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第3章 彼方に消えしは幽冥街
第65話:トモエとシズカの約束
しおりを挟むその頃、トモエは──全力疾走していた。
「はぁ、はぁ、はぁ……んなぁああああああああああーっ!」
トモエは高速で走りながら大槍を振り回し、行く手を阻むニンゲンモドキもアトラクアも選り分けることなく斬り払う。
彼女の怪力もさることながら、スピードを乗せた斬撃だ。
大振りな取り回しによって廃墟まで薙ぎ払う。
大型武器特有の遠心力を加えた斬り払いは、破壊力も凄まじい。
古びたコンクリも錆びた鉄骨もニンゲンモドキの図体も、滑らかな槍の軌跡を妨げることはない。横薙ぎ一閃ですべてを斬り払っていく。
アトラクアが群れてもお構いなし、振るわれる槍がまとめて斬断する。
しかし突然、槍の穂先がガクンと止まってしまった。
「んくっ!? こ、この……!?」
10mを越える肉の山みたいなニンゲンモドキ。
その肉塊に槍の穂先が食い込んでしまう。あまつさえ巨大な口に入り込んでおり、肉塊は口を開いて穂先を噛む。これでは抜けない。
その隙を狙って、斬り損ねたニンゲンモドキが忍び寄る。
「このぉ……おまえなんか素手でいい!」
噛まれた大槍から手を離して、トモエは拳を振り上げる。
その鉄拳はニンゲンモドキの腹を捉え──。
「待てーーーッ! トモエ、ストッープ!!」
「間に合ったーッ! トモちゃん待て! ステイ! ハウス!」
そこに──ツバサとミロが割り込んだ。
ツバサの過大能力──【万能にして全能なる玉体】
その能力でありったけの髪を伸ばすと生き残ったニンゲンモドキを縛り上げ、それを殺そうとしていたトモエの動きも止めた。
彼女の背後からミロが羽交い締めにする。
「ミロ! ミルクのお姉さん!? じゃ、邪魔するなーッ!?」
トモエは手足を封じられても動こうとジタバタする。
鋼鉄の硬さにゴムの柔軟性を持たせているツバサの髪で縛っているのに、引き千切られそうだ。ミロも振りほどかれそうになっている。
力だけなら折り紙付きの怪力だ。
恐らく、パワー系の神族──見た目通りの筋肉少女である。
トモエの前に立ったツバサは怒鳴り声で詰め寄った。
「落ち着け、トモエ! おまえは知ってるのか? あいつらは……」
「知ってる! 人間──いや、元人間だった奴らだ!」
驚きこそしないが、ツバサの表情も一瞬揺らぐ。
それはツバサが分析を行ったことで判明した事実。
なのに──トモエがそれを知っていた。
どう見ても調査系技能を持っていなさそうな脳筋娘がだ。
妙に確信めいたことを口にするし、誰かから何かを聞いたような口振り。おまけにニンゲンモドキを殺すことへ躊躇がない。
それどころか、彼らが人間だと知っているからこそ殺すという。
――推理や憶測ではない。
何よりトモエを突き動かす怒りを燃料とした使命感から、彼女はツバサたちも知らない何らかの真実を知っているという確信が持てた。
「……おまえ、この街について何か知っているな?」
ツバサの問い掛けにトモエは腹の音で返事をした。
見ればジタバタもがくのをやめ、ぐったりとしおれかけている。
「お、お腹空いた……」
「さっきあれだけ食べたのにもう!?」
この娘、燃費が悪すぎる──ミロとは別方向でヤバい。
「ミルクのお姉さん、ごはん……あと、またミルクちょうだい……」
「誰がミルクのお姉さんだ」
~~~~~~~~~~~~
近くに荒らされていない住宅があった。
そこにお邪魔すると、防御結界(隠密系付与)を仕掛けて一時的な避難所とする。お腹が空いて動けないトモエをそこに担ぎ込んだ。
「何でも大目に用意しておくもんだな」
「ツバサさんってばホントに慎重派だよね。石橋を鉄橋に換えるどころか、もう川を護岸工事してから最新鋭の鉄橋をかけるタイプだよね」
「アホのくせして難しい漢字を使うな」
ミロに言われても変えるつもりはない──これはツバサの性分である。
ツバサは念には念を入れて、まだ予備の食料を持っていた。救助者がお腹を空かせていたらと思い、おにぎりとかお弁当も用意しておいたのだ。
トモエはそれを大喜びでかき込んでいる。
「ガツガツガツガツ……ミローッ! ミルクお代わりーッ!」
ハトホルミルクも飲みまくりだ。
「トモちゃん、あんまり飲まれるとアタシキレそう……」
「顔だけなら十分キレてるぞ」
悪鬼羅刹の表情となったミロは、渋々ハトホルミルクを差し出した。
ミロはツバサから自分で直搾りした分がどんどん消費されていくのでご機嫌斜めだった。というか、本当にキレそうなのか神剣に手をかけている。
そしてツバサは──嬉し恥ずかしで錯乱しそうだった。
正直、世話を焼いているミロたちに飲まれるのは耐性がついてきた。
しかし、新しい子にハトホルミルクを目の前でガブガブ飲まれ、「美味しい!」と褒められれば、気持ちがざわついてしまう。
男心は恥ずかしさに悲鳴を上げるが、女心は喜びに胸が高鳴る。
これは──母性本能か。
ツバサと神々の乳母の境界線が交じりつつあるのか?
唇を噛んでブルブルと頭を振るわせる。
俺はまだ羽鳥翼だ──という意識を強く持たなくてはいけない。
深呼吸で気持ちを落ち着けてからトモエに尋ねる。
「トモエ、ご飯の礼というわけではないが聞かせてくれ」
ニンゲンモドキについて知っていることを──。
「何故おまえは奴らを殺そうとしている? どうしてあれが人間だとわかった? そして……“シズカちゃん”との約束とは何だ?」
シズカちゃんとは──何者だ?
シズカの名前を出すと、トモエはちょっとだけしおらしくなる。
おにぎりを食べる手を緩め、ポツポツと話し始めた。
「ツバサお姉さんは……幽冥街って知ってる?」
ミルクのお姉さんはやめろ、と叱ったらこの呼び方になった。お兄さんだと説明する時間も惜しいのでツバサは頷き返す。
「ああ、知っている。何年か前から流行り出した都市伝説だな」
トモエは小さな顔を何度も左右に力いっぱい振った。
目尻に溜まった小さな涙が飛び散りそうだ。
「都市伝説なんかじゃない。あれは本当にあったこと……なのに、誰も気付かなかったし、みんな忘れちゃった……トモエだけが覚えてた」
11年前──トモエが4歳の頃。
彼女には仲の良い幼馴染みがおり、その子がシズカだという。
シズカが住んでいたのが由明区で、トモエが住んでいたのは葛飾区。
2人の家は区界を挟んで建っていたそうだ。
「由明区は葛飾区の隣にあったのか……」
「ほえー、全然気付かなかったね。そっか、ここってお隣だったんだ」
ツバサとミロには由明区に関する記憶がまったくない。
一夜漬けの記憶力すら怪しいミロはともかく、そんな区があったらツバサが覚えていないわけがなかった。ツバサも東京23区を空で言えるほど詳しくはないが、生まれ育った葛飾区の隣なら忘れないはずだ。
だとすれば、やはり──。
「不思議な力によって世界から忘れられてしまったのか」
みんなそう言う、とトモエは悲しげに呟いた。
「シズカちゃんん家、トモエん家の隣に確かにあった……いつも一緒にお家の前で遊んで……また明日って約束したのに…………」
ある日の朝──シズカの家は消えていたという。
正確に言えば、見知らぬ家が建っていた。そこの住人はトモエの記憶にはなく、「誰だおまえ、シズカちゃんどこ?」状態だったらしい。
「お父さんやお母さん、近所の誰に聞いても、『そんな家は知らない。シズカなんて子供も知らない』って……トモエ、悲しくてずっと泣いた……」
トモエの味方はおらず、トモエは変な子呼ばわりされた。
やがてトモエは幼心に空気を読んだらしい。
シズカちゃんのことを口にすると──いけないことになる。
トモエは我慢して、シズカの話題を封じたという。
「ずっと我慢してたら、5年前……いきなりシズカちゃんからメール来た」
「メール? スマホにか?」
シズカの家は共働きだったので万が一のためにと、親が子供向けスマホを持たせていたらしい。それをトモエが羨ましがったので、トモエの親も同じものを彼女に与えてくれたそうだ。
2人はメアドを交換すると、拙いながらも文章を打ち込んで送り合って遊んでいたという。そうやって遊んでいた記憶がトモエにはあった。
やがてコミュニケーションアプリでやり取りするようになったのでメールは使わなくなったが、互いのメアドは友情の証みたいに残されていた。
アプリで連絡を取れない時は心配でメールを送ったりもしたという。
「そのことも話したけど……お父さんもお母さんも忘れてた」
トモエは涙ぐむ。
両親に裏切られたような気持ちだったという。
「メール……そういえばフミカが……」
──幽冥街の住人から連絡が来る。
それに返事をすると、返事をした者も消えてしまう。
「そんな怪談話もあるとか言っていたが、これはそういうことか? 幽冥街から何かの拍子でメールや電話が届くこともあると……」
トモエはそれを受け取った1人なのだろう。
メールはそれほど頻繁に届くものではなく、早くて1~2週間。遅ければ3ヶ月に1回の割合で届いたという。
「シズカちゃんのメールにはなんて書いてあったの?」
ミロが尋ねると、トモエは手の甲で涙を拭ってから続ける。
「『ここがどこだかわからない』『変なところに来ちゃった』『大人たちも騒いでる』『体育館に避難してる』『ゴハンもお水もない』……最初はそんなの」
「異世界に転移したばかりの頃みたいだな」
子供の文章だが、当時の状況が窺い知れる。
「『大きな蜘蛛のお化けがいる』『子供が攫われた、大人も攫われた』『みんなで逃げてる』……だんだん、メールの内容が酷くなって……」
大きな蜘蛛──アトラクアのことだ。
その頃から、この近辺を縄張りにしていたらしい。
「トモエ、全部に返信した……がんばれ! 負けるな! シズカちゃんたちを助けてくれる人を探す! もうちょっと待ってて! って……」
トモエが小学生の頃には、幽冥街は都市伝説となっていた。
由明区の話も出てきたので、トモエは体験者の1人として掲示板に書いたり、話を聞きに来た怪談作家やオカルト研究家に助けを求めた。
「だけど……誰にもどうにもできなかった……」
当然、子供のトモエにはどうすることもできなかったという。
手にしたおにぎりに涙の粒が落ちる。
いつしかトモエは食べるのを止め、ボタボタと涙をこぼしていた。
「トモエ……何もできなかった、無力だった……頭も悪いから……シズカちゃんに何をしてあげればいいのかさえ……わからなかった……」
掛ける言葉が見つからない。
ミロも無言でトモエの背中に回ると、ギュウッと抱き締める。
それぐらいのことしかしてやれなかった。
トモエはもう一度、涙をしっかり拭う。
すると、涙目を潤ませたまま覚悟を決めた形相となる。
「トモエが中学に入る前くらいになると──メールが変わった」
シズカの文章が稚拙になり、片言になったという。
まるで言葉の使い方を忘れたかのように──。
「『みんな変わる』『風が吹く、おかしくなる』『人が、人を食べる』『もう、にんげんじゃない』『おとうさん、おばけになった』『おばけになったひと、おかあさんたべた』『シズカもかわる、こわい』……」
トモエ、たすけて──シズカころして。
そのメールを最後に、しばらく音信不通になったという。
「でも、1年ちょっと前……また、シズカちゃんからメールが来た」
ある まげど ん で こら れ る
お ねがい みん な ころ して しずか も ころし て
と も え たすけ て
「だからトモエ、シズカちゃんのメールにこう返信した」
『まかせて──みんな殺してあげる』
シズカからの返信は──『あ り が とう』だった。
以後、シズカからのメールは途絶えたという。
「メールに返信した後、アルマゲドンってVRゲームのことを聞いた。絶対これだと思ったから、トモエも始めた……シズカちゃんのために!」
メールの文面通りなら、シズカたちが怪物になっている。
みんなを殺すためには強くならなくちゃいけない。
だからトモエはひたすら強さを求め、蛮神という神族になったそうだ。
「蛮族の神か……膂力は異様なくらいボーナスが付く反面、知力なんかにマイナスが付くから、プレイヤーの食指が伸びにくい神族だな」
「うん、おかげでトモエ──ちょっと頭悪くなった気がする」
トモエにも少なからず自覚があるらしい。
そんなトモエをミロは励ます。
「だいじょーぶ! アタシと大差ないからヘーキヘーキ♪」
「おまえは素でアホだという自覚を持てよ……」
アホはさておき──トモエは強くなった。
「どんな武器にもなるパズルアーム、マスクの変態に作ってもらった。これでトモエは最強……シズカちゃんたちも殺せる! そう思った……」
そこへアルマゲドンから異世界への転移──。
「シズカちゃんのメール、信じてた……やっぱり嘘なんかじゃなかった! トモエも異世界に来られた! シズカちゃんの懐かしい匂いを辿って、幽冥街も見つけた! シズカちゃんもここにいた!!」
トモエは食事を切り上げて、大槍を手に立ち上がる。
「だから殺す──みんな殺してあげる!」
それが約束! とトモエは住宅の庭を指差す。
庭に横たわるのは身長2mを越える獣じみたニンゲンモドキ。
それは、先ほどツバサが髪で捕縛したものだった。
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