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第9章 奈落の底の迷い子たち
第202話:強き者のけじめ
しおりを挟む500年以上前──キョウコウがまだシュウと名乗っていた頃。
別次元から押し寄せる侵略者“外来者たち(ツバサたちが蕃神と名付けた異形の怪物たちのこと)”と、真なる世界に生きる神族&魔族&多種族による連合軍との戦争は佳境を迎えつつあった。
外来者たちの勢いに陰りが見えてきたのだ。
彼らは大いに堕落した存在でありながら強大な力を有しており、それゆえに絶え間ない飢えと渇きに苦しみ、新たな糧を求めて真なる世界にやってきた。
だが、糧であるはずの真なる世界に徹底抗戦された。
神族や魔族を脅かすほどの力を見せつけた外来者たちだが、そもそも飢えと渇きに苦しんでいたため、次第に衰えていったらしい。
戦争中にこちらの生物や資源などを奪っていったが、この世界を根刮ぎ奪い取るぐらいせねば、彼らの飢餓感は満たされなかったのだろう。
また、完全に力が回復することもないようだ。
星辰の配置にパワーバランスを左右される、なんて噂も流布していた。
圧倒的な侵略者たちに脅かされつつも、真なる世界に生きる者たちが一丸となってこれと戦い、この世界を守り抜いた成果である。
シュウのような灰色の御子たちの活躍もあり、真なる世界は外来者たちを徐々に押し返していたものの、自然環境は荒廃の一途を辿って神族も魔族も激減。多種族も人口を減らしていき、世界は物悲しい様相を呈していた。
そんな最中──灰色の御子たちはある決断を下す。
かつて神族と魔族が遠い次元にある“地球”という惑星を実験場とし、自分たちの因子を撒くことで誕生させた種族がいる。
人間と呼ばれる彼らは、真なる世界とは異なる組成の肉体を持っているが、その内には神族と魔族の因子を受け継いだ“アストラル体”を秘めていた。
彼らのアストラル体を真なる世界に連れてきて、新たな神族や魔族……もしくは第三の種族として、この世界で新たな繁栄を遂げてもらおうと考えたのだ。
当たり前だが灰色の御子も一枚岩ではなく、様々な思惑があった。
ツバサたちは「蕃神と戦うための戦力」という見解を強めており、まさにキョウコウはそういう計画を立てていた。しかし、一部の者は「寂しくなった真なる世界を共に盛り上げる仲間として」求めていた。無論、もっと良い意味で考えていた者もいたし、キョウコウより酷いことを企んでいた輩もいる。
灰色の御子たちは幾度となく協議を重ね、地球への『出立組(含むキョウコウ)』と真なる世界を守る『留守組(含むククリ)』を選抜していた。
キョウコウ──シュウは当初、留守組だった。
許嫁のククリとの婚約が決まり、彼女と共に還らずの都の番をする。
たった1人で蕃神の王を何十体も倒した実績を買われたのもあり、灰色の御子の多くが地球に向かうため、手薄になってしまう真なる世界を防衛する守護者という役目も担うのだ。
シュウはこの大任を引き受けた。
可愛い妹分だったククリを妻とするのも嬉しいが、愛するこの世界を守るために居残れというならば、留守居も悪くないと思ったからだ。
ただ──寂しさもある。
自分も仲間たちと共に地球へ赴き、いずれこの真なる世界で共に戦ってくれるであろう人間の戦士たちを見出す。それもまた大任である。ひょっとすると、留守を守るよりも辛く険しい道かも知れない。やり甲斐もありそうだ。
戦友と共に地球へ行きたい──そんな思いにも駆られていた。
だが、決まったことに未練がましく思いを巡らせ、いつまでも固執するのも男らしくない。何より、シュウが悩むとククリが悲しそうな顔するのだ。
シュウはククリと共に真なる世界に残る。
ククリと還らずの都を──この世界を守るのだ。
自らにそう言い聞かせたシュウは、旅立つ前の戦友たちと共に真なる世界を駆け巡り、蕃神たちを駆逐しつつ次元の裂け目を塞いでいった。
人間たちがやってくるまで『留守組』でも守れるように、できるだけ真なる世界の安全を確保しておこうという配慮だった。
シュウのような『留守組』は元より、『出立組』も頑張ってくれた。
よく知らない未知の地球へ旅立つ前だというのに、準備や休養もそこそこに蕃神の駆除を優先してくれたのだ。シュウは言葉にこそしないが感謝した。
皆で力を合わせて、真なる世界を建て直している。
その実感をシュウは確かな手応えとして感じており、いずれは蕃神どもを完璧に追い払い、この地に再び平和が訪れる日を確信していた。
あの天を塞ぐ絶望が降りてくるまでは──。
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大陸中央より遙か北方──そこが最後の戦場だった。
次元の裂け目を発見しては蕃神の王を撃退。その眷属どもを退治して、奴らの侵入経路を塞ぐ。シュウたちは真なる世界全土でそれを行ってきた。
西方、南方、東方……このルートで世界を巡りながら戦いの旅を続けてきたシュウたちは、最期の地である北方での戦いをを終えて、大陸中央への帰路についた。
帰る道すがら、戦友たちは朗らかに語り合っていた。
話のネタは尽きない──特にシュウの近況が話題になった。
「あんな若い嫁さんを貰えるとは羨ましい……果報者だな、シュウは」
年嵩の魔族が長いヒゲを撫でつけながら言った。
「さすが外来者たち撃破数ナンバーワン! そのご褒美ってこったな。オウセン様ご夫妻も安心だろ。こんな頼もしい婿殿が来てくれるんだからな!」
兄貴風を吹かす灰色の御子がそう言って茶化す。
「しかしシュウよ……まだククリ様に手を出すでないぞ? 今のククリ様に手を出したらおまえ……変態だからな。年頃になるまで辛抱しておけよ?」
眼鏡を掛けた神経質そうな神族が忠告してきた。
「あんなちんちくりんの赤ちゃんみたいな娘ッ子に欲情するなんざ、生き物として軸がブレてっからな! ギャハハハハハハッ!」
魔族の色が濃い灰色の御子が、シュウを指差して爆笑した。
シュウとククリが婚約する──話題はそれで持ちきりだった。
当時、シュウは人間の年齢に照らし合わせれば20歳そこそこ。そして、ククリはまだ5歳くらいの幼女。シュウの両親とククリの両親は縁のある神族や魔族だったため、家族同士で付き合いがあった。
なので、ククリはシュウを「シュウ兄ちゃん」と呼んで懐き、実の兄のように慕ってくれた。シュウもまたククリを妹として可愛がった。
「嫁さんは年上の方がいいというが、若い娘を欲しがるのは男の性なんだろうなぁ……浮気されねぇよう気ぃつけろよ、シュウ」
幼馴染みのケンエンが瓢箪の酒を舐めながらからかう。
この男とはウマが合わないのに、気付くといつも一緒にいる。
趣味や趣向がまったく合わないからこそ、互いに無いものを補うように付き合えるのかも知れない。シュウにとってケンエンはそういう友だった。
「……ああ、わかってるさ」
年の離れた婚姻関係は真なる世界でも珍しくはない。
だが、まだククリがあまりにも幼かったため、戦友たちはそれをネタにシュウをからかったものだ。シュウは照れ臭いやらバツが悪いやらで、終始しかめっ面だったように思う。
それでもまあ──晴れ晴れとした凱旋だった。
真なる世界の東西南北を隈無く調べ上げ、次元の裂け目、蕃神の王、その眷属、これらを虱潰しにしてきたのだ。奴らはしつこいので、またすぐ再侵入をしてくるかも知れないが、当座の安心を得ることはできた。
これで心置きなく──戦友たちを地球へと送り出せる。
こうしてククリとの婚約をネタに冷やかされてバカ笑いできる時間も、もうじき終わってしまうのかと思うと、心の片隅で寂しさが疼いた。
やがて大陸中央が見えてくる。地球へ旅立つ前の遠征もこれで終わりだ。
誰もがそう思っていた──天を塞ぐ絶望が現れるまでは。
まず、あの世界を揺るがす鐘の音が響いた。
この時は2度……いや、3度だったと記憶している。
直後に天を塞ぐほどの次元の裂け目が開き、あのおぞましい6本指を備えた巨大な蕃神の手が、真なる世界へ掴みかかってきたのだ。
現れただけで大気を押し潰し、空を飛んで帰途にあったシュウたちを地表へ叩き落とした巨大蕃神の手に、誰もが唖然とするよりなかった。
ある者は常軌を逸した存在感に圧倒されて狂乱し、ある者は威圧感に意識を押し潰されて正気を失い、ある者は恐怖から後ろも見ずに逃げ出した。
そうした者の多くは──遠からず自死を選んだ。
だが、戦友の多くは恐怖に震えながらも武器を取り、自らの闘志を奮い立たせ、雄叫びを上げて仲間を鼓舞した。今までの蕃神とは大きさどころか内包する力をも次元が違うとわかるのに、立ち向かわずにはいられなかったのだ。
此奴を放っておけば──真なる世界は終わる。
最悪の終末を予感したシュウと戦友たちは、敵わぬ相手だと承知しながら、持てる力の限りを尽くして迎え撃つと心に決めた。誰も明確な言葉を発せず、獣のように吠えるばかりだったが、皆の気持ちは同じだったはずだ。
しかし──シュウだけは省かれた。
戦友たちは目配せで何かを伝え合うと、2人の灰色の御子にシュウを羽交い締めにさせて、この場から逃げるように命じたのだ。
「なっ……エメス? ケンエン? 俺も共に戦うぞ! なのに、これは、どういうつもりだ!? おい、おまえたち! 俺をどうする……ッ!?」
悲壮な覚悟を決めつつも、戦友たちはシュウに笑顔で告げる。
「おまえは生き残れシュウ。我らの中で一番強く、一番この世界を想う者よ」
「あんな小さい嫁さんを未亡人にするわけにゃあいかん……さっさと行け」
「嫁さんと仲良くやって、子供をぎょーさんこさえて……真なる世界をおめぇらの子孫でいっぱいにしとけ。俺たちがいつ帰ってきても寂しくないようにな」
「いずれにせよ、この脅威を後世に伝える者が必要だ」
「そうそう、それにあいつへの対策を練れる大将もいるわな」
「シュウは俺たちの最高戦力の1人。ここで死なせるわけにはいかん」
わかっている──今の我々では、あの天を塞ぐ絶望に敵わない。
あの6本指を持つ巨大蕃神は、倒してきた蕃神の王とは比較にならない。
本能が訴えているのだ。絶対的な力の差を──。
だのに彼らは決死の覚悟で戦いを挑むという。いざとなれば自分の命を使い果たしてでも、あの6本指を次元の向こう側へ追い返すつもりなのだ。
「や、やめ……待ってくれ! ならば、俺も一緒に戦うのが最善だ! 俺も戦えば百人力! いや、千人力となる! 皆で力を合わせれば奴を……ッ!!」
嘘だ──シュウがいても焼け石に水である。
そんなことはわかっている。だが、戦友たちをみすみす死地に向かわせておいて、自分だけ命冥加に生き残ることなどできない。後の世のことを考えて生き残る者が必要なのはわかるが、それは自分ではないはずだと主張した。
シュウは喚きに喚いた──俺も一緒に戦うと。
しかし戦友たちは誰1人として認めず、シュウの親友である灰色の御子のエメスとケンエンに、シュウを連れて行くよう命じた。
エメスやケンエンにしても苦渋の決断だったのだろう。
戦友とともに散る覚悟を振り切り、シュウを逃がす道を選んだのだ。
「ま、待て! 待ってくれ! 俺も戦う! 戦わせてくれ! 1人残されるなんて……いやだぁ!! 俺も一緒に戦場で……果てるなら戦いの中で死なせてくれ! また居残りなんて御免だ! 留守を任されるのは嫌なんだぁ!!」
この時、シュウは自分の本心にようやく気付かされた。
俺は戦いたい──ひたすら戦いたいんだ!
待たされるのは性に合わない。守りに入るのも似合わない。自ら最前線に踏み込んでいき、先陣を切って敵陣に攻め込む。
仲間が進むための道を切り開き、どこまでも突き進んでいく。
それが戦の魔王と軍神の血を引く──シュウの本性。
だからこそ、戦友たちが死地へ赴くというのに、自分だけがおめおめと生き残るこの状況に耐えられなかった。無様と笑われようが泣き叫び、自分を助けるためにこの場から逃げ去る親友を罵倒して、シュウは戦うことを懇願した。
「エメス、離せ! 離さないか!! ケンエン、貴様は……こんな時まで俺の邪魔をするのか!? やめろ! みんな! 俺を守って死ぬな! 俺がみんなを守って死ぬべきなんだッ! さもなくば……俺も共に逝かせてくれッ!!」
俺に生き恥を晒させるなああああああぁぁぁーーーッ!!
シュウは慟哭を上げながら、幼馴染みであるエメスとケンエンによって戦場から遠ざけられていく。だが、その目は6本指に立ち向かう戦友たちの最後をしっかと見届けていた。いいや、目を離すことができなかったのだ。
1人、また1人と戦友が命を落としていく。
しかし、彼らはむざむざと犬死にはしない。
命の散り際に持てる“気”のすべてを費やすことで、自分ができる最大級の必殺技を叩き込み、それが叶わなければ“気”を暴走させて自爆する。
命を懸けた戦友たちの特攻を──シュウは涙ながらに見つめていた。
この時、キョウコウは痛烈に思い知らされた。
「力だ……力が欲しい……何者にも屈せぬ、絶対的な力が……ッ!」
力さえあれば──あの巨大蕃神を初めとした外来者たちに、愛する真なる世界を蹂躙されることもなかった。すぐにでも追い払うことができた。
力さえあれば──戦友たちが自分に未来を託して、ここで命を散らすこともなかった。共にあの巨大蕃神に立ち向かい、勝利をもぎ取ることもできた。
力さえあれば──誰も死なせずに済んだ。
シュウにもっと力があれば、戦友1人1人がもっと強ければ、真なる世界に生きる者すべてがもっと強い力を持っていれば……。
力が足りない──その悔しさに慟哭した。
見ているだけしかできない自分を恥じ、一緒に戦えない自分を呪い、生き恥を晒すこれからの自分に情けなさが募っていく。
ついに戦友たちは6本指を次元の向こう側へ追い返し、その巨大蕃神が開けたであろう天を塞ぐほどの次元の裂け目さえ、命懸けで塞ぐことに成功する。
そして──誰も戻ってはこなかった。
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「力が……強さが……欲しかった……」
シュウは──キョウコウは持ち上げた手を震わせる。
瞬きをした一瞬で過去を回想し、シュウと名乗っていた若き自分を振り返っていたキョウコウは、目を開いて年老いた自分に戻っていることを知る。
爆乳小僧に焼かれた五体は、内側から染み出してくる混沌により自動的に修復されていくが、若造に負けたという敗北感によって心をへし折られたためか、治りが遅いうえに身体が思うように動かせずにいた。
「この世界を守るため……家族を、友を、仲間を、戦友たちを……愛する者を守るための力が……理不尽な死に抗うための……別次元からやってくるふざけた連中を殺すための……強さが……欲しかった……」
それがこの様だ……キョウコウは口の端に自嘲を湛える。
「戦友たちを失った俺は……“儂"は『留守組』を辞退し……『出立組』に入った……真なる世界を守る戦力を求めて……外来者どもに対抗する力を求めて……すべてを守り、何ひとつ失わない強さを欲して……」
オウセン夫妻にはククリとの婚約を破棄してもらった。
あの天を塞ぐ絶望を目の当たりにしながらもおめおめ生き残ったシュウには、もうこの世界で留守を守ることなど考えられなかった。
あれに抗う強さが欲しい──あれを滅ぼす強さが欲しい。
真なる世界にいたままでは駄目だ。
地球に渡ることで新たな力を求めなくてはいけない。真なる世界にはない強さを探しながら、彼の地にて戦力となる人間を選抜するのだ。
いずれは最強の軍勢を率いて、あの天を塞ぐ絶望に立ち向かう。
「なのに……思い通りに行かぬものよ……な……」
灰色の御子たちによる地球での活動は──過酷を極めた。
「灰色の御子は……いや、真なる世界のアストラル体は……地球では自らを保持するのが難しかった……人間たちのような肉体を得るしかなかったが……それは重い枷を自らに強いるも同然……我らの魂は……劣化していった……」
恐らく、五体満足な灰色の御子は10人もいない。
神と魔の力を受け継いだおかげで、地球に渡っても超常的な異能を発揮することができた灰色の御子だが、重い人間の肉体を被ることを余儀なくされ、それにより魂が疲弊していき、擦り切れるように衰えていった。
「ジェネシスを組織し……ソウルダイブシステムを開発し……人間をこの世界に連れてくるまで……500年も掛かったのは……我らの不手際よ……」
足りなかったのだ──何もかもが。
「我らの力も……人間たちの魂の成長も、その数も……それらを整えるための時間も……何もかもが足りなかった……何もかもが……ッ!」
キョウコウは人間として受肉するも自らのアストラル体を維持するため、禁忌を破って他者の魂を力に変えて取り込むだけに留まらず、更なる強さを求めて、あらゆる存在を我が身に組み込んでいった。
「だというのに……御覧の通りよ……この、為体だ…………」
新しき神々の一柱にしてやられた。
「だが……その新しき神々が……あの爆乳小僧と、その連れ合いが……あの、忌々しくも禍々しい……天を塞ぐ絶望に……強烈な一矢を報いてくれた……」
複雑な気持ちになるものの──胸が空く思いだ。
「もっとも、彼奴をあそこまで育て上げたのは……斗来坊の……ケンエンの手柄よ……儂は……悪戯に……彼奴らの邪魔をしただけ…………」
独白にせよ喋りすぎたのか、軽く咳き込む。
大きく深呼吸を数回してから、キョウコウは悔恨を込めて打ち明ける。
「俺の……儂の進んだ道は…………誤っていたのだな……」
戦友たちの言葉通り、この地でククリと結ばれていれば良かったか?
巨大蕃神の対策とは別に、“外来者たちの襲来を越える想定外の有事”に備えて建設された還らずの都の守りに専念し、自己鍛錬により極限を超えて自身の強化に励みつつ、ククリとの間に子孫をもうけ、その育成に努めれば良かったか?
キョウコウは小さく頭を振りながら深いため息をついた。
「あの時の儂には……その道は選べなんだ……」
目の前で戦友を失っていく無力感に嘖まれ、何もできなかった己を殺したいほど悔い、何らかの行動を起こさねば居ても立ってもいられない。
「挙げ句……失敗していれば……世話はないがな……」
さあ笑え──何ひとつ成し遂げられなかった愚か者を。
「愛した許嫁さえ嘆かせて……力の信奉者という道を選び……派手にしくじった儂を笑ってくれ……だから、今度は……今度こそは…………」
──共に逝かせてくれ。
仲間はずれはもうなしだ、とキョウコウはなけなしの力を振り絞り、もう片方の腕で上半身を起こして立ち上がろうとする。
これが最後だ――これが終わったら好きなだけ休ませてやる。
壊れかけた肉体に言い聞かせ、無理にでも動かす。
「戦友たちのやろうとしていることは……わかっている……」
あの時と同じことをするつもりだろう? とキョウコウは問うた。
「今度は……儂も逝くぞ……あの時、共に逝けなかった後悔を……晴らさせてくれ……この、道を誤った老いぼれに……せめても償いの機会を……」
謝るべき相手ならククリを初めとして、星の数ほど居る。
爆乳小僧のような新しき神々には、迷惑を掛けた覚えしかない。
「戦友たちと共に……この世界を守ることで……償いを…………ッ!?」
ひび割れたままの腕で身体を起こそうとするが、力の入らない腕では上手く行かずに転びそうになった。また無様に倒れ伏すかと思えば──。
『誰が笑うものか──おまえの愚行が世界を救ったのだ』
戦友の1人がキョウコウを支えてくれた。
1人、また1人と手を貸して、キョウコウを立ち上がらせてくれる。
彼らは穏やかに微笑み、キョウコウに語りかけてくる。
『おまえは努力を怠らなかった。この世界のためを想い、力を積み重ね、強さを探し求め、生き恥を晒すことに苦しむも……今日まで生きてきた』
『それがわからぬ我らではない』
『おまえは己が歩んできた道を誤りと断じたが、俺たちはそうは思わない』
『おめぇさんの働きが良かれ悪しかれ、あの男前で凛々しい女神さんと、乙女なのに小僧みたいな男神の新しい神さんをここまで連れてきたんじゃねえか』
『彼女たちだけではない。地球に旅立った灰色の御子が、この世界の救世主となる者を、彼女たちのような者を連れ帰ってきてくれたのではないか』
『アンタが悪役を買って出てくれたおかげで、ああいう奴らに火を付けたと考えてもいいんじゃねえか? それが、あの天を塞ぐ絶望を追っ払ったんだ』
『戦い、競い、争い、進化を遂げる……それは神も魔も人も変わりはしない』
『君はそれを促した。自らの老いや劣化をものともせず、若き神々と戦い続けて、今日まで若者たちの敵対者として、彼らの成長を促してきたんだ』
キョウコウの歩んできた道は──決して誤りではない。
気付けばキョウコウは、ハラハラと涙を流していた。
外したことのない頬当てが落ちる。
かつては紅顔の美青年と褒めそやされた顔には皺が刻まれ、すっかり年老いた男の顔が露わになる。干涸らびた皺を潤すように涙が流れ落ちていく。
これらの発言はキョウコウを気遣ってのものではない。
戦友との付き合いは長い。慰めを並べる輩でないことは承知している。
彼らは本心から──キョウコウに賛辞を送ってくれたのだ。
「儂の選んだ道は……誤ってなかったと申すのか……」
キョウコウ自身、その賛辞を受け止めることはできなかった。それだけ自分の犯してきた非道を認め、自責の念を抱えていたからだ。
だが、胸の奥から湧き上がる感情はなんだ?
ようやく立ち上がれたキョウコウの足下には、涙の跡が広がっていた。
『そなたは……まだ歩みを止めぬつもりだろう?』
年嵩の魔族が長いヒゲを撫でた後、キョウコウに手を差し出してきた。
『その前に……私たちと共に逝こうか、戦友よ』
眼鏡をかけた神族が、キョウコウを先導するように空へと浮かび上がる。
「ああ……今度は置いていかないでくれよ……共に……逝こう……」
戦友たちに手を引かれ、キョウコウも宙へと浮かんでいった。
~~~~~~~~~~~~
天を塞ぐ絶望──これには二重の意味があった。
常軌を逸した巨体を有する蕃神。次元の彼方から6本の指を広げて真なる世界に掴みかかろうとする者。あの天を塞ぐように大きな掌のことだ。
そして、もうひとつは世界を夜で覆うように巨大な次元の裂け目だ。
「6本指は何とかなったものの、このでかい穴を閉じなければ問題は根本的に解決しないか……しかも、どんなに頑張っても時間がかかるとは……」
どうしたものか、ツバサは宙に浮かんだまま空を睨め上げる。
ミロが「ハトホル・ブライド! ツバサ・ブライド!」と喜んでいるウェディングドレスみたいな衣装のまま空に浮かんでいるのだが、本音を言えば地上に降りたいくらい消耗していた。
飛行系技能を使うのもダルいくらい疲れている。
あのブラックホールを創り出すのに、凄まじいエネルギーを消費したのだ。
ミロも“覇唱剣”を全力全開で振るうのに全身全霊を賭したため、今はアハウの背中に倒れ込み、未だに荒い呼吸を繰り返していた。
隣には過大能力を使いすぎて気絶してしまった白骨死体……じゃない、クロウも倒れ込んでいる。そんな2人をミサキが介抱してくれているが、そのミサキもまた巨大蕃神の侵攻を食い止めるために力を使い果たしていた。
彼ら3人を乗せている獣王神も疲労困憊だ。
何枚もの翼を羽ばたかせてホバリングしているが、ちょっとでも気を抜けば高度を失って墜落しそうだ。なけなしの気力で保っているのがわかる。
「……かと言って、この“大門”を放置するわけにもいかんしな」
天を塞ぐ絶望──空を覆い尽くす次元の裂け目。
なんとしてもこれを処置するため、ツバサは自らに鞭を打つとともに、酷とは思うが4人の内在異性具現化者に協力を請うた。
「やることをやらなきゃ休めないのが人生だ……仕方ない、俺たちでこの大穴を塞ぐしかない。みんな、疲れているかも知れないが……もうひとがんばり頼む」
「協力は惜しまないが……大したことはできないぞ?」
アハウが負い目も隠さず答え、ミサキも申し訳なさそうに続いた。
「すいませんツバサさん、オレもです。まさか、ここまで疲れるなんて……」
ミサキはまだ起きているが、ミロは寝転んだままだ。
「アタシもパスぅ~……やんなきゃいけないってわかるけど、当分無理ぃ~」
クロウに至っては無反応。完全に落ちている。スケルトンだから呼吸も脈もないので、本当に白骨死体みたいだった。
酷なことは言っているのは重々承知である。
それでもこの大穴を塞がなければ、世界が滅びかねないのだ。
「わかってる。俺だって同じなんだから……でも、これをそのままにしとくわけにはいかないだろ。大穴の奥から剣呑な気配もするし……」
あの6本指の気配はもうしない。次元の彼方へ引き上げたらしい。
だが、大穴からは耳障りなざわめきが聞こえてくるし、有象無象の名状しがたいものが蠢いており、こちらに進んできているのを感じ取れるのだ。
「この大穴を塞がなけりゃ、おちおち寝ることもできやしないんだ。時間が掛かってもやるしかない。徹夜になろうと残業になろうとも絶対にな」
作戦はこうだ、とツバサは一方的に提案する。
「まず全員、自己回復系の技能をフル活用してくれ。俺も過大能力で活力を最大限にまで上げるように努める。活力が溜まったらみんなに付与していくから、ミロとミサキ君は次元を創り直す能力で、あの大穴を塞いでくれ」
ツバサがエネルギータンクという回復役に務め、次元の裂け目を修復できるミロとミサキに働いてもらう。大雑把に言えばこういうことだ。
「おれとクロウさん……は目覚めたらとして、何か手伝えることはないか?」
協力的なアハウに感謝してツバサは答える。
「アハウさんとクロウさん、それにツバサは大穴から蕃神や眷属が出てきたら打ち落とす迎撃要員です。奴らにミロやミサキ君の邪魔をさせないでください」
どれくらい時間を費やすかわからないが、4人でこのフォーメーションを組み、あの大穴みたいな次元の裂け目を塞ぐまで頑張るしかない。
ここで──ゼエゼエ喘いでいたミロが唐突に跳ね起きた。
「活力を付与って……ツバサさん、みんなに活力付与すんの!? じゃあ、みんなにチューすんの!? それはアタシだけって約束じゃない!」
この状況で嫉妬心に火が付いて騒ぎ出したのだ。
口移しで活力付与をするのはミロだけ、他の者にやる時は手を当てて送り込むと大分前に約束したはずなのに、このアホガールはすっかり忘れたらしい。
ミロの突拍子もない発言に、場は騒然となった。
「え……活力付与ってツバサさんとキスするんですか!?」
「ツバサくんとマウス・トゥー・マウスだと!?」
「うら若き乙女と接吻できると聞いて!」
ミサキやアハウからエロスを燃料にしたエネルギーがフツフツと滾るのを感じ、ただの屍になっていたクロウまで飛び起きた。何もない眼窩の奥では情熱が炎となって燃え上がっている。しかし、その炎はやたらピンク色だ。
まさかの食いつきの良さに、ツバサは拳を握り締めてプルプル震えた。
「おまえら……全然元気じゃねーかッッッ!」
ミロは言わずもがな拳骨を落として、ミサキ君は軽く小突き、アハウとクロウは年上であろうとたんこぶができる勢いでブン殴ってやった。
「キスのひとつやふたつで騒げる元気があれば十分だ! キスなしで活力付与してやるからとっととワーキング! この穴を埋めるまでお家に帰れると思うなよ!」
「「「「イエス・マム!!」」」」
全員、ツバサの目の前に整列して最敬礼で返事をした。
「誰がマムだッ!? このエロガキども&オッサンズ!」
いつもの決め台詞で返すツバサ。
かなりふざけた拍子ではあったが、そのおかげなのかせいなのか、みんなやる気を取り戻したようなので、このまま大穴を塞ぐ作業に取り掛かる。
その矢先──ツバサたちの頭上を無数の人影が遮った。
彼らは還らずの都から蘇った英雄たち。
多量の“気”で構成された仮初めの肉体は、幽霊のように淡い存在でありながらも力強い輝きを発している。巨大蕃神の手を押し返すべく戦い、多くの者が力を使い果たして世界に還ったはずだったが……。
「まだ、こんなに残っていたとは……ッ!?」
彼らの前に──いや、彼らを代表するように現れた人物。
それは他でもない、キョウコウ・エンテイその人だった。
ツバサの太陽に焼かれた鎧は完全修復しておらず、ひび割れてボロボロのままだが、五体はほぼ取り戻しており、双眼の奥には精気を宿していた。
「新しき神々よ──大義であった」
年老いて嗄れた擦過音混じりの声ではない。
よく通る声ではっきりとキョウコウはツバサたちに言い渡してくる。
「よくぞ、あの天を塞ぐ絶望を撃退してくれた。この地に生まれた者として、またこの地を守護する者として、そななたちに心からの謝辞を送ろう」
ありがとう──そして、すまなかった。
「この程度では詫びにも償いにもならぬが……後は、我らに任せるが良い」
キョウコウの言葉を皮切りにしたのか、帰ってきた英雄たちが1人、また1人と上空へ昇っていく。彼らは、あの大穴のような次元の裂け目を目指していた。
その穴に英雄の1人が沈み込んでいく。
すると、肉眼ではわからない程度に大穴が縮んだ。
自然現象や世界を感知する能力を持つツバサやミサキやアハウ、それにミロはすぐに気付くことができた。この現象に、最初は目を疑ってしまった。
1人の英雄が大穴へ沈む毎に、次元の裂け目が埋まっていく。
「英雄たちが……自分の“気”で世界を修復している?」
次元を創り直す能力を持つミサキが、何が起きているかに気付いたらしい。
彼らは仮初めの肉体を構成する“気”を用いて、真なる世界に還りつつ、次元の裂け目を防いでいるのだ。もしかすると、彼らの役目は巨大蕃神と戦うためだけではなく、こうした後始末も含めたものだったのかも知れない。
ツバサたちが見守る中、天を塞ぐ絶望は徐々に塞がっていく。
大勢の英雄たちが光の粒となって舞い上がり、次元の裂け目へ飛び込む度に世界が元通りになっていくのだ。ツバサたちの出る幕ではない。
ツバサたちは片時も眼を逸らさず、世界に還っていく彼らを見送った。
それが──この世界を託された者の務めと信じて。
すべての英雄が世界へと還り、次元の裂け目はほとんど塞がれた。
空にはまだ亀裂ほどの裂け目が残っている。ここから見ると大したものではなさそうだが、間近にすれば縦に数㎞はある裂け目だろう。
だが、英雄たちは英霊へと戻り、みんな世界へ還ってしまった。
残っているのはキョウコウ唯一人。彼は亀裂を見上げて呟く。
「これで儂も……戦友と共に逝ける……思い残すことは数あれど……もう、儂の出る幕はない……新しき……次代に任せるとしよう……」
これが戦犯者にして敗残者の──力ある者としてのけじめなのだ。
キョウコウはツバサとミロを見つめ、深々と頭を下げる。
その内に眠る魔王と女神に向けて──。
「叔父上、叔母上……申し訳ありませんでした。そして、ツバサと……それにミロという娘よ……どうか……ククリのことを頼む……」
すまなかった──と伝えてくれ。
「さらばだ…………新しき神々よ!」
キョウコウは別れの言葉を継げると、ボロボロの身体を引き摺るように急上昇を始めた。半死半生とは思えない速度で飛び上がっていく。
目指す先にあるのは亀裂──わずかに残った次元の裂け目だ。
キョウコウのやろうとしていることに気付いたミロは、血相を変えて飛び出して追おうとしたが、ツバサが身体を張って制した。
ツバサに抱き留められたミロは、ジタバタ藻掻いて叫ぶ。
「バッカヤローーーッ! そんなん……自分でちゃんと言えよッ!!」
ククリちゃんを置いていくなーッ! 怒りの涙でミロは訴える。
その叫びはキョウコウの飛行スピードを多少遅くはしたが、彼は未練を振り切るように加速していき、ついに亀裂の手前までやってくる。
キョウコウは速度を維持したまま、全身から混沌を湧き出させる。
その混沌は今までに見たことないほど澄んでおり、大空と同じ澄み切った蒼い色をしていた。広がった混沌は亀裂を埋めていき、世界を元通りにしていく。
『ククリ……すまない……こんな身勝手な兄を慕ってくれて……ありがとう』
キョウコウの声は音として聞こえなかった。
その慚愧の念とククリを想う気持ちが、次元を修復すると共に世界をへと還ったキョウコウから伝わってきたのか、皆の心の内に響いたのだ。
その思いの丈は、きっとククリにも伝わっただろう。
かつての許嫁であり、兄のように慕った男の謝罪を、彼女はどのように受け止めたのだろうか? それはツバサたちにもわからない。
ただ、キョウコウがこの世界のために身を挺したのは事実だ。
後の世に生きる者たちのため、この世界を守ったのも真実だ。
力だけを求めた、その方法が誤りだったとしても──。
天を塞ぐ絶望は消え去り、綺麗な青空がどこまでも広がっている。もうすぐ日も暮れ、それはそれは鮮やかな夕焼けとなるだろう。
そんな空の下──1人の少女の泣き声がいつまでも響いた。
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