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第13章 終わりで始まりの卵

第303話:君原家の乱~ミロが引き籠もった理由

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「──これは危機管理に基づく案件だ」

 レオナルドは怯まず提言する。

 君原の名前を耳にした瞬間、ミロは抱きついたツバサから顔を覗かせると、片目でも凄まじい眼力でレオナルドを睨みつけた。

 その威圧は強風を超える力を発する。

 レオナルドの銀物眼鏡に亀裂が走り、突風がヤマアラシみたいに特徴的な髪型をざわめかせた。自分に向けられる存在を根底から滅ぼすような脅威に、毛根が膨れるほどの怖気おぞけを感じているだろう。

 それでもレオナルドは揺るがない。

 はらわたが煮えくりかえる王をいさめるが如く忠言してくる。

「ホムラ君との件は悪友同士の喧嘩ということでひとまず決着した……だが、ミロ君が激怒した理由も、ホムラ君が絡んできた理由も、すべてはミロ君の名字である君原の名に起因きいんがあるのは明白だった」

 今後また──あのような事態が起きないとも限らない。

「もしもミロ君があの・・君原グループの関係者ならば、それにまつわる騒動は今後も引き起こされる可能性がある……しかし、我々はミロ君の本名に関して禁句タブーとしか知らされていない」

 そのため、初期段階での対応が戸惑いがちになってしまう。

 レオナルドはここに懸念けねんがあると訴えてきた。

「ミロ君にこういうことを言うのは気を引けるが……ミロ君の名字が俺の想像した君原グループのものだとしたら、良い方向へ働くことはあまりないはずだ。むしろ敵が多すぎる……今後も障害となるだろう」

 話が進むにつれて、ミロは次元をたわませる威圧感を発する。

 世界の彩色を塗り替えるグラデーションめいた気迫が、幾度となく波紋のように広がっていく。それは大地ではなく時空間を揺らしていた。

 我が家マイホームどころかハトホルの国が揺らめくようだった。

 ホムラを相手にした時より威力がある。

 なるべく被害を及ぼさぬようにとミロも必死で抑え込んでいるのは、抱き締めた肌から伝わってくる。それでも君原の名前は許せないらしい。

 君原の名はミロにとって業腹ごうはらもの。

 君原グループとはその上位互換だった。

「君原グループ……穀潰しニートでも聞いたことあるぜ」

 レオナルドと同じく、ミロの次元をも蝕む威圧感を浴びてもビクともしないセイメイが赤ら顔でヒック! と酒飲みのしゃっくりをしながら言った

「日本でも十本指に入る巨大企業だろ? ミロちゃんは……」
「セイメイ、そこに踏み込むのは早計だ」

 話には段取りがある、とレオナルドは片手で制した。

「おっと、酔っ払いの勇み足だったか」

 セイメイはさっき注文した焼酎を水みたいにスルスル飲んだ。

 黙る代わりに酒で口を塞いだらしい。

 レオナルドはセイメイへ頷くと、ミロへ振り返って話を続けた。睨むだけで相手を射殺すミロの眼光に堪え、直訴じきそするように問い掛ける。

「先ほどのホムラ君との悶着もんちゃくについては、ミロ君との個人的なやり取りで済んだのはわかる。バンダユウ氏も仰っていたが同級生だったのかね?」

「……ホムラあいつとは……小学校と中学校が同じってだけ」

 しばらく押し黙っていたミロだが、これ以上は隠しきれないと悟ったのか、渋々と事情を明かした。ずっとツバサが抱き締めてやり、宥めるように撫でているのも功を奏しているらしい。

 ツバサがいなければ今頃──レオナルドは半殺しだ。

 レオナルドだけではない。君原について詮索する素振りを見せた者は、ことごとく病院送りクラスの重傷を負わされただろう。

 ツバサがとことん甘やかすことで、暴走寸前の感情を抑えていた。

 君原の話題が続く限り──ミロの不機嫌は直らない。

 君原という名前は、ミロの感情を暴走するまで掻き乱す。そして、本来は感情豊かな彼女の喜怒哀楽さえも凍てつかせてしまうのだ。

 ミロは渋々とぶっきらぼうに口を開く。

ホムラあいつ……よく知らないけど、どこかの御曹司ボンボンって噂だった……だからなのか、アタシは目の敵にされて……毎日のように喧嘩を吹っ掛けられた……」

 ミロが君原の人間だから──。

 穂村組という裏社会の一角を担う一大組織の御曹司として、君原の名を継ぐミロに対抗意識を燃やしたのかも知れない。

 しかし……意外とご近所さんだったんだな、ホムラ。

 ミロはツバサが卒業した地元の小中学校に通っていたので、ホムラが同級生なら彼も葛飾区の金町近辺で暮らしていたということ。

 街中ですれ違ったこともありそうだ。

 アシュラ・ストリートを介してネット上の交友関係しかなかったので、現実ではどこに住んでいるかも知らなかった。ツバサが現実で交流があったのはセイメイとドンカイくらいである。

 ミロとホムラは──現実世界で同級生だった。

 ホムラは穂村組との縁を隠していたようだが、大きな組織の御曹司であることは明かしていたようで、それが誇りだったらしい。

 彼はミロに身勝手な敵愾心てきがいしんを抱いていたのだろう。

「アタシが……君原の娘だからって……負けないって……」

 運動会、文化祭、体育祭、発表会……イベントの度にミロへ何らかの形で勝負を挑んできては、勝った負けたと騒ぎ立てていたそうだ。

 そんなことを繰り返されたら愛想のいいミロでも、あんな虚ろな対応になるのも致し方あるまい。今までよくツバサに愚痴ぐちらなかったものだ。

 ああ、そうか──君原の名に触れるからか。

 ミロはほとんどツバサの家、羽鳥家で生活していた。幼稚園の頃から入り浸り、小学校の頃にはツバサの妹と姉妹のように学校へ通っていたくらいだ。

 羽鳥家にいる時、ミロは君原家の話題を避けた。

 あの事件・・・・が起こる前からそうだったのだから、あの事件以降は君原の親父さんを「会ったらコロス」と言い張るのも無理もないこと。

「もういいミロ、十分だ」

 ホムラとの因縁はわかった、とツバサはミロの目元を撫でながら覆う。

 抱き直すと母なる胸へ抱擁ほうようする。

 抱きつくにしろ抱きつかれるにしろ、密着してきたミロはツバサへのセクハラを欠かしたことがない。だが、今日はまったくと言っていいほどしてこない。

 精々、バンダユウの前で少しふざけたくらいだ。

 ホムラの件ではなく、君原の名が出たことに参っているのだろう。

 ミロは君原の家と名字を殺したいほど憎んでいるが、そのことに関する話をすると多大なストレスまで覚えるのだ。ツバサの地母神な母体に甘えることでストレスを軽減させているが、苦悶の表情を胸の谷間に隠していた。

「大義名分が上手うまいことだな」

 ツバサはミロへ詰問するレオナルドを一瞥いちべつした。

 忌まわしげな敵意を込めて──。

 愛する娘を質問責めにした男を敵視するように睨める。

「レオ、おまえのいうことも一理ある。ミロがあのグループ・・・・・・の関係者ってだけで、恨み辛みのある連中と敵対関係になりかねないって恐れもわかる。だから、ミロとの関係を明らかにしておきたいって論理もな。だが……」

 本音は──レオナルドおまえが知りたいんだろう?

 怪しさ満点、秘密満載、陰謀論が後を絶たない世界的企業ジェネシスの真実を探ろうとして、自ら入社して調べるほどの詮索癖せんさくへき

 大方、部下でもあるアキを使って調べはついているはずだ。

 君原家とミロに何があったのかを──。

 ミロのみならずツバサにも睨まれたレオナルドはようやく怯んだ。とは言っても口の端を苦笑で歪めて、一滴の冷や汗を垂らしただけだが。

「否定はできないな。3年前に起きた君原グループの大事件は、報道各社も1週間は第1面で取り上げる大事件だったんだ。しかし、その真相は仮説や憶測だけが入り乱れて、現実世界が終わる時まで解明されることはなかった……」

 詮索癖がうずくんだ、とレオナルドは白状した。

 若干だが申し訳なさもあるにはあるらしい。いつも獅子のように雄々しく上がっている目元、眉尻が心なしか下がっていた。

 今の台詞セリフにしても、弱気な言い訳に聞こえなくもない。

「そして、この事件は被るんだよ……」

 ミロ君が引き籠もった頃に──レオナルドは核心を突いてくる。

 この真なる世界に転移してきたのが1年前──。
 その前身であるVRMMORPGを始めたのが2年前──。
 中学卒業と同時にミロが引き籠もったのが3年前──。

 3年前──世間では君原グループの大事件が報じられていた。

「それ聞いたことがあるッス。確か……グループの会長さんや重役さん、系列会社の社長さんたちが一度に入院したっていう事件ッスよね」

 博覧はくらん強記きょうきな次女フミカも覚えていたらしい。

 グループの先導役である会長や社長から専務に至るまで、幹部の人々が同時期に入院するという異常事態に経済界は騒然となった。

 当然、マスコミも世間をかき回すように騒ぎ立てた。

 君原グループの成長が面白くない過激派のテロ、組織内で後継者の対立構造が悪化したための内乱、グループ存亡の危機に対応できない幹部たちが現実逃避したくて入院した……様々な推測が飛び交った。

 もっとも有力視された説は――後継者の対立構造。

 君原グループの会長には2人の息子がいた。

 この後継者争いが原因で何らかの事故が起きたのではないか? とマスコミは囃し立てたが、内情をよく知るツバサからしてみれば「なに言ってんだコイツ?」みたいな話である。

 あの兄弟は仲が良く、徹底した事なかれ主義だ。

 たとえグループの二大派閥から神輿みこしに担がれても喧嘩など絶対にしない。

 逆に二つの派閥を合流させてしまう。それくらい仲が良かった。

 しかし、当の君原グループは「君原会長宅でちょっとした事故が起きた。それに役員一同が巻き込まれただけ。全員命に別状はない」と発表したのみ。

 これにミロが関わっているとレオナルドは読んでいた。

 その読みは当たっている──後は事件の詳細ぐらいのものだ。

「──頃合いなんじゃろうな」

 唐突にドンカイが会話へ割り込んできた。

「ミロ君が本名を忌避きひすること、実の親父さんを憎んでいること、ツバサ君の家で引き籠もっていたこと……みんな色々と聞いておったが、その真相については曖昧あいまい模糊もことしとったからな。この辺が良い機会なのかも知れんぞ」

 この場で明かしたらどうじゃ? とドンカイは勧めてきた。

 ビクッ! とミロが硬直する。

 飛び跳ねるような反応に、ツバサの爆乳まで震えた。

 セイメイやバリーと一緒に呑んでいたが、1人静かに大吟醸だいぎんじょうを煽るドンカイは、ツバサとミロを見つめて説得するように言い聞かせてくる。

「ミロ君に辛いことや悲しいことがあったのは想像がつく。ツバサ君がそれを慰めてきたこともわかる……しかしじゃ、2人だけで抱え込むのはそろそろ終いにするべきではないかな? うみというもんは溜め込んどるとやがて毒になる。煮詰まった猛毒となる前に、ぜんぶ吐き出しておいた方が良い」

 安心せい、とドンカイはニッコリ笑った。

「ミロ君の破天荒振りは先刻承知じゃ。今さら『君原グループを潰そうとした!』なんて告白されて誰も驚かん。むしろ、みんな納得してくれるわい」

 大丈夫──誰もミロを嫌ったりはしない。

「ワシらは家族ファミリー……隠し事はなしじゃ」

 ドンカイの言葉から、想いがひしひしと伝わってきた。

 ミロもドンカイの気持ちを機微に感じ取ると、顔を埋めていたツバサの胸の谷間からおっかなびっくり顔を持ち上げ、恐る恐る応接間を見渡した。

 四神同盟の視線が集まっている。

 誰の眼もが「真実を知りたい」と真摯に訴えていた。ミロのトラウマを抉ることを詫びつつ、慈しむ光も帯びている。

 ミロは感極まったのか涙で瞳を潤ませると、唇を尖った富士山みたいにしてから大きく鼻を啜り、またツバサの胸の谷間に隠れてしまった。

 そのまま喋るのでくぐもった声が聞こえる。

「アタシじゃちゃんと話せないから……ツバサさん、説明してあげて」

 いいのか? と訊けばミロは小さく頷いた。

 いつかみんなに話す時が来るとは思っていたが、穂村組との騒動がきっかけになるとは……予期せぬ星の巡り合わせにツバサは嘆息した。

 ツバサはレオナルドに皮肉に塗れた目線を送る。

 あからさまに「おまえが余計なことに首を突っ込まなきゃ……」というクレームを口ほどに物を言う眼で叩きつけてやった。

 さしものレオナルドも「すまない……」と無言で目礼した。

 そして、ツバサはおもむろに話を切り出す。

「お察しの通り──ミロは君原グループ総帥、君原きみはら重蔵じゅうぞうの娘だよ」

   ~~~~~~~~~~~~

 ――君原グループ。

 ミロの曾祖父に当たる人物が昭和期に設立。

 戦後復興に乗じて成り上がり、ミロの祖父が受け継いだ頃にはバブル好景気の波に乗って急成長し、巨大な多角経営企業体コングロマリットとなる。

 君原グループの成り立ちについては、レオナルドが説明してくれた。

「我々が所属したジェネシスとも取引があったはずだ」
「あるだろうな。重蔵さんはあれやこれやと手広くやっていたから」

 ミロの祖父からグループを受け継いだのは──君原重蔵。

 現君原グループの総帥。役職的には会長だ。

 重蔵は君原グループの事業拡大に誰よりも熱心だった。

 ……いや、“取り憑かれていた”と評したくなる執心振りだった。昔はそこまでではなかったが、次第に変貌を遂げていったとしか思えない。

 いつしか彼は──仕事の鬼に取り憑かれていた。

 社長や副社長に専務といった役職は、決して自分に裏切らず楯突たてつかない、信の置ける腹心で固めており、役員の1人に至っては妻である。

 君原重蔵の妻──君原きみはら美香子みかこ

 この2人がミロの父親と母親に当たる。

「ミロは気を悪くするかも知れないが……2人とも悪い人じゃない。重蔵さんも美香子さんも、とてもいい人なんだ。俺なんか感謝しても感謝しきれないくらい、たくさん世話になった恩人で……ミロ、痛い」

 案の定、ミロがおっぱいに甘噛みで抗議してきた。

 ミロは両親を憎んでいるが、ツバサには弁護する理由があった。

 ツバサが事故で家族を失った後──。

 家族の死に直面したツバサは、魂が壊れそうなショックを受けて右も左もわからない状態だった。そんなツバサを支えてくれて、葬儀などの手続きを取り仕切ってくれたのが君原夫妻だった。

 夫妻はツバサの後見人になることも約束し、成人するまで惜しみない援助と保護を申し出てくれた。あらゆる公的な面でも助けてくれたのだ。

 さもなくば──ツバサは養護施設に送られていた。

 当時まだ中学生だったツバサが、たった1人でも家族の思い出が残るあの家で暮らせたのは、すべて君原夫妻のおかげである。

「隣人とは思えぬほど親切だったのですね」
「ミロ君のこともあって家族ぐるみの付き合いと聞いたが……」

 親身な君原夫妻に、クロウとアハウが感心する。

 同じくらい疑問も感じているようだ。

「元々、俺とミロの父親同士が仲良かったんですよ」

 ツバサの父親は大学教授──歴史全般だが日本史がメインだ。

 大学で教鞭きょうべんかたわら、様々な歴史考察本を何冊も出版していた。仕事が趣味と言い張りそうな重蔵だったが歴史系の本は読んだり集めたりするのを好み、ツバサの父親の読者だった。

 その当人が隣人だったと知って意気投合したのだ。

「もしかして……“日本史の夜明け”などを著した羽鳥はとり鳳太郎おおたろう教授?」
「アハウさん、知ってるんですか?」

 知ってるも何も、とアハウは驚きを露わにする。

 アハウは大学で中米アメリカの古代史を専攻しており、非常勤講師を務めていたと聞いている。分野は違えどツバサの父親を知っていたらしい。

「畑違いとはいえど、高名な歴史研究家だった教授だ。知らなければこの業界ではモグリだよ。まさか、ツバサ君のお父さんとはな……」

 一度お目に掛かりたかった、とアハウは残念そうに唸る。

 ツバサの家族の話はまた今度──。

「ミロの父親……重蔵さんは決して悪い人じゃありません。ただ、ちょっと仕事に熱心なところがあって……いや、年を追うごとに行き過ぎていったな。そのため家庭を顧みるのを忘れ、仕事をするだけの鬼になってしまったんです」

 仕事の鬼──賞賛であるとともに侮蔑だ。

 ミロの祖父の代で既に一流企業に成長していた君原グループは、重蔵の働きによってグローバルな躍進を遂げ、ついには日本屈指の巨大企業へのし上がった。

 多忙な夫を支えるためミロの母──美香子も役員に加わったほどだ。

 ミロには年の離れた2人の年子な兄がいる。

 ──君原太蔵たいぞうと君原健蔵けんぞう

「重蔵に太蔵に健蔵……くらばっかだな」

 酔っ払ったセイメイが冷やかすと、胸の谷間でミロが吹いた。

 嫌いな家族を茶化されたことがウケたらしい。

「ミロの曾祖父が字が違うけど十蔵さんというらしくてね。一代で身を立てた彼にあやかって、君原の男は蔵にちなんだ名前を付けられるそうだ」

 十の蔵を持つ、蔵を重ねる、太い蔵を持つ、蔵を建てる……。
(※建蔵では人名に不向きなので“健”にしたらしい)

 財産を溜め込む蔵をシンボルとしたのだ。

 この2人も大学卒業すると君原グループの系列会社に就職。

 現場の仕事を学びつつ会社経営のノウハウを重蔵から学び、いずれ君原グループを背負って立つ総帥の座を受け継ぐべく、トントン拍子で出世していた。三十路前だというのに系列会社の重役に就いていたはずだ。

「そんな君原家に……ミロは生まれたんです」

 まだ美香子が役員ではなく、2人の兄も中高生くらいの頃だ。

 ミロの誕生は──青天の霹靂だった。

 息子2人で十分と思っていたら、思い掛けず生まれたらしい。

 後継者となるべき2人の男児に恵まれていた重蔵は、3人目として生まれたミロを重要視せず、女の子だから後継者にも数えなかった。

 だから蔵の名前も与えず、命名権は妻である美香子に譲っていた。

 そこで美香子は「美しい子になるように」との願いを込めて、ミロのビーナスを捩って“美呂ミロ”と名付けたという。

 ミロの2人の兄は優秀で父親に従順だった。

 重蔵は彼らに跡を継がせることしか頭になかったらしい。

「重蔵さんは古いタイプの人間だから、ミロに自分の跡目を継がせるつもりは更々なくて……ミロは生まれると同時に放っておかれたんです」

 ただ、母親の美香子はミロを可愛がった。

 初めて生まれた女の子ということもあって、可愛いお洋服を着せたり、女児向けの玩具を用意したりとミロをしっかり愛していた。

 ミロが生まれた頃──君原グループの業績は鰻登うなぎのぼりだった。

 これを追い風と捉えた重蔵は我が身を顧みず働くようになった。美香子を役員に加えたのもちょうどこの頃である。

 仕事に忙殺される両親は家に帰れない日が多くなった。

 2人の兄も一流大学への進学が決まると、大学の寮で暮らすようになったため家には滅多に帰ってこない。

 幼いミロは広すぎる君原家に独り──取り残された。

 無論、君原財閥の御令嬢。家政婦さんやベビーシッターというお世話係には事欠かなかったが、彼女たちはミロの家族ではない。

 どんなに優しくされても、「なんか違う」とミロはよく言った。

「…………ミロさん」

 子供たちの輪から離れたマリナがこちらに歩いてくると、ツバサに抱きつくミロへ寄り添ってきた。どうしても共感を覚えるのだろう。

 マリナは早くに母親を亡くし、父親は仕事が忙しくて家にいない。

 ミロと同じように家政婦の世話になっていたそうだが、どうしても家族の温もりが欲しくて、父親がGMをしているというアルマゲドンを年齢詐称してまで始めてしまったくらいだ。

 自分の境遇に──ミロの境遇を重ねている。

 ミロとともにマリナも慰め、ツバサは話を先へと進めていく。

「ミロが小さい頃はまだ、お互いの家族が休みの日に集まって、みんなでバーベキューをしたり、遊園地に行ったりハイキングをしたりと色々していたんです。けど、ミロが物心ついた頃には、そんな余裕さえなくなって……」

 重蔵は家へ帰らない日が多くなった。

 美香子は余裕があれば家へ帰ってミロの様子を見に来ていたそうだが、折り合いが悪く、ミロとすれ違ってばかりだったらしい。

 2人の兄も大学卒業を機に独立、ますます実家に帰ってこない。

 ミロは家族と顔を合わせない日が何日も続いた。

「寂しくなったミロは俺の妹と遊ぶため羽鳥家へ顔を出すようになり、気付けば家の一部屋を与えられ、そこで寝泊まりするようになってたんです」

 美香子がツバサの母親に頼んだ、という経緯もある。

『あの子は人一倍寂しがり屋なんです……どうか、お願いします』

 ツバサのオカン系男子という気質は、この人の遺伝子なんじゃないかと思いたくなるほど、ツバサの母親もまた母性にあふれたオカンだった。

 当然、美香子の頼みを一も二もなく承諾。

 こうしてミロは羽鳥家の一員となり、ツバサたちと兄妹のように過ごした。

ツバサおれとミロが結婚するって仲も、重蔵さんと美香子さんは認めてくれていましてね。ほとんど許嫁いいなずけみたいなものだったんですよ」

 ミロが後継者として期待されていないあかしでもあった。

「女の子だと政略結婚とかに使われそうなものだが……」

 私見を述べるレオナルドにツバサは答える。

「重蔵さんは擁護しようのない仕事の鬼で、卑劣な手や法律の抜け穴を突くような真似もしてたけど……そういう発想はしなかったな」

 家族を活用することはあれど、利用するのは思い付かなかったようだ。

 だが──運命の転機は訪れる。

「ミロには放任主義だった重蔵さんだが、跡を継がせるつもりの2人の兄……太蔵さんと健蔵さんのことで頭を悩ませるようになったんだ」

 2人とも優秀な好人物。頭脳明晰で人当たりもいい。

 ツバサも幼い頃はよく遊んでもらった兄貴分たちである。

「重蔵さんは長男の太蔵さんを後継者にするつもりだった。そして、健蔵さんは何らかの役職で補佐を任せようとしたらしい」

「それに健蔵氏が異議を唱えたとか?」

 レオナルドの推量にツバサは首を左右に振った。

「いや、健蔵さんはあっさり聞き分けたそうだ。むしろ、会長職を継がされる太蔵さんが『重荷だなぁ……』と難色を示したと聞いている」

 ミロの2人の兄は──良くも悪くも現代っ子。

 仕事をそつなくこなす裁量さいりょうはあるし、事務をやらせても営業をやらせても企画をやらせても人並み以上の結果を出すことはできる。

 だが──責任が伴うことを嫌うのだ。

 君原グループという巨大企業。その重圧を恐れていた。

 この事実に気付いた重蔵は愕然としたという。

 ──息子たちには覇気がない。

 この2人に君原財閥を任せたら、当たり障りなく経営はするだろうが、それだけで終わってしまう。グループを守ることに専念するに違いない。

 君原グループの更なる発展には貢献しない。

 もっと会社を大きくしようとする向上心、どんな企業よりも利益を稼ごうとする競争心、更なる多角経営を広めて市場を席巻しようとする貪欲さ。

 2人の息子は、こういった意欲に欠けていた。

 せめて組織を突き動かすだけの覇気があれば……。

 有能な息子たちを手塩にかけて育てていた重蔵は、手元に置いて飼い殺しにしてしまったと後悔したそうだ。せめて大学を卒業してから数年は、独力で生きていくよう言い渡し、世間の荒波に揉まれさせておくべきだったと……。

 なんと言おうと今更だ。

 内外的にも2人の息子が後継者だと広めているし、本人たちも乗り気でこそないがそのつもりでいるようだ。訂正するにも遅きに失した感がある。

 頭を悩ませる重蔵の元へ、1通のメールが舞い込んだ。

 それは美香子からのメールで、添付されたファイルにはミロの中学校で催された体育祭を撮影した動画が収められていた。

 美香子は──なるべくミロの学校行事に参加していた。

 父兄参観や家庭訪問に限らず、体育祭や文化祭に音楽発表会があると聞けば、何としてでも仕事を片付け、ミロのために駆けつけていたのだ。

 だからミロは「美香子ママはまだマシ」と許している。

 ミロを撮影した動画は以前から送られてきていたが、重蔵はまったく気に留めず、幾多のメールに混ざるまま忘れていたらしい。

 しかし、この時の重蔵は後継者問題で頭が沸騰寸前だった。

 そういえばあの子もいたな……と無意識のまま動画を開いてみると、そこに映し出されたミロに釘付けだったという。

 体育祭で応援団長をするミロ──。

 クラスメイトを鼓舞して、様々な団体競技で指揮を執り、ついにはクラスを優勝へと導く姿……これを目にした重蔵は天啓てんけいを受けたらしい。



 君原グループを引っ張っていくのは──この子だ!



 過去に美香子が送ってきたミロの動画をひとつ残らず見直してみると、先導者として卓越した才能を奮うミロの姿がそこにあった。

 扇動者せんどうしゃかも知れないが、重蔵はミロの才能を再確認する。

 有象無象な人々の情熱を焚きつける煽動力せんどうりょく、熱意を持った人々の先頭に立って彼らを導いていく才覚、やがては群衆を狂奔きょうほんへと走らせるカリスマ性。

 兄たちに足らず重蔵が求めるものを、ミロはすべて備えていた。

 重蔵は新たな後継者プランをすぐさま実行に移した。

   ~~~~~~~~~~~~

 ミロが中学を卒業した日の夜のこと──。

 この日は珍しく君原家に家族全員が集まるという話だったので、ミロはすっごく嫌そうな顔をするも、美香子に手を引かれて久し振りに帰っていた。

 君原家に集まったのは──家族だけではない。

 君原グループの幹部や重役、系列会社の社長たちまで列席したのだ。

 この時点でミロは「嫌な予感」がしたという。

 集まったお歴々に、重蔵は君原グループの長として宣告した。

『君原グループの次期総帥は──長女である君原美呂に受け継がせる』

 へ? と間抜けな声で呆れたのはミロだけだった。

 幹部や重役たちは笑顔で拍手、2人の兄も安堵の笑みで一緒に拍手。

 幹部たちは会長である重蔵の意向には逆らえない。2人の兄は会長職という重責から解放され、「ミロの世話係としてグループを裏側から支えろ」と父親に命じられて、「その方が気楽だな」とすんなり承諾したらしい。

 唯一、美香子だけが浮かない顔だったという。

『あの子は自由人フリーダムだから絶対に嫌がる』

 多分、ツバサに次ぐミロの理解者は美香子である。

 そんな妻の反対意見を押し退けて、重蔵は自分の決定を押し通した。

 事情が飲み込めないながらもミロは「そんな面倒臭そうなの嫌だ」とか「アタシはツバサさんのお嫁さんになんの」と抗議した。

 重蔵は「家長である私の決めたことだ」と譲らない。

 この一言でミロは頭の血管が何十本もプッツンしたらしい。

『アタシのことなんか散々ほったらかしにしておいて……なにそれ!? アンタはアタシなんか眼中にないからどうでも良かったんでしょ!? アンタのことなんか父親と思ったことはない! この家でまともなのは美香子ママだけだ! アタシはもう羽鳥家の子なの! 鳳太郎さんがお父さん! 美凰さんがお母さん! そんで美羽ちゃんのお姉さんになって、ツバサさんの奥さんになる!』

 重蔵おまえなんか赤の他人だ! とミロは言い切った。

『アタシみたいなアホを会長職につけるなんて……バカなの!? 神輿みこしと阿呆は軽けりゃいいっていうけど、どうせ神輿にでもしたいんでしょ? なんか知らないけど使えるっぽいから引っ張り出そうとしているわけだろきっと!?』

 ふっざけんじゃないわよ! とミロは激昂げっこうした。

 ミロは重蔵の魂胆を見抜いていた。アバウトなれど確かな洞察力に重蔵は舌を巻いたが、ますますミロが後継者に相応しいと実感したそうだ。

 重蔵はどれだけ罵倒されようとも何処吹く風だったらしい。

 顔色ひとつ変えずに話を進めたそうだ。

 ミロには名門女子校に入学してもらい、そこからエスカレーター式に名門女子大へ進学。卒業後は数社を経てから君原グループに配属。秘書などを務めながら会長職がどんなものかを実地で学ばせる……。

 ちなみに──名門女子校はコネの裏口入学だ。

 ミロはツバサも通った地元の高校への進学が決まっていた。

 アホだけれど頑張って、ギリギリ合格したのだ。

 アホなりに頑張った努力を蔑ろにされ、ツバサの後輩になるという願いも潰され、怒りが頂点に達したミロは重蔵に殴りかかろうとした。

 美香子と2人の兄が必死に止めたという。

 それでも狂犬よろしく噛みつこうとするミロに、鉄面皮で大人の対応をしていた重蔵さんも苛ついたようだ。彼は仕事の鬼になるあまり、ミロの気持ちをまったく汲み取ろうとせず、自分が好き使える駒ぐらいに思っていたらしい。

 この年頃の娘なぞ──いくつかの飴で釣れば十分だ。

 その程度に考えていた節がある。

 欲しいものがあれば買ってやる、どこか旅行に行きたければ好きなところで連れてってやる。ツバサ君との仲も認めてやっただろう?

 重蔵なりに譲歩案を出したが、ミロの怒りは収まらない。

 とうとう重蔵は──禁断の一言を口にした。

『ワガママが過ぎるようなら……ツバサ君との仲を認めんぞ!!』

   ~~~~~~~~~~~~~~

 君原重蔵──全治までに半年以上。

 君原太蔵──全治3ヶ月。
 君原健蔵──全治2ヶ月。

 現場に居合わせた君原グループの幹部や重役で無傷だった者は1人もおらず、軽くても全治2ヶ月、酷ければ重蔵と同じく半年以上の重体。

 君原美香子──右手と左頬に軽いかすり傷のみ。

 君原家──ほぼ全壊して倒壊寸前。

 修繕するにしろ改築するにしろ半年以上かかるとのこと。



 これが──ミロの暴走した結果である。



 目撃した美香子によれば、重蔵が『ツバサ君との仲を認めんぞ!!』と叫んだ瞬間、表情豊かなミロの面相が凍りついたという。

 そして、ミロは重蔵の顔面に鋭い蹴りを突き刺していた。

 押さえつけていたはずの美香子や2人の兄は、いつ振り解かれたのかさえわからなかったという。そして、そこからミロがどのように動いたのかさえ目で追うこともできなかったし、何が起きたのかもよくわからなかったそうだ。

 ただ──嵐が吹き荒れていた。

 嵐を引き起こしているのが、ミロだと気付くのに時間が掛かったらしい。

 風よりも早く駆け回り、一般的な動体視力では残像さえ追えない速度で、ミロは縦横無尽に跳び回っていたらしい。

 大人数人がかりで動かせる大きなテーブルを片手で軽く揺らすと、まるでお盆でも持ち上げるかのように振り上げ、それを重蔵や兄たち目掛けて一瞬の躊躇ちゅうちょもなく振り下ろした。それはもう虫ケラを叩き潰すようにだ。

 情け容赦なく、骨が折れて肉が潰れる音が鳴り響いたという。

 取り押さえようとした大人たちに捕まることなく、彼らを踏み台にして飛び上がったかと思えば、天井を飾る大型シャンデリアを引き千切り、それを叩きつけることで大人たちを床に沈めた。

 血飛沫とともにいくつもの悲鳴が連鎖したという。

 とにかく──ミロは暴れに暴れた。

 誰にも捕まえられない神速の俊敏性、腕力ではない不可思議な力。

 これらを発揮して屋敷内で暴れ回ったそうだ。

 ミロの暴れっぷりを後に美香子から聞いたツバサは、「もしかして無意識に合気あいきでも使ってたのか?」と勘繰かんぐった。

 でなければ、ミロの細腕で大きなテーブルを振り上げたり、シャンデリアを落とすことなどできないはずだ。筋力ではない力を使ったとしか思えない。

 ミロはツバサと一緒に、インチキ仙人の教えを受けている。

 まあミロも師匠も遊び半分だったが……。

 その際、合気の基礎も学んでいるはずなのだが、いざ実践しようとすると一度たりとも成功させることはできなかった。

 理性がなくなるほどキレると、無意識にできるようになるのか?

 本当、アホと天才は紙一重である。

 美香子はミロの暴走を「神の怒りに触れたみたい……」と評している。

 暴れている間、ミロは見たこともない冷徹な顔だったそうだ。

 ホムラを倒した時のあの表情・・・・である。

 嵐に巻き込まれた者は次から次へと重傷を負わされ、家財道具は粉々に砕け散り、壁は破れて天井は抜けて柱はへし折れた。

 嵐が収まると──惨劇の中央に座り込むミロがいたという。

 先ほどまでの凍りついた表情はどこへやら。

 自分のしでかした大惨事に怯えるかのように泣きわめくミロ。

 当時15歳だったミロだが、もっと年下の幼い子供みたいに、真珠のような大粒の涙をボロボロこぼしてワンワン泣いていたそうだ。

 このままではいけない──美香子は咄嗟に動いていた。

 泣き止まないミロを幼い頃を思い出して抱き上げると、死に体な夫や息子たちを自業自得と見限って走り出した。

 向かった先は他でもない──羽鳥家である。

 隣家の騒ぎを聞きつけたツバサが様子を見に行こうと玄関を開けたまさにその時、ちょうど泣き叫ぶミロを抱えた美香子が飛び込んできた。

 彼女は泣き止まないミロを有無を言わさずツバサに受け渡すと、一生のお願いとばかりに真剣な面持ちで頼み込んでくる。

『ミロをお願い……もう、この子の家族はあなたしかいないの!』



 これが──ミロが引き籠もるようになった発端である。


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