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第9章 奈落の底の迷い子たち

第220話:次元の門を越える“鍵”

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 ──プトラ・チャンドゥーラ。

 それがヴァトとイヒコが世話を焼いていた女性の名前だ。

 道具作りに関しては天才だけれども、それ以外はまるでダメ人間。いや、一応神族なので女神だが、何をやらせても平均以下だという。

「道具というか、アクセサリー作りが趣味だったみたいですよ」

 イヒコが女の子らしい情報を付け加える。

「プトラさんの過大能力オーバードゥーイングは確か、『自分の作った物に特殊効果を付与する』というものでした。あの不思議な鍵もそうやって作ったはずです」

 ヴァトの説明にツバサは先ほどの話を思い返す。

「次元の門を開閉する“鍵”か……」

 ヴァトとイヒコにお弁当を食べさせて小休憩。

 それを終えた一行は、子供たちの「プトラさんを放っておけない」という頼みを受けて、行方をくらました彼女を捜索するために動き始めた。

 一時的に5人パーティーとして行動する。

 還らずの都再建に取り組むダインたちには一報を入れてあるし、クロウにも連絡しておいたので、しばらく時間的な余裕もできた。

 自然を司る過大能力オーバードゥーイングでこの森をほぼ掌握したツバサが先導、セイメイが用心棒として周囲を警戒しつつ、ドンカイが殿しんがりのように最後尾に続いた。

 ヴァトとイヒコは、ドンカイの両肩に乗っかっている。

 身長2m30㎝を超える鬼神のお相撲さんにしてみれば、子供2人を肩に乗せるなど朝飯前だろう。かつてはクロコを乗せて“幽冥街ゆうめいがい”という危険地帯を跳び回ったそうだから、比べるまでもあるまい。

「うはーっ、楽ちんだし高ーい! ありがとうドンカイさん!」
「すいません、ドンカイさん。乗せてもらって……」

 イヒコはお礼を述べながら上機嫌ではしゃいでいるが、ヴァトはお礼を告げつつ畏まっていた。なんとも対照的な少年少女である。

 イヒコは天真爛漫てんしんらんまんで明るくポジティブ──。

 クルクルと目まぐるしく変わる表情は好奇心に満ちあふれ、異世界の景色を一時たりとも見逃さないように、子供らしい観察眼で四方八方を眺めていた。

 ヴァトは質実剛健で大人しい慎重派──。

 イヒコと比べたら表情に乏しいものの、周囲を警戒するように注意深く目を配らせている。ツバサたちと一緒にいても気を緩めないのは褒めてあげたい。

 性格的には正反対と言ってもいい。

 だからこそ釣り合いが取れ、仲良くやってきたのだろう。

「気にするでない。子供は大人を頼りにするもんじゃ。なのに、おまえさんたちは今日まで2人で頑張ってきたんじゃからな」

 ──もう無理をせんでいい。

 そう言ってドンカイは両腕を持ち上げると、肩に乗せた2人の頭を褒めるように撫でた。ヴァトもイヒコも照れ臭そうにはにかんでいる。

 横綱と子供たちの心温まる交流。

 ツバサが母親目線で見守っていると、セイメイが声を掛けてきた。

「しっかし、その“鍵”は気になるよなぁ」

 セイメイは行く手の木々を脇差しで払い、こちらへ振り返る。

 無造作だが道を拓いてくれているのだ。

 ジョカを嫁に迎えて一緒に暮らし、現地種族とも仲良くするようになってから、気遣きづかいのできる男になったらしい。

「道具作りの嬢ちゃんが行方知れずってのも心配だが、その子が次元をあっさり越えられる鍵を持っているつうのは……なあ?」

 そう、気掛かりなのは──プトラの作った“鍵”だ。

 正しくは、その鍵に付与された「次元の壁を開けるも閉めるも自由自在」という、ツバサたちからすれば他人事ではない能力が気に掛かる。

「次元の壁を開け閉めできるってアレだろ? あのバケモノども……」
「恐らくな、蕃神ばんしんたちがやっていることに近い」

 セイメイに皆まで言わせず、ツバサは言葉を継いだ。

 別次元からの侵略者──蕃神。

 空間に亀裂のような“裂け目”を作ることで次元の壁を乗り越えて、この世界を侵略しようと企んでいる別次元の怪物どもだ。

 外見、形態、性質、能力──異形なれど多種多様な種族が存在する。

 高い知能を窺わせる素振りを見せるも、会話は通じない。こちらの世界の住人を歯牙しがにもかけるつもりがなく、同等の生命体と見做みなしていないようだ。

 彼らに種族的な差違はあれど、確固たる共通点がひとつだけある。

 蕃神は──真なる世界ファンタジアを“養分”としか見ていない。

 次元を越えて大軍勢で押し寄せてきたかと思えば、こちらの世界に生きる動植物の生命力を奪うに留まらず、大地の活力やその奥底に眠る龍脈や霊脈といった根源的な“気”マナまで吸い上げ、果ては路傍ろぼうの石からもエネルギーを搾取さくしゅする。

 本当の意味で見境なく略奪していくのだ。

 蕃神の自由にさせれば、遠からず真なる世界ファンタジアは消滅するだろう。

「ミロやミサキ君の過大能力なら、奴らが開けた空間の裂け目を封じることは確認済みだ。あの2人なら閉じるだけじゃなく、次元を開くこともできるはずだが……今のところ、やるメリットがないから試してない」

 今後、こちらから蕃神どもに「打って出る!」ような局面が訪れれば、2人には骨を折ってもらうことになるとは思うが──。

「よもや開閉自在の“鍵”を作れる者がいたとはのぅ……」

 ドンカイの呟きに、ヴァトとイヒコは経緯を語り始める。

 イヒコが勢いのままに話して、それにヴァトが補足するような形でだ。

「プトラさん、一緒に行動してたんだけど……あたしたちみたいな子供がアルマゲドンやってるのは良くない、ってのが口癖だったんです」

「ぼくたち以外にも、子供のプレイヤーが大勢いるのは人伝ひとづてに聞いてました。そのことを話したらプトラさん、深刻な顔で……」

『ちびっ子まで異世界に飛ばすのおかしいし』
『小っちゃい子はお父さんやお母さんと一緒じゃなきゃいけないし』
『なんとか現実に帰る方法を見つけないといけないし』

 プトラは毎日のようにぼやいていたという。

 彼女の言葉を伝言ゲーム形式で伝えられたが、内容としては真っ当な大人の意見だった。口調はちょっとギャルっぽいが……。

「でもでもプトラお姉さん、モンスターとは戦えないし、安全な寝床も見つけられないし、食べ物や飲み水も採取できないし、道具作りにしたって素材集めもろくにできないしで、みーんなあたしたちがやってあげてたんだけどね」

「なんでぇ、口だけ達者な姉ちゃんだなぁ」

 イヒコの愚痴ぐちめいた話にセイメイも同感するように返したが、ヴァトだけは苦笑しながらも、プトラを庇うような発言をする。

「でもさ、イヒコ……プトラさんの作った道具で助けられたこともいっぱいあったじゃないか。ぼくたちが衣食住で困らなかったのは彼女のおかげだ」

 2人の着ている強化バフ付与が施された衣装──。
 安全に過ごせる様々な効果が織り込まれたテント──。
 睡眠中に疲労値を回復する毛布──。
 料理に使用すると好みの味付けになる万能調味料──。
 汚水どころか猛毒すらも浄化する錠剤──。

 他にもプトラ作の便利アイテムは山ほどあるらしい。

「すごいアイテムを頼みもしないのに次から次へと作ってくれるから、ぼくたちは“ドラ○もんみたい”って言ってました」

「そしたらプトラお姉さん、『アタイはドラえ○んじゃないし。どっちかっていうとキテ○ツだし』って笑ってたっけ」

「そのお嬢さん、わかっとるのう」

 キ○レツ、という懐かしアニメの名前にドンカイが微笑んだ。

「うん、だからね、アイテムをいっぱい作ってくれたことにはあたしもすっごい感謝してるよ。だとしてもダメ人間だったよね」

 プトラお姉さんも認めてたし、とイヒコはにべもない。

 自他共に認めるダメ人間というのは、本当のダメ人間でないことが多い。

 むしろ何らかの一芸に秀でていることがよくある。その一芸に自身のキャパシティで使えるパラメーターの数値を全振りしてしまってるのだ。

 芸術家を始めとしたクリエイターによく見られる傾向だという。

 プトラはそういうタイプのダメ人間らしい。

「それで──彼女はどうやって“鍵”を作ったんだ?」

 ツバサは話の先を促すと、ドンカイの肩に乗ったイヒコが身を乗り出して、瞳をキラキラさせながら真に迫る様子で語ってくれた。

「それがですね、ツバサさん。プトラお姉さんはなんか、アルマゲドン時代に滅多に手に入らない龍宝石ドラゴンティアをゲットしてたんです。それも虹色に光る、見たことも聞いたこともないような、すっごい綺麗な龍宝石でした」

「虹色に光る龍宝石ドラゴンティア……?」

 龍宝石は一見すると、水晶や金剛石ダイヤモンドみたいに透明度の高い宝石だ。

 入手した時点で多少なりとも色がついていることもある。これが龍宝石に蓄えられたエネルギーによって変色することもある。無論、変化しない場合もある。

 しかし、最初から虹色の龍宝石なんて初耳だ。そんなカラフルな龍宝石、大量の龍宝石を集めていたダインからも聞いた覚えはない。

 イヒコに釣られてヴァトも前のめりになる。

「ただ、色合いは珍しい龍宝石だったんですけど、それほど大きくはありませんでした。確か……ビー玉か、それより一回り小さいぐらいです」

「少し大きいぐらいの宝石だな」

 ツバサは人差し指と親指で摘まむように大きさを想像した。

 ジャストサイズに達したところでイヒコが指を指す。

「そうそう、それぐらいの大きさでした。それでプトラお姉さん、『これに秘められた力を試す時が来たし!』とか意気込んで、なけなしのアダマントやミスリルやオリハルコンで銀色の鍵・・・・を作って、その龍宝石をはめ込んだんです」

『やったし! これでみんなおうちに帰れるし!』

「プトラさんは喜んでました、“鍵”ができたことを……」

 ヴァトの口調には陰りがあった。

 プトラは“鍵”の完成を大喜びした。それは自分がやり遂げた達成感というよりも、誰かを助けられる自己犠牲にも似た喜びを帯びていたそうだ。

「ぼくたちみたいなプレイヤーは、何らかの力によって次元を越えて、この世界へと連れてこられた……だったら、次元の門を開けるこの“鍵”があれば、みんな現実へ帰れるはずだ……プトラさんは、そう言っていました」

 彼女はさっそく“鍵”を使ったそうだ。

 ヴァトやイヒコの前で、プトラは鍵を中空に掲げると、目に見えない鍵穴に差し込んでから、手首を捻って鍵を左へと回したという。

「確かに、次元の門は開きました……音もなく、空間が縦に割れると裂け目みたいなものが現れて……その向こうは真っ暗な何もない空間に見えました」

 空間に生じた裂け目を、プトラは“次元の門”と呼んでいた。

 その“次元の門”に──ヴァトは戦慄せんりつした。

「ちゃんと説明できないんですけど……背筋が凍るほど“怖い”って感じてしまい、近寄ることができませんでした……」

 あの裂け目の向こうには“何か”いる。

 正体はわからないが、本能的恐怖に震え上がったらしい。

「あたしも……怖いもの見たさで覗こうとしたんですけど……」

 好奇心旺盛なイヒコですら足がすくんでしまい、思うように動けずにいるところをヴァトに手で制され、“次元の門”には近寄れなかったという。

 脅える子供たちを尻目に、プトラは“次元の門”を覗き込んだ。

 空間の裂け目を一度だけ覗いたプトラだが、瞳孔どうこうが縮んで眼球が飛び出しそうになるくらい目を向くと、顔面蒼白になって青ざめたそうだ。彼女は神族にもかかわらず、全身から滝のような汗まで噴き出したという。

 プトラは慌てて鍵を開けた時とは逆に右へと捻り、空間の裂け目を閉ざした。

 後には何事も起こらなかったらしい。

 プトラはくうを見つめたまま、一言だけこう漏らしたそうだ。



『この“鍵”…………失敗作だし』



 プトラは鍵を道具箱インベントリの奥深くに仕舞い込み、取り出すことはおろか話題にもしなくなったそうだ。ヴァトもイヒコも触れなかったという。

 口にしちゃいけない──子供ながら空気を読んだらしい。

「それからです。不気味なモンスターに襲われるようになったのは……」

 イヒコは思い出すのも嫌そうな顔をする。

 プトラが“鍵”を失敗作と断じた翌日──。

 いきなり異形のモンスターが現れ、ヴァトたちに襲いかかったらしい。

 接近する気配すら感じさせず、まるで物陰から突然湧いたかのように現れる怪物たちに四苦八苦しながらも、ヴァトとイヒコはそれを撃退した。

 しかし──倒しても倒しても湧いてくる。

 戦えないプトラを庇いながら、ヴァトたちは逃げるしかなかった。

「最初に襲われたのはここより北、荒野みたいなところだったんです。そこだと隠れる場所もなかったから、あたしたちはひたすら逃げ回ってました」

「当てもなく南へ逃げていたらこの大森林が見えたので、ここなら身を潜める場所があるだろうと思って逃げ込んだんです」

 その判断が功を奏したのか、怪物たちの追撃は弱まった。

「ホッと一安心できたと思ったら……プトラお姉さんが消えちゃって……」

 イヒコは気を落とすように項垂れてしまった。

 憧れのツバサさんを前にしてテンション上がりまくりだったけれど、足手まといとはいえ仲間だったプトラが消えたことにショックを受けているようだ。

 ツバサは抱き締めながら慰めてやりたい母親の衝動を抑えて、自分の胸の谷間に手を差し込むとスマホを取り出した。画面をタップして画像を映し出す。

 いやらしく蠢く触手の塊──アブホス。
 無数の足を持つ大蜘蛛おおぐも──アトラクア。
 角を越えて現れる不浄の竜犬──ティンドラス。
 2つの次元の交雑種ハイブリッドたる大蝙蝠おおこうもり──シャゴス。

 そして、先日の大戦争で出現した巨大蕃神の眷族たる溶けかけた巨人。

 これにはフミカもまだ命名していない。

 これらはツバサたちが遭遇してきた蕃神たちだ。

 博物学的なことが大好きなフミカが、丁寧に分析調査してくれたものをスマホにダウンロードしておいた。こういう首実検が必要なときに役立つ。

「この中に、君たちを襲った怪物はいる?」

 ツバサはイヒコたちにスマホを渡して、画像を確認してもらった。

 ヴァトとイヒコは「スマホだ!」と歓声を上げる。

 まさか異世界にあるとは夢にも思わなかったのだろう。

 この年頃だと、家庭環境によってはまだ持たされない子も多い。ヴァトもイヒコもオモチャを与えられたみたいにスマホをいじくり回していた。

 いや、なんだかヴァトの様子がおかしい。

「ツ、ツバサさんの胸に挟まってたスマホ…………ッ!?」
「ヴァトー? 変な気ぃ起こしちゃダメだよー?」

 ヴァトは顔を真っ赤にして恐る恐るスマホを持っていたが、変な妄想を働かせている隙を突かれて、イヒコに取り上げられてしまった。

 イヒコはスマホを顔に当てて、うっとり頬ずりをする。

「ああ、ツバサさんのおっぱいの温もりを感じる……♪」
「イヒコーッ!? 何やってんのイヒコーッ!?」

 なんて羨ましいッ! とヴァトは本音の叫びを上げてスマホを奪い返そうとしていた。ドンカイの肩の上で子供2人がじゃれ合っている。

 ツバサは思わず我が子のように叱りつけてしまう。

「いいからスマホの画像を確認しなさい! そんなに乳の感触が味わいたけりゃ後でいくらでも抱擁ハグしてあげるから!」

「「マジですか!?」」

 中学生にもならない子供を愛でるくらい、神々の乳母ハトホルとしてレベルアップした今のツバサなら楽勝だった。精神的な余裕ができたのかも知れない。

 抱擁ハグの約束を取り付けた2人は、代わる代わるスマホを持ち替えて画面をスライドさせると、蕃神に関する記録画像へ見入っている。

「あっ! このグニュグニュしたの! これに捕まりそうになりました!」
「こっちの竜みたいな犬……これにも襲われました」

 イヒコとヴァトの証言が得られたのは──。

「アブホスとティンドラスか……」

 アトラクアはボスである女王の作った巣からあまり遠出をしないようだったし、シャゴスはククルカンの森にあった大穴の奥底に封じられていた。

 しかし、アブホスとティンドラスはそこかしこに小規模な空間の裂け目を作っては、そこから侵入してくるようだ。ツバサたちも各地で遭遇している。

 双方ともボスである“王”という大型個体は撃破したはずだ。

 しかし、眷属がまだ活動しているところを見ると、どちらの種族も根絶できたわけではないらしい。“王”と呼ばれる個体がまだ複数いるのか、それとも眷属の誰かが成長して新たな“王”となるのか……。

 これからも戦いは続くと覚悟を決めるしかない。

「次元を越える“鍵”を使ったことで、連中の注目を寄せたのかのぅ?」

 ドンカイの大まかな感想に、ツバサは同意の頷きを返す。

「現時点ではそんな推理しかできませんよね。奴らにしても次元に裂け目を作るのは大変な労力がいるようだし、養分を求めてこの世界へ渡ってこようとしている身にすれば、喉から手が出るほど欲しいでしょう……」

 鍵ひとつで開け閉め自由なら、これほど便利なアイテムはない。

 蕃神にしてみれば垂涎すいぜんの代物だろう。

「その嬢ちゃんをさらうなんざ、いの一番にやりそうなことだよな」

 蕃神たちとの戦いを経て事情を知っているツバサたちは、プトラが行方を眩ました理由について、いくつかの憶測を並べることができた。

 それを端から聞いていたヴァトとイヒコは不安を募らせる。

「プトラお姉さん、あの怪物たちに食べられちゃったんですか……ッ!?」
「そんな……ちゃんと敵襲には気をつけていたのに……ッ!」

 イヒコは今にも泣き出しそうな顔で小さな口を戦慄わななかせ、ヴァトは自分の不手際を責めるように歯を食いしばって悔しがった。

 ツバサは「落ち着きなさい」と手をかざす仕種でなだめる。

「早合点はいけないし、君たちのせいでもない……もしも蕃神の仕業だとしたら、腑に落ちないところもある。まずはお姉さんを探そう」

 蕃神については後で説明する──2人にはそう言い聞かせた。

 好奇心というより探究心を隠そうとしないイヒコは、根掘り葉掘り訊きたそうな顔をしていたが、ツバサの言うことだからか素直に聞いてくれた。

 実直そうなヴァトは素直に頷くだけだった。

 2人とも仲間が心配なので、自分たちを襲った異形の怪物についてあれこれ頭を悩ます余裕もないらしい。今はプトラ捜索に専念させたい。

「仮に蕃神がプトラさんを攫ったとしたら──君たちも無事では済まない」

 イヒコやヴァトも毒牙に掛かっていたはずだ。

 蕃神は見境というものがない。

 手頃な獲物が目の前にいたら見逃すわけがなかった。

「プトラさんは君たちの前から忽然と消えた……争った形跡もなければ、攫われるのに抵抗した様子もない。そうだろう?」

 ツバサの問い掛けに、ヴァトとイヒコはウンウンと頷いた。

「そうなると、自らの意志で姿を消した可能性が一番高いんだが……君たちに頼り切っていた彼女が、どうして1人で行ってしまったんだろう?」

 世話になった彼らに別れも告げず、いったい何処へ──。

 それこそが最大の謎だった。

「まさか……その“鍵”を使うて次元の門を越えたということは……」

 考えられんかのう? とドンカイは推理を述べる。

「可能性は無きにしも非ずですが、最初に“鍵”を使った時、彼女は次元の向こう側を覗いて動揺し、恐れていたといいます。それ以後、道具箱に“鍵”を仕舞って触れようともしなかった」

 そんな彼女が──また“鍵”を使うだろうか?

 そして、自ら次元の門を越えたりするものだろうか?

「プトラお姉さん、そういう勇気はなさそうだったけど……」
「彼女はどちらかといえば臆病だったから……」

 イヒコやヴァトの証言でも裏付けが取れたので、彼女が自ら“鍵”を使って次元を越えたとは考えにくい。そもそも、あちらへ旅立つ理由もないはずだ。

「探偵ごっこもいいけどよ──じゃあ、嬢ちゃんは何処いずこに?」

 セイメイが本題に切り込んできた。

 先ほどからツバサの指示通りに先を進み、後に続く者たちが歩きやすいようにと脇差しで下草を狩っていたのだが、当て所なく進んでいるような気がしてイライラしてきたのだろう。声がちょっとぶっきらぼうに聞こえた。

「その嬢ちゃん探すのはいいけど、手掛かりもなしにこのだだっ広い森をウロウロするのは御免だぜ? 大体、おれたちゃどこに向かってんだよ?」

「そうぼやくなよ、ニート侍。目的地に当たり・・・はつけてあるんだから」

 ツバサは彼女の行く先にひとつだけ心当たりがあった。

「ええー? ホントにござるかぁ? おっぱいママン?」

 誰がおっぱいママンだ! とツバサは珍妙なサムライ口調で煽ってくるセイメイの尻をヤクザキックで蹴ってやった。この男、つんのめりもしない。

「俺の過大能力オーバードゥーイングは完全にこの森を把握している。神族がどんな技能スキルや能力を使っていようと見つけ出す自信がある……ただ、これから向かう地点だけは、“気”マナよどんでてよくわからないんだ」

 そこに──何者かが潜んでいる気配があった。

「微かだが神族……それも女神の気配も感じる。この子たちから聞いたプトラさんの背格好に近い気もするから、もしかすると……」

 そして──得体の知れない有象無象の気配もひしめいていた。

 神族でも魔族でも現地種族でもない。これはまさか……蕃神か?

 そんな懸念けねんをツバサが覚えた時だった。

「ひょっとして──此処ここか?」

 セイメイが大振りで脇差しを振り払うと、斬撃が走って行く手を阻む木々が一度に斬り払われた。その向こう側、森の中にひらかれた空間があった。

 森の只中ただなかにあったのは──眼にも鮮やかな極彩色ごくさいしきほこらだった。

   ~~~~~~~~~~~~

「オリベー、オリベ・・・の大将はいるかい?」

 薄暗い洞の奥底──。

 男とも女とも聞き分けられない、中性的な声が誰かを呼ばわる。

 その口調は軽薄そのもの、誠実さが感じられない。

「…………何用か、ウネメ・・・

 薄闇の向こうから返事が聞こえる。

 酸いも甘いも噛み分け、渋味を我が物とした老爺ろうやの声だ。その威厳ある声は聞く者が聞けば恐縮せざるを得ない、武張ぶばった凄味すごみがある。

 だが、ウネメと呼ばれた声の主は気安い態度を崩さない。

門前もんぜんに新しいお客さんが来たぜ。1人は二本差しの素浪人すろうにん、もう1人はまげを結った力士風の大男……それと、子連れのお母ちゃんかな?」

「……子連れの女性にょしょうだと?」

 オリベと呼ばれた老爺は、浪人や力士は興味なさげに聞き流す。

 だが、子供を連れた女性には反応を示した。

「そうそう、牛みてえにでっかい乳さらした別嬪べっぴんさんと、まだ髷も結えそうにねえ元服げんぷく前の坊主と、やたらめかし込んだ小娘が1人ずつだ。いや、あの乳のでけえ別嬪さんの若さなら、母ちゃんというより姉ちゃんかな?」

 どうするよ? とウネメはオリベに伺いを立てる。

 喋り方こそ無責任極まりない軽薄な若者だが、その一言にはウネメなりのオリベへの敬いがあった。そして、オリベの采配に従う信頼も──。

「牢人と力士は任せる……わらべたちと女性にょしょうには手出し無用」
「なんだよ、別嬪さんは手前テメェで接待する気か?」

 ウネメの茶化す口振りに、オリベは薄闇の奥で鼻を鳴らした。

「そうだな、美味しい役はいただいておこうか……彼女らの接待はそれがし・・・・が請け負おう……そして、童たちには一切手を出すことを禁ずる。良いな?」

 オリベはその一点をきつく厳命した。

「へいへい、そこらへんは心得ておりますぜ」

 ウネメは適当な返事をして、カチャリと鯉口こいくちを鳴らした。
 
 靴とは違う履き物の足音で遠ざかっていく。

「んじゃあ、素浪人はウネメオレオサフネ・・・・で相手をしといてやる。力士にゃケハヤ・・・旦那だんなけしかけとくぜ。割り当てはそんなとこでいいかい?」

 オリベの大将よ、とウネメは再度確認する。

「それで構わぬ。それがしもこれから一仕事だ……武辺者ぶへんものたちの相手はそなたらに任せよう。ひょっとすると、童たちは客人の縁者やも知れぬでな……」

 麗しき女性にょしょうとともに──それがしの饗応きょうおうにてもてなそう。

 オリベは楽しげに喉を鳴らすと、その気配を闇の彼方へと沈ませていった。



「さて、姫様・・ぷとら・・・殿のもてなしへ参るか……」


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