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第13章 終わりで始まりの卵
第301話:ミロ・カエサルトゥスVSホムラ・ヒノホムラ
しおりを挟むミロが振るうのは聖剣ミロスセイバー(2代目)。
以前のミロスセイバーはツバサの力を宿した神剣ウィングセイバーと融合して、覇唱剣オーバーワールドへとパワーアップしたため、工作者のジンが新たに打ち鍛えてくれたものだ。
分類的には長剣だが、一般的なものより剣身が長い。
柄や鍔に趣向を凝らした細工が施されているが、デザインは初代のものより洗練されていた。剣というが日本刀のような峰のある片刃だ。
ミロはこれを両手と片手どちらでも使える。従来の小剣よりも長い神剣ウィングセイバー(こちらも2代目)と併せ持つことで二刀流もできた。
一方、ホムラの得物は“長巻”という大太刀。
室町時代後期から戦国時代にかけて使われた、野太刀と呼ばれるメートル越えの刀身を持つのもさることながら、柄まで長い特大武器である。
長い柄を槍のように持ち、遠心力に任せて刀身を振り回せば絶大な威力を発揮するため恐れられた。しかし、乱戦になりやすい戦場では「味方を斬りかねない」ため同士討ちが多発したという。
動きは大振りになるため隙も多く、使いこなせても癖が強い。
即ち「取り回しに難がある」と敬遠されたのだ。
コストパフォーマンスや使い勝手に優れた槍や、様々な戦闘において汎用性に秀でた刀が主流になるとともに、長巻は姿を消していった。
だが──刀剣としては破格の威力を誇る。
その長巻を両手に構えて大上段から振り下ろすホムラに対して、ミロは聖剣を右手に持つと左脇から滑らせるように振り上げていく。
大太刀と聖剣がぶつかった瞬間──天が割れた。
共にLV900を超えた神族と魔族。
ツバサの猛特訓に何度くじけても、見事にLV999に達したミロは英雄神を超えた主神級の実力を身に付けた。ホムラも魔族としてLV990を数えている以上、魔王と恐れられる実力を持っているといっても過言ではない。
しかし──LV9の差は大きい。
LV900台ともなれば、LV1が歴然とした差になる。
大上段から振り下ろされた長巻にはホムラの全力が込められているのもさることながら、その重量によって重力の手助けも大きい。
まともに受ければ片手持ちの武器などへし折れるはずだ。
それをミロは真っ向から受け止める。
激突した瞬間──2人を起点に世界が割れた。
先ほどのやり取りでもわかるが、ミロとホムラは犬猿の仲だ。
互いの存在を認めない、決して相容れようとしない。
それぞれのオーラが相手を拒むように表現されたらしい。ミロは金色の輝きを帯びた清々しい蒼だが、ホムラのは鮮烈な赤に彩られた煉獄のような黒だ。
ミロとホムラの気迫が鬩ぎ合う。
衝突によって生じたオーラの境界線が世界とともに、天を真っ二つに割る。2人の武具からは空間に亀裂を走らせる稲光が閃いた。
特大武器による上段攻撃──。
これをミロは通常武器の振り上げという、剣術の常識に照らし合わせれば不利な体勢で迎え撃った。なのに……。
「ぬぎぎぎぎぎぎっ……こ、この阿呆が!?」
ホムラは両腕に渾身の力を込めて押し込んでいる。
牙の目立つ歯を悔しそうに食いしばっているので、全力を込めているのは間違いない。しかし、ミロはビクともしないどころか微動だにしなかった。
「なに、粋がってその程度?」
それをミロは片腕で受け止め、涼しい顔をしていた。
コロコロと表情を変えるミロらしくもない、顔色ひとつ変えず眉さえ動かさない、感情をまったく表さない無表情だった。
恐ろしいほど大人びて──感動的な美人の面持ちだ。
こんな時でなければ、周囲に誰もいなければ、ツバサは我を忘れて恋する乙女のように見惚れていたことだろう。今でも気を抜けばそうなりそうだが、懸命に威厳を保っていた。
見物人たちも覇王の気迫に飲まれていた。
初撃からの鍔迫り合い、この時点でLV9の差が露呈していた。
「ぬっ……あああああああああああッ!」
ホムラはミロの聖剣を弾くと、長巻を巧みに取り回す。
長巻の重さを利用して振り回す時に起きる遠心力を活用し、舞い踊るかのように息もつかせぬ連続攻撃を繰り出してきた。
長い刀身からは、煉獄の劫火のような闘気が吹き荒れる。
迸る闘気のオーラは刀身を何倍にも大きく見せ、連撃によって何十本にも残像を増やすだけではない。まるで鎌首をもたげると多頭蛇のような有り様となってミロに襲いかかった。
ミロは慌ても騒ぎもせず、無感情でボソリと呟く。
「……そっか、これが無駄か」
ミロの聖剣も力強い烈光を放つが、ホムラのようにオーラは放出しない。ミロの力は剣身に凝縮されており、一切の力を垂れ流していなかった。
八岐大蛇が群れで雪崩れ込むような──ホムラの異形な連続斬撃。
ミロはこれを片手で捌いた。
ホムラに張り合って大声を上げることもなければ、対抗して剣を振る腕が千手観音のように見えるほど早く動かすこともなく、無駄のない洗練した動きで我が身に迫った斬撃から順序よく、淡々と受け流すことに専念する。
その動き一つ一つは神速ながら、得も言われぬ流麗さを醸し出していた。
剣舞といわれても信じられる艶やかな舞にも見えた。
ギャイン! ゴギィン! ズギャアアアン!!
強力な削岩機同士をぶつけるような、異質な剣戟音が響いた。
おかしい──ミロが剣を打ち合わせている。
ツバサの剣術は使える程度の腕前でしかないため、ミロの剣術指南役はセイメイやウネメに頼んでいた。ウネメはミロよりLVこそ下だが、剣技系の技能においては格段に上を行っている。
そんなウネメのある持論に、ミロは感銘を受けていた。
『刀と刀をキンキンカンカンぶつけ合わせるのはダサいですよ』
『……ハッ! 言われてみれば確かにダサい!』
『相手の太刀は躱して避ける、これが防御の基礎です』
『どうしても避けれないのだけ剣で受ける! うん、ミロ覚えた!』
なのに──激しく打ち合っている。
最初の一合で「おや?」と思ったツバサだったが、二合目でミロの意図を察して、1秒と経たずに結果が現れた。
ホムラの体勢が崩れてきたのだ。
舞踊めいた優雅な斬撃はガタガタになり、空中で姿勢を整えるのでいっぱいいっぱいになっている。ホムラが一方的に打ち込んでミロが防戦に徹しているように見えるが、剣をぶつけ合う度にホムラは弾き飛ばされそうになっていた。
ミロがお返しとばかりに聖剣で打ち込む。
たたらを踏むようにホムラは後退り、吹き飛ばされるのを堪えた。
「…………ぐあっ! な、なんでじゃあッ!?」
辛うじて長巻の柄で防ぐホムラだが、その手はビリビリ痺れていた。
未だに聖剣を片手持ちのミロは無感動に言う。
「ホムラ、無駄ばっかりなのよ」
ミロは珍しくツバサの躾を覚えていた。
何度となく幾度となく何遍も、図太いミロの心を折れるまで猛特訓でシゴキにシゴいた成果だと思うとツバサも感慨深い。
『無駄な力を垂れ流すな──持てる力を一分も漏らさず敵に叩き込め』
発勁にも通じる、武術の真髄にして奥義である。
その教えをミロはちゃんと守っていた。
前述の通り、ホムラの大太刀からは赤黒い闘気が迸っている。
これは見た目こそ派手だが、力が漏れているに過ぎないのだ。格下の相手になら効果もあるだろうが、同等以上の相手には鬱陶しいくらいのもの。
対してミロの聖剣は烈光を発するのみ、力は漏れていない。
ミロの力は聖剣の内側で極限を超えてなお凝縮されており、ホムラが斬りかかってくる度にとてつもない圧力で叩き返していたのだ。
剣技にも明確な優劣が現れている。
セイメイ&ウネメ仕込みの剣術を体得したミロは、性格通り自由奔放で型に縛られない剣を振るうが、一分の隙もなく的確な全力を込めた一太刀をどんな体勢からでも放てるというデタラメ極まりないものだった。
LVは9も下、力はダダ漏れ、威力はあっても大振りの攻撃。
ホムラの大太刀はことごとく打ち返されたのみならず、インパクトの瞬間にミロからの反動をまともに浴びて、凄まじく体力を消耗していた。
もう疲労困憊なホムラは、それを隠すため再び鍔迫り合いへもつれ込む。
苦し紛れにホムラはミロへ怒鳴りつける。
「なんで……なんで、おまえがウィングさんと一緒にいるんじゃ!」
ミロはピクリと片眉を動かした。
怒りに近い苛立ちがミロの瞳を刃より鋭く尖らせる。
「ウィングさんじゃない──ツバサさんだ」
アタシのツバサさんだ、とミロは自分の所有物だと強調する。
「ツバサさんの隣はアタシの場所だ」
この一言にホムラは目を疑うほど動揺する。
鍔迫り合いを維持するだけで精一杯のホムラに、ミロは大太刀と聖剣の隙間を潜らせる真っ直ぐな蹴りを放った。
ストレートなキックは、ホムラの鳩尾を抉るようにめり込む。
ズムン! とホムラの細い腹の内側から鈍い爆発音が起こり、その衝撃にホムラは背筋をまっすぐにすると、大きく口を開けて無言の絶叫を上げた。腹を深々と蹴られたのにくの字にならず、むしろ背を仰け反らせている。
そして、あらぬ方向へ吹き飛ばされていった。
ミロの蹴った角度からすれば万魔殿へ叩きつけられるはずだが、蹴られたホムラはロケットのように上空へ打ち上げられた。
「ほう──内に置く打撃じゃな」
ドンカイはミロが放った蹴りに感心する。
突然始まったミロとホムラの勝負を、ドンカイはミロの言葉通り「子供の喧嘩」と割り切って傍観を決め込んでいた。
「拳でやるのも難しいのに脚でやるとは器用なもんじゃ」
「お気づきになりましたか」
さすが親方、とツバサはドンカイの観察眼に感服する。
「内に置く打撃……ってなんぜよ?」
破壊力の高そうな攻撃方法にダインが興味を示した。
蛮カラサイボーグ番長な長男は、ツバサが「長男がLV999にならなきゃ弟妹に示しがつかんだろ」という理由から、例の異相空間で突貫工事レベルの特訓をつけてやり、ほぼ強制的にLV999の一員にしたのだ。
ツバサやドンカイと同列に並んでいたダインは、2人の会話から好奇心が疼いたらしい。隠すことでもないので解説してあげよう。
「打撃を主とする武道家が目指す境地のひとつだ。パンチ力のパワーを対象の体内に置き留めるのさ」
威力の高いパンチは、殴った相手を吹き飛ばす。
実際の喧嘩や格闘技でもあることだし、アニメや漫画といったフィクションでは殊更に強調される演出だ。
一見すると派手で痛そうだが──実はとても非効率だった。
相手にダメージを与えるべき破壊力が、相手を吹き飛ばす運動エネルギーに変換されてしまうため、その分だけダメージが減ってしまうのである。
卓越した武道家はこれを損失として嫌う。
自分の精魂込めた打撃力を、余すところなく敵に叩き込むみたい。
そうして編み出された技法が──内に置く打撃。
「ツバサ君の合気を用いた掌底や、ミサキ君の発勁による拳打もそうじゃが、全身の力を練り込んだ一撃を相手を吹き飛ばす移動力にするのではなく、対象の内部へ爆弾を埋め込むように置くんじゃ。すると……」
どうなると思う? とドンカイは教師のように答えを求める。
ダインはすぐさま解答を導き出した。
「腹ん中に爆弾みたいな力を置かれた奴ぁ、内側から爆ぜるような衝撃を感じて、行き場のない力が身体ん中で暴れて吹っ飛ぶ……ってところかのぉ?」
ちょうど──ホムラみたいに。
「正解だ、それをミロはキックでやったんだよ」
教えたのはツバサである。
最初は拳打でのやり方を指導したのだが、どういうわけかミロはちゃんとできず、キックなどの変則的なやり方だと成功率100%になった。
「おまけに──蹴りだけじゃねぇしな」
ツバサたちの会話にセイメイも加わってきた。
ホムラが美少女ではなく美少年だったことが堪えたようだが、愛妻であるジョカが宙に浮かぶと、その豊乳を頭に押し当てながら抱いてくれたことでショックから立ち直ったらしい。
「目敏いな、ジョカのおっぱいに埋もれながら見てたのか」
「当ったり前よ。ミロちゃんに剣を教えたのはおれだぜ?」
こんなんでも先生だからな、とセイメイは威張った。
ウネメとともにミロへ剣術を叩き込んだ1人なのは事実である。
「本当、ミロちゃんは面白ぇ育ち方すんな」
見てて飽きねぇぜ、とセイメイは雲の彼方を見上げた。
そこには、ミロの「内に置く打撃」を込めた蹴りによって吹き飛ばされたホムラがいる。まだ上空へと昇り続けていた。
内に置く打撃のショックが大きかったのか、白眼を剥いていた。
意識も半ば飛んでいるようだ。
「……がはっ! はぁ、はぁ、おのれぇ、君原ぁぁ…………ッ!?」
咳き込むことで我を取り戻したホムラは、飛行系技能で急ブレーキをかけると宙に踏み止まり、掌からこぼれ落ちかけた長巻をしっかり握った。
その瞬間──長巻が木っ端微塵に砕け散る。
愛用の武器が破片となってこぼれていく感触に、ホムラは何が起きたのかわからない様子だったが、一拍の間を置いて驚愕させられていた。
これもミロの仕業である。
鍔迫り合いになった時、聖剣を通して「内に置く打撃」をホムラの長巻へ叩き込んでいたのだ。未だにパンチではできないくせに、キックや武器を使えばできるというのだからミロの成長は一癖ありすぎる。
唖然とするホムラの頭上に音もなく影が差した。
吹き飛ばされてくるホムラを待ち受けて、一足速く上空へと先回りしていたミロは高々と右足を掲げた。それは無慈悲に振り下ろされる。
踵落とし──しかも内に置く打撃での追撃だ。
頭ではなく、左肩へ落としたのはせめてもの情けか。
またしても体内からの衝撃により弾け飛ぶホムラは、標的をロックオンしていないミサイルよろしく吹っ飛んでいった。だが、今回はある程度の指向性を織り込まれていたのか、地面へ一直線に落ちていく。
またしても意識が飛んでいるホムラは、受け身すらろくに取れず地表へ叩きつけられる。その衝撃で局地的な地震が起きると、地面が大きく陥没した。
隕石が堕ちたのと大差ない。
小さな村が収まりそうなクレーター。
その中心でボロボロになったホムラが仰向けに伸びていた。
「うっ……く、クソ! まだじゃ! まだまだッ!!」
先ほどよりも素早く意識を取り戻したホムラは、ガバッと跳ね起きるが度重なる大ダメージが脚に来たのか、両腕を上半身を起こすのが限界だった。
そんなホムラの前にミロが降り立つ。
見下して見捨てて見下げ果てた──冷徹の視線。
ここまで無感情で冷酷になったミロはなかなかお目にかかれない。物心ついた頃から一緒にいるツバサでも、覚えている限り5回もない。
ホムラはしゃにむに立ち上がって応戦しようとするが、ミロは無味乾燥な一言を追い打ちにした。ミロスセイバーを道具箱に収めて言う。
「採点してあげる──全然ダメ」
本気でやる価値もない、とミロはにべもない。
ホムラは稲妻の直撃を浴びたように愕然とするも、牙を剥いて激昂しようとしたが、地に伏した自分の有り様に気付いて意気消沈してしまう。
最初の鍔迫り合いから──3分も経っていない。
その3分間、ホムラはミロに翻弄され、ろくに反撃することもできず、こうして倒れ伏したのだ。まだ立ち上がることさえできない。
ホムラは細い指で地面に爪を立てる。
「…………うっ、くぅ……あ、うううっ……」
ホムラは呻き声を漏らすと、悔しそうに項垂れた。
切り揃えた前髪に隠されて目元こそ窺えないものの、口元は泣き声を上げまいとして力を込めているのがわかり、こぼれ落ちる涙が土を濡らす。
ミロに負けた──認めざるを得まい。
煽るように自ら喧嘩を吹っ掛けておきながら、まったく歯が立たず、一方的にやられて無様に負けたのだ。男の子なら悔しくて当たり前だろう。
これでホムラが気付いてくれれば幸いだ。
才能ある者が陥りやすい落とし穴に──。
~~~~~~~~~~~~
「派手にやられたなぁ、ホムラ」
ミロが虚を突かれた猫のような顔になる。
驚きのあまり目を点にして声のする方向へ振り向くと、戦塵をすり抜けて現れたのは、歌舞伎化粧を忘れた石川五右衛門みたいなオジサンだった。
穂村組顧問──バンダユウ・モモチ。
さっきまで万魔殿のてっぺんにいたのは確認済みだが、ここまで接近されたのにまったく気付かなかったらしい。ミロの表情にそう書いてある。
実のところ──ツバサたちも意表を突かれた。
ツバサ、ドンカイ、セイメイも、いつの間にバンダユウがミロやホムラの側へと近付いたのか知覚できなかった。達人たちでも感知できないように動いたとしか思えない。そういう過大能力を持っているのか?
相変わらず、侮れない御仁である。
ツバサは穂村組で伝手となりそうな老人を見つめていた。
そんな視線をバンダユウは感じたらしい。
ツバサと目を合わせたバンダユウは、ハートが舞いそうなウィンクをすると愛用の極太煙管をクルクル回してホムラに話し掛ける。
「だからおれぁ常日頃から口が酸っぱくなって、おまえの耳にできたタコが酢蛸になるまで言い聞かせてきただろ。おまえは才能はあるがまだまだ甘い、精進を怠るなよ……ってな。見ろ、このみっともねえ負けっぷりを」
ピタリ、と煙管を止めて一服したバンダユウは説教を続ける。
「その様子じゃあ走査も分析もやってねえだろ? そっちのミロって子が格上のLV999だとも気付いてねぇんじゃねえか?」
──図星だったらしい。
言われたホムラは泣き顔でも構うことなく持ち上げると、ミロのLVを確認して壮絶なショックを受けていた。怒りに近い感情の高ぶり方から察するに、興奮のあまりうっかり忘れていたようだ。
「……そういうちょんぼするところは先代組長そっくりだな」
「う、うるさい……ワシは、親父とは違う……」
呆れるも懐かしむバンダユウに、ホムラは小さな声で反論した。
やれやれ、と鼻から煙草臭い吐息をバンダユウは吹いた。
それから愛想良い笑顔に切り替えると、ミロに向かって声をかける。
「いやぁ、ウチの悪ガキがすまんことしたなぁ。いきなり怒鳴られて、斬りかかられりゃあ誰だって不機嫌になるさ。ミロちゃん、だっけ?」
ホント御免なぁ、とバンダユウは謝った。
笑顔には笑顔で応えたくなる、それがミロの愛想の良さだ。
一瞬キョトンとしたものの、先ほどまでの冷酷さはいくらか氷解していき、やや柔和になったミロはぎこちなく返事をする。
「別に、学校じゃいつものことだったから……そんな、気にしてない」
「学校? そっか、やっぱりホムラと同級生か。道理でホムラの世話係やってる、ウチの若いのが『見覚えが……』って今頃になって言うわけだ」
そうかそうか、とバンダユウは納得して煙管をもう一服。
眉間を寄せて少し困った顔で続ける。
「しかし、こういうのは子供の喧嘩に親御さんが出しゃばるみたいな感じがして、あんまり気乗りしねぇんだがなぁ……組織同士の手打ちに目処がついたとはいえ、そのトップが仲悪いと来た。どうしたもんかねぇ……」
「それは個人同士の問題──気の済むまでやらせるしかないでしょう」
問題点を独りごちるバンダユウにツバサは助言する。
バンダユウが万魔殿から降りてきたのを見たツバサは、これ幸いと自分もハトホルフリートから降りて、ミロとホムラのいるクレーターまでやってきた。
「おお、君がハトホル姉ちゃ……いや、ツバサ・ハトホルさんか」
挨拶に先んじて、バンダユウは会釈をしてきた。
穂村組では「ハトホル姉ちゃん」とか呼ばれているらしい。
「──ツバサさん!」
ミロは嬉しさと申し訳なさが複雑に混ざる顔で振り向いた。
両手を伸ばしてこちらに小走りで駆け寄ってくると、ツバサの細い腰に抱きついて胸に顔を埋めた。だが、今日はすぐに背中へ回ってしまう。
まるで母親の背中に隠れる顔見知りの子供だ。
ホムラはようやく立ち上がると、ツバサに抱きつくミロを心底羨ましそうに見送った後、着物の袖で涙を拭ってこちらもバンダユウに縋りついた。
恐らく──彼が父親代わりなのだ。
レオナルドとアキが入手した情報によれば、ホムラの父親である先代組長はツバサの師匠に敗北した後、数年後にこの世を去っている。
以後、顧問であるバンダユウが穂村組を取り仕切ってきたそうだ。
ツバサは敬意を払い、背筋を正すと深くお辞儀をした。
「お久し振りです、百地万治さん」
一瞬、片眉をピクリと動かすもリアクションは取らない。
素知らぬ顔でバンダユウは応じた。
「そりゃあ現実での名前だ。こっちではバンダユウ・モモチで通してる……って、おれを知ってんのかい? どっかで会ったかな? お嬢ちゃんみたいなおれ好みの別嬪さん、一度会ったら絶対に忘れねぇんだがな」
バンダユウは視線はツバサの女性的な部分に注がれている。
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ツバサは卑屈な苦笑で返す。
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「異世界ではツバサ・ハトホルと名乗ってます……お久し振りです」
なので、バンダユウは知らぬ仲じゃないのだ。
「おう、久しいと言えば久しいな。最後にあったのが3,4年前だったか? しっかしなぁ……ホムラじゃないが、なんでおっぱいの化身になってんだ?」
「誰がおっぱいの化身ですか」
ツバサはちょっとムスッとした顔でいつもの台詞を口にする。
喧嘩のこともあって大人しく抱きついていたミロだったが、オッパイの化身と聞いた瞬間、二の腕でツバサの乳房をユサユサ揺らして遊び出す。
これにバンダユウは「おお……」と好感触だった。
「じゃ、じゃあ……美少年と見せかけて実は女の子でしたってオチか?」
「あの頃は歴とした男の子でしたよ」
今でもね──という強がりはさすがに言い切れる自信がない。
ツバサは説明するのも煩わしいので簡略化する。
「『内在異性具現化者』という現象のせいでね……詳しくはそちらにいるという商人みたいなGMにでも聞いてください」
さて、とツバサは語気を強めて話を仕切り直す。
こちらの空気が変わったのを年の功で察したバンダユウも居住まいを正す。まだ泣き止まないホムラは背中に回して、庇うようにしていた。
ツバサもミロを背中に回す。
お母さんに抱きついたことで余裕を取り戻したのか、ミロは少し屈んで抱きつくと、自分のおっぱいをツバサの巨尻に押し当てて楽しんでいる。しかし、この程度ではツバサも動揺することはなくなっていた。
ツバサはミロの頭を掴むと、バンダユウとホムラに頭を下げさた。
こんな時は形だけでも謝っておくものだ。
「この度はウチのミロがすいません。お宅のホムラ君に酷いことを……」
「なんのなんの、吹っ掛けたのはウチの悪ガキだし、ガキの癖して組長になってから調子に乗ってたから良い薬だぜ。ほれ、おまえも謝っとけ」
バンダユウも背中にしがみつくホムラの頭を掴んで無理やり謝らせた。
本当「子供の喧嘩に親が出る」みたいになってきた。
表面上だけでも子供たちに謝らせた保護者2人は、大人の話に切り替える。
「先ほどのホムラ君の降参宣言……額面通りに受け取ってよろしいですか?」
「ああ、構わん。おれぁ最初から謝りに来るつもりだったからな」
一切の躊躇がない即答だった。
さすが穂村組随一の穏健派。話が早くて助かる。
事なかれ主義……だと言い過ぎだが、バンダユウは揉め事を避ける気質であり、話し合いで済むならそれに越したことはないと考えるタイプだ。
仁義を重んじる、昔気質な任侠といってもいい。
無論、大切なものは絶対に譲らない覚悟を持っている。
たとえば──穂村組という家族。
ツバサにとってミロを初めとした家族が第一義なように、バンダユウにとっての家族は穂村組。その家族が無事に過ごすことを最優先とするのだ。
師匠とバンダユウの酒の席──。
『斗来さんよ、おれぁな……穂村組みんなの親父でありたいのよ』
『おいおい、どこぞの髭が白い大海賊みてぇなこと言うな』
酔った勢いで彼が奮った熱弁をよく覚えている。
だからこそツバサは、穂村組の中でもバンダユウとの再会を願っていた。彼なら話が通じるはずと期待してのことである。
バンダユウもツバサの正体を知ると、師匠への畏敬を揺り起こされるも「相手が君で助かったぜ」と目は口ほどに希望を訴えていた。
すると、バンダユウはお願いから切り出した。
「でもなぁ……今日んところは引き上げさせてくれんか?」
バンダユウは片手でホムラの頭を撫でて慰めつつ、もう片方の手でツバサを拝み倒してきた。拝む手の向こうでは苦しそうな笑みを浮かべている。
「曲がりなりにもウチのトップはホムラだ。そのホムラが君んとこのミロちゃんに喧嘩を売った挙げ句、この様……締まりが悪い。それに、おれを含む幹部は揃っていても、その下にいる連中は出払っててここにゃいねぇんだ」
穂村組の降参宣言は、まだホムラの一存でしかない。
「無論、おれたち幹部は同意しているが、組の精鋭たちがどう思ってるか、まだわからねぇ……5日後に戻ってくるそいつらを説き伏せてから、改めて穂村組を上げて謝罪をさせてもらいたいんだが……」
どうだい? とバンダユウは仕切り直しを求めてきた。
これは本心から願い出ているのだろう。
ホムラは恐らく、何らかの手段でツバサやミロの顔を確認して、懐かしさや怒りに駆られ、勢い任せにやってきてしまったのだ。
当然、穂村組の構成員には情報伝達が疎かになっている。
四神同盟への降参にしろ服従にしろ、いくら組長が「そうする!」と言い張っても、敗北を認めたがらない穂村組の気質から拒む者はいるだろう。
下手をすれば内紛や分裂に発展しかねない。
事実、現実の反社会勢力は理念の相違から仲違いを繰り返していた。
そうさせないためにも、穂村組の意見を取りまとめたい。
そして、改めて挨拶に窺いたい。
バンダユウの気持ちを意訳すればこんなところであり、組の総意をまとめる時間がほしいところが汲み取れた。
「2週間後──すべての組員を連れて、必ず挨拶に来る」
反対する者は説得するし、逆らう奴はブン殴ってでも言い聞かせる。
「必ずや、君たちの同盟と友好的な関係を結べるように、このおれが責任を持って取り計らわせてもらう。だから、今日のところは……」
拝み倒してくるバンダユウに、ツバサは即答を避けた。
バンダユウは信の置ける好人物。約束を守る有限実行の男でもある。
穂村組で唯一人──師匠の飲み友達になれた男。
ツバサはバンダユウの誓願を聞き届けるつもりだった。
しかし即答するのも侮られそうなので、交渉の駆け引きを兼ねて長めの間合いで気を持たせる。それから、これ見よがしに小さなため息を漏らした。
仕方ないから提案を飲んであげます、という態度だ。
約束を破ったら覚悟しろよ? と暗に脅迫の意味も込めていた。
「……わかりました。2週間後ですね、お待ちしましょう」
「おおっ、受けてくれるか! 助かる!」
バンダユウは快哉を上げると、おもむろにツバサに近付いて両手を取ってブンブンと振り回した。こういう人懐っこさも変わらないオジサンだ。
この時、極太煙管は唇だけで器用にくわえていた。
その煙管をユラユラ揺らして、バンダユウは皮肉っぽく笑った。
「しかしなぁ……現実の世界で調子に乗ったおれたちが、斗来さんにこっぴどくお仕置きされてだ。ちったマシになったかと思えば、こっちの異世界に来てぜーんぶ忘れて頭に乗ってたら、今度は弟子の君に叱られるか……」
因果だねぇ、とバンダユウは自嘲気味に言った。
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