想世のハトホル~オカン系男子は異世界でオカン系女神になりました~

曽我部浩人

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第9章 奈落の底の迷い子たち

第210話:ククルカンの森の休日 前編

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 ハトホルの谷から南南東に位置する──ククルカンの森。

 亜熱帯に属するこの地域は時折、激しい雨に見舞われる。

 これは熱帯にありがちの雨期なのか、それともスコールみたいなものなのか? どちらとも言い切れないのが悩ましいところだ。

 内在異性具現化者アハウたちは天候すら自在とできる能力を持つ。

 しかし、天候について詳しいわけではない。

 周辺地域の天候を照らし合わせて「今日のこれはスコールなのだろう」と当たりを付けているが、それさえ正確ではない。あくまでもなんとなくなのだ。

 まだまだ学ぶことが多いな、とアハウは浅学な身を恥じるばかりだ。

 いずれにせよ、まだこの地を訪れて1年も経っていない。

 これが決まった時期に定期的に降る雨ならば雨期で、ランダムかつ突発的ならばスコールに近いものだろう。数年暮らしてみることで、これが雨期なのかスコールなのか、いずれわかるようになるはずだ。

「激しい雨、というのに変わりないがな」

 雨が降り注ぐ窓の外を眺めてアハウは独りごちた。

 高層マンションから望むような風景。

 ここからならばククルカンの森を一望とまではいかないが、遠くまで見渡すことができた。もしもこの森の全貌を見たいと思うのなら、航空写真でも撮るつもりで上空数千メートルまで飛ぶ必要があった。

 この森はそれぐらい広い。現実リアルのアマゾン流域など比ではあるまい。

 森の中央にそびえ立つのは──アハウたちの拠点。

 外見こそアステカ文明などで見られるピラミッドに似ているが、あくまでも意匠だけだ。その内装は現代的な日本家屋になっていた。

 アハウがくつろぐこの最上階も、畳敷きの和風な書斎だ。

 最近ツバサ君の陣営にいるダイン君という青年に手解てほどきを受けたので、自作でもこれぐらいの和風建築ができるようになった。

 何ならダイン君が出張で手伝いに来てくれる。ありがたいことだ。

 障子しょうじを開いた向こう側な開放的なガラス窓になっている。

 そのガラス戸に雨が吹きつけ、雨音をかなでていた。

 雨にけぶる風景に、アハウは何気なく視線をやる。

 眼下には森を切り開いて作られた村があり、伐採された木々を有効利用することで作られた、丸太小屋みたいな家がいくつも並んでいる。

 現地種族──ヴァナラたちの家だ。

 人と猿の中間ぐらいに位置する外見をしており、ツバサ君たちから聞いた限りではインド神話に原点を持つ種族らしい。真なる世界ファンタジアに飛ばされたアハウたちが最初に出会い、故あって保護することになった種族である。

 いつも陽気で隙あらば踊りまくり、元気に森を駆け回るヴァナラたちも、さすがにこの豪雨では家に閉じ籠もっているしかないだろう。

 この森は彼らが暮らす土地なので“ヴァナラの森”と呼ばれていたが、いつしか“ククルカンの森”と改名されていた。

 理由はこの世界にやって来たアハウたちが、神族の能力でヴァナラたちを助けたため、彼らに“神さま”と崇められてしまったからだ。
 
 彼らたっての願いで、アハウの名をかんすることになった。

 聞けばツバサ君やミサキ君が拠点を構えた土地も、彼らと共に暮らす種族の願いから“ハトホルの谷”や“イシュタルランド”と名付けられたらしい。

面映おもはゆいというかこそばゆいというか……遠慮したいんだがな」

 神様として敬われることには、いつまで経っても慣れない。

 アハウの感性は未だに人間のままだった。

 いくら神族として転移させられたとはいえ、森羅万象を意のままにできる神の力を力を振りかざして、彼らを支配するなど以ての外だった。

 ヴァナラたちとは良き隣人でありたいのだが、彼らは神の力に畏敬いけいを抱いているので如何いかんともしがたい。同等に扱えば無理が生じる。

 神との格差──ある種の線引きは必要なのかも知れない。

 ツバサ君やミサキ君も苦慮くりょしたらしいが、「最近では割り切っています」と同じようなことを言っていた。しかし、内心では悩んでいると見た。

 神様になったとはいえ、精神的な部分にまだ人間な部分が残っている。人知を超越した肉体に、人間の精神が追いついていないのだ。

 この脆弱ぜいじゃくな精神も、いずれ神の肉体に追いつくのだろうか?

 追いついた時、我々はどうなるのだろうか?

 そこから先は予測できないし、できれば憶測もしたくない。

 本当の神になった自分など──想像もできなかった。

 だからこそ「思慮深しりょぶかくあれ」と、アハウは己に言い聞かせる。

 神の能力を授かったからとはいえ、それに振り回されてはならない。

 自身が選んだこと、仲間が行ったこと、それが正しいか否か? その選択に誤りはないか? 神であることを鼻に掛けて傲慢ごうまんに振る舞っていないか?

 それを精査せいさしていかなければいけない。

 いつも謙虚けんきょであれ──学生時代、師と仰いだ教授の言葉だ。

 学問とは、確かな実証を積み重ねていくこと。

 思いつきを突き詰めていくだけでは妄言もうげんとなり、閃きだけで物事を論じれば迷言めいげんとなる。だからこそ、謙虚な姿勢で挑まなければならない。

 非常勤講師といえど、若者たちへ教える側に立った今でもアハウはこの言葉を忘れたことはない。だからこそ、どれだけ疲れていても脳細胞を働かせようとしてしまうのかも知れない。

 考えるのをやめたら終わりだ──知性が叫んでいた。

 漫然まんぜんとした脳死状態で、漠然ばくぜんと現状を受け入れるだけではいけない。

 数多の情報を取り込んで咀嚼そしゃくし、目の前に広がる謎を解明する。原因となるものを突き詰め、その結果を認められるようにならなければいけない。

 かの哲学者フランシス・ベーコンも言っている。

 ノヴム・オルガヌムという哲学にまつわる著書に記された格言だ。

『人間の知識と力は一致する――知識は力なり』

 未知を探究する行為もまた、力を得るための鍛錬と言えるだろう。

 アハウは畳に寝転がって寛ぎながらも、その手元には小難しい本を何冊も積み上げていた。それらを取っ替え引っ替え読み返している。

 この雨にかこつけて、晴耕雨読せいこううどくとしゃれ込んでいた。

「ヴァナラたちも体術や魔術などの技能スキルを身につければ、神族に及ばずともそれなりの能力をつちかえると思うんだが……ハヌマーンという猿の神も、ヴァナラ出身だと聞くし……いや、出自が違うんだったか?」

 アハウはパラパラと本を読み返す。

「ああ、やはり……ハヌマーンはヴァナラと風の神の間に生まれた子だったか、この世界の流儀にならえば、灰色の御子に近いのだな」

 アハウが読んでいるのは──『世界の妖精・妖魔・妖怪・大辞典』。

 彼の周囲には何冊も本が積み重ねられている。

 そのほとんどが世界の神話や伝承、そこに登場する神や悪魔や魔物、そして精霊や妖怪などについて記した本ばかりだった。

 ミサキ君の率いるイシュタル陣営には希有けうな人物がいる。

 アキ・ビブリオマニアという女性だ。元はアルマゲドンのGMという彼女は、その過大能力オーバードゥーイングで現実世界のネットにある情報を集められるという。

 集めた電子書籍を具現化させることもできるそうだ。

 昔、実物の本をコンピューターにスキャンして電子化することを“自炊じすい”と呼んでいたが、彼女の能力はその逆ができるらしい。

 これらの書籍は、彼女に取り寄せてもらったものだった。

 それぞれの本に記されたヴァナラに関する項目を、アハウは何度も丁寧に読み直していた。注目すべきページには付箋ふせんを忘れずに貼りつけ、いつでもすぐに開けるようにしておく。学生時代によくやったものだ。

 ヴァナラたちは──かつての能力を失っている。

 別次元からの侵略者により追い立てられたためなのか、文明や文化といったものを忘れただけではなく、種族的な能力もレベルダウンさせられていた。

 年嵩としかさのヴァナラに聞いたところ、彼らの先祖には神族の末席に加えられる実力者もおり、かつての大戦ではそれこそインド神話で語り継がれるハヌマーンのように大活躍をした者も珍しくなかったそうな。

 いにしえを知るヴァナラの古老は「我らは衰えました……」と嘆く。

 だが今なら──往年の力を取り戻せるはずだ。

 アハウの庇護下ひごかにある今ならば、別次元の侵略者に恐れて潜伏生活を送ることもなく、強くなりたければ体術や魔術を教えてやることもできる。
 
 実際、アハウたちの指導は実を結ぼうとしている。

 少しずつではあるものの、ヴァナラたちは地力を上げているのだ。

 彼らと共に過ごすことで見出せる才覚もあるのだが、学者肌なアハウはヴァナラに関する知識をもっと深めるべきだとも思った。ヴァナラを学術的に理解することで、彼らの中に眠る才能を甦らせてやりたいと考えていた。

 そのために、これらの書物をアキさんに取り寄せてもらったのだ。

「まあ、他にも学びたいことは山ほどあるんだがな……」

 真なる世界ファンタジアとは──神話と伝承に基づく世界だ。

 ツバサ君のハトホル陣営にはケット・シー、セルキー、ハルピュイア、これらの妖精や精霊と言い伝えられてきた種族が共に暮らしている。

 ミサキ君のイシュタル陣営にはエルフ、ドワーフ、オーク、人魚、こちらもまたファンタジー作品ではメジャーな亜人種と称される種族がいる。

 そして、クロウさんの率いるタイザンフクン陣営(クロウさんがそう自称した)には、鬼神ともいうべきキサラギ族がいた。

 『2月に鬼を追い払った』という故事にちなんで、鬼のことを“如月”きさらぎと呼ぶ地域があると聞いた覚えがある。つまり、彼らはきさらぎ族なのだ。

 あるいは鬼神きさらぎ族かも知れない。

 他の種族と比べて肉体面や特殊能力で頭ひとつ抜きん出ている。

 彼らは神族や魔族に準ずる力を持っていた。

 こうした種族から鑑みるに、真なる世界に生きる多種族は現実世界では幻想の存在とされてきた、妖精や妖魔や妖怪が圧倒的多数を占めるのだろう。

 アハウたちと共に暮らすヴァナラも然り──だ。

「インド神話に由来を持つ種族を、南米の神にあやかった名前を持つおれが面倒見るというのは……なんとも奇妙な案配だがな」

 南米の神話にも獣人めいた種族が出てきたはずなので、似たようなものだと思えばいいのかも知れない。猿じゃなくてジャガーだったと思うが……。

 それはさておき──重要なポイントはここ・・だ。

 真なる世界ファンタジアの現地種族とは、そのほとんどが幻想の存在である。

 現実世界で伝えられてきた幻想的な種族と見事なまでに合致しているので、こうした書物によって予備知識を得られる。これはアハウにとって幸いだった。

 今後、ヴァナラに限らず様々な種族と出会い、彼らを助けていく可能性が無きにしも非ずといった状況だ。いずれで会うかも知れない現地種族のためにも、予習を兼ねた勉強しておくに超したことはあるまい。

 研究を兼ねた勉強は、アハウにとって十八番おはこである。

 本業は考古学──正確には中南米考古学だが、民俗学や文化人類学にも食指しょくしを伸ばしていた。目を通した研究資料を覚えておくなど朝飯前だ。

 ふと、民俗学を師事した教授の顔を思い出す。

 地上最強の民俗学者なんて異名で恐れられた風変わりな人だった。

 彼ならこの異世界でも難なく生き延びるな、と想像して唇が緩んでしまう。

 1週間という長い休暇もあることなので、この書斎に山と積まれた本を読破するぐらいはやっておきたい。アハウはページをめくりながら目標を立てる。

 それでも先の戦争に参加した疲労感が拭いきれないので、座布団を枕に寝転がったままだった。しかし、読書のスピードは緩めない。

 ゴロリと畳で寝返りを打つも、読んでいる本は手放さなかった。

 窓ガラスに背を向ける形でなったところで、この書斎の入り口でもある襖が開かれた。手にした本をズラして、そちらに視線を向ける。

「アハウさん、お茶が入りましたよ」

 一休みしたら如何いかがですか、とマヤムが廊下に座っていた。

 ゲームマスター№28──マヤム・トルティカナ。

 アハウ率いるククルカン陣営のまとめ役とも言える女性だ。

 アルマゲドン時代には内在異性具現化者アニマ・アニムスを監視する役目を負ったGMの1人で、アハウの世話を焼くフリをして見守っていたらしい。

 こちらの世界に飛ばされてからは、その事情を打ち明けられて和解。右も左もわからない真なる世界ファンタジアで、力を合わせて生き延びてきた仲間だ。

「ああ、ありがとう……いただこうか」

 寝転がっていたアハウは起き上がり、あぐらをかいて向き直る。

 改めて彼女を真正面から見据えてみた。

 20代半ばというが──10代の美少女にしか見えない。

 童顔といっても過言ではない少女らしい面立ちに、長めのボブカットがよく似合っている。小柄な割にバスト、ウェスト、ヒップとしっかりメリハリが効いており、グラビアのモデルを飾ってもおかしくはないスタイルの良さだ。

 しかし、当のマヤム本人によれば──。

『もっとオッパイ盛っとけば良かったーッッッ!』

 ──と嘆かずにはいられないらしい。

 同僚であるアキさんやクロコさん、それにツバサ君やミサキ君といった、法外にグラマラスな美女たちの肉体美を見せつけられる度に悔やんでいる。

 そういうマヤムのバストはCカップからDカップの間ぐらい。

 ブラジャーのデザイン次第で、どちらもつけられる大きさだという。

 これだけあれば十分だとアハウは思うのだが……。

 決してツバサ君やミサキ君をディスるわけではないが、LカップとかJカップなんてサイズが規格外なのだ。そんな爆乳、アダルト系の動画でしかお目に掛かったことがない。豊満系なアイドルでも珍しいのではないか?

 本音で言えば──アハウはマヤムのスタイルがストライクだ。

 痩せすぎでも太りすぎでもなく、貧乳ではないけれど巨乳でもない。豊満ではないけれど慎ましいわけでもなく、程良く女性的なラインの肢体。

 美少女然としたアイドルらしい体型が好みだった。

「……どうかしましたか、アハウさん?」

 彼女の服の下にあるしなやかな裸体。それを妄想するように見つめていたアハウの視線に気付いたのか、マヤムは怪訝けげんそうに小首を傾げていた。

「何でもない……ちょっとほうけていたかもな」

 見惚れていた、と答える度胸もないアハウは誤魔化した。

 これをマヤムは素直に受け取ってくれた。

「寝ながら本を読んでいるとそうなりがちですよね。そのまま寝落ちちゃったりもしますし……せっかくのお休みなんだから、お昼寝するのもありですよ」

 還らずの都争奪戦──あれから早くも4日が過ぎていた。

 クロウさんの提案により、最終決戦で力を使い果たした面々(クロウさん本人、ツバサ君やミロちゃん、ミサキ君などなど……)は、最低でも1週間の静養を取ることになっていた。

 これにはアハウも含まれている。

 彼女のハルカちゃんからSOSを受けたミサキ君は「自分だけでは手に余るかも知れない」と直感し、アハウにも救援を求めてきたのだ。

 彼の判断は最適解だった、と褒めざるを得ない。

 キョウコウ軍との戦闘は終わっていたが、彼らとの戦争の原因となった“還らずの都”が造られた原因でもある、巨大な蕃神ばんしんが襲ってきたのだ。

 片腕だけでも、真なる世界ファンタジアを破壊しかねない途方もない怪物だった。

 アハウとミサキ君、それにクロウさんの3人掛かりでその進撃を食い止めようと全力を尽くしたのだが、侵攻速度を遅らせるのが精一杯だった。

 最終的にはパワーアップを果たしたツバサ君とミロちゃんが撃退してくれたが、アハウもミサキ君も迎え撃っただけで疲労困憊である。

 あんな桁外れの怪物──二度と相手をしたくはない。

 それがアハウの正直な感想だが、奴はまだ片腕を失っただけだ。

 いつか傷を癒やして、この世界へ再び牙を剥くかも知れない。

 その懸念けねんは、誰の胸にもしこり・・・のように残っている。

 アハウとて例外ではない。

 だからこそ、自分に打てる対策をしておきたかった。

 精霊や妖精などの知識を深めておくのは、その一環いっかんとも言えた。

「ツバサさんやミサキ君もお休みしてるんでしょう? アハウさんも頑張ってきたんだから休みましょうよ。ほら、まずはお茶で一服してください」

 廊下で正座していたマヤムは立ち上がると、お茶の道具一式を乗せたお盆を持って書斎に入ってきた。今日は珍しく和風な出で立ちだった。

 矢絣柄やかすりがらという矢羽根を格子こうし状にした柄の着物に、腰の高い位置で締めたはかまを履いている。女子大生が入学式に着そうな和装である。

「もしくは──はい○らさんが通る?」

「アハウさんも知ってるんですか、この衣装の元ネタ」

 マヤムはお盆を片手に持ったまま、もう片方の手は着物の裾を掴んで横に伸ばすと、その場で全身を見せびらかすようにクルリと一回転した。

「現実にいた頃、コスプレ仲間に勧められて一度だけ袖を通したことがあったので……今日はアハウさんの格好に合わせて、これにしてみました」

「なるほど、原作に詳しいわけではないんだな」

 マヤムの趣味──コスチュームプレイ。

 と言っても特殊なことをするわけではなく、アニメやゲームのキャラクターの衣装を着て扮するだけのこと、つまりはコスプレが趣味なのだ。

 現実リアルにいた頃の彼女は、コミッ○マーケットやら日本○ストリートフェスなどの有名なコスプレイベントの常連コスプレイヤーだったらしい。

「まあ、おれのはコスプレじゃなく普段着なんだけどな」

 アハウはサイズ大きめの作務衣姿で過ごしていた。

 内在異性具現化者アニマ・アニムスは──そのさがが裏返る。

 ツバサ君やミサキ君が男性から女性に変わり、クロウさんが生者から死者であるスケルトンになったように、アハウもまた裏返っていた。

 アハウは人性と獣性が裏返り、獣じみた姿になったのだ。

 真なる世界ファンタジアに飛ばされた当初など、獣王神という肩書かたがきに相応しい巨大な獣の姿のままだったくらいである。

 最近は過大能力オーバードゥーイングを使いこなすことで、身長2mの半獣人ぐらいの姿を維持できるようになった。相変わらず体毛というより獣毛に覆われ、たてがみのように乱れた髪の野人みたいだが、衣類を身につけるぐらいはできる。

「これだけ獣毛が生えてれば服を着なくても良さそうなものだが……やはり、おれもまだ人間なんだな。服を着てないと落ち着かないんだよ」

 おまけに眼鏡まで掛けている──これは伊達眼鏡だ。

 獣王神と化したアハウの視力は2.0どころか20.0を軽く越えていそうだが、現実でのアハウはそこそこ視力が悪くて眼鏡を愛用していた。

 その頃の名残みたいなものか、読書の際には眼鏡があると集中できるような気がしたので、わざわざ小道具として作ったのだ。

 眼鏡の位置を直すアハウの仕種に、マヤムがクスリと微笑む。

「そうやってると昔のアメコミのヒーローみたいですよ」
「そういえばいたな、おれみたいなキャラが……」

 突然変異で獣のような姿に変わり果てたが、誰よりも理知的で学者肌なヒーローというキャラがいたはずだ。彼もまた人間の理性と獣の野生という相反する属性を備えたキャラクターだったのだろう。

「案外、神とはそういう存在なのかもな」

 アハウは窓へ振り向くと、降りしきる雨を見つめて呟いた。

「神がそういう存在……って、どういうことですか?」

 マヤムはアハウの隣に座ってお盆を下ろすと、お茶をれながら尋ねてきた。

 昔、恩師から聞いた言葉を掘り起こすように口にしてみる。

 地上最強の民俗学者ではない。こちらは絵に描いたようなエロじじいだった。

 ――アハウが師と仰ぐのは一人ではないのだ。

「神とは両極端なものを内包する者だ、と聞いたことがある。優しくもあるが残忍でもあり、無慈悲なのに情け深い……この世のすべてを壊す破壊の化身でありながら、人々を脅かす悪を討って世界を守る者でもある……」

 陰と陽、善と悪、光と闇、天と地、上と下、右と左…………。

 神とは対立する要素を持ちながら、そのどちらでもあってどちらでもない。本当の神とはそういうものだ、とアハウが師事した教授は言った。

 男でありながら地母神となった者もいれば──。

 乙女でありながら英雄神となった者もおり──。

 生者でありながら死者の神となった者もいれば──。

 少年でありながら戦女神になった者がいて──。

「おれのように、人でありながら獣になってしまった者もいる……いいや、恩師に言わせれば、相反する属性を持つ者とはそもそも人間のことに他ならず、人間の内に秘められたその両義性りょうぎせいこそが、神への道しるべ・・・・だと言っていたな」

「なんだか……難しい話ですね」

 急須でお茶を煎れたマヤムは2つの湯飲みに注ぎ、大きな方をアハウに渡した。小さな方はマヤムの湯飲みだ。いわゆる夫婦茶碗である。

「話半分に聞いておけばいいさ。口から出任せを言うことが大好きな、まさに“口から生まれてきた”を地で行く、お喋りな先生の戯言ざれごとだからな」

 それを一言一句覚えているアハウも大概たいがいだが──。

「自らの持つべき属性を裏返しながらも、その両方を内在させているのがおれたち内在異性具現化者アニマ・アニムスだとしたら……それが神なのかも知れないな」

 そんな言葉で自分を納得させたアハウは、熱いお茶を一口啜る。

「じゃあ。僕は……どう・・なんでしょうね?」

 マヤムは眉根を寄せて、少し悩ましげに疑問を口にした。

「どうってマヤム君は……そうか、うむ、どう・・なんだろうな……」

 マヤムは──現実リアルでは男性・・だった。

 俗に言う“男の娘”というやつで、趣味のコスプレも女性キャラのみで着飾っていたらしい。より女性的になるため努力もしていたそうだ。

 おかげで外見的には、今の容姿とほとんど大差なかったらしい。

 元から女性化願望があったそうだが、かといって“男性が好き”とか“本当の女になりたい”という思いはなく、複雑な心理状況だったようだ。

 自己女性化愛好症オートガイフィリア──とかいうそうだ。クロコさんから聞いた。

 この性癖も手伝って、マヤムはアルマゲドンのGMを務めながら、こっそりアバターを女性に変えて楽しんでいたという。

 そのアバターの肉体で真なる世界ファンタジアに転移してしまったため、彼は彼女に変わってしまい、神族なので女神化してしまったのだ。

 内在異性具現化者アニマ・アニムスのツバサやミサキとは異なる。

 ある意味、自らの意志で女体化してしまった部類に入る。もっとも、アバターのまま異世界に飛ばされるとは夢にも思わなかったそうだが……。

 異世界転移については、GMでも上位にしか伝えられていなかったらしい。
(※№22以上でないと教えられない極秘情報)

「後悔……しているのか?」

 本当の女性になる覚悟もなくファッションとして女装していただけなのに、成り行きとはいえ女性化どころ女神になってしまったこと。

 その挙げ句──アハウの妻になってしまったこと。

 こちらの世界に飛ばされた直後、アハウとマヤムは2人だけだった。

 未知の世界に飛ばされて不慣れなまま右往左往し、お互いに疲れ果てていた時の気の迷いで……と言ってしまえばそれまでである。

 だが、マヤムの女性的な魅力にアハウが堪えきれなかったのは事実であり、マヤムが女性の快感を求めてアハウを誘ったのも本人が認めるところで……。

 どちらも疲れすぎて、人の温もりを求めていたのは間違いない。

「おれは男として、君との関係に責任を持つつもりだ……」

 もう何度目になるかわからないが、アハウは自分の本心を打ち明ける。

「今さら現実での素性をとやかく言うつもりはないし、君を1人の女性として認めている。誰かに紹介するときは……じ、自分の妻だと明言するつもりだが……だが……君は…………それで、いいのか……マヤム君……?」

 女として──クロウの妻として生きる覚悟があるのか?

「そうですね……まだ思い悩む時もありますけど……」

 マヤムは即答せず、まず目を伏せた。

 そして、アハウに身を預けるが如く寄り添ってくる。

「色んな技能スキルを駆使すれば、もしくはミサキ君やミロちゃんの力を借りれば……男に戻ることができなくもないでしょうけど……僕にはもう、そんな気持ちはありません……元からあった願望に後押しされている気もしますが……」

 女であることが──しっくり来る・・・・・・

 男に戻ることなど考えられない、とマヤムは断言した。

「女神になれたのなら尚更……僕は、このままでいいです」

 ──マヤム・トルティカナ。

 それは獣王神アハウ・ククルカンに嫁いだ女神の名だ。

「そんなことより……アハウさんこそ、いいんですか?」

 アハウの大きな身体へしなだれかかってきたマヤムは、上目遣いにこちらを見上げている。その潤んだ瞳は罪悪感に彩られた。

「僕、本当は……男なんですよ? 女神の肉体になれたし、これからもっと女らしくしようと頑張りますけど、根本的なところは未だに“僕”のままなんです……ちゃんとした女性に、女神になれるかも怪しいし…………ッ!?」

 謝罪めいた告白を続けるマヤムの小さな肩を、アハウはそっと抱き寄せた。

「完全なものなどないさ……人も、獣も……神でさえもな……」

 同じように──完全な男もいなければ、完全な女もいない。

 アハウは愛しさを込めてマヤムをもっと抱き寄せれば、マヤムはそれに身を任せて、アハウの胸板に顔を埋めてきた。その仕種は少女としか思えない。

「皆、等しく不完全なんだ……おれも、君もな……不完全な者同士、求め合うことは必然なことなんだよ……きっとな」

「アハウさん…………」

 不完全だからこそ惹かれ合い──お互いを認められたのだ。

 触れ合っている2人の気持ち、その昂ぶりをどちらも感じ取っている。

 このままだと、そういう気分・・・・・・になってもおかしくはない。

 1週間という取り決めの休みは残り3日ある。

 アハウなら、その3日で残りの本も読破できるだろう。

 雨垂あまだれのうるさい昼下がり、このままマヤムの情動に突き動かされるまま、誰にはばかることなく求め合ってもバチは当たらないはずだ。

 マヤムも嫌がっている様子はないし──何より良い雰囲気ムードだった。

 アハウは片手で抱き寄せていたマヤムに、ゆっくりともう一方の手を伸ばして、両手で抱き締めてから畳敷きの床へ静かに押し倒していく。

 アハウの手が彼女の着物に掛かった、まさにその時──。

「よおっ! アハウの大将いるかい?」

 バリー・ポイントが空気も読まずにふすまを開いた。

 片手に一升瓶を持って上機嫌なバリーは、書斎にズカズカと入り込んで来るなり、こちらの事情も構うことなくマシンガントークを仕掛けてくる。

「いやー、例の転移装置でツバサちゃんウィングとこ遊びに行ったらさ、セイメイの旦那と話し込んじゃってよ。やっこさん、オレと一緒で今回の戦争にゃ参加してないのに『先勝祝いだー!』ってガバガバ酒呑んでんの。んで、オレも御相伴ごしょうばんに与ってきたついでに、あっちのダインって小僧だっけ? あいつが持ってる工場で作ったっつー酒の試飲もしてたからさ、ちょいとおすそわけを貰って…………」

 おんや? とバリーはようやく気付いたらしい。

 マヤムは真っ赤にした顔を冷や汗まみれにして、アハウが崩しかけた着物を必死で直していた。アハウはバツが悪そうな顔でバリーを睨みつける。

 鈍感なバリーも、さすがに察したようだ。

 困ったようにテンガロンハットを目深に被り直して、ニヒルな口元だけを覗かせて苦笑すると、「悪い悪い♪」と茶化すように謝ってきた。

「あちゃー……お邪魔虫だったか。2時間後ぐらいに出直す? そんだけありゃあ何回戦かはできんだろ? それとも延長する?」

「「気遣いが遅すぎるし間違っとるわッッッ!!」」



 アハウとマヤムは息を揃えて、バリーの野暮やぼを大声でなじった。


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