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第8章 想世のタイザンフクン

第199話:還らずの戦士たち

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 ハルカ・ハルニルバルは困惑していた。

 ツバサさんの指示に従って地上に逃れたのはいいものの、この混乱をきたした状況下では自分が何をすればいいのか分からなかったからだ。これではマニュアル通りにしか動けない指示待ち人間と思われてしまう。

 事実──ハルカはアクシデントに弱い性質たちだった。

 事務的な処理は人並み以上にこなせるし、家事でも実務でも仕事として与えられればそつなくこなす。しかし、想定外の出来事に出会でくわすと対応できない。

 早い話、トラブルに対応できなかった。

 予定にないことを押しつけられたり、予期せぬ展開に出会すと、あっという間にパニクってしまうのだ。思考能力や判断力もガタ落ちしてしまう。

 現実では学級委員だ優等生だと持ち上げられたが、真なる世界ファンタジアに飛ばされてからは自分の至らなさを痛感させられる毎日だった。

 どんな局面でも迅速に最適解さいてきかいを見つけ出し、臨機応変に動くことができるミサキ君には、何度助けられたかわかったものじゃない。だからこそ彼を尊敬し、昔から抱いていた恋心が燃え上がってしまったわけだが……。

「えっと、どうしようどうしよう……わ、私にできることは……」

 指示待ち人間でいざという時に役立たず。

 そんなレッテルを貼られたくない一心で、ハルカはこの混迷した戦況でも自分のできることを探した。まず、戦っている仲間の援護は無理だと判断する。

 ハルカの過大能力──【破滅の奈落よアバドーン・り来たれ軍勢レギオーン】。

 掌サイズの人形たちレギオンズという分身を何万何億と召喚することで、攻撃、防御、偵察、連絡……と様々なニーズに応えられる汎用性はんようせいの高い能力。

 そう──ハルカは自負しているつもりだった。

 しかし、この場で行われている戦いの援護はできそうにない。

 トモエちゃんの光速に達する戦いにはついていけないし、武器と兵器の威力で殴り合ってるカズトラ君は言わずもがな。ドンカイさんやホクトさんの戦いも凄まじすぎて、手伝うどころか巻き込まれるのがオチである。

 あれ、カンナさんはどこに行ったんだろう?

 事ここに至り、人形たちレギオンズは戦闘向けではないことを実感させられた。

「わ……私だけ何もできてない役立たず!?」

 それはダメだ! それはいけない!

 イシュタル陣営を代表して参加したのに、こんな為体ていたらくでは未来のお婿むこさんであるミサキ君に顔向けできない。ここで内助の功ないじょのこうを示さねば、ミサキ君の幼妻おさなづまなハルカの立つ瀬がなくなってしまう!

「何より……この戦いで功績を上げて、それをネタにミサキ君とツバサさんにエロティックな新作コスチュームでファッションショーをしてもらう計画が!」

 破綻はたんしてしまう! とハルカは頭を抱える。

 ハルカの脳内では既にエロス全開の衣装で着飾ったミサキ君とツバサさんが、ファッションショーの舞台でこれでもかと乱舞しているのだ。

 この妄想を実現させるためにも功績を上げなければ……ッ!

「何か……何でもいいから、お役立ちポイントを見つけて、ツバサさんやミサキ君に褒めてもらうようなことをして、この戦場で貢献しなくちゃ……ッ!」

 今のところ、ハルカがやっていることと言えば──。

 大量の人形たちを動員して、この戦争により傷付き倒れたキサラギ族を回収しつつ回復魔法で手当てをしたり(ハルカが使える魔法は人形たちも使える。ただし、効果は落ちる)、安全な場所に避難させている。

 キョウコウにワンパンされた族長ダルマも、密かに人形たちレギオンズが運びつつ回復させ、キサラギ族の避難地まで送り届けておいた。

 これをハルカは──当然のように行っていた。

 困っている人を助けるのは当たり前。人命優先が第一義。

 これらの仕事振りをツバサやミサキが知れば「ナイスフォロー&ファインプレー」と賞賛してくれるだろうが、ハルカ自身はまだ足りないと思い込んでいた。

「わ、私にできる他のこと……ってえええええええええええーーーッ!?」

 そこへ──還らずの都が浮上してきた。

 飛行系技能で空に逃れていたので事なきを得たハルカだが、これはもう困惑を通り越して驚天動地の大異変である。イシュタル陣営ではカミュラに次ぐほど精神的に弱いハルカのストレス耐性は、あっという間に限界値を振り切った。

 もう無理──私のメンタルキャパシティを越えている。

 ここ最近、クロウさんたちとの作戦会議で聞いたところによれば、還らずの都が出現すると、真なる世界ファンタジアにとんでもない非常事態が起きるというし……。

 私の手には負えない──ハルカは血反吐を吐きそうな思いで白目を剥いた。

 白目どころか顔面蒼白で無表情になったハルカは、おもむろにロングカーディガンの懐からジン謹製きんせいのスマホを取り出した。そして、この出張中で一番電話を掛けている相手の番号をタッチすると、受話器部分を耳に押し当てる。

『もしもし、どうしたハル──』
『ミサキ君ヘルプミーッ! てか、みんなをヘルプゥーッ!』

 コール音1回で出てくれた愛しい彼氏に助けを求めた。

   ~~~~~~~~~~~~

「っていう経緯いきさつで、ハルカの切羽詰まった助けを呼ぶ声だけを信じて、訳もわからず飛んできてみれば……正解だったみたいだな」

 ミロほどではないにしろ、ミサキにも直感の技能スキルはあった。

 ハルカの声からただならぬ異常を感じたミサキは、おっとり刀で駆けつけたのだ。

 ミサキは変わり果てた空を見上げて唾を飲み、改めて気を引き締める。

 空を覆い尽くすほど巨大な次元の裂け目──。

 もはや“大門”ビッグゲートとも言うべき規格外の通路からは、6本の指をかぎのように曲げた手を真なる世界ファンタジアへ伸ばしてくる、特大蕃神の腕が現れていた。

 スケールが段違いすぎて、まるで現実感がない。

 あれほど巨大な腕となれば、もはや動く物体として捉えられず、背景の一部にしか見えないのだが、それがかなりの速度で動いている。

 ほとんど大陸が動いているようなものだ。

 いや、この場合は惑星が落ちてきてると例えた方がいいかも知れない。

 あれに立ち向かうのかと思うと、まったく勝ち目が見えなかった。

 格闘技術とか戦闘能力とかどうとか以前に、生命体としての格付けが違いすぎるのだ。次元が違うどころではない。あの手の中にある力だけで、真なる世界を崩壊させかねない壊滅的なパワーが漲っていた。

 そもそも大きさの時点で段違いだ。あの手が人間だとしたら、こちらは微生物がいいところのサイズしかない。

 迫り来る人間の手に脅えるミジンコの気分を味わっているところだ。

 ミサキの身体が武者震いとは思えぬほど震え上がる。

 これは恐怖ではない──畏怖いふだ。

 絶大なる力を目の前にして恐れ戦き、畏敬すら抱き始めている。

 だが、同時に沸き立つ思いもあった。

「あれは……どのくらい強いんだろうな……?」

 自分よりも強大な敵に戦いを挑む。

 冷や汗まみれになりながらも、「やり甲斐がありそうだな」などと考えてしまう辺り、ミサキも戦闘中毒バトルジャンキー気質きしつがあるようだ。

「これは確かに──オレたちの出番もありそうですね」

 同意を求めるミサキに、アハウから意気を上げた返事が来る。

「ああ、そうだな……あんな天変地異そのものみたいな怪物に挑む酔狂すいきょうなバカは、この真なる世界ファンタジアでもおれたちぐらいしかおるまいよ」

 アハウは何枚もの大きな猛禽類もうきんるいの翼を肩甲骨けんこうこつから生やして、それを羽ばたかせることで空を切り、亜音速で空を突き進んでいた。

 ミサキは彼のご厚意に甘えて、背中に乗せてもらっている。

 ハルカから電話で助けを求められたミサキは──即座に行動に移った。

 まずアハウに連絡して協力を仰いだ。

 これにアハウが快く承諾してくれると、次にハトホルの谷に一報を入れ、例の転移装置でそちらに移動することを断っておいた。

 大陸中央に一番近い陣営は、ハトホル陣営だからだ。

 ハトホルの谷で合流したミサキとアハウは、挨拶を済ませるとすぐに大陸中央を目指して旅立った。その途中、アハウは自身の大きな背中を指して──。

『ミサキ君、君の能力はツバサくんとミロちゃんのいいとこ取りだと聞いている。何かあれば頼るかも知れないから、なるべく温存しておいてくれ』

 万が一に備える、慎重かつ大人らしい判断だ。

 そうして大陸中央へ──。

 アハウが過大能力オーバードゥーイングで自身の飛行スピードを強化バフで上げられるだけ上げてくれたので、短時間で現地に到着することができた。

 還らずの都のことはハルカから聞いていたので、それが巨大蕃神の手に掴まれそうになっているところで、ミサキとアハウは攻勢に打って出る。

 アハウの過大能力──【牙を剥きてエンプティ囓りつく虚無】・バイト

 噛みついたものを虚無へと還すあごを召喚する能力。

 アハウはこれの最大出力となる“羽毛ある蛇”ケツアルコアトルという翼を持つ大蛇を喚び出して、巨大蕃神の手に噛みつかせた。

 ミサキの過大能力──【無限のインフィニット龍脈の・ドラゴン魂源】・ソウル

 あらゆる“気”マナの根源たる龍脈の大元になれる能力。

 ミサキもこの過大能力を駆使することで、龍脈から具現化させた獅子龍ミトゥム七支龍シタという巨龍を創り出し、アハウに倣うように放った。

 この三頭の巨龍により、巨大蕃神の手を怯ませたのだ。

「よし、オレたちの攻撃が通じる!」

 ミサキは手応えを感じてグッ! と拳を握り締めた。

「あの途方もない図体のデカさゆえに脅威も凄まじいが、おれたちの過大能力オーバードゥーイングなら効果がありそうだな……ただし、最大級で放たないといけないが」

 果たしてあと何回、全力で撃つことができるか?

 そんな不安がミサキとアハウの脳裏に過ぎるが、このまま指をくわえてみているわけにはいかない。持てる力を尽くして戦うのみだ。

「しかし……せんな、ツバサくんはどうしたのだろう?」

 アハウはいぶかしげに太い首を捻る。

「どうしたって……ハルカの話だとツバサさんは今──」

「ツバサさんは現在、還らずの都にいます」

 そこからの報告は、ミサキの胸の谷間から顔を覗かせたハルカの人形たちレギオンズが受け継いだ。ミサキはツバサと違って慣れたものである。

 ハルカは現在、人形たちを介して情報伝達役を務めていた。

 ツバサやクロウのみならず、ここに来たパーティー全員とクロウ陣営の仲間にも人形たちレギオンズは付けているので、情報共有も可能なのだ。

「なんでも還らずの都というのは、あの巨大な蕃神へのカウンター装置らしくて、それを起動させるためミロちゃんと共に、灰色の御子であるククリさんのお手伝いをしています。なので、お二人は動くことができません」

 人形たちの報告を聞いても、アハウはまだ首を傾げている。

「いや、そのことではなくてだな……ツバサくんは『もしも非常事態に陥った際には、皆さんにも協力を請うことがあるかも知れないので、召喚魔法で喚び出すことを許してほしい』と言っていたから……」

 許可したはずなんだが──アハウは不思議がっていた。

 言われてみればそうだ。ミサキも思い出した。

 万が一に備えてツバサに招集されてもいいようにと、召喚魔法に応じる契約を交わしていたはずだ。なのに、ミサキたちは自力で来てしまった。

 すかさずハルカが人形たちを通じて連絡を取る。

 すると、人形たちは半笑いで困ったように理由を説明してきた。

「あの~……ツバサさんにその件を尋ねましたらですね、『テンパっててうっかり忘れてた。本当に申し訳ない。来てくれて助かった、ありがとう』って……」

 これにはミサキもアハウも苦笑するしかなかった。

 完璧超人なツバサでもテンパったり凡ミスをするんだな、と奇妙な安心感を抱くことができた。

「それではハルカくん、道中で伝え聞いたとおり、おれたちはあの巨大蕃神の手を食い止めればいいんだな?」

 アハウは翼をはためかせて速度を上げ、ハルカに確認する。

 遠距離からの最大攻撃技のみならず、近距離まで接近してのインファイトも辞さないつもりだ。それはミサキも望むところである。

 ミサキの胸の谷間から、ハルカの人形たちが答える。

「はい、もうじき還らずの都を起動させられるそうなので、それまであの手に邪魔させないでほしいそうです! 還らずの都が起動すれば、頼もしい援軍がわんさか来てくれるとのことなので……」

「例の英霊を蘇らせるというやつか? 眉唾まゆつばっぽくもあるが……」

「現状、猫の手も借りたい窮地ですからね。信じて託すしかありません」

 ──自分たちの力で巨大蕃神を退しりぞけられる。

 ミサキもアハウも、そこまで思い上がった馬鹿ではない。愚かな過信は身を滅ぼすものだ。彼我ひがの戦力差を冷静に見極めている。

 あの巨大蕃神に打ち勝つには──強力な援軍が必要不可欠。

 自分たちはその援軍が来るまでのつなぎだ。

「そうと決まればアハウさん、もう一度“羽毛ある蛇”ケツアルコアトルを!」

「応ッ! 合わせてくれ!」

 ミサキがアハウに声を掛け、自身も再び獅子龍ミトゥム七支龍シタを解き放つ。

 交流も浅くまだ親しい仲ではないが、ミサキやアハウぐらいLVが上がるとあれこれ説明せずとも通じるものがある。目的も一致していれば尚更だ。

 ──ひゅぅるぁぁぁぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁぁぁ……ッ!!

 アハウの咆哮に応えて、羽毛ある蛇が出現する。

 ミサキの放った2頭の巨龍は羽毛ある蛇に絡みつき、その威力をパワーアップするために働いた。羽毛ある蛇は進むごとに巨大化していく。

 巨大番神の手から見れば、糸蚯蚓いとみみずが小さな毛虫に変わったくらいか?

 それでも6本指の1本を根元からえぐり、骨が見えるほどゴッソリ肉を削り取る。次元の裂け目からあの鐘の音が響き、巨大番神の手がブルブル震えた。

 あの鐘の音は巨大蕃神の声──今のは痛みから上げた悲鳴だ。

 一矢報いただけではなく、自分たちの攻撃で怯ませられたことにミサキもアハウも内心ガッツポーズをしたいくらいだった。

「あれだな、あの伝説の名台詞を口ずさみたいぐらいだ」
「もしかしてあれですか?」

 ──別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?

 堅物なアハウが軽口めいたことを言うとは思わなかったが、ミサキもそのネタは知っていったので、気持ちの高揚もあって乗ってしまった。

 だが、どちらも勝ち気に微笑むだけで口にはしない。

 これは絶対に勝ち目のない強敵に挑んだ英雄が、仲間を逃がすためだけに命を懸けた時間稼ぎの戦いの前に言った名台詞なのだ。

 悪い言い方をすれば──死亡フラグである。

 ミサキもアハウもそれは承知しているので、口が裂けても言わなかった。

 2人とも生きて帰るつもりだからだ。

 巨大番神の手は6本指の内、人間で言えば小指の根元を羽毛ある蛇によって食いちぎられた。そこから青黒くも毒々しい粘液ねんえきを噴き出している。

 血液か体液か、その粘液はドボドボと地上に落ちていった。

 落ちていく途中──蕃神のこぼした粘液に異変が起こる。

 粘液がボコボコと泡立って質量を増やしていき、自発的に動き出す。やがて四肢が伸びてくると、不格好ながらも人型となって地上に降り立ったのだ。

 それは溶けかけた極太の巨人となる。

「あれは……巨大番神こいつの眷族なのか!?」

 ミサキはこの溶融ようゆうした巨人に見覚えがあった。

 ツバサとの練習試合に乱入してミサキたちの邪魔をした蕃神だ。戦闘に没入しすぎて興奮状態にあった2人に瞬殺されたはずである。
(※第149~第150話参照)

 ツバサは「あれも蕃神の王ではないか?」と推測していたが……。

「親玉がデカければ眷族も比例して大きくなるのは道理か」

 アハウの言葉にミサキは頷くしかない。

「……ですね、オレもツバサさんも侮ってました」

 6本指の傷口から漏れた粘液は滴り落ち、大小無数の溶けかけた巨人を創り出し、奴らは群れを成して地上で暴れ出す。ある者は還らずの都へ攻撃を開始し、ある者は地上の戦場で生き残った者たちを追い回している。

「いかん! 下手に攻撃するのは藪蛇やぶへびだったか!?」

 アハウは慌てて地上に向かい、溶けかけた巨人たちを始末しようとする。

 ミサキはその背中で、彼の獣毛を掴んで引き留めた。

「いけません、アハウさん! オレたちはこっち・・・を食い止めないと……ッ!」
「しかし、地上にいる者たちの危機を見過ごすわけには……ッ!」

 どちらの意見も正しく間違いではない。

 ただ、この場ではどちらを優先するべきかという迷いは生じる。

 1分1秒が惜しいこの状況、迷っている時間はない。

「──フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」

 ミサキたちの迷いを払拭ふっしょくするような、力強い笑いが木魂こだまする。

 そちらに振り返ってみれば、紳士服にマントを翻した骸骨男が空目掛けて急上昇をしていた。連絡で聞いていたクロウ・タイザンという人だろう。

 咄嗟とっさに声をかけようとしたミサキに、クロウは先手を打ってきた。

「援軍に駆けつけてくださり誠にありがとうございます! あの異形の手は私が何とかいたしますので、お二人は地上の皆さんの援護を頼みます!」

 有無を言わせぬ早口でまくし立て、クロウは6本指へと向かう。

「我が身よりことごといででよ──八大地獄」

 巨大番神の手に向かう途中、クロウの身体から業火が噴き上がる。

 業火と共にいくつもの地獄の形具が現れ、複雑に積みあがりながら重なり合い、まるで歯車のように組み上がっていき、クロウを取り巻いていく。

 やがて――それは巨大な骸骨を形作る。

 血肉の代わりに業火をまとう様は、燃え盛る巨大な火柱のようだった。

 大極都神やフォートレスダイダラスよりも巨大化したクロウは、地獄の形具から形作った骨の足で大地を踏み締め、両肩からは何対もの骨の腕を生やすと頭上に持ち上げ、こちらに侵入しようとしてくる巨大番神の手を受け止める。

 髑髏どくろの顔も増えており、口から業火を吐いて6本指を焼く。

 巨大骸骨の妖怪『がしゃどくろ』か、かつて天を支えた巨神『アトラース』か、それとも50の頭と100の手を持ついにしえの『ヘカトンケイル』か──。

 巨大化したクロウは、6本指の侵攻を食い止めていた。

 これを見たミサキはとがめる叫びで訴えた。

「無茶だ! そんな過大能力オーバードゥーイングの使い方をしたら……ッ!」

 いくら神族であろうと、その中でも突出した内在異性具現化者アニマ・アニムスであろうとも、身が保たない。文字通り、精も根も尽き果てて滅んでしまう。

「えっと……クロウさん、やめてください! それじゃあ5分と保たない! 例え保ったとしても死んでしまう! いくら神族でも……」

「構いません! あの子が……ククリさんが役目を果たせるなら!」

 自分のように死に損なった、愛する娘一人さえ救えなかった老兵の命で、この地に生きる若者たちの未来を守れるというのなら──。

「…………本望ですッ!!」

   ~~~~~~~~~~~~

「ククリちゃん! もう無理をするのは止めろ!」

 彼女の母がその身を変えた白い龍宝石ドラゴンティアの上で、ツバサはククリの身を案じて制止の声をかけた。その悲しげな音調は我ながら子供の想う母親のようだ。

 ククリは──身も心もズタズタになるまで追い詰められていた。

 キーボード代わりに操る小さな白黒の龍宝石を叩く指は、いつの間にか無数の切り傷に裂けており、鮮血を滲ませていた。

 固く食いしばった口元からも一筋の血が流れている。

 力を込めるため歯を食いしばるあまり、唇を噛んだのか歯肉を傷つけたのか、それとも内臓を痛めたために吐血とけつしたのか──その全部かも知れない。

 青筋を浮かべた額も所々が破裂して、血を垂らしていた。

 見開いた両眼は血走るどころか、血管が破れたのか眼球を赤く染め、血の涙を止め処とめどなく流している。

 ククリは幼女らしからぬ表情で──血塗ちまみれになっていた。

 だが、龍宝石ドラゴンティアを操作する指のタッチは決して止まらない。

 むしろ、傷を負うごとに早くなっているくらいだ。

「これ以上は君の身体が保たない! せめてペースをゆるめるんだ!」

 ツバサは今にも白い龍宝石から飛び降りそうだった。

 血塗れの少女など、母親の心境からすれば見るに堪えない。母性本能の権化でもある神々の乳母ハトホルとなったツバサなら、身を切られるより辛いことだ。

「動かないでください! “気”マナほどく速度が落ちます!」

 心配のあまり身を乗り出したツバサは、逆にククリに叱られてしまった。

「もうすぐ終わりますから……もうちょっとですから、ハァ、ハァ……ここにある“気”マナを、すべて……ほどきますから……ハァ、ウッ……そうしたら還らずの都は…………クッ!」

 過去の英雄たちが──戻ってきてくれるから。

 息も絶え絶えなククリだが、その時を目指して微笑んでいた。

「でも、ククリちゃん……君の身体が!?」

 この還らずの都に蓄えられた純然たる“気”。

 それは“陰”と“陽”という2つの根源的要素に分けられている。

 陰と陽に圧縮された気は安定しており、このおかげで暴走させずに管理することに成功しているのだ。それを解くということは、この陰陽を混ぜ合わせて活性化を促し、この世の始まりを成したという太極を創出することに等しい。

 ククリの母は女性なので“陰”──そして、生命を生み出す“陽”の女神。

 ククリの父は男性なので“陽”──そして、死と滅びを司る“陰”の男神。

 個にして太極の要素を秘めた二柱ふたはしらの神が対となることで、陰陽太極を殊更に活性化させているのだが、その2つの力を繋ぐための中継器ちゅうけいきが必要だ。

「それがククリちゃんなんだろ!?」

 両親が元となった白と黒の巨大龍宝石ドラゴンティア

 そこに込められた対極にして太極の力を繋ぎ合わせて、還らずの都に蓄えられた“気”を解放するための“鍵”──それがククリなのだ。

 今現在、ククリは陰と陽の莫大な“気”を交流させている。

 自分の身体を中継器にすることで──。

「これは2人の間に生まれた灰色の御子である君にしかできないこと……ゆっくり時間をかけてやっても辛いはずなのに、大急ぎで“気”を解いているから……君への負担は計り知れない! だから……もっとペースを落としてくれ!」

 ククリちゃん! とツバサは半泣きで言い募る。

 我ながらみっともないと思うのだが、神々の乳母ハトホルが嘆くのだ。我が子を嘖まれたかのようにツバサの心の中で悲鳴を上げているのだ。

 もう限界だ──ツバサの母性は止められない。

 ククリを無理やりにでも休ませようと飛び降りて──。

「ツバサさん動いちゃ駄目!!」

 ミロの厳しい叱責しっせきに押し止められた。

 飛び出しかけたツバサはビクリ! と震えながら身体を止めて、その反動で乳房や尻の肉、女性を象徴する部分が嫌というほど揺れた。
 
 こういう時、自分が女であり母であることを実感させられる。

 そして、自分を止めたミロを怨めしげに見遣る。

 ミロは黒い龍宝石の上に陣取り、大振りな剣を突き立てたままの姿勢で立ち尽くしている。全身から少女らしからぬ威厳いげんを漂わせていた。

「今、ククリちゃんは覚悟を決めて事に望んでるんだから──」

 お母ツバサさんが邪魔しちゃ駄目、とミロに厳命げんめいされた。

「ツバサさん、アホのアタシに漢字の書き方を教えてくれたじゃない」

 親という字は──木の上に立って見る、と書く。

「子供が頑張ろうとしてるんだから、親は見ているだけでいいの」
「ミロ、しかしだな……ッ!」

 反論しようとしてツバサは気付いた。

 この構図──子供を見守る母親と父親のようではないか?

 試練に挑み苦しんでいる子供を見ていられず、代われるものなら代わってやりたいと願う母親と、それを堪えて子供の努力を見守ろうとする父親。

 実際の所、ミロも我慢の限界のようだ。

 剣を握る手は震えているし、足は貧乏揺すりが止まらない。

 今すぐにでもククリの許に駆けつけたいのだろうが、ククリの決意を重んじて、心を鬼にして彼女のやり遂げる様を見守っている。

「そう……これ、は……私にしか……できないから……」

 ククリが声も絶え絶えに呟く。

 もう立っている気力さえ残ってないのか、キーボード代わりの小型龍宝石を掴んだまま項垂うなだれている。だが、操作のための指は止まらない。

「今、ここで……頑張らないと……私、誰にも顔向けでき、な……い……」

 幼馴染みで許嫁いいなづけのシュウ兄ちゃんに言われた──甘ったれ、と。

「私……ずっと、誰かに甘えて、ばっかりで……父様に、母様に……シュウに……ダルマやヤーマに……クロウおじさまにも……そして…………」

 ツバサ様やミロ様にも──甘えてしまっている。

「だから、こんな時くらい……頑張らないと……みんなに顔向け……できない……んです……辛くても苦しくても泣きたくても……これは、私にしかできないことだから……ここで、ちゃんとやらないと…………」

 両手の龍宝石を叩くのを止めて、ククリはギュッと握りしめた。

 そして、血に染まる涙に濡れた顔を持ち上げて叫ぶ。

「父様と母様に──会わせる顔がないんですッ!」

 この日のために、還らずの都に龍宝石として我が身を捧げた両親。

 脳裏に焼き付いた2人の面影を偲び、ククリは吠えた。



『よくぞ申した──我が娘よ』
『立派になりましたね──ククリ』



 顔を上げて叫んだククリの肩に、2つの手が乗せられる。

 右の肩を掴むのは大きくて頼もしい武骨な男の人の手、左の肩を掴むのは優しくて安らぎを覚える柔らかい女の人の手。どちらも忘れるわけがない。

 寄り添う2つの気配が、時を追うごとに強くなっていく。

 遠くから見守っていたツバサとミロも、最初はぼんやりした2つの光りがククリの後ろに現れたと思っていたが、次第にそれはある姿を浮かび上がらせた。

「あ、あああああ…………あああああああああああああっ!!」

 ククリは言葉にならない声を上げる。

 震えながら後ろに振り返ると、再会を待ち望んだ2人がそこにいた。

 在りし日の父と母の姿が──かたわらにあったのだ。

   ~~~~~~~~~~~~

 その頃──ホクトたちもまた危地に陥っていた。

 キョウコウ一派との勝利に酔いしれたのも束の間、天が裂けて巨大番神の手が出てきて、その大気圧により苦しめられているところへ、今度は粘液が降り注いできたかと思えば、溶けかけた巨人の群れが襲いかかってきたのだ。

「一難去ってまた一難! いや、これ百難くらいあるよねーッ!?」
「ぶちゃけありえない……です! 死んでしまう……です!」

「無駄口叩かず走りなさい! 踏み潰されてしまいますわ!」

 ホクトが殿しんがりを務めつつ、先を行くウノンとサノンを急かした。

「くっ、ボクたちの攻撃じゃ焼け石に水か……足止めにもならない!」

 ヨイチも合流してホクトと並んで走り、背後に牽制けんせいのための狙撃銃や強弓を撃っているが、溶けかけた巨人を怯ませるのが精々だった。

 せめて還らずの都へ逃げ込めば……と思うが、その還らずの都が重要な拠点だとバレているのか、巨人たちも集中攻撃を浴びせている。

 そこへ駆け込むのは自殺行為だが、さりとて他に逃げ場もない。

「クロウさん、あんな勢いで過大能力オーバードゥーイングを使って…………」

 大丈夫かな、とヨイチは心配そうに“がしゃどくろ”となって巨大番神の手を受け止めているクロウを見上げた。今現在、両者の力は拮抗きっこうしている。

「大丈夫なはずありませんわ。こうしている間にも、クロウ様の力がどれほど削られているか……しかし、私たちでは助力もできません……」

 我が身の非力さが悔しいですわ──ホクトは歯噛みする。

「やはり、私たちはまだ未熟なのです……この世界で神として生きるには、もっと精進しょうじんせねば……皆がクロウ様やツバサ様のようにならねば……ッ!」

「その前に終わっちゃいそうで怖いです……けどねーッ!?」

 ホクトの返事にヨイチは悲鳴で答えてしまった。

 また巨大番神から粘液が滴り落ちて、溶けかけた巨人を大量生産したのだ。

 ホクトたちの行く手を阻むように──。

 彼女たちを追い立ててきた巨人の群れと、前方を塞ぐように出現した巨人の群れにより、ホクトたちは挟撃きょうげきされる形となってしまった。

 もう逃げられない──お終いだ。

 ウノンとサノンは泣き顔で抱き合い、ヨイチは幼女姉妹だけでも守ろうと狙撃銃をありったけ用意し、ホクトは子供たちを庇うため前衛に立った。

 彼女たちが覚悟を決めたその時──力強い閃光が駆け抜ける。

 いくつもの閃光は溶けかけた巨人たちを時に穿うがち貫き、あるいは殴り飛ばして蹴り飛ばし、もしくは巨大な武器で薙ぎ払う。

 前後左右に立ちはだかっていた巨人の群れを打ち倒してくれたのだ。

 閃光を放った主は何人もおり、ホクトたちの前に降り立った。

「あ、あなた方は…………キサラギ族? の方、ですか……?」

 思わずホクトは疑問系で確認を取っていた。

 こちらの世界に飛ばされて約半年、共に暮らしていたキサラギ族の顔はほとんど覚えたつもりだが、自分たちを助けてくれた人物の顔に見覚えはない。

 しかし、彼らは紛れもなくキサラギ族だ。

 人間を超える2~3mもの巨体。額や頭部に角を生やして、膂力りょりょくに優れた身体に見合った大振りな武器を振るって戦う勇姿は見間違いようもない。

 ただし──彼らはとても神々しかった。

 身に付けている装備もホクトたちが知るキサラギ族とは雲泥の差。

 まるで寺院に収められている仏教の護法神のような雰囲気を醸し出している。

 その姿はどことなく希薄でありながら、力強いオーラを発していた。

 まるで力強い“気”マナが、その姿を形作っているような──。

『──我らの子孫が世話になった』

 彼らの仲でも一際屈強な鬼神の戦士が口を開いた。

 それに続いて、半透明なキサラギ族の戦士たちが次々と喋り出す。

末裔まつえいたちに手を貸してくれた貴公らを救うのは当然のこと──』

鬼神キサラギ族は恩を忘れぬ──必ずや、そなたたちを守護しよう』

『我らだけではない──この地に生きた者は皆、感謝している』

 現れたキサラギ族の誰もが頭上を見上げる。

 釣られてホクトたちも目線を上げてみると、「あっ!」と声を上げた。

 光り輝く流星群が──天を塞ぐ絶望へと昇っていく。

 その光のひとつひとつが、目の前に現れたキサラギ族らしき戦士たちと同じで、かそけきながらも力を秘めた霊体のような戦士たちだった。

 彼らは数を増して軍勢となり、巨大蕃神に立ち向かっていく。



『戦士たちが帰ってきた──もう一度、あの絶望と戦うために』


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