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第13章 終わりで始まりの卵

第320話:その価値に見合う代価を支払いましょう

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「ほら、アレだ、えーっと……なんだコラァッ!」

 アダマスは怒鳴りたいのだが、使いたい単語が思い出せなくてイラついていた。バンダユウとの喧嘩をエキサイトして楽しんでいたのに、中途半端に終わったことが許せないのは明らかだった。

 消化不良──なのだろう。

 苛立ちが収まらずとも、咄嗟とっさに仲間を庇ってみせたのはヤンキーの兄貴分らしい頼もしさだ。おかげでリードたちは命拾いした。

 バンダユウの自爆は、恐ろしい破壊力を誇った。

 あの古臭いカートゥーンアニメに出てきそうなダイナマイトのひとつひとつが、大都市を吹っ飛ばす戦術核級の爆発力を秘めていたのだ。それを至近距離で何十発も炸裂させられたのだから堪らない。

「不燃ゴミじゃねえ、燃えないゴミでもねぇ、燃焼系アミノ式でもねぇ! ほら、アレだ、アレなんだよ……なんだったっけゴラァァァーッ!?」

 まだ思い出せないのか、アダマスはキレかけていた。

 こういう時は頭を掻き毟りたくなるが、アダマスがそれをやると「俺の誇りだ!」という自慢のリーゼントがグシャグシャになってしまう。

 代わりに地団駄じだんだを踏んでいた。

 アダマスが怒りに任せて足踏みすると、マグニチュード8級の地震が起こるので災害そのものだ。周辺にいるだけで被災する。

 ヒールを履くサバエは迷惑そうだ。

「落ち着きなさいアダマス! もしかして不完全燃焼って言いたいの?」
「おお、それだそれ! やっぱりサバエは物知りだな!」

 解を得たアダマスは「はぁい!」と健やかな笑顔で瞳をキラキラさせた後、激怒モードに戻って教えられた言葉を叫ぶ。

「あれだ、ホラ……不完全燃焼だぞゴラあああああああああーッッッ!!」

 アダマスの咆哮に呼応し、目の前の嵐も千々ちぢに乱れた。

 ──プラズマの嵐が吹き荒れている。

 風や雷の力が限界突破するまで高められ、そこにアダマスの豊潤な闘気オーラも加えられたことにより、バンダユウの手足を嘖んだ高密度のエネルギーが超高速で渦巻いていた。コンパクトながら超強力な台風である。

 粘度の高い質量を持つ、科学常識を無視したプラズマの嵐。

 その嵐に──バンダユウの起こした爆発が封じ込められていた。

 バンダユウが自爆した瞬間、アダマスが過大能力オーバードゥーイングを発動させてこのプラズマの嵐を巻き起こすと、爆発を閉じ込めることに成功。台風を竜巻状にして、爆発のエネルギーを上空へ逃がしていた。

 それでも間に合わないのか、嵐がはち切れそうになる。

 しかし、アダマスは力尽くで抑え込む。

 そのたくましさにリードは羨望せんぼうの眼差しを向けた。

 アダマスが抑え込んでくれなければ、全滅してもおかしくなかった。サジロウやサバエでは防ぎきれなかったし、爆発に巻き込まれても平気なのは再生能力に優れたジンカイと、無駄にタフネスなアダマスくらいなもの。

 リードなど即死だったに違いない。

 不甲斐ふがいない……リードは親指の爪を噛む。

 リードの過大能力オーバードゥーイングは、バンダユウの推測した通り“消滅”だ。

 あらゆる技能スキルによる抵抗や過大能力の防御を無視して、対象を跡形もなく消し去るという観点から見れば、比類なき最強能力の一角である。

 この能力から“最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズ”の統率を任せられた。

 ……まあアダマスやジンカイのように実力はあっても「まとめ役? 面倒だ」という人物ばっかりなのもあるのだが。

 バンダユウの予想通り、リードの能力は発動まで時間がかかる。

 おまけに短所を付け加えれば、消滅の力が宿っているのは前髪で隠した右眼だけなので、一度にひとつの対象しか消すことができない(※バンダユウが作った幻覚は実体化する前の出掛かり・・・・なら一瞬で消せたから対応できた)。

 赤い眼光を浴びせれば、どんな存在であろうと消滅させられる。

 防ぐことも避けることも適わない。

 しかし、メリットに釣り合うだけのデメリットもあった。

 実体のない幻覚ならば瞬きする時間で消せるが、実体がある物だと大きさや素材の硬軟こうなんに密度、そして質量によって変わってくるのだ。

 人間1人を消すならば──最短で5秒。

 神族や魔族はLV差によりけりだが、30秒はかかるだろう。

 バンダユウに貼りつけられた“千年ガム”とかいう巫山戯ふざけた目潰しは、10分以上もかかってしまった。どうやって創ったのか……謎である。

 リードはチャージ時間を計算して立ち回り、もうひとつの・・・・・・過大能力オーバードゥーイングと連動させることで、一撃必殺の威力を発揮できるよう訓練を重ねてきた。

 そう、油断せず慎重に立ち回ればいい。

 最悪にして絶死をもたらす終焉、最強だという自信があった。

 この真なる世界ファンタジアでもトップクラスの実力者である“起源龍オリジン”を、たった1人で討ち滅ぼした戦歴。これが自信を裏打ちしてくれた。

 なのに──この為体ていたらくだ。

 意表を突かれたと言えばそれまでだが、言い訳としては最悪のものだ。思い掛けないアクシデントに対応できなかった己をリードは恥じた。

「ほら、アレだ……饅頭まんじゅうだな」

 唐突にアダマスの大きな背中越しに呟いた。

 言い聞かせるような説教するような、それでいて慰めるようでいて諭すような、武骨ながらも男の優しさを漂わせる口調だった。

 しかし、言葉の意味がよくわからない。

 やっぱり不意打ちに弱い、とリードは改めて思い知らされた。

 大黒さま人形を落としてきたバンダユウの脈絡のない行動もそうだが、あまりに突拍子もないアダマスの言動にも即応できなかった。

「……饅頭? お饅頭ですか?」

 たっぷり3秒考え込んでから、オウム返しに問い返すのが関の山だ。

 気の利いた返事もできない自分の未熟さが恨めしい。

 アダマスはぶっきらぼうに返してくる。

「いや、饅頭じゃねえよ。ほら、アレだ……油断のパワーアップ版みたいな言葉があったろ? まんじゅう、まんぞう、まんしゅう……しゅうまい?」

 和菓子から点心になってしまった。食べ物……お腹がすいたのだろうか?

 もしかして、とサバエが出番とばかりに助け船を出す。

慢心まんしんって言いたいのかしら、もしくは増上慢ぞうじょうまん?」
「おお、まさにその2つだ。サバエは本当に記憶力がいいな」

 助かる! とアダマスは片手で拝んだ。

 ダイヤモンドの櫛を取り出したアダマスは、トレードマークのリーゼントを整えながら横顔を振り向かせる。その視線にリードは怖じけた。

 ――おとこの凄味が違うのだ。

「たった1人で“起源龍”とかいう上物を仕留めたからって、調子ぶっこいちまったんだろ? だから、あのジイさんに足下を掬われたのさ。ほら、アレだ……ああいうのを妖怪とかいうんだろ? 百戦錬磨のお年寄りだ」

 また言い間違いを見付けたサバエは溜息交じりに訂正する。

老獪ろうかいって言いたいのね、多分」
「それだそれ、もうサバエにゃ頭が上がんねえな」

 アダマスは悪びれもせず、サバエを指差して自嘲じちょうの笑い声を上げた。

 そして、リードに振り返ると兄貴風を吹かしてくる

「俺たちゃこの世界をブッ潰そうとしている大悪党だぜ? 刃向かってくる正義の味方どもをワンパン上等でいてこましていかなきゃならねぇんだ」

 ──こんなところでオタついてる暇はねぇぞ。

 ボーリング玉みたいな拳骨が、リードの薄い胸を軽く突いた。

「俺たちのアタマを張らせてんだ。もっと気張れよ、リード」

 本来ならばアダマスのが格上である。

 バンダユウが指摘したところの「下駄を履かせてもらう」前からLV的にも上位であり、彼をリーダーに推挙すいきょする声も多かった。

 現実リアルで暴走族のヘッドを務めていた過去も伊達じゃない。

 だが、彼は統率者としての資質がないという自覚があり、能力的にも破壊効率が高く人をまとめる才もあるリードをしてくれた。そのうえで補佐としてサポートしたり、仲間の輪を取り持ってくれていた。

 悪の組織であっても秩序は必要だ。

 リードに足りないボスの迫力を、アダマスは有り余る侠気おとこぎで補ってくれる。それが頼もしく有り難く……羨ましくて妬ましい。

 こうした負の感情を募らせる性格もまた、選ばれた証拠である。

 人間を嫌い、俗世を蔑み、社会を憎み――ゆえに世界を討ち滅ぼすもの。

 即ち――最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンズ

「…………はい、すいません」

 だが、リードはしおらしく謝った。

 自分に非があるのは間違いない。アダマスだけではなくサジロウやサバエ、ジンカイにも迷惑をかけた。バンダユウの力量を見抜けずに多くの犠牲者を出したのも、リードの采配ミスと糾弾きゅうだんされてもおかしくはない。

 失敗を認めて、次に活かすためだ。

 これからは格下だろうと油断はしない。

 手足をぐように抵抗できなくしてから、リードが抱え込む生きとし生けるものへのありったけの憎悪を込めて、消し滅ぼしてやればいい。

 そう――あの黄金の“起源龍オリジン”のように!

「反省するのは勝手だが……まず建設的な話をしようか」

 リードが頭を持ち上げると、ジンカイがこちらへやってきた。

 後ろには過大能力で生み出した怪物の群れを引き連れており、その怪物たちは手や口に例の卵を持っている。偽物とわかったものは次々と割られていた。

 アダマスがバンダユウの自爆を抑え込んだ後、怪物に人海戦術をさせることで、散らばった卵を集めてくれていたのだ。

「あの老人の過大能力……幻術を具現化するのだよな? それで創ったはいいが手間を惜しんだのか急いだのか、上っ面を似せた殻だけだ」

 偽物の卵はすべて割られていた。

 持つと中身がない殻だけなので軽く、判別は容易だったらしい。

「それで、肝心の本物は……?」

 これだ、とジンカイは怪物の手に乗せた卵を見せてくれる。

 絶えず七色の光を発する大きな卵。

「これが……“終わりで始まりの卵ヒラニヤガルバ”……ッ!?」

 リードは恐れ多いあまり、おっかなびっくり両手を伸ばす。

 中に宿した命が鼓動しているのか、七色の光は規則正しく強くなったり弱くなったり、明滅を繰り返している。それに目を落とすジンカイの瞳は、どこか物憂げに曇っていた。

 彼女の視線に気付いたリードも分析系アナライズ技能を走らせる。

 そして、愕然とさせられた。

「これは……違う! 偽物!? じゃあ、この卵は……?」

虹色宝龍レインボードラゴンの卵だ。稀少品レアといえば稀少品レアだがな」

 ジンカイは怪物を生み出す過大能力もあってか、モンスターや現地生物の知識が豊富だった。リードは虹色宝龍なんて初めて耳にする。

虹色宝龍レインボードラゴン? ほら、アレだ。随分ファンシーなドラゴンだな」

「虹の根元には龍がいる、なんて昔話か詩があったような気がしますけど、それの元ネタみたいなものかしら?」

 アダマスとサバエが空気を読まず、平然と感想を述べた。

 当たらずも遠からずだ、とジンカイは解説する。

「虹色宝龍はその生涯をほとんど寝て過ごす。年に数回、長い雨が降った後に目覚めると七色の“気”マナを吐く。それが空にかかって虹になるという」

 しかし、注目すべき生態はそこではない。

「サバエの話に補足するとだな、虹の根元には宝が埋まっている……という俗説が世界的にある。虹色宝龍はそれを体現する能力を持っているんだ」

 ――虹色宝龍の寝床には財宝が集まる。

 正確には、眠る虹色宝龍から漏れる“気”マナが、周囲の物質を貴金属へと変質させるのだ。それなりに時間はかかるが着実に増えていく。

 お宝に目がないプレイヤーや、稀少金属レアメタルを大量に消費する工作者クラフターには重宝されるので、アルマゲドン時代にも争奪戦が繰り広げられた。

(※余談ながら――ダインは8匹、ジンは5匹、ゼニヤは3匹、それぞれ道具箱内に飼っている。だから彼らは稀少金属に困りにくい)

「まんまと引っ掛かったな……奴らの小細工に!」

 ジンカイは忌ま忌ましく卵を握り潰した。

 希少な卵でも惜しむことなく、その残骸をゴミのように投げ捨てる。

「俺たちは“終わりで始まりの卵ヒラニヤガルバ”の見た目を知らない……それを知ってか知らずか、あるいは行き当たりばったりか……滅多に出回らない虹色宝龍の卵を使って、一杯食わせやがったんだ!」

 それがまさか、バンダユウの幻術より効果覿面だったとは……。

「してやられたというわけですね……クソッ!」

 リードは柄にもなく汚い言葉で毒づいた。

 苛立ちから地面に転がっている小判も蹴散らしてしまう。

 地面にばらまかれた大判小判も目眩ましのひとつ。

 貨幣制度なんてものがない真なる世界ファンタジアでは大して意味はないが、現実世界で暮らしてきたリードたちは、思わず目を奪われるほどの量だ。

 こんなものに気を取られるなんて……もう一度、蹴っ飛ばしてやる。

 小判が舞った瞬間、妙な感覚にも襲われた。

 まるで賄賂わいろを渡されたような、取り引きをした感覚だ。

「ほら、アレだ、ジイさんは『俺の仕業じゃない』とか言ってたな」

 アダマスは大判をつまみ、おやつにバリバリ食っていた。

「臆病者がどうとか……他に伏兵がいたのかしら?」

 人間嫌いのサバエも宝石は別なのか、形の良さそうな宝石などを拾ってこっそり道具箱インベントリに放り込んでいる。リードは見て見ぬ振りをした。

「穂村組は全員、あの巨大ガエルたちの輪の中にいたはず……まさか、ドサクサに紛れて輪の外にいたはねっ返り・・・・・がいたのか……」

 アダマスやサバエの言葉に釣られて、リードも推察してしまう。

 そこへ――。

「お~い、いいもん見つけたッシャ」

 ジンカイと手分けして周囲を調べていたサジロウも戻ってきた。

 とはいっても、ジンカイのように怪物を使役して卵(真贋しんがん問わず)を集めるような能力はないので、感知系技能で見回っていただけである。

「サジロウさん、いいものとは……?」

 いぶかしげなリードに、サジロウは皮肉な笑みを浮かべた。

「いやぁ、リードは渋い顔するだろうけど、アダマスにゃ喜んでもらえること請け負いッシャ。ホント、オレたちゃ化かされてばっかだっシャ」

 ほれ、とサジロウは無造作に何かを投げた。

 丸い何かはリードの頭上を飛び越えて、爆発が収まってきたのでプラズマの嵐を片付けていたアダマスの手に届く。こちらも無造作に掴み取る。

 それを認めた瞬間、アダマスは瞠目どうもくした。

 ご機嫌の笑い声を跳ね上げ、またしても嵐を巻き起こす。

「だあっはっはっはっ! アレだ、ほら! 勝ち逃げせずに済んだぜ! そうだ、まだ決着ケリがついてねぇ! 勝負はこれからだよなぁ!」

 そうだろジイさん! とアダマスはその首を掲げた。

 バンダユウの首――ただし、オモチャだ。

 一目でバンダユウとわかる造作だが、子供が工作したような粗雑な作りの生首の人形。びっくり箱から飛び出してきたわけでもあるまいに、首から下にバネがついてビョンビョン飛び跳ねていた。

 大きく割れた人形の口からは、一枚の置き手紙が垂れ下がる。



『――Kiss My Ass!!』



 すみをたっぷり含ませた筆でそう書かれており、その上にはアメコミ調に描かれたバンダユウが変な顔で唇を尖らせ、親指を下に向けていた。

 アダマスには大ウケだったが、リードは歯軋りして悔しがった。

 掻き毟った頭から血が滲むくらいの苛立ちが募る。 

「あの自爆さえ幻術……偽物フェイクだったのか!?」

      ~~~~~~~~~~~~

「……フフン、『一緒に逃げよう』ってこういう意味だったとはね」

 マーナはニヤニヤといやらしい笑みをこぼした。

 サメ型強襲艦――スカルシャーク。

 ツバサによって一撃の下に破壊されたクジラ型戦艦ドクロホエール。

 その後継機となる(予定だった)マーナ一味の長距離航海を見越した移動拠点である。お仕置きとしてホムラに取り上げられたものだ。

 しかし、工作者クラフターのホネツギーが「せめて完成だけはさせてちょーだい!」と泣いて頼み込み、とうとうレイジが折れて「いつか使うかも知れないから」と理由付けで許可を出してやっていた。

 完成後、地下倉庫に放り込まれていたのだが……。

「ふん、おまえらかてこん船でみんなを連れ去る魂胆やったんやろ」

 お互い様や、とゼニヤは不貞腐ふてくされた。

 スカルシャーク内格納庫ハンガー――。

 船首から飲み込まれる形で広い格納庫まで直通できる作りになっており、ホムラのつぼみ型シェルターはここへと送り込まれていた。

 安全が確保された今、シェルターは解かれている。

 回復系技能を持つレイジや女性組員が手分けして、重傷を負った組員の手当を急いでいる。不慣れなホムラやゲンジロウも手伝っていた。

 最も重傷なバンダユウは、マリがつきっきりで看病している。

「……なんか……介護されてる気分、だぜ……」
「ちょっと黙ってなさい! オジさま、ガチで瀕死ひんしなのよ!?」

 年寄りの冷や水って知ってる!? とマリは半泣きだ。

 バンダユウは嗄れた声で答える。

「ああ、江戸の頃だったか……当時は夏になると冷たい水を“冷や水”って名前で売る商売があってな……若者は喜んでガブガブ飲むもんだが、冷たいものってのは老人にゃ毒だ……なのに、若いのに負けじと張り合って飲んで体を壊して……だから年寄りの冷や水なんて言葉が……落語で聞いたなぁ……」

「しみじみ語らなくていいから! 大人しくしてなさいマジで!」

 寝心地のいいシートに寝かされたバンダユウ。

 最悪にして絶死をもたらす終焉との激闘の末、再起不能と判断されてもおかしくない致命傷を全身に負わされていた。

 アダマスによって雑巾みたいにねじられた右腕と右足は自己修復で動くまで回復してきているが、筋肉、神経、骨、関節へのダメージが細胞レベルで深刻だ。

 よく動かしてたわね! とマリが呆れ返っている。

 血塗れの衣服に隠れているが、胸や腹には文字通り風穴みたいな貫通した穴が開いており、あばら骨はおろか背骨にまで皹が入っている。

 臓器のいくつかも半壊するように潰されていた。

 人間ならとっくの昔に死んでいるが、魔族としての生命力と常時発動技能パッシブスキルの自己修復能力のおかげで、なんとか命脈を保っている状況だ。

 応急処置を続けるマリが悲鳴を上げる。

「あぁぁ……しかもこれ! 傷やダメージが酷くなる弱体化デバフかかってるし! あのリーゼントの能力!? それとも鬼太郎の方?」

 正解は両方だ。相手を弱らせるのは喧嘩の常套手段である。

 バンダユウもちょくちょく使っていた。

 その弱体化が尾を引いており、バンダユウの自己回復とマリの治療を阻害するものだから、回復が進まず彼女をイライラさせていた。

 愛着のあるフリルの上等な衣装が血みどろになるのも構わず、マリは懸命にバンダユウの手当てをしてくれた(見上げればブルンブルン揺れる巨乳が至福だと言いたかったが、これ以上は本気でマリを怒らせるので黙っておこう)。

 あのションベン臭い小娘が大きくなったものだ……。

 老いて子に背負われる、という格言をバンダユウは実感する。

「…………すまねえ、しくじった」

 バンダユウは目を閉じ、口惜しさも露わに言った。

 バカ造どもを始末すると豪語しておきながら、大切な組員をむざむざ何人も死なせてしまい、一番厄介な連中を取り残して、おめおめ敗走する。

「何を言うのオジさま! オジさまがいなかったらわたしたち……ッ!」

「組長までかたったというのにな……本当、面目ねぇ」

 マリの言葉を右手で制したバンダユウは、組長ホムラに改めて詫びた。

叔父貴おじき……あ、謝るのはワシの方じゃ……」

 ホムラはバンダユウの枕元に駆け寄り、無事な右手を小さな両手で包み込むように掴んできた。その手を震えて、瞳は涙に潤んでいる。

「ワシが組長なのに……弱いから……叔父貴が、こんな!」
「いいんだよ、小さくて、弱くて……」

 バンダユウはホムラの手をギュッと握り返す。

 おまえはこれから大きく強くなって――おれを追い抜くんだから。

「それまで守るのが親の務め……だから、気に病むな」
「叔父貴ぃ……ッ!!」

 ホムラはバンダユウの右手を両手で握り締め、両眼を食い縛るように閉じながら小さな額を押し当てた。それは神への誓願せいがんのようだった。

 本当なら昔みたいに頭の1つも撫でてやりたいところだが、比較的無傷な右腕さえもなかなか言うことを聞いてくれない。全身全霊が疲れ切っていた。

 どうにか首を動かすと、ホムラ越しに声をかける。

「ゼニヤ君、マーナ嬢ちゃん……今回は助けられちまったなぁ……」

 ありがとよ、とバンダユウは礼を述べた。

 マーナはない胸を誇らしげに張るため、貧乳の下で腕を組んで精一杯持ち上げるポーズを取ったまま、ちょっと得意げになっていた。

「三下だろうと意地がありますからね」

 ホムラやレイジからとびっきりの制裁を加えられるはずだったが、バンダユウの取り成しで大甘な裁定にしてもらった恩返しだという。

「わたしよりホネツギーやドロマンに言ってやってくださいな。スカルシャークを起こしてみんなをさらって逃げましょう! って言い出したのは、あの凸凹コンビなんですからね。わたしは、それに一口乗っただけですよ」

「そうか、骨と泥が……いい子分を持ったじゃねえか」

 バンダユウは素直に称賛した。

 マーナは言葉にせず、子供みたいに満面の笑顔を答えとする。

 そのホネツギーとドロマンだが、格納庫ハンガーにはいない。2人は今、操縦席にて絶賛大忙しである。逃げろや逃げろとサメ型戦艦を走らせていた。

「エンジンが焼き切れるまでブッ飛ばすわよ~ん!」
「でも焼き切れたら元も子もないので調整と冷却は任せるダス!」

 あらゆる技能スキル、スケルトンとゴーレムの従者サーヴァント、それに過大能力オーバードゥーイングを駆使して、エンジンに最大出力を発揮させるも壊れないよう保たせながら、スカルシャークが出せる最大速度を維持していた。

 現在、万魔殿があった場所から数百㎞は離れている。

 いくら全力といっても、この短時間でスカルシャークが稼げる距離ではない。

「おめぇさんの能力ちからだろ……ゼニヤ君?」
「……………………」

 マーナはこちら向きに立っているが、その近くにいるゼニヤはバンダユウに背を見せてあぐらで座り込み、返事もしなければ振り向きもしない。

 怒りや苛立ちを隠そうともしなかった。

 あの逃走劇に際して、バンダユウは二度もゼニヤに助けられている。

 ゼニヤの過大能力――【その価値に見合うハウマッチ・代価を支払いましょうイズディス!?

 名は体を表すというが、この過大能力がそれだ。

 ゼニヤの過大能力は相手の無意識に「なんぼ払えばいいでっか?」と語りかけ、相手が要求した分の価値ある物品を支払うことができれば、その場の事象をも書き換える商談をまとめることができるのだ。

 以前、激怒したツバサから逃れたのもこの能力あってのこと。
(※第290~291話参照)

 今回の場合は――。

 あの大黒人形が降ってきた時、ゼニヤはリードたちの無意識に「どんだけ払えば隙をくれまっか?」と商談を持ち掛けていた。

 そして、ありったけの金銀財宝を目眩ましにして、リードたちから3秒もの時間をもぎ取ってくれたのだ。ついでとばかりに彼らが追い求めると思しき不思議な卵を見せることで、“先払い”の契約まで結んでいた。

「あの卵は……どうしたんだい?」

 おまえが隠し持っていたのか? とバンダユウは責めることをせず、どこで手に入れたのかを穏やかに聞き出してみた。

「ありゃ虹色宝龍レインボードラゴンの卵や……ちょいと前にレイジはんお付きの子らと遠出した時に拾いましてな……こっそり懐に入れさせてもらいましたわ」

 そうかい、とバンダユウは得心する。

 その現場を連中に盗み見られて勘違いされたらしい。

 ゼニヤが内緒にせずとも、レイジ付きの組員も一緒なら「資材の足しになる」と虹色宝龍の卵を持ち帰ったに違いない。穂村組を見張っていた連中に気付かれるのは遅かれ早かれだったのは、想像に難くなかった。

 この件でゼニヤを糾弾するのは筋違いだ。

「その卵で命拾いしたのは……皮肉な話だな」

 ゼニヤは過大能力で二度目の商談をリードたちに持ち掛けた。

『こん卵を無傷でくれてやる』――と。

 リードが見つけた時、卵は空中高く放り上げられていた。

 おまけにバンダユウの創った偽物が入り乱れ、勢いよく飛び交う大判小判にぶつかって、亀裂でも入ったら一大事のはずだ。

 焦ったリードたちは無意識にゼニヤの商談に応じたのだろう。

 ゼニヤが代価に求めたのは――。

「……穂村組を見逃せ、だな?」

 逃げるスカルシャークを、バンダユウは宝船に化けさせた。

 それを12隻に増やして撹乱を狙いつつ、バンダユウは身代わりの自爆人形と入れ替わって戦艦に乗り込んでいた。我ながら便乗させてもらったのだ。

 そのスカルシャークを100㎞先まで空間転移させたのは、ゼニヤの過大能力。

 このように応用の幅があり、援護という面では重宝される。 

 反面、恐ろしく費用がかかるのだが……。

 バンダユウの問い掛けに、ゼニヤは肩の贅肉を揺らしてため息をついた。

 無駄働きをさせられた徒労感たっぷりのため息だ。

「高くついたでホンマ……人生で一等高い買い物やったわ」

 人の命に金の糸目はつけられまへんな、とゼニヤは鼻で笑った。

「人の命ほど安いもんもねぇけどな……」

 敵味方の区別なく、若い命が呆気なく散っていった。

 バンダユウが手にかけた9人の最悪にして絶死をもたらす終焉も、バカばっかりだがまだまだやり直しが利く年頃の若造だった。

 その最悪にして絶死をもたらす終焉に立ち向かおうとした組員たちもまた、バンダユウが将来を期待する可能性を持った若者たちばかりだ。

「悪ぃみんな……俺ぁもう老いぼれだ……」

 こんな悲しいというのに――ろくに涙も流せねぇ。

 若者たちを見送った胸は虚ろとなり、その虚ろを囂囂ごうごうと音を鳴らして悲しみが通り過ぎていくのに、眼球が潤うくらいの涙しか浮かんでこない。

 老いちまったなぁ……バンダユウは両眼を閉じる。

 ようやく、一粒の涙が目尻に堪った。

「――泣いてる暇なんぞあらしまへんで顧問」

 こいつは取り引きや、とゼニヤは厳しい声で言い立てた。

 あぐらのままクルリと回転したゼニヤは、バンダユウを値踏みするような視線で睨んでくる。その眼にバンダユウはある職業を思い出した。

 ヤクザと縁深い仕事――借金取りだ。

 ゼニヤは硬い表情で算盤を取り出し、ジャラジャラと鳴らす。

「ワイの夢はこん世界に貨幣経済を根付かせること。世界経済を牛耳る巨大な銀行組織をまとめ上げ、そのトップになることや」

 そのためには、大きな力を持った後ろ盾が必要不可欠。

「だからレイジはんに手引きしてもろうて、そん後ろ盾になってもらおうと穂村組には惜しみなく協力してきた。こん世界に飛ばされる前から、それこそ現実世界におった頃から、ぎょーさん投資してきたはずや」

「……ああ、世話になったな」

 これについてはレイジから聞いている。首尾良く行けばゼニヤとWin-Winな協力体制を構築できると青写真も見せられていた。

 ゼニヤはジャラン! と威嚇するように算盤そろばんを振った。

「しっかと儲けが出るまで――穂村組アンタらに滅んでもらっちゃ困るんや!」

 今回のも貸しでっせ、と付け加えるのも忘れない。

 本気で言ってるのか、素直になれないのか……ゼニヤの苦虫を噛み潰したような悲しい表情を見れば、ほじくり返すのは野暮やぼというものだ。

 商人あきんどとして――譲れない領分がある。

 それはおとこ自尊心プライドに相通ずるものがあり、武道家の矜持きょうじと共感し合えるところもあった。一流であればあるほど、そのこだわりは譲れなくなる。

 バンダユウは擦り傷の痛む口の端を緩めた。

「そうだなぁ、たんまり銭をくれた投資家にゃ……どっちかってぇとスポンサーか? ゼニヤ君にゃ借りまくりだもんな……」

 現実世界ではジェネシスからの裏情報を回してもらい、組員全員のアルマゲドンや関連機材まで準備してもらった。これだけでも相当な額になる。

 それらはゼニヤが私財を投じたものだ。

 わかった、とバンダユウはゼニヤを契約を呑む。

 マリに「動いちゃダメだってば!」と叱られてもお構いなし、バンダユウは無理を押して起き上がると、治りかけた右手でホムラの頭を撫でる。

「俺が生きている内にゃ怪しいが……俺で無理でも、ホムラがきっちり返すと約束しよう……投資してもらった分の何倍もの利益を……熨斗のしつけてくれてやる。金という文化が根付いたなら……全面的に協力もしてやるさ」

 いいなホムラ? とバンダユウは未来の組長に託す。

 ホムラはすぐに泣き止み、手の甲で涙を拭ってゼニヤに約束する。

「ああ、勿論じゃ……ゼニヤ兄ちゃんには恩がある! 恩に報いてこその任侠だ! 投資してくれた分は何百倍にもして返してやる! 約束じゃ!」

言質げんちもろたで、組長はんに顧問はん!」

 ゼニヤは苦そうに寄せていた眉間の皺をほぐすと、ちょっとだけ嬉しさを垣間見せた笑みで、シャランと小気味よく算盤を鳴らした。

「差し当たってそうだな……」

 回復が効いてきたのか調子が戻ってきたバンダユウは、まだ気怠いが自分もあぐらに座り直し、「まだ治療中よ!」と喚くマリの頭も撫でてやった。



「手付けってわけじゃねぇが――マリを嫁にくれてやろう」



 こういう冗談を飛ばす調子も戻ってきたらしい。

「「「えええええええええええええええええええええーーーッッッ!?」」」

 ホムラ、レイジ、ゼニヤが一斉に打っ魂消ぶったまげていた。

 ゲンジロウはノーリアクション。うむ、と頷いただけだった。

 一方、冗談とはいえゼニヤの嫁として差し出されたマリは突然のことにキョトンとして瞳をパチクリさせると、落ち着いた声でこう答えた。

「あら――あたし全然OKなんだけど」

「「「「なにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいーーーッッッ!?」」」」

 まさかの快諾かいだくにバンダユウまで度肝を抜かれた。

 ゲンジロウだけはノーリアクション。また頷くだけである。

「いいのかマリ姉ぇ!? ブタ饅頭みたいなゼニヤの兄ちゃんだぞ!?」
「本気ですか!? 十年来の親友を義兄あにと呼ぶのは心中複雑なんですが!?」

「本人前にしてなんて言い草やアンタら!?」

 マリへ問い詰めるホムラとレイジに、ゼニヤはツッコミを入れる。

 肝心のマリは何処吹く風、飄々ひょうひょうとしていた。

「言ったじゃない。別に構わないって……あたしってば男を強い弱いで見ることはないし、イケメンとかブサメンで差別することもないわ。チビ、ハゲ、デブも関係ない。あたしが男を選ぶ分水嶺ぶんすいれいはたったひとつよ」

 仕事ができる――その一点のみ。

「そういう意味じゃゼニヤ君は満点だからね」

 断る理由ないわよね? とマリはゼニヤにウィンクを送る。

 ゼニヤも満更ではないのか、特盛りの頬をほんのり赤くさせている。

 こういうのは瓢箪から駒か? それとも嘘から出た真と言うべきか? 上手く運べば話が早い。バンダユウは仲人なこうど気取りで囃し立てる。

「両人が乗り気なら問題ねぇな。ゼニヤ君がマリと縁づいてくれりゃあ、もう外様の金庫番じゃねぇ。立派な縁戚えんせき……穂村組の一員だぜ」

 待てよ、とバンダユウはしたり顔で顎をさする。

「縁戚なら投資も借金も、穂村組のものになんだから実質チャラじゃね?」
「そこに気付くとはさすがオジさま♪」

 パチパチパチ、とマリもおだてるように拍手をする。

 どうやらマリの思惑を言い当てたらしい。

 男の好みに関して嘘は言ってないし、本気でゼニヤに嫁いでもいいと思っているが、投資された分を少しでも浮かすつもりなのだ。

 ホムラの負担を軽くしようという、姉らしい心算しんさんである。

 ついでに――行き遅れる前に身を固めたいらしい。

 これに慌てたゼニヤは勿論、異を唱える。

「ちょ、ちょっと待ってや皆はん! それとこれとは話が別……」

「あら、わたしの旦那さまダーリンはそんなに狭量ケチなのかしら?」
「おう、ウチの娘の嫁入りにケチつけようってか? ああん?」

 すかさずマリが新妻らしい親愛の笑みで寄り添うも、その手は手刀になっていた。矢尻のような爪先がゼニヤの喉元に食い込む。そして、バンダユウも鬼親父の剣幕でゼニヤに凄む。

 滝のような涙を流して、ゼニヤは愛想笑いを振りまいた。

「……い、いえいえはいはい! 喜んでぇ!」

 この縁談は断れない、と諦めムードまで漂わせている。

 かくして、思い掛けず婚約というめでたい話まで持ち上がったものの、穂村組は最悪にして絶死をもたらす終焉から逃れることができた。

   ~~~~~~~~~~~~

しっかぁ~しバァーッド! 世の中そんなに甘くない~♪」

 スカルシャークが進む先――山脈地帯が広がっていた。

 山脈でも一番の高さを誇る峰が、ちょうどスカルシャークの飛んでいる高度と同じくらい。いずれここを通り過ぎる時、すれ違うことになる。

 その峰に男が1人、腰を掛けて鼻歌を口ずさむ。

「ハッピーエンドなんてありえない~♪ グッドエンドなんて選ばない~♪ ノーマルエンドなんて問題外~♪ トゥルーエンド? 何それ誰得、みんなの幸せなんざ望まない~♪ オレたちゃ目指すはそれ以外~♪」

 下手くそな調子外れの歌が天嶮てんけんに朗々と響く。

 技能スキルで形を変えたのか、峰の先端は椅子になるよう削られており、男はそこに腰掛けて脚を組んでいる。ちょっと前屈みになると組んだ足に肘を当てて頬杖をつき、ブラブラと組んだ脚を揺らしていた。

「お先真っ暗なバッドエンド~♪ みんなおっねデッドエンド~♪ そのために用意したフラグはてんこ盛り~♪ その数なんと108~♪」



 最悪にしてバッド・絶死をもたらデッド・す終焉エンド――フラグは108。



「さて……善男善女の諸君! 全部へし折ることはできるかな?」

 1人峰に腰掛ける男は楽しげに挑発した。


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