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第14章 LV999 STAMPEDE
第340話:艶姿ランマル七変化!
しおりを挟む日之出工務店が発見した時──アラクネの里は地中にあった。
かつての大戦争で砕かれた岩山の残骸。
そこを見つけたアラクネ族は、崩れた岩の隙間に潜り込んだ。
積み重ねられたいくつもの大きな岩を、これ以上崩れないようにアラクネの糸で内側から固定して、外から見れば崩れけた岩場という外観を保つ。そして、内部の岩を少しずつ砕いて外に出す。
見てくれこそ悪いが、岩の丘を偽装したドームに仕立てた。
これでは手狭なのでドーム内に穴を掘った。地下室のようなものを作り、これも内壁をアラクネの糸で補強して家や部屋とする。
アラクネ族の隠れ里はこんな感じで作られていた。
『身体もそうだが地蜘蛛みてぇだな。いやぁ上手いもんだぜ』
蜘蛛らしく糸を利用して作られた彼女たちの里を見て、ヒデヨシは土中に巣を作る地蜘蛛という生物に例えて感心した。
妖怪やまつろわぬ民の異名として知られる土蜘蛛とは別物で、ちゃんとした生物である。主に日本全国で見られるが、アジア各地でも少なからず生息する。
もしかすると、土蜘蛛のモデルになった可能性はありそうだ。
地蜘蛛と言われたアラクネ族は――泣いた。
日之出工務店の面々やランマルから「女の子を泣かしたー!」とブーイングを受けたヒデヨシは、「失言すんませんした!」と土下座で謝った。
自分たちより上位の神族が平伏して謝罪する。
そのまっすぐな心根に触れ、アラクネ族はヒデヨシを信頼した。
だからこそ本心を語ってくれたそうだ。
アラクネ族は「地蜘蛛に例えられたこと」を嘆いたのではなく、「土中に隠れ住むようになった」経緯を思い出して泣いたと打ち明ける。
本来、彼女たちは土中で生活する種族ではない。
元々アラクネ族は山林や渓谷を住み処として好み、そこに一族で紡いだ糸を張り巡らせて天蓋のような大きい天幕を張る。
この天幕は雨や風は防ぐが日光は透かす優れ物だった。
天幕の下にテントのような家を建て、自分たちの里を設けるのだ。
この天幕は蜘蛛の巣としての性能も備えていた。
アラクネ族が数人がかりで乗っても破れることはなく、彼女たちには何ら影響を及ぼさない。だが、小型の獣や鳥類が触れると逃げられなくなる特殊な粘液が塗布されていた。これらの獲物はアラクネ族の日々の糧となる。
……やっぱり生態的には蜘蛛らしい。
しかし“外来者たち”との大戦争以降は良い土地にも恵まれず、目立つところに里を作れば襲われるのは必至だった。
もっとも、この悩みはアラクネ族に限った話ではない。
大戦争を生き延びた多種族は、概して2つの道しか選べなかった。
ひとつは定住することを諦めて、凶暴化したモンスターや“外来者たち”の眷族に追い回されるも、当て所なく放浪の旅を続ける生活。
もうひとつは襲撃者の目から逃れるため、元からある洞窟を加工したものや一族で掘った地下壕に身を潜ませ、隠れるように暮らす生活。
アラクネ族が選んだのは後者である。
彼女たちは一般的な蜘蛛に近いのか、天幕の巣を張り巡らせて獲物がかかるのを待つことを好む。地中に隠れ住むことは不本意らしい。
『地蜘蛛じゃなく女郎蜘蛛さんだったかい……そりゃ辛ぇわな』
アラクネ族が泣き出した理由を知ったヒデヨシはもらい泣きすると、泣かしちまった詫びにと彼女たちのためのシェルター造りに着手する。
途中、最悪にして絶死をもたらす終焉が襲ってきたので、防衛能力や結界の強度どころか、建築物としての全体的な見直しを余儀なくされたが、おかげでかつてない最高のシェルターが完成した。
それが――アンゴワスエイクァートに再襲撃されていた。
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どこから見ても堅牢な岩山にしか見えない。
それは外側だけで中はドーム状になっている。その規模はアラクネ族が自力で造ったものとは比較にならず、大きな町が余裕で収まるサイズだ。
完璧に岩山を模したナチュラルな外壁。
ところどころにマジックミラー以上の性能を持つ壁面を配置して、採光に関しては問題ない。また、各所に空気穴のような小さな通り道も配備しており、小動物が誘導されやすい効果を付与してある。
ここに巣を張れば、少量ながら獲物も捕れる。
水道電気ガスといったインフラも龍宝石をエネルギー源にして完備。アラクネ族の食生活は人間と変わらないので、野菜や穀物の栽培も教えた。
外壁たる偽装した岩山を何重にも取り巻くのは、何者の目にもとまらない隠蔽の魔法を仕込んだ、超強固にして自己再生能力を持つ防御結界。
アラクネ族と日之出工務店は出入り自由だが、他は何人も立ち入り禁止。
滅多なことでは破られない代物である。
そう、滅多なことでは破れない。
LV999が数人がかりで過大能力をぶつけでもしない限り――。
「ゴォーム……ゴォーム……」
ゴォームは塔のように長大な右腕を振り上げる。
握り締めた拳は、建物を解体するための鉄球のようだ。
「……ゴォームッ!」
振り下ろす先にあるのは、岩山に穿たれた洞窟。
拳はその入り口に突っ込んでいくかと思いきや、見えない壁がバリヤーのように立ち塞がり、ゴォームの拳を弾き返した。
バリヤーはビクともせず、岩山のドームは微動だにしない。
岩山を何重にも取り巻く結界のせいだ。
「ゴォーム、ゴォームゴォム……ゴォーム……ッ!」
構うことなくゴォームは弾かれた反動を利用して、振り子の要領で反対側の左腕を振り上げ、懲りずに洞窟の入り口へと拳を打ち込む。
破城槌に匹敵するゴォームの打撃。
しかし、アラクネの里を守る結界は揺るぎもしない。
反発力のある不動のサンドバックを殴っているようなものだ。
それでもゴォームは単細胞だから繰り返した。
ベルゼムからの「おまえの馬鹿力でぶっ壊すザンス!」という命令を忠実にこなしていた。多分、その命令もそろそろ忘れている。
「ゴォーム……フンガー……ゴォーム……フンガー……♪」
全力で殴っても跳ね返されるのが楽しくなってきたのか、単調なリズムを響かせながら鼻唄でも歌うようにリズムを刻んで殴り続けていた。
「そ、そんな……ゴォームが……」
これにペトラが口元を抑えて戦いた。
「ゴォームが『ゴォーム』以外の台詞を喋るなんて!?」
「……そこ驚くポイントなのか?」
掛け声とともに交互に拳を打ち出すゴォームを見守っていたペトラは、彼が口癖ではない言葉を口にしたことに驚いていた。
ペトラはホロリと涙ぐんで微笑む。
「いつの間にか新しい言葉を覚えてたなんて……成長したのね、ゴォーム」
「いや、どこから視点なんだそれ?」
「私的にはお姉さん目線ね。ゴォームは手のかかる弟みたいなものよ」
「……デカい弟もあったものだ」
彼は無口なだけだからな? とドロスは苦言を呈した。
寡黙といえば格好がつくかも知れない。
よく口にする「ゴォーム」は彼にとって相槌みたいなものだ。
「しっかり問い質せば普通の言葉も思い出したように喋るんだから……まあ、最近は俺も『ゴォーム』で通じるんだが」
ゴォームだけで意思疎通できてしまうのも考え物だ。
LV999ゆえの勘の良さが、良くも悪くも理解力を高めていた。
「いつまで遊んでるザンスかゴォーム! さっさと破壊するザンス!」
そして、なかなか壊れない結界にベルゼムが業を煮やした。
気取ったエセ芸術家なファッションが追加されている。デフォルメされたシルクハットをかぶり、黒なのに派手派手しいインバネスマントを羽織っていた。
タロウ大先生の手前、精いっぱい着飾っているのだろう。
振り返ったドロスは肩をすくめて意見する。
「ベルゼムさん、こいつは厄介だ。再訪するのに手間取ったことといい、ゴォームの腕力で壊れないことといい、ここは途轍もないシェルターになっている」
この場所を突き止めるのに半日かかっていた。
以前にも訪れているので大体の見当はついたのだが、どこかわからずにウロウロさせられてしまった。アラクネ族の匂いや日之出工務店とかいう集団の気配も掴めなかったので、記憶を頼りに探し当てた次第である。
これほど強力な隠匿と隠蔽の結界を張られていては仕方ない。
防御力も尋常ではなく、容易に破れなかった。
「あの工作者連中の仕業かしら……私らが逃げた後、こうして戻ってきても蜘蛛女ちゃんたちを守るため、よっぽど頑丈に作ったんでしょうね」
ペトラはドロスにしなだれてアンニュイに呟いた。
馴れ馴れしいのではない。彼女は立っているのが怠いのだ。
いつもはゴォームの肩に乗っているが、彼がお仕事中なので渋々と降り、ドロスを杖代わりにしているに過ぎない。
この気安さを勘違いしたバカ野郎は酷い目に遭っている。
今では宝石となって彼女を飾り立てていた。
ペトラの感想を拾ってドロスは考察する。
「ああ、俺たちが襲撃した時も防衛拠点らしきものを建造していたからな……しかし、これだけ攻撃しても姿を現さないところから推察するに、あのトッツァンボーヤな小男を筆頭とした工作者どもは留守のようだな」
あるいは――もう旅立ったのか?
既に5人の仲間を失っているドロスとしては、確証が得られるまで迂闊なことはしたくない。しかし、彼らのリーダーは短絡的だった。
「そんなのは一目でわかるザンス!」
ベルゼムは地の底まで貫く勢いでステッキを突いた。
本当なら子供みたいに地団駄を踏んで暴れたいところだろうが、大先生がすぐ傍にいる手前、幼稚な真似はできないと弁えている。
「奴らがいないなら結構! まずはあの蜘蛛女どもを我らが芸術に生まれ変わらせてやればいいザンス! 工作者どもは次の楽しみに取っとくザンス!」
──大先生に不甲斐ないところを見せるな!
ベルゼムは口にこそ出さないが、ドロスたちを叱責する台詞の中にそんな含みを混ぜていた。言われないでもわかっている。
大先生に無様なところは見せられない──百も承知だ。
ドロスも、ペトラも、無頓着なゴォームでさえ肝に銘じている。
ベルゼムが恐る恐る視線を横目にスライドさせていく。釣られるようにドロスやペトラも、そしてゴォームも大先生の顔色を窺った。
泰然自若にして確固不動──表情からは何も読め取れない。
年の頃は40代後半から50代前半。
人生の折り返し地点を通り過ぎて、酸いも甘いも噛み分けた末にあらゆる事象を達観してしまったような相貌の男性である。
ギョロリと剥かれた大きな瞳は瞬きをせず、凄まじい眼力はどこに焦点があっているのかわからないので不安に駆られる。下唇の力が強いのか常に富士山みたいなラインを結ぶ口元からも強固な意志を感じさせられた。
ここから表情が動くことはない。
口癖のように「うん」と呟く時、年のせいかやや弛んできた頬をちょっと振るわせるのが精々である。大先生の喜怒哀楽は声色で察するしかなかった。
身長はとても小柄で150㎝を超えるのがやっとだろう。
総髪と言えばいいのか、ざっくばらんな髪型だ。
大先生という尊称もピッタリだが、御隠居という呼び方でもしっくり来る和服の着こなし。動きやすさを重視した袴が武士みたいだ。コートのように丈の長い羽織は落ち着いた色彩だが、背中の一文字が煌めいている。
──背負う文字は“爆”。
タロウ・ボムバルカン大先生──座右の銘は「爆発は芸術だ」。
108人いる“最悪にして絶死をもたらす終焉”。
その中でも「たった1人で世界を滅ぼすこともできる」破壊神と称えるに相応しい過大能力の持ち主。偉大なるロンド様に選ばれた9人の終焉者。
この9人が各部隊のトップを務めている。
一番隊隊長のリード・K・バロールは「あらゆる存在を抹消する」という消滅の神とも恐れるべき過大能力の持ち主との噂だ。
(※六番隊はベルゼムが隊長を務めているように、当人が「面倒だから嫌」と隊長役を拒否する権利はある。その場合でも名誉隊長みたいに扱われる)
「うん、ボクの出番はまだじゃないかな」
アンゴワスエイクァートの視線が集まったタロウは、やたら甲高い声でまだ自分の出る幕はないと言った。即ち、何もする気はないのだ。
やる気がないわけじゃない。ドロスたちを責めているわけでもない。
むしろ、弟子のような部下を気遣っているのだ。
立っているのにも疲れたのか、手頃な石を見つけるとその上をハンカチで軽く払ってから「どっこいしょ」と座り込む。
タロウは握った右手を上に向ける。
「知っての通り、ボクの芸術は花火と似ている。何も残さない無終の美を飾るもの、という自負がある。だから、その手こずっている結界を破ることも簡単だけど、中にいるっていう蜘蛛の娘さんたちも一緒に……ボンッ!」
タロウはパッと手を開いて、吹き飛ばすジェスチャーをした。
「うん、それはとても簡単なことだ。だけど、勿体ないことでもある」
まずは弟子たちが――彼女たちで芸術を楽しみなさい。
「無論、ボクもそれらの作品を鑑賞させてもらう。君たちの作品をたっぷり堪能させてもらった後で、ボクが美事に爆ぜ散らす……うん」
その流れが綺麗だよね、とタロウは頷いた。
「さすがタロウ大先生! ミーたちの芸術活動も心配してくれるなんて! 大先生には最高にして最期の美を飾っていただくためにも奮闘するザンス!」
ベルゼムは高速揉み手でタロウの背後に回ると、肩を揉んだり腕の筋肉をマッサージでほぐしたりとお世辞に余念がない。まるっきり幇間持ちである。
「うん、頑張ってね」
タロウは気にせず鷹揚に頷くばかりだ。
大先生が動かない以上、この場はドロスたちで対処するしかない。
ゴォームの腕力で壊せない結界となれば相当の強度だ。LV999の技能を用いたドロスの剣技やペトラの魔法でも歯が立つとは思えない。
となれば──過大能力の出番だ。
「芸術活動以外で使いたくなかったのだが……」
致し方ない、とドロスは諦念から頭を左右に振った。
そして腰に佩いた刺突剣を抜き払う。
レイピアというとフェンシングに使用される針のような剣を思い浮かべがちだが、正しいレイピアは細身でしなやかながらも刀身はちゃんと両刃だ。ゆえに突き刺すのみならず、払えば斬ることもできる。
しかし、普通の刀剣と比べたら威力は低く、物によってはフェンシングの剣のようにほとんど針みたいな刀身をしたものもある。
かつてはサイドソードと呼ばれた細身の剣だったが、その中から刺突をメインに更に細く長くしたものをレイピアと呼ぶようになったらしい。そこから更にスモールソードやバスケットヒルトという剣にも派生し……。
正直、専門家でも「分類してられるかこんなの」状態らしい。
然るにドロスのレイピアは――完全に突き専門だ。
細長くした巨大なアイスピックと形容すればいいのか、あるいは馬上槍をレイピアのサイズにまでスケールダウンさせたようなシルエット。
刃としての機能を持たない、刺突のみに特化した形状である。
顔の前にレイピアを立ててから構えると、レイピア使い特有の歩法で一気呵成に洞窟の入り口へと詰め寄り、結界に切っ先を突き立てた。
迷いのない突きが数枚の結界を貫く。
過大能力──【我が一刺しは其方の心魂を溶融せん】。
何重にも折り重なる防御結界を貫いたドロスのレイピア。
その先端から重みのある波動が結界へ浸透していくと、折り重なった結界は真夏の太陽にさらされた飴のように溶けてしまった。
「命無き者を溶かしても顔料にならんのだが……貰っておくか」
レイピアを指揮棒のように振れば、溶けた結界が打ち震える。
それはドロスのマントの内側へ吸い込まれていった。
かなりの結界を取り除けたが全部ではない。しかもこの結界は自己修復作用があるため、モタモタしているとすぐに再生されてしまう。
「次は私ね。結界じゃあ面白味はないけど……」
なるはやだしね、とペトラはぼやいて長い息を吐き出した。
唇を窄めると恋人の耳元へ息を吹きかけるように、甘い吐息を送り出す。その息にはキラキラと瞬くラメみたいなものがまぶされていた。
過大能力──【汝これより我が輝石の鉱脈となれ】。
ラメ入りの息を吹きかけられた結界に異変が起きる。
表面がごわついてくると岩肌のようなり、やがて光を浴びて色取り取りに輝く宝石になってしまった。規模からすれば鉱脈だ。
ペトラが投げキッスをすると、結界の各所にキスマークが付けられた。
そこは他の場所より明らかに角張っている。
施した三カ所のキスマークをペトラは指差した。
「ゴォーム、アソコとココとソコね。角に対してまっすぐ叩いて」
「……ゴォーム、ゴォムゴォーム……ッ!」
ペトラに命じられたゴォームは聞き分けの良い弟らしくコクコク頷くと、言われた通りに宝石の鉱脈となった結界のキスマークを叩いた。
すると――宝石化した結界はあっさり割れる。
「……ゴォ?」
あんまりにも簡単に壊れたので、ゴォームも不思議がる。
砕け散った宝石を、ペトラは風魔法を掃除機にして吸い集めた。品質的にはほぼ均等ながらも、それなりにクオリティがいいものを選別している。
低品質は放り捨て、高品質は道具箱へ仕舞う。
「はぁ~いゴォーム、化学のお勉強よ」
選別作業の片手間にペトラはゴォームに豆知識を教えてやる。
「宝石ってキラキラピカピカしててとっても綺麗だけど、鉱物の中では固いものが多いのよ。みんなの憧れダイヤモンドはモース硬度に換算すれば一番硬くて10、サファイアやエメラルドだって9、トパーズも8あるの」
修正された新モース硬度でも、ダイヤモンドは最硬の15である。
「でもね――劈開性っていう弱点もあるの」
劈開性とは、端的にいえば特定の方向へあっさり割れること。
どんなに大きな丸太でも木目に合わせれば刃物が入って切りやすいように、岩石や結晶に鉱物なども割れやすい面があるのだ。
この面に衝撃を入れれば、どんな硬いものでも簡単に割れる。
特に炭素が結晶化したダイヤなどは、その構造上“結晶面”というものを内包している。この面は原子間の結びつきが弱くて離れやすい。
ゆえに、ちょっとした衝撃で結晶面に沿って割れてしまう。
最悪の場合、机から床に落としただけで割れることもある。鉱石の自重と床に当たった時の角度、その衝撃が劈開性にダイレクトアタックするわけだ。
「これを劈開性っていうの……お勉強になったわね?」
「ゴォーム……」
わかっているのかいないのか、ゴォームは素直に頷くばかりだった。
(※割れやすい宝石に関しては、分子の結合の強さを現す“靱性”が弱い場合もある。特にエメラルドは脆いことで有名。なのに昔は「地面に叩きつけて割れなければ本物のエメラルドだ」なんて鑑定方法が信じられていたため、大粒のエメラルドはほとんど砕かれてしまった)
なんにせよ、大部分の結界を取り除くことができた。
残る多重結界は数枚、さすがに隠蔽や隠匿の力も薄れてきたのか、光を差し込んでも見通すことさえできなかった洞窟の中が見えてくる。
そこでは――アラクネ族が待ち構えていた。
自分たちの塒が執拗に攻撃されれば、嫌でも警戒態勢を敷かざるを得まい。恐れながらも決死の形相で守りを固めている。
戦える世代が武装し、ドロスたちを親の敵よろしく睨んでいた。
手には彼女たちの文明レベルでは作れない立派な槍や弓を構え、頭には『日之出工務店』というロゴ入りの黄色いヘルメットをかぶっている。
――敵うわけがない。
彼女たちの顔には総じて絶望が浮かんでいるが、それでもこの場から逃げられぬ理由もあるらしい。立ち向かうつもりなのだ。
彼女たちの姿を結界の奥に認め、ドロスとペトラは意見を交わす。
「結界といい道具といい、準備のいいことだな」
「でも、裏を返せば工作者どもは戻ってこないってことじゃない?」
日之出工務店が不在でも――自力でやっていけるように。
そういった配慮が随所に現れている。
ならば、六番隊アンゴワスエイクァートの半数をほぼ1人で始末した、あのべらんめぇ口調のトッツァンボーヤが率いる工作者集団はもういない。
でなければ、とっくの昔に反撃されているはずだ。
「よぉし! よくやったザンスおまえたち!」
真打ち登場と言わんばかりに、ベルゼムが前に出てきた。
さっきまで幇間持ちだったとは思えない尊大さだ。右手で軽やかにステッキを踊らせ、左手では蝶ネクタイやシルクハットの位置を直していた。
ベルゼムの背後から――数百の腕が伸びてくる。
関節はなく、不定形にどこまでも伸張する触手めいた腕だ。
見ようによっては頭足類の触腕に見えなくもないし、その数の多さからイソギンチャクの触手と例えた方がわかりやすいかも知れない。
過大能力――【数多の生命は我が技法にて芸術へと変華せん】。
ベルゼムの意識(当人曰く『美意識』)から生えてくる神の触腕によって、生物を活かしたまま芸術作品に仕立て上げる過大能力。
無限に生えてくる触腕に絡み取られたら最後、抵抗する間もなく芸術作品の素材として無慈悲に消費され、芸術へと昇華された肉体はどんな技能を以てしても元通りにすることはできないという。
芸術品が動くはずもなければ食物を必要とするわけもなく、老いもしなければ死にもしない。ただ、身動ぎひとつできぬまま意識ばかりが冴え渡る。
状態変化による無機物化、ある種の“不老不死”という呪いだ。
救いがあるとすれば――破壊による滅びのみ。
攻撃力はないが問答無用の拘束力があり、誰であろうと無抵抗な芸術作品にされ、世界が終わるまでの余生は鑑賞されるだけの存在となる。
性格に難ありのベルゼムをリーダーに推挙させた過大能力だ。
ベルゼムの触腕が、残り少ない結界に張り付く。
広げた五指で掴んだ結界は、紙クズみたいにクシャリと握り潰された。
この威力を目の当たりにしたアラクネ族の少女たちは「ひいっ!?」と悲鳴を上げて後退り、その弱々しい姿はベルゼムの嗜虐心をそそらせた。
ベルゼムは薄紫の不健康そうな唇を舌舐めずりする。
「結界なんて無粋な包装紙に過ぎないザンス……それさえも一流の芸術品に仕立てて見せた後、中で待っている蜘蛛娘たちを極上の芸術品に仕立て上げ、偉大なるロンド様への手土産と、大先生が爆ぜ散らすに相応しい一品を献上……」
「――はいドォォォーーーンッッッ!」
「ザンスーーーッ!?」
上機嫌で惨劇のプランを練っていたベルゼム。
その横っ面に音速を超える速度で飛来してきた何かが直撃すると、遙か地平線の彼方を超えるまで蹴り飛ばした。
途中、山や谷に崖を5、6個は貫通している。
ドップラー効果で「ザンスーぅ!?」と聞こえてくるので、まだ息はある。あんな小物チックな男でもLV999、死にはすまい。
「危機一髪の間一髪! どーにかこーにか間に合ったみたいだぜ!」
ミサイル張りに飛んできたのは――1人の少女。
彼女はベルゼムを蹴り飛ばした後、空中で何十回転もするとその場に降り立ち、岩山の入り口を守る番人のように立ち塞がった。
絶望に染まっていたアラクネ族の顔に希望が差す。
0.000……秒という速度で視認するのが難しかったが、どうやらこの少女が超々遠距離から超豪速でドロップキックを敢行したらしい。
反射的にレイピアを構えたドロスは、少女の姿に目を見張った。
「おまえはッ! お、おまえ…………は、だ、誰だ?」
見覚えがある、一瞬そう勘違いした。
確か日之出工務店と名乗る連中と一緒にいた、用心棒みたいな格闘家。
そう思ったのだが……マジマジ見ると困惑させられた。
「アンタは……ッ! あれ、なんかビミョーに違くない?」
「ゴォ……ゴォーム?」
ペトラも同様らしく、ゴォームまで首を傾げる。
大きなおさげを振り回して暴れる――中国拳法使いの青年。
……だったはずなのだが、ベルゼムを地の果てへ蹴り飛ばして現れたのは、その青年に雰囲気こそ似ているが、まるで別人の美少女だった。
背丈は低いが、メリハリの利いたナイスバディ。
あの青年も童顔の部類だったが、この少女は更に幼く見える。なのにしっかり前を閉めたジャケットから溢れそうな乳房、ズボンをパツパツにしているふくよかな臀部。哺乳類としてこれでもかと発育していた。
毛髪量が多いのか毛根が強いのか、やたらと長くて大きいおさげは黒髪だったはずだが、この娘のそれは赤みの強い桃色に染まっている。
会ったような気もするが、あの格闘家青年とは別人にしか見えない。
控え目に見ても、彼の妹かも知れないといったところだ。
「3日ぶりぐらいだな、ど腐れアーティスト軍団!」
だが、少女はドロスたちを知っている口振りだ。
大振りな乳房がジャケットからこぼれ落ちそうになるのも構わず、屈伸運動をしたりアキレス腱を伸ばしたり、大急ぎで準備運動をやっていた。
そして、中国武術らしい構えを取る。
少女の構え方に、ドロスたちは既視感があった。
「ちょっとイメチェンしてきたけど、おまえらを追っ払ったヒデヨシ義兄ちゃんの弟だよ。このおさげ、見忘れたとは言わせねぇぞ?」
ヒデヨシ――あのトッツァンボーヤの名前だ!
見てくれが少女に変わっているが、あの格闘家の青年に間違いない。
大方、技能か過大能力で外見を変えたのだろう。
少女を敵と認めたドロスたちは、すぐさま戦闘態勢に移った。
「師匠がよく言ってたぜ。毒蛇を殺すなら頭をしっかり潰しとけってな……おまえらの危なっかしさは毒蛇どころじゃねえ」
戦意を浴びた美少女は好戦的に微笑む。
「二度と悪さできねぇようにしてやんよ――1人残らずな!」
~~~~~~~~~~~~
「――ホントに女の子になっちゃった」
しかもとびきりの美少女! と双眼鏡を覗くミロの鼻息は荒い。
……可愛ければ性差を気にしなくなってきたなこのアホ。
両性具有者になったせいか、性癖がバイセクシャル寄りになりつつあるのだろうか? いや、単に昔っから百合やレズの気があっただけか?
あのエロ駄メイドの影響もあるような……頭が痛い。
神族は頭痛に悩まされないが、ツバサは偏頭痛を覚えそうだ。
ミロの後ろに立ったツバサは、重すぎる爆乳を支えるように腕を組みながら複雑な表情で眉をしかめていた。その胸中は「コロコロ性別変えやがって……羨ましいぞこの野郎!」と男心がギャーギャー喚いてる。
それを悟らせないように我慢すると、表情が険しくなってしまう。
「ああ、しかも水かぶってから変身しやがって……」
帰ってきたらお湯かぶって男に戻るよ! とか小ネタまで仕込む余裕があるらしいが、男に変身できるのが羨ましいツバサはそれどころじゃなかった。
「別に水もお湯もかぶらなくていいんだけどね」
ツバサの横に並んだネネコは困ったような笑みを浮かべている。
苦笑でもないし半笑いでもない。呆れているのだ。
「あの子の変身は過大能力由来のものだから……」
「ああ、やっぱりそうなんですね」
レオナルドも推理していたが、あの迅速な変身はやはり過大能力でなければ成し得ないようだ。どうやら変身を主体とした能力らしい。
詳細はまだ不明な点が多いけど――。
「水をかぶると女になったり子豚になったり猫になったりアヒルになったり……あとパンダだっけか? 昔の作品だけど名作だよな」
少し離れたところで、セイコがグルングルン肩を回していた。
先ほどランマル(♀)が放ったミサイル式ドロップキックには、セイコも一枚噛んでいた。具体的には彼……女の発射台を務めたのだ。
美少女に変身したランマルに「セイコのデッカい人、思いっきり投げて♪」と頼まれたので、遠慮せず全力投球で投げ飛ばしていた。
その際、セイコの大きな手にランマル(♀)は腰を降ろしたのだが……そのお尻の感触を思い出しているのか、セイコは指をワキワキさせた。
そして五本の指を“ガッ!”と握り締める。
「元があの坊主だとわかっていても……割といい感触だった!」
「そうですか、後でカナミさんに報告しておきますね」
ツバサの一言にセイコは真顔で泣きついてきた。
「総大将タンマ。それやめて、おれ社会的かつ精神的に殺されちゃう。あと、肉体的にもかなり痛くてジワジワ殺されるからホントやめて」
「社会的かつ精神的はともかく……肉体的にジワジワって?」
「1時間耐久パ○スペシャルとかされちゃうの」
「カナミさんの体格でセイコに○ロスペシャルかけられんの!?」
ヤバい、それ見たい――告げ口しとこ。
……などと一見和気藹々としているが、事態は緊迫しており、ハトホルフリートの乗組員はそれぞれの役目に動き出していた。
アラクネの里から約10㎞離れた上空。
その上空に待機したハトホルフリートは隠密機能を最大限に発揮した攻性防壁の結界を張り巡らして、アンゴワスエイクァートの様子を窺っていた。
ネネコの指南針を頼りに、アラクネ族の保護へ向かえば悪い予感が的中。アンゴワスエイクァートの生き残りが里を襲っている場面に出会した。
対応を協議するまでもなく、奴らをこの場で仕留めると決定を下す。
まず――投入された戦力はランマル唯1人。
他のメンバーは基本待機、戦況に応じて順次投入する。
早い話、最初はランマル1人にやらせて、駄目そうだったら徐々に助っ人を出すという案配だ。これはツバサやレオナルドの発案ではない。
――ネネコの提案だった。
飛行戦艦の甲板に待機しているのは、ツバサとミロ、それに愚弟を送り出した姉ネネコ、軍師レオナルド、空手家セイコの5人。
ランマルが危機に陥った場合、即救援に向かうメンバーである。
ダイン、セイメイ、カズトラ、ホクト、4人だが三々五々に散ってもらい、連中に悟られぬようアラクネ族の里を包囲してもらっている。もしあの場から遁走する者がいれば、生死問わず取り押さえてもらう予定だ。
戦闘職ではないフミカは艦橋で待機。操舵を預けている。
「……本当に良かったんですか?」
ランマル君だけで、とツバサは改めてネネコに問い掛けた。
当初ツバサは万全を期して、総掛かりでアンゴワスエイクァートの残党を始末するなり捕縛するなり無力化する作戦を立てていた。レオナルドと相談し、戦闘力の高い者でそれを実行するつもりだったのだ。
(※この場合、ミロ、フミカ、ホクトの3人。それと客人とも言えるネネコ姉弟が留守番になるはずだった)
ところが、ネネコがこう言い出した。
『まずはウチの愚弟に1人でやらさせてほしいの』
これにランマルは「オイラ?」と意外そうに自分の顔を指差すも、怖がることはおろか億劫がることもなく、「いいよ~やるやる♪」と乗り気だった。
曲がりなりにも紛い物でも、奴等はLV999。
それが5人もいる。ランマルの実力はセイコのちょっと下くらい……それを考えると万が一の最悪な事態も想定してしまう。
慎重派なツバサはそこを心配するのだが――。
「ええ、いいの――これはケジメよ」
ネネコは真剣な眼差しで弟の後ろ姿を見つめていた。もしも彼の身に何かあれば、この甲板から真っ先に飛び出すのは彼女をおいて他にいない。
厳しい眦は怒りによるものだろう。
イカレた芸術家集団を眼で殺すように睨んでいた。
「あの芸術家どもにはほとほと呆れ果てたわ……怒ったウチの旦那に、あれだけ仲間をやられて痛い目にも遭わされたっていうのに……懲りずに舞い戻ってきたかと思えば、また弱い人たちを餌食にすることしか考えなくて……」
あいつらを取り逃がしたのは日之出公務店。
アラクネ族に与えなくてもいい恐怖を再び味合わせてしまったのも、日之出工務店の責任といっても過言ではない。
ネネコは悔やむように厚い唇を噛んだ。
「旦那の言う通り、初手で完膚なきまでに潰しておくべきだった……あんな連中にお目こぼしをかけたのが間違いだったわ」
ヒデヨシは全滅させようと追いかけたが、ネネコが「逃げる者まで殺すことはない」と説得したという。亭主に不必要な殺生をさせたくなかったそうだ。
それが裏目に出てしまった。
ゆえにネネコは義憤に駆られているのだ。
「日之出工務店の不始末は――家族でつけさせてもらうわ」
これはネネコなりのケジメのようだ。
それと、ランマルを1人で行かせたのは反省を促すためらしい。
先ほどのセイコとの対戦で未熟なところが目立ち、良いとこを見せられなかったことがネネコには不満だったのだ。ランマルが出撃する前、ツバサがミロを説教するレベルで「ちゃんと戦りなさい!」と言い聞かせていた。
あと――こんなことも言っていた。
『愚弟とあいつらの過大能力は相性がいいから何とかなるはずよね』
『そだね、どーにかなると思う』
ランマルの能力は、芸術家集団に対して有利に働くようだ。
「それにしても……懲りるって言葉を知らないのかしら?」
ネネコの言葉は段々と怒気を孕んでくる。
「ウチの人が『助けてやる!』と宣言した子たちをまたイジメて、ウチの人の部下たちが丹精込めて作ったシェルターをまた怖そうとするなんて……本当、許せないんだから! もう泣いて謝ったって許してやらないんだからね!」
殺っちゃいなさいランちゃん! とネネコは過激に怒り出す。
どうどう、と興奮するアフリカ象をなだめるように落ち着かせる。ネネコの豊満な巨体を比較するに相応しい動物が他に思い浮かばなかった。
「ごめんね、ちょっとキレそうになっちゃって……」
「いえ、同感できるのでなんとも言えません……」
ツバサたちも同じ気持ちだ。各地で傍若無人な破壊行為を繰り返す“最悪にして絶死をもたらす終焉”は問答無用でぶっ飛ばしてやりたい。
だから――この場はネネコの提案を呑んでみた。
まずはランマルに1人でやらせてみる。それでも駄目ならネネコが出張る。あの残党ならこの戦力で勝てると彼女は読んだらしい。
「だけど、ちょっと気になることがあってね」
あのおじさん、とネネコは手頃な岩に腰掛ける、アンゴワスエイクァートを監督しているような初老の男性を指差した。
「あの人、前に戦った時はいなかったはずなのよ。連中は全部で9人、5人片付けたから残り4人。だけど今はあのおじさんを数えたら……」
「全部で5人――数が合いませんね」
安直に考えれば応援か? それにしては1人というのもおかしい。
だが、あの男性からは得体の知れない気迫を感じる。
武闘家や格闘家としてはそれほどの力量があるとは思えないのだが、何らかの道を極めた独特の凄みを発しているのだ。
たとえば――乙将オリベ。
武芸はからっきしだが、数寄者として頂点に立った彼の気迫は玄人にしかわかりえないものだ。そのオリベに似た到達者の凄みを感じてしまう。
だとしたら、あの場の誰よりも強いのではないか?
しかし、幸か不幸かランマルが飛び込んでも動く気配はない。「うん」と小さく頷くばかりで、腰を浮かそうとさえしなかった。
「あの中年男性は要注意として……ひとまず戦況を見守りましょう」
ネネコの言葉にツバサは頷いた。
いざとなれば即座に駆けつけられる心構えを整えておき、ランマルの戦い振りをもう一度拝ませてもらうことにする。さっきの仕合と違って今度は掛け値なしの殺し合いだ。間違っても油断することはするまい。
でも、ミロと同じアホの子だからなぁ……不安がつきまとう。
ランマルと相対するアンゴワスエイクァートの残党。
彼らがランマルを三方向から取り囲んだ。
ドロスは騎士らしく刺突剣を正中線に合わせて立てた。
「前回は不覚を取ったが、今度はそうはいかん。況してや変身能力しかない小僧1人に後れを取るなど……バッド・デッド・エンズの名折れだ」
そこから切っ先を降ろしてレイピア固有の構えを取ると、ランマルとの距離があるのも構うことなく、一足飛びの歩法で詰め寄る。
繰り出される突きは速射にして連射、槍衾も顔負けの手数だ。
ランマルは三体式の構えを崩さず、上体を揺らすように突きの連撃を躱す。隙あらばレイピアを払い除け、ドロスという騎士の懐に潜り込んで刑意拳の一撃をお見舞いしようとしていた。
しかし、ドロスもレイピア使いとしては超一流。
拳法家に間合いを許せば無防備な腹を殴り放題にされかねないと警戒し、間合いの取り方を決して間違えない。
レイピアの乱舞で近寄せず、踏み込まれる前にバックステップ。
それが難しいなら前へと踏み込むも、雑踏ですれ違うようにランマルの横を抜けて背後へ回り込み、立ち位置を変えて突き攻撃を再開する。
フェンシングは“ピスト”と呼ばれる縦長な試合場で行われるため、どうしても前後への移動を意識する戦い方になりがちだが、ドロスの体捌きは“ピスト”に囚われていない。命を賭した実戦を潜り抜けた強かさがある。
「レイピアは戦時の剣に非ず──平時の剣なり」
ドロスの立ち回りを眺めていたレオナルドが呟いた。
アホの割に好奇心旺盛なミロが振り返る。
「獅子のお兄ちゃん、それどういう意味?」
「レイピアみたいに細くて長い剣は戦場じゃ使い物にならないんだ。折れやすくて曲がりやすく、乱戦ともなれば振り回せないからね。レイピアは日常生活で帯びる剣であり、決闘などで使われることを主目的とした剣なんだよ」
中世ヨーロッパでは決闘が日常茶飯事だった。
騎士や傭兵が口論で揉めた末、「表に出ろ」とレイピアを抜き、戦うことで決着をつけることが珍しくなかったという。
決闘裁判なんて勝者が許されるルールも罷り通っていた。
「当時は斬るよりも刺すことが相手にダメージを与えられると信じられた時代でもあってね。レイピアが大流行したんだよ」
そこからフェンシングという競技も誕生したらしい。
「あのドロスって騎士、本格的みたいだな」
レイピア以外の武器──それを使うドロスの挙動に気付いた。
単なるレイピア使いではない。その片鱗を垣間見せようとしている。
事実、今度はランマルを懐へと誘導していた。
「その針みたいな剣さえ注意してりゃ……」
大きくなったことで被弾率の上がった胸部を揺らしながら、ランマルはレイピアを払い落とす。ここからドロスの懐へ飛び込んでいく。
構えるは劈拳──直撃すれば胸板を貫くはずだ。
ズドン! と大砲みたいな爆音こそ決まったものの、ランマルの劈拳を受けたはずのドロスはまったく揺るぎもしない。
必殺の劈拳を防いだのは──騎士がまとう天鵞絨のマント。
彼の意のままに変形するのか、布面積を増やしたマントがドロスの左腕に巻きついており、闘牛士の振るう布のように閃いている。
分厚い布を盾にして、劈拳を受け止めたのだ。
ドロスのマントの使い方に、ツバサとレオナルドは注目する。
「ほう、マント術か──どうやら中世欧州の武術に造詣が深いようだね」
「悪の秘密結社に属する割に本格的な武術家だな」
いや、剣術家と褒めるべきか。
日本でも宮本武蔵が「剣は片手で使うもの」という信念から二刀流を考案したように、欧州でも「右手で剣を振るうなら左手にも武器を持て」という考え方は生まれており、様々な武器術が考案されていた。
利き手にバックソードやレイピアを構え、反対側の手では短剣や小型盾を持つのは一般的で、レイピア二刀流などもあったし、ドロスが見せたようにマントを盾代わりに使う方法なども編み出された。
当時マントはケープと呼ばれていたのでケープ術という。
しかも、ドロスのマントは分厚いだけではない。
「オイラの劈拳が……呑まれた?」
拳打の衝撃を吸い取られたような感触にランマルは戸惑うも、得体の知れない触り心地からドロスのマントから逃げるように飛び退いた。
「フフフ、直におまえも仲間入りだ……」
ドロスは追わず、左腕を覆うマントを振り払って含み笑う。
天鵞絨のマントは重たそうにはためくと、その裏側に蠢くスライム状の物体まで波打たせた。飛沫をまき散らすようにのたうち、震える表面には苦悶の叫びを上げるいくつもの人面が現れては消える。
あのスライムは──神族や魔族、それに多種族の成れの果てだった。
まともそうな外見だが、この男も悪趣味極まりない。
「こいつらは画家である俺にとっての顔料……同時に、おまえみたいな重い一撃を打ってくる奴から身を守る衝撃吸収剤も兼ねている」
おまえの攻撃は通じんぞ、とドロスは目元の隈を歪めて勝ち誇る。
ランマルは「あっそ」と興味なさそうだった。
だが、慟哭するスライム化された人々に激情を抑えきれないようだ。
「じゃあ、その人たちを避けておまえだけブン殴ってやんよ!」
「それもできない相談だ……何故なら!」
ドロスは痛恨の一撃となる突きを放ってくる。
連射ではなく、渾身の一撃なので速度も段違いだ。それでもランマルは危なく避けると、胴体を掠めるレイピアの腹を左腕で払い除けようとする。
瞬間──レイピアがささくれ立った。
まるで魚類のハリセンボンのように無数の針みたいなものが逆立つと、ランマルの左腕を削るように噛み破った。
この不意打ちでドロスは勝利を確信したらしい。
「俺の過大能力は、刺し貫いたものへ無差別に発生する」
過大能力──【我が一刺しは其方の心魂を溶融せん】。
ズタズタに引き裂かれたランマルの腕から血が滴り落ちる。
いや、血だけではない。肉も色合いはそのままに液体の如く流れ落ち、手首からほどけるように溶けていくと、掌までドロドロに溶けてしまった。
スライム状になった肉体が、足下に水溜まりを作っていく。
「あ、これひょっとしてヤバい……?」
いつでも脳天気なランマルもさすがに危機感を煽られるのか、頬に一筋の冷や汗を伝わせる。なんとか対処しようとするが──。
「──はぁ~い♪ ナイス余所見ー♪」
背後に忍び寄っていたペトラが、ランマルの首に抱きついた。
ドロスとの戦闘にランマルの意識が集中し、左腕からスライムにされて気を取られた瞬間を狙っていたのだ。馴れ馴れしく抱きついたペトラは、ランマルの耳たぶを甘噛みしたり、ジャケットの中へ手を差し入れていく。
「こら、ちょ……セクハラーッ! おっぱい揉むな先っちょ摘まむな!」
ランマル(♀)は嬌声に近い声を出して身悶える。
「あら、女の快感を感じてるのに情れない返事ね。まあいいわ、私もそっちの気は全然ないし。正直、柔らかい肉の感触ってどうも好きになれないのよね」
私が好きなものはコーレ♪ とペトラは甘い吐息を吹きかける。
過大能力──【汝これより我が輝石の鉱脈となれ】。
ペトラの息がかかったランマルの耳元が、バキバキと音を立てながら結晶化していく。それはどうやらダイヤモンドで、まるで侵食するかの如くランマルの顔や頭を炭素の結晶へと変えていった。
「アナタも私のコレクションに加えてあげるわ……半分だけね」
ペトラは妖艶にほくそ笑み、全身を飾る宝石の群れを見せびらかした。
宝石の1つ1つを具に観察すると、そのどれもが苦しげな表情のまま固められた人間の顔だった。中には多種族の特徴を残したものもある。
これがアンゴワスエイクァートの遣り口。
人間を材料にして、芸術品や美術品を造り出す魔性の芸術家集団だ。
身体の右半分はドロスによってスライム状の顔料に──。
身体の左半分はペトラによってダイヤモンドの鉱脈に──。
顔や首を左右から溶かされ固められたランマルは、もはや慌てふためくこともできない。せめて手足を動かして対抗しようとするのだが、いつしか四肢も先端から変わってきており、まともに動くことさえできなくなっていた。
唯一動かせる眼球が、忙しなくグルグルと回転する。
奴らのサディスティックな性格からして、最後の最期まで視界だけは奪わず、変わっていく被害者の絶望を弄んでいるのだろう。
勝負がついたと思い込んだドロスは、静かにレイピアを納めた。
それからペトラに文句をぶつける。
「おいペトラ、こいつは俺が顔料にするつもりだったんだが……」
「いいじゃない。この娘……いや男の子だっけ? まあ男の娘でいいか、結構カワイイ顔してるからさ。横顔でいいから私にも頂戴よ」
半分こしよ♪ とペトラはウィンクで愛想を振りまいた。
やれやれ、とドロスは隈の濃い目を閉じると仕方なさそうに頭を振った。
そこへ──声が聞こえる。
「半分こ? そっちのデカい奴には分け前やらなくていーの?」
「ゴォームの出る幕はなかったからな、三等分には…………んんっ!?」
「ゴォームはあんま創作しないからね。この子は遊びたい盛り…………えっ!?」
声の主に気付いた2人は驚愕する。
顔の右半分はドロドロに溶けて原型がなく、左半分はダイヤモンドとなったランマルに振り向く。とても声が出せる状況ではない。
異形と化したランマル──その顔が“ニカッ!”と笑った。
ドロスもペトラも背筋をゾクリとさせて離れるつもりだったが、それよりもランマルの反撃が何倍も上手で速かった。
溶けて流れたランマルのスライムは、ドロスの足下に蟠っている。
それが溶岩のようにボコボコと泡立ち、形を変えると荒っぽい甲殻で覆われた拳となって飛び上がった。拳はドロスの顎を的確に打ち上げる。
「がはぁ!? スライムから……鉄拳だとぉ!?」
「スライム式鑚拳からのぉ~……」
形意拳の基礎・五行拳のうちで顎を狙うように打ち上げる鑚拳。それをスライム化した肉体で放った後、その拳を引き戻して、鞭のように振るう。
「――蛇形拳ッ!」
「馬鹿なッ!? 顔料になった身体は自由が利かぬは……ずあっ!?」
蛇形拳はドロスの胸倉を深々と抉り、激しく吐血させた。
ドロスが殺られたことで意識を逸らされたペトラは、ほんのわずかに逃げ遅れる。そこに金剛石となったランマルの左側頭部が迫っていた。
「ドロス……ぎゃあっ!?」
顔面を叩き潰されたペトラは、ランマルから離れると反射的に両手で顔を覆って身を屈めてしまう。そこが狙い目だった。
ランマルはダイヤモンド化した身体をバキバキと鳴らして動かすと、半身ながらも構えを取り、開いた掌を振り下ろした。
「鷹形拳からの変則業……ダイヤモンド背骨砕き!」
鷹が上空から地上の獲物を狙い、真っ逆さまに降下して爪を突き立てるように、鉤爪のような形を取った金剛石の手がペトラの脊髄を打ち砕く。
ペトラは両手で押さえた顔面から頽れるように伏した。
まさに瞬殺──いや瞬きする間もない。
過大能力の毒牙にかかり、スライムや鉱石になった被害者に反撃されるとは思いも寄らなかったのだろう。ドロスもペトラも致命傷を負わされていた。
もはや虫の息、立ち上がることもできず呻いている。
一方、ランマルは右半分をスライム状にされて左半分をダイヤモンドに変えられていたが、自分の意志で変形できるのか素材そのまま人型を取ろうとしていた。動く分にはまったく差し支えないようだ。
そんな彼の頭上を──掌型の大きな影が覆う。
「ゴォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーム!」
仲間を傷つけられたゴォームが激高していた。
岩盤みたいに大きな手を広げると、ランマルを叩き潰すべく振り下ろしてくる。隙を突かれたランマルはペシャンコにされてしまった。
この状態でゴォームは過大能力を発動させる。
過大能力──【玩具箱を開けばそこは不思議な玩具工場】。
ジャラジャラ、とゴォームの手からブロックの玩具がこぼれ落ちる。
ブロック同士を組んで様々なものが作れる知育玩具だ。もう一度、ランマルを叩き潰すとまたブロックがこぼれてくる。叩けば叩くほど、ランマルの肉体を加工するようにしてブロックは増えていく。
叩いたものを自分の好きな玩具に作り変える能力──。
怒りに任せてゴォームは叩きまくり、ランマルの肉体をすべてブロックに変えてしまった。それをかき集めて適当に山積みにする。
そして、両手を組んで全力で振り下ろす体勢を取った。
「ゴォ、どろすにぃを……ゴォ、ぺとらねぇを……よ゛く゛も゛!」
――み゛ん゛な゛の゛か゛た゛き゛!
ドロスはブロックの山を粉々にするべく鉄槌を振り落とした。
その直前──ランマルのブロックは独りでに散らばると、散弾銃顔負けの威力でゴォームにぶち当たり、彼の体内へ種を埋めるように食い込んでいく。
「ゴ、ゴゴゴゴォ……ゴッ!?」
「仇討ちだぁ? 今まで散々この世界の人たちで酷いことしてきた癖して……仲間意識だけはいっちょまえかよ、おまえら?」
メキメキ、ゴキゴキ、ビキビキと……壁に亀裂が走る音がする。
その度にゴォームは城のような巨体を痙攣させ、レンガみたいな鎧が弾け飛ぶ。内側から何かが食い破っている前兆だった。
「ゴ、ゴ、ゴ……ゴォォォーーーーーーーーーーーーーームッ!?」
ゴォームの要塞を体内から破ったのは──大樹だった。
太く伸びた枝が若葉を茂らせ、巨人の腕のように要塞じみた鎧を打ち破る。大地に食い込むほど強い根が、城の外壁みたいな鎧を蹴破る。
ゴーレムの肉体なので人体とは違うが、これは致命傷のはずだ。
ゴォームの体内から幹も飛び出してくると、それは樹木でこそあるものの人間の形を模していた。見た目はランマル(♀)にしか見えない。
樹木人間のエントやトレントを思わせる姿だ。
彼もまたネネコの弟、持ち前の正義感から怒りに燃えている。
「人の身体を玩具にして殺すのを楽しむような連中だ……えげつない殺り方で仕返しされても文句を言える筋合いじゃねえよな?」
樹木人間となったランマルは、ゴォームの巨体を超える大木と化しており、絡みつくようにしがみつくように、枝や根をまとわりつかせていく。
まるで廃城に巨木が生えたような有り様だ。
ゴォームがランマルの樹木で覆われた──次の瞬間。
「身体ん中から丸焼きになって猛省しやがれ!」
2人の肉体は突如、天をも焦がす業火に包まれた。
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