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第13章 終わりで始まりの卵
第317話:取り引きやーッッッ!!
しおりを挟む緊急通信を送ってきたのはディアだった。
スプリガン司令官補佐──ディア・ブリジット。
若くして(まだ高校生くらい)総司令官を務めるダグの実姉であり、勝ち気で男勝りな双子のブリカと比べたら清楚なお姉さんだ。
怒らせたらブリカより恐ろしいと囁かれているが……。
今日の哨戒任務の班長は彼女だった。
なので、代表してツバサに連絡してきたそうだ。
『先日のおじいさまとは別件の密入国者かとも思いましたが……ハトホル様の感知領域には踏み込もうとせず、その一歩手前で待っておられまして……私たちで職務質問させていただいたところ……』
ハトホルの姐さんに会わせてほしい──話があるんや。
『そう仰る神族の方がいらっしゃるのですが……如何いたしましょう?』
またしても神族。またしても関西弁。
しかし、ノラシンハの関係者ではない。
思い当たる節のあったツバサはディアに訊いてみた。
彼女の困った口調からも予想できる。
「ディアさん、もしかしてその神族に心当たりある?」
『心当たりと申しますか……先日ツバサ様より配布された“穂村組幹部リスト”にお名前がある方だと思うのですが……』
やっぱりあの人か、ツバサの読みは当たっていた。
~~~~~~~~~~~~
数日前──穂村組が殴り込みをかけてくる直前のこと。
四神同盟は全員ハトホル国の我が家に集まったのだが、ふとレオナルドが近寄ってくると、こんなことを頼んできた。
「すまないツバサ君、クロコを借りてもいいかな?」
レオナルドは「不本意ながら……」としかめっ面で前置きした。
隠密に長けたクロコの力がいるらしい。クロコはいつもの無表情で瞳はハートにして涎をダラダラ垂らしながら、「喜んで!」と引き受ける。
「胸ですか? お口ですか? お尻ですか? それともお……ンゴッ!」
「公共の場で言わせるかそんな淫語ッ!」
クロコの口から卑猥な単語が飛び出す前に、レオナルドの掌底打ちが彼女の唇を塞いだ。ビクともしない辺り、クロコのLVも上がっている。
そして、口を封じられてもクロコの台詞は止まらない。
「では腋でございますか? もしくは難度の高い眼球……むぐっ!」
「腹話術で続けるな! あと、腋はわかるが眼球で何をしろというのだ!?」
「おや……戦いの前に昂ぶる性欲を私で処理するのではないのですか?」
「誰がするか! しかも、そんなマニアックな行為!」
俺は特殊性癖の持ち主か!? とレオナルドは訂正を求めた。
面白そうなのでツバサもレオナルドをからかう。
「おまえ、おっぱいに魂を売り渡したおっぱい星人だもんな」
「おっぱいの権化みたいな爆乳女神になったツバサ君に言われたくないな」
「誰がおっぱいの権化だ!? このムッツリ超級スケベ!」
「ムッツリスケベは言い過ぎだろ! 自分だっておっぱい星人のくせに!」
売り言葉に買い言葉――。
「やんのかテメェ! 生え際後退気味の劣化サ○ヤ人モドキ陰険軍師が!」
「上等だ受けて立つぞ! 隙あらば愛弟子を狙うデカ乳デカ尻魔性女神め!」
喧嘩口調がエスカレートして、いつしかツバサとレオナルドは割と本気なケンカを始めていた。LV999同士の争いなので被害甚大である。
「なに子供みたいな喧嘩しとんじゃオノレらッ!?」
ドンカイが喧嘩両成敗で、ツバサとレオナルドに拳骨を落としてくれた。
この仲裁で我に返ってなければ、危ういところである。
「す、すいません親方……なんか急にいきり立ってしまって……」
「俺としたことが、なんて大人げない……ツバサ君、親方、本当に申し訳ない……なぜか急に、気持ちが荒ぶってしまって……」
ツバサはまだ(精神的には)二十歳の若造なので反省するぐらいだが、冷静沈着な大人をウリにしているレオナルドは猛省して大層凹んでいた。
原因は――なんとなくわかっている。
「ああ、敬愛するご主人様と愛しい未来の旦那様が、私を巡って対立して白熱したバトルを繰り広げてくれる……と思っていましたのに」
途中で終わって消化不良です、とクロコは残念そうに呟いた。
しかも座り心地の良さそうな座布団を用意して正座すると、極上の玉露まで用意して、2人の喧嘩をかぶりつきで観戦するつもり満々だった。
「「よーし、大体おまえのせいだな!?」」
ツバサとレオナルドは息を合わせ、問答無用でクロコの頭を引っ叩いた。
それでも「ああん♪」と桃色声で喜ぶから腹が立つ。
クロコ(ミロもだが)は“トリックスター”という技能を習得しており、これは場の雰囲気をかき乱す効果があった。ほんの些細な出来事を引き金に、大騒動を引き起こすことさえできるという厄介なものだ。
第三者が気付かなければ、ドッタンバッタンの大騒ぎにまで発展する。
大方、ツバサとレオナルドの言い合いを機に発動させたのだろう。
「まったく……おまえが絡むと話が進まなくて困る!」
元部下だろ引き取れ、とクロコをレオナルドに突っ返した。
首根っこを掴んで差し出すと、クロコも心得たもので子猫みたいに丸まって媚びを売った。しかし、レオナルドは眉根の皺を深くするばかり。
レオナルドは両手を構え、「遠慮します」と態度で表していた。
「いやぁ、もうツバサ君の部下であるわけだし……」
「じゃあ嫁として引き取れ。愛人でも側室で妾でもいいから引き取れ」
「私としましては肉奴隷でも肉便器でも構いませんが?」
ほれほれ、と子猫モードのクロコを押しつけようとするツバサ。NOサンキューという仕草で後ずさっていくレオナルド。
「おい、また駄メイドのペースに飲まれとるぞ!?」
ドンカイにツッコまれて、ツバサもレオもハッと我を取り戻した。
「と、とにかくだ! ちょっとコイツを借りるぞ!」
子猫モード(SDキャラみたい)なクロコを受け取ったレオナルドは、その耳元にやらせるべき仕事をゴニョゴニョと内緒話で伝えると、「行ってこーい!」と窓を開けてボールよろしく放り投げた。
こうしてクロコ(本体)はレオナルドからの極秘任務をこなすため、どこぞへと出掛けていった。口には出さないが清々する。
穂村組の迎撃戦でハトホル陣営にいたのは、クロコの外見を模したメイド人形の一体である。能力的にはクロコが遠隔操作しているので遜色はない。
そうして――コソコソ暗躍する気配があった。
況してやクロコの過大能力は道具箱を変形させた【舞台裏】という亜空間を自在に行き来するものなので、隠密や諜報に長ける面があるのだ。
穂村組に気取られぬよう動いていたらしい。
ホムラたちが帰った後、何をやっていたのか聞いてみた。
「クロコを使いに出して、ゼニヤ君に穏やかな懐柔工作を仕掛けておいたんだ」
「脅迫と説教と誘惑というスパイスをたっぷり効かせておりましたね」
どう聞いても穏やかじゃないな、とコメントしてやった。
そもそもクロコが使者の時点でアウトだ。
一見すると礼儀正しいクロコだが、人によってはまさに慇懃無礼。下手をすれば挑発を誘っていると勘違いされかねない態度を取る。
ツバサなど年中無休で煽られっぱなしだ。
クロコは神族でも御先神という、主人を選んで絶対服従する従属神。
なので主人と認めたツバサに逆らえないはずなのだが……。
「ツバサ様へのセクハラは、お茶目なスキンシップと判定されております」
「おまえ、全部スキンシップで許されると思ってるよな!?」
イジメもセクハラもスキンシップで片付けられたら、警察も裁判所も教育委員会も用なしだ。しかし、場合によってはこれらの機関も役立たずである。
「ともかく──ゼニヤ君の動きは誘導できたはずだ」
懐柔工作を成し遂げた暁には、穂村組との同盟締結に際してゼニヤが代理として立てられるかも知れない。レオナルドはその可能性も示唆した。
ところが一方で──。
「まあ、あれだ。穂村組が勝ち目なしと見るや否や、金庫から持てるだけの有り金を持ち逃げする風見鶏だからな。もしかすると貢ぎ物を山ほど用意して、君か俺のところに泣きついてくることも無きにしも非ず……かな」
ツバサならクロコを伝手に──レオナルドなら直接。
穂村組を見限り、掌を返してこちらに寝返りかねないという。
現実世界では四方八方に媚びを売る真似をしたため、ほとんどのGMはゼニヤに「蝙蝠野郎」というレッテルを張っていたらしい。
おかげでゼニヤは味方が少ない。
そこに目を付けたレオナルドが助け船を出したのだから、溺れる者は藁をも掴む心理で助けを求めてくるに違いないと読んでいた。
レオナルドは大目に見るようなことを匂わせるが、家族を第一に考えるツバサの心情からすれば、ゼニヤの行動は褒められたものではない。
それどころか──怒りすら覚える。
「もしも俺のところに来たら、水木ビンタで張り倒して説教&折檻だ」
砂かけ婆ばりにビビビッ! と食らわしてやる。
ゼニヤの贅肉を積み重ねた頬をイメージして、ツバサがビンタのデモンストレーションをしていると、レオナルドは「穏便にね」と頼んできた。
「……その厳しさもオカンと慕われる理由だと思うよ?」
誰がオカンだ! と決め台詞でレオナルドを怒鳴っておいた。
ゼニヤがどのような行動を取るかはまだ読み切れないが、レオナルドの推測では穂村組を四神同盟に合流させるために尽力するだろうとのこと。
「ゼニヤ君の理想は──貨幣経済の樹立なんだ」
自らは金銭の神として、通貨の動きを管理することにあるらしい。
「守銭奴らしく『金めっけ! オレのもん!』とがめつく金目の物をかき集めて、自分の財産を増やすのが好きな拝金主義者じゃないのか?」
かなり違う、とレオナルドはその点においてのみゼニヤを擁護する。
彼の性格を適切に表現しつつ、一定の敬意を払っていた。
「自他共に認める守銭奴だから、お金を稼いで貯めることは好きなんだろう。だが、それ以上に金の流れを動かすことに喜びを見出すんだ。そのためならば蓄財も喜んで叩くだろうし、莫大な借金さえ厭わないはずだ」
お金なんて家族を養える分があればいい。
ツバサはあまり金銭に執着しないので、経済方面は明るくなかった。
「株やFXなんかで働かずに儲けたがるタイプ……ってことか?」
「そういうのでもないかな。例えるなら……」
国の資本を司る巨大銀行──あるいは財務や金融を司る省庁。
「そういったものの神様バージョンになりたがっているんだよ」
「金運を司る神や財産を守る神……が近いのか?」
ツバサは金融方面に疎いので、そう解釈するのが精一杯だった。
何にせよだ、とレオナルドは話をまとめる。
「算盤を弾かせたらGM随一の男なんだ。性格や行動に多少の難があっても、そこさえ躾ければ使える男だよ。問答無用で始末するのは惜しい」
使い勝手は悪くないし──使い道もある。
「ならば潰れるまで使ってやるべきだよ。違うかね?」
レオナルドは悪人面で極悪に微笑んだ。
ツバサは毒を含ませた表情で、これ見よがしにため息をついた。
そして、飾らない江戸っ子口調で言ってやる
「……そんなんだからラスボスって言われるんじゃねえのか?」
「誰がラスボスだね!?」
とにかく──ゼニヤ君は使える男だと覚えておいてほしい。
「もしもツバサ君へで泣きついてきた時には、ビンタのお出迎えは避けられそうにないが……ひとつ、お手柔らかに頼むよ」
レオナルドはやんわり釘を刺してきた。
このやり取りも4日前──穂村組がやってくる前の話だ。
「まさか、本当に1人で来るとはな……」
同盟を結ぶ折衝役として、穂村組を代表して来たのか? それとも世話になった組を裏切り、ハトホル国へ寝返るため売り込みに来たのか?
後者だったら水木ビンタだな、とツバサはウォーミングアップをする。
何気にあれ、高難易度な必殺技なのだ。
~~~~~~~~~~~~
ひとまずノラシンハは様子見とする。
食堂に飛び込んできたミロが彼を見るなり、「誰その人畜無害のジイちゃん」という開口一番が決め手となった。
ミロの直感&直観がそういうなら、まず安全であろう。
しかし、慎重派のツバサは気を緩めない。
ハトホル一家の拠点たる我が家に招きはするが、子供たちのいる母屋へ足を踏み入れることは許さず、セイメイとジョカの暮らす“離れ”に留めることに決めた。多分、大丈夫だと思うが、まあ念には念を入れてだ。
ノラシンハも「かまへんで、ええがな」と了承した。
離れとは言っても、どこぞの「家の増改築なんざ暇潰しの手慰みぜよ!」と豪語する長男のおかげで、大きな日本家屋ぐらいの規模はある。
この離れはセイメイとジョカという夫婦の新居だ。
ぶっちゃけ――二世帯住宅である。
その一室にしばらく、ノラシンハの置いてやることにした。
LV999の酔いどれ剣豪と龍神ムスメがお目付役だ。
ノラシンハを我が家の離れまで連れて行く役目は、クロコとセイメイに任せることにした。クロコだけだと万が一に際して戦闘能力に不安が残るが、手加減一発で山をも断つセイメイがいれば問題あるまい。
「またセクハラされたらきつーく締め上げていいからな?」
ツバサはクロコに変態行為への許可を与えた。
これはノラシンハへ遠回しに「妙な真似すんなよ?」と脅したものである。目の前でやったから老人もわかっているはずだ。
「承知いたしました、次はオーソドックスな緊縛にさせていただきます」
クロコも澄まし顔で承諾する。
「おいおい兄ちゃん、俺がエロジジイみたいな言い方すんなや」
「いやいやジイさん、ツバサちゃんは前科持ちに厳しいのよ」
異議ありや! と言いそうなノラシンハをセイメイが宥めていた。
どちらも酒飲み同士、杯を交わしたら友達らしい。
「なんやあんなん、ちょーっと美尻を愛でただけやないの」
「いやいや、こういうのって現実世界じゃ人生棒に振る犯罪なんだぜ?」
言うが早いか、ノラシンハはまたクロコの尻を撫でた。
釣られたのか乗ったのか、セイメイまでクロコの尻に手を添える。
「セクハラ死すべし――情けも容赦も捨てました」
「うひょおおおおーッ! さっきより締め付けがきついわなーッ!?」
「ギャアアアアースッ! なんでおれまでとばっちりーッ!?」
またしてもコマ飛ばしみたいな神速で動いたクロコは、必殺仕事人よろしくノラシンハとセイメイのセクハラコンビを荒縄で緊縛していた。
ノラシンハは亀甲縛り、セイメイは菱縄縛り――。
宣言通り、オーソドックスな緊縛だった。
「では、このまま我が家まで連行させていただきます」
セクハラ犯罪者2名を捕縛したクロコは、警察形式の敬礼をする。
「……ああ、うん、好きにしなさい」
セクハラすんなよ? とダメ出しした直後にやらかしてるんだから弁護の余地はないし助ける義理もない。このまま市中引き回しにされればいい。
ギャーギャー喚くノラシンハとセイメイは放っておく。
ツバサは親指でハトホル国の外側を示した。
「俺はちょっと会いに来たっていう神族の顔を見てくる」
「では、ワシもついていこうかの」
「話し合いになった時の記録係としてウチもご一緒するッス」
ツバサが出向く旨を口にすると、ドンカイが副官として、フミカが情報官として同行すると言い出した。
敢えて言葉にせずともこちらの意を汲んでくれるのでありがたい。
「アタシも行く。穂村組が来てるんなら尚更だ」
飛び込んできたミロも一緒に来ると言い出した。
アホ面がデフォの彼女らしくない──真剣な眼差しだ。
正直、ミロはホムラとの因縁があるので、穂村組との交渉の場にはち会わせたくなかった。穂村組そのものに遺恨はないだろうが、そのトップであるホムラに悪感情がある以上、何をしでかすか読めないところがある。
しかし、ディアの報告が正しければ、訪ねてきたのはゼニヤ1人。
伏兵も警戒するが、今のところ発見されていない。
「……わかった、ついてこい」
駄目だと言って聞き分ける娘ではないし、ホムラとの一件も少なからず反省しているはずだ。この様子なら、また暴走するような下手は打つまい。
ツバサが認めると、ミロは「うん!」と頷いてついてきた。
「あ、ついてくるのはいいがヴァトは置いていきなさい」
何をしたのかされたのか、ミロの小脇に抱えられていたヴァトは疲労困憊で白目を剥いていた。そんなにきつい修行でもしたのか?
ヴァトの介抱は、食堂の女将エトナに頼んだ。
ラミア族のウェイトレスが集まって、眠り込むヴァトをチヤホヤしていたが……まあ、ショタでも神族なので悪戯される恐れはあるまい。
ミロ、ドンカイ、フミカ、3人を連れて現地へと向かう。
食堂を出ると飛行系技能を使って、ディアたちの待つ結界の際までひとっ飛びするのだが、途中でツバサはミロに訊いてみた。
「ミロ、さっきの人畜無害といったジイさんなんだが……」
「助っ人に来たんでしょ? 信じていいよ。大丈夫、優しいジイちゃんだから」
ただね、とミロの横顔が悲しみを帯びる。
「あの人のお願いは叶えてあげられないよ……」
~~~~~~~~~~~~
ハトホル国の結界の際――ツバサの感知領域。
その瀬戸際ギリギリのところに人だかりができていた。スプリガン族でも戦士の役目を果たせる少女たちが、1人の男を取り囲んでいるのだ。
武器や銃口こそ向けてないが、ちょっとでも不審な動きをしたら即座に総攻撃をできるよう油断なく身構えている。
上空には、哨戒任務に当たっていた高速偵察艦メンヒルⅡも待機中だ。
包囲されているのは――ゼニヤ・ドルマルクエン。
穂村組に加担するGMで、序列は№17と意外に高い。
確かクロコが№19なので、彼もそれなりに有能なのだろう。
穂村組では“金庫番”という役職だそうな。
ゼニヤはツバサの感知が及ばない地点で踏みとどまっており、その太く短い足ではやりにくそうだが正座をしていた。
ディアの報告によれば、偵察中のスプリガンに発見されたと同時に両手を挙げて敵意がないことを示し、その場に正座で座り込むと「ハトホルの姐さんに面会させてくれ」と丁寧に訴えてきたという。
それゆえこの場に留め、警戒しつつ包囲していたようだが……。
「あれ? なんか様子がおかしいッスね?」
真っ先に気付いたのはフミカだった。
スプリガン族の少女たちは、ゼニヤがおかしな真似をせぬよう武器を構えて取り囲んでいるのだが、どういうわけか緊張感が薄かった。
目立つのは当惑――そして一抹の憐憫。
ゼニヤの傍らには、この場に居合わせたスプリガン族で最強の攻撃力を持つディアが佇んでいる。彼女も優しげな面立ちを曇らせて、困ったようにツバサとゼニヤを繰り返し見比べていた。
ディアは戸惑いがちにゼニヤへ声をかける。
「あの、やはり、このことはツバサ様にお伝えした方が……」
「堪忍やお姉はん。後生やから黙っててくれへんか?」
どうせすぐバレるさかい、とゼニヤは弱々しく苦笑した。
ツバサたちはゼニヤの前に舞い降りる。
ディアを初めとしたスプリガン族の少女たちは一礼すると、邪魔にならないようにと下がってくれた。ツバサは正座のゼニヤと相対する。
ゼニヤは少し――風貌が変わっていた。
少年漫画の主人公を丸々と太らせたような小男が、アラビア風商人みたいな格好をしている。そんなゼニヤだが、かなり窶れていた。
元が肥満体なのでわかりにくいが、小太りぐらいになっている。
ダイエット成功か? とは思えない。
神族にしろ魔族にしろ、老いて死なない不老不死。
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こちらの詮索を妨げるようにゼニヤが口を開く。
「拝顔するんは二度目になりますやろか……でも名乗るのは初めてでんな。大方、レオナルドはんから伺ってはると思いますが……」
改めて自己紹介させてもらいます、とゼニヤは関西弁で挨拶する。
「GM№17――ゼニヤ・ドルマルクエンちゅうケチな商人にございます。ご存じの通り、姐さんらに一度は敵対行動を取りながらも、すぐに掌を返して全面降伏した穂村組……その金庫番をやらせていただいとります」
どうかお見知りおきを……ゼニヤは軽く目礼した。
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ツバサは訝しむ表情を隠さない。
ゼニヤは少し痩せた身体で折り目正しく正座しており、両手は太ももの付け根にキチッと置いて、こちらを見つめる視線はまったくブレない。
大きく深呼吸をしたゼニヤは――。
「取り引きやあああああああああああああああああああーーーッッッ!!」
突然、鼓膜破りの大音声を吐き出した。
裂帛の気合に等しく、大気までもがビリビリ震撼する。
いきなりキャラ崩壊じみた行動に出たゼニヤに、フミカやミロは面食らいながら両手で耳を塞いでいた。間近にいたディアやスプリガンの少女たちもまた、驚愕のあまり耳に手を当てながら後ずさった。
さすがのツバサも目を剥いて、少なからず驚かされる。
唯一、動じないのはドンカイだけであった。
目配せすると「漢の頼みじゃ、聞いてやりなさい」と顔に書いてある。
彼から魂の叫びを感じたらしい。
漢と言われたらツバサも漢だ(悲しいことに誰も認めてくれないが)。
ゼニヤという守銭奴が、どれほどの漢を見せつけてくれるのか?
それを見届けてやりたくなった。
まったく姿勢を崩さないゼニヤは、痩せた頬が裂けるくらい大きく口を開くと、気っ風のいい関西弁で一気に捲し立ててくる。
「今後、ハトホルの姐さんの国を初めとした四神同盟のお歴々の国々はますますの発展を遂げていくはずや! そうなったら否応にも経済発展という事態に見舞われるんは必定! 人が生きていくいうんは綺麗事だけでは済まされへん! 衣食住は元より、嗜好品に行楽施設! 年中行事に冠婚葬祭! どんなもんでも物資っちゅうもんが入り用や! 国が肥えれば物資の必要量も跳ね上がる!」
そこで出番が増えるんが――これや!
ジャラン! とゼニヤが取り出したのは算盤だった。
使い込まれて年季の入った算盤を、ゼニヤはパチパチと手際よく弾いた。
その間も喉が破れそうな大声のアピールは続く。
「物でも金でも入り用が増えれば計算することが増える! 勘定ちゅうんは組織が大きくなればなるほど複雑怪奇に入り組んでいく! 数字に明るい人間やない限り、こういう面倒なことは誰もが敬遠するもんや! 実際、面倒くさくて他所へ丸投げするんは珍しくない! そういう専門業者もいるくらいやしな!」
ここでゼニヤは一拍の間を置いた。
明らかにこちらの返事を待っているので、乗ってやることにする。
ツバサはフミカに視線を送り、小さく頷き合う。
「ああ、ウチも文官は1人しかいないからな……面倒かけているよ」
実際、ハトホル国ではフミカへの負担が大きくなっている。
だから財政面に明るい人材がほしい、とちょうど考えていたところだ。
「そこでや――ワイを勘定方として雇ってくれ!」
雇ってくれへんか? という情けを請うお願いではなく、雇ってくれ! という力強い売り込みだった。やっぱり穂村組を裏切るつもりなのか?
しかし、裏切りとは思えない熱意である。
ゼニヤの訴えは――覚悟を極めた漢のものだ。
「今後100年……いいや、千年でも万年でもええ! ハトホル国や四神同盟のお国のために、ワイが身を粉にして算盤を弾いて進ぜましょう! 痩せても枯れても神族、不眠不休で酷使してもろうても構いまへん!」
算盤を大切そうに懐へ仕舞い込むと、ここでようやく土下座をした。
ターバンを剥ぎ取り、ゼニヤはボサボサ頭で地面に額づく。
その背中を目にした瞬間――戦慄する。
彼の背中は傷だらけで血まみれだった。神族ゆえ傷の治りが早く、出血も止まるはずなのだが、どの傷も回復が遅くジクジクと血を滲ませている。
重い弱体化系の攻撃を受けた証拠だ。
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「姐さんたちのために全身全霊を捧げて働く! これを誓わせてもらいます! なので、ワイの頼みを聞き届けてつかぁさい! 法外な額になるかもわからへんけど……ありったけの前借りをさせてください! どうか、お願いします!」
この通りや! 額を大地にめり込ませる。
「どんな借金を吹っ掛けられても文句いいまへん! どんなに借財を背負わされてもええ! トイチにカラス金、どんな金利でも飲み込みます! 借りならナンボでもワイが肩代わりするよってからに……」
どうか…………穂村組を……助けてやってつかぁさい。
ゼニヤが苦渋を絞り出す声を発した直後――。
彼の後ろに大きな波紋が浮かんだ。
あれは神族や魔族が、亜空間に据えられた道具箱から何かを取り出す時に浮かぶものだが、波紋の大きさは桁外れといっていい。
恐らくゼニヤは、道具箱拡張系の技能を持っている。
ひょっとすると巨大展示場並みの容量はあるかも知れない。
ゼニヤの特大道具箱から現れたのは――巨大な鮫。
正確には鮫を模した機械的な建造物……違う、これは空中を浮遊する艦艇だったはずだ。ツバサやミロは一度、これを目の当たりにしている。
マーナ一味が建造した――あのサメ型戦艦だ。
その戦艦は、哀れむほど狼藉の限りを尽くされていた。
もしも鮫だとしたら、シャチの群れに遭遇して全身を隈なく噛み千切られながらも、這々の体で逃げ延びたような有様だった。
オリハルコン製の艦体が――食い千切られていた。
艦の各所に獣の噛み跡としか思えない損傷がいくつもあり、それらはどれひとつとして同じものがないところに寒気を覚える。
どんなバケモノの群れに襲われればこうなるというのか?
飛行する機能も失っているのか、特大道具箱から艦体全てを出したサメ型戦艦は力なく大地に身を横たえ、それと同時に破壊された部分から崩れ始めた。
顎の外れた艦首から誰かが飛び出してくる。
「お願い! ツバサ君…………オジさまを……助けてッ!!」
それは穂村組若頭補佐――マリ・ベアトリーチェ。
高級クラブのホステスの如く、オリベ三将との激戦でも美女然とした装いを着崩すことのなかった彼女が、血に汚れて自慢のフリルもズタボロだ。
マリ自身も重傷だが、血塗れの原因は別にある。
彼女が大事そうに抱きかかえる人物に、ツバサは目を奪われた。
「そんな、まさか…………万治さんッ!?」
バンダユウと名乗った真なる世界での通名も忘れて、ツバサは現実世界で世話になった師匠の友人へ駆け寄った。
四肢が千切れかけ、胸や腹にいくつも風穴、首には半分まで刀傷……。
人間であれば――とっくの昔に死んでいる。
バンダユウは瀕死というのも烏滸がましい重傷だった。
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