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第13章 終わりで始まりの卵

第322話:終末まで蝕む毒

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「もう…………見てらんないし!」

 マリの悲痛な叫びに、プトラの我慢も限界だった。

 ミニスカの看護師ナース服というコスプレみたいな格好をした、頭の半分だけペガサス盛りにしたギャル娘。彼女は道具箱インベントリからハンマーを取り出した。

 道具としてのハンマーではなく、「一狩り行こうぜ!」とモンスターを狩猟できそうなハンマーだ。大振りな武器サイズである。

 ただし、殴打部分はモコモコな羊のぬいぐるみだが──。

 プトラは悲しそうな顔で眼をギュッとつぶり、ハンマーを振り上げる。

 羊のハンマーでマリの頭を殴りつけた。

 頭蓋骨を砕くような重々しい音はせず、ポワワ~ンというのどかな効果音が発せられた。打撃力もないのか、マリの頭はピクリとも動かない。

 だが、殴られたマリは白目を剥いた。

 すぐに瞼を閉ざすとカクン! と電車で寝落ちしたみたいに頭を落として、そのまま畳に倒れ込む。間もなく安らかな寝息を立て始めた。

 ハンマーで床をついたプトラは涙目で叫ぶ。

「ちょっと寝るし! 少しでも嫌なこと忘れて、まずは身体を治すし!」

 プトラがやらねば、ツバサが眠らせていたところだ。

 ツバサは安堵の吐息を漏らして爆乳を目立たぬように揺らすと、その優しさからマリを眠らせたプトラに感謝する。ハンマーについても尋ねた。

「助かったよ、プトラ……それは?」

「どんな不眠症でも一発で寝落ちさせるハンマー、“グッナイすやすやヒュプノス8号くん”だし。永眠・・させる1号くんからの改良型だし」

「そうか……よく1号くんで殴らなかったな」
「フミちんに相談したら『デチューンするッス』って言われたし」

 フミカGJグッジョブ──ブレーキ役を任せて正解だ。

 プトラは自他共に認める何をやらせてもダメ人間だが、道具作成師アーティフアクターとしては恐るべき才能を持っていた。天才ではなく天災と評したくなる才能だ。

 天災を兼ね備えた天才、洒落しゃれにもならない。

 彼女の作る道具はどんな日常的なものであっても、高性能を通り越して都市破壊クラスの効果を持つ。あまりにも危険なので、フミカの検閲を済ませない限りおいそれと使えないくらいだった。

 大方、このハンマーも叩いた者を眠らせる睡眠属性を付与するつもりが、永眠させるという一撃必殺の威力になってしまったのだろう。

 恐らく睡眠という状態異常を付与する効果が行き過ぎたのだろう。

 睡眠薬の過剰摂取オーバードーズにより永眠するのと大差ない。やり過ぎでデタラメだ。

 それでも──彼女プトラの優しさに救われた。

 メイド人形たちに合図して、マリも布団に寝かせつける。

「兄さんに弟……か」

 錯乱気味のマリが発したセリフが気になった。

 しかし、聞き出すのは回復してからにしよう。場合によってはバンダユウから聞けるだろう。最古参の彼は穂村組の血筋について知っているはずだ。

 他の組員から比べればマリは軽傷だが、絶対安静の1人である。また、例の猛毒も受けているので回復に専念させたかった。

 この猛毒──未だに正体がわからない。

 マリナやフミカにジョカの解毒技能デトックス、それにプトラが特殊アイテムで毒を抜いてくれているのだが、その成果はかんばしいものではない。

 どんなに解毒しても追いつかないのだ。

 まるで何処いずこからか毒を注ぎ足されているかのように……。

 名状しがたいものが這い寄ってくる不気味さにも似た、得体の知れない毒の効果にツバサは鳥肌が立ちそうだった。

「ツバサさん、この毒……大変かも知れない」

 全員に対処療法な解毒を施したジョカが、宙を舞ってこちらにやってきた。身長2m越えなのに美少女という規格外の娘である。

 こう見えて創世神の一員──起源龍オリジンの化身だ。

 やっぱりクロコに着せられたのか、ハレンチなくらい丈の短い看護師服で治療に当たっていた。ツバサよりも高身長なのでスリーサイズも桁違い、バストラインもヒップラインもパツパツになっていた。

 正体が龍だからなのか、この娘はあまり服装に頓着しない。

 いやらしいコスプレをさせられていることも意に介さないジョカは、ツバサの元まで飛んでくると深刻な顔で訴える。

「ひょっとすると、僕たちの手に負えないかも……」

「手に負えない……何かわかったのか?」

「わかったっていうより思い出したんだ。こんなタチの悪い毒があるって兄さんに聞いたことがある。死ぬよりも苦しみに重きを置いた毒だって……」

「苦しみを重視した毒?」

 頷いたジョカは兄の教えを復唱してくれた。

「その毒は世界を終わらせる怪物が持つ毒で、毒に耐性があっても関係ない。どの種族にも等しく効く。致死性という意味では長い時間がかかる。死ぬまでに何ヶ月も掛かるけど、その間はひたすら痛みと苦しみに嘖まれる……って」

 この毒の最も厄介なところは──解毒のすべがない。

「あるのかも知れないけど……物知りだった兄さんも知らなかったんだ」

「……聞くだに恐ろしい毒だな」

 ツバサは久し振りに寒気を感じた。

 爆乳の下で組んでた腕を持ち上げるように震えてしまう。

 ジョカの言葉通りなら性質タチが悪すぎる。極悪だ。

 毒に冒された当人の苦しみは想像を絶するであろうことは間違いなく、周囲への迷惑も計り知れない。その毒を受けた者は苦しむもなかなか死ねず、周りの人々は看病に手を焼かされる。

 病人の世話、つまり看病は大変なものだ。

 される側もする側も多大なストレスとなる。

 助かる見込みが少しでもあるならば介抱するのが人情だ。そのために人手が割かれることを考えれば、かかる労力もバカにならない。

「昔の戦場では、それを見越した戦法も取られたからな」

 汚い話になるが、師匠から聞いた蘊蓄うんちくだ。

『昔の戦場じゃあな。毒を使うなんて日常茶飯事よ。風下に立ったのが運の尽き、とばかりに目潰しの粉をばらまくなんざ初級編さ』

 安上がりだった毒は──クソ

 糞尿ふんにょうは古くから肥料とされてきた歴史がある。長時間の発酵や熟成を経て、適切な処理をされたものが使われてきた。

 日本では肥溜めなどで発酵させたものを肥料としたが、このため生野菜を食べる習慣がなかった。よく洗い、煮炊きしてから食べることが心掛けられた。

 昔の人々は知っていたのだ。

 のままな糞は毒素の塊――高い毒性を持っている。

 犬のフンやオシッコ、それに立ち小便を「肥料になる」とかいって草木にかける・・・者がいる。しかし、それは肥料になるどころか草木を枯らす恐れがあった。

 事実、イスラム教などでは立ち小便を禁じている。これは尿の毒素が食料源となる果実を実らせる樹木を枯らしてしまうからだ。

 砂漠に囲まれた風土ならではの禁則事項と言えるだろう。

 これは――糞の毒性を利用した戦術である。

『刀でも槍でも矢尻でもいい。武器の刃を肥溜めにつけとくんだ。それを軽く拭いて使う。その汚れた刃で傷を受けた者は、高い確率で破傷風はしょうふうにかかる。そうやって敵陣営を病人だらけにしようって戦法よ』

 また屍毒しどくというものもある。

『未開の部族なんかはな、腐りかけた動物の死体に矢を刺しといて、その矢を狩りや戦争に使ったそうな……死体の腐敗が進む時に細菌から発生する、プトマインって毒がよく効くんだそうな』

 これらの戦術を教えられたツバサは顔をしかめたものだ。

『ダブルの意味で汚ねぇのな』

『だが立派な兵法だ。勝つためなら手段を選ばないってのな』

 覚えとけ、と師匠はツバサに言い聞かせた。

『勝つために道理を説くのは理想主義者だ。勝ってから道理を説くのが現実主義者だ。まず現実をねじ伏せろ、理想を語るのはそれからだ』

 勝てば官軍、とは言ったものである。

 勝った者が正義だ、と言った悪役もいる。

 絶対的な勝利をもぎ取りたければ、どんな汚い手を使おうとも勝たなければならない。綺麗事を並べようと負けたら意味はない。

「……だから戦闘に毒を持ち込むのはまだ理解できるんだが、死ぬまでに数ヶ月もかかって、ずっと苦しめるってのは悪意満点だな」

 底知れぬ悪意を感じる。それもまた人間の一面なのだが……。

 ロンドという男の気が知れない。

 最悪にしてバッド・絶死をもたデッド・らす終焉エンドとやらは世界を、社会を、そしてすべての人間を憎んでいるというから、制裁のつもりだろうか?

「何ヶ月も苦しめる……ってアバドンのイナゴみたいッスね」

 フミカは分析技能アナライズを操作する手を休めず、ツバサとジョカの話に耳を傾けていたのだが、ふとそんな感想を漏らした。

「アバドンの蝗ってあれか、黙示録に出てくる蝗害こうがいのことか」
「そうッス。ヨハネの黙示録は有名ッスよね」

 唯一標準的な看護師ナース服(まあ立派なコスプレだが)を着たフミカは、調査した毒に関する情報から目を離さないまま解説する。

「ヨハネの黙示録は世界の終わりに天変地異が起こりまくって人類もてんやわんやになるけど、最後は神を信じる人たちが楽園に導かれる……ってまあ、ザックリいえばそんなお話なんスけど、その中に出てくる魔物ッスね」

 大型バッタの群れがすべてを食い尽くす――蝗害こうがい

 日本では馴染みのない災害だが、世界各地で甚大な被害を引き起こしてきたため、ヨハネの黙示録でも題材に取り上げられたのだろう。

 堕天使アバドンは、この蝗害を操るとされる。

 ただし、アバドンの支配下にあるイナゴは尋常ではない。

「大きな蝗ってだけじゃないんスよ。冠を被ってたり人面だったり髪が生えてたりライオンの歯や蠍の尾を持っていたり……そんなのが大軍でやってきて食糧を食い荒らすだけでも恐いのに、コイツら猛毒持ちなんスよね」

 アバドンの蝗の群れは、神を信じない(=キリスト教を信仰しない)人々に襲いかかり、蠍の尾から毒を撃ち込むという。

 死にはしないが──五ヶ月間も悶え苦しむ毒。

「この未知の猛毒は殺しに来ているけど、ウチの見立てでもアバドンの毒みたいに数ヶ月は余裕で苦しむタイプみたいッスからねぇ……」

「なるほど、よく似ているな」

 アバドンの毒は「神を信じなかった者への制裁」であり、苦しめることに重点を置いていると思うが、ロンドの繰り出した怪物の毒は散々苦しめた挙げ句にトドメを刺すというえげつないものだった。

「高LVの魔族や神族は普通、毒無効の技能スキルが備わっている。それが意味をなさない猛毒というのは脅威だな……」

「もーちょっと! もーちょっとで解析できるッス!」

 そしたら解毒薬でも抗体ワクチンでも技能スキルでもどうとでもなるッス! とフミカは一生懸命に解析作業を進めてくれた。治療の作業も一段落したのでマリナたちに任せると、自分はスクリーンに向かい合う。

 残像が見えるブラインドダッチで、毒の解析に取り組んでいる。

「お困りのようやな、兄ちゃん&嬢ちゃんズ」

 その時、ふすまの向こうから関西弁が聞こえてきた。

   ~~~~~~~~~~~~

 スパーン! と小気味よい音を立てて襖が開かれる。

 廊下に立っていたのは――インドの修行僧サードゥー

 老修行僧の後ろには、黒と白がデザイン的に入り乱れたアバンギャルドな着物の素浪人が困った顔で付き添っている。

 他でもない、ノラシンハとセイメイだった。

 ノラシンハはセイメイたちの暮らす離れに案内した(正しくは隔離した)はずだが、どうしてこの大広間に顔を出しているのか?

「ジイさん……おい、セイメイ」

 見張っててくれと頼んだよな? とツバサが無言の眼力で伝えると、セイメイは頭を掻いて「面目ない……」としおれた。

「いやな、気になったんでジョカに電話で聞いてみたら、ヤバイ毒がどうとか言うんで、うっかり口に出したらジイさんがどうしてもって……」

 ええがな、とノラシンハは口癖で遮る。

「そん毒に心当たりがあるもんでな、どれ」

 ちょいしてみ、とノラシンハは大広間へズカズカ踏み込んできた。ツバサたちに制止させる暇も与えず、手近にいた患者の枕元にしゃがみ込む。

 近くにいたのは穂村組の番頭であるレイジ。

 まだ意識が戻らずうなされるように呻くばかりのレイジの掛け布団を剥ぐと、慣れた手付きで診療めいたことを始める。

 彼の診察の手際は――見事の一言に尽きた。

 瞼をこじ開けて瞳孔を調べ、手を取って脈を測り、寝間着の胸元を開くと聴診器を使わず指を添えて聴診……どれも医神としての技能スキルを働かせていた。

 このジイさん、医療の心得がある。

 触診を始めやっていることは現実の医者と変わらないが、一挙手一投足に緻密な検診能力を働かせていた。電子顕微鏡で細胞から調べるレベルだ。

 ただの胡散臭いジジイでない事実を裏付ける手腕だった。

 レイジを終えるとゼニヤ、バンダユウ、マリ……と寝込んでいる穂村組14人を丹念に診察していった。女性陣の胸元をはだけた時は「セクハラだ!」と止めかけたが、真剣なノラシンハを遮ることはできなかった。

 全員を診たノラシンハは「ふむ」と唸った。

 顎から伸びた白髭を一撫でして、フミカへ振り返る。

「そこの眼鏡な嬢ちゃん、調べもんはどんくらいまで進んだ?」
「あ、はい、データならここに……見るッスか?」

 ええがな、とノラシンハはフミカが解析を進めていたスクリーンを、本人の許可を得て覗き込んだ。そして、「ふむふむ」と数度頷いた。

「ええがな――よく調べられとる。せやけど決め手・・・に欠けとるな」

 ノラシンハの曖昧な意見にフミカは反論しない。

 むしろ助力を請うように答えた。

「そうなんスよ。毒の成分はほとんど解明できてるし、解毒方法もわかってるんスけど……この毒、患者さんの身体のあちこちから次から次へと湧き出すように増えてくるッス。だから薬にしろ解毒技能デトックスにしろ追いつかないッスよね……」

 それが悪化の一途を辿らせる原因だった。

 毒というより、持続効果のある弱体化デバフに近いのかも知れない。

「そこまでわかっとるんなら上等やないの」

 もう一押しやで、とノラシンハは帯みたいな白髭をしごいた。

「眼鏡の嬢ちゃんのことや。この分析結果から『毒の根っこがある』って睨んでるんやろ? あるいは寄生虫みたいなモンが毒をバラまいとるとかな」

「……当たりッス」

「でも、毒をバラまいてるモンが見つからへん」

「…………大当たりッス」

 なんか知ってたら教えてほしいッス……フミカは懇願した。

 ただし、表情こそ泣き顔のような弱々しい乙女だが、両手はノラシンハの襟首を掴んでガクンガクン揺さぶっていた。知識欲のためならツバサにでも逆らいかねない彼女らしい裏腹な態度である。

 知識欲と愛しの旦那ダインのためなら鬼となる娘なのだ。

「嬢ちゃん嬢ちゃん! 乙女チックな表情やら言動が、ほぼ脅迫な行動とマッチしとらんがな!? そない強硬手段に出んでも、おじいちゃんがしっかちレクチャーしたるがな! そんために剣豪兄ちゃんに無理言ったんやから!」

「そうなのか?」

 フミカを止めずノラシンハを虐待させたままツバサは振り返ると、近くまで歩いてきたセイメイに訊いてみた。

 セイメイは懐から出した手で無精髭まみれの顎を掻いている。

「ああ、『俺なら何とかできるかも知れへん』と言われりゃな……ジョカも不安がってるから何とかしてやりたい。ダメ元でもやらせたくなるだろ?」

 藁にも縋りたい現状だ、セイメイの気持ちも汲みたい。

 嫁であるジョカが泣き言を漏らせば尚更だ。

 わずかな期待を込めて視線を向けると、ツバサと目を合わせたノラシンハはやや助けを求めるような声で言った。

「ぶ、ぶっちゃけてまうとな、この毒は寄生虫みたいなもんなんや」

 寄生虫!? と叫んだフミカはノラシンハを解放した。

 新たにスクリーンを展開させると、「それらしきものは患者の体内から発見されなかった」ことを説明しようと口を開ける。

「寄生虫いうても実体はない――誰の目にも映らへんで」

 フミカが言葉を発するよりも早く、ノラシンハの一言が封じた。

 異を唱えるため脳内整理するフミカに先んじて、ノラシンハは年寄りらしい貫禄ある喋り方で教え諭すように明かす。

「寄生虫いうんも言葉の綾やな。実際には生き物やあらへん。ウィルスとか細菌ともまた違う……嬢ちゃんたちは元人間やからな、毒とか病気っちゅうとそこらへんが犯人と疑ってかかったから、惑わされてしまったんやろうな」

「寄生虫っぽいけど違くて……ウィルスや細菌でもない?」

 まるでプリオンッスね──フミカは呟いた。

 ノラシンハは白髭をしごいて感心する。

「ええがな眼鏡の嬢ちゃん、プリオンに例えた方がええかも知らん。身体に入ったら最後、勝手にどんどん増えてくとこは似とるしな」

「プリオン……って聞いたことあるな」

 ツバサもニュースで聞きかじった程度だが、難病の原因となるウィルスか細菌だと思っていた。しかし話を聞くに、まったくの別物らしい。

 プリオンについてフミカは解説してくれる。

「プリオンというのは異常なタンパク質のことなんすけど……感染するんスよ。 感染した生物の肉を食べたりすることで発症するッス」

「タンパク質なのに感染するのか……?」

 そこがプリオンの恐ろしいところッス、とフミカの面持ちは神妙だ。

「当初、プリオンが原因となる病気はその正体がわからず、長らく原因不明とされてきたんス。ある学者がこの異常プリオンを見つけても、『タンパク質が悪さをするわけがない』と学会で一蹴されたそうッス」

 病気の原因となるのは、ウィルスや細菌。

 こういったものはDNAやRNAを持っており、生物の体内に入ることで遺伝子を掻き乱しながら増殖する。それが病気を起こさせるのだ。

 これが病理学会の常識だった。

 タンパク質はDNAもRNAも持たない。

 食肉として体内に取り込んだところで増殖はしない、よって発病の原因になるはずもない……ということで否定されてきたらしい。

 しかし研究が進むにつれ、とうとう学会も認めざるを得なくなった。

 異常プリオンは感染する――と。

「異常プリオンを体内に取り込むと特定の臓器で異常繁殖して、その生物に著しい害を及ぼすんスよ。そのほとんどが脳細胞なんスけどね」

 代表的なものは狂牛病だ。

 異常プリオンに犯された牛の脳細胞は破壊されてスポンジ状となり、狂ったような行動を取って、やがて生命活動を維持できなくなる。

 ゆえに狂牛病と名付けられ、これが人間にも感染すると判明した。

 人間もこの異常プリオンに感染すると脳細胞が破壊され、アルツ・ハイマー病に似た記憶疾患から始まり、いずれ死に至るという。

「この手の感染症じみた異常プリオンは脳細胞で無秩序に増殖するのが確認されているので、脳を気をつけてれば大丈夫なはずッス……一応」

「どのみち、感染した牛の肉は嫌がられるだろうな」

 穂村組を蝕むロンドの毒は、このプリオンに似ているという。

終末の毒アポルダオルいうてな――えげつない毒やでホンマ」

 ノラシンハは毒の名前を挙げ、その概要を語ってくれた。

「この世の終わりが来ると世界を壊すバケモノが現れる……なんて神話はそっちにも伝わってるやろ? そういうバケモノが持ってることが多い毒でな。打ち込まれたら最後、世界の終わりを見届けるまで死ねへん・・・・ようになるんや」

 ジョカが兄から聞いた内容と合致する。違うとすれば――。

「死ぬんじゃなくて……死ねないのか?」

 揚げ足を取るようだが、ツバサはその点が気になった。

 老人は渋い顔で「せやで」と肯定する。

 毒の秘めた効能を思い返すだけで吐き気を催すようだ。

「最終的には死ぬ……ちゅうか世界が先に終わるんやけどな」

 この毒に冒されたが最後、世界の最後を見届けるまでは絶対に死ねない。絶え間ない苦痛から逃れたくて、自死を選んでも死ねなくなる。

「せやからごっつ悲惨やで? いっそ殺してくれと思う激痛でたうち回った挙げ句、苦痛から解放されたくて安楽死を望んでも死ねないんやからな」

「拷問好きのサディストが欲しがりそうな毒だな……」

 聞けば聞くほど、えげつない毒である。

「それでおじいちゃん、この毒の正体はなんなんスか?」

 そろそろ白状するッス! とフミカはまたしてもノラシンハの襟首を狙う体勢で手を伸ばしてくる。今度はネックハンギングツリーをするつもりだ。

 ノラシンハは首をガードしつつ後ずさる。

「わかった! 前置きは終いにして本題に入るから、吊し上げは堪忍や! こん毒の正体、それはな…………変質した“気”マナや!」

 これにはツバサも目を丸くした。

 フミカはその一言で理解できたのか、「ああ……なるほどッス!」と長年の疑問が氷解したかのような清々しい声を漏らすと、猛烈な勢いでスクリーンのキーボードを叩いて、新しい解析に取り組んでいた。

 分析作業に熱中するフミカは、声をかけられる雰囲気ではない。

 だからノラシンハはツバサで講釈を続けた。

「兄ちゃんならわかるやろ? 人間……神族や魔族もおんなじやけど、そういった人体には“気”マナの集積回路っちゅうもんがある」

きょうのことだろ。インチキ仙人……師匠から教わったぜ」

 頭頂部、眉間、咽喉のど、心臓、へそ脾臓ひぞう会陰えいん

 身体の正中線上にあるこれら7つの場所には、“気”が集まる集積回路があり、気功術などではこれらを意識して活性化させるものだ。

 この7つを仙道では竅と呼ぶ。

 それぞれ名前があり、頭頂部は「泥丸でいがん」、眉間は「印堂いんどう」、咽喉のどは「玉沈ぎょくちん」、心臓は「膻中たんちゅう」、へそは「夾脊きょうせき」、脾臓ひぞうは「丹田たんでん」、会陰えいんは「尾閭びろ」。

 このうち丹田は有名ではなかろうか?

 武道を題材としたフィクションでは「丹田に力を入れる」とか「丹田で気を練る」などと使われることがあり、知っている人は多いかも知れない。

 それほど重要な部分であるとも言える。

 ちなみに――会陰とは性器と肛門の中間点を指す。

 よう勉強しとるな、とノラシンハは軽く褒める。

「俺んとこの流儀だと、頭はサハスラーラ、眉間はアジナー、喉はヴィシュッダ、心臓はアナハタ、臍はマニプーラ、脾臓はスワディスターナ、会陰はムーラダーラ……って呼んどるな」

 ノラシンハの呼び方はインド風だった。

 修行僧サードゥーな風体もあるのか、彼はやっぱりインド系の神族らしい。

 気の集積回路チャクラも竅も、言葉は違えど同じものだ。

 本家はインドのチャクラの方で、達磨法師を初めとした中国からの留学僧が気功として中国本土へ広めたとされている。

「こん終末の毒いうんはな、見た目こそ液体やけんども、その実体は異常性を持った“気”や。しかもある程度の意思ちゅうか……虫ぐらいの知能はある」

「“気”でできたむしみたいなものか?」

「せやね、品種改良された蟲と考えた方がわかりやすかもな……コイツは生き物の体内に入るとな、チャクラに棲み着くんよ」

 変質したとはいえ“気”マナには違いない。

 一度でも気の集積回路チャクラに潜り込まれると、周囲の“気”に同化して極めて発見しづらい。1カ所に留まるなら異常に気付けそうなものだが、この毒は7つのチャクラを絶えず動き回っているそうだ。

 毒に冒された病人のチャクラが変調を来すのは当然のこと。多少おかしいところがあっても「毒のせいか」と見逃してしまう。

「……! そうか、だから分析系技能アナライズじゃ見つけられないのか」

 ええがな、とノラシンハはツバサの読みに微笑む。

「はい正解や。患者のチャクラに紛れ込んで同一化して医者の目をくらましつつ、チャクラから患者の免疫機構をいじくって、激痛を起こす猛毒を自家薬籠じかやくろうさせるっちゅう……とんでもない毒なわけよ」

 道理でいくら解毒しても追いつかないわけだ。

 寄生した蟲が免疫から猛毒を作り続けているのだから……。

「しかもコイツの作る毒は痛くて苦しいだけや。宿主は生かさず殺さず、激痛と苦痛で半死半生みたいに追い込むけど、絶対に死なせへん。もしも宿主が死ぬようなダメージを加えられたら、一転して活かすために全力を尽くす……んで、治ったら七転八倒の苦しみ再びよ」

「そして、世界が終わりを迎えたら患者を取り殺す……というわけか」

「せや、絶望をたっぷり味あわせてからな」

 そういう風に躾けられとる、ノラシンハは忌々しげに言った。

 憎しみや怨みを込めた口調から、過去に何かあったのかと思われる。

「……見つけたッ! 見つけたッスよーッ!」

 ノラシンハの講釈が終わった直後、フミカが歓喜の声を上げた。

 スクリーンにはマリの体内をスキャンした画像が映されており、7つのチャクラの活動をリアルタイムで追っている。そのチャクラを忙しなく行き来する、茶褐色のひるみたいなものが蠢いていた。

 フミカの声に釣られて、ツバサとノラシンハも覗き込む。

「この変色した部分が例の“蟲”か?」
「でかしたで眼鏡の嬢ちゃん。正体を突き止めたらこっちのモンや」

 訝しむツバサとは対照的に、ノラシンハは蟲を発見したフミカを賞賛した。そのフミカは発見の達成感も束の間、徒労感を滲ませて呻く。

「……いや、でもこれ。必死になって見付けたのはいいんスけど……どうすればいいんすか? 変質した“気”の蟲なんて前代未聞の生物……」

 どう対処すればいいんスか? とフミカは途方に暮れる。

「そこはそれ、亀の甲より年の功やがな」

 おじいちゃんに任せとき、とノラシンハはその場に腰を下ろした。

 真なる世界ファンタジア純正の神族であるノラシンハも道具箱インベントリを持っているのか、亜空間から次々と道具を取り出す。擂り鉢すりばち擂り粉木すりこぎ、銀製の油壺、小袋……。

「昔取った杵柄きねづかや、こん毒の処置は知っとるんよ」

 どうやらノラシンハに誘導されたらしい。

 穂村組を蝕む毒が“終末の毒アポルダオル”だとツバサたちに学ばせつつ、その正体を突き止めさせてから、自分の知る解毒方法を伝授させたいのだ。

 階段を一歩ずつ踏み登るように、学ぶべきものを実地で覚えさせていく。

 インチキ仙人と同じ──実体験を徹底した教育方法である。

 信用云々以前に、共感を覚えてしまう。

 ノラシンハは小袋から、乾燥させた葉や木の皮を何枚か取り出した。

 鼻腔びこうくすぐる優しい香りに、ツバサは目を丸くする。

「まさかそれ……世界樹か!?」

「せやで。それもただの世界樹じゃあらへんぞ」

 ノラシンハは葉や皮を見せびらかすように擂り鉢へ放り込んでから、勿体ぶった言い回しでその来歴を語る。まるで叩き売りの口上だ。

「ここより南の海にそびえる世界樹。それは百薬種サエーナじゅと呼ばれる特別な世界樹でな。その幹や枝にありとあらゆる薬草を生やして、時が来れば世界中に薬草の種をばらまいとったんや。その樹には万物を癒やす力があった……」

 もう伐られてもうたけどな、とノラシンハは寂しげに付け加えた。

 世界樹は莫大な“気”を蓄えるため神族や魔族に尊ばれたが、別次元からの侵略者である蕃神にも狙われ、彼らにも悪用されたという。

 そのため自衛の手段として、ほとんど伐られてしまった。

 百薬種樹もそのひとつだろうが、その残存物たる葉や皮をどうしてノラシンハが持っているのか? 後ほど聞いてみたいところだ。

「この擂り粉木もな、百薬種樹の枝から作ってん」

 ノラシンハは擂り粉木で葉や皮をくと、ミスリル製の油壺からオリーブオイルのように透き通った緑色のオイルを注いでいく。

「これは百薬種サエーナじゅん中でも脂肪分の多い実から取った油や」

 次に青みがかった卵を取り出すと、割って黄身だけを擂り鉢に投入。

「これは百薬種樹にしか巣を作らん霊鳥スィームルグの卵……可哀想やと思った人は安心してや。これ無精卵やから」

 油を卵黄で乳化させて、更に擂り粉木で混ぜ合わせていく。

 途中ノラシンハは手を休めると、軽く自分の肩を叩いてからその手をツバサに伸ばしてきた。クイクイ、と手招きするように催促する。

「悪いんやけど兄ちゃん、例のミルク・・・・・分けてもらえんか?」

「なっ……ええっ!?」

 思わず爆乳を庇うように抱きかかえながら飛び退いてしまった。 

 ハトホルミルクをなんで知ってる!?

 ……と喉から言葉が飛び出る寸前で押し止めた。そうだ、ノラシンハは過去現在未来を覗けるのだから、ハトホルミルクの出所も知っていておかしくない。

 普段なら「ふざけんな!」と怒鳴り散らすところだ。

 しかし、人命が掛かった作業となれば断るわけにもいかず、ツバサは顔を真っ赤にして頭から湯気を立ち上らせながら、3本のミルク瓶を渡した。

 ……まあ、既に穂村組には回復のために飲ませたので今更なのだが!

 ミルク瓶を受け取ったノラシンハは、ちょっと困った顔をする。

男子おのこなのに女神の聖乳を得られるか……難儀やな兄ちゃん」
「同情するんなら触れないでくれ……ッ!」

 男から女になっただけでも恥ずかしいのに、こんな爆乳の女神にされて、あまつさえ毎日大量の母乳を搾れる地母神になるなんて……ッ!

 ツバサは両手で顔を覆って項垂うなだれてしまった。

 そうこうしている間にもノラシンハの作業は続き、世界樹の葉と皮、木の実から絞った油、霊鳥の卵、そして女神ハトホルのミルクが混ぜられていく。

 それらの素材が渾然一体となった時──。

「よし、完成や!」

 出来上がったのは乳白色のトロリとした液体。

 適度な粘りを持ったそれは、どうやら塗り薬のようだ。

 しかし、現実世界で生きたツバサたちの視点からすれば、クリームソースというかマヨネーズというか……そういったものによく似ていた。

 幼稚な意見だが──美味しそうだ。

 ただし、発する輝きや匂いが明らかに異なる。

 その光沢は神々しく煌めき、その香りは清涼を超えた清浄なもの。

 ツバサの分析技能アナライズを通して見ると、途方もない解毒作用とあらゆる生命体の健康を賦活ふかつする効果が見て取れた。薬効成分も素晴らしい。

 この薬をどう使うのか? ノラシンハの説明を待っていると……。



「じゃあ兄ちゃん──味見してんか?」



 今日のご飯みたいなノリで差し出され、思わずズッコケてしまった。


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