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第12章 仁義なき生存戦略
第300話:因縁~倶に天を戴かず
しおりを挟むゼニヤ・ドルマルクエンは準備万端だった。
何の準備かと問われたら──夜逃げの準備である。
穂村組に属しながら神族である彼だが、少年漫画の主人公を小太りにしたような見た目をしており、アラビアンの商人みたいな格好で通していた。
その上から夜逃げの装束を着込んでいる。
脂肪で膨れた頬は唐草模様のほっかむりで隠す。
ちゃんと鼻の下で結ぶ念の入りようだ。
亜空間の道具箱があるにも関わらず、こちらも唐草模様の風呂敷に家財道具一式と穂村組の宝物庫から拝借してきた金目の物を詰めるだけ詰め込み、贅肉まみれの背中に背負っていた。
夜逃げというより、パーフェクトなコソ泥スタイルである。
だが侮るなかれ。
ほっかむりには特殊な隠密効果があり、風呂敷は道具箱よりも物品を収納できる亜空間様式になっている。どちらも泥棒垂涎の盗みに特化した魔法道具だった。
こんなこともあろうかと、念のために用意していた逸品である。
──ハトホル国と開戦して大混乱の万魔殿。
その中をコソコソ逃げ回り、脱出するために出口を目指していた。
「まさか裏社会最強と謳われた穂村組が、こないあっさり追い込まれてしまうとはなぁ……見誤ったでほんま。こうなるぐらいなら、最初からレオはんにゴマすっといた方が甘い汁吸えたかも知れんなぁ……」
後悔先に立たずである。
穂村組はもはや沈没寸前の泥船だ。次々現れるLV999のプレイヤーに四大幹部を始め、構成員も戦々恐々で震え上がっている。
せめて遠征中のLV900を超えた精鋭たちが揃っていれば……いや、焼け石に水だろう。LV999のプレイヤー10人以上を敵に回した時点で詰みだ。現状の穂村組では全戦力を投じても勝ち目はない。
ハトホル国と──同盟を組んだプレイヤーのパーティー。
そこにはレオナルドを筆頭に、彼の“爆乳特戦隊”と指差されていたR18メイドのクロコ、くっ殺女騎士のカンナ、ニート娘のアキと勢揃いしていた。
もう1人、コートで厚着した娘も見覚えがあるような……はて?
早い話、あちらの同盟には知った顔がチラホラいるのだ。
そのことがゼニヤを悔やませる。
もっとレオナルドはんや爆乳特戦隊に媚びを売っておったらなぁとか、仲良くしといてればなぁとか、たらればは尽きない。
その同盟に穂村組が押し潰されようとしていた。
穂村組の組織力と組員の戦闘力を買っていたゼニヤは、「彼らと手を組めばワイの夢が叶えられる! 異世界で新しい商売ができる!」と意気込んでいた。
──ゼニヤ・ドルマルクエンには夢がある。
その夢を叶えるため、穂村組に手を貸してきたのだ。
穂村組がゼニヤを利用してジェネシスから有用な情報を引き出していたように、ゼニヤもまた穂村組という力強い傘の下で夢を叶えるつもりだった。
特に番頭レイジはゼニヤの夢に共感してくれた。
2人で手を組んで穂村組の元、夢に邁進するつもりでいた。
持ちつ持たれつ一蓮托生、杯まで交わしたくらいだ。
ゼニヤは異世界転移や移住計画に関する情報の横流しに始まり、アルマゲドンのソフトや装置を組員の数だけ都合もしたし、構成員たちがアルマゲドンで悪さをしようともGMの権限で揉み消したり、協力を惜しまなかった。
それが──この為体である。
「ホンマ不甲斐ない……賠償金とかほしいくらいや」
こんな様ではビジネスパートナーとして頼りにならない。
沈む船から逃げる鼠の如く、ゼニヤは穂村組からの脱走を目論んでいた。
抜き足差し足忍び足、万魔殿の廊下をコソコソ進む。
廊下の角や物陰に潜みながら進むゼニヤは、誰に出でもなくブチブチと愚痴を垂れ流した。これは癖みたいなもので無意識で呟いてしまう。
「河岸を変えるんは仕方ないとして……この生き馬の目どころか一瞬で肉から骨まで抜くような生存競争ハードコアな世界、ハトホル姉やんの同盟くらい力つけとる組織ってあるんやろか? まあ、コネはなくとも渡りをつけるために粗品代わりの土産は、穂村組ん金庫から退職金代わりにせしめたからええとして……」
「では──我が国へのアプローチを試みてはいかがですか?」
背後から淫靡なメイドに声をかけられた。
ゼニヤは警官に職務質問された泥棒みたいにビクリ! と身を竦める。一目散に逃走したいのは山々だが、神族になっても運動神経0の自分があのメイドから逃げ切れないという情けなさは痛感していた。
このメイド、巨乳のくせして恐ろしいほど瞬足なのだ。
「で、出よったなR18メイド!?」
ゼニヤが振り向くと、そこにクロコ・バックマウンドがいた。
万魔殿は要塞として防衛能力や迎撃能力こそバカみたい優れているが、防御結界などに関してはお粗末なものだった。クロコのように神出鬼没な能力を持つ侵入者に対しては、見廻りの組員で対応してきた警邏能力しかない。
三悪トリオ騒動で再会した時も、クロコは何もないところからヒョコッと現れたので、そういう過大能力なのだろうとゼニヤは推測する。
お久し振りです、とクロコはスカートの両端を摘まんで会釈した。
「あら、R18メイドなどと……褒め言葉でお出迎えくださるとは」
「褒めとらん全然褒めとらん! むしろ悪口かましとるんや!」
皮肉が通じないどころか、罵詈雑言にも嬉々とする。
黙っていれば雑誌の表紙を飾れる美女なのに、口を開けば変態用語を並べ立て、サドもマゾも平然と受け入れ、目を離すと何をしでかすかわからない。
ほんま、よくこんな変態女を躾とるなレオナルドはん!?
内心では毒突くもレオナルドに感心するゼニヤは、突如現れたクロコに困惑せざるを得なかった。彼女の目的がまったく読めないからだ。
万魔殿に潜入しての工作活動?
だとしたら、わざわざゼニヤを見つけて声をかけたりはしないはずだ。無視して勝手に破壊活動なりすればいい。
脳内算盤を弾いたゼニヤは──ある結論に辿り着いた。
「ああ、そうか……お目当てはワイやな」
「さすが守銭奴。頭の回転が早くて助かります」
クロコはエプロンを盛り上げる巨乳の前に両手を上にして掲げた。板状のものを持ち上げる仕種をすると、そこにスクリーンが浮かび上がる。
「関西弁の肉饅頭になど興味ありませんが、あなたを探しておりました」
「おんどれ辛辣やな!? ワイに効くでそん一言!」
こう見えてゼニヤは肥満体型を気にしている。
綺麗な声を奏でる囀りでサラッと貶すクロコにゼニヤは物申した。
『だからダイエットするべきだ、と現実で勧めただろう?』
贅肉は魂にもつくものだ、とスクリーンから誰かが語りかけてくる。
クロコが現れた時点で彼の使いだと察するべきだった。
スクリーンに現れたのは──レオナルド・ワイズマン。
ヤマアラシめいた髪型の軍人は、両手を組んで顎を乗せたポーズでスクリーンに投影されている。司令官とか組織のボスめいた迫力がある。
ただし、ゴリッゴリの悪役だが──。
「レオ……ナルド、はん……」
スクリーン越しだというのに、ゼニヤは気圧されてしまう。
そう年齢の変わらないこの男に敵う気がしない。敵に回すのも恐ろしいが、味方にするのも気後れする。正直、ゼニヤはレオナルドが苦手なのだ。
『さて、今なら建設的な交渉ができそうかな?』
最悪の弱味につけ込む魔王の笑顔でレオナルドは言った。
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VR格闘ゲームの最高峰──アシュラ・ストリート。
阿修羅街という架空の都市を舞台に、ストリートファイターに扮したプレイヤーたちが覇を競うというコンセプトで大人気を博したのだが、とある電子ドラッグ事件の煽りを受け、責任を負わされるようにサービス終了を迎えた。
このゲームには、プレイヤーの勝利成績を競うランカー制度があった。
毎月のランカー報酬は羽振りが良かったため、プレイヤーはランキングを上げることに余念なかったのだが、ベスト8の壁は誰も突き崩せなかった。
不動のベスト8は、いつしかアシュラ八部衆と恐れられるようになる。
ウィングは──ツバサ・ハトホル。
オヤカタは──ドンカイ・ソウカイ。
天魔ノ王は──セイメイ・テンマ。
姫若子ミサキは──ミサキ・イシュタル。
獅子翁は──レオナルド・ワイズマン。
アシュラ八部衆は全員アルマゲドンのプレイヤーとなっていた。
セイメイ曰く「みんな真なる世界に来てる」とのこと。
他に『ガンゴッド』というお調子者の青年と『D・T・G』というイカレた親父もいたが、八部衆のほとんどが男性だった(ミサキは女性のアバターを使っていたが「オレ男です」と公表していた)。
炎☆焔はアシュラ八部衆唯一の女性、いわゆる紅一点だ。
紅一点とはいったものの、当時は中学生だったはずなので艶めいた話は一切なく、アシュラ八部衆のアイドルというかマスコット的存在だった。
万魔殿の先端に──その炎☆焔が現れた。
ご先祖様に肖ったというセイメイの『黒衣の剣豪』スタイルもそうだが、彼女もまたアシュラ時代のアバターそっくりだった。顔の造型から体格、衣装や武具に至るまでスタイルを引き継いでいる。
アシュラ時代、ツバサ、ミサキ、ドンカイは自分の顔を模したアバターを使っていたので、炎☆焔はそれを見分けたようだ。
ツバサやミサキは爆乳や巨乳の女性になっているし、ドンカイも人間からオーガになったので体型が違う。顔の造作だけでよく見分けたものである。
(※獅子翁ことレオナルドは体格こそ同じだが、顔は白髪三千丈の仙人めいた老人にしていたので、さすがに同一人物と思わなかったらしい)
万魔殿から炎☆焔が現れた時はツバサも驚いた。
ドンカイも開いた口が塞がっておらず、セイメイも目を丸くしている。ミサキやレオナルドも驚いているが、レオナルドの反応が一番大きかった。
愛用の銀縁眼鏡がズレるほど愕然としていた。
その理由に心当たりがあるツバサは、胸の谷間からスマホを取り出すとスピーカーモードにしてレオナルドに話し掛ける。
「おい、どういうことだレオ。あいつ、炎☆焔じゃないか」
穂村組組長は──若い男じゃなかったのか?
やや抗議めいた調子になってしまった。
技能で視力を上げているので、万魔殿の反対側に陣取る方舟の甲板にいるレオナルドの顔色はわかる。彼は眼鏡の位置を直して口早に返してきた。
『いや、その情報に間違いはない。君のお師匠さんに倒された先代組長の跡を継いだのは、あらゆる情報を照らし合わせると彼の息子になっている。年齢的にまだ年若い男性のはずだ。アキが収集した情報と、現実世界のサーバーからサルベージしたゼニヤ君のファイルサーバーにあった情報も……』
『ちょっと待ってレオさん、ツバサさん、あの子は炎☆焔だけど……』
レオナルドの言い訳をミサキの声が遮った。
炎☆焔についてミサキは何かしら気付いたようだが……。
「あいつ──男だよ」
ミロがぶっきらぼうに核心を突いた。
これを聞いたアシュラ経験者は一斉に「は!?」と声を上げてミロに注目すると、次いで炎☆焔を見た。その眼に走査や分析をかけるのを忘れない。
そして、話題の人物の性別を確かめる。
彼は彼女ではない──炎☆焔は男性だった。
美少女と見間違えても仕方ない、見目麗しい美男子なのだ。
世が世なら稚児と持て囃されただろうし、現代ならば男の娘で通じること請け合いである。更に詳しく分析をかけてみると『内在異性具現化者』ではなく、マヤムのように魂の経験値を費やして性転換した形跡もない。
つまり、現実の炎☆焔のままということ──。
「なっ……なってこったッ!」
不意にセイメイが絶望の声を漏らした。
世界の終わりに直面しようとも、笑って酒を煽っていそうな酔いどれ剣豪らしくもない、信じていた希望に裏切られた顔で青ざめている。
黒衣の剣豪はガクンと膝をついて、四つん這いになり慟哭を絞り出す。
「八部衆って野郎しかいなかったのかよーーーッ!?」
「そこはどうでもいいじゃろ」
ドンカイはアホを見る眼でセイメイを見下ろした。
セイメイの言わんとすることはわかるが──どうでもいい。
アシュラ八部衆はアバターを見れば男女比は6:2。
しかし、ミサキが「オレ男です」と公表していたため、炎☆焔が唯一の女性だと思っていた。ただし、思い返してみれば誰も問い質していない。彼女の見た目だけで「和装の似合う黒髪美少女」と思い込んでいた。
「……まあ、アシュラ・ストリートはアルマゲドンと違って普通のVRMMOだったから、ネカマもネナベもやりたい放題だったしな」
どうでもいいだろ、とツバサも泣き喚く酔っ払いを突き放した。
すると、セイメイはガン泣きで抗議する。
「いやいや! どうでも良くねぇだろそこは! ちんちくりんの小娘だろうと女の子がいるといないとじゃ天国と地獄ぐらいの差があるだろ! テンションの上がり方が違うわ男として! ミサキちゃんはアシュラの頃から可愛かったけど男だとバラしてたし、炎の嬢ちゃんだけが紅一点と信じてたのに……どいつもこいつも男だったんじゃねぇかーーーッ!?」
うぉぉぉーん! とセイメイは本腰を入れて泣いた。
奥さんでもあるジョカが2mの長身を屈めて「よしよし、泣かないでセイメイ」と利かん坊を慰めている。でかい赤ん坊と変わらない。
「ごめんねー。ウチの旦那さんがお騒がせして……ほらセイメイ、もう昔のことなんだからいいじゃない。僕がいるんだから満足してよ」
はいオッパイ、とジョカは身長の高さゆえツバサに負けず劣らずの爆乳に、まだ泣き止まないセイメイの顔を埋めてやった。
アホ侍はジョカに任せて、セイメイはドンカイに尋ねる。
「親方は知らなかったんですか? 炎☆焔のこと……若いeスポーツプレイヤーを育成するからって、ミサキ君や彼女……いや彼をスカウトしてたでしょう?」
現実では角界の頂点である横綱まで登り詰めたドンカイ。
不慮の事故で角界を退いた後、趣味のゲーム好きが高じてeスポーツプレイヤーとなり、その振興委員会の会長を務めていた経歴がある。
そのためドンカイは、アシュラ・ストリートやアルマゲドンで名を上げたプレイヤーを現実や仮想を問わずスカウトしていたのだ。ツバサやセイメイ、それにレオナルドも勧誘されたことがある。
炎☆焔にも声をかけていたはずだが……?
別段ドンカイに落ち度はないが、横綱はやや猫背になってツバサに視線を合わせると、厳つい眉を八の字にして悪びれたように弁解した。
「いや、ワシもあの子の才能には一目置いていたからのぅ。勿論スカウトさせてもらったんじゃが……『ウチは厳しいから無理じゃ』と断られてな」
現実でもアプローチを試みたが、氏素性すら掴めなかったという。
恐らく、穂村組の跡継ぎであることを隠したのだろう。
インチキ仙人に追い込まれた過去もあって、組長の情報をなるべく表沙汰にしないよう番頭が隠していたのかも知れない。詮索癖のあるレオナルドが辿り着けず、ハッカーのアキですら調査不足で終わっている。
なかなかのガードの硬さだ。
「炎☆焔が男の子か女の子か、そんなのは些細なこと……」
ツバサは色めき立つ家族にピシャリと言い付け、問題視するべき点は別にあると強調した。万魔殿の頂上に立つ彼から目を離さず指摘する。
「炎☆焔が穂村組の現組長──こっちのが重要だ」
アシュラ時代の頃と変わらない容姿をしており、顔立ちや雰囲気からツバサたちをアシュラ八部衆と見極めて挨拶してきた以上、あの男の娘が炎☆焔であることは疑いようがない。
穂村組の四大幹部は炎☆焔に傅いている。
これだけ証拠が揃えば十分──炎☆焔こそが組長なのだ。
穂村組の諜報をさせていた者たちが入手した情報から、穂村組が「喧嘩祭のつもりで仕掛けてくる」とは聞いていた。
これはつまり、炎☆焔が旧友とも言えるツバサたちに気付いたため、懐かしさも手伝って勢力ごと腕試しにやってきたと思えばいいのかも知れない。
穂村組は──本気ではなかった。
スプリガン族や妖人衆は決死の覚悟で挑んでいたが、穂村組にしてみれば遊び半分であしらうぐらいの感覚だったはずだ。
現にこちら側には1人も被害者が出ていない。
あちらの被害はマリが即興で呼び出した不死者の兵団と、万魔殿から生えた鋼鉄の触手くらいのものだ。僵尸は使い捨てと見ていいだろう。
鋼鉄の触手は壊れたままで直る様子がない。自己修復機能はないらしい。
ツバサたちが現れると、潮が引いたように静かになっている。
炎☆焔が顔を見せたこともあり、「このまま降参してくれるか? それは高望みだとしても話し合いに応じてくれるか?」と期待する。
お互いに人間を超えた神族と魔族になっているため、ハトホルフリートと万魔殿に距離があろうとも、技能のおかげで普通に会話できる聴覚の良さだ。
炎☆焔は深呼吸すると、こちらに向けて第一声を発した。
「降参じゃ──穂村組はハトホルの国との和解を申し出る」
開口一番の降参宣言に誰もが面食らった。
四神同盟は元より、穂村組の面々も驚きを隠せない。
駄々をこねるかと思いきや、まさかのストレート降参である。
予想を上回るスムーズな展開に、ツバサたちは虚を突かれて唖然とする。その隙を突くように、炎☆焔は組長らしく詫びの口上を並べていく。
「第24代穂村組組長ホムラ・ヒノホムラとして、ハトホルの国とイシュタルランド……じゃったかな? そちらの同盟にウチの構成員が迷惑をかけたことを謝罪しよう。そして、ウチが原住み……オホン! 現地の人々を不当に扱っている件にもこちらに非があると認めて、改善を約束する……ついては、そちらの代表と見られるウィングさんと話し合う場を設けていただきたい」
如何か? とホムラは小さな胸を張って堂々と申し出た。
白旗を掲げても極道の矜恃を崩さない──毅然とした態度で臨む。
そこには潔い凜々しさがあった。
幼いながらも組長らしく振る舞うホムラに、ツバサたちは「ほう」と感嘆の声を漏らす。一方、穂村組の面々も安堵の息を漏らしていた。
四神同盟と事を構えたくない番頭レイジは感涙し、若頭補佐のマリも「立派になって……」とお姉さん目線で感動しているのかホロリと涙をこぼしていた。ゲンジロウだけは相変わらずの無反応である。
いや──ゲンジロウからすごい陽炎が立ち上っていた。
ホムラの成長に興奮を抑えられないのか?
それが凄まじい熱気になって立ち上っているらしい。
感動の涙も流れ落ちた瞬間に蒸発するほどの熱量だった。
蒸発してなければ今頃、ゲンジロウは滂沱の涙で溺れていただろう。
「やれやれ……これで一段落かな」
そして、最古参である顧問バンダユウは諦めを極めていた表情から一転、この場は丸くおさまりそうだという期待感に唇を緩めていた。
ホムラの発言を受けたツバサは、手にしたままのスマホで四神同盟の代表たちと話し合い、全員一致で「異議なし」と即決した。
四神同盟を代表してツバサが対応する。
一歩前に出ると、この場の全員が聞こえるように呼び掛ける。
「わかった、穂村組の申し出を受けよう。こちらも事を荒立てるつもりは毛頭ない。話し合いに応じてくれるなら、喜んで交渉の場をセッティングさせてもらう」
ツバサは返事をすると親しみを込めて微笑んだ。
「昔馴染み同士、仲良くできるに越したことはない」
そうだろホムラ? とツバサはアシュラを思い出して話し掛ける。
ホムラは年相応にはにかむと子供っぽく頷いた。
そうだ──ホムラは悪い子じゃない。
アシュラ時代はミサキや同年代のプレイヤーと仲良く交流していたし、ツバサやドンカイに獅子翁といった年上プレイヤーにはちゃんと敬語で接していた(だらしないセイメイは小馬鹿にされていたが)。
ツバサはとても懐かれ、ドンカイは慕われていた。
ホムラが嫌悪感を露わにしたのは、D・T・Gのイカレ親父くらいだ。あのオッサンは100人中90人に嫌われる性格だからしょうがない。
残り10人? これが異様なほど心酔するのだ。それも次第の熱を帯びていき狂信的になっていく。最終的には彼を“王”や“神”と崇め奉るくらいである。
D・T・Gはイカレ親父だが、奇妙なカリスマ性を持っていた。
アシュラ・ストリート愛好家は誰もが好戦的だ。
しかし、格闘家や武道家として礼儀を弁えてる者が多い。
相手に敬意を払って和を重んじる。
ホムラはまだ中学生くらいだが、その本質をちゃんと理解していた。
組長としてホムラが現れた瞬間、「大事にならずに済むかも」という予感が脳裏を過ぎったが、どうやら当たりだったらしい。
ツバサの返事に「無論じゃ」とホムラも笑顔で返してくる。
「再会のきっかけこそ最悪じゃったが、わしも八部衆のみんなと戦り合うつもりなどありはせん。ウィングさんやドンカイさんにゃまだ敵わないと身を以て知っておるからな。わしらに悪いところがあればしっかり改めさせてもらう」
相変わらずのロリババア口調である。
まだ敵わない、という言い回しから向上心も窺えた。
穂村組との騒動は──鎮静化する様相が垣間見えてきた。
なのに、ホムラは表情を浮かないものになっていく。
話し合うという約束を結んだ時点での笑顔は、苦虫を噛み潰したような渋い顔に変わると、眉根を寄せておもいっきり顰めている。
人差し指で眉間の皺を均したホムラは、納得いかなそうに呟いた。
「それでじゃな、謝罪やら話し合いやらでこの一件の騒動の手打ちをするとして、アシュラ八部衆の再会も済んだのはいいんじゃが……あのな、その……」
それはなんじゃ!? とホムラはツバサを指差した。
正しくは、ツバサが腕を組んで持ち上げた爆乳を指している。
「元からデカかったオヤカタさんが巨大化していることや、アシュラの頃から女キャラ使ってた姫若子ミサキが女になっているのはまだわかるとして……なんでウィングさんまでデカ乳デカ尻の女神になっとるんじゃ!?」
「あー……そこツッコんでくるか、やっぱり」
ツバサは苦笑するしかない。
「ワシがデカくなっているのはいいのか……ワシ、どう思われとるんじゃ?」
「オレが女になっているのもまだわかるって……どういうことよ?」
ドンカイとミサキは変に理解されて困惑している。
一方、ホムラはツバサが女神になっているのが納得いかないのか、人差し指を突きつけたままクレームめいた文言を突きつけてくる。
「ウィングさんはカッコいいイケメンじゃったはずなのに……なんで爆乳女になっとるんじゃ!? 顔はアシュラの頃と同じ凜とした美青年じゃというのに、なんで外国のエログラビアを飾るデカ乳女みたいになっとるんじゃ! しかも違和感なくてナチュラルなのが気に食わん! 改善を要求する!」
「褒められてるのか怒られてるのかわかんないな」
ここまで面と向かってイケメンとか美青年とか言われたのは、男だった頃にはなかった経験なのでツバサも対応に困ってしまう。
爆乳女とかデカ乳女と言われると、いつもの台詞が出そうにもなる。
「乳も尻もボールを詰め込んだみたいに女々しく膨らみおってからに、そんなのまるで……お母さんでホルスタインで爆乳AV女優みたいではないか!? ワシの尊敬したウィングさんはいつからドスケベボディになったんじゃ!?」
「誰がお母さんでホルスタインで爆乳AV女優みたいなドスケベボディだ!?」
過去最多最長の決め台詞をかましてしまった。
なんというか……ホムラはツバサの前身ともいえるウィングに一方ならぬ憧憬を抱いていたらしい。それが懐かれていた理由のようだ。
ただし、それは青年ウィングとしてだ。
神々の乳母となったツバサはお気に召さないらしい。
あのくらいの年頃の男子にはまれにいるが、必要以上に性的な女性を嫌うタイプだろうか? それとも単に巨乳系が苦手な貧乳主義なのか?
あるいは…………?
ぶつけたい文句を吐き出してスッキリしたのか、ホムラは大きくため息をつくと顰めていた眉を少し緩めた。
「と、とにかく……ウィングさんがおっぱいの化身になっていることについては、話し合いの場でたっぷり説明してもらうからのぉ……」
「誰がおっぱいの化身だコラ」
この呼ばれ方は初だと思う。全然嬉しくないけど。
「さて、話がまとまったところで──」
ホムラは俯き加減になると、前髪で目線を隠した。
お姫さまのように整えた長い黒髪が風に揺れたかと思えば、仄かな闘気を帯びてフワリと舞う。そして、ホムラは手にした長巻を持ち直した。
左手で鞘を持つと、右手は長い柄を握って鯉口を切る。
華奢な体躯をものともせず、常識はずれな大太刀を抜き払う。長い鞘を道具箱に放り込むと、ホムラから立ち上る闘気のオーラが増大した。
臨戦態勢を整えているとしか思えない。
「言った通り、穂村組はそちらの同盟に降参した。今後は話し合いでケジメをつけたいから戦争はせん。無駄に血を流すことは無益なこと……そんなことはまだまだガキのワシだってわかっておる……じゃからな」
これから起きることは子供のワガママ──子供の喧嘩じゃ。
「殺し合いはせぬつもりじゃから、どうか目を瞑っていてほしい……ウィングさんたちには大人の器量を持って、大目に見てほしいのじゃ」
グン! とホムラは顔を上げる。
途端に爆発的な“気”が噴き上がり、赤黒い闘気が噴き上がった。
天を射貫くオーラの柱、その根元に立つホムラの形相は怒りに燃えていた。釣り上がる瞳は魔族らしく鬼のような瞳孔を縮ませ、憎悪のあまり剥き出しで歯噛みする口元からは牙がはみ出ていた。
恐らくは──鬼系からランクアップした魔族。
本性を剥き出しにしたホムラは、大気を燃やすような怒声を迸らせる。
「なんでおまえがそこにおるんじゃ──君原美呂ぉッ!!」
ツバサは背筋をゾクリとさせて絶句した。
ホムラがどうしてミロの現実世界でのフルネームを知っている!? という疑問はどうでもいい。そんなことは取るに足らない問題だ。
『ミロを現実の本名で呼ばない──名字は決して口にしない』
ツバサは同盟の仲間たちへ、この約束は厳守してほしいと伝えていた。
彼女は自分の姓を蛇蝎の如く嫌っている。
同時に──血の繋がった親族を殺したいほど憎んでいた。
仇敵にして怨敵といっても過言ではない。それは実の父親を「今度会ったらコロス」と公言する理由に結びついている。
だからこそ、ミロは名字で呼ばれることを絶対に認めない。
迂闊に口にしようものなら、不機嫌になるどころの話ではない。
その場のすべてをひっくり返しても飽き足らないほど──狂暴化する。
ヤバイ! と警鐘が鳴った時にはもう遅い。
ツバサの傍らに寄り添うミロから、世界どころかその世界を支えるはずの次元をも揺るがすほどの覇気が膨れ上がっていた。
これは穂村組を威嚇するためにLV999プレイヤーたちが行った闘気の放出とは質が違う。ミロを中心に世界へ、そして次元を震え上がらせるかの如く全方位へ広がる。計り知れない未知のエネルギー波だった。
視覚的には──世界の色相を塗り替えるグラディエーション。
それが津波のように世界を脅かして、生きとし生ける者を畏怖させた。
ドンカイやセイメイ、レオナルドといった猛者も青ざめる。
ツバサとて冷や汗で背筋が濡れるほどの脅威だ。
「──おまえ、アタシよりアホなのか?」
次元を覆す覇気を発するミロは静かに言った。
恐る恐る表情を覗けば、そこには滅多にお目に掛からないミロがいた。
知っての通り、ミロは自他共に認めるアホ娘。
その表情は百面相のように豊かで、喜怒哀楽に恵まれている。嬉しかったり喜べば全身全霊で笑い転げるし、泣く時も怒る時も病める時でさえ、胸の内に溜まった気持ちを一滴残らず吐き出すような子である。
そんなミロが──無色透明だった。
まったく感情を表すことなく、透明な表情のまま怒っていた。
この怒り方は、実の父親へ向けたものと同質だ。
憎しみも嫌悪感もない──興味も関心も持てない相手への怒り。
「アタシをフルネームで呼ぶなって……いちいち君原って付けるなって……アタシは数えらんないくらい言ったよね……ねえ、ホムラ?」
かつての悪友を誹るような口振り──ホムラを知っているのか?
ミロは道具箱から一振りの剣を引き抜いた。
ジンが新しく打ち鍛えた聖剣ミロスセイバー(2代目)。
聖剣はミロの怒りに呼応し、剣身が凄まじい烈光を発していた。
ギュンギュン、と力が漲る渦動音まで聞こえる。
「言っても聞かないアホには……お仕置きしなきゃダメだよね」
ミロは冷徹な言葉でホムラを嘲った。
こんなに冷酷で落ち着いたミロは、ツバサも見覚えは少ない。
それこそ──君原の親父さんの前くらいでだ。
「阿呆の貴様にお仕置きされる謂われはないわ! 君原美呂ォッ!!」
わかってないのかわざとなのか、ホムラはミロの怒りを買うかのように本名を繰り返すと、長巻を肩へ背負うように構えて万魔殿から飛び出した。
「待てホムラ! 戦争はしないって……おいッ!?」
「若ちゃん! なんでどうして!? あの娘となんかあったの!?」
バンダユウとマリが引き留めるも間に合わない。
ホムラは赤黒い闘気をジェット機のように噴出させ、まっすぐハトホルフリート目掛けて飛んでくる。お目当てはどう考えてもミロしかいない。
そのミロは、片手にミロスセイバーをぶら下げる。
ホムラを迎え撃とうと飛び立つ前、ミロはツバサに振り向いた。
「心配しないでツバサさん──子供の喧嘩だよ」
ホムラの言った通りね、とミロは辛そうな作り笑顔で言った。
飛行速度は圧倒的にミロの方が速かった。
後発で飛び出したミロだが、瞬く間にホムラに詰め寄る。2人が接触した位置は、ちょうどハトホルフリートと万魔殿の中間辺りだ。
「君原ああああああぁぁぁーーーッッッ!!」
「いちいち繰り返すな、うっさい。おまえはオウムか」
怒りに熱を上げるホムラと、怒るほど冷めていくミロ。
同じ怒りでも対照的な2人が接敵すると、それぞれの得物を振るった。
振り上げた聖剣と、振り下ろす長巻がぶつかり合う。
2人が激突した瞬間──空が割れた。
──不倶戴天。
倶に天を戴かず、この言葉通りに天が真っ二つとなったのだ。
こうして──思いも寄らない勝負が幕を開けた。
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