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第10章 天梯の方舟と未完の巨神
第236話:消える方舟を追跡せよ
しおりを挟むそれは──南東の空から現れた。
ツバサの過大能力【偉大なる大自然の太母】は、自然を司る地母神となれる能力なので、周囲一帯の自然がどのような状況か知覚できる。
成層圏を越える天の空から星の核に届く地の底まで余すところなくだ。
何事もなければ無意識のままに流すだけ。
些細な出来事でも気になれば意識を向けてしまうし、大きな異変が起きれば否応にも神経を尖らせてしまう。
ましてや、あれほどの大物ならば近付くだけでわかるはずだ。
なのに──違和感すら覚えなかった。
南東の空の果て、そこには雲ひとつない青空が広がっている。
その空に突如として異変が起きた。
空中の一部が歪んで見えるようになり、やがて水面に油をこぼした時にできる油膜のような色相の変化が現れたのだ。
「……シャボン玉みたいです」
マリナの感想は子供らしくもナイスないい表現だった。確かに、シャボン玉を注視した時に表面に見て取れる油膜みたいな色合いだった。
「……ダマスカス鋼の表面にも似ちょるなぁ」
ダインの言い方も的を射ている。最高の金属として名高い、あの複雑な木目状の紋様を持つ鋼材にも似ていた。
空中に現れた歪みは、次第に透明な輪郭を形作っていく。
それは──巨大な方舟となった。
色相の変化で覆われていた外観はゆっくりと鏡面状のものへ変わっていき、船首から割れるように剥がれては消える。
そうして、方舟はこちらに近付きながら全貌を現した。
大きい──全長は400mを越え、500mに近い。
「ハトホルフリートより一回りでかいぜよ……」
ダインの目算も同じくらいだ。
伝説の「ノアの方舟」が大体134mぐらいと言い伝えられており、ツバサたちの所有する飛行母艦ハトホルフリートが200m前後といったところ。
全長450mと仮定しても、最大級の空母を越える超弩級サイズだ。
(※現実に存在する最大級の空母は米国の原子力空母であるニミッツ級航空母艦シリーズ。艦によって多少の差はあれど、その全長は平均333m)
船首らしき部分は見受けられるが、全体的には方舟というだけあって長方形の箱みたいな外観をしている。岩盤のように分厚い鋼の装甲、それも1枚1枚が規格外に大きいパネルを継ぎ合わせたかのような船だった。
敢えて名付けるなら“装甲方舟”とか呼びたいところだ。
その方舟が──ゆっくり接近してくる。
これほど巨大な物体が空の大気を押し退けて近付いていたというのに、ツバサの【偉大なる大自然の太母】が気付かないわけがない。
フミカの分析系魔法やダインのセンサー系だってそうだ。
これらに引っ掛からないわけがなかった。
即ち、方舟にはこちらを上回る自己隠蔽能力があるということ。
俺たちもまだまだってことか、ツバサは内心悔しがる。
ツバサに抱きついていたマリナは、大きすぎる爆乳を下から持ち上げるように顔を出すと、剥がれ落ちていく鏡面状のものを観察していた。
結界に秀でた彼女はその正体を見抜く。
「あの剥がれたシャボン玉みたいな鏡……強力な結界です! こちらの認識を阻害したり、気配どころか存在その物を隠す能力を持ってて……だから、こんなに近付いてもわからなかったんです!」
そこまで高度な結界を構築する技術──興味深い。
あまつさえ今まで数々の危機を察知してきた、ミロの直感と直観さえすり抜けたことになる。彼女はまったく騒ぐ素振りを見せていない。
アホ面で方舟を眺めるばかり──。
ミロが騒がないのは「あの方舟に敵意はない」とわかっているからだ。
もし上空に浮かぶ方舟に脅威を感じたら、こんなにのほほんと呆けているわけがない。ミロの危機察知能力には全幅の信頼を置いていた。
方舟はこちらへやってくる。
ツバサたちに気付いているのか? 出方を窺う。
そのためにも、こちらから下手な手出しをしたくはない。
「全員、動くなよ」
ツバサは右手を横に伸ばすと、その場の全員を制した。
家族だけではなく、イヨたちにも言い聞かせる。
オリベはイヨの前に出て庇い、荷運びに励んでいた男衆たちも荷物を置いて休みがてら上空を見上げていた。
心なしか──彼らには既視感があるように思えた。
イヨやオリベも方舟の出現に慌てた様子を見せず、「もしかしてあれですか?」と指を差したところを見るに、何度か目撃しているのかも知れない。
その子細については後ほど問うことにして──。
こちらに気付いて停船するかもと淡い期待をしたが、方舟はノーリアクションでツバサたちの頭上を素通りしていく。
大森林の中央──地下洞掘のある広場。
この広大な森林で、この場所を狙い澄ましたかのように通過していくのは意図的に思えた。まるで地下洞窟の確認に現れたみたいだ。
「フミカ、あの舟がこちらを調べている気配はあるか?」
ツバサは方舟から目を離さぬままに尋ねた。
フミカはダインの大きな背中に庇われながら、【魔導書】を操作して感知能力を働かせていた。本のページがペラペラと独りでにめくれていく。
「この一帯を調べているような探知系の働きかけは感じられるッス。でも、そんなに根掘り葉掘りじゃなくて、いいとこ監視カメラぐらいのものッスね」
「……さほど重要視はしていないのか?」
地下洞窟の上に現れたタイミング良すぎるので勘繰ってみたが、大きな変化でもない限り行動に出ることもないのかも知れない。
「俺たちに気付いていると思うか?」
更なるツバサの問い掛けに、フミカは即答せず言葉を選ぶ。
「監視カメラをチェックしてれば、ウチらにも気付きそうッスけど……地上にいる現地種族ぐらいにしか思われてないんじゃないッスかね?」
自慢ではないが、ツバサたちは高LVの神族だ。そこにいるだけで強大な気配を発し、時に世界へ大きな波及を及ぼすことさえある。
そうした力を感知できれば、無視して素通りはできないはずだ。
「こちらに注目しているわけじゃなさそうだしな」
ツバサたちに気付いている可能性が無きにしも非ずだが、ここまで近付きながら無反応なのは興味がないと受け止めていいはずだ。
あるいは──別の理由でもあるのか?
方舟はその図体に見合わない高速で飛んでいる。
ツバサたちがその航路を見守っている内に、方舟は悠々と頭上を通り過ぎ、南東から北西の空を目指して進む。やがて船尾を拝むことになった。
「アニキ……あれ、追わんでええんか?」
恐る恐るダインが尋ねてきた。
ククリから「真なる世界にまつわる重要な存在」と聞いて、同盟の人員を割いてまで探していたのだから当然だ。
「追いたいのは山々なんだがな……迂闊に手も出したくなくてな」
まず──あれが目当ての方舟だという確証がない。
そのため危険度が未知数だから、調査のために接近するにしろ潜入するにしろ、こちらの人員や準備を万全にしておきたかった。
ツバサ、ミロ、マリナ、ダイン、フミカ──。
この場にいるメンバーなら、大抵のことを乗り切る自信がある。
それでも万全ということはない。
還らずの都での一件のように戦力不足で追加の人員を求めたり、巨大蕃神の乱入に際しては、各陣営の総大将とも言える内在異性具現化者のミサキとアハウまで駆り出してしまった。
あのようなこと、二度とあってはならない。
陣営の守りを疎かにしたがために隙を突かれ、それぞれの拠点に暮らす現地種族に被害が出たりしたら、悔やんでも悔やみきれなくなる。
「今すぐにでもあの方舟に乗り込んであれこれ調べたいところだが、ここはグッと我慢だ。下手を打ってしっぺ返しを喰らっても面白くない」
「だよね──ツバサさんならそういうと思った」
ミロはわかっていたかのような台詞を呟きながら跳び上がり、ヒョイッとツバサの背中に追い被さってくる。前はマリナで塞がっているからだろう。
「だからアタシもノータッチ♪」
「道理でアホのおまえが騒がなかったわけだ」
珍しくツバサの行動原理を読んで大人しくしていたらしい。
ミロもアホなりに学習しているようだ。
「あっ……でも、方舟が消えちゃいそうですよ? 結界を張り直してます」
ツバサの爆乳の下、マリナが方舟の船尾を指差す。
そこから鏡面状に覆われていき、方舟が再び身を隠そうとしているのだ。
ここは我慢どころだが──見逃すとは言っていない。
ツバサは胸の下で母の温もりに浸るマリナの小さな肩を左手で軽く叩くと、右手はフミカとダインへ伸ばして順々に指し示した。
「マリナは結界、フミカはソフト、ダインはハード──」
OK? とツバサが念を押すより早く、娘2人と息子は動いていた。
「はいです、センセイ!」
マリナは元気よく返事をしてツバサの胸の下から飛び出すと、両手から魔法の光を発して魔法陣を描き出す。それは次々と重ねられていき、マリナの手には何十枚もの魔法陣が連なっていくことになった。
魔法陣はどれも結界に関するもの。
すべての魔法陣が連結して効果を発揮するように組み上げられており、効能としては「隠蔽する結界を暴いて対象の存在を把握する」ことだ。
当初は感知できなかったこともあり、マリナは念入りに魔法陣を形成する。
しっかり強化も掛け、方舟の隠蔽結界を突破できるようにだ。
「方舟の結界を見破る魔法陣できました!」
フミカさん! とマリナは呼び掛けるとお姉ちゃんも準備を終えていた。
「ほい来たどっこい、この【魔導書】にインストお願いッス」
フミカは何も記されていない全ページ白紙の【魔導書】を用意し、空中に浮いたそれをマリナの前まで空中を滑らせていく。
【魔導書】というソフトウェアに、魔法陣というプログラムを叩き込む。
これでこの【魔導書】は、あの方舟がどれだけ隠れようとも居場所を特定できる能力を備えた、結界破り専門の【魔導書】となった。
フミカはそれの増刷に取り掛かりつつ、ダインに問い掛ける。
「ダイちゃん、いくつ用意すればいいッスか?」
「20もありゃあ十分じゃ。多すぎると返って目立つぜよ」
ダインは道具箱を開き、偵察用ドローンを出動させる。
いつぞやマリナにあげていた、丸っこいペンギン型ドローンだ。
これが──ハードウェアとなる。
またカスタマイズしたのか、以前の可愛らしい風貌そのままに黒いタキシード風の装いにモデルチェンジしており、サングラスなんか掛けている。
ペンギンはペンギンでも、スパイみたいな雰囲気だ。
20体用意されたペンギン型ドローン。
空中で待機するその背中に【魔導書】が収まるスリットが開く。
フミカはマリナの元から戻ってきた【魔導書】を20冊まで複製すると、それらをペンギンのスリットへ滑らせるように差し込んだ。
ペンギンのサングラスにパソコンのプログラミングコードらしき数字列が浮かび上がり、最期に一度だけ明滅する。
「インスト完了──行ってこい、スパイペンギンども!」
ダインの号令を受けたペンギン型ドローンたちは振り返って翼で親指らしき部分を立ててグッドサインを送り、それから空に飛び立っていった。
追いかけるのは、今にも虚空に消えそうな方舟。
マリナとフミカの編集した【魔導書】により、結界に隠れても見失わずに追跡できるはずだ。ダインは彼らを見送りながら報告する。
「アニキ、ペンギンどものバッテリーは保って1週間ってところじゃ」
「十分だ。明日には追いつけるはずだからな」
あの方舟の飛行速度、ハトホルフリートの最高速度、ハトホルの谷から出発したとして……概算通りに行けば、明日の午後には追いつける。
「これで見失うことはあるまい。みんな、ご苦労様」
労いの言葉を掛けると、子供たちは照れ臭そうに微笑んだ。
兄妹を意識したのか? 狙ったわけではあるまいが、みんな人差し指で鼻の下をこすっている。本当の兄妹のようにそっくりだった。
微笑ましい瞳で子供たちを見つめたツバサは、クルリと向き直る。
そちらにはイヨたちが佇んでいた。
方舟が去ったので警戒を解いたオリベに、「荷造りを再開しても大丈夫」と視線で合図を送ると、彼から人足の男衆に目配せが送られる。
彼らが作業を再開するのを横目に、ツバサはイヨたちに問い掛けた。
「イヨさんたちは……あの方舟を知っていたのですか?」
だとしたら、どうして教えてくれなかった?
そう詰るのはナンセンスだ──こちらも訊かなかったのだから。
出会ってすぐに一悶着からの一件落着。
そこからハトホルの谷へ引っ越し、大急ぎで街作りに着手。
そんな慌ただしい日々を送ったこの2週間、お互いの事情をのんびり話し合う暇もなかったのだから仕方ない。ツバサたちが地下洞窟を訪れた理由が方舟探索だと説明する機会もなかなか設けられなかったのだ。
「知っていたというよりは、たまさか見掛けただけなのですがな」
オリベが非を被るように弁解する。
この件でツバサが自分たちを糾弾するような性格ではないと知っているが、率先して非難を受けようとするオリベの態度に好感が持てた。
世が世なら上司の顔を立てて部下を大切にする中間管理職だ。
「以前もお話しした通りですが、ここの地下洞窟が定期的にその……マノでしたかなマゾでしたかなマナンでしたかな?」
「──“気”ですね」
「そうそう、その“気”でしたな。それがとても強くなる時期があると、イヨ様のご説明があったでござろう? その頃になると、あの方舟は現れるのです」
今回は南西からだったが、特に方角は決まっていないらしい。
「初めて見た時──あれは空を流れる島だと思いました」
オリベに解説を任せていたイヨも口を挟んできた。
イヨは“万里眼”という千里眼を越える超視力の持ち主。
こちらの世界に来て能力に目覚めた頃から、地下洞窟の上空を通り過ぎる方舟を事あるごとに見ていたらしく、その法則性を掴んでいたそうだ。
「やがて、オリベ様たちが直にその眼で確認してくると、どうやら人工物らしい手を加えた様子があるとのことで、形もなんとなく船に似ていることから、空を往く舟なのでは? と噂していたのですが……」
異世界だから、そういうこともあるのだろう。
特にこちらへ危害を加えてくるわけでもないし、イヨたちは「この世界の風物詩的なもの」と解釈して、別段触れることもなかったという。
ちなみに――イヨは用心と好奇心を兼ねて万里眼で調べてもいた。
本当に危険はないのか? それを調査したわけだ。
方舟の内部を遠隔視で確認しようと試みたのだが、あの独特な結界に阻まれて何も見ることはできなかったそうだ。
「まさか、あれをお求めであったとは……露ほども知らぬこととはいえず」
失礼いたした、とオリベは律儀に詫びてくる。
頭を下げてくるオリベを、ツバサは「まあまあ」と手で際した。
「俺たちも説明する機会がなかったのでおあいこです。それに、このタイミングで出会えたのは僥倖と言えます。探す必要がなくなったのですからね」
スパイペンギンたちは絶賛尾行中だ。
ダインは機械の腕にモニターを開くと、その追跡状況を確認する。
ツバサが視線を送るとダインは、「万事良好ぜよ!」と言いたげに笑顔で親指と人差し指で○を描いた。居場所の確認はできているということだ。
ツバサはダインに頷いてから、オリベたちとの話を進める。
「荷造りの作業を急ぐ必要はありません。予定通り、夕方前に終わらせてくれれば大丈夫です。男衆たちも慌てることはないからなー!」
ツバサはイヨとオリベに言い、男衆たちにも大声で呼び掛けた。
「……お気遣い、感謝いたします」
「かたじけない、ツバサ殿」
イヨとオリベの礼を受け、男衆たちからも「へーい!」と返事を貰う。
彼らはこれで良し、次にツバサはフミカへと振り返る。
「フミカ、アキさんとマヤムさん、それにカンナさんと連絡を取ってくれ。緊急で四神同盟の会議を開きたい。できれば夕食にでも各陣営の代表を招きたいが、それが無理ならダインが作ったテレビカメラで簡易会議だ」
その旨を各陣営の秘書官を務める者たちに伝えてもらう。
「了解ッス。もうコールしちゃっても構わないッスよね」
「ああ、おまえの【魔導書】ならできるだろ? だから頼むんだ」
はいはい♪ とフミカは【魔導書】を開いて連絡を取り始めた。
遠距離へ通信を飛ばすには、電力にしろ魔力にしろ大量のエネルギーがいる。しかし、情報にまつわる技能を持つ者ならばそれを軽減できるのだ。
フミカとアキの情報処理系姉妹には十八番である。
「ダイン、帰って荷下ろしを済ませたらハトホルフリートの整備を頼む……また戦闘にならないとも限らない、完全武装で頼むぞ」
「わかっちょるがな。対蕃神用の武装もぎょーさん積んどくきに」
頼もしいな、とツバサは微笑んで返した。
それと──呟きながらツバサは上目遣いに見上げる。
いつの間にかツバサの肩車に乗っていたミロは、細かい話が続いて退屈したのかこちらの頭にもたれかかり、うつらうつらと船を漕いでいた。
「ミロ、今回はおまえも連れて行く……頼りにしてるぞ」
「……ふぇ!? マジ? アタシ参戦!?」
久々の出番だー! とミロは手放しで喜んだ。
「というか、この場にいる面子は全員連れて行く。今回はハトホルフリートで方舟を追うつもりだからな。俺たち5人が揃ってないと不備が起きるんだよ」
飛行母艦──ハトホルフリート。
地母神の名を冠する飛行船型の戦艦は、初期メンバーとも言えるツバサ、ミロ、マリナ、ダイン、フミカ、この5人の能力を基盤としてを稼働する。
なので、1人でも欠けると十全の働きをしないのだ。
別に5人揃ってなくても普通に動くのだが、蕃神の王のような強敵と相対した時には不安になるくらい性能が落ちてしまう。
メインエンジンの龍宝石にはツバサの自然の根源となる過大能力──。
そのエンジンにはミロの過大能力も追加したので出力増大──。
防衛システムにはマリナの強固な結界を張る過大能力──。
艦全体の管理システムにはフミカの情報処理に長けた過大能力──。
そして、艦その物を建造したダインの過大能力──。
「アタシら5人に、パーフェクトなハトホルフリート……それでも戦力が足らないから、ミサキちゃんたちにも援軍を頼むんだね」
「還らずの都での轍を踏みたくないからな」
また威力偵察になろうとも、これからは徹底的な準備をする。
やりすぎだ、と言われるぐらいがちょうどいいとツバサは思っている。
「準備が過ぎたとしても無駄で終わるだけだ。それくらいの手間なら惜しむことはない。準備不足で泣きを見るよりずっとマシだ」
「ほほう、太閤殿下や信長公と同じことを仰る」
端で聞いていたオリベが、ツバサの言い分にいたく感心した。
「戦にせよ事にせよ、挑むまでの備えで九割がた決まる……使番としてお側にいた頃、信長様がそう仰っておられるのを耳にしましたからな」
それを守っていたのは太閤殿下だけでしたが──オリベは懐かしむ。
「オリベのじいちゃん、残りの1割は?」
ミロは肩車から更によじ登り、両手両足を使ってツバサの頭頂部にチョコンと乗っかっている。無駄に高いところを目指す猫のようだ。
ミロの問いにオリベは投げやりな微笑みで答える。
「決まってござりましょう──“勝負は時の運”というやつですぞ」
9割準備しても、運によって大敗を喫することはある。
今川義元が織田信長に敗れた桶狭間のように──。
「だとしても、準備を怠る理由にはならない」
帰ったら俺たちもやれることはやるぞ、と子供たちに言い渡しておく。
その返事を聞きながらツバサは思案する。
クロウ陣営の参加により、戦力に回せる人員も増やせるようになった。
各陣営から1人ずつ神族を派遣してもらうだけで十分、陣営によっては「今回はこの2人を派遣した方が良さそう」と予備選力も期待できるはずだ。
「でも、同盟のみんなに声を掛ける理由って他にあるんじゃない?」
頭の上からミロがこちらの顔をヒョコッと覗き込んでくる。
逆しまに浮かぶミロの見透かしたような笑み。
ツバサさんはビビリだから──1人じゃ怖いんでしょ?
それにツバサは微笑みだけを返し、沈黙で肯定することにした。
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