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第5章 想世のケツァルコアトル

第116話:開闢の使徒 ナアク・ミラビリス

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「どうも……自分は……ジャジャ・マルといいます」

 ナアクと名乗る男に挨拶されたジャジャは、自分も軽くお辞儀をして挨拶をすると名乗った。相手が礼節を弁えるなら、こちらも下手したてに出るべきだ。

 如何いかにおぞましい存在であろうと──。

 ナアクは顎に手を当てて少し考え込む。

 だが、そのアルカイックスマイルは崩れない。

「ジャジャ・マル……ジャジャちゃん、ですか」

 興味深い名前ですね、とナアクはジャジャを見つめる。

 その瞳は一見すると透き通っていて優しげなのだが、よく見れば水面に浮かんだ油膜ゆまくのような濁りが照り返していた。

 純粋な信念という膜で覆いながらも、えげつない性根は隠しようがない。

 そこにナアクの本性──怖気おぞけを覚える原因があるのだろう。

 ジャジャは男への嫌悪感もおくびにも出さず、「今のノックで目が覚めました」という演技をして、シーツを被ってベッドに座っていた。

 そんなジャジャに、ナアクは一歩近付いてくる。

「私くらい年を重ねた人間の知識からすると、モデルになった名前のキャラクターがいくつか思い当たります。どれがモデルでしょう?」

 ナアクはつらつらとキャラクター名を上げていく。

 そのひとつ、昔のコンピューターゲームの主人公にジャジャは反応する。

 家庭用ゲーム機として最初の大ヒットとなったハード。その最初期に産声を上げていくつかの続編も作られた、そこそこ人気のあったゲームである。

「あ、それです。真っ赤なニンジャの……」

「なんとまあ、見掛けによらずレトロゲーマニアなのですね」

 驚くナアクにジャジャは照れた振りをしておく。

 祖父はゲーム会社勤務、父は漫画やイラストを描く仕事。

 そして、ニンジャ大好きという親子共通の趣味を持っており、それは孫であり子であるジャジャへと受け継がれていた。アルマゲドン時代に扮していた忍者スタイルも、とある人気小説の忍者主人公からインスパイアしたものだった。

 ジャジャの名前を皮切りに、軽い会話で意思の疎通をはかる。

 親近感を漂わせて油断を誘うように──。

 会話をしながらナアクは一歩、また一歩と近付いてくる。まるで獲物を見つけて忍び寄る獣のような足取りだ。

 隙を見て逃げられないか? とジャジャは開いたドアを盗み見た。

 駄目だ──衛兵らしき人物が2人いる。

 ナアクの従者だろうか?

 真っ白い制服みたいな飾り気のないデザインの服を着込んだ男女、どちらも眼のところに穴が開いてるだけの仮面をつけているので顔はわからない。

 彼らはドアの前に立ちふさがっていた。

 名前に関する話が途切れたので、ジャジャから問い掛ける。

 本来、真っ先に質問しなければならないことだ。

「あの……ここはどこでゴザルか?」

「ここは私の研究所──ジャングルの奥地に設けた研究施設です」

 返事は即答だった。

 あなたはジャングルのはずれに倒れていました、とナアクは言う。

 倒れていたジャジャを部下が発見したので保護。

 こちらの施設で介抱した次第、とナアクは経緯を教えてくれた。

 ジャングルのはずれで倒れていた?

 正体不明のクリスタルから出て密林に落ちたところまでは覚えているが、そこから先の記憶はないので、ナアクの言葉も間違いはないのかも知れない。

 だが、ジャジャの技能スキル“虫の知らせ”が強烈に訴えてくる。

 この男の言葉に耳を貸すな──決して信じるな。

 ツバサやミロから受け継いだ勘働きが良くなる技能の後押しもあって、この男には危機管理能力が全力で「NO!」と叫んでいた。

「そうだったんですか……感謝します、ナアク殿」

 しかし、事を荒げるのは得策ではない。

 まだ何かをされたわけではない。あくまでもジャジャの勘が「この男は危険だ」と訴えているだけ。助けられたのは事実なのだ。

 ここは素直に礼を述べておくべきだろう。

 その上でジャジャは尋ねてみた。

「あの……自分以外にも誰かいませんでしたか? 母上……いえ、このジャングルには仲間と来たのですが、はぐれてしまったみたいで……」

 謎の獣に襲われた件や、クリスタルのことは伏せておいた。

 勿論、ツバサや家族のこともだ。

 得体の知れない相手に必要以上の情報を与えてはいけない。

 ナアクはアルカイックスマイルのまま顎に手を当てる。

 どうやら考える時の癖のようだ。

「はて、部下が見つけたのはあなただけと聞いています」
「そうでゴザルか……」

 完全に離れ離れになってしまったか、ジャジャは落胆する。

 これを見てナアクは慰めるように言った。

「そう落ち込まないでください。このジャングルは我々にとっての庭です。部下の者たちは研究のために日夜密林内を散策しております。お仲間を見つけたらあなたのように保護して、この施設に連れてきてくれるでしょう」

 それまで──研究所こちらに逗留されてはいかがでしょう?

 ナアクの申し出は「逃がしませんよ」とも聞こえた。

 誘うような口調でナアクは続ける。

「何があったかは存じませんが、あなたも気を失うほどダメージを受けたご様子……すぐに動くのは危険です。神族化したプレイヤーといえども無理は禁物ですからね。私は医者ではありませんが、養生をお勧めします」

 科学者としてね、とナアクは付け加えた。

「自分がプレイヤーだとわかる……それに科学者……?」

 あなたは何者ですか? とジャジャは疑問に満ちた眼差しを向けた。

 これにナアクはアルカイックスマイルを濃くして答える。

「ナアク・ミラビリス──開闢かいびゃく使徒しととも呼ばれる、この幻想世界ファンタジアに自由と解放をもたらすために探求を続ける者です」

 大層な者ではありませんよ、とナアクは自嘲気味に言った。

 開闢の使徒? 大層な肩書だと思うが……?

 するとナアクは、きびすを返してドアへ戻っていく。

「いずれにせよ、もうしばらくの休息をお勧めします。詳しい話は明日にでもして差し上げましょう。私の研究所を案内しながらね……」

 ではまた、と片手を上げてナアクは部屋を後にする。

 ドアが閉められると同時に鍵をかけられた。

 観察眼などの技能を使ってドアや壁の内部構造を探るが、おり格子こうしみたいな柱が仕込まれている。念の入ったことにミスリル製の金属柱だ。

 壁もドアも破れない──この部屋は監獄の独房だ。

 ジャジャを逃がすつもりはないらしい。

「やはり……信用ならざる御仁ごじんでゴザったか」

「その通りでございます──よく勘付かれましたね、さすがジャジャお嬢様」

 さすジャです、とどこからともなくクロコの声がした。

「えっ……ク、クロコさん? いるんですか!?」

「おりますとも──ジャジャお嬢様のすぐ傍に控えております」

 声はすれども姿は見えず。ジャジャはクロコの姿を探した。

 黒子クロコという名前通り、そういう技能でも使っているのかと思えば──。

「……うわっ!? どこから顔を出してるんですか!?」

 念のためにシーツの中を覗いてみると、ベッドに座るジャジャの股下にクロコの顔があった。ちょうど小窓から顔だけを出している感じだ。

 クロコの鼻先があるのは、ジャジャの股間に触れるか触れないかの位置。

 クンカクンカ! と鼻息が荒いのは気のせいじゃない。

「そんなところで何してるんですか!?」

「申し訳ありません。出るタイミングを失った上、あまりにも香しい処女おとめの香りについ我を忘れて……すぅぅぅ~……はぁぁぁ~……ッ!」

 深呼吸まで始めたよ、このメイド!?

 貞操の危険を感じたジャジャは、思わず後退ってしまった。

 クロコの過大能力オーバードゥーイング──【舞台裏を切りバックヤード盛りする女主人・ミストレス】。

 自分の道具箱インベントリ内を広めの舞台裏バックヤードにして、そこへ引き籠もることもできれば、半径500m以内に大小様々な出入り口を設けて神出鬼没な移動もできる。

 その能力を見込まれて、有事の際にはジャジャやマリナをその舞台裏に匿うようにツバサから指示を受けていたはずだが──。

 ジャジャは頭からシーツを被って寝たふりをした。

 調べたところ監視カメラなどはなかったが、どこかで見張られているとも限らないので、シーツにくるまってクロコとひそひそ話をする。

 まずはクロコの失態に文句をつけた。

「……どうして自分を引き込んでくれず、我が身可愛さに1人でそこに引き籠もってるんでゴザルか? 母上に密告チクりますよ?」

 拷問されるといいでゴザル、とジャジャはジト眼で軽蔑した。

 なのにクロコは、頬を染めて瞳を喜びに歪めた。
 
 鼻息までもが過剰かじょうなくらい熱くなる。

「ああっ……ジャジャお嬢様にそんな無体な視線で睨まれるなんて……もっと痛烈に蔑んでくださいませ! それにツバサ様にこの失態をご報告して拷問だなんて、身に余る報奨ほうしょう……甘んじて務めさせていただきますッ!」

「…………本気マジでゴザルか?」

 正気とは思えないメイドからの告白に問い掛ける。

「どちらかといえばマゾでございます」
「そんな誰もが知ってるカミングアウトは求めてないでゴザル!?」

 駄目だこのメイド、つける薬がないほど度し難い。褒められても怒られても嬉しくて気持ちいい、2倍幸せな人生を送っている。

 それはさておき──ちゃんと問い詰めておく。

「だから……どうして自分を舞台裏そこに避難させてくれなかったでゴザルか?」

「これには事情が……せめて、弁解だけでもお聞きください」

 あのクリスタル状の箱から解放された後──。

 クロコとジャジャは離れた場所に放り出されたらしい。

 クロコが警察犬を越える臭気感知で調べたところ、ミロとマリナは一緒にいるようなので、ひとまずマリナはミロに任せることにしたそうだ。

「私はジャジャお嬢様の初々しい新芽のような匂いを追跡しました」

「……その言い方やめてほしいでゴザル」

 そもそも仲間を体臭で追跡するメイドってどうなんだろう?

 変態だと思うのはジャジャだけだろうか?

 軽蔑の眼差しのジャジャだが、クロコは一向に傷つく気配はない。むしろ興奮に頬を紅潮させながら弁明を続けた。

「ようやくジャジャ様を見つけたのですが……その時には先ほどのナアクと名乗る男と、彼の率いる従者たちに捕まっておりました」

「あの男自らが出向いて……自分を捕獲していたのでゴザルか……?」

 そこから嘘なのか──部下が保護したなどと白々しい。

「急ぎお助けしようと考えたのですが何分、多勢に無勢……ツバサ様の甘いミルクの香りも感知済みでしたので助けを請おうとしましたが、いきなり怪獣大決戦が始まってしまい、声をかけるどころではなく……」

「か、怪獣大決戦ってなんでゴザルか!?」

 聞き捨てならないワードにジャジャは目を丸くしてしまった。

 どうやらジャジャたちを攫われたことでオカン系女神の怒りに火が付いてしまい、ツバサさんはあの謎の獣王の仕業だと決めつけると、そいつをケンカ相手に大立ち回りを繰り広げているそうだ。

「触らぬ神に祟りなし――あれは触れた瞬間に蒸発します」

「う~ん、想像するだに恐ろしいでゴザルな……」

 クロコは援護を求めるべく、他のお嬢様方を探していたという。

 ミロとマリナは匂いこそすれど姿が見えず、救援を求めたくてもどこにいるかわからない。不用意に大声で呼ばわれば連中に気付かれかねない。

 モタモタしていたらジャジャが誘拐されてしまう。

「……仕方なく、苦渋の決断として私の過大能力の起点をジャジャお嬢様にセットしまして、陰ながら警護させていただきました」

「なんとなくですが……“仕方なかった”ことはわかりました」

 ツバサたちは──あの襲撃者・・・・・と戦闘中のようだ。

 クロコは助けを呼ぶに呼べず、一人でナアクたちに立ち向かって自分やジャジャに万が一があれば、ツバサに顔向けできなくなってしまう。

 だから、こんな迂遠うえんな手段に出たわけだ。

「……なんにせよ、こんなわけのわからない場所で、あんな怪しい男の掌中に一人でいるわけじゃないとわかっただけでもホッとしました」

 ありがとうございます、とジャジャは感謝する。

「お褒めに預かり感謝の極み──」

 小窓からは顔だけだが、どうやらクロコも礼をしているようだ。

「ところで……もしやクロコ殿はあの男・・・を御存知なのですか?」

 さっきの口振りからすると何やら知ってそうだ。

 訪ねられたクロコは無表情ながらも、わずかに眉間を寄せた。

「私もGM内での噂を聞いただけですが……アルマゲドン時代、その危険な思想や行動から要注意プレイヤーに認定された人物が数名おります」

 ナアク・ミラビリスはその1人だという。

「ツバサ様やドンカイ様、それにセイメイ様のように“良い意味で”目立つプレイヤーならばともかく……平気で他人を害する者、意味もなく殺戮や破壊を好む者など危険でございましょう?」

「そりゃまあそうですよね……で、あの男は何をやったでゴザルか?」

「プレイヤーへの無謀かつ無惨な人体実験です」

 アルマゲドンは何をするにも莫大なSPソウルポイントが要求される。

 強力な技能スキルを得るにしろ、誰もが振り返る美貌を得るにしろ、自らが培った魂の経験値ソウルポイントで賄わなければならない。

 この真なる世界ファンタジアへの転生を考えれば当然のことだが──。

「あの男は『自由と解放のため』と称して、習得した錬金術系の技能スキルで力や美しさを求めるプレイヤーたちをそそのかしては、違法な改造を繰り返したと……」

「改造って……アルマゲドンのアバターを?」

 アルマゲドンには他のゲームによくあるMOD追加などの機能はなく、それなりの知識を有した人でもプログラムを書き換えるのは不可能だった。

 これもまた真なる世界ファンタジアを前提に考えれば順当なのだが──。

 ええ……クロコは神妙に頷いた。

「御存知の通り、アルマゲドンのアバターは我々の魂……アストラル体などと呼ばれるもので構成されております。それを自らのSPで変化させるならばともかく、他人が技能で変更するような真似をすれば……」

 必ずや支障が生じる──最悪の場合、魂が壊される。

「無論、呪いや変身魔法を使えば他人を変えることはできますが、あれはあくまでも表面上の変化。その人の本質的な部分まではいじくれません」

 だが、あの男は──魂をも作り替える・・・・・・・・というのだ。

 錬金術系技能を極限まで学び、それらを独自の手段で複雑に連動させることで、運営でさえ未知の超常的な技能スキルを開発させたらしい。

「運営でもわからないって……そんなことあり得るのでゴザルか?」

 怪訝けげんな顔をするジャジャだが、クロコは平然と返してくる。

「はい、まれによくあるそうでございます」
「それ、レアなのか頻繁ひんぱんなのかわからないでゴザルよ……」

 好例が近くにおられるではありませんか、とクロコは水を向けてきた。

「ツバサ様、ドンカイ様、セイメイ様……生産系ならばダイン様、彼らも運営の想定を遙かに超えた武術や技術を編み出した先駆者にして異端者でございます」

「あ、言われてみれば……」

 ゆえに彼らはアルマゲドン時代から有名人だった。

「ツバサ様たちが『良い意味』で運営の期待を越え、新たな地平を切り開いた先駆者だとすれば……ナアクは『悪い意味』で運営の意向に反した異端者です」

 ナアクは運営の目を逃れ、実験に没頭していたようだ。

 自分の魂であるアバターを作り替えられたプレイヤーたちが、現実で発狂したり廃人になったり……そんな報告がアルマゲドン運営に届いたという。

 №22以上の上級GMは、アバターが魂その物だという事実を知っている。

 彼らの間ではナアクの行動が問題視されたという。

「被害報告が相当数に上ったため、GMたちが調査に乗り出せば……被害者の近くには必ずあの男の影があったのです」

「そんな危険な男……どうして野放しにしたんですか?」

 アカウントを停止するなりすれば良かったのに、とジャジャは思う。
 同感です、と頷きながらクロコは続ける。

「ですが、彼がやったという証拠がありませんでした……事件を調べれば姿が見え隠れするのに、彼の関与を示す証拠がまったくなかったのです」

 謎の多い男です、とクロコは不満げにため息をついた。

「……そういうわけで、この施設に留まるのは百害あって一利なしと進言させていただきます。早急に脱出を計りましょう。過大能力であちこちに小窓を作って調べましたが、この部屋を監視する機器や技能は働いておりません」

 こういうところは本当に有能なメイドである。

 その有能さを差し引きマイナスにするほどの変態性が問題だった。

「それは朗報でござるな」

 シーツをめくったジャジャはベッドの上で立ち上がる。

「差し当たって、まずはこの独房を脱出したいのでゴザルが……抜け出られそうなのは通風口だけなのに、しっかり対策が施されているでゴザルな」

 ベッドから斜め上にある通風口。

 そこは部屋から取り外しできない加工が施されていた。

 あれは多分、通風口内部に取り付けのためのネジや器具があるのだ。

 脱出経路の定番──閉じ込める側も抜かりはない。

 幸いにもジャジャの道具箱インベントリは漁られた形跡がなく、忍者道具や爆薬もある。技能も封じられていないので、力任せに破るのは簡単だろう。

 しかし、無音というわけにはいかなくなる。

 派手に脱出して、連中の気を引くのは考え物だった。

 どうしたものかと悩んでいると、その通風口がひとりでに外れた。

 音を響かせぬようジャジャはすかさず受け止める。

「──これでよろしいでしょうか?」

 開いた通風口の中からクロコが顔を覗かせた。

 股ぐらを覗けば既にクロコの顔はない。

 過大能力で通風口のダクト内に窓を作り、そこから通風口の蓋を外してくれたのだろう。こんな時、サポートに長けた彼女の能力は心強い。

「グッジョブでゴザルよ、クロコ殿!」
「この程度、お茶の子さいさいです──さあ、参りましょう」

 クロコに促されてジャジャは素直に頷いた。

 ジャジャは分身を作るとベッドで寝たふりをさせて、自分は通風口の蓋を持ってその配管内に忍び込んでいく。

 この分身に身代わりをさせれば、しばらくは保たせられるだろう。

 ジャジャは最期に分身へとグッドサインを送り──。

「留守番よろしくでゴザル」

 分身にグッドサインで見送られ、通風口の蓋を元通りに閉じた。

   ~~~~~~~~~~~~

 通風口のダクトを抜け、ジャジャとクロコは外を目指す。

 ひとまず上へ上へと登っていくのだが──。

「クロコ殿、いちいち自分の尻に顔を突っ込むのやめるでゴザル!」
「では、もっとスピードを上げてください」

 四つん這いで先を行くジャジャのお尻に、事あるごとにクロコが頭から突っ込んでくるのだ。お尻に鼻先が当たる度、匂いを嗅がれていた。

 スピードを上げたら上げたで追いついてくる。

 この駄メイド……絶対にわざとだ。

 そんなことをしながらも、2人は研究所の外へ出た。

 上を目指していたので屋上らしき場所へ出たと思っていたのだが、研究所を取り巻く風景を前にして、ジャジャもクロコも目を見張った。

「なっ……なんでゴザルか、此処ここは…………?」

 そこは──奈落の途中だった。

 見上げれば日の光が差し込む大きな穴が見えるし、見下げれば見通すこともできぬほどの深淵が口を開けている。

 広く、深く、大きい縦穴のようだ。

 その縦穴の途中──。

 穴の内壁を取り巻くように研究施設が建てられていた。

「これはもしや……母上の仰っていた“異形の出てくる穴”では……?」

「恐らく、間違いないでしょう」

 このような大穴──いくつも開いているわけがない。

 クロコは観察するように周辺を見渡す。

「穴の直径は500mほど、さすがに深さまでは窺い知れませんね……この施設があるのは地表に空いた穴から300mほど下……おや?」

「どうしたでゴザルか、クロコ殿?」

 ナアクの研究施設を眺めていたクロコが、何かに気付いたらしい。

「この研究施設とやら……新築したものではなく、この大穴にあった遺跡のようなものを利用しているのですね。平たく言えば改築されております」

「え、どうしてそれを……?」

 ジャジャの問いに答えるでなく、クロコは施設の一端を指し示した。

 確かに──そこは古い遺跡のようだ。

 ジャジャたちの足下にある建物は最新式の研究所のような外観だが、クロコの指差す先は施設と繋がりながらも、古びた古城のような作りをしている。

 施設と古城の端境に、ナアクの部下たちがいた。

 仮面の部下たちはせっせと遺跡部分を研究施設に造り直している。

 改築が済んでいるのはまだ10分の1程度だが、それでも十分なほど大きな施設となっている。元の遺跡はこの10倍大きかったのだ。

 遺跡にも興味が尽きないが──それよりもあの男である。

「あのナアクという男、この穴で何をするつもりでしょうか……?」
「推測の域を出ませんが……」

 ジャジャの独白にクロコが憶測を交えて答えようとする。

 その時──施設の一部が大爆発を起こした。

 遺跡部分ではない。既にしっかり改築を終えた研究施設、ジャジャたちが立っている研究棟の真下が前触れもなく吹き飛んだ。

 激しく揺れる建物、騒ぐナアクの配下たち──。

 思わずよろめくジャジャをクロコは優しく支えてくれた。

 こういう気遣いは普通のメイドなのに……ジャジャは残念に思う。

 何が起きているのか?

 どんな不測の事態に巻き込まれても対応できるように、ジャジャもクロコも油断せず身構える。感覚を研ぎ澄ませ、遠くの物音にさえ気を配る。

「──どけぇぇぇッ! オレの邪魔をするんじゃねぇぇぇッ!」

 荒々しい少年の怒声が聞こえてきた。

 声の主はナアクの部下たちと争いながらどうやら上を目指しているのか、戦闘音と破壊音は徐々にこちらへと近付いてくる。

「ここがてっぺんか!? うぉぉぉりゃぁぁぁあああーーーッ!」

 一際大きな掛け声が聞こえると、ジャジャたちの立っている足場の目前が下からぶち破られる。破った当人にすれば天井を吹き飛ばしたつもりだろう。

 2人の前に現れたのは、大きな柱を肩に背負った細身の少年。



 ただし──その右腕は引き千切られたように無かった。


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