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第10章 天梯の方舟と未完の巨神
第238話:次元を突き破るもの
しおりを挟む青空の下──どこまでも広がる雲の海。
雲はところどころ盛り上がり、津波のように押し寄せるものもあれば、動かざること山のように不動のまま分厚く聳えるものもある。
その広大な雲の海を割り裂いて、巨鯨が顔を出す。
飛行母艦──ハトホルフリート。
雲海をかきわけて浮かび上がる姿は、大海を泳ぐ巨大なシロナガスクジラのように勇壮だ。雲から出たハトホルフリートは、そこからは雲に潜ることなく更に高度を上げていき、北西を目指して速度も上げていく。
方舟が消えた方角へ向けて──。
明朝、ハトホル一家から選抜した6名と四神同盟から駆けつけた4人の助っ人を乗せ、飛行母艦はハトホルの谷を旅立った。
昨日、ダインの放ったスパイペンギンというドローンを追跡中だ。
只今の時刻はお昼過ぎ──昼食を済ませたばかり。
メンバーは艦橋におり、食後の昼休みなので寛いでいる。
事が起きるまではリラックスしてもらいたい。
戦闘用コスチュームを身にまとったツバサは艦長席にいる。
真紅のロングジャケットの合わせ目からは乳房の谷間が垣間見え、タイトな黒のパンツは女性らしいムッチリした太股のラインを強調する。
そんな格好のツバサが艦長席に足を組んで座ると──。
『──海賊船の女船長だ! フラン○ス・ドレイクだ!』
『誰が女船長だ! あと、フラ○シス・ドレイクは男だろ!』
お約束のようにはしゃぐアホ娘に、歴史的なツッコミで返した。
『えー? アタシが見たドレイクは真っ赤なコートのボインボインだったけど』
『そりゃゲームの設定で女体化されてただけだろ』
『でもグ○グルさんで検索しても、そのドレイクさんばっかだったよ?』
『……サジェスト汚染されてやがる』
大人気ゆえの弊害とでも言うべきか。
歴史上の偉人が女体化されたり魔改造されるのは、日本のフィクションの伝統芸みたいなものだ。歴史に詳しい友人によれば「女体化なら江戸時代の作家、擬人化なら鳥獣戯画が最古じゃないかな?」とのこと。
女体化の伝統って江戸時代からあったのか!? と驚かされた覚えがある。
なんでも“傾城水滸伝”という小説らしい。
作者は南総里見八犬伝で有名な曲亭馬琴。中国の伝奇小説である水滸伝を翻案し、舞台を日本に置き換えて登場人物の性別をすべて逆にしたそうだ。
(※なので、女性キャラは男体化している)
そもそも八犬伝からして、男の娘の原型なキャラがいるという。
日本人の業は根深い──それはさておき。
艦長席に座るツバサの膝にはマリナが座っている。
彼女も戦闘用に誂えたドレス姿だ。
愛用の王冠型の帽子は脱いで、自分の膝の上に置いていた。ツバサの視界を邪魔しないための気配りだろう。よくできた娘だ。
こういう時、いつもならツバサの上にはミロが陣取る。
しかし、今日はミロが別のことに夢中なので、マリナがツバサの膝を独占できていた。おかげで終始ニコニコの笑顔である。
「ふっふっふ~ん♪ 今日はセンセイを独り占めです♪」
マリナは鼻歌を奏でるほど上機嫌だった。
10秒に1回は振り返り、満面の笑みで上目遣いにこちらを見上げる。
……このために帽子を取ったのかな?
「マリナちゃんがご機嫌ッスね~。おかげで防護フィールドの防御力がいつもよりアゲアゲッスよ。当社比で1.3割ぐらい上がってるッス」
「アニキもマリナちゃんのご機嫌に引っ張られとらんか? メインエンジンの稼働率が絶好調じゃ。もうちょい吹かせそうじゃの」
艦長席の前──操舵席から声が掛かる。
操舵輪を握るのは、蛮カラ番長なサイボーグのダイン。航空管制を初めとした艦内の情報処理は、アラビアンな踊り子めいた文学少女のフミカが務めていた。
どちらも、これが戦闘用の衣装である。
母艦を動かすメインエンジン。そのエネルギー増殖炉の役目を果たす巨大龍宝石には、ツバサとミロの過大能力が宿っていた。
ツバサとミロが力を注げば、エンジンの出力を倍増させられる。
艦を守る防護フィールドの基幹システムにはマリナの過大能力を宿した龍宝石が組み込まれており、これもマリナとシステムが連結することで相互補完して防御力をもっと高められる。
それらエネルギー源や艦内システムの管理をフミカが過大能力で請け負い、最終的にハトホルフリートを建造したダインが調整する。
これにより、ハトホルフリートは十全の機能を発揮するのだ。
「……そがいハトホルフリートでも、蕃神の王やらその眷族とかち合うとなっちゃあまだまだ不十分。もっと改造して最強の宇宙戦艦にしちゃるぜよ」
「おまえ、そのうち波動砲とか搭載する気だな?」
意気込む長男に「程々にな」とオカンは釘を刺しておく。
……前もこんな会話をした気がするな。
そして、いつもなら人の十倍騒いで存在感を主張するアホの娘だが、前述の通り今日はツバサの近くにおらず、別のところにいた。
広い艦橋内には、いくつかのテーブルスペースがある。
簡単な打ち合わせをしたり、軽食を食べたりお茶を飲んで休憩できるように設けられたものだが、そこにミロとある人物が一緒にいた。
「違うってジンちゃん──ここはシュピピーン! ってラインにしないと。それだとジュピピーン! でしょ。シュって行かないとシュっと!」
戦うお姫様、そんな二つ名が似合いそうな蒼のドレス。
ミロもまた戦闘が起きるのを予見して、愛用のバトルドレスを装備しているのはいいのだが、肝心の戦いが始まる前からヒートアップしていた。
アホの熱弁を浴びるのは──マスクを被った変態。
「ほら、だからミロちゃん、これはシュピピーンだよ。このシュピピーンにしとかないと鍔元からのラインがペカカーッ! てならないよん?」
赤と黒を基調とした、目元だけが白いアメコミヒーローなマスクを被っているが、作業着やベストをまとった姿は工作者そのもの。
ミロの意味不明な注文を、完璧に把握しているようだった。
今回の助っ人1人目──ジン・グランドラック。
ジンはテーブルの上に持参したノートパソコンを開いており、その画面には神剣の3Dモデルが映っている。ミロはそれの各部を指差し、あーだこーだと熱っぽい声を上げては注文を付けていた。
データ作業ならフミカたちがよく使っている中空に浮かぶスクリーンを使えばいいものを、何故かジンは古臭いラップトップを使っていた。
ジンなりのこだわりか? 単なる懐古趣味かも知れない。
現実世界のIT機器は日進月歩。
ノートパソコンやラップトップでさえ過去のものとなりつつある。
「センセイ、ミロさんはジンさんと何をやってるんですか?」
2人の会話を理解できず、マリナが首を傾げる。
「あれは新しい神剣と聖剣のデザインを相談してるんだよ」
神剣──ミロスセイバー。
聖剣──ウィングセイバー。
長めのロングソードだった神剣と、短剣というには大振りだった聖剣。
この二振りを使い、二刀流で戦うのがミロのスタイルだった。
この二振りは“還らずの都”の戦争でパワーアップしたミロの影響により、融合合体を果たして一振りの大剣になってしまった。
覇唱剣──オーバーワールド。
ミロによれば「頑張れば元の2本に戻せるけど面倒くさい」という理由により、覇唱剣のまま道具箱へ収められている。
それはそれとして──神剣と聖剣がないと手持ち無沙汰。
覇唱剣は強いが小回りが利かないのも難点だという。
そんな理由から、アルマゲドン時代に剣を打ち鍛えてくれたジンに新しい神剣と聖剣を発注しているところのなのだ。
「そうそう、そこはシュピピーン! と……ああ、そっちはザギャガ! って感じじゃダメ! ギガシャ!ってもっと尖らせて……違う違う! そっちは尖らせた分、こっちはファァッサァ……って優雅にふんわりと!」
「いやいや、ここは敢えてギガシャ! の上を行くデギャガシュ! って先鋭的なデザインにするべきっしょ? んで、こっちの飾り羽なデザインはファッサファッサァ……ってエレガントさを倍掛けして……これでどうだ!」
飛び乱れるオノマトペな表現──。
耳慣れない擬音を飛び交わせてデザイン案で紛糾するミロとジンだが、ちゃんと意思疎通はできているらしい。
証拠はジンのノートパソコンの画面だ。
そこに映る神剣の3Dモデリングが着実に完成へと近付いていた。
しかし、端から見ている限りでは、アホと変態がわけの分からない奇声を上げているだけなので、マリナはとっても訝しげだった。
「……センセイ、ワタシにはあの2人がなんて言ってるかわかりません」
「安心しろ、俺もわからないから」
アホのミロも変態のジンも──芸術家気質なところがある。
独特の美学を持っているのだ
ああいったアーティスティックな感性を持つ者同士にしかわからない、特殊なやり取りというものはある。そこに凡人の理解は及ばない。
「……理解できません」
マリナが困り顔を左右に振って繰り返した。
「そうじゃなぁ……ミロ嬢ちゃんの直感的なセンスから来る、あない擬音だらけの注文を聞き分けられるんはジンの兄弟くらいなもんやきに」
ダインも半笑いでマリナに同調した。
「でも、ミロちゃんの直感はバカにできないッスよ。ウチとダイちゃんが、調べに調べて気付いた、方舟の被害状況を一目で見抜いたんスからね」
方舟が壊れている──昨夜、会議の場でミロはそう言った。
その直後、ダインとフミカが慌てた様子で会議の場に飛び込んできて、「方舟の被害状況について」という報告書を提出してくれたのだ。
「ミロ嬢ちゃんが見破った時点で、わしら形無しじゃがな」
ダインは操舵輪を軽く回して自嘲する。
「いいや、そんなことはないぞ」
自分を卑下するダインに、ツバサはその考えを改めるよう促した。
「確かに、ミロやミサキ君は一目で方舟の状況に気付いた。だが、彼女たちの意見は直感に頼るところが大きく、根拠に乏しいところがある」
いち早く核心を突くが、過程や詳細についてはイマイチなのだ。
「その点、おまえたちのくれた報告書は入手した情報を綿密に分析した上で、丁寧に解説している。これは明確な判断材料となる」
昨晩、ダインたちが出してくれた報告書を道具箱から取り出す。
何度も読み返したが、もう一度目を通しておきたかった。
「自分の仕事を蔑むな」
おまえたちはよくやっている──ツバサは素直に褒めた。
これを受けたダインとフミカは照れ臭そうに微笑んだ。一度だけツバサの方に眼を遣ると、それぞれの仕事を全うするべく戻る。
「へえ、ボスの風格たっぷりじゃないの──ウィング」
軽口で割り込んできたのは、カウボーイ風の男だった。
「まあ、おれとしちゃあたっぷりおっぱいに目が行くんだけどね」
「……セクハラ言ってるとまたケイラさんに怒られるぞ」
ツバサが睨めば「怖い怖い」とカウボーイは肩をすくめた。
無精髭の目立つ彫りの深い顔立ち。ボサボサの茶髪にテンガロンハットを目深に被って、羽織った防塵マントの下には腰の左右に4丁の拳銃。
2人目の助っ人──バリー・ポイント。
今回、アハウ陣営から派遣されたのは彼だった。
アルマゲドン時代どころか、その前のアシュラ・ストリートからの知り合いでもある彼は、ツバサを以前のハンドルネーム“ウィング”で呼ぶのだ。
ミロとジンが大騒ぎのテーブルとは別のテーブル。
そこのソファに1人で腰掛け、拳銃の手入れに余念がない。テーブルの上に弾丸を並べ、錆びや破損がないかチェックしている。
チャラチャラしているのに意外と細やかな男なのだ。
「まさか、おまえを寄越してくれるとはな」
アハウ陣営からはマヤムが派遣されると予想していたので、風来坊の拳銃使いがやってきたので少々驚いていた。
今回──バリーは自ら志願したという。
「いやなに、前回はウチのカズ坊だけじゃ戦力不足だったって聞いたからさ。またドンパチになるかも知れないなら火力重視じゃね? って」
そう思ったわけよ、とバリーは回転輪胴を回した。
「それと、あれだ……ほら、おれって拳銃しか能がねえからさ。荒事がなきゃ仕事もねえわけよ。ククルカンの森でも見廻りぐらいしかできねぇの」
そのことで奥さんのケイラに小言を食らったらしい。
「ちゃんと働かないと、ウチのカミさんに後ろ蹴りを食らわされるからな」
苦笑するバリーは手入れを終えた拳銃をホルスターに収める。
「ケイラさんの後ろ蹴りか……おまえんとこも壮絶だな」
ケイラ・セントールァ──アハウ陣営の1人。
彼女はバリーの奥さんであり、種族ケンタウロスから騎馬神という神族になった女性だ。肉体的特徴はケンタウロスのものを引き継いでいる。
ケンタウロスの後ろ蹴り──並の人間なら即死する威力だ。
夫婦喧嘩になったらバリーの分が悪い。
「そんなわけで、遠距離戦がメインのドンパチになったら言ってくんな。ちゃんと活躍しとかねぇと帰ってカミさんの尻に敷かれちまう」
「ケイラさんの尻って……それ馬の尻と同じだろ」
実際、バリーとケイラの夫婦関係はどうなのだろうか?
下世話な話題になるが、物理的にどうやるのか気に掛かる。
「まあ、おれはカミさん1人を愛するのでヒーコラ悲鳴を上げてるわけよ。アンタみたいに爆乳美女を4人も侍らせる甲斐性はないわなぁ」
なあ──獅子翁の旦那ぁ?
バリーは摘まんだ弾丸をチェックしつつ、目を眇めてもう1人の顔馴染みを皮肉った。彼もまたアシュラ時代からの付き合いだ。
3人目の助っ人──レオナルド・ワイズマン。
昨夜の会議で「イシュタル陣営から2人派遣する」「1人は工作者のジンを指名」と決まり、ミサキが派遣したもう1人の助っ人だ。
イシュタル陣営の№2、ミサキの軍師にして腹心(自称)。
参加した理由としては──。
『還らずの都の時もそうだが、この世界の遺物を見たり、灰色の御子に面会したいと思ったのだがね……防衛の観点から控えていたんだよ』
今回は是非とも参加したい、とミサキに立候補したらしい。
だが──死ぬほど後悔していそうだ。
「や、やめろぉぉぉーッ! 落ち着けカンナぁぁぁーッ!?」
レオナルドは艦橋内を逃げ回っていた。
飛行系技能まで駆使して、床も宙もなく高速で逃げている。
その形相は死に物狂いで冷や汗まみれ。
ナチスの上級将校みたいな軍服姿の青年──。
そんなレオナルドが余裕なく逃げ惑うのは、ちょっと滑稽だった。
「何故逃げる、レオナルド!」
そんな彼を追い回すのは、白銀の鎧に身を固めた女騎士。
4人目の助っ人──カンナ・ブラダマンテ。
クロウ陣営から参加した彼女はアルマゲドンにおけるGMであり、同じくGMのレオナルドとは上司と部下の間柄だ。
会社での上下関係以前に、幼い頃からの幼馴染みでもある。
「可愛い幼馴染みがこうしてわざわざやってきたというのに、おまえのその態度はなんだ! 抱擁のひとつでもして受け入れるのが男だろう!」
「可愛い幼馴染みは鎧を着たまま殺人的な抱擁を求めてこない!」
重厚な騎士の鎧をまとったカンナは、トレードマークでもある長いツインテールを靡かせて、両手を広げたままレオナルドを追いかける。
追いついた瞬間──ベアハッグ級の抱擁をかますつもりだ。
逃げるハリネズミ頭のナチス将校、追いかけるツインテの女騎士。
まるでドタバタ劇のような逃走劇と追跡劇に、マリナはケタケタ笑い、バリーも面白い見世物のようにニヤニヤ見物する。
そんなレオナルドの足が不意に止まった。
彼が床に着地した瞬間、そこから影が伸び上がったかと思えば触手のようにレオナルドへ絡みつき、彼の動きを著しく制限したのだ。
レオナルドを拘束したのは──1人の変態メイド。
「やっと掴まえましたよ……レオ様」
「ク、クロコォォォォッ! おまえもいたのかぁぁぁぁーッ!?」
レオナルドはアシュラ時代にも聞いたことのない、断末魔みたいな悲鳴を上げて振り解こうとしたが、粘りつくクロコは離れやしない。
クロコ・バックマウンド──ハトホル陣営からの6人目だ。
先日、仲間が3人増えたことにより、ハトホル陣営からは更なる予備戦力の増員を出せるようになったので、もう1人追加することになった。
名乗り出たのが、この変態メイドである。
クロコはしなやかな女体をフル活用して、まるで大蛇の如くレオナルドを締め上げるようにまとわりつく。そういうプロレス技みたいだ。
艶めかしい蛇女が獲物を捕食するシーン。
見ようによってはそう見え……いや、そういう風にしか見えない。
「センセイ……ウチのメイドがウザくてキモいです」
マリナは怖がりながらも目を離せず、ツバサの胸の下に逃げ込みながらも顔だけはレオナルドを捕らえたクロコから逸らさなかった。
「ああ、知ってる……おまけに変態だから三重苦だな」
それでも有能すぎるから罷免にできないのだ。
今回、クロコがついてきた理由──。
どうも自分の拠点に帰る間際のミサキを引き留め、手練手管であれこれ聞き出し、「レオさんに頼もうかと思います」という情報を得たらしい。
彼女もカンナ同様──レオナルドにゾッコンなのだ。
どうもレオナルドは「爆乳美人だけど性格がぶっ飛んでる」女性に恋心を抱かれやすい気質らしく、4人の部下に岡惚れされているという。
ミサキの陣営にいるアキさんもその1人だ。
まだ未登場だが“ナヤカ・バーバーヤガ”という、この3人を超える爆乳美女が控えていると、クロコから聞かされている。
会社では「レオナルド爆乳特戦隊」と陰口を叩かれていたそうな──。
「さあ、カンナ様。このままレオ様を休憩室に連れ込み、私たちの本懐を勢い任せに遂げてしまいましょう! 今夜はお赤飯です!」
「断る! 拙者はハーレムなどお断りだと申したであろう!」
クロコ、アキ、ナヤカはハーレム賛成派。
カンナだけは「ハーレムなど破廉恥!」と反対らしい。
クロコとカンナに共闘されたら、いくらレオナルドでも危ういだろう。
しかし、彼女たちが反目し合っているので、これ以上の窮地に陥ることはないと踏んだレオナルドの眼には安堵の光が見え隠れしていた。
カンナの背後──どこからともなくクロコの分身が現れる。
クロコは人形操作系や従者創作系の技能に優れており、自分とほぼ同等の能力を持つ自動人形を何百体も操ることができた。
それを「道具箱を自分だけの裏方部屋にできる」過大能力で、いつでもどこでもスナック感覚で入れたり出したりできるのだ。
クロコ(分身)は、背後からカンナの耳に囁きかける。
「よろしいではありませんか……この真なる世界では現実の常識など通用しないのです……一夫一妻などという古臭い慣習に縛られることはありません」
2体目の分身が現れ、反対側からカンナの耳に語りかける。
「今ならカンナ様が第一婦人で構いませんよ……? アキさんとナヤカ様の了解は得られております……第一婦人、正妻でございますよ?」
「レオナルドの……しし君の正妻?」
幼馴染みらしい呼び方で、カンナはゴクリと生唾を飲んだ。
「そうです、正妻……幼馴染みから正妻にクラスチェンジですよ?」
「カンナ様が、何人もいるレオ様の女の中で、一番となるのです……」
「ですから、私と協力して……さあ、レオ様を休憩室へ連れ込みましょう……」
3体、4体、5体……クロコの分身は増え続け、カンナを甘言で弄していく。
カンナは眼をグルグル回転させると、薄ら笑いで頷いた。
「そ、そうだな……正妻で第一婦人なら……仕方ないことだ……な?」
「おい幼馴染み!? おまえチョロすぎだろ!?」
どうやらカンナは催眠系技能への耐性が低いらしい。
女騎士なのに猪武者と揶揄されるだけはある。
「あれが“くっ殺”女騎士ってやつですね」
「違うぞマリナ、そんなアホなこと誰から教わった?」
マリナの勘違いな情報を正すとして、教えたアホは言うまでもない。
クロコのメイド人形たちと女騎士に羽交い締めにされ、レオナルドは為す術なく連行されていく。まるで担ぎ上げられた神輿のようだ。
その先には待ち受けるのは──ベッド付きの休憩室。
「ら、拉致だぞこれは!? おい、やめろ、離せ……だ、誰かー!? 助けてくれーッ!? ツ、ツバサ君、笑ってないで何とかしてくれーッ!?」
レオナルドがここまで醜態をさらすのも珍しい。
というか、初めてかも知れない。
いいかげんにしろ──とクロコを叱って場を収めておく。
これでレオナルドは事なきを得たが、カンナは抱擁を諦めておらず、また艦橋を逃げ回る羽目となる。もう飽きるまでやらせておこう。
それを横目にツバサは、ダインとフミカの報告書に目を通した。
フミカの分析とダインの工作者としての見解。
これらを照らし合わせると方舟は装甲こそ万全に見えるが、その下は修理が追いつかないほど壊されており、舟に搭載されている機能も4割以上が不全を起こしている可能性があるという。
それでいてツバサにすら勘付かせない自己隠蔽機能を保持しているのだから、大したものだ。「大切なものを守る」という強い意志が感じられる。
外部からの攻撃によるダメージも深刻だが、それだけではない。
巨大な物体……例えば大きな山などに叩きつけられたようなダメージも見受けられるらしい。そのため船の背骨たる竜骨が曲がり掛け、長くは保たないというのがダインの見立てである。
「やはり蕃神の仕業だろうな……」
報告書を読み返したツバサはボソリと呟いた。
すかさずダインから合いの手が入る。
「現地種族の抗争でこうなったっちゅう考えも浮かばなくはないが……この世界の情勢を考えるに、身内揉めは考えにくいぜよ。そう考えるよりは蕃神のせいにしちょいた方が腑に落ちるってもんじゃき」
ダインはほぼ蕃神の仕業だと決めつけているらしい。
「その報告書、あくまでも手に入ったデータを元にした推測ッスけどね」
ダインに続けとばかりに、フミカも私見を述べる。
「あの方舟、自己隠蔽能力がハンパなかったんで、ウチの分析でも調べきれなかったところがあるんスよね。でも、ひとつだけ言えることがあるッス」
あの方舟は──人為的な修理をされている。
その修理が追いつかないほど損耗しているのだが、それでも何者かの手によって修理が施されている、とフミカは断言した。
「つまり……あの船には乗組員がいるってことだよな?」
「恐らく、まだ見ぬ現地種族が頑張ってる証ッスね」
フミカは真面目な顔を振り向かせた。
そんな彼女にツバサは黙って頷く。
この世界で追い詰められている者たちを助けたい気持ちは同じだ。
方舟に追いついたら穏便にアプローチを計り、事を荒立てずに乗り込んでいる現地種族と通信を行い、スムーズに初期接近遭遇を果たす。
そうなるように祈りながら、ツバサは艦長席にもたれかかった。
マリナも小さな身体をこちらに預け、甘えるように胸にしなだれかかる。
可愛い娘の頭を撫でていると、不意に電子音が鳴り響いた。
「スパイペンギンたちの電波を確認。もう近くまで来ちょるぜよ」
そうか、と答えてツバサは身を起こした。
スパイペンギンたちに追いついたということは、彼らが追跡していた方舟もこの近くを飛んでいるということだ。思ったより早く追いついたらしい。
その時──耳障りな警報が鳴り響いた。
ツバサが問うまでもなく、ダインとフミカが持ち場にあるコンソールやモニターを確認して騒ぎ出す。
「スパイペンギン0002、0005、0008……LOST! なんじゃこりゃあっ!? どっかから撃ち落とされちょるみたいぜよ!?」
「前方2時の方向に異常な力場を確認! 空間を歪ませるほどの圧力が、どこからか押し寄せて……まさかこれって!?」
フミカが悲鳴を上げる前に、ミロが立ち上がって吠えた。
「総員──対ショック防御ッ!」
ミロの号令に誰も返事をせず、行動することで返答とした。
ツバサは過大能力で髪を伸ばすと艦長席に自分とマリナを固定して、抱きついてくるマリナをしっかりと抱き締める。
バリーは装備を一瞬の早業で片付け、テーブルの下に隠れて床に固定された足にしがみついた。ジンとミロもそれに倣った行動をする。
レオナルドは気功で創った杭を床に打ち込んで自身を固定。
ここぞとばかりに抱きつくクロコとカンナを、仕方なしに受け入れていた。
ダインもフミカを抱き締め、操舵輪を抱えて衝撃に備える。
そして──空間が突き破られた。
フミカの言った通り、ハトホルフリートの進路から見て3時の方角に広がる青空が、まるでガラス細工のように次元の外側から突き破られたのだ。
次元を突き破って現れたのは──円筒形の物体。
鈍い銀色に輝く巨大な円柱のようなものだった。
その大きさたるや天を支える柱のように太く大きく長く、次元の壁を突き破ったことから、城門を打ち破る破城槌を思わせる物々しさを感じてしまう。
銀色の巨柱は、凄まじい勢いで次元を超えてきた。
その威勢は衰えることなく、まだこちらの世界へと突き込まれている。
巨大な円柱の進む先には──ハトホルフリートがあった。
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