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第5章 想世のケツァルコアトル
第119話:12の意志を継承せし忍者の魂
しおりを挟むジャジャ・マルはある悩みを抱えていた。
その悩みの性質上、ツバサやミロには打ち明けられず、家族の誰にも相談しにくい内容だったため、ずっと胸の内に燻っている。
それは危機感にも似た、ジャジャ特有の悩みだった。
自分は──大切にされ過ぎている。
ツバサとミロの娘として溺愛され、その幼すぎる容姿と不確定要素の多い転生を経た肉体のため、まるで箱入り娘のように大事にされているのだ。
それが悪いとは言わない──むしろ最高かも知れない。
憧れたツバサとミロに娘として愛される。
事情も告げずに失踪した母を持つジャジャは、幼い頃からずっと母親の愛に餓えていた。それを尊敬してきた2人の女性が満たしてくれる。
最高かも知れない、どころではない──最高だ。
幼女の肉体に戸惑うことも多く、娘として愛されることに違和感を覚えなくもないが、どこか倒錯した喜びに酔い痴れていた。
ようこそ百合の世界へ──クロコの淫靡な囁きが聞こえてくる。
それはそれとして、悩みと危機感は拭えなかった。
大切に、大事に、愛されるがゆえに──何もさせてもらえない。
有事が起きても前線に立つことは許されず、まともに戦闘へ参加することさえ許されない。いいところ後方支援、それも安全な立ち位置からだ。
何もさせてもらえないなら──何も学ぶことはできない。
何も学ぶことができないなら──何も変われない。
2人の母親に愛されるだけのぬるま湯に浸かるような日々も悪くないが、それでは成長することができない。何も変わることができないのだ。
ツバサほどではないにしろ、ジャジャにも向上心というものがある。
その向上心ゆえ、ジャジャはツバサたちの生き様に憧れた。
その向上心が騒ぐのだ。
成長したい──経験を積みたい。
だからこそ、今回の威力偵察には参加したかった。
普通の偵察に終わるにしろ、何者かとの戦いが起きるにしろ、そこで忍者らしい働きを努められれば、魂の経験値として得るものがあるはずだ。
やがては──未だ覚醒しない過大能力も。
そんな期待を込めて、ジャジャはこの威力偵察に加わっていた。
~~~~~~~~~~~~
思い描いた事態ではないが、こうして活躍する機会を得たのは僥倖だ。
ジャジャは分身を操りながら少しだけ興奮していた。
クロコの舞台裏という安全圏に身を潜め──分身による探索作業。
お目付役のクロコの監視があるので、決して無理はできない。
それでも分身の経験は自分に返ってくる。
敵地潜入という緊張感が、身も心も引き締めてくれた。
通風口のダクトを通り抜け、ホムンクルス兵の見回りを出し抜き、それぞれの部屋を調査する。どの部屋にも現地種族による人体実験の痕跡やら標本やらが並べられており、吐き気を催すものばかりだった。
ジャジャなどでは思いも寄らない陰惨な実験の数々。
人知の限りを尽くした邪悪な手法が行われた形跡があり、これ見よがしに記録したものが陳列されていた。怒りを起点とした発狂に見舞われそうだ。
カズトラが「ナアクはイカレてる」と評していた。
一目瞭然とはまさにこのこと、これを目の当たりにすれば納得だ。
いくつかの部屋を調査し終えたところで、ようやく発見する。
「見つけた……カズトラ殿、お仲間の居場所がわかったでゴザルよ!」
クロコに頼んで舞台裏から出入り口を開いてもらう。
そこは遺跡を改築したナアクの研究施設でも中心にあり、ホムンクルス兵の警備も厳重な場所だった。ジャジャは通風口のダクトから侵入していた。
どうやら重要な研究室らしい。
舞台裏から飛び出したジャジャ、クロコ、カズトラ。
念のため、分身には自動扉近くで廊下を警戒させる。ジャジャたちは分身が発見した円筒形のガラスケースみたいな培養槽の前へと立った。
培養槽の中には──青い髪の少女が浮かんでいる。
年の頃ならマリナと同じくらい、穏やかそうな顔立ちからおっとりした性格ではと思えた。長い髪は2つに結っており、巫女みたいな装束を着ている。
両腕に点滴にも似た細い管が刺されており、口には酸素吸入器のようなものが宛がわれている。まだ生きているようだし、変化は現れていない。
「ミコ……ッ! 良かった、無事だったか!」
ミコ・ヒミコミコ──カズトラの仲間の1人だという。
カズトラは左腕を上げて培養槽のガラスをぶち破ろうとしたが、クロコが無言で腕を伸ばして制した。冷静な声でソッと告げる。
「無闇に破壊すれば警報などが作動する恐れがあります……この程度の装置、少し調べれば使い方もわかりましょう。お時間を下さい」
カズトラを制したクロコは、培養槽のコントロールパネルに近付いた。
分析系の技能を両眼に走らせて操作方法を読み解いていく。
ピッピッピッ、と電子音をさせてパネルを操作すると、ガコン! と大きな栓を抜くような音が響いて、培養槽内に詰められた薄紫の液体が抜けていく。
液体が少なくなると浮力を失ったミコという少女が培養槽の底に倒れる。
そして、ガラスケースが上へとスライドしていった。
「ミコッ! おい、大丈夫か!? ミコ、起きろミコッ!」
ガラスケースが開くなり培養槽に上がったカズトラは、しゃがんだ膝の上にミコの上半身を乗せると、左手で彼女の頬をペチペチと叩いた。
「うっ、こほ……カ、カズ兄ちゃん……?」
何かの液体を小さく吐いたミコはうっすら目を開ける。
「オレっちがわかるか!? これ指何本に見える? 自分が誰かわかるか?」
「指って……それ拳骨じゃん……わたし、ミコ……」
指何本と聞いておいて、拳を掲げるのがカズトラらしい。
ミコは自分の名前を口にすると、もう1度だけ咳き込みながら自分で酸素吸入器を外すと、カズトラのシャツにしがみついて起きようとした。
そこで急激に目が覚めたのか、ミコは露骨に慌てる。
「……ッ! カズ兄ちゃん!? そうだ、わたし、ナアクの奴に……ッ! わたしはいいから! カズ兄ちゃん、2人を早く──ッ!」
ガンズさんとマレイさんを助けて! とミコは研究室の奥を指差した。
ミコの指し示す指先に、ジャジャたちは釣られるように振り向く。
そして、一様に息を呑む。
一目見ただけで、それがどういうものかを直感的に理解してしまったからだ。経緯こそわからないが、結果としてこうなってしまったのだと察してしまった。
そこに──かつて人だったものが2つ。
研究室の奥、ガラクタのように転がされている。
ルビー、サファイア、エメラルド、ダイヤモンド。
何十種類もの宝石を寄せ集めたような塊から、宝石で象られた線の細い女性の形をした彫像が助けを求めるように右手を伸ばしていた。
その彫像の瞳からは、ダイヤモンドの涙が雫となって滴っている。
隣にあるのは、鋼鉄と機械を寄り合わせたような造形物。
まるで完成直前でスクラップにされたロボットだ。
人間によく似た頭部は苦悶の表情を浮かべており、分厚い鋼鉄で鎧われた右腕をやはり助けを求めるようにこちらへと伸ばしていた。
そのランプのような双眸から、血のように赤黒いオイルを流している。
宝石と鋼鉄──無機物の塊。
その2つを目にした途端、カズトラの肩から力が抜ける。
「そんな……マレイ、さん……ガンズさん…………」
宝石の彫像と鋼鉄のロボットの顔に、仲間の面影を見出せるようだ。
それは、つまり……。
「彼らは惜しかった──欲望が表れてしまったようです」
まさかの声がして背後に振り返る。
半開きの自動ドアの向こうから、アルカイックスマイルが顔を覗かせた。
「魂の自由と解放……自由にすると無意識下の自己まで解放してしまい、無秩序な変貌を続けるばかりで収拾がつかなくなる。ですので、解放をメインにした結果としてこのようになったのですが……惜しい、実に惜しい」
廊下と室内では温度差があるのだろうか?
開いた自動ドアからドライアイスみたいな煙が流れ込んできた。
白煙をたなびかせて──ナアク・ミラビリスがやってくる。
「魂の内に閉じ込めたものを解放させようとすると、どうしても欲望が優先されてしまうようですね。ガンズさんは力を、マレイさんは美を求めた結果のようですが……ガンズさんは元々サイボーグですから、更なる力を求めてロボット化し、マレイさんは宝石使い……宝石の美を自らに重ね合わせたのでしょう」
カツン、カツン、と革靴の足音が響いてくる。
見張りをしていたジャジャの分身はいつの間にか消えていた。
ダメージを受けた形跡はないのに、どうして──?
「“蕃神の髄液”……我々の魂を手っ取り早く自由と解放に導いてくれるのはいいのですが、効能が強すぎるのが難点ですね……しかし、水のように薄めると効果がない。ミコちゃんで試してみましたが、何も起きてませんしね」
ヒッ! と悲鳴を上げてミコは自分の肩を抱く。
あの点滴みたいな投与は、得体の知れない薬液だったらしい。
床を流れてくる白煙を踏み分け、ナアクはやってくる。
「せっかく手に入れた物質なので実験してみましたが……この劇薬は些か手に余りますね。やはり魂の自由と解放には地道なアプローチが必要なのかも知れません。急いては事を仕損じる、とはまさにこのことですね」
「言いてぇことはそれだけか……」
カズトラはドスの効いた声で両肩を戦慄かせると、ミコを背中に庇ってから左手を培養槽に押し当てた。いや、張り手のように叩きつけたのだ。
「それだけか、こんクソ野郎がああああああぁぁぁーッ!」
痩せた狼は喉笛を噛み千切らん勢いで激昂した。
過大能力──【我が掌中にあるもの須く武器と成るべし】。
培養槽が変形して無数の剣山となる。
カズトラが手を押し当てた場所からバキバキと音を立て、培養槽どころか床や壁までもが剣山と化してナアクに向かっていく。
それだけではない──部屋全体が槍や剣のように武器化しつつあった。
すべての武器がナアクという一点へ集中していく。
「掌中にあるものを武器へと変える能力……掌を押し当てた部屋全体を掌中にあると認識しての能力公使ですか。君も成長してますね、カズトラ君」
ですが、とナアクは指を鳴らす。
すると白煙が揺らめいて、彼を守るように取り囲んだ。
白煙に触れたカズトラの攻撃は、ナアクに届く前に破壊された。いや、ジャジャが見た限りでは、破壊されたのではなく粉々に分解されたようだった。
「私の雲塊には通じませんよ──何度やってもね」
「クッ……てめぇだけは! 絶対に許せねぇんだよぉッ!」
カズトラの剣山攻撃は止まない。
無数の剣をミサイルみたい撃ち出し、部屋が歪むまで連射する。乱射することなく、精密な射撃でナアク1人に一点集中して攻撃を続けた。
しかし──1度としてナアクに到達することはない。
ナアクを取り巻く白煙が、触れるものを悉く分解してしまうのだ。
ジャジャの分身もあの白煙に消されたらしい。
「よくもガンズさんとマレイさんを……ッ!! てめえだけは何があっても潰す! ぶん殴ってぶっ飛ばして……ぶっ殺してやっからなぁ!」
「相変わらず威勢だけは一人前ですね、カズトラ君」
怒声と攻撃の威勢だけはいい──しかし、ナアクには通じない。
カズトラ自身も痛いほど身に染みているのだろう。
自分の過大能力がナアクの前では無力だということを──。
それでも彼は攻撃の手を休めない。
怒りの形相のまま流していた悔し涙は血の涙に変わり、過大能力を使い続ける左腕には幾筋もの血管が浮かび上がって破裂する。
血塗れになるまで疲弊しても、カズトラは攻撃を続けた。
「カズ兄ちゃんやめてぇ! そんなに力を使ったら……」
死んじゃうよぉ! とミコも泣きながらしがみついて止めようとする。
だが、カズトラは決して止まらない。
無惨にも宝石と鋼鉄に変えられた仲間の仇を討つために、敵わない相手だと知りながらも必死で食らいつこうとしていた。
それこそ──魂を燃やし尽くしてまで。
「うぅあああああああああああああああああああああああぁぁぁーーーッ!」
その執念が届いたのかも知れない。
マレイの宝石の右腕とガンズの鋼鉄の右腕。
助けを求めるように伸ばしていた各々の腕がビクリ! と動いたかと思えば、根元からボキリと折れたのだ。折れた2本の腕は空中に舞い踊る。
2本の腕は──カズトラの右肩にぶつかっていった。
「おやおや、これはこれは──素敵ですね」
その現象をナアクは楽しげに、興味深そうに観察していた。
鋼鉄の腕と宝石の腕は複雑に混じり合い、一本の光り輝くメカニカルな腕へと変化して、カズトラの右肩へ根を張るように融合していく。
カズトラの細身の身体に不似合いな──光り輝く剛腕。
まるで巨大なガントレットを装着したような案配になっていた。
「ナァァァクッ! てめぇだけは……ぶん殴るッ!」
カズトラは剛腕を床に叩きつけると、その反動で跳躍しつつ新しい右腕を振り回している。遠心力を存分の乗せた拳で殴りかかるつもりだ。
迫り来るカズトラの剛腕から、ナアクは逃げも隠れもしない。
例の“雲塊”と呼んでいた白煙を濃くするだけだ。
「仲間の遺志を受け継いでのパワーアップ……彼らの魂を引き継ぎ、自らの魂を新たな形へと解放する……その素敵な玉石と鋼鉄で織り成された剛腕、かつて見たアニメや漫画もしくはライトノベルの主人公を想起させますね……素敵ですよカズトラ君、それこそ私の望んでいたものだ」
おめでとう──君は自らを解放したのです。
ナアクは飛び掛かってくるカズトラを拍手で迎える。
大方、今までのように雲塊で防げるものだと思い込んでいるのだろう。
だが──カズトラの剛腕は雲塊を突き破る。
左腕の十倍はありそうなカズトラの新しい鉄拳は雲塊を打ち抜き、ナアクの横っ面を捉えた。その瞬間、接触した箇所から大爆発が巻き起こる。
カズトラの剛腕から指向性のある爆発がナアクを襲う。
ナアクの顔ごと上半身を消し飛ばし、研究室の半分を吹き飛ばし、自動ドアの奥にあった研究施設を粉微塵にする破壊力だ。
「……や、やった……ナアクを、ぶん殴ってやった……」
やったぞぉぉぉーッ! と勝利の雄叫びを上げるカズトラ。
新しい剛腕は機械的な可動音を立てて変形すると、一仕事終えたかのようにあちこちから蒸気を噴き出した。メカニカルな機構らしい。
慣れてないのか重いのか、カズトラは左腕で剛腕を押さえている。
ミコは心配そうに駆け寄っていった。
「カズ兄ちゃん、大丈夫なの!? その腕は……?」
「ああ、平気だ……ちょっと気が抜けただけ……この腕はな……」
カズトラは疲れた顔だが、誇らしげに左腕を持ち上げる。
「ガンズさんと、マレイさんの……置き土産さ……2人の声が聞こえたんだ……“おれの、わたしの、力を使え”……ってな」
2人の遺志が──オレっちを強くしてくれたんだ。
そんなカズトラの言葉に、ジャジャの琴線を揺らすものがあった。
「遺志……いや、意志なのか……」
自分もたくさんの人から受け取っているではないか──。
この世界に来る前──そして、来てから行動を共にしていた12人。
短い付き合いだが、彼らは確かにジャジャの仲間だった。
交流が長い友人もいたし、出会って1ヵ月ほどの顔見知りなプレイヤーもいたけれど、意気投合するのは早かった。
何故なら──全員、ある動画の大ファンだったからだ。
そう『ツバサとミロのアルマゲドン最強夫婦!』のファンである。
断っておくが、健全なファンの集いだ。
ミロちゃんの覇気やツバサさんの色気にひれ伏したがゆえにお慕いするファンとなったのは認めるが、決してやましい気持ちはない。断じてない。
ジャジャと彼らは推し活に励む同志だったのだ。
死後の世界で彼らが渡してくれた魂の欠片がなければ、ジャジャはこうして甦ることできなかった。彼らには感謝してもしきれない。
今にして思えば──彼らもこうなるのを望んだのかも知れない。
彼らは今もジャジャと共に生きている。
皆、ツバサとミロから新たな生を得て、此処にいるのだから──。
「お嬢様──ジャジャお嬢様」
クロコに呼ばれて、ハッと我に返る。
何かが──目覚めそうな予兆。
それがこの小さな胸に芽生えかけたていたのだが、我に返ったところで忘れてしまった。やや呆然としたまま背後にいるクロコを仰ぎ見る。
好機到来です、とクロコは進言してくる。
「この機会を逃してはなりません。カズトラ様たちを連れて私の舞台裏に退避いたしましょう。そして、ツバサ様たちの応援が来るまで──」
「籠城戦でゴザルな。心得た」
「では──カズトラ様、ミコ様、どうぞこちらへ」
ジャジャが了解すると、クロコは2人を招いて舞台裏への扉を作る。
その扉を開こうとした矢先──彼女の動きが止まった。
開こうとした舞台裏への扉も、蝶番が錆びたように開かなくなる。
クロコの表情には、いつにない焦りが浮かんでいた。
「身体が……動かない! これは……まさかッ!?」
「逃がしませんよ──皆さんは素敵な研究対象ですからね」
カズトラの剛腕が吹き飛ばした研究施設。
その瓦礫の中から、上半身を失ったナアクの亡骸が立ち上がる。
いくら神族とはいえ不死身ではない。
有り体に言えば、頭と胴体が生き別れれば死ぬ。ましてやナアクは上半身がなくなっており、心臓さえ跡形もなく塵となっていた。
なのに──ナアクの身体は再生していく。
例の雲塊が集まると、壊れた端から元通りに肉体が復元してきたのだ。
気付けばナアクの雲塊は薄く部屋中に漂っており、クロコの身体や舞台裏への扉にもまとわりついている。これが彼女の動きを封じているらしい。
「ナアクッ!? 往生際の悪……なっ!? オレっちも……」
「カズ兄ちゃ……ん、身体が……動か……ないよぉ……」
彼女だけはない──カズトラも、ミコも、雲塊に固められていた。
「くっ……! やっぱり、自分も既に術中に……ッ!?」
勿論、ジャジャも同様である。
この雲塊こそが──ナアクの過大能力。
正体はまるでわからないが、あらゆる攻撃を防ぐ盾ともなれば、敵の動きを押さえ込む鎮圧的な使い方もでき、恐らくは攻撃にも転用できる。
自らが絶命しても甦らせる自己修復機能まであるらしい。
アルカイックスマイルを復元したナアクは、コキリと首を鳴らす。
「先ほどから私の領域内で小規模な空間歪曲が続いているのは確認しておりましたが、そちらのメイド服なお嬢さんの仕業だったのですね……あなたの過大能力、そして凡人とは異なる魂の輝き……とても興味深い」
素敵な研究対象です、とナアクは嬉しそうに笑った。
それはアルカイックスマイルを超えた、おぞましい形相でしかない。
「あなたに気に入られるとは……さすがの私もゾッとします」
守備範囲の広いクロコも、狂的化学者は受け入れがたいようだ。
「それに……ジャジャちゃん。あなたに逃げられなくて本当に良かった」
あなたは──とても希少な存在ですからね。
「一目見た時から……私はあなたの虜だったんですよ」
ナアクは薄い唇を舌で舐めて歩を進める。
貴重な生物を見つけたので、絶対に捕まると決めた研究者の足取りだ。
こちらが動けないにも関わらず、細心の注意を払っていた。
一歩、また一歩とナアクがジャジャに忍び寄る
「あなた自身が気付いているかどうかは知りませんが……いくつもの魂の色を帯びながらも1つの魂として燦然とした煌めきを放ち、大地を司るような豊潤な赤と、天空を司るような鮮烈な青に守られた……極上の彩りを湛えた魂」
あなたの魂が自由となって解放される──その瞬間。
「私は……その瞬間に立ち会いたいのです」
この男──ジャジャの魂に気付いている。
12人のプレイヤーの魂の欠片で継ぎ接ぎになりながらも、ツバサとミロの愛情によって1つの魂へと昇華されたことを見抜いたのだ。
こんな男の元にいたら、何をされるかわかったもんじゃない。
逃げなければ、帰らなければ、戻らなければ──ツバサとミロの元へ!
だが、今の自分にはナアクの雲塊を振り払う力はない。
クロコも、カズトラも、ミコも、動きを封じられて手足も出ない。
万事休すか──ジャジャは悔しさに眼を閉じた。
その閉じた視界に、いくつもの光の玉が乱舞しているのに気付く。
最初は残光が待っているのかと思ったが、どうやら違うらしい。固く閉じた瞼の奥、それよりもずっと深い場所から何かを訴えかけている。
『力はある。おまえにもあるし、おれたちにもある』
『使え、いくらでも、使え、どれだけでも』
『おれたちはおまえに託した。どう使おうと、おまえの自由だ』
光の玉からいくつもの声がする──どれもこれも、聞き覚えがあった。
『ぼくたちも、彼女たちの元に帰りたい』
『わたしたちも、彼女たちと共に生きていきたい』
『こんな気味の悪い奴は嫌いだ……さっさと倒せ……』
この光の玉は──自らを形作った、かつての仲間たちだ。
『我らは地母神と英雄神の加護を受けた』
『我らは汝、汝は我ら……おまえはそれを認めてくれた』
『おまえはおれたちを、片時も忘れないでくれた』
かつて穴だらけの虫食いとなった自分の魂。
そこを埋め込むために託された、仲間たちの魂の欠片。
『もう継ぎ接ぎなんかじゃない……自分たちは1つとなった』
『母ハトホルから、父カエサルトゥスから力を授かった』
『おまえの過大能力は──疾うの昔に目覚めている』
過大能力──『12の意志を受け継ぎし忍者の魂』
その瞬間、ジャジャは凛とした眼差しを見開いた。
ジャジャの眼光に脅威を感じたのか、ナアクが怯んだように立ち止まる。
「おや、これはよもや……この土壇場で覚醒ですか?」
それはそれは素敵ですね、とナアクは自分のことのように喜んだ。
「そのにやけ面に……吠え面かかせてやるでゴザルよ!!」
伐折羅の印──突貫剛力!
雲塊で動かないはずのジャジャの両手が複雑な印を組む。
すると幼女らしからぬ筋力が細い両腕に宿り、カズトラの剛腕でも振りほどけないほど濃密になった雲塊を力任せに引き千切ったのだ。
「おやおや、瞬間的な筋力増強ですか?」
ナアクの看破したとおり、これは一時的な膂力操作に過ぎない。
剛力が生きている両腕を振り回しつつ、周囲を覆っていた雲塊を掴むと一息に引き千切る。これでクロコたちも解放されるはずだ。
そしてジャジャの過大能力は──これだけじゃない。
摩虎羅の印──技能模倣!
ジャジャは引っ掴んだ雲塊を手繰り寄せると、まるで自分の能力のように扱い、これでナアクを捕らえようとした。
それを察知したナアクは自身の雲塊で防ぎつつ、後ろへ飛び退いていく。
「これは驚きました……私の能力をコピーしましたか。ですが──」
猿真似に過ぎませんね、とこれも見抜かれた。
その通りだ──ナアクの能力の上っ面を真似ているだけに過ぎない。
それでも牽制としては役に立った。
ナアクはかつて自動ドアがあった辺りまで後退しており、ジャジャはミコが閉じ込められていた培養槽のところにまで引き下がっている。
その背後には、解放されたクロコたちがいる。
彼女たちを守るように陣取りつつ、ジャジャはナアクと対峙した。
ナアクは雲塊を沸かせつつ、こちらの様子を窺っていた。
「ふむ……2種類の異なる過大能力……というわけではなさそうですね」
と思いきや、ジャジャの能力を分析していたらしい。
「察するに数種類で1つの過大能力として機能しているのですか? 先ほど結んでいる印といい、唱えているのは12神将の名前……もしや12種類で1セットではありませんか? だから12神将に擬えているのでは?」
本当にいけ好かない奴だ、完全にお見通しである。
ジャジャの過大能力──『12の意志を受け継ぎし忍者の魂』
かつてのジャジャの12人の仲間が覚醒したであろう過大能力を、忍者風にアレンジして継承し、そこにツバサやミロのエッセンスが加えられている。
ナアクの見抜いた通り、12種類で1セットの過大能力だ。
「牛の伐折羅に、猿の摩虎羅……まだ10種類も使えるのですか? それは素敵ですねぇ……是非ともこの目で見て、この身体で味わいたい」
さあ──ナアクは両手を広げて待ち構えた。
どんな攻撃をされようとも死なない自信がある。だからこそジャジャに能力の試運転をさせたい。宣言通り、その身を以て能力の効果を体験したいのだ。
「試験体ならば“私”が都合しましょう。思う存分試してください」
そうとしか思えない余裕綽々で不遜すぎる態度だった。
この男は──他人の命を平気で実験に費やせる外道だ。
だからなのか、自分の命すら軽んじていた。
しかし、あれだけの不死身を見せられれば考え方も変わる。こいつ相手には躊躇も容赦も入らない。情けをかけるなんて以ての外だ。
この男はこの世界のためにも──生かしておいてはならない人間だ。
カズトラの涙や、彼の仲間に報いるためにも──。
「ご所望とあらば……やってやるでゴザルよ!」
ジャジャは──ナアクを完膚無きまでに抹殺すると心に誓った。
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第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
【書籍化確定、完結】私だけが知らない
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
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