想世のハトホル~オカン系男子は異世界でオカン系女神になりました~

曽我部浩人

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第12章 仁義なき生存戦略

第281話:縛る者は縛られる

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 誰もが目を見開いたまま固まっていた。

「そ、それがしたちが…………神族に?」

 ようやく呟いたのはオリベだった。

 ツバサを凝視して固唾かたずを飲み、禿頭とくとうから冷や汗が流れ落ちる。

「神族とは即ち……ツバサ様たちと同じ、ということですか?」

 次に言葉を発したのはイヨだった。

 発言の意図をまだ読めておらず、薄氷はくひょうを踏むように慎重な問いだ。

 ツバサはまぶたを閉じて一呼吸し、言葉を選んで口を開いた。

「俺たちと同じ──神族という意味でならその通りです。しかし、失礼ながら同列に扱うというわけにはいきません。あなた方は自力では神族になれない。俺たちが力添えする以上、そこに明確な優劣が生じてしまう」

 順を追って説明します、とツバサは本格的な説明に入る。

「俺たちも元を正せば人間だったことはお話しましたが、魂の経験値ソウル・ポイントを積み重ね、LVレベルという強さの段階を昇り……紆余うよ曲折きょくせつを経て神族になりました」

 イヨやオリベたちもまた、似たような経緯けいいを辿っている。

 しかし、その始まりに相違点そういてんがあった。

「皆さんは肉体を持ったまま真なる世界ファンタジアに飛ばされてきた。その肉体がこの世界の“気”マナと反応して、あのような妖怪じみた変化を起こしていました。一方、俺たちはアルマゲドンというツールを介したことで、肉体を脱ぎ捨ててアストラル体……いわゆる魂だけとなってこちらの世界に転移してきた」

 現実で生きてきた身として、こういう表現は控えたいが……真なる世界では現実での肉体など『重り』や『かせ』、あるいは『不純物』でしかない。

 創造神のはしくれでもある起源龍オリジンジョカも言っている。

地球テラで生きる者たちが魂にまとう肉体は重すぎる。人間は生まれた時から物凄い重りを背負わされているようなものだよ』

 プレイヤーはアルマゲドンを使うことで、肉体から魂とも言えるアストラル体を抜き出され、真なる世界へと転移させられてきた。

 これは肉体という不純物を取り除かれたようなものだ。

 強い“気”マナに満たされた真なる世界ファンタジアの大気にアストラル体はよく馴染む。

 一方、イヨやオリベたちは不慮の事故によって肉体を持ったまま、人間のままでこちらの世界へと強制転移させられてきた。

 それが──彼らの身を蝕んだ。

 アストラル体が解放される以前に生身の肉体が“気”マナに過剰反応したらしい。

「自らの肉体が……私たちを変質させたのですよね」

 イヨがほんの少し懐かしむように呟いた。

「そうです。この世界の濃密な“気”マナがあなたたちを変えてしまった」

 だが、地脈の安定した“気”の静かなハトホルの国で暮らすようになってからは肉体の変化は落ち着き、多くの者が元の姿を取り戻していた。

「現実世界から持ち込んだ肉体も真なる世界にすっかり馴染んでいるようですし、身体面や健康面では問題ないでしょう」

 あなたたちはもう──真なる世界ファンタジアの住人です。

 念を押してツバサは話を続ける。

「肉体を持ったまま真なる世界へ強制転移させられているためか、プレイヤーとは異なるものの、あなた方もこちらの世界の規範ルールのっとっている」

 彼らもまた魂の経験値ソウル・ポイントを重ね、LVという階段を昇っていた。

 イヨやオリベはLV800前後、ウネメたちも700を越えている。

 神族化してもLV2~300にしか届いていない雑魚ざこプレイヤーが多かったことを考えれば、彼らは生え抜きと言えるだろう。

「あなた方はこの世界に飛ばされてきて、死に物狂いで生きてきた。決して諦めず、同じ境遇の者に手を差し伸べ、仲間として受け入れ、幼い子供たちを守ろうと懸命に戦ってきた……それがたゆまぬ研鑽けんせんとなったのでしょう」

 ツバサは惜しみない賛辞さんじを述べさせてもらった。

 こちらの「神になれ」という発言の戸惑いこそ消えないものの、送られた賛辞にほんのり表情に喜びを浮かべる一同。しかし、困惑は拭えていない。

 その困惑を解消するためにも話を続けた。

「俺たちは魂の経験値を費やして自分たちの能力を上昇させる際、ステータス画面……いや、様々なものを数値として可視化できたので、自分の好きなように能力を向上させることができました。神族になれたのもそのひとつです」

 これはアルマゲドンというツールのおかげだ。

 VRMMORPGのソフトだったアルマゲドンには、様々な機能が盛り込まれていたと考えるべきだろう。

 人間の肉体から魂を切り離して真なる世界ファンタジアへ飛ばす転移させる機能。
 魂の経験値を初めとした自身のつちかってきた能力を可視化できる機能。
 可視化した能力をステータス画面で操作できるカスタマイズ機能。

 この可視化・・・が有利に働いている。

 人間、目に見える数字の上下には敏感になるものだ。数字が低ければ補おうとするし、数字が高まれば優越感というやる気を出すこともある。

 行動する意欲を焚きつける指標となるのだ。

「しかし、あなたたちはその恩恵に与れていない」

 ゆえに艱難辛苦を乗り越えて得た魂の経験値が、無意識のうちに自身の強化へと費やされ、自然とレベルアップしたようだ。イヨやオリベ、それにオサフネの過大能力めいたものも、その過程で覚醒したのだろう。

「フミカが何度も分析した結果、あなた方と俺たちは本質的に大差ないということ……元を正せばどちらも人間であり、魂の在り方に何ら違いがないということがわかりました。ならば、魂の経験値も同じものだ」

 違いは──ステータス画面での操作ができるか否かくらい。

 実のところ、ツバサたちはもうほとんどステータスに頼っていない。

 見ようと思えば確認できるのだが、いちいちステータス画面を確認せずとも感覚的に魂の経験値がわかるし、LVや技能スキルなどに割り振れる。

 イヨたちもまた、知らず知らずの内に慣れていたようだ。

「あなたたちに向上心がある限り、魂の経験値は積み重ねられ、LVという強さの段階を昇っていくこともできる。しかし……」

 恐らく──自力による神族化は不可能。

 アルマゲドンは真なる世界に転移させられてきたプレイヤーのサポートツールというだけではなく、恩恵と呼ぶに相応しい加護を備えていた。

 最強の種である神族への進化はその最たる例だ。

「フミカとその姉であるアキさんに調査を頼んでいますが……アルマゲドンのシステムをこちらに持ち込んだり、俺たちのような能力の可視化をこの世界に生きる者に与えられるかどうかを試させても……」

「無理──のようですな」

 ツバサの表情を読み取ったオリベが察してくれた。

 まずアルマゲドンをソフトウェアとして持ち込むことが不可能だし、持ち込んだところで真なる世界にいる今では転移装置の意味はない。ステータスの閲覧だけをこの世界の住人に付与することもできないという。

 肝心の神族化への手段など見当もつかなかった。

「だが──俺たちならあなた方を神族にすることができる」

 ツバサは眷族化について説明した。

 高位の神族が貯め込んだ魂の経験値を分け与えることで、与えた者を神族や魔族にすることができ、種族変更やLVアップに能力強化もできる。

「本質的には同じなのだから、この方法でなら神族化できるはずです」

「我らを……神々の末席に加えていただけると……」

 オリベの声は震えていた。

 思い掛けない話なので受け止めるのが難しいようだ。

 戦慄せんりつ畏敬いけい昂揚こうよう動揺どうよう……様々な感情がオリベの喉を締め付けている。

 しかし、望外ぼうがいな申し出に歓喜の色も滲んでいた。

 織田信長の一武将として奉公し、豊臣秀吉に大名へと取り立てられ、徳川家康が幕府を開いた頃には天下一の茶人と呼ばれた彼もまた、類い希な出世街道を駆け上ってきた人物である。

 その自分が──ついに神の一員となる。

 恐れ多くはあるが、更なる高みへ登れる喜びを噛み締めていた。

 彼の部下でもある三将も言葉を失っている。

 思いの外、ツバサの言ったことは爆弾発言だったらしい。

 だが、自分たちも神族になれるという趣旨しゅしを理解すると色めき立った。

「私たちも……神になれるのですか?」
「え、おれも……? その場合、おれ女神になるのツバサ様みたいに?」

 オサフネは神妙な面持ちでゴクリと喉を鳴らすが、ウネメは人差し指で自分を差して変なことを気にしていた。案外、大物なのかも知れない。

「…………ッ! …………んんんッ!」

 ケハヤはあぐらをかいた両膝をがっしと両手で掴み、鼻息も荒く身を乗り出そうとしていた。興奮するものの奇声を上げる癖を抑えているらしい。

 一方、イヨは──。

 いつも閉ざした瞼をうっすら開けると、その吸い込まれそうな銀色の瞳でツバサやオリベ、それに三将たちの顔色を気付かれぬよう窺っていた。わずかな驚きから開かれた口は袖元で上品に隠している。

 おやまあ──そんな風に言いたげだった。

 外見は10歳の幼女なのに、リアクションは老女のそれである。

 間を置いても興奮が冷めることはなく、神族になれると聞いてヒートアップするばかりのオリベたちに、ツバサは釘を刺さざるを得なかった。

「残念ながら! ……いい話ばかりじゃありません」

 最初の一言を強めに発言して、沸き立つ彼らの気を引いた。

 ツバサの鋭い語気ごきから勘付いてくれたのか、オリベが眉を引き締めると後ろ手に手を制して三将を鎮まらせた。その視線はツバサを硬く見据えている。

「神になるための対価……もしくは代償を求められると?」

 ツバサは目を伏せると悲しげに首を左右へ振る。

「いいえ、対価も代償も……あなた方に求めるものはありません。ただ、眷族化によって神族になった場合……その契約はあなたたちを縛ります」

 眷族契約──眷族は主人に絶対服従。

 その事実をツバサは噛んで含めるように説明した。

「……無論、俺はあなたたちの自由を奪うような真似はしたくない。眷族になっても自分の意志で行動してもらいたいし、意見があるならばどんどん俺たちに言ってほしい……だが、もしも、最悪……たもとを分かつような事態になれば……」

 その時──眷族となった者は即座に死ぬ。

 眷族化とは上辺だけの臣従しんじゅんではない。

 生殺与奪の権利を主人に委ねる、全身全霊を懸けた服従に等しい。

 眷族になろうと冗談交じりにタメ口を聞くことも、馴れ馴れしく接してくることも、自分の意見を押し通すことも、ツバサはとがめるつもりはない。

 しかし、本心から逆らえば即死だ。

 妖人衆とは良好な関係を結べているから、そんなことはあり得ないと思いたいが、未来に何が起きるかわからないのが世の常。

 ──予定はいつも未定なのだ。

 だからこそ、「眷族になれば決して逆らえない」と明かした。

「代償や対価と言えば……皆さんの命その物ということになるでしょう」

 この事実を説明するツバサは辛かった。

 オリベたちを眷族化により神族へと昇格させること──。

 これはハトホルの国の防衛力を高める計画の一環だった。

 敵性プレイヤーや蕃神が現れた際、その対応はツバサたちで行う。妖人衆を初めとした国民たちが相手をするには時期じき尚早しょうそうというもの。いずれは立ち向かえるほど種族全体がレベルアップしてほしいところだが……まだ早い。

 しかし、この世界は何が起こるかわからない。

 ツバサたちの対処が追いつかず、蕃神の魔の手がハトホルの国に及ぶこともあるかも知れない。そんな非常事態のために備えておきたいのだ。

 スプリガンたちに新たな『巨鎧装甲』ギガノ・アムゥドを与えたように──。

 イヨを初めとした妖人衆のトップ5。オリベたちを眷族として神族へ昇格させることで、ハトホルの国を守る戦力を補充する算段だった。

 この計画とて、彼らを“駒”ユニットのように扱っているも同然。

 更に──イヨやオリベたちの存在を縛る。

 たとえツバサがイヨたちに全面的な自由を認めようとも、交わした眷族契約は彼らを拘束する。決してツバサに逆らえない奴隷にしてしまうのだ。

 そのことが心苦しくて堪らないツバサだったが──。



「これはこれは……ツバサ様の弱味・・をひとつ、握ってしまいましたな」



 オリベは思い掛けない答えを返してきた。

 悪代官と手を組んで悪巧みをするような、ずる賢い小悪党の表情を作ったオリベは歯茎まで剥き出しにして「ゲヒヒヒ」と薄汚い笑顔になった。

 まさかの反応にツバサも呆気に取られる。

 こちらが呆けているのをいいことに、オリベは広間に響き渡る大声で朗々と語り出した。外連味けれんみたっぷりに迫力ある喋り方はまるで弁士の説法だ。

「この地を治める大地母神たるツバサ様とて、一年前は我が息子と変わらぬ二十を数えたばかりの男子。それがこの異世界にて覇を唱える神王となられているのだ、その気苦労は我ら凡将ぼんしょうには計り知れますまいて……」

 心に降り積もる苦労は──やがておりへと変わる。

おりは澱みとなり、いずれ心を濁らせていく……その濁りは本人も知らず知らずの内に両の瞳を曇らせていき、心をも蝕んでいくもの……為政者いせいしゃはそうしたくらいものに心を汚されものです……」

 太閤殿下や駿府すんぷの御隠居様さえ──その晩節ばんせつを汚した。

 彼らに限らず、諸外国の王も老いてなお権勢を誇れば、必ずと言っていいほど愚にもつかない行動をしたものだ、と博識なオリベは説いてくる。

「ツバサ様とて人の子、いずれ御政道ごせいどうを踏み外すことがあるかも知れませぬ。色に溺れて欲に塗れて民草を蔑ろにする暗君あんくんになる未来もあれば、怒りや憎しみに駆られて民を虐げる暴君になる可能性とてございましょう……」

 その時こそ──それがしの出番にござる!

 オリベは一喝するかの如く意気を強めると、手にした扇子をバッと広げてこちらに見せてきた。一瞬、そこに描かれた絵に目を奪われる。

 遊女みたいに着飾ったツバサがゆったり横たわる姿が描かれていた。

 着物の胸元ははだけて谷間どころか乳房の6割……いや、7割ぐらいは覗けているし、着物のすそから艶めかしい太股をさらけ出している。手には煙管らしきものを持っており、桃色の紫煙しえんで覆われるようにデザインされていた。

 ツバサは「いつの間に作ったそんなの!?」と怒鳴り声を上げたかったが、眼を剥いて驚いている隙にオリベが間髪入れずに言葉を発する。

 扇子せんすに意表を突かれ、出し抜かれてしまった。

 こういう会話の主導権争いは老練ろうれんなオリベに敵わない。

 扇情的なツバサが描かれた扇子で顔を仰ぎ、オリベは説法論調で続ける。

「あるべき政道を踏み外したツバサ様の御前に、それがしが颯爽さっそうと立ちはだかりましょう。その時の衣装はそうですな……着る物は羽織にはかま、帯からふんどしに至るまで白一色。鎧兜に刀の装飾までも純白に染めたものを御覧に入れましょう」

「白一色って……それは……」

 日本人にとって白装束とは──死に装束だ。

 全身を白ずくめのコーディネイトで極めたオリベが道を見失ったツバサの前に立つということは、死を覚悟したということ。

 自らの意図をツバサが理解したと見たオリベは、口元こそ下卑た笑いを浮かべたままだが、その両眼はっすぐ真摯しんしにツバサを射貫いていた。

 身振り手振りを交えて演技過剰に──オリベは熱弁を振るう。

「白装束のそれがしは道を見失ったツバサ様の前に立ち、困窮こんきゅうに喘ぐ民の気持ちを代弁するように罵詈雑言を浴びせかけて進ぜましょう。そして、正しき道を説いたところで、腰の刀を抜いてツバサ様に斬りかかるのです」

「そんなことをしたら、オリベさんは……」

 前述の通り、眷族になった者は逆らうことを許されない。

 主人であるツバサに刃を向けた時点で、全身が弾け飛んで死ぬはずだ。

「そう! 拙者せっしゃの刃は届くことなく、哀れ虚しく散ることでしょう! しかし! その身を捧げるように暗君に忠言を果たした忠義ちゅうぎの士として、末永くハトホル国に語り継がれる英霊となりましょうな……」

 ハタハタと扇子を仰いでいると、口元のチョビ髭が乱れる。

 それを空いた手で撫でつけてオリベは笑みを濃くした。

「それがしにこのような華々しい死出しで花道はなみちを歩かせたくなければ、ツバサ様には正しき政道を執り行っていただくしかありませんな。そのためならば、この老骨に鞭打って励ませていただきますぞ」

 不惜ふしゃく身命しんみょうの覚悟をもって──オリベはそう結んだ。

 話し終えたオリベは先ほどまでの下卑たえみはどこへやら。その口元には涼しげな笑みを湛えていた。それは子供の成長を見守る父親のようで……。

「それを……俺の弱味だと……言ってくれるんですか……?」

 気付けば──ツバサの瞳は涙で溺れそうだった。

 へうげものである彼はお調子者ぶって笑いを取るように弁舌を振るっていたが、ツバサの心中をおもんぱかるった彼の気持ちは痛いほど伝わっていた。

 ツバサ殿の眷族となること、承知いたしましょう──。
 あなた様を主人と認め、忠臣になることも誓いましょう──。
 だから、そう自分を責めることはおやめなされ──。

「あれもこれも1人で背負うことはありませんぞ……この国と民を守りたい気持ちはそれがしとて一緒、少しは我らにも荷物を分け与えなされ」

 あなたが道を踏み外したら──我が命を以ておいさめいたしますから。

 バシッ! と音を鳴らしてオリベは扇子を閉じる。

「我らを眷族とはいえ神族に召し上げてくださるのは、この国の戦力補充……軍備を整えるためでござろう? 万が一、ツバサ殿たちが出払ったところで、この国が敵勢力に襲われた際、民を守るための力として……」

 ツバサの意を汲むようにオリベは核心に触れてきた。

 茶人として身を立てたとはいえ、戦国乱世を生き抜いてきた乙将。

 ツバサの魂胆など見透かされていたようだ。

「この世界では万の兵力よりも、過大能力おーばーどぅーいんぐという神通力を備えた神族が1人いる方が心強い……それを考えたら当然の采配ですからな」

 もちっと──殿上人てんじょうびとの腹芸を覚えなされ。

 オリベは髭を直しながら眉尻を下げ、諭すように告げてくる。

「ツバサ殿はこのハトホルの国の女主人。我らはそれに仕えるしんですぞ。『神族に召し上げる』という褒美を与えてくださるなら、『もしもの時は国と民を守れ』と命ずるだけで我らは喜んで働きましょう。それで良いのです」

 逆らえば死ぬ、などと不利益は教えずとも良い。

「我らとツバサ殿では戦う力が雲泥の差……眷族になろうとも神族になろうとも、逆らうとなれば死を覚悟するのは必定でござるぞ? 詫びるようにお伝えくださることもありませんし、あなた様が自責の念に駆られる必要もありますまい」

 何より──妖人衆は神々の乳母ハトホルに大恩がある。

 くらあなの底で怪物に変わりながら隠れ潜むしかなく、幼い子供らも同じ目に遭わせかけていたところ助けられた。その後、楽園と見紛うハトホルの国で暮らすことを許され、その庇護の元で幸せな毎日を営めている。

「これだけのことをしてくださった大恩人には、命の1つや2つを捧げて報恩ほうおんするのは将たる者の務め。ツバサ殿が悪びれることなどひとつもないのです」

 人が良いのも考え物ですぞ、とオリベに苦笑された。

 ツバサは瞳から溢れる涙を止めることができず、ガクガクと震えそうになる顎を噛み締めるのが精一杯だった。我慢できずに片手で覆うように顔を隠す。

「泣かせるようなこと……言わないでくださいよ……」

 唯々ただただ、オリベの心配りが嬉しかった。

 おかげで「オリベたちに重責を課す」と身構えていた覚悟を、少しだけだが解きほぐれた。説得された気分だがオリベに感謝したい。

 涙声のツバサに、オリベは穏やかな表情で会釈するだけだった。

 そういえば前にも誰かに「ツバサは誠実が過ぎる」と呆れられた覚えがあるが、あれは誰だっただろうか……?

 すると、後ろからヒソヒソ話が聞こえてくる。

「ツバサちゃんはそういうとこ“3ジメ”だからなぁ」
「なんじゃい、3ジメとは?」

 黙っていられなくなったセイメイの軽口に、“3ジメ”という初耳な単語に反応したドンカイが尋ねる。セイメイは指折り数えた。

「真面目、生真面目、くそ真面目ってな。これで3ジメよ」
「誰が3ジメだ、この穀潰しニート侍」

 ツバサは嬉し涙を堪えながら、セイメイのくだらない話にツッコむ。

 オリベの長い口上が終わるのを見計らい、イヨが静かなれど聞き逃せない口調で話し掛けてきた。なんとなくツバサは気を引き締めてしまう。

 例えるなら、祖母の説教を受ける孫の気分だった。

「私はかつて邪馬台国やまたいこくを治める際、鬼道という呪法を用いておりました。その教えを初めて受けた時、卑弥呼ひみこ様はこのように仰っておられました」

 呪法とは相手を縛ること──それはまた、己も縛ることである。

「後の世には“人を呪わば穴二つ”という言葉があるそうですが、意味は似通ったものでしょう……呪う者は呪われる、縛る者は縛られるのです」

 ツバサがイヨたちを眷族として縛るならばその逆も然り。

 イヨたちもまたツバサを主人として縛るのだ。

「縛られる者の負担は当然のことですが、縛る者もまた重荷を背負うのです。それは責任とも言えますし、もっと違うものかも知れません……あえて良い言葉を選ばせていただくならば、私たちを結ぶ“絆”きずなと言い換えてもいいでしょう」

 ハトホルの国という大切なものを守るための“絆”。

「すべてをツバサ様がおひとりで背負うことはないのです」

 イヨは滅多に開かない瞼をゆっくり持ち上げると、澄み切った銀色の瞳でツバサを見つめる。その輝きには例えようもない優しさが宿っていた。

 そして、柔らかい慈愛の微笑みを浮かべた。

「大切なことを打ち明けてくれたあなたの誠実さ──」

 とても尊いものですよ、とイヨは飾らない言葉で褒めてくれた。

 セイメイの軽口にツッコんだおかげで気が紛れたのか、止まりかけていたはずの涙が再びこぼれてきた。今さら手で覆ったところでバレバレだろう。

「あ、あ……ありがとうございます……ッ!」

 ツバサは涙で頬を濡らしたまま、イヨとオリベに改めて頭を下げた。

   ~~~~~~~~~~~~

 妖人衆トップであるイヨと、その補佐であるオリベの承諾は得られた。

 彼らの部下でもある三将の意見も聞こうとしたのだが、オリベは「それには及びませんぞ」とこちらに掌を突き出して制した。

「こやつらは我が家臣。それがしがツバサ殿の眷族神になると認めた以上、それに追随ついずいするのが家臣の勤めというもの。問答無用で眷族にしてくだされ」

「「「──ちょっと待てへうげもの親父!?」」」

 雑な扱いを受けたオサフネ、ウネメ、ケハヤは一斉に異議を唱えた。

 異口同音だが声を揃えてツッコむ言葉も同じ……あれ? 言葉を喋れないケハヤも叫んだように聞こえたんだけど気のせいか?

 今まで大人しく話を聞いていた反動もあるのか、全員片膝をついて立ち上がろうとしており、ウネメやオサフネなどはオリベに掴みかかる勢いだ。

 いや、実際に掴みかかっていた。

 主従関係もなんのその、2人は押し合いへし合いで前に出てくる。

「私たちとてツバサ様の提案に異論はないし眷族化のお話にも大賛成だが、大将が私たちの発言権を封じるのはなんか違うだろ! ツバサ様! 僭越せんえつながら我らにも一言なにか喋らせていただきたい!」

「ハイハイハーイ! ツバサ様、オレたちも眷族化します! 全然お受けしますよ! オリベの大将! 散々1人でカッコつけといてオレたちの番になったらハイ省略っておかしいだろおい!? ちったあオレたちにも言わせろこら!」

「…………ッ!! ッッッ…………ッ!」

 ケハヤは何も言わず鼻息も荒く立ち上がる。

 他の2人の意を汲んだのか、その長く大きな手でオリベを鷲掴みにすると後ろに押し込んで、自分たち三将が前に出てきた。

 全員、あぐらを組み直して両の拳を畳に付けて頭を下げてくる。

「大恩あるツバサ様の眷族になれるというなら恐悦至極! 鍛鉄たんてつのオサフネ、一意専心の気構えを以てして、この国の鍛冶にまつわる全ての発展にこの身を捧げとうございます! どうか、よろしくお願い申し上げまする!」

「もはやハトホルの国はオレたちの新しい故郷! やっとう・・・・しか能がないオレですが……妙剣のウネメ、この国を守れる力を得られるならば、喜んでツバサ様の眷族となり、皆を守るために戦うことをこの剣に誓いましょう!」

 オサフネ、ウネメと順に「眷族になります!」と誓いを立てていく。

 ケハヤも彼らに習ってあぐらで座り、両方の拳を畳に押し付けて頭を垂れているのだが、いつもの奇声を上げずに黙り込んだままだ。

 ……いや、何か言いたそうにしているが、口が重い様子である。

 しばらく間が空いた後、上品なため息が漏れた。

 見るに見かねたイヨが瞼を閉じたまま短いため息を漏らしており、薄目を開けると息子に言い聞かせる母の口調でケハヤに申し付けた。

「ケハヤ様、いいかげん喋れないフリ・・・・・・はおよしなさい……こんな時ぐらい、ちゃんと気持ちを言葉にしてツバサ様に伝えないと失礼ですよ」

 ビクン! とケハヤの肩が大きく震えた。

「喋れない……フリ?」

 ツバサが小首を傾げると、真似するようにセイメイとドンカイも首を曲げた。

 本当は喋れるのか? あの奇声はケハヤの演技?

 おかしいとは思っていた。

 真なる世界ファンタジアでは一定の知能を持つ者が言葉を発すれば、相手に理解できる言語となって伝わるのだ。おかげでこの世界の住人とも意思疎通できている。

 ケハヤの奇声だけ、その法則に当てはまらないので不思議だったが……。

 母親が息子を調教するようなイヨの眼差し。

 ツバサたちからの疑惑の目が追い打ちで浴びせられると、ケハヤは恐縮したかのように畳にぬかずいてしまった。こめかみには冷や汗が光っている。

 イヨは口調を柔らかくしてケハヤに諭す。

「大丈夫です。少々驚かれるかも知れませんが、ツバサ様たちがあなたを笑うことなどありません……私たちもなんとはなしにわかっておりますから……」

 イヨに諭されたケハヤは、微かにだが身震いをした。

 畳に額ずくように下げていた頭を徐々に持ち上げていくと、ツバサたちに視線を返しながら、野人というより武人らしい面持ちでゆっくり口を開いた。

「…………お、おれも……ツバサ様の眷族にしてください!」

 ケハヤの声を聞いた瞬間、ツバサは驚愕のあまり目を剥いてしまった。

 同時に余計なことを口走らないよう唇を硬く噛んでいた。

 物凄く高い音程──そして、聞き惚れそうな美声。

 ケハヤは極上のボーイソプラノだった。

 聞きようによっては麗しの歌姫が奏でる、鈴を転がすようで耳をとろかすような美しい声だ。こう言っては失礼だが、巨漢のケハヤから発せられると「声優さんを間違えてない?」とかツッコミたくなる。

 野人じみた巨躯きょくに、不釣り合いなくらい高い美声。

 これを笑われるのが嫌で、ケハヤは言葉ではなくあのような奇声を上げていたのだろう。本当に失礼だが、ツバサも噴き出しそうになった。

 横目を振れば、ドンカイも頬を膨らませて爆発寸前だ。

 笑うことは失礼だと重々承知しているが、ここまで釣り合わない体格と声に不自然さを覚えると、その滑稽さに笑いがこみ上げてしまう。

「ぷぅわっはっはっ~ッ! こ、声高ぇ~! に、似合わねぇ~!!」

 そして、セイメイはケハヤを指差して全力で笑い転げていた。

 ツバサとドンカイはコンマ0.00001秒で同時に百烈拳を放つと、拳が摩擦熱で白煙を上げるまで笑い転げるセイメイをタコ殴りにした。

「おまえという男は……ッ!」
「……ッたく、ちったあ大人にならんかい!」

 顔をたんこぶだらけにしたセイメイは正座で謝った。

「ご、ごべんばざい……お、おおお、大人げながづばべず……ッ!」

 セイメイに爆笑されたものの、ツバサとドンカイが一瞬にも及ばない短い時間で制裁して黙らせたおかげか、ケハヤは恥ずかしがりながらも口上を続けた。

「お、おれもウネメなんかと同じ……戦うことしか能がない男です。生まれ故郷では、乱暴狼藉が過ぎて……同じ村の仲間に煙たがれることもあった……だが、ここでなら、おれは存分に暴れられる……国を守り、仲間を守るために戦える……そのための力をくださるというのなら……喜んでツバサ様にお仕えいたします」

 国に生きる者を大切にします──何人たりとも傷つけやさせません。

「おれも……ツバサ様の眷族として戦わせてください!」

 武骨ながらもケハヤは本心から打ち明けてくれた。

 イヨはケハヤの精神的な成長ぶりを目の当たりにして、満足そうに「うんうん♪」と頷いている。本当、お母さんかお婆ちゃんの気分なのだろう。

 かくして──妖人衆三将も眷族契約に同意してくれた。

 三将が後ろの位置に戻って座り直し、ひょうげた発言で後ろに追いやられていたオリベが前に戻ってきてイヨの隣へと座り直す。

 場が落ち着いたところで、改めてツバサは説明を再開した。

「では、魂の経験値ソウル・ポイントを分け与えることで眷族契約となるわけなんですが……俺の魂の経験値だけでも皆さんの5人分を賄える量はあるけど、こちらにいる親方、ドンカイさんとセイメイも魂の経験値に余裕があります」

 もしも希望があるなら、誰の眷族になりたいかを選んでほしい。

 特にドンカイとセイメイは妖人衆と初期接近遭遇した際、ケハヤやウネメと戦うことで親睦(男の友情的な)を深めている。それを考慮して連れてきたのだ。

 眷族化における選択の幅を広げたつもりなのだが──。

「「「「「──では、ツバサ様一択で」」」」」

「あんたたちまで俺しか選ばないのか!?」

 まさかのツバサオンリーに、つい声を荒らげてしまった。

 するとウネメとケハヤが理由を語ってくれた。

「いや、オレはセイメイの旦那もアリかなーと思ったんだけど、神族になって腕を上げたら、今度こそ勝つつもりで挑みたいからさ。旦那の眷族になったら、その勝負も反逆と見做みなされたらヤバいかな~……と思ってのツバサ様です」

「おれも……ウネメと同じです。世話になったドンカイ殿の眷族も良いかと思いましたが、腕を上げたら再戦を申し込むつもりでしたので……」

 この2人は武人らしい配慮によるものだった。

 仲間の発言に続いて、オサフネも個人的感想を述べてくる。

「私は許されるのならダイン様に師事するつもりで眷族化をと思いましたが、この場にはいらっしゃらないのでツバサ様しか選択肢がありませんでした」

 なるほど、ツバサが一手に引き受けた方が都合良いわけだ。

 別に逆らうつもりはないが、修行を重ねて強くなったら挑みたい相手がいるならその眷族にはなりたくないし、希望の主人がいないのなら選べる余地はない。

 ツバサは膝を打って了解した。

「わかりました──皆さんを神々の乳母ハトホルの眷族として受け入れましょう」

 妖人衆・巫女姫イヨは──巫女神。
 妖人衆・乙大将オリベは──芸術神。
 妖人衆三将・妙剣のウネメは──剣神。
 妖人衆三将・鍛鉄のオサフネは──鍛冶神。
 妖人衆三将・覇脚のケハヤは──角力神。



 成るべき神族を選び、全員晴れて神々の乳母ハトホルの眷族として昇格した。


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