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第10章 天梯の方舟と未完の巨神
第246話:未完の巨神
しおりを挟む世界樹──あるいは宇宙樹。
日本語で世界樹と記せば、北欧神話のユグドラシルを差すことが多い。
神、人間、巨人、精霊、様々な種族が暮らすいくつもの世界。
それらの世界を枝や根に宿し、宇宙に生い茂る大樹だ。
しかし、世界樹と呼ぶべき存在はユグドラシルだけではない。
世界各地の神話にはユグドラシルに勝るとも劣らず、その神話世界を支えるべく悠然と聳える世界樹が言い伝えられていた。
ザクセン人に伝わる“祖神イルミンの柱”という意味のイルミンスール。
メソポタミアのシュメール神話では、世界の中心とされた古代都市エリドゥに生えていたという巨樹キスカヌ。
ハンガリー民話に登場する天まで届く木。アズ・エーギグ・エーレ・ファ。
ヒンドゥー神話に伝わるのは天上に根を張り、永遠の命を持つとされるアシュヴァッタ。仏陀が悟りを開いたのはこの木の下だと言われている。
ヨーロッパ、インド、ユーラシア大陸、アメリカ大陸……。
様々な国の伝承に世界樹は現れる。
そして、日本にも──。
かつて上総と下総の境界には天を衝くほど巨大な椿が生えていたが、そこに棲み着いた魔王と神との戦いで引き抜かれてしまったとか──。
仁徳記には「大和川に生えていた大木はその影が淡路島に届いたほどだ」という記述があり、その大木から船を作ったとか──。
九州には「朝日が差せば佐賀の山を影で覆い、夕日が差せば阿蘇山を影で覆う」と謳われた巨木が生えていたとか──。
各地の巨樹伝説が、古事記や風土記に記されている。
また、日本神話において創世に携わり、以後も重要な局面にて天津神たちに指示を飛ばす高御産巣日神は“高木の神”とも呼ばれる。
かつて日本を差して“扶桑”と呼ぶこともあったが、これも本来は世界樹と呼ぶべき巨大な樹の名前である。
古代中国にて執筆された地理書──山海経。
その山海経によれば東の海の彼方に湯源の谷という場所があり、そこに桑の巨木が生えている。梢は天の頂きに届き、根は黄泉の奥深くにまで達する。
同じ根から2本の幹が扶け合うように生えているから“扶桑”という。
その高さは16万8000千メートルとも、9000メートルとも言われているが、後者だとしても世界最高峰のエベレストを越える全長だ。
このように──世界樹とは様々な神話に言い伝えられてきた。
それは神話という世界の中心を支える偉大な樹なのだ。
~~~~~~~~~~~
「天梯とは──世界樹のことだったのか」
方舟クロムレック──天梯の間。
早々に食事を終えたダグとブリジット姉妹に案内されて、ツバサたちはようやく天梯と対面することができた。
天梯を前にしたツバサは、その身に宿す豊潤な“気”から天梯の正体を説明されるまでもなく女神の本能として悟ることができた。
「まあ、俺とフミカは見当がついてたんだけどな」
「ふぇっ!? ツバサさんとフミちゃんだけネタバレ知ってたの!?」
「おまえ、俺の尻の谷間に顔突っ込むのやめろよ?」
ツバサにくっついてきたミロは腰に抱きつき、胸の谷間ならぬ尻の谷間の感触で遊んでいた。これ以上の行為に出たら小突いてやるつもりだ。
「ちなみに──俺も聞かされていた」
レオナルドまで挙手するとミロはふて腐れた。
「なんでなんでー!? 知識人だけ知っててアタシだけハブ!? アタシがアホだから? 教えた先から忘れていくアホだから!?」
「その通り、おまえに教えても猫に小判だろうが」
話したところで5秒で寝落ちするのがオチだ。
「実際そうだったし──」
「マジで!? まったく記憶にゴザイマセン」
さすがアホの子──ツバサは矯正を諦めそうだった。
拗ねるミロを宥めるため、フミカが【魔導書】片手に解説する。
「ヒントはバサ兄がクロウ先生から聞いた話にあったッス」
(※第216話参照)
天梯の方舟についての会話で、かつて教師を務めたこともあるクロウがこのようなことを教えてくれたのだ。
『天梯……日本語ではありますが、あまり使われない単語ですね。中国語として使われた言葉です。“天の梯子”という意味になります』
『本来ならば直訳通り、“天界へ行ける梯子”という意味なのでしょうね。神話や昔話では、それを渡って人間が天上世界に行けたとか……』
これを聞いたツバサはピンと来るものがあった。
自慢ではないが、ツバサの友人には各方面の蘊蓄たれが多い。
レオナルドなどその筆頭だが、現実世界で交流のあった大学時代の仲間も多かれ少なかれ、持て余す知識を話さずにはいられない連中だった。
オカルトや心霊にも手を出す民俗学や考古学の専門家、農学が専門なのに多方面の生物学まで熟知する知識人、機械工学のスペシャリストでSF愛好家、アニメに漫画にゲームにラノベにフィギュアまで完備する典型的オタクなどなど……。
とにかく専門知識を持て余す友達が多かった。
そんな彼らと付き合っていると、無駄話や雑談でそれとなく蘊蓄を垂れ流されるので、ツバサは中途半端に興味のない知識を身に付けてしまった。
ただ、聞き流していたので曖昧な部分もある。
それでも特定のキーワードには記憶を刺激されてピンと来るのだ。
そこで密かにフミカに調査を依頼。フミカは【魔導書】を読み返して、かつての自分が読んだ書籍に“天梯”について触れたものがないかを探しつつ、姉のアキの力も借りて調べ上げてくれた。
その結果、天梯にまつわる伝承を見付けてくれたのだ。
「昔々の大昔──中国大陸でのお話ッス」
かつて中国大陸の中心には、巨大な1本の樹が生えていたという。
この巨木の名は建木といい、天神の暮らす天上界、人間の生きる地上界、死者が眠る地底界、この三界を繋いでいたという。
神々はこの建木を伝って地上へ降り、人間もまたこの木を昇って神々に会うこともできたし、死者の国へ祖先を訪ねに行くこともできたそうだ。
このことから建木は“天梯”と呼ばれるようになった。
天地を繋ぐ梯子という意味だ。
しかし、便利なものは得てして悪用されるもの。
悪心を起こした神が天梯を伝って地上へと降り、人々を責め立てて苦しめることもあれば、力を持つ魔物が天神たちを追い落とそうと、天梯を昇って天上界に攻め上がることもあった。
これに心を痛めた天神の末裔は──建木を斬り倒してしまった。
以後、三界は隔たることとなる。
「天梯は別の世界へと渡れるもの。真なる世界においては、いくつも重なる無数の世界を行き来できるものだったんだ。そして、恐らく……」
次元を越えて──地球にも届いた。
かつて真なる世界から地球へと渡った灰色の御子たちも、この天梯を伝うことで地球までやって来たのだろう。実体験したであろうキョウコウ辺りに聞いておけば良かったと、今さら悔やんでしまうが過ぎたことだ。
改めて天梯の間を見渡してみる。
三重にセキュリティロックが施された出入り口。
部屋を囲む壁の頑丈に頑丈を重ねた堅牢性を誇っている。自分たちの生活を後回しにしてでも、ここに最高品質の防衛力を注いできた努力が窺えた。
中に入ると──新鮮な空気が鼻腔に刺さる。
大地の豊かさを蓄えた土壌が敷き詰められ、青々とした草原が広がっていた。
そうは言っても方舟の中。敷地にも天井にも限度がある。
面積は大きめのドーム1個分、天井までは30m前後。
その中心に──天梯と呼ばれる巨木が生えていた。
品種的には広葉樹に近く、楠木に似ている。
楠木は現実世界でも30m近くまで成長する樹だ。
しかし、天梯と呼ばれるこの大樹は、箱庭の天井に届く30mにまで達しながらまだ若木の部類。ここから更なる成長を遂げていくだろう。
地母神であるツバサには、完全に成長した姿が想像することができた。
「その梢は天の果てまで届き、その根は黄泉の底へと達するか……」
神話に語られるユグドラシルや、日本の代名詞となった扶桑。
これらの世界樹に勝るとも劣らない大きさへと育つはずだ。
大地に根付けばの話だが──。
「この箱庭が天梯の成長を抑制しているみたいだな。言い換えれば拘束具、天梯が本来のサイズにまで成長するのを押し止めているのか」
御慧眼です、とダグが答えてくれた。
「天梯は成長すれば天と地を繋ぐ巨樹となります。そこまで巨大化すると守るのも大変ですが、おいそれと移動させるわけにもいきません……ですから、このような手段を取らざる得なかったと伝わっております」
「苦肉の策──というわけだな」
同行したレオナルドは顎に手を当て、天梯を注意深く観察していた。
「天梯はこれが最後の1本なのかな?」
レオナルドの質問にブリカが敬礼して返答する。
「我らの知る限り、最後の1本のはずです──が」
あちらを御覧ください、そういってブリカは指し示した。
天梯の周りに数本の苗木が生えている。小さなものは芽吹いたばかり、大きくても背丈はミロの腰ぐらいまでだがどれも紛れもなく天梯だった。
最後の1本から枝分かれして成長したものか?
「これらの苗木は私たちが数百年かけて回収してきたものです」
「回収……世界樹の苗木は野に散っているのか?」
順を追って説明いたしましょう、とディアが話を継いだ。
どうやらブリカとディアは情報を共有しているが、丁寧な解説はディアが任されているようだ。ブリカは軍人気質なのか、やや話下手らしい。
「かつて真なる世界の各地に天梯……いえ、もう隠す必要はありませんね。天梯とは別名、正しくは世界樹と呼ばれてきました」
この世界樹は真なる世界のあちこちに生えていたという。
「根付いた土地の地脈、霊脈、龍脈、そういったものを吸い上げながらも同調し、倍以上の“気”を振りまくことで、その地に安定した活力を与える世界樹は、同時に他の世界へ渡るための通路としても使われていました」
真なる世界は無数の世界が重なった多層世界。
ツバサたちのいる世界だけでも地球の何十倍から何百倍もあるというのに、それは積み重なった積層世界のひとつでしかないのだ。
「このため世界樹は天梯の名でも呼ばれることとなり、幾多ある別世界に渡るために使われることもあれば、皆さま方がいらっしゃった地球への道として利用されることもありました」
「ふむ、その土地における“気”の活性化を促す同時に、次元を越えるための“門”としても機能していたわけか……ならば」
蕃神の侵攻とともに──すべての世界樹を切り倒したのだね?
銀物眼鏡の奥、レオナルドは双眸を研いだ。
見つめられたディアは言葉に詰まるも、感服するように肯定する。
「ご明察です……かつての神族や魔族の皆さま方、それに我らのような大勢の種族が総掛かりで世界樹を切り倒したと伝えられています」
これを聞いたミロはアホなりに核心へ辿り着いたらしい。
「あ──蕃神に使われたらヤバイか」
その通り、とレオナルドはミロのぼやきを拾った。
「蕃神は次元の裂け目から攻め込んでくる。それはこちらの世界の活力を貪るためだ。しかし、この裂け目を開くため相当の労力を費やしている」
その労力に見合うだけの旨味があるのだろう。
彼らにしてもハイリスクハイリターンな行為のはずだが……さて。
「だが、世界樹があれば一石二鳥だ」
世界樹の次元を越える能力で、真なる世界への侵入は容易となる。
「おまけに莫大な“気”を循環させる世界樹を使えば、ストローで吸い上げるように真なる世界の活力を奪うこともできるだろう」
「仰る通りです……奴らは、この世界を蝕んでいきました」
蕃神たちは──世界樹から攻め込んできた。
次元を越える能力を逆手に取り、そこから忍び込んできたのだ。当然、世界樹を中心に戦いが始まり、最初の戦争で何本もの世界樹を失ったという。
「次の戦争が始まる前、もう世界樹が悪用されないようにと……皆で世界樹を切り倒したと聞いております……さぞや、無念だったことでしょう」
世界樹とは神話の中心に聳えるもの──謂わば象徴だ。
大黒柱を失った家が崩れ落ちるように、世界樹を拠り所としていた神族、魔族、そして多くの種族たちは大いに嘆いたことだろう。
その無念さは想像に難くない。
「ですが、この世界の存亡に関わること……世界樹たちの了解も得て、それを信奉する者たちを説き伏せて……蕃神どもに利用されぬためにも……」
伝え聞いた経緯を語るディアも辛そうだ。
貴婦人のようなスカートを皺ができるくらい握り締めている。
それでもディアは語ることを止めなかった。
新しき神族であるツバサたちに、かつてこの世界でおきた出来事を伝えることも自分たちの使命だとわかっているのだ。深呼吸をして話を続ける。
「……二度目の蕃神の侵攻が始まる前、すべての世界樹が切り倒されました。そして、まだ若かった苗木の1本がスプリガンに託されたのです」
守護者の妖精──スプリガン。
彼らは神族や魔族と共に建造した当時最新鋭の方舟“クロムレック”と、この天梯の間に封じられた世界樹を託されたという。
「いつか蕃神を追い払い、この地に平和が訪れた時のために……もう一度、世界樹とともにこの地を栄えさせるために……」
世界樹の若木は──最後の希望。
スプリガンが多くの者たちに希望とともに託され、彼らを初めとした真なる世界に生きる多くの種族たちが未来を託す象徴でもあるのだ。
「……辛い過去を振り返らせてしまい、申し訳ありません」
レオナルドは紳士的な振る舞いで謝罪した。
「凄惨な時代と犠牲となった人々へはお悔やみを申し上げることしかできませんが、せめて、この時代まで生きたあなた方に手を差し伸べることはできます。我らで良ければ、どうぞ頼っていただきたい」
ディアの胸中を慮った台詞も忘れない。
持ち前のインテリジェンスなイケメン面に、彼女に共感を覚えたであろう愁いを帯びた表情。そこから誠実さと優しさを醸し出していた。
あれは──チョロインなら3秒で陥落する。
ただでさえ涙ぐんでいたディアは両手で口元を押さえると、小さな声で「ありがとうございます」と呟きながら俯いてしまった。
レオナルドを見つめるディアの頬は赤く染まり、これがマンガなら“キュン!”なんて擬音が聞こえてきそうだった。
コイツ──天然の女たらしだ。
恐らくレオナルドに自覚はあるまい。
彼はただ、男として紳士的な態度に努めているだけなのだ。
クロコも、アキさんも、カンナさんも、まだ未登場のナヤカさんとやらも、これで陥落したに違いない。ツバサはまだ精神的に男性に近いため、冷ややかな視線のまま鼻で笑うことができた。
ミロは尻の谷間に飽きたのか、ツバサの前に移っていた。
ツバサのお腹に背中を預けたミロは、自分の頭をツバサの胸の谷間に沈ませると、両腕を上げておっぱいを担ぐとユッサユッサ揺らす。
そうやってツバサの女体で遊びながらしみじみ呟いた。
「獅子のお兄ちゃん、やっぱりラノベ主人公じゃん」
「ああ、しかも女の子たちの想いを踏みにじる鈍感タイプのな」
「──誰がラノベ主人公だね!?」
ツバサとミロの呟きを、レオナルドは肩を怒らせて否定した。
どうやらレオナルドを煽る文句としては「ラノベ主人公」というワードの効き目が一番高いようだ。今後、事あるごとに使ってやろう。
まったく……とブツブツ呟いて、レオナルドは銀縁眼鏡の位置を直す。
「話が脱線しかけたね……それで、この若木のまま成長を止められた世界樹が最後の1本だとして、その周囲に生えた苗木のようなものは……芽かな? この若木から枝分かれしたのだろうか?」
「いえ、これは……」
「──そこから先は私が報告いたしましょう」
ディアの言葉を遮り、今度はブリカが前に出てきた。
過去に起きた世界樹にまつわる話を、ディアは物語調に語ってくれた。この複数ある世界樹の芽については、ブリカが報告の態で話してくれる。
「これら世界樹の芽は、我々がかつて世界樹の生えていた跡地を巡回している際に発見、保護した世界樹の欠片より芽吹いたものです」
「欠片……ああ、なるほど」
ブリカの一言でレオナルドは理解したらしい。
ツバサも察したが、蘊蓄たれな彼の長台詞に耳を傾ける。
「葉っぱ1枚、根の1本、枝の1振り、幹の欠片……こういったものからでも、条件さえ揃えば植物は生長するものだ。普通の植物でさえそうなんだから、況してや世界樹ほどの神秘を宿した植物ならば……さもありなん」
その通りです、とブリカも頷く。
「世界樹は一片からでも蘇ることがあります。もし、それが蕃神の手に渡り、悪用でもされたら一大事です」
そこでスプリガンたちは方舟“クロムレック”で最後の世界樹を守護りながら、真なる世界を旅するように世界樹の跡地を巡っているそうだ。
「その際、微弱ながらも世界樹の気配を感知すると、葉や枝を発見することがありました。それらを回収、この天梯の間に安置しておりましたら……」
「欠片から芽吹いてきたわけか」
ツバサが数えたところ、世界樹の芽は8本あった。
箱庭の中央に鎮座する若木を数えれば全部で9本──まあまあの数だ。
蕃神の問題が片付いたら、真なる世界の要所に植樹することもできるだろうし、ツバサたちなら子株を増やしてやることも可能である。
これからの展望について考えていたら、ふと思い当たることがあった。
「方舟は各地にある世界樹の跡地を回っている……そうでしたね?」
ツバサの問いにブリカは「はい」と返事をする。
「世界樹の欠片の回収、もしくは芽吹いていないかの警戒。それと世界樹の跡地で異変が起きてないかの確認です」
世界樹が伐採されて切り株から根に至るまで処分されたとしても、そこに世界樹があったという痕跡は残り、その土地に影響を及ぼし続けるという。
例えば──自然界の“気”、その流れたる地脈や龍脈。
ブリカは起こり得る異変を明かした。
「世界樹の跡地には大きな穴が残り、そこを中心にかつて世界樹が吸い上げてきた霊脈のラインが残ります。そういった霊脈は大穴に大量の“気”を注ぎ込み、それがやがて暴発すると、予期せぬ形で空間を歪ませることも……」
「──ちょっと待ってくれ」
ツバサは胸の谷間からスマホを取り出した。
そこにダインやジンが作った真なる世界の地図を表示する。
「もしかして──ここも世界樹の跡地じゃないのか?」
ツバサは地図のある一点を指し示した。
そこはハトホルの谷と帰らずの都があるタイザン平原の中間地点。
地の底まで届きそうな大穴があった場所だ。
そこには現実世界の過去から飛ばされ、大穴の底に溜まっていた濁った“気”にさらされて妖怪と化してしまった人々が隠れ棲んでいた。
そう、イヨやオリベたち妖人衆が暮らしていたあの大穴である。
スマホの地図を見せられたブリカは首肯した。
「ええ、そうです。ここにも世界樹がありました。つい先日、見回ったばかりですが……もしや、こちらで我々のことを見つけてくださったのですか?」
「まあ、そんなところだ」
敢えてツバサはぼやかしておいた。
ここで子細を明かしても、スプリガンたちにいらぬ気遣いをかけそうな気がしたからだ。オリベたちとスプリガンが接触してないところを見るに、恐らく最近では戦力不足から穴の底まで調べる余裕がなかったのだろう。
以前は世界樹を引き抜いた根の奥まで調べただろうが、イヨたちが来たのはこの200年前後。その頃には上空からの偵察だけで済ませていたらしい。
あまり詳らかにすると──スプリガンたちは自責の念に囚われそうだ。
『地球から時代を超えて転移してきた人々がいた!? な、なんてこと……我々の失態です! この償いは如何にすればよろしいでしょうか!?』
……などとブリカが騒ぎそうだから黙っておこう。
いずれ落ち着いたら、機会を見て教えてあげればいい。
しかし、思い掛けずイヨたちが真なる世界へと飛ばされてきた原因を知ることができた。世界樹の名残がもたらした異変によるものだったのだ。
……イヨたちにもちょっと話しづらいな。
しかし、彼女たちは今の生活を受け入れつつある。
「蒸し返すのも野暮か……」
ツバサは静かなため息をついて独りごちた。
~~~~~~~~~~~~
引き続き──天梯の間。
ダグを初めとしたブリジット3姉弟に招かれたのは、ツバサ、ミロ、レオナルド、フミカ、そして勿論、ダインとジンの工作者たちも付いてきていた。
天梯の間の損害状況は、他と比べれば軽微である。
それでも工作者たちは手を抜くことなく補修と改装を行った。
その後、小難しい話はツバサとレオナルドに委ねると、2人の工作者はフミカにせがんで【魔導書】から大量の花束を作ってもらっていた。
献花用にと見栄え良く束ねたものだ。
それを両手一杯に抱え、箱庭のそこかしこに供えていく。
彼らが献花しているのは──スプリガンの戦士たちの亡骸だ。
既に息絶えた彼らは鋼の身体を横たえることなく、まるで天梯を守るように跪いたまま眠りについていた。彼ら1人1人に花を供えて手を合わせる。
何も言わずとも──供養の心を欠かさない。
「ああいうところは躾けずに済むから安心できるんだよなァ……」
ツバサは思わず母親目線で呟いてしまった。
「……って誰が母親だ!」
「自爆しといてウチに怒鳴るんスか!?」
スプリガンたちを慰霊するダインとジンにツッコミを入れるのも憚られたので、横に並んでいたフミカに犠牲になってもらった。すまない。
「ここに眠るのは……蕃神との戦いで命を落とし損ねた者たちです」
ディアは控え目な口調で語り出した。
差し出がましいと思ったのだろう。だが、聞いてほしいようだ。
「多くの者は、蕃神たちとの戦いの最中で命を落としました……ある者は敵を道連れにして自爆し、ある者は最後を悟って戦艦に特攻を仕掛けて……」
話の途中で涙ぐんだディアは目頭を押さえた。
「それでも運良く……当人にしてみれば運悪く、辛うじて息を繋いだまま方舟へと帰ってきた者もいました。ですが、長くは保たず……」
息を引き取る寸前、自力でここまで辿り着く者もいれば、今際の際に「せめて眠るならば世界樹を護りながら……」と言い残した者もいたという。
ここはスプリガンの聖域であり──墓地でもあるのだ。
朽ち果てることのない鋼の亡骸は草に埋もれ、蔦が絡まり、苔生している。
それでも世界樹に何かあれば、今にも動き出しそうな迫力があった。
「謂わば──オレたちの大先輩です」
ダグは居並ぶ先代スプリガンたちを見渡した。
その眼差しは偉大なる戦士たちへの畏敬に瞬いているが、それと同時に罪悪感にも似た辛さから目を細めようとしていた。
「先代総司令官だった父さん……オレたちの父はここにおりませんが、父とともに戦った戦士たちの多くが戦いの中で倒れ、奴らとともに塵と消えたか……今もこうして、世界樹を守ってくれています……それが、オレたちの使命です」
ダグは戦士たちの墓標の前で跪いた。
「スプリガンとは、自らの生命を賭して大切なものを守るのが宿命……父も、仲間たちも、そのために命を使い切っていきました。そこには微塵の後悔もなく、ただ一片の未練さえないでしょう……ですがッ!」
オレはスプリガンとして未熟なんです。
自らを蔑む言葉──血を吐くようにダグは告白する。
機械と人間めいた肌の境目。人間でいえば胸板を掴むと、血のようなオイルが滲むまで爪を立てていた。我が身を傷つける行為に姉たちも焦る。
「ダグ、落ち着け! 気持ちは汲むが自らを損なうなど……ッ!」
「ダグくん、いけません! もう自暴自棄にならないって……ッ!?」
ダグは鬼気迫る眼力でブリカとディアを睨みつける。
総司令官の威厳か、漢の気迫か──姉たちを黙らせてしまった。
姉たちを黙らせたダグは跪いたままツバサたちに向き直り、そこで『巨鎧甲殻』を出現させると、自らの身体にまとわせた。
「うおっと!? こんな室内でトランスフォームすんの!?」
ミロは慌ててツバサの背中に隠れる。
フミカもダインの後ろに隠れようとするが、一緒になって隠れようとするジンと押し合いになっていた。ダインは眉を8の字にして困惑気味だ。
レオナルドも銀縁眼鏡の位置を直して刮目する。
ツバサもまた動じることなく、巨大化していくダグを見守った。
神族の道具箱にも似た亜空間から、自分用の装備とも言える『巨鎧甲殻』を呼び出すと、それをパワードスーツのように着込んでいく。
だが、ダグのそれはガンザブロンと比べると小柄だった。
全長は10mもなく、精々7mくらい。
おまけに細い──いいや、病的なくらい痩せていた。
ダグによく似た面立ちだが装飾は少ない頭部、まったく装甲に覆われてない関節や駆動部分が丸出しの機体。“痩せすぎ”という印象も道理である。
大型機械や建造物でいうところの“骨組み”。
機体を支えるための骨格に最低限の駆動系しか備わっていないのだ。
武装もろくに装備していない。
見る限り、何も身に付けていないらしい。
確かに『巨鎧甲殻』かも知れないが、ガンザブロンやブリジット姉妹どころか、下手をすれば戦士の娘たちにすら見劣りする貧相さだ。
とても総司令官の装備とは思えない。
「紙装甲どころの話じゃないねこりゃ……モガッ?」
余計な一言を呟くミロの口を塞いでから、ツバサはダグに声をかけた。
「やはり──君の『巨鎧甲殻』は出来上がってないんだな」
ツバサから見ると、ダグはあまりにも歪だった。
彼の持つ生命力はスプリガンの中でも最大。
その身に秘めるパワーだけなら、LV800相当の神族に匹敵する。
なのに、そのパワーを躍動させるための『巨鎧甲殻』の存在感があまりにも薄かった。10万馬力を出せるタンカー用の巨大エンジンを、無理やりカヌーに乗せているようなものだ。
巨大すぎる力に見合った身体を供えていなかった。
戦士の娘たちにも何人かいたが、これは主食である気密体が十分に摂れなかったせいで発育不全を起こしているためだ。
ダグは──その最たる例である。
「……ッ! 気付かれていたんですね」
病的に細い『巨大甲殻』をまとったダグは、巨大化しても跪いた姿勢を崩すことなくツバサに傅いた。そして、真に迫った願いを訴えてくる。
「お願いします……オレの『巨鎧甲殻』を完成させてほしいんです!」
──あなた方ならできるはずです!
「オレに……全力を出すための機体をお与えくださいッ!!」
未完の巨神は瞳にマグマのような熱意を滾らせていた。
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とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。
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やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。
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※表紙は作成者様からお借りしてます。
※他サイト様に掲載しております。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
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一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
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☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
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