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第3章 彼方に消えしは幽冥街
第63話:ニンゲンモドキ
しおりを挟むビッグモール由明──廃墟と化したショッピングモール。
その裏手に人間の気配を感じたので、急いで向かう。
誰もいないモール内の中央通りを走っていくと、大きなスーパーマーケットの前にやってきた。人間の気配はその裏口付近にあった。
「多分、倉庫への搬入口じゃな。店内を突っ切るぜよ」
ダインが先頭を用心深く歩き、マリナとフミカがそれに続く。
店内を見回すと、それなりに物色された後があった。
生鮮食品はひとつも残っておらず、日持ちする缶詰なども残されていない。その場で食べたのか、開けたプルタブ缶が落ちている。
その他にも飲食物を包装したビニール袋やプラスチックの容器が散乱しているが、どれもこれも手で破いたり開けたりした痕跡が見られた。
野生動物はこんな食べ方をしない。あれらを食べた生物には知性があった。
しかも食べ方を熟知している。間違いなく人間が食べた証だ。
人間のいた形跡はある──でも痕跡はない。
生きている人間に出会えないのは勿論、死体なども見つからない。アトラクアたちに食われたにしても身体の一部どころか血痕さえ見当たらなかった。
なのに、フミカたちは人間の気配を感じるのだ。
「なんスかね、このイヤーな感じは……」
悪い予感がするのはマリナだけではないらしい。
商品を出し入れするスタッフ専用の搬入口。
そこまで来るとダインは足を止めた。2人にも止まるように合図を送ると、人差し指を口に当てて「静かに、ゆっくり」と伝えてくる。
搬入口まで来ると、その理由がわかった。
奥から物音がする──複数の生物が動いている音だ。
隠密系技能のおかげで、こちらの気配はばれていない。
ダインは先ほどの失態もあるので慎重になっていた。機械化した肉体の駆動音さえ最小限に抑えている。感知系のレーダーも飛ばしているらしい。
搬入口の向こうに誰かいる。フミカの索敵では人間のはずだ。
ダインの機械系技能による探知能力も人間の熱反応を捉えていた。
でも──何かがおかしい。
聞こえてくる音が、どうにも人間離れしていた。
技能で聴力に強化を掛けて、いつもより耳を澄ませてみる。
服を着ていないのか、身動ぎによって起こる衣擦れの音はしない。
代わりに聞いたことのない筋肉や関節の音が拾えた。足音も人間のものとは違う。大型の動物が歩くように鈍重で、地響きみたいな震動をさせていた。
かと思えば、聞いたこともない重いものを引きずる足音も聞こえてきた。
このような足音をさせる生き物は誰も知らないはずだ。
それでも聞こえてくる音は、生物の足音だと確信させるリズムがあった。
ダインがすぐに接触しようとせず、足を止めたのも道理である。
忍び足で近づき、搬入口から恐る恐る覗いてみた。
彼らを見た瞬間、マリナたちは絶句する。
人間──じゃない。
太い手足で肥大化した胴体を支えたカバみたいな顔のもの。
芋虫みたいな胴体に百足のような無数の手足を備えたもの。
巨大な球体に大きな眼球がひとつだけついているもの。
大きな胴体に四肢がついていて胴体が顔になっているもの。
歪んだ肉塊に目鼻口耳がデタラメにくっついているもの。
どいつもこいつも人間じゃない。
なのに、どこかしら人間を模した身体のパーツが見られる。まるで人間を面白半分にデザイン変更したような怪物たちだ。人間らしい部分の主張が異様に強い。
だから余計に人間を意識するのに、異形なので気持ち悪さを感じてしまう。
食べ物でも欲しいのか、鼻を鳴らして何かを探している。
「なんスかあの……サルバドール・ダリの絵から出てきたようなのは」
「……シュルレアリスムっていうんですよね」
マリナちゃんは賢いッスね、とフミカは乾いた笑みで言う。
現実逃避したいのだろう。マリナも同じ気持ちだった。
「なあフミィ……あれを人間と間違えたんか?」
そこを問われて、フミカは苦汁を飲まされたような顔をした。
「間違ったというか……索敵反応だと人間って出るんスよねぇ……ここまで近付いて分析しても……ほら、やっぱり人間なんスよ」
遺伝子、血液、生体組織──分析結果がすべて人間となるらしい。
「……あがい人間はおらんぜよ?」
「わかってるッス……でも、遺伝子が人間と同じって出るんスよ」
2人は脂汗をたらして見つめ合う。
どちらも同じことを考えているのだろうが、怖くて口に出せないらしい。
言いにくそうなことを、マリナは子供の特権で口にする。
「あれが──この街の住人の変わり果てた姿とか?」
2人はマリナを見つめる。
そう考えるしかないよなぁ……と諦めムードの表情だ。
そして、3人でまた怪物たちを観察する。
部分的には人間のパーツが見て取れる。しかし、サイズ感はメチャクチャで統一されてないし、配置もランダムどころではない。
造形そのものが悪意的というより悪夢的だ。
「いったい何をどがいすりゃ人間がああなるっちゅうんじゃ……?」
「この世界の影響とかッスかね? ウチらは神族になってるから平気だけど、普通の人間だとあんな風に変わっちゃうとか……?」
ダインの疑問にフミカが即興で仮説を立てた。
「人間がこの世界に来ると……ああいう風になっちゃうんですか?」
だとしたら──恐ろしくもおぞましい。
しかし、いくら神族とはいえ、高校生2人と9歳児がどれだけ話し合ってもこの場で答えが出るわけがない。推測と仮説を重ねるだけだ。
そこへ──カサカサと音がする。
アトラクアの足音、それもかなりの数だ。
モール前の大通りを大群が行進していくらしい。それを聞いた怪物たちは裏に開けられた壁の穴から逃げ出した。
彼らにとってもアトラクアは天敵のようだ。
「……ん? 人の声が聞こえんか?」
ダインのサイボーグ化した聴力が、アトラクアの足音じゃないものを聞き取ったらしい。すかさずフミカが索敵範囲を広げた。
「アトラクアの大群……これは例の高層ビルに向かってんスかね……あれ、これは……人間!? いや、神族の反応ッス、3人いるッスよ!」
「蜘蛛どもに掴まっちょんのか!?」
行きましょう! とマリナが駆け出す。
一行は確認するべくモール正面の大通りへと向かう。
その頭の片隅には──人間から変貌した怪物たちの姿があった。
~~~~~~~~~~~~
「貴様、GMではないのか!? これはどういう仕打ちじゃ!?」
「糸の食い込みがイマイチです。やり直しを要求します」
アトラクアの大群が高層ビルに向けて行進する。
その背中には──糸で縛り上げられた2人のプレイヤーがいた。
「あれは……クロコさん! それにドンカイさん!?」
廃墟の物陰から様子を見ていたマリナが、小声ながらも驚いた。
「なんじゃ、メイド以外にも知り合いがいるがか?」
驚きのあまり物陰から出掛ようとするマリナの頭を、ダインの機械な手が帽子ごと抑えてくれた。その後、フミカにしっかり抱きしめられる。
豊満な胸の谷間に顔を突っ込まれる。これは──。
「あ……センセイの次にいいです」
「そりゃ光栄ッス……で、あの鬼のお相撲さんも知り合いッスか?」
「はい、センセイのお友達でドンカイさんです。知りませんか? ほら、VRゲームの紹介なんかよくしている、元横綱でタレントの……」
この説明に2人ともピンと来たらしい。
「ドンカイって……あの呑海関か? 大海洋親方じゃろ」
「バサ兄、えらい人とお友達なんスねー」
まさか、あの2人が捕まるなんて……とマリナは愕然とする。
もう1人──神族らしき人物がいた。
アトラクアの大群の先頭、牛みたいな大きさの蜘蛛の背に乗る人物は2人のように拘束されておらず、むしろ蜘蛛たちを従えている。
第一印象は──ド派手な魔法使い。
薄い色の金髪を舞台役者みたいに振り乱した美青年。しかし、神経質そうな表情をしており、世を儚んだ陰険な笑みを浮かべている。
ゆったりした派手なローブを何枚も重ね着しているようで、白や青や紫など派手な色と地味な色をごちゃ混ぜに着込んでいた。暑くないのだろうか?
手には緻密というより入り組んだデザインの宝杖を携えている。
クロコたちの言葉を遮るために杖を鳴らした。
「そう騒がないでおくれよ。穏やかに行こうじゃないか」
青年は振り向き、朗らかに話し掛ける。
「君たちにはこれから、ぼくの手伝いをしてもらうのだからね……特にクロコ、君には是が非でも手を貸してもらう。レオナルドへの人質としてね」
お断りします、とクロコは即答する。
「私などを人質にしたところで、レオ様は動じるような方ではありません」
「買い被りすぎだよ、彼はまれに見るお人好しだ」
クロコの言葉を否定して、青年はクツクツと喉を鳴らす。悪いことを企む笑顔で相好を崩すと、大きく口を動かしながら嘲笑うように続けた。
「君を人質にすれば、喜んでぼくの頼みを聞いてくれるさ」
青年の言葉にクロコは無表情のまま歯噛みする。
「あなた、レオ様に何を……ッ!」
「ゲームマスター№07──レオナルド・ワイズマン」
頼みもしないのに、青年はレオという男について語り出した。
「GMとしても上位にいるが、運営組織の親会社でも重役級の発言力を持つ。まだ20代ながら幹部の1人として数えられる若きホープ……」
そして──クロコを初めとした、数人のGMの教育係も務めている。
「クロコ、君も知っての通りGMは番号が若いほど優秀であり、社内でも大きな権限を振るえる……彼の若さで一桁というのは異例だろうね」
「同期のあなたが言うと説得力がありますね」
ピクリ、と青年のこめかみに血管が浮き上がった。
片方の唇を引き攣らせて反論する。
「……ぼくだって№13、これもまた異例なことなのだけどね」
「でも、レオ様の下ですよね、下の下ですわよね?」
クロコは煽る──対して、青年の煽り耐性は低くそうだ。
青年は冷静さを取り戻そうと鼻で笑った。
「……フン、あいつの功績なんて、おまえたち問題児ムスメを4人まとめて使えるようにしただけじゃないか。それぐらい、ぼくにだってできるさ!」
「無理ですわね、絶対無理──無理無理です」
クロコは無表情のまま舌を出して、ピロピロ振るわせる。
何とも腹が立つその顔に、青年のこめかみに浮かぶ血管が増えていく。
やり取りを聞いていたドンカイが呆れ気味だった。
「この娘、やっぱり問題アリじゃったんか……」
その一言に謎の青年は驚くほど食いついた。
「問題児の中の問題児さ! レオナルドが面倒を見ている4人は、どいつもこいつも人としてネジが5、6本はずれてるようなのばっかりだからな!」
№15──カンナ・ブラダマンテ。
№32──ナヤカ・バーバーヤガ。
№59──アキ・ビブリオマニア。
「……そして№19、クロコ・バックマウンド! おまえら揃いも揃って頭おかしいレベルだろ! 脳筋くっ殺女騎士に、人見知りコミュ障魔女に、なまけ者ニート読書家……極めつけが脳内ピンク淫乱メイドのおまえだ!」
「素晴らしいラインナップですよね」
やかましい! と青年が激昂する。
クロコの挑発によって青年の素が剥き出しにされつつあった。
相手の気を昂ぶらせることで本性を露わにする。話術のテクニックだ。
わざとならば策士だし、素でやっているなら天然が過ぎる。
「レオナルドがぼくに愚痴るんだぞ! 『アイツらの世話をするようになってから生え際が後退したような……』って! おまえらが問題ばっか起こすからストレスマッハで頭皮がヤバくなってんじゃないか!?」
「そこはそれ、ちゃんとご奉仕してますから」
クロコは縛られたままだが、その大きな胸を誇張した。
「私たちの巨乳でレオ様を癒しておりますのでご心配なく」
「おまえらそれしか取り柄ねーだろ! あいつが社内で“爆乳特戦隊のレオ隊長”って後ろ指を指されてるの知らないのか!?」
この事実を知らされてクロコの表情が変わる。
「なんと……そんな素敵なネーミングで呼称されていたのですか!?」
「陰口を叩かれて喜んでんじゃねーよッ!?」
今度はクロコが得意気に爆乳を張り出して反論する。
「でも、レオ様はおっぱい星人ですから喜んでおりますわよ? いつも沈着冷静を旨としているので、絶対に表情にはお出しになりませんけどね」
「あいつ変なとこ見栄っ張りだからなぁ……」
青年はレオナルドという人に同情していた。
敵視しているかと思えば、友人みたいな素振りも見せる。
話を盗み聞きする限り、優秀な仲間に嫉妬しているようだが、それ以外にも複雑な感情を抱いているらしい。敵意ばかりではないみたいだけど……。
それを知ってか知らずか、クロコの傍若無人に煽る。
「具体的に言えば、隙あらばおっぱいを押しつけたり、疲れていらしたら『大丈夫、おっぱい揉む?』と勧めてみたり、事あるごとにおっぱいの谷間を覗かせたり、人前だろうと腕を組んでおっぱいを押し当てたり……」
「乳しか能がないのかおまえらは!?」
「まあ、私たちの売りのひとつですし、活用すべきではないかと」
羨ましいですか? とクロコは半眼で乳房を揺する。
「うっ……だ、誰が羨ましいかーッ!!」
「「……………………」」
物陰からクロコたちの会話を聞いていたフミカとダイン。
2人とも難しい顔で頭を抱えていた。
「こりゃあ……アニキが亡き者にしたいって気持ちもわかるのぉ」
「あのメイドさん、度し難いッスね……」
ご理解いただけましたか? とマリナは悟った顔をするしかない。
~~~~~~~~~~~~
アトラクアの行軍は高層ビルへと向かう。
その先頭を行くのは、謎のGMと思しき青年。
後に続くのは何千ものアトラクアの大軍。
その背中には縛り上げられたクロコとドンカイ。
どちらも後ろ手に縛り上げられており、ドンカイはあぐらで不服そうに、クロコは無表情のまま正座で蜘蛛の背に揺すられていた。
マリナたちは隠密系技能を上掛けして、廃墟伝いに蜘蛛の行軍を追う。
青年は前を向いたまま何も言わない。
クロコとの会話に疲れたのかも知れない。無言のままだ。
「……おい、そこの君。ひとつ聞かせてくれんか」
そんな彼の背中にドンカイが声を投げ掛ける。
「この薄気味悪い蜘蛛を操るっているようじゃが……それが君の過大能力なのか? いや、そもそもこの蜘蛛は何じゃ?」
アルマゲドンのモンスターではない、それは間違いなかった。
ドンカイの質問に青年は顔だけ振り向き、唇の端を釣り上げる。
「これはぼくの甥と姪──姉さんの子供たちですよ」
「甥と姪、姉さん……?」
この答えにはドンカイも訝しげだった。
はぐらかしているとも受け取れるが、青年の態度はすんなりしたものだ。嘘つきが見せるような些細な言い淀みさえ表に出さない。
むしろ、誇らしげに思えた。
「ま、明かしたくないならそれでいいわい……この蜘蛛たちはおまえさんの意のままのようじゃが……では、あのニンゲンみたいな連中はどうした?」
ああ、と青年は明るい声で言った。
「君たちも会ったのかい──この街の元住人たちに」
この言葉に目を白黒させたのはドンカイだけではない。
クロコさえも顔色を変えるほど反応した。
青年は身体ごと振り返ると、愉快そうに語り始めた。
彼が知りうる限りのことを──。
「この街が現実世界から飛ばされてきたものだということは、君たちも薄々勘付いているだろう? その通り、ここは東京都第24区──由明区」
そして、あの怪物たちは──住人の成れ果てだ。
物陰で聞いていたマリナたちも身を固くする。
同時に「やっぱり!」という最悪の予想が当たったことを知る。
「おっと、早合点はしない方がいい」
何かを言いかけたドンカイたちを、青年は杖を振って制した。
「この世界が人間に悪影響を及ぼしてああなった……とか思ったのだろう? それはちょっと違うな。この世界は多少なりとも人間に影響をもたらすはずだが、あそこまでの劇的な変化は与えないはずだ」
この街はちょっと特殊でね、と青年は地面を指し示した。
「この下に裂け目がある──何処か別の次元へ繋がる裂け目がね」
そこから吹いてくる別次元の風、それが原因だという。
「姉さんはそれを身を以て体験し、その研究成果をぼくに教えてくれた……おかげでよくわかったよ……運営がGMたちをも謀っていたこともね!」
「運営がGMたちを……謀った?」
青年の意味深長なセリフに、今度はクロコが眉をひそめる。
すかさず青年はクロコに吐き捨てた。
「そうさ、運営トップはこのことを知っていたはずだ! なのに、ぼくたちGMにすら伝えていなかった! だが……№1から9までの連中は別だ!」
あいつらは──何かを知っている。
「だから聞き出すのさ……おまえの大好きなレオナルドにな!」
丹精な顔立ちを歪めるほど興奮する青年は、若いはずなのに酷く老いた表情になっていた。そう、取り憑かれたかのように病んでいるのだ。
妄執に囚われている、と表現していいかも知れない。
「おまえさんはいったい……何者なんじゃ?」
問い詰めるドンカイだが、青年は頑なに名乗ろうとしなかった。
代わりに、彼を知っているクロコが淡々と言う。
「ゲームマスター№13、ゼガイ──ゼガイ・インコグニート」
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