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第10章 天梯の方舟と未完の巨神
第248話:その名はナイ・アール
しおりを挟む「ツバサさんの考えてること──当ててあげよっか?」
ミロは上目遣いにツバサの顔を覗き込んできた。
その瞳はいつものような遊び心に輝いておらず、澄み切った純粋さで「アタシで良ければ力になるよ?」と真面目に訴えかけていた。
どうやらツバサの心配事は読まれているらしい。
昔からミロは勘が鋭い。
今では直感に直観と2つの特殊技能を習得している。どちらも推理入らずの未来予知めいた能力だが、それが2乗掛けとなって発動しているらしい。
ミロはあらゆる本質を感覚的に悟ることができるのだ。
──ハトホルフリート艦内。
艦橋へ戻ろうと廊下を歩くのは、ツバサとミロの2人だけ。
ダインはフミカとジンに協力を仰ぎ、ダグたちを連れて彼の『巨鎧甲殻』を建造するために【不滅要塞】へ籠もることになった。
宣言通り、10時間で完成するという。
『まあ母ちゃんも知っての通り、わしゃ凝り性やきに。あれやこれやと追加武装をこさえたり、せっかく変形合体する巨大ロボを造るんじゃから、もっとギミックを組み込んでみたりしたいんで……10時間前後と見ちょいとうせ』
『ああ、わかった──誰が母ちゃんだ』
別れ際、こんな感じでダインから完成の予想時間を伝えられた。
それまでは現状待機だ。
ハトホルフリートは防護フィールドを広めに展開、その中で船渠となった工作艦アマノイワフネは修理中の方舟クロムレックを抱えている。
方舟の修理はほぼ終わっていた。
工作艦が船渠のまま方舟を抱えているのは、外装の仕上げ処理だけがまだ終わっていないだけらしい。修理自体は完璧とのことだ。
そして、ダグの『巨鎧甲殻』も10時間後には完成する。
さて──それからどうしようか?
具体的な問題は頭の中に浮かんでおり、どう対処すべきか脳細胞を悩ませているところに、ミロが「当ててあげよっか?」と問うてきた。
茶化すことなく真剣な眼差し。こういう時のミロは頼りになる。
「ツバサさん、あのエビ共をどうにかしたいんでしょ?」
大当たり──ミロに隠し事はできない。
ツバサは視線を中空へ泳がせて思案する。
そして、ミロへ聞かせるように考え事を諳んじた。
「まだ推測の域を出ないが、あの海老みたいな連中……面倒だから仮に“ミ=ゴ”と名付けようか。あいつらの目当ては間違いない」
天梯だ──ツバサは断言した。
「うん、アタシもそんな感じはしてた」
ミロもうんうんと頷いた。彼女の直感&直観がそう感じているのならば、裏付けのひとつとして取り上げてもいいくらいだ。
その証拠になりそうな情報を並べる。
「ブリジット姉妹やガンザブロンさんに聞いたんだがな。方舟を襲ってきた蕃神は、後にも先にもミ=ゴだけらしい。他の蕃神なんて滅多にお目に掛かったことがないそうだ。しつこすぎて辟易しているんだと」
そもそも天梯を乗せて方舟が出航した途端、あの円柱型戦艦が次元を突き破って襲ってきたという。船出としては幸先が悪すぎる。
彼らは襲撃してくる頻度も尋常ではない。
どれだけ遠くに逃げても戦艦が壊れるほどの被害を与えても、早ければ1週間、遅くとも1ヶ月で再び襲いかかってきたという。
「奴らの執拗さには目的があるからだ」
「そのお目当てが天梯──あの世界樹なんだね」
多分な、とツバサは相槌を打った。
歩いているとユッサユッサ揺れ動く暴れん坊な乳房を持て余し、いつも通り胸の下に腕を回して組む。こうやってしっかり支えるのだ。
腕を組んだまま歩くが、ミロの冷やかしはない。
セクハラがないのを珍しいと感じる辺り、普段どれだけこのアホ娘がエロ方面に発言を振ってくるのかを痛感させられてしまい、半ばセクハラを期待している自分に気付いて頬を染めそうになるが、咳払いをして辛抱する。
「奴らは欲しいんだ──天梯がな」
ミ=ゴは今まで遭遇してきた蕃神と一味も二味も違う。
まず文明的な技術力を有すること。
戦艦や艦載機といった兵器を製作。それらを操ることで軍事的な行動をし、戦略的に攻めてきた。独自の言語にてコミュニケーションも取れる。
他の蕃神にもある程度の社会性はあった。
しかし、人類に匹敵するかと問われたら微妙だ。
「今までの蕃神とその眷族は、どちらかといえば野性的だった」
アブホスやアトラクア、ティンドラスなどは動物の群れに等しい。人並み以上の知性こそ見え隠れしたものの、肉体的強度に任せて本能のまま動いていた。
「それに引き換え──ミ=ゴは自らの身体的能力に依存していない」
「しんたいてき……いぞん……どゆこと?」
やっぱりアホの子、語彙力はイマイチだ。
帰ったら勉強を多めにさせるかと嘆息しつつ、わかりやすいようにミ=ゴの特性について噛み砕いた説明をする。
「他の蕃神は、自らの肉体に備わる能力をフルで使ってきた……アブホスなら変幻自在の触手、アトラクアなら強靱な蜘蛛の糸、ティンドラスなら90度以下の鋭角から次元を越える能力とかな」
しかし──ミ=ゴには特殊能力が見当たらない。
温存している可能性もあるが、だとしたらあんな円柱型の巨大戦艦や、パワードスーツ型の戦闘機に頼らないはずだ。
「あいつらは……人間に似ている」
種族的に突出した能力がない分、科学力で補っていた。
「言われてみれば、蕃神にしては道具をいっぱい使っているね」
端的にいえばそうだ。ミロの子供らしい捉え方に頷く。
そうして技術力を進歩させることで、あれほどの兵器を造れるようになり、他の蕃神と並ぶだけの力を持つに至ったのだ。
「だが、当の本人たちは肉体的に強くない。おまけにどんな作用かわからないが、真なる世界の大気に触れると溶けてしまうほど脆い」
そんなミ=ゴにしてみれば天梯の存在は大きいはずだ。
「レオナルドも言っていたが、労せずして次元を越える架け橋となり、天梯の内部を通れば真なる世界の外気に触れずに済むかも知れない……この世界の物資が欲しい連中にしてみれば使い勝手が良すぎる」
「一石二鳥ってやつだね」
次元の壁は破るにしても直すにしても、絶大な力を必要とする。
あの破城槌みたいな戦艦で次元の壁を突き破るのも一苦労だろうから、天梯を手に入れて真なる世界へ侵入する手段を確保したいと見た。
「恐らく、かつての大戦争で味を占めたんだろう」
「天梯から侵入してきた蕃神ってミ=ゴのことだったんだね」
天梯を利用した蕃神はたくさんいたと思うが、その利用価値に気付いて執着するようになったのはミ=ゴくらいのようだ。
「あいつらはどこまでも天梯を……それを乗せた方舟を追いかけ回してきた。まだ諦めていないはずだ。懲りないめげない諦めない、ってな」
「さっき、太陽のホームランで痛めつけたのに?」
あんな大ダメージを負わされたら怖がってビビるはずだよ。ミロはそう言いたげだが、彼女が二の句を告げる前にツバサは首を横に振る。
「直撃を受ける寸前、次元の向こう側に逃げられたからな。致命傷は与えていないはずだし、警戒することはあっても諦めはしないだろうさ……もし、あれで諦めるくらい潔いなら、とっくの昔に目的を変えてるはずだ」
ガンザブロンから聞いた話だが──。
『おいの戦友たちは自分が助からんな判断すっと、大量ん爆薬さ抱えて特攻を決めたもとじゃ……そんた奴らん戦艦に大打撃を与え、時には半壊にまで追い込みもうした……じゃっどん、奴らん戦艦はすぐに直って戻ってきもうした』
「……というぐらい偏執的だとさ」
「Oh……半壊しても1週間でカムバックとか早すぎでしょ」
1週間で艦を直すとは、ダイン顔負けのメカニックがいるのか?
あるいは、こんな可能性もあるが……。
「そんなわけでミ=ゴはしつこい。天梯に執着している節がある。そう考えると、今後に支障が出る気がしてな……」
乳房の下で腕を組んだまま、ツバサは眼を閉じて考え込む。
無意識に力を込めていたのか、腕が“ギュムッ!”と乳房を寄せ上げる。
これにはミロも「おおっ♪」と喜んで谷間を覗いていた。
変に遊ばれる前に、ツバサは真面目な雰囲気のまま続ける。
「方舟の修理とダグ君の『巨鎧甲殻』が完成した時点で、この場でスプリガンたちにしてやれることは終わっている。後はブリジット姉弟との相談だが、安住の地へ案内するという意味も込めて……」
「ハトホルの谷へご招待──だね」
先回りしたミロの言葉に頷くも、即決しかねる状況だ。
「天梯にまつわる方舟の任務を考えると、定住は難しいかも知れないがな……それはさておき、問題はしつこすぎるミ=ゴをどうするかだ」
スプリガンごと方舟をハトホルの谷に招けば──奴らも追ってくる。
「最悪……ハトホルの谷で戦う羽目になる」
次元を破る巨大戦艦と艦載機の大群を向こうに回してだ。
蕃神を迎え撃つだけの戦力を有するハトホル陣営だが、せっかく現地種族の都市になってきたハトホルの谷を戦場にするのは避けたい。
二次被害が出るなど以ての外──。
「じゃあ、さっさとやっつけちゃおうよ」
先手必勝だよ! とミロは好戦的に鼻息を荒げる。
鼻息が強いのは戦意昂揚というわけではなく、寄せて上げられたツバサの爆乳に目を輝かせているのもあった。
ささえてあげる~♪ とミロは抱きついてくる。
ツバサの胸に顔を埋めると、その両肩で乳房を持ち上げてくれる。
……これ、本当に楽になるから腹が立つ。
正面から抱きついたミロは乳房を支える格好のまま、器用にも後ろ向きでこちらに歩調を合わせてきた。顔はツバサを見上げている。
奇妙に絡み合ったまま廊下を行く。
構わずミ=ゴへの対処に関する話題も進めた。
「やっつけちゃえば、か……そうしたいのは山々なんだがな」
ミ=ゴは今、絶賛警戒中だろう。
「フミカが解読してくれたミ=ゴの交信記録を読む限り、連中は俺たちを過小評価して方舟もろとも餌食にしようと襲ってきた」
「それをアタシとツバサさんのゴールデンコンビで追い払ったわけだけど」
「あの時、完膚無きまでに仕留めておくべきだったな」
すんでの所で取り逃がしたのが宜しくない。
「連中は俺たちを脅威と認めたはずだ」
取り逃がしはしたものの、あれだけ手痛い目に遭わせたのである。
戦艦を作れる知能があれば多少は警戒するだろう。
どうやっているかは知らないが、方舟を追い回している以上、真なる世界の様子を探れるようだし、ハトホルフリートがいる内は手を出してくるまい。
「でも諦めが悪いんでしょ? すぐまた襲ってくるんじゃない?」
「それを待つのが面倒って話だよ」
諦めはすまいが、すぐに再戦を挑むほど短絡的でもあるまい。
しばらく様子を見て、現れなければハトホルの谷に向かう。
その途中で襲ってきてくれるならいいが、地元に帰って落ち着いたところで襲撃されでもしたら厄介だ。一番ありそうな展開で困る。
「できればハトホルの谷へ帰る前に、ミ=ゴを全滅させるつもりで叩きのめして、二度と天梯に手を出さぬよう脅しておきたいんだが……あと、スプリガンの『一矢報いたい!』という願いも叶えてやりたいんだよ」
それが、スプリガンにとっても良い意味で『区切り』となる。
彼らの歴史は、これからダグを先頭に新しい時代へと入るのだ。その門出を華々しい勝利で迎えさせてやりたい。
本音を言えば、すぐにでも再襲撃してきてほしい。
天梯の方舟は近代化改装を終えてパワーアップ済み、スプリガンたちも気密体を満足に摂れたので士気も英気も万全だ。
飛行母艦ハトホルフリートに工作艦アメノイワフネの2隻もある。
秘密兵器とも言えるダグの『巨鎧甲殻』も完成間近。
迎え撃つ準備は万端──決着をつける好機は、今を置いて他にない。
「このタイミングでミ=ゴに総力戦でも仕掛けてもらい、スプリガンたちとともに迎撃する。そして奴らを再起不能に追い込みたかったんだが……」
前述通り、最初に与えた大打撃で警戒されている。
「エビみたいだから撒き餌でもしたら寄ってこないかな?」
「アホ、川でザリガニ釣るのとはわけが違うわ」
ミ=ゴは外見こそ甲殻類だが、人間に勝るとも劣らない頭脳の持ち主だ。
まともな神経をしていれば、ツバサたちがいる間は仕掛けてくるまい。
こちらが油断した頃を見計らっているはずだ。
「あ、閃いた! アタシが覇唱剣で……」
「却下だ。危険過ぎる」
「まだちゃんと言ってないのに!?」
ミロはショックのあまり泣きそうな声を上げる。
「おまえの過大能力で次元の壁を開いて、連中を見付けるつもりだろ? ミ=ゴに気取られて逃げられるか、奴らのいるフィールドに引き込まれる恐れがある上に、他の蕃神まで寄ってきたら二次災害になる」
下手を打てば三次に四次と、雪だるま式に災害が畳みかけるだろう。
蕃神には慎重な立ち回りを徹底するべきだ。
おまけに、次元をいじる能力はミロに多大な負荷をかける。
「ツバサが活力付与しても疲労は完全に取れないから、おまえを戦力から外すことになる……その弱り目を突かれて祟り目になるのも御免だからな」
次元の向こう側にいる蕃神へ攻め込む──と想定した場合。
次元に“門”を開け閉めできる能力者が最低3人は欲しい。
開ける者、閉じる者──万が一の保険役。
現状、次元に手を加えられるのはミロとミサキの2人だけ。
下手を打ちたくはないので無理をさせたくなかった。
「ミ=ゴを呼び寄せる方法もいくつか思いつかないでもないが、確実かどうかわからない……いまいち踏み切れないな」
「う~ん、上手くいかないねぇ」
ミロはツバサの胸の谷間でプルプルと顔を振り回す。
それだけで背筋が痺れるほど女性的快感がツバサの脳髄を直撃するのだが、慣れとは怖いもので耐えられるようになってしまった。
耐えられる反面、トータル的な女性化も進んでいる。
肉体的には完全に女性化──女神化しているのは認めよう。
そうではなく内面的な女性化のことだ。
女神の肉体が快感に打ち震え、その快感を堪えるごとにツバサの精神とハトホルの肉体の親和性が良くなっている気がしてならない。
即ち──女である自分に馴染んできている。
「……って考えるとミロのせいか!? このセクハラが原因か!?」
「あっちょんぶりけ!? ちょ、ギブギブギブッ!?」
ツバサさんのおっぱいで死ぬのは本望! とミロは悲鳴を上げた。
ミロの顔が乳房の谷間にあるのをいいことに、ツバサは両手で思いっきりサンドしてやった。俗にいう“パフパフ”だが圧殺レベルだ。
ミロの顔を潰して気を晴らしている内に廊下は終わっていた。
自動開閉のドアを潜り抜けて艦橋に入ると──。
~~~~~~~~~~~~
「──そんな馬鹿なッ!?」
艦橋へ足を踏み入れるなり、レオナルドの大声に出迎えられた。
おっぱいサンドから解放されて、潰れかけた顔を撫でていたミロが目を丸くするほどだ。ツバサも少しばかり面食らった。
ハーレムネタや爆乳特戦隊でからかわれると声を荒らげるレオナルドだが、紳士気取りな彼はジェントルマンな振る舞いを是とする。
なので、基本的に物静かな喋り方しかしない。
それが相手によっては慇懃無礼に捉えられることもあるが、この男は相手を見て言葉を選ぶので、そういう時は故意に礼を欠いている。
彼の珍しい怒鳴り声。そこには怒りが含まれていた。
自分のキャラ設定を崩すほどの大声を上げるレオナルド。
誰かと口論でもしているのかと思って艦橋を見渡すが、その様子はない。
マリナとバリーとカンナはテーブルで寛いでおり、幼いマリナに合わせたのか何かのカードゲームに興じている最中だ。クロコはみんなにお茶の用意をしており、ティーセットを乗せた給仕ワゴンを押している。
彼らも一様に目を丸くして、レオナルドに視線を向けていた。
レオナルドはツバサたちの視線などお構いなし。
艦長席の傍らに立ち尽くしたまま、熱心に何かを読み込んでいた。
手にしているのはタブレット型のスクリーン。
そこに映し出される情報は、先ほどフミカから渡されたミ=ゴの戦艦と艦載機の交信記録だ。読み進める度、レオナルドの形相が険しくなる。
軍用ロングコートを掛けた両肩を戦慄かせ、左手は持っているタブレットを握り潰しそうだし、スライドする右手はタブレットに突き刺さりそうだ。
獅子の名前通りの荒々しい髪を逆立てている。
「ばんなそかな?」
「ばんなそかな……って俺は上田教授か!?」
ミロの呟きを思わずリピートしたレオナルドは、怒声でツッコんできた。ミロはわざとらしくキャーと悲鳴を上げてツバサのお尻に隠れる。
「どうした上田教授、ご機嫌斜めだな」
「誰が上田教授だね!?」
ツバサの十八番みたいな台詞で言い返してくる。
物理学界の問題児と謳われ、名著「なぜベストを尽くさないのか」で時代の寵児となった上田教授に例えられるなら喜ぶべきだ。
「本当にどうしたレオナルド、らしくないぞ」
いつにない剣幕のせいで誰も声をかけられずにいたが、勝手知ったる仲のツバサは臆することなく話し掛けた。すると、彼の眉根が少しだけ緩む。
「ツバサ君……この交信記録は本当なのか?」
かと思えば、疑念を懲らした眼で問い掛けてきた。
ミ=ゴの交信記録から彼らの言語を解読したのはフミカの手柄だ。次女の仕事にケチをつけられたオカンはムッとする。
「おまえも『お姉さんより優秀だ』と褒めた、ウチのフミカが解読したものだぞ? 誤訳なんてあるわけがない」
ツバサの苛立ちを察したレオナルドは表情を和らげた。
「そうだな……すまない、そういうつもりではなかったんだが……」
自分の発言に落ち度があったことを認めたレオナルドは、険しさをほぐした表情で謝罪の言葉を述べるも、すぐに眉尻を釣り上げた。
「だとしたら……由々しき問題だ!」
レオナルドはある一文を指差し、それを艦橋のモニターに映し出す。
『全部──ナイ・アールが悪い!』
蕃神側から初めて得た固有名詞。
レオナルドはそれを忌々しげに指差した。
「俺は……こいつを嫌というほどよく知っている。八方手を尽くして調べようとしても正体が掴めず、そのおぞましさに吐き気を催したくらいだ」
こいつが同一人物だとすればな、とレオナルドは注釈を入れる。
「ゲームマスター№64──ナイ・アール」
その発言に戦慄したのはツバサだけではなかった。
万年ポーカーフェイスのクロコですら驚きを隠せず、感情の幅が大きいカンナも動揺するあまり絶句していた。マリナやバリーはよくわからないのか、大してリアクションを取れてないが驚いていることに変わりない。
ただ1人、動じていないアホがいた。
「№64……それってゲームマスター最下位じゃない?」
蕃神の側に──GMと同名の何者かがいる。
その事実を右から左へと聞き流したミロは、まったく別のことに疑問を持ってしまったらしく、話の流れを無視した質問を投げ掛けた。
だが、繋がる話なのかレオナルドは受け答える。
「よく覚えていたねミロ君、その通りだ……GMはアルマゲドン運営トップを№1として、俺を含めて全部で64人いる。そして、番号が前にあるほど権力があって有能であり、後ろに行くほど使えない下っ端となっている」
だからといって無能ではない。
ミサキ君の元にいるアキは自堕落ニートだがネット関連に長けたスーパーハッカーだし、キョウコウに臣従していたドンジューロウは性格に難あれどセイメイを唸らせる剣の達人だった。
腐っても鯛という諺もあるが、ランクが低くともGM。
人格的に破綻していたり、私生活に問題があろうとも、ジェネシスにとって利益をもたらす一芸には秀でてはいるのだ。
「しかし、ナイ・アールには──それがない」
ナイ・アールは可もなく不可もない男だという。
「際立って優秀というわけでもないが、まったくの無能でもない。やらせれば何でもそつなくこなすし、及第点を越えた仕事はする……それゆえ“使い勝手がいい”という理由からGMの末席に加えられた男だよ」
何をやらせてもそつなくこなす。
裏を返せば、オールマイティーに達者ということだ。
しかし、決して自分から前に出ようとはせず、上司のお手伝いや同僚のサポートに徹するのみ。手柄も担当した者に譲り、その背後で微笑むばかり。
目立たず控え目──それでいて万能な有能。
専門職に秀でていない器用貧乏、と言い換えてもいいかも知れない。
「能ある鷹は爪を隠す、という故事もあるが……あいつはもっとおぞましい何かを腹の内に隠しているとしか思えなかったよ」
「話を聞く限り、掴み所のない男だな」
そう装っている節さえある。
「掴めるのならば、首根っこを押さえつけておきたかったよ」
レオナルドは忌々しげに唇を噛んだ。
「お察しの通り、俺はこいつが嫌いだ。掴み所がないというのもあるが、それ以上にこいつが何もかも欺いているところが大嫌いなんだ」
レオナルドがナイ・アールを嫌った理由。
「俺は真なる世界転移に先立ち、GMたちの素性を調べ上げた……キョウコウさんのような例もあるし、他にも野望を企てていた輩はいた。そいつらと敵対した場合に供えて、人となりから弱所を見極められるようにな」
「おまえはアシュラ時代からそういう奴だったよ」
ツバサは半眼で見つめるも感心した。
ツバサは石橋を鉄筋コンクリートの橋に建て直してから渡るほど臆病だが、レオナルドは事へ望む前には情報を掻き集める性分だった。
ツバサが慎重派なら、レオナルドは用意周到と言えよう。
いつの間にかマリナたちにお茶の配膳を終えたクロコは、存在感を示すように足音を鳴らしてレオナルドの秘書っぽい位置に控えていた。
「クロコやアキさんも手伝わされましたからね──個人情報収集」
さらっと言うが立派な犯罪である。
「だが……ナイ・アールだけはわからなかった」
会社に登録された社員情報を調べた限りでは、ごく普通の家庭で一人っ子として生まれ育ち、それなりにいい学校を出てジェネシスに入社した。
──判明したのはそれだけ。
「会社での人付き合いは仕事上のみ、私生活においてのナイ・アールの行動、趣味、嗜好、生活、交流……素行がまったく窺い知れなかったんだ」
ナイ・アールの不気味さはこれだけに留まらない。
父母が暮らすはずの実家を調べたが、そこはボロボロの廃墟だった。
地元の話では50年近く放置されているという。
彼が過ごした高校や大学には入学と卒業の記録こそあるものの、彼の同級生たちは誰もナイ・アールという男を覚えていなかった。
そんな奴いたっけ? と忘れ去られていた。
いいや、最初からいないという態で話すくらいだった。
「掴み所がないなんて生易しいものじゃない……あいつは正体が掴めないんだ。なのに、ジェネシス上層部は平然と受け入れている」
筋が通らない、納得いかない、意味がわからない。
そうしたものを憤りの燃料にしたレオナルドは、正体不明のナイ・アールに強い危惧を抱いていた。その理由を改めて口にする。
「俺はこの世界に来てから……正しくはツバサ君たちと再会し、蕃神と相見えた頃から、ある懸念に囚われていた……」
真なる世界側に──蕃神の内通者がいる可能性だ。
「それこそ灰色の御子に紛れて、地球に潜り込み、人類のフリをしてジェネシスに入り込んで暗躍している奴もいるのではないか……とね」
トレードマークの銀縁眼鏡の位置を直すレオナルド。
そのギラつく眼光は、モニターに映るナイ・アールの名前を凝視する。
「こいつがそのナイ・アールなら、レオナルドの勘は大当たりだな」
ツバサが賛意を示すと、レオナルドは姿勢を正して大きく深呼吸をした。6回の深呼吸で肺の空気を入れ換え、メンタルリセットも済んだらしい。
「ツバサ君、俺にひとつ案がある」
振り向いた顔は、いつもの理知的なジェントルマンに戻っていた。
「しばらく俺に采配を任せてくれないか?」
レオナルドは願い出るように提言してくる。
ツバサがこの申し出を却下することはないと踏んだしたり顔でだ。
こいつ、知り合いには慇懃無礼で通す。
ツバサは皮肉っぽい微笑みで応じると、女王らしい振る舞いで艦長席に腰を下ろしてから、頬杖を付いて上から目線で命じてやる。
「いいぜ客将、ミサキ君の軍師を名乗るならやってみせろ」
「──感謝する」
客将と言われたレオナルドも弁えたもので、ツバサの芝居がかった承認を得ると胸の前で拳を包むような仕種で一礼した。古代中国の武将みたいだ。
「軍師レオナルド──お手並み拝見だな」
~~~~~~~~~~~~
「ですから、想定外ですってばー」
ナイ・アールは妙に間延びした語尾で弁解した。
この口癖は不評なのだが、キャラ付けなので直しようがない。
「ボクの進言を信じて特攻を掛けたら、多くの兵を失ったー? 仕方ないでしょー、まさか太陽を繰る神がいるとは思わないじゃないですかー。 それも想定外ですってばー。責任追及されても困りますよー、なんせ想定外なことばかり起きたんですからねー。想定外ですよ想定外ー」
何を言われても「想定外」、この3文字で切り返していた。
昏い部屋──円卓を囲む甲殻類めいた蕃神の群れ。
海老、蟹、蝦蛄、寄居虫、大王具足蟲、果ては富士壺のような者や沖醤蝦などの小さな甲殻類によく似た者も数多い。
その甲殻は誰もが桃色に染まっており、頭部は複雑な形状の菌糸類みたいな襞で覆われた塊になっている。
──頭にキノコが寄生したピンクの甲殻類。
それがミ=ゴの容姿をもっとも簡潔に言い表していた。
円卓の中央はくりぬかれ、ドーナッツ状になっている。
その中央に立たされたナイ・アールは、ミ=ゴの幹部たちから叱責の集中砲火を浴びていた。しかし、まったくの素知らぬ顔だ。
もっとも、ミ=ゴたちの発声は人間とは大きく異なる。
彼らの間では通じているのだろうが、人間の耳にはキチン質をすり合わせたようなシャカシャカという擦過音にしか聞こえないだろう。
彼らに囲まれて擦過音を聞き続ければ、常人なら間違いなく発狂する。
なのに、ナイ・アールは何処吹く風。
彼らの言語を聞き分けられるので、ミ=ゴたちの発言は擦過音ではなく罵詈雑言となって耳に届くのだが表情ひとつ変えやしない。
その顔からして作り物のように味気ないものだった。
糸を這わせたように細い眼──細い口。
どちらも笑みを形作るように曲がっており、どれだけ責め立てられようとも崩すことはない。まるで能面を被っているみたいで表情に乏しい。
日本人らしからぬ浅黒い肌。
長くも短くもない髪は、雑なオールバックにまとめられている。
大きめのボタンで留めた何本ものベルトを垂らした妙なデザインのダークスーツを着込み、ネクタイも黒なのでホワイトカラーなワイシャツが映える。
黒い男──それがナイ・アールだった。
自分と大差ない身長の甲殻類に囲まれて、豪雨のような悪口雑言を浴びながらも平然とナイ・アールは受け答えていく。
「ですから全部が全部、想定外の賜物なんですよー。ボクリサーチによれば、プレイヤーの80%以上がLV3~500前後、神族や魔族になっていても、皆さんの敵じゃあないはずなんですよー」
彼らは異常なんですー、とナイ・アールは弁解する。
「こちらの兵士機を撃ち落とした連中からしてLV700以上、あの太陽を放ってきた女神たちなんてLV800越えと見て間違いありませんー。いやはや鍛えすぎでしょー。なんですかねー、あの尋常じゃない強さはー」
虎の尾を踏みましたかねー、とナイ・アールは他人事だった。
舞茸みたいな頭から真っ赤な光を発して怒りの声を上げるミ=ゴに、ナイアールは耳に手を当てるジェスチャーで問い返した。
「はいはいー? あの御方の分身だからといって増長するな、ですかー? いやだなー、ボクみたいな下っ端のペーペーが調子に乗れるわけないじゃないですかー。これでも真面目生真面目くそ真面目に生きてるんですよー?」
説得力がない! と幹部ミ=ゴたちは口を揃えた。
ナイ・アールは両手で「まあまあー」と彼らを宥める。
「皆さんがやられ役になっちゃうのはボクとしても立場上、ヒジョーにまずいわけでして、他人事じゃないわけですよー。そ・こ・でー」
こちらを御覧くださいー、とナイ・アールは手を打った。
闇の中、ナイ・アールの頭上に円形の光が生じる。
そこに映し出されたのは次元の向こう側、真なる世界の風景だった。彼らが狙うところの方舟と、それを守る双胴型飛行船が映し出されている。
「あなた方の追い詰めた方舟は目下のところ修理中。その作業は未だ終わった様子がなく、それを守護する戦艦みたいに強い飛行船も……ほらー」
双胴型飛行船まで修理に入っていた。
方舟のように船渠型の大型船に収まっているわけではないが、艦体を修理ロボットが駆けずり回り、大急ぎで修理に取り掛かっている。
「どうやら痛み分けだったみたいですねー」
先ほどの戦闘でダメージを負ったのはミ=ゴだけではない。
方舟を守る者たちもまた、修理を要するだけの被害を受けていたのだ。
「仕掛けるなら今──それも全力をオススメします」
そろそろ決着をつけませんかー? とナイ・アールは唆す。
「もう出し惜しみなんかせずに艦隊で一斉に取り囲んじゃいましょうよー? 保守的なばかりじゃあ、いつまで経っても前に進めませんよー? パァーッと派手に行きましょう、パァーッとねー」
この提案に、ミ=ゴの幹部たちは少なからず乗り気だった。
自分たちの被害は戦艦1隻が中破しただけ。
大して、あちらは2隻とも修理に追われている状態なのだ。
こちらの全艦隊を投入すれば或いは──勝算の2文字がちらついている。
幹部たちの心の揺らぎを読み、ナイ・アールはもう一押ししてみた。
胸に手を当て、作り笑いで進言する。
「今ならボクも惜しみなく協力させていただきますよー?」
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