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第14章 LV999 STAMPEDE

第336話:奥義と秘伝にゃ裏がある

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「いいランちゃん、まずはお姉ちゃんが誠心誠意、真心を込めてあの船の人たちに謝るからね。アンタは一言も口きいちゃダメよ」

 ネネコはアホの子な愚弟おとうとに厳命する。

 アホの一言は時として悪気なく核心を突くことがあり、その些細ささいな発言が気難しい人間の神経にダイレクトアタックを決める。

 怒らせたくない相手の琴線きんせんを弾けば一触即発だ。

 ただでさえランマルは固有技能“直感”のおかげかせいか、相手が触れてほしくないところを見抜き、平然とそこを指摘する。

 武道家ならば相手の隙や弱点を見抜く才能として使えるが、人間関係ならば容赦なく相手の触れられたくないところを暴き立てる悪癖となってしまう。

 しかも無自覚でやっており、言っても聞かないから手に負えない。

 天真てんしん爛漫らんまんで脳みそ単細胞だから空気を読むなんてできないし、嘘をつくことを何より嫌う。いつでも本音しか言わない。

 はっきり言えば――謝罪の場に連れて行きたくなかった。

 ましてや交渉が絡みそうなので尚更なのだが、火を吹きかけた張本人が謝らなければ被害者も収まらないはずだ。保護者の責任としても、迷惑をかけた我が子に謝らせなければ気が済まない。

 それが血を分けた弟となれば使命感さえ覚える。

「姉ちゃんが謝り倒したら合図するから、そこで真面目に謝るのよ」

 わかった? とネネコはキツく念を押す。

「わかったよ姉ちゃん、お口にチャッ……グベシャ!?」
「合図するまで口きくなって言ったでしょ、このスカポンタン!」

 後ろから覗き込んできたランマルの顔面に、ネネコはお仕置きの裏拳を本気で打ち込んだ。運転中なので上半身のけいしか使えないが、腰を半回転させてから脇の筋を通して腕を鞭のように振るった裏拳だ。

 その威力で吹き飛びそうになるランマル。

 だが、両手はしっかと姉の肉厚な両肩を掴んでいた。

 その後、半泣きで中央が凹んだ鼻っ面を撫でながら直すと、賢姉けんねえの言葉に従うべくコクコク無言で頷いた。

 それでいい、ウチの子はアホだけど物わかりはいいのだ。

 飛行船は――こちらに向けて降下中だった。

 あちこちから噴き上げていた炎は消えたものの、焦げ臭そうな黒煙は気球や船体の各所からまだ立ち上っている。浮揚ふようする機能や航行能力に深刻なダメージを受けたのか、フラフラながらも軟着陸しようとしていた。

 ちょうど、ネネコたちの行く道を塞ぐように降りてくる。

 最初から逃げるつもりはない。

 お調子者なアホの子とはいえ、ランマルは可愛い愚弟おとうとだ。

 その子が他人様ひとさまに迷惑をかけたならば、ちゃんと謝らせて落とし前をつけるのが人の道である。お天道様てんとさまに背くような生き方はさせられない。

 もしも怪我人が出ていたら、どうお詫びすればいいものか……。

 負傷者が出ていないことをネネコは願った。

 ネネコはアクセルを踏むと、降りてくる飛行船に近付いていく。

 大丈夫――話せばきっとわかってもらえる。

 ランマルほどではないが、ネネコもそんな直感があった。

 姉弟で誠意を込めて謝罪した後、船の損害賠償を請求されたら何としても払うしかない。負傷者がいたら、持てる技能スキルを総動員して治療に当たらせてもらう。

 幸い、ネネコもランマルも気功系の回復が得意だ。

 船を直せというのなら、お手伝いもしよう。その点は亭主だんなが追いついてきてくれれば何とかなるかも、という公算こうさんも立っていた。

 なにせ亭主だんなたちは――熱血最強な工作者クラフター集団なのだから。

「もしも許してもらえなかったら…………」

 あるいは分かり合えなかったら? ネネコは不安とともに独りごちる。

 そんな懸念けねんよぎるけど、その時はしょうがない。

 あの“最悪にしてバッド・絶死をもたデッド・らす終焉エンズ”みたいに、力尽くで解決するしかない。追い払うか……姉弟きょうだいだけなら逃げた方が賢明か?

 ネネコは図体こそ大きいが、心臓はのみみたいに小さいのだ。

 なので――とても慎重派だった。

 不安や期待、希望と脅え、いくつもの感情が頭を駆け巡る血液に乗って、それが心臓に届けば全身の肉が震えるほど脈動する。

 飛行船は目の前に不時着、船体は不自然にかしいで地に落ちた。

 ネネコは飛行船の手前でバイクを停める。

 ランマルが降りると、次いでネネコもまたがっていた大型クルーザーから降りた。火を吹きかけてから反応こそないが、ネネコたちを目指して降りてきているので、こちらの存在に気付いているはずだ。

 いきなり爆炎を放ってきた不埒者ふらちものとして――。

 姉弟で肩を並べて、飛行船に乗っているであろう相手の出方を待つ。

 この距離でも船内に複数の強大な気配を感じる。

 ネネコたちのようにLV999も何人かいると見た。総数ならばあちらに軍配が上がるだろう。少なく見積もっても6人以上いるはずだ。

 ゴクリ……とネネコが固唾かたずを飲んだ瞬間。

 許しが出るまで声を出すなと言い付けたランマルが、「ん!」と喉を鳴らして首を振る。釣られて見上げると、そこは飛行船の甲板だった。

 普通、飛行船というものは気球に張り付いているので甲板はないものだが、この飛行船は双胴そうどうとでもいうのか、2つの細長い気球の間にぶら下がるような形状をしているので、船体その物は海に浮かぶ船に近い形状をしていた。

 その甲板かんぱんから、2つの人影が飛び降りてくる。

 2人はネネコたちの前方、10mほどの地点に着地した。

 全体重の重みを殺さず、落下時にかかる重力、そこに技能スキルによる更なる加重をかけて、わざとらしく地震のような衝撃を起こしての着地。

 怒っているのかも……ネネコはそんな風に感じた。

 舞い上がる土煙、その向こうから降りてきた2人の人影が現れる。

 バヂリ、と足下の小石を踏み潰す威圧的いあつてきな足音。



 現れたのは――とっても“ヤ”のつく自由業な方々だった。



 1人は――3m近い屈強な大男。

 亭主の部下にも巨体を誇る者や筋肉自慢はいるが、彼のそれは質が違う。人生を費やすように練り込まれた“芯”を感じる。

 流儀的に外家拳がいかけん……いえ、空手かしら?

 筋肉で膨れ上がった巨体でも無理やりホワイトグレーのスーツを着込み、真っ赤なワイシャツはちゃんとボタンが留められないのか、上から2つぐらいははだけており、乳房と見間違うくらい盛り上がった胸筋きょうきんをさらしていた。

 ボサボサに乱れた野性的に長い髪は、それでも整髪剤ジェルを使っているのか前髪をかき上げてオールバック風にしていた。

 広くない額をひけらかし、長めの前髪を鶏冠とさかのように逆立てている。

 大きな鼻にかけた古めかしいデザインのサングラスに隠れているが、レーザー光線みたいに強烈な眼光をこちらに放っている。

 もう1人は――絶世の美女。

 女のネネコも見惚れそうな美人。スリーサイズは「ズドン! キュッ! ドムン!」なんてオノマトペが聞こえそうな、桁外れにグラマラスだというのに均整が取れたナイスバディ。背が高いのも手伝ってモデル顔負けだ。

 グラビアモデルにファッションモデル。

 どちらでも通じること、同じ女性目線でも保証できる。

 彼女は漆黒のレディススーツをまとい、真っ赤なシャツはその大きすぎる爆乳を覆えていない。惜しげもなく見せびらかしていた。

 タイトなミニスカートから伸びる御御足おみあしには、適度な黒味デニールを帯びたストッキング。赤いハイヒールがアクセントになっている。

 肩にかけた黒のロングコートはボスの風格を際立たせるものか――。

 確かに「姐さん!」と慕われそうな女親分の覇気が漲っている。彼女もとびきり長い髪の持ち主だが大男のように整髪料ジェルで前髪をかき上げ、オールバックっぽく後ろへ撫でつけていた。

 彼女はフェミニンなサングラスかけている。

 眼鏡越しにネネコたちを見つめる瞳は、品定めしているかのようだ。

 大男は右腕を持ち上げ、力瘤ちからこぶを見せつけるようなポーズを取っている。

 美女はその二の腕に腰をかけていた。

 どうしよう――完全無欠パーフェクトなヤクザさんだ。

 あまりにもステレオタイプな極道の登場に、ネネコの脳内はホワイトアウトしてしまった。これは慰謝料を吹っ掛けられるシチュエーションだ。

 大男は物理的に上から目線だというのに、もっとネネコたちを睨め下げるように下顎を突き上げ、こちらを見下してきた。

 サングラスをズラしてすごむ。

「おうおうおうっ! 姉ちゃん&兄ちゃん! てめえら、うちのあねさんのフネに前置きもなく火ぃぶっかけてくるたぁどういう了見でぇい!?」

 案の定、いきなり攻撃したことを責められた。

 それにしては……口調に怒気どきを孕んでいない。失礼ながら、その振る舞いもお笑いコントみたいな、素人しろうと臭い演技が目立っていた。

 なにより――サングラスを外した大男の眼。

 彼の瞳は少年のように柔らかく、ユーモアたっぷりな愛嬌があった。

   ~~~~~~~~~~~~

 小芝居を打つ、とセイコは言った。

 しかし、これってもう立派に一芝居を打ってないか?

 巨漢なセイコの肩に乗ったツバサは、変装魔法で見た目だけ「ヤクザの女親分」を装い、セイコはその連れで「姐さんの護衛役ボディーガード」に扮している。

 どちらも技能スキルで、卒倒しそうな威圧感を発していた。

 でも、この脅しはいらなかったかも知れない。

 こちらに意図せず不意打ちを食らわせて負い目を感じているネネコは、ヤクザに化けたツバサとセイコが登場するなり、「あっ……終わった」と言いたげに真っ白に燃え尽きて口から魂が抜けかけていた。

 大きな身体の割に気が小さいのかも知れない。

 そりゃそうだ。現実世界リアルなら身の破滅フラグみたいなものである。

 だが、セイコが喋り出すと「あら?」と小首を傾げた。

 どうやら彼女、洞察力どうさつりょくけているらしい。

 こちらのあからさまな演技を見抜きつつ、ツバサやセイコの態度から「そんなに怒ってない?」と看破かんぱしかけていた。

 さすがLV999スリーナイン。しっかり状況を把握できている。

 一方、弟のランマルも大したものだ。まったく動じていない。

 鼻唄を奏でながら小指で鼻くそをほじっていた。

 ……こいつ、アホミロと同じ匂いがする。

 極めつけのアホだが、変なところで天才肌なタイプか?

 お姉さんは常識人な分、こういうアホの子のしつけは大変だったろう。ミロを育ててきたツバサは共感を覚えて涙ぐみそうになった。

 多分――ランマルは勘付いている。

 あの程度の炎じゃハトホルフリートは燃えておらず、ツバサやセイコにしても怒ってなくて、自分たちに会いにきただけなんじゃないか……と。

「……とまあ、長々と因縁つけさせてもらったわけだが」

 セイコの小芝居は続いていた。

 彼自身が締めの言葉に使ったように、こちらの艦へ火をかけたことに対して、あることないこと並べ立て、講釈こうしゃくのような因縁をぶつけていたのだ。

 空手バカ一代かと思いきや、弁も立つらしい。

 小芝居を打つ小細工の発案といい、頭の回転も早いようだ。

 ツバサたちが降りてくるなり土下座して謝ろうとしていたネネコだったが、立て板に勢いよく放水するようなセイコの激しいトークに戸惑っていた。

 おかげで呆然とせざるを得ず、立ち尽くしている。

 セイコもわざとやっているのだ。

 下手へたに謝らせたくない、というのもあるのではなかろうか?

 姉に見苦しいくらい土下座させたら、姉思いな弟の切れ味・・・に影響が出ないとも限らない。そうなれば、腕試しの勝負でも旨味うまみが落ちるというもの。

 武道家らしい配慮――と言えなくもない。

「ウチの姐さんはおっぱいもデカけりゃ度量も器量もデカい! その懐の深さたるや母なる海の如しだ。そんなわけで、突然燃やされたことはチャラにしてやってもいいと仰っておられる」

 誰のおっぱいがデカいだ! と決め台詞が出そうになる。

 しかし、せっかくの芝居に水を差すのも何なので黙っていると、セイコは我が身を屈めて、エスコートするように優しくツバサを地面に降ろした。

 ここから先の手筈てはずも打ち合わせしてある。

 ツバサを降ろしたセイコは、薪みたいに太い指でランマルを指した。

「そこのおさげの坊主。おれと一手、手合わせしろ」
「……ん? んんんッ!?」

 ネネコから「迂闊うかつに喋るな!」と叱られたためか、それを守ったランマルは驚いて自分を指差すが、決して声に出さず呻いた。

「そう、おめぇだよ、姐さんのフネを燃やした張本人! 本当なら簀巻すまきにしてコンクリ詰めにして東京湾にドボン! ……ってところだが、ウチの姐さんは威勢のいい奴が大好きだ。おれたちに火ぃかけてきた胆力を認めてらっしゃる」

 だからおれと戦え! とセイコは畳みかける。

 普段は素足だが、変装魔法で蛇皮の靴を履いた右足を前に踏み出す。

 小石をバヂッ! と砕きながら踏み込み、両腕を上げると「どんな攻撃が来ようとも即応できる」構えを取った。空手と言えば拳のイメージだが、流派によっては拳を握らずに構えるものもある。

 セイコの構えは、剛柔を使い分けるタイプのものだ。

「おれに勝ったら放火の件はチャラにしてやる。なんなら景品もあるぞ」

 姐さん、と声を掛けられたツバサは頷いた。

 道具箱インベントリから取り出したものに、ランマルは目と口を同時に開いた。

「米だ米! 白米! 海苔のりまで張った美味しそうなおにぎり!?」

 姉との約束を破るほど衝撃的だったらしい。

 姉弟の会話は盗み聞きしていたので、ランマルがお米に餓えているのは承知済みである。しかし、まさかここまでがっつくとは……。

 ネネコも意表を突かれたのか、ランマルを叱ることさえ忘れていた。

 ツバサはおにぎりを放り投げると、受け取ったセイコは大口を開けて一口で頬張った。ランマルの羨ましそうな視線を意識している。

 ランマルは恥も外聞もなく、待てを食らった飼い犬のように惜しげなく涎をダラダラと垂らす。本当、白米という炭水化物に餓えてるようだ。

 涎を飲み干したランマルは再確認してくる。

「ほ、本当だなデッカい人! アンタに勝てばおにぎりゲットなんだな!?」
「応よ。おまけに放火も許してやると言ってんだ」

 あれ? いつの間にか勝利の報酬がおにぎりになってない?

 まあ小芝居だからどうでもいいか。要するに、ランマルの腕前がLV999として相応しいかを調べられればいいのだから。

「よしわかった! 今ろうすぐろう早くろう!」

 ランマルは拳を掌に打ち付け、やる気満々なところをアピールした。

 セイコは掌を広げて「待った」を掛ける。

「ただし! 負けたら……姐さんの軍門に降れ」

 それを聞いた途端、ランマルはピタリと動きを止めた。

 子供じみた表情に、鋭利な刃物の如きけんが立つ。さっきまで嬉々として細めていた眼がほんのり開くと、その眼の奥に不満げな色がともっている。

 どうやら彼なりに怒っているようだ。

「オイラはともかく――ウチの姉ちゃんもか?」

 ランマルの怒りを買ったのは、まだ不確かなその一点らしい。

 セイコは臆することなく、茶化すように言い直した。

「安心しろい。そこの別嬪べっぴんなおまえの姉ちゃんはノーカンだ。弱い奴にゃあおれも姐さんも興味がねぇ。だが、その胆力たんりょくは惜しい……だから、一から鍛え直してやる。そういう意味で姐さんの子分になれっていってんだよ」

「あっそ、ならいいや」

 負けんのはオイラの責任だし、とランマルは屈託くったくなく笑った。

 やはり、姉に被害が及ぶことを危惧きぐしたのだ。

 甘えん坊のシスコンかと思いきや、本当の意味で姉想いな青年だった。行動力こそ幼稚極まりないが、精神的な支柱はしっかり大人になっている。

 姉も別嬪と褒められて、ランマルは嬉しさを露わにした。

 恐らく、セイコもお世辞で言ったのではない。

 彼から見てもネネコは美人なのだろう。ツバサもまったく同意見だ。

 事実――彼女は美人である。

 極端に太ってたり痩せてたりするからと不美人扱いするのは、人間を視る目ができてない証拠だ。人間の美しさとは総合的なものである。外見だけ取り繕っても、内面がどうしようもなければ、自ずと不細工ぶさいくが表に出てくるもの……。

 ネネコは肥満体だが、総合的に見て美人なのだ。

「いくら美人だからって口説くどいたりしちゃダメだぜ? ウチの姉ちゃんは人妻なんだからな。世界一イカス、ウチの義兄あんちゃんにぶっ飛ばされるぜ」

 ネネコさん──結婚してるのか?

 さして驚きもしないが、ランマルの口振りだと旦那さんも真なる世界ファンタジアに転移してきているような口振りだった。やはりプレイヤーなのか?

 ランマルの忠告をセイコは正面から受け取る。

「確かにおまえの姉ちゃんはスーパー美人だが、残念ながらおれの趣味とちょっと合わねえから言い寄ったりしねえよ」

 カナミちゃん・・・・・・に怒られそうだし、とセイコは小声で呟いた。

 カナミ女史とは、野放図のほうずなセイコの秘書を務めている穂村組でも数少ない文官の女性だ。何度か会ったが、見るからに「秘書です」って感じの女性である。

 公私ともにセイコを管理しているそうな。

「よし、話は決まったな。じゃあおさげの坊主。こっち来いや」

 アバウトながら思惑通り、仕合まで漕ぎ着けた。

 セイコは人差し指でランマルを招くと、ツバサやネネコを巻き込まない位置まで距離を取った。ランマルは逆らわずに軽い足取りで着いていく。

「あ、姐さんはあちらの別嬪さんと話を付けといてくだせぇ」

 ツバサは無言で頷いた。

 これにランマルは反応しない。ツバサがネネコに無体なことをしないと直感的にわかっている。こちらを一瞥いちべつすると手を振るだけだった。

 満面の笑みで「カワイコちゃ~ん♪」と愛想を振りまきながら……。

 精神年齢こそ低いが、色目を使う性欲はあるらしい。

 それを横目にツバサはネネコへ近付いていく。

 ボウッとしかけていたネネコはツバサの接近で我を取り戻すと、緊張感を走らせてから背筋を正し、まずは折り目正しく頭を下げてくる。

「──この度は誠に申し訳ありません」

 ネネコは深く頭を下げて謝罪から入ってきた。

「これだけの被害をもたらした以上、非は全面的にこちらにあります。なんとお詫び申し上げたらいいかもわかりません……本当にすみませんでした」

 真摯しんしな気持ちを言葉にして、素直に伝えてくる。

「あれだけの炎を吹きかけて、そちらの船に大変な被害を与えた後では言い訳にしかなりませんが……ウチの弟は、決して攻撃したわけじゃないんです。こちらに気付いてもらおうと、狼煙のろしのつもりで打ち上げたのですが……」

「誤ってふねに浴びせてしまった──ですよね?」

 ネネコの謝罪を遮ってツバサが告げると、「え?」と困惑の声を漏らして彼女は恐る恐る顔を上げる。頃合いを見計らい、ツバサは指を鳴らした。

 その合図を受けたハトホルフリートは一変する。

 立ち上っていた黒煙は消え、傾いていた船体も各種から噴出するジェットで立ち直り、地面にいかりを撃ち込んで正しく着陸した。

 炎と黒煙に汚れた船体も自動洗浄によって綺麗になる。

 ネネコは分厚い唇が裂けそうになるほど、開いた口が塞がらない。

「ウチのふねは、あの程度の炎で墜ちませんよ」

 ツバサはネネコを安心させるべく穏やか微笑みを浮かべると、こちらからも非礼を詫びるように頭を下げた。

「驚かせて申し訳ありません。あれは偽装大破ぎそうたいはというシステムで、攻撃を受けたら航行不能に陥ったように見せ掛ける、いわば油断を誘うためのものなんです。それが弟さんの炎で起動してしまって……」

 これを聞いたネネコの顔に期待感が急浮上してくる。

「あ、じゃあ、ウチの子の炎を浴びても……船は平気だったんですか?」

 怪我をした方はいなかったんですか? とネネコは続けた。

「ええ、傷ひとつありませんよ。被害も怪我人もゼロです。弟さんが弁解した通り、あの炎には産毛を焼くくらいの火力しかありませんでした」

 ネネコは肩の荷を降ろすように大きくため息をついた。

「良かったぁ……あたし、誰か怪我したんじゃないかと気が気じゃなくて……」

 ネネコは胸を押さえて安堵の笑みをこぼした。

 そこが何より案じるところとは……優しい女性である。

 分かり合えそうだ、とツバサも安堵した。

 そこで、話を誘導しようとキーワードを混ぜ込んでみる。

「あの偽装大破も、“最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズ”と名乗るイカレた集団に襲われることを見越して用意したものでね。取り付けた工作者は、『こんな間抜けな起動は予想外だ』って苦笑いしてましたよ」

 バッドデッドエンズの名前を出すと、ネネコの表情が強張こわばる。

 先ほどの緊張感とは異なる殺伐としたものだ。眉はつり上がって厚い唇も引き締まり、戦士らしい決意を表している。

「あなたたちも連中に襲われたの!? 大丈夫だった? 怪我した人とか酷い目に遭わされた子はいない? この世界の人たちも被害に遭ったの?」

 そして、被害者の身を案じるように訴えかけてきた。

 ああ──この人たちなら仲良くなれそうだ。

 旅立って早々仲間候補と巡り会えた。ツバサはその幸運に心の中でガッツポーズをするも、外面そとづらはクールな女親分を装い続ける。

「ええ、そのことでご相談できればと思いまして……」

 ツバサが説明するよりも早く、ネネコは閃いたことを口にした。

「あ、もしかして……あの大きなかたがランマルに勝負を挑んだのは、あたしたちが共闘するに値するかどうかを試すためのものかしら?」

 話が早くて助かる。ツバサはネネコの先読みに感謝した。

 LV999スリーナインともなれば心技体ともに完成されてきているので、他者の態度や言動からその真意を見抜いたり、一言二言の会話を交わすだけで互いの考えていることをおおむね理解できることもあったりする。

 プロ同士は多くを語らない――というやつだ。

 ランマルの力量を測る仕事は、セイコに丸投げしてもいいだろう。

 最悪の場合、見張りの監修役・・・出張でばってくるはずだ。

 2人の勝負を傍観しながら、ツバサはネネコとの相談を始めた。

   ~~~~~~~~~~~~

「――レオさん、こんなもんでいいッスかね?」

「上出来だ。カメラワークの位置取りもいいし、臨場感もある」

 飛行戦艦ハトホルフリート――艦橋かんきょう

 レオナルドはフミカに「セイコ君VSランマル君の戦いを観られるようにしてほしい」と頼み、メインスクリーンに映してもらったところだ。

 大型スクリーンには仕合に挑まんとする2人。

 既にツバサたちとは距離を置いており、障害物の少ない平野にセイコとランマルが対峙たいじしていた。それぞれウォーミングアップに余念がない。

 セイコは手首や足首をブラブラさせているくらいだが、ランマルは屈伸運動をしたり左右の足を伸ばしたりと、ちゃんと準備運動をしていた。

「フミカ君、カズトラ君、ホクト君、君たちはまだLV999になったばかりだ。いや、君たちに限定する意味もないか……LV999に達した者は例外なく超人だと思うべきだ。だからこそ研鑽けんさんを怠るべきではない」

 見取みと稽古げいこも大切だよ、とレオナルドは穏やかに諭した。

「相変わらず説教臭ぇな、獅子ししは」

 休憩スペースのソファにごろりと寝転んだセイメイは、膝枕で位置を調整するとテレビで野球中継を観戦するオヤジみたいに笑った。

「格闘技の試合を観る、それでいいじゃねえか」
「その仕合から少しでも学ぶ、その心構えが大切なんだよ」

 唯々諾々いいだくだくと観ているだけではいけない、とレオナルドは念を押した。

 そこへ厨房ちゅうぼうからホクトが戻ってきた。

 彼女の押すワゴンにはティーセットが用意されていた。

 レオナルドが「観戦で勉強しよう」と発言したところで、気を利かして新しいお茶を煎れてきてくれたのだ。ホクトは艦橋にいる者たちに配って回る。

「どんな些細なことでも学べる事柄は必ずある……学生の頃、クロウ様に言われた言葉を思い出しますね」

「勉強は大事ッスよね。ま、物にするかは人ぞれぞれッスけど」

「2人とも殴り合い上等ってキャラじゃからな……フミィにデータを取ってもろて、それを参考に頑丈なマニピュレーターでも開発しちょうかのぅ」

 お茶のお代わりを受け取ったフミカとダインの夫婦は、そんな会話をしていた。この2人はどちらも勉強熱心なので問題なさそうだ。

 ホクトも向上心が強そうなので、注意する必要もあるまい。

 セイメイは……放っておこう。

 俗な言い方は好まないが、彼の才能は天性のものだ。のんべんだらりとしているくせに、いつも目端めはしを利かせている。この戦いもちゃんと観戦するだろうし、そこで使える技術があれば、黙って我が物にしてしまうだろう。

 本来、達人とはそうあるべきなのだが……。

 達人というにはまだ未熟、というより早熟な者がいる。

「ホクトさーん、アタシはポップコーンとチュロスとカフェオレね!」
「ホクトの姉貴、オレっちはホットドッグとコーラでお願いします!」

 そう――ミロとカズトラだ。

 どちらも年齢的には高校生になったばかりだというが、レオナルド的には中学生……いや、ともすれば小学生と間違うことさえある。

 今も「試合観戦」と聞いて、まるで映画館に来たみたいなノリで鑑賞のお供になりそうな飲み物やお菓子をホクトに注文していた。

 本当に勉強してほしいのは、この子たちなのだが……。

 愛して已まない愛弟子ミサキ君が、素直で聞き分けが良くて覚えが早くて悪ふざけもしなくて一を教えたら十を学んで百を閃いて千を得るような真の天才で出来が良すぎるからなのかもしれない。

 このアホの子たちは――世話が焼ける。

 ツバサ君やアハウさんの苦労、その片鱗をレオナルドは味わっていた。

 だが、そんなアホの子でも教え導くことでLV999になったのは事実。どちらも才能や資質には恵まれているはずだ。

 精神的な成長も促さないとな、とレオナルドはため息をついた。

「おっ、そろそろ始めるみたいぜよ」

 ダインの声にレオナルドは俯きかけた顔を上げる。

 セイコは先ほど見せたのと同じ、拳を握らず両手を開いたままの構えを取った。剛柔を使い分けるタイプの空手家らしい構え方だ。

 対するランマルも深呼吸をしつつ、手足を構えへと導いていく。

 左手を軽く開いて前に伸ばす。しかし、ひじにはいくらか余裕を持たせてピンとまっすぐには伸ばさない。右手もやんわり開いて手前に引き寄せ、こちらは腹と腰の中間辺りに留めていた。

 バネを押し込むようにひざをたわめ、腰もやや落とす。

 手と同様に左足が前へと出て、右足は地を蹴るべく後ろに控えていた。

三体式さんたいしき……やっぱ形意拳けいいけんか』

 ランマルの構えにセイコはそう呟いた。

 その音声は拾われており、スクリーン越しでも聞こえる。

 形意拳――中国武術の一派。

 太極拳や八卦掌とともに「内家ないか三拳さんけん」と称される三門派のひとつ。

 その真髄を一言でいえば「シンプル・イズ・ベスト」。

 他の中国武術に比べて派手な技はほとんどなく、質実剛健ともいうべきシンプルにして威力ある打撃を放つことを至上とする。

 内家拳はそのベースに道教思想を敷いているのだが、形意拳もその例に漏れない。陰陽五行説に基づいた『五行拳ごぎょうけん』と、そこから派生した動物の動きを模した十二の象形拳しょうけいけん『十二形拳』がある。

 同じ手と足を前へと踏み出し、後ろ足に体重をかける。

 この三体式こそが――形意拳の基礎となる構えだ。

 ランマルは身体に引き寄せた右拳を握る。

『まずは小手調べ……フッ!』

 ランマルは小さく息を吐いた。

 その拳が小規模な爆発を起こして消えたかと思えば、神族の動体視力でも生中には追いつけない速度で、正体不明の何かが打ち出された。

 次の瞬間――セイコが大爆発に見舞われる。

 ランマルの放った何かが、セイコに直撃したのだ。

 その爆破力は指向性があるらしく、セイコから向こう側の景色が爆煙ばくえんで埋め尽くされるほどだった。強力な電磁波まで起きている。

 爆煙からバチバチと閃光が散っており、威力の高さを物語っていた。

 間髪入れず、ランマルは同じ攻撃を繰り返す。

 爆煙の直中ただなかにいようともセイコの気配を感じるのか、またしてもジャストミートさせると二度目の大爆発を引き起こす。

 三度目、四度目、五度目……ランマルの攻勢は止まらない。

 これを観ていたミロとカズトラは声を揃える。

「遠距離から攻撃を当てる……かめ○め波じゃん!」
「間合いの外からの攻撃……波○拳っすね!」

 しかし残念ながら、思い至る内容は揃っていなかった。

 ミロとカズトラはジト眼で睨み合う。一瞬の沈黙の間はあったが、2人は幼児みたいになってポカポカ殴り合いを始める。

 どちらも本気ではない――子供のじゃれ合いなのが救いだ。

「かめ○め波だろー、気の玉を飛ばして相手にぶつけるかめ○め波だろー」
「波○拳っすよー、全身の気を練り固めて打ち出す波○拳っすよー」

「やめなさい、どっちも同質の攻撃技だから!」

 何らかの超常的な手段を使った遠距離攻撃。

 格闘ゲームでは「飛び道具」の愛称で親しまれたものだ。

 ブレイクブレイク、とレオナルドは子供のケンカに割って入った。

 そんなレオナルドにセイメイがねぎいの言葉を投げ掛けてくる。

「大変そうだな、保父ほふさん」
「誰が保父さんだね!?」

 いかん、ツバサ君の気持ちがとてつもなくわかる。

 彼がネネコさんとの交渉に出向いているため、この場の問題視たちを仕切れるのが自分しかいないと、レオナルドは今更ながら痛感させられた。

 しかし、ツバサ君のように切り盛りできる自信はない。

 ならば――自分の流儀で抑え込むまでだ。

 レオナルドは口を挟む余裕を与えずに蘊蓄を垂れ流す。

「格闘技は星の数ほどあっても、徒手空拳から繰り出す遠隔攻撃という手段はありえない。中国武術において気功は重要視されたものの、それを物理的エネルギーに変えて打ち出す技なんて眉唾物まゆつばものだったんだ」

 西遊記、三国志、封神演義、水滸伝、金瓶梅きんぺいばい……。

 神や妖怪に仙人が現れるこうした作品群においても、気を飛ばすなんて荒唐無稽こうとうむけいな技を持ちいる登場人物はいない(※似て非なる技はわんさかあるが)。

「でもオレっち、子供の頃に動画で観たことありますよ」

 武道の達人が遠くの人間を吹き飛ばす技を――。

 カズトラが話に食いついたので、レオナルドは手応えを感じた。

 このまま蘊蓄うんちくで丸め込み、大人しくさせよう。

 ツバサ君のようにあふれる母性で子供たちをなだすかすことなどできないレオナルドは、達者な弁舌と豊富な知識で言いくるめていく。

「ああ、確かにあるね。和風に“遠当とおあて”と呼ばれている技だ」

 この遠当てについて、レオナルドは解説する。

「合気や日本古来の武術を修めた達人が、何mも先にいる人物を気合いとともに突き出した手で吹き飛ばす……そういう動画だろう? あの技はインパクトはすごいけど、まったく実用性のない技なんだ」

 いや技とも言い難いな、とレオナルドは訂正する。

「え、じゃあ嘘んこなのあれ? 動画用に作ったフェイクとか?」

 ミロもカズトラに釣られたのか、この話に興味を持ってレオナルドに尋ねてくる。ただし、ポップコーンをむさぼるのは忘れない。

 なんであれ、好奇心を持ってくれるのはいいことだ。

「あれはね、催眠術みたいなものなんだ」

 あの技を受ける者は予め、受け身の練習と称して達人に何度も投げ飛ばされておくが必要がある。かけ声とともに達人の投げ技を受ける反復練習を繰り返した後、動画で撮影されるような“遠当て”を受ける。

「……すると、身体がかけ声とともに投げられたことを思い出してしまい、達人の突き出してきた手に無意識で反応して、つい後ろへと押し飛ばされるような錯覚を覚えてしまう……実際には触れてもないのにね」

 説明を受けたミロとカズトラは、口を菱形ひしがたにしてしばらく沈黙。

「……詐欺さぎじゃん! 事前に打ち合わせしたようなもんじゃん!」
「……ズルっすよ! 種の仕掛けもあるマジックじゃないすか!」

「そうさ。だから道場どうじょうでは使えるが、実用性はないんだよ」

 実戦でこんなことをやっている暇があったら、一回でも多く相手を投げ飛ばすか殴るか蹴るかどつくかした方が効率的だ。

 百歩譲って――実用性がありそうな遠当てもある。

「これはもう声の大きさ、声量が頼みなところもあるんだけどね」

 戦闘中、鼓膜こまくも破れんばかりの裂帛れっぱくの気合いを上げる。

 それとともに間合いの外から突きを繰り出せば、きょを突かれた相手は蹌踉よろめいたり、姿勢を崩すかも知れない。その隙に攻撃を畳みかければいい。

「それってもう気合いで隙を作っちょるだけぜよ」

 艦内チェックの片手間に耳を傾けていたダインが笑った。

 でも実際、こういう戦い方もなくはない。

 爆音とはそれだけで動物を怯ませる。どんなに鍛えた豪傑でも、突発的に聞こえた大きな音には怯まずとも反応くらいはしてしまう。

 そこに生じた隙を狙うため、耳をつんざくほどの音を利用するのだ。

「こうなるともう、気合術とでもいうべきだね」

 そう、問題なのは“遠当とおあて”だ。

 かめ○め波や波○拳も、モデルはこの遠当てなのだろう。

 その根幹には中国の気功術がある。

 しかし気功とは呼吸法や身体しんたい養生ようじょうを始めとした、自らの意志で体内の血流、筋肉、神経、果ては不随筋ふずいきんや臓器までをもコントロール下に置こうとするバイオフィードバック理論のようなものだ。

 健康増進、老化防止、精力増強、不老長寿……。

 気功術が目指したのは、詰まるところ生命力の操作である。

 決して、気を物理的なエネルギーに変えるものではない。

「そもそも“遠当て”という技は実在するのだが、こうしたパフォーマンス的な技が広まったせいか、その実態はすっかりぼやかされてしまったからね」

 気を飛ばすという考え方もさることながら、「空気を弾いて遠くの敵を倒す」とか「霊力を固めて打ち出して攻撃する」とか、かなりオカルトチックな技としてフィクションでも流行してしまった。

「なんだ、遠くのものに攻撃できりゃいいのか?」

 現実リアルにいた頃からできたぞ、とセイメイは事もなげに言った。

 半眼で眠そうにしながらもつらつらと語り出す。

久世くぜ一心流いっしんりゅう切風きりかぜ”っていってな。居合いと似た要領で刀をすっぱ抜き、高速で大気を切り裂いて真空波……カマイタチってやつだな、それを繰り出して十数m先の敵をぶった斬る技よ」

 久世一族ウチはみんなできるぞ? とセイメイは平然という。

伯父おじさん、母ちゃん、ひいじいちゃん、おれ……うん、みんなできるな」

「――そりゃ君んがおかしいんだよ」

 レオナルドは呆れ気味に吐き捨ててやった。

 気を飛ばすにしろ空気の塊を飛ばすにしろ真空波を飛ばすにしろ……人間技ではない。人間の能力、その範疇はんちゅうを逸脱したものだ。

 ツバサ君も現実で“遠当て”ができるとか言ってたが……まさかね。

「オホン、セイメイ君の家はさておき……遠当てという技は日本古来の柔術や武術に伝えられている。どちらかといえば秘伝に分類される特殊な技だ」

「秘伝……興味あるッスね」

 スクリーン越しでの戦いは、まだランマルが一方的に正体不明の遠当てを連発している。それを眺めていたフミカが振り返ってきた。

 博覧強記はくらんきょうきと呼ばれるだけはあり、秘密の中身に興味があるらしい。

「秘伝というからには、現実的な遠当てがあるんスよね?」

「あるとも。現実的すぎて笑えない、秘伝とされてきた遠当てがね」

 これらの遠当てには準備が欠かせない。

 まず硼砂ほうしゃ(ホウ酸塩鉱物)、陳皮ちんぴ生姜しょうが烏梅うばい(若い梅の実の燻製くんせい)、酢、胡椒、といった刺激の強そうなものを集める。

 これを焼酎で煮詰めて粉にしたり、酢で煮詰めて粉にしたり、細かく挽いて粉にしたり……とにかく、すべて粉末状にしておく。

 同時進行で鶏の卵を用意しておく。

 小さな穴を開けて中身を取り出し、よく洗って乾燥させる。

 卵の中が乾いたら、先に粉にしたものをまとめて詰めて穴を塞ぐ。

「……この卵を懐に忍ばせておき、いざという時には間合いの外から相手の顔面に投げつけて怯ませる。これがある古流武術に伝わる秘伝“遠当て”だ」

「――ズルじゃん! 完全に目潰しじゃん!?」
「実用性ありすぎて失明させる気満々じゃないッスか!?」

 ミロとフミカは声を荒らげてツッコんできた。

 あるいは、もっと攻撃的な遠当てもある。

 現代社会では無縁だが、かつて人間や家畜の出した排泄物は一カ所に集めて処理され、肥料などに使われてきたという歴史がある。

 こうした排泄物を溜めた場所は“肥溜こえだめ”と呼ばれていた。

 肥溜めの周りには時折、白っぽい粉のような結晶が吹くことがある。

 それは硝石しょうせきの結晶――火薬の原料ともなる爆発物だ。

 衝撃を与えれば爆発する硝石を慎重に集める。それを割れやすく焼いた掌に収まるほどの、玉のような土器かわらけに詰め込む。

「……この玉を懐に忍ばせておき、拳足けんそくの届かない場所から相手に向かって投げれば、硝石が破裂してダメージを与えられるそうだ」

「――卑怯っすよ! 凶器攻撃じゃないっすか!?」
「そこまですんならもう炸裂弾さくれつだんでいいぜよ!?」

 今度はカズトラとダインがコンビでツッコんできた。

 夢見る少年少女の反論をレオナルドは聞き流す。

「言いたいことは腐るほどあるだろうが……これが真の“遠当て”だ」

 現代スポーツなら反則負けだろうが、古流武術が全盛期だった時代は、いざ戦いとなれば敵の息の根を止めるまで気の抜けない戦国の世だ。

 相手を仕留めるため、手段は選んでいられない。

 たとえ卑劣のそしりを受けようとも、武術家は手を尽くしたはずだ。

 自らの生還――絶対的な勝利のために。

「それが秘伝とされたため神秘化、神格化され、パフォーマンスとしての遠当てが流行して……まあ、曲解きょっかいされて伝わったんだろうな」

 レオナルドはしみじみと話をまとめた。

 いつしかミロやカズトラをこちらのペースに引き込むことに成功しており、大人しくさせることはできた。保父さんの任務も完了だ。

「だから誰が保父ほふさんだね!?」
「いや、おれは言ってねぇぞ。獅子の字の空耳じゃね?」

 セイメイに冷静にツッコまれてしまった。

 ツバサ君みたいな被害妄想に悩まされていたようだ。

「レオナルド様――質問よろしいでしょうか?」

 ううむ、とレオナルドが額を抑えていると、ホクトが質問してきた。
   
「ホクトさん……今のお話で疑問点でもありましたか?」

「いえ、大変わかりやすく後学の役に立ちましたが……神族や魔族となった我々ならば、その神秘化された遠当てもできますよね?」

「ええ、当然のようにできますね。それを得意とする者もいますし」

 かく言うレオナルド自身、気を硬質化させて杭状パイルにして放つ技を好んで使うようになっていた。ホクトの奥義も特大かめ○め波みたいなものだ。

「だとすると……あのランマルという方は少々異質のようです」

 あれは――遠当て・・・なんでしょうか?

 動体視力が慣れてきたのか、ホクトはランマルが打ち出している“何か”を見極められるようになってきたらしい。レオナルドも確認してみる。

「なるほど……あれ・・は遠当てというには異質だ」

 ランマルの遠当ての正体に、レオナルドも渋い顔で呻くしかない。

 とうの昔に見破っていたセイメイはせせら笑っていた。

「なんでぇいありゃ。間合い・・・の意味がねーじゃねえか」

 ミロ、カズトラ、ダイン、フミカ……若い4人は目を凝らしているが、いずれも格闘技を本職としていなかったため、まだわからないようだ。

 その時、仕合に変化が起こった。

 ランマルからの遠当ての連発を浴びていたセイコが、爆煙からヌッと腕を突き出すと、飛来してきた何かを鷲掴みにしたのだ。

 かあッ! と気合いを上げてセイコは爆煙を吹き飛ばす。

 変装魔法は解けてしまったようだが、いつもの空手着に戻ったセイコは疲弊した様子もなく、傷ひとつなくダメージも0だった。

 甘んじて攻撃を受け、ランマルの力量をはかっていたのだ。

『威力はまあまあ、手数の速さもそこそこ……75点ってところかな』

 採点したセイコは、掴んだものをグイッと引っ張る。

『ユカイツーカイな身体してんじゃねえか。なあ、おさげの坊主?』

 ランマルは返事をせず、ニィと歯を剥いて笑う。

 引っ張られたランマルは前のめりになるも、それ・・を伸ばして踏ん張る。

 伸びるもの見たミロたちは「あッ!?」と声を上げた。

 セイコとランマルの間合いは、およそ15mほど開いている。



 その15m分――ランマルの腕が伸びていた・・・・・


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