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第10章 天梯の方舟と未完の巨神

第240話:“外”から訪う者を夢に見る

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 神族の肉体は人間と大きく異なる。

 まず──老衰ろうすいというものがない。

 何千年、何万年、と対策も講じずに生きていればいずれ老化することもあるだろうが、そもそも肉体的な新陳代謝が人間よりも桁外れに効率よく、老化現象を促す老廃物や毒素が溜まりにくいので細胞の衰えも極端に遅い。

 肉体を維持するカロリーや人知を越えた技能に使われるエネルギーは、森羅万象から自動的に供給される。これが神と呼ばれる力の所以ゆえんだ。

(※自然から供給されるエネルギーは肉体を維持する最低保証程度。それ以上の力を出そうとするなら、何らかの方法で栄養補給は欠かせない)

 とはいえ──神族の肉体も完全無欠には程遠い。

 先ほどのマリナのように自身の限界を超えて能力を使おうとすれば、滝のような汗もかくし、体内の活力エナジーを使い果たして衰弱する。

 もしも円柱の戦艦が更なる追撃を仕掛け、それをマリナが過大能力オーバードゥーイングで防ごうとしていたら……失神するぐらいなら御の字。最悪の場合、魂まで削られて、神族であろうとも“死”を免れなかったはずだ。

 そうなったら──考えただけでツバサの背筋が凍る。

 神々の乳母ハトホルという母性が発狂したに違いない。

 力を使い過ぎたマリナが何㎞も全力疾走した後のように汗水漬あせみずくになっただけで、ツバサは重たい胸をホッと撫で下ろしているところだ。

 そんなツバサは──マリナとお風呂に入っていた。

「あの……戦闘中にこんなことしてていいんですか?」

 マリナは気まずそうな顔で湯船に浸かっていた。

 子供にはちょっと深い湯船なので、ツバサの膝の上に身を預けている。

 ツバサのように大人の女として完成したグラマラスボディとは違う、まだ成熟の時を遙か彼方かなたに控えた初々しい乙女の肢体。

 染みひとつない透き通るような肌、女としても人間としても発展途上にある身体はふっくらした弾力を秘め、瑞々しい若さをその内に詰め込んでいる。

 ロリコンの心理は理解できないが、神秘的な魅力があるのは認めよう。

 自分の豊満すぎる発育を完了させた女体が地母神とするならば、マリナは汚れを知らぬ天使のように純潔を守る処女神だった。

 実際、マリナは神族としては処女神に分類されるのだが──。

 戦闘中なのにお風呂でのんびりすることに気がとがめるマリナを、ツバサは言い含めるように落ち着かせてやる。

「おまえの汗を流すくらいの余裕はあるよ。大丈夫、艦橋かんきょうはフミカ、現場はレオに任せてある。どちらもその方面では俺より有能だ」

 先の防衛戦で、マリナは全力を越える力を発揮した。

 そのせいで汗みどろになった身体を、こうしてハトホルフリート内に完備された大浴場で流しているところだ(24時間いつでも入浴できる優れ物)。

 ツバサもマリナに乳房を掴まれて、特大ブラジャーの中が不味まずいことになるほど漏らしたので、一緒にバスタイムを決め込んでいる。

 湯船の縁に背中を預けて、その縁に両腕を乗せて寛いだ。

 湯の浮力で超爆乳も浮くから楽だった。

 長い足を伸ばして、太股の上にマリナがチョコンと座る。

 解いた彼女の髪をツバサは手ぐしで洗ってやった。

「レオにはダインと連携を組んで、戦闘をしばらく膠着こうちゃく状態に持ち込むよう頼んできた。その隙にフミカには分析アナライズであれこれ調べてもらう」

 次元の裂け目をこじ開けて現れた以上、蕃神なのは疑いようがない。

 だが、これまでの蕃神とはいささおもむきが違うようだ。

 これまで遭遇した蕃神たちが動物的な生態で動いていたのに対し、彼らは巨大戦艦を駆って艦載機に乗り込み、編隊を組んで空中戦を挑んできた。

 まるで人間のような戦い振りである。

 蕃神というよりも異世界の人類、端的にいえば異星人エイリアンのようにも感じていた。その目的にしても蕃神と似て非なる雰囲気を漂わせている。

 だから戦闘を長引かせ、なるべく分析で情報を引き出すつもりだった。

 30分は掛かりそうッス──フミカは予定時間を示してくれた。

「その間にマリナおまえの汗を流してやるくらい、どうってことないさ……ほら、もっとしっかりかりなさい。ダインが回復効果が上がるよう強化バフを施してくれた特製の風呂だ。まだ疲れが取れてないだろう?」

 ツバサはあぐらをかいて座り直し、膝の上にマリナを乗せた。

 これでマリナも肩までちゃんと浸かれるはずだ。

 こうすると娘たちは喜んでツバサの胸に頭を預けてくるのだが、今日のマリナは顔を項垂うなだれており、こちらに寄りかかってこようとしない。

 不思議がっていると、伏し目がちにマリナが振り向いた。

「あの、センセイ……さっきはごめんなさい……ワタシ、おっぱいを……」

 恐らく、姿勢を変えるためツバサの胸をおもいっきり掴んだことに罪悪感を覚えているのだろう。真面目な性分だから思い詰めやすいのだ。

「気にするな、あの状況なら仕方ないよ」

 ツバサは常に清浄さが保たれている湯船の湯で、マリナの汗に汚れた髪を洗い流してやる。その最中、小さな頭を撫でるのも忘れない。

「わざとやったなら兎も角、あの危機を脱するためにしょうがなくやったことだ。褒めることはあっても怒りはしないさ」

 気に病むな──ツバサは柔らかい声音で慰めた。

 少し安堵したのか、マリナはツバサの母なる乳房へ遠慮がちに近付いてくると、その柔らかい頬をすり寄せてきた。

 少女らしいほっそりした指を伸ばして、ツバサの胸に寄り添ってくる。

 ただし、恐る恐ると──。

「でも、センセイ……やっぱり心はまだ男のままだし、このお母さんみたいなおっぱい掴まれたり、その拍子で…あの、えっと……ハトホルミルクが漏れたりするのをすっごく嫌がるの知ってますから……」

 そこまで気遣ってのことらしい。

 思いやりがあるのは嬉しいが、ここまで来ると心配性だ。

 でも──幼い気配りがいじらしい。

 ツバサは両腕を湯船の縁から持ち上げ、そっとマリナを抱え直した。

 マリナは「わっ!」と小さく驚きの声を漏らすが、より一層ツバサの胸に寄り添ってくる。こちらがそのように仕向けたのだから尚更だ。

 マリナを抱き寄せ、その耳元へ息を吹きかけるように囁く。

「いいよ、子供おまえたちなら歓迎してやるさ……」

 大浴場にはツバサとマリナだけ──貸し切りの個室みたいなものだ。

 こうなってくるとツバサも気が緩む。

 普段こそ「俺は男だ!」と肩肘かたひじを張っている気持ちが緩んで、神々の乳母ハトホルとしての母性本能が抑え込めなくなる。

 子供たちが愛おしくて堪らないのだ。

 神々の乳母ハトホルは牝牛の女神ともされるが、こうなると暴れ牛も同然。

 ツバサのなけなしの男らしい理性など聞き入れてくれず、密室でふたりっきりというシチュエーションも後押しして、母親という立場からこれでもかというくらいマリナを甘やかしたくなってしまった。

「ッ!? せ、センセイ! あの、ミルクが……ッ!?」

 抱き寄せられたマリナも気付いたらしい。

 自分たちを取り巻くお湯が乳白色に濁っていた。

 まるで入浴剤を混ぜたか、そういう色合いの温泉を注がれたように染まっていく湯船を見つめていたマリナは、こちらを見上げてくる。

 彼女の見たツバサの顔はきっと、娘が可愛くて可愛くてしょうがない、子供への愛情に満ちた母の顔をしていることだろう。

 考えたくも認めたくもないことだが……ッ!!

 胸の内に溜め込んでおけなくなり、湯船へ流れ出していく乳白色の液体が、天井知らずに高まる母性の強さを知らしめている。

「……まだ、活力エナジーが補えていないよな?」

 緩みきった口元で誘うように呟いたツバサは、マリナの顔を自分の胸の頂点へと導いていく。その真意に気付いたマリナは目を丸くした。

 驚きのあまり面食らっているのだ。

 普段、幼い娘たちは夜になればツバサと同衾どうきんを求めてくる。

 その際、寝る前にミロ、トモエ、マリナ、ジャジャなどは「ハトホルミルク飲みたいです! 直でお願いします!」と懇願する始末だ。

 ……最近、ここにイヒコも加わった。

 しかし、そういう時には大抵2人以上いるので、ツバサの男心が恥ずかしがってしまい「いやだ!」と拒んでしまう。

 結局押し負けて、2人同時に飲ませたりするのだが……。

 なので、ツバサから「大丈夫、おっぱい飲む?」と誘うことは滅多にない。

 その滅多にない機会を前にして、マリナは目をパチクリさせている。

「い、いいんですか!? センセイのおっぱい独り占めして!?」

 構うことはない、とツバサは笑みを濃くしてマリナを抱き寄せた。胸の頂点からあふれる生命の源泉、そこに彼女の唇を触れさせてやる。

 ここまで来るとツバサでは制御できない。

 完全に神々の乳母ハトホルの一人舞台──女神の独壇場どくだんじょうである。

「ああ…………さ、好きなだけ飲みなさい……」

    ~~~~~~~~~~~~

 汗まみれのマリナと、ツバサのハトホルミルクで濡れたおっぱいを洗い流すだけのつもりだったが、湯浴みに30分も掛かってしまった。

 気まずいながらも、自分とマリナを着替えさせて艦橋に戻る。

 マリナは防衛戦で力を使いすぎて、頬がけるほど衰弱していたが艦橋に戻ってきた頃には肌艶も良く血色も健康的になっており、子供らしい潤いたっぷりのプリプリモチモチ肌が輝いていた。

 一方、ツバサは恥じらうように頬を紅潮させているが、こちらはこちらで溜まったものを出してスッキリした表情をしている。

 なるべく表情に出さないよう冷静さを取り繕う。

「やぁ、お早いお戻りで──」

 艦長席にはツバサの代理としてミロが陣取っていた。

 無論、このアホ娘が陣頭指揮なんて高度な真似ができるわけもない。単にツバサの代わりに座っていただけである。足を組んでふんぞり返っていた。

「お風呂場ではお楽しみ・・・・でした……ねぷぅッ!?」
「いちいちうるさいよ、おまえは」

 こちらを茶化すミロの頭を小突こづいてやる。

 大方、直感と直観の相乗シナジー効果で見抜いたのだろう。

 もしくは、鼻が利くのでツバサから漂う乳臭さに気付いたか?

 マリナは顔を真っ赤にして俯いてしまい、何も答えられずにいる。そんな事後を尋ねられた乙女みたいに恥ずかしがられると困ってしまう。

 母と娘──その親子愛を確かめただけだ。

 それを情事みたいに受け取られると、こっちまで羞恥を覚えそうだ。

「そんなことより──戦況はどうなっている?」

 ミロをつまみ上げて艦長席から退かすと、自分が腰掛ける。

 すかさず膝の上にミロが乗ったので、マリナは(お風呂場でツバサを独占できたこともあってか)渋々とミロの膝の上に乗った。

 親亀、子亀、孫亀──。

 三段重ねになったところでフミカが報告してくる。

「現在、バサ兄のご要望通り且つ想定通り、戦況は一進一退の膠着状態になってるッス。ただ、敵さんの艦載機も数が減ってきたッスね」

「他の蕃神と比べて眷族が多くないのかもな」

 艦橋のメインモニター。追加で増やされた複数のスクリーンモニターには、ハトホルフリートを中心に行われている戦闘が映されていた。

 次元を突き破る巨大な円筒型の戦艦。

 それは先刻よりも僅かに次元の向こう側へ後退しており、戦況の推移すいいを見つめながら安全策を講じているように見受けられた。

 戦艦からの破壊光線による砲撃は断続的に続けられているが、マリナが復活したハトホルフリートの防護フィールドを破る威力はない。

 反面、ハトホルフリートからの砲撃は艦載機こそ撃ち落とすものの、敵の戦艦に届いた攻撃はあちらの防護フィールドに阻まれていた。

 互いの砲撃戦は、威嚇の域に留まっている。

 一方、円柱のような戦艦から羽虫よろしくワラワラ湧き出してくる艦載機、いびつな羽根を生やした銀色のエビのような連中はこちらに群がってくる。

 現実世界での空中戦とは比較にならない。

 万単位で群れてくる艦載機は、害虫の大群にしか見えなかった。

「……まるで蝗害こうがいだな」

 ツバサの呟きを物知りなフミカが拾ってくれた。

イナゴって普段は『孤独相こどくそう』という状態で生きてるんスけど、周囲の環境が変わってきて餌が極端に少なくなると、『群生相ぐんせいそう』って状態に変わって群れで移動するようになり、大群で移動しながら何でもむさぼるようになるんスよね」

 この現象を相変異そうへんいというらしい。

 生物学専攻の友人に聞いたところでは「一定地域内における個体群の密度の変化によって、ある種の生物が起こす行動や容姿の変化」とのこと。

 農作物などに大きな被害を及ぼすため、蝗害と呼ばれるのだ。

「実際、似たり寄ったりだしな」

 どうせ真なる世界ファンタジアを餌食にするつもりで乗り込んできたのだから、こちらの世界にとって害悪でしかない。全力で排除するまでだ。

 しかし、彼らの大群でもハトホルフリートには近付けない。

 甲板ではバリーが自慢の4丁拳銃による早撃ちで艦載機の撃墜を続けている。

 これを援護するのはレオナルドの直穿撃ストレートブロウによるパイルの乱射、クロコ率いるメイド人形部隊の狙撃。カンナは空飛ぶバイクロシナンテを駆って一騎当千の活躍振りである。

 こういう時だけ──クロコとカンナは有能だと実感できる。

 普段の彼女たちはいわゆる「残念な美人」だから……。

 4人の神族による迎撃が、1機たりとも近寄らせない。

 これで思い通り時間は稼げたはずだ。

「フミカ、おまえの分析アナライズもほとんど終わっているだろう?」

「ほとんどどころかバッチリッス!」

 振り返るフミカはドヤ顔で親指を立てた。

 返事するよりも早く、新たなスクリーンが展開される。そこには円柱型中の戦艦の構造図や、彼らの操るパワードスーツ型の艦載機の図面が現れる。

 それらを操る──キノコみたいな甲殻類。

 彼らに関する情報もまた具に記されていた。

「あの見た目は甲殻類で中身は菌糸類きんしるいな奴らを丸裸にしてやったッスよ」

「さすがだな、博物学の申し子」

 フミカへの純粋な賛辞だ。彼女も照れ臭そうに喜んでいる。

 次元を突き破る強襲型戦艦──。

 種族的な体質として受け付けない別世界でも活動できる、戦闘能力と飛行能力を兼ね備えたパワードスーツ──。

 これら人類顔負けの兵器を造る技術力を有する存在。

 別次元からやってきたからには蕃神ばんしんの一種と見て違いないだろうが、これまでの怪物じみた蕃神と比べ、やたらと文化的な面が際立つ連中だ。

「戦艦やパワードスーツを造るだけの科学力、隊列を組んでこちらを攻撃してくる戦略性……随分と人間じみているな」

「まだ検証中ッスけど、独自の言語体系も確認されてるッスよ」
「あれだけの兵器を建造できるんだ。コミュニケーションは不可欠だろう」

 フミカは未知の言語が並んだスクリーンを示した。

「遠目ッスけど円柱型の戦艦や艦載機から見て取れた未知の文字、それと艦載機や戦艦の間で交わされてる未知の交信……こういうのを解析してみた結果、ちゃんとパターンがあったんで、それなりに解読できたッス」

 まだ不明な点があるものの、いくつかは文章として読み取れた。

 どれも軍事的なもので、戦艦と艦載機の間で取り交わされる報告ばかりだが、同じ単語が何度も出てくるのが気になった。

『目標と異なる対象を発見──ナイ・アールからの報告なし』
『ナイ・アールから進言。新たな対象を攻撃せよ』
『異なる対象の戦力未知数。ナイ・アールにも予想外とのこと』
『被害多数! ナイ・アールの報告はまだか!?』
『敵艦より反撃! 対抗策を至急! ナイ・アールを問い詰めろ!』



『全部──ナイ・アールが悪い!』



 そこまで読んで、ツバサは顎に手を当てて考え込む。

「ナイ・アール……文脈から見るに誰かの名前だな」

「みたいッスね。あちら側の作戦参謀的な人物なんスかね? でも、交信の内容を探ってると、軽視されているというか何というか……」

「ああ、連中から侮られている感があるな」

 ナイ・アール──蕃神側から得た固有名詞は初めてだ。

 これから重要な情報源になる可能性もあるので、心の片隅に留めておこう。

 フミカが話を区切ったところでダインも進言してきた。

「アニキ、心配事はそれだけじゃないぜよ……あの戦艦にもパワードスーツにも、高純度のミスリルがよーさん含まれちょる」

 しかも真なる世界ファンタジア産じゃきに──。

 それを聞いたツバサは、彼らの目的にそれとなく合点が行った。

「あいつらが欲しいのは鉱物……こちらの世界の金属か」

 もしかすると、ツバサたちに襲いかかってきた理由もハトホルフリートに使われているミスリルよりも貴重なアダマント鋼かも知れない。

 だとすれば、物資目当ての侵略戦争を仕掛けられていることになる。

 今までの蕃神より文化的な基盤がしっかりしている分、話を持ち掛けることができるかも……という淡い期待もあったが、問答無用で襲ってきたのはこちらを獲物と見下している感があった。

 交渉するだけ無駄か──そんな諦念ていねんが生じる。

 そもそも、あの空飛ぶ甲殻類はどのような生物なのか?

 ツバサの疑問を察したかのように、フミカは飛行型パワードスーツを剥がされて正体を露わにしたピンク色の甲殻類について解説してくれた。

「見た目はかにとか海老えびッスけど、身体を構成しているのは菌糸類ッスね。動く巨大キノコとでも言うべきか、固めな粘菌ねんきんというべきか……」

 複雑に絡み合い、ひだのようなものに覆われている頭部──。

 まるで腐りかけて膨れ上がった脳のようにも見えるそれは、襞の奥から光を明滅させることで意志を表現しているらしい。仲間同士ではその明滅をモールス信号のように用いて、意思疎通しているというのがフミカの見解だった。

 それとは別に──発声器官もあるらしい。

「頭部は気味の悪いグチャグチャキノコって感じッスけど、身体は節足動物みたいな関節を持った甲殻類みたいッスね。手足にも指の代わりに鋏がついてるし、人間よろしく二足歩行で歩くみたいッスけど」

「本当に外見は甲殻類だけど、実体は菌糸類なんだな」

 種族としての肉体的特徴はさておき、次元の壁を打ち破る戦艦などというものを建造できる時点で、彼らの科学力は人類を上回っている。

 つまり、科学力では人類の先を行く知性体だ。

 神族として過大能力オーバードゥーイングに目覚め、人類を超越したオーバーテクノロジーを持つに至ったツバサたちでも軽視できる存在ではない。

 別次元からの新たな脅威──ツバサはふと閃いた。

「もしかして……クトゥルフ神話に同じような種族がいないか?」
「バサ兄ご明察、まったく同じのがいるッス」

 ツバサの質問を予想したのかフミカが即答する。

「見た目は甲殻類っぽいけど、その身体は菌糸類でできていて、人類よりも優れた科学技術を持ち、地球の鉱物を欲しがる種族がいるッス」

「まんま過ぎるだろ、それ……」

 ミ=ゴ──と呼ばれる種族だという。

 高度な文明と科学力を持ち、地球産の鉱物を求めて宇宙を渡る。

 まさに異星人らしいクリーチャーとのことだ。

 冥王星の衛星ユゴスに前線基地を造っているので、“ユゴスより来るもの”とも呼ばれるらしい。その種族的な特徴は前述の通り、「見た目は甲殻類、中身は菌糸類」なのだが、亜種や別種が多いとされている。

 また、雪山で目撃される雪男である“ビッグフット”や“イエティ”。

 これもミ=ゴだとされているが、関係性は曖昧だった。

「やっぱり、ここまで来ると偶然じゃ片付けられないよな」

「……バサ兄、どうかしたッスか?」

 深刻そうな思案顔をやめないツバサを、フミカが心配してくれる。

 ツバサにはある懸念けねんが芽生えていた。

「別次元からやってくる蕃神たちは、クトゥルフ神話に登場する存在と似たものが多すぎる。一度や二度なら偶然で済ませるが……」

 アブホースにあやかった──うごめく触手のアブホス。

 アトラク=ナクアになぞらえた──多脚蜘蛛たきゃくぐものアトラクア。

 ティンダロスの猟犬に似た──“角”かどを越えて現れる竜犬ティンドラス。

「それにミ=ゴ……二度あることは三度あるというが、もう四度目だ」

 二度までなら偶然で片付けてもいいが、三度目ともなれば眉をしかめる。

 そして、四度目になれば疑わずにはいられない。

「まだ推測の域を出ないが……蕃神はクトゥルフ神話と関係性があると見るべきだろう。ここまで似通ったのと出会でくわせば、疑わずにはいられない」

 時折、ツバサは幻視げんしする。

 還らずの都を巡る大戦争での出来事を回想するのだ。

 あの最終局面に出現した──巨大な蕃神の腕。

 天を塞ぐほど広大な次元の裂け目を開いて、そこから真なる世界を覗きつつ腕を伸ばしてきた蕃神。虚無の向こう側にある全貌ぜんぼうは見通せなかった。

 だが、あの戦いを思い返す度、脳裏にある幻像ヴィジョンが蘇る。

 あの巨大な蕃神の面影が──。

 頭足類とうそくるいを思わせる頭部。

 炯々けいけいまたたく眼は例える生物も見当たらないほど独特。

 永久とこしえに燃え尽きることのない恒星こうせいの如く、仄暗ほのぐらい情熱を湛えていた。

 口元や顎に当たる部分では無数の触手が1本1本、それぞれ確固たる意志を持って蠢いていた。見ようによっては威厳あるひげと見て取れなくもない。

 背には邪悪なドラゴンを想起させる、けがれた翼をはためかせていた。



 あれは──クトゥルフその物ではなかったか?



 最初は思い込みだと考えていた。

 クトゥルフ神話で用いられるようになった蕃神という単語を意識しすぎたため、あの巨大蕃神にその代表格だとされるクトゥルフの幻影を重ねていただけなのでではないか?

 だが、クトゥルフが産み落とすという落とし子たちは、クトゥルフに似るもどこか不定形で、一定の形を取らないとも聞いた。

 それは──巨大蕃神の体液から生じた溶融ようゆうする巨人たちでは?

 そうした疑念が募って、あの大戦争の最中にはっきり捉えられなかった巨大蕃神の全容を、クトゥルフに見立てようとしているだけではないか?

 無意識の成せるわざ──そう思い込もうとしていた。

 だが、ミ=ゴの出現により懸念けねん危惧きぐへと変わりつつある。

 艦長席は数人掛けの豪勢なソファにも似た仕立てだ。

 マリナとミロを膝から降ろして左右にはべらせるように座らせてから、ツバサは席から立ち上がった。操舵席の近くにいるフミカに数歩だけ近寄る。

 ツバサは声量を控えて、意味深長な口調でフミカに頼む。

「フミカ、クトゥルフ神話について調べ直してくれるか?」

「それはお安い御用ッスけど……」

 唐突なお願いにフミカは怪訝けげんそうだが、ツバサはまくし立てる。

 重大任務を任せるくらい真剣にだ。

御大おんたいと讃えられるラブクラフト自身の著作は元より、彼と作品世界を共有した人々の著作。ラブクラフト自身が影響を受けた、別次元や蕃神のような存在を描いた作家の作品、それらクトルゥフの影響を受けた後世の作品群……欲を言えば二次創作まで網羅してもらいたい」

 クトゥルフ神話──いいや、違う。

「我々の住んでいる宇宙の“外”そとから、地球侵略を企むような作品は徹底的に調べ上げてくれ。読書仲間のプトラにも手伝ってもらうといい」

 有無を言わさぬ注文に、さすがのフミカも眼鏡を落としかけていた。

 唖然として開いたままの口で聞き返してくる。

「そ、そこまで……とことん調べるッスか?」

「そうだ。微に入り細に入り、わかるところは虱潰しらみつぶしにだ。なんならアキさんにも手伝ってもらえ。彼女なら現実世界の情報を吸い上げられる」

 別次元からの侵略者である蕃神が、クトルゥフ神話に描かれているクリーチャーと相似そうじするならば、その作品群を読み解けばこれから遭遇するであろう蕃神を予測できるかも知れない。

 ──なんて期待は対策の一環だ。

 ツバサの危惧はまったく別のところにあった。

「予知、予感、予言……ミロの直感も似たようなものだが、未来を予測する能力はあるものだ。本人が意識無意識で使っているかは別だが……」

 クトゥルフ神話を描いた作家たち──特にH・P・ラブクラフト本人。

「彼らが無意識にそういった未来を見通す力や、別次元を覗く能力を持っていて、蕃神の侵攻を予知していたとしたら……」

 あっ! とフミカが大切なことを思い出したかのように声を上げる。

「ラブクラフトって確か……夢想家っていうか、よく夢を見るタイプだったらしくて、自分の見た夢から着想を得た作品が多いって聞いたッス!」

 ツバサは敢えて感想を述べず、ただ頷いた。

「調査は帰ってから──急がずともいいから丁寧に、そういった作品を読み返して楽しむぐらいのつもりで取り組んでくれ」

 頼んだぞ、と言い残してツバサは歩き出した。

 艦橋を出ようとするツバサに、艦長席にいたミロが飛び跳ねるようにと立ち上がり、スキップなな足取りでついてきた

 ミロは横に並ぶと、両手をお尻の後ろに回してやや前屈みとなる。

 そんなポーズで上目遣いにツバサに尋ねてきた。

「──ツバサさんも出るの?」

「あの茶筒ちゃづつみたいな戦艦を別次元あちらがわへ叩き返してやらないとな」
「んじゃアタシも行くー♪」

 ミロはツバサの腕に抱きついてきた。

「ツバサさんが蕃神を叩き返したら、アタシが裂け目を塞げばいいんでしょ?」

 そういうことだ、とツバサは役割分担を認める。

 何も言わずともついてきたのは、ツバサにおんぶに抱っこで離れないミロらしいが、自分で仕事の割り振りをしたのは成長の証か──。

 アホの子ながら責任感が芽生えてきたと思ってやりたい。

 ツバサとミロ──連れ立って艦橋を出る。

「……んんんッ!? ちょい待ちアニキ!」

 ジャストモーメントじゃ! とダインに妙な呼び止められ方をした。

 出陣しようとして気が張っていたツバサとミロだが、その出鼻をくじかれたみたいにズッコケかけた。気合いでどうにか踏み止まる。

 どうした? と訊くより先に艦橋内に電子音が鳴り響いた。

「正体不明の通信をキャッチ! ウチにご指名で送られてきてるぜよ!?」

「正体不明って……出所はどこだ!?」

 真っ先に思い浮かぶのは交戦中の円筒型戦艦からだ。

 交渉の提案か? 降伏勧告か? 

 戦況的にツバサたちが圧しているので後者はあるまい。

 通信の発信源をフミカが逆探知、すぐさま報告してくる。

「ハトホルフリートの後方……少なくともミ=ゴの戦艦じゃないッス!」
「奴らじゃない? それに、俺たちの後方……まさか!」

 通信を開け! とツバサは一も二もなく命じた。

 ダインとフミカも通信の正体を察したのか、短く「了解!」と答えただけで作業に移り、やがて艦橋のメインモニターに通信が繋げられる。

 モニターの向こうに映るのは──やはり艦橋らしき風景。

 しかし、ハトホルフリートと比べたら薄暗く、物悲しくも寂しい雰囲気が漂っている。よく目を凝らしてみれば、あちこち壊れたままのようだ。

 画像のノイズも酷く、映像も音声も途切れがちである。

『こち、ら……方舟“クロムレック”……応答、を……う……』

 やはり──方舟からの通信だ。

 そもそも、あの方舟を追跡していたらミ=ゴの戦艦と鉢合わせたのだ。

 方舟もこの周辺にいるのではと踏んでいたが、案の定である。

『……貴艦きかんは……どこの国に属するフネか……?』

 通信の主は自分たちが“クロムレック”という方舟の乗組員であることを繰り返し伝えてくると、出し抜けに尋ねてきた。

『神族にまつわる者、か……魔族、に連なる者か……ど、ちらでも、構わない……外来者たちアウターズと戦うからには……真なる世界ファンタジアに属する者、だろう……?』

 途切れがちな映像に、一瞬だが何者かの顔が映る。

 モニターの乱れた画像に現れたのは、ショートヘアの女性だった。

 年の頃なら20代前半。気の強そうな男勝りの双眸そうぼうに、凜とした面立ち。

 短めの銀髪なのでボーイッシュな印象を受ける。

 モニターにはバストアップ的な部分しか現れていないが、身体の各部位に機械的な装置を身に付けており、ボディスーツめいた衣装を着込んでいた。

 随分と先進的なフォルムの現地種族らしい。

 方舟がメカニカルなことと関係あるのだろうか?

 そんな興味を抱きつつも、ツバサは神妙な面持ちで彼女に回答する。

「灰色の御子に導かれ、地球テラから来た──といえば通じるか?」

 これを聞いた女性は電流が走ったように表情を強張こわばらせる。

『あなた方、が……“新しい神族”……お待ち申し上げておりましたッ!』

 見開かれた瞳は感動に涙ぐむも気丈に振る舞う。

 しかし、喜びに震える声を素直に吐き出してくれた。



『我らは“スプリガン”──これより貴艦の援護に向かいます!』


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