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第6章 東の果てのイシュタル
第141話:玄関出たら2分でバトル ☆
しおりを挟む一行にカミュラを加え、ミサキたちの暮らす家へ向かう。
発展を遂げた町といっても、ハトホルの谷にある村と比べてのこと。
大通りの物々交換所を眺めても、大して時間はかからない。
イシュタルランドは開いた扇のように広がっている。
扇で言えば全ての骨を止める金具『要』の部分にミサキたち神族化したプレイヤーが暮らしている家があるのだが……これがまた豪勢だった。
「間近まで来ると……本当に宮殿みたいだな」
見上げるほど階層を重ねた高層建築。
ツバサたちの暮らす我が家もダインの改築好きを高じて、和洋折衷で四階建ての大御殿になっているが、これはその上を行っているかも知れない。
「宮殿ってよりこれ神殿じゃね? なんだっけ……パンチライン?」
「多分、パルテノン神殿って言いたいんだよな?」
ミロの言い間違いを訂正すると、アホ娘は「それそれ」と返してきた。
そう──最初に見た印象はそれだ。
正面玄関(なのかな?)で待ち受けるように立ち並ぶ豪壮な柱からして、まんまパルテノン神殿のそれである。ギリシャ神話の神々が出てきそうだ。
「もしくは黄金の聖衣をまとった人たちが待ち受けてて……」
「戦ってみたいなぁ、黄金聖闘士」
今のツバサなら何人抜きできるだろうか? 8人ぐらい行けるか?
その神殿から上下左右に外観を合わせた建築物が広がっており、見渡すためには首を大きくグルリと振り回さなければならないほどだった。
この分だと地下もあるはずだが、まだ未確認である。
それよりも横への広がりが「三十三間堂かよ!?」とツッコミたくなるレベルで長く、空に突き上げる尖塔の長さと数も「サグラダファミリアかよ!」と怒鳴りたくなるほど揃っているのだ。
なんかもう──やり過ぎ感が際立っている。
一方、ウチの改築マニアの長男は1人だけ感心しきりだ。
「ほうほう、こいはなかなか……あっちの構造をこっちに繋げて、耐震性を確保しつつ全体の美観を損なわないように……ふむふむ……」
やるのぉダチ公、とダインはジンの技量を褒めた。
「アニキ、帰ったらわしも我が家を更に改良……あいたぁ!?」
「ふざけるなバカ、魔改造はもう結構だ」
勢いづこうとしたダインを引っぱたいて叱る。
ツバサたちの暮らす大御殿な我が家でさえ、マリナやトモエが迷子になりかける広さなのだ。これ以上の拡張工事は御免である。
ツバサたちが宮殿を眺めてあれこれ感想を述べていると、ミサキとハルカが恐縮そうな口調でやり過ぎた事情を明かしてくれた。
「これはですね、ジンが『俺ちゃんたちが神様だっていうイメージ戦略が大事だよね!』とか言って、最初から神殿っぽい建物だったんですよ」
正面のパルテノン神殿風な建物が原形を留めているという。
「中身どうなってんの? やっぱ神殿風?」
「さすがにそれは生活しにくいからね。完全に現代っぽい内装よ」
ミロが神殿を指差すとハルカが教えてくれた。
ただねぇ、とハルカは頬に手を当てて眉根を寄せる。
「ジンの馬鹿が気分次第でどんどん改築していくから、私たちでも時たま迷うような構造になってきてるのよ……私なんかは超大型のクローゼットとか頼んじゃった手前、あんまりきつく叱れないんだけど……」
「ハルカちゃん、たくさん服を作るの好きだもんねー」
ツバサやミロはハルカにどれだけ衣装を作ってもらったか、数え切れないほどで一時は神族化して得た亜空間の道具箱さえ圧迫したほどだ。
ツバサが「エロい」「スケベです」「遊女じゃ」「閨の太夫ッス」などと陰口を叩かれる、寝間着代わりの派手な赤襦袢などもハルカ製の一品である。
他にもエッチすぎておいそれと衣装が多数、道具箱に眠っていた。
時折ミロにせがまれてコスプレ感覚で身に付けるのは内緒の話。
ミサキは呆れた顔で、自分たちの拠点を見上げた。
「……まあ、さすがにオレが『やりすぎだ!』とジンにお説教したんで、これ以上の改築はしなくなりましたよ。当人も反省してますしね」
「いつまで保つか怪しいものだけどね、反省」
ミサキは親友の反省を概ね受け入れているようだが、ハルカは「喉元過ぎれば忘れてまた改築するんじゃないの?」と心配しているようだった。
実際、考えなしの即興で建て増ししている傾向がある。
なにせジン本人がこの宮殿で迷子になるという。
あと、カミュラもよく迷子になるらしい。
「妾は迷子になってないぞ! 目的の部屋に辿り着けないだけじゃ!」
「カミュラちゃん、それを世間では迷子っていうの」
ハルカの冷静な指摘に、カミュラは半泣きでマリナに同情を求めていた。
「しかし、天才と何とかは紙一重を地で行ってるな、ジンは……」
「アイツの迷子はギャグなんでしょうけどね」
よく宮殿内で遭難者のフリをして廊下に倒れているらしい。
「ツッコミ待ちのボケだな、それは」
笑いを取るのに懸命な姿勢だけは認めてやろう。
さて、そのマスクの変態がお茶を用意して待っている。
物作りではふざけない男なので、煎れるお茶も茶菓子も最上級のものを用意して待っていることだろう。
パルテノンな正面玄関までは階段が続いている。
階段を上ろうとする前に、その正面玄関から誰かが出てきた。
その男は──ラスボスの風格を漂わせていた。
オールバックにした黒髪はハリネズミのように攻撃的。
不遜な面構えに不敵な笑みを浮かべた、やや額が広いのが目立つ男前。銀縁眼鏡が理知的なイメージを添えている。
軍服風のゴテゴテしたスーツを着込み、同系統のロングコートをマント代わりに肩から掛けている。マフィアのボスを思わせる着こなしだ。
ゲームマスター№07──レオナルド・ワイズマン。
「黄金聖闘士じゃなくてラスボス登場」
ミロは思ったままを口にする。そこに頓着はない。
「あ、やっぱり誰が見てもレオさんって悪役にしか見えないんだ」
「良かった……私たちだけじゃないんですね」
ミロから共感を得てホッとするツバサとハルカ。
「ミサキ君、ハルカ君、本人の前でそれを言うのはやめてくれ」
割と傷つくぞ、とレオナルドは苦笑した。
悪そうな外見のくせして、意外と繊細らしい。
「皆さん、遠路遙々ようこそいらっしゃいました」
歓迎いたします、とレオナルドは快くツバサたちを出迎えてくれた。
レオナルドは階段を降りてくると、ツバサたちの前に立つ。
今日はツバサを前にしても逃げ出さないが、やはり敬遠する態度が見え隠れしており、極力ツバサと視線を交えないようにしている。
だが──この状況では逃げ場があるまい。
ツバサはハトホル一家の代表として、ミサキたちイシュタル一家の年長でもあるレオナルドへつかつかと歩み寄っていった。
やはり、レオナルドはツバサを避けている。
こうしてツバサが近寄っていくと、誰も気付かないくらいわずかに背を仰け反らせるのだ。眼も泳ぎそうになるのを堪えている。
素知らぬ振りをするも、無意識に身構えているようだ。
まだツバサに相対してはいけない、こちらの素性を勘繰られたくない。
そんな態度がレオナルドから見え隠れしていた。
こいつ──何者だ?
正体を暴いてやらねば、ツバサの気は済まなくなっていた。
せっかくだから化けの皮を剥がしてやる。
「初めまして、ではないかな? 何度か会っていますよね、レオナルドさん」
もっとも、とツバサは意味深長に言葉を続ける。
「運が悪いのか偶然なのか、すれ違いのニアミスばかりでしたけどね」
「ああ、どうにもタイミングが悪かったようです」
ツバサは女性らしいスマイルで愛想を振りまいてやるが、レオナルドの笑顔は石のように硬い。引きつっていると言ってもいいほどだ。
それでも──努めて冷静であろうと装っている。
よほどツバサのことが苦手のようだ。
「では、改めまして──ツバサ・ハトホルと申します」
よろしく、とツバサは手を差し出した。
求められた握手にレオナルドは眼を少しだけ剥いて驚き、次に迷いと恐れの表情を浮かべたが、それを意志の力で押し止めていた。
ツバサからの握手──その意図をレオナルドは見抜いている。
だからと言って握手を断れば怪しまれるばかり。ミサキたちの目の前だから尚更である。拒んだり断ったりすれば、彼の印象はガタ落ちするに違いない。
それを見越した上で、こうして握手を求めたのだ。
躊躇うだけでも不自然なので、レオナルドは極々自然な動作でスッと左手を持ち上げると、差し出されたツバサの右手と握手を交わした。
その瞬間──ツバサから仕掛ける。
合気の技を使ってこの握手を離せないように握り締めると、神族であろうと耐えられぬ重量をレオナルドに被せてやった。
合気の熟達者でなければ使えぬ奥義──みたいなものだ。
何もできなければ、レオナルドは無様に膝をついて倒れ込むだけ。
だが、レオナルドは倒れない。
膝を折るどころか、曲げすらしなかった。
合気の中でも高等技術に入る、この技に耐えているのだ。
のみならず、この技から抜け出そうとしている。
ツバサから被せている重量に屈しそうになるが、すぐにまた耐える。
屈し、耐え、屈し、耐え、屈し、耐え、屈し、耐え……。
これを刹那の間に何百と繰り返し、レオナルドの身体が小刻みに震え出す。この震動が限界に達したところで、今度は彼からの反撃が来る。
「…………むんっ!」
レオナルドの両脚──脛を取り巻くように何本もの杭が現れる。
それが地面に突き立って足場を崩すと、レオナルドから仕掛けてきた振動のブレも手伝って、ツバサの仕掛けた技は完全にバラけてしまった。
この隙を突いて、レオナルドは拳や蹴りを放ってくる。
ツバサはガードすらせず身体の防御力のみではね返すと、もう一度捕まえるために手を伸ばすが、レオナルドは牽制の攻撃でこちらの手を防いできた。
そのまま主導権を取り合うように、手業の応酬となる。
レオナルドの攻撃はほぼ打撃系だ。
空手やキックボクシングにムエタイ、中国拳法なら少林寺などの打突をメインにした戦い方が流儀らしい。だが、合間に柔術っぽい攻撃がある。
対して、ツバサの流儀は合気や中国拳法でも内家系といった『肉体を動かす力の流れを操る』技術を至上とする流儀。
でも、気分次第で殴ったり蹴ったりどついたりする。
お互い単能ではない──いくつもの流儀を心得ていた。
似た者同士な戦い方に、ツバサはある確信を抱き始める。
「本気の一発……ッ!」
わざと大振りな攻撃をレオナルドに打ち込むと、その隙だらけな動きに漬け込んでレオナルドも大技を放ってくる体捌きで動いた。
かと思いきや──分身めいた残像を残しての退避行動。
ツバサの攻撃をすれ違うように躱し、たなびく雲のように判然としない残像を散らして、こちらの視覚を騙すつもりらしい。
生意気になことに残像にも気配があり、心眼の技能でも見分けがつかない。
「──小賢しいッ!」
ツバサは眉間を凝らすと、何条もの稲妻を撒き散らした。
残像は稲妻でかき消えるが、本体はそうはいかない。
耐性を施したと思われるロングコートを翻して稲妻を弾いたレオナルドに、ツバサは一足飛びで間合いを詰めると、再びインファイトに持ち込む。
しかし、レオナルドは更に飛び退いた。
女性に手を上げられないとか、戦う理由がないというわけではない。
それが証拠に、飛び退きながらも両腕から気で形作られた杭状の物体をいくつも飛ばしてくる。これの狙ってくる場所がえげつない。
脳天、両眼、鼻と口の間(人中という急所)、喉笛、心臓、乳房の頂点(多分、乳首)、鳩尾、股間の局部……ことごとく急所だ。
ツバサは肉体を強化する過大能力で自慢の長い黒髪を操る。
長い髪から無数の刃を形作ると振り回す。
これで飛び掛かってくる杭をひとつ残らず打ち払った。
「おお、怖い怖い──まるで鬼女だね」
「誰が鬼女だッ!?」
女神様と呼べ! とツバサは自爆する。
ツバサは大声で吠えると、後退していくレオナルドを追った。
レオナルドはミサキたちの家から離れるように、ツバサたちが歩いてきた町の大通りを後ろも見ずに飛び退いていく。
無論、気でできた杭での遠距離攻撃も忘れない。
再び接近戦の間合いに持ち込むと、剣戟めいた戦闘音が鳴り響く。
レオナルドは両腕を硬質化させた気の杭を覆い、それで突くように殴りかかってくるかと思えば、その気でできた杭を至近距離から乱れ打つ。
ツバサは両腕に圧縮空気の凝らせて対抗する。
同時に乱れ打ちで放たれる気の杭を武器化した髪で振り払う。
隙あらばいくつもの髪束をドリル状に凝らして突き伸ばし、仕返しのようにレオナルドの急所を狙ってやった。無論、あちらも気の杭で防いでくる。
二人の戦いの波及は留まるところを知らず、大通りの石畳を打ち砕く。
それだけでは済まず、余波だけで周囲が崩壊していった。
両者の戦いは拮抗している──ように見える。
それも道理。ツバサはまったく本気を出してないし、レオナルドは実力を隠したままだ。ついでに言えば、レオナルドは様子見しかしていない。
今もツバサの猛攻を凌ぎつつ、飛び退く機会を窺っていた。
そういう男なのだ──こいつは!
直に拳を交わすことで、ようやくレオナルドの正体を知ることができた。
こいつは姿を消したあの男だ──ツバサは確信する。
ツバサも慎重派だが、こいつは輪をかけて慎重な上に念まで押す。
只今、こちらの力量を見極めている真っ最中である
もしくは、自分が有利な状態で戦える状況に持ち込める策を、ああして飛び退きながら瞬時に考案しているのだろう。
だから──こいつに考える時間を与えてはいけない。
ツバサは故意に油断すると、レオナルドを見逃す素振りを見せた。レオナルドはその隙を利用して、間合いを取るために絶妙な距離まで後退る。
「絶対の勝機が来るまで及び腰なのが……おまえの欠点だ!」
ツバサはトン、と足を踏んで鳴らした。
それだけで大地の底が凍りつき、瞬く間に霜が広がる。
何事だ!? とレオナルドは眼鏡の奥で眼を剥くが──もう遅い。
飛び退いたレオナルドの足場から氷が突き上がる。
地の底に潜んでいた氷の巨獣が大顎を開いたかの如く、大きな牙の形をした氷がレオナルドの手足に食らいつくように凍りつかせていた。
ただの氷だ、とレオナルドは凍りついた内側から壊そうとするが──。
「動くなよ──手足を持って行かれるぞ」
ツバサの警告にレオナルドはピタリと動きを止めた。
脅しではない、それを声音から感じたのだ。
「万年氷牙……俺の自然を司る過大能力に、いくつかの高等技能を加えて創り出した魔法の氷だ。神族の肉体だろうと粉々にする」
魔力を帯びた氷が細胞にまで食い込んでおり、無理に動かそうとすれば氷に飲まれた部分から折れること請け合いだ。
「解凍は俺にしかできない……さて、話を聞かせてもらおうか」
ゆっくりとな、とツバサは冷徹に告げた。
大小無数の氷の牙に囚われたレオナルド。
囚われの身になった彼の前に、ツバサは近付いていく。
レオナルドは流れる冷や汗を凍らせても、不敵な笑みを崩さなかった。
「まったく……こんな街中の往来で仕掛けてくるとはな。君は周辺に及ぼす被害を考えないのか? 現地種族だっているんだぞ?」
「おまえこそよく見ろ──俺たちの他に誰がいる?」
ツバサに言われて、ようやく気付いたらしい。
レオナルドはツバサと2人だけの空間に眼を見張った。
そこはイシュタルランドの中央だが、周囲には誰もいない。
セピア色のグラデーションを塗られた風景の中にはツバサとレオナルドしか存在せず、近くにいたはずのミサキやミロたちの姿も消えていた。
「これは……結界でもないのか?」
「俺に正体がバレるのを恐れたのと、俺からの攻撃の対処に大わらわで気付かなかったみたいだな。ここは位相を変えた特殊空間だよ」
あの握手を交わした瞬間、ツバサは複合技能を発動させていた。
「ちょっと前に空飛ぶ山を手に入れてな。その山にあった機能を模して編み出したものだ。ここもまた現実の空間だが、少しだけ位相がズレている」
通常の空間とまったく同じだが、任意の者しか入れない。
「おまけに、ここで過ごす時間は通常空間とは大きく隔たっている」
この位相で1日過ごしても、通常空間では一秒も経っていないのだ。
「……まるで精神と時の部屋だな」
「うん、俺も編み出した時はそう思った」
カラカラと笑いながら、ツバサはレオナルドと親しげに話す。
既にツバサはレオナルドの正体を看破していたし、レオナルドもツバサに自分が何者かが判明したと悟っているのだ。
その上で、ツバサは意地悪な笑顔で問い詰める。
「じゃあ、そろそろ尋問と行こうか……こんなところで何をしている?」
──獅子翁。
ツバサはレオナルドを姿を消した友人の名前で呼んだ。
ミサキが師匠と慕って尊敬し、ツバサが親友であり好敵手と認めた男。
その男のハンドルネームこそが──獅子翁だった。
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