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第12章 仁義なき生存戦略
第293話:穂村組若頭 ゲンジロウ・ドゥランテ
しおりを挟む真なる世界に建設された穂村組の拠点。
天をも貫くその威容から、当初は「バベルの塔」とか「万神殿」など好き勝手に呼ばれたものだが、組長の命名により「万魔殿」で統一された。
穂村組とて極道の一門には違いない。
真っ当な道から外れて生きているという覚悟がある。
その自覚がある構成員のほとんどが魔族に進化しているため、万神殿を捩ったとされる悪魔たちの大宮殿「万魔殿」という名前を選んだ。
この万魔殿は──ホムラの過大能力が具現化したもの。
穂村組の拠点であるととともに、その常軌を逸した攻撃力と破壊力は、現地種族が“外来者たち”と呼んで恐れる異次元のバケモノを群れ単位で一掃し、その生き残りが群がろうとも寄せ付けない防衛力の高さを見せつけた。
組員は元より、穂村組に拾われた現地種族も喝采を送るほどだ。
ホムラ自身の戦闘能力もさることながら、これほどの要塞を手足の如く操る彼女を誰もが恐れ敬うのは当然の成り行きと言えよう。
組長であるホムラへの尊敬の念が集まる理由は他にもある。
その権威には、組長に従う四大幹部も大きなウェイトを占めていた。
ホムラは穂村組に属する全員を(奴隷にした現地種族も含む)家族と言い張って憚らないが、中でも四大幹部は特別だった。
番頭レイジが「レイ兄ぃ」と呼ばれ、顧問バンダユウは「叔父貴」と親しまれているのは前述の通り。
彼らだけではなく、若頭ゲンジロウもホムラからは「ゲン兄ぃ」と懐かれており、若頭補佐のマリも「マリ姉ぇ」と呼ばれていた。
穂村組若頭補佐──マリ・ベアトリーチェ。
穂村組四大幹部の中でも、紅一点の女性幹部である。
穂村組に求められるのは圧倒的な強さ。
武道において凡人を超え、武術において達人と称されるほどの実力者にしか門を開かないのが穂村組だ。強さを認められれば誰であろうと門戸を開く。
そこには──老若男女の区別はない。
このため、穂村組は他の暴力団と比べると女性の組員が多い。
表舞台の格闘大会に出場できないほど腕を磨き、一撃で他者を殺傷するまで技術を極めた武術家には、意外なことに女性も少なくない。
しかし、男社会ゆえに認められない不遇に泣いた者もままいるのだ。
そういった女性武術家も穂村組は受け入れてきた経緯がある。
彼女たちのまとめ役が若頭補佐マリなのだ。
~~~~~~~~~~~~
万魔殿最上階──無機質なビル風の廊下をマリは歩く。
ホムラの気分で建て増しされていく万魔殿の最上階は、上位の組員が暮らす御殿であるとともに、和洋折衷入り乱れた無節操な建物になっていた。
上納集会で組員が全員集合する大広間周辺は部屋も廊下も和風なのだが、倉庫や事務所を兼ねるこの近辺は会社の廊下みたいな造りだった。
もう少し、近未来的な雰囲気を醸し出している。
無機質で飾り気のない廊下を、誰が見ていなくともマリは優雅に歩く。
年の頃なら20代半ば──女盛りの美女。
やや釣り目だが大きな瞳に済ました感じの鼻筋、小振りだがふっくらした唇は常に微笑を湛えている。日本人らしからぬ金髪はストレートヘアだが、伸ばした先端はクルクルと渦巻くようなウェーブが掛かっていた。
胸元が大きく開いたブラウス──乳房の上半分が丸見えだ。
襟はふんだんにフリルで飾られており、ブラウスの袖も手首辺りから着物みたいに裾が垂れ下がり、そこもまたフリル状に波打っていた。
タイトなスカートは足下へ下りるにつれマーメイドドレスのように広がり、高級な金魚の尾鰭を思わせるデザインが棚引いている。
鼻唄を奏でて廊下を行くマリはモンローウォークを意識した。
以前マーナが「若頭補佐とあたしを比較すんな!」と子分たちに怒鳴り散らしていたが、同い年なのに女性としての発育の差は歴然だった。
開けっぴろげなブラウスからこぼれそうな巨乳と、歩く度にタイトなスカートを盛り上げる美尻。これはマリに軍配が上がる。
マリは優雅な女性美を極めたウォーキングで進む。
辿り着いた先は──トレーニングルーム。
強さを求める組員のため、万魔殿には複数のトレーニングルームがあるのだが、ここは四大幹部とLV900超えの精鋭のみに許される特別室だった。
ドアの前にマリが立てば、魔力を感知して自動で開く。
自動ドアが開くと同時に、マリは甘ったるい猫なで声を上げた。
「ゲンジロウいるぅ? レイジが……いってえええっ!?」
特別トレーニングルームに入室した途端である。
マリはかつて体験したことのない重力に押し潰されて前のめりにつんのめり、耐える暇もなく五体投地みたいな体勢で突っ伏してしまった。
驚きと痛みのあまり「いってえええっ!?」なんて悪ガキみたいな声を上げてしまったが、どちらかと言えばこちらが彼女の素だった。
「な、なにこれ重ッ!? 骨とか肉とかギチギチ言ってるぅ!?」
慌てて技能で身体能力を上げたり、弱体化効果を打ち消す魔法を使ってみるがまったく効果がない。筋トレをしすぎてろくに動けない運動不足なOLみたいにジタバタ藻掻くのが関の山だった。
「お、おっぱい潰れるぅ!? クーパー靱帯おかしくなるぅ!?」
マリが大騒ぎしていると、部屋の奥から重苦しい声がした。
「…………騒々しい」
若さが抜けきらないのに、苦さと渋さを十分染み込ませた声だ。
想像を絶する重力におっぱいが潰されそうなマリは、痛みで半泣きになりながら部屋の奥へ視線を向けると、そこにお目当ての人物がいた。
その男は──半裸だった。
鍛えて鍛えて鍛え抜いて、幾度となく修羅場に投じて使い込み、極限を超えてなお熟成させた名刀の如き肉体美を誇る青年である。
汗に濡れたシックスパックが蠢動する。
極端な筋肥大はしておらず、細く束ねて圧縮したような筋肉美を誇る肉体には、古めかしい褌一丁のみ。
決して誇りを忘れない、孤高の狼を思わせる精悍な相貌。
右頬から首にかけて、引き裂かれたような向こう傷が特徴だった。
昭和を偲ばせる男前な顔は今、天地が逆になっていた。
穂村組若頭──ゲンジロウ・ドゥランテ。
LV980のマリでも死にそうな、強烈すぎる弱体化効果が渦巻く特別トレーニングルームで、逆立ち片手腕立て伏せを平然とやっていた。
ゆっくりと肘を折り曲げて、鼻先を床すれすれまで落とすのに5分。
ゆっくりと肘を伸ばして、垂直の体を持ち上げていくのに5分。
1回の腕立てに10分もの時間を費やすきついものだ。
時間を掛けてじっくり行うことで、筋肉に凄まじい負荷が掛かる。筋トレ界隈ではよく行われていることだが、彼のやり方は異常なレベルだった。
ゲンジロウからは滝のような汗が流れ落ち、床には水溜まりができていた。
のみならず、彼自身から加湿器顔負けの勢いで蒸気を立ち上っている。凄まじい体温上昇により汗の大半が気化しているのだ。
それでも処理が追いつかず、水を掛けたように汗が滴り落ちていた。
マリは潰れそうなおっぱいを気に掛けながら怒鳴りつける。
「あ、アンタ馬鹿なの死ぬの!? この部屋の設定、どんな魔族や神族でも一般人以下になるよう弱体化かかってんじゃないのこれ!?」
「それだけじゃない──重力は地球の100倍だ」
地球規模のバカなの!? とマリは突っ伏したまま吠えた。
「いくらトレーニングマニアだからって度が過ぎるわよ! LV999になりたいって心意気は買うけど、こんな一歩間違えたら即死レベルの修行はやめなさいってば! アンタに何かあったら若ちゃんは……ッ!」
「……わかっている」
皆まで言うな、とゲンジロウは片手逆立ちを止めた。
するとトレーニングルーム内の弱体化や重力の効果が失せる。
「で……何の用だ」
傍らに掛けてあったタオルを手に取り、ゲンジロウは汗を拭う。
ようやく重力から解放されたマリは、ヨロヨロ立ち上がると「おっぱい潰れてないわよね?」と持ち上げてチェックする。
「オジさまが呼んでるわよ。若ちゃん抜きの幹部で話がしたいって」
マリがいうオジさまとは、他でもない顧問バンダユウのこと。
ゲンジロウは目を細めて怪訝な顔をした。
「若抜きで……LV999案件か」
「そういうとこだけ察しがいいのはさすがねぇ……」
伝える手間が省けた、と言いたげにマリはニヤニヤするばかりだった。
~~~~~~~~~~~~
「……お待たせした」
シャワーで汗を流して着替えたゲンジロウが会議室に現れる。
会議室とは名ばかり──ここは茶室だ。
10人までなら入れそうな大きめの茶室。シュンシュンと湯気を立てる茶釜の前にはバンダユウが陣取り、一足先にレイジが正座で待っていた。
ゲンジロウは着流し一枚──素浪人のような風体だ。
長くも短くもない髪はひっつめて、後頭部で適当にまとめて簡単な髷にしてある。マリに頼むといつもこうされるのだ。
ゲンジロウは一礼して茶室に入るとレイジの隣、上座に座った。
マリも簡単な会釈で入室、下座に座る。
それを見てバンダユウはおかしそうに喉を鳴らした。
「別におれもちゃんと勉強したわけじゃあねぇからな。茶の湯の流儀なんざ守らなくても適当に座りゃあいいんだが……律儀だねぇ、おまえら」
三人で横一列に正座、しかも序列に従って並ぶ幹部たち。
組織としての穂村組における№2は若頭ゲンジロウだが、先々代より穂村組に関わってきた顧問バンダユウの権威は別格だった。
四大幹部と呼ばれるが、本来なら彼は組長より格上なのだ。
だが、気さくなバンダユウは気にすることなく「一緒に若ぇ組長を盛り立てていくんだから四大幹部でいいだろ」といつも笑っていた。
「さて、話というのは他でもねえ」
例のハトホルって姉ちゃんの話だ──LV999のな。
バンダユウが話を切り出すと、茶室の空気がピリッと張り詰めた。
辛みを帯びた真面目な空気に一同の表情は強張る。
「──ひとつ、質問いいかしら」
神妙な面持ちで目付きを鋭くさせたマリがおもむろに手を上げた。バンダユウの発言から、何かが気になって仕方ないらしい。
「そのハトホルって女とあたし……どっちがおっぱい大きい?」
マリは自慢のHカップをこれ見よがしに持ち上げた。
レイジが無言でマリの金髪を引っ叩いた。
マリは気にせず「どーなのよ!?」という眼で問い詰めてくる。
「マーナの嬢ちゃんの再現映像だったが……マリ、おまえさんの完敗だぜ」
バンダユウは冷やかし気味に鼻で笑う。
よほどショックだったのか、マーナは電流が走ったみたいに痙攣して絶句すると、正座の姿勢から両手をついて挫折してしまった。
「あ、あたしよりナイスバディの女がいるだなんて……ッ!」
シクシク泣いているようだ。
レイジは呆れ果て、ゲンジロウは無感動。
「泣くんじゃねえよマリ、おれぁ好きだぜ、おまえのおっぱい」
バンダユウはあからさまなセクハラで慰めるが、マリは怒るどころか「ありがと……」と泣き声で感謝していた。
「まぁ、気ぃ楽にしろ──茶ぁ飲みながら雑談ろうぜ」
バンダユウは「流儀は守らないから適当に」と言ったが、お茶を点てる仕種は堂に入ったものだ。なんらかの流儀を踏襲している感すらある。
「知っての通り、穂村組にゃあLV999がいねぇ」
まだな──とバンダユウは将来性を見据えた。
妙にぽってりとした、どことなく女体を連想させる棗(抹茶を入れておく容器)から茶杓(抹茶を救うスプーン)で抹茶を適量掬うと、黒い碗に入れた。
釜から柄杓で湯を掬い、碗に注ぎ込んでいく。
結構な高さから湯を注いでいる。
紅茶をカップへ注ぐ際にやるパフォーマンスにも似た距離感で注いでいるので、ちょっとふざけているが飛沫をまき散らすヘマはしない。
さすが顧問と呼ばれるだけはある。
「ホムラにゃあ先代や先々代を超える、秘められた才能があるとおれぁ見ている。ゲンジロウにレイジにマリ、おまえたちだって同じだ。精鋭と持て囃されてる組員の中にもそうした芽を感じさせる奴がいる……だがな」
頂点を極めるのは至難の業だ──バンダユウの言葉は重い。
湯を注がれた碗の底で抹茶がほぐるのを見計らい、バンダユウは茶筅でシャカシャカとかき混ぜていく。茶室でよく見る所作のひとつだ。
「いつか必ず、おまえたちはLV999になるだろう。おれぁもういい、修行すんのも面倒くせえし老体にゃあ響くからな。偉そうな小言をいうご意見番ってことでふんぞり返らせてくれ」
バンダユウの引退宣言に、マリは「まぁたまた♪」と手で仰いだ。
「バンジのオジさまだってまだ全然若いじゃない。老いてなおお盛ん? って感じでしょ~? 魔族になってんだから隠居なんて千年先よぉ」
バンダユウを本名のバンジで呼び、マリはケラケラと笑った。
「老いてなおって……おまえ、意味わかってる?」
マリの語彙力に呆れるバンダユウだが、茶筅を止めることはない。
「とにかくだ、おまえたちもいずれ頂点に達することはオレが請け負うが……その前に脅威が現れちまった。先に頂点へ達した者がな」
しかもお冠のご様子だ、とバンダユウは茶筅を止めて碗を整える。
「以前、トウドウ兄妹を負かしたっつうイシュタルって娘御とレオナルドって軍人さんもLV999だと噂されたが……」
「お礼参りはしておりません──私と顧問で止めましたので」
うむ、とバンダユウは頷いた。
勝つまでやる──というのが穂村組の信条だ。
穂村組に限らず、ヤクザというものは組の一員が恥をかかせられたら汚名を濯ぐために動く。穂村組の場合、敗北を絶対に許さないのが信条だ。
それは肝に銘じてある。
しかし、レイジは番頭として正論を説くしかない。
「LV999の者に勝つ術は、残念ながら今の穂村組にはありません。私やマリが如何なる手を尽くしても顧問や若頭に勝てぬように、LV900代の力量差は顕著です。たった数LV……いえ、1LVの差にも大きな隔たりを感じます」
LV998でさえ、LV999には敵わない。
食い下がるか、逃げ延びるか──防戦がいいところだ。
初期の頃ならば数LVの差を覆すことなど容易だったが、高LVになるにつれて1LVの差が指数関数的に増えていき、こうなっていくのだろう。
お礼参りをすれば、惨敗する未来が待っている。
下手をすれば、かつて「インチキ仙人」を自称する謎の男に、たった1人で穂村組を壊滅まで追い込まれた異常事態の二の舞になりかねない。
イシュタルに負けたと聞いたホムラは「是が非でもお礼参りじゃ! その生意気な女と軍服野郎をぶちのめして、連中の抱えている原住民をかっ攫ってこい!」と荒ぶる血の気のままに息巻いた。
しかし、レイジとバンダユウが諫めたのだ。
「正直、情けない話だが……喧嘩ってなぁ普通、自分より強い奴に挑んで勝ってこその華よ。だが、確実に負けるとわかってる相手に売るのはバカのすることだ。それこそノータリンの狂犬……いいや、バカな野良犬のすることよ」
自分ってもんを弁えねぇとな、とバンダユウは独りごちた。
いつの間にかゲンジロウたちの前には茶菓子が用意されていたので、お茶の前にそれらを嗜む。干菓子を摘まむゲンジロウは口数少ない意見を述べた。
「俺は……若の望む通りに動く」
若頭にとってホムラは絶対的な存在であった。
この男の穂村組への──正しくはホムラという組長への忠誠心はただならぬものであり、ホムラの命令にしか首を縦に振らない頑固者である。
補佐のマリが「若ちゃんを甘やかしすぎ!」と怒るくらいだ。
ゲンジロウにとって組長の命令は絶対であり、顧問や若頭が制したとしても聞き入れはしない。実際、イシュタルとの騒動でホムラが「お礼参りじゃ!」と宣言した時には、いの一番に出向こうとした。
それにレイジとバンダユウが「待った!」を掛け、懸命にホムラを説得することで命令を取り下げさせたのである。
「若が命ずるのならば……LV999が相手だろうと厭わない」
ゲンジロウの総身から漆黒の闘気が立ち上る。
たったそれだけで、茶室がサウナよりもきつい蒸し風呂となる。
漆黒の闘気は業火を超える熱気を誇った。
同時にゲンジロウの筋肉が軋み、鋼のような硬さと輝きを帯びた。
それを横目にしたレイジが慌てて制止する。
「いけませんゲンジロウ! その考えは身を……いえ、穂村組を、引いては若様を脅かします! 無鉄砲に打って出るのは止してください!」
「ならばレイジよ……おまえは負けっ放しのままでいいというのか?」
穂村組の恥辱を捨て置けと? とゲンジロウは睨む。
レイジは気後れしかけたが、組の実務を司る者として張り合った。
ゲンジロウの闘気に抗するため、青ざめた冷気を立ち上らせる。
極寒の冷気は室内の熱気を打ち消していき、レイジの周辺を見る見るうちに氷で覆っていった。いかにLV差があろうとも、レイジはゲンジロウへ意見するために命懸けで張り合うことを選んだ。
その選択は──穂村組を守るという決意の表明だった。
「武士は食わねど高楊枝、意地を張りたい気持ちはわかります……ですが、意地で組織を運営すれば自滅するだけです。相手の実力を見誤れば、あっという間に根底から崩されることでしょう……それほどの脅威なのです!」
──あのハトホルという女神は!
睨み合う若頭と番頭、せめぎ合う灼熱の闘気と極寒の冷気。
「ゲンジロウもレイジも……なんでこんな時ばかり喧嘩腰になんのよ! 兄弟なんだから仲良くしなさい! ほら、ここは可愛い妹の顔を立てて!」
あまりの緊迫感にマリは口を挟めずオロオロする。
「まあ、一杯飲んで落ち着けや」
タイミングを見計らったかのようにバンダユウが茶を差し出してきた。
息巻く2人を見守る瞳は「どちらも正しい」と告げている。
「穂村組の矜恃を貫きたいホムラやゲンジロウの気持ちもわかる……意地を張るあまり間違った布石を打って組を傾けたくねぇってレイジやゼニヤ君の意見もわかる……やだねぇ、年を取るとどっちもわかるようになっちまう」
もう偏れねぇんだな、とバンダユウは寂しげに言った。
飲め、と眼力で訴えるバンダユウに、番頭と若頭は啀み合いを止めた。
途端に熱気も冷気も鎮まり、茶室は平穏を取り戻した。どうなることかと肝を冷やしていたマリも大きな胸を撫で下ろす。
まずは上座のゲンジロウから茶碗を取り、作法に則って茶を頂く。
場が鎮まったところで、バンダユウは意見を述べた。
「ここは現実とは違う、夢か幻かファンタジーかって具合の異世界だ……おれが若けぇ頃は『なろう系』っつて、そういうお話が流行ったもんだが、まさかこの年齢で実体験するとはな……しかし、おとぎ話ってのは甘かねえ」
おとぎ話は時として、現実以上の残酷さを突きつけてくる。
そして、この異世界でも現実は残酷だった。
チート級の能力を得た穂村組でも生き抜くことさえ難しい。
「ゼニヤ君が運営会社のジェネシスからブッコ抜いてくれた情報のおかげで、おれたちゃこの世界で他の連中よりかいくらかマシに立ち回ってこれたが……こっちの思惑を上回るもんはいくらでもあるもんさ」
この異世界に巣食う強力強大なモンスター然り──。
原住民が恐れる、かつてこの世界を滅ぼした“外来者たち”然り──。
「……そして、おれたちを超える達人然り」
上を見ても下を見てもキリがない。
「だがな、穂村組はいつも生き残ることを最善として尽くしてきた。いいか、勝つためじゃねえぞ。生き残るためだ」
最後まで生き残る──これが勝者の絶対条件である。
「死んで花実が咲くものか、ってな……おれたちは先祖代々根っからの喧嘩屋だが、それだけは守ってきた。意地は張ろうとも死にたがりじゃねえんだよ」
バンダユウの言葉にレイジは賛意を示す。
ゲンジロウから茶碗を受け取り、折り目正しく一服をいただく。
「……だからこそ、穂村組の身代は続いてきたのです」
結構なお点前で、とレイジは畳に茶碗を置いた。
「穂村組がただ力と戦を追い求める狂犬の群れならば、織田信長に、豊臣秀吉に、徳川家康に、官軍に、そして明治政府に……時の為政者によってたちまち葬られたことでしょう。しかし、そうはならなかった……」
穂村組はある願いのため──生き残る道を選んできたからだ。
穂村組は血湧き肉躍るような戦いを望む。
だが、その裏には戦いの果てにしか手に入らないものを求めてきた。そのために各々の時代の覇者には逆らわず、彼らに頭を垂れてでも生き残ってきた。
「室町の世では悪党や婆娑羅と恐れられようとも、江戸の世にはヤクザ者と嫌われようとも、現代においては暴力団という型にハメられようとも……穂村組は今日まで命脈を保ってきた。それは偏に生存戦略を徹底してきたからだ」
強さを信条とするのは──逆境を生き残るため。
「勝てない喧嘩はするだけ損、ってあたしは思うけどねぇ」
マリは碗に残った最後のお茶を綺麗に飲み干した。
ハンカチで口元を拭うと、彼女らしい意見を他の幹部に説明する。
「イシュタルって子の時も、それを危惧したからレイジもオジさまも『仕返しすんのやめろ!』って口酸っぱくして言ったんでしょ? あたしらの前世代がインチキ仙人とかいう凄腕のオッサンにボロ負けしたのもあってさ」
そうだよ、とバンダユウは自嘲から唇をひん曲げた。
「どんなに足掻いても勝てねぇ相手ってのはいるものよ……それでも戦わなくちゃいけねえ時もあるが、少なくとも今はその時じゃねえ」
命懸けで意地を張る喧嘩だとて、時と場合と場所を弁えるべきだ。
何事においてもTPOは大切である。
──ハトホルに喧嘩を仕掛けるのは得策ではない。
これがバンダユウの下した決断だった。
「レイジの目から見てLV999ってんなら、まず疑う余地はねえ。もしも、偽装系技能でLVを誤魔化してたとしても、おれたちLVを詐欺るってんなら、そいつぁ間違いなく格上……どっちにしろ、勝ち目はねえよ」
そんな絶対的強者が「穂村組を潰す」と宣言してきた。
「おれたちが選べる道は2つっきゃねえ」
最後の1人が倒れるまで徹底抗戦か──?
さっさと土下座して全面降伏か──?
「ホムラも『1人にしてくれ』言うとったから、アイツなりに考える時間が欲しいんだろう。今すぐにでも攻め込むって雰囲気ではなかったからな……そこで、おれたち四大幹部としては意見をまとめときてぇのよ」
おれぁ謝りに行ったほうがいいと思う、とバンダユウは降伏に一票。
その理由をバンダユウは経験に基づく勘から、こう述べた。
「なぁーんかそのハトホルって姉ちゃん? インチキ仙人と同じ臭いがすんだよなぁー。アイツもたった1人の風来坊だとて舐めてかかったら、その1人に穂村組が畳まれかけたんだからよぉ……だから、穏便に行きてぇ」
まずは土下座してでも許してもらう。
「土下座はタダだ。元手がかからねぇ。その分、矜恃や意地は捨てる羽目になるが、生き残れりゃ御の字よ。後のことは後で考えればいい」
まずは──怒れる女神を鎮めるのが先決だ。
「私も謝罪に行くべきだと具申いたします」
直接ハトホルの脅威を目にしたレイジも降伏に一票。
「彼女の言葉に嘘はないと思われます……LV999の強者が徒党を組み、同盟を結んでいるとなれば、現状の穂村組では太刀打ちできません」
完膚なきまでに潰されます、とレイジは最悪の未来を予言する。
「そのような未来を回避するためにも、まずは早急な謝罪を……そして、原住民、いえ現地種族への奴隷制度を撤廃して、正規従業員として厚遇で雇うような改善を示さねば……穂村組は塵さえ残すことなく滅ぼされるでしょう」
「そこまでの女なのか……その、ハトホルというのは?」
右腕と言っても過言ではない──信の置ける弟分。
ゲンジロウにとってレイジは信頼の厚い部下だ。そのレイジが自分に楯突いて、ここまで弱腰を見せるなど尋常ではない。
さしものゲンジロウも、ようやく冷や汗をかくようになった。
ツバサ・ハトホル──伝え聞かされる凄まじさに肝が冷えてきた。
「若様の身を案じるのなら、ここは冷静かつ慎重に対処すべきです。ゲンジロウ、あなたは我々の中で唯一、インチキ仙人と立ち会っている」
ズクン、とゲンジロウの向こう傷が疼いた。
この傷は他でもない──インチキ仙人の手加減で負わされたものだ。
その後、先代組長が目の前で敗れ、尊敬する先輩組員もことごとく倒された。
あの惨劇と恐怖を、ゲンジロウは未だに拭うことができない。
インチキ仙人の影を払拭するため、LV999へと邁進する日々を送っていた。
「あれほどの脅威が……いえ、あれ以上の脅威がハトホルです」
レイジの断言に、ゲンジロウも固唾を飲んだ。
「かつては覇王・織田信長に頭を垂れて独立愚連隊として仕え、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の命で傭兵隊を解散して河原者へ身をやつし、徳川家康の開いた江戸幕府ではヤクザとして徒党を組み……」
現代においては暴力団に指定されても、穂村組は生き延びてきた。
「力を信奉とする我々ですが、所詮は無法者……反社会集団に過ぎません。体制という大義名分を持った強者には平伏してきました」
ツバサ・ハトホルは──平伏すべき体制を敷く強者かも知れない。
「ゲンジロウ……自分たちより強い者を認めたくないあなたや若様の気持ち、痛いほどわかります。ですが、気を逸らせてはいけません」
穂村組を──若様の未来を第一に考えてください。
ホムラを引き合いに出されたゲンジロウは、言い返す余地もなかった。
「オジさまとレイジが謝るなら、あたしも一緒に謝ってあげる」
穂村組でも事なかれ主義なマリも降伏に一票。
「強さに関して意固地になるのもいいけど、勝てないって相手に突っかかるのはおバカのすることよ。穂村組のみんなもお利口にならないとね」
そういって両手を上げたマリは肩をすくめた。
最後の1人、ゲンジロウは喉の奥で不満げに「ぬぅ……」と唸った。
「俺は…………若の命に従うのみだ」
若が徹底抗戦を選べば命尽き果てるまで戦うし、若がバンダユウたちと同意見で謝罪を選ぶのなら、そのツバサという女神に頭を下げるという。
「俺の判断は……若に委ねる」
「ゲンジロウ、それってズルくない?」
自分の意見で決めなさいよね、とマリは指を差して指摘した。
いいじゃねえか、とバンダユウはマリを宥める。
「謝りに行くが三票で、保留が一票ってことにしとくか……そんじゃあ、ホムラにお伺いを立てて……というより説得して、早いとこハトホルって姉ちゃんに謝りに行こうじゃねえの。段取りはレイジ、おまえの裁量に任せるぜ」
心得ました、とレイジは正座した脚に手をついて承諾する。
「うかうかしていれば攻め込まれかねないので、早急に対処いたします」
「おいおい、そんなに怒ってんのかよハトホル姉ちゃん……」
ますますインチキ仙人を思い出すねぇ、とバンダユウは力なく微笑んだ。
その時、茶室の外がいきなり騒がしくなった。
「た、たたた大変やぁレイジはん! それに顧問はん!」
茶室の扉が開くと金庫番のゼニヤを先頭に、マーナ一味まで一緒になって飛び込んできた。4人同時なものだから、狭い扉でギュウギュウ詰めになっている。
「やかましいな、そんなに慌ててどうしたゼニヤ君?」
バンダユウが柄杓を弄びながら尋ねると、ゼニヤは強盗に追われているみたいな血相で一大事が起きたことを報告してきた。
「これが慌てずにいられまっか! ホムラ様が…………ッッッ!?」
ゼニヤの報告より一足先に万魔殿が揺れ動く。
それはまるで──飛び上がるような震動だった。
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小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
異世界悪霊譚 ~無能な兄に殺され悪霊になってしまったけど、『吸収』で魔力とスキルを集めていたら世界が畏怖しているようです~
テツみン
ファンタジー
『鑑定——』
エリオット・ラングレー
種族 悪霊
HP 測定不能
MP 測定不能
スキル 「鑑定」、「無限収納」、「全属性魔法」、「思念伝達」、「幻影」、「念動力」……他、多数
アビリティ 「吸収」、「咆哮」、「誘眠」、「脱兎」、「猪突」、「貪食」……他、多数
次々と襲ってくる悪霊を『吸収』し、魔力とスキルを獲得した結果、エリオットは各国が恐れるほどの強大なチカラを持つ存在となっていた!
だけど、ステータス表をよーーーーっく見てほしい! そう、種族のところを!
彼も悪霊――つまり「死んでいた」のだ!
これは、無念の死を遂げたエリオット少年が悪霊となり、復讐を果たす――つもりが、なぜか王国の大惨事に巻き込まれ、救国の英雄となる話………悪霊なんだけどね。
平凡冒険者のスローライフ
上田なごむ
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26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。
平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。
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ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。
イレギュラーから始まるポンコツハンター 〜Fランクハンターが英雄を目指したら〜
KeyBow
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遡ること20年前、世界中に突如として同時に多数のダンジョンが出現し、人々を混乱に陥れた。そのダンジョンから湧き出る魔物たちは、生活を脅かし、冒険者たちの誕生を促した。
主人公、市河銀治は、最低ランクのハンターとして日々を生き抜く高校生。彼の家計を支えるため、ダンジョンに潜り続けるが、その実力は周囲から「洋梨」と揶揄されるほどの弱さだ。しかし、銀治の心には、行方不明の父親を思う強い思いがあった。
ある日、クラスメイトの春森新司からレイド戦への参加を強要され、銀治は不安を抱えながらも挑むことを決意する。しかし、待ち受けていたのは予想外の強敵と仲間たちの裏切り。絶望的な状況で、銀治は新たなスキルを手に入れ、運命を切り開くために立ち上がる。
果たして、彼は仲間たちを救い、自らの運命を変えることができるのか?友情、裏切り、そして成長を描くアクションファンタジーここに始まる!
30年待たされた異世界転移
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気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
異世界楽々通販サバイバル
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最近ハマりだしたソロキャンプ。
近くの山にあるキャンプ場で泊っていたはずの伊田和司 51歳はテントから出た瞬間にとてつもない違和感を感じた。
そう、見上げた空には大きく輝く2つの月。
そして山に居たはずの自分の前に広がっているのはなぜか海。
しばらくボーゼンとしていた和司だったが、軽くストレッチした後にこうつぶやいた。
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最遅で最強のレベルアップ~経験値1000分の1の大器晩成型探索者は勤続10年目10度目のレベルアップで覚醒しました!~
ある中管理職
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勤続10年目10度目のレベルアップ。
人よりも貰える経験値が極端に少なく、年に1回程度しかレベルアップしない32歳の主人公宮下要は10年掛かりようやくレベル10に到達した。
すると、ハズレスキル【大器晩成】が覚醒。
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チートスキル【ステータス上昇1000】を得た宮下はこれをきっかけに、今まで出会う事すら想像してこなかったモンスターを討伐。
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