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第9章 奈落の底の迷い子たち
第218話:小さな巨人とたった1人でオーケストラ
しおりを挟むツバサが気付いたささやかな違和感。
過大能力【偉大なる大自然の太母】で樹林の隅々まで自分の一部のように意識を通わせたツバサでも、隠れた子供たちを発見できなかった。
だが、ある空白に気付いたのだ。
森の一角、面積にして6畳から8畳──ちょうど一間分ぐらい。
そこだけ自然の鼓動を感じられなかった。
植物は息づいているし、虫や小動物の生命力も感じる。
なのに──それらの発する音が聞こえない。
そこだけ透明な防音室によって隔離されているかのようだった。見えるし感じるのに、生命力の気配を完全に絶つまで遮音されていたのだ。
これはセイメイやドンカイのような達人でも惑わされる。
生物ならば発せざるを得ない気配がシャットアウトされているのだ。
この状態で隠れられたら、いくら神族の達人が全神経を費やしても探り当てるのは難しい。ツバサも過大能力を用いねばわからなかっただろう。
ひょっとすると──音に関する過大能力か?
いくら技能を複合的に使ったとしても、ここまで強力な遮音&防音の効果は期待できない。達人の感知能力に引っ掛からない隠密性の高さも素晴らしい。
自分の能力を弁え、使いこなしている。
本当に幼年組プレイヤーだとしたら──筋がいい。
自然とツバサの唇の端が緩む。
そして、是非とも顔を拝みたくなった。
過大能力で生命力探知の精度を上げ、気配遮断が行われた空白スポットを念入りに調べていくと、小柄な神族を2人発見することができた。
恐らく、これが件の子供たちに違いない。
ツバサは「彼らは音を操る能力を持っている」と仮定して、敢えて何も言わないことにした。こちらの会話を聞かれていないとも限らないからだ。
ドンカイとセイメイに目配せで「見つけた」と伝える。上唇で下唇を噛で人差し指を押し当てると、「喋るな」とジェスチャーを送る。
そこは達人同士──察した2人は無言、頷きもしない。
彼らが目力で「わかった」と肯定の意を伝えてきた。
同時にツバサは動き出し、ドンカイとセイメイも黙って追随する。
ツバサは縮地などの高速移動系の技能を用いて、一瞬で数㎞離れた空白スポットまで飛んだ。そこは低木が密集した木陰になっていた。
ちょうど子供が隠れられそうな木陰。
ツバサたちは気配を消して、そっと木陰に忍び寄る。
「いっそ…………こちらから挑んでみようか」
「挑むって……戦うつもりなの、ツバサさんと!? ヴァト正気!?」
空白スポットに踏み込めば、子供たちの声が聞こえてきた。
鈴のような女の子の声と、落ち着いた男の子の声だ。
どうやら結界みたいなもので、音や気配だけを遮断しているらしい。
物理的な侵入は防げないし、範囲内に入れば普通に会話もできる。こちらも彼らの声を聞き取れるようになっていた。
覚悟を決めた少年の声が聞こえてくる。
「あれが本当に……本物のツバサさんならば、ぼくたちの挑戦を受け入れてくれるはずだし、その勇気を褒めてくれるかも知れない。もしも、ツバサさんを騙る偽物なら倒せばいい。負けたら……ぼくたちの冒険はここでお終いだ」
「あ、そっか……偽物なら勝っても負けてもいつも通り。本物のツバサさんなら、オカンの優しさで許してくれて、ついでにお近づきになれちゃうかも……」
この子たち──ツバサを知っている?
話し振りから推察するに、ツバサの性格を多少なりとも把握した言い方だ。
この子たちは一体……どこかで会っているのか?
ひとまず、隠れん坊は終わらせよう。
御対面と行きたいが、「みーつけた♪」と声を掛けるのも芸がない。
手を焼かされた礼だ、ちょっとイジワルしてやろう。
ツバサが何も言わずに顎で木陰をしゃくると、長い付き合いなので言葉にせずともセイメイは理解してくれた。
セイメイはイタズラ坊主の笑顔で軽く頷き、鯉口を鳴らすことなく神速の抜刀術を放った。剣風が木陰だけを薙ぎ払い、隠れていた子供たちを暴き立てる。
「──誰がオカンだ」
少女が呟いた言葉を拾い、ツバサは決め台詞で声を掛けた。
~~~~~~~~~~~~
少年は──ヴァトと呼ばれていた。
マンガの主人公みたいなボサボサ頭、生意気さとは無縁の純朴な瞳。
幼さも手伝っているのだろうが、女の子と見間違われそうな可愛らしい顔立ちをしている。ツバサもそうだったので同情めいた共感を覚えてしまう。
上半身はボロボロのタンクトップのようなものだけ。
ほぼ素肌を晒している身体にマント……ではない。何らかのモンスターの毛皮でできた、丈の長いベストというか陣羽織みたいなものに袖を通している。
ブカブカのズボンに、臑まで守る頑丈そうな金属製のブーツ。
見たところ武器の類は身に帯びておらず、両腕には籠手どころか手袋さえ付けていない。晒している素手の指や拳は、幼いなりに使い込まれていた。
どうやらドンカイの見立ては正しかったらしい。
彼は前衛職──近接戦闘メインの格闘系の職能のようだ。
木陰に伏せて隠れていたヴァトは、仰天の表情で振り向きながら起き上がると、まだろくに立てずにいる傍らの少女を庇うように身構えた。
その眼は恐怖や警戒心のあまり瞬きひとつせず、ツバサを瞠目する。
反面、それらとは異なる感情も見え隠れしていた。
これは尊敬の眼差し……なのだろうか?
ツバサを見つめるヴァトの瞳は、正体不明の敵を見据えるというよりも、背中を追いかけたい憧れの人に出会えたように煌めいていた。
少女は──イヒコと呼ばれていた。
年の頃はヴァトと同年齢。11~12歳ぐらいだろうか。
まだ幼さが残る丸っこい顔立ち。ツバサは可愛いとは思うのだが、年頃の少女が憧れる女らしさはまだなく、幼児の愛らしさが際立っている。
真ん丸な瞳といい、幼さが脱けきっていないのだ。
そんな子供っぽい顔に、大きな眼鏡を掛けている。
格闘系らしく軽装なヴァトとは打って変わって、イヒコの装備はちょっとゴテゴテしていた。一見すると派手な中世風の音楽家のようだ。
ロングスカートやジャケットは赤が基調。蒼の色彩が目立つカラフルなローブを羽織り、キャスケット帽を大きく派手にしたような帽子を被っている。
魔法使いなら悪目立ちするし、賢者や僧侶ならサイケデリックすぎる。
どちらにせよ、彼女は明らかに後衛系の職能だった。
音を操作して気配を遮断する防音結界。
あれは恐らく、このイヒコという少女の仕業だろう。
後衛だけあって戦闘向きではないのか、ツバサたちが目の前に現れてもまだ立ち上がることさえできていない。慌てふためくのが精一杯だ。
倒れたままツバサを見上げるイヒコの顔。
彼女もまたヴァトのように度肝を抜かれた状態で固まっているが、その頬はほんのり桃色に染まって、こちらを見つめる潤んだ瞳は真剣その物だった。
まるで感動に打ち震えているような……?
心の虚を突かれた少年と少女は、突然の事態に対応できていない。ツバサたちに見つかり、茫然自失のまま身動ぎひとつできずにいた。
挨拶と気付けを兼ねて──試してやろう。
「少年、肝が据わってるな。それに──良い思案だ」
ツバサは声を掛けながら闘気を叩き付けた。
トモエくらいなら耐えられるが、マリナやジャジャなら“コテン”と可愛げのある転び方をしそうな威力のある闘気だ。これで彼らの力量を見定める。
「っ……ひゃあっ!?」
闘気を無防備に浴びたイヒコは、たくさん着込んでいるため被覆面積も大きかったらしい。強風を受けた帆のようにはためき、後転しながら吹っ飛んだ。
彼女は後衛職のようだから仕方あるまい。
一方、ヴァトは──。
「はっ、よ、ぼっ…………」
激流のように闘気を浴びせかけられ、姿勢こそ揺らいだものの一歩たりとも後ずさろうとはせず、何らかの返事をしようとしていた。
やがて──ツバサの闘気に感化されたらしい。
強敵を前にした獣のように噛み締めた歯を剥いて、眉間を凝らすと眉尻を高く釣り上げ、ヴァトは覚悟を決めた表情でツバサを睨んできた。
これは──挑戦者の気迫だ。
動物は危機に直面した際、アドレナリンなどの脳内物質を分泌して肉体に瞬間的なブーストを掛け、戦うにしろ逃げるにしろ全力を出せるようにする。
(※ファイト オア フライト レスポンス。直訳すると闘争か逃走反応)
どうやらこの少年は前者を選ぶことにしたらしい。
「……おお、あぁ……ああああああああああああああっ!」
ヴァトは絶叫じみた咆哮を張り上げ、ツバサに殴りかかってきた。
これにツバサはこみ上げる嬉しさを隠しきれずに微笑む。
「そうだ──男の子はこうでなくちゃな」
ツバサは破顔すると、ヴァトの無謀な挑戦を受けてやった。
真正面から全体重を乗せて叩き込んでくる右の正拳。
ツバサは柔らかくヴァトの手首を捉えると手を添えて、彼の突き込んでくる力を受け流し、その力を利用してヴァトの小さな身体を投げ飛ばす。
合気の流儀、ツバサにしてみれば初歩の初歩だ。
ヴァトはあっさり投げ飛ばされる──かと思いきや。
「…………へぇ」
思わずツバサは感嘆の声を漏らした。
殴る力を逆用されて投げ飛ばされかけたヴァトだが、そこから投げられる方向へ加速するように身体を回転させたのだ。
これにより投げ飛ばされることを回避しつつ、宙でグルリと一回転する。
その回転する力に乗って、今度は回し蹴りを放ってきた。
合気の流儀──というより柔の妙術だ。
しかし、ツバサには通用しない。
空中回し蹴りも受け流して、一手前と同じように投げ飛ばす。
だが、ヴァトは尚も食い下がり、これも自前の回転力へ変換させると更にその場で高速回転し、今度はジャブを交えた連撃を打ってきた。
これもツバサは片手で捌いて、また投げる。
ヴァトはその投げる力を、またしても自身の回転力に変換する。
ヴァトが攻撃して──ツバサがそれを受け流す。
ヴァトは受け流された力をまとうように回転し、そこから反撃へと結びつけるのだが、懲りることなく投げられる。延々とこれの繰り返しだった。
ツバサの右手の先で、ヴァトはジャイロスコープのように回転する。
その回転は神族らしく神速の域に達していた。周囲に強風が吹き荒れ、空気摩擦によってヴァトの全身が燃え上がりそうなくらいだ。
ドンカイとセイメイは数歩退いて、事の成り行きを見守っていた。
2人とも「ツバサが見所のありそうな少年の腕試しをしているのだろう」と気付いて、「自分たちは手出し無用だ」と傍観を決め込んだらしい。
「端から見てると子供でジャグリングしているみたいじゃぞ」
ドンカイはのんきな感想を呟いていた。
ただ、言い得て妙だとは思う。
ツバサは右手で軽く戯れているだけ。ヴァトは決死の表情で攻撃を仕掛けてきているつもりだろうが、女神の指先で翻弄されるばかりだ。
ドンカイの言う通り──ジャグリングのボールでしかない。
しかもこれ、ヴァトもそろそろ気付くだろうが、ツバサが逃さぬように回し続けているため、自力で脱出できない状況に陥りつつあった。
焦って抜け出そうとすれば、もっと回転速度を上げてやる。
この状態からどうやって脱するか? ヴァトのお手並みを拝見してやりたい。
「もしくはあれだな──性悪な姉ちゃんが純朴なショタをいじめてる?」
これって姉ショタじゃね? とセイメイがからかってきた。
「誰が姉ショタだ!?」
ついセイメイへ振り向いて決め台詞でツッコんでしまったが、この程度で獲物を逃したりはしない。ヴァトはツバサの掌中で転がされたままだ。
「くうぅっ……こうなったら……ッ!」
ヴァトはツバサの“投げ”に抵抗するのを諦め、わざと投げ飛ばされることにしたらしい。ジャグリング状態から力尽くで脱したのだ。
何をされたのか──ツバサもすぐにはわからなかった。
セイメイに怒鳴った、そのわずかな隙を突かれたらしい。
ヴァトから大きな力を感じたと思った時には右手を弾かれ、そのせいで“投げ”のバランスが狂い、彼をあらぬ方向へ投げ飛ばしてしまった。
大きな指で弾かれたような──唐突すぎる衝撃。
音を操るのがイヒコの過大能力としたら、この得体の知れない衝撃こそがヴァトの過大能力だろう。まだ全貌は窺い知れないが戦闘向きのようだ。
投げ飛ばされたヴァトは、縦横無尽に高速回転している。
ツバサから負荷として加えられた“投げ”の力。
ヴァトはこれを遠心力として処理することで空中での姿勢制御を行うと、意地と根性でイヒコの前に着地した。なんとしても彼女の前に立とうとする気概、男の子として女の子を守ろうとするプライドが感じられる。
男子たる者──こうでなくてはならない。
ツバサの男心がヴァトを一人前の“漢”として評価し、神々の乳母の母心が「なんて健気な子……」と愛おしさを覚える。
そして、ヴァトが覗かせる才能の片鱗に魅入っていた。
本気じゃないとはいえツバサの合気をやり過ごし、ここまで食い下がって来た者は珍しい。それが年端もいかない子供だから目を見張る。
ミサキ以来か──興味をそそる潜在能力だ。
「イヒコ、頼む!」
「うん、わかってる──ヴァトに合わせるよ!」
地面が陥没するほどの勢いで着地したヴァトは、ツバサから目を離さずにイヒコへ短く声を飛ばした。イヒコは子細を問うことなく彼の意を汲む。
イヒコは道具箱からひとつの笛を取り出した。
笛というよりオカリナに似ている。
オカリナにしては大きく、押さえるべき指穴も多い。
イヒコがそれを吹き始めると同時に、ヴァトは果敢にもツバサへ再挑戦するため、地面を蹴って跳躍した。今度はコンビネーションを披露してくれるようだ。
過大能力──【一柱が奏でる音霊の交響曲】。
オカリナが音色を奏でた瞬間、音の圧力がツバサを襲った。
ツバサのみならず、後ろに控えていたドンカイやセイメイまで巻き添えだ。
超巨大スピーカーの前に立たされて、最大ボリュームで音波を浴びせかけられたようなもの。人間なら鼓膜が破けて血を噴き、皮膚の下で肉も爆ぜる。
神族だから耐えられたが──凄まじい音波攻撃だ。
オカリナを奏でるイヒコを取り巻いて、様々な楽器が次々と出現する。
木と金の管楽器、弦楽器、打楽器、編入楽器……。
管弦楽団を編成できそうな楽器がイヒコを指揮者と仰いで、演奏者もいないまま楽器だけでひとりでに演奏をしており、爆音の交響曲を奏でていた。
「……音波攻撃だけじゃない」
叩き付けられる音波には、様々な弱体化効果が盛り込まれていた。
ツバサたちならほとんど無効化できるが、これだけの数を一気に発生させるのは技能では不可能。やはり過大能力によるものだろう。
更に──追い打ちまで仕掛けてくる。
植物の根、蔦、枝、地面の土や泥……音楽の力で操られた自然物が、ツバサたちを絡め取ろうと動き出したのだ。
強烈な音波攻撃に、無数の弱体化効果、自然物の操作──。
この重ね掛けでも大したものなのに、イヒコはヴァトへの強化効果がある演奏も奏でていた。音波に指向性を持たせて、ツバサたちへは攻撃と状態異常、ヴァトへは強化を促すように振り分けているらしい。
ヴァトだけではない──イヒコもまた逸材だった。
イヒコの後押しを受けたヴァトはパワーとスピードを跳ね上げ、その小さな身体を砲弾のように加速させて突っ込んでくる。今度は雄叫びを上げることもなく、歯を食いしばって拳を握り締め、一途な想いを込めて殴りかかってきた。
攻撃の手管は単調だな、とツバサは内心残念がる。
しかし、少年が拳を振り上げた直後──今度はツバサが瞠目させられた。
過大能力──【顕現せよ清然たる精霊の巨神】。
拳を振りかぶったヴァトの背後に、半透明の巨大な腕が現れる。
白い靄のような長方形を組み合わせた巨神の腕。
なんとなく、ダインの巨大ロボットを連想させる腕だ。その腕はヴァトの右腕と連動しており、彼が拳を繰り出すと同じように殴りかかってきた。
先刻、ツバサから逃れた衝撃はこれか──!
人間なら十人ぐらい易々と叩き潰せそうな巨人の拳。
学習能力もなく殴りかかってくるだけと思いきや、これで意表を突くことが目的だったらしい。しかし、ツバサは直前で気付いても難なく躱してしまう。
空振りになった巨人の腕が、大規模な自然破壊を起こす。
突き出された腕は大地を震わせて割り砕き、行く手に生えていた木々をいっぺんに吹き飛ばした。余波を浴びた木立の葉は1枚残らず散っていく。
そして──更なる破壊が一帯を襲う。
空振りになった巨人の拳から目に映るほど強力な衝撃波が迸り、樹林を一直線に貫いていった。木々も大地も一緒くたに抉り飛ばされていく。
直撃したらタフなドンカイでも危うい──そんな威力だ。
目の当たりにした2人の能力にツバサは驚嘆する。
それ以上に賞賛したいのは、彼らの苛烈すぎる戦い振りだった。
戦ると決めたら徹底的──容赦など一切ない。
ちょっとでも手加減すれば自分が殺されかねない、そんな危機感が透けて見えるところから、この世界で懸命に生きてきた経験の積み重ねが窺える。
いいな、この子たち──欲しい。
ツバサ自身の「弟子にしたい」という願望と、神々の乳母の「子供を愛したい」という欲望が、奇妙な具合でシンクロしてしまった。
「まだだ……まだまだッ!」
初撃を避けられたくらいでヴァトは諦めない。
ヴァトが腕を振るえば、巨人の腕も振り回されて森を切り開く。
そこから構え直し、返す刀で殴りかかってきた。
ツバサは慌てることなくステップを踏むような歩法で躱して、巨人の拳の側面に回ると、軽く肩を押し当てて腕の軌道を逸らした。
「なっ……うわわわわっ!?」
巨人の腕とヴァトの腕は連動している。
案の定、ツバサがちょっと巨人の腕を逸らしただけで、ヴァトはそれに引っ張られるように姿勢を崩されていた。強い力を持つはずの巨人の腕が思い掛けない方向へ動かされたヴァトは、その未熟さから動揺してしまう。
この隙に間合いへ踏み込むなど、ツバサには容易いことだ。
右腕以外の手足をジタバタさせるヴァトの前まで来たツバサは、無造作に右手を伸ばしてヴァトの頭を鷲掴みにする。この時点で勝負は付いた。
「及第点だな──ツバサと知りながら勝負を挑んできたことも含めて」
ツバサはヴァトの頭を掴んだまま告げた。
巨人の腕もいつの間にか消えており、ツバサに頭を抑えられたヴァトは両手両足をジタバタさせるのをやめて、ダラーンとさせている。ツバサ相手に抵抗するのは無駄だと知っているかのようだった。
「ま、まいりました……降参です」
ヴァトが負けを認めると、イヒコもそれに応じる。
彼女がオカリナを吹くのをやめれば、楽器だけの管弦楽団も消える。
イヒコはその場で膝をついて土下座してきた。
「ごめんなさい、ツバサさん! あたしたちが身の程知らずでした! だ、だから……ヴァトを許してあげてください! 試すような真似をして、本当にすいませんでした! ごめんなさい、本当にごめんなさい!」
舌足らずながらも、イヒコは一生懸命に謝ってくる。
ヴァトも掴まれたままだが、「申し訳ない」と繰り返していた。
「──許すも許さないもないよ」
ツバサはヴァトをイヒコの横に降ろして、頭を下げていたイヒコも立たせてやると、2人の目線に合わせるべく身を屈ませた。
そして、慈愛の女神らしく微笑みかける。
こんな時だけは母親の遺伝子を色濃く受け継いだ女顔に感謝し、この世界で地母神になれたのは役得だと思うことができた。
ツバサは2人の頭を撫でて、優しく話し掛ける。
「俺は君たちと話がしたかっただけだ。ウチのオッサンコンビが強面だから、逃げちゃっただけだろ? 大丈夫、彼らも根はいい人だからさ」
ツバサがチラリと振り向けば、ドンカイとセイメイは互いを指差して「オヤカタの鬼面が悪いんだ」とか「おまえの無精髭がだらしないんじゃ」とお互いのせいにしながら笑い合っていた。
ツバサはもう一度ヴァトとイヒコに振り返って微笑むと、どちらも安心した笑顔を浮かべて、ホッと胸を撫で下ろしてくれた。
「俺の方こそ、君たちを試したくて勝負を挑んでくるように仕向けてしまった……ごめんな。えーっと……ヴァト君にイヒコちゃん、でいいかな?」
ツバサは謝罪を交えて、2人の名前を再確認する。
すると、どちらも満開の花が咲くように、表情を明るく綻ばせた。
まず元気よく返事をしてきたのはイヒコだった。
「はい! イヒコ・シストラムです! 握手してくださいッ!!」
「待ってイヒコ、その返事はおかしい」
興奮気味のイヒコを、ヴァトは落ち着かせる。
「あッ! そ、そうだよね。えっと……サインしてくださいッッ!!」
「だからイヒコ、自分の欲求をストレートに出し過ぎ」
道具箱から色紙とサインペンを取り出して、頭を下げながらツバサに差し出そうとするイヒコを、ヴァトは半眼で呆れながら自制を促す。
「あああっ! テンパってもう……じゃあ一緒に写真をッッッ!!」
「イヒコ、いい加減にしろ」
とうとう耐えかねたのか、ヴァトは軽いチョップでイヒコを叱った。
少年と少女のショートコントを見せられた気分だが、彼らのやり取りとツバサに接する態度から、なんとなく彼らのことを察することができた。
2人がツバサのことを知っている理由も──。
ツバサは女体化した肉体のこと以外で、久し振りに恥じらいを覚えた。
赤くなりかけた頬で、ヴァトとイヒコに問い掛ける。
「君たち、もしかして…………ミロの動画の視聴者か!?」
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