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第12章 仁義なき生存戦略
第285話:化身たちの末裔
しおりを挟む天翔るビークルマシンが雲の群れを追い散らす。
悪ふざけで作られたママチャリとは違い、このサイドカーには風圧を減衰させる結界を張る機能が搭載されており、音速を超えるような速度を出しても制限速度内でバイクを走らせた時に感じる風圧に抑えられていた。
この結界の作用によってなのか、イヒコやヴァトがシートベルト無しで座っても平気だし、ツバサもノーヘルで運転できている。
神族なら振り落とされても平気、という安心感もあった。
眼下を見れば深い渓谷が広がっている。
幾星霜もの間、風雨に削られてきたことで尖塔のように残された岩山があちこちに林立し、その頭頂部が苔生したことで芽生えた緑が生い茂る。
ひとつとして同じものがない岩柱の群れ。
岩だらけかと思えばそこかしこに大小の川の流れがあり、それによって上流から運ばれてくる泥が豊かな緑を育んでいた。
「中国の山奥にこんな風景あるよね。動画で見たことある」
「ああ、奇景といって写真映えする風景だな」
ツバサも写真などで見た覚えがある。
確か──中国の武陵源という地域だったはずだ。
武陵源も一目見たら忘れられないインパクトのある絶景だったが、この一帯は更にスケールアップさせたような地域だった。
「あたし、映画でこんな風景見たことありますよ。確か……アバチャ?」
「それを言うならアバターじゃない?」
イヒコとヴァトも身を乗り出して見入っている。
「その映画の世界観のモデルになったのが武陵源って聞いたことがあるな」
ツバサさん物知りー、と子供たちに感心される。
「でも、こっちの方がスケール感ハンパなくない?」
ミロはサイドカーから顔を出すと、スマホ片手にパシャパシャと連射で写真を撮っている。バイクの脇を通り過ぎていく岩の柱をだ。
眼下に広がるどころではない。
一部の柱は天に届きそうなほど高く聳えており、ツバサの運転するバイクは木々の間を走り抜けるように、岩柱の間をすり抜けていた。
規模がでかいのでぶつかることはないが圧巻である。
「そりゃあ真なる世界だからな。現実世界と似たところはあちこちにあったけど、こちらは大陸からしてサイズが段違いだ」
似たような景観でも、それを上回るものがあって不思議ではない。
「上回るどころか越えてるけどな……」
行く手に広がるのは──幾重にも積み重なった段差のある台地。
台地のひとつは大きいものなら都市1つを軽々乗せそうな面積があり、小さくても大型テーマパークを開演できそうな規模がある。
そんな台地が積み重なる──天の果てまで。
いくつもの台地が上になり下になり、複雑に積み重なることで巨大な山脈を形成している。その頂上からは溶岩が噴き上がるのではなく、莫大な量の水がそれこそ噴水のように沸き上がっていた。
豊富な水脈にとんでもない圧力が掛かっている。
この二つが奇跡的に合致しなければ、こんな奇跡的な現象は起こるまい。
おかげで山頂にはいつも七色の虹が架かっている。
どうやら、この噴水山脈が一帯の水源になっているようだ。
噴火ではなく噴水する山頂から沸き上がる大量の水は、幅広の階段みたいに四方八方に広がる台地へ流れ落ち、そこに豊かな水場を作っていた。
上の台地で受け止めきれない水は、大小の滝となって下の台地に流れ落ちていき、そこで受け止めきれなければ更に下の台地へ……。
水を蓄えすぎて水田のような湿地帯になった場所もある。
日本人なら「とてつもなく大きい棚田が山になっている」と言い表した方が伝わるだろうか? どの台地も草むしりを忘れられた田んぼみたいに稲科や葦科の植物が生い茂っていた。探せば食用に向いた種があるかも知れない。
「この噴水みたいな山が奇景を作った張本人だな」
この一帯は硬い岩に覆われた岩石地帯だ。
しかし、あの棚田をバカみたいに積み上げたような山脈が噴き上げる莫大な水が、長い年月をかけて岩盤を削り、地中から吸い上げた豊かな泥土を巻いたおかげで、これほど豊かな緑を育んだのだろう。
独自の生態系を作り出し、多くの生命体が潜んでいるのを感じ取れた。
「──あっ、あの一番でっかい滝!」
あれなんじゃね? とミロは噴水山脈の一角を指差した。
そこだけ棚田のような台地がなく、山頂から直接流れてくる滝と、他の台地から落ちる滝が合流して、大きな幅のある滝となっていた。
ナイアガラの滝も裸足で逃げ出す超絶的な大瀑布である。
その滝を受け止める台地は完全に水没しており、まるで巨大な雨樋のように水を流して、そこだけ大河のような様相を呈していた。
そこから山脈の麓まで膨大な量の水を一気に落として、途方もなく大きな滝壺に濛々と水煙が巻き上がる大瀑布を作っていた。
偵察役のクロコが送ってくれた映像のままである。
「あれが隠し鉱山への入り口だな」
おそらく、あの背中に大河を渡した台地の下に三悪トリオが作った隠し鉱山と、現地種族のための隠れ里があるはずだ。手が込んでいる。
バイクを降下させ、近寄っただけでなくずぶ濡れになりそうな水煙を上げる瀑布へ向かう。ある程度まではバイクの結界が防いでくれた。
しかし、結界が無意味になるほどの水量だ。
「ここから先は特大のシャワーに飛び込むのと変わらないな」
「まともに浴びたら風邪ひいちゃうね」
傘さす? とミロは道具箱から大降りの傘を引っ張り出した。
取り出したのはビーチパラソルみたいな大きさの、露天用に使われる巨大な番傘だった。サイドカーから差してもバイク全体をカバーしてくれる。
しかし、水中にいるのと変わらない勢いの水煙には意味がなかった。
「ミロさ~ん、これ傘より合羽のがいいみたい」
「神族だから風邪を引くことはないと思いますけど……冷たいですよね」
イヒコもヴァトも全身を濡らす水煙に眉をしかめた。
神族は人間が衰弱しそうな暑さや寒さにも耐性があるので、この程度の水滴では風邪を引くことはおろか体調を崩すことさえない。
しかし、まとわりつく水滴は鬱陶しいものだ。
水を払う結界を張るか、とツバサが技能を発動させる。
「ツバサさん待った、お迎えが来るよ」
──寸前、直感&直観を働かせたミロが待ったをかけてきた。
宙を飛ぶバイクの行く手に突然、扉が現れる。
それはツバサたちの乗るバイクが通れるほどの大きさがある両開きの玄関みたいな扉で、こちらが近付くと観音開きな扉を外側へと開いていく。
「お待ちしておりました──ツバサ様」
扉の前に直立して頭を下げてきたのはクロコだった。
ただし本人ではない。彼女の分身ともいうべきメイド人形だ。
クロコは錬金術系の技能を駆使して、自分とよく似た容姿の操り人形を何百体も操作できる。それらを使役することで雑事をこなしていた。
彼女はマーナ一味の動向を探るために派遣された1体である。
メイド人形は基本的に人工知能(ダイン提供)と自律機能を有しており、家政婦や労働力として我が家でも働いているが、この人形は過大能力を使用しているのでクロコが直接コントロールしている状態だとわかった。
ちなみに、ジャジャの分身は解除すれば消える。
現地に待機するのはメイド人形だけで十分だったので、分身解除という形でジャジャは帰還させておいた。
彼女の誘導により、【舞台裏】へバイクを格納していく。
そこはガレージのように整理整頓されており、サイドカー付きバイクだろうと駐めるおけるスペースがあった。
せっかくなので駐車させてもらうと、ツバサたちはバイクを降りる。
メイド人形は人数分のタオルを即座に用意した。
ありがとう、と礼を述べて受け取ったツバサは、自分よりもミロや子供たちを先にテキパキと拭いてやった。子供優先、自分は後回しである。
「問題ないよ! アタシらがツバサさんを拭くからね!」
「拭いて拭かれて拭きっこですね、わかります」
ミロとイヒコは渡されたタオルを手にして、ずぶ濡れのツバサの身体を拭いてくれるのだが……明らかに拭いてる箇所を狙っていた。
「おまえら……胸とお尻以外もちゃんと拭いてくれよな」
そういうとイヒコは長い髪や顔も拭いてくれるが、ミロは頑なに乳房と臀部しか拭かない。手を伸ばしても太股か下腹部の際どいところとか……。
「ぬぅ……ツバサさん、表面積がパないから拭くの大変だ」
「悪かったな、デカ乳デカ尻で」
もはや触られたくらいでは性的な声を漏らすこともない。
いや、気持ちいいのは相変わらずだし、女性としての性感帯は発達の一途を辿っているのだが、公の場では耐えるようになれただけだ。
ミロが“身体を拭く”という名目で公然とセクハラをしていると──。
「ミロ様、イヒコ様、おふたりでツバサ様の豊満グラマラスボディを拭くのは大変でございましょう。不肖クロコもお手伝いをば……」
「メイド人形だろうとやらせるか」
ツバサはミロとイヒコの手からタオルを取り上げると、特大バスタオルを手に涎を垂らして近付くメイド人形に押し付けて遠ざけた。
「それで──彼らの様子はどうだ?」
タオルを押し付けたまま、ツバサはクロコに現地種族の動向を尋ねた。
これから隠し鉱山に殴り込むつもりだ。
マーナ一味の野望はわかっているが、痩せても枯れても穂村組の一員。
こちらが正々堂々と挑めば、「一騎当千」と威張り散らしている穂村組の面子に懸けてタイマン勝負を仕掛けてくるだろう。
そこから先はヴァトとイヒコの腕試しとなる。
修行の成果を見せてもらおう。
懸念があるとすれば──マーナ一味の庇護下にある現地種族だ。
猪のようなヴァラハ族と牛のようなナンディン族。
神族と魔族が戦うとなれば、その余波だけでも天変地異を巻き起こす。
現地種族が巻き込まれれば被災するのは必至だ。
彼らに被害が及ばせないためにも、ヴァトたちには細心の注意を払うように立ち回らせつつ、ツバサが結界系の技能で彼らを守るつもりでいた。
そのためにも状況把握は必須である。
女子供は隠れ里にどれくらいいるのか? 働き手の男衆は鉱山のどの辺りにいるのか? 動向がわかればツバサもカバーに回りやすい。
そこでメイド人形に調査を頼んだのだが──。
「その件なのですが──各部族の代表とコンタクトが取れました」
「……なんだと?」
思い掛けない発言にツバサは目を丸くする。
2つの種族の代表と接触できた? ならば、彼らを説得することで「マーナ一味との戦闘中は避難してほしい」と説得できるかも知れない。
マーナ一味を倒した後、ハトホルの国へ招く算段もすんなり行きそうだ。
隠し鉱山の調査よりもこちらの方が融通性が高く、現地種族に事態を理解してもらいやすい。ツバサたちの手間も省ける。
交渉力の高さ、手際の良さ、機転の早さ──。
何より、頼んだ以上の仕事をこなしてくれるクロコの有能さは拝みたくなるほど有り難いのだが、それゆえに残念でならなかった。
「これでセクハラ大魔王でなければ……エロスの権化でさえなければ……」
ツバサは両手で顔を覆って嘆いた。
「私からセクハラとエロスを取り上げたら、ただの高性能メイドです」
それでいいんだよ! とツバサは半泣きで抗議した。
「……まあいいや。それで、部族の長たちと接触して、それからどうした?」
ツバサの問い掛けに、クロコは立て板に水を流すように答える。
「はい、こちらが神族だとわかると素直に従ってくれました」
「……え?」
「どちらも神族に縁があるらしく、魔族より信頼度増し増しでございました」
「……は?」
「『さすツバ!』な事情を説明しましたところ絶賛されました」
「……な?」
「ついては『是非ともハトホル様に面会させていただきたい』と仰られ……」
「……へ?」
メイド人形は【舞台裏】の奥を示して促す。
「先ほどから各部族の代表があちらでお待ちです」
「おまえ本当に優秀だな!?」
エロ特化な性格さえなければ理想的なメイドなのに……。
~~~~~~~~~~~~
ヴァラーハとは──沈む大地を支えたという巨大な神の猪。
遙か昔、凶悪な魔神によって大地が海の底に沈んだ時、世界維持神ヴィシュヌが世界を救うために化身した姿のひとつとされる。
ヴァラーハは大地の下に潜り込むと、その牙の間に大地を挟んで海の底から持ち上げながら、大地を沈めた魔神を仕留めたという。巨大な大猪として描かれることもあれば、猪の頭に人の身体を持つ神として描かれることもある。
ナンディンとは──破壊神シヴァの乗り物とされる神聖な白牛。
生きとし生けるものの養育者とされる女神スラビーから生まれた純白の牡牛で、その背にシヴァを乗せる役目を持つが、時に牛頭人身のミノタウロスのような姿になって神威を現すこともあるという。
(※舞踏の神でもあるシヴァのため、音楽を奏でる役目も担う)
神としての権能は、すべての四足獣の守護神とされている。
どちらの名前もインド神話に見ることができた。
クロコとジャジャに偵察を頼み、各種族の名前がわかった時点でフミカに聞いてみたところ、よく似た名前を見つけてくれたのだ。
真なる世界に生きる者は、現実の伝承に記されていることが多い。
このため「彼らの種族名もどこかの神話にあるのではないか?」と読んでみたのだが、予想通りすぎて言葉もなかった。
クロコの【舞台裏】はそれほど広くはない。
神族や魔族に覚醒すると亜空間に倉庫ほどの大きさを持つ、“道具箱”を使えるようになるのだが、一部の過大能力はそれと結びつくことがあった。
ダインの【要塞】のように巨大工業地帯ほどの面積になることもあるが、クロコの【舞台裏】は文字通りの裏方部屋なのか、さして面積はない。
それでも階層型の内部に仕切られた部屋の数は多く、階段やエレベーターで繋がっているので、総面積だけなら大型百貨店ぐらいはあるだろう。
その一室──応接室として誂えられた部屋。
長いテーブルを挟んで、2人の大柄な男が座っていた。
年齢からして30代半ばから40代、種族の代表を務めるであろう男たちの背後には、それぞれ2人ずつ同じ種族の女性が立ったまま控えている。
彼女たちは秘書みたいなものらしい。
向かって左側にいる者たちは、猪に似た特徴を持っている。
椅子に座る代表者らしき男は40代前半。大柄な身体に作業着らしき衣服を着込んでおり、全身に実用的な筋肉をしっかりまとわせていた。
爪が蹄のように厚いのと、手や臑を覆う毛深い体毛が獣毛っぽいのが目立つくらいで、手足や五体はほとんど人間のものだ。
顔立ちは──猪と人を調和させた面立ちをしていた。
叡智を湛えた双眸、固く結ばれた口元。その下顎から突き出る牙は逞しく、大地を突き上げたというヴァラーハの逸話を思い出させる。顔の輪郭は人間に近いが、長く伸びた鼻面がイノシシ科の動物のそれだった。
顔や首回りは細かい毛で覆われ、頭髪に当たる部分の毛は後ろに向かって硬そうに伸びている。まるで年を経た猪のたてがみのようだ。
一方、お付きの女性たちは代表と比べると猪の要素が薄く、人間らしさが強めに現れている。体毛も薄く、顔立ちも鼻面ではない。
精々、牙のような八重歯が目立つだけの美人だ。
どうやら男性にだけ猪の風貌を強く現れる、種族的な体質らしい。
彼らがヴァラハ族──猪の種族である。
ヴァラハ族の反対、右側に座るのは牛の特徴を持つ者たち。
ヴァラハ族の代表も大きいが、こちらは更に一回り大きい体格をしている。立ち上がれば身の丈2mを軽々と越えるはずだ。マーナ一味支給の作業着もキツそうで、二の腕や胸筋の筋肉ではち切れそうである。
椅子に座る族長と思しき男は30代前半、まだ若さが抜けきってないが精悍そうな青年だ。モジャモジャと癖の強い天然パーマを肩に届くまで伸ばしており、その蓬髪の間から大振りな牛の角がニョキッと生えていた。
顔立ちは──ほとんど人間である。
鼻先がやや牛のように見えなくもないが、俗にいう鼻面が伸びておらず、骨格的にもほぼ人間。耳の形がちょっと牛よりなくらいだ。
ヴァラハ族よりも厚い手足の爪、やはり蹄の名残らしい。
あと、ヴァラハ族にはない(ズボンの下に隠せるのかも知れない)牛特有の長い尻尾が目立つ。角や尾に牛らしさが顕著だった。
こちらの女性2人もまた、人間寄りな容姿をしていた。
髪をかき分けて生える牛の角は族長のものより小降りだが、顔立ちは完全に人間そのもの。角や尻尾だけのコスプレといわれても違和感がない。
あと、牛だからなのか……胸とお尻の発育が著しい。
太っているわけでも肥えているわけでもないのに、どちらも神々の乳母に負けず劣らずのグラマラスボディだ。ヴァラハ族の女性陣もスタイルはいいが、痩せて見えるくらいである。
彼らがナンディン族──牛の種族だ。
ツバサに着いてきたミロが彼女たちを見るなり目を見張る。
「……JカップとKカップ、Lカップなツバサさんの勝ち!」
「やかましい、大人しくしてなさい」
ミロは勝ち誇るようにツバサの乳房を下から持ち上げる。
お客の前で騒がせるはずもなく、脳天に拳骨を落として黙らせた。
ナンディン族の爆乳を見るなり、鑑識眼などの技能を使ってバストサイズを計測したのだろう。牛娘たちより大きいとは……牝牛の女神の面目躍如か?
ツバサとミロ、それにメイド人形。
2人と1体が入室すると、室内に緊張が走る。
(※ヴァトとイヒコは出番が来るまで別室で休ませている)
ヴァラハ族もナンディン族もこちらに振り向き、畏敬と崇敬が入り交じる表情でツバサを見据える。見開かれた眼には感動が宿っていた。
「神々しい理力……まさしく神族! それも、かつてない強さの……」
「まさか、我々の代でこれほどの御方に拝謁できようとは……」
ツバサたちの登場に動揺を隠せていない。
そこに恐れや戸惑いはなく、かつてない幸運に感謝しているようだ。
色めき立つ彼らの前にメイド人形が出る。
「お待たせいたしました皆さん。こちらが先ほど説明させていただきました我が主にしてハトホルの国を治める二柱の神──」
大地母神ツバサ・ハトホル様と英雄神ミロ・カエサルトゥス様です。
クロコの紹介が終わるや否や、席に着いていた各種族の代表は床に跪き、お付きの女性たちも習う。こうして敬われるのは何度やっても慣れない。
慣れなされ! と頭の中でチョビ髭の乙将に叱られた。
大地母神の威厳を保ちながら、ツバサは彼らの挨拶を受ける。
「拝謁を願い出た我らの想いを聞き届けてくださり、感謝の念に堪えませぬ……申し遅れました、自分はヴァラハ族の首長ブリハと申すもの」
よしなに……と猪族の族長は目を伏せてお辞儀をする。
「この度はご尊顔を拝す機会をいただき、誠にありがとうございまする……わたしはナンディン族族長を務めますカジュヤンと申します」
以後お見知りおきを……と牛族の族長は深く頭を垂れた。
2人の挨拶を受けて軽く頷いたツバサは、柄ではないが偉そうな態度で「大儀である」と神様らしく返すと、2人の族長はますます畏まる。
やはり慣れない……ツバサは心中で苦虫を噛む思いだ。
それを表情に出さぬよう努め、2人の族長にまずは尋ねてみる。
「今現在、君たちは魔族の保護下にあるのは承知の上だが、俺た……ゴホン! 私たちに会うのをそれほど歓迎してくれるというのは……」
お察しの通りです、とブリハが上目遣いに返してくる。
「我らは神族の恩恵に授かりし一族。その父祖を辿れば、神族より恩寵を賜りて、その末席に連なることも許されたと聞いております」
言葉を継ぐようにカジュヤンも続ける。
「はい、ヴァラハ族の方々同様、我らナンディン族の太母スラビ様も神々の一員に加わることを許されたそうです。謂わば、我々は神々の眷族……」
それゆえ、神族を敬う気持ちも一入とのこと。
ハルピュイア族、ケンタウロス族、サテュロス族……いくつかの種族が「かつて神と交わった」と誇らしげに先祖のことを語っている。
どうやら神族は、大昔から多種族との間に子孫をもうけていたらしい。
彼らの先祖は当初、灰色の御子のように強力な能力を発揮し、神族の一員として働いたようだが、代を経るに連れて神族ではなく多種族の血が濃くなっていき、彼らのような神族由来の種族が生まれたのだろう。
ヴァラーハは世界維持神であるヴィシュヌの化身。
ナンディンは破壊神シヴァの乗騎にして女神スラビの息子。
どちらも神々の化身──その末裔ともいうべき存在だ。
シンパシーを覚えるとしたら神族と魔族?
こんな質問されたら十中八九、神族と答えるに違いない。
魔族を嫌悪している様子はないが、彼らなりに優先度があるようだ。
ツバサは族長たちに着席するよう促した。自分はテーブルの上座へ腰を下ろし、ミロは勝手に膝の上に座る。クロコはメイドらしく後ろに控えた。
ツバサが座ってから彼らは座り直す。礼儀を弁えている。
お付きの女性たちも立ち上がったところで、ツバサは話を振った。
「君たちがマーナ一味……あの魔族3人組の保護下にあることは知っている。彼らの元で働いているようだが、どういう経緯があったんだ?」
聞かせてほしい、とツバサは族長たちに問うた。
恐れながら……とブリハとカジュヤンは交互に話してくれた。
大体──これまで出会ってきた現地種族と同じである。
蕃神に荒らされた世界。食うや食わずの放浪生活を送っている彼らの前に、颯爽とマーナ一味が現れ、衣食住を惜しみなく提供してくれたという。
「たとえ魔族であっても、施しを受けたのならば報いて返すのが礼儀です」
「我らが言い出す前に、彼らは“報恩”を強いてきましたが……」
『働かざる者食うべからず──面倒見てやるから仕事しな!』
マーナ一味は泥人形と骨人形の大軍団を指揮して、あの隠し鉱山を1週間で作り上げると、彼らに鉱山夫となるよう命じてきたという。
「──遅い!」
突然、ミロが大声を上げた。
ツバサの膝の上でふんぞり返り、こちらの爆乳を枕にしてポヨポヨと遊んでいる子供みたいなミロの一言に、ナンディン族もヴァラハ族も目を白黒させる。
無礼を働いたか? と不安になったらしい。
しかし、ミロが「遅い!」と言及したのは──。
「あの隠れ里を作るのに1週間? 遅すぎる! ウチのダインとジンちゃんなら朝の起き抜けでお昼前には作っちゃうよ!」
「あの2人は特別だ。工作者としての情熱が暴走気味だからな」
はいどうどう、とツバサは変なところにいきり立つミロを宥める。
「ウチの子が話の腰を折った……続けてくれ」
ツバサが話の続きを求めると、ブリハからおずおずと再開した。
「は、はい……我らとしても恩を受けた以上、働いて返すことに異存はありませんでした。着るものや食べる物はふんだんに与えられ、働く時間も苛酷ではなく適切なもの……地獄のような旅を続けた日々と比べたら、あそこは楽園です」
しかし……言い淀むブリハの言葉を、カジュヤンが代弁する。
「マーナ殿たちが魔族であろうと、我が一族やヴァラハ族の恩人であることに変わりはありません。衣食住を保障されている以上、鉱山夫として奉仕するのは義務でもありましょう……ですが、彼らは何と言えばよろしいのか、その……」
カジュヤンもブリハのように言葉尻を濁してしまう。
そして、お付きの女性たちも小声で混じりながら「怪しいというかおかしいというか……」「ちょっと不審というか信用しにくいというか……」「小悪党というか小狡いというか……」などと口々に囁き合っている。
どうやら、マーナ一味を言い表す言葉が見つからないらしい。
「もしかして──胡散臭い?」
差し出がましいとは思ったのだろうが、メイド人形がポツリと呟いた。
「「「「「「──それです!!」」」」」」
これにはヴァラハ族もナンディン族も一斉に食いついた。
やはり純朴な真なる世界に生きる民の目線でも、あの三悪トリオは悪役に見えて仕方ないらしい。崇め奉る気にもならないそうだ。
「救われた恩、助けられた義理はあります。されど……」
「どうにも信用ならぬといいますか……あの方々はお声が大きくて……」
彼らの素振りから、今度はツバサが察した。
「ああ、なるほど……連中の会話は丸聞こえだったんだ」
クロコやジャジャが調査中、マーナ一味が「真なる世界を支配する!」みたいなことを豪語していた。“あれ”を色んな人に聞かれていたのだろう。
防音対策もしてないから、会話は筒抜けだったらしい。
ヴァラハ族もナンディン族も神族派。
世界征服を目論む魔族の手先になんて堕ちたくないはずだ。
そこへクロコを介して神族のツバサがコンタクトを図ってきたのだから、マーナ一味に不信感を抱いていた彼らにしてみれば光明だったろう。
「ハトホル様の御先神であらせられるクロコ様と出会えたのは僥倖でした」
「牝牛の女神様ならば、我らが太母スラビ様と姉妹のようなものです」
スラビ──またの名をカーマデーヌ。
インド神話の一大イベント“乳海攪拌”にて、ヴィシュヌの妻ラクシュミーなどと一緒に産まれた女神の一柱であり、牝牛の女神とされている。
インドやエジプト、オリエント地方には牛を象徴とする女神が多い。
牝牛の女神を祖とするナンディン族が神々の乳母に親近感を抱くのも当然であり、種族間で親好のあったヴァラハ族も同様だという。
ブリハとカジュヤンは両手をテーブルについた。
「「何卒、我らをお導きくださいませ…………神々の乳母様」」
恭しくも深々と、その頭を垂れてくる。
お付きの女性たちも縋りつくような瞳を投げ掛けてくると、助けてほしいと視線で訴えかけてきた。目は口ほどに物を言うとはこのことだ。
「……ハトホルの国について包み隠すことなく説明済みですので」
こっそりクロコに耳打ちされた。
いくら恩返しとはいえ胡散臭い魔族連中に奉仕するより、神族が「君臨すれども統治はせず」な国で、独立自治を認められるような生き方がその目に眩しく映ったのは想像に難くない。
これは──交渉も説得も必要ない。
クロコの下準備が行き届いているおかげで、スムーズに事が運びそうだ。
ツバサはヴァラハ族とナンディン族を受け入れる旨を、大地母神らしい台詞で伝えようと言葉を選んでいると──。
「わかった、みんなウチで面倒見てあげるね」
例によっていつもの如く、ミロが鶴の一声で承諾してしまった。
ヴァラハ族もナンディン族も「おお……ッ!」と感嘆の声を漏らし、ツバサの胸で仰け反り返っているミロに感謝の念を向けて拝んでいる。
美味しい決め台詞、またアホに持ってかれた!?
しかし、この場で声を荒らげるのも大人げないので、ツバサはツッコミを苦汁とともに飲み込んでおいた。ミロだから許した、というのもある。
「ウチのアホ……じゃない、ウチの子が言った通りだ。ヴァラハ族、ナンディン族、君たちにその気があるのならば、ハトホルの国は歓迎しよう」
ミロの両耳を引っ張りながら、ツバサは言葉足らずなミロの発言を埋め合わせるべく、両部族の代表に「君たちを迎え入れる」ことを伝える。
これを受けてブリハとガジュヤンは、再び机に両手をついて突っ伏した。
そのまま机を押し潰す勢いの土下座で感謝される。
「ありがたき幸せ、この御恩には必ず報いますぞ、ハトホル様……」
「感謝いたします……ナンディン族を代表して礼を申し上げます……」
ひとつだけお願いが、と両部族の代表は声を揃えた。
「あの方々は魔族と言えど、大それた野望を抱いていると言えども……我らの恩人に変わりありませぬ。できれば穏便に済ませていただきたく……」
「ハトホル様の領地を荒らした件は伺っておりますし、彼らに非があるやも知れませんが、どうか温情ある沙汰をお願いしたく……」
ブリハもガジュヤンも、マーナ一味の情状酌量を求めてきた。
路頭に迷うナンディン族とヴァラハ族を救った大恩人であるし、労働を強要すれども無体な真似はしていない。
何より──心の底から憎めない“悪役”なのだ。
ツバサは両種族の気持ちを汲み取り、笑顔を浮かべて返す。
「ああ、わかってるよ……殺したりはしない」
ちょっと懲らしめるだけさ、とツバサは悪戯っぽく微笑んだ。
「塩漬けにして100000年封印──でございますよね?」
メイド人形の無駄口は張り手で封じておいた。
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