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第9章 奈落の底の迷い子たち
第213話:教えてクロウ先生~道徳の時間
しおりを挟む四神同盟は──あっさり締結された。
同盟を締結する前に下地を作っておいたのだから当たり前だ。
上手く運ぶことを期待して立ち回ったのもある。
元よりツバサから詳細を聞いて共感を抱いていたクロウは、宴席でも「私たちも是非」と参加を希望していた。最初からそのつもりだったのだ。
最終決戦に駆けつけたミサキやアハウからも同盟について詳しい話を求めていたので、多面的な意見を取り入れることで理解を深めてもいた。
戦争での共闘も良い方向に働いたらしい。
あの戦争で協力できた経験から、「良い関係を築けそうだ」とクロウは熟慮してくれたのだ。ミサキやアハウの人柄に触れたのも良かったのだろう。
ミサキもアハウも人との和を重んじる義に厚い性格。
クロウも穏やかな気質なので、意気投合するのはおかしくない。
おかげで会議が始まると、同盟はすぐに締結した。
「我らタイザンフクン陣営──四神同盟に参加させていただきます」
立ち上がったクロウは深々と頭を下げた。
「あ、えっと……私からも、よろしくお願いします!」
横に座るククリも立ち上がってお辞儀する。彼女は陣営代表でこそないが還らずの都を預かる灰色の御子、権限はクロウに匹敵する。
タイザンフクン陣営もツートップ態勢なのだ。
ハトホル陣営がツバサとミロで仕切っているのと同じである。
「改めて皆さん、よろしくお願いします」
この場では最高齢であるにも関わらず、クロウは新入社員のように礼儀を弁えた挨拶をしてくれた。ツバサたちも立ち上がって礼を返す。
これが年功序列などの細かいことにうるさい大人なら、年齢を笠に着て威張ったりするだろうが、クロウはあくまでも「自分たちが新参者」ということで下手に出てくれた。ツバサたちに合わせてくれたのだ。
本当の大人にしかできない──紳士的な振る舞いである。
おかげで下手に場が乱されることはなく、同盟に不協和音が起こるようなこともなかった。巨大蕃神という途方もない敵と協力して戦ったことも手伝い、仲間意識をすんなり持てたことは大きいはずだ。
同盟は締結したが──会議はまだ終わらない。
「同盟締結は喜ばしいことですが……私やククリさんから質問したいこと、並びにお伝えしておきたい話があるので、会議は続けても構いませんか?」
「はい、それは勿論です」
教師だったクロウからすれば、生徒みたいな年頃のツバサやミサキの考えた同盟内容に、あれこれツッコミを入れたいのかも知れない。レオナルドやアハウのようなオッサ……大人な社会人の監修があるとはいえ、彼らだってアハウからしてみれば教え子同然だろう(なにせ同年代のホクトが元生徒なのだから)。
お手柔らかにお願いします、と願わずにはいられない。
同盟の項目を伝えた限りでは「素晴らしい」と絶賛してくれたので、あまり意地悪な指摘はないはずだ。クロウはそういうキャラでもない。
ツバサたちの同盟の理念は──主に以下の6つ。
1:難民化している現地種族の保護。
2:現地種族への教育。道具や武器、村作りなどの指導。
3:危険なモンスターの討伐。安全地帯の確保。
4:他プレイヤー陣営の捜索。同盟の締結。
5:他陣営との連携、有事に際しての協力要請。
6:別次元の侵略者への対策。(次元の裂け目の封鎖、眷属の駆除)。
(※第145話参照)
この6つの要項を策定したのはレオナルドだ。
彼は№07という上位GMでもあり、真なる世界の情報も事前に知っていた。
それらを踏まえて、この会議では進行役を買って出たのだ。
いつの間にか会議室にはプロジェクターが用意されており、スクリーンに映し出された文面を指揮棒で指しながらレオナルドは解説する。
……長男か変態に用意させたのか? 相変わらずマメな男だ。
「今後、同盟を結ぶ陣営が増えていったり、現実世界から大勢の人間が転移させられてくるなど、真なる世界の情勢が変化するつれて、これらの内容を更新する必要が出てくるかも知れませんが、今はこれで充分かと思います」
「そうですね、私も問題ないと思います」
クロウは卓の上で手を組み、プロジェクターを熱心に読んでいた。
6つの項目にはレオナルドが書き加えたのか、その内容を微に入り細に入り、事細かに文章化したものが追加されていた。報告書のように記述されたそれをツバサも速読したが、特に問題視するような箇所は見当たらなかった。
むしろ──大雑把すぎる部分が補完されていた。
こういうところがレオナルドの有能さだろう。
瞬く間にジェネシスの幹部へ加えられたのも納得できる。
仕事ができるのは間違いない。ツバサも友として太鼓判を押せた。
ただ蘊蓄たれなのと時折ポカをするのが玉に瑕だ。
クロウは理念の概要について感想を述べる。
「会社などを起業する際に必要な“定款”という書類には、事業の目的を記載する必要があるのですが、それはこのように箇条書きで複数の項目をわかりやすく書き記すものですからね。このぐらいがわかりやすくていいと思います」
幼い子も多いですしね、とクロウはそこに気を配った。
マリナやカミュラにミコ、クロウの陣営にもウノンとサノンの幼女姉妹がいる。
あれくらいの子供たちならこの読解力が限度だろう。
アホやバカに単細胞でも──これならわかるはずだ。
「定款ですか……参考にした気がしますね」
クロウの指摘を受け、レオナルドは自分の書いた項目を読み直した。
ついでにニヤリと微笑んだ。
「そうなると、定款ではお約束の『前各号に付帯関連する一切の事業』という魔法の言葉を付け加えたくなりますね」
「レオ、なんだその『前各号に付帯関連する一切の事業』というのは?」
ツバサはまだ大学生、定款とは縁がない。
起業する際に必要な書類のひとつなのは知っている。大学卒業と同時に会社設立を目論む友人に「定款めどい」とか愚痴られた程度の知識しかなかった。
詳しくはない一文についてレオナルドに質問してみた。
「ああ、定款の事業目的というのはだね、一度決めると追加するにしろ削除するにしろ変更登録しなければいけないんだ。そういう手続きは面倒だろう?」
そこで『前各号に付帯関連する一切の事業』が活きてくる。
「事業目的の最後にこの一文を加えておけば、例え目的内容に書かれていないことであっても、関連性さえあれば事業の範囲内と認められるんだよ。なので、書いておいて損はないってことさ」
もっとも、文字通り「付帯関連する事業」に限られている。
登録内容から逸脱した事業へ手を出す場合、必ず変更しなければならない。
あくまでも「念のための一文」なので拡大解釈は程々にだという。
「それでも最初から『こういうこともやるかも知れないから……』と何十個も事業目的を用意しておく面倒は省ける。要点だけで済むというわけか」
そういうことだ、とレオナルドは銀縁眼鏡の位置を直す。
「事業内容の数が多すぎるとデメリットもあるのでね。こういう手法が認められているのさ……まあ、もう起業することもないだろうがね」
「会社を起業……それもそうだな」
こればっかりは苦笑するしかない。
この真なる世界で会社を起こしてどうするのか?
そもそも前提となる文明社会さえないのだ。ツバサたちの急務は自分たちにしろ現地種族にしろ、そうした基盤を復興させることにある。
話が逸れてしまいましたね、とクロウは話を戻した。
「定款やら起業やらの話を振りましたが……そうですね、『前各号に付帯~』ではありませんけど、この同盟内容にも最後に一文欲しいところです」
「同盟内容を関連性から拡大解釈できるような……ですか?」
レオナルドの問いにクロウは首を横へ振った。
「そうではありません。皆さんは気質が大変よろしい。即ち、“優しくていい人”なのです。でなければ、私たちもここまで打ち解けることはなかったでしょう……だからこそ、この同盟内容には決定的な一文が欠けています」
クロウが加えたいという一文は──。
「人道に基づいた行動をすること、です」
つまり『人として恥ずべき行為はするな』ということだ。
もしくは『非道なことはするな』だろうか?
「あなたたちの性格を鑑みれば、改めて加える条文ではないと思います。この6つの条文からして、他者を慮ることを重んじたもの……ですが、群れる人間からはどうしても愚行に走る者が現れます。これは……避けようがありません」
教師生活25年のクロウが言うと重みがあった。
担任教師として幾多の教室を任され、何百何千という生徒たちを見てきたクロウにしてみれば、優等生ばかりを受け持ったわけもない。目も当てられないくらいの問題児に手を焼かされたこともあったはずだ。
イジメ問題にだって直面したかも知れない。
「そういう者は、こんな条文を掲げたところで意に介しもしませんがね……気休めと受け取られても仕方ありませんが……忘れてほしくないことです」
「ええ、わかります……これは俺たちが失念していましたね」
クロウの訴えにレオナルドは感慨深げに頷いた。
そして、プロジェクターに置かれていた同盟内容の条文に、手早く7番目の条文を書き込んでいった。クロウの言葉を一言一句違わずにだ。
「これでよろしいですか、クロウさん」
「ええ、感謝します、レオナルド君……これは、切なる願いです」
元教師のクロウが抱く想いなのだろう。
本当の神様になろうとも──人の心を失ってほしくはない。
「どうか皆さんも、その優しさを……人の情理を忘れずにいてください……」
クロウは座ったままだが卓に両手をつくと、真摯に頭を下げる。
それこそ土下座よろしく額ずくくらいにだ。
ツバサたちは──しばし沈黙する。
クロウの言い分は正しい。ツバサたちの誰もが聞き入れるはずだ。
しかし、人道を貫くことの難しさを誰もが知っている。情けや優しさでは生きていけないと、身を以てみんな体験済みだった。
この真なる世界では特に──。
凶暴な敵性モンスターに襲われるのは害獣駆除という観念が通じるけど、野望や私利私欲に駆られて襲ってくるプレイヤーたちの対処に悩まされる。
聖騎士王を自称した大馬鹿者──ヴァルハイム・ギラディーン。
蕃神の協力者となったGM──ゼガイ・インコグニート。
おぞましい思想に取り憑かれた狂科学者──ナアク・ミラビリス。
真なる世界を終わらせようとした終焉龍──ムイスラーシュカ。
そして、力の信奉者──キョウコウ・エンテイ。
ツバサたちは真なる世界で生きていくために彼らと戦い、何人かはこの手で始末している。そうしなければ大切な人を失っていたことだろう。
彼らにも何らかの理由があったのかも知れないが、平気で他人を害する者は得てしてこちらの言葉に耳を傾けない。話し合う前に牙を剥いてくる。
まごついていれば奴らの毒牙はこちらの喉笛に食い込む。
目には目を、歯には歯を──殺られる前に殺る。
この覚悟がなければ、明日には路傍に骸を晒しているかも知れない。
奴らには情理に訴えている暇などなかった。
条理もないこの世界では弱肉強食が横行しているのだ。
クロウの願う“人道”を守りたいと思う気持ちはあるが、ほぼすべての文明が滅び去った真なる世界では、社会的な法律もなく人理的な道徳さえ虚しい。
「……わかっています、これが虚しい願いなのは」
ツバサたちの沈黙からクロウも察したらしい。
先の戦争ではキョウコウたちに創造されたとはいえ亜人種を殺戮し、一緒に人間だったはずのプレイヤーも巻き添えにしている。
死ぬ前にネルネが回収していたが……何人かは確実に殺したはずだ。
ツバサも、ミロも、ドンカイも、クロウも……。
殺らなければ殺られる──クロウも痛烈に実感したことだろう。
「この真なる世界は今、未開な原始時代と変わりありません。力による支配が罷り通る世界です。暴力を振るう者あらば、暴力で抗うしかない……そうしなければ、自分はおろか大切なものも守れません。それでも……」
――愛と正義を失ってほしくないんです。
クロウは痛切に訴えてきた。
ツバサやアハウにレオナルド、大人たちはすぐに返答できない。
クロウの願いにどう答えればいいか感覚的にはわかるのだが、それを文脈に起こすのに手間取っていた。返事に窮しているわけではないのだ。
特にレオナルドなどは現国のテストで「この時の筆者の気持ちを100字以内で書け」みたいなのを想定して、しかもそれを一分の隙もない文体で答えようと熟考していると見た。あと数秒あれば流暢に語り出しただろう。
「──そんなの当たり前じゃん」
だがしかし、アホは条件反射で答えてしまう。
ミロはクロウの訴えを聞いた瞬間、そう即答したのだ。
両手を頭の後ろに回してソファの背もたれへ仰け反ったミロは、深く考えずに思ったままのことを口にする。ツバサは敢えて制さずにいた。
「ツバサさんやアタシもミサキちゃんもアハウのオッチャンも、みんな愛と正義の人だからね。そんなのクロウのオッチャンに言われなくたって百も承知だよ。弱きを助けて強きを挫く、だっけ? それを地で行ってるんだから」
路頭に迷う現地種族がいれば──優しく手を差し伸べて仲間にする。
困っているプレイヤーがいれば──声を掛けて家族に迎える。
家族や仲間は守る──彼らが間違えたら叱って怒る。
「今までだってそうしてきたんだ。そうやってアタシらは仲間を増やしてきたし、ネコちゃんやアザラシちゃんやトリさんたちも集まってきた」
これまでそうしてきたのだから──これからもそうするだけ。
「アタシらのやることは変わらないよ。獅子のお兄ちゃんが小難しく書き直してくれた同盟内容、だっけ? それってアタシのおつむじゃ半分くらいしかわからないけど、ほとんど間違ったことはしてないと思うよ」
うん、間違ってはいない──ミロの言ってることは“要約”だ。
アホはアホなりに正しく解釈していた。ミロは手に負えないアホだが、決して道を誤らない。だからこそ、ツバサはミロに心の底から惚れたのだ。
「大丈夫ダイジョーブ、クロウのオッチャンが心配するようなことには絶対にならないから。アタシたちはいい子だし、いい子しか仲間にならないよ」
直感と直観を併せ持ち、真理さえ見通すミロの慧眼。
未来予知に匹敵するミロの言葉は放言のように聞こえるが、ツバサにはこれから起きる未来を確定させる断言の如く聞こえた。
「ただし──!」
小生意気な子供が調子に乗ってベラベラ喋っていたかと思えば一転、ミロは豹変すると威厳のある一声を放ち、打ち鳴らすみたいに右手で卓を叩いた。
「優しくするにも限度がある……ってことを覚えといてね?」
ミロは円卓を囲む者たちを舐め回すように見据える。
ツバサ以外の全員が身をすくめていた。
アキどころかカンナまで腰が引けるほど脅え、アハウやクロウにレオナルドさえも身を強張らせる。ククリなんて半泣きになるほど威圧的な気迫だ。
覇王の風格──と表現すればいいのだろうか?
頂点に立つ者のみが漂わせる強者の証。
ただそこにいるだけで平伏せざるを得ない絶対者の気配がそこにあった。
耐えられているのは──ツバサとミサキぐらいなもの。
ツバサはミロを愛していて、彼女がこういう娘だと百も承知なので慣れもあるが、ミサキは恐らく別の理由から耐性があるのだろう。
なにせミサキは根本的な部分でミロと似たところがある。
だからこそ、ツバサはミサキも愛しい。
勿論、愛弟子としてだ。そこに他意はない…………ないってば!
卓を右手で叩いた姿勢のまま、ミロは語り出す。
ミサキはそれを同感というか共感というか、「うんうん、わかる」と言いたげな眼差しで見守っていた。口を挟むつもりはないらしい。
「言っても聞かない、話しても通じない、何が何でもアタシらに噛みついてこようとするケダモノみたいな奴らなんて知らないよ。そういうのは徹底的にやる。二度とアタシとツバサさんと……仲間を傷つけないように、この世界から消してやる。完膚なきまでにブッ潰してやるから」
そこだけは譲れない──奴らの権利なんて保証してやらない。
「クロウのオッチャンの言いたいことはよくわかる。でも、どんなにお説教されても、そこは徹底させてもらうよ。人道とか何とか言って、相手のことを死なせないように気遣ってたら仲間が殺されてたなんて……アタシ、絶対ヤダ」
アハウの眉がピクリ、と動いた。
狂科学者ナアクに気を許したがため、多くの仲間を失った辛い過去を思い出したのだろう。ミロの言葉が重くのし掛かったようだ。
「オレも──ミロちゃんに賛成です」
すると沈黙を守っていたミサキが声を出した。
控え目に挙手してから注目を集め、静聴を促すような口調で語り出す。
「四陣営と交流したオレの知る限り、非道を行う者はいないはずです。むしろ困っている者には助力を買って出るような人ばかり……そこはクロウさんの目に適った通りです。ただ、やはり……不殺を通すのは難しいです」
「フサツ……ってなに?」
「不明の不に殺すって書いて不殺──誰も殺さないってことさ」
間髪入れないミロの質問にミサキは素早く返した。
「オレたちの同盟理念にあるのは、現地種族も、プレイヤーも、いずれやってくる人類も……みんながこの世界で生きていけるように調和の取れた世界を創ることにあると思っています。なので、できる限り平和的解決を目指したいです」
それでも──理解し合えない相手は現れる。
「オレたちは元より、ツバサさんたちもアハウさんたちも、そしてクロウさんたちだって直面したはずです。立ち向かわなければ殺されてしまう事態に……」
ミサキは言葉こそ丁寧だが、その眼に宿る気迫はミロとそっくりだった。
目は口ほどに物を言う、とはまさにこのことだろう。
『戦わなければ生き残れない、むざむざ滅ぼされるなど御免だ』
やはりミサキとミロは相通ずるところがある。
ミロもミサキの意見には逐一「うんうん♪」と満足そうに頷いていた。
自分の意見に賛成してくれたのが嬉しくて、「ミサキちゃんは味方だ♪」ぐらいの気持ちで、話半分のまま頷いてるだけかも知れないが。
「オレも無益な殺生はしたくありません。譲歩できるなら、説得できるなら、そうやって戦う相手を減らしていきたいです……しかし、世の中には目的のために戦闘という手段を選ぶのではなく、手段であるはずの戦闘こそを重要視するような輩もいるんです……オレたちは一度、そういうプレイヤー集団と遭いました」
イシュタルランドに暮らす種族──マーメイド族。
彼らを保護する際、ミサキたちはある戦闘狂集団と一戦交えたらしい。
ミサキとレオナルドによって撃退されたそうだが、仕留める一歩手前で逃げられてしまったらしい。彼らの性格上「見逃した」可能性もある。
「ああいう手合いには、情けさえ油断になります。どれだけズタボロに負かしても、心臓が1回でも鼓動するなら反撃してこようとする……それで自分が死ぬなら自らの甘さで済ませられますが……誰かが死ぬのは耐えられません」
ミサキは苦虫を噛み潰したような顔で言い募る。美少年然とした美貌を台無しにするほどだから、よほど苦い思いをさせられたのだろう。
「……………………」
現場に居合わせただろうレオナルドも、不遜な面構えと不敵な笑みがデフォルトな悪役顔なのに、神妙な面持ちで愛弟子を見守っている。
辛い思い出を仄めかした後、ミサキは宣言する。
「なのでクロウさんの仰るとおり、人道には基づいた行動は忘れません。しかし、極力配慮する、という形になると思います。道理の通じない相手に人道を説く余裕なんてありませんし……理不尽に殺されるなんて真っ平です」
「うんうん、アタシもそう言いたかったの。ミサキちゃんに賛成♪」
難しい言葉を使えないミロは、ミサキの立派な宣言に便乗していた。
まあ、どちらの言ってることも似たり寄ったりだ。
人道にあるべき行動を取るのは当然のこと。
だが、話の通じない危険な輩は力尽くで排除する。
要点はこれだけ、ミロもそこはちゃんと抑えていることだろう。
まだ十代半ばの若き統率者2人の意見。
これを聞き終えたクロウはどんなリアクションを取るのか──。
「ク、クロウおじさま……大丈夫なんですかそれ!?」
彼の横に座っていたククリは恐る恐る見上げると、クロウの変貌振りに肝を抜かれたように驚いていた。軽く椅子から腰を浮かせるほどだ。
クロウの骸骨な双眸──そこから青白い炎が噴き上がっていた。
のみならず、眼球を失って久しい眼窩からは滂沱の如く大量の水を流していた。
いや、あれは涙か? 涙腺がなくても出るものなのか?
クロウは空虚な眼窩から、炎と涙を一緒くたに溢れさせていた。
「ええ、それで構いません……構いませんとも……!」
喉が詰まりそうな声でようやくその一言を漏らしたクロウは、嗚咽しながらも懐からハンカチを取り出して流れ落ちる涙を拭った。
もしかして──感動している?
クロウは変貌した理由を、途切れがちな言葉で紡いでいく。
「この常識の通用しない……頼るべき法も秩序もない世界で……気が荒んでもおかしくなく、暴力に取り憑かれても仕方ないというのに……あなたたたちは、人倫を正そうとして、人道を重んじてくれていた……」
条文を加える必要などありません、とクロウは謝罪のよう言った。
「誰かを傷つけることを過ちだと認めるも……誰かを守るためには躊躇いなく力を奮い……その罪を背負う覚悟もある……あなたたちは、強い子だ」
あなたたちとは現実で出会いたかった──教師として。
いつしかクロウはハンカチを取り落とし、革手袋をはめた骨の両手で顔を覆い隠すようにして噎び泣いていた。これは感動と歓喜から湧いてくる嬉し涙だ。
「現実が、地球が、滅びようとも……正しい人の心が、まだこの世界に息づこうとしている……他者を思い遣り、弱者を助ける、慈愛と友愛の心が……ッ!」
教師生活25年──こんなに嬉しいことはない!!
これは感動したクロウの口癖のようだ。
クロウは泣き止まず、おいおいと子供みたいに声を上げて泣き続ける。
慌ててククリが孫のように寄り添い、慰めてやっていた。
「も~、クロウのオッチャンってば泣き虫なんだから~」
「お年を召した人は涙腺が緩くなるっていうからね。仕方ないよ」
ミロは呆れながらも満足げに笑い、そんなアホの幼稚な発言にミサキはクロウをフォローする言葉を添えて微笑んでいた。
クロウが鎮まるまで、会議は中断を余儀なくされた。
その間、レオナルドとツバサとアハウは「クロウさんの提案した7つめの条文をどうしようか?」と少しだけ議論することになった。
泣き止みかけたクロウは「改める必要などない」と撤回を申し出たのだが、ミロとミサキが「あった方がいい」と主張したのだ。
「アタシよりアホな奴のためにも残しといた方がいいって」
「ミロよりアホって……よっぽどだぞそれ?」
だが、ミロの言うことにも一理ある。
人道とはあってないようなもの。形あるものではない。
自分は大丈夫、なんて安心していると見失いそうで怖いところがある。
戒めのためにも文面として残しておくのも悪くない。
会議の結果、同盟の条文は改められる。
人道に基づいた行動をすること──これが7つめに加えられた。
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