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第7章 還らずの都と灰色の乙女
第167話:ツバサVSキョウコウ~前哨戦
しおりを挟むかつて九龍城砦と呼ばれた建物があった。
香港にあったとされるその巨大建築物は、複雑な歴史を経て無計画な増築を繰り返した結果、異様な外観を誇る巨大なスラム街となってしまった。
その九龍城砦を彷彿とさせる──極都。
山のように巨大な異常建造物が、見る見るうちに形を変えていく。
いくつもの尖塔がスルスルと伸びていき、まるで鎌首をもたげる蛇のように持ち上がっていく。その尖塔の数も1本や2本ではない。
何十本もの尖塔が伸び上がり、逃げるカンナの行く手を阻む。
尖塔は等間隔で立ち並び──檻を形作る。
この尖塔で作られた檻はカンナを足止めするためのものだろうが、長期的に見ればツバサたちを包囲する目的も兼ねているはずだ。
「拙僧が精魂を込めし造形物には命が宿ります……」
エメスは黙祷したまま合掌、僧侶らしい仕種で呟いた。
「中でもこの極都は、キョウコウ様のために心血を賭して築き上げた、手前味噌ながら最高傑作を自負するもの……この程度、児戯に過ぎません」
「くっ……こんな足止めで!」
カンナは馬上槍から機銃を撃ち、大盾の砲塔から砲撃を放つ。
天翔るバイクの進路を遮る尖塔を破壊するつもりが……。
「壊れないだと!? そんなバカな!」
最初の砲撃は効いたはずなのに、とカンナは驚愕していた。
弾丸の雨を受けても、戦艦クラスの砲撃を受けても、行く手を阻む尖塔の群れは傷ひとつ付いていない。多少、煤けたくらいのものだ。
「フフフ、極都には学習能力もありましてな」
あなたの攻撃は覚えました、とエメスは片目を開けて微笑んだ。
「あなた方を取り囲む尖塔には最硬金属アダマントに、拙僧が工作者として技能を用いて、何十倍にも硬度と靱性を上げた特別製の金属でコーティングされております……ちょっとやそっとでは壊れませぬぞ」
──断言いたしましょう。
エメスは開眼し、喝破するが如く叫んだ。
「このコーティングを施された我が極都は! いかなる強力な神族を以てしても、どんな技能を用いようとも、破壊することこれ能わず!」
その尖塔の群れに──突っ込んでいく2つの影。
「覇ハハハッ! 良いぞ、乳のでかい小僧! さあ、もっと調子を出せ!」
「誰が乳のでかい小僧だッ!」
激しい戦いを繰り広げていた2人は、たまたま移動した先に尖塔の群れがあったので、両者ともに尖塔の群れをチラリと一瞥すると──。
「「鬱陶しいなこれッ!!」」
この時ばかりは意気投合できた2人。
戦いの片手間とばかりに、ツバサは何条もの轟雷を解き放ち、キョウコウは片腕を振るって衝撃波を発すると、尖塔の群れを吹き飛ばしてしまった。
まさに鎧袖一触、歯牙にも掛けないとはこのことだ。
美貌を崩したエメスは開いた口が塞がらない。
見開きすぎた目から眼球がこぼれ落ちそうなほど驚いていた。
カンナも唖然としていたが『これはチャンス!』と気付いて、バイクのエンジンを噴かすと一目散に走り去っていった。
カンナをこの場から逃がす──それがツバサたちの目的。
これで目的は達成された。
「ちょ…………なにしてくれてんのさ、キョウちゃんッ!?」
僧侶気取りの口調をかなぐり捨て、エメスはキョウコウを怒鳴りつけた。
どうやら、こちらが素の喋り方らしい。
「自分で自分のお城壊すってどーゆう神経してんのさ! 僕がこの極都を造るのにどんだけ頑張ってきたか、一番近くで見てきたでしょうよ! おいコラ!? 聞いてんのか、ウドの大木の岩おこし武者!? こっち向けよコラ!」
僕に謝れーッ! とエメスはがなり立てる。
「……許せ、エメス」
「親友への謝罪だってのに短ッ!?」
友人と思しきエメスの文句を聞き流すほど、キョウコウはツバサとの戦いに没頭していた。これは光栄と思うべきだろう。
キョウコウは強い──久し振りに骨のある相手だ。
ツバサもまた、『これは撤退戦、カンナが逃げられたのなら自分たちもさっさと逃げるべき』という作戦を忘れかけている。
両者の戦いは、それくらい白熱寸前だった。
「ハ覇ハハハッ! やりおるな、爆乳小僧……見事に仕上がっておる!」
「だから……誰が爆乳小僧だ!?」
日本語おかしいだろ! とツバサは声を荒らげて挑む。
空中を舞いつつ、激しく交錯する2人。
どちらも武器などを使わず、徒手空拳で戦うスタイルだが、ツバサが合気を主体とした主義に対して、キョウコウは空手などの打撃をメインに据えたものだ。
しかし、どちらもその枠に留まらない。
ツバサも内家拳の技術を用いて発勁を込めた拳を打ち込めば、キョウコウもまた夫婦手という空手の高等技術に合気の技法を交えて、こちらの攻撃を捌く。
お互い、いくつもの流儀を臨機応変に使い分けていた。
「よく剛柔を使い分けておる……どこの流派にも属さぬ自由な動きだが、その若さで我流ということもあるまい……御主、良き師に恵まれたな?」
「……自称仙人のインチキ親父だよ」
余計な一言と思いつつも、ツバサはつい答えてしまった。
「仙人を称する……インチキ親父…………よもや……」
キョウコウは思い当たる節でもあるのか、わずかに首を傾げた。
御主──“斗来坊撲伝”の縁者か?
「──ッッッ!?」
その名前がキョウコウの口から出た瞬間、ツバサは動揺を隠すことができなかった。体捌きこそ崩さなかったが、見開いた眼がわずかに泳いだ。
戦いの手を止めはしないが、脳裏では別のことを考えようとしてしまう。
まさか、師匠を知る人物と出会す羽目になるとは──。
一挙手一投足に影響する戸惑いをキョウコウに読み取られる。
「覇ハハ……図星か、爆乳小僧……そうか、そうか」
御主──あの酔いどれの弟子か。
キョウコウ自身、少なからず驚きの声を上げながら、どこか懐かしそうに、それでいて彼らしからぬ朗らかな笑い声を上げていた。
僅かな怒りを帯びた期待を寄せる口調で誘ってくる。
「あの酔いどれの弟子ならば、もっと面白いことができるはず……さあ、御主の本領を見せてみろ。その力をすべて、儂の前でさらけ出せ……ッ!」
「そいつも……断る!」
やや狼狽したものの、ツバサはすぐに気を取り直した。
こいつが師匠を知っているのは確実だが、知人かどうか定かではない。
いずれ、ぶん殴ってでも吐かせてやる。
だが、まだキョウコウと本気で戦う時ではない。
今日は様子見に徹するのだ。
今のところ──ツバサとキョウコウの力量はほぼ対等。
どちらもまだ全力を出しておらず、互いに“お試し版”で刺激しながら相手の実力を推し量っているところだった。
実感としては力ではキョウコウが、素早さではツバサにアドバンテージがあり、経験値の多さという意味では、年嵩の(レオナルドの話によればキョウコウは50代くらいとのこと)キョウコウに分があるようだった。
しかし、経験値の差を補うだけの天性の勘がツバサにはあり、師匠に鍛えられたおかげで磨かれた戦闘センスがそれを補強してくれる。
戦い続けるツバサは、ある誘惑に突き動かされようとしていた。
キョウコウの強さ──その底を覗いてみたい。
ほんの少しでいい。キョウコウの実力を味わってみたくなったのだ。
そこでツバサは、力を込めた一撃を仕掛けてみた。
本気ではない、その一歩手前ぐらいの力で──。
まず、ツバサは右腕を消す。
何人の動体視力でも追いつけない速さで動かすと、その神速により無数の残像が浮かび上がり、巨大な鳥の翼を幻視させるまでに至る。
秘技──大鵬翼。
片腕だけだが、これでキョウコウの出方を窺ってみることにした。
ツバサの右腕が大鵬の翼へと転じ、キョウコウに襲いかかる。
これにキョウコウは──眼を疑うような手段で対抗してきた。
キョウコウも甲冑で覆われた右腕を持ち上げる。
ドンカイに勝るとも劣らない豪腕。その腕を鎧う甲冑が突然、パージされたかのように剥がれた。現れるのは筋肉で覆われた生身の右腕。
その筋繊維で編まれた腕が──何倍にも膨れ上がる。
筋肉の膨張ではない。
アメーバーや粘菌が瞬く間に増殖するかの如く、筋肉の質量が劇的に増えているのだ。その筋肉量はボディビルダー何十人分にも膨張していく。
膨れ上がった筋肉から、無数の豪腕が伸びてくる。
イソギンチャクの触手を思わせる無数の豪腕。
その豪腕それぞれが甲冑で鎧われると、ツバサの極限を超えた神速で繰り出す技である大鵬翼を、物理的な手数を増やすことで捌ききった。
ツバサの放つ大鵬翼の手業と、キョウコウの無数の豪腕がせめぎ合う。
技と力の衝突──。
いいや、純粋な2つのパワーの衝突となった。辺り一帯に凄まじいプレッシャーを解き放ち、ドンカイたちやミラたちを戦かせていた。
「ツバ……無理をしてはいけませんぞ、ママンジョ様!」
こんな時でもツバサをママンジョと呼び、部下の演技を忘れないドンカイ親方。図体の割に細やかな気配りのできる大人だ。
「くおっ……すげぇ、これが兄貴の全力かよ……!」
一方、カズトラは演技を忘れてツバサを兄貴呼ばわりだ。
ツバサの本気に感動している。
「ちょ! マジかよ、キョウコウの旦那!? 傍にいるだけでビビるっての!」
「だからミラちゃん、前に出ちゃダメだってばぁん!」
余波で吹き飛びそうなミラをニャルが庇っていた。
魂をも震撼させる激突の波及に、誰もが戦う手を止めざるを得なかった。両陣営のトップ2人が発する威光に戸惑うしかない。
そして、ツバサとキョウコウは互いに手を引いた。
大鵬翼は普通の右腕へと戻り、キョウコウの腕もスルスル縮んでいくと元の1本の腕へと戻る。実力伯仲、といったところか。
間合いを保ったまま、相手の目を見据えて動こうとしない。
こういうバケモノもいるのか──。
ツバサは背筋がゾクゾクするのを止められなかった。
この男は──本物だ。
外連味あふれた姿から、見かけ倒しかと思いきや──とんでもない。
キョウコウは質実ともに優れた武道家だ。恐らく、現実でも達人クラスの腕を有していたのだろう。表舞台に出ることのない、本物の実力を備えた武芸者だ。
それにあの異様な能力はなんだ? ツバサは警戒しながら考察する。
──肉体変化系? 変身能力系? 状態変化系?
あるいは過大能力なのか?
あれだけの数の豪腕を──キョウコウは使いこなしていた。
どのような技能を習得して鍛え上げれば、あのような常識はずれな能力を開花できるのか知らないが、並大抵の努力では成し遂げられまい。
この男と全力で戦いたい。
敵として討つべき存在である以前に、武道家として戦いを挑み、正々堂々と打ち負かしてみたいという欲求が、腹の底でマグマのように滾っている。
だが、今はダメだ──この場は作戦を優先しなければ!
この場で力の限りを尽くして戦いたいという武道家としての闘争本能を、みんなのまとめ役という立場から来る理性で落ち着かせる。
そんなツバサの葛藤を見抜いたのか、キョウコウは──。
「本気で戦り合いたいが…………今日は都合が悪いようだな?」
キョウコウの問いに、ツバサは言葉を選んで返す。
「……ああ、喧嘩を売るのはまた今度だ」
カンナを逃がす、という作戦目標は完了済みだ。
今頃ハルカがカンナに追いついて、「レオナルドの知り合いだから話がしたい」と持ち掛けているはずだ。
ツバサは徐々に後ろへと下がっていく。
これに合わせて、ドンカイやカズトラもニャルやミラたちから距離を置くように離れていき、ツバサに追随する形で後ずさっていった。
「悪いが──この場は逃がしてもらう」
「そっちからケンカ吹っ掛けといて逃げるのかい! このウシ乳女!」
「誰がウシ乳女だ! それに逃げるんじゃない!」
──これは戦略的撤退だ。
「俺たちの目的は達成した。もはや長居は無用」
ツバサは自身の肉体を操作する過大能力を発動させる。
それは目映いばかりの金色に染め上げた髪を大量に伸ばすという形で現れ、その伸びに伸びた金髪を操ると、自分たちとキョウコウ一派の間に広げた。
一種の目眩ましである。
「あのウシ乳女……こんなこともできたのかい!?」
「肉体変化系ってやつかしらねぇん……でも、所詮は髪でしょうん?」
ニャルの繰り出すペルソナマンや、ミラの創り出した龍虎が、ツバサの展開した金髪のカーテンを突き破って、こちらに襲いかかろうとする。
だが──。
「硬ぇッ!? なんでできてんだい、この髪は!?」
「痛ぁーい!? まるで鋼鉄よぉん!?」
金髪のカーテンは「ガァン!」と硬質な音を立てて彼女たちを阻む。
神々の乳母の髪が、ただの髪のわけがない。
ツバサの気分次第で硬さや触り心地が自由自在だ。
金髪で織られたカーテンで幕を引かれて慌てるキョウコウ一派。
動じないのはキョウコウくらいのものだ。
「ほう……御主も多芸よな、爆乳小僧……」
「その呼び方やめろ! 小僧で爆乳って矛盾してるだろ!」
金髪のカーテンの向こうからツバサは抗議する。
ツバサは鋼鉄のカーテンにした金髪を切り離すと、ドンカイとカズトラに目配せをして、一気に極都から離脱することにした。
その際──追っ手を危惧しての保険も忘れていない。
「──この真なる世界を統べる大君が申し渡す!」
どこからともなく、朗々とした声が響いてくる。
少年とも少女とも聞き取れる美声は、王者の威厳を込めて言い放った。
「この地は霧で満たされよ! 一寸先もわからぬほどの濃い霧に!」
次の瞬間──極都を中心とした一帯は濃霧に包まれた。
しかし、ツバサたちの周囲に霧はなく、空を行く視界は良好である。
一刻も早く極都から遠ざかろうと高速飛行するツバサたちに、ギリースーツを着て正体を隠したミロが合流する。
ミロは神剣を仕舞うと、ツバサに抱きついてきた。
それを胸の谷間で抱き留めたツバサは、「よくやった」という気持ちを込めて頭を撫でてやると、ミロはゴロゴロと喉を鳴らして喜んだ。
ミロを抱えたまま、ツバサは飛行する速度を上げた。
ドンカイとカズトラも続き、4人は無事に極都から離れることができた。
~~~~~~~~~~~~
「──喝ッ!」
キョウコウが一喝すると、物理的な威力を持った気合が放たれる。
気合は放射状に広がり、極都を覆い隠していた謎の濃霧を吹き払うが、霧が晴れた頃にはもう、あのコスプレ3人組の姿はどこにもなかった。
「……いや、もう1人……おったな」
この不思議な霧を発生させた張本人。
ただ霧を湧かせたのではない。
次元その物に働きかけることで、世界を改変させたのだ。
次元に言い聞かせるような力の波動を、キョウコウは感じ取っていた。
「……あの爆乳小僧も、自然を操る技能が巧みだったが……違うな、あれは恐らく過大能力……でなければ、あれだけの力は出せまい……」
大自然や森羅万象に──世界に働きかける過大能力だろうと踏んでいた。
そして、次元を操る過大能力の持ち主も味方している。
次元を統べる者と──世界を司る者か。
「相棒だとしたら……面白い」
まとめて部下に欲しい、とキョウコウはほくそ笑んだ。
「キョウコウ様──如何いたしましょう?」
いつの間にか、キョウコウの背後にダオンが控えていた。
ミラの後ろ回し蹴りで昏倒していたのもどこへやら、いつも通り澄ました憎たらしい顔で薄い笑みを湛えてキョウコウに指示を仰いでくる。
「すぐさまモンスターによる追跡隊を編成して、追っ手として差し向けますか? もしくは私やプレイヤーの何名かが指揮する形で……」
「構わん……捨て置け」
ダオンの長ったらしい口上を遮り、キョウコウはそう命じた。
「放置、ですか……しかし……」
食い下がるダオンに、キョウコウは目線だけ振り向かせる。
「……奴等は、いずれまた儂らの前に姿を現す……その時まで捨て置いて良い……楽しみはとっておくべきものだ…………違うか?」
「ハッ、仰せのままに──」
キョウコウが念を押すと、ダオンは素直に承諾した。
それに満足げに頷くと、キョウコウは遙か遠方を見遣る。
あの爆乳小僧が消えた先を──。
その向こう側、遙か彼方に懐かしい悪友の顔を思い浮かべてしまう。
「斗来坊の弟子、か……あの酔いどれめ、謀りおって……なにが『おれはもう弟子はとらねぇ』だ……嘘つきめが……」
立派な弟子がいるではないか、とキョウコウは笑った。
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