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第9章 奈落の底の迷い子たち

第201話:受け継がれる魂の想い

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 ──時間を少し巻き戻す。

 純白の衣装に身を包んだツバサと、漆黒の外套コートに袖を通したミロが、還らずの都から出撃する直前。彼と彼女に何があったのかまで遡る。

 還らずの都に収められた──英霊たちの遺影。

 そこから現世に舞い戻ってきた英霊が仮初かりそめの肉体を得、天を塞ぐほどの絶望となって降りてくる巨大番神に立ち向かっていった。

 すべての英霊が出陣した後──ククリの両親もそれをならおうとした。

 だが、彼らはツバサとミロを見て何かを思い付いたらしい。

 どちらかと言えば名案を閃いた感じだった。

 こちらの内面を覗くように目を見張っていたから──。

 そんなククリの両親の申し出は、思いも寄らないものだった。

『ツバサ殿、ミロ殿──我らの魂を受け継いではもらえないだろうか?』

 おもむろにククリの父は切り出してきた。

 予想だにしなかった提案にツバサが呆気に取られていれば、ククリの両親は交互に話し掛けてくる。息を合わせて畳み掛けてくるように──。

『そなたたちは、我ら夫婦に相似そうじ──酷似こくじしていると言っても良い』

『ツバサ様は陰にして陽、ミロ様も陽にして陰……私たちのように、個にして太極となる素養を持ち合わせており、仲睦なかむつまじい様子もそっくり……』

 我らが魂を受け継ぐに相応しい──ククリの父は太鼓判を押す。

『我らが帰ってきた英霊として、あの天を塞ぐ絶望に立ち向かうより──そなたらに我らの魂を授け、その増力の一助いちじょになるべきでは? と思うてな』

『あなた方の言葉に直すなら……“ぱわーあっぷ”でしょうか? もしくは進化や覚醒とか……とにかく、私たちの魂はあなた方を強くするでしょう』

『そうして強くなったそなたらに──この世界を守っていってもらいたい』
『新たなる神族として……この世界の守護をお願いしたいのです』

 パワーアップ、と聞いてミロの瞳が目映まばゆい期待に輝いた。

 進化や覚醒といった言葉も耳障みみざわりが良いだろう。

 それらの単語をゲームなどで慣れ親しんできた世代だから尚更だ。

「ククリちゃんのお父さんとお母さんの魂を受け継げば、もっと強くなれんの? やるやる! 魂ちゃんと受け継ぐよ! 流れ的にはアタシがお父さんの魂を受け継いで、ツバサさんがお母さんの魂を受け継げばいいんでしょ?」

 やるやるぅー! とミロはすっかり乗り気だった。

 ノリノリなミロを制して、ツバサはククリの両親に疑問を投げ掛ける。

「待て、待て待てミロ。そう何でもかんでも安請け合いするな! おまえの悪い癖だぞ! 確かに、あなた方の魂を受け継げば強くなれるかも知れないが……それでいいのか、あなたたちは? それに、俺たちは……どうなるんだ?」

 ツバサはいつもミロの安請け合いに付き合ってきた。

 態度でこそ「やれやれ……」と呆れるものの、直観と直観を持つミロは選択肢を間違えることがまずないので、反論することなく同意してきたのだ。

 だが、今回ばかりは要確認を徹底させてもらう。

 ツバサの心配事は主に2つ。

 ひとつは、ツバサたちがククリの両親の魂を受け継いだとして、彼と彼女の魂はこの世界に還ることができるのか? 今日まで還らずの都に縛られ、今度はツバサやミロの中にとらわれるのではないか?

 もうひとつは──ツバサやミロへの影響だ。

 彼らの意識がツバサやミロに変質をもたらすのではないか? 邪推じゃすいしたくはないが、彼らの意識に乗っ取られるようなことはないのか?

 2つ目は心配というより危惧きぐ、ある種の恐れだ。

 他人の力を得てパワーアップというのは王道とも言えるが、その人物の魂をまるごと受け入れるならば、こうした危機感を抱かずにはいられない。

 ツバサは地道に積み上げた己の力しか信じない性質タチ

 だから余計に危機管理能力を働かせてしまう。

 あと、心配性なのも拍車をかけていた。

 ミロは両手を腰に当てると、これ見よがしの溜め息をついた。

「ツバサさん、こういうのは必ず二の足を踏むよねー。まったく、奥手な純情乙女みたいに臆病なんだから……ククリちゃんお母さん&お父さん、いいからやっちゃって、ツバサさんもアタシも2人の魂を受け継ぐから」

「誰が奥手な純情乙女だ! 常識的な危機管理能力だろうが!? 待て、ちょっと待ってお二方! 今のキャンセルッ!」

 ミロおまえが考えなしのアッパラパーなんだよ! とツバサは叱った。

 叱りつけながらククリの両親に待ったをかける。

 こちらのやり取りを、ククリの両親は微笑ましそうに見守っていた。

『案ずることはない、ツバサ殿……そなたの心配も危惧も、我らには手に取るようにわかる……そこに考えが及ばなくてはしょうすいも務まるまい』

『私たちがこの世界に還れないのでは? という思い遣り……私たちの魂を受け継いで自分たちが変わるのでは? という不安……当然のことですね』

 ですが──心配無用。

 ククリの両親は、その点についてつまびらかにしてくれた。

『我らの魂はそなたたちを通じて世界へと還る、想世そうせいの神々を伝ってな──純粋な力のみ、そなたたちは受け継ぐのだ──そして、我らは真の安らぎを得ることになるだろう──そなたたちが案ずることは何もない』

『私たちの意識があなた方にるいがいを及ぼすこともありません……私たちの魂に宿る力が、あなたたちの潜在能力を目覚めさせるだけ……この世界のために生きる、あなたたちの心を脅かすことができましょうか……』

 ククリの父は堂々と告げ、ククリの母はさめざめと訴える。

 これは──取り越し苦労だったかも知れない。

 真なる世界ファンタジアのためを想い、愛しい愛娘ククリと別れ、我が身を還らずの都に捧げて絶望に抗おうとした2人が、良からぬことを企んでツバサたちに魂を受け継がそうとするわけがない。純粋に真なる世界のためを思っての行いのはずだ。

 しかし、何らかの思惑がある気がしてならない。

 あのツバサとミロを凝視した視線──それが気に掛かる。

『ただ、もし……叶うのであれば……』

 ククリの母はさめざめと嘆くも、上目遣いで強請ねだるような視線をツバサにそっと送ってきた。そこから視線をククリへと流していく。

 ククリの父も同じことをして、ミロから愛娘へ視線を移していた。

『あのを──託しても構わぬだろうか?』

『私たちの魂を受け継げば、あなた方の中に私たち夫婦の魂が宿ります……それは否応なしにあなたたちの関係性を深く結びつけるでしょう……』

 有り体に言えば──相思そうし相愛そうあいがより一層深まる

『元よりあなた方も夫妻のようですし……そこ・・は問題ありませんでしょう?』

「うん、全然問題ないね」
「問題はないが……う~ん」

 ミロはアホだからツバサとの親密さを平然と認めるが、ツバサは人前で公然と認めるのは照れがある。もっと愛し合えるなどと言われれば尚更だ。

 こちらが相思相愛を認めると、ククリの父が付け加えてくる。

『そして──我らの魂のえにしにより、ククリとのえんも深まるはずだ。あの娘を本当の我が子として愛するが如く──な』

「…………なるほど、そう来たか」

 ツバサはククリの両親の企みをようやく理解した。

 別に企んだわけではないが、彼らの本当の目的はここにあった。

「魂という力を授ける代わりに愛娘ククリをよろしく頼む……と?」

 ツバサとミロに魂を託してパワーアップさせ、今後の真なる世界ファンタジアを守る守護神になってもらい、一人遺される愛娘の保護者に仕立てようというのだ。

 むしろ──ククリの保護者というのが本命だった。

 あわよくば、自分たちの意識なり自我なりを幾許いくばくかツバサたちの中に残して、いつまでもどこまでもククリを見守るつもりなのだ。

「親バカすぎるだろ、あんたたち……」

 子煩悩こぼんのうも程々にしておけよ、とツバサは愚痴ぐちる。

 しかし、ツバサも神々の乳母ハトホルとなったため、彼らの親心は痛いほどわかる。

 特に母親からの訴えには、母性本能ゆえ共感せざるを得ない。

 本心を看破かんぱされたククリの両親は、本音を隠さずに打ち明けてきた。

『身勝手な願いは百も承知──だが、そななたちが我らに似ていなければ、ここまで不躾ぶしつけな願いを申し出なかっただろう。幸い、ククリもそなたたちに我らの面影を重ねている──伏してお願いする、ツバサ殿、ミロ殿!』

『長き年月……この冷たい還らずの都で、龍宝石ドラゴンティアへと身を変えてまでも、我が子を想うた父と母の無念を……どうかお聞きくださいませ……あなた方の身の内に、私どもの魂が宿れば千人力、万人力…………そして、何より……』

 ククリの母はポロポロと涙を流して訴える。

 その熱い眼差しはツバサたちからククリへ向けられた。

『あなたたちの内で、この魂に安らぎを与えてください……あなたたちの内から、どうか、ククリを見守らせてくださいませ……ッ!』

 ツバサに魂胆を見抜かれたと察したククリの両親は、深々と頭を下げてまで願い出てきた。こうなってくると断りづらい。

 ククリの両親に懇願こんがんされたのは、何もツバサだけではない。

 2人の訴えを聞いたミロはドン! と力強く自分の胸を叩いた。

「うん、いいよ。任せて! ククリちゃんはアタシたちの娘にするね!」
「どーいう解釈からそうなった、このアホガールッ!?」

 近くにいたら張り倒したところだが、生憎とツバサもミロもまだそれぞれの巨大龍宝石の上だ。怒鳴り声のツッコミしか入れられない。

「おまえはあらゆることを安易に引き受けすぎだ! あれも背負う、これも任せろ、あっちもやる、こっちもやっとく……」

 そんなことしていたら身が保たんぞ! とツバサは説教を飛ばした。

 しかし、ミロは何処どこ吹く風。

 ツバサからそっぽを向いて口笛を吹いている。つまり、ツバサの言うことを聞くつもりはなく、ククリの両親のお願いを聞き届けるつもりなのだ。

 そして、ミロの独特すぎる承諾しょうだくは受け入れられたらしい。

 ククリの両親は満面の笑顔で顔を上げたのだ。

『うむ、それで構わない──我らの魂を宿したならば、ククリはそなたたちの娘も同然──我らはそなたたちの内から、あのの行く末を見届けよう』

『感謝いたします、ツバサ様、ミロ様……どうか、あの娘を我が子と思って育ててやってください……私たちは、あなた方の中で見守らせていただきます』

 ククリの両親とミロの間では、魂という名の力の継承について話がまとまってしまったらしい。合意していないツバサだけ置いてけぼりである。

「…………ッ! ……ッッッ! ……………………ッ!!」

 ツバサは感情が荒ぶるものの、言葉に詰まってしまった。

 ミロに説教するだけではなく、ククリの両親にも「それでいいのか? こんな性急に決めて良いことなのか!?」と問答を持ち掛けたかったのだが、そんな時間的余裕がないのは、誰よりもツバサがよく知っていた。

 巨大蕃神の手が──こちらに迫っている。

 還らずの都から甦った英雄たちが押し返しているが、全力を使い果たした英雄はこの世界へと還っていく。このまま押し切らねば危うそうだ。

 クロウ、ミサキ、アハウ──内在異性具現化者アニマ・アニムスたちも奮闘している。彼らが全力で繰り出した一撃は、6本指を斬り落とす大打撃を与えていた。

 だが──決め手に欠ける。

 ここでツバサとミロがククリの両親から魂を受け継ぎ、パワーアップして参戦すれば戦況を巻き返せるかも知れない。恐らく、ミロの直感&直観はそれを見越しているからこそ、2人の申し出をすんなり受け入れたのだろう。

 しかし、ツバサは戸惑いを覚えてしまうのだ。

 ククリの母の魂・・・を受け継ぐことに──。

 強くなるのは良いことだ。彼女の意識に蝕まれることもない。心配と危惧は杞憂きゆうに終わったのだから、彼女を拒む理由はどこにもない。

 だけど、ツバサの男心が──羽鳥はとりつばさという青年の気持ちが拒絶反応を示す。

 ククリの母は紛れもなく、大地母神の系譜に連なる女神。

 彼女の魂を受け継げば、ツバサはますます地母神としての格が上がる。

 そうなれば神々の乳母ハトホルの影響力が増して、ツバサの男心を駆逐くちくしかねない。

 そんな予感がツバサを懊悩おうのうさせるのだ。

 どうしょうもないくらい女神化して、何人もの娘と息子に囲まれる母なる地母神となっても、ツバサは「自分は男だ!」という意識を捨てられなかった。

 ククリの両親からの提案に躊躇ためらった理由もこれだ。

『これ以上、女神化を進行させたくないッ!』

 決して公言することはないが、脳内の羽鳥翼という男心が悲鳴を上げている。

 もはや断末魔の絶叫というより絶命寸前の呻き声だが──。

 迷っている暇はない──事態は一刻を争う。

 ツバサは脳内シナプスをフル回転させて、1秒間に何万回もの自問自答を繰り返すことで、この申し出にどう対処するかについて思案した。

 風前の灯火な男心にトドメを刺そうとも、ククリの母の魂を受け継ぐか? 

 パワーアップの申し出をやんわり断って、自分の男心を守り抜くか?

 躊躇ためらいから始まった一瞬の逡巡しゅんじゅんは、ツバサには何億年にも匹敵するほど長く感じられた。男心を犠牲にして新たなる力を得る否か? 答えは2つに1つだ。

 ふと熱い視線を寄せられていることに気付く。

 ククリだ──すがるような視線がツバサに向けられている。

 そんな視線で見られたら、ツバサの中の神々の乳母ハトホルが刺激されてしまう。何よりツバサの仏心がククリの期待を裏切れない。男心を磨り潰してでも、ククリのために何でもやってあげてしまいたくなる。

 母親が幼子おさなごをあやすように──。

 そんな母心と男心の境界線を彷徨さまよう心を貫くかのように、ククリは涙に潤んだ瞳でツバサを見つめ、そのつぼみのような唇を震わせた。

「ツバサ…………母様・・……」

 この一言がツバサの内にある神々の乳母ハトホル発奮はっぷんさせた。

 同時に男心も屈してしまい、ククリの心情を汲み取ってしまった。

「うぅぅぅぅぅ……ああああああああああああああああああッッッ!!」

 唐突にツバサは叫び声を上げると、グシャグシャと頭をむしった。自分なりの踏ん切りが付くまでそうした後、固く眼を閉じたまま宣言する。

「わかったよ! ククリちゃんのお母さんの魂は俺が受け継ぐ! ククリちゃんも娘として引き受ける! 全部まとめて面倒見てやるよッ!」

 これでいいんだろ!? とツバサは半ば自棄やけになって認めた。

 眼を開けた後、ツバサが初めて目にしたもの。

 花が咲き誇ったかのように喜ぶククリの笑顔は忘れられなかった。

   ~~~~~~~~~~~~

 そして──現在に至る。

 ククリの父から魂を受け継いだミロは神剣ミロスセイバーと聖剣ウイングセイバーを合体させた神聖剣を変形融合させて、新たに“覇唱剣”はしょうけんという大剣を創り上げると、その力で巨大蕃神の指を1本残らず斬り落とした。

 凄まじいパワーアップを遂げている。

 外見上の変化はそれほどでもないが、ミロの内側にたぎるエネルギーは以前の比ではない。それほどまでにククリの父から受け継いだ魂は、彼女の中に眠る潜在能力を賦活ふかつしたのだろう。

 見た目の変化と言えば、漆黒の外套コートを羽織っているくらいか?

 これはオーラ状のもので、魂を受け継いだと同時に身にまとっていたものだ。

 ツバサもまた、ククリの母の魂を受け継ぐと同時に筆舌に尽くしがたい力の増大を感じており、その力を御するのに少々手間取ったくらいである。

 だからミロに先陣を切らせて、ツバサは出遅れてしまったのだ。

 ククリの母から魂を受け継いだことで得た力を把握してから、ツバサは還らずの都を飛び立った。ツバサもまた外見上の変化として、純白のベールやドレスのようなものを羽織っている。これもオーラ状のものだ。

 ミロは「ツバサさんのそれ、ウェディングドレスみたいで素敵! あ、ブライドってやつだ! ツバサ・ブライド? それともハトホル・ブライド?」。

 などと大喜びではしゃいでいた。

 どうやら、何かのゲームにこういうキャラ衣装があるらしい。

 ウェディングドレスとかブライドとか……パワーアップによって女性を象徴する衣装を強引に着せられたことに、ツバサは眉をひそめてしまう。だが、今は些末事さまつごとだと考えないようにして、先陣を切ったミロの後を追う。

「アタシの世界シマに──手ぇ出してんじゃねえええええええぇぇぇーーーッ!!」

 ちょうど、ミロが無限大に伸ばした“覇唱剣”で6本指に残されていた4本の指を斬り落としたところだ。切断された指もその威力で消し飛んでいく。

 残るは──指を失った巨大蕃神の手。

 パワーアップを果たしたツバサでも、さすがにこの巨大蕃神を仕留めるほどの力を持っているとは自惚うぬぼれていない。

「だが……貴様に一生ものの深手を負わせることはできる」

 ツバサの過大能力オーバードゥーイング──【偉大なるグランド・大自然ネイチャの太母ー・マザー】。

 あらゆる自然現象を司ることができる、地母神に相応しい過大能力だ。

 それがククリの母の魂を受け継いだことにより、天と地を越えた時空間の理さえも我が物とすることができるようになっていた。

 ツバサの内にいるククリの母は、それを具体的な言葉で伝えてきた。

『今のあなたなら森羅万象だけではない──宇宙そらことわりも従えられましょう』

 ツバサの掌には今、その宇宙の理が生まれようとしていた。

 ククリの母の魂を得たと同時に重みと張りを増した気がする乳房の前で、ツバサは両手を合わせて合掌がっしょうする。そこに力を溜め込んだ。

 ツバサの掌に強い重力が生じる。この重力はやがて球体となり、光をも飲み込む勢いで力を増していき、ついには事象の地平面さえ形成を始める。

 生まれたのはくらい宝玉──ブラックホールの卵。

 ツバサの合掌から解き放たれた卵は、瞬時に肥大化して大きくなると、生みの親であるツバサの手から解き放たれ、巨大蕃神に目掛けて飛んでいく。

「絶対の暗黒に呑まれて──ね」

 ツバサの命ずる通り、ブラックホールは巨大蕃神の手を喰らう。

 次元の奥なのではっきり見通せないが、ブラックホールは少なくとも巨大蕃神のひじまでを確実に飲み込んだ。強大な重力に飲み込まれた巨大蕃神の肉片は、ブラックホールを中心に降着こうちゃく円盤えんばんというものを作り出す。

 ブラックホールに飲み込まれた物質は素粒子にまで分解されながら、重力の渦に飲み込まれる際、その脅威的な摩擦力によって超高熱のプラズマとなり、それが降着円盤の中心からジェット噴射のように噴き出される。

 これをクエーサー反応というらしい

 ツバサはよく知らないが、過大能力オーバードゥーイングのおかげで理解できた。

 ほとんど直感的な理解ではあるが――。

 そのクエーサー反応によるプラズマジェット噴射も、ブラックホールと降着円盤の向きを操作して、巨大蕃神の顔や胴体に当たるように調節する。

 世界を揺らす鐘の音──巨大蕃神の絶叫が轟いたのは言うまでもない。

 右腕(親指の位置から察するに)を肘まで失い、顔や腹に天体を焼き切るほどの火傷やけどを負わされたのだ。いくら天文学的な図体ずうたいでも無事では済むまい。

「ツバサさん、それってまさか──ブラックホールッッッ!?」

 声に振り向けば、驚愕の表情を浮かべる愛弟子ミサキがそこにいた。

 何枚もの翼を生やして空を飛ぶ獣王神アハウの背中に乗っている。そのアハウは小脇に
白骨死体……じゃない、グッタリした骸骨紳士クロウを抱えていた。

 力を使いすぎて卒倒したクロウを回収してくれていたらしい。

 愛弟子ミサキに返事をしながら、ツバサはみんなに礼を述べた。

「色々あってパワーアップしたおかげで使えるようになってな。上手うまいこと、あのバケモノにも効いたらしい……ミサキ君、アハウさん来てくれてありがとう。本当に助かったよ……俺たちも、クロウさんも…………」

 ツバサはアハウが抱えたクロウに目を遣る。

 スケルトンボディなので生きてるか死んでいるか判定しづらいが、わずかながらも精気は感じられるので、九死に一生を得たところだろう。

 アハウは抱えていたクロウを背に乗せる。

 ミサキもそれを手伝い、獣王の広い背中に横たわらせてやった。

「なに、君たちに救われた恩を思えば、これぐらいお安い御用だ。それに……このバケモノを放っておけば、おれたちだってただでは済まないからな」

 アハウは呆れた様子で空を見上げる。

 そこにはまだ──天を覆い尽くす、巨大な次元への裂け目が開いたままだ。

 地平線の果てまで届きそうな、別の次元へと繋がる“大門”ビッグ・ゲート

 夜よりも濃い闇がのし掛かってきそうな重圧感がある。

 この世界を文字通り手中に収めんと手を伸ばしてきた、巨大蕃神の6本指はもう消えていた。ミサキが、アハウが、そしてミロが指を斬り落とし、ツバサが掌から肘まで消し飛ばしたからだろう。

 本体も顔や胴を焼かれたことで怯み、次元の奥へ引っ込んだらしい。

 邪悪で大きな気配が消え、喪失感にも似た安堵を覚える。

「あの巨大蕃神は手傷を負わせることで追い払うことができた……しかし、一時的だろうな。傷が癒えたら、また手を出してくるかも知れん」

「何より、こんな大穴が開いていたら他の蕃神ばんしんが出てきそうですよね」

 ツバサが空を覆う次元の裂け目を憎らしげに見上げると、ミサキが今後起きるであろう懸念けねんを口にした。そう、真っ先に心配するべき点はそこ・・だ。

「ミサキ君、過大能力オーバードゥーイングはまだ使えそうか? それと……」

 もう1人に呼び掛けようとした時だ。

「ミサキちゃ~ん! アハウのオッチャ~ン! お久しぶり~~~ッ!」

「え、ミロちゃん……おわっと!?」
「ぐぉ……お、おれの背中はヘリポートじゃないぞ!?」
「がぼぉ!? げほっごほっ……ッッ!」

 ミロが上空から降ってきて、アハウの背中に無断で着地した。意識したのか偶然なのか、片膝と片手をついたヒーロー着地である。

 アハウが身体を大きくしていたからできた芸当だ。

 ミサキは咄嗟とっさに躱したが、クロウが腹を踏まれて咳き込んでいた(骨なのに)。

 しかし、着地したミロは蕩けたスライムみたいにへたり込む。

「あー、良かった……アハウのオッチャンがここにいてくれて……もーダメ、もーしんどい、空も飛んでらんない……パワーゼロで死ぬぅ……」

 ゼエゼエと荒い呼吸を繰り返すミロは、すっかりバテていた。

 あの“覇唱剣”はしょうけんは消耗が激しかったらしい。

 世界をも断つ剣だ、使えばスタミナ切れを起こすのも頷ける。

「ミロ、おまえも次元を創り直せる能力を……」

「無ぅ~理ぃ~! ちょっとタンマ! ブレイクタイムちょうだい! さもなきゃツバサさんの熱いベーゼで活力付与エナジーギフトプリーズ! でなきゃ死んじゃう!」

 質問する前に断られてしまった。

 さもありなん──ツバサも平然な振りを装っているが、ブラックホール創出にはかなりの力をいていた。正直、活力付与に回す力さえ残っていない。

 疲弊ひへいしているのは、ツバサやミロだけではなかった。

「ツバサ君、それはさすがにこくというものだ。おれもそうだが……あの巨大な蕃神との戦いで疲れ切っている。ミサキ君もミロちゃんも……次元を創り直す能力には相当の体力を消耗するのだろう?」

 年長者のアハウにさとされた。ツバサはぐうの音も出ない。

 ミロの過大能力──【真なる世界にファンタジア覇を唱える大君・オーバーロード】。

 ミサキの過大能力──【次元の創ユニバース・造主たる者】クリエイター

 ミロとミサキだけが持つ、次元を根底から創り直す過大能力オーバードゥーイングだ。

 これは万能なれど、使用者に魂を削るような負荷ふかいるものだった。

「ミサキ君も……まだ無理だよな?」
「申し訳ありません、ツバサさん。オレもまだ疲れが……」

 ミサキも会わせる顔がないとばかりに、表情を曇らせてシュンとする。

 我が不徳のいたすところ……と自責の念に駆られているのだろう。こういう殊勝なところは、どこぞのアホガールより可愛げがある。さすが愛弟子。

「でもツバサさん、アタシやミサキちゃんが回復したとしても……」

 これ・・は無理だよ、とミロは暗い空を指差した。

「もしも、アタシとミサキちゃんが万全で、一緒に過大能力を使ったとしても……1回でこの次元の裂け目は埋められない。絶対に時間が掛かる」

「ええ、オレとミロちゃんの2人掛かりでも何十回かかるか……」

 次元を意のままにする能力者2人──その意見が一致する。

 彼と彼女(見た目はどちらも彼女だが)の過大能力オーバードゥーイングを以てしても、この空を覆い尽くす広大な次元の裂け目は、すぐに埋められないという。

 ツバサは忌々しげに空を見上げる。

 底無しのくらうろは、嘲笑あざわらうようにそこへ居座っていた。

「手遅れにならなければいいんだが……」

 こちらがまごついている内に、あの巨大蕃神が今度は左手で襲いかかってこないことを祈りつつ、他の蕃神がこの機に大挙して攻め込んでこないことを願う。

 運頼みで神頼み、ツバサのもっとも嫌うところだ。

 それでも祈らずはいられないこの状況に、苛立ちを覚える。

「神族となり、更なる力を得ても……己の非力さを思い知らされるとは……」

 唯々ただただもどかしい──ツバサは堪え忍ぶように奥歯を噛んだ。

   ~~~~~~~~~~~~

 キョウコウは──空を見上げていた。

 遙か高みまで太陽で突き上げられた後、天を塞ぐ絶望が現れたのを目の当たりにしながらも、何もできないまま落ちていき、地表へ叩きつけられたのだ。

 仰向けで大の字を描いたまま、呆然と空を見上げている。

 還らずの都から英雄たちが復活して、天を塞ぐ絶望へと立ち向かっていくのを、朧気おぼろげな視界で捉えていたが、目がかすんでよく見えなかった。

「完全に……受肉して……復活するわけではなかったか……」

 当然か──そこまで都合の良い話は早々ない。

「還らずの都を牛耳ぎゅうじり……その機構を使えば或いは……と目論もくろんだが……誰もが、“気”マナによって得た仮初かりそめの肉体で……絶望に挑むか……」

 一時的な復活──その場凌ばしのぎの急拵きゅうごしらえ。

「未来永劫……この世界を守るために戦う……英霊の軍勢など……夢のまた夢……愚かしい若者が夢想する……絵物語にも等しい幻であったか……」

 クククッ、とキョウコウは喉を鳴らして自嘲じちょうする。

 空の上での戦いはよく見えぬが、ほとんどの英霊たちは力を使い果たして世界へ還っていき、爆乳小僧ツバサを初めとする新しき神々が奮戦しているようだ。

「おおっ……押し返しおった……あの、天を塞ぐ絶望を……ッ!」

 めしいたように見えなくなってきた眼でも、彼らがこの世界を脅かす6本指を追い返したのはわかった。年甲斐もなくキョウコウは興奮してしまった。

 それと時同じくして──急に熱が冷めるのを覚える。

わしのような……ふるき神々は……お役御免だな……」

 これからは彼らのような新しき神々が真なる世界ファンタジアを創っていくのだ。

「この半端者はんぱものは……どうすればいい……?」

 悪戯いたずらに戦乱を引き起こして、かつての許嫁いいなずけを嘆かせ、新しき神々の足を引っ張ることしかできなかった、この愚かしい自分はどうすればいい?

「もはや……償うことも叶わぬ……か……」

 爆乳小僧ツバサの太陽に焼かれて尚、生き存えるこの老体を──。

 疲れたまぶたを一度だけ閉じた後、誰かの気配を感じて目を見開いてみれば、キョウコウを取り巻くようにいくつもの人影があった。

 彼らは──還らずの都から来た英霊だ。

 “気”で構成された、仮初めの肉体を与えられた戦士の一団。

 その顔触れにキョウコウは目を見張る。

 忘れようがない、どの顔もキョウコウの脳裏に刻まれていた。

「おまえたち……やはり、儂のところへ顔を出すのか……」

 500年前──あの天を塞ぐ絶望に立ち向かった戦友。

 あの巨大蕃神の手に立ち向かい、命を賭して6本指を押し返して、天を塞ぐほどの絶望である次元の裂け目を閉じた功労者。

 彼らこそが真の英雄だ──キョウコウは断言できた。

「ククッ……あの戦いでおまえたちのように……命を使い果たすことができず……おめおめと生き恥をさらした挙げ句……未来ある若人の足枷あしかせにしかならなんだ……この老醜ろうしゅうを極めた儂を笑い……さげすみに現れたのか……?」

 それもまあ一興いっきょうだ、とキョウコウは笑いながら身動みじろぎする。

 爆乳小僧ツバサに焼かれた身体は、混沌の自動修復によりほぼ治っているのだが、折れた心はそうはいかない。気力を振り絞るのも一苦労だ。

「いいだろう、どうせ満足に動けぬ身……おまえたちの恨み辛みに耳を傾けるのも悪くない……無様に倒れ伏したまま、おまえたちの罵詈雑言に耳を傾けよう……精々、愚かしい儂をさかなにして談笑でもするがいい……だから……」

 キョウコウは、やっとのことで右腕を持ち上げた。

「だから……だから、おまえたち……」

 震えが止まらぬ腕を持ち上げ、せがむように願いを告げる。


 
「二度と、“俺”おれを……置いていくな……戦友ともよッ!」



 キョウコウの双眸そうぼうからは、みっともないほど涙がこぼれ落ちていた。


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