巧夫を試すように、人間離れした動きを実技で披露することがある。長椅子の下を潜る、とはそのひとつだ。
普通に潜るのではなく――高速で突き抜けるように。
無論、潜り抜けた後はすぐさま応戦できなくてはならないため、姿勢を崩すことは許されない。もはや曲芸どころではない絶技である。
それをランマルはやってのけた。
「長椅子の下……ツバサさんなら途中で引っ掛かるよね、乳と尻が」
「やかましい、大きなお世話だ」
ミロのいらない一言にムカついたので小突いておく。
……胸とお尻がなければできる! できるはずなんだ、きっと!
「ちょっと大きめの椅子とかなら、俺の乳尻太ももだって引っ掛からずに……」
「それはもう誰でもくぐれるサイズじゃないのかね?」
「ツバサの総大将、椅子大きくしたらこの技する意味ねえよ」
お黙り! と女王様みたいな口調になったツバサは、正論をぶつけてくるレオナルドやセイコを平手でピシパシ叩いた。本気ではないが割と強めに叩いておいた。
女性化した悩みへの鬱憤晴らしだ。
そんなことをしているうちに、ランマルはベルゼムへと肉薄する。
ベルゼムの触腕をすべて潜り抜けたランマルは彼の足下へと蹲る。スプリングのように全身をたわめて力を溜め、全力で解放した。
「竜形拳──自己流アレンジ!」
ランマルは群れるように伸びた触腕を薙ぎ払って跳躍する。
形意拳・一二形拳がひとつ──竜形拳。
これは五行拳で習得する劈拳をオーバアクションさせた技だ。
劈拳は前に伸ばした腕を発射台のように使い、身体に引き寄せていた拳を捻るようにやや上方へ突き出しながら、敵へ打ち込む時には下方へと落とす。
足下から腰、そこから上半身から肩を伝って腕へとねじ込む勁(纏絲勁)を練るとともに、重力を利用した下へ落とす勁(沈墜勁)も加味する。そうすることで打撃力へと加算させるのが劈拳だ。
竜形拳はこれをもっと大振りにやる。
大きくジャンプしながら拳を空へと突き上げ、場合によっては足を振り上げて敵の顔面を蹴り上げる。突き上げた拳は、空から急降下する竜の鉤爪のように地の底まで突き落とす。
跳躍中、両手両脚をフル回転させたランマル。
その乱舞はベルゼムから伸びた無数の触腕を、あらぬ方向へ弾き飛ばす。
ついでに彼自身の両腕もすぐに動かせないほど強かに打つ。
ランマルを見上げるベルゼムは焦燥感の汗に塗れていた。
そんな芸術家の顔に暗い影が差す。
振り上げたランマルの手が──巨大な龍の掌に変わっている。
「──強龍墓穴墜撃ッッッ!」
鉤爪を尖らせた掌が振り下ろされ、ベルゼムをへし折るように叩き潰す。断裁機顔負けの鉤爪は、伸びきった触腕の一切を破り裂いた。
大地に大きな手形を残し、大地震が辺り一帯を激しく揺さぶる。
無慈悲な破砕音の後──ランマルは龍の手を元に戻す。
手の下から現れたのは、全身をあらぬ方向へと折り曲げられて無惨に押し潰されたベルゼムだった。まだ息があるのか「ザンス……」と呻いている。
だが、もう再起不能だろう。
立ち上がることはおろか、過大能力の触腕も出すことはできまい。
すかさずレオナルドが指を鳴らすと、封印技を仕掛けるべく瀕死のベルゼムを小型結界で囲った。その効果に気付いてベルゼムは逃げようとする。
だが、もう寝返りさえ打てない状態だ。
結界が縮み始め、ベルゼムの姿が小さくなってきたところで──。
「うん、させないよ」
タロウが縮みゆく結界に手を添え、容易く破壊してしまった。
これにはランマルもビクリ! と震えながら後退った。
この小男、いつ忍び寄ったのかわからないのだ。
他人に動きを悟らせないとは──この男、侮れない。
本職ではないとはいえ、レオナルドの過大能力を応用した封印結界。それを片手で力も込めずに壊すところなど尋常ではない。
やはり要注意危険人物である。
「タ、タロウ大先生……あ、ありがとうございま……ザスッ!?」
倒れ伏したまま涙ながらに助けられたことへの感謝を述べるベルゼム、タロウはその首根っこを引っ掴み、無造作に持ち上げた。
「うん、弱いね君たち。弱すぎる」
とても残念だ──出来損ないの弟子たちよ。
まったく感情の読み取れないポーカーフェイスで、喜怒哀楽のわかりにくい甲高い声で言われると、タロウがどんな気持ちなのかわからない。
「うん、不甲斐ないにも程がある。失望した」
「タロ……ウ、せんせぇ……がはッ!?」
ボキリ、と首の骨を折る音がした。
ただでさえベルゼムの首はランマルの必殺技を食らって折れていたのに、それをわざわざ逆へと折り直した。いくら神族でも激痛どころではない。
だからこそ拷問になるのだが──。
「うん、先の3人は奪われたみたいだけど、うん、まあ下っ端だし大したことを知らないから放っておいていいだろう。うん、でもね」
君はダメだよ──ベルゼム。
「君はボクの芸術家サロン・アンゴワスエイクァートの実質的なまとめ役。ボクと一緒にロンド君のあれやこれやな計画を知ってしまっている。うん、それは部外秘というものだ。うん、わかるね?」
ベルゼムの顔が蒼白となり、歯の根は合わずガタガタ震える。
滝のような冷や汗が湯気になるほど、タロウの手は熱を帯びていた。
「君の頭の中にある情報は秘密なんだよ、うん」
ツバサもできるが、レオナルドの封印技もそうであるように、高位のプレイヤーは他者の脳内情報を読み取れる技能持ちが多い。
タロウはそれを懸念したのだ。やはり監督役、危機管理能力がある。
ただし、その対処法は残酷極まりない。
「タ、タロウ大先生! 後生です! やめ……ッ!?」
ベルゼムが涙ながらに懇願するも、タロウは眉ひとつ動かさない。
そこに心の動きはまったく感じられなかった。
うん、とタロウが頷いた瞬間──ベルゼムは爆ぜた。
花火としか形容できないが、異様にして異質。
花火よりも長い時間目を楽しませようというのか、もっとスローモーションに色取り取りの燃える華が咲き誇っている。飛び散る火玉のひとつひとつが、芸術的なサイケデリックに煌めき、筆舌に尽くしがたいスペクトル光を発していた。
花火が消えた後、ベルゼムは塵も残っていない。
タロウはギョロリと開いたままの双眸を一度だけゆっくりと閉じ、自らが爆散させたベルゼムの散り様を、瞼の裏で反芻しているようだった。
「うん、ダメだね。やっぱり三流は爆発しても三流だ」
覚えておく価値もない、とタロウはもういないベルゼムに背を向けた。
「うん、でも君は良さそうだ」
腰の後ろで手を組み、ヒョッコヒョッコと頼りない足取りでランマルに近付いてくる。その様は取るに足らない小さいオッサンにしか見えない。
「強者の爆ぜる様は美しい……うん、ボクを魅了して已まない原動力だ」
だというのに──ランマルの足は竦んでいた。
「爆ぜ散る君の無終の美は、ボクの記憶に留める価値がありそうだ」
見せてくれるかな? とタロウは表情を変えずに言った。
しかし、声音は喜んでいる。
ゆっくり近付いてくるタロウに、ランマルの上半身は遠ざかるように仰け反ってしまう。薄気味悪さと恐怖が綯い交ぜになっていた。
ともすれば逃げたくなるくらい、本能から身体の芯が脅えてしまっている。知らず知らず汗が頬を伝っており、その原因が興奮からなのか恐怖によるものかさえもわからない。
わかるのは、目の前の小男が恐ろしく強いという事実。
得体の知れない過大能力も恐いが、武術の研鑽も並大抵ではない。
ネネコの次くらいに恐い、とランマルはその強さを試算する。
ベルゼムを含む4人のLV999を苦もなく倒したランマルだが、このタロウという男は格が違うという感覚に囚われていた。
駄目元で勝負を挑むか? 相打ち覚悟でぶつかってみるか?
それとも……と第三の選択が思い浮かんだ瞬間。
「──選手交代よ、ランちゃん」
優しい声とともに不意打ちで肩を叩かれたランマル。
美少女らしく低くした身長に合わせた、小振りだが存在感のあるFカップに設定した乳房がプルンと揺れるくらい震え上がってしまった。
しかし、その声に安堵して振り返る。
思い描いていた第三の選択肢が、以心伝心で伝わっていたからだ。
さすが姉ちゃん! とランマルは脳内で拍手喝采を送る。
「後はお姉ちゃんに任せなさいな」
山のように頼もしい巨体──姉のネネコがそこに立っていた。
~~~~~~~~~~~~
ネネコは音もなくランマルの背後に舞い降りた。
女性ながら相撲取りをも圧巻させる肥満体。この恵まれすぎた体格ならば、どんなに素早く動いても悟られそうなものだ。しかし、タロウは滅多に瞬きしない眼をパチクリさせるほど動揺を誘われている。
彼女は誰にも気取られることなく、ナチュラルに忍び寄っていた。
──瞬間移動に匹敵する敏捷性だ。
事実ツバサやレオナルドといった超一流の武道家たちでさえ、「あ、消えた」と思って気配を辿れば、もうランマルの後ろにいた。
侮りがたしお姉ちゃん──味方になってくれて本当に良かった。
まだ本気で手合わせしたことがないので断定するのは早いが、彼女は恐らくアシュラ八部衆と互角に渡り合える腕前だ。
ツバサを含む上位四名に食い込めるレベルと見た。
「ネネコお姉ちゃんを入れたらアシュラ九部衆になっちゃうね」
「それだと原典から外れるし、そもそもアシュラは関係ないだろ」
ツバサの独白を読んだミロへ返しておく。
ネネコの登場にランマルは、心の底から安心した様子だった。彼女の大きな背中に隠れ、タロウに向かってあっかんべーをした。美少女に変身していることも手伝って、本当にネネコの妹のようである。
そういえば──今のランマルはネネコに似ている。
無論、太っているネネコとは比べるべくもないが、少女時代のネネコが痩せていて小柄なら、美少女化したランマルになると想像できる。
それくらい雰囲気が相通ずるのだ。さすが血の繋がった姉弟。
「うん、とてもふくよかなお嬢さんだね」
別嬪さんだ、とタロウは不意を突かれた出現も忘れて歓迎する。
明らかにネネコへ見とれていた。
「君もまた、爆ぜたらさぞかし綺麗だろうね。うん、大きくて身が詰まっている、その芯から鍛え上げられた強さも本物だ。うん、素晴らしい」
そちらのお嬢さん諸共──爆発させたい。
タロウは後ろに組んでいた手を解き、自然体に近い構えを取った。
全身を力ませることなく緩ませ、足を肩幅よりもやや大きめに開く。両手はダラリと垂れているように見えるが、ほんの少し脇から離している。
武道の構えとは思えないが、どこにも隙はない。
日本古来の武術、推測だが古流柔術を修めているのではなかろうか。
和服ということもあって様になっている。
「その似た顔立ち……うん、ご姉妹かな? いいね」
一緒に爆ぜるところを魅せてほしい、とタロウは躙り寄る。
相変わらずポーカーフェイスだが、声は喜色満面を抑えられないようだ。あからさまな歓喜で浮ついた声になっている。
ネネコは太い唇を歪ませて、フンと強気に鼻を鳴らした。
「生憎、あたしもランちゃんもパッと咲いてパッと散るってのは性に合わなくてね、長く太く生きたいの。オジサンの趣味に付き合うつもりはないのよ」
それに何より──ネネコも戦うための構えを取った。
「亭主を男鰥にするわけにはいかないわ」
華が咲くように両手両足をフワリと広げていく。左手は微かなたわみを持たせて前へと伸ばしていき、手は拳を作らず花びらを受けるように柔らかく開いている。手前に引き寄せた右手も握り締めはしない。
左手とともに前へ出る左足も、踏み込みを支える軸となる右足も、次なるステップに備えるダンスのような力加減だった。
三体式に近いフォームだが、本質的に異なるものだ。
刑意拳が直線を意識するとしたら、ネネコの構えは同じ中国武術ではあるが曲線を意識している。もっと丸い……円かも知れない。
ネネコが臨戦態勢を整えると、タロウの雰囲気を一変した。
やっぱり表情は変わらないが、鼻の穴を大きく膨らませると大量の鼻息を機関車よろしく吹き出した。彼なりの呼吸法のようだ。
両者は間合いを狭めていく。
ランマルは巻き込まれないように、ソロリソロリと後退する。LV999の格闘家同士の戦いだ。波及だけでも激甚災害となりかねない。
ある程度離れると、一気にこちらへ飛んできた。
「ただいま、ツバサのお母ちゃん!」
「誰がお母ちゃんだ!?」
ネネコとタロウの間合いが接する寸前、ランマルはハトホルフリートの甲板に戻ってくるとそう挨拶したので、いつもの決め台詞が出てしまった。
ツバサが決め台詞を叫んだ瞬間──これが合図となる。
ネネコとタロウの戦闘、その火蓋が切られた。
双方ともに拳打や脚打といった打撃には頼っていない。
まずはタロウが前のめりに倒れ込むような歩法でネネコの懐へ飛び込もうとすると、ダラリと下げていた両腕を持ち上げてネネコの片手を押さえつつ、その脇に手を差し込んで投げ飛ばそうとする。
やはり、身のこなしからして古い柔術系のようだ。
ネネコは体を逸らして突っ込んでくるタロウを躱し、その横を抜けるような歩みで背後へ回り込む。その際、タロウの腕に自分の腕を絡ませておく。
絡ませた腕の動きを封じつつ、その大きな背中で体当たり。
これにタロウが姿勢を崩すと、すかさず身体の軸を回転させて勁を練って彼の脇腹に掌底を打ち込む。だが、その挙動は読まれていた。
姿勢を崩されたタロウは、逆らわずクルリと一回転する。
そして、ネネコの掌底を掌底で迎え撃った。
ズパァン! と鼓膜を破りかねない鋭い爆裂音が響き渡り、激突した掌底を中心に世界が撓むほどのエネルギーが膨れ上がる。
その余波は、防御結界内のハトホルフリートをも揺るがした。
これは序の口に過ぎない。
ネネコはタロウを中心に据えるように、彼の周りを取り巻く円のような猛攻を重ねていき、タロウはネネコの描く円から抜け出そうと応戦する。
2人の周囲には、街を薙ぎ払うほどの旋風が渦巻いていた。
前述の通り、どちらも打撃系はあまり使わない。
2人とも投げ技や相手を押したり引いたりして倒す技に終始しており、決定打を決めるべく撃ち出すのは、空手でいうところ貫手や中国拳法でいう穿掌。あるいは掌の下部を打ち込む掌底のようなものばかりだ。
それを相手の急所へ叩き込もうとする応酬を繰り広げた。
ネネコの円を描く歩法を見て、レオナルドは唸っている。
「ランマル君、君のお姉さんは八卦掌の使い手か」
しかも達人クラスだ、とレオナルドは手放しで褒め称えた。
「そだよ。俺が教わったのは形意拳、姉ちゃんは八卦掌専門なんだ」
ツバサの足下であぐらをかいているランマルは、レオナルドの顔を見上げながら教えてくれた。誰に教わったのか、姉弟で異なる流派を学んだらしい。
八卦掌──形意拳とともに内家三拳と呼ばれる中国武術だ。
これらの武術は勁を重視したものが多く、少林拳などが仏教思想を根幹としているのに対して、内家三拳は道教思想をベースにしている。なので、五行、八卦、十二支などが基本の型に盛り込まれている。
八卦掌の特徴は、あの円を描くような独特の歩法だ。
走園とも呼ばれる回転しながらの基礎練習を重ね、打撃よりも相手を投げ、引き、押し、倒し、隙ができたところに強烈な一撃をお見舞いする。
回転から生じる遠心力を活用した勁は強烈だ。
タロウは幾度となく喰らっているが、徹底して直撃を避けている。柔術の体捌きと小柄な身体を工夫して、痛恨の一撃だけは免れていた。
そうせねばこの勝負――数発でネネコの勝ちが決まっている。
一見するとネネコ優勢なのだが、何故かタロウには余裕が垣間見える。必勝の策があるみたいに振る舞っていた。
「……ん? あのタロウってオッサン、おかしくねぇか?」
「セイコのおっちゃん、おかしいって何が?」
2人の激闘に見入っていたセイコは訝しげだった。その声を聞きつけたミロは、彼の巨体をジャングルジムに見立てて登りながら訊いてみる。
気のいいセイコはミロを肩へと担ぎ上げた。
それからタロウの不審点を指差す。
「ほら見てみ。あの小っさいオッサン、動きは柔術使いのそれなのに、まったく投げようとしやがらねぇんだよ。ネネコの姐さんにタッチするばっか」
かといって、攻撃しているわけでもない。
投げでも受け流しでもなく、ただ彼女の身体に触ろうとしているだけの動きにしか見えないのだ。しかも、1秒でも長く接していようという素振り。
ミロは乙女チックに片手で口を覆って目を丸くする。
「え、やだ……それってセクハラ?」
「だよなぁ? そうとしか目に映らねぇんだけど」
これにランマルは我が事の如く憤慨した。
「なんだとぉ……ウチの姉ちゃんは人妻だぞ! 姉ちゃんにベタベタ触っていいのはオイラと義兄ちゃんの2人だけだ! あのチビ許せねぇ!」
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ランマルが甲板から飛ぶ寸前、ツバサはその襟首を掴んで引き留めた。
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「待てランマル、そんなことはおまえのお姉さんも先刻承知よ」
ネネコはちゃんと警戒しており、極力タロウに触られないようにしている。
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バチィン! と激しく打ち合わせた後、2人は距離を取った。
手の内を探り合う攻防は終わったものの、ネネコの表情から不安が読み取れる。あの不自然なタッチが気になって仕方ないのだ。
タロウも察しているのか、「うん」と口癖を呟いた。
そして握った右手を上にして持ち上げる。
「うん、わかってると思うけど──こうなるんだよね、うん」
ボン! と手を広げて爆発のジェスチャー。
それが起爆装置だと言わんばかりに、ネネコの大きな身体のあちこちで爆発が起こった。ランマルが「姉ちゃん!?」と悲痛な叫びを上げる。
幸い、どの爆発も重傷を負わせるには程遠い。
何度も打ち合った掌や腕に肩、腰や脇腹などに小規模な爆発跡。
LV999の神族の肉体を破るほどものではないが、衝撃による痛みはかなりのもののようだ。ネネコの濃厚な唇から食い縛った歯が覗いている。
「やっぱり……触れたものを爆発させる能力?」
ベルゼムが爆散したところを目撃したので、ネネコも用心していたはずだ。タロウの過大能力は爆発を引き起こすものだと予見できた。
半死半生でもベルゼムはLV999。
しかも、本物のLV999に近い実力者だった。
その彼が無抵抗のまま爆発させられたところから技能では防げず、問答無用の破壊力があるという予測は成り立っていた。
ただ、どういう仕組みかはまったくわからない。
「うん、触れただけで爆発させられる……昔の漫画かアニメで、そんな爆発の能力者がいたよね、うん。あれならとっても楽だよね、うん」
そしたら今頃──君は爆発四散している。
「ボクの過大能力は融通が利かなくてね、うん」
でも──使い勝手はいい。
先ほどまでのノーガード戦法な構えから一転、タロウは両手を持ち上げて、これまで以上に手で触ることをアピールする。
その掌からは、うっすら白煙めいたものが立ち上っていた。
これに気付いたネネコは独自の見解を口にする。
「さっきから触れる度に奇妙な気を流し込まれてると思ったら……それが爆発する素なのね? 注いだ分で爆発する規模も変わるのかしら?」
爆発する気を操る能力──とでも言えばいいのか?
だとしたら、対象に高性能爆薬を染み込ませるような能力だ。
ベルゼムが消し飛んだ場面から換算するに、成人男性を跡形もなく吹き飛ばすのに必要な接触時間は10秒もいらない。
擦っても爆発するところから浸透率も高いようだ。
これでタロウから伸びてくる手を必要以上に警戒させられたネネコは、自ずと動きを制限される不利を負わされてしまう。
タロウの持ち上げられた両手は脅迫も兼ねていた。
「うん、じゃあ頑張って避けてみて」
タロウは攻撃を再開すると、これ見よがしに両手を突き出した。
ネネコは──タロウの掌を迎撃する。
「うん……うぅん!?」
脅したにも関わらず、ネネコは真正面から穿掌で迎え撃った。これにはタロウも面食らう。ギョロリとした眼がグルグル泳いだ。
衝突する両者の掌を起点に、大爆発が発生する。
だがしかし、その爆発はタロウばかりが引き起こしたものではなく、ネネコの手からも爆風が噴き上がっていた。しかも威力はタロウのものを上回っており、跳ね返された爆発を被った小男は吹き飛ばされる。
柔の動きでバク転を繰り返し、タロウは体勢を立て直す。そして、自分を押し負かしたネネコを驚愕の眼差しで見据えた。
ネネコは掌を突き出したポーズでウィンクする。
「爆発は自分の専売特許──と思い上がってたんじゃない?」
「うん、そんなつもりはなかったんだけど……してやられたね、うん」
これは本腰を入れないと、とタロウは態度を改める。
けたたましい鼻息みたいな呼吸法を激しくさせ、ギョロ目のまま眉を釣り上げると怒りを露わにした。押し負けたのが癇に障るようだ。
──2人の戦いが激化する。
どちらも爆発という要素を加わり、純粋な破壊力が増していた。
攻防のやり取りは先ほどとさして変わらず、ネネコは八卦掌を用いてクルクルと踊るような歩法でタロウを翻弄。タロウは柔術ながらも投げや捌きは行わず爆発の気を流すための接触を試みる。
タロウの伸ばす手は、ネネコの掌にことごとく迎撃される。
その度に天と地を揺るがす大爆発が起こった。
ネネコもタロウも爆心地にいるが、ネネコは八卦掌の回転で勁を操って爆発による被害を軽減させる。だが、タロウはまともに喰らっていた。
それでも爆発に耐性があるのか、軽傷で凌いでいる。
「だが、ネネコの姐さんのが勝ち目デカいな」
「当ったり前よデッカい人! ウチの姉ちゃんに敵うわけねーじゃん!」
セイコの感想にランマルは大はしゃぎした。
「だって夫婦喧嘩になったらヒデヨシ義兄ちゃん勝ったことないもん!」
「いや、それは話が違うんじゃね?」
「同じだろ? 義兄ちゃん、一度も手ぇ出せず負けるもん」
「そりゃレディファーストで女を殴らない騎士道精神じゃないのか?」
「うーん……ヒデヨシ義兄ちゃんならあり得るかな?」
一方、ツバサは異なる点に着目していた。
「タロウとかいうオッサンの能力は爆発に集約しているが、ネネコさんの爆発はあくまでも能力の応用に過ぎないな」
彼女の過大能力は恐らく──莫大なエネルギーの操作。
それをタロウとの戦闘に合わせて、爆発として放出させているのだ。しかも応用で上回っているのだから大したものである。普通、特化型の過大能力に応用で立ち向かうのは難しい。張り合えれば御の字といったところだろう。
特化型の出力に、応用では太刀打ちできないのだ。
レオナルドは銀縁眼鏡越しにネネコへ分析系技能をかけている。
「彼女、ツバサ君と同じだな。分類的には地母神だ」
「ああ、ひょっとすると俺と同じタイプの過大能力なのかもな」
大自然の力──その無限増殖炉になれる過大能力。
ただ、ツバサほど自由は利かないのかも知れない。
その証拠ではないが、ネネコにある変化が現れてきていた。
「……ん? ネネコお姉ちゃん、心なしか痩せてない?」
ミロは額に片手を当てて眼を細めると、タロウを弾き飛ばしたネネコを心配そうに見つめていた。その一言にみんなの注目が集まる。
言われてみれば──痩せている?
太りすぎていたネネコは顔や肩にたっぷり脂肪がついており、首がどこにあるかわからなかったのだが、その首が次第に浮き出てきたのだ。ぶっとい二の腕やまん丸だった指もやや細めになってきている。
最初に気付いたミロは感想を一言。
「激しすぎる運動でモーレツにダイエットしてるのかな?」
「んなバカな。そもそも神族は極端に体型が変わらないんだぞ」
ツバサも視力を凝らして分析系技能を走らせると、ネネコの肉体に何が起きているのかを細かく走査する。
その驚くべき解析結果を最初は疑ってしまった。
いや、まさか、もしかすると──。
戦いは最高潮を迎え、双方ともに最期の一撃を狙っている。
ネネコの爆裂する八卦掌によって幾度となく打ちのめされたタロウだが、今度ばかりは捌けなかったのか、過去最大の飛距離で吹き飛ばされる。
しかし、これは意図したものだった。
「うん、強いね君……強者だからこそ…………爆ぜるところを見たいッ!」
爆発は芸術だ! とタロウは大きく口を開いて叫んだ。
いつも富士山みたいなシルエットを描いていた口元が、耳元まで避けるように開かれる。喉の奥から射出されたのは、爆発する気を凝縮させた球体。
ネネコどころか、家をも取り込めるサイズだ。
おまけに限界を超えて爆発する気を凝らせているので、今までの爆発とは明らかに威力が違う。まともに受ければネネコとて危うい。
なのに──ネネコは球体へ呑み込まれた。
彼女ならば避けることは勿論、八卦掌を駆使して球体を操り、爆発する前にタロウへ投げ返すこともできたはずだ。
まるで回避行動を取らず、自ら飛び込んだように見えた。
ランマルが再び「姉ちゃん!」と叫び、タロウが不気味な笑みを浮かべる。
これにて決着、とタロウは勝利を信じて疑わない。
ツバサやレオナルドも決着がついたのは同意するが、タロウの勝利とは露とも思っていなかった。むしろ彼の敗北する未来を読むことができた。
ネネコを呑み込んだ球体が――爆発しない。
それどころかクルクル回転すると球体から螺旋状になり、爆発の気を維持したまま竜巻のような縦長になって渦巻いた。
爆発する竜巻はタロウへと迫っていく。
「うん、ボクの気なのに……ボクのいうことを聞かない!?」
タロウが慌てふためいた時にはもう遅い。
むしろ、この驚愕した瞬間が大きな隙になっていた。
竜巻からほっそりした手が突き抜けてくると、タロウに何十発もの勁を練り込んだ打撃を打ち込みつつ、受け身が取れないように投げ飛ばす。その際、関節や骨格を粉砕するダメージを与えることも忘れない。
竜巻はタロウを中心に置いて、その周囲を回り出す。
攻撃の手は止むどころか、回転数を増すごとに激しくなり、タロウの小さな身体を上へ上へと持ち上げていく。
地上から2mを超える高さまでタロウが舞い上がった時──。
「八卦掌・改──双撞天掌!」
竜巻状にして全身にまとった爆発の気。それを螺旋の勁とともに両手の先へ送り、頭上に浮かばせたタロウの腹へ両手の掌打とともに叩き込む。
八卦掌──双撞転掌。
全身を回転させて勁を練り、両手を胸の高さで突き出す打撃技だ。
ネネコの場合、両手を頭上に突き上げているので彼女なりのアレンジが加えられている。それは攻撃力のパワーアップという意味合いでもだ。
タロウは自身の爆発力をそっくりそのまま返されただけではなく、ネネコの八卦掌による打撃と激烈な勁まで叩き込まれた。
破滅的なエネルギーが、タロウの内側へと染み込む。
「おっ、ぼ……う、うん…………うぅんんんんんんんーッ!?」
タロウは腹を何倍にも膨らませると、まるで全身を風船のようにまん丸になるまで膨れ上がった。竹とんぼよろしく回転しながら空の高みへ高速で飛んでいき、上空数千メートルで大爆発を引き起こす。
爆発時間の長い──鮮烈な花火が空を彩る。
本来ならそちらに目を奪われそうなものだが、ツバサたちの視線はもっと衝撃的な光景に引き寄せられていた。他でもない、勝者のネネコである。
爆発する気を脱いだネネコは見違えていた。
これも変身能力か!? と目を疑ったくらいである。
ミロ、ツバサ、セイコ、レオナルドまで驚愕のあまり叫んでしまう。
「「「「や、や、や……痩せてるうううぅぅぅーーーッ!?」」」」
ネネコは驚くほど痩せていた。
ほっそりしたわけではない。ツバサに負けず劣らずのグラマラス体型にまでダイエットしており、レオナルドが目をそらせないほどの爆乳を揺らしていた。元から美人だったが、誰もが振り向く魅惑的な長身美人になっている。
情熱的な厚い唇は変わらないが、いいバランスでスケールダウンしていた。
日本人らしからぬセクシーさが留まるところを知らない。
爆発の影響か、まとめていた髪もほどけて振り乱している。ややウェーブの強い髪が爆風に煽られることで舞い踊っていた。
美事な変貌を遂げた姉に愚弟は得意気だ。
「どぉーだいウチの姉ちゃんは! 超サイコーだろ?」
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